説明

糖化合物の質量分析法

【課題】糖タンパク質などに由来する、N-グリコシルアミンを有する糖化合物の質量分析計における検出感度を高める。
【解決手段】N-グリコシルアミンを有する糖化合物中の水酸基及びアミノ基をメチル化する工程と、メチル化工程で得られた糖化合物の還元末端のアノマー炭素に結合したメチル化されたアミノ基を選択的に酸加水分解してヘミアセタール水酸基又はヘミケタール水酸基に変換する工程と、酸加水分解工程で得られた糖化合物を標識化合物により標識する工程と、を含むことを特徴とする、N-グリコシルアミンを有する糖化合物の、質量分析法における検出感度を高める方法に関する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、N-グリコシルアミンを有する糖、糖鎖等の糖化合物の、質量分析法における検出感度を高める方法、及び質量分析法に関する。
【背景技術】
【0002】
生体の組織や体液中に存在する糖鎖は、癌などの疾患の進展に伴い、その構造や量が変化することが示唆されている。このことから、新たな診断マーカーとしての糖鎖の可能性が注目されている。しかし、生体試料から抽出できる糖鎖は微量であるため、診断マーカーとして有用な糖鎖を見出すためには、糖鎖の高感度の検出が可能な分析法が必要である。
【0003】
近年、急速に進歩した質量分析計は、高感度、高スループットであり、タンパク質およびペプチド性の診断マーカーの探索に盛んに利用されている。ところが、糖鎖はペプチドに比べ質量分析における感度が極めて低いため、質量分析計を用いてもマーカー候補となりえる微量な糖鎖分子を見落とす可能性が高い。そのため、糖鎖の感度を向上させるための工夫がなされてきた。それは大きく二つに分類できる。一つは、糖鎖の水酸基をすべてメチル化する完全メチル化法である(非特許文献1、2)。完全メチル化法は、親水性物質である糖鎖を疎水性物質に変換することにより質量分析計における感度を向上させるものである。もう一つは、糖鎖の還元末端に蛍光標識化剤や電荷を有する標識化剤を付与することにより感度を向上させる標識化法である (特許文献1、2)。
【0004】
生体試料から糖タンパク質のアスパラギン結合型糖鎖を調製する場合には、Nグリカナーゼを用いて酵素的に糖鎖をタンパク質から遊離させる方法が利用される。この際、酵素反応の生成物はアスパラギン由来のアミノ基が糖鎖の還元末端に結合した、グリコシルアミンを有する糖鎖である。通常グリコシルアミンは水溶液中では不安定であり、容易に加水分解されて遊離糖鎖となるが、pHや反応時間をコントロールすることにより、初期生成物であるグリコシルアミンを検出することができる。そこで、このグリコシルアミンのアミノ基にFmoc基を導入し、Fmocの蛍光検出を利用したHPLCにおける糖鎖分析の報告もある。なお、Fmoc基はアミノ基の保護基であるため、分析終了後は容易に脱保護できる(特許文献3)。また、N-グリコシルアミンを有する糖鎖は糖タンパク質や糖脂質から遊離した遊離糖鎖を炭酸水素アンモニウムや炭酸アンモニウムと反応させることにより調製することもできる(非特許文献3、4)。
【0005】
【特許文献1】特開2004-317398号公報
【特許文献2】特開2005-291958号公報
【特許文献3】特開2006−38674号公報
【非特許文献1】Analytica Chimica Acta, 576, 147, 2006.
【非特許文献2】J. Biochem. 55, 205, 1964.
【非特許文献3】Carbohydrate Research, 146, c1, 1986.
【非特許文献4】Bioconjugate Chemistry, 6, 316, 1995.
