説明

新規微生物

【課題】 生もと系酒母において、亜硝酸反応を消失させる要因を見つけ出し、この要因に基づいて、常に酒母中の亜硝酸反応を消失させる手段を提供すること
【解決手段】 サッカロマイセス・ピチア属に属し、酒母中で亜硝酸を酸化する微生物および生もと系酒母の仕込みに際し、麹、仕込み水および当該微生物を使用することを特徴とする生もと系清酒の醸造方法。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、酒母中で亜硝酸を酸化する作用を有するサッカロマイセス・ピチアに属する微生物およびこれを利用した亜硝酸を含まない清酒の醸造方法に関する。
【背景技術】
【0002】
生もと系酒母を用いた清酒の醸造では、酒母の製造工程が、開放発酵、中性で仕込まれるため、仕込み水や麹から種々雑多な微生物が侵入し、硝酸還元菌による亜硝酸の生成や、乳酸菌による乳酸の生成が生じる。このように、製造途中の酒母では次々と菌相が変化するが、慎重な温度管理や、酸濃度管理等により、最終的には途中で接種した清酒酵母が残り、清酒酵母のみからなる酒母が得られる。
【0003】
通常は、上記のように酒母中の酵母は清酒酵母のみとなり、途中で生成する亜硝酸は消失するが、しばしば酒母中の亜硝酸反応が消えないという現象が見られることがある。そして、この亜硝酸自体は弱い毒性を有するものであり、また、酒造りに欠かせない清酒酵母の育成を妨げるというという問題があった。
【0004】
従って、酒母中から亜硝酸反応を完全に消失させることが優秀な清酒を製造するために必要であるが、酒母中でどのように亜硝酸反応が消失しているのかの理由が不明であるため、有効な亜硝酸反応の消失手段が見つかっていないのが実情であった。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0005】
【非特許文献1】「醗酵工學雑誌」、39(11), 679、秋山 裕一、古川 敏郎、清酒醸造の微生物学的管理 : (第5報)
【非特許文献2】「醗酵工學雑誌」、41(3), 113-116、1963、小玉 健吉、京野 忠司、酒母中の野生酵母に就いて(第1報)
【非特許文献3】「醗酵工學雑誌」、42(12), 739-745 ,1964.12.25、小玉 健吉、京野 忠司、飯田 謹一郎、小野山直子、酒母中の野生酵母菌に関する研究(第2報)
【非特許文献4】「日本醗酵工学会大会講演要旨集」、昭和39年度, 74-75、小玉 健吉、京野 忠司、飯田 謹一郎、小野山直子、酒母中の野生酵母に関する研究 (第2報)
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
従って、本発明の課題は、生もと系酒母において、亜硝酸反応を消失させる要因を見つけ出し、この要因に基づいて、常に酒母中の亜硝酸反応を消失させる手段を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0007】
本発明者は、まず、生もと系酒母で亜硝酸反応を消失させている原因を見出すべく、種々検討を行った。そしてその結果、米の糖化に利用する麹に、亜硝酸反応を消失させるものと消失させないものがあるとの知見を得た。そして、この知見から、麹中に未知の微生物が存在し、これが亜硝酸を消去しているのではないかとの仮説を立て、微生物の検索を行っていたところ、亜硝酸を資化する能力のある酵母を見出し、本発明を完成した。
【0008】
すなわち本発明は、サッカロマイセス・ピチア属に属し、酒母中で亜硝酸を酸化する微生物である。
【0009】
また本発明は、生もと系酒母の仕込みにあたり、麹、仕込み水および上記微生物を使用することを特徴とする生もと系清酒の醸造方法である。
【発明の効果】
【0010】
本発明のサッカロマイセス・ピチアに属する微生物は、アルコール中でも生育が可能であり、亜硝酸を有効に消失させることができるものである。
【0011】
従って、この微生物を意識的に生もと系酒母中に添加することにより、製品である清酒中に亜硝酸が残存することを防止することが可能である。
