説明

注意欠陥多動性障害の動物モデル

【課題】
本発明は、ヒト注意欠陥多動性障害(ADHD)との関連性の高い新規なモデル動物を提供する。
【解決手段】
PI3Kのサブユニットp85αの機能を欠損させた動物に被験物質を投与し、その行動パターンを神経科学的な観点で解析することで、注意欠陥多動性障害の予防および/または治療剤として有用な物質をスクリーニングすることができる。従って、PI3Kのサブユニットp85αの機能を欠損させた動物は、注意欠陥多動性障害の動物モデルとして有用である。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、注意欠陥多動性障害の予防および/または治療剤のスクリーニングに有用な動物モデルに関するものである。
【背景技術】
【0002】
注意欠陥多動性障害(attention deficit hyperactive disorder:以下「ADHD」と称する。)は、小児の数パーセントに見られ、注意障害、多動性、衝動性を特徴とする行動障害である。ADHDの原因解明と予防・治療法の確立のために、各種のモデル動物モデルが開発されている。例えば、化学変異原ENU誘発突然変異マウス(特許文献1)、肝炎・肝癌・ヒトWilson病モデルラット(特許文献2)、分断されたFgF141遺伝子を伴う動物モデル(特許文献3)、フォリスタチン遺伝子が過剰発現した非ヒト動物(特許文献4)、他に、ドーパミントランスポーターノックアウトマウスなどの遺伝性モデル・6−ヒドロキシドーパミン障害ラットなどの神経毒暴露モデルなど(非特許文献1)。
【0003】
一方、ホスファチジルイノシタイド3キナーゼ(Phosphoinositide-3 kinase:以下「PI3K」と称する。)の病態生理的意義を明らかにするため、p85調節サブユニットのp85αを欠損させたマウス(以下、「P13K−p85αノックアウトマウス」と称する。)が開発されている(非特許文献5)。PI3K−p85αノックアウトマウスは、インスリン感受性の表現型を呈することやB細胞免疫不全症モデルとなりうることなどが知られている(非特許文献6)
【0004】
【特許文献1】WO2005/043992
【特許文献2】特開2001-186828
【特許文献3】特表2005-504528
【特許文献4】特開2006-75156
【非特許文献1】Brain Research Reviews, 42, 1-21, 2003
【非特許文献5】Nature Genetics, 21(2), 230-235, 1999
【非特許文献6】細胞工学, 22(8), 836-839, 2003
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
ADHDの原因や神経構造の異常については、不明な点が多く、上記したように多種のモデル動物を利用した研究がなされている。本発明は、ADHDの病因を解析するための新規なモデル動物を提供する。また、本発明は、ADHDの予防および/または治療に用いられる薬物のスクリーニング方法等を提供する。
【課題を解決するための手段】
【0006】
PI3K−p85αノックアウトマウスは、これまでに糖尿病研究、免疫学研究に用いられてきたが、神経科学的な観点で解析された例はなかった。本発明者らは、PI3K−p85αノックアウトマウスの行動を、オープンフィールド試験(Open field test)、対象物探索試験(object-exploring test)、ホール・ボード試験(hole-board test)、水迷路テスト等により解析した結果、PI3K−p85αノックアウトマウスの行動パターンが、多動性、持続しない注意力、意欲の低下、落ち着きのなさ、不安、作業記憶の障害等のADHDに特徴的に見られる行動パターンと類似することを見出した。さらに、マウスの脳切片を免疫組織染色し、PI3K活性の低下、本来PI3Kが関わることが推測されている軸索形成、中枢性ミエリンの発現について、PI3K−p85αノックアウトマウスと野生型マウスの間の比較等を鋭意行い、PI3Kのp85αサブユニットの機能を欠損した動物がADHDのモデル動物として有用であることを見出し、本発明を完成させた。
