被覆種子の製造方法、栽培方法及び被覆種子
【課題】苗立ちが低下しにくい被覆種子の製造方法及び栽培方法、ならびに被覆種子を提供する。
【解決手段】硫黄成分を含まない結合材又は結合促進剤を用いて、被覆資材を種子に被覆させる被覆工程を含み、上記結合材又は結合促進剤は、モリブデン資材及びタングステン資材からなる群より選択される少なくとも1つを含む。
【解決手段】硫黄成分を含まない結合材又は結合促進剤を用いて、被覆資材を種子に被覆させる被覆工程を含み、上記結合材又は結合促進剤は、モリブデン資材及びタングステン資材からなる群より選択される少なくとも1つを含む。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、被覆種子の製造方法、栽培方法及び被覆種子に関する。
【背景技術】
【0002】
米は世界三大穀物の1つであり、イネは日本において最も作付面積が広い重要な作物である。現在の日本で行われている一般的な稲作は、育苗箱に種子を播いて生長させた苗を本田に植えるため、諸外国の稲作と比べてコスト高であり、コスト削減が望まれている。また、農家の高齢化が進んでおり、省力化も求められている。このように、稲作のコスト削減及び省力化を実現する観点から、イネの種子を本田に直接播種する直播が注目されている。
【0003】
直播において、湛水せずに土壌の水分が少ない水田に種子を播種する乾田直播では苗立ちは安定しているが、湛水及び代かきの後の水田に種子を播種する湛水直播では苗立ちが不安定になりやすい。湛水土壌中における生育不良の原因は、一般に、酸素不足であるとされている。そして、非特許文献1には、土壌中の酸素が無くなったのちに酸素の代わりに電子を受け取る物質が消費される土壌還元が原因であることが記載されている。さらに、非特許文献1には、土壌還元がもたらすいくつかの現象のうち、直播における生育不良の主要な要因は、土壌還元で生成する有機酸及び二価鉄であると考えられることが記載されている。
【0004】
このような直播における生育不良を改善するために、湛水直播では、例えば、播種前に種子の表面を酸素発生剤等で被覆することによって、種子の酸素不足や土壌還元を抑制し、苗立ちを改善している(非特許文献2)。
【0005】
また、湛水土壌中に播種することを諦めて、鳥害と浮遊を避けるために鉄等を被覆した種子を土壌の表面に播種する方法の普及が進んでいる(特許文献1)。この方法は、比重が大きくかつ安価な鉄を種子に被覆し、錆を形成させて固着させる。形成された被覆層は強いため、剥離しにくく、また播種後の鳥害を受けにくい。また、種子に適度な重量を付加することができるので、風などの影響を受けずに種子を飛ばすことが容易となり、播種の作業性が増すとともに、播種後に浮いたり流されたりしにくくなる。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0006】
【特許文献1】特開2005−192458(2005年7月21日公開)
【非特許文献】
【0007】
【非特許文献1】萩原素之、石川県農業短期大学特別研究報告第20号、「水稲の湛水土壌中直播における出芽・苗立ちに関する研究」、1993年3月
【非特許文献2】農林水産省第9回検討会資料1、「米の直播技術等の現状」、p.13、2008年3月(http://www.maff.go.jp/j/study/kome_sys/09/pdf/data1.pdf)
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
乾田直播の苗立ちは安定しているが、乾田直播を行えるのは、代かきしなくても水が溜まる水田に限られる。また、乾田直播では、水や肥料が抜けやすく、雑草が繁茂しやすいという問題や、雨が続く場合には遂行不可能であり、かつ肥料成分が流れやすく、周辺環境の富栄養化という問題も生じる。
【0009】
また、従来、湛水直播において、苗立ち向上のために種子を酸素発生剤で被覆する場合には、充分な効果を得るために非常に多量の酸素発生剤で被覆する必要があり、コスト及び労力が増大するという問題がある。
【0010】
また、湛水直播において、鉄を被覆した種子を土壌の表面に播種する方法では、種子が土壌中に沈んでしまった場合には苗立ちしにくくなるという問題がある。
【0011】
また、鉄のみを被覆した場合には錆の形成が遅い。したがって、被覆する際の作業性を高めるため、錆が形成されるまで形を保ちかつ錆の形成を促進する資材として、安価な石膏(厳密には、水和数が少ない焼石膏を使用し、水和すると2水和物の石膏になる)が用いられている。ところが、石膏を添加すると錆の形成が強く促進され、鉄の酸化による発熱が大きくなるため、被覆後の種子をまとめておくと、高温になって種子が枯死してしまう。このため、例えば鉄の被覆後に速やかに種子を薄く広げるなど、確実かつ迅速に作業する必要性があり、また、冷却場所の確保の必要性がある。また、不手際によって高温となり枯死するという危険性が付きまとうため、被覆処理後の発芽の確認が必要となっている。
【0012】
さらに、水稲種子は、予め30℃ほどのぬるま湯などに浸けて芽を出させておくと、播種後の生育が速くかつ苗立ちが安定することが知られている。しかし、出芽した種子は高温に対してより弱くなるため、鉄の酸化による高温に耐えられず枯死しやすい。そのため、鉄の被覆を行なう場合には、予め十分な催芽を行なうことができないという問題がある。
【0013】
本発明は、上記の従来技術が有する問題に鑑みてなされたものであり、その第1の目的は、苗立ちが低下しにくい被覆種子の製造方法及び栽培方法、ならびに被覆種子を提供することにある。また、本発明の第2の目的は、種子に鉄を被覆する場合に、鉄の酸化による発熱を抑制し、かつ安価で硬い被覆層を形成することができる被覆種子の製造方法及び栽培方法、ならびに被覆種子を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0014】
本発明者らは、上記課題を解決するために鋭意検討を行い、まず、酸素発生剤、鉄等で種子を被覆する際に結合材(結合促進剤を含む。以下同様。)として通常用いられている石膏に、苗立ち低下作用があることを見出した。すなわち、湛水土壌、過湿土壌等では、石膏に含まれる硫酸イオンから生成された硫化物イオンが種子の苗立ちを低下させる原因となっていることを見出した。
【0015】
また、本発明者らは、石膏の代わりに、又は併用して、結合材又は結合促進剤として特定の資材を用いることによって、苗立ちの低下を抑制できることを見出した。
【0016】
さらに、本発明者らは、鉄を被覆する場合、石膏の代わりに、又は併用して、特定の資材を用いることによって、容易に成型が可能となり、かつ発熱を伴う錆の形成を遅くすることができることを見出した。
【0017】
本発明者らは、以上の知見により本発明を完成させた。
【0018】
本発明に係る被覆種子の製造方法は、硫黄成分を含まない結合材又は結合促進剤を用いて、被覆資材を種子に被覆させる被覆工程を含み、上記結合材又は結合促進剤は、モリブデン資材及びタングステン資材からなる群より選択される少なくとも1つを含むことを特徴とする。本発明に係る被覆種子の製造方法では、上記被覆資材は、酸素発生剤及び鉄の少なくとも一方を含むことが好ましい。
【0019】
また、本発明に係る被覆種子の製造方法では、上記結合材又は結合促進剤は、酸化モリブデン、モリブデン酸とその塩、モリブドリン酸とその塩、モリブドケイ酸とその塩、タングストリン酸とその塩、タングストケイ酸とその塩、酸化タングステン、及びタングステン酸とその塩からなる群より選択される少なくとも1つであることが好ましい。
【0020】
また、本発明に係る被覆種子の製造方法では、上記種子は水稲の種子であることが好ましい。
【0021】
本発明に係る栽培方法は、上述した製造方法を用いて製造された被覆種子を農地に直接播種する播種工程を含むことを特徴とする。
【0022】
本発明に係る被覆種子は、種子と、上記種子を被覆する被覆層とを備えており、上記被覆層は、被覆資材と、上記被覆資材を上記種子の表面に結合させる、硫黄成分を含まない結合成分又は結合促進成分とを含み、上記結合成分又は結合促進成分は、モリブデン資材及びタングステン資材からなる群より選択される少なくとも1つを含むことを特徴とする。本発明に係る被覆種子では、上記被覆資材は、酸素発生剤及び鉄の少なくとも一方を含むことが好ましい。
【0023】
また、本発明に係る被覆種子では、上記結合成分又は結合促進成分は、酸化モリブデン、モリブデン酸とその塩、モリブドリン酸とその塩、モリブドケイ酸とその塩、タングストリン酸とその塩、タングストケイ酸とその塩、酸化タングステン、及びタングステン酸とその塩からなる群より選択される少なくとも1つであることが好ましい。
【0024】
また、本発明に係る被覆種子では、上記種子は水稲の種子であることが好ましい。
【発明の効果】
【0025】
本発明は、以上の構成によって、苗立ちが低下しにくい被覆種子の製造方法及び栽培方法、ならびに被覆種子を提供することができる。また、本発明は、種子に鉄を被覆する場合に、鉄の酸化による発熱を抑制し、かつ安価で硬い被覆層を形成させることができる被覆種子の製造方法及び栽培方法、ならびに被覆種子を提供することができる。
【図面の簡単な説明】
【0026】
【図1】石膏の付着量と水稲の苗立ち割合との関係を示すグラフである。
【図2】鉄被覆種子における石膏量と水稲の苗立ち割合との関係を示すグラフである。
【図3】石膏を使用しない場合の還元鉄の付着量と水稲の苗立ち割合との関係を示すグラフである。
【図4】鉄被覆種子におけるモリブデン資材の添加量と水稲の苗立ち割合との関係を示すグラフである。
【図5】種々のモリブデン資材又はタングステン資材と鉄とを混合して種子に被覆して作製した鉄被覆種子における、鉄の剥離性を示す図である。
【図6】鉄被覆種子に添加したモリブデン資材と水稲の苗立ち割合との関係を示すグラフである。
【図7】鉄被覆種子に添加したタングステン資材と水稲の苗立ち割合との関係を示すグラフである。
【図8】石膏のみを付着させた場合、及び石膏とモリブデン資材とを併用した場合の苗立ち割合を示すグラフである。
【図9】石膏とモリブデン資材とを混合して種子に被覆して作製した鉄被覆種子における、鉄の剥離性を示す図である。
【図10】鉄被覆において、石膏のみを混合した場合、及び石膏とモリブデン資材とを併用した場合の苗立ち割合を示すグラフである。
【図11】様々な鉄化合物の被覆において、石膏のみを混合した場合、及び石膏とモリブデン資材とを併用した場合の苗立ち割合を示すグラフである。
【図12】鉄被覆種子の表面温度の経時的変化を示すグラフである。
【図13】過酸化カルシウム被覆種子における石膏の量と水稲の苗立ち割合との関係を示すグラフである。
【図14】従来よりも少ない量の酸素発生剤を用いたときの水稲の苗立ち割合を示すグラフである。
【図15】過酸化カルシウム被覆種子におけるモリブデン資材の苗立ちに与える影響を示すグラフである。
【図16】過酸化カルシウム被覆種子におけるモリブデン資材の苗立ちに与える影響を示すグラフである。
【発明を実施するための形態】
【0027】
〔被覆種子〕
本発明に係る被覆種子(以下、「本発明に係る種子」ともいう。)は、種子と、種子を被覆する被覆層とを備えている。当該被覆種子は、少なくとも一時的に湛水状態となる条件で播種及び/又は出芽するものであることが好ましい。少なくとも一時的に湛水状態となる条件とは、水田、水耕等のような長期湛水状態のみならず、多雨等によって、一時的に湛水状態となる場合をも含む。
【0028】
また、本発明において「湛水直播用」とは、湛水状態の農地(培地、土壌又は土壌代替物を含む)に直接播種(直播)するために用いることを意味する。湛水状態の農地とは、例えば代かき後の水田、水耕培地、雨等によって湛水した畑等である。なお、「水田」とは、稲を栽培する耕地に限らず、水を引いて作物を栽培する耕地であればよい。
【0029】
本明細書中「種子」とは、湛水状態の水田等に種子を直播して栽培する作物、排水効率がよくない畑で栽培する作物、種子の重量が軽い作物、栽培後に何らかの機能を持たせるために農薬などの機能性資材を含む被覆層を設けることが好ましい作物、などの種子であってもよい。種子としては、例えば稲類、麦類、豆類、アブラナ科作物、ソバ類、牧草作物などの種子が挙げられる。なかでも、水稲の種子であることが好ましく、湛水直播用の水稲の種子であることがより好ましい。種子の重量が軽い作物の種子であれば、被覆種子とすることにより、一定の重量が増すため播種が容易になる。
【0030】
被覆層は、被覆資材を含む。また、被覆層は、硫酸塩又は硫酸イオン等の硫黄成分を含まないことが望ましい。
【0031】
「硫黄成分を含まない」とは、硫黄原子を含む成分を含まないことを意味する。硫黄原子を含む成分とは、例えば硫酸塩又は硫酸イオン等をさし、例えば硫酸カルシウム、硫酸マグネシウム、硫酸カリウム等が挙げられる。すなわち、本発明では、被覆層を構成する成分中に、例えば硫酸カルシウムを主成分とする石膏等が含まれないことが望ましい。
【0032】
被覆資材は、被覆層の主体となる資材である。被覆資材としては、例えば生育を促進する酸素発生剤、種子の重量又はかさを増すことができる鉄又は粘土等の資材が挙げられる。被覆資材は、酸素発生剤及び鉄の少なくとも一方を含むことが好ましい。被覆資材は、酸素発生剤と鉄との組合せであってもよい。
【0033】
種子が酸素発生剤を含む被覆資材によって被覆されることにより、種子の周囲における硫化物イオンの増加を抑制させることができ、種子の苗立ち低下を抑制することができる。酸素発生剤は、硫化物イオンの発生を抑制することによって硫化物イオンの増加を抑制させることができる。
【0034】
酸素発生剤は、硫酸イオンから硫化物イオンへの還元反応を抑制することにより、硫化物イオンの発生を抑制する。本発明に係る被覆種子は、種子と、種子を被覆する被覆層とを備えており、被覆層は、酸素発生剤を含み、かつ硫酸塩又は硫酸イオンを含まないものであってもよい。酸素発生剤とは、酸素を発生させることが可能な資材、組成物等であればよく、例えば過酸化カルシウム、過酸化マグネシウム等及びこれを含む組成物などが挙げられる。
【0035】
このような被覆資材が被覆されていることによって、種子の周囲の硫化物イオンの発生又は増加を効果的に抑制することができ、苗立ちの低下を抑制することができる。なお、被覆資材は、硫酸塩又は硫酸イオン等の硫黄成分を含まないことが好ましい。被覆層が硫黄成分を含まない場合には、種子の周囲で硫化物イオンが多量に発生することを抑制することができる。そのため、酸素発生剤の必要量を低減させることができる。
【0036】
例えば、酸素発生剤として過酸化カルシウムを用いる場合には、種子に被覆させる過酸化カルシウムの量は、被覆層における過酸化カルシウムの量が種子(乾燥種子)に対して10重量%以下となる量であってもよい。この量であれば、結合材を用いなくとも、過酸化カルシウムを種子に良好に被覆させることが可能である。また、種子に被覆させる過酸化カルシウムの量は、効果的に苗立ち低下を抑制させるためには、被覆層における過酸化カルシウムの量が種子(乾燥種子)に対して10重量%以上となる量であることが好ましい。
【0037】
種子が鉄を含む被覆資材によって被覆される場合には、種子の周囲における硫化物イオンを不溶化することによって硫化物イオンの増加を抑制させることができ、種子の苗立ち低下を抑制することができる。また、種子に鉄を被覆することによって、硬い被覆層を形成させることができるため、湿害と鳥害とを避けることができる。鉄としては、特に限定されないが、還元鉄(Fe)、酸化鉄(III)(Fe2O3)、酸化二鉄(III)鉄(II)(Fe3O4)、酸化鉄(II)(FeO)等を用いることが好ましい。
【0038】
ここで、従来は、上述したように、鉄で被覆された種子が土壌中に沈んでしまうと苗立ちが低下することが知られていたため、鉄自体に苗立ち低下を抑制する効果があることは考えられていなかった。しかし、本発明者らは、鉄自体に種子の苗立ち低下を抑制する効果があることを見出した。鉄がこのような効果を有することは、これまでの知見からは予測することのできなかった新たな知見である。
【0039】
被覆資材は、硫酸塩又は硫酸イオン等の硫黄成分を含まない結合成分(結合促進成分を含む。以下同様。)によって種子の表面に結合されていてもよい。すなわち、被覆層は、被覆資材を種子の表面に結合させる、硫黄成分を含まない結合成分を含んでいることが好ましい。結合成分とは、被覆資材を種子の表面に結合させる成分であり、結合促進成分とは、被覆資材の種子への結合を促進させる成分である。これにより、被覆資材を種子の表面に結合させることができ、苗立ちの低下をより効率的に抑制することが可能になる。
【0040】
結合成分は、固化して被覆資材を種子の表面に結合させている資材(結合資材)を含んでいてもよい。例えば酸素発生剤を被覆する場合には、このような結合資材を含む結合成分であることが好ましい。
【0041】
また結合成分は、例えば鉄を被覆する場合には、電子受容性を有する資材(結合資材)を含んでいてもよい。このような結合資材は、鉄を酸化させうる。すなわち、結合成分に含まれる結合資材によって鉄が酸化され、鉄さびが生じて凝固することにより、鉄が種子の表面に結合されていてもよい。
【0042】
結合成分は、モリブデン資材及びタングステン資材からなる群より選択される少なくとも1つを含むことが好ましい。モリブデン資材及びタングステン資材とは、それぞれモリブデン、タングステンの単体をも含む概念である。また、結合成分としては、公知の接着剤、凝固剤等を用いることも可能であり、例えばポリビニルアルコール(PVA)、カルボキシメチルセルロース(CMC)等であってもよい。
【0043】
モリブデン及びタングステンはそれぞれ、硫酸イオンと似た構造、すなわち4つの酸素を含み、かつ硫酸イオンよりも重いオキソアニオンを生成する、周期律表の第6A(6)族及び第6B族(16)の元素である。これらのオキソアニオンは、硫酸イオンと似た構造を有するので、硫酸イオンと拮抗、または、硫酸イオンが関与する硫黄代謝に関わる酵素等を不活性化することによって、微生物の活動を低下させると考えられる。これらの硫黄代謝反応の一つに、硫酸イオンから硫化物イオンを生成する反応がある。これらのオキソアニオンは、植物に悪影響を及ぼす微生物の硫黄代謝反応を攪乱し、植物の生育の低下を抑制すると考えられる。
【0044】
また、これらのオキソアニオンは、腐敗等の微生物の活動をも抑制する。硫酸イオンの構成物である硫黄元素は生物の多量必須元素でもある。したがって、これらのオキソアニオンは、硫化物イオンの生成以外の微生物の様々な硫黄代謝をも攪乱し、微生物の活動を低下させる。植物も同様に硫黄元素を必須とするが、微生物と比べて体が大きいため、これらのオキソアニオンの影響を比較的受けにくく、これらの結果として微生物の活動低下による植物の生育低下を抑制する効果が得られると考えられる。
【0045】
したがって、モリブデン資材又はタングステン資材が結合成分に含まれることにより、苗立ち及び生育の低下を抑制することができる。
【0046】
また、結合成分は、これらのオキソアニオンを供給する、オキソ酸、それらが縮合したポリ酸、それらにリン及び/又はケイ素などの元素が含まれるヘテロ酸、及びそれらの塩又はそれらを含む資材などを含むことが望ましい。さらに、植物に悪影響を及ぼしにくいという観点から、オキソアニオン濃度が高くなりにくい微溶性の資材、或いは、オキソアニオンが容易に供給されにくい、ポリ酸又はヘテロ酸の形態をとる資材を含むことが望ましい。また、同様の観点から、徐々に酸化されてオキソアニオンを生成する単体を含むことも望ましい。
【0047】