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
これらのいずれの手法においても、マーカー候補となる糖鎖分子を質量分析計で検出するのに充分な感度は得られない。二つの手法(完全メチル化法、標識化法)を組み合わせることによって、さらに感度を向上させることが期待できるが、はじめに完全メチル化してしまうと、還元末端のヘミアセタール水酸基又はヘミケタール水酸基もメチル化されるため、標識化剤を付与することができなくなる。一方、高感度標識化剤を付与した後、完全メチル化を行うと、完全メチル化の際の強アルカリ条件により、高感度標識化合物や糖鎖との結合部位の化学構造が分解される。したがって、質量分析計を用いて従来よりもさらに高感度に糖鎖を検出するため、この二つの手法を組み合わせることができる手法はなかった。
【課題を解決するための手段】
【0007】
本発明者らは、N-グリコシルアミンを有する糖化合物の水酸基及びアミノ基をメチル化し、メチル化後の糖化合物中の還元末端のアノマー炭素に結合したメチル化されたアミノ基を選択的に酸加水分解してヘミアセタール水酸基又はヘミケタール水酸基に変換し、次いで、糖化合物の還元末端のアルデヒド基又はケトン基を標識することにより、質量分析法での検出感度が高められた糖化合物が得られることを見出し、本発明を完成するに至った。本発明は以下の発明を包含する。
【0008】
(1)N-グリコシルアミンを有する糖化合物の、質量分析法における検出感度を高める方法であって、
前記糖化合物中の水酸基及びアミノ基をメチル化するメチル化工程と、
メチル化工程で得られた糖化合物の還元末端のアノマー炭素に結合したメチル化されたアミノ基を選択的に酸加水分解してヘミアセタール水酸基又はヘミケタール水酸基に変換する酸加水分解工程と、
酸加水分解工程で得られた糖化合物を、アルデヒド基もしくはケトン基を標識する標識化合物、又は水酸基を標識する標識化合物により標識する標識工程と
を含むことを特徴とする前記方法。
【0009】
(2)N-グリコシルアミンを有する糖化合物の質量分析計による分析方法であって、
前記糖化合物中の水酸基及びアミノ基をメチル化するメチル化工程と、
メチル化工程で得られた糖化合物の還元末端のアノマー炭素に結合したメチル化されたアミノ基を選択的に酸加水分解してヘミアセタール水酸基又はヘミケタール水酸基に変換する酸加水分解工程と、
酸加水分解工程で得られた糖化合物を、アルデヒド基もしくはケトン基を標識する標識化合物、又は水酸基を標識する標識化合物により標識する標識工程と
標識工程により得られた標識化糖化合物を質量分析計により分析する工程と、
を含むことを特徴とする前記方法。
【0010】
(3)糖タンパク質のN-結合型糖鎖の分析方法であって、
糖タンパク質からN-結合型糖鎖を、還元末端にN-グリコシルアミンを有する糖鎖として遊離させる遊離工程と、
遊離された糖鎖中の水酸基及びアミノ基をメチル化するメチル化工程と、
メチル化工程で得られた糖鎖の還元末端のアノマー炭素に結合したメチル化されたアミノ基を選択的に酸加水分解してヘミアセタール水酸基に変換する酸加水分解工程と、
酸加水分解工程で得られた糖鎖を、アルデヒド基を標識する標識化合物、又は水酸基を標識する標識化合物により標識する標識工程と
標識工程により得られた標識化糖鎖を質量分析計により分析する工程と、
を含むことを特徴とする前記方法。
【0011】
(4)糖化合物の質量分析計による分析方法であって、
糖化合物をN-グリコシルアミンを有する糖化合物に変換するアミノ化工程と、
アミノ化工程で得られたN-グリコシルアミンを有する糖化合物中の水酸基及びアミノ基をメチル化するメチル化工程と、
メチル化工程で得られた糖化合物の還元末端のアノマー炭素に結合したメチル化されたアミノ基を選択的に酸加水分解してヘミアセタール水酸基又はヘミケタール水酸基に変換する酸加水分解工程と、
酸加水分解工程で得られた糖化合物を、アルデヒド基もしくはケトン基を標識する標識化合物、又は水酸基を標識する標識化合物により標識する標識工程と
