説明

活性型Ras遺伝子(H−RasV12)の発現によるヒト由来細胞の老化誘導方法

【課題】ヒト由来の細胞に簡便かつ迅速に老化を誘導し、かつ、均一な老化誘導細胞を得るための手段の提供。
【解決手段】hTERTを発現するヒト由来の細胞に対して、活性型Rasタンパクの発現操作を行なうことにより、前記細胞に老化を誘導する老化誘導方法。この場合において、活性型Rasタンパクの発現操作は、テトラサイクリン又はその誘導体により前記細胞を処理して行なう。前記老化誘導方法は、hTERT遺伝子、並びに活性型ras遺伝子を前記細胞に導入する手順をも含むものである。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、ヒト由来細胞の老化誘導方法に関する。より詳細には、hTERTを発現するヒト由来の細胞に対して、活性型Rasタンパクの発現操作を行なうことにより、前記細胞に老化を誘導する老化誘導方法などに関する。
【背景技術】
【0002】
従来、正常体細胞は、細胞分裂回数が60回前後になると分裂を停止することが知られている。この現象は、「細胞の老化(senescence)」と考えられ、特に「分裂寿命による老化(replicative aging)」と呼ばれている。
【0003】
真核生物の染色体の末端部には、繰り返し配列を有するDNAと種々のタンパクからなる「テロメア」と呼ばれる構造がある。テロメアは、染色体末端を保護する役目を有している。
【0004】
正常体細胞では、細胞分裂の度にこのテロメアの長さ(テロメア長)が短縮することが知られており、テロメア長の短縮がある一定の閾値を越えると細胞は分裂を停止して、「分裂寿命による老化」状態となることが分かっている。
【0005】
一方、近年、細胞にras遺伝子を強制発現させたり、酸化ストレスを負荷したりすることで、「分裂寿命による老化」と同様の不可逆的な増殖停止状態が引き起こされることが明らかにされた。
【0006】
この不可逆的な増殖停止状態にある細胞は、「分裂寿命による老化」状態にある細胞と同様の細胞形態を呈し、かつ、共通の分子機序によって分裂停止状態に陥っていることが明らかにされた。
【0007】
このため、現在では、このような不可逆的な増殖停止状態にある細胞を、「ストレスに対する反応としての老化」状態にある細胞とみなすようになっており(非特許文献1参照)、「細胞の老化」の概念は、従来の「分裂寿命による老化」のみならず、この「ストレスに対する反応としての老化」をも包含し得る広い概念へと変化してきている。
【0008】
ここで、上記のRasタンパクについて簡単に説明する。Rasタンパクは、ras遺伝子によってコードされている低分子量GTP結合タンパクであり、哺乳類では3種類(H−Ras、K−Ras、N−Ras)が知られている。点突然変異により、Rasタンパクの12、13、61番目のアミノ酸残基が置換されると、活性型になり、トランスフォーミング活性を持つようになることが知られている。
【0009】
非特許文献2には、レトロウイルスベクターにより活性型のras遺伝子を細胞に導入し、発現させると、上述の通り「ストレスに対する反応としての老化」を細胞に誘導できることが報告されている。
【非特許文献1】Nat Biotechnol. 2002 Jul;20(7):682-8
【非特許文献2】Cell 1997 Mar 7; 88(5): 593-602
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0010】
細胞に老化を誘導する場合において、「分裂寿命による老化」を誘導するためには、細胞を60回前後も分裂させてテロメア長の短縮を引き起こす必要がある。これには、通常2〜3ヶ月にわたって細胞を継代し続ける必要があるため、非常に煩雑であり、老化を誘導した細胞を適宜必要に応じて迅速に供給することが困難であった。
【0011】
一方、「ストレスに対する反応としての老化」を誘導する場合、上記の活性化型ras遺伝子の導入による方法によれば、1週間程度で細胞に老化を誘導することが可能である。しかし、非特許文献2に開示されるような従来法では、実験の都度に、活性化型ras遺伝子を搭載したレトロウイルスベクターを細胞に感染させる必要があり、操作が煩雑であった。
【0012】
