説明

未分化細胞の選別方法

【課題】厳密でかつ効率の良い未分化幹細胞の評価法、分離法を可能とする、未分化状態特異的に発現する細胞表面マーカー群を提供する。
【解決手段】LIFの存在下で培養する場合にES細胞表面で発現し、LIF非存在では発現しない細胞表面タンパク質群である特定の配列番号のタンパク質を同定し、未分化状態特異的表面マーカータンパク質として用いる。当該未分化マーカータンパク質の抗体を用いて、被検細胞の表面タンパク質との反応性を調べることで未分化の程度を確認できる。さらに、磁気細胞分離法、フローサイトメトリー法などにより、未分化状態の細胞のみを分離、精製することもできる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
ES細胞やiPS細胞の未分化状態の評価ツールとして用いることのできる、ES細胞表面マーカータンパク質を認識する抗体を用いた未分化細胞の検出用試薬又はキット、それを用いた未分化細胞の選別方法に関する。
【背景技術】
【0002】
マウスES細胞がMartin EvansやMatthew Kaufmanらによって樹立されたのは1981年(非特許文献1)であるが、1998年11月にはウィスコンシン大のJames ThomsonらによってヒトES細胞も樹立され(非特許文献2)、現在ではES細胞から様々な種類の細胞を作り出すことが可能になりつつある。造血幹細胞、神経幹細胞などの幹細胞の分化能力は、造血系や神経系といった一部の系統に限られている(分化多能性)が、ES細胞は受精卵と同様に、体を構成する全ての細胞に分化可能な「分化万能性」を有しているため、当初から組織移植や臓器移植といった再生医療の期待が高かった。
最近、マウス及びヒトで繊維芽細胞、皮膚、胃、肝臓などの成体の体細胞から人工多能性幹細胞(iPS細胞)樹立を作成することが可能になった(非特許文献3)。これにより、生命の萌芽である初期胚を破壊するのと引き換えに多能性幹細胞を作成するES細胞樹立時の倫理的問題を回避でき、また、本人の細胞を用いることで拒絶反応発生からも解放される可能性が高まったことから再生医療の期待がますますふくらんでおり、これらの幹細胞を利用した基礎、及び応用研究開発が加速している。
【0003】
このような幹細胞研究の現状から、これら未分化状態の細胞を的確に評価し選別する技術が非常に重要になってきている。特に移植を最終目的とした組織再生技術においては、分化誘導に先立ち、完全な未分化状態の細胞のみを効率的に選別し、分離し、濃縮する技術が極めて重要である。また、ES細胞から様々な細胞を分化誘導するとどうしても一部に未分化な幹細胞が残存・混入してしまい、このような細胞が移植組織中で奇形腫などのガンを形成することが指摘されており、分化細胞中の未分化な細胞を徹底的に除去する技術が安全な再生医療に不可欠であることが示唆されている。
そのため、従来から未分化細胞の選別のための未分化細胞特異的な細胞表面マーカーを見出そうという努力が続けられており、種々の選択用マーカーが提案されている。例えば、未分化ES細胞の選別方法のSSEA-1、SSEA-3、SSEA-4、PECAM-1を用いた選別方法(特許文献1)や、Psbp遺伝子発現産物の検出による選別法(特許文献2)の他にも、Alkaline phosphatase、TRA-1-60、TRA-1-81、CD30、Criptoなどに対する抗体を用いる方法(非特許文献4)などがある。
しかしながら、従来提案されている未分化ES細胞の選別方法で用いられる、SSEA-1、SSEA-3、SSEA-4、PECAM-1や、Alkaline phosphatase、TRA-1-60、TRA-1-81、CD30、Criptoなどの各表面マーカーは、いずれも未分化細胞以外でも発現が確認されているものであるため、その評価・選別は不完全とならざるを得なかった。例えば、SSEA-1はES細胞以外に、成体の子宮内膜、精巣上体、脳、腎臓でも発現している細胞表面抗原であり、SSEA-3, -4は赤血球でも発現している。Alkaline phosphataseは成体の肝臓や腎臓、小腸、骨をはじめとして成体の殆どの臓器で発現が確認される非特異的マーカーである。更にPECAM-1はむしろ血管内皮細胞のマーカーとして認知されているマーカーであり、血小板、単球、顆粒球などでも発現していることが知られている。TRA-1-60やTRA-1-81は精巣腫瘍のマーカーとしても知られている。つまり、ES細胞のみで発現する厳密な意味での特異的選別マーカーは,少なくとも現在までは見出されておらず、未分化状態で発現する特異的選択マーカーの検出に基づく従来の選別方法では、未分化細胞を効率よく厳密に評価・選別することは難しかった。
【0004】