【発明の効果】
【0007】
本発明により、PI3K−p85αノックアウトマウスに代表されるPI3Kのサブユニットp85αの機能を欠損させた動物がその行動学的特徴から新しいADHDモデルとなることが明らかになった。
PI3Kの機能が欠損していることにより生じている脳内の神経構造の変化を解析することは、ADHDの原因となるような、神経回路の異常の解明に繋がる。また、PI3Kノックアウトマウスの異常行動が、PI3Kシグナル伝達系が減弱していることによるものと捉えれば、PI3Kシグナル伝達系を賦活させるようなコンセプトによる新しいADHD治療薬の開発も可能である。
【発明を実施するための最良の形態】
【0008】
以下、本発明を詳細に説明するが、本発明はこられの内容のみに限定されない。
本発明において、「遺伝子の機能が欠損した」とは、該遺伝子の遺伝子産物であるPI3K−p85αが正常に産生されないことをいい、PI3K−p85α自体が産生されないことおよび一部を欠損するなどして機能を発現し得ないPI3K−p85α様タンパク質を産生することが含まれる。
【0009】
本発明のPI3K−p85α遺伝子の機能欠損動物を得るためには、これらの遺伝子をクローニングし、インビトロで該遺伝子の機能を欠損させた後に、該欠損遺伝子を動物に戻して染色体上のPI3K−p85α遺伝子との間で相同組換えを起こさせ、染色体上のPI3K−p85α遺伝子を破壊し、その動物自体又はその子孫の該遺伝子の機能を欠損させる方法が一般的に用いられる。
【0010】
遺伝子の機能を欠損させる方法としては、遺伝子に人為的に変異を加えて該遺伝子を破壊する方法が挙げられ、例えばプロモーター領域及び/又はコード領域の少なくとも一部の欠失や、他の遺伝子を挿入又は置換することが挙げられる。
【0011】
本発明でいう非ヒト動物は、PI3K−p85α遺伝子の機能が欠損したものであればよい。また、使用される動物は特に限定されず、ヒトを除く全ての動物が挙げられ、好ましくはモルモット、ハムスター、マウスおよびラット等のげっ歯類、ウサギ、イヌ、ブタ等の哺乳動物であり、げっ歯類が好ましく、特にマウスが好ましい。
【0012】
動物に遺伝子を導入してその動物の個体又は子孫にその遺伝子を発現させる手法としては、従来からトランスジェニック動物の作成に常用されている公知の手法を挙げることができ、例えば、遺伝子DNAを受精卵の前核期胚に注入する方法、組換えレトロウイルスを初期胚に感染させる方法、相同組換えを起こさせた胚性幹細胞(ES細胞)を胚盤胞又は8細胞期胚に注入する方法等によって得られた宿主胚を動物に移植して産仔を得、これを他の個体と交配し、F1ヘテロ変異動物、さらにはF2ホモまたはヘミ変異動物を作成する方法が挙げられる。このうち、ES細胞を用いる遺伝子導入の方法は、相同組換えにより遺伝子を破壊(ノックアウト)するのに適しており、ES細胞に遺伝子を導入する工程とキメラ動物を作出する工程とを分けて行えるという利点を有しているので好ましい。ES細胞を用いる遺伝子導入の方法は、公知の方法に準じて行えばよい。
【0013】
PI3K−p85α遺伝子の機能欠損動物の、具体的な例として、Terauchi Y. et.al., Nature Genetics, 21(2), 230-235(1999)に記載のPI3K−p85αノックアウトマウスが挙げられる。
【0014】
PI3K−p85α遺伝子の機能欠損動物、例えば、PI3K−p85α遺伝子の機能欠損マウスは次のような性質を有する。
(1)オープンフィールド(open field)試験で頻繁に進行方向を変え中心部を横断する落ち着きのない自発行動を示す。
(2)対象物探索試験で新しい物を置いた場合の探索行動の回数が減少する。
(3)ホール・ボード(hole-board)試験での穴の中に頭を沈める行動の回数が減少する。
