窒化金属部材およびその製造方法
【課題】従来にない新たな窒化層を備えた窒化金属部材を提供する。
【解決手段】本発明の窒化金属部材は、窒化可能な金属基材の表面部に形成された窒化層を有し、この窒化層は、その表面部の最表面から十分に深い部分における窒素濃度が、最表面近傍の窒素濃度より大きいかまたは同等であることを特徴とする。この窒化金属部材は、例えば、鉄鋼材、ステンレス鋼材、チタン材等からある金属基材の表面部へ、高エネルギービームを相対移動させつつ照射することにより得られる。この高エネルギービームは、例えば、近紫外域の短い波長をもち、パルス幅が10ps〜100nsである近紫外ナノ秒パルスレーザである。これにより50μm以上の深さまで窒素濃度が均一的で、微細な窒化組織からなる窒化層の形成が可能となる。
【解決手段】本発明の窒化金属部材は、窒化可能な金属基材の表面部に形成された窒化層を有し、この窒化層は、その表面部の最表面から十分に深い部分における窒素濃度が、最表面近傍の窒素濃度より大きいかまたは同等であることを特徴とする。この窒化金属部材は、例えば、鉄鋼材、ステンレス鋼材、チタン材等からある金属基材の表面部へ、高エネルギービームを相対移動させつつ照射することにより得られる。この高エネルギービームは、例えば、近紫外域の短い波長をもち、パルス幅が10ps〜100nsである近紫外ナノ秒パルスレーザである。これにより50μm以上の深さまで窒素濃度が均一的で、微細な窒化組織からなる窒化層の形成が可能となる。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、従来にない窒化層を有する窒化金属部材およびその製造方法に関する。
【背景技術】
【0002】
金属部材の強度、耐食性、耐摩耗性等を向上させるために、種々の表面改質処理がなされる。代表的な表面改質処理の一つに窒化処理がある。この方法として、ガス窒化法、ガス軟窒化法、塩浴窒化法、放電プラズマ窒化(イオン窒化)法等が一般的である。その一つである放電プラズマ窒化に関する記載が下記の非特許文献1〜3にある。
【0003】
それらの窒化方法とは異なり、チタン系基材へレーザ光を照射して窒化処理を行う提案が、例えば下記の特許文献1および非特許文献4にある。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0004】
【特許文献1】特開平10−72656号公報
【非特許文献】
【0005】
【非特許文献1】E.Menthe,Surf. Cort. Technol. 116-119(1999)199-204
【非特許文献2】Sung-Pill Hong ,Surf. Coat. Technol. 122 (1999) 260-267
【非特許文献3】D.Nolan,Surf. Coat. Technol. 200 (2006)5698-5705
【非特許文献4】Mohmad Soib Selamat, J.Materials Processing Technology 113 (2001)509-515
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
ガス窒化法、非特許文献1〜3にある放電プラズマ窒化法等は、いずれも金属基材の表面から窒素を導入して内部へ拡散させることにより窒化層を形成する方法である。こうして得られる窒化層は、その形成過程に由来して、必ず、窒素濃度が最表面から内部にかけて少なくなる窒素濃度傾斜層となる。このような窒素濃度傾斜層は、消耗環境下において加速的に消耗が進行し短寿命となり得るため、耐摩耗性部材等には不向きである。
【0007】
さらに上記の窒化方法では、長時間の高温処理が必要なため、金属基材の変形、窒化表面粗さの悪化、窒化組織の粗大化等を生じ易い。放電プラズマ窒化法の場合、そのような課題が少ないが、特別な処理設備(真空チャンバー等)や工程が必要となり生産性も低い。
【0008】
一方、特許文献1では、連続発振させたCO2レーザを窒素ガス雰囲気中にあるチタン系基材へ照射して、十分に加熱したチタン系基材と窒素ガスを反応させることにより窒化層を形成している。非特許文献4でも、同様な方法で窒化層を形成している。このような窒化方法によれば、局所的な窒化層が短時間で形成可能である。
【0009】
ところが、これらの方法では、レーザ光を照射した部分が一時的に半溶融状態または溶融状態となるため、再凝固してできた窒化層は表面粗さが粗く、組織が粗大なものとなり易い。また、上記のレーザ光を用いた窒化方法は、適用可能な基材が限られ、例えば、鉄系基材に適用しても有効な窒化層を形成することは困難である。
【0010】
本発明はこのような事情に鑑みて為されたものであり、従来とは形態が全く異なる新たな窒化層を有する窒化金属部材と、その製造方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0011】
本発明者は、上記の課題を解決すべく鋭意研究し、試行錯誤を重ねた結果、近紫外ナノ秒パルスレーザを金属基材の被処理部へ照射することにより、全体にわたり窒素濃度が均一的で、微細な結晶組織からなる高特性の窒化層を得ることに成功した。この成果を発展させることにより、以降に述べる本発明を完成するに至った。
【0012】
《窒化金属部材》
(1)本発明の窒化金属部材は、窒化可能な金属基材からなり、該金属基材の表面部に窒化層を有する窒化金属部材であって、前記窒化層は、前記金属基材の最表面側から測定して窒化層深さの90%に相当する位置における窒素濃度(原子%)である深層濃度が、該窒化層深さの10%に相当する位置における窒素濃度(原子%)である浅層濃度よりも、大きいかまたは同等であることを特徴とする。
【0013】
(2)本発明の窒化金属部材は、先ず、その窒化層中における窒素分布が、従来の窒化層とは全く異なっている。従来の窒化層は、最表層付近に窒素が集中し、内部へ向かうほど窒素が急減する窒素分布を示す。これに対して本発明に係る窒化層は、最表面近傍の浅い部分(浅層部)のみならず、内部の深い部分(深層部)でも窒素が十分に存在する窒素分布を示す。つまり本発明に係る窒化層は、窒素濃度が全体的にほぼ均一であるか、従来の窒化層とは全く逆に、浅層濃度が深層濃度より高いという窒素分布を示す。このため本発明に係る窒化層は、内部でも窒化組織が均質的で安定しており、窒化層内のどの部分が露出しても、安定した特性が発現され得る。この結果、例えば、窒化層の摩耗による窒化金属部材の寿命予測等を適切に行うことが可能となる。
【0014】
(3)本明細書では、本発明に係る窒化層が有する特長的な窒素分布を明確に特定するために、敢えて、窒化層の特定位置における窒素濃度(浅層濃度と深層濃度)を便宜的に導入した。浅層濃度および深層濃度の特定位置を、それぞれ窒化層深さの10%と90%に相当する位置としたのは、窒化層の両端部における窒素濃度のばらつきを排除して、本発明に係る窒化層を安定して特定できるようにするためである。
【0015】
「窒素濃度(原子%)」は、電子線マイクロアナライザー(EPMA)の解析結果に基づき特定した。「窒化層深さ」は、窒化金属部材の表面部に形成された窒化層の最表面から測定して、その窒素濃度が0.1原子%となる境界点までの距離(厚さ)である。
【0016】
浅層濃度と深層濃度が「同等」とは、上述した窒化層中の特定位置で、各窒素濃度がほぼ等しいことを意味する。敢えて厳密に規定するなら、「同等」とは、浅層濃度と深層濃度の窒素濃度差が5原子%以内とすればよい。勿論、窒素濃度差が3原子%以内さらには2原子%以内であると、窒化層内の窒素分布が全体的により均一であるといい得る。
【0017】
(4)本発明に係る窒化層深さの上下限値は特に問わない。窒化層によって所望する特性が安定して発現される範囲ならよい。窒化層深さが1μm以下でも十分な場合もあるが、例えば、耐摩耗性部材に用いる窒化層なら、窒化層深さは1μm以上、10μm以上、50μm以上さらには80μm以上であると好ましい。逆に窒化層深さは、窒化層の最表面(窒化面)を研磨等する場合を考慮しても、1000μm以下さらには500μm以下あれば、通常は十分である。
【0018】
《窒化金属部材の製造方法》
(1)上述した窒化金属部材は、例えば、次のような本発明の製造方法により得られる。すなわち、本発明の窒化金属部材の製造方法は、窒素含有雰囲気下にある窒化可能な金属基材の被処理部へ、該被処理部に対して高エネルギービームを相対移動させつつ照射することにより、該被処理部でアブレーションを生じさせると共に該被処理部の近傍にプラズマ化した窒素を生成させる照射工程を備え、上述した窒化金属部材が得られることを特徴とする。
【0019】
(2)本発明の製造方法により上述した窒化金属部材が得られる理由は必ずしも定かではないが、現状では次のように考えられる。高エネルギービームが金属基材の被処理部へ適切に照射されると、金属基材の被処理部ではアブレーションが生じ得る。このアブレーションにより、被処理部にあった金属基材を構成する原子等が、気化、蒸発、蒸散、飛散等して放出される。こうして放出された粒子(適宜「放出粒子」という。)は、原子、分子、イオン、電子、光子、ラジカル、クラスター等の様々な形態をとり得る。このような放出粒子が被処理部の近傍にある雰囲気ガス(窒素等)に何らかの影響を与える。そして放出粒子と活性な窒素(単に「活性窒素」という。)の混合状態からなる反応場が、アブレーションを生じた被処理部(適宜「アブレーション部」という。)またはその近傍に生成され得る。
【0020】
高エネルギービームの照射域が金属基材の被処理部上を移動することにより、上記の現象が次々とほぼ連続的に生じ、被処理部およびその近傍は、反応場を生成する放出粒子および活性窒素が多数存在した状態となる。
【0021】
活性窒素は、金属基材のアブレーション部またはその近傍へ浸入して窒化物または窒素固溶体を形成するか、または放出粒子と結合してアブレーション部へ充填等されていく。このような現象が繰り返されることにより、内部深くまで窒素が十分に導入された窒化層が形成されたと考えられる。
【0022】
なお、本発明の製造方法では、従来の窒化方法とは異なり、窒化層の形成にアブレーションを利用しているため、金属基材や窒化層には殆ど熱的影響が及ばない。従って本発明の製造方法によれば、金属基材の変形、表面粗さの悪化、組織の粗大化等はほとんど生じない。またアブレーションを利用する場合、金属基材の材質にほとんど依存せずに、短時間内に深い窒化層が形成され得る。従って本発明の製造方法によれば、深い窒化層を形成する場合でも、金属基材の材質に関する選定自由度が非常に大きく、特定の窒化処理を長時間行う必要ない。
【0023】