また、未分化状態特異的に発現する遺伝子をマイクロアレイなどの遺伝子発現解析法を用いて検索する試みもなされているものの(非特許文献5〜7)、これらは未分化状態の制御に関わる核内転写因子や細胞質のシグナル伝達因子について検討されたものであって、幹細胞の細胞表面マーカーをタンパク質レベルで詳細に検討したものではない。さらに、細胞表面膜タンパク質を直接解析するプロテオミクス法を利用して幹細胞で発現するタンパク質を検索する試みも行われていたが、従来のタンパク質を銀染色などの方法で染色して検出する二次元電気泳動法では厳密なタンパク質量の比較は技術的に困難であり、再現性のある解析結果を得ることが容易ではなかった。疎水性が高く分子量が比較的大きいという膜タンパク質独特の物理的性質がタンパク質レベルの解析をさらに困難なものとしていた。そして、未分化細胞を効率よく選別する目的に使用できる幹細胞表面マーカーといえるためには、ただ幹細胞で発現する細胞表面タンパク質として同定できればよいというわけではなく、分化状態では発現しない、未分化状態特異的タンパク質であることを逐一再確認する必要がある。このような様々な問題から、多能性幹細胞を効率よく選別する細胞表面マーカーの網羅的な解析はこれまで検討されていたが、未分化状態特異的な細胞表面マーカータンパク質群を同定するには至らなかった。
【特許文献1】特開2004−313184号公報
【特許文献2】特開2006−42663号公報
【非特許文献1】Evans, M. J., and Kaufman, M. H. Nature 292 (1981)
【非特許文献2】Thomson J. A., Itskovitz-Eldor J., Shapiro S. S., Waknitz M. A., Swiergiel J. J., Marshall V. S., and Jones J. M., Science, 282 (1998)
【非特許文献3】Takahashi K., and Yamanaka S., Cell, 126 (2006)
【非特許文献4】Reubinoff B. E., Pera M. F., Fong C. Y., Trounson A. and Bongso A., Nature Biotechnology 18 (2000) 399
【非特許文献5】Ramalho-Santos M., Yoon S., Matsuzaki Y., Mulligan R.C., and Melton D.A., Science, 298, (2002) 597-600.
【非特許文献6】Tanaka T.S., Kunath T., Kimber W.L., Jaradat SA., Stagg C.A., Usuda M., Yokota T., Niwa H., Rossant J., and Ko MS., Genome RES. 12, (2002) 1921-1928.
【非特許文献7】Palmqvist L., Glover C.H., Hsu L., Lu M., Bossen B., Piret J.M., Humphries R.K., and Helgason C.D., Stem Cells, 23, (2005) 663-680.
【非特許文献8】Okita K., Ichisaka T., and Yamanaka S., Nature, 448 (2007) 313-317.
【非特許文献9】Unlu, M., Morgan, M. E., and Minden, J. S., Electrophoresis (1997) 18
【非特許文献10】Ross, P. L., Huang, Y. N., Marchesee, J. N., Williamson, B., Parker, K., Hattan, S., Khainovski, N., Pillai, S., Dey, S., Daniels, S., Purkayastha, S., Juhasz, P., Martin, S., Bartlet-JonES, M., He, F., Jacobson, A., and Pappin, D. J., Mol Cell Proteomics (2004) 3
【非特許文献11】Intoh, A., Kurisaki, A, Yamanaka, Y., Hirano, H., Fukuda, H., Sugino, T., and Asashima, M. Proteomics (2008) in press
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
本発明は、従来の不完全なES細胞やiPS細胞の評価・選別方法に代わる、厳密な未分化幹細胞評価法、および、未分化幹細胞を選別するための高効率な分離方法を可能とする、未分化状態特異的に発現する細胞表面マーカー群を提供しようとするものである。
