説明

概日リズムの測定方法

【課題】非侵襲的かつ簡便に概日リズムを測定する。
【解決手段】生物個体から採取された唾液中のPeriod、BmalおよびClockより成る群から選択される1以上の遺伝子の発現量を測定し、唾液中の該遺伝子の発現量に基づき、前記生物個体の概日リズムを測定する

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、生体の概日リズムを測定する新規方法に関するものである。より詳しくは、唾液中の時計遺伝子の発現量に基づき、概日リズムを測定する方法、概日リズムの変調を検出する方法、ならびに概日リズムを変調させる物質をスクリーニングする方法に関する。
【背景技術】
【0002】
地球上の殆ど全ての生物は体内に約24時間周期で自律振動する「体内時計」を持っている。体内時計は、概日リズム(サーカディアンリズム)という生物学的な日周変動を引き起こし、生物の睡眠・覚醒サイクルをはじめ、体温・血圧、ホルモン分泌、代謝、さらには、心身の活動、摂食などの、様々な生体現象(活動)の日周変動を支配すると考えられている。近年、概日リズムの乱れが、睡眠障害や、生活習慣病、さらにはうつ病等の精神神経疾患など、様々な心身の症状または疾患の発症要因として指摘されており、概日リズムを測定する方法の開発が強く望まれている。
【0003】
概日リズムの制御中枢(中枢時計)は視床下部の視交叉上核(suprachiasmatic nucleus : SCN)に存在しているが、末梢組織にも独自に振動する「末梢時計」が存在しており、生体リズムは、各組織や細胞中の末梢時計が独自に振動しながらも、中枢時計の影響を受けてその振動を同調・統合することによって、発現・制御されていると考えられている。生体リズムの制御には、「時計遺伝子(クロックジーン)」と呼ばれる遺伝子群が関与しており、その発現を自律的に周期変動(振動)させることによって、「体内時計」として機能している。時計遺伝子は、他の種々の遺伝子群の発現を制御することで、上記のような様々な生体現象(生理状態)を支配している(例えば、非特許文献1を参照)。
【0004】
生体リズムの分子機構は個々の細胞内にあり、例えば、行動リズム異常マウスから分離した線維芽細胞にもリズム異常が認められることから、個体から採取した培養細胞を、その個体のリズム測定に応用する試みがされている。また、ヒトでもバイオプシした皮膚より誘導した細胞を用いて概日リズムを測定することが検討されている。例えば、分離した皮膚から得られる培養細胞の時計遺伝子の振幅を測定することで、概日リズムを評価する試みがなされている(非特許文献2)。あるいは、血液より生体リズム障害の度合いを判定する方法なども提案されている(特許文献1)。
【0005】
しかしながら、皮膚のバイオプシや血液の採取は被験者への負担が大きく、長期間繰り返し試料を採取して測定を行うことが困難である。マウスの場合には、髄液をマイクロダイアリシスにより連続抽出して、メラトニンなどの生体リズムに関連するホルモンをモニターする試みもされているが(非特許文献3)、ヒトへの応用は難しい。
【0006】
さらに、生物個体の毛包細胞中の時計遺伝子の発現量の経時変化に基づき、生体リズムに関わる情報を取得することも報告されている(特許文献2)が、より非侵襲的でかつ簡便な方法が求められている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0007】
【特許文献1】特開2005−80603号公報
【特許文献2】特開2009−27952号公報
【非特許文献】
【0008】
【非特許文献1】実験医学 Vol.24, No.4, 2006, p.445-491
【非特許文献2】Brown SA., et al., Proc. Natl. Acad. Sci. USA, Vol.105, 2008, p.1602-1607
【非特許文献3】Nakahara D., et al., Proc. Natl. Acad. Sci. USA, Vol.100, 2003, p.9584-9589
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0009】
本発明は、上記のような事情に鑑み、少ない負担でかつ簡便に概日リズムを測定できる新規方法を提供することを目的とするものである。
【課題を解決するための手段】
【0010】