標識工程により得られた標識化糖化合物を質量分析計により分析する工程と、
を含むことを特徴とする前記方法。
【0012】
(5)N-グリコシルアミンを有する糖化合物中の水酸基及びアミノ基をメチル化することができるメチル化試薬と、
N-グリコシルアミンを有する糖化合物の還元末端のアノマー炭素に結合したメチル化されたアミノ基を選択的に酸加水分解してヘミアセタール水酸基又はヘミケタール水酸基に変換することができる酸加水分解試薬と、
アルデヒド基もしくはケトン基を標識する標識用試薬、又は水酸基を標識する標識化合物と
を少なくとも備える、N-グリコシルアミンを有する糖化合物の、質量分析法における検出感度を高めるためのキット。
【0013】
(6)糖タンパク質からN-結合型糖鎖を、還元末端にN-グリコシルアミンを有する糖鎖として遊離させるための酵素と、
還元末端にN-グリコシルアミンを有する前記糖鎖中の水酸基及びアミノ基をメチル化することができるメチル化試薬と、
還元末端にN-グリコシルアミンを有する前記糖鎖の還元末端のアノマー炭素に結合したメチル化されたアミノ基を選択的に酸加水分解してヘミアセタール水酸基に変換することができる酸加水分解試薬と、
アルデヒド基を標識する標識用試薬、又は水酸基を標識する標識化合物と
を少なくとも備える、糖タンパク質のN-結合型糖鎖の分析用キット。
【0014】
(7)糖化合物をN-グリコシルアミンを有する糖化合物に変換させるための試薬と、
N-グリコシルアミンを有する糖化合物中の水酸基及びアミノ基をメチル化することができるメチル化試薬と、
N-グリコシルアミンを有する糖化合物の還元末端のアノマー炭素に結合したメチル化されたアミノ基を選択的に酸加水分解してヘミアセタール水酸基又はヘミケタール水酸基に変換することができる酸加水分解試薬と、
アルデヒド基もしくはケトン基を標識する標識用試薬、又は水酸基を標識する標識化合物と
を少なくとも備える、糖化合物の分析用キット。
【発明の効果】
【0015】
本発明によれば、質量分析計における糖鎖検出について感度向上効果のあるメチル化処理と標識化処理の付与の両方を糖鎖に施すことが可能となり、糖鎖の高感度検出が可能となる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0016】
1. N-グリコシルアミンを有する糖化合物
「N-グリコシルアミンを有する糖化合物」としては、典型的には、N-グリコシルアミンの単糖、及び、N-グリコシルアミンを還元末端に有する糖鎖が挙げられる。N-グリコシルアミンは、どのような糖に由来するものであってもよく、例えば、N-アセチル-D-グルコサミン、N-アセチル-D-ガラクトサミン、D-グルコース、D-ガラクトース、D-マンノース、L-フコース、D-グルクロン酸、L-イズロン酸、N-アセチル-ノイラミン酸、N-グリコリル-ノイラミン酸等の糖においてヘミアセタール水酸基又はヘミケタール水酸基がアミノ基により置換されたものが挙げられる。
【0017】
N-グリコシルアミンを有する糖化合物は、コチェトコフアミネーション(非特許文献3,4)などの処理により、糖化合物のヘミアセタール水酸基又はヘミケタール水酸基をアミノ基に置換することにより調製することも可能である。このようにして調製された、N-グリコシルアミンを有する糖化合物もまた本発明の方法による分析対象に含まれる。
【0018】
本発明の方法の対象となる、N-グリコシルアミンを有する糖化合物として、糖タンパク質のN-結合型糖鎖(例えばアスパラギン結合型糖鎖)を、酵素を用いて、還元末端にN-グリコシルアミンを有する糖鎖として遊離させたものを使用することが好ましい。酵素としてはN-グリカナーゼなどが用いられる。N-グリカナーゼとして、ペプチドN-グリカナーゼF(PNGaseF)、ペプチドN-グリカナーゼA(PNGaseA)等が使用できる。アスパラギン結合型糖鎖の遊離の反応スキームの一例を以下に模式的に示す。
【0019】
【化1】

【0020】