【課題を解決するための手段】
【0006】
本発明者らは、前記の問題点を根本から見直し、未分化状態のES細胞で特異的に発現する一群の細胞表面マーカーの網羅的な解析を行うにあたり、未分化状態を維持するLIF因子の存在に着目し、LIFの存在、非存在の状態でES細胞表面に発現する表面タンパク質の変化を、定量的プロテオミクス解析手法を組み合わせて定量的に解析し、未分化状態特異的発現タンパク質を同定することを思い至った。そして、この定量的プロテオミクス解析の結果、はじめて、未分化状態特異的に発現する細胞表面マーカーを多数同定することができた。これら本発明で得られた新規幹細胞表面マーカーを認識する抗体を複数組み合わせたプロテインチップを用いて幹細胞の評価を行うことで、正確にES細胞やiPS細胞の分化程度を判定、評価することが可能となる。このような知見をもとに、これまでにない厳密な未分化状態の幹細胞の評価・選別方法に係る本発明を完成させた。
【0007】
すなわち、本発明は以下の通りである。
〔1〕 配列番号1〜33で示されるいずれかのアミノ酸配列からなる未分化細胞特異的マーカータンパク質を認識する抗体を1又は2以上含む、被検幹細胞の未分化状態の評価、判定用抗体試薬又はキット。
〔2〕 前記抗体が磁気ビーズ又は樹脂ビーズに固定化されていることを特徴とする、前記〔1〕に記載の抗体試薬又はキット。
〔3〕 前記抗体の2以上が、基板表面の決められた位置にそれぞれ設けられていることを特徴とする、前記〔1〕に記載の抗体試薬又はキット。
〔4〕 前記抗体が蛍光標識されていることを特徴とする、前記〔1〕〜〔3〕のいずれかに記載の抗体試薬又はキット。
〔5〕 さらに、蛍光標識した免疫グロブリン抗体を含むことを特徴とする、前記〔1〕〜〔3〕のいずれかに記載の抗体試薬又はキット。
〔6〕 前記〔1〕〜〔5〕のいずれかに記載の評価、判定用抗体試薬又はキットを用いて被検幹細胞の表面に未分化細胞特異的マーカータンパク質が存在するか否かを検出し、または定量する工程を設けることを特徴とする、被検幹細胞の未分化状態の評価、判定方法。
〔7〕 前記〔1〕〜〔5〕のいずれかに記載の評価、判定用抗体試薬又はキットを用いて被検幹細胞の表面に未分化細胞特異的マーカータンパク質が存在するか否かを検出し、または定量する工程を設けた後に、未分化状態の細胞のみを分離することを特徴とする、未分化状態の幹細胞の分離又は精製方法。
〔8〕 配列番号1〜33で示されるいずれかのアミノ酸配列からなる幹細胞表面マーカータンパク質のセットであって、前記〔1〕〜〔5〕のいずれかに記載の抗体試薬又はキットに含まれる抗体が認識する2以上の幹細胞表面マーカータンパク質からなる、未分化状態特異的幹細胞マーカータンパク質のセット。
〔9〕 前記〔8〕に記載の未分化状態特異的幹細胞マーカータンパク質のセットを細胞表面に発現している幹細胞であって、前記〔7〕に記載の分離又は精製方法により分離又は精製された幹細胞。
【発明の効果】
【0008】
本発明によれば、ES細胞やiPS細胞における未分化状態を的確に評価し、未分化細胞のみを効率よく選別することが可能となる。また、本発明におけるプロテインチップは、ES細胞やiPS細胞のみならず,各組織中の幹細胞に対しても未分化細胞の評価、選別にも利用できる可能性がある。また、幹細胞一般の脱分化効率の評価、脱分化した細胞の選別にも利用できる可能性がある。更には、分化誘導した細胞群に残存し、そのまま移植すると奇形腫を生じるような未分化幹細胞が混入しているかどうか評価し、また、これらの未分化細胞を除去することで癌化の危険を低減する再生医療基礎技術としても利用できる可能性がある。
【発明を実施するための最良の形態】
【0009】
本発明により提供された未分化状態の幹細胞で発現する特異的細胞表面マーカー群を認識する抗体を用いることで、幹細胞の未分化状態を的確に評価、判定することができる。培養中の幹細胞が未分化状態であることを確認する場合にはもちろんであるが、幹細胞を分化させた場合に分化状態をチェックし、組織中に移植する際に奇形腫を形成する細胞かどうかを評価する場合にも用いることができる。
すなわち、本発明の未分化状態特異的細胞表面マーカーは、未分化状態幹細胞を特異的に選別することを可能にする細胞表面マーカーであると同時に、移植により奇形腫を形成する細胞を除去するための指標となる細胞表面マーカーでもある。
【0010】
本明細書において、「幹細胞」とは未分化状態にある細胞を広く意味し、例えば、胎性幹細胞(ES細胞)の他、造血幹細胞、神経幹細胞、皮膚組織幹細胞等、様々な組織性幹細胞等を包含する概念である。また、体細胞に幹細胞特異的発現遺伝子などを導入して脱分化させた幹細胞(iPS細胞)についても、マイクロアレイを用いた解析からES細胞とほぼ同等の遺伝子発現が確認されており(非特許文献8)本発明の幹細胞に包まれる。