本発明者は、唾液において、時計遺伝子であるPeriod、BmalおよびClockの発現を検出でき、さらに、それら時計遺伝子が唾液中において概日リズムをもって発現されていることを見出し、本発明を完成するに至った。唾液中に様々な遺伝子が発現されていることは知られているが、時計遺伝子が唾液中に発現されていることは全く知られていなかった。哺乳動物における時計遺伝子として、Period遺伝子(Period1, Period 2, Period3)、Bmal遺伝子(Bmal1, Bmal2)、Clock遺伝子、Cryptochrome遺伝子、albumin site D-binding protein (Dbp)遺伝子、E4BP4遺伝子、Npas2遺伝子、Rev-erb遺伝子など多数知られているが、唾液中においては、Bmal遺伝子、Period遺伝子およびClock遺伝子の発現に顕著なリズム性が認められた。
【0011】
本発明の概日リズムを測定する方法は、生物個体から採取された唾液中のPeriod、BmalおよびClockより成る群から選択される1以上の遺伝子の発現量を測定し、唾液中のそれら遺伝子の発現量に基づき、生物個体の概日リズムを測定することを特徴とする。それら時計遺伝子は、唾液中に概日リズムをもって発現されるため、その発現量を指標として個体の概日リズムを測定できると共に、様々な要因で変調した概日リズムを検出することを可能にする。
【0012】
本発明において、「概日リズムの変調」または「概日リズムを変調させる」とは、概日リズムの位相、周期などに何らかの変化をもたらすことを意味し、正常な概日リズムが乱れること(不調)のみならず、不調である概日リズムの改善も含む。
【0013】
本発明の方法において、例えば、経時的に個体から採取された唾液中の遺伝子の発現量を測定し、唾液中のそれら遺伝子の発現量の経時変化に基づき、概日リズムを測定することができる。
【0014】
あるいは、午前8〜12時の間に生物個体から採取された唾液中の遺伝子の発現量(午前の発現量)と、午後8時〜12時の間に生物個体から採取された唾液中の遺伝子の発現量(午後の発現量)との比較に基づき、概日リズムの変調を検出してもよい。Period、BmalおよびClockはそれぞれ独自の発現パターンを有しており、午前と午後の発現量の比較によりその発現パターンの変化、すなわち概日リズムの変調を検出できる。
例えば、遺伝子がPeriod遺伝子である場合、日中活動し夜間に就寝する通常の生活パターンの人では、唾液中の遺伝子の午前の発現量が午後の発現量より高い。従って、唾液中のPeriod遺伝子の午前の発現量が午後の発現量より低いことが、概日リズムの不調を示唆する。
【0015】
また、遺伝子がBmal遺伝子である場合には、正常では唾液中の遺伝子の午前の発現量が午後の発現量より低い。従って、唾液中のBmal遺伝子の午前の発現量が午後の発現量より高いことが、概日リズムの不調を示唆する。
【0016】
本発明のスクリーニング方法は、上記方法を用いて、概日リズムを変調させる物質をスクリーニングすることを特徴とする。
【発明の効果】
【0017】
本発明の概日リズムを測定する方法は、測定試料として唾液を用いるため、非侵襲的かつ簡便に試料を採取することができ、被験者の負担を軽減できると共に、繰り返しの試料採取によって、より詳細かつ正確な概日リズムの情報をもたらすことを可能にする。
【0018】
上述したように、概日リズムは、生体の様々な代謝機能を司っており、概日リズムの乱れが、睡眠障害や、生活習慣病、さらにはうつ病等の精神神経疾患など、様々な心身の症状または疾患の発症要因となるため、本発明の方法により概日リズムを測定することにより、概日リズムの変調を簡便かつ迅速に検出できると共に、概日リズムの乱れに起因する様々な症状の診断に有用な情報を提供することができる。
【0019】
さらに、本発明の方法を用いて、概日リズムを変調させる物質をスクリーニングすることにより、簡便かつ効率的に概日リズム不調に対する薬剤候補を特定することができる。
【図面の簡単な説明】
【0020】
【図1】唾液中のPeriod、BmalおよびClockの発現量の経時変化を示すグラフ。
【図2】唾液中のPeriodおよびBmalの午前と午後の発現量の比較により概日リズムの変調を示すグラフ。
【発明を実施するための形態】
【0021】
本発明の方法では、生物個体から採取された唾液中の、Period遺伝子、Bmal遺伝子およびClock遺伝子から選択される1種または2種以上の遺伝子の発現量を測定する。ヒトでは、Period遺伝子としてPeriod1, 2および3の3種類の存在が知られており、またBmal遺伝子としてBmal1および Bmal2の2種類の存在が知られているが、いずれも同じ遺伝子群で同様の発現リズム(日内変動)を有している。特に、Period遺伝子およびBmal 遺伝子の唾液中の発現量の日内変動は顕著であり、それら遺伝子の1種以上を用いることにより、より正確に概日リズムを測定することができる。
【0022】
上記遺伝子の唾液中の発現量は公知の方法に従い測定することができる。例えば、RT−PCRやノーザンブロット法等を用いてRNA量を測定してもよいし、あるいはELISAやウェスタンブロット法等を用いてタンパク質を測定してもよい。
【0023】