N-グリカナーゼによる糖タンパク質からの糖鎖の遊離反応は、長くとも8時間以内、好ましくは2時間以内で完結するように過剰量のペプチドN-グリカナーゼを使用することが好ましい。またN-グリコシルアミンはpH8.8以上で安定であることから、酵素反応は好ましくはpH8〜9、より好ましくはpH8.6の条件下において行う。また、無水状態においてN-グリコシルアミンは安定であるため、酵素反応終了後は直ちに除タンパク処理を行い、次いで減圧乾燥等の方法により乾燥させることが好ましい。典型的なN-グリカナーゼ処理は次のような手順により行う。
【0021】
アンモニアを添加した20mMのリン酸緩衝液(pH8.6)中に糖タンパク質を溶解し、PNGaseFを加えて37℃で2時間反応を行う。反応後はただちに固相抽出カートリッジ(OASIS HLB、ウォーターズ社製)に供しpH9.0のリン酸緩衝液を用いてタンパク質を除いた後、濾液をガラスバイアルに集め、ただちに減圧下で乾燥させる。
【0022】
2. メチル化工程
メチル化工程は、前記糖化合物中の水酸基及びアミノ基をメチル化する工程である。メチル化工程では糖化合物上の全ての水酸基及びアミノ基をメチル化することが好ましい。糖化合物上の全ての水酸基及びアミノ基をメチル化することは特に「完全メチル化」とよばれる。このとき、N-グリコシルアミンのアノマー炭素上のアミノ基はN,N-ジメチルアミンに、水酸基はメチルエーテルにそれぞれ変換される。メチル化反応の反応スキームの一例を以下に模式的に示す。
【0023】
【化2】

【0024】
メチル化法としては、糖化合物上の水酸基及びアミノ基をメチル化できる方法であれば特に限定されず、公知の方法が採用できる。完全メチル化のための好ましい方法としては、水酸化ナトリウムとヨウ化メチルを用いる方法(非特許文献1)とメチルスルフィニルカルボアニオン塩とヨウ化メチルを用いる方法(非特許文献2)が知られているが、どちらを用いてもよい。前者の方法では、典型的には、1%の水を含むジメチルスルホキシドに水酸化ナトリウムを加えメノウ乳鉢上ですりつぶし泥状にしたものを、乾燥した糖鎖に加え、その後、添加した泥状物質と同程度の体積のヨウ化メチルを加え15分間振とうさせることで完全メチル化を行う。水酸化ナトリウムに代えて水酸化リチウムを用いても良い。後者の方法では、典型的には、乾燥したジメチルスルホキシドに水素化ナトリウムを加えてメチルスルフィニルカルボアニオン塩の溶液を作成し、乾燥した糖鎖に添加し室温で4時間攪拌する。その後、25℃以下に冷やした後、ヨウ化メチルを加えることで完全メチル化を行う。
【0025】
3. 酸加水分解工程
酸加水分解工程は、メチル化工程後の上記糖化合物のアノマー炭素に結合したメチル化されたアミノ基を選択的に酸加水分解してヘミアセタール水酸基又はヘミケタール水酸基に変換する工程である。酸加水分解工程の反応スキームの一例を以下に模式的に示す。
【0026】
【化3】

【0027】
酸条件下において、水酸基から誘導されたメチルエーテルは安定であるのに対して、メチル化されたアミノ基は不安定であることから、メチル化工程後の上記糖化合物を酸処理すると、アノマー炭素に結合したメチル化されたアミノ基が選択的に加水分解され、ヘミアセタール水酸基又はヘミケタール水酸基に変換される。
【0028】
酸加水分解のための条件としては、水溶液中で行うことも可能だが、有機溶媒と水の混合溶媒中で行うことが好ましい。利用できる酸としては、具体的には、ギ酸、酢酸、塩酸、トリフルオロ酢酸、トリクロロ酢酸、クエン酸、シュウ酸、乳酸、リン酸、リンゴ酸、硝酸、硫酸などが挙げられる。この中でも特に好ましい酸はギ酸、酢酸、塩酸である。有機溶媒としては、水を溶解できるものであればよく、具体的にはアセトニトリル、メタノール、ジオキサン、アセトン、ジエチルエーテル、ジメチルスルホキシド、ジメチルアセタミド、ジメチルホルムアミドなどが利用できる。特にアセトニトリル、メタノール、ジオキサンが好適に利用できる。酸加水分解条件は、以上の酸と有機溶媒と水の組み合わせであれば好ましく可能であるが、特に好ましくは、50%アセトニトリル2%酢酸、もしくは50%アセトニトリル 1%塩酸に完全メチル化グリコシルアミンを溶解し、50℃30分間の条件で酸加水分解を行う。