(4)水迷路による空間記憶の解析をした場合、記憶能力の低下、進行方向の変更の増加、ゴール方向へ泳ぐ意欲の低下を示す。
(5)脳切片の免疫組織染色で、PI3K活性の低下が大脳皮質と線条体に特に認められる。
(6)PI3K活性の低下部位において、軸索形成の減少、とりわけミエリン化された軸索の形成減少が認められる。
(7)シナプス密度の低下が、大脳皮質、線条体、海馬において認められる。
【0015】
PI3K−p85α機能欠損動物を用いて注意欠陥多動性障害の予防および/または治療に用いることのできる薬物をスクリーニングするには、PI3K−p85α機能欠損動物に被験物質を投与し、該被験物質が前記のPI3K−p85α機能欠損動物特有の行動異常を抑制するかどうかを判断する。すなわち、判定は、多動性、持続しない注意力、意欲の低下、落ち着きのなさ、不安、空間記憶の障害の群から選ばれる1または2以上の項目において行うことが好ましく、その試験は実施例に従って行えばよい。具体的には、例えば、PI3K−p85α遺伝子の機能欠損マウスを二群分けし、被験物質の投与群の自発行動時間が非投与群に比して統計的に優位に長くなれば、その被験物質は効果があったと評価される。
【0016】
また、PI3K−p85α機能欠損動物を用いて注意欠陥多動性障害の予防および/または治療に用いることのできる薬物をスクリーニングする方法として、PI3K−p85α機能欠損動物特有の遺伝子の発現量の変化を観察すればよい。ここで遺伝子発現量の変化は、例えば、DNAチップ等を用いた解析が挙げられる。
【0017】
本発明のスクリーニング方法の対象となる被験物質の種類は特に限定されない。例えば、化学合成化合物;生体成分、生薬成分およびそれらの合成アナログ、誘導体などが挙げられる。
【0018】
被験物質の投与量や濃度は適宜設定すればよいが、例えば、希釈系列を作成するなどして複数の投与量を設定してもよい。被験物質の投与期間も適宜設定することができるが、例えば、1日から数週間までの期間に渡って投与することができる。被験物質の投与経路は特に限定されず、経口、静脈、腹腔内、経皮および皮下投与の投与形態を適宜適用すればよい。
【実施例】
【0019】
次に実施例、試験例で本発明を説明するが、本発明はこれらに限定されない。
実施例1
ADHDとの行動類似性
(1)オープンフィールド試験での自発行動
オープンフィールド試験は、円形のスペース(直径58cm)にマウスを置いて5分間の移動軌跡をデジタルカメラで撮影し解析ソフトにより解析した。PI3K−p85αノックアウトマウスにおいて、すぐ立ち止まり頻繁に移動方向を変え、フィールドの中心部を頻繁に横断する行動が見られた。
その結果を図1Aに示す。
【0020】
(2)対象物探索試験で新しい物を置いた場合の探索行動
対象物探索試験は、円形のスペース(直径58cm)内に対象物Aを置きマウスを放した。マウスが対象物に対して示す5分間の探索行動を解析ソフトにより解析した。翌日、同円形スペース内の別の位置に別の対象物Bを置き、再びマウスの探索行動を5分間解析した。PI3K−p85αノックアウトマウスは野生型マウスと比較して、対象物に対する探索行動が有意に少なかった。
その結果を図1Bに示す。
【0021】
(3)ホール・ボード試験での穴の中に頭を沈める行動
ホール・ボード試験は、円形板(直径66cm)の半円部分に7箇所の穴(直径3cm)を開け、板の上にマウスを放し、穴の中に頭を入れて下を覗く行動を5分間、行動解析ソフト(EthoVision 3.0)により解析した。PI3K−p85αノックアウトマウスは野生型マウスと比較して、穴を覗く探索行動が有意に少なかった。
その結果を図1Cに示す。
【0022】
(4)水迷路による空間記憶の解析