結合成分は、中でも、モリブデン資材を含むことがより好ましい。モリブデンは植物の微量元素であり、従来肥料として使用されていることからも、安全性が高い。また、モリブデン資材は、腐敗抑制効果が強いという結果が得られており、硫化物イオンが発生しない環境であっても好ましい。
【0048】
モリブデン資材として、種々の物質が存在するが、モリブデン酸イオンを供給し、かつ対象となる植物への悪影響が低い資材又は単体を選択することが好ましい。したがって、モリブデン資材は、金属モリブデン(単体)、酸化モリブデン(無水モリブデン酸)、モリブデン酸とその塩、モリブドリン酸(リンモリブデン酸)とその塩、モリブドケイ酸(ケイモリブデン酸)とその塩が望ましい。安価で市販されているものでは、金属モリブデン、酸化モリブデン、モリブデン酸、モリブデン酸カルシウム、モリブデン酸マグネシウム、モリブドリン酸アンモニウム(リンモリブデン酸アンモニウム)、モリブドリン酸カリウム(リンモリブデン酸カリウム)、モリブデン酸アンモニウム、モリブデン酸ナトリウム、モリブデン酸カリウム、モリブドリン酸、モリブドリン酸ナトリウム(リンモリブデン酸ナトリウム)、モリブドケイ酸からなる群より選択されることが好ましい。
【0049】
また、モリブデン資材は、被覆資材を種子に効率よく結合させるという観点からは、モリブドリン酸及びその塩、ならびにモリブドケイ酸及びその塩より選択される少なくとも1つであることが好ましい。モリブドリン酸塩としては、例えばモリブドリン酸アンモニウム、モリブドリン酸ナトリウム、モリブドリン酸カリウム等が挙げられる。モリブドケイ酸塩としては、例えばモリブドケイ酸アンモニウム、モリブドケイ酸ナトリウム、モリブドケイ酸カリウム等が挙げられる。
【0050】
また、水に対してわずかに溶ける微溶性のモリブデン資材は、対象となる植物に悪影響を及ぼしにくいので特に好ましい。微溶性のモリブデン資材とは、水に対する可溶割合が重量比10%以下の資材又は単体であり、例えば、金属モリブデン、酸化モリブデン、モリブデン酸、モリブデン酸カルシウム、モリブデン酸マグネシウム、モリブドリン酸アンモニウム、及びモリブドリン酸カリウム等が挙げられる。また、オキソアニオンが縮合したポリ酸やヘテロ酸、およびそれらの塩やそれらを含む資材は、モリブデン酸イオンが容易に供給されにくく、植物に悪影響を及ぼしにくいので特に好ましい。
【0051】
これらのうち、モリブドリン酸アンモニウム及びモリブドリン酸カリウムは、水に対して微溶性であり、かつ、モリブデン酸イオンを容易に供給しないヘテロ酸の塩であるとともに、苗立ち及び生育の低下を抑制する効果に優れている。また、これらの資材は、被覆資材を種子に効率よく結合させることができ、かつ黄色に着色しているため、被覆処理した種子の誤飲が防止できる点からも好ましい。
【0052】
タングステンは植物の微量要素ではないが、植物や動物等への毒性は報告されておらず、安全性の観点からも好ましい。結合成分としてタングステン資材を用いる場合、微溶性のタングステン資材が望ましく、また、タングステン酸イオンを容易に供給しにくいポリ酸又はヘテロ酸の形態をとる資材が望ましい。したがって、タングステン資材としては、金属タングステン、酸化タングステン(無水タングステン酸)、タングステン酸とその塩、タングストリン酸(リンタングステン酸)とその塩、タングストケイ酸(ケイタングステン酸)とその塩が望ましい。また、安価で市販されているという理由から、微溶性の金属タングステン、酸化タングステン、タングステン酸、パラタングステン酸アンモニウム、又はタングストリン酸アンモニウム(リンタングステン酸アンモニウム)が好ましい。
【0053】
また、タングステン資材は、被覆資材を種子に効率よく結合させるという観点からは、タングストリン酸及びその塩、ならびにタングストケイ酸及びその塩より選択される少なくとも1つであることが好ましい。タングストリン酸塩としては、例えばタングストリン酸アンモニウム、タングストリン酸ナトリウム、タングストリン酸カリウム等が挙げられる。タングストケイ酸塩としては、例えばタングストケイ酸アンモニウム、タングストケイ酸ナトリウム、タングストケイ酸カリウム等が挙げられる。
【0054】
湛水状態の水田では、土壌が還元的になりやすい。種子の近傍で土壌の還元が著しく進行した場合には、土壌中の微生物が硫酸イオンから硫化物イオンを生成する。硫化物イオンは、苗立ちに悪影響を及ぼす。しかし、本発明に係る種子は、以上の構成によって、種子の周囲における硫化物イオンの増加を抑制させ、苗立ちの低下を抑制できる。したがって、本発明に係る種子は、湛水直播に好適に用いることができる。
【0055】
また、本発明に係る種子では、被覆層中に硫黄成分が含まれない場合には、種子の周囲の硫酸イオン濃度を上昇させない。したがって、苗立ちを低下させる硫化物イオンの生成を抑制することができる。また、被覆資材が種子周囲の硫化物イオン濃度を低下させることができる資材である場合に、何らかの原因によって被覆資材が消失した場合であっても、種子の周囲で硫化物イオンが多量に発生することを抑制することができる。そのため、被覆資材の必要量を低減させ、コストを低下させることが可能である。
【0056】
また、本発明に係る種子では、種子に鉄を被覆することによって、硬い被覆層を形成させることができるため、鳥害などを避けることができる。
【0057】
本発明に係る種子は、以下に説明する被覆種子の製造方法によって製造することができる。また、本発明に係る種子は、後述する栽培方法によって栽培することが可能である。
【0058】
〔被覆種子の製造方法〕
本発明は、被覆種子の製造方法(以下、「本発明に係る製造方法」ともいう。)をも提供する。本発明に係る製造方法は、硫酸塩又は硫酸イオン等の硫黄成分を用いずに、被覆資材を種子に被覆させる被覆工程を含む。被覆工程を行なうことにより、種子の周囲に被覆層を形成させ、本発明に係る種子を生成させることができる。
【0059】
被覆資材としては、「被覆種子」の項において例示したものを好適に用いることができる。
【0060】
被覆工程では、硫酸塩又は硫酸イオン等の硫黄成分を含まない結合材を用いて、被覆資材を種子の表面に結合させることが好ましい。結合材を用いることにより、被覆資材を種子の表面により強く結合させることができる。また、結合材が硫黄成分を含まないことにより、種子の周囲の硫酸イオン濃度を抑制することができるため、苗立ちの低下を抑制させることができる。
【0061】
結合材は、固化することにより被覆資材を種子の表面に結合させる資材(結合資材)を含んでいてもよい。例えば被覆資材が酸素発生剤を含む場合には、このような結合資材を含む結合材であることが好ましい。
【0062】
また結合材は、例えば被覆資材が鉄を含む場合には、電子受容性を有する結合資材を含んでいてもよい。これにより、結合材によって鉄が酸化され、鉄さびが生じて凝固することによって、鉄を種子の表面に結合させることができる。
【0063】
結合材としては、「被覆種子」の項において例示した結合成分又はこれを含むものを好適に用いることができる。すなわち、結合材は、モリブデン資材及びタングステン資材からなる群より選択される少なくとも1つを含むことが好ましい。結合材がこれらの資材を含むことによって、苗立ち及び生育の低下を抑制することができる。モリブデン資材及びタングステン資材としては、「被覆種子」の項において例示したものを好適に用いることができる。
【0064】
被覆資材を種子に被覆する方法としては、種子の表面に適量の水若しくは結合材を付着させた後に被覆資材を塗布する方法、水若しくは結合材に被覆資材を含む粉末を添加して攪拌した後に種子に塗布する方法、適量の被覆資材を含む溶液又は混合物を種子と混合して攪拌する方法等が挙げられる。また、被覆資材を含む溶液中に種子を浸漬することによって被覆してもよい。
【0065】
本発明によって製造した被覆種子であれば、湛水状態の水田であっても、播種後の種子の周囲における硫化物イオンの増加を抑制することができる。したがって、種子の苗立ちの低下を抑制することができるため、本発明に係る製造方法によって製造した被覆種子は、湛水直播に好適に用いることができる。
【0066】
〔栽培方法〕
本発明は、さらに栽培方法を提供する。本発明に係る栽培方法は、上述した被覆種子の製造方法によって製造された被覆種子を、農地に直接播種する播種工程を含む。農地としては、湛水状態の水田であってもよい。
【0067】
播種工程において、被覆種子を農地に直接播種する方法としては、公知の方法を用いることができる。例えば、点播機、条播機、又は散播機を用いて、農地に播種してもよい。
【0068】
本発明であれば、被覆種子が苗立ち低下を抑制する成分を含む被覆層によって被覆されているため、湛水状態の水田に直接播種された場合であっても、被覆種子の周囲における硫化物イオンの増加を抑制させ、苗立ちの低下を抑制させることができる。
【0069】
〔その他の態様〕
また、本発明は、以下の態様であってもよい。
【0070】
本発明は、硫黄成分を含まない被覆資材のみを種子に被覆させる被覆工程を含む、被覆種子の製造方法を提供する。また、本発明は、種子と、上記種子を被覆する被覆層とを備えており、上記被覆層は硫黄成分を含まない被覆資材のみを含む、被覆種子を提供する。被覆資材としては、酸素発生剤及び鉄の少なくとも一方を含む資材であることが好ましい。
【0071】
以上の構成により、硫黄成分を含まない被覆資材のみを種子に被覆させるため、種子の周囲における硫化物イオンの発生を抑制することができる。したがって、特に被覆資材が酸素発生剤である場合には、この酸素発生剤の量を減らすことができる。
【0072】
また、本発明は、被覆資材と、硫黄成分を含む硫黄含有資材と、当該硫黄含有資材による苗立ち阻害の害を抑制する成分とを種子に被覆させる被覆工程を含み、上記成分は、モリブデン資材及びタングステン資材からなる群より選択される少なくとも1つを含む、被覆種子の製造方法を提供する。また、本発明は、種子と、上記種子を被覆する被覆層とを備えており、上記被覆層は、被覆資材と、硫黄成分を含む硫黄含有資材と、硫化物イオンの発生を抑制する成分とを含み、上記成分は、モリブデン資材及びタングステン資材からなる群より選択される少なくとも1つを含む、被覆種子を提供する。
【0073】
硫黄成分とは、例えば硫酸カルシウム、硫酸マグネシウム、硫酸カリウム等が挙げられる。硫黄含有資材とは、例えば硫酸カルシウムを主成分とする石膏等が挙げられる。また、被覆資材としては、酸素発生剤及び鉄の少なくとも一方を含む資材であることが好ましい。
【0074】
硫黄含有資材として石膏を用いる場合には、石膏は安価であり容易に手に入るため、被覆種子を容易に作製することができる。また、石膏を用いることにより、被覆資材を種子に確実に結合させることができる。また、石膏は、上述したように硫酸イオンを含んでいるため苗立ちを阻害してしまうが、硫化物イオンの発生を抑制する成分を用いることにより、石膏による苗立ち阻害の害を抑制することができる。
【0075】
硫化物イオンの発生を抑制する成分が含む、モリブデン資材及びタングステン資材としては、結合成分として上述したモリブデン資材及びタングステン資材について例示した資材を好適に用いることができる。これにより、石膏と併せて結合材としての効果をも得ることができる。
【0076】
また、硫化物イオンの発生を抑制するという観点からは、モリブデン資材として、例えば金属モリブデン(単体)、酸化モリブデン(無水モリブデン酸)、モリブデン酸とその塩、モリブドリン酸(リンモリブデン酸)とその塩、モリブドケイ酸(ケイモリブデン酸)とその塩、等を用いることが好ましい。また、同様の観点から、タングステン資材として、例えば金属タングステン、酸化タングステン(無水タングステン酸)、タングステン酸とその塩、タングストリン酸(リンタングステン酸)とその塩、タングストケイ酸(ケイタングステン酸)とその塩、等を用いることが好ましい。
【0077】
また、本発明は、鉄と、硫黄成分を含む硫黄含有資材と、鉄の酸化による発熱を抑制する成分とを種子に被覆させる被覆工程を含み、上記成分は、モリブデン資材及びタングステン資材からなる群より選択される少なくとも1つを含む、被覆種子の製造方法を提供する。また、本発明は、種子と、上記種子を被覆する被覆層とを備えており、上記被覆層は、鉄と、硫黄成分を含む硫黄含有資材と、鉄の酸化による発熱を抑制する成分とを含み、上記成分は、モリブデン資材及びタングステン資材からなる群より選択される少なくとも1つを含む、被覆種子を提供する。
【0078】
硫黄成分とは、例えば硫酸カルシウム、硫酸マグネシウム、硫酸カリウム等が挙げられる。硫黄含有資材とは、例えば硫酸カルシウムを主成分とする石膏等が挙げられる。石膏を用いることにより、安価に鉄を種子に結合させることができる。ここで、石膏を用いて鉄を種子に被覆させると、錆の形成が強く促進され、鉄の酸化による発熱が大きくなるため、被覆後の種子が高温になって枯死するおそれがある。しかし、本発明であれば、被覆層が鉄の酸化による発熱を抑制する成分を含むため、種子の枯死を防ぐことができる。したがって、安価に被覆種子を製造できる。また、鉄の被覆の前に予め十分な催芽を行なうことができるため、播種後の生育を速くさせ、かつ苗立ちを安定させることが可能になる。
【0079】
鉄の酸化による発熱を抑制する成分が含むモリブデン資材及びタングステン資材としては、結合成分として上述したモリブデン資材及びタングステン資材について例示した資材を好適に用いることができる。これにより、石膏と併せて結合材としての効果をも得ることができる。
【0080】
以下に実施例を示し、本発明の実施の形態についてさらに詳しく説明するが、本発明は以下の実施例に限定されるものではない。
【実施例】
【0081】
〔実施例1:水稲の苗立ちに及ぼす鉄の影響〕
(1−1:水稲の苗立ちに及ぼす石膏の影響)
まず、水稲の苗立ちに及ぼす石膏の影響について調べた。
【0082】
乾土100g相当量の水田湿潤土壌(福岡県筑後市の水田で採取、湿潤のまま冷蔵保管)を容器(直径約7cm円筒形)に採取した。これに、乾土の1.5倍重に相当する水溶液(土壌が分散しないように、乾土100kg/m2換算で0.1molK/m2となるように塩化カリウムを溶解)を添加した。容器に蓋をして室温で1時間ほど振盪した後、4℃で2日間静置し、湛水土壌を作製した。作製した湛水土壌は、土層が約3.5cm、土壌表面上の水層が約1cmとなった。
【0083】
70%エタノールと、次亜塩素酸ナトリウム溶液(和光純薬工業より購入)の5倍希釈液とに、水稲(品種:ヒノヒカリ)の風乾種子を10分間ずつ浸漬して消毒した後、10℃の水に5日間、30℃の水に1日間程度浸漬し、わずかに発芽させた。この催芽種子に、風乾種子重に対してそれぞれ0.00,0.02,0.05,0.1,0.2,0.5,1,2倍重(8条件)の焼石膏(化学用焼きセッコウ、和光純薬工業より購入)を、霧吹きで水を添加しながら少量ずつ混合し、催芽種子に石膏(石膏量8条件)を付着させた。また、催芽種子と同様の方法で、風乾種子にも石膏(石膏量8条件)を付着させた。
【0084】
上述した湛水土壌に、これらの処理種子(催芽の有無×石膏量8条件=16処理)を播種した。1つの容器には、同じ処理を施した8個の種子を深さ15mm、約2cm間隔で播種し、軽く揺らして播種穴を塞いだ。各処理には6容器を充てた。播種した容器は蓋をせずに、1日のうち半日だけ蛍光灯が点灯する30℃の恒温器内に静置した(以下、「30℃催芽種子」あるいは「30℃風乾種子」と表記する)。
【0085】
さらに、風乾種子については、それぞれ0.00,0.005,0.01,0.02,0.05,0.1,0.2,0.5倍重(8条件)の焼石膏(化学用焼きセッコウ、和光純薬工業より購入)を付着させ、播種した容器を、上述した恒温器と同様であって20℃の恒温器内に静置した(以下、「20℃風乾種子」と表記する)。
【0086】
その後、土壌表面の水が蒸発により減った際に蒸留水を補った。播種約3週間後(20℃風乾種子は5週間後)に、各容器の苗立ち割合(第3葉抽出個体数の割合)を調査し、処理別の苗立ち割合の平均と標準誤差とを求めた。
【0087】
図1は、石膏の付着量と水稲の苗立ち割合との関係を示すグラフである。図1に示すように、水稲の苗立ち割合は、催芽の有無及び処理温度にかかわらず、石膏を付着させない場合(焼石膏量が0倍重)が最も高く、石膏の付着量が多いほど低い傾向がみられた。20℃風乾種子では0.02倍重以上、30℃風乾種子では0.1倍重以上、また30℃催芽種子では1倍重以上の焼石膏を付着させた場合に、苗立ち割合が10%未満となった。
【0088】
別途、硝子容器の側面にこれらの処理種子を播種し、硝子越しに種子近傍を観察したところ、石膏の付着量が多いほど、種子近傍が黒くなった。この黒い物質は硫化鉄(FeS)と考えられ、有害な硫化物イオン(S2−)の生成を示唆する。この結果から、石膏(CaSO4・nH2O)に含まれる硫酸イオン(SO42−)が湛水土壌中で還元されて硫化物イオン(S2−)となっていると考えられた。すなわち、石膏が、水稲の苗立ちを悪化させる原因となっていると考えられた。
【0089】
(1−2:鉄被覆種子における、水稲の苗立ちに及ぼす石膏の影響)
次に、鉄で被覆した種子における、水稲の苗立ちに及ぼす石膏の影響を調べた。
【0090】
1−1と同じ方法で湛水土壌(無添加と表記)を作製した。また、この無添加の湛水土壌に、マルトース(和光特級D(+)−マルトース一水和物、和光純薬工業より購入)を乾土100gあたり100mg加えて、振盪させた後静置し、糖添加の湛水土壌(糖添加と表記)を作製した。さらに、無添加の湛水土壌に、糖添加の湛水土壌と同様にマルトースを添加するとともに、硫酸アンモニウムを乾土100kg/m2換算で0.4mol/m2となるように加えた。これを振盪後に静置し、糖硫安添加の湛水土壌(糖硫安添加と表記)を作製した。
【0091】
また、焼石膏を用いて、水稲種子に鉄を被覆した。水稲種子に鉄を被覆する方法としては、鉄錆によって水稲種子に結合させる方法を用いた。なお、従来、鉄錆によって水稲種子に鉄を結合させる場合には、錆の発生の促進のため、鉄に焼石膏を混合するのが一般的である。
【0092】
本実施例では、水稲(品種:ヒノヒカリ)の風乾種子の0.5倍重の還元鉄(粉末、和光一級、和光純薬工業より購入)に、風乾種子のそれぞれ0.00,0.02,0.05,0.1倍重(4条件)の焼石膏(和光純薬工業より購入)を混合した。これらの混合物を、霧吹きで水を添加しながら風乾種子に付着させた。その後も表面の色が錆色になるまで、数時間おきに被覆層が乾燥するたびに霧吹きで水の添加を繰り返した。
【0093】
これにより、石膏量が異なる4条件の鉄被覆種子を作製した。なお、焼石膏を混合しない場合には、混合した場合と比べて錆の発生が遅く、固まるまで時間を要したが、最終的には播種するのに充分な固さになった。
【0094】
上述した3条件の湛水土壌に、石膏量が異なる4条件の種子を播種した(土壌3条件×種子4条件=12処理)。1つの容器には、同じ処理を施した8個の水稲種子を深さ15mm、約2cm間隔で播種し、軽く揺らして播種穴を塞いだ。各処理には6容器を充てた。播種した容器は、1日のうち半日だけ蛍光灯が点灯する20℃の恒温器内に静置した。その後は、土壌表面上の水が蒸発して減った際に蒸留水で補った。
【0095】
播種約5週間後に、各容器における苗立ち割合(第3葉抽出個体数の割合)を調査し、処理別の苗立ち割合の平均と標準誤差とを求めた。
【0096】
図2は、鉄被覆種子における石膏量と水稲の苗立ち割合との関係を示すグラフである。図2に示すように、土壌条件にかかわらず、苗立ち割合は、石膏を混合しない場合(焼石膏量は0倍重)が最も高く、混合する焼石膏が増加するほど低下する傾向がみられた。別途、硝子容器の側面に種子を播種し、硝子越しに種子近傍を観察したところ、混合する焼石膏が多くなる程、種子近傍が黒くなった。いずれの土壌条件においても、風乾種子の0.02倍重の焼石膏を混合した場合(試験した最少量の焼石膏量)に、苗立ち割合の低下、及び種子近傍の黒化が起きた。