(3)こうして形成される窒化層は、従来のCO2レーザーを用いて得られる(半)溶融後の凝固組織からなる窒化層とは明らかに異なり、非常に微細な結晶組織でもある。具体的にいうと、本発明に係る窒化層(窒化組織)は、平均結晶粒径が10μm以下、1μm以下さらには400nm以下となり得る。平均結晶粒径の下限値は問わないが、生産コストや品質安定化等の点で、例えば、1nm以上さらには20nm以上としてもよい。
【0024】
本明細書でいう「平均結晶粒径」は次のようにして特定した。先ず、組織の断面を観察し、認められる粒子の断面形状を楕円と仮定して、その長軸と短軸の平均値を一つの結晶粒径とする。次に、観察している組織断面中から無作為に抽出した5点について算出した結晶粒径の単純平均(相加平均)を本明細書でいう平均結晶粒径とした。
【0025】
(4)本発明の製造方法では、高エネルギー(収束)ビームを用いているため、従来の窒化方法では困難であった局所的な窒化や微細な窒化も可能となる。例えば、幅10μm以下、1μm以下さらには0.5μm以下の窒化層を形成することも可能である。
【0026】
また、形成される窒化層の形態は、高エネルギービームの照射域の軌跡により定まる。高エネルギービームの可動域に制限はないため、広狭を問わず、所望する形態の窒化層が形成され得る。窒化層の形成される被処理部は、平面に限らず種々の曲面でもよいし、曲線状(直線状を含む)でも点状(斑点状等の多数点状を含む)でもよい。さらに、高エネルギービームが到達する限り、被処理部は、窪んだ形状でも、奥まったところにあっても、アンダーカット的な形態でもよい。
【0027】
また窒化層は、高エネルギービームの照射域の軌跡上に形成されるため、窒化されていない非窒化層と混在させることも自在に調整できる。例えば、窒化層と非窒化層が交互に配置されたストライプ状や格子状の表面部を形成することも容易である。このように、窒化層と非窒化層が共存して金属基材の表面部に形成された改質組織を、本明細書ではテクスチャ組織という。
【0028】
なお、窒化層やテクスチャ組織は、二次元的な形態に留まらず三次元的な形態でもよい。高エネルギービームの出力密度、ビーム径、焦点等を調整することにより、窒化層の幅や深さを、その形成位置に応じて容易に変化させ得る。さらに、処理後の表面をディンプル状にすることも容易である。このように本発明によれば、金属基材の形状や仕様等に応じて、最適な窒化層を自在に形成可能である。ちなみに、従来の窒化層深さは高々数十μm程度であるが、本発明の製造方法によれば、50μm以上さらには100μm以上の窒化層深さを得ることも容易である。
【0029】
(5)「被処理部」は、高エネルギービームの照射が可能な部分である限り、外表面側でも内表面側でもよい。また、必ずしも金属基材の最表面には限られず、その内部も被処理部に含まれる。これらは、金属基材の「表面部」についても同様である。
【0030】
「高エネルギービーム」は、光線または電子線であって、金属基材をアブレーションするのに十分なエネルギーと、照射部周辺をプラズマ化させる強電界とを併せもつビームである。具体的には、レーザ、電子ビーム等である。
【0031】
「窒素含有雰囲気」は、窒化源となる窒素(N)が分子レベルまたは原子レベルで存在し、アブレーションにより活性窒素が発生し得る雰囲気である。具体的には、窒素ガスのみからなる窒素ガス雰囲気、窒素ガスを含む混合窒素ガス雰囲気(例えば大気雰囲気)、窒素(N)の化合物(アンモニア等)を含む化合物ガス雰囲気等である。窒素含有雰囲気の気圧や温度は、適宜調整され得るが、本発明の製造方法によれば、常温大気圧雰囲気中でも所望する窒化層の形成が可能である。
【0032】
《その他》
特に断らない限り本明細書でいう「x〜y」は下限値xおよび上限値yを含む。本明細書に記載した種々の数値または数値範囲に含まれる任意の数値を、新たな下限値または上限値として「a〜b」のような範囲を新設し得る。
【図面の簡単な説明】
【0033】
【図1】チタン合金基材へ近紫外ナノレーザを照射して得られた試料No.11の窒化層を示すSEM像である。
【図2】試験片No.11またはチタン合金基材にCO2レーザを照射して得られた試料No.13の表面部における硬さ分布を示すグラフである。
【図3A】試料No.11の表面部をEPMA分析した元素マッピング像である。
【図3B】試料No.13の表面部をEPMA分析した元素マッピング像である。
【図4】各試料の表面部における窒素濃度分布を示すグラフである。
【図5A】試料No.11の窒化組織を示すTEM像である。
【図5B】試料No.13の窒化組織を示すTEM像である。
【図6】試料No.11の窒化層のX線回折パターンを示すグラフである。
【図7】試験片No.11に係る窒化組織中の3点について観察した極微電子線回折像である。
【図8】鉄鋼基材へCO2レーザを照射して得られた試料No.23の表面部の組織を示すSEM像である。
【図9】鉄鋼基材へ近紫外ナノレーザを照射して得られた試料No.21と試料No.23の表面部における硬さ分布を示すグラフである。
【図10】ステンレス基材へ近紫外ナノレーザまたはCO2レーザを照射して得られた試料No.31と試験片No.33の表面部における硬さ分布を示すグラフである。
【図11】金属基材の表面部に形成された窒化層と非窒化層からなるテクスチャ組織の一例を示した模式図である。
【発明を実施するための形態】
【0034】
本明細書で説明する内容は、本発明の窒化金属部材のみならず、その製造方法にも該当し得る。上述した本発明の構成要素に、本明細書中から任意に選択した一つまたは二つ以上の構成要素を付加し得る。この際、製造方法に関する構成要素は、プロダクトバイプロセスとして理解すれば物に関する構成要素ともなり得る。なお、いずれの実施形態が最良であるか否かは、対象、要求性能等によって異なる。
【0035】
《窒化金属部材》
(1)金属基材
本発明に係る金属基材は、窒化可能なものであれば、純金属でも合金でもよく、その種類や成分組成を問わない。「窒化可能」とは、導入された窒素が窒化物または窒素固溶体を形成して、金属基材の特性(硬さ等)が改善され得ることをいう。この際、窒素による改善の程度は問わない。金属基材は、例えば、鉄鋼材、ステンレス鋼材、チタン材、アルミニウム材等である。本発明の製造方法によれば、金属基材は高温環境下に曝されることなく窒化され得る。このため、高温処理される従来の窒化方法には不適であった金属基材も本発明の対象となる。
【0036】
鉄鋼材は、一般的な炭素鋼でも種々の合金元素を含む特殊鋼でもよい。本発明の製造方法によれば、合金元素を含まない鉄鋼材の表面部にも、優れた特性の窒化層が形成され得る。勿論、金属基材が、窒化鋼のように硬質な窒化物を形成し得るAl、CrまたはMo等の合金元素を含んでもよい。
【0037】
ステンレス鋼材は、オーステナイト系ステンレス鋼、フェライト系ステンレス鋼、マルテンサイト系ステンレス鋼等のいずれでもよい。特に炭素を含まないオーステナイト系ステンレス鋼やフェライト系ステンレス鋼は、通常の熱処理による硬化があまり期待できないので、本発明に係る窒化層を形成する意義が大きい。
【0038】
ステンレス鋼材の最表面には、通常、厚さ数nm程度の緻密で化学的に安定なクロム系酸化物からなる不動態皮膜が形成されている。従来の窒化方法では、その不動態皮膜により窒素の導入が阻害されて窒化が容易ではなかった。しかし、本発明の製造方法によれば、高エネルギービームの照射によるアブレーションを利用しているため、不動態皮膜の破壊さらには被処理部への活性窒素の導入が容易である。従って本発明の製造方法によれば、特別な前処理や雰囲気制御等を行うまでもなく、良好な窒化層が容易に安定して形成され得る。
【0039】
チタン材は、純チタンでもチタン合金でもよい。チタン合金は、α型チタン合金でも、β型チタン合金でも、α−β型チタン合金でもよい。チタン材へ窒化処理を施すと、非常に硬質な窒化チタンが形成され、特有な発色も生じる。
【0040】
もっとも従来は、チタン材を700℃以上の高温で長時間加熱して窒化していたため、生産性が低く、基材組織の粗大化等によりチタン材の機械的特性が劣化することがあった。本発明の製造方法によれば、金属基材のアブレーションと窒素のプラズマ化に基づき窒化がなされるため、チタン材への熱的影響は殆ど無く、従来のような不都合はない。つまり本発明の製造方法によれば、優れた特性の窒化金属部材を効率良く生産できる。
【0041】
(2)窒化層
本発明に係る窒化層は、金属基材の窒素固溶体または金属基材中若しくは窒素固溶体中に窒化物が分散した複合組織体からなる。生成される窒化物の種類は金属基材の組成により異なるが、硬質な窒化物として、例えば、Fe系窒化物(Fe2N、Fe3N等)、Ti系窒化物(Ti2N、TiN等)、Cr系窒化物、V系窒化物、Mo系窒化物、Al系窒化物などがある。
【0042】
窒化層中の窒素濃度は、金属基材の組成、結晶構造などにより、自ずと理論的な上限値が定まる。逆にいえば、本発明に係る窒化層内の窒素濃度は、その理論的な上限値以内なら任意である。本発明の製造方法の場合、窒化の金属基材への導入方法が、従来のような表面拡散型ではないため、窒化層の深い部分にも相当量の窒素を導入できる。概していうと、本発明に係る窒化層中の窒素濃度は1〜50原子%であり、浅層濃度と深層濃度に実質的な相違はない。例えば、鉄鋼材やステンレス鋼材の窒素濃度は1〜33原子%であり、チタン材の窒素濃度は1〜50原子%である。なお、本発明に係る窒化層の場合、窒素が均一的に分布しているため、従来の窒化層より平均的な窒素濃度または窒素総量が低くても、従来の窒化層以上の硬さを発揮し得る。
【0043】
金属基材の表面部に形成される窒化層のパターン、窒化層の大きさ(幅、深さ等)、窒化層を構成する組織サイズ(平均結晶粒径等)については前述した通りである。
【0044】
《窒化金属部材の製造方法》
(1)高エネルギービーム
高エネルギービームは、金属基材の被処理部でアブレーションを生じさせ、アブレーション部の周囲にある雰囲気ガスから活性窒素が生成される限り、その種類を問わない。高エネルギービームは、例えば、パルスレーザ、電子ビーム等である。
【0045】
アブレーションを発生させるには、金属基材の被処理部へ、高いエネルギーを瞬時に付与する必要がある。つまり、アブレーションの閾値を超える高いエネルギー密度(フルエンス)をもつ高エネルギービームを、金属基材の被処理部へ照射する必要がある。このような高エネルギービームとして、短パルス幅のパルスレーザが好適である。
【0046】
