説明

蛍光マイクロピペット

【課題】蛍光標識された神経細胞をパッチクランプ法で解析する場合などにおいて、蛍光標識された標的細胞とピペットの両方を蛍光顕微鏡下で同時に観察するための手段を提供する。
【解決手段】先端部に細孔を有する例えばガラス製のマイクロピペットであって、少なくとも先端部が蛍光物質で被覆されたマイクロピペット。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、蛍光顕微鏡の視野内など励起光の照射下で蛍光を発するマイクロピペットに関する。
【背景技術】
【0002】
脳は様々なタイプの神経細胞の集合ダイナミクスによって作動しているため、その機構を解明するためには、特定の神経細胞の活動を選択的に記録することが不可欠である。そのための代表的な手法としてパッチクランプ法が知られている。この手法は先端に細孔の空いたガラス製の微細電極の先端部分に特定の細胞の細胞膜を顕微鏡下で貼り付け、電位差や伝導性などの電気的特性からイオンチャネルなどの性質を調べる手法である。例えば、脳スライス標本において微分干渉コントラスト顕微鏡やドットコントラスト顕微鏡を用いて特定の神経細胞を同定し、ホールセル記録を行うことができる。この技術は樹状突起からのパッチクランプ記録にも応用可能である。
【0003】
一方、近年の遺伝子工学の進歩により神経細胞特異的に蛍光タンパク質を発現させることができるようになっている。この手法によれば、細胞種や細胞位置、細胞の発達、あるいは活性依存的に神経細胞を特異的に蛍光標識することが可能であり、神経細胞を生きた状態で可視化できることから、この手法は特に電気生理学や神経科学などの分野において極めて強力な武器となっている(J. Neurosci., 20, pp.3354-3356, 2000; Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 99, pp.12438-12443, 2002)。
【0004】
しかしながら、パッチクランプ記録用のガラス電極は無蛍光であることから、蛍光標識された神経細胞をパッチクランプ法で解析する際には、まず蛍光顕微鏡下において神経細胞を同定した後、透過光顕微鏡や微分干渉顕微鏡下での観察に切り替えて細胞と電極を同時に観察し直す必要があり、蛍光から可視光への顕微鏡視野の切り替え時に光学収差が原因となって蛍光下で同定した神経細胞を可視光下で再同定することが極めて困難になるという問題がある。このため、上記の手法は高度に熟練したごくわずかなエキスパートのみが利用しているのが現状である。
【0005】
パッチクランプ法において電極を可視化するためにガラス電極内に蛍光分子溶液を入れて操作を行う方法が考えられるが、この方法では蛍光標識された神経細胞が陽圧を負荷された電極から噴射する蛍光色素により光学的に隠蔽されてしまうため実用性がない。この問題を回避するために、ガラス電極と神経細胞を異なる励起波長を持つ蛍光色素で可視化する方法も提案されているが(Neuron, 39, pp.911-918, 2003)、異なる波長を有する蛍光を検出するためには複数の光学チャネルを用いることが必要となることから、光学システムが複雑かつ高価になるという問題があり、さらには異なる波長の蛍光像を重ね合わせる前に色収差の補正が必要になるという問題も生じる。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0006】
【非特許文献1】J. Neurosci., 20, pp.3354-3356, 2000
【非特許文献2】Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 99, pp.12438-12443, 2002
【非特許文献3】Neuron, 39, pp.911-918, 2003
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
本発明の課題は、例えば蛍光標識された神経細胞をパッチクランプ法で解析する場合などにおいて、蛍光標識された標的細胞とピペットの両方を蛍光顕微鏡下で同時に観察するための手段を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0008】