【0097】
ここで、従来の鉄の被覆処理においては、錆の発生を促進させて造粒作業性を向上させるとともに固さを向上させるため、一般的に焼石膏を用いる。焼石膏は、例えば風乾種子の0.5倍重の還元鉄に、結合材として、風乾種子の0.075倍重(鉄の15%重)を混合させる。しかし図2によれば、風乾種子の0.075倍重の焼石膏を混合すると、苗立ち割合が低下することが示唆される。このため、従来の方法では、鉄の被覆に用いられる石膏が、鉄被覆種子の苗立ち不良の一因となっていると考えられる。
【0098】
なお、土壌にマルトース等の糖を添加することによって、土壌還元が促進され、苗立ちが悪化しやすい条件となると予想される。また、硫酸アンモニウムは硫酸イオンを含んでいるため、硫酸アンモニウムを土壌に添加することによって硫化物イオンの生成が促進され、苗立ちが阻害されやすい条件となると予想される。しかし、本実施例では、糖添加又は糖硫安添加の条件だけでなく、無添加の条件の土壌においても、石膏の添加による苗立ちの低下が観察された。
【0099】
(1−3:水稲の苗立ちに及ぼす鉄の影響)
次に、水稲の苗立ちに及ぼす鉄自体の影響を調べた。
【0100】
1−1と同じ方法で、無添加の湛水土壌を作製した。また、1−2と同様の方法により、硫酸アンモニウムのみを添加した湛水土壌(硫安添加と表記)を作製した。
【0101】
また、焼石膏を用いずに、水稲種子に鉄を被覆した。1−2と同様の方法により、風乾種子のそれぞれ0.00,0.02,0.05,0.1,0.2,0.5,1,2倍重(8条件)の還元鉄(焼石膏を含まない)を、霧吹きで水を添加しながら風乾種子に付着させた。
【0102】
上述した2条件の湛水土壌に、鉄量が異なる8条件の種子を、1−2と同様の方法で播種した(土壌2条件×種子8条件=16処理)。1−1と同様に、播種した容器を30℃の恒温器内に静置し、播種約3週間後に処理別の苗立ち割合の平均と標準誤差とを求めた。
【0103】
図3は、石膏を使用しない場合の還元鉄の付着量と水稲の苗立ち割合との関係を示すグラフである。図3に示すように、土壌条件にかかわらず、被覆した鉄の量が多くなるほど苗立ち割合が上昇する傾向がみられた。特に、硫酸アンモニウムを添加した条件(硫安添加)では、有害な硫化物イオンの生成が促進され、苗立ちが阻害されることが予想される。この硫安添加の条件では、上述した傾向が特に明瞭に観察された。
【0104】
この結果から、鉄自体には苗立ちの低下を抑制する効果があることが示された。なお、種子を被覆する鉄は、還元されて2価鉄イオンとなり、有害な硫化物イオンと結合して不溶性の硫化鉄となることによって、硫化物イオンの濃度を低下させ、その害を抑制したと考えられる。すなわち、鉄による苗立ち割合の上昇は、有害な硫化物イオンの不溶化に由来していると考えられる。
【0105】
ここで、従来の鉄被覆種子は、一般的に石膏により鉄が被覆されており、土壌中に播種すると枯死しやすく、土壌表面に播種することが必要とされている。さらに、従来の鉄被覆種子では、土壌表面に播種した場合でも、土壌の状態によっては土壌中に沈んでしまい苗立ち不良を引き起こすことが問題となっていた。
【0106】
しかし、以上の結果から、従来の鉄被覆種子の苗立ち不良の原因は、鉄ではなく、石膏が含む硫酸イオンであることが示された。すなわち、錆の促進のために結合材として添加される焼石膏が、苗立ち不良の原因であると考えられる。
【0107】
一方、本発明であれば、硫黄成分(硫酸塩もしくは硫酸イオンなど)を含まない結合材を用いるため、又は硫黄成分を含む結合材と硫化物イオンの発生を抑制する資材とを併用するため、苗立ち不良を防ぐことができる。
【0108】
〔実施例2:種子に対する鉄の結合、及び水稲の苗立ちに及ぼすモリブデン資材の影響〕
従来の鉄被覆種子においては、石膏により錆を促進させることによって鉄を種子に結合させていた。この石膏による錆促進効果は、石膏(CaSO4・nH2O)に含まれる硫酸イオン(SO42−)の効果と考えられる。しかし、実施例1において、硫酸イオンは、苗立ち不良の要因になることが示唆された。また、結合材を用いない場合には、錆の生成が遅く、鉄を種子に結合させることが困難である。
【0109】
そこで、本発明者らは、硫酸イオンと同じ2価の陰イオンであるモリブデン酸イオン(MoO42−)を生成し得るモリブデン資材に着目した。モリブデン酸イオンは、硫酸イオンと同様に、鉄の錆を促進させる効果を有することが期待できる。
【0110】
(2−1:種子に対する鉄の結合に及ぼす影響)
まず、モリブデン資材が、種子に対する鉄の結合に及ぼす影響について調べた。
【0111】
水稲(品種:にこまる)の風乾種子の0.5倍重の還元鉄(粉末、和光一級、和光純薬工業より購入)に、風乾種子1gに対してモリブデンでそれぞれ0,0.02,0.05,0.1,0.2,0.5,1,2(mmolMo/g風乾種子)(8条件)に相当する、それぞれ三酸化モリブデン(和光純薬工業より購入、MoOと表記)、モリブドリン酸アンモニウム(和光純薬工業より購入、MoPNHと表記)又はモリブドリン酸カリウム(日本新金属製、MoPKと表記)を混合し、実施例1の1−2と同様の方法で、霧吹きで水を添加しながら、風乾種子に付着させた。
【0112】
その結果、結合材を用いずに鉄を被覆した場合には、鉄被覆層の結合に時間を要したのに対し(実施例1の1−2)、結合材として上述した各モリブデン資材を用いた場合には、鉄被覆層の結合が速まった。特に、MoPNH又はMoPKを含む結合材を用いた場合には、鉄被覆層の結合がより速まった。特に、モリブデンとして0.1(mmolMo/g風乾種子)以上、特に0.2(mmolMo/g風乾種子)以上に相当するモリブデン資材を含む結合材を用いた場合には、処理後すぐに可塑性を示し、時間とともに強固に固まった。
【0113】
また、モリブドリン酸塩であるMoPNH又はMoPKを添加した場合には、0.1(mmolMo/g風乾種子)以上、特に0.2(mmolMo/g風乾種子)以上では、その添加量の増加に伴って鉄被覆種子の表面が青色を帯びたことが観察された。複数のモリブデン酸イオンとリン酸イオンとから構成されるモリブドリン酸イオンは、酸化力が強く、還元されると青色になる。このことから、モリブドリン酸イオンの還元が何らかの作用により、強い結合力を産んだと考えられた。
【0114】
なお、この結果は、モリブデン資材の添加量がこれより少ない場合に結合を促進させる効果がないことを示すものではなく、モリブデン資材の添加量に応じて結合の促進効果が高まることを示すものであると考えられる。
【0115】
(2−2:水稲の苗立ちに及ぼす影響)
また、これらのモリブデン資材が水稲の苗立ちに及ぼす影響について調べた。
【0116】
実施例1の1−3と同様の方法で作製した、硫酸アンモニウムのみを添加した湛水土壌(硫安添加)に、作製した鉄被覆種子を播種した(モリブデン資材3種類×資材量8条件=24処理)。実施例1の1−2と同様の方法で、播種した容器を20℃の恒温器内に静置し、播種約5週間後に処理別の苗立ち割合の平均と標準誤差とを求めた。
【0117】
図4は、鉄被覆種子におけるモリブデン資材の添加量と水稲の苗立ち割合との関係を示すグラフである。図4が示すように、上述した3種類のモリブデン資材のいずれについても、モリブデンとして乾燥種子1gあたり0.05(mmolMo/g風乾種子)以上を添加した場合に、苗立ち割合が高かった。
【0118】
モリブデン酸イオンは、土壌中の硫酸イオンと拮抗することによって、種子の周囲における硫酸イオンの濃度を低下させる効果を有することが考えられる。ここで、土壌中の硫酸イオンは、土壌が還元することにより還元されて苗立ちを低下させる硫化物イオンとなるおそれがある。しかし、結合材がモリブデン酸イオンを生成し得るモリブデン資材を含むことによって、種子の周囲において有害な硫化物イオンの生成を抑制することができ、苗立ちの低下を抑制できると考えられる。
【0119】
〔実施例3:様々なモリブデン資材およびタングステン資材の影響〕
(3−1:結合性の検討)
石膏の代わりにモリブデン資材又はタングステン資材を鉄と混合させたときの、被覆時の結合性を評価するため、以下のように試験した。実施例2と同様に、水稲(品種:にこまる)の風乾種子の0.5倍重の還元鉄(粉末、和光一級、和光純薬工業より購入)に、風乾種子1gに対してモリブデンまたはタングステンでそれぞれ0.2(mmolMo/g風乾種子)に相当するモリブデン資材又はタングステン資材を添加し、風乾種子に被覆した。モリブデン資材及びタングステン資材は、微溶性のものと、水溶性のものとを使用した。微溶性のものとして、三酸化モリブデン(MoO)、モリブデン酸(MoH)、モリブドリン酸アンモニウム(MoPNH)、モリブドリン酸カリウム(MoPK)、三酸化タングステン(WO)、タングステン酸(WH)、タングストリン酸アンモニウム(WPNH)、モリブデン酸カルシウム(MoCa)、及びモリブデン酸マグネシウム(MoMg)を用いた。また、水溶性のものとして、モリブデン酸アンモニウム(MoNH)、モリブデン酸ナトリウム(MoNa)、モリブデン酸カリウム(MoK)、モリブドリン酸(MoPH),モリブドリン酸ナトリウム(MoPNa)、モリブドケイ酸(MoSiH)、パラタングステン酸アンモニウム(WNHp)、メタタングステン酸アンモニウム(WNHm)、タングステン酸カリウム(WK)、タングストリン酸(WPH)、タングストリン酸ナトリウム(WPNa)、タングストケイ酸(WSiH)、及びタングストケイ酸ナトリウム(WSiNa)を用いた。なお、括弧内には、図5に表記した略号を示す。これらは、日本新金属製のモリブドリン酸カリウム(MoPK)を除き、和光純薬工業より購入した。
【0120】
また、鉄のみを乾燥種子に被覆した被覆種子を作製した(「無」と表記)。作製した鉄被覆種子について、被覆後一晩室温で放置した後、紙の上で擦りつけたときの崩壊の様子を図5に示した。図5は、種々のモリブデン資材又はタングステン資材と鉄とを混合して種子に被覆して作製した鉄被覆種子における、鉄の剥離性を示す図である。
【0121】
図5に示したように、モリブドリン酸アンモニウム(MoPNH)、モリブドリン酸カリウム(MoPK)、モリブドリン酸(MoPH)、モリブドリン酸ナトリウム(MoPNa)、モリブドケイ酸(MoSiH),タングストリン酸(WPH),及びタングストケイ酸(WSiH)を用いた被覆種子は、特に強固であり、全く崩壊が見られなかった。また、タングステン酸(WH)、タングストリン酸アンモニウム(WPNH)、タングストリン酸ナトリウム(WPNa)、及びタングストケイ酸ナトリウム(WSiNa)を用いた被覆種子についても、比較的強固であった。
【0122】
これらの資材以外のモリブデン資材又はタングステン資材を用いた場合には、鉄を種子に結合させる結合性はあるものの、崩壊が観察された。そのため、このように剥離性を有するモリブデン資材又はタングステン資材を用いて、播種に耐える強度を鉄被覆種子に持たせるためには、錆を促進するために、さらに被覆層に水を添加するなどの操作を行なうことが好ましい。
【0123】
以上のことから、苗立ちを低下させるおそれがある石膏の代わりに、モリブデン資材又はタングステン資材を鉄に添加することにより、強固な被覆層を形成できることがわかった。特にモリブドリン酸及びモリブドケイ酸とそれらの塩、ならびにタングストリン酸及びタングストケイ酸等からなる群より選択される資材を用いれば、被覆作業のみで、その後に錆の促進のために追加の水の散布を行なわなくても、強固な被覆層を形成できることがわかった。
【0124】
(3−2:水稲の苗立ちに及ぼす影響)
実施例2と同様の方法で作製した硫酸アンモニウムのみを添加した湛水土壌(硫安添加)に、3−1で作製した鉄被覆種子のうち、鉄のみを被覆した被覆種子(「無」と表記)と、様々なモリブデン資材を添加した9処理、及び様々なタングステン資材を添加した8処理の鉄被覆種子(合計1+9+8=18処理)とを播種し、20℃で管理した。播種約5週間後に、処理別の苗立ち割合の平均と標準誤差とを求めた。
【0125】
図6は、鉄被覆種子に添加したモリブデン資材と水稲の苗立ち割合との関係を示すグラフである。図7は、鉄被覆種子に添加したタングステン資材と水稲の苗立ち割合との関係を示すグラフである。比較のため、いずれの図にも、鉄のみを被覆した被覆種子(「無」と表記)のデータを示した。図6及び図7が示すように、モリブデン資材又はタングステン資材を添加した場合には、添加しない場合と比較して苗立ち割合が高かった。このため、これらのモリブデン資材及びタングステン資材を添加して鉄被覆種子を作製することで、苗立ち阻害を回避することが期待できる。
【0126】
〔実施例4:モリブデン資材と石膏との併用〕
(4−1:石膏による苗立ち阻害を回避するモリブデン資材の効果)
石膏は安価な結合剤であるが、有害な硫化物イオンの生成源となる。モリブデン資材及びタングステン資材は硫化物イオンの発生を抑制する効果を有するので、この効果によって石膏による苗立ち阻害を回避することができる。したがって、モリブデン資材又はタングステン資材と、安価な結合剤である石膏とを併せて結合材として用いることにより、苗立ちの低下を抑制しつつ、被覆資材をより強固に、かつ安価に結合させることができる。
【0127】
石膏による苗立ち阻害を回避する、モリブデン資材の効果を調べた。用いた水稲種子の品種は「にこまる」である。実施例1の1−1と同様に、風乾種子の0.1倍重の焼石膏を付着させた種子を作製した。さらに、風乾種子1gに対してモリブデンでそれぞれ0.2(mmolMo/g風乾種子)に相当する、三酸化モリブデン(和光純薬工業より購入、MoOと表記)、又はモリブドリン酸アンモニウム(和光純薬工業より購入、MoPNHと表記)を焼石膏に混合し、霧吹きで水を添加しながら、風乾種子に付着させた。作製した3処理の種子に、風乾種子のまま(無処理)を含めた4処理の種子を、実施例1−1と同様に作製した湛水土壌に、実施例1−1と同様に播種し、20℃の恒温器内に静置した。播種約5週間後に、苗立ち割合を調査し、処理別の苗立ち割合を求めた。
【0128】
図8は、石膏のみを付着させた場合、及び石膏とモリブデン資材とを併用した場合の苗立ち割合を示すグラフである。図8に示すように、石膏を処理しない無処理では50%近い苗立ち割合が得られたのに対し、石膏のみを付着させた場合では苗立ち割合が10%以下に低下した。しかし、石膏に加えてモリブデン資材を添加した場合には、石膏のみを付着させた場合に比べて、苗立ち割合が著しく向上した。
【0129】
以上のことから、石膏の添加が水稲種子の苗立ちを阻害すること、及び石膏によるこの阻害効果をモリブデン資材によって回避できることが示された。
【0130】
(4−2:石膏とともにモリブデン資材を混合したときの鉄被覆時の結合性)
石膏とともにモリブデン資材を鉄と混合したときの、被覆時の結合性を評価するため、以下のように試験した。実施例2と同様に、水稲(品種:にこまる)の風乾種子の0.5倍重の還元鉄(粉末、和光一級、和光純薬工業より購入)と、風乾種子の0.1倍重の焼石膏(和光純薬工業より購入)と、風乾種子1gに対してモリブデンで0.2(mmolMo/g風乾種子)に相当する三酸化モリブデン(MoO)又はモリブドリン酸アンモニウム(MoPNH)と、を混合し、風乾種子に被覆した。また同様に、還元鉄と焼石膏とのみを混合し、乾燥種子に被覆した(無)。
【0131】
実施例3と同様に、被覆後1晩室温で放置した後、被覆種子を紙の上で擦りつけたときの崩壊の様子を図9に示した。図9は、石膏とモリブデン資材とを混合して種子に被覆して作製した鉄被覆種子における、鉄の剥離性を示す図である。
【0132】
図9に示したように、モリブデン資材を加えない場合(無)と同様に、三酸化モリブデン(MoO)又はモリブドリン酸アンモニウム(MoPNH)を加えた場合にも、鉄が剥離した様子が全く見られず、強固な被覆層が形成されたことがわかった。
【0133】
(4−3:鉄被覆時に石膏とともに添加したモリブデン資材が苗立ちに及ぼす影響)
鉄被覆において、石膏による苗立ち阻害を回避する、モリブデン資材の効果を調べた。4−2と同様に、水稲(品種:にこまる)の風乾種子の0.5倍重の還元鉄(粉末、和光一級、和光純薬工業より購入)と、風乾種子の0.1倍重の焼石膏(和光純薬工業より購入)と、風乾種子1gに対してモリブデンで0.2(mmolMo/g風乾種子)に相当する三酸化モリブデン(MoO)又はモリブドリン酸アンモニウム(MoPNH)と、を混合し、風乾種子に被覆した。また同様に、還元鉄と焼石膏とのみを混合し、乾燥種子に被覆した。さらに、還元鉄のみを乾燥種子に被覆したものも作製した。
【0134】
作製した4処理の種子を、実施例1−3と同様の方法により、硫酸アンモニウムのみを添加して作成した湛水土壌に、実施例1−1と同様に播種し、20℃の恒温器内に静置して、処理別の苗立ち割合を求めた。
【0135】
図10は、鉄被覆において、石膏のみを混合した場合、及び石膏とモリブデン資材とを併用した場合の苗立ち割合を示すグラフである。図10に示すように、石膏もモリブデン資材も処理せず鉄のみを被覆した場合(無)では45%程度の苗立ち割合が得られたのに対し、石膏のみを混合した場合(石膏)では苗立ち割合が25%程度に低下した。しかし、石膏とモリブデン資材とを併用した場合(石膏+MoO、または石膏+MoPNH)には、鉄のみを被覆した場合(無)と同様の程度まで、苗立ち割合が向上した。
【0136】
以上のことから、鉄被覆においても、石膏の添加が水稲種子の苗立ちを阻害すること、及び石膏によるこの阻害効果をモリブデン資材によって回避できることが示された。
【0137】
このことから、安価な焼石膏を結合剤(結合促進剤)として利用した場合には、石膏由来で生成する有害な硫化物イオンを抑制するためにモリブデン資材を併用することが好ましいことが示された。三酸化モリブデン(MoO)は安価であり、かつ硫化物イオンを抑制することができる資材であるが、モリブドリン酸アンモニウム等よりも結合力が弱い。そのため、結合材として安価な三酸化モリブデンを用いる場合には、さらに安価な石膏を加えることによって被覆時の結合性を高めると同時に、石膏の苗立ちに対する害を三酸化モリブデンにより回避してもよい。
【0138】
(4−4:様々な鉄化合物の被覆時に石膏とともに添加したモリブデン資材が苗立ちに及ぼす影響)
還元鉄以外の鉄化合物で被覆した場合についても、石膏による苗立ち阻害をモリブデン資材によって回避できるか否かを調べた。還元鉄の代わりに、風乾種子の0.5倍重の酸化鉄(III)(Fe2O3、和光一級、和光純薬工業より購入)、酸化二鉄(III)鉄(II)(Fe3O4、四三酸化鉄、和光純薬工業より購入)、または酸化鉄(II)(FeO、半井化学薬品より購入)を用いて、4−3と同様に、風乾種子の0.1倍重の石膏を混合して被覆した風乾種子を作製した。また、これらの鉄化合物に、風乾種子1gに対してモリブデンで0.2(mmolMo/g風乾種子)に相当する、モリブドリン酸アンモニウム(MoPNH)またはモリブドリン酸カリウム(MoPK)を混合した風乾種子を作製した。
【0139】
作製した9処理(=3鉄化合物×3処理)の種子を、実施例1−3と同様の方法により、硫酸アンモニウムのみを添加して作成した湛水土壌に、実施例1−1と同様に播種し、20℃の恒温器内に静置して、処理別の苗立ち割合を求めた。
【0140】
図11は、様々な鉄化合物の被覆において、石膏のみを混合した場合、及び石膏とモリブデン資材とを併用した場合の苗立ち割合を示すグラフである。図11に示すように、石膏のみを混合した場合(無)では苗立ち割合が5%程度低下であった。しかし、石膏とモリブデン資材とを混合した場合(MoPNH、MoPK)には、苗立ち割合が50%以上に向上した。