【0029】
4. 標識工程
標識工程は、酸加水分解工程で得られた上記糖化合物を、アルデヒド基もしくはケトン基を標識する標識化合物、又は水酸基を標識する標識化合物により標識する工程である。上記の酸加水分解工程により、上記糖化合物の還元末端に水酸基及びアルデヒド基もしくはケトン基が形成されることから、標識化が可能となる。
【0030】
標識化合物としては、糖鎖の還元末端のアルデヒド基もしくはケトン基を標識するための、蛍光標識化剤(特許文献1等)や、電荷を有する標識化剤(特許文献2等)のほか、アルデヒドもしくはケトンと反応し易いヒドラジド類、ヒドロキシルアミン類、アニリン類などの、従来公知の標識化合物が挙げられる。具体的には、ジラール試薬T、ジラール試薬P、フェニルヒドラジン、ピレンヒドラジド、ピレンブチルヒドラジド、Cy3-ヒドラジド、Cy5-ヒドラジド、Fmocヒドラジド、N-アミノアセチル-トリプトフィル(アルギニンメチルエステル)、7-ジエチルアミノクマリン-3-カルボン酸ヒドラジド、ビオチンヒドラジド、ビオチン-(AC5)2-ヒドラジド、ビオチン-LC-ヒドラジド、カスケード・ブルー・ヒドラジド、DMEQ-ヒドラジド、テキサス・レッド・ヒドラジド、ビオチン-AC5-ヒドラジドなどが利用できる。標識方法としては、標識化剤と酸加水分解工程で得られた上記糖化合物を有機溶媒に溶解することで行うことができる。この際に触媒量の酸を添加してもよいし、加熱を加えてもよい。利用できる有機溶媒は、標識化剤と酸加水分解工程で得られた上記糖化合物を共に溶解できるものであれば特に限定されないが、アセトンなどケトン基を有する溶媒は不適当である。好ましくはアセトニトリル、メタノール、ジオキサン、ジエチルエーテル、ジメチルスルホキシド、ジメチルアセタミド、トルエン、クロロホルム、ジクロロメタン、ジクロロエタンが挙げられる。触媒として酸を加える場合には、弱酸が好ましい。具体的にはギ酸、酢酸、クエン酸、シュウ酸、安息香酸などが挙げられる。加熱を行う場合は、40℃〜150℃、好ましくは50℃〜90℃、より好ましくは60℃〜80℃で行う。
【0031】
また別の種類の標識化合物としては、糖鎖の還元末端の水酸基を標識するための、蛍光標識化剤や、電荷を有する標識化剤のほか、水酸基と反応し易い酸ハロゲン化物類、ハロゲン化アルキル類、クロロギ酸エステル類などの、従来公知の標識化合物が挙げられる。具体的には、DMEQ-COCl、クロロギ酸ベンジル、スルホローダミン(Sulforhodamine)101 スルホニルクロリドなどが利用できる。
【0032】
5. 質量分析
上記の手順によりメチル化及び標識化がされた糖化合物を質量分析法により分析する。
質量分析計は、マトリクス支援レーザー脱離イオン化方式、エレクトロスプレーイオン化方式を備えるものであればどのような形式のものでも利用できる。好ましくは、マトリクス支援レーザー脱離イオン化方式を備える質量分析計、具体的にはMALDI-TOF型、MALDI-FT-ICR型、MALDI-Q-TOF型、MALDI-QIT-TOF型、MALDI-TOF/TOF型などが利用できる。
【0033】
6. キット
本発明はまた、N-グリコシルアミンを有する糖化合物の、質量分析法における検出感度を高めるためのキット、糖タンパク質のN-結合型糖鎖の分析用キット、及び糖化合物の分析用キットに関する。
【0034】
糖タンパク質からN-結合型糖鎖を、還元末端にN-グリコシルアミンを有する糖鎖として遊離させるための酵素としては、N-グリカナーゼが挙げられる。
【0035】
N-グリコシルアミンを有する糖化合物中の水酸基及びアミノ基をメチル化することができるメチル化試薬としては、メチルスルフィニルカルボアニオン塩とヨウ化メチルとの組合せもしくは、1%の水を含むジメチルスルホキシドに水酸化ナトリウムを溶かした溶液又は懸濁させた液とヨウ化メチルとの組合せが例示できる。
【0036】