本発明者らは上記の課題を解決すべく鋭意検討し、例えば蛍光標識された神経細胞をパッチクランプ法で解析するに際して、電極として使用するピペットを蛍光物質で被覆することにより、蛍光標識された標的細胞とピペットの両方を蛍光顕微鏡下で同時に観察することができると考えた。本発明者らはさらに研究を行い、例えば蛍光分子を共役させたアルブミンなどの蛋白質で被覆したガラス製ピペットをパッチクランプ用電極として使用すると、蛍光標識された標的細胞とピペットの両方を蛍光顕微鏡下で同時に観察することができ、神経細胞の同定と当該神経細胞への電極の固定を蛍光顕微鏡の同一視野内で行うことができ、高度の熟練を要することなく極めて簡便かつ迅速にパッチクランプ法を行うことができることを見出した。また、蛍光物質で被覆されたマイクロピペットを蛍光顕微鏡下における遺伝子注入や細胞内物質の採取、細胞ラベル、細胞分離、薬物適用などに利用することができることも見出した。本発明は上記の知見を基にして完成されたものである。
【0009】
すなわち、本発明により、先端部に細孔を有するマイクロピペットであって、少なくとも先端部が蛍光物質で被覆されたマイクロピペットが提供される。
【0010】
上記発明の好ましい態様によれば、ガラス製である上記のマイクロピペット;先端部の外側が蛍光物質で被覆された上記のマイクロピペット;先端部の内側が蛍光物質で被覆された上記のマイクロピペット;先端部の内側及び外側が蛍光物質で被覆された上記のマイクロピペット;ピペット内液が蛍光物質で満たされていない上記のマイクロピペット;蛍光物質が蛍光標識されたペプチド又は蛋白質である上記のマイクロピペット;蛍光標識された蛋白質が蛍光標識されたアルブミンである上記のマイクロピペット;先端部の細孔が円形である上記のマイクロピペット;電気生理学研究用に用いる上記のマイクロピペットが提供される。
【0011】
別の観点からは、上記のマイクロピペットを用いて蛍光顕微鏡下において蛍光標識された対象物を操作する方法が提供される。
【0012】
この発明の好ましい態様によれば、対象物が蛍光標識された細胞又は組織である上記の方法;対象物が蛍光標識された細胞、好ましくは神経細胞である上記の方法;ガラス製のマイクロピペットを用いる上記の方法;パッチクランプ法により電気的特性を測定する上記の方法が提供される。
【発明の効果】
【0013】
本発明により提供されるマイクロピペットを用いると、蛍光標識された対象物とマイクロピペット先端部を蛍光顕微鏡下において同一視野内に確認することができる。例えば、神経細胞をパッチクランプ法で解析する場合などにおいて、蛍光標識された標的細胞とマイクロピペット先端部の両方を蛍光顕微鏡下で同時に観察することができる。従って、蛍光から可視光への顕微鏡視野の切り替えが不必要になり、蛍光下で同定した神経細胞を可視光下で再同定する操作も不要になることから、熟練を要せずに簡便かつ迅速にパッチクランプ法を行うことができる。また、本発明のマイクロピペットを用いると、蛍光標識された対象物と同じ波長を用いて蛍光顕微鏡下での観察が可能になることから、色収差の影響を受けずに複雑な光学システムも不要になるという優れた利点がある。
【図面の簡単な説明】
【0014】
【図1】蛍光被覆ガラス電極の外観を示した図である。A.対照電極及び蛍光被覆電極の尖頭部の可視光像(上:transmitted)及び蛍光画像(下:fluorescent); B.対照電極(左)及び蛍光被覆電極(右)の尖頭部の走査型電子顕微鏡画像; C.蛍光被覆を行う前後の電極抵抗の比較を示す。図Cにおける灰色の線は個々の電極を示し、黒い記号は試験した全30個の電極の平均値±標準偏差を示す。
【図2】蛍光被覆電極による標的パッチクランプ記録の結果を示した図である。A.Thy1-GFPマウスの海馬CA3領域中のGFP陽性ニューロンを蛍光電極の標的とし(左)、-90 mVでホールセルクランプを行い、それにより自発的興奮性シナプス入力を記録した結果(右); B.Alexa Fluor 488を通常のパッチクランプ電極を通じてCA1錐体細胞の細胞体中に注入して樹状分枝を可視化し、先端樹状突起を蛍光電極の標的として(左)、それにより細胞体で自発的に発生する活動電位に続く活動電位の逆伝播をモニターした結果(右); 及びC.Alexa Fluor 488をCA3錐体細胞の細胞体中に注入して、軸索にパッチクランプ電極を接着させ(左)、それによりその場の伝導性活動電位を記録した結果(右)を示す。
【発明を実施するための形態】
【0015】
本発明により提供されるマイクロピペットは、先端部に細孔を有するマイクロピペットであって、少なくとも先端部が蛍光物質で被覆されていることを特徴としている。
【0016】