【0141】
以上のことから、還元鉄以外の鉄化合物の被覆においても、石膏とともにモリブデン資材を混合することによって、苗立ち割合の低下を回避できることが示された。
【0142】
〔実施例5:モリブデン資材を用いた鉄被覆時の発熱〕
石膏により鉄を被覆する従来の鉄被覆の方法では、鉄の酸化熱が発生し、高温により種子が枯死するという問題がある。この問題を回避するため、被覆後の種子を平らに広げるなどの冷却を行なう必要がある。
【0143】
そこで、実施例4と同様に(i)石膏により鉄を被覆する従来法を用いて作製した被覆種子、および実施例3と同様に(ii)モリブドリン酸アンモニウム(MoPNH)または(iii)モリブドリン酸カリウム(MoPK)を鉄に添加する方法を用いて作製した被覆種子のそれぞれについて、それぞれ被覆後の発熱を調べた。それぞれ風乾種子300g分に、十分な水を使って鉄を被覆した後、プラスチックバット上に厚さ1cm程となるように薄く広げた。その上に、水分が乾きにくいよう薄いビニールシートを広げ、さらにその上に温度計を置いた。気温とともに、鉄被覆種子が広げられた層の上面の温度について、一日の温度変化を計測した。
【0144】
上記(i)の方法により鉄を被覆処理する際に手に感じる種子の温度は、他の方法において手に感じる種子の温度よりも非常に高かった。
【0145】
また、図12は、鉄被覆種子の表面温度の経時的変化を示すグラフである。図12に示すように、気温は18℃以下で推移した。被覆後の初期から一貫して、(i)石膏により鉄を被覆した場合の鉄被覆種子の表面温度が、上記(ii)及び(iii)の方法により鉄を被覆した場合よりも高いことが示された。また、(ii)モリブドリン酸アンモニウム及び(iii)モリブドリン酸カリウムを用いた場合は、鉄被覆後に発熱が始まるタイミングが(i)の方法よりも遅く、鉄被覆後4時間後に表面温度が上昇した。さらに、(ii)及び(iii)の方法による表面温度の推移は、(i)の方法に比べて常に低かった。
【0146】
被覆種子の表面の水分不足によって発熱が停滞しているのかどうかを判断するために、被覆処理後およそ9時間後に、再度、被覆種子に霧吹きで十分な水を与えた。その結果、石膏を用いた(i)の方法による鉄被覆種子の表面温度は、急激に温度が高くなり、水分が発熱の制限因子になっていることが分かった。一方、石膏を用いない(ii)及び(iii)の方法による鉄被覆種子の表面温度は、水を添加しても温度の上昇はわずかであり、水分が発熱の制限因子になっていないことが分かった。これらの方法では、鉄の酸化反応が元々起きにくいためであると考えられる。
【0147】
以上から、石膏の代わりにモリブドリン酸塩を用いる鉄被覆では発熱が小さいため、発熱の問題が生じにくいと考えられる。さらに、モリブドリン酸塩を用いた場合には、途中で水を添加してもほとんど発熱が起きなかったことから、被覆種子において酸化が完全に進んでいない状態であっても、播種後に雨などによって不慮にこの被覆種子が濡れた場合などに、発熱によって種子が障害を受ける問題が生じにくいと考えられる。
【0148】
〔実施例6:過酸化カルシウム被覆が水稲の苗立ちに及ぼす影響〕
次に、酸素発生剤を種子に被覆した場合の、水稲の苗立ちに及ぼす影響を調べた。
【0149】
ここで、従来の酸素発生剤として、16%の過酸化カルシウムを有効成分とする直播用酸素発生剤(カルパー粉粒剤16、保土谷UPL株式会社製)がある。
【0150】
このような従来の酸素発生剤には、結合材として安価な石膏が含まれる。実施例1の1−1の結果から、石膏が水稲種子の苗立ちを阻害することが示唆された。これは、石膏に含まれる硫酸イオンが還元条件で有害な硫化物イオンに変化するためと考えられる。酸素発生剤の有効成分である過酸化カルシウムが残存している間は、土壌中でも還元状態にならないため、硫化物イオンの生成が抑制される。しかし、過酸化カルシウムが消失してしまうと土壌が還元状態となり、硫酸イオンが有害な硫化物イオンに変化し、種子に害を及ぼすと考えられる。
【0151】
従来、上述した直播用酸素発生剤は、充分な効果を得るためには、風乾種子の1〜2倍重も被覆する必要があり、費用の高さが問題となっている。しかし、直播用酸素発生剤の量を減らすと、充分な効果が得られないとされている。
【0152】
そこで、本発明者らは、従来の直播用酸素発生剤は、硫黄成分を含む石膏を含んでいるために、過酸化カルシウムが消失して還元条件になった場合に硫化物イオンが生成するという危険性を有しており、還元状態を防ぐために多量の過酸化カルシウムを必要とすると考え、石膏を用いなければ風乾種子を被覆する酸素発生剤の量を減らすことができないのではないかと考えた。
【0153】
なお、上述した直播用酸素発生剤には、上述したように16%の過酸化カルシウムが含まれている。この直播用酸素発生剤を、風乾種子重の1〜2倍重被覆した場合には、被覆される過酸化カルシウムの量は風乾種子の16重量%〜32重量%と計算される。本発明者らは、石膏を除くことによって、種子を被覆する過酸化カルシウムの量を減らせるのではないかと考え、以下に検討した。まず、風乾種子の5重量%の過酸化カルシウムに様々な量の石膏を混ぜて、水稲の苗立ちへの影響を調べた。
【0154】
(6−1:過酸化カルシウム被覆における、水稲の苗立ちに及ぼす石膏の影響)
実施例1の1−2と同様の方法で、無添加の湛水土壌と、マルトースを加えた湛水土壌(糖添加と表記)とを作製した。また、実施例1の1−3と同様の方法で、硫酸アンモニウムを添加した湛水土壌(硫安添加と表記)を作製した。
【0155】
水稲(品種:ヒノヒカリ)の風乾種子の0.2倍重の25%過酸化カルシウム(和光純薬工業より購入)に、風乾種子のそれぞれ0.000,0.005,0.01,0.02,0.05,0.1,0.2,0.5倍重(8条件)の焼石膏を混合した。この混合物には、それぞれ風乾種子の5重量%の過酸化カルシウムが含まれる。これらの混合物を、霧吹きで水を添加しながら少量ずつ、風乾種子に付着させた。
【0156】
上述した3条件の湛水土壌に、石膏の量が異なる8条件の種子を播種した(土壌3条件×種子8条件=24処理)。1つの容器には、同じ処理を施した8個の水稲種子を深さ15mm、約2cmの間隔で播種し、軽く揺らして播種穴を塞いだ。各処理には6容器を充てた。播種した容器は、1日のうち半日だけ蛍光灯が点灯する20℃の恒温器内に静置した。その後は、土壌表面上の水が蒸発により減った際に蒸留水を補った。播種約5週間後に、各容器の苗立ち割合(第3葉抽出個体数の割合)を調査し、処理別の苗立ち割合の平均と標準誤差とを求めた。
【0157】
図13は、過酸化カルシウム被覆種子における石膏の量と水稲の苗立ち割合との関係を示すグラフである。図13に示すように、土壌条件にかかわらず、風乾種子重の0.05倍以上、特に0.2倍以上の焼石膏を添加した場合には、苗立ち割合が低下した。
【0158】
(6−2:酸素発生剤の量についての検討)
次に、酸素発生剤の量について検討した。具体的には、酸素発生剤の量を従来よりも少なくしたときの苗立ち低下抑制効果について調べた。酸素発生剤として、6−1で用いた過酸化カルシウムと、上述した直播用酸素発生剤(カルパー粉粒剤16、保土谷UPL株式会社製)とを用いた。
【0159】
ここで、上述した直播用酸素発生剤は、結合材として安価な石膏(焼石膏)を含むことが予想されるため、まず、この直播用酸素発生剤に含まれる石膏の量を推定した。
【0160】
(直播用酸素発生剤に含まれる焼石膏量の推定と考察)
直播用酸素発生剤と焼石膏とのそれぞれに含まれる硫黄含量を調べることにより、直播用酸素発生剤に含まれる焼石膏の量を推定した。具体的には、それぞれの資材を5,10,20mg程度にて精確に計量し、30mLの0.2N塩酸で抽出し、抽出液の硫黄濃度を誘導結合プラズマ発光分光装置(ICP−AES、Varian VISTA AX)により定量した。
【0161】
その結果、硫黄含量は、直播用酸素発生剤が40mgS/g、焼石膏が257mgS/gであった。焼石膏の分子式(CaSO4・0.5H2O)によれば硫黄含量の理論値は221mgS/gであり、分析値は大まかに一致している。また、抽出比(定量した資材量と塩酸量との比)に関わらず、抽出された硫黄量がほぼ一致したことから、少なくとも石膏に含まれる硫黄は全て抽出できたと考えられた。
【0162】
この結果を用いて、直播用酸素発生剤に含まれる硫黄を焼石膏相当量に換算すると、直播用酸素発生剤の15%程度が焼石膏であると推定された。これによれば、直播用酸素発生剤を風乾種子の1〜2倍重被覆した場合、風乾種子の0.15〜0.30倍重の焼石膏が種子に被覆されていることになると試算される。
【0163】
6−1の条件では、被覆した過酸化カルシウムの量は、直播用酸素発生剤を風乾種子の1〜2倍重被覆した場合の過酸化カルシウムの被覆量(風乾種子の16重量%〜32重量%)よりも少ない(風乾種子の5重量%)。また、6−1では、風乾種子の0.15〜0.30倍重の焼石膏が混合されると苗立ち割合が低下するという結果が得られている(図13)。
【0164】
これらのことから、直播用酸素発生剤の被覆量が減少したり、環境要因が厳しいために直播用酸素発生剤中の過酸化カルシウムの消失が早まったりした場合には、直播用酸素発生剤に含まれる焼石膏の影響を受けてしまい、苗立ちが低下する可能性が示唆される。すなわち、従来の直播用酸素発生剤は焼石膏を含んでおり、酸素発生剤(ここでは過酸化カルシウム)が早く消失してしまうと、土壌が還元状態となるとともに石膏に含まれる硫酸イオンが硫化物イオンに変化してしまう。その結果、この硫化物イオンが種子に害を及ぼし、苗立ちを阻害すると考えられる。このため、過酸化カルシウムの被覆に石膏、つまり硫酸塩又は硫酸イオンを添加しなければ、過酸化カルシウムの必要量を少なくすることができる可能性がある。
【0165】
(6−3:酸素発生剤の量についての検討2)
6−1と同様に、無添加の湛水土壌と、マルトースを加えた湛水土壌(糖添加と表記)とを作製した。
【0166】
水稲(品種:ヒノヒカリ)の風乾種子に、直播用資材(上述した直播用酸素発生剤、過酸化カルシウム16%含有)と、25重量%過酸化カルシウムとのそれぞれを、過酸化カルシウムの量が風乾種子重の、それぞれ0.000,0.016,0.032,0.080,0.16倍重となるように、付着させた。
【0167】
上述した2条件の湛水土壌に、上記2種類の種子と何も付加しない風乾種子(無処理と表記)とを播種した(土壌2条件×種子9条件=18処理)。1つの容器には、同じ処理を施した8個の水稲種子を深さ15mm、約2cmの間隔で播種し、軽く揺らして播種穴を塞いだ。各処理には6容器を充てた。播種した容器は、1日のうち半日だけ蛍光灯が点灯する20℃の恒温器内に静置した。その後は、土壌表面上の水が蒸発して減った際に蒸留水で補った。播種約5週間後に、各容器の苗立ち割合(第3葉抽出個体数の割合)を調査し、処理別の苗立ち割合の平均と標準誤差とを求めた。
【0168】
この結果を図14に示す。図14は、従来よりも少ない量の酸素発生剤を用いたときの水稲の苗立ち割合を示すグラフである。
【0169】
図14に示すように、いずれの土壌条件においても、石膏を含む直播用資材に比べて、石膏を含まない25%過酸化カルシウムを付着させた方が、苗立ち割合が高い傾向があった。なお、本実施例において、過酸化カルシウムのみを被覆した条件では従来法に比べて被覆する資材量が少ないため、風乾種子の0.16倍重(16重量%)の過酸化カルシウム(風乾種子の0.64倍重の25%過酸化カルシウム)でも、石膏を用いずに被覆することができた。特に、風乾種子の0.08倍重の過酸化カルシウム(風乾種子の0.32倍重の25%過酸化カルシウム)程度以下であれば、容易にかつ強固に過酸化カルシウムを被覆することができた。
【0170】
〔実施例7:過酸化カルシウム被覆における、水稲の苗立ちに及ぼすモリブデン資材の影響〕
(7−1:酸素発生剤の量についての検討)
実施例6の6−3では、結合材を用いずに水のみで、少量の過酸化カルシウムを種子に付着させることができた。しかし、過酸化カルシウムが消失してしまうような厳しい環境条件下では、より多量の過酸化カルシウムを種子に付着させる必要がある場合もある。その際には、過酸化カルシウムを種子に結合させるための結合材を用いることが好ましい。そこで、結合材として、モリブデン資材に着目した。
【0171】
水稲(品種:にこまる)の風乾種子のそれぞれ0.000,0.025,0.050,0.125倍重の過酸化カルシウム(それぞれ0.0,0.1,0.2,0.5倍重の25%過酸化カルシウム)のみ、または上述した4条件の過酸化カルシウムのそれぞれに、3種類のモリブデン資材のそれぞれを混合したものを、6−1と同様の方法で霧吹きで水を添加しながら、風乾種子に付着させた。
【0172】
3種類のモリブデン資材には、三酸化モリブデン(和光純薬工業より購入、MoOと表記)、モリブドリン酸アンモニウム(和光純薬工業より購入、MoPNHと表記)及びモリブドリン酸カリウム(日本新金属製、MoPKと表記)を用いた。これらは、それぞれ風乾種子1gに対してモリブデンで0.1(mmolMo/g風乾種子)に相当する量を用いた。これらのモリブデン資材は、モリブデン酸イオンを供給する。モリブデン酸イオンは、硫酸イオンと同じ2価の陰イオンであり、似た性質を示すとともに、化学的に拮抗すると予想される。また、モリブデン酸イオンは、過酸化カルシウム溶液に含まれるカルシウムイオンと結びついて石膏と似た化学的性質を有するモリブデン酸カルシウムを生成し、結合材として働くことができると予想された。
【0173】
6−1と同様の方法で作製した、硫酸アンモニウムのみを添加した湛水土壌に、これらの種子を播種した(モリブデン資材4条件(モリブデン資材を添加しない条件も含む)×過酸化カルシウム量4条件=16処理)。6−1と同様に、播種した容器は20℃の恒温器内に静置し、播種約5週間後に処理別の苗立ち割合の平均と標準誤差とを求めた。
【0174】
図15は、過酸化カルシウム被覆種子におけるモリブデン資材の苗立ちに与える影響を示すグラフである。図15に示すように、モリブデン資材を加えない場合(無と表記)には、過酸化カルシウムの添加量が0では全く苗立ちせず、その添加量が増えると苗立ち割合は上昇し、特に0.05倍重以上では40%以上に上昇した。モリブデン資材を添加した場合には、過酸化カルシウムの添加量が0でも、3種類のいずれの場合でも苗立ち割合が50%以上となった。さらに、0.125倍重の過酸化カルシウムを添加した場合、苗立ち割合はいずれも80%程度に達した。
【0175】
(7−2:モリブデン資材の種類の検討)
水稲(品種:にこまる)の風乾種子の0.05倍重の過酸化カルシウム(0.2倍重の25%過酸化カルシウム)のみ、または過酸化カルシウムに加えて、4種類のモリブデン資材のそれぞれを混合したものを、6−1と同様の方法で霧吹きで水を添加しながら、風乾種子に付着させた。モリブデン資材には、7−1で用いた三酸化モリブデン(和光純薬工業より購入、MoOと表記)、モリブドリン酸アンモニウム(和光純薬工業より購入、MoPNHと表記)及びモリブドリン酸カリウム(日本新金属製、MoPKと表記)に加えて、モリブデン酸(和光純薬工業より購入、MoHと表記)を用いた。これらは、7−1と同様に、それぞれ風乾種子1gに対してモリブデンで0.1(mmolMo/g風乾種子)に相当する量を用いた。
【0176】
7−1より苗立ちしにくい条件とするため、7−1で用いた硫酸アンモニウムに加えて、実施例1の1−2と同様にマルトースを湛水土壌に添加し、これらの種子を播種した(モリブデン資材5条件(モリブデン資材を添加しない条件も含む)=5処理)。7−1と同様に、播種した容器は20℃の恒温器内に静置し、播種約5週間後に処理別の苗立ち割合の平均と標準誤差とを求めた。
【0177】
図16は、過酸化カルシウム被覆種子におけるモリブデン資材の苗立ちに与える影響を示すグラフである。過酸化カルシウムのみ(無と表記)の場合、マルトースを加えることによって、苗立ち割合は10%未満に低下したが、モリブデン資材を添加した4処理では50%前後の苗立ち割合が得られた。
【0178】
土壌にマルトースを加えなかった7−1では、モリブデン資材を添加せず0.05倍重の過酸化カルシウムだけでも苗立ち割合が50%近くとなった(図15)。これに対し、土壌にマルトースを加えて土壌の還元化を促進した7−2場合には、0.05倍重の過酸化カルシウムのみを被覆した場合では苗立ち割合が10%未満に低下した一方で、さらにモリブデン資材を添加した場合はこのような著しい苗立ち割合の低下が見られなかった(図16)。
【0179】
以上のように、過酸化カルシウムを被覆する場合、結合材としてモリブデン資材を混合することで、苗立ち割合の低下をさらに抑制することが可能であることが示された。上述したモリブデン資材から生じるモリブデン酸イオンは、土壌中の硫酸イオンと拮抗し、苗立ち不良の原因となる硫化物イオンの生成を阻害したと考えられる。
【0180】
このように、モリブデン資材を含む結合材を用いることによって、硫化物イオンの害をさらに受けにくくなる。したがって、苗立ち低下を抑制する効果を保持しつつ、過酸化カルシウムの量をさらに減らすことも可能となる。
【産業上の利用可能性】
【0181】
本発明は、作物を栽培する農業分野、特に稲作での広範な利用が可能である。
【技術分野】
【0001】
本発明は、被覆種子の製造方法、栽培方法及び被覆種子に関する。
【背景技術】
【0002】
米は世界三大穀物の1つであり、イネは日本において最も作付面積が広い重要な作物である。現在の日本で行われている一般的な稲作は、育苗箱に種子を播いて生長させた苗を本田に植えるため、諸外国の稲作と比べてコスト高であり、コスト削減が望まれている。また、農家の高齢化が進んでおり、省力化も求められている。このように、稲作のコスト削減及び省力化を実現する観点から、イネの種子を本田に直接播種する直播が注目されている。
【0003】
直播において、湛水せずに土壌の水分が少ない水田に種子を播種する乾田直播では苗立ちは安定しているが、湛水及び代かきの後の水田に種子を播種する湛水直播では苗立ちが不安定になりやすい。湛水土壌中における生育不良の原因は、一般に、酸素不足であるとされている。そして、非特許文献1には、土壌中の酸素が無くなったのちに酸素の代わりに電子を受け取る物質が消費される土壌還元が原因であることが記載されている。さらに、非特許文献1には、土壌還元がもたらすいくつかの現象のうち、直播における生育不良の主要な要因は、土壌還元で生成する有機酸及び二価鉄であると考えられることが記載されている。
【0004】
このような直播における生育不良を改善するために、湛水直播では、例えば、播種前に種子の表面を酸素発生剤等で被覆することによって、種子の酸素不足や土壌還元を抑制し、苗立ちを改善している(非特許文献2)。
【0005】
また、湛水土壌中に播種することを諦めて、鳥害と浮遊を避けるために鉄等を被覆した種子を土壌の表面に播種する方法の普及が進んでいる(特許文献1)。この方法は、比重が大きくかつ安価な鉄を種子に被覆し、錆を形成させて固着させる。形成された被覆層は強いため、剥離しにくく、また播種後の鳥害を受けにくい。また、種子に適度な重量を付加することができるので、風などの影響を受けずに種子を飛ばすことが容易となり、播種の作業性が増すとともに、播種後に浮いたり流されたりしにくくなる。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0006】
【特許文献1】特開2005−192458(2005年7月21日公開)
【非特許文献】
【0007】
【非特許文献1】萩原素之、石川県農業短期大学特別研究報告第20号、「水稲の湛水土壌中直播における出芽・苗立ちに関する研究」、1993年3月
