説明

脳血管障害又は心血管障害の診断及び治療薬

【課題】脳血管障害及び心血管障害の進展や程度を評価することができる新たなマーカー、当該マーカーを用いた脳血管障害及び心血管障害の予防治療薬のスクリーニング方法、並びに脳血管障害及び心血管障害の予防治療薬を提供する。
【解決手段】動物細胞における肝臓型脂肪酸結合蛋白の発現に対する被験物質の増強作用を検定することを特徴とする脳血管障害又は心血管障害の予防治療薬のスクリーニング方法。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、脳梗塞等に代表される脳血管又は心血管障害の診断法、治療薬のスクリーニング方法及び治療薬に関する。
【背景技術】
【0002】
脳梗塞(脳血栓及び脳塞栓)、一過性脳虚血発作等の虚血性脳血管障害、脳出血、くも膜下出血、硬膜下血腫等の出血性脳血管障害等の脳血管障害は、死亡率の上位を占めている。また、狭心症、心筋梗塞等の心血管障害もまた死亡率の上位を占めている。これらの脳・心血管障害の治療薬としては、主に血栓に対する治療、血管に対する治療等が主に用いられている。
【0003】
ところで、近年の国内外の疫学研究により、腎機能が生命予後や脳・心血管疾患(CVD)の発症に重大な影響を及ぼすことが明らかにされ、心不全、心筋梗塞患者、高齢者や一般住民などのコホート研究で確認されている。糸球体濾過率(GFR)の低下につれて死亡率が高くなるが、とくにGFR60mL/min未満で顕著になることが示されている(非特許文献1)。また、蛋白尿や微量アルブミン尿の存在も心血管事故死の強力な危険因子であることも明らかにされた(非特許文献2)。すなわち、腎機能障害又は尿異常の存在はCVDの重要な危険因子となっており、このような患者は腎死に至るよりも死亡する確率がはるかに高いことが明らかとなっている。そのため、腎疾患の治療は腎機能の悪化を抑制する従来の目的ばかりではなく、CVDの発症を抑制するといった側面を含んでいる。
【0004】
一方、腎臓は血流の豊富な臓器で、心拍出量の20%もの血流が随時供給されている。糸球体毛細血管には約50mmHgという、他の毛細血管とは比べ物にならないほどの高い圧力がかかっているため、全身の血管で何かしらの異常があれば、腎臓に最も早くその影響が現れるとされる。CVDの最も初期に現れるのは内皮機能の異常であり、微量アルブミン尿も内皮機能の異常を表現していると考えられる。微量アルブミン尿の存在が動脈硬化の進展をよく反映しているのは、そういった点に拠るところが大きい。近年慢性腎臓病(CKD)とCVDの相互作用を検討した報告があいつぎ、ごく最近では「心腎連関」や「脳腎連関」といった概念も提唱されている(非特許文献3)。微量アルブミン尿は内皮機能の異常を表現しているばかりではなく、CKDの状況が酸化ストレス、高血圧や炎症反応などの増悪を介して血管内皮細胞の機能障害や動脈硬化を促進し、動脈硬化の古典的危険因子とあいまってCVDを発症させると、一般的には理解されている。しかし、一方でCKDに特有に発生・増加する何らかのメディエーター(例えば、asymmetric dimethyl arginine; ADMAなど)がCVDの発症に直接関与するとの考えや、逆にCVDに関与する進展因子(例えば、交感神経など)や酸化ストレス関連物質が腎機能あるいは尿に反映している可能性も議論されている(非特許文献4)。
【0005】
また、脂肪酸結合蛋白(FABP;fatly acid binding protein)は、サイトゾルに存在し、脂肪酸と結合する能力を有する蛋白群であり、脂肪酸を細胞内に転送したり蓄積することによって代謝酵素系の調節に関与しているといわれている。このFABPのうち、肝臓型FABP(L−FABP)は、腎臓においては近位尿細管に分布しており、腎臓疾患の進行に関与している可能性があることが知られている(特許文献1)。しかし、当該L−FABPと脳・心血管障害との関連性については全く報告がない。
【特許文献1】特開2001−37486号公報
【非特許文献1】N Engl J Med 351; 1296, 2004
【非特許文献2】Am J Kidney Dis 43; S1, 2004
【非特許文献3】日本腎臓学会編: CKD診療ガイド(東京医学社発行)p26.