レーザ発振装置の出力や発振周波数等が一定なら、パルス幅が短いほど、フルエンスの高いレーザ光を被処理部へ照射できる。またパルス幅が短いと、その照射域外への熱拡散が抑制され、アブレーションの促進と共に金属基材への熱的影響の抑制を図れる。具体的にいうと、パルスレーザのパルス幅は、例えば、10ps〜100nsさらには1〜50nsであると好ましい。パルス幅が過大ではアブレーションに必要なフルエンスが得難くなり、パルス幅が過小(例えば多光子吸収が生じる150fs程度)ではレーザ光によるエネルギーの付与形態が変化して、本発明に係る窒化に必要な反応場(窒化反応場)が形成されない可能性がある。
【0047】
パルスレーザの出力密度(適宜「レーザフルエンス」または単に「フルエンス」という。)でいえば、例えば、0.3MW/cm2〜30GW/cm2さらには3MW/cm2〜3GW/cm2であると好ましい。フルエンスは窒化層深さに影響し、フルエンスが過小では十分な深さの窒化層が得難くなり、フルエンスが過大では金属基材への熱的影響が大きくなり好ましくない。ちなみに、フルエンスはレーザ出力をレーザスポット面積で除して求まる。
【0048】
またパルスレーザは波長が短いほど、金属基材によるレーザ光の吸収率が高くなり、アブレーションの促進と非アブレーション部の変質抑制等が図られる。またパルスレーザの波長を適切に調整することにより、十分な窒化層深さをもつ窒化層の形成が容易となる。このようなパルスレーザの波長は、赤外域より短く、さらには可視域よりも短い紫外域(近紫外域を含む)内にあると好ましい。具体的にいうと、パルスレーザの波長は、700nm以下、550nm以下さらには380nm以下であると好ましい。またパルスレーザの波長は、190nm以上さらには320nm以上であると好ましい。パルスレーザの波長が過小では、雰囲気ガスによるレーザの吸収が発生して好ましくない。
【0049】
このようなパルスレーザの具体例として、例えば、F2(波長157nm)、ArF(波長193nm)、KrF(波長248nm)、XeCl(波長308nm)、XeF(波長351nm)等のエキシマ(励起二量体)を利用したエキシマレーザ、短波長を発振できるYAGレーザなどがある。
【0050】
(2)照射工程
照射工程は、所望する窒化層の形態に応じて、高エネルギービームを金属基材の表面部へ照射しつつ、その照射域を移動させる工程である。
【0051】
高エネルギービームとしてパルスレーザを用いる場合、隣接して発振する各パルス光の照射域を部分的に重畳(オーバーラップ)させると、連続した窒化層が安定的に形成され易くなる。パルス波の照射域を重畳させる割合(パルスラップ率)は、パルスレーザの発振周波数、被処理部に対する相対移動速度(適宜「走査速度」という。)、被処理部の最表面における照射域の大きさ(またはパルスレーザの焦点位置)等により調整される。窒化層の形成や窒化組織は、前述したパルスレーザの特性にも依るため、パルスラップ率を画一的に特定し難いが、例えば10〜99.9%、20〜95%さらには50〜90%であると好ましい。パルスラップ率が過小では窒化層の形成が困難となり除去加工となり易い。パルスラップ率が過大では窒化処理の効率化や窒化組織の均質化を図り難い。
【0052】
このパルスラップ率は、(r/d)×100(%)(d:ビーム径、r:隣接するパルス波の重なり径)により算出される。ここでビーム径(d)は、レーザ軸に対する直交面上で測定される、ビーム強度がピーク強度値の1/e2レベルとなるときの幅(直径)である。また隣接するパルス波の重なり径(r)は、d−R(R:隣接するビーム間の中心間距離)である。
【0053】
パルスラップ率に基づいて発振周波数、走査速度、焦点位置等は調整されるが、一例をあげると次の通りである。発振周波数は、例えば、1〜100kHzさらには10〜50kHzであると好ましい。発振周波数が過小では走査速度も低くせざるを得ず、窒化処理の効率化を図れない。発振周波数が過大になると、一般的にレーザフルエンスが低下し、均質的な窒化層の形成が困難となる。
【0054】
走査速度は、例えば、0.1〜100mm/sさらには1〜10mm/sであると好ましい。走査速度が過小では窒化処理の効率化を図れず、走査速度が過大になると、相関する発振周波数が過大な場合と同様に、均質的な窒化層の形成が困難となる。
【0055】
パルスレーザの焦点位置により、各パルス光の照射範囲が変化する。焦点位置は、金属基材の被処理部の最表面にあっても、その最表面からずれたところにあってもよい。もっとも、焦点位置がパルスレーザの照射部(被処理部の最表面部)から外れるほど、照射部におけるフルエンスは低下し、その照射部近傍における窒化処理の安定性や窒化層深さ等に影響する。この傾向は、レーザを集光させて照射部に微細なスポット径を形成している場合ほど顕著である。
【0056】
(3)雰囲気
照射工程を行う雰囲気は、既述したように、高エネルギービームを照射した際に、アブレーションにより活性窒素が発生し得る窒素含有雰囲気であればよい。このような雰囲気は、高エネルギービームの種類に応じて適宜選択される。
【0057】
照射工程は、チャンバー等の密閉雰囲気内で行っても良いが、開放雰囲気内で行ってもよい。高エネルギービームとしてレーザを用いれば、開放雰囲気である常温常圧の大気雰囲気中でも可能である。もっとも、不純物の介在等を回避するために、被処理部へ特定ガスを流入させつつ行うと好ましい。例えば、被処理部の上方または側方から窒素ガス等を吹き付けるとよい。ガスの吹付方向を調整することにより、アブレーションに伴い生じるデブリの抑制等も図られ得る。例えば、その吹付方向を高エネルギービームの光軸と同軸とすることにより、窒素含有雰囲気の制御性が増し、窒化層の均質性が向上し得る。
【0058】
《用途》
本発明の窒化金属部材は、その用途を問わない。本発明に係る窒化層を有する表面部は、高強度、高靱性であり、また表面粗さも小さく、種々の優れた特性(耐摩耗性、耐食性、電気的特性等)を安定的に発揮し得る。そこで本発明の窒化金属部材は、例えば、自動車部品等の耐摩耗性部材、ターボチャージャー・タービン等の耐食部材、半導体絶縁・放熱基板等の電気機器用部材などに好適である。
【実施例】
【0059】
《実施例1:チタン系基材》
〈試料の製作〉
(1)金属基材
市販されている代表的なチタン材であるTi−6質量%Al−4質量%V(α−β型チタン合金)からなるチタン合金基材を用意した。基材サイズは基本的に15.7×6.5×10.0mmとしたが、CO2レーザを用いる場合は熱容量を確保して熱的影響を小さくするために基材サイズを100×100×5mmとした。
【0060】
(2)高エネルギービーム
高エネルギービームとして、近紫外線領域(190〜400nm特に320〜400nm)の波長をもちパルス幅がナノ秒レベルのパルスレーザ(このレーザを単に「近紫外ナノ」レーザという。)と、近赤外線領域(800〜2500nm)の波長をもちパルス幅がナノ秒レベルのパルスレーザ(このレーザを単に「近赤外ナノ」レーザという。)と、赤外線領域の波長をもつレーザを連続的に出力するCO2レーザ(Continuous Wave Laser)を準備した。具体的なレーザの仕様は表1に示した。なお、近赤外ナノレーザは固体YAGレーザの基本波であり、近紫外ナノレーザはその3倍波である。
【0061】
(3)照射工程
チタン合金基材の被処理部へ窒素ガスを吹き付けつつ各レーザ光を照射した。この際、レーザの発振周波数、レーザの被処理部に対する相対移動速度(走査速度)、レーザの焦点位置およびレーザの出力および出力密度(レーザフルエンス)は表1に併せて示した。なお、焦点位置は、被処理部の最表面としたので、焦点はずし距離は0μmとなる。また窒素ガスの吹き付けは、近紫外ナノレーザおよび近赤外ナノレーザの場合は被処理部に平行な側方から、CO2レーザの場合は光軸に沿った上方向から行った。
【0062】
近紫外ナノレーザと近赤外ナノレーザの照射は、パルスラップ率を85%とした。なお、パルスラップ率は前述した方法により算出した。また被処理部の表面上における各レーザ光の照射域の軌跡は20μm間隔の平行な直線状とした。こうして照射工程を施した各試料(表2に示す試料No.11および12)を得た。なお、CO2レーザの場合は改質領域が450μm(ビーム径:200μm)で、その照射域の軌跡は400μm間隔の平行な直線状とした(試料No.13)。
【0063】
〈試料の評価〉
各試料における窒化の有無や特性を表2にまとめて示した。以降、それらについて詳述する。
【0064】
(1)窒化改質の有無
近紫外ナノレーザを照射した試料No.11とCO2レーザを照射した試料No.13との被処理部(表面部)には、窒化層が観察された。一方、近赤外ナノレーザを照射した試料No.12の表面部には窒化層が観察されなかった。
【0065】
一例として、試料No.11の表面部の断面を、走査型電子顕微鏡(SEM)で観察した様子を図1に示した。図1から明らかなように、試料No.11の場合、その表面部の相当深くまで窒化がされており、その窒化組織も均質で微細なことがわかる。
【0066】
試料No.11の場合、表2に示すように、窒化層深さは100μmと深く、レーザ照射1行程あたりに形成される窒化層の最小幅は5μm程度であった。一方、試料No.13の場合、窒化層深さは130μmと深いが、レーザ照射1行程あたりに形成される窒化層の最小幅は450μm程度とかなり大きかった。ちなみに、近紫外ナノレーザのスポット径は0.7μmであり、本実施例で用いたマルチモードCO2レーザのスポット径は200μm(カタログ値)とした。
【0067】
(2)硬さ
窒化層が形成された各試料の表面部のビッカース硬さを、最表面から15μm、30μmおよび45μmの深さ位置で測定した。これらの測定結果に基づく深さ方向の硬さ分布を図2に示した。また、窒化層中の各位置における硬さを相加平均した平均硬さを表2に併せて示した。図2から明らかなように、試料No.11では、1000Hvを超える硬さが内部深くまで均一的に得られていることがわかる。
【0068】
一方、試料No.13の場合、最表面側の硬さや平均硬さは高いものの、内部深くの硬さは急激に低下しており、硬さの変動が大きい。ちなみに、チタン合金基材の母材(生地)硬さは350Hvである。
【0069】
(3)窒素濃度
試料No.11および試料No.13の表面部を電子線マイクロアナライザー(EPMA)により解析した結果(元素マッピング)をそれぞれ図3Aおよび図3Bに示した。また、EPMAに基づく定量分析結果から得られた表面部における窒素濃度分布を図4に示した。このときの窒素濃度は、最表面からの深さが15μm、35μmおよび55μmとなる位置で測定した。これら窒素濃度を相加平均した平均窒素濃度を表2に併せて示した。
【0070】