【非特許文献2】農林水産省第9回検討会資料1、「米の直播技術等の現状」、p.13、2008年3月(http://www.maff.go.jp/j/study/kome_sys/09/pdf/data1.pdf)
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
乾田直播の苗立ちは安定しているが、乾田直播を行えるのは、代かきしなくても水が溜まる水田に限られる。また、乾田直播では、水や肥料が抜けやすく、雑草が繁茂しやすいという問題や、雨が続く場合には遂行不可能であり、かつ肥料成分が流れやすく、周辺環境の富栄養化という問題も生じる。
【0009】
また、従来、湛水直播において、苗立ち向上のために種子を酸素発生剤で被覆する場合には、充分な効果を得るために非常に多量の酸素発生剤で被覆する必要があり、コスト及び労力が増大するという問題がある。
【0010】
また、湛水直播において、鉄を被覆した種子を土壌の表面に播種する方法では、種子が土壌中に沈んでしまった場合には苗立ちしにくくなるという問題がある。
【0011】
また、鉄のみを被覆した場合には錆の形成が遅い。したがって、被覆する際の作業性を高めるため、錆が形成されるまで形を保ちかつ錆の形成を促進する資材として、安価な石膏(厳密には、水和数が少ない焼石膏を使用し、水和すると2水和物の石膏になる)が用いられている。ところが、石膏を添加すると錆の形成が強く促進され、鉄の酸化による発熱が大きくなるため、被覆後の種子をまとめておくと、高温になって種子が枯死してしまう。このため、例えば鉄の被覆後に速やかに種子を薄く広げるなど、確実かつ迅速に作業する必要性があり、また、冷却場所の確保の必要性がある。また、不手際によって高温となり枯死するという危険性が付きまとうため、被覆処理後の発芽の確認が必要となっている。
【0012】
さらに、水稲種子は、予め30℃ほどのぬるま湯などに浸けて芽を出させておくと、播種後の生育が速くかつ苗立ちが安定することが知られている。しかし、出芽した種子は高温に対してより弱くなるため、鉄の酸化による高温に耐えられず枯死しやすい。そのため、鉄の被覆を行なう場合には、予め十分な催芽を行なうことができないという問題がある。
【0013】
本発明は、上記の従来技術が有する問題に鑑みてなされたものであり、その第1の目的は、苗立ちが低下しにくい被覆種子の製造方法及び栽培方法、ならびに被覆種子を提供することにある。また、本発明の第2の目的は、種子に鉄を被覆する場合に、鉄の酸化による発熱を抑制し、かつ安価で硬い被覆層を形成することができる被覆種子の製造方法及び栽培方法、ならびに被覆種子を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0014】
本発明者らは、上記課題を解決するために鋭意検討を行い、まず、酸素発生剤、鉄等で種子を被覆する際に結合材(結合促進剤を含む。以下同様。)として通常用いられている石膏に、苗立ち低下作用があることを見出した。すなわち、湛水土壌、過湿土壌等では、石膏に含まれる硫酸イオンから生成された硫化物イオンが種子の苗立ちを低下させる原因となっていることを見出した。
【0015】
また、本発明者らは、石膏の代わりに、又は併用して、結合材又は結合促進剤として特定の資材を用いることによって、苗立ちの低下を抑制できることを見出した。
【0016】
さらに、本発明者らは、鉄を被覆する場合、石膏の代わりに、又は併用して、特定の資材を用いることによって、容易に成型が可能となり、かつ発熱を伴う錆の形成を遅くすることができることを見出した。
【0017】
本発明者らは、以上の知見により本発明を完成させた。
【0018】
本発明に係る被覆種子の製造方法は、硫黄成分を含まない結合材又は結合促進剤を用いて、被覆資材を種子に被覆させる被覆工程を含み、上記結合材又は結合促進剤は、モリブデン資材及びタングステン資材からなる群より選択される少なくとも1つを含むことを特徴とする。本発明に係る被覆種子の製造方法では、上記被覆資材は、酸素発生剤及び鉄の少なくとも一方を含むことが好ましい。
【0019】
また、本発明に係る被覆種子の製造方法では、上記結合材又は結合促進剤は、酸化モリブデン、モリブデン酸とその塩、モリブドリン酸とその塩、モリブドケイ酸とその塩、タングストリン酸とその塩、タングストケイ酸とその塩、酸化タングステン、及びタングステン酸とその塩からなる群より選択される少なくとも1つであることが好ましい。
【0020】
また、本発明に係る被覆種子の製造方法では、上記種子は水稲の種子であることが好ましい。
【0021】
本発明に係る栽培方法は、上述した製造方法を用いて製造された被覆種子を農地に直接播種する播種工程を含むことを特徴とする。
【0022】
本発明に係る被覆種子は、種子と、上記種子を被覆する被覆層とを備えており、上記被覆層は、被覆資材と、上記被覆資材を上記種子の表面に結合させる、硫黄成分を含まない結合成分又は結合促進成分とを含み、上記結合成分又は結合促進成分は、モリブデン資材及びタングステン資材からなる群より選択される少なくとも1つを含むことを特徴とする。本発明に係る被覆種子では、上記被覆資材は、酸素発生剤及び鉄の少なくとも一方を含むことが好ましい。
【0023】
また、本発明に係る被覆種子では、上記結合成分又は結合促進成分は、酸化モリブデン、モリブデン酸とその塩、モリブドリン酸とその塩、モリブドケイ酸とその塩、タングストリン酸とその塩、タングストケイ酸とその塩、酸化タングステン、及びタングステン酸とその塩からなる群より選択される少なくとも1つであることが好ましい。
【0024】
また、本発明に係る被覆種子では、上記種子は水稲の種子であることが好ましい。
【発明の効果】
【0025】
本発明は、以上の構成によって、苗立ちが低下しにくい被覆種子の製造方法及び栽培方法、ならびに被覆種子を提供することができる。また、本発明は、種子に鉄を被覆する場合に、鉄の酸化による発熱を抑制し、かつ安価で硬い被覆層を形成させることができる被覆種子の製造方法及び栽培方法、ならびに被覆種子を提供することができる。
【図面の簡単な説明】
【0026】
【図1】石膏の付着量と水稲の苗立ち割合との関係を示すグラフである。
【図2】鉄被覆種子における石膏量と水稲の苗立ち割合との関係を示すグラフである。
【図3】石膏を使用しない場合の還元鉄の付着量と水稲の苗立ち割合との関係を示すグラフである。
【図4】鉄被覆種子におけるモリブデン資材の添加量と水稲の苗立ち割合との関係を示すグラフである。
【図5】種々のモリブデン資材又はタングステン資材と鉄とを混合して種子に被覆して作製した鉄被覆種子における、鉄の剥離性を示す図である。
【図6】鉄被覆種子に添加したモリブデン資材と水稲の苗立ち割合との関係を示すグラフである。
【図7】鉄被覆種子に添加したタングステン資材と水稲の苗立ち割合との関係を示すグラフである。
【図8】石膏のみを付着させた場合、及び石膏とモリブデン資材とを併用した場合の苗立ち割合を示すグラフである。
【図9】石膏とモリブデン資材とを混合して種子に被覆して作製した鉄被覆種子における、鉄の剥離性を示す図である。
【図10】鉄被覆において、石膏のみを混合した場合、及び石膏とモリブデン資材とを併用した場合の苗立ち割合を示すグラフである。
【図11】様々な鉄化合物の被覆において、石膏のみを混合した場合、及び石膏とモリブデン資材とを併用した場合の苗立ち割合を示すグラフである。
【図12】鉄被覆種子の表面温度の経時的変化を示すグラフである。
【図13】過酸化カルシウム被覆種子における石膏の量と水稲の苗立ち割合との関係を示すグラフである。
【図14】従来よりも少ない量の酸素発生剤を用いたときの水稲の苗立ち割合を示すグラフである。
【図15】過酸化カルシウム被覆種子におけるモリブデン資材の苗立ちに与える影響を示すグラフである。
【図16】過酸化カルシウム被覆種子におけるモリブデン資材の苗立ちに与える影響を示すグラフである。
【発明を実施するための形態】
【0027】
〔被覆種子〕
本発明に係る被覆種子(以下、「本発明に係る種子」ともいう。)は、種子と、種子を被覆する被覆層とを備えている。当該被覆種子は、少なくとも一時的に湛水状態となる条件で播種及び/又は出芽するものであることが好ましい。少なくとも一時的に湛水状態となる条件とは、水田、水耕等のような長期湛水状態のみならず、多雨等によって、一時的に湛水状態となる場合をも含む。
【0028】
また、本発明において「湛水直播用」とは、湛水状態の農地(培地、土壌又は土壌代替物を含む)に直接播種(直播)するために用いることを意味する。湛水状態の農地とは、例えば代かき後の水田、水耕培地、雨等によって湛水した畑等である。なお、「水田」とは、稲を栽培する耕地に限らず、水を引いて作物を栽培する耕地であればよい。
【0029】
本明細書中「種子」とは、湛水状態の水田等に種子を直播して栽培する作物、排水効率がよくない畑で栽培する作物、種子の重量が軽い作物、栽培後に何らかの機能を持たせるために農薬などの機能性資材を含む被覆層を設けることが好ましい作物、などの種子であってもよい。種子としては、例えば稲類、麦類、豆類、アブラナ科作物、ソバ類、牧草作物などの種子が挙げられる。なかでも、水稲の種子であることが好ましく、湛水直播用の水稲の種子であることがより好ましい。種子の重量が軽い作物の種子であれば、被覆種子とすることにより、一定の重量が増すため播種が容易になる。
【0030】
被覆層は、被覆資材を含む。また、被覆層は、硫酸塩又は硫酸イオン等の硫黄成分を含まないことが望ましい。
【0031】
「硫黄成分を含まない」とは、硫黄原子を含む成分を含まないことを意味する。硫黄原子を含む成分とは、例えば硫酸塩又は硫酸イオン等をさし、例えば硫酸カルシウム、硫酸マグネシウム、硫酸カリウム等が挙げられる。すなわち、本発明では、被覆層を構成する成分中に、例えば硫酸カルシウムを主成分とする石膏等が含まれないことが望ましい。
【0032】
被覆資材は、被覆層の主体となる資材である。被覆資材としては、例えば生育を促進する酸素発生剤、種子の重量又はかさを増すことができる鉄又は粘土等の資材が挙げられる。被覆資材は、酸素発生剤及び鉄の少なくとも一方を含むことが好ましい。被覆資材は、酸素発生剤と鉄との組合せであってもよい。
【0033】
種子が酸素発生剤を含む被覆資材によって被覆されることにより、種子の周囲における硫化物イオンの増加を抑制させることができ、種子の苗立ち低下を抑制することができる。酸素発生剤は、硫化物イオンの発生を抑制することによって硫化物イオンの増加を抑制させることができる。
【0034】
酸素発生剤は、硫酸イオンから硫化物イオンへの還元反応を抑制することにより、硫化物イオンの発生を抑制する。本発明に係る被覆種子は、種子と、種子を被覆する被覆層とを備えており、被覆層は、酸素発生剤を含み、かつ硫酸塩又は硫酸イオンを含まないものであってもよい。酸素発生剤とは、酸素を発生させることが可能な資材、組成物等であればよく、例えば過酸化カルシウム、過酸化マグネシウム等及びこれを含む組成物などが挙げられる。
【0035】
このような被覆資材が被覆されていることによって、種子の周囲の硫化物イオンの発生又は増加を効果的に抑制することができ、苗立ちの低下を抑制することができる。なお、被覆資材は、硫酸塩又は硫酸イオン等の硫黄成分を含まないことが好ましい。被覆層が硫黄成分を含まない場合には、種子の周囲で硫化物イオンが多量に発生することを抑制することができる。そのため、酸素発生剤の必要量を低減させることができる。
【0036】
例えば、酸素発生剤として過酸化カルシウムを用いる場合には、種子に被覆させる過酸化カルシウムの量は、被覆層における過酸化カルシウムの量が種子(乾燥種子)に対して10重量%以下となる量であってもよい。この量であれば、結合材を用いなくとも、過酸化カルシウムを種子に良好に被覆させることが可能である。また、種子に被覆させる過酸化カルシウムの量は、効果的に苗立ち低下を抑制させるためには、被覆層における過酸化カルシウムの量が種子(乾燥種子)に対して10重量%以上となる量であることが好ましい。
【0037】
種子が鉄を含む被覆資材によって被覆される場合には、種子の周囲における硫化物イオンを不溶化することによって硫化物イオンの増加を抑制させることができ、種子の苗立ち低下を抑制することができる。また、種子に鉄を被覆することによって、硬い被覆層を形成させることができるため、湿害と鳥害とを避けることができる。鉄としては、特に限定されないが、還元鉄(Fe)、酸化鉄(III)(Fe2O3)、酸化二鉄(III)鉄(II)(Fe3O4)、酸化鉄(II)(FeO)等を用いることが好ましい。
【0038】
ここで、従来は、上述したように、鉄で被覆された種子が土壌中に沈んでしまうと苗立ちが低下することが知られていたため、鉄自体に苗立ち低下を抑制する効果があることは考えられていなかった。しかし、本発明者らは、鉄自体に種子の苗立ち低下を抑制する効果があることを見出した。鉄がこのような効果を有することは、これまでの知見からは予測することのできなかった新たな知見である。
【0039】
被覆資材は、硫酸塩又は硫酸イオン等の硫黄成分を含まない結合成分(結合促進成分を含む。以下同様。)によって種子の表面に結合されていてもよい。すなわち、被覆層は、被覆資材を種子の表面に結合させる、硫黄成分を含まない結合成分を含んでいることが好ましい。結合成分とは、被覆資材を種子の表面に結合させる成分であり、結合促進成分とは、被覆資材の種子への結合を促進させる成分である。これにより、被覆資材を種子の表面に結合させることができ、苗立ちの低下をより効率的に抑制することが可能になる。
【0040】
結合成分は、固化して被覆資材を種子の表面に結合させている資材(結合資材)を含んでいてもよい。例えば酸素発生剤を被覆する場合には、このような結合資材を含む結合成分であることが好ましい。
【0041】
また結合成分は、例えば鉄を被覆する場合には、電子受容性を有する資材(結合資材)を含んでいてもよい。このような結合資材は、鉄を酸化させうる。すなわち、結合成分に含まれる結合資材によって鉄が酸化され、鉄さびが生じて凝固することにより、鉄が種子の表面に結合されていてもよい。
【0042】
結合成分は、モリブデン資材及びタングステン資材からなる群より選択される少なくとも1つを含むことが好ましい。モリブデン資材及びタングステン資材とは、それぞれモリブデン、タングステンの単体をも含む概念である。また、結合成分としては、公知の接着剤、凝固剤等を用いることも可能であり、例えばポリビニルアルコール(PVA)、カルボキシメチルセルロース(CMC)等であってもよい。
【0043】
モリブデン及びタングステンはそれぞれ、硫酸イオンと似た構造、すなわち4つの酸素を含み、かつ硫酸イオンよりも重いオキソアニオンを生成する、周期律表の第6A(6)族及び第6B族(16)の元素である。これらのオキソアニオンは、硫酸イオンと似た構造を有するので、硫酸イオンと拮抗、または、硫酸イオンが関与する硫黄代謝に関わる酵素等を不活性化することによって、微生物の活動を低下させると考えられる。これらの硫黄代謝反応の一つに、硫酸イオンから硫化物イオンを生成する反応がある。これらのオキソアニオンは、植物に悪影響を及ぼす微生物の硫黄代謝反応を攪乱し、植物の生育の低下を抑制すると考えられる。
【0044】
また、これらのオキソアニオンは、腐敗等の微生物の活動をも抑制する。硫酸イオンの構成物である硫黄元素は生物の多量必須元素でもある。したがって、これらのオキソアニオンは、硫化物イオンの生成以外の微生物の様々な硫黄代謝をも攪乱し、微生物の活動を低下させる。植物も同様に硫黄元素を必須とするが、微生物と比べて体が大きいため、これらのオキソアニオンの影響を比較的受けにくく、これらの結果として微生物の活動低下による植物の生育低下を抑制する効果が得られると考えられる。
【0045】
したがって、モリブデン資材又はタングステン資材が結合成分に含まれることにより、苗立ち及び生育の低下を抑制することができる。
【0046】
また、結合成分は、これらのオキソアニオンを供給する、オキソ酸、それらが縮合したポリ酸、それらにリン及び/又はケイ素などの元素が含まれるヘテロ酸、及びそれらの塩又はそれらを含む資材などを含むことが望ましい。さらに、植物に悪影響を及ぼしにくいという観点から、オキソアニオン濃度が高くなりにくい微溶性の資材、或いは、オキソアニオンが容易に供給されにくい、ポリ酸又はヘテロ酸の形態をとる資材を含むことが望ましい。また、同様の観点から、徐々に酸化されてオキソアニオンを生成する単体を含むことも望ましい。
【0047】
結合成分は、中でも、モリブデン資材を含むことがより好ましい。モリブデンは植物の微量元素であり、従来肥料として使用されていることからも、安全性が高い。また、モリブデン資材は、腐敗抑制効果が強いという結果が得られており、硫化物イオンが発生しない環境であっても好ましい。
【0048】
モリブデン資材として、種々の物質が存在するが、モリブデン酸イオンを供給し、かつ対象となる植物への悪影響が低い資材又は単体を選択することが好ましい。したがって、モリブデン資材は、金属モリブデン(単体)、酸化モリブデン(無水モリブデン酸)、モリブデン酸とその塩、モリブドリン酸(リンモリブデン酸)とその塩、モリブドケイ酸(ケイモリブデン酸)とその塩が望ましい。安価で市販されているものでは、金属モリブデン、酸化モリブデン、モリブデン酸、モリブデン酸カルシウム、モリブデン酸マグネシウム、モリブドリン酸アンモニウム(リンモリブデン酸アンモニウム)、モリブドリン酸カリウム(リンモリブデン酸カリウム)、モリブデン酸アンモニウム、モリブデン酸ナトリウム、モリブデン酸カリウム、モリブドリン酸、モリブドリン酸ナトリウム(リンモリブデン酸ナトリウム)、モリブドケイ酸からなる群より選択されることが好ましい。
【0049】
また、モリブデン資材は、被覆資材を種子に効率よく結合させるという観点からは、モリブドリン酸及びその塩、ならびにモリブドケイ酸及びその塩より選択される少なくとも1つであることが好ましい。モリブドリン酸塩としては、例えばモリブドリン酸アンモニウム、モリブドリン酸ナトリウム、モリブドリン酸カリウム等が挙げられる。モリブドケイ酸塩としては、例えばモリブドケイ酸アンモニウム、モリブドケイ酸ナトリウム、モリブドケイ酸カリウム等が挙げられる。
【0050】
また、水に対してわずかに溶ける微溶性のモリブデン資材は、対象となる植物に悪影響を及ぼしにくいので特に好ましい。微溶性のモリブデン資材とは、水に対する可溶割合が重量比10%以下の資材又は単体であり、例えば、金属モリブデン、酸化モリブデン、モリブデン酸、モリブデン酸カルシウム、モリブデン酸マグネシウム、モリブドリン酸アンモニウム、及びモリブドリン酸カリウム等が挙げられる。また、オキソアニオンが縮合したポリ酸やヘテロ酸、およびそれらの塩やそれらを含む資材は、モリブデン酸イオンが容易に供給されにくく、植物に悪影響を及ぼしにくいので特に好ましい。
【0051】
これらのうち、モリブドリン酸アンモニウム及びモリブドリン酸カリウムは、水に対して微溶性であり、かつ、モリブデン酸イオンを容易に供給しないヘテロ酸の塩であるとともに、苗立ち及び生育の低下を抑制する効果に優れている。また、これらの資材は、被覆資材を種子に効率よく結合させることができ、かつ黄色に着色しているため、被覆処理した種子の誤飲が防止できる点からも好ましい。
【0052】
タングステンは植物の微量要素ではないが、植物や動物等への毒性は報告されておらず、安全性の観点からも好ましい。結合成分としてタングステン資材を用いる場合、微溶性のタングステン資材が望ましく、また、タングステン酸イオンを容易に供給しにくいポリ酸又はヘテロ酸の形態をとる資材が望ましい。したがって、タングステン資材としては、金属タングステン、酸化タングステン(無水タングステン酸)、タングステン酸とその塩、タングストリン酸(リンタングステン酸)とその塩、タングストケイ酸(ケイタングステン酸)とその塩が望ましい。また、安価で市販されているという理由から、微溶性の金属タングステン、酸化タングステン、タングステン酸、パラタングステン酸アンモニウム、又はタングストリン酸アンモニウム(リンタングステン酸アンモニウム)が好ましい。