さらに、ES細胞をはじめとする幹細胞はマウスとヒトでかなりの部分で共通したしくみで制御されていることが明らかになりつつあり、本発明の幹細胞としては哺乳動物であれば生物種によらず適用できる。マウス、ヒトの他、サル、ブタ、ウシ、ヤギ、ヒツジ、ラット由来の幹細胞が好ましく用いられる。
【0011】
本発明の未分化状態特異的なES細胞の細胞表面マーカータンパク質は、定量的プロテオミクス解析法によりLIF存在下で培養したES細胞で発現し、LIFを除くことで分化がはじまると発現が減少するものとして同定されたものである。
これらマーカータンパク質の同定は、具体的には以下の手順で行った。
1.LIF存在下で培養した未分化状態のES細胞と、LIF非存在下培養し未分化状態を逸脱したことを確認したES細胞とを用意する。ここで、未分化状態を逸脱し分化がはじまったことは、既知の未分化状態特異的マーカーであるアルカリフォスファターゼ活性や転写因子Oct3/4、SSEA1の消失を免疫蛍光染色法により確認した(実施例1参照)。
2.次いで、非特許文献11に記載の方法に基づきこれら未分化及び分化細胞の膜タンパク質を調製し同定・定量比較を行った。まず、これら細胞を低張液細胞抽出液でホモジナイズすることにより破砕し、遠心分離して沈殿として細胞膜粗画分を得た。
3.さらにこの細胞膜粗画分をショ糖密度勾配遠心法により精製し、細胞膜画分を得た。
4.細胞膜画分に含まれるタンパク質を抽出し、この半分について、未分化状態の幹細胞由来の膜タンパク質を緑色の、分化を始めた幹細胞由来の膜タンパク質を赤色の蛍光色素で標識した後サンプルを混合し、2次元電気泳動法(2D-PAGE)により同一ゲル上で分離し、専用蛍光スキャナーで定量解析した。さらに緑と赤の蛍光強度に有意な差の見られたタンパク質スポットを直接トリプシン消化し、そのペプチドを抽出した後、質量分析(MS)によりタンパク質の同定を行った。
5.また、上記1−4の方法で調製した細胞膜画分のタンパク質の残り半分については直接トリプシンを添加して消化し、この後、未分化状態の幹細胞の膜タンパク質から調製したペプチドと、分化を始めた幹細胞の膜タンパク質から調製したペプチドを異なる同位体標識化合物でラベルし、混合してサンプルを調製した。この混合サンプルを2次元高速液体クロマトグラフィー(2D-LC)で分離し、タンデムマス質量分析法(MS/MS法)によりタンパク質を同定し、定量比較を行った。
【0012】
本発明の細胞表面マーカー群がいずれも、実際に幹細胞の未分化状態の指標として優れていることは、ウエスタンブロッティング法及び免疫蛍光染色法により確認した。(実施例4及び実施例5参照)
被検細胞が未分化状態を維持しているか否かを判定するためには、被検細胞表面に、本発明の未分化状態特異的細胞表面マーカーが発現しているか否かを確認すればよく、そのための手法はどのようなものでもよいが、典型的には、本発明の未分化状態特異的細胞表面マーカーとなる各タンパク質の抗体を用いることにより、効率的かつ正確に識別して判定することができる。
【0013】
本発明において、「被検幹細胞の未分化状態の評価、判定用抗体試薬又はキット」というとき、配列番号1〜33で示されるいずれかのアミノ酸配列からなる未分化細胞特異的マーカータンパク質を認識する抗体を1又は2以上、好ましくは3つ以上、より好ましくは5つ以上、さらに好ましくは10以上、特に好ましくは20以上の抗体を含む試薬又はキットであり、これは未分化状態幹細胞選別剤、未分化状態幹細胞の分離剤、又は精製用試薬、キットなどとしても用いることができる。
抗体試薬、キット、選別剤、又は分離剤などとする場合は、これら各抗体の他に、周知の添加剤である緩衝液、非特異的結合を抑制するアルブミン、イオン強度を一定にするための塩化ナトリウムなどを添加する。さらに保存剤を添加して4℃で液体状態で保存することも可能である。
また、ここで「抗体」というとき、モノクローナル抗体がより好ましいが、特異性が高く抗体力価が高い抗体であればポリクローナル抗体でも使用可能である。配列番号1〜33で示されるアミノ酸配列からなるタンパク質のモノクローナル抗体は、それぞれの未分化マーカータンパク質でマウスなどを免疫し、周知の手法で簡単に得ることができるが、後述のように(表1)ほとんど市販されており、簡単に入手可能なのでこれら市販抗体を適宜用いればよい。
【0014】
被検細胞は、このような評価・判定方法により、未分化状態の細胞であると判定された場合に、さらに適切な分化誘導処理を行った後、移植用細胞などとして利用することが可能となるため、被検細胞を殺したり、弱めたりしない手法を適用することが望ましい。