試料No.11の場合、窒素が最表面から50μmぐらいの深さまで均一的に分布していることがわかる。一方、試料No.13の場合、平均窒素濃度は大きいが、窒素濃度の分布は位置によって大きく変動する不均一なものであった。
【0071】
(4)窒化組織
試料No.11および試料No.13の表面部の断面を透過型電子顕微鏡(TEM)により観察した結果をそれぞれ図5Aおよび図5Bに示した。
【0072】
試料No.11の場合、結晶粒(図5A中で黒太線で囲んだ部分)は微細であり、その平均結晶粒径は150nmであった。前述したように、平均窒素濃度が少ないにもかかわらず、全体的に十分な硬さを有していたのは、試料No.11の窒化組織が全体的に微細であるためと考えられる。なお、平均結晶粒径は、既述した通り、TEM像の視野内に現れた各結晶粒の長軸と単軸を相加平均して求めた値である。
【0073】
一方、試料No.13の場合、平均長さ5.7μmで平均幅0.8μm程度の針状結晶(図5B中で黒太線で囲んだ部分)が多数晶出(または析出)していることがわかった。このような組織が観察されたのは、被処理部がCO2レーザの照射により溶融した後に、再凝固したためと考えられる。
【0074】
試料No.11の表面部(具体的には最表面から10μmの部分)についてX線回折(XRD)による解析を行った。この結果を図6に示した。その試料の同様の部分について、TEMによる極微電子線回折測定を3カ所で行った。その結果を図7に示す。
【0075】
これらの結果から、試料No.11の表面部には、TiN、TiN0.26 、(AlTi)N2、TiVN2などの窒化物が分散していることが明らかとなった。すなわち、その表面部は、母材(チタン合金)中へ窒素が固溶した単なる窒素固溶体ではなく、そこに種々の窒化物が微細に分散した複合組織からなることが明らかとなった。一方、試料No.13の窒化組織は、粗くて脆い組織からなり、最表面には後加工が必要なほどのうねりを生じていた(図3B参照)。
【0076】
《実施例2:鉄鋼系基材》
〈試料の製作〉
市販されている代表的な鉄鋼材(JIS S45C)からなる鉄鋼基材を用意した。この鉄鋼基材に、前述した各レーザによる照射を行った。こうして鉄鋼基材へ各レーザを照射した試料(表2に示す試料No.21、22および23)を得た。各試料における窒化の有無や各特性は表2に併せて示した。なお、本実施例の基材サイズは基本的に15.7×6.5×10.0mmとしたが、CO2レーザを用いる場合は熱容量を確保して熱的影響を小さくするために基材サイズをφ30×5mmとした。
【0077】
〈試料の評価〉
(1)窒化の有無
近紫外ナノレーザを照射した試料No.21の表面部には、チタン合金基材の場合と同様に、微細な窒化組織が観察された。しかし、それ以外のレーザを照射した試料の表面部には、窒素雰囲気中にもかかわらず、窒化組織が観察されなかった。但し、CO2レーザを照射した試料No.23の表面部には、図8に示すような焼き入れ組織(焼きなまし組織を含む)が観察された。
【0078】
(2)硬さ
実施例1の場合と同様に、試料No.21および試料No.23の表面部におけるビッカース硬さを測定し、それらの深さ方向の硬さ分布を図9に示した。図9から明らかなように、試料No.21では、十分な硬さが内部深くまで均一的に分布していた。
【0079】
一方、試料No.23では、全体的に試料No.21よりも硬さが小さく、硬さ分布も不均一であった。ちなみに、母材である鉄鋼基材自体のビッカース硬さは200Hvであった。
【0080】
(3)窒素濃度
実施例1の場合と同様に、試料No.21の表面部における窒素濃度分布を図4に示した。図4から明らかなように、試料No.21の窒素濃度も、内部深くまで均一的であることがわかった。
【0081】
(4)窒化組織
実施例1の場合と同様に、試料No.21の表面部には、平均結晶粒径が291nmの微細な窒化組織が形成されていた。
【0082】
《実施例3:ステンレス系基材》
〈試料の製作〉
市販されている代表的なオーステナイト系ステンレス材(JIS SUS304)からなるステンレス基材を用意した。このステンレス基材へ、前述した各レーザを照射して各試料(表2に示す試料No.31、32および33)を得た。各試料における窒化の有無や各特性は表2に併せて示した。なお、本実施例の基材サイズは基本的に15.7×6.5×10.0mmとしたが、CO2レーザを用いる場合は熱容量を確保して熱的影響を小さくするために基材サイズを30×30×8mmとした。
【0083】
なお、参考までに、同じステンレス基材へ放電プラズマ窒化した試料(No.34)も製作した。この放電プラズマ窒化はN2+50%H2の雰囲気中で500℃×1時間行った。
【0084】
〈試料の評価〉
(1)窒化の有無
近紫外ナノレーザを照射した試料No.31の表面部には、チタン合金基材等の場合と同様に、微細な窒化組織が観察された。また、放電プラズマ窒化した試料No.34にも当然に窒化組織が観察された。しかし、それ以外のレーザを照射した試料の表面部は、窒素雰囲気中にもかかわらず窒化されなかった。なお、本実施例で用いたステンレス基材は炭素を実質的に含まないため、CO2レーザを照射した試料No.33には、試料No.23のような焼き入れ組織も生じなかった。
【0085】
(2)硬さ
実施例1の場合と同様に、試料No.31および試料No.33の表面部におけるビッカース硬さを測定し、それらの深さ方向の硬さ分布を図10に示した。図10から明らかなように、試料No.31は、内部深くまで、最表面側と同程度の十分な硬さを有していた。一方、試料No.33は、ステンレス基材の母材(生地)硬さ200Hvにほぼ等しい硬さしかなく、実質的に硬化していなかった。
【0086】
(3)窒素濃度
実施例1の場合と同様に、試料No.31の表面部における窒素濃度分布を図4に併せて示した。図4から明らかなように、試料No.31も、窒素濃度が内部深くまで均一的であった。
【0087】
一方、試料No.34の表面部における窒素濃度は、最表面近傍で17原子%と非常に高いものの、そこから急激に低下して、高々7μm程度の深さ位置でほぼゼロになった。このように従来の放電プラズマ窒化で得られる窒化層は、窒素濃度に関して急激な傾斜層となっていた。
【0088】
(4)窒化組織
実施例1の場合と同様に、試料No.31の表面部には微細な窒化組織が観察された。
【0089】
《実施例4》
近紫外ナノレーザを照射して得られた窒化層を有する窒化金属部材の耐摩耗性を次のようにして評価した。
【0090】
〈試験片の製作〉
実施例1で用意したチタン材からなるブロック状の試験片を3つ用意した。そのうち一つは未処理とした(試験片No.110)。残り二つには、実施例1の場合と同様に、近紫外ナノレーザの照射により窒化層を形成した。但し、そのうち一つには全面的に窒化層を形成し(試験片No.111)、もう一つには20μmピッチのストライプ状の窒化層を形成した(試験片No.112)。つまり、試験片No.112には、非窒化層と窒化層が共存したテクスチャ組織を形成した。
【0091】
〈試験方法〉
各試験片をブロックオンリング試験に供した。ブロックオンリング試験は、各試験片(ブロック)の摺動面を、回転するリングの円筒状外周面へ押し付けて、試験片の摩耗具合を評価する試験方法である(ASTM規格G77−05参照)。具体的には、非Mo系エンジンオイルの潤滑下で、回転数:164r.p.m. 、押し付け荷重:4.4N、試験時間:30分、試験温度:80℃として行った。
【0092】
〈評価〉
各試験片の試験結果を表3に示した。試験片No.110は、摺動面が未処理であるため、摩耗幅および摩耗深さが共に大きくなっている。一方、試験片No.111およびNo.112は、摩耗幅および摩耗深さが共に非常に小さく、高い耐摩耗性を発現することが確認された。しかも、試験片No.111と試験片No.112の結果から、窒化層の形態が異なっていても、つまり金属基材の表面部がテクスチャ組織となっている場合でも、優れた耐摩耗性が発現されることが確認された。
【0093】
これにより、本発明の窒化金属部材を耐摩耗性部材として用いる場合、摺動面の全面に窒化層を形成する必要がないことがわかった。すなわち、耐摩耗性部材の仕様や生産性等を考慮して、窒化層または窒化組織の形態を適切に選択し得ることが明らかとなった。
【0094】
〈その他〉
上述した試験片では、20μmピッチの窒化層を形成したが、40μmピッチの窒化層を形成した場合でも80μmピッチの窒化層を形成した場合でも、上述した場合と同等な耐摩耗性が得られることが確認されている。
【0095】
また、上述した実施例では全て、被処理部に対して照射工程を一回しか行わなかったが、照射工程を複数繰り返して行ってもよい。照射工程の回数を増やすことにより、被処理部における窒素濃度を一層高めることが可能となる。但し、本発明の製造方法によれば、一回の照射工程でも、均質的であり、かつ十分な深さをもつ窒化層を効率的に形成できる。
【0096】
【表1】
【0097】
【表2】
【0098】
【表3】
【技術分野】
【0001】
本発明は、従来にない窒化層を有する窒化金属部材およびその製造方法に関する。
【背景技術】
【0002】
金属部材の強度、耐食性、耐摩耗性等を向上させるために、種々の表面改質処理がなされる。代表的な表面改質処理の一つに窒化処理がある。この方法として、ガス窒化法、ガス軟窒化法、塩浴窒化法、放電プラズマ窒化(イオン窒化)法等が一般的である。その一つである放電プラズマ窒化に関する記載が下記の非特許文献1〜3にある。
【0003】
それらの窒化方法とは異なり、チタン系基材へレーザ光を照射して窒化処理を行う提案が、例えば下記の特許文献1および非特許文献4にある。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0004】
【特許文献1】特開平10−72656号公報
【非特許文献】
【0005】
【非特許文献1】E.Menthe,Surf. Cort. Technol. 116-119(1999)199-204
【非特許文献2】Sung-Pill Hong ,Surf. Coat. Technol. 122 (1999) 260-267
【非特許文献3】D.Nolan,Surf. Coat. Technol. 200 (2006)5698-5705
【非特許文献4】Mohmad Soib Selamat, J.Materials Processing Technology 113 (2001)509-515
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