マイクロピペットの形状は特に限定されないが、典型的には細管状又はテーパー状(円錐形)などの形状を有していることが好ましい。細管又は円錐形などのマイクロピペットは直線的に伸長していてもよいが、曲線的な部分や折れ曲がり部分などを有していてもよい。先端部の細孔の形状も特に限定されないが、一般的には円形、楕円形、多角形などの断面形状を有していることが好ましい。細孔は通常は先端部に1個設けられていればよいが、複数の細孔が存在していても差し支えない。
【0017】
細孔の大きさは特に限定されないが、例えば円形の細孔を有する場合には直径が0.1〜50μm程度、好ましくは0.5〜20μm程度であり、例えばパッチクランプ用に用いるマイクロピペットでは0.5〜5μm程度の孔径を採用することができるが、上記のサイズに限定されることはない。マイクロピペットの全長も特に限定されず、パッチクランプ用や遺伝子注入用などの目的に応じて適宜の長さを選択することができる。
【0018】
マイクロピペットを構成する部材は特に限定されず、無機材料、有機高分子材料、金属材料などを利用することができ、それらを適宜組み合わせた複合材料を用いることもできる。無機材料としてはガラスなどが好ましく、有機高分子材料としてはアクリルポリマーなどのプラスチック材料、好ましくはプラスチックガラスなど用いることができるが、これらに限定されることはない。マイクロピペットを構成する部材は透明であることが好ましいが、必要に応じて半透明又は不透明の部材を部分的又は全体に用いることもできる。本発明のマイクロピペットをパッチクランプ法に用いる場合には、透明ガラス製のマイクロピペットであることが好ましい。
【0019】
本発明のマイクロピペットは、少なくとも先端部が蛍光物質で被覆されているが、被覆は先端部の外側又は内側のいずれか一方、あるいは外側及び内側の両方に設けることができる。マイクロピペットの内側に貯留する溶液を汚染したくない場合、例えばパッチクランプ法に用いる場合などには外側のみの被覆が好ましい場合があり、一方、組織の深いところに細胞がある場合にはマイクロピペットを組織内へ挿し込んで標的細胞にアクセスする必要があるが、この操作を行う際に外側の被覆が剥離する可能性があることから、このような場合には内側に被覆を設けることが好ましい。例えば、組織深部に存在する細胞への遺伝子注入、細胞の分離、又は細胞への薬物適用などの場合には内側の被覆が好ましい場合がある。パッチクランプ用など電気生理学実験用に用いるマイクロピペットなどについては、神経細胞などの細胞に対する蛍光物質の影響を最大限回避するために、マイクロピペットの内液は蛍光物質で満たされていないことが好ましい。マイクロピペットは蛍光顕微鏡視野下においてピペット先端部が確認できるように少なくとも先端部分が蛍光物質で被覆されている必要があるが、必要に応じてピペット全体が蛍光物質で被覆されていてもよい。
【0020】
蛍光物質の種類は特に限定されず、低分子蛍光化合物のほか高分子蛍光物質や緑色蛍光タンパク質(green fluorescent protein:GFP)などの蛋白質を用いることもできる。また、低分子蛍光化合物で標識された生体材料、例えば低分子蛍光化合物で標識された蛋白質、脂質、又は糖類などを用いてもよい。低分子蛍光化合物を用いて被覆を行う場合には、一般的にはバインダーを用いてマイクロピペット先端部に蛍光化合物の被膜を形成することができる。バインダーの種類は特に限定されないが、マイクロピペット部材に対して親和性を有する有機高分子バインダーなどを用いることができ、そのようなバインダーは当業者に適宜選択可能である。
【0021】
マイクロピペット部材としてガラスやアクリルポリマーのプラスチックガラスを用いる場合には、蛍光物質として低分子蛍光化合物で標識された蛋白質やペプチドなどを用いることにより、バインダーを使用することなくマイクロピペット先端部を蛍光物質で被覆することができる。例えば、血清アルブミンはガラスやアクリルポリマーに対して高い接着性を有しているので、低分子蛍光化合物で標識された血清アルブミンを用いると簡便にマイクロピペット先端部を被覆することができる。一般的にはマイクロピペットを被覆してから使用するまでの時間は特に制限されることはないが、低分子蛍光化合物で標識された蛋白質を用いる場合などにはマイクロピペットの被覆は使用直前に行うことが好ましい場合がある。
【0022】