限定はされないが、例えば、唾液中の各遺伝子のRNA量を、市販されているPCRプライマーを用いてRT−PCRによって測定することができる。Bmal1、ClockおよびPeriod1用PCRプライマーとして、例えばPerfect Real Time Primer(タカラバイオ社)等が市販されており、また定量RT−PCRキット(BrilliantII SYBR Green QRT-PCR Kit、Stratagene社)、ならびにリアルタイムPCR装置(Stratagene社、Mx3000P)等を用いて各遺伝子の発現量を定量することができる。
【0024】
唾液の採取方法は、本発明の目的を達成できる限り特に限定されないが、例えばRNAの発現量を測定する場合、RNeasy Protect Saliva (Qiagen社)やOragene-RNA (DNA genotek社)などの市販の唾液採取キットを用いることによって、容易に唾液を採取できると共に、RNA分解酵素の働きを抑制してRNAを安定化することができる。また、唾液からのRNAの抽出は、例えば、溶媒抽出法やカラム吸脱着法など周知の方法に従い行うことができ、あるいは市販の抽出キットを使用してもよい。
【0025】
本発明の方法において、例えば、同一の生物個体から経時的に採取した唾液中の遺伝子発現量を測定して、発現量の経時変化に基づき、概日リズムの位相や周期のずれを検出することができる。また、所定の1または2以上の時点で採取された唾液中の遺伝子発現量を、例えば対照試料における遺伝子発現量と比較して、概日リズムの変調を検出してもよい。
【0026】
あるいは、午前と午後のそれぞれ1以上の時点で採取された唾液中の遺伝子発現量を比較することにより、概日リズムの変調を検出してもよい。例えば、午前8〜12時と午後8〜12時の間、より好ましくは午前9〜11時と午後9〜11時の間の、それぞれ1以上の時点で採取された唾液中の遺伝子発現量を比較することにより、概日リズムの変調を検出することができる。
【0027】
Period遺伝子の発現量は、正常では、午前9時頃にピークとなり、午前8〜12時の間の発現量が午後8〜12時の間の発現量より高い。従って、Period遺伝子では、午前の発現量が午後の発現量より低くなると、概日リズムが変調されていることが示唆される。
【0028】
Bmal遺伝子の発現量は、正常では、午前1時頃にピークとなり、午前8〜12時の間の発現量が午後8〜12時の間の発現量より低い。従って、Bmal遺伝子では、午前の発現量が午後の発現量より高くなると、概日リズムが変調されていることが示唆される。
【0029】
本発明の測定方法を用いて、概日リズムを変調させる物質をスクリーングすることができる。
例えば、被験物質を投与する前および後に採取した唾液を用いて、それぞれ上記方法に従い、唾液中のPeriod、Bmal および/またはClock遺伝子の発現に基づき概日リズムを測定し、投与前後での比較により、被験物質による概日リズムに対する影響(変調効果)を評価することができる。
【0030】
なお、本発明における生物個体とは、唾液を分泌する動物類、ヒト、マウス、ラット、サル等が例示されるが、特にヒトにおける測定を主な目的とする。
【実施例】
【0031】
以下、実施例を挙げて本発明を具体的に説明するが、本発明は下記の実施例に限定されるものではない。
【0032】
実施例1
唾液サンプルでの概日リズム測定の検討
唾液サンプルにおける時計遺伝子の発現量の経時変化を調べて、唾液サンプルを用いて概日リズムを検出(測定)することが可能であるか検討した。
【0033】
被験者において、夜9時から翌日の夜9時までの24時間にわたり4時間間隔で、それぞれ約2mLの唾液を採取した。
【0034】
RNA抽出キット(RNeasy Protect Saliva、Qiagen社)を用い、添付のマニュアルに従って、採取した唾液からRNAを抽出した。Bmal1、ClockおよびPeriod1用の市販のPCRプライマー(Perfect Real Time Primer、タカラバイオ社)と、定量RT−PCRキット(BrilliantII SYBR Green QRT-PCR Kit、Stratagene社)を用いて、定量RT−PCR法によりBmal1、ClockおよびPeriod1のRNA量(発現量)を測定した。測定にはリアルタイムPCR装置(Stratagene社、Mx3000P)を用いた。同時に、ハウスキーピング遺伝子であるβ-Actinの発現量を定量し、内部標準として用いた。
【0035】
結果を図1に示す。発現量は、β-Actinの発現量に対する各時計遺伝子の発現量の比(相対的発現量)として示す。Period1、Bmal1およびClockはそれぞれ、午前9時頃、深夜1時頃および早朝5時頃に発現ピークを示し、それぞれ独自のパターンで概日リズムを刻んで唾液中に発現されていることが認められた。体内時計の中枢である脳の視交叉上核において、Period1は昼間に、BmalとClockは夜間に発現量がピークとなる概日リズムを刻んでいることが知られているが、末梢の分泌物である唾液サンプルにおいても、同様の概日リズムを検出できることを初めて見出した。