例えば、幹細胞を含む、生きたままの細胞をプロテアーゼ不含の細胞解離液で処理して回収し、未分化状態の幹細胞に特異的な表面膜タンパク質に対する抗体を結合したプロテインチップ上で精製した後、抗原ペプチドで溶出、若しくはプロテアーゼで処理して未分化幹細胞を回収し、更なる培養や移植に供することが可能である。また、同様な細胞解離液で処理して回収した細胞混合物を、未分化状態の幹細胞に特異的な表面膜タンパク質に対する蛍光標識した抗体で処理し、蛍光を持つ細胞のみをフローサイトメトリーなどの方法により精製することが可能である。また、未分化幹細胞特異的表面膜タンパク質抗体を磁気ビーズに固定化する磁気細胞分離法を用いることにより、未分化幹細胞を精製することが可能である。具体的には、強力な磁石を利用して円筒形容器の内壁に標識細胞を保持することで幹細胞を精製することができる。また、固定化する磁気ビーズ試薬としては、一般的なものを用いることができる。例えば、MACS(Miltenyi Biotec製)、Dynabeads(Dynal製)、IMag(BD製)、BioMag(Qiagen製)などが挙げられる。
これらの方法は1次抗体が非標識であっても、2次抗体を標識または固定化することによっても同様な精製が可能になる。また、ビオチン・アビジンなどの結合を利用した間接法によっても可能である。これらの精製を行うとき、2つ以上の抗体を用いることによって更なる高精度な未分化幹細胞フラクションを得ることができる。
【0015】
また、幹細胞を評価後に再利用しない場合には、細胞をパラホルムアルデヒド、ホルマリンあるいはアセトンなどの有機溶媒で固定化して細胞の評価に用いることももちろん可能である。このような場合、これらの細胞膜表面タンパク質に対する抗体を複数固定化したプロテインチップ、又はELISAなどを用いることで、細胞の未分化状態を簡便に測定することができる。また、これらの抗体を用いて免疫蛍光染色を行った後、定量的蛍光イメージャーを用いて定量解析することも可能である。更には、フローサイトメトリーなどの1細胞レベルで検出できる測定機を利用して定量解析することも可能である。
【0016】
本発明の未分化状態特異的細胞表面マーカーとなる各タンパク質は、そのアミノ酸配列も、対応する遺伝子の塩基配列も既に知られているので、遺伝子組換え手法で大量生産し、マウスなどを免疫すれば簡単に抗体を得ることができる。しかも、そのうちのほとんどの抗体は公知であり、既に市販されているものも多い(表1参照)。
ウエル内でELISA法を適用する場合は、これら抗体のうちの1つでもよく、2種以上同時に用いればさらに幹細胞の未分化状態の評価・判定の確実性が増す。
また、プロテインチップを用いる場合には、これら抗体のうちの2つ以上、好ましくは3つ以上、より好ましくは5つ以上、さらに好ましくは10以上、特に好ましくは20以上の抗体を基板表面に配置させる。その際、従来既に幹細胞表面マーカーとして用いられているSSEA-1、SSEA-3、SSEA-4、PECAM-1や、Alkaline phosphatase、TRA-1-60、TRA-1-81、CD30、Criptoに対する抗体なども同時にチップ上に配置することでさらに精度を高めることができる。
これら抗体との反応性を評価する手法として、各表面タンパク質に対する抗体を直接蛍光標識又はラジオアイソトープ標識などで標識しておき、観察することもできるが、抗体を認識する蛍光抗体を用いたサンドイッチアッセイ法など定量的に評価・判定可能な手法を採用することが好ましい。
また、フローサイトメトリーを用いた場合には、1次抗体または2次抗体を蛍光標識したもので細胞を処理し、特異的なレーザー光を当てた場合に蛍光を発する細胞を未分化幹細胞として選択することになる。
【0017】
被検細胞が、未分化状態を維持しているか、分化が進行してしまったかの評価はプロテインチップを用いる場合、表1に記載の未分化幹細胞特異的細胞表面膜タンパク質発現の程度を指標にしておこなう。これらの細胞表面マーカーが2つ以上、好ましくは3つ以上、より好ましくは5つ以上、さらに好ましくは10以上、特に好ましくは20以上であれば、未分化状態の幹細胞として、より高精度で判定できる。
また、ES細胞の場合はそのまま成体に移植すると奇形腫を形成することが知られている。即ち、このような奇形腫を形成してしまう細胞かどうかを評価する場合においても、上記の判定を行うことで評価が可能である。その場合にも表1に記載の抗体を用いたプロテインチップなどを利用して同上の方法で評価することになる。前述の蛍光標識した抗体用いたフローサイトメトリーや磁気ビーズなどを用いた手法により、奇形腫を形成する未分化幹細胞を生きたまま分離・除去することももちろん可能である。
【実施例】
【0018】
以下に実施例を示し、本発明を具体的に説明するが、本発明はこれらに限定されるものではない。