【図面の簡単な説明】
【0012】
【図1】各種濃度の亜硝酸イオンを含む培地での、本発明酵母の亜硝酸イオンの分解程度を示す図面である。
【図2】各種濃度の亜硝酸イオンを含む培地での、本発明酵母の生育状況を示す図面である。
【発明を実施するための形態】
【0013】
本発明のサッカロマイセス・ピチア属に属し、酒母中で亜硝酸を酸化する微生物(以下、「本発明酵母」という)は、例えば、酒麹中から、以下のような方法で取得することができる。
【0014】
すなわち、いくつかの酒麹を適量の精製水に懸濁させた後、これに亜硝酸溶液を加え、24時間程度、30℃付近の温度に置き、亜硝酸が消失したものを選択する。次いで、この選択した酒麹懸濁液に乳酸を加えて、酸度が10程度にし、耐酸性の弱い微生物を死滅させるため、30℃程度の温度で48時間ほど培養する。
【0015】
次いで、シャーレ中で固化したGYP(1%グルコース、0.5%乾燥酵母エキス、0.5%ポリペプトン)寒天培地に、上記培養物を接種し、30℃程度で48時間ほど培養し、コロニーを生成させる。生成した各コロニーを寒天培地上に取り、その上に微量(数mg程度)の亜硝酸カリウムの結晶を載せ、その状態で、25℃程度の温度で48時間培養を行う。
【0016】
上記培養の結果、微生物の生成が認められたものを、本発明酵母として採取することができる。
【0017】
上記のようにして得られた酵母の、性質の一例を以下に示す。
<培養的・形態的性質>
GYP液体培地で生育させた場合、本酵母の形状は球形に近い卵形で、大きさは1.5 〜6.5μmであった。本培地で、GYP液体培地生育後液界面に膜状の物質の生成は、若干ではあるが観察された。さらにポテトデキストロース培地(Difco社)培地上で、菌糸または仮性菌糸の形成は認められなかった。
【0018】
<胞子の生成>
あらかじめGYP液体培地で培養させた菌体を、滅菌水にて洗浄後、0.1%酢酸ナトリウム培地状で2週間生育させた。生育した菌体コロニーを適宜滅菌水に懸濁後、カバーグラスに塗抹し、火炎上で乾固固定した。これを、1%マラカイトグリーン溶液で染色をおこなった。その結果、菌体の内部に球形〜レモン形の内生胞子を形成した。
【0019】
<生理学的・化学分類学的性質>
(1)最適生育pH 5〜6
(2)生育pH 3〜8
(3)最適生育温度 25℃〜30℃
(4)生育温度 4℃〜35℃
(5)硝酸塩の資化性 有
(6)亜硝酸の資化性 有
(7)5%アルコールに対する耐性 有
(8)炭素源の発酵性および資化性
(炭素源) (発酵性)
グルコース +
ガラクトース −
シュークロース −
マルトース −
ラフィノース −
トレハロース +
ラクトース −
(炭素源) (資化性)
グルコース +
ガラクトース −
シュークロース +
マルトース +
トレハロース +
ラクトース −
メレビオース −
セロビオース −
ラフィノース −
メレジトース +
イヌリン −
可溶性デンプン −
キシロース +
アラビノース −
リボース +
L−ラムノース −
D−アセチル−D−グルコサミン −
エタノール +
エリスリトール +
マンニトール +
サリシン −
イノシトール −
グルシトール −
ソルビトール +
コハク酸 −
クエン酸 −
(9)硝酸ナトリムの資化性 有り
(10)ビタミン無添加培地で生育しない。
【0020】
本発明者は、亜硝酸に対する資化性を有する酵母について報告がなく、また、分子生物学的同定(16s rRNA−DNA;アクセッションナンバー AM397861.1)によっても同一のものがないことから、上記性質を有する酵母を新規な酵母と判断し、〒305-8566 茨城県つくば市東1−1−1 つくばセンター 中央第6 独立行政法人 産業技術総合研究所 特許生物寄託センターに、Y−11393(FRRM P−21639)として寄託した(受託日 平成20年8月1日)。
【0021】
本発明酵母は、上記したように亜硝酸に対する資化性を有し、これを消失させるものであり、更にアルコールに対する耐性を有するものであるから、これを清酒製造の際の生もと系酒母中に加えることにより、清酒中に亜硝酸が残存することを防ぐことが可能となる。