また、活性化型ras遺伝子を導入する際において、細胞が既に相当回数の分裂を経て、細胞のテロメア長が短縮しているような場合には、「分裂寿命による老化」による影響をも考慮する必要があり、均一な老化誘導細胞を得ることができなかった。
【0013】
そこで、本発明では、ヒト由来の細胞に簡便かつ迅速に老化を誘導し、かつ、均一な老化誘導細胞を得るための手段を提供することを主な目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0014】
本発明では、hTERTを発現するヒト由来の細胞に対して、活性型Rasタンパクの発現操作を行なうことにより、前記細胞に老化を誘導する老化誘導方法を提供する。
【0015】
また、活性型Rasタンパクは、テトラサイクリン又はその誘導体により細胞を処理することにより発現させることができるよう工夫した。
【0016】
ここで、hTERT(human Telomere Reverse Transcriptase)について簡単に説明する。hTERTは、テロメラーゼの逆転写酵素部分であり、テロメラーゼの触媒サブユニットである。また、テロメラーゼとは、細胞分裂によるテロメア長の短縮に拮抗して、テロメア長を維持する酵素であって、テロメア配列の鋳型となるRNA、及び、逆転写酵素を構成要素に含む。
【0017】
hTERT遺伝子を発現させた細胞は、細胞分裂によりテロメア長が短縮しても、hTERTによりテロメアが修復され、テロメア長が維持されるので、無限に分裂することが可能となる。このように、hTERT遺伝子の導入により、細胞に無限増殖能を誘導することを、「細胞の不死化」という。
【発明の効果】
【0018】
本発明により、ヒト由来の細胞を簡便かつ迅速に老化誘導し、均一な老化誘導細胞を得ることが可能となる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0019】
本発明では、hTERTを発現するヒト由来の細胞に、活性型Rasタンパクの発現操作を加えることにより、前記細胞に老化を誘導する老化誘導方法を提供する。
【0020】
hTERT遺伝子を発現させた細胞は、細胞分裂によりテロメア長が短縮しても、hTERTによりテロメアが修復されるため、テロメア長が維持された状態となっている。このため、本発明に係る老化誘導方法においては、実験の都度、供される細胞のテロメア長の長短による条件のバラつきを考慮する必要がなく、均一な老化誘導細胞を得ることが可能となる。
【0021】
また、本発明では、活性型Rasタンパクを、テトラサイクリン又はその誘導体により細胞を処理することで簡便に発現させることができるように工夫した。
【0022】
テトラサイクリン又はその誘導体の処理により、細胞に目的遺伝子を発現させる方法としては、例えば、Invitrogen社のT−Rexシステム(Tetracycline-Regulated Expression system)がある。このシステムは、テトラサイクリン又はその誘導体を用いて、哺乳類細胞に導入した遺伝子を高レベルに発現誘導させるシステムである。
【0023】
以下、図4に基づいて、T−Rexシステムについて簡単に説明する。
【0024】
まず、目的遺伝子を挿入した発現用ベクター(pcDNATM4/TO)とTetレプレッサー(TetR)を恒常的に発現させる調節用ベクター(pcDNATM6/TR)を細胞にコトランスフェクトする。
【0025】
トランスフェクトの方法は、一般に用いられる方法でよく、リン酸カルシウム共沈法、DEAE-デキストラン法、エレクトロポレーション法、リポフェクション法/リポソーム法、マイクロインジェクション法やウイルスベクターを利用した方法を用いることができる。
【0026】
これにより、細胞中では、調節用ベクターからTetレプレッサーが恒常的に発現し(図4(1)参照)、Tetリプレッサーのホモダイマー2分子が、発現用ベクターの2つのTetオペレーター配列(TedO)に結合する(図4(2)参照)。この状態にあっては、転写開始点(TATAボックス)からの転写が抑制され、目的遺伝子(gene of interest)は発現しない。
【0027】