低分子蛍光化合物で標識された血清アルブミンとしては、例えば、Alexa Fluor 488などの低分子蛍光化合物で標識されたウシ血清アルブミン(BSA)が市販されている(例えばBSA-Alexa 488; A-13100、インヴィトロジェン)ので、このような蛍光物質を入手して使用することも好ましい。上記の蛍光物質を用いてマイクロピペットの先端部を被覆し、操作の対象物をGFPで標識することにより、蛍光顕微鏡下の同一視野内でマイクロピペット先端部と操作対象物を異なる蛍光色で可視化することができるので、この態様は本発明において特に好ましい態様である。
【0023】
例えばガラス製のマイクロピペット先端部を低分子蛍光化合物で標識された血清アルブミンで被覆する場合には、適宜の濃度となるように該血清アルブミンの水溶液、生理食塩水溶液、又は緩衝液溶液などを調製し、被覆すべきマイクロピペットの先端部を上記溶液に適宜の時間にわたり浸漬すればよい。パッチクランプ用など電気生理学実験用に用いるマイクロピペットなどを製造する場合には、ピペット内部が該血清アルブミンで被覆されないように、上記の操作を行うにあたりピペット内部に生理食塩水や緩衝液などを充填しておき、必要に応じてマイクロピペットの先端部から生理食塩水や緩衝液を少しずつ排出させながら該血清アルブミン溶液に浸漬すると外壁のみを被覆することができる。血清アルブミン溶液に浸漬しながら該溶液をマイクロピペットに吸引すると外側及び内側の両方を被覆することができる。また、マイクロピペット内部に血清アルブミン溶液を充填して、必要に応じてマイクロピペットの先端部から該溶液を少しずつ排出させることにより、マイクロプペットの内側のみを被覆することができる。このようにして、用途に応じてマイクロピペットの外側のみ、内側のみ、又は外側と内側の両方の被覆を形成して使い分けることができる。その際、マイクロピペットには適宜の電荷を印加しておくこともできる。マイクロピペット先端部を被覆する蛍光物質の量や被膜の厚さなども特に限定されないが、蛍光顕微鏡視野内で蛍光標識された対象物とマイクロピペット先端部の蛍光強度に大きな差が生じないように適宜選択することが好ましい。
【0024】
本発明のマイクロピペットの用途は特に限定されないが、一般的には、蛍光顕微鏡下において蛍光標識された対象物を操作するために使用することができる。対象物は蛍光標識されているものであれば特に限定されないが、例えば、細胞や組織などのほか、リポソームなどの脂質膜構造体、マイクロビーズ、ゲルなどの人工物を対象とすることができる。好ましくは蛍光顕微鏡下において蛍光標識された細胞や組織などを操作するために用いることができる。細胞や組織を蛍光標識する方法は特に限定されないが、例えば低分子の蛍光プローブを細胞内に取り込ませる方法や、GFPやその誘導体などを遺伝子工学的に特異的に特定の細胞に発現させるなどの手法により蛍光標識することが可能である。
【0025】
本発明のマイクロピペットの好ましい用途として電気生理学などにおける研究用途を挙げることができ、特に好ましい用途としてパッチクランプ法により神経細胞などの細胞の電気的特性を測定する方法を挙げることができる。パッチクランプ法としては全細胞記録法(conventional法及びperforated法)と単一チャネル法(cell-attached法、inside-out法、及びoutside-out法)が利用可能であるが、本発明のマイクロピペットはいずれの方法にも適用可能である。パッチクランプ法の適用範囲も特に限定されず、培養細胞や組織切片、好ましくは培養神経細胞や神経組織切片への適用、シナプス前終末、樹状突起、又は軸索などの神経細胞の微小部分領域などへの適用、あるいは生体に対しての直接適用、例えば生体における脳組織や脊髄への適用などを挙げることができるが、これらに限定されることはない。
【0026】
また、本発明のマイクロピペットは、幹細胞や胚細胞などの培養や遺伝子操作などの発生技術、遺伝子注入や核除去などの細胞内注入技術、又は細胞質又は核の融合などの細胞融合技術などを包含する細胞工学の分野において利用することもできる。本発明のマイクロピペットは、標識細胞を分別したり、該細胞に色素や薬物を注入あるいは局所適用することにも利用できる。
【実施例】
【0027】
以下、実施例により本発明をさらに具体的に説明するが、本発明の範囲は下記の実施例に限定されることはない。
例1
(1)材料と方法
(a)培養脳スライス