水迷路試験は、円形水槽(直径122cm)に水を張り、円中心と水槽縁の中間にあたる1箇所にプラットフォームを沈めた(水面下1.2cm)。プラットフォームに乗るまでの最長1分間の試行を時間を空けて4試行行い、1日の結果とした。これを連続5日間行った。プラットフォームにたどり着くまでの時間(Escape latency)と、水泳中に移動方向を変えた回数、水泳速度を、行動解析ソフトにより解析した。PI3K−p85αノックアウトマウスは野生型マウスと比較して、記憶獲得能力が有意に低下していた。それに加えて、落ち着きなく方向性を変える行動が亢進していることと、プラットフォームを探そうと泳ぎ回る水泳速度の著しい低下が認められた。
その結果を図2に示す。
【0023】
(5)脳切片を免疫組織染色
PI3K−p85αノックアウトマウスの脳切片を免疫組織染色は、12μm厚の切片に対し、PI3K活性化のマーカーとなるリン酸化Akt、軸索マーカーであるリン酸化ニューロフィラメント−H(リン酸化NF−H)、シナプスマーカーであるシナプトフィジン(synaptophysin)、ミエリンマーカーであるミエリンベーシック蛋白(MBP)の抗体を用いた免疫染色により行い、それぞれの発現を定量ソフトにより解析した。
その結果を図3〜図6に示す。
【0024】
PI3K活性の低下が大脳皮質と線条体に特に認められ(図3)、その部位での軸索形成の減少(図4)、とりわけミエリン化された軸索の形成減少が認められた(図6)。PI3K−p85α機能欠損マウスでのシナプス密度の低下は、大脳皮質、線条体、海馬において認められた(図5)。
【産業上の利用可能性】
【0025】
PI3Kのサブユニットp85αの機能を欠損させた動物に被験物質を投与し、その行動パターンを神経科学的な観点で解析することで、注意欠陥多動性障害の予防および/または治療剤として有用な物質をスクリーニングすることができる。従って、PI3Kのサブユニットp85αの機能を欠損させた動物は、注意欠陥多動性障害の動物モデルとして有用である。
【図面の簡単な説明】
【0026】
【図1】オープンフィールド試験(A)、対象物探索試験(B)、ホール・ボード試験(C)での行動解析
【図2】水迷路による空間記憶の解析。Escape latency(A)、移動方向の変化回数(B)、水泳速度(C)の結果を示す。
【図3】脳内におけるリン酸化Aktの発現量を示す。大脳皮質(A)、線条体軸索束(B)、海馬歯状回(C)、海馬CA1(D)、海馬CA3(E)での定量結果を示す。
【図4】脳内におけるリン酸化NF−Hの発現量を示す。大脳皮質(A)、線条体軸索束(B)、海馬歯状回(C)、海馬CA1(D)、海馬CA3(E)での定量結果を示す。
【図5】脳内におけるシナプトフィジンの発現量を示す。大脳皮質(A)、線条体マトリックス(B)、海馬歯状回(C)、海馬CA1(D)、海馬CA3(E)での定量結果を示す。
【図6】脳内におけるMBPの発現量を示す。大脳皮質(A)、線条体軸索束(B)での定量結果を示す。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
ホスファチジルイノシタイド3キナーゼのサブユニットp85αの機能が欠損した非ヒト動物からなる注意欠陥多動性障害のモデル動物。
【請求項2】
非ヒト動物が、マウスである請求項1記載の注意欠陥多動性障害のモデル動物。
【請求項3】
ホスファチジルイノシタイド3キナーゼのサブユニットp85αの機能が欠損した非ヒト動物に被験物質を投与することを特徴とする注意欠陥多動性障害の予防および/または治療剤のスクリーニング方法。
【請求項4】
非ヒト動物が、マウスである請求項2記載のスクリーニング方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【公開番号】特開2008−5731(P2008−5731A)
【公開日】平成20年1月17日(2008.1.17)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2006−177718(P2006−177718)
【出願日】平成18年6月28日(2006.6.28)
【出願人】(305060567)国立大学法人富山大学 (194)
【Fターム(参考)】