しかし、テトラサイクリン又はその誘導体(tet)を細胞培養液中に添加すると、テトラサイクリン又はその誘導体がTetリプレッサーホモダイマーと結合して(図4(3)参照)、Tetリプレッサーホモダイマーの立体構造を変化させる(図4(4)参照)。これにより、Tetリプレッサーホモダイマーは、Tetオペレーター配列から離れ、目的遺伝子の転写が誘導される。
【0028】
このT−Rexシステムの発現用ベクター及び調節用ベクターに由来する上記のTetリプレッサー遺伝子配列やTetオペレーター配列等を、レトロウイルスベクターに挿入して細胞に感染させ、細胞染色体に導入すれば、テトラサイクリン又はその誘導体の処理によって導入した目的遺伝子を発現する細胞を作出することができる。
【0029】
このように作出した細胞において目的遺伝子として活性化型ras遺伝子を挿入しておくことで、テトラサイクリン又はその誘導体により処理するだけで、簡便に活性化型Rasタンパクの発現による細胞老化を誘導することができる。
【0030】
また、本発明においては、細胞に予めhTERT遺伝子を導入し発現させているため、T−Rexシステムの発現用ベクター及び調節用ベクターに由来する上記配列を染色体に組み込んだ細胞は、無限増殖能を有することとなる。従って、無限に継代して維持することが可能で、継代細胞から随時に細胞を取り出して、老化誘導に供することができ、かつ、テトラサイクリン又はその誘導体により処理するだけで老化誘導が可能であるので、迅速な老化誘導細胞の提供が可能となる。
【実施例1】
【0031】
実施例1では、本発明に係る方法により、ヒトの繊維芽細胞の老化誘導を行った。
【0032】
まず、マウス白血病ウイルス(MuLV)由来のレトロウイルスベクターであるpCXbsrを構築した。pCXbsrは、MuLV由来のエンハンサーに換えてヒトサイトメガロウイルス由来のエンハンサーを搭載した上、ブラスチジンS耐性遺伝子を挿入している。なお、後述するpCXneoは、ブラスチジンS耐性遺伝子に換えて、ネオマイシン耐性遺伝子を挿入したものである。pCXbsr及びpCXneoの詳細な構成については、GenBank(アクセションナンバーAB041927及びAB041928)で参照が可能である。
【0033】
続いて、pCXbsrに、T−Rexシステムの発現用ベクター(pcDNATM4/TO)に由来するTetオペレーター配列を挿入し、レトロウイルスベクター pCXbsrR(TO)(参考文献1:Proc Natl Acad Sci U S A. 2000 Jun 20;97(13):7290-5参照)を作製した。さらに、このpCXbsrR(TO)に活性型ras(H−ras V12)cDNA(参考文献2:Proc Natl Acad Sci U S A. 2003 Nov 11;100(23):13567-72参照)を挿入し、レトロウイルスベクターpCXbsrR(TO/H−ras V12)を作製した。また同様に、tetリプレッサーを発現するレトロウイルスベクター pCXneo/TR−2(参考文献1参照)を作製した。
【0034】
これら組み換えレトロウイルスベクターpCXbsrR(TO/H−ras V12)及びpCXneo/TR−2を、hTERTを発現するヒト正常繊維芽細胞(参考文献2参照)に感染させ、両方の組み換えレトロウイルスベクターに感染した細胞を樹立した。
【0035】
レトロウイルスベクターの産生ならびに感染については、参考文献2の方法に従った。簡単に説明すると、まずエコトロピック(同種指向性)マウス白血病ウイルスパッケージング細胞(Plat−E)に、Fugene6(ロシュ)を用いて、レトロウイルスベクターをトランスフェクトした。ここで、パッケージング細胞とはレトロウイルスの構造タンパク質をコードするgag、pol、env遺伝子を導入した細胞である。この細胞に目的の遺伝子を組み込んだ組換えレトロウイルスを導入すると、組換えレトロウイルス粒子を産生することができる。
【0036】
トランスフェクト2日後に、パッケージング細胞の培養上清からレトロウイルスベクターを回収して、hTERTを発現するヒト正常繊維芽細胞に感染させた。感染2日後に、ブラスチジンSにより組み換え遺伝子が導入された細胞を選択した。なお、参考文献2に開示したhTERTを発現するヒト正常繊維芽細胞の作成、選別も同様の方法で行なっている。
【0037】