【非特許文献4】心腎相関の病態理解と診療(磯部光章、佐々木成 編、羊土社)
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
本発明の課題は、脳血管障害及び心血管障害の進展や程度を評価することができる新たなマーカー、当該マーカーを用いた脳血管障害及び心血管障害の予防治療薬のスクリーニング方法、並びに脳血管障害及び心血管障害の予防治療薬を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0007】
そこで本発明者は、ヒトL−FABP染色体遺伝子(遺伝子転写調節領域を含む)をマウスに導入したトランスジェニックマウス(ヒトL-FABP Tgマウス)を用い、脳梗塞モデルを作成し、脳の血管障害に及ぼす影響を検討したところ、全く意外にも、L−FABPを発現しない野生型マウスに比べて、L−FABP強発現マウスでは脳梗塞による死亡率が低下し、かつ脳梗塞巣の拡がりが顕著に抑制されたことを見出した。マウスなどのげっ歯類では、腎臓の近位尿細管には、L−FABPが発現していないことから、ヒトL−FABP Tgマウスは、近位尿細管のヒトL−FABPの発現を増強させた状態であり、これらの知見から、ヒトにおいてはL−FABPの発現が脳・心血管障害の程度や進展に深く関与しており、これを強く発現させる薬物は脳・心血管障害治療予防薬として有用であることを見出し、本発明を完成した。
【0008】
すなわち、本発明は、肝臓型脂肪酸結合蛋白の発現量を測定することを特徴とする脳血管障害又は心血管障害の程度又は進展の評価方法を提供するものである。
また本発明は、動物細胞における肝臓型脂肪酸結合蛋白の発現に対する被験物質の増強作用を検定することを特徴とする脳血管障害又は心血管障害の予防治療薬のスクリーニング方法を提供するものである。
さらに本発明は、近位尿細管細胞における肝臓型脂肪酸結合蛋白の発現を増強する作用を有する薬物を有効成分とする脳血管障害又は心血管障害の予防治療薬を提供するものである。
【発明の効果】
【0009】
本発明によれば、L−FABPの発現量、特に近位尿細管および尿におけるL−FABPの発現量を測定し、その経過を観察すれば脳・心血管障害の程度及び/又は進展を評価、診断することができる。また、動物の細胞、特に近位尿細管細胞におけるL−FABPの発現を増強する作用を有する薬物は、脳梗塞等の脳・心血管障害の治療に有用である。
【発明を実施するための最良の形態】
【0010】
本発明の評価方法、スクリーニング方法及び予防治療薬の対象とする疾患としては、脳血栓及び脳塞栓を含む脳梗塞、脳出血、くも膜下出血、硬膜下血腫、狭心症、心筋梗塞、もやもや病等が挙げられるが、このうち脳血管障害、特に脳梗塞を対象とするのが好ましい。
【0011】
本発明は、ヒトの疾患だけでなく、ヒト以外の哺乳動物にも適用できる。
【0012】
本発明において発現量を測定し、又は発現を増強する対象となるL−FABPは、ヒトにおいては肝臓から見出された蛋白であるが、近位尿細管においても発現していることが知られている。当該発現量は、蛋白質レベルで検出してもよいが、遺伝子(例えば、レポーターアッセイ)やmRNAレベルで検出してもよい。
【0013】
遺伝子発現をレポーターアッセイ法で測定する場合、具体的には、例えば、L−FABP遺伝子の転写調節領域とその下流に連結されたレポーター遺伝子からなるDNA構成を調製し、これを適当な動物細胞に導入する。この細胞を、被験物質の存在下及び非存在下に培養した後、細胞抽出液中のレポーター蛋白質の活性などを測定することにより、発現量を定量し比較すればよい。
【0014】
L−FABPのアミノ酸配列や遺伝子配列は、ヒトのcDNA(Loweら、Journal of Biological Chemistry、第260巻、第3413−3417頁、1985年;Genbank/EMBL登録番号M10050)、ラットの染色体遺伝子(Sweetserら、Journal of Biological Chemistry、第261巻、第5553−5561頁、1986年;Genbank/EMBL登録番号M13501)などの配列情報が既知である。
【0015】
従って、L−FABPのcDNAや染色体遺伝子は、前記のような配列情報をもとにプライマーやプローブを設計し、PCR法、コロニーハイブリダイゼーション法、プラークハイブリダイゼーション法等を適宜組合せて、適当なDNAライブラリーから取得できる。
【0016】