【0019】
(実施例1)未分化状態と分化状態のマウスES細胞の調製
マウスES細胞はその未分化性の維持に白血病阻害因子(LIF)が必要であり、LIFを除去して培養すると徐々に分化することが知られている。本実施例では、まずマウスES細胞をLIF存在下で培養して未分化状態を維持した多能性ES細胞と、LIF非存在下で7日間培養した分化細胞を調製した。図1で示したように、LIF存在下で培養した場合には既知の未分化細胞マーカーであるアルカリフォスファターゼ活性やOct-4、SSEA1の発現が確認される。これとは、対照的に、LIF非存在下で培養した細胞ではこれらの未分化マーカーの発現が減弱もしくは消失していることから、これらはそれぞれ未分化細胞と分化細胞であることが確認できた。そこで、これらの条件下で培養したES細胞を、未分化状態特異的な幹細胞特異的な細胞表面マーカーを探索するための材料とすることとし、これらの細胞の膜タンパク質画分を超遠心法によって調製し、2D-PAGE及び2D-LCを用いて定量プロテオミクス解析を行い、新規細胞表面マーカーを検索した。
【0020】
(実施例2)マウスES細胞の細胞膜タンパク質の定量プロテオミクス解析
(2−1)2D-PAGEを用いた解析には、タンパク質を蛍光試薬でラベルして2次元電気泳動を行いその蛍光スキャンしてタンパク質の発現定量を行う2D-DIGE解析法(非特許文献8)を用いた。
具体的には、未分化状態のES細胞から調製した細胞膜タンパク質をCy3で、分化したES細胞の細胞膜タンパク質をCy5でラベルし、これらを混合したサンプルを二次元電気泳動により分離し、各タンパク質スポットの蛍光強度を測定することによってタンパク質の発現量を比較定量した(図2)。
図2に示されるように、緑のスポットは未分化状態の幹細胞特異的に発現する膜タンパク質を示しており、赤のスポットは分化状態の細胞で特異的に発現が上昇する膜タンパク質である。また、黄色のスポットは未分化状態の幹細胞でもそれが分化しても発現している膜タンパク質である。これらCy3やCy5の蛍光強度を専用スキャナーによって定量化することにより、未分化状態の幹細胞特異的に発現する膜タンパク質を厳密に比較定量することが可能となった。
【0021】
(2−2)さらに包括的に解析を行うために、2D-LCを利用したショットガン解析法も併用した。この解析法では、調製した膜タンパク質をタンパク質消化酵素であるトリプシンで処理した後、生成したペプチドを同位体標識試薬iTRAQ(Applied Biosystems)でラベルする。質量分析の際、用いた同位体試薬の種類に応じて114から117の1Daずつ異なるm/z値をもったレポーターピークが現れるため(図3)、このピーク面積の積算値によって発現量を比較定量することができる(非特許文献10)。
図3の上段の図はMS解析のスペクトルを示しており、この中のm/z=1581.8485の単一ペプチドピークを回収して更にMS/MS解析したところ、2段目のようにこの単一ペプチドの分解産物のMS/MSスペクトルを得た。この図の左端の部分を拡大してみると(最下段の図)、未分化状態のES膜タンパク質のトリプシン消化ペプチドの相対量を示すm/z=114.1220のレポーターピークと分化状態のES膜タンパク質のトリプシン消化ペプチドの相対量を示すm/z=117.1253のレポーターピークが確認できた。これらピークの積分値(面積)の比が、未分化状態と分化状態におけるこのタンパク質の相対的な量比として計算される。
【0022】
(2−3)以上の二種類の定量的プロテオミクス解析により、30個以上の未分化状態の幹細胞に特異的な新規細胞表面膜タンパク質群を同定した。これらのタンパク質は、LIFを除いた培地でES細胞を培養し、幹細胞の未分化性が喪失されるに従い、発現が有意に減少する、未分化状態特異的なES細胞の細胞表面マーカータンパク質のリストを表1に示す。表1中では、さらに、各タンパク質のアミノ酸配列を配列番号1〜33(No.に対応)として示し、市販抗体がすでに周知である場合を○で示した。なお、「−」と表示されていても市販されている場合もある。
【0023】


【0024】
(実施例3)生化学的手法による発現量の追試
次に、上記の表1に示した定量的プロテオミクス解析法で同定されたマーカーについて、ウェスタンブロット解析や免疫蛍光染色法によりその発現量の変動を検証した。その際に、表1の未分化マーカータンパク質のうち、LIFの存在非存在での発現比率の高い順から、1番目の「gi|74183928」、2番目の「gi|467233」、12番目「gi|16307446」、29番目「gi|74184247」を典型的なものとして選択し、それぞれをSlc16a1, EphA2, Bsg, ErbB4と簡略名で表し、以下の実験に用いた。