海馬スライス培養系は、小山らの方法(Pharmacological Sciences, 104, pp.191-194, 2007)に従って、生後7日齢ウィスター/STラット(SLC)から調製した。仔ラットを冷却して脳を摘出し、25 mMグルコースを加えた通気氷冷下のGey緩衝塩類溶液(インヴィトロジェン)中でDTK-1500ビブラトーム(堂阪)を用いて水平に300μm厚スライスに切断した。嗅内−海馬基部をOmniporeメンブレンフィルター(JHWP02500、φ25mm;ミリポア)上で10-14日間培養した。培養は、5% CO2及び37℃の加湿インキュベータ中で50%最少必須培地、25%ハンクス液(インヴィトロジェン)、25%ウマ血清(セル・カルチャー・ラボラトリー)、及び抗生物質からなる培地1mlを用いて行い、培地は3.5日毎に交換した。
【0028】
(b)急性脳スライス
ビブラトーム(ビブラトーム3000;ビブラトーム・カンパニー)を使用して、少数のCA3ニューロン中に膜を標的とする緑色蛍光タンパク質(GFP)を発現する生後10-12日齢のThy1-GFPマウス(Nature Neuroscience, 6, pp.491-500, 2003)から400μm厚の水平方向スライスを調製した。マウスはエーテルで深麻酔し、直ちに断首した。その後すぐ(30分以内に)脳を単離し、27 mM NaHCO3、1.4 mM NaH2PO4、2.5 mM KCl、0.5 mMアスコルビン酸、7.0 mM MgSO4、1.0 mM CaCl2及び222 mMスクロースからなる氷冷スクロースベース人工脳脊髄液(aCSF)中に入れた。aCSFは95% O2及び5% CO2で連続的にバブリングした。ミクロフォーセプで軟髄膜を注意深く除去し、解剖後、海馬スライスを127 mM NaCl、26 mM NaHCO3、3.5 mM KCl、1.24 mM KH2PO4、1.4 mM MgSO4、1.2 mM CaCl2及び10 mMグルコースからなるaCSF中に通気で室温下に90分間置いた。以下の実験の間、各スライスの同じ面を上向きに維持した。
【0029】
(c)電気生理学的記録
スライス標本を記録チャンバー中に設置し、2-3 ml/分のaCSFで灌流した。CA3錐体ニューロンについてMultiClamp 700B増幅器及びpCLAMP 9又は10ソフトウェアで制御されるDigidata 1320A又は1440ディジタイザー(モレキュラー・ディバイシーズ)を用いてホールセル記録を行った。パッチ電極は、P-97水平プラー(サッター・インスツルメンツ)を用いてボロシリケイトガラスチューブ(CG-1.5、ケン・エンタープライズ)から引き、電極尖頭部はMF-830マイクロフォージ(ナリシゲ、東京、日本)でヒートポリッシュした。ホールセル記録を行うために、電極(細胞体用5-8 MΩ、樹状突起用12-18 MΩ)に135 mM グルコン酸カリウム、4 mM KCl、10 mM HEPES、10 mMホスホクレアチン二ナトリウム、4 mM Mg-ATP及び0.3 mM Na2-GTP(pH 7.2)からなる内部溶液を充填した。これらの外部及び内部溶液を用いると、GABAAレセプタを介した電流の逆転電位は -90 mVと計算された。軸索からルーズ接着記録をするために、ボロシリケイトガラス電極(12-18 MΩ)にaCSFを充填した。信号は、2kHzで低域フィルター処理し、20kHzでデジタル化した。実験を数回行い、電極尖頭部を走査型電子顕微鏡(5000×;S-4800、日立)で評価した。
【0030】
(d)視覚的画像化
蛍光被覆電極は落射蛍光顕微鏡や二光子レーザー顕微鏡でも可視化できるが、オンライン画像化という観点からニポウ式ディスク型共焦点顕微鏡を用いることが好適である。CA3錐体ニューロンの蛍光画像をニポウ式ディスク型共焦点ユニット(CSU-X1、横河電機)、冷却CCDカメラ(iXon DV897、DCS-BV、アンドール)、16×又は40×水浸型対物レンズ(開口数 0.80、ニコン)、及びソリス画像取得ソフトウェア(アンドール)を用いて、毎秒10フレームで取得した。蛍光体はアルゴン・レーザー(5-10 mW、HPU50101、古川電気)を用いて488 nmで励起し、507 nmのロングパス発光フィルターで可視化した。神経突起をトレースするために、40μM Alexa Fluor 488ヒドラジド(A-10436、インヴィトロジェン)を含む通常のパッチクランプ電極を用いてCA3錐体細胞のホールセル記録を行った。
【0031】
(e)蛍光物質による電極の被覆