ガス窒化法、非特許文献1〜3にある放電プラズマ窒化法等は、いずれも金属基材の表面から窒素を導入して内部へ拡散させることにより窒化層を形成する方法である。こうして得られる窒化層は、その形成過程に由来して、必ず、窒素濃度が最表面から内部にかけて少なくなる窒素濃度傾斜層となる。このような窒素濃度傾斜層は、消耗環境下において加速的に消耗が進行し短寿命となり得るため、耐摩耗性部材等には不向きである。
【0007】
さらに上記の窒化方法では、長時間の高温処理が必要なため、金属基材の変形、窒化表面粗さの悪化、窒化組織の粗大化等を生じ易い。放電プラズマ窒化法の場合、そのような課題が少ないが、特別な処理設備(真空チャンバー等)や工程が必要となり生産性も低い。
【0008】
一方、特許文献1では、連続発振させたCO2レーザを窒素ガス雰囲気中にあるチタン系基材へ照射して、十分に加熱したチタン系基材と窒素ガスを反応させることにより窒化層を形成している。非特許文献4でも、同様な方法で窒化層を形成している。このような窒化方法によれば、局所的な窒化層が短時間で形成可能である。
【0009】
ところが、これらの方法では、レーザ光を照射した部分が一時的に半溶融状態または溶融状態となるため、再凝固してできた窒化層は表面粗さが粗く、組織が粗大なものとなり易い。また、上記のレーザ光を用いた窒化方法は、適用可能な基材が限られ、例えば、鉄系基材に適用しても有効な窒化層を形成することは困難である。
【0010】
本発明はこのような事情に鑑みて為されたものであり、従来とは形態が全く異なる新たな窒化層を有する窒化金属部材と、その製造方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0011】
本発明者は、上記の課題を解決すべく鋭意研究し、試行錯誤を重ねた結果、近紫外ナノ秒パルスレーザを金属基材の被処理部へ照射することにより、全体にわたり窒素濃度が均一的で、微細な結晶組織からなる高特性の窒化層を得ることに成功した。この成果を発展させることにより、以降に述べる本発明を完成するに至った。
【0012】
《窒化金属部材》
(1)本発明の窒化金属部材は、窒化可能な金属基材からなり、該金属基材の表面部に窒化層を有する窒化金属部材であって、前記窒化層は、前記金属基材の最表面側から測定して窒化層深さの90%に相当する位置における窒素濃度(原子%)である深層濃度が、該窒化層深さの10%に相当する位置における窒素濃度(原子%)である浅層濃度よりも、大きいかまたは同等であることを特徴とする。
【0013】
(2)本発明の窒化金属部材は、先ず、その窒化層中における窒素分布が、従来の窒化層とは全く異なっている。従来の窒化層は、最表層付近に窒素が集中し、内部へ向かうほど窒素が急減する窒素分布を示す。これに対して本発明に係る窒化層は、最表面近傍の浅い部分(浅層部)のみならず、内部の深い部分(深層部)でも窒素が十分に存在する窒素分布を示す。つまり本発明に係る窒化層は、窒素濃度が全体的にほぼ均一であるか、従来の窒化層とは全く逆に、浅層濃度が深層濃度より高いという窒素分布を示す。このため本発明に係る窒化層は、内部でも窒化組織が均質的で安定しており、窒化層内のどの部分が露出しても、安定した特性が発現され得る。この結果、例えば、窒化層の摩耗による窒化金属部材の寿命予測等を適切に行うことが可能となる。
【0014】
(3)本明細書では、本発明に係る窒化層が有する特長的な窒素分布を明確に特定するために、敢えて、窒化層の特定位置における窒素濃度(浅層濃度と深層濃度)を便宜的に導入した。浅層濃度および深層濃度の特定位置を、それぞれ窒化層深さの10%と90%に相当する位置としたのは、窒化層の両端部における窒素濃度のばらつきを排除して、本発明に係る窒化層を安定して特定できるようにするためである。
【0015】
「窒素濃度(原子%)」は、電子線マイクロアナライザー(EPMA)の解析結果に基づき特定した。「窒化層深さ」は、窒化金属部材の表面部に形成された窒化層の最表面から測定して、その窒素濃度が0.1原子%となる境界点までの距離(厚さ)である。
【0016】
浅層濃度と深層濃度が「同等」とは、上述した窒化層中の特定位置で、各窒素濃度がほぼ等しいことを意味する。敢えて厳密に規定するなら、「同等」とは、浅層濃度と深層濃度の窒素濃度差が5原子%以内とすればよい。勿論、窒素濃度差が3原子%以内さらには2原子%以内であると、窒化層内の窒素分布が全体的により均一であるといい得る。
【0017】
(4)本発明に係る窒化層深さの上下限値は特に問わない。窒化層によって所望する特性が安定して発現される範囲ならよい。窒化層深さが1μm以下でも十分な場合もあるが、例えば、耐摩耗性部材に用いる窒化層なら、窒化層深さは1μm以上、10μm以上、50μm以上さらには80μm以上であると好ましい。逆に窒化層深さは、窒化層の最表面(窒化面)を研磨等する場合を考慮しても、1000μm以下さらには500μm以下あれば、通常は十分である。
【0018】
《窒化金属部材の製造方法》
(1)上述した窒化金属部材は、例えば、次のような本発明の製造方法により得られる。すなわち、本発明の窒化金属部材の製造方法は、窒素含有雰囲気下にある窒化可能な金属基材の被処理部へ、該被処理部に対して高エネルギービームを相対移動させつつ照射することにより、該被処理部でアブレーションを生じさせると共に該被処理部の近傍にプラズマ化した窒素を生成させる照射工程を備え、上述した窒化金属部材が得られることを特徴とする。
【0019】
(2)本発明の製造方法により上述した窒化金属部材が得られる理由は必ずしも定かではないが、現状では次のように考えられる。高エネルギービームが金属基材の被処理部へ適切に照射されると、金属基材の被処理部ではアブレーションが生じ得る。このアブレーションにより、被処理部にあった金属基材を構成する原子等が、気化、蒸発、蒸散、飛散等して放出される。こうして放出された粒子(適宜「放出粒子」という。)は、原子、分子、イオン、電子、光子、ラジカル、クラスター等の様々な形態をとり得る。このような放出粒子が被処理部の近傍にある雰囲気ガス(窒素等)に何らかの影響を与える。そして放出粒子と活性な窒素(単に「活性窒素」という。)の混合状態からなる反応場が、アブレーションを生じた被処理部(適宜「アブレーション部」という。)またはその近傍に生成され得る。
【0020】
高エネルギービームの照射域が金属基材の被処理部上を移動することにより、上記の現象が次々とほぼ連続的に生じ、被処理部およびその近傍は、反応場を生成する放出粒子および活性窒素が多数存在した状態となる。
【0021】
活性窒素は、金属基材のアブレーション部またはその近傍へ浸入して窒化物または窒素固溶体を形成するか、または放出粒子と結合してアブレーション部へ充填等されていく。このような現象が繰り返されることにより、内部深くまで窒素が十分に導入された窒化層が形成されたと考えられる。
【0022】
なお、本発明の製造方法では、従来の窒化方法とは異なり、窒化層の形成にアブレーションを利用しているため、金属基材や窒化層には殆ど熱的影響が及ばない。従って本発明の製造方法によれば、金属基材の変形、表面粗さの悪化、組織の粗大化等はほとんど生じない。またアブレーションを利用する場合、金属基材の材質にほとんど依存せずに、短時間内に深い窒化層が形成され得る。従って本発明の製造方法によれば、深い窒化層を形成する場合でも、金属基材の材質に関する選定自由度が非常に大きく、特定の窒化処理を長時間行う必要ない。
【0023】
(3)こうして形成される窒化層は、従来のCO2レーザーを用いて得られる(半)溶融後の凝固組織からなる窒化層とは明らかに異なり、非常に微細な結晶組織でもある。具体的にいうと、本発明に係る窒化層(窒化組織)は、平均結晶粒径が10μm以下、1μm以下さらには400nm以下となり得る。平均結晶粒径の下限値は問わないが、生産コストや品質安定化等の点で、例えば、1nm以上さらには20nm以上としてもよい。
【0024】
本明細書でいう「平均結晶粒径」は次のようにして特定した。先ず、組織の断面を観察し、認められる粒子の断面形状を楕円と仮定して、その長軸と短軸の平均値を一つの結晶粒径とする。次に、観察している組織断面中から無作為に抽出した5点について算出した結晶粒径の単純平均(相加平均)を本明細書でいう平均結晶粒径とした。
【0025】
(4)本発明の製造方法では、高エネルギー(収束)ビームを用いているため、従来の窒化方法では困難であった局所的な窒化や微細な窒化も可能となる。例えば、幅10μm以下、1μm以下さらには0.5μm以下の窒化層を形成することも可能である。
【0026】
また、形成される窒化層の形態は、高エネルギービームの照射域の軌跡により定まる。高エネルギービームの可動域に制限はないため、広狭を問わず、所望する形態の窒化層が形成され得る。窒化層の形成される被処理部は、平面に限らず種々の曲面でもよいし、曲線状(直線状を含む)でも点状(斑点状等の多数点状を含む)でもよい。さらに、高エネルギービームが到達する限り、被処理部は、窪んだ形状でも、奥まったところにあっても、アンダーカット的な形態でもよい。
【0027】
また窒化層は、高エネルギービームの照射域の軌跡上に形成されるため、窒化されていない非窒化層と混在させることも自在に調整できる。例えば、窒化層と非窒化層が交互に配置されたストライプ状や格子状の表面部を形成することも容易である。このように、窒化層と非窒化層が共存して金属基材の表面部に形成された改質組織を、本明細書ではテクスチャ組織という。
【0028】
なお、窒化層やテクスチャ組織は、二次元的な形態に留まらず三次元的な形態でもよい。高エネルギービームの出力密度、ビーム径、焦点等を調整することにより、窒化層の幅や深さを、その形成位置に応じて容易に変化させ得る。さらに、処理後の表面をディンプル状にすることも容易である。このように本発明によれば、金属基材の形状や仕様等に応じて、最適な窒化層を自在に形成可能である。ちなみに、従来の窒化層深さは高々数十μm程度であるが、本発明の製造方法によれば、50μm以上さらには100μm以上の窒化層深さを得ることも容易である。
【0029】
(5)「被処理部」は、高エネルギービームの照射が可能な部分である限り、外表面側でも内表面側でもよい。また、必ずしも金属基材の最表面には限られず、その内部も被処理部に含まれる。これらは、金属基材の「表面部」についても同様である。
【0030】
「高エネルギービーム」は、光線または電子線であって、金属基材をアブレーションするのに十分なエネルギーと、照射部周辺をプラズマ化させる強電界とを併せもつビームである。具体的には、レーザ、電子ビーム等である。
【0031】