マウスES細胞をLIF存在下または非存在下で7日間培養した後、細胞抽出液を調製しSDS-PAGEでタンパク質を分離後、PVDF膜に転写した。その後、メンブランをSlc16a1, ErbB4, Bsg, EphA2などの未分化マーカータンパク質に対する市販抗体でウエスタンブロッティングにより検出した。その結果、今回定量的プロテオミクス解析法で同定されたマーカーは、既知の核内マーカーOct3/4やNanogと同様に幹細胞特異的に発現していることが確認された(図4A)。また、同じ培養条件で7日間培養した細胞を3.7%ホルマリンで固定し、同じ市販抗体で免疫蛍光染色することによってもこのことが再確認された(図4B)。LIF非存在下では新規同定膜タンパク質Slc16a1などの発現の経時変化を調べてみたところ、細胞状態の変化に応答して既知の幹細胞核内未分化マーカーとして最もよく使用されているOct3/4やNanogよりも著しく早くその発現を消失していくことが示された(図5)。このことは今回同定した新規同定膜タンパク質がこれまで使用されていた細胞表面マーカーよりも厳密かつ有用であることを示している。なお、上記以外にも、表1中の11番目の「gi|74215107」 solute carrier family 2 (facilitated glucose transporter), member 1(Glut1)や20番目の「gi|225753」E-cadherinについても、上記の解析を行ったところ、同様の結果を得た。
【0025】
(実施例4)新規細胞表面膜タンパク質を指標にした未分化細胞の精製
次に、LIF存在下で7日間培養した未分化状態のマウスES細胞とLIF非存在下で7日間培養した分化した細胞を用いて、上記の表1に示した幹細胞表面マーカーに対する抗体で標識した後、フローサイトメトリー法により未分化間細胞と分化した細胞における発現量を定量解析した(図6)。新規幹細胞表面マーカー抗体を利用したフローサイトメトリー法で未分化細胞を精製できたか判定する指標として、既知の未分化マーカーであるOct-3/4を用いた。図6Bに示したように、Oct-3/4の発現が消失した分化細胞でも既存の未分化細胞表面マーカーであるSSEA1はその発現がしつこく残留してしまうことが観察されたが、本発明で新規に同定した膜タンパク質の発現はOct-3/4陰性の分化細胞で蛍光強度がはっきりと減少していることが確認された(図6C―E)。すなわちこの結果は、これらの細胞表面膜タンパク質陽性の細胞をフローサイトメトリーで分取することにより、Oct-3/4陽性の未分化細胞を精製可能であることを示している。
【0026】
(実施例5)ヒト幹細胞への応用
さらに、本発明において同定された未分化幹細胞表面マーカーが未分化状態のマウスiPS細胞やヒトES細胞においても発現するものであることをウェスタンブロット解析により確認した。図7に示すように、今回同定した新規細胞表面膜タンパク質がマウスES細胞と同等の分化多能性を有するiPS細胞やヒトのES細胞においてもそのタンパク質発現が確認された。また、これらのタンパク質の発現はマウス繊維芽細胞などと比べて著しく高い発現を示した。すなわち、本発明で見出した未分化幹細胞表面マーカーはマウスES細胞のみならず、iPS細胞やヒトES細胞などの哺乳動物に対する表面マーカーとしても有用であり、マウスに限らず未分化幹細胞の精製に応用することが可能であることを示している。
【図面の簡単な説明】
【0027】
【図1】LIF存在下(+)及び非存在下(−)で培養した既知未分化マーカーの発現 A:アルカリフォスファターゼの活性染色像。 B:Oct3/4とSSEA1の免疫蛍光染色像と核染色像(DAPI)。
【図2】2D-DIGE解析によるマウスES細胞膜タンパク質の分離 2次元電気泳動後、蛍光試薬で標識されたタンパク質を各波長でスキャンし、その2次元泳動像を重ね合わせて表示した。 緑:Cy3でラベルした未分化状態のES膜タンパク質。 赤:Cy5でラベルした分化状態のES膜タンパク質。
【図3】iTRAQ試薬による比較定量例 未分化状態のES膜タンパク質のトリプシン消化ペプチドをiTRAQ-114でラベルし、分化状態のES膜タンパク質のトリプシン消化ペプチドを iTRAQ-117でラベルした後、混合してMS/MS解析した。 一番上の図はMS解析のスペクトルを示しており、この中のm/z=1581.8485のピークを更にMS/MS解析したところ、2段目のようなMS/MSスペクトルを得た。 この図の左端の部分を拡大してみると(最下段の図)m/z=114.1220とm/z=117.1253のレポーターピークが確認できる。この面積比が未分化状態と分化状態のこのタンパク質の相対比を表している。