【0053】
また、タングステン資材は、被覆資材を種子に効率よく結合させるという観点からは、タングストリン酸及びその塩、ならびにタングストケイ酸及びその塩より選択される少なくとも1つであることが好ましい。タングストリン酸塩としては、例えばタングストリン酸アンモニウム、タングストリン酸ナトリウム、タングストリン酸カリウム等が挙げられる。タングストケイ酸塩としては、例えばタングストケイ酸アンモニウム、タングストケイ酸ナトリウム、タングストケイ酸カリウム等が挙げられる。
【0054】
湛水状態の水田では、土壌が還元的になりやすい。種子の近傍で土壌の還元が著しく進行した場合には、土壌中の微生物が硫酸イオンから硫化物イオンを生成する。硫化物イオンは、苗立ちに悪影響を及ぼす。しかし、本発明に係る種子は、以上の構成によって、種子の周囲における硫化物イオンの増加を抑制させ、苗立ちの低下を抑制できる。したがって、本発明に係る種子は、湛水直播に好適に用いることができる。
【0055】
また、本発明に係る種子では、被覆層中に硫黄成分が含まれない場合には、種子の周囲の硫酸イオン濃度を上昇させない。したがって、苗立ちを低下させる硫化物イオンの生成を抑制することができる。また、被覆資材が種子周囲の硫化物イオン濃度を低下させることができる資材である場合に、何らかの原因によって被覆資材が消失した場合であっても、種子の周囲で硫化物イオンが多量に発生することを抑制することができる。そのため、被覆資材の必要量を低減させ、コストを低下させることが可能である。
【0056】
また、本発明に係る種子では、種子に鉄を被覆することによって、硬い被覆層を形成させることができるため、鳥害などを避けることができる。
【0057】
本発明に係る種子は、以下に説明する被覆種子の製造方法によって製造することができる。また、本発明に係る種子は、後述する栽培方法によって栽培することが可能である。
【0058】
〔被覆種子の製造方法〕
本発明は、被覆種子の製造方法(以下、「本発明に係る製造方法」ともいう。)をも提供する。本発明に係る製造方法は、硫酸塩又は硫酸イオン等の硫黄成分を用いずに、被覆資材を種子に被覆させる被覆工程を含む。被覆工程を行なうことにより、種子の周囲に被覆層を形成させ、本発明に係る種子を生成させることができる。
【0059】
被覆資材としては、「被覆種子」の項において例示したものを好適に用いることができる。
【0060】
被覆工程では、硫酸塩又は硫酸イオン等の硫黄成分を含まない結合材を用いて、被覆資材を種子の表面に結合させることが好ましい。結合材を用いることにより、被覆資材を種子の表面により強く結合させることができる。また、結合材が硫黄成分を含まないことにより、種子の周囲の硫酸イオン濃度を抑制することができるため、苗立ちの低下を抑制させることができる。
【0061】
結合材は、固化することにより被覆資材を種子の表面に結合させる資材(結合資材)を含んでいてもよい。例えば被覆資材が酸素発生剤を含む場合には、このような結合資材を含む結合材であることが好ましい。
【0062】
また結合材は、例えば被覆資材が鉄を含む場合には、電子受容性を有する結合資材を含んでいてもよい。これにより、結合材によって鉄が酸化され、鉄さびが生じて凝固することによって、鉄を種子の表面に結合させることができる。
【0063】
結合材としては、「被覆種子」の項において例示した結合成分又はこれを含むものを好適に用いることができる。すなわち、結合材は、モリブデン資材及びタングステン資材からなる群より選択される少なくとも1つを含むことが好ましい。結合材がこれらの資材を含むことによって、苗立ち及び生育の低下を抑制することができる。モリブデン資材及びタングステン資材としては、「被覆種子」の項において例示したものを好適に用いることができる。
【0064】
被覆資材を種子に被覆する方法としては、種子の表面に適量の水若しくは結合材を付着させた後に被覆資材を塗布する方法、水若しくは結合材に被覆資材を含む粉末を添加して攪拌した後に種子に塗布する方法、適量の被覆資材を含む溶液又は混合物を種子と混合して攪拌する方法等が挙げられる。また、被覆資材を含む溶液中に種子を浸漬することによって被覆してもよい。
【0065】
本発明によって製造した被覆種子であれば、湛水状態の水田であっても、播種後の種子の周囲における硫化物イオンの増加を抑制することができる。したがって、種子の苗立ちの低下を抑制することができるため、本発明に係る製造方法によって製造した被覆種子は、湛水直播に好適に用いることができる。
【0066】
〔栽培方法〕
本発明は、さらに栽培方法を提供する。本発明に係る栽培方法は、上述した被覆種子の製造方法によって製造された被覆種子を、農地に直接播種する播種工程を含む。農地としては、湛水状態の水田であってもよい。
【0067】
播種工程において、被覆種子を農地に直接播種する方法としては、公知の方法を用いることができる。例えば、点播機、条播機、又は散播機を用いて、農地に播種してもよい。
【0068】
本発明であれば、被覆種子が苗立ち低下を抑制する成分を含む被覆層によって被覆されているため、湛水状態の水田に直接播種された場合であっても、被覆種子の周囲における硫化物イオンの増加を抑制させ、苗立ちの低下を抑制させることができる。
【0069】
〔その他の態様〕
また、本発明は、以下の態様であってもよい。
【0070】
本発明は、硫黄成分を含まない被覆資材のみを種子に被覆させる被覆工程を含む、被覆種子の製造方法を提供する。また、本発明は、種子と、上記種子を被覆する被覆層とを備えており、上記被覆層は硫黄成分を含まない被覆資材のみを含む、被覆種子を提供する。被覆資材としては、酸素発生剤及び鉄の少なくとも一方を含む資材であることが好ましい。
【0071】
以上の構成により、硫黄成分を含まない被覆資材のみを種子に被覆させるため、種子の周囲における硫化物イオンの発生を抑制することができる。したがって、特に被覆資材が酸素発生剤である場合には、この酸素発生剤の量を減らすことができる。
【0072】
また、本発明は、被覆資材と、硫黄成分を含む硫黄含有資材と、当該硫黄含有資材による苗立ち阻害の害を抑制する成分とを種子に被覆させる被覆工程を含み、上記成分は、モリブデン資材及びタングステン資材からなる群より選択される少なくとも1つを含む、被覆種子の製造方法を提供する。また、本発明は、種子と、上記種子を被覆する被覆層とを備えており、上記被覆層は、被覆資材と、硫黄成分を含む硫黄含有資材と、硫化物イオンの発生を抑制する成分とを含み、上記成分は、モリブデン資材及びタングステン資材からなる群より選択される少なくとも1つを含む、被覆種子を提供する。
【0073】
硫黄成分とは、例えば硫酸カルシウム、硫酸マグネシウム、硫酸カリウム等が挙げられる。硫黄含有資材とは、例えば硫酸カルシウムを主成分とする石膏等が挙げられる。また、被覆資材としては、酸素発生剤及び鉄の少なくとも一方を含む資材であることが好ましい。
【0074】
硫黄含有資材として石膏を用いる場合には、石膏は安価であり容易に手に入るため、被覆種子を容易に作製することができる。また、石膏を用いることにより、被覆資材を種子に確実に結合させることができる。また、石膏は、上述したように硫酸イオンを含んでいるため苗立ちを阻害してしまうが、硫化物イオンの発生を抑制する成分を用いることにより、石膏による苗立ち阻害の害を抑制することができる。
【0075】
硫化物イオンの発生を抑制する成分が含む、モリブデン資材及びタングステン資材としては、結合成分として上述したモリブデン資材及びタングステン資材について例示した資材を好適に用いることができる。これにより、石膏と併せて結合材としての効果をも得ることができる。
【0076】
また、硫化物イオンの発生を抑制するという観点からは、モリブデン資材として、例えば金属モリブデン(単体)、酸化モリブデン(無水モリブデン酸)、モリブデン酸とその塩、モリブドリン酸(リンモリブデン酸)とその塩、モリブドケイ酸(ケイモリブデン酸)とその塩、等を用いることが好ましい。また、同様の観点から、タングステン資材として、例えば金属タングステン、酸化タングステン(無水タングステン酸)、タングステン酸とその塩、タングストリン酸(リンタングステン酸)とその塩、タングストケイ酸(ケイタングステン酸)とその塩、等を用いることが好ましい。
【0077】
また、本発明は、鉄と、硫黄成分を含む硫黄含有資材と、鉄の酸化による発熱を抑制する成分とを種子に被覆させる被覆工程を含み、上記成分は、モリブデン資材及びタングステン資材からなる群より選択される少なくとも1つを含む、被覆種子の製造方法を提供する。また、本発明は、種子と、上記種子を被覆する被覆層とを備えており、上記被覆層は、鉄と、硫黄成分を含む硫黄含有資材と、鉄の酸化による発熱を抑制する成分とを含み、上記成分は、モリブデン資材及びタングステン資材からなる群より選択される少なくとも1つを含む、被覆種子を提供する。
【0078】
硫黄成分とは、例えば硫酸カルシウム、硫酸マグネシウム、硫酸カリウム等が挙げられる。硫黄含有資材とは、例えば硫酸カルシウムを主成分とする石膏等が挙げられる。石膏を用いることにより、安価に鉄を種子に結合させることができる。ここで、石膏を用いて鉄を種子に被覆させると、錆の形成が強く促進され、鉄の酸化による発熱が大きくなるため、被覆後の種子が高温になって枯死するおそれがある。しかし、本発明であれば、被覆層が鉄の酸化による発熱を抑制する成分を含むため、種子の枯死を防ぐことができる。したがって、安価に被覆種子を製造できる。また、鉄の被覆の前に予め十分な催芽を行なうことができるため、播種後の生育を速くさせ、かつ苗立ちを安定させることが可能になる。
【0079】
鉄の酸化による発熱を抑制する成分が含むモリブデン資材及びタングステン資材としては、結合成分として上述したモリブデン資材及びタングステン資材について例示した資材を好適に用いることができる。これにより、石膏と併せて結合材としての効果をも得ることができる。
【0080】
以下に実施例を示し、本発明の実施の形態についてさらに詳しく説明するが、本発明は以下の実施例に限定されるものではない。
【実施例】
【0081】
〔実施例1:水稲の苗立ちに及ぼす鉄の影響〕
(1−1:水稲の苗立ちに及ぼす石膏の影響)
まず、水稲の苗立ちに及ぼす石膏の影響について調べた。
【0082】
乾土100g相当量の水田湿潤土壌(福岡県筑後市の水田で採取、湿潤のまま冷蔵保管)を容器(直径約7cm円筒形)に採取した。これに、乾土の1.5倍重に相当する水溶液(土壌が分散しないように、乾土100kg/m2換算で0.1molK/m2となるように塩化カリウムを溶解)を添加した。容器に蓋をして室温で1時間ほど振盪した後、4℃で2日間静置し、湛水土壌を作製した。作製した湛水土壌は、土層が約3.5cm、土壌表面上の水層が約1cmとなった。
【0083】
70%エタノールと、次亜塩素酸ナトリウム溶液(和光純薬工業より購入)の5倍希釈液とに、水稲(品種:ヒノヒカリ)の風乾種子を10分間ずつ浸漬して消毒した後、10℃の水に5日間、30℃の水に1日間程度浸漬し、わずかに発芽させた。この催芽種子に、風乾種子重に対してそれぞれ0.00,0.02,0.05,0.1,0.2,0.5,1,2倍重(8条件)の焼石膏(化学用焼きセッコウ、和光純薬工業より購入)を、霧吹きで水を添加しながら少量ずつ混合し、催芽種子に石膏(石膏量8条件)を付着させた。また、催芽種子と同様の方法で、風乾種子にも石膏(石膏量8条件)を付着させた。
【0084】
上述した湛水土壌に、これらの処理種子(催芽の有無×石膏量8条件=16処理)を播種した。1つの容器には、同じ処理を施した8個の種子を深さ15mm、約2cm間隔で播種し、軽く揺らして播種穴を塞いだ。各処理には6容器を充てた。播種した容器は蓋をせずに、1日のうち半日だけ蛍光灯が点灯する30℃の恒温器内に静置した(以下、「30℃催芽種子」あるいは「30℃風乾種子」と表記する)。
【0085】
さらに、風乾種子については、それぞれ0.00,0.005,0.01,0.02,0.05,0.1,0.2,0.5倍重(8条件)の焼石膏(化学用焼きセッコウ、和光純薬工業より購入)を付着させ、播種した容器を、上述した恒温器と同様であって20℃の恒温器内に静置した(以下、「20℃風乾種子」と表記する)。
【0086】
その後、土壌表面の水が蒸発により減った際に蒸留水を補った。播種約3週間後(20℃風乾種子は5週間後)に、各容器の苗立ち割合(第3葉抽出個体数の割合)を調査し、処理別の苗立ち割合の平均と標準誤差とを求めた。
【0087】
図1は、石膏の付着量と水稲の苗立ち割合との関係を示すグラフである。図1に示すように、水稲の苗立ち割合は、催芽の有無及び処理温度にかかわらず、石膏を付着させない場合(焼石膏量が0倍重)が最も高く、石膏の付着量が多いほど低い傾向がみられた。20℃風乾種子では0.02倍重以上、30℃風乾種子では0.1倍重以上、また30℃催芽種子では1倍重以上の焼石膏を付着させた場合に、苗立ち割合が10%未満となった。
【0088】
別途、硝子容器の側面にこれらの処理種子を播種し、硝子越しに種子近傍を観察したところ、石膏の付着量が多いほど、種子近傍が黒くなった。この黒い物質は硫化鉄(FeS)と考えられ、有害な硫化物イオン(S2−)の生成を示唆する。この結果から、石膏(CaSO4・nH2O)に含まれる硫酸イオン(SO42−)が湛水土壌中で還元されて硫化物イオン(S2−)となっていると考えられた。すなわち、石膏が、水稲の苗立ちを悪化させる原因となっていると考えられた。
【0089】
(1−2:鉄被覆種子における、水稲の苗立ちに及ぼす石膏の影響)
次に、鉄で被覆した種子における、水稲の苗立ちに及ぼす石膏の影響を調べた。
【0090】
1−1と同じ方法で湛水土壌(無添加と表記)を作製した。また、この無添加の湛水土壌に、マルトース(和光特級D(+)−マルトース一水和物、和光純薬工業より購入)を乾土100gあたり100mg加えて、振盪させた後静置し、糖添加の湛水土壌(糖添加と表記)を作製した。さらに、無添加の湛水土壌に、糖添加の湛水土壌と同様にマルトースを添加するとともに、硫酸アンモニウムを乾土100kg/m2換算で0.4mol/m2となるように加えた。これを振盪後に静置し、糖硫安添加の湛水土壌(糖硫安添加と表記)を作製した。
【0091】
また、焼石膏を用いて、水稲種子に鉄を被覆した。水稲種子に鉄を被覆する方法としては、鉄錆によって水稲種子に結合させる方法を用いた。なお、従来、鉄錆によって水稲種子に鉄を結合させる場合には、錆の発生の促進のため、鉄に焼石膏を混合するのが一般的である。
【0092】
本実施例では、水稲(品種:ヒノヒカリ)の風乾種子の0.5倍重の還元鉄(粉末、和光一級、和光純薬工業より購入)に、風乾種子のそれぞれ0.00,0.02,0.05,0.1倍重(4条件)の焼石膏(和光純薬工業より購入)を混合した。これらの混合物を、霧吹きで水を添加しながら風乾種子に付着させた。その後も表面の色が錆色になるまで、数時間おきに被覆層が乾燥するたびに霧吹きで水の添加を繰り返した。
【0093】
これにより、石膏量が異なる4条件の鉄被覆種子を作製した。なお、焼石膏を混合しない場合には、混合した場合と比べて錆の発生が遅く、固まるまで時間を要したが、最終的には播種するのに充分な固さになった。
【0094】
上述した3条件の湛水土壌に、石膏量が異なる4条件の種子を播種した(土壌3条件×種子4条件=12処理)。1つの容器には、同じ処理を施した8個の水稲種子を深さ15mm、約2cm間隔で播種し、軽く揺らして播種穴を塞いだ。各処理には6容器を充てた。播種した容器は、1日のうち半日だけ蛍光灯が点灯する20℃の恒温器内に静置した。その後は、土壌表面上の水が蒸発して減った際に蒸留水で補った。
【0095】
播種約5週間後に、各容器における苗立ち割合(第3葉抽出個体数の割合)を調査し、処理別の苗立ち割合の平均と標準誤差とを求めた。
【0096】
図2は、鉄被覆種子における石膏量と水稲の苗立ち割合との関係を示すグラフである。図2に示すように、土壌条件にかかわらず、苗立ち割合は、石膏を混合しない場合(焼石膏量は0倍重)が最も高く、混合する焼石膏が増加するほど低下する傾向がみられた。別途、硝子容器の側面に種子を播種し、硝子越しに種子近傍を観察したところ、混合する焼石膏が多くなる程、種子近傍が黒くなった。いずれの土壌条件においても、風乾種子の0.02倍重の焼石膏を混合した場合(試験した最少量の焼石膏量)に、苗立ち割合の低下、及び種子近傍の黒化が起きた。
【0097】
ここで、従来の鉄の被覆処理においては、錆の発生を促進させて造粒作業性を向上させるとともに固さを向上させるため、一般的に焼石膏を用いる。焼石膏は、例えば風乾種子の0.5倍重の還元鉄に、結合材として、風乾種子の0.075倍重(鉄の15%重)を混合させる。しかし図2によれば、風乾種子の0.075倍重の焼石膏を混合すると、苗立ち割合が低下することが示唆される。このため、従来の方法では、鉄の被覆に用いられる石膏が、鉄被覆種子の苗立ち不良の一因となっていると考えられる。
【0098】
なお、土壌にマルトース等の糖を添加することによって、土壌還元が促進され、苗立ちが悪化しやすい条件となると予想される。また、硫酸アンモニウムは硫酸イオンを含んでいるため、硫酸アンモニウムを土壌に添加することによって硫化物イオンの生成が促進され、苗立ちが阻害されやすい条件となると予想される。しかし、本実施例では、糖添加又は糖硫安添加の条件だけでなく、無添加の条件の土壌においても、石膏の添加による苗立ちの低下が観察された。
【0099】
(1−3:水稲の苗立ちに及ぼす鉄の影響)
次に、水稲の苗立ちに及ぼす鉄自体の影響を調べた。
【0100】
1−1と同じ方法で、無添加の湛水土壌を作製した。また、1−2と同様の方法により、硫酸アンモニウムのみを添加した湛水土壌(硫安添加と表記)を作製した。
【0101】
また、焼石膏を用いずに、水稲種子に鉄を被覆した。1−2と同様の方法により、風乾種子のそれぞれ0.00,0.02,0.05,0.1,0.2,0.5,1,2倍重(8条件)の還元鉄(焼石膏を含まない)を、霧吹きで水を添加しながら風乾種子に付着させた。
【0102】
上述した2条件の湛水土壌に、鉄量が異なる8条件の種子を、1−2と同様の方法で播種した(土壌2条件×種子8条件=16処理)。1−1と同様に、播種した容器を30℃の恒温器内に静置し、播種約3週間後に処理別の苗立ち割合の平均と標準誤差とを求めた。
【0103】
図3は、石膏を使用しない場合の還元鉄の付着量と水稲の苗立ち割合との関係を示すグラフである。図3に示すように、土壌条件にかかわらず、被覆した鉄の量が多くなるほど苗立ち割合が上昇する傾向がみられた。特に、硫酸アンモニウムを添加した条件(硫安添加)では、有害な硫化物イオンの生成が促進され、苗立ちが阻害されることが予想される。この硫安添加の条件では、上述した傾向が特に明瞭に観察された。
【0104】
この結果から、鉄自体には苗立ちの低下を抑制する効果があることが示された。なお、種子を被覆する鉄は、還元されて2価鉄イオンとなり、有害な硫化物イオンと結合して不溶性の硫化鉄となることによって、硫化物イオンの濃度を低下させ、その害を抑制したと考えられる。すなわち、鉄による苗立ち割合の上昇は、有害な硫化物イオンの不溶化に由来していると考えられる。
【0105】
ここで、従来の鉄被覆種子は、一般的に石膏により鉄が被覆されており、土壌中に播種すると枯死しやすく、土壌表面に播種することが必要とされている。さらに、従来の鉄被覆種子では、土壌表面に播種した場合でも、土壌の状態によっては土壌中に沈んでしまい苗立ち不良を引き起こすことが問題となっていた。