「窒素含有雰囲気」は、窒化源となる窒素(N)が分子レベルまたは原子レベルで存在し、アブレーションにより活性窒素が発生し得る雰囲気である。具体的には、窒素ガスのみからなる窒素ガス雰囲気、窒素ガスを含む混合窒素ガス雰囲気(例えば大気雰囲気)、窒素(N)の化合物(アンモニア等)を含む化合物ガス雰囲気等である。窒素含有雰囲気の気圧や温度は、適宜調整され得るが、本発明の製造方法によれば、常温大気圧雰囲気中でも所望する窒化層の形成が可能である。
【0032】
《その他》
特に断らない限り本明細書でいう「x〜y」は下限値xおよび上限値yを含む。本明細書に記載した種々の数値または数値範囲に含まれる任意の数値を、新たな下限値または上限値として「a〜b」のような範囲を新設し得る。
【図面の簡単な説明】
【0033】
【図1】チタン合金基材へ近紫外ナノレーザを照射して得られた試料No.11の窒化層を示すSEM像である。
【図2】試験片No.11またはチタン合金基材にCO2レーザを照射して得られた試料No.13の表面部における硬さ分布を示すグラフである。
【図3A】試料No.11の表面部をEPMA分析した元素マッピング像である。
【図3B】試料No.13の表面部をEPMA分析した元素マッピング像である。
【図4】各試料の表面部における窒素濃度分布を示すグラフである。
【図5A】試料No.11の窒化組織を示すTEM像である。
【図5B】試料No.13の窒化組織を示すTEM像である。
【図6】試料No.11の窒化層のX線回折パターンを示すグラフである。
【図7】試験片No.11に係る窒化組織中の3点について観察した極微電子線回折像である。
【図8】鉄鋼基材へCO2レーザを照射して得られた試料No.23の表面部の組織を示すSEM像である。
【図9】鉄鋼基材へ近紫外ナノレーザを照射して得られた試料No.21と試料No.23の表面部における硬さ分布を示すグラフである。
【図10】ステンレス基材へ近紫外ナノレーザまたはCO2レーザを照射して得られた試料No.31と試験片No.33の表面部における硬さ分布を示すグラフである。
【図11】金属基材の表面部に形成された窒化層と非窒化層からなるテクスチャ組織の一例を示した模式図である。
【発明を実施するための形態】
【0034】
本明細書で説明する内容は、本発明の窒化金属部材のみならず、その製造方法にも該当し得る。上述した本発明の構成要素に、本明細書中から任意に選択した一つまたは二つ以上の構成要素を付加し得る。この際、製造方法に関する構成要素は、プロダクトバイプロセスとして理解すれば物に関する構成要素ともなり得る。なお、いずれの実施形態が最良であるか否かは、対象、要求性能等によって異なる。
【0035】
《窒化金属部材》
(1)金属基材
本発明に係る金属基材は、窒化可能なものであれば、純金属でも合金でもよく、その種類や成分組成を問わない。「窒化可能」とは、導入された窒素が窒化物または窒素固溶体を形成して、金属基材の特性(硬さ等)が改善され得ることをいう。この際、窒素による改善の程度は問わない。金属基材は、例えば、鉄鋼材、ステンレス鋼材、チタン材、アルミニウム材等である。本発明の製造方法によれば、金属基材は高温環境下に曝されることなく窒化され得る。このため、高温処理される従来の窒化方法には不適であった金属基材も本発明の対象となる。
【0036】
鉄鋼材は、一般的な炭素鋼でも種々の合金元素を含む特殊鋼でもよい。本発明の製造方法によれば、合金元素を含まない鉄鋼材の表面部にも、優れた特性の窒化層が形成され得る。勿論、金属基材が、窒化鋼のように硬質な窒化物を形成し得るAl、CrまたはMo等の合金元素を含んでもよい。
【0037】
ステンレス鋼材は、オーステナイト系ステンレス鋼、フェライト系ステンレス鋼、マルテンサイト系ステンレス鋼等のいずれでもよい。特に炭素を含まないオーステナイト系ステンレス鋼やフェライト系ステンレス鋼は、通常の熱処理による硬化があまり期待できないので、本発明に係る窒化層を形成する意義が大きい。
【0038】
ステンレス鋼材の最表面には、通常、厚さ数nm程度の緻密で化学的に安定なクロム系酸化物からなる不動態皮膜が形成されている。従来の窒化方法では、その不動態皮膜により窒素の導入が阻害されて窒化が容易ではなかった。しかし、本発明の製造方法によれば、高エネルギービームの照射によるアブレーションを利用しているため、不動態皮膜の破壊さらには被処理部への活性窒素の導入が容易である。従って本発明の製造方法によれば、特別な前処理や雰囲気制御等を行うまでもなく、良好な窒化層が容易に安定して形成され得る。
【0039】
チタン材は、純チタンでもチタン合金でもよい。チタン合金は、α型チタン合金でも、β型チタン合金でも、α−β型チタン合金でもよい。チタン材へ窒化処理を施すと、非常に硬質な窒化チタンが形成され、特有な発色も生じる。
【0040】
もっとも従来は、チタン材を700℃以上の高温で長時間加熱して窒化していたため、生産性が低く、基材組織の粗大化等によりチタン材の機械的特性が劣化することがあった。本発明の製造方法によれば、金属基材のアブレーションと窒素のプラズマ化に基づき窒化がなされるため、チタン材への熱的影響は殆ど無く、従来のような不都合はない。つまり本発明の製造方法によれば、優れた特性の窒化金属部材を効率良く生産できる。
【0041】
(2)窒化層
本発明に係る窒化層は、金属基材の窒素固溶体または金属基材中若しくは窒素固溶体中に窒化物が分散した複合組織体からなる。生成される窒化物の種類は金属基材の組成により異なるが、硬質な窒化物として、例えば、Fe系窒化物(Fe2N、Fe3N等)、Ti系窒化物(Ti2N、TiN等)、Cr系窒化物、V系窒化物、Mo系窒化物、Al系窒化物などがある。
【0042】
窒化層中の窒素濃度は、金属基材の組成、結晶構造などにより、自ずと理論的な上限値が定まる。逆にいえば、本発明に係る窒化層内の窒素濃度は、その理論的な上限値以内なら任意である。本発明の製造方法の場合、窒化の金属基材への導入方法が、従来のような表面拡散型ではないため、窒化層の深い部分にも相当量の窒素を導入できる。概していうと、本発明に係る窒化層中の窒素濃度は1〜50原子%であり、浅層濃度と深層濃度に実質的な相違はない。例えば、鉄鋼材やステンレス鋼材の窒素濃度は1〜33原子%であり、チタン材の窒素濃度は1〜50原子%である。なお、本発明に係る窒化層の場合、窒素が均一的に分布しているため、従来の窒化層より平均的な窒素濃度または窒素総量が低くても、従来の窒化層以上の硬さを発揮し得る。
【0043】
金属基材の表面部に形成される窒化層のパターン、窒化層の大きさ(幅、深さ等)、窒化層を構成する組織サイズ(平均結晶粒径等)については前述した通りである。
【0044】
《窒化金属部材の製造方法》
(1)高エネルギービーム
高エネルギービームは、金属基材の被処理部でアブレーションを生じさせ、アブレーション部の周囲にある雰囲気ガスから活性窒素が生成される限り、その種類を問わない。高エネルギービームは、例えば、パルスレーザ、電子ビーム等である。
【0045】
アブレーションを発生させるには、金属基材の被処理部へ、高いエネルギーを瞬時に付与する必要がある。つまり、アブレーションの閾値を超える高いエネルギー密度(フルエンス)をもつ高エネルギービームを、金属基材の被処理部へ照射する必要がある。このような高エネルギービームとして、短パルス幅のパルスレーザが好適である。
【0046】
レーザ発振装置の出力や発振周波数等が一定なら、パルス幅が短いほど、フルエンスの高いレーザ光を被処理部へ照射できる。またパルス幅が短いと、その照射域外への熱拡散が抑制され、アブレーションの促進と共に金属基材への熱的影響の抑制を図れる。具体的にいうと、パルスレーザのパルス幅は、例えば、10ps〜100nsさらには1〜50nsであると好ましい。パルス幅が過大ではアブレーションに必要なフルエンスが得難くなり、パルス幅が過小(例えば多光子吸収が生じる150fs程度)ではレーザ光によるエネルギーの付与形態が変化して、本発明に係る窒化に必要な反応場(窒化反応場)が形成されない可能性がある。
【0047】
パルスレーザの出力密度(適宜「レーザフルエンス」または単に「フルエンス」という。)でいえば、例えば、0.3MW/cm2〜30GW/cm2さらには3MW/cm2〜3GW/cm2であると好ましい。フルエンスは窒化層深さに影響し、フルエンスが過小では十分な深さの窒化層が得難くなり、フルエンスが過大では金属基材への熱的影響が大きくなり好ましくない。ちなみに、フルエンスはレーザ出力をレーザスポット面積で除して求まる。
【0048】
またパルスレーザは波長が短いほど、金属基材によるレーザ光の吸収率が高くなり、アブレーションの促進と非アブレーション部の変質抑制等が図られる。またパルスレーザの波長を適切に調整することにより、十分な窒化層深さをもつ窒化層の形成が容易となる。このようなパルスレーザの波長は、赤外域より短く、さらには可視域よりも短い紫外域(近紫外域を含む)内にあると好ましい。具体的にいうと、パルスレーザの波長は、700nm以下、550nm以下さらには380nm以下であると好ましい。またパルスレーザの波長は、190nm以上さらには320nm以上であると好ましい。パルスレーザの波長が過小では、雰囲気ガスによるレーザの吸収が発生して好ましくない。
【0049】
このようなパルスレーザの具体例として、例えば、F2(波長157nm)、ArF(波長193nm)、KrF(波長248nm)、XeCl(波長308nm)、XeF(波長351nm)等のエキシマ(励起二量体)を利用したエキシマレーザ、短波長を発振できるYAGレーザなどがある。
【0050】
(2)照射工程
照射工程は、所望する窒化層の形態に応じて、高エネルギービームを金属基材の表面部へ照射しつつ、その照射域を移動させる工程である。
【0051】
高エネルギービームとしてパルスレーザを用いる場合、隣接して発振する各パルス光の照射域を部分的に重畳(オーバーラップ)させると、連続した窒化層が安定的に形成され易くなる。パルス波の照射域を重畳させる割合(パルスラップ率)は、パルスレーザの発振周波数、被処理部に対する相対移動速度(適宜「走査速度」という。)、被処理部の最表面における照射域の大きさ(またはパルスレーザの焦点位置)等により調整される。窒化層の形成や窒化組織は、前述したパルスレーザの特性にも依るため、パルスラップ率を画一的に特定し難いが、例えば10〜99.9%、20〜95%さらには50〜90%であると好ましい。パルスラップ率が過小では窒化層の形成が困難となり除去加工となり易い。パルスラップ率が過大では窒化処理の効率化や窒化組織の均質化を図り難い。
【0052】