【図4】同定したマウスES細胞の新規細胞表面マーカータンパク質の未分化状態及び分化状態における発現の検証 A:同定したマウスES細胞の新規細胞表面マーカータンパク質のLIF存在下及び非存在下で7日間培養したES細胞におけるタンパク質発現量のウエスタンブロッティングによる比較 B:Aの結果についてデンシトメーターを用いて定量化した細胞表面タンパク質マーカーの比較 C:免疫蛍光染色による同定したマウスES細胞の新規細胞表面マーカータンパク質の発現比較 D:免疫蛍光染色による同定したマウスES細胞の新規細胞表面マーカータンパク質が細胞膜表面に局在していることを示す共焦点顕微鏡写真
【図5】マウスES細胞における新規同定膜タンパク質のLIF除去に伴う発現の経時変化 A:LIF除去に伴うSlc16a1タンパク質量のウエスタンブロッティングによる検出 B:デンシトメーターによるAのウェスタンブロットの定量解析
【図6】フローサイトメトリーを利用した新規細胞表面膜タンパク質を指標にした未分化細胞の精製 A:前方散乱(FSC)及び側方散乱(SSC)による細胞集団のプロット。黒い枠で囲った細胞集団はPI(細胞核の蛍光染色試薬)陽性の集団であり、この細胞を用いて以下BとCの解析を行った。 B:各細胞表面未分化マーカー膜タンパク質(横軸)とOct-3/4(縦軸)で二重染色した細胞のフローサイトメトリー解析結果。緑はLIF(+)で培養した未分化細胞集団の量を等高線で示しており、赤はLIF(−)で培養した分化した細胞を示す。細胞サンプルは、各細胞表面未分化マーカー膜タンパク質に対する一次抗体とAF488で標識した二次抗体と用いた間接法とAPCで直接標識されたOct-3/4抗体を用いた直接法で免疫蛍光染色を行った。 C:上図の細胞数を縦軸に各細胞表面未分化マーカー膜タンパク質の発現量を横軸にしてグラフ化した図。
【図7】マウスiPS細胞及びヒトES細胞における新規未分化幹細胞表面マーカーの発現 分化細胞(LIF非存在下で培養したマウスES細胞)、未分化マウスES細胞、未分化マウスiPS細胞及び未分化ヒトES細胞における新規未分化幹細胞表面マーカータンパク質の発現をウエスタンブロッティングにより確認した。ローディングコントロールとしてはα-チューブリンを用いた。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
配列番号1〜33で示されるいずれかのアミノ酸配列からなる未分化細胞特異的マーカータンパク質を認識する抗体を1又は2以上含む、被検幹細胞の未分化状態の評価、判定用抗体試薬又はキット。
【請求項2】
前記抗体が磁気ビーズに固定化されていることを特徴とする、請求項1に記載の抗体試薬又はキット。
【請求項3】
前記抗体の2以上が、基板表面の決められた位置にそれぞれ設けられていることを特徴とする、請求項1に記載の抗体試薬又はキット。
【請求項4】
前記抗体が蛍光標識されていることを特徴とする、請求項1〜3のいずれかに記載の抗体試薬又はキット。
【請求項5】
さらに、蛍光標識した免疫グロブリン抗体を含むことを特徴とする、請求項1〜3のいずれかに記載の抗体試薬又はキット。
【請求項6】
請求項1〜5のいずれかに記載の評価、判定用抗体試薬又はキットを用いて被検幹細胞の表面に未分化細胞特異的マーカータンパク質が存在するか否かを検出し、または定量する工程を設けることを特徴とする、被検幹細胞の未分化状態の評価、判定方法。
【請求項7】
請求項1〜5のいずれかに記載の評価、判定用抗体試薬又はキットを用いて被検幹細胞の表面に未分化細胞特異的マーカータンパク質が存在するか否かを検出し、または定量する工程を設けた後に、未分化状態の細胞のみを分離することを特徴とする、未分化状態の幹細胞の分離又は精製方法。
【請求項8】
配列番号1〜33で示されるいずれかのアミノ酸配列からなる幹細胞表面マーカータンパク質のセットであって、請求項1〜5のいずれかに記載の抗体試薬又はキットに含まれる抗体が認識する2以上の幹細胞表面マーカータンパク質からなる、未分化状態特異的幹細胞マーカータンパク質のセット。
【請求項9】
請求項8に記載の未分化状態特異的幹細胞マーカータンパク質のセットを細胞表面に発現している幹細胞であって、請求項7に記載の分離又は精製方法により分離又は精製された幹細胞。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【公開番号】特開2010−104350(P2010−104350A)
【公開日】平成22年5月13日(2010.5.13)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2008−286795(P2008−286795)
【出願日】平成20年11月7日(2008.11.7)
【出願人】(301021533)独立行政法人産業技術総合研究所 (6,529)
【Fターム(参考)】