N-グリコシルアミンを有する糖化合物の還元末端のアノマー炭素に結合したメチル化されたアミノ基を選択的に酸加水分解してヘミアセタール水酸基又はヘミケタール水酸基に変換することができる酸加水分解試薬としては、有機溶媒と水の混合溶媒中に酸を添加したものが好ましい。利用できる酸としては、具体的には、ギ酸、酢酸、塩酸、トリフルオロ酢酸、トリクロロ酢酸、クエン酸、シュウ酸、乳酸、リン酸、リンゴ酸、硝酸、硫酸などを用いることが可能である。この中でも特に好ましい酸はギ酸、酢酸、塩酸である。有機溶媒としては、水を溶解できるものであれば特に限定されないが、具体的にはアセトニトリル、メタノール、ジオキサン、アセトン、ジエチルエーテル、ジメチルスルホキシド、ジメチルアセタミド、ジメチルホルムアミドなどが利用できる。好ましくは、アセトニトリル、メタノール、ジオキサンが利用できる。特に好ましくは、2%の酢酸を含む50%アセトニトリル溶液、もしくは1%塩酸を含む50%アセトニトリル溶液が例示される。
【0037】
アルデヒド基もしくはケトン基を標識する標識用試薬としては、ジラール試薬T, ジラール試薬P, フェニルヒドラジン、ピレンヒドラジド、ピレンブチルヒドラジド、Cy3-ヒドラジド、Cy5-ヒドラジド、Fmocヒドラジド、N-アミノアセチル-トリプトフィル(アルギニンメチルエステル)、7-ジエチルアミノクマリン-3-カルボン酸ヒドラジド、ビオチンヒドラジド、ビオチン-(AC5)2-ヒドラジド、ビオチン-LC-ヒドラジド、カスケード・ブルー・ヒドラジド、DMEQ-ヒドラジド、テキサス・レッド・ヒドラジド、ビオチン-AC5-ヒドラジドが例示されるがこれらに限定されない。
【0038】
水酸基を標識する標識化合物としては、ハロゲン化アルキル類、クロロギ酸エステル類などが例示されるがこれらに限定されない。
【0039】
糖化合物をN-グリコシルアミンを有する糖化合物に変換させるための試薬としては、炭酸水素アンモニウム、炭酸アンモニウムなどが例示されるがこれらに限定されない。
【実施例】
【0040】
以下の反応スキームに沿って、完全メチル化及び標識化を施した糖鎖を調製した。
【0041】
【化4】

【0042】
(グリコシルアミンの調製)
特許文献3の方法に従い、牛由来アシアロフェツインからグリコシルアミンを含む混合物を調製した。簡単に説明すると、牛由来アシアロフェツイン(60μg)を20 mMリン酸緩衝液(pH 8.0)にアンモニアを加えてpH8.6に調製した溶液に溶解し、その溶液にアスパラギンのアミノ基と糖鎖の結合を加水分解する酵素であるペプチドN-グリカナーゼF(PNGaseF)溶液(1U/mL)を25 μL添加し、37℃にて2時間、放置した。その後、固相抽出カートリッジ(Oasis HLB: Waters)にて反応液を20mM リン酸緩衝液(pH9.0)1mLを用いてろ過し、ろ液をガラスバイアルに集め、減圧下にて濃縮乾燥した。
【0043】
(完全メチル化)
1%の水を含むジメチルスルホキシド200 μLに水酸化ナトリウム(300 mg)を添加し、メノウ乳鉢上でよくすり潰して得られた泥状物の25 μLをグリコシルアミン混合物を含むガラスバイアル中に加えた。さらに、25 μLのヨウ化メチルを加え、室温で15分間、振とうした。その後、1 mLの水を反応液に加えた後、100% 酢酸にて反応液のpHを4-6に調整し、10分間静置した。ついで、固相抽出カートリッジ(Oasis HLB)を用いて生成物を固相担体に吸着させ、水でよく洗浄後、80% アセトニトリルにて溶出した。得られた溶液を減圧下にて濃縮乾燥した。
【0044】
(酸加水分解)
完全メチル化されたグリコシルアミン混合物を50% アセトニトリル水溶液の2% 酢酸溶液に溶解し、50℃にて30分間静置したのち、減圧下にて濃縮乾燥した。
【0045】
(標識化剤の付与)
得られた残渣を、95% アセトニトリル水溶液の5% 酢酸溶液に溶解したGirard’s Reagent T(1 mg/mL)溶液(10 μL)に溶解し、80℃にて1時間静置した。
【0046】
(質量分析計による検出)