このパルスラップ率は、(r/d)×100(%)(d:ビーム径、r:隣接するパルス波の重なり径)により算出される。ここでビーム径(d)は、レーザ軸に対する直交面上で測定される、ビーム強度がピーク強度値の1/e2レベルとなるときの幅(直径)である。また隣接するパルス波の重なり径(r)は、d−R(R:隣接するビーム間の中心間距離)である。
【0053】
パルスラップ率に基づいて発振周波数、走査速度、焦点位置等は調整されるが、一例をあげると次の通りである。発振周波数は、例えば、1〜100kHzさらには10〜50kHzであると好ましい。発振周波数が過小では走査速度も低くせざるを得ず、窒化処理の効率化を図れない。発振周波数が過大になると、一般的にレーザフルエンスが低下し、均質的な窒化層の形成が困難となる。
【0054】
走査速度は、例えば、0.1〜100mm/sさらには1〜10mm/sであると好ましい。走査速度が過小では窒化処理の効率化を図れず、走査速度が過大になると、相関する発振周波数が過大な場合と同様に、均質的な窒化層の形成が困難となる。
【0055】
パルスレーザの焦点位置により、各パルス光の照射範囲が変化する。焦点位置は、金属基材の被処理部の最表面にあっても、その最表面からずれたところにあってもよい。もっとも、焦点位置がパルスレーザの照射部(被処理部の最表面部)から外れるほど、照射部におけるフルエンスは低下し、その照射部近傍における窒化処理の安定性や窒化層深さ等に影響する。この傾向は、レーザを集光させて照射部に微細なスポット径を形成している場合ほど顕著である。
【0056】
(3)雰囲気
照射工程を行う雰囲気は、既述したように、高エネルギービームを照射した際に、アブレーションにより活性窒素が発生し得る窒素含有雰囲気であればよい。このような雰囲気は、高エネルギービームの種類に応じて適宜選択される。
【0057】
照射工程は、チャンバー等の密閉雰囲気内で行っても良いが、開放雰囲気内で行ってもよい。高エネルギービームとしてレーザを用いれば、開放雰囲気である常温常圧の大気雰囲気中でも可能である。もっとも、不純物の介在等を回避するために、被処理部へ特定ガスを流入させつつ行うと好ましい。例えば、被処理部の上方または側方から窒素ガス等を吹き付けるとよい。ガスの吹付方向を調整することにより、アブレーションに伴い生じるデブリの抑制等も図られ得る。例えば、その吹付方向を高エネルギービームの光軸と同軸とすることにより、窒素含有雰囲気の制御性が増し、窒化層の均質性が向上し得る。
【0058】
《用途》
本発明の窒化金属部材は、その用途を問わない。本発明に係る窒化層を有する表面部は、高強度、高靱性であり、また表面粗さも小さく、種々の優れた特性(耐摩耗性、耐食性、電気的特性等)を安定的に発揮し得る。そこで本発明の窒化金属部材は、例えば、自動車部品等の耐摩耗性部材、ターボチャージャー・タービン等の耐食部材、半導体絶縁・放熱基板等の電気機器用部材などに好適である。
【実施例】
【0059】
《実施例1:チタン系基材》
〈試料の製作〉
(1)金属基材
市販されている代表的なチタン材であるTi−6質量%Al−4質量%V(α−β型チタン合金)からなるチタン合金基材を用意した。基材サイズは基本的に15.7×6.5×10.0mmとしたが、CO2レーザを用いる場合は熱容量を確保して熱的影響を小さくするために基材サイズを100×100×5mmとした。
【0060】
(2)高エネルギービーム
高エネルギービームとして、近紫外線領域(190〜400nm特に320〜400nm)の波長をもちパルス幅がナノ秒レベルのパルスレーザ(このレーザを単に「近紫外ナノ」レーザという。)と、近赤外線領域(800〜2500nm)の波長をもちパルス幅がナノ秒レベルのパルスレーザ(このレーザを単に「近赤外ナノ」レーザという。)と、赤外線領域の波長をもつレーザを連続的に出力するCO2レーザ(Continuous Wave Laser)を準備した。具体的なレーザの仕様は表1に示した。なお、近赤外ナノレーザは固体YAGレーザの基本波であり、近紫外ナノレーザはその3倍波である。
【0061】
(3)照射工程
チタン合金基材の被処理部へ窒素ガスを吹き付けつつ各レーザ光を照射した。この際、レーザの発振周波数、レーザの被処理部に対する相対移動速度(走査速度)、レーザの焦点位置およびレーザの出力および出力密度(レーザフルエンス)は表1に併せて示した。なお、焦点位置は、被処理部の最表面としたので、焦点はずし距離は0μmとなる。また窒素ガスの吹き付けは、近紫外ナノレーザおよび近赤外ナノレーザの場合は被処理部に平行な側方から、CO2レーザの場合は光軸に沿った上方向から行った。
【0062】
近紫外ナノレーザと近赤外ナノレーザの照射は、パルスラップ率を85%とした。なお、パルスラップ率は前述した方法により算出した。また被処理部の表面上における各レーザ光の照射域の軌跡は20μm間隔の平行な直線状とした。こうして照射工程を施した各試料(表2に示す試料No.11および12)を得た。なお、CO2レーザの場合は改質領域が450μm(ビーム径:200μm)で、その照射域の軌跡は400μm間隔の平行な直線状とした(試料No.13)。
【0063】
〈試料の評価〉
各試料における窒化の有無や特性を表2にまとめて示した。以降、それらについて詳述する。
【0064】
(1)窒化改質の有無
近紫外ナノレーザを照射した試料No.11とCO2レーザを照射した試料No.13との被処理部(表面部)には、窒化層が観察された。一方、近赤外ナノレーザを照射した試料No.12の表面部には窒化層が観察されなかった。
【0065】
一例として、試料No.11の表面部の断面を、走査型電子顕微鏡(SEM)で観察した様子を図1に示した。図1から明らかなように、試料No.11の場合、その表面部の相当深くまで窒化がされており、その窒化組織も均質で微細なことがわかる。
【0066】
試料No.11の場合、表2に示すように、窒化層深さは100μmと深く、レーザ照射1行程あたりに形成される窒化層の最小幅は5μm程度であった。一方、試料No.13の場合、窒化層深さは130μmと深いが、レーザ照射1行程あたりに形成される窒化層の最小幅は450μm程度とかなり大きかった。ちなみに、近紫外ナノレーザのスポット径は0.7μmであり、本実施例で用いたマルチモードCO2レーザのスポット径は200μm(カタログ値)とした。
【0067】
(2)硬さ
窒化層が形成された各試料の表面部のビッカース硬さを、最表面から15μm、30μmおよび45μmの深さ位置で測定した。これらの測定結果に基づく深さ方向の硬さ分布を図2に示した。また、窒化層中の各位置における硬さを相加平均した平均硬さを表2に併せて示した。図2から明らかなように、試料No.11では、1000Hvを超える硬さが内部深くまで均一的に得られていることがわかる。
【0068】
一方、試料No.13の場合、最表面側の硬さや平均硬さは高いものの、内部深くの硬さは急激に低下しており、硬さの変動が大きい。ちなみに、チタン合金基材の母材(生地)硬さは350Hvである。
【0069】
(3)窒素濃度
試料No.11および試料No.13の表面部を電子線マイクロアナライザー(EPMA)により解析した結果(元素マッピング)をそれぞれ図3Aおよび図3Bに示した。また、EPMAに基づく定量分析結果から得られた表面部における窒素濃度分布を図4に示した。このときの窒素濃度は、最表面からの深さが15μm、35μmおよび55μmとなる位置で測定した。これら窒素濃度を相加平均した平均窒素濃度を表2に併せて示した。
【0070】
試料No.11の場合、窒素が最表面から50μmぐらいの深さまで均一的に分布していることがわかる。一方、試料No.13の場合、平均窒素濃度は大きいが、窒素濃度の分布は位置によって大きく変動する不均一なものであった。
【0071】
(4)窒化組織
試料No.11および試料No.13の表面部の断面を透過型電子顕微鏡(TEM)により観察した結果をそれぞれ図5Aおよび図5Bに示した。
【0072】
試料No.11の場合、結晶粒(図5A中で黒太線で囲んだ部分)は微細であり、その平均結晶粒径は150nmであった。前述したように、平均窒素濃度が少ないにもかかわらず、全体的に十分な硬さを有していたのは、試料No.11の窒化組織が全体的に微細であるためと考えられる。なお、平均結晶粒径は、既述した通り、TEM像の視野内に現れた各結晶粒の長軸と単軸を相加平均して求めた値である。
【0073】
一方、試料No.13の場合、平均長さ5.7μmで平均幅0.8μm程度の針状結晶(図5B中で黒太線で囲んだ部分)が多数晶出(または析出)していることがわかった。このような組織が観察されたのは、被処理部がCO2レーザの照射により溶融した後に、再凝固したためと考えられる。
【0074】
試料No.11の表面部(具体的には最表面から10μmの部分)についてX線回折(XRD)による解析を行った。この結果を図6に示した。その試料の同様の部分について、TEMによる極微電子線回折測定を3カ所で行った。その結果を図7に示す。
【0075】
これらの結果から、試料No.11の表面部には、TiN、TiN0.26 、(AlTi)N2、TiVN2などの窒化物が分散していることが明らかとなった。すなわち、その表面部は、母材(チタン合金)中へ窒素が固溶した単なる窒素固溶体ではなく、そこに種々の窒化物が微細に分散した複合組織からなることが明らかとなった。一方、試料No.13の窒化組織は、粗くて脆い組織からなり、最表面には後加工が必要なほどのうねりを生じていた(図3B参照)。
【0076】
《実施例2:鉄鋼系基材》
〈試料の製作〉
市販されている代表的な鉄鋼材(JIS S45C)からなる鉄鋼基材を用意した。この鉄鋼基材に、前述した各レーザによる照射を行った。こうして鉄鋼基材へ各レーザを照射した試料(表2に示す試料No.21、22および23)を得た。各試料における窒化の有無や各特性は表2に併せて示した。なお、本実施例の基材サイズは基本的に15.7×6.5×10.0mmとしたが、CO2レーザを用いる場合は熱容量を確保して熱的影響を小さくするために基材サイズをφ30×5mmとした。
【0077】
〈試料の評価〉
(1)窒化の有無
近紫外ナノレーザを照射した試料No.21の表面部には、チタン合金基材の場合と同様に、微細な窒化組織が観察された。しかし、それ以外のレーザを照射した試料の表面部には、窒素雰囲気中にもかかわらず、窒化組織が観察されなかった。但し、CO2レーザを照射した試料No.23の表面部には、図8に示すような焼き入れ組織(焼きなまし組織を含む)が観察された。
【0078】
(2)硬さ
実施例1の場合と同様に、試料No.21および試料No.23の表面部におけるビッカース硬さを測定し、それらの深さ方向の硬さ分布を図9に示した。図9から明らかなように、試料No.21では、十分な硬さが内部深くまで均一的に分布していた。
【0079】