レポーター構成及びこれを含むレポータープラスミドは、L−FABPの染色体遺伝子中の5’上流域に存在する転写調節領域と、適当なレポーター遺伝子を用いて、通常の遺伝子組換え技術により調製することができる。
【0017】
レポーター遺伝子は特に限定されないが、安定でかつ活性の定量的測定が容易な酵素の遺伝子などを用いることが好ましい。このようなレポーター遺伝子としては、β−ガラクトシダーゼ遺伝子(lacZ)、バクテリアトランスポゾン由来のクロラムフェニコールアセチルトランスフェラーゼ遺伝子(CAT)、ホタル由来のルシフェラーゼ遺伝子(Luc)等が挙げられる。
【0018】
遺伝子発現をmRNAレベルで検出する場合は、例えば細胞や組織から、RNA(mRNA)を抽出して、PCR法(Polymerase chain reaction method)(「PCR Protocols」Innis MA, Gelfad DH, Sninsky JJ and White TJ eds., Academic Press, Sandiego, 1990年)、RNA分解酵素プロテクションアッセイ法(RNase protection assay method)(Nucleic Acid Research、第12巻、第7035−7056頁、1984年)、あるいはノーザンブロット解析法などを利用して、L−FABP遺伝子から転写されたmRNAを検出定量すればよい。
【0019】
L−FABPの発現を蛋白質レベルで検出する場合には、例えば抗L−FABP抗体などを用いる免疫化学的方法(ELISA法、免疫組織染色法など)を用いることができる。あるいは、前記既知遺伝子配列情報に基づいて、cDNAを単離し、遺伝子組換え技術により調製して用いてもよい。
【0020】
本発明の脳血管障害等の程度又は進展の評価方法においては、例えば脳血管障害等の患者の近位尿細管あるいは尿におけるL−FABPの発現量を少なくとも2回以上測定し、その測定値が変化していれば脳血管障害等の改善傾向を評価することができる。特に、何らかの治療薬を投与した前後に測定すれば、その治療薬による治療効果を評価することができる。
【0021】
本発明のスクリーニング方法は、例えば動物細胞(哺乳動物の細胞又は組織など)を被験物質の存在下に培養し、細胞内でのL−FABPの発現量を、被験物質非存在下で培養した場合と比較することにより、被験物質のL−FABP発現増強作用を検定すればよい。あるいは、動物個体に被験物質を投与し、近位尿細管組織や細胞などにおけるL−FABPの発現を非投与の場合と比較することにより、被験物質のL−FABP発現増強作用を検定してもよい。
【0022】
被験物質の存在下又は投与例でのL−FABP発現量が高かった場合に、被験物質は、L−FABP増強作用を有すると判定され、脳血管障害予防治療薬として有用であると期待できる。L−FABP発現増強作用の強い被験物質を選別し候補とすることにより、脳血管障害予防治療薬をスクリーニングすることができる。
【0023】
後記実施例で示すように、近位尿細管にL−FABPを強発現させると、脳梗塞の予防又は治療ができることから、L−FABP自体、又はL−FABP遺伝子を挙げることができる。
【0024】
本発明において、L−FABP発現増強作用を有する薬物を動物個体あるいはヒトに投与する場合には、経口、静脈内、筋肉内、皮下などいずれの投与形態を用いてもよい。投与形態に応じた不活性な担体と共に、必要に応じては製剤化して用いることもできる。投与量は、投与方法や個体の年齢、体重、疾患の程度などによって異なるが、通常、1日当たり、経口投与の場合は、1〜300mg/kg、非経口投与の場合には、0.01〜50mg/kgの範囲で設定される。
【実施例】
【0025】
次に実施例を挙げて本発明を詳細に説明するが、本発明は何らこれに限定されるものではない。
【0026】
参考例(L−FABP Tgマウスの作成)
受精卵への遺伝子導入:
ヒトL−FABP蛋白の全翻訳領域と遺伝子転写調節領域を含む、ヒトL−FABP染色体遺伝子を導入したトランスジェニックマウス(hL−FABP−Tgマウス)を作製するため、13週齢以上のBCF1系マウスを不妊交配用及び自然交配用に、10週齢以上のICR系マウスを胚移植用及び里親用に、8週齡以上のBCF1マウスを採卵用にそれぞれ用いた。採卵用雌マウスにPMSG(帝国臓器、妊馬血清性性腺刺激ホルモン)およびhCG(帝国臓器、ヒト絨毛性性腺刺激ホルモン)を腹腔内投与し、過剰排卵誘発後、交配用雄マウスと交配後、受精卵を得た。導入DNA溶液を調整後、卵への遺伝子導入は、受精卵前核に導入遺伝子1,000コピー/plを注入し、偽妊娠雌マウスの卵管内へ移植した。 これにより得られるトランスジェニックマウス(B6C3F1系)について、BALB/cAマウスと戻し交配を行い、hL−FABP−Tgマウスを作製した。