【0036】
実施例2
概日リズムの変調の検出の検討
上記実施例において、唾液中のPeriod1、Bmal1およびClockの発現量を測定して概日リズムを測定できることを確認できたので、次に、この測定系を用いて概日リズムの変調を検出できるか検討した。尚、以下の実験では、唾液中での発現量の日内変動がより大きいPeriod1およびBmal1を用いて評価した。
【0037】
18名の女性に、2晩連続で、就寝中の深夜2時に一時的に起床して算数や図形問題に回答するという作業(所要時間5〜10分)を行なわせ、実験的に概日リズムを乱した。
【0038】
試験開始前、睡眠中断1日目と2日目、および1週間後の計4回、夜10時と朝10時に唾液を採取し、実施例1と同様の方法によりPeriod1とBmal1の発現量を測定し、概日リズムを評価した。唾液の採取と保存には専用キット(Oragen-RNA、DNA Genotek社)を用いた。
【0039】
図1から明らかであるように、Period遺伝子の発現量は、正常では、午前9時頃にピークとなり、午前8〜12時の間の発現量が午後8〜12時の間の発現量より高い。一方、Bmal遺伝子の発現量は、正常では、午前1時頃にピークとなり、午前8〜12時の間の発現量が午後8〜12時の間の発現量より低い。従って、Period遺伝子では、午前の発現量が午後の発現量より低くなると、概日リズムが変調されていることが示唆され、またBmal遺伝子では、午前の発現量が午後の発現量より高くなると、概日リズムが変調されていることが示唆される。
【0040】
結果を図2および下記表1に示す。
【表1】

試験開始前および睡眠中断1日目は、Period1の午前10時の発現量は午後10時の発現量よりも高く、またBmal1の午前10時の発現量は午後10時の発現量よりも低く、いずれも正常な概日リズムを示した。一方、睡眠中断2日目には、Period1の午前10時の発現量は午後10時の発現量よりも低くなり、またBmal1の午前10時の発現量は午後10時の発現量よりも高くなり、概日リズムが乱れていることが明確に示された。さらに、1週間後にはいずれも正常な発現パターンに戻っており、概日リズムが回復したことが示された。
【0041】
以上の結果から、唾液中のPeriod、BmalおよびClockの発現量に基づき、概日リズムを測定し、さらに概日リズムの変調を検出できることが確認できた。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
生物個体から採取された唾液中のPeriod、BmalおよびClockより成る群から選択される1以上の遺伝子の発現量を測定し、唾液中の該遺伝子の発現量に基づき、前記生物個体の概日リズムを測定する方法。
【請求項2】
経時的に前記生物個体から採取された唾液中の前記遺伝子の発現量を測定し、唾液中の前記遺伝子の発現量の経時変化に基づき概日リズムを測定する請求項1記載の方法。
【請求項3】
午前8〜12時の間に前記生物個体から採取された唾液中の遺伝子の発現量と、午後8時〜12時の間に前記生物個体から採取された唾液中の遺伝子の発現量との比較に基づき、概日リズムの変調を検出することを含む請求項1または2記載の方法。
【請求項4】
前記遺伝子がPeriod遺伝子を含み、唾液中の該遺伝子の前記午前の発現量が前記午後の発現量より低いことが、概日リズムの変調を示唆する請求項3記載の方法。
【請求項5】
前記遺伝子がBmal遺伝子を含み、唾液中の該遺伝子の前記午前の発現量が前記午後の発現量より高いことが、概日リズムの変調を示唆する請求項3または4記載の方法。
【請求項6】
請求項1から5いずれか1項記載の方法を用いて、概日リズムを変調させる物質をスクリーニングする方法。

【図1】
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【図2】
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【公開番号】特開2011−193779(P2011−193779A)
【公開日】平成23年10月6日(2011.10.6)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−63486(P2010−63486)
【出願日】平成22年3月19日(2010.3.19)
【出願人】(000001959)株式会社 資生堂 (1,748)
【復代理人】
【識別番号】100116540
【弁理士】
【氏名又は名称】河野 香
【Fターム(参考)】