一方、試料No.23では、全体的に試料No.21よりも硬さが小さく、硬さ分布も不均一であった。ちなみに、母材である鉄鋼基材自体のビッカース硬さは200Hvであった。
【0080】
(3)窒素濃度
実施例1の場合と同様に、試料No.21の表面部における窒素濃度分布を図4に示した。図4から明らかなように、試料No.21の窒素濃度も、内部深くまで均一的であることがわかった。
【0081】
(4)窒化組織
実施例1の場合と同様に、試料No.21の表面部には、平均結晶粒径が291nmの微細な窒化組織が形成されていた。
【0082】
《実施例3:ステンレス系基材》
〈試料の製作〉
市販されている代表的なオーステナイト系ステンレス材(JIS SUS304)からなるステンレス基材を用意した。このステンレス基材へ、前述した各レーザを照射して各試料(表2に示す試料No.31、32および33)を得た。各試料における窒化の有無や各特性は表2に併せて示した。なお、本実施例の基材サイズは基本的に15.7×6.5×10.0mmとしたが、CO2レーザを用いる場合は熱容量を確保して熱的影響を小さくするために基材サイズを30×30×8mmとした。
【0083】
なお、参考までに、同じステンレス基材へ放電プラズマ窒化した試料(No.34)も製作した。この放電プラズマ窒化はN2+50%H2の雰囲気中で500℃×1時間行った。
【0084】
〈試料の評価〉
(1)窒化の有無
近紫外ナノレーザを照射した試料No.31の表面部には、チタン合金基材等の場合と同様に、微細な窒化組織が観察された。また、放電プラズマ窒化した試料No.34にも当然に窒化組織が観察された。しかし、それ以外のレーザを照射した試料の表面部は、窒素雰囲気中にもかかわらず窒化されなかった。なお、本実施例で用いたステンレス基材は炭素を実質的に含まないため、CO2レーザを照射した試料No.33には、試料No.23のような焼き入れ組織も生じなかった。
【0085】
(2)硬さ
実施例1の場合と同様に、試料No.31および試料No.33の表面部におけるビッカース硬さを測定し、それらの深さ方向の硬さ分布を図10に示した。図10から明らかなように、試料No.31は、内部深くまで、最表面側と同程度の十分な硬さを有していた。一方、試料No.33は、ステンレス基材の母材(生地)硬さ200Hvにほぼ等しい硬さしかなく、実質的に硬化していなかった。
【0086】
(3)窒素濃度
実施例1の場合と同様に、試料No.31の表面部における窒素濃度分布を図4に併せて示した。図4から明らかなように、試料No.31も、窒素濃度が内部深くまで均一的であった。
【0087】
一方、試料No.34の表面部における窒素濃度は、最表面近傍で17原子%と非常に高いものの、そこから急激に低下して、高々7μm程度の深さ位置でほぼゼロになった。このように従来の放電プラズマ窒化で得られる窒化層は、窒素濃度に関して急激な傾斜層となっていた。
【0088】
(4)窒化組織
実施例1の場合と同様に、試料No.31の表面部には微細な窒化組織が観察された。
【0089】
《実施例4》
近紫外ナノレーザを照射して得られた窒化層を有する窒化金属部材の耐摩耗性を次のようにして評価した。
【0090】
〈試験片の製作〉
実施例1で用意したチタン材からなるブロック状の試験片を3つ用意した。そのうち一つは未処理とした(試験片No.110)。残り二つには、実施例1の場合と同様に、近紫外ナノレーザの照射により窒化層を形成した。但し、そのうち一つには全面的に窒化層を形成し(試験片No.111)、もう一つには20μmピッチのストライプ状の窒化層を形成した(試験片No.112)。つまり、試験片No.112には、非窒化層と窒化層が共存したテクスチャ組織を形成した。
【0091】
〈試験方法〉
各試験片をブロックオンリング試験に供した。ブロックオンリング試験は、各試験片(ブロック)の摺動面を、回転するリングの円筒状外周面へ押し付けて、試験片の摩耗具合を評価する試験方法である(ASTM規格G77−05参照)。具体的には、非Mo系エンジンオイルの潤滑下で、回転数:164r.p.m. 、押し付け荷重:4.4N、試験時間:30分、試験温度:80℃として行った。
【0092】
〈評価〉
各試験片の試験結果を表3に示した。試験片No.110は、摺動面が未処理であるため、摩耗幅および摩耗深さが共に大きくなっている。一方、試験片No.111およびNo.112は、摩耗幅および摩耗深さが共に非常に小さく、高い耐摩耗性を発現することが確認された。しかも、試験片No.111と試験片No.112の結果から、窒化層の形態が異なっていても、つまり金属基材の表面部がテクスチャ組織となっている場合でも、優れた耐摩耗性が発現されることが確認された。
【0093】
これにより、本発明の窒化金属部材を耐摩耗性部材として用いる場合、摺動面の全面に窒化層を形成する必要がないことがわかった。すなわち、耐摩耗性部材の仕様や生産性等を考慮して、窒化層または窒化組織の形態を適切に選択し得ることが明らかとなった。
【0094】
〈その他〉
上述した試験片では、20μmピッチの窒化層を形成したが、40μmピッチの窒化層を形成した場合でも80μmピッチの窒化層を形成した場合でも、上述した場合と同等な耐摩耗性が得られることが確認されている。
【0095】
また、上述した実施例では全て、被処理部に対して照射工程を一回しか行わなかったが、照射工程を複数繰り返して行ってもよい。照射工程の回数を増やすことにより、被処理部における窒素濃度を一層高めることが可能となる。但し、本発明の製造方法によれば、一回の照射工程でも、均質的であり、かつ十分な深さをもつ窒化層を効率的に形成できる。
【0096】
【表1】
【0097】
【表2】
【0098】
【表3】
【特許請求の範囲】
【請求項1】
窒化可能な金属基材からなり、該金属基材の表面部に窒化層を有する窒化金属部材であって、
前記窒化層は、前記金属基材の最表面側から測定して窒化層深さの90%に相当する位置における窒素濃度(原子%)である深層濃度が、該窒化層深さの10%に相当する位置における窒素濃度(原子%)である浅層濃度よりも、大きいかまたは同等であることを特徴とする窒化金属部材。
【請求項2】
前記窒化層は、前記深層濃度と前記浅層濃度の濃度差が5原子%以内である請求項1に記載の窒化金属部材。
【請求項3】
前記窒化層は、平均結晶粒径が10μm以下の窒化組織からなる請求項1または2に記載の窒化金属部材。
【請求項4】
前記金属基材は、鉄鋼材、ステンレス鋼材またはチタン材からなる請求項1または3に記載の窒化金属部材。
【請求項5】
前記金属基材の表面部は、前記窒化層と窒化されていない非窒化層とが共存するテクスチャ組織からなる請求項1〜4のいずれかに記載の窒化金属部材。
【請求項6】
窒素含有雰囲気下にある窒化可能な金属基材の被処理部へ、該被処理部に対して高エネルギービームを相対移動させつつ照射することにより、該被処理部でアブレーションを生じさせると共に該被処理部の近傍にプラズマ化した窒素を生成させる照射工程を備え、
請求項1に記載の窒化金属部材が得られることを特徴とする窒化金属部材の製造方法。
【請求項7】
前記高エネルギービームは、700nm以下の波長をもつパルスレーザである請求項6に記載の窒化金属部材の製造方法。
【請求項8】
前記照射工程は、隣接して発振するパルス光による照射域を部分的に重畳させつつ、前記被処理部へ前記パルスレーザを照射する工程である請求項7に記載の窒化金属部材の製造方法。
【請求項9】
前記照射工程は、前記パルス光の照射域が重畳する割合であるパルスラップ率が10〜90%である請求項8に記載の窒化金属部材の製造方法。
【請求項1】
窒化可能な金属基材からなり、該金属基材の表面部に窒化層を有する窒化金属部材であって、
前記窒化層は、前記金属基材の最表面側から測定して窒化層深さの90%に相当する位置における窒素濃度(原子%)である深層濃度が、該窒化層深さの10%に相当する位置における窒素濃度(原子%)である浅層濃度よりも、大きいかまたは同等であることを特徴とする窒化金属部材。
【請求項2】
前記窒化層は、前記深層濃度と前記浅層濃度の濃度差が5原子%以内である請求項1に記載の窒化金属部材。
【請求項3】
前記窒化層は、平均結晶粒径が10μm以下の窒化組織からなる請求項1または2に記載の窒化金属部材。
【請求項4】
前記金属基材は、鉄鋼材、ステンレス鋼材またはチタン材からなる請求項1または3に記載の窒化金属部材。
【請求項5】
前記金属基材の表面部は、前記窒化層と窒化されていない非窒化層とが共存するテクスチャ組織からなる請求項1〜4のいずれかに記載の窒化金属部材。
【請求項6】
窒素含有雰囲気下にある窒化可能な金属基材の被処理部へ、該被処理部に対して高エネルギービームを相対移動させつつ照射することにより、該被処理部でアブレーションを生じさせると共に該被処理部の近傍にプラズマ化した窒素を生成させる照射工程を備え、
請求項1に記載の窒化金属部材が得られることを特徴とする窒化金属部材の製造方法。
【請求項7】
前記高エネルギービームは、700nm以下の波長をもつパルスレーザである請求項6に記載の窒化金属部材の製造方法。
【請求項8】
前記照射工程は、隣接して発振するパルス光による照射域を部分的に重畳させつつ、前記被処理部へ前記パルスレーザを照射する工程である請求項7に記載の窒化金属部材の製造方法。
【請求項9】
前記照射工程は、前記パルス光の照射域が重畳する割合であるパルスラップ率が10〜90%である請求項8に記載の窒化金属部材の製造方法。
【図2】
【図4】
【図9】
【図10】
【図11】
【図1】
【図3A】
【図3B】
【図5A】
【図5B】
【図6】
【図7】
【図8】
【図4】
【図9】
【図10】
【図11】
【図1】
【図3A】
【図3B】
【図5A】
【図5B】
【図6】
【図7】
【図8】
【公開番号】特開2013−87351(P2013−87351A)
【公開日】平成25年5月13日(2013.5.13)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2011−231350(P2011−231350)
【出願日】平成23年10月21日(2011.10.21)
【出願人】(000003609)株式会社豊田中央研究所 (4,200)
【Fターム(参考)】
【公開日】平成25年5月13日(2013.5.13)
【国際特許分類】
【出願日】平成23年10月21日(2011.10.21)
【出願人】(000003609)株式会社豊田中央研究所 (4,200)
【Fターム(参考)】
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