ガラス製電極をAlexa Fluor 488を共役したBSA(BSA-Alexa; A-13100、インヴィトロジェン)で被覆した。BSA-Alexaの非特異的吸着を防ぐために、調製及び貯蔵に使用したプラスチックチップ及びチューブは全て0.1% BSA(A-4161、シグマ−アルドリッチ)で予め洗浄した。BSA-Alexa及びNaN3(ナカライテスク)をそれぞれ0.02%及び3 mMの最終濃度になるように0.1 Mのリン酸緩衝食塩水中に溶解した。
【0032】
使用直前に電極に内部溶液を再び充填し、電極に50-60 hPaの陽圧を負荷した状態で尖頭部を5-10秒間、1.5 mlの試験管中のBSA-Alexa溶液に浸した。この処置により確実に上記電極は共焦点顕微鏡下で蛍光的に可視化された(図1A)。電子顕微鏡での観察から、上記被覆がガラス表面上の汚れやしみなどを形成しないことも確認した(図1B)。さらに、被覆により電極抵抗に顕著な変化は生じなかった(図1C)。
【0033】
(f)蛍光電極によるパッチクランプ記録
被覆電極がパッチクランプ記録の質に影響を及ぼすかどうかを調べるために、培養スライス中のCA3錐体細胞について対照電極及び蛍光体被覆電極を用いてホールセル記録を行った。膜容量(Cm)、膜抵抗(Rm)及び直列抵抗(Rs)を測定したところ、対照電極と蛍光被覆電極の間にはこれらのパラメーターに統計的な差は認められなかった(表1)。表中、Cm:膜容量、Rm:膜抵抗、Rs:直列抵抗を示し、データは11個の対照電極及び13個の蛍光体被覆電極の平均値±標準偏差を示す。
【0034】
【表1】

【0035】
蛍光電極を使用した3つの例を図2に示す。まず、Thy1-GFPマウスから海馬急性スライスを調製し、蛍光顕微鏡でCA3錐体細胞を可視化した(図2A)。共焦点ライブイメージングの間、同じ視野内でGFP発現ニューロンを蛍光電極と同時にモニターし、それによってオンラインによる視覚的な制御によりそれらを容易に標的にすることができた。図2Aの右図は蛍光体被覆電極を用いてGFP発現CA3錐体細胞中に記録された自発的興奮性シナプス後電流の代表的トレースを示す。
【0036】
さらに、上記の蛍光電極は、樹状突起(図2B)及び軸索(図2C)のような神経突起からのパッチクランプ記録にも使用することができた。これらの例ではAlexa Fluor 488が細胞体を通じて錐体細胞中にロードされて神経突起が可視化され、すなわちこれが共焦点モニタリングにより蛍光電極の標的となった。先端樹状突起及び軸索中に伝播した自発的活動電位の代表的なトレースを図2B及び2Cの右図にそれぞれ示す。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
先端部に細孔を有するマイクロピペットであって、少なくとも先端部が蛍光物質で被覆されたマイクロピペット。
【請求項2】
ガラス製である請求項1に記載のマイクロピペット。
【請求項3】
先端部の内側及び/又は外側が蛍光物質で被覆された請求項1又は2に記載のマイクロピペット。
【請求項4】
蛍光物質が蛍光標識された蛋白質である請求項1ないし3のいずれか1項に記載のマイクロピペット。
【請求項5】
パッチクランプ用電極として用いる請求項1ないし4のいずれか1項に記載のマイクロピペット。
【請求項6】
請求項1ないし5のいずれか1項に記載のマイクロピペットを用いて蛍光顕微鏡下において蛍光標識された対象物を操作する方法。
【請求項7】
対象物が蛍光標識された細胞又は組織である請求項6に記載の方法。
【請求項8】
対象物が蛍光標識された神経細胞である請求項7に記載の方法。
【請求項9】
パッチクランプ法により電気的特性を測定する請求項8に記載の方法。

【図1】
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【図2】
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【公開番号】特開2011−160726(P2011−160726A)
【公開日】平成23年8月25日(2011.8.25)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−27141(P2010−27141)
【出願日】平成22年2月10日(2010.2.10)
【国等の委託研究の成果に係る記載事項】(出願人による申告)平成21年度 独立行政法人 科学技術振興機構、戦略的創造研究推進事業、産業技術力強化法第19条の適用を受ける特許出願
【出願人】(504137912)国立大学法人 東京大学 (1,942)
【Fターム(参考)】