【0027】
ヒトL-FABP遺伝子導入マウスの判別:
ヒトL-FABP遺伝子導入マウスの判別は、genomic PCRにより判定した。3週齡のマウスの尾からProteinase K処理(メルク)によってgenomic DNAを精製した。各マウスのgenomic DNAを下記primerを用いてgenomic PCRを行い、遺伝子導入の有無を判定した。
プライマー DNA配列
g-1 5'- CTATTCGAAGGGAAGGGAGC -3'(配列番号1)
g-2 5'- CAATAGAGCTCCCTCTTCAC -3'(配列番号2)
【0028】
実施例1
10〜12週齢のL-FABP Tgマウス (Tg)(N=38)及び野生型マウス(WT)(n=14)を用い、吸入麻酔下で左中大脳動脈をナイロン糸栓子による60分閉塞を行った後、再灌流を施行した。 再灌流3および7日後に脳を取り出し、経時的にTTC染色にて梗塞巣のサイズを検討した。
【0029】
作成後、早期からいずれのマウスにおいても片側性の重症の麻痺を認めた。一般的にこのモデルでは、経時的に症状は重篤化し、体重減少を伴い高率に死亡する。図1に示すように、WTでは第7病日で約6割の個体が死亡する。一方、WTに比べて、Tgでは明らかに生命予後が改善していることが判明した(Tg vs. WT:day 1, 97.4 vs. 85.7, day 3, 96.4 vs. 80.0, day 7, 71.4 vs. 40.0%)。
【0030】
脳組織損傷の程度を確認するため、TTC(2,3,5-triphenyltetrazolium chloreide)染色を行った。TTC染色によれば、損傷を受けた組織は染色されず、健康な組織のみ染色される。
方法としては、再灌流後3及び7日後にマウスの脳を1mmずつスライスし(coronal brain sections)、0、2%のTTC溶液(10mL)の中で、20分間(室温)反応させた。 図2に示すように、野生型の脳と比較して、L-FABP Tgマウスの梗塞巣(白い部分)が大幅に減少していることが確認でき、Tgマウスにおける脳浮腫を伴う梗塞巣の拡がりが、WTに比べて極端に抑制され、重症化を免れたことによると考えられた。
本発明のTgマウスにおけるL−FABPは、近位尿細管にのみ選択的に発現していることから、近位尿細管上にL−FABPを強発現させることにより、脳梗塞の拡がりを極端に抑制することができることがはじめて示された。
【図面の簡単な説明】
【0031】
【図1】L−FABP Tgマウス(Tg)及び野生型マウス(WT)における重度脳梗塞モデルの生存率を示す図である。
【図2】L−FABP Tgマウス(Tg)及び野生型マウス(WT)の脳梗塞巣(斜線部)を示す図である。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
肝臓型脂肪酸結合蛋白の発現量を測定することを特徴とする脳血管障害又は心血管障害の程度又は進展の評価方法。
【請求項2】
発現量の測定が、尿中の肝臓型脂肪酸結合蛋白量の測定である請求項1記載の評価方法。
【請求項3】
動物細胞における肝臓型脂肪酸結合蛋白の発現に対する被験物質の増強作用を検定することを特徴とする脳血管障害又は心血管障害の予防治療薬のスクリーニング方法。
【請求項4】
動物細胞が、近位尿細管細胞である請求項3記載のスクリーニング方法。
【請求項5】
近位尿細管細胞における肝臓型脂肪酸結合蛋白の発現を増強する作用を有する薬物を有効成分とする脳血管障害又は心血管障害の予防治療薬。
【請求項6】
脳血管障害又は心血管障害が、脳梗塞及びもやもや病から選ばれるものである請求項5記載の予防治療薬。

【図1】
image rotate

【図2】
image rotate


【公開番号】特開2010−96618(P2010−96618A)
【公開日】平成22年4月30日(2010.4.30)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2008−267287(P2008−267287)
【出願日】平成20年10月16日(2008.10.16)
【出願人】(502285457)学校法人順天堂 (64)
【Fターム(参考)】