このようにして得られた細胞について、培養液中にテトラサイクリンの誘導体であるドキシサイクリンを1mg/mlの濃度で添加し、活性化型Rasタンパクの発現を誘導して老化誘導を行なった。その結果について、以下に説明する。
【0038】
図1(A)は、ドキシサイクリンを添加したのち7日後の細胞の形態を示す。細胞の密度は疎であり、各細胞は、正常な繊維芽細胞の形状と異なり、大型で不整な形状を呈する。
【0039】
これに対して、図1(B)に示すドキシサイクリンを添加しなかった細胞では、細胞は極めて密であり、各細胞は、正常な繊維芽細胞の形状と同様に、紡錘形状を呈する。
【0040】
また、図3は、ヒト繊維芽細胞の初代培養細胞を、(A)では60回、(B)では20回継代した後の形態を示す参考図である。
【0041】
図3(A)は、60回の継代に伴う多数の細胞分裂により、細胞は「分裂寿命による老化」によって分裂を停止し、細胞密度は疎となっている。各細胞は、正常な繊維芽細胞の形状と異なり、大型で不整な形状を呈し、典型的な老化細胞の形態を示している。
【0042】
これに対し、図3(B)では、継代回数は20回に留まるため、細胞は活発な分裂状態を維持し、細胞は極めて密であり、各細胞は、正常な繊維芽細胞の形状と同様に、紡錘形状を呈している。
【0043】
図1(A)に示されるドキシサイクリンを添加した細胞は、図3(A)に示される細胞と同様の形態的特長を呈し、老化による分裂停止状態にあることが分かる。このことは、本発明に係る老化誘導方法により、ドキシサイクリンの添加後7日という非常に短い期間で、簡便かつ迅速に老化を誘導できることを示すものである。
【0044】
次に、図1(A)及び(B)の細胞において、活性型Rasタンパクの発現を調べた。図2は、定法により図1(A)及び(B)の細胞からタンパク抽出液を調製し、活性型Rasタンパクに対する抗体を用いてウェスタンブロットを行なった結果を示す図である。
【0045】
図2において、ドキシサイクリンを添加していない細胞(図2中(−)のレーン)では、活性型Rasタンパクの発現は認められない。一方、ドキシサイクリンを添加した細胞(図2中(+)のレーン)では、活性型Rasタンパクの顕著な発現が認められる。
【0046】
このことは、ドキシサイクリンの処理によって、細胞に活性型Rasタンパクが発現誘導され、該活性型Rasタンパクが、図1で確認された細胞老化を誘導したことを証明するものである。
【産業上の利用可能性】
【0047】
本発明に係る老化誘導方法は、ヒト由来の細胞を利用した細胞老化研究において、細胞の老化や癌化のメカニズムの解明に用いることができ、該メカニズムに関与する新たな分子の発見や新薬の開発に役立てることが可能である。
【図面の簡単な説明】
【0048】
【図1】本発明に係る老化誘導方法により、老化を誘導したヒト繊維芽細胞の形態を示す図である。
【図2】本発明に係る老化誘導方法において、細胞中に発現された活性型Rasタンパクを示す図である。
【図3】継代によって老化を誘導したヒト繊維芽細胞の初代培養細胞の形態を示す図である。
【図4】R−Texシステムの概略を示す図である。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
hTERTを発現するヒト由来の細胞に対して、活性型Rasタンパクの発現操作を行なうことにより、前記細胞に老化を誘導する老化誘導方法。
【請求項2】
テトラサイクリン又はその誘導体により前記細胞を処理して前記発現操作を行なうことを特徴とする請求項1記載の老化誘導方法。
【請求項3】
hTERT遺伝子、並びに活性型ras遺伝子を前記細胞に導入する手順を含む請求項1記載の老化誘導方法。




【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【公開番号】特開2008−104395(P2008−104395A)
【公開日】平成20年5月8日(2008.5.8)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2006−289387(P2006−289387)
【出願日】平成18年10月25日(2006.10.25)
【出願人】(000002185)ソニー株式会社 (34,172)
【Fターム(参考)】