マトリックス支援レーザー脱離イオン化 飛行時間型質量分析計(MALDI-TOF MS)用のターゲットプレートに0.5 μLのマトリクス溶液(2,5-dihydroxy benzoic acid, 10 mg/mL in 30% EtOH)を滴下し、風乾した。得られたマトリクスの結晶上に、上述のように標識化剤とともに加熱混合したグリコシルアミン誘導体の0.5 μLを重層し、乾燥後、MALDI-TOF MSにて質量分析スペクトルを測定した。
【0047】
(対照実験)
従来の完全メチル化法で得られる糖誘導体との質量分析計における感度の比較を行うため、出発原料である糖タンパク質の量をそろえて、本発明の方法と従来の完全メチル化法によりそれぞれ修飾を行い、得られた修飾物をそれぞれ段階的に希釈して感度の比較を行った。牛由来アシアロフェツイン60μgからPNGaseFによって遊離させた糖鎖を従来法によって完全メチル化した。得られた完全メチル化糖鎖を50μlのアセトニトリルに溶解し、この溶液を基準として100倍希釈、1000倍希釈した溶液のそれぞれ0.5μlをMALDIプレートに乗せて質量分析スペクトルを測定した。
【0048】
(結果)
図1に示すスペクトルは対照実験において、300レーザーショットの積算により得られたものであり、上段が100倍希釈、下段が1000倍希釈の溶液から得られたスペクトルである。図2は、牛由来アシアロフェツイン60μgから本発明の方法によってGirard’s Reagent Tで標識化されたメチル化糖鎖誘導体を50μlのアセトニトリルに溶解し、この溶液を基準として100倍希釈、1000倍希釈した溶液のそれぞれ0.5μlをMALDIプレートに乗せて質量分析スペクトルを測定したものである。図2に示すスペクトルは300レーザーショットの積算により得られたものであり上段が100倍希釈、下段が1000倍希釈の溶液から得られたスペクトルである。図1のm/z 2519と図2のm/z 2596のシグナルはともにアシアロフェツイン上の主要な糖鎖である3本鎖N-グリカン(NA3)に由来するものである。対照実験において通常の方法で完全メチル化した糖鎖は1000倍希釈ではほとんど見えていないが(図1下段)、本方法を用いて修飾を行った標識化完全メチル化糖鎖ははっきりとスペクトルを確認することができた(図2下段)。このように標識化剤を付与された完全メチル化糖鎖の質量分析における感度上昇を確認できた。
【図面の簡単な説明】
【0049】
【図1】従来の完全メチル化法で得られる糖誘導体の質量分析スペクトルを示す。
【図2】本発明の方法により得られた糖誘導体の質量分析スペクトルを示す。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
N-グリコシルアミンを有する糖化合物の、質量分析法における検出感度を高める方法であって、
前記糖化合物中の水酸基及びアミノ基をメチル化するメチル化工程と、
メチル化工程で得られた糖化合物の還元末端のアノマー炭素に結合したメチル化されたアミノ基を選択的に酸加水分解してヘミアセタール水酸基又はヘミケタール水酸基に変換する酸加水分解工程と、
酸加水分解工程で得られた糖化合物を、アルデヒド基もしくはケトン基を標識する標識化合物、又は水酸基を標識する標識化合物により標識する標識工程と
を含むことを特徴とする前記方法。
【請求項2】
N-グリコシルアミンを有する糖化合物の質量分析計による分析方法であって、
前記糖化合物中の水酸基及びアミノ基をメチル化するメチル化工程と、
メチル化工程で得られた糖化合物の還元末端のアノマー炭素に結合したメチル化されたアミノ基を選択的に酸加水分解してヘミアセタール水酸基又はヘミケタール水酸基に変換する酸加水分解工程と、
酸加水分解工程で得られた糖化合物を、アルデヒド基もしくはケトン基を標識する標識化合物、又は水酸基を標識する標識化合物により標識する標識工程と
標識工程により得られた標識化糖化合物を質量分析計により分析する工程と、
を含むことを特徴とする前記方法。
【請求項3】
糖タンパク質のN-結合型糖鎖の分析方法であって、
糖タンパク質からN-結合型糖鎖を、還元末端にN-グリコシルアミンを有する糖鎖として遊離させる遊離工程と、
遊離された糖鎖中の水酸基及びアミノ基をメチル化するメチル化工程と、