【0022】
すなわち、生もと系酒母は、乳酸を予め添加する速醸系酒母と異なり、乳酸菌により生酸を行うため、30日近い日数と手間がかかり、大量生産が難しかった。一般に、生もと系酒母では、仕込み後数日目より亜硝酸反応が現れ、通常10日目前後に亜硝酸濃度が最高になるが、その後、だんだん減少し、15日目までには完全に消失する。しかしながら、この時点で亜硝酸が消失しない場合は、酒母中に酵母を添加しても十分に繁殖することができない。
【0023】
従って、本発明酵母の最も好ましい利用方法は、酒母中で亜硝酸が十分に生成し、野生酵母を淘汰した後で、亜硝酸が消失しない時(仕込み後10〜15日)に、酒母中に添加する方法である。
【0024】
この本発明酵母の具体的な添加方法としては、あらかじめ別に培養した本発明酵母や、あらかじめこの酵母を培養し、当該培養菌体中から得た抽出液を酒母中に添加する方法を挙げることができる。このように、本発明の酵母の添加により、清酒製造工程中に生育不可欠な乳酸菌や清酒酵母の生育を阻害する亜硝酸を除去し、乳酸菌や清酒酵母の生育をスムーズにすることによって安定的に生もと酒母を製造させることが可能となり、優良な酒母を得ることができるのである。
【0025】
以上のように本発明は、生もと系酒母を用いる清酒製造において有利に利用することができるものである。
【実施例】
【0026】
次に実施例を挙げ、本発明を更に詳しく説明する。
【0027】
実 施 例 1
(1)酵母の分離、取得:
5ppm濃度の亜硝酸溶液100ml中に、酒麹((株)菱六社製)10g加え、30℃で24時間保温した。亜硝酸溶液の亜硝酸消失を確認後、この溶液50mlを30℃、酸度10の条件下で2日間培養し、耐酸性の弱い菌をのぞいた。この培養液をGYP寒天培地で、30℃、3日間培養しコロニーを生成させた。
【0028】
* GYP寒天培地:
ペプトン5g、酵母エキス5g、D−グルコース10g、寒天20gおよび脱イオン水1,000mlを1500mlフラスコに取り、pHを7に調整した後、オートクレーブ(加圧滅菌器)にて、120℃で10分間殺菌し、シャーレに15ml取り、平面培地を作製した。
【0029】
生成したコロニーから菌体を取り、YPD寒天培地に乗せ、更に亜硝酸カリウムを培地に対して5ppmとなるように添加し、25℃で3日間培養した。菌の生育が認められたものを亜硝酸塩の資化性陽性と判断した。
【0030】
上で得られた亜硝酸の資化性が陽性な3微生物を、GYP液体培地に接種し、25℃で1日間培養した。培養後、それぞれについて目視により集落の形状を、光学顕微鏡により栄養細胞の形態をそれぞれ観察した。その結果、分解酵母aを得た。
【0031】
(2)分離酵母の性質:
得られた分離酵母aを、"The Yeasts, A Texonomic Study" 4th edition(1998)を参考にし、亜硝酸塩の資化性を試験した。10ml容の試験管にイースト・カーボン・ベース(Dlfco社製)1.17%、2.5mlを121℃で、15分間オートクレーブ滅菌した。
【0032】
あらかじめ滅菌フィルタ(0.45μm孔径、ミリポア社)で滅菌した10ppm亜硝酸カリウムを、2.5mlとなるよう上記培地に添加した。この培地にあらかじめ培養した分離酵母の菌体を106細胞となるように接種し、25℃、3日間培養した。培養後、亜硝酸カリウムを添加した培地に酵母の生育が認められたものを亜硝酸塩の資化性陽性と判断した。なお、陽性対照として硫酸アンモニウム塩についても同様に試験した。
【0033】
上記試験で、亜硝酸塩の資化性が認められた分離酵母aについて、"The Yeasts, A Taxonomic Study" 4th edition(1998)を参考にし、炭素源の発酵性および資化性を試験した。10ml容の試験管にイースト・ニトロゲンベース(Difco社製)1.34%、2.5mlを分注した。これをオートクレーブ中、121℃で、15分間滅菌した後、試験に用いた。試験で用いた糖類は、23種類で、シグマ−アルドリッチより購入した。これら糖溶液を2%とし、滅菌フィルタ(0.45μm孔径、ミリポア社)で滅菌した後、2.5mlとなるようにイーストニトロゲンベース培地に添加した。この炭素源の発酵性および資化性は、前記した通りであり、これらから、分離酵母aは、ピチア・アングスタ(Pichia angusta)と同定された。