【0106】
しかし、以上の結果から、従来の鉄被覆種子の苗立ち不良の原因は、鉄ではなく、石膏が含む硫酸イオンであることが示された。すなわち、錆の促進のために結合材として添加される焼石膏が、苗立ち不良の原因であると考えられる。
【0107】
一方、本発明であれば、硫黄成分(硫酸塩もしくは硫酸イオンなど)を含まない結合材を用いるため、又は硫黄成分を含む結合材と硫化物イオンの発生を抑制する資材とを併用するため、苗立ち不良を防ぐことができる。
【0108】
〔実施例2:種子に対する鉄の結合、及び水稲の苗立ちに及ぼすモリブデン資材の影響〕
従来の鉄被覆種子においては、石膏により錆を促進させることによって鉄を種子に結合させていた。この石膏による錆促進効果は、石膏(CaSO4・nH2O)に含まれる硫酸イオン(SO42−)の効果と考えられる。しかし、実施例1において、硫酸イオンは、苗立ち不良の要因になることが示唆された。また、結合材を用いない場合には、錆の生成が遅く、鉄を種子に結合させることが困難である。
【0109】
そこで、本発明者らは、硫酸イオンと同じ2価の陰イオンであるモリブデン酸イオン(MoO42−)を生成し得るモリブデン資材に着目した。モリブデン酸イオンは、硫酸イオンと同様に、鉄の錆を促進させる効果を有することが期待できる。
【0110】
(2−1:種子に対する鉄の結合に及ぼす影響)
まず、モリブデン資材が、種子に対する鉄の結合に及ぼす影響について調べた。
【0111】
水稲(品種:にこまる)の風乾種子の0.5倍重の還元鉄(粉末、和光一級、和光純薬工業より購入)に、風乾種子1gに対してモリブデンでそれぞれ0,0.02,0.05,0.1,0.2,0.5,1,2(mmolMo/g風乾種子)(8条件)に相当する、それぞれ三酸化モリブデン(和光純薬工業より購入、MoOと表記)、モリブドリン酸アンモニウム(和光純薬工業より購入、MoPNHと表記)又はモリブドリン酸カリウム(日本新金属製、MoPKと表記)を混合し、実施例1の1−2と同様の方法で、霧吹きで水を添加しながら、風乾種子に付着させた。
【0112】
その結果、結合材を用いずに鉄を被覆した場合には、鉄被覆層の結合に時間を要したのに対し(実施例1の1−2)、結合材として上述した各モリブデン資材を用いた場合には、鉄被覆層の結合が速まった。特に、MoPNH又はMoPKを含む結合材を用いた場合には、鉄被覆層の結合がより速まった。特に、モリブデンとして0.1(mmolMo/g風乾種子)以上、特に0.2(mmolMo/g風乾種子)以上に相当するモリブデン資材を含む結合材を用いた場合には、処理後すぐに可塑性を示し、時間とともに強固に固まった。
【0113】
また、モリブドリン酸塩であるMoPNH又はMoPKを添加した場合には、0.1(mmolMo/g風乾種子)以上、特に0.2(mmolMo/g風乾種子)以上では、その添加量の増加に伴って鉄被覆種子の表面が青色を帯びたことが観察された。複数のモリブデン酸イオンとリン酸イオンとから構成されるモリブドリン酸イオンは、酸化力が強く、還元されると青色になる。このことから、モリブドリン酸イオンの還元が何らかの作用により、強い結合力を産んだと考えられた。
【0114】
なお、この結果は、モリブデン資材の添加量がこれより少ない場合に結合を促進させる効果がないことを示すものではなく、モリブデン資材の添加量に応じて結合の促進効果が高まることを示すものであると考えられる。
【0115】
(2−2:水稲の苗立ちに及ぼす影響)
また、これらのモリブデン資材が水稲の苗立ちに及ぼす影響について調べた。
【0116】
実施例1の1−3と同様の方法で作製した、硫酸アンモニウムのみを添加した湛水土壌(硫安添加)に、作製した鉄被覆種子を播種した(モリブデン資材3種類×資材量8条件=24処理)。実施例1の1−2と同様の方法で、播種した容器を20℃の恒温器内に静置し、播種約5週間後に処理別の苗立ち割合の平均と標準誤差とを求めた。
【0117】
図4は、鉄被覆種子におけるモリブデン資材の添加量と水稲の苗立ち割合との関係を示すグラフである。図4が示すように、上述した3種類のモリブデン資材のいずれについても、モリブデンとして乾燥種子1gあたり0.05(mmolMo/g風乾種子)以上を添加した場合に、苗立ち割合が高かった。
【0118】
モリブデン酸イオンは、土壌中の硫酸イオンと拮抗することによって、種子の周囲における硫酸イオンの濃度を低下させる効果を有することが考えられる。ここで、土壌中の硫酸イオンは、土壌が還元することにより還元されて苗立ちを低下させる硫化物イオンとなるおそれがある。しかし、結合材がモリブデン酸イオンを生成し得るモリブデン資材を含むことによって、種子の周囲において有害な硫化物イオンの生成を抑制することができ、苗立ちの低下を抑制できると考えられる。
【0119】
〔実施例3:様々なモリブデン資材およびタングステン資材の影響〕
(3−1:結合性の検討)
石膏の代わりにモリブデン資材又はタングステン資材を鉄と混合させたときの、被覆時の結合性を評価するため、以下のように試験した。実施例2と同様に、水稲(品種:にこまる)の風乾種子の0.5倍重の還元鉄(粉末、和光一級、和光純薬工業より購入)に、風乾種子1gに対してモリブデンまたはタングステンでそれぞれ0.2(mmolMo/g風乾種子)に相当するモリブデン資材又はタングステン資材を添加し、風乾種子に被覆した。モリブデン資材及びタングステン資材は、微溶性のものと、水溶性のものとを使用した。微溶性のものとして、三酸化モリブデン(MoO)、モリブデン酸(MoH)、モリブドリン酸アンモニウム(MoPNH)、モリブドリン酸カリウム(MoPK)、三酸化タングステン(WO)、タングステン酸(WH)、タングストリン酸アンモニウム(WPNH)、モリブデン酸カルシウム(MoCa)、及びモリブデン酸マグネシウム(MoMg)を用いた。また、水溶性のものとして、モリブデン酸アンモニウム(MoNH)、モリブデン酸ナトリウム(MoNa)、モリブデン酸カリウム(MoK)、モリブドリン酸(MoPH),モリブドリン酸ナトリウム(MoPNa)、モリブドケイ酸(MoSiH)、パラタングステン酸アンモニウム(WNHp)、メタタングステン酸アンモニウム(WNHm)、タングステン酸カリウム(WK)、タングストリン酸(WPH)、タングストリン酸ナトリウム(WPNa)、タングストケイ酸(WSiH)、及びタングストケイ酸ナトリウム(WSiNa)を用いた。なお、括弧内には、図5に表記した略号を示す。これらは、日本新金属製のモリブドリン酸カリウム(MoPK)を除き、和光純薬工業より購入した。
【0120】
また、鉄のみを乾燥種子に被覆した被覆種子を作製した(「無」と表記)。作製した鉄被覆種子について、被覆後一晩室温で放置した後、紙の上で擦りつけたときの崩壊の様子を図5に示した。図5は、種々のモリブデン資材又はタングステン資材と鉄とを混合して種子に被覆して作製した鉄被覆種子における、鉄の剥離性を示す図である。
【0121】
図5に示したように、モリブドリン酸アンモニウム(MoPNH)、モリブドリン酸カリウム(MoPK)、モリブドリン酸(MoPH)、モリブドリン酸ナトリウム(MoPNa)、モリブドケイ酸(MoSiH),タングストリン酸(WPH),及びタングストケイ酸(WSiH)を用いた被覆種子は、特に強固であり、全く崩壊が見られなかった。また、タングステン酸(WH)、タングストリン酸アンモニウム(WPNH)、タングストリン酸ナトリウム(WPNa)、及びタングストケイ酸ナトリウム(WSiNa)を用いた被覆種子についても、比較的強固であった。
【0122】
これらの資材以外のモリブデン資材又はタングステン資材を用いた場合には、鉄を種子に結合させる結合性はあるものの、崩壊が観察された。そのため、このように剥離性を有するモリブデン資材又はタングステン資材を用いて、播種に耐える強度を鉄被覆種子に持たせるためには、錆を促進するために、さらに被覆層に水を添加するなどの操作を行なうことが好ましい。
【0123】
以上のことから、苗立ちを低下させるおそれがある石膏の代わりに、モリブデン資材又はタングステン資材を鉄に添加することにより、強固な被覆層を形成できることがわかった。特にモリブドリン酸及びモリブドケイ酸とそれらの塩、ならびにタングストリン酸及びタングストケイ酸等からなる群より選択される資材を用いれば、被覆作業のみで、その後に錆の促進のために追加の水の散布を行なわなくても、強固な被覆層を形成できることがわかった。
【0124】
(3−2:水稲の苗立ちに及ぼす影響)
実施例2と同様の方法で作製した硫酸アンモニウムのみを添加した湛水土壌(硫安添加)に、3−1で作製した鉄被覆種子のうち、鉄のみを被覆した被覆種子(「無」と表記)と、様々なモリブデン資材を添加した9処理、及び様々なタングステン資材を添加した8処理の鉄被覆種子(合計1+9+8=18処理)とを播種し、20℃で管理した。播種約5週間後に、処理別の苗立ち割合の平均と標準誤差とを求めた。
【0125】
図6は、鉄被覆種子に添加したモリブデン資材と水稲の苗立ち割合との関係を示すグラフである。図7は、鉄被覆種子に添加したタングステン資材と水稲の苗立ち割合との関係を示すグラフである。比較のため、いずれの図にも、鉄のみを被覆した被覆種子(「無」と表記)のデータを示した。図6及び図7が示すように、モリブデン資材又はタングステン資材を添加した場合には、添加しない場合と比較して苗立ち割合が高かった。このため、これらのモリブデン資材及びタングステン資材を添加して鉄被覆種子を作製することで、苗立ち阻害を回避することが期待できる。
【0126】
〔実施例4:モリブデン資材と石膏との併用〕
(4−1:石膏による苗立ち阻害を回避するモリブデン資材の効果)
石膏は安価な結合剤であるが、有害な硫化物イオンの生成源となる。モリブデン資材及びタングステン資材は硫化物イオンの発生を抑制する効果を有するので、この効果によって石膏による苗立ち阻害を回避することができる。したがって、モリブデン資材又はタングステン資材と、安価な結合剤である石膏とを併せて結合材として用いることにより、苗立ちの低下を抑制しつつ、被覆資材をより強固に、かつ安価に結合させることができる。
【0127】
石膏による苗立ち阻害を回避する、モリブデン資材の効果を調べた。用いた水稲種子の品種は「にこまる」である。実施例1の1−1と同様に、風乾種子の0.1倍重の焼石膏を付着させた種子を作製した。さらに、風乾種子1gに対してモリブデンでそれぞれ0.2(mmolMo/g風乾種子)に相当する、三酸化モリブデン(和光純薬工業より購入、MoOと表記)、又はモリブドリン酸アンモニウム(和光純薬工業より購入、MoPNHと表記)を焼石膏に混合し、霧吹きで水を添加しながら、風乾種子に付着させた。作製した3処理の種子に、風乾種子のまま(無処理)を含めた4処理の種子を、実施例1−1と同様に作製した湛水土壌に、実施例1−1と同様に播種し、20℃の恒温器内に静置した。播種約5週間後に、苗立ち割合を調査し、処理別の苗立ち割合を求めた。
【0128】
図8は、石膏のみを付着させた場合、及び石膏とモリブデン資材とを併用した場合の苗立ち割合を示すグラフである。図8に示すように、石膏を処理しない無処理では50%近い苗立ち割合が得られたのに対し、石膏のみを付着させた場合では苗立ち割合が10%以下に低下した。しかし、石膏に加えてモリブデン資材を添加した場合には、石膏のみを付着させた場合に比べて、苗立ち割合が著しく向上した。
【0129】
以上のことから、石膏の添加が水稲種子の苗立ちを阻害すること、及び石膏によるこの阻害効果をモリブデン資材によって回避できることが示された。
【0130】
(4−2:石膏とともにモリブデン資材を混合したときの鉄被覆時の結合性)
石膏とともにモリブデン資材を鉄と混合したときの、被覆時の結合性を評価するため、以下のように試験した。実施例2と同様に、水稲(品種:にこまる)の風乾種子の0.5倍重の還元鉄(粉末、和光一級、和光純薬工業より購入)と、風乾種子の0.1倍重の焼石膏(和光純薬工業より購入)と、風乾種子1gに対してモリブデンで0.2(mmolMo/g風乾種子)に相当する三酸化モリブデン(MoO)又はモリブドリン酸アンモニウム(MoPNH)と、を混合し、風乾種子に被覆した。また同様に、還元鉄と焼石膏とのみを混合し、乾燥種子に被覆した(無)。
【0131】
実施例3と同様に、被覆後1晩室温で放置した後、被覆種子を紙の上で擦りつけたときの崩壊の様子を図9に示した。図9は、石膏とモリブデン資材とを混合して種子に被覆して作製した鉄被覆種子における、鉄の剥離性を示す図である。
【0132】
図9に示したように、モリブデン資材を加えない場合(無)と同様に、三酸化モリブデン(MoO)又はモリブドリン酸アンモニウム(MoPNH)を加えた場合にも、鉄が剥離した様子が全く見られず、強固な被覆層が形成されたことがわかった。
【0133】
(4−3:鉄被覆時に石膏とともに添加したモリブデン資材が苗立ちに及ぼす影響)
鉄被覆において、石膏による苗立ち阻害を回避する、モリブデン資材の効果を調べた。4−2と同様に、水稲(品種:にこまる)の風乾種子の0.5倍重の還元鉄(粉末、和光一級、和光純薬工業より購入)と、風乾種子の0.1倍重の焼石膏(和光純薬工業より購入)と、風乾種子1gに対してモリブデンで0.2(mmolMo/g風乾種子)に相当する三酸化モリブデン(MoO)又はモリブドリン酸アンモニウム(MoPNH)と、を混合し、風乾種子に被覆した。また同様に、還元鉄と焼石膏とのみを混合し、乾燥種子に被覆した。さらに、還元鉄のみを乾燥種子に被覆したものも作製した。
【0134】
作製した4処理の種子を、実施例1−3と同様の方法により、硫酸アンモニウムのみを添加して作成した湛水土壌に、実施例1−1と同様に播種し、20℃の恒温器内に静置して、処理別の苗立ち割合を求めた。
【0135】
図10は、鉄被覆において、石膏のみを混合した場合、及び石膏とモリブデン資材とを併用した場合の苗立ち割合を示すグラフである。図10に示すように、石膏もモリブデン資材も処理せず鉄のみを被覆した場合(無)では45%程度の苗立ち割合が得られたのに対し、石膏のみを混合した場合(石膏)では苗立ち割合が25%程度に低下した。しかし、石膏とモリブデン資材とを併用した場合(石膏+MoO、または石膏+MoPNH)には、鉄のみを被覆した場合(無)と同様の程度まで、苗立ち割合が向上した。
【0136】
以上のことから、鉄被覆においても、石膏の添加が水稲種子の苗立ちを阻害すること、及び石膏によるこの阻害効果をモリブデン資材によって回避できることが示された。
【0137】
このことから、安価な焼石膏を結合剤(結合促進剤)として利用した場合には、石膏由来で生成する有害な硫化物イオンを抑制するためにモリブデン資材を併用することが好ましいことが示された。三酸化モリブデン(MoO)は安価であり、かつ硫化物イオンを抑制することができる資材であるが、モリブドリン酸アンモニウム等よりも結合力が弱い。そのため、結合材として安価な三酸化モリブデンを用いる場合には、さらに安価な石膏を加えることによって被覆時の結合性を高めると同時に、石膏の苗立ちに対する害を三酸化モリブデンにより回避してもよい。
【0138】
(4−4:様々な鉄化合物の被覆時に石膏とともに添加したモリブデン資材が苗立ちに及ぼす影響)
還元鉄以外の鉄化合物で被覆した場合についても、石膏による苗立ち阻害をモリブデン資材によって回避できるか否かを調べた。還元鉄の代わりに、風乾種子の0.5倍重の酸化鉄(III)(Fe2O3、和光一級、和光純薬工業より購入)、酸化二鉄(III)鉄(II)(Fe3O4、四三酸化鉄、和光純薬工業より購入)、または酸化鉄(II)(FeO、半井化学薬品より購入)を用いて、4−3と同様に、風乾種子の0.1倍重の石膏を混合して被覆した風乾種子を作製した。また、これらの鉄化合物に、風乾種子1gに対してモリブデンで0.2(mmolMo/g風乾種子)に相当する、モリブドリン酸アンモニウム(MoPNH)またはモリブドリン酸カリウム(MoPK)を混合した風乾種子を作製した。
【0139】
作製した9処理(=3鉄化合物×3処理)の種子を、実施例1−3と同様の方法により、硫酸アンモニウムのみを添加して作成した湛水土壌に、実施例1−1と同様に播種し、20℃の恒温器内に静置して、処理別の苗立ち割合を求めた。
【0140】
図11は、様々な鉄化合物の被覆において、石膏のみを混合した場合、及び石膏とモリブデン資材とを併用した場合の苗立ち割合を示すグラフである。図11に示すように、石膏のみを混合した場合(無)では苗立ち割合が5%程度低下であった。しかし、石膏とモリブデン資材とを混合した場合(MoPNH、MoPK)には、苗立ち割合が50%以上に向上した。
【0141】
以上のことから、還元鉄以外の鉄化合物の被覆においても、石膏とともにモリブデン資材を混合することによって、苗立ち割合の低下を回避できることが示された。
【0142】
〔実施例5:モリブデン資材を用いた鉄被覆時の発熱〕
石膏により鉄を被覆する従来の鉄被覆の方法では、鉄の酸化熱が発生し、高温により種子が枯死するという問題がある。この問題を回避するため、被覆後の種子を平らに広げるなどの冷却を行なう必要がある。
【0143】
そこで、実施例4と同様に(i)石膏により鉄を被覆する従来法を用いて作製した被覆種子、および実施例3と同様に(ii)モリブドリン酸アンモニウム(MoPNH)または(iii)モリブドリン酸カリウム(MoPK)を鉄に添加する方法を用いて作製した被覆種子のそれぞれについて、それぞれ被覆後の発熱を調べた。それぞれ風乾種子300g分に、十分な水を使って鉄を被覆した後、プラスチックバット上に厚さ1cm程となるように薄く広げた。その上に、水分が乾きにくいよう薄いビニールシートを広げ、さらにその上に温度計を置いた。気温とともに、鉄被覆種子が広げられた層の上面の温度について、一日の温度変化を計測した。
【0144】
上記(i)の方法により鉄を被覆処理する際に手に感じる種子の温度は、他の方法において手に感じる種子の温度よりも非常に高かった。
【0145】
また、図12は、鉄被覆種子の表面温度の経時的変化を示すグラフである。図12に示すように、気温は18℃以下で推移した。被覆後の初期から一貫して、(i)石膏により鉄を被覆した場合の鉄被覆種子の表面温度が、上記(ii)及び(iii)の方法により鉄を被覆した場合よりも高いことが示された。また、(ii)モリブドリン酸アンモニウム及び(iii)モリブドリン酸カリウムを用いた場合は、鉄被覆後に発熱が始まるタイミングが(i)の方法よりも遅く、鉄被覆後4時間後に表面温度が上昇した。さらに、(ii)及び(iii)の方法による表面温度の推移は、(i)の方法に比べて常に低かった。
【0146】
被覆種子の表面の水分不足によって発熱が停滞しているのかどうかを判断するために、被覆処理後およそ9時間後に、再度、被覆種子に霧吹きで十分な水を与えた。その結果、石膏を用いた(i)の方法による鉄被覆種子の表面温度は、急激に温度が高くなり、水分が発熱の制限因子になっていることが分かった。一方、石膏を用いない(ii)及び(iii)の方法による鉄被覆種子の表面温度は、水を添加しても温度の上昇はわずかであり、水分が発熱の制限因子になっていないことが分かった。これらの方法では、鉄の酸化反応が元々起きにくいためであると考えられる。
【0147】
以上から、石膏の代わりにモリブドリン酸塩を用いる鉄被覆では発熱が小さいため、発熱の問題が生じにくいと考えられる。さらに、モリブドリン酸塩を用いた場合には、途中で水を添加してもほとんど発熱が起きなかったことから、被覆種子において酸化が完全に進んでいない状態であっても、播種後に雨などによって不慮にこの被覆種子が濡れた場合などに、発熱によって種子が障害を受ける問題が生じにくいと考えられる。
【0148】
〔実施例6:過酸化カルシウム被覆が水稲の苗立ちに及ぼす影響〕