メチル化工程で得られた糖鎖の還元末端のアノマー炭素に結合したメチル化されたアミノ基を選択的に酸加水分解してヘミアセタール水酸基に変換する酸加水分解工程と、
酸加水分解工程で得られた糖鎖を、アルデヒド基を標識する標識化合物、又は水酸基を標識する標識化合物により標識する標識工程と
標識工程により得られた標識化糖鎖を質量分析計により分析する工程と、
を含むことを特徴とする前記方法。
【請求項4】
糖化合物の質量分析計による分析方法であって、
糖化合物をN-グリコシルアミンを有する糖化合物に変換するアミノ化工程と、
アミノ化工程で得られたN-グリコシルアミンを有する糖化合物中の水酸基及びアミノ基をメチル化するメチル化工程と、
メチル化工程で得られた糖化合物の還元末端のアノマー炭素に結合したメチル化されたアミノ基を選択的に酸加水分解してヘミアセタール水酸基又はヘミケタール水酸基に変換する酸加水分解工程と、
酸加水分解工程で得られた糖化合物を、アルデヒド基もしくはケトン基を標識する標識化合物、又は水酸基を標識する標識化合物により標識する標識工程と
標識工程により得られた標識化糖化合物を質量分析計により分析する工程と、
を含むことを特徴とする前記方法。
【請求項5】
N-グリコシルアミンを有する糖化合物中の水酸基及びアミノ基をメチル化することができるメチル化試薬と、
N-グリコシルアミンを有する糖化合物の還元末端のアノマー炭素に結合したメチル化されたアミノ基を選択的に酸加水分解してヘミアセタール水酸基又はヘミケタール水酸基に変換することができる酸加水分解試薬と、
アルデヒド基もしくはケトン基を標識する標識用試薬、又は水酸基を標識する標識化合物と
を少なくとも備える、N-グリコシルアミンを有する糖化合物の、質量分析法における検出感度を高めるためのキット。
【請求項6】
糖タンパク質からN-結合型糖鎖を、還元末端にN-グリコシルアミンを有する糖鎖として遊離させるための酵素と、
還元末端にN-グリコシルアミンを有する前記糖鎖中の水酸基及びアミノ基をメチル化することができるメチル化試薬と、
還元末端にN-グリコシルアミンを有する前記糖鎖の還元末端のアノマー炭素に結合したメチル化されたアミノ基を選択的に酸加水分解してヘミアセタール水酸基に変換することができる酸加水分解試薬と、
アルデヒド基を標識する標識用試薬、又は水酸基を標識する標識化合物と
を少なくとも備える、糖タンパク質のN-結合型糖鎖の分析用キット。
【請求項7】
糖化合物をN-グリコシルアミンを有する糖化合物に変換させるための試薬と、
N-グリコシルアミンを有する糖化合物中の水酸基及びアミノ基をメチル化することができるメチル化試薬と、
N-グリコシルアミンを有する糖化合物の還元末端のアノマー炭素に結合したメチル化されたアミノ基を選択的に酸加水分解してヘミアセタール水酸基又はヘミケタール水酸基に変換することができる酸加水分解試薬と、
アルデヒド基もしくはケトン基を標識する標識用試薬、又は水酸基を標識する標識化合物と
を少なくとも備える、糖化合物の分析用キット。

【図1】
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【図2】
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【公開番号】特開2009−236600(P2009−236600A)
【公開日】平成21年10月15日(2009.10.15)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2008−81289(P2008−81289)
【出願日】平成20年3月26日(2008.3.26)
【国等の委託研究の成果に係る記載事項】(出願人による申告)平成19年度、独立行政法人新エネルギー・産業技術総合開発機構委託研究「健康安心プログラム/糖鎖機能活用技術開発」産業技術力強化法第19条の適用を受ける特許出願
【出願人】(301021533)独立行政法人産業技術総合研究所 (6,529)
【出願人】(000001993)株式会社島津製作所 (3,708)
【Fターム(参考)】