【0034】
また、各種濃度のエタノールを含むGYP液体培地(Difco社製)を用いて、エタノール存在下での酵母の生育を調べた。まず、分離酵母aの懸濁液(リン酸緩衝生理食塩水に分離酵母が1mlあたり10個程度となるように調整したもの)を準備し、これを前記エタノール添加YM液体培地に、バスツールピペットで少量接種し、25℃で7日間培養後、生育の有無を観察した。この結果を表1に示す。
【0035】
【表1】

【0036】
実 施 例 2
ピチア・アングスタ Y−11393株による、亜硝酸の消失試験:
YPD液体培地中に、亜硝酸イオンとして1mMから100mMの濃度となるよう、亜硝酸ナトリウムを加えた。次いで、この亜硝酸イオンを含む培地に、あらかじめ培養していたピチア・アングスタ Y−11393株の菌体を10細胞となるように接種し、30℃で、4日間培養した。
【0037】
培養開始から、1日おきに培地を採取し、その中に含まれている亜硝酸イオンの量を、N−1−ナフチルエチレンジアミンを用いるジアゾタイゼーション(Ziazotization)法により測定した。図1に、亜硝酸減少量の結果を示す。
【0038】
この結果から、5mMまでの亜硝酸は本発明の酵母で有効に消去しうることが明らかになった。
【0039】
実 施 例 3
ピチア・アングスタ Y−11393株の亜硝酸含有培地中での生育試験:
GYP培地中に、100mMまでの亜硝酸イオンとなる量の亜硝酸ナトリウムを加え、更にあらかじめ培養していたピチア・アングスタ Y−11393株の菌体を10細胞となるように接種し、30℃で4日間培養した。
【0040】
培養開始後、毎日培養液を採取し、その660nmにおける吸収から、本発明酵母の生育を確認した。この結果を図2に示す。
【0041】
この結果から、培地中の亜硝酸イオンが5mMまでは、本発明酵母が生育しうることが明らかになった。
【産業上の利用可能性】
【0042】
本発明の酵母は、亜硝酸イオンの分解作用を有し、かつある程度のアルコール濃度中で生育することができるため、生もと系清酒製造過程の酒母に混入、存在する亜硝酸イオンを消去するために利用することができるものである。


【特許請求の範囲】
【請求項1】
サッカロマイセス・ピチア属に属し、酒母中で亜硝酸を消失させる微生物。
【請求項2】
FERM.P−21639として寄託されたものである請求項1記載の微生物。
【請求項3】
生もと系酒母の仕込みにあたり、麹、仕込み水およびサッカロマイセス・ピチア属に属し、酒母中で亜硝酸を消失させる微生物を使用することを特徴とする生もと系清酒の醸造方法。
【請求項4】
生もと系酒母中で亜硝酸が十分に生成し、混入した野生酵母を淘汰した時点で、サッカロマイセス・ピチア属に属し、酒母中で亜硝酸を消失させる微生物を添加する請求項3記載の生もと系清酒の醸造方法。
【請求項5】
生もと系酒母の仕込み後10〜15日に、サッカロマイセス・ピチア属に属し、酒母中で亜硝酸を消失させる微生物を添加する請求項3または4記載の生もと系清酒の醸造方法。
【請求項6】
亜硝酸が消失しない時に、サッカロマイセス・ピチア属に属し、酒母中で亜硝酸を消失させる微生物を添加する請求項3ないし5の何れかの項記載の生もと系清酒の醸造方法。
【請求項7】
サッカロマイセス・ピチア属に属し、酒母中で亜硝酸を消失させる微生物がFERM.P−21639として寄託されたものである請求項3ないし6の何れかの項記載の生もと系清酒の醸造方法。


【図1】
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【図2】
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