次に、酸素発生剤を種子に被覆した場合の、水稲の苗立ちに及ぼす影響を調べた。
【0149】
ここで、従来の酸素発生剤として、16%の過酸化カルシウムを有効成分とする直播用酸素発生剤(カルパー粉粒剤16、保土谷UPL株式会社製)がある。
【0150】
このような従来の酸素発生剤には、結合材として安価な石膏が含まれる。実施例1の1−1の結果から、石膏が水稲種子の苗立ちを阻害することが示唆された。これは、石膏に含まれる硫酸イオンが還元条件で有害な硫化物イオンに変化するためと考えられる。酸素発生剤の有効成分である過酸化カルシウムが残存している間は、土壌中でも還元状態にならないため、硫化物イオンの生成が抑制される。しかし、過酸化カルシウムが消失してしまうと土壌が還元状態となり、硫酸イオンが有害な硫化物イオンに変化し、種子に害を及ぼすと考えられる。
【0151】
従来、上述した直播用酸素発生剤は、充分な効果を得るためには、風乾種子の1〜2倍重も被覆する必要があり、費用の高さが問題となっている。しかし、直播用酸素発生剤の量を減らすと、充分な効果が得られないとされている。
【0152】
そこで、本発明者らは、従来の直播用酸素発生剤は、硫黄成分を含む石膏を含んでいるために、過酸化カルシウムが消失して還元条件になった場合に硫化物イオンが生成するという危険性を有しており、還元状態を防ぐために多量の過酸化カルシウムを必要とすると考え、石膏を用いなければ風乾種子を被覆する酸素発生剤の量を減らすことができないのではないかと考えた。
【0153】
なお、上述した直播用酸素発生剤には、上述したように16%の過酸化カルシウムが含まれている。この直播用酸素発生剤を、風乾種子重の1〜2倍重被覆した場合には、被覆される過酸化カルシウムの量は風乾種子の16重量%〜32重量%と計算される。本発明者らは、石膏を除くことによって、種子を被覆する過酸化カルシウムの量を減らせるのではないかと考え、以下に検討した。まず、風乾種子の5重量%の過酸化カルシウムに様々な量の石膏を混ぜて、水稲の苗立ちへの影響を調べた。
【0154】
(6−1:過酸化カルシウム被覆における、水稲の苗立ちに及ぼす石膏の影響)
実施例1の1−2と同様の方法で、無添加の湛水土壌と、マルトースを加えた湛水土壌(糖添加と表記)とを作製した。また、実施例1の1−3と同様の方法で、硫酸アンモニウムを添加した湛水土壌(硫安添加と表記)を作製した。
【0155】
水稲(品種:ヒノヒカリ)の風乾種子の0.2倍重の25%過酸化カルシウム(和光純薬工業より購入)に、風乾種子のそれぞれ0.000,0.005,0.01,0.02,0.05,0.1,0.2,0.5倍重(8条件)の焼石膏を混合した。この混合物には、それぞれ風乾種子の5重量%の過酸化カルシウムが含まれる。これらの混合物を、霧吹きで水を添加しながら少量ずつ、風乾種子に付着させた。
【0156】
上述した3条件の湛水土壌に、石膏の量が異なる8条件の種子を播種した(土壌3条件×種子8条件=24処理)。1つの容器には、同じ処理を施した8個の水稲種子を深さ15mm、約2cmの間隔で播種し、軽く揺らして播種穴を塞いだ。各処理には6容器を充てた。播種した容器は、1日のうち半日だけ蛍光灯が点灯する20℃の恒温器内に静置した。その後は、土壌表面上の水が蒸発により減った際に蒸留水を補った。播種約5週間後に、各容器の苗立ち割合(第3葉抽出個体数の割合)を調査し、処理別の苗立ち割合の平均と標準誤差とを求めた。
【0157】
図13は、過酸化カルシウム被覆種子における石膏の量と水稲の苗立ち割合との関係を示すグラフである。図13に示すように、土壌条件にかかわらず、風乾種子重の0.05倍以上、特に0.2倍以上の焼石膏を添加した場合には、苗立ち割合が低下した。
【0158】
(6−2:酸素発生剤の量についての検討)
次に、酸素発生剤の量について検討した。具体的には、酸素発生剤の量を従来よりも少なくしたときの苗立ち低下抑制効果について調べた。酸素発生剤として、6−1で用いた過酸化カルシウムと、上述した直播用酸素発生剤(カルパー粉粒剤16、保土谷UPL株式会社製)とを用いた。
【0159】
ここで、上述した直播用酸素発生剤は、結合材として安価な石膏(焼石膏)を含むことが予想されるため、まず、この直播用酸素発生剤に含まれる石膏の量を推定した。
【0160】
(直播用酸素発生剤に含まれる焼石膏量の推定と考察)
直播用酸素発生剤と焼石膏とのそれぞれに含まれる硫黄含量を調べることにより、直播用酸素発生剤に含まれる焼石膏の量を推定した。具体的には、それぞれの資材を5,10,20mg程度にて精確に計量し、30mLの0.2N塩酸で抽出し、抽出液の硫黄濃度を誘導結合プラズマ発光分光装置(ICP−AES、Varian VISTA AX)により定量した。
【0161】
その結果、硫黄含量は、直播用酸素発生剤が40mgS/g、焼石膏が257mgS/gであった。焼石膏の分子式(CaSO4・0.5H2O)によれば硫黄含量の理論値は221mgS/gであり、分析値は大まかに一致している。また、抽出比(定量した資材量と塩酸量との比)に関わらず、抽出された硫黄量がほぼ一致したことから、少なくとも石膏に含まれる硫黄は全て抽出できたと考えられた。
【0162】
この結果を用いて、直播用酸素発生剤に含まれる硫黄を焼石膏相当量に換算すると、直播用酸素発生剤の15%程度が焼石膏であると推定された。これによれば、直播用酸素発生剤を風乾種子の1〜2倍重被覆した場合、風乾種子の0.15〜0.30倍重の焼石膏が種子に被覆されていることになると試算される。
【0163】
6−1の条件では、被覆した過酸化カルシウムの量は、直播用酸素発生剤を風乾種子の1〜2倍重被覆した場合の過酸化カルシウムの被覆量(風乾種子の16重量%〜32重量%)よりも少ない(風乾種子の5重量%)。また、6−1では、風乾種子の0.15〜0.30倍重の焼石膏が混合されると苗立ち割合が低下するという結果が得られている(図13)。
【0164】
これらのことから、直播用酸素発生剤の被覆量が減少したり、環境要因が厳しいために直播用酸素発生剤中の過酸化カルシウムの消失が早まったりした場合には、直播用酸素発生剤に含まれる焼石膏の影響を受けてしまい、苗立ちが低下する可能性が示唆される。すなわち、従来の直播用酸素発生剤は焼石膏を含んでおり、酸素発生剤(ここでは過酸化カルシウム)が早く消失してしまうと、土壌が還元状態となるとともに石膏に含まれる硫酸イオンが硫化物イオンに変化してしまう。その結果、この硫化物イオンが種子に害を及ぼし、苗立ちを阻害すると考えられる。このため、過酸化カルシウムの被覆に石膏、つまり硫酸塩又は硫酸イオンを添加しなければ、過酸化カルシウムの必要量を少なくすることができる可能性がある。
【0165】
(6−3:酸素発生剤の量についての検討2)
6−1と同様に、無添加の湛水土壌と、マルトースを加えた湛水土壌(糖添加と表記)とを作製した。
【0166】
水稲(品種:ヒノヒカリ)の風乾種子に、直播用資材(上述した直播用酸素発生剤、過酸化カルシウム16%含有)と、25重量%過酸化カルシウムとのそれぞれを、過酸化カルシウムの量が風乾種子重の、それぞれ0.000,0.016,0.032,0.080,0.16倍重となるように、付着させた。
【0167】
上述した2条件の湛水土壌に、上記2種類の種子と何も付加しない風乾種子(無処理と表記)とを播種した(土壌2条件×種子9条件=18処理)。1つの容器には、同じ処理を施した8個の水稲種子を深さ15mm、約2cmの間隔で播種し、軽く揺らして播種穴を塞いだ。各処理には6容器を充てた。播種した容器は、1日のうち半日だけ蛍光灯が点灯する20℃の恒温器内に静置した。その後は、土壌表面上の水が蒸発して減った際に蒸留水で補った。播種約5週間後に、各容器の苗立ち割合(第3葉抽出個体数の割合)を調査し、処理別の苗立ち割合の平均と標準誤差とを求めた。
【0168】
この結果を図14に示す。図14は、従来よりも少ない量の酸素発生剤を用いたときの水稲の苗立ち割合を示すグラフである。
【0169】
図14に示すように、いずれの土壌条件においても、石膏を含む直播用資材に比べて、石膏を含まない25%過酸化カルシウムを付着させた方が、苗立ち割合が高い傾向があった。なお、本実施例において、過酸化カルシウムのみを被覆した条件では従来法に比べて被覆する資材量が少ないため、風乾種子の0.16倍重(16重量%)の過酸化カルシウム(風乾種子の0.64倍重の25%過酸化カルシウム)でも、石膏を用いずに被覆することができた。特に、風乾種子の0.08倍重の過酸化カルシウム(風乾種子の0.32倍重の25%過酸化カルシウム)程度以下であれば、容易にかつ強固に過酸化カルシウムを被覆することができた。
【0170】
〔実施例7:過酸化カルシウム被覆における、水稲の苗立ちに及ぼすモリブデン資材の影響〕
(7−1:酸素発生剤の量についての検討)
実施例6の6−3では、結合材を用いずに水のみで、少量の過酸化カルシウムを種子に付着させることができた。しかし、過酸化カルシウムが消失してしまうような厳しい環境条件下では、より多量の過酸化カルシウムを種子に付着させる必要がある場合もある。その際には、過酸化カルシウムを種子に結合させるための結合材を用いることが好ましい。そこで、結合材として、モリブデン資材に着目した。
【0171】
水稲(品種:にこまる)の風乾種子のそれぞれ0.000,0.025,0.050,0.125倍重の過酸化カルシウム(それぞれ0.0,0.1,0.2,0.5倍重の25%過酸化カルシウム)のみ、または上述した4条件の過酸化カルシウムのそれぞれに、3種類のモリブデン資材のそれぞれを混合したものを、6−1と同様の方法で霧吹きで水を添加しながら、風乾種子に付着させた。
【0172】
3種類のモリブデン資材には、三酸化モリブデン(和光純薬工業より購入、MoOと表記)、モリブドリン酸アンモニウム(和光純薬工業より購入、MoPNHと表記)及びモリブドリン酸カリウム(日本新金属製、MoPKと表記)を用いた。これらは、それぞれ風乾種子1gに対してモリブデンで0.1(mmolMo/g風乾種子)に相当する量を用いた。これらのモリブデン資材は、モリブデン酸イオンを供給する。モリブデン酸イオンは、硫酸イオンと同じ2価の陰イオンであり、似た性質を示すとともに、化学的に拮抗すると予想される。また、モリブデン酸イオンは、過酸化カルシウム溶液に含まれるカルシウムイオンと結びついて石膏と似た化学的性質を有するモリブデン酸カルシウムを生成し、結合材として働くことができると予想された。
【0173】
6−1と同様の方法で作製した、硫酸アンモニウムのみを添加した湛水土壌に、これらの種子を播種した(モリブデン資材4条件(モリブデン資材を添加しない条件も含む)×過酸化カルシウム量4条件=16処理)。6−1と同様に、播種した容器は20℃の恒温器内に静置し、播種約5週間後に処理別の苗立ち割合の平均と標準誤差とを求めた。
【0174】
図15は、過酸化カルシウム被覆種子におけるモリブデン資材の苗立ちに与える影響を示すグラフである。図15に示すように、モリブデン資材を加えない場合(無と表記)には、過酸化カルシウムの添加量が0では全く苗立ちせず、その添加量が増えると苗立ち割合は上昇し、特に0.05倍重以上では40%以上に上昇した。モリブデン資材を添加した場合には、過酸化カルシウムの添加量が0でも、3種類のいずれの場合でも苗立ち割合が50%以上となった。さらに、0.125倍重の過酸化カルシウムを添加した場合、苗立ち割合はいずれも80%程度に達した。
【0175】
(7−2:モリブデン資材の種類の検討)
水稲(品種:にこまる)の風乾種子の0.05倍重の過酸化カルシウム(0.2倍重の25%過酸化カルシウム)のみ、または過酸化カルシウムに加えて、4種類のモリブデン資材のそれぞれを混合したものを、6−1と同様の方法で霧吹きで水を添加しながら、風乾種子に付着させた。モリブデン資材には、7−1で用いた三酸化モリブデン(和光純薬工業より購入、MoOと表記)、モリブドリン酸アンモニウム(和光純薬工業より購入、MoPNHと表記)及びモリブドリン酸カリウム(日本新金属製、MoPKと表記)に加えて、モリブデン酸(和光純薬工業より購入、MoHと表記)を用いた。これらは、7−1と同様に、それぞれ風乾種子1gに対してモリブデンで0.1(mmolMo/g風乾種子)に相当する量を用いた。
【0176】
7−1より苗立ちしにくい条件とするため、7−1で用いた硫酸アンモニウムに加えて、実施例1の1−2と同様にマルトースを湛水土壌に添加し、これらの種子を播種した(モリブデン資材5条件(モリブデン資材を添加しない条件も含む)=5処理)。7−1と同様に、播種した容器は20℃の恒温器内に静置し、播種約5週間後に処理別の苗立ち割合の平均と標準誤差とを求めた。
【0177】
図16は、過酸化カルシウム被覆種子におけるモリブデン資材の苗立ちに与える影響を示すグラフである。過酸化カルシウムのみ(無と表記)の場合、マルトースを加えることによって、苗立ち割合は10%未満に低下したが、モリブデン資材を添加した4処理では50%前後の苗立ち割合が得られた。
【0178】
土壌にマルトースを加えなかった7−1では、モリブデン資材を添加せず0.05倍重の過酸化カルシウムだけでも苗立ち割合が50%近くとなった(図15)。これに対し、土壌にマルトースを加えて土壌の還元化を促進した7−2場合には、0.05倍重の過酸化カルシウムのみを被覆した場合では苗立ち割合が10%未満に低下した一方で、さらにモリブデン資材を添加した場合はこのような著しい苗立ち割合の低下が見られなかった(図16)。
【0179】
以上のように、過酸化カルシウムを被覆する場合、結合材としてモリブデン資材を混合することで、苗立ち割合の低下をさらに抑制することが可能であることが示された。上述したモリブデン資材から生じるモリブデン酸イオンは、土壌中の硫酸イオンと拮抗し、苗立ち不良の原因となる硫化物イオンの生成を阻害したと考えられる。
【0180】
このように、モリブデン資材を含む結合材を用いることによって、硫化物イオンの害をさらに受けにくくなる。したがって、苗立ち低下を抑制する効果を保持しつつ、過酸化カルシウムの量をさらに減らすことも可能となる。
【産業上の利用可能性】
【0181】
本発明は、作物を栽培する農業分野、特に稲作での広範な利用が可能である。
【特許請求の範囲】
【請求項1】
硫黄成分を含まない結合材又は結合促進剤を用いて、被覆資材を種子に被覆させる被覆工程を含み、
上記結合材又は結合促進剤は、モリブデン資材及びタングステン資材からなる群より選択される少なくとも1つを含むことを特徴とする被覆種子の製造方法。
【請求項2】
上記被覆資材は、酸素発生剤及び鉄の少なくとも一方を含むことを特徴とする請求項1に記載の被覆種子の製造方法。
【請求項3】
上記結合材又は結合促進剤は、酸化モリブデン、モリブデン酸とその塩、モリブドリン酸とその塩、モリブドケイ酸とその塩、タングストリン酸とその塩、タングストケイ酸とその塩、酸化タングステン、及びタングステン酸とその塩からなる群より選択される少なくとも1つであることを特徴とする請求項1又は2に記載の被覆種子の製造方法。
【請求項4】
上記種子は水稲の種子であることを特徴とする請求項1〜3のいずれか1項に記載の被覆種子の製造方法。
【請求項5】
請求項1〜4のいずれか1項に記載の製造方法を用いて製造された被覆種子を農地に直接播種する播種工程を含むことを特徴とする栽培方法。
【請求項6】
種子と、
上記種子を被覆する被覆層とを備えており、
上記被覆層は、
被覆資材と、
上記被覆資材を上記種子の表面に結合させる、硫黄成分を含まない結合成分又は結合促進成分とを含み、
上記結合成分又は結合促進成分は、モリブデン資材及びタングステン資材からなる群より選択される少なくとも1つを含むことを特徴とする被覆種子。
【請求項7】
上記被覆資材は、酸素発生剤及び鉄の少なくとも一方を含むことを特徴とする請求項6に記載の被覆種子。
【請求項8】
上記結合成分又は結合促進成分は、酸化モリブデン、モリブデン酸とその塩、モリブドリン酸とその塩、モリブドケイ酸とその塩、タングストリン酸とその塩、タングストケイ酸とその塩、酸化タングステン、及びタングステン酸とその塩からなる群より選択される少なくとも1つであることを特徴とする請求項6又は7に記載の被覆種子。
【請求項9】
上記種子は水稲の種子であることを特徴とする請求項6〜8のいずれか1項に記載の被覆種子。
【請求項1】
硫黄成分を含まない結合材又は結合促進剤を用いて、被覆資材を種子に被覆させる被覆工程を含み、
上記結合材又は結合促進剤は、モリブデン資材及びタングステン資材からなる群より選択される少なくとも1つを含むことを特徴とする被覆種子の製造方法。
【請求項2】
上記被覆資材は、酸素発生剤及び鉄の少なくとも一方を含むことを特徴とする請求項1に記載の被覆種子の製造方法。
【請求項3】
上記結合材又は結合促進剤は、酸化モリブデン、モリブデン酸とその塩、モリブドリン酸とその塩、モリブドケイ酸とその塩、タングストリン酸とその塩、タングストケイ酸とその塩、酸化タングステン、及びタングステン酸とその塩からなる群より選択される少なくとも1つであることを特徴とする請求項1又は2に記載の被覆種子の製造方法。
【請求項4】
上記種子は水稲の種子であることを特徴とする請求項1〜3のいずれか1項に記載の被覆種子の製造方法。
【請求項5】
請求項1〜4のいずれか1項に記載の製造方法を用いて製造された被覆種子を農地に直接播種する播種工程を含むことを特徴とする栽培方法。
【請求項6】
種子と、
上記種子を被覆する被覆層とを備えており、
上記被覆層は、
被覆資材と、
上記被覆資材を上記種子の表面に結合させる、硫黄成分を含まない結合成分又は結合促進成分とを含み、
上記結合成分又は結合促進成分は、モリブデン資材及びタングステン資材からなる群より選択される少なくとも1つを含むことを特徴とする被覆種子。
【請求項7】
上記被覆資材は、酸素発生剤及び鉄の少なくとも一方を含むことを特徴とする請求項6に記載の被覆種子。
【請求項8】
上記結合成分又は結合促進成分は、酸化モリブデン、モリブデン酸とその塩、モリブドリン酸とその塩、モリブドケイ酸とその塩、タングストリン酸とその塩、タングストケイ酸とその塩、酸化タングステン、及びタングステン酸とその塩からなる群より選択される少なくとも1つであることを特徴とする請求項6又は7に記載の被覆種子。
【請求項9】
上記種子は水稲の種子であることを特徴とする請求項6〜8のいずれか1項に記載の被覆種子。
【図1】
【図2】
【図3】
【図4】
【図6】
【図7】
【図8】
【図10】
【図11】
【図12】
【図13】
【図14】
【図15】
【図16】
【図5】
【図9】
【図2】
【図3】
【図4】
【図6】
【図7】
【図8】
【図10】
【図11】
【図12】
【図13】
【図14】
【図15】
【図16】
【図5】
【図9】
【公開番号】特開2012−239459(P2012−239459A)
【公開日】平成24年12月10日(2012.12.10)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2011−115963(P2011−115963)
【出願日】平成23年5月24日(2011.5.24)
【出願人】(501203344)独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構 (827)
【Fターム(参考)】
【公開日】平成24年12月10日(2012.12.10)
【国際特許分類】
【出願日】平成23年5月24日(2011.5.24)
【出願人】(501203344)独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構 (827)
【Fターム(参考)】
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