説明

酸化銅の分離定量方法

【課題】銅表面に存在する腐食膜中のCuO及びCu2Oをそれぞれ高精度に定量することができる酸化銅の定量分析方法を提供する。
【解決手段】測定対象13の一端をポテンショスタット/ガルバノスタット装置20に接続し、他端側を1M以上の強アルカリ性の電解液BLに浸漬して、電流-電位曲線又は時間-電位曲線を取得し、この曲線に基づいてCuO,Cu2Oの量を測定する。電流や電位の変化の計測は、測定対象13を電解液BLに浸漬してから30秒以内に行う。また、測定対象13の腐食膜の厚さに応じて、電位の掃引速度や電流密度を変化させる。腐食膜が厚いときは、掃引速度を小さく、又は電流密度を大きくする。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、銅表面に存在する腐食膜中のCu2O(酸化第一銅)及びCuO(酸化第二銅)をそれぞれ定量するための酸化銅の分離定量方法に関する。特に、高精度に定量可能な酸化銅の分離定量方法に関する。
【背景技術】
【0002】
銅や銅合金は、一般に、大気環境下に曝されると湿度や不純物ガスなどの影響により、その表面にCuO及びCu2Oからなる腐食膜を生成する。銅や銅合金は、電線、ケーブル、プリント基板などの導体材料に汎用されており、上記腐食膜の存在により、製品外観の不良や導体抵抗の不良が生じ得る。CuO及びCu2Oの両者は性質が異なることから、銅の腐食現象の解析などを行うにあたり、両者をそれぞれ正確に定量することが望まれる。CuO及びCu2Oの分離定量方法として、電気化学的分析法であるリニアスイープボルタンメトリー法(LSV法)、クロノポテンショメトリー法(CP法)が提案されている。非特許文献1〜3には、6MのKOH+1MのLiOHという強アルカリ性の電解液を用いたLSV法による定量方法が開示されている。
【0003】
【非特許文献1】「Voltammetric Characterization of OxideFilms Formed on Copper in Air」,Journal of TheElectrochemical Society,148(11),B467-B472,2001
【非特許文献2】「銅表面に生成した酸化第一銅及び酸化第二銅のボルタンメトリー測定の標準化に関する研究」,分析化学,Vol.51,No.12,pp.1145-1151(2002)
【非特許文献3】「銅酸化物及び水酸化物の粉末試料のボルタンメトリーによる化学状態分析」,銅と銅合金,第43巻1号(2004)
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
上記非特許文献1〜3は、より高精度な定量を行うための具体的な手法を検討しておらず、より正確に定量することができる方法の開発が望まれる。
【0005】
そこで、本発明の目的は、CuO及びCu2Oを高精度に定量可能な酸化銅の分離定量方法を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0006】
本発明者らは、強アルカリ性電解液を用いることに加えて、測定対象の腐食膜の厚さに応じて電気的条件(掃引速度や電流密度)を変化させること、及び電解液に浸漬したら直ちに計測を開始することで、高精度に定量できるとの知見を得た。本発明は、この知見に基づき、LSV法及びCP法のそれぞれについて、具体的な条件を規定する。
【0007】
LSV法を利用する本発明酸化銅の分離定量方法(以下、第一の発明と呼ぶ)は、LSV法により得られる電流-電位曲線に基づいて、銅表面に存在する腐食膜中のCuO及びCu2Oをそれぞれ定量するものであり、1M以上の強アルカリ性電解液に測定対象を浸漬して、所定の掃引速度で電位を変化させたときの電流変化を計測することで、電流-電位曲線を取得する工程を具える。計測は、測定対象を上記電解液に浸漬してから30秒以内に行う。また、掃引速度は、測定対象の表面に存在する腐食膜の厚さに応じて1mV/s以上100mV/s以下の範囲で変化させる。特に、腐食膜が厚いときの掃引速度を腐食膜が薄い場合よりも小さくする。
【0008】
一方、CP法を利用する本発明酸化銅の分離定量方法(以下、第二の発明と呼ぶ)は、CP法により得られる時間-電位曲線に基づいて、銅表面に存在する腐食膜中のCuO及びCu2Oをそれぞれ定量するものであり、1M以上の強アルカリ性電解液に測定対象を浸漬して、所定の電流密度で電流を流したときの電位の経時変化を計測することで、時間-電位曲線を取得する工程を具える。計測は、測定対象を上記電解液に浸漬してから30秒以内に行う。また、電流密度は、測定対象の表面に存在する腐食膜の厚さに応じて0.1mA/cm2以上10mA/cm2以下の範囲で変化させる。特に、腐食膜が厚い場合の電流密度を腐食膜が薄い場合よりも大きくする。
【0009】
LSV法を用いる上記第一の発明では、腐食膜が薄い場合、上記特定の範囲内で掃引速度を速くし、腐食膜が厚い場合、上記特定の範囲内で掃引速度を遅くする。CP法を用いる上記第二の発明では、腐食膜が薄い場合、上記特定の範囲内で電流密度を小さくし、腐食膜が厚い場合、上記特定の範囲内で電流密度を大きくする。ここで、測定対象の腐食膜は、種々の腐食環境下で生成されるため、種々の厚さに成り得る。本発明は、上述のように膜厚に応じて掃引速度や電流密度を適切な大きさに調節することで、任意の厚さの腐食膜に対して、CuO及びCu2Oの定量を精度よく行える。特に、本発明は、CuOとCu2Oとが十分に分離された曲線が得られるように強アルカリ性の電解液を用いるが、この電解液に測定対象を浸漬後、できるだけ速く計測を始めることで、CuO及びCu2Oの定量を精度よく行える。ここで、従来の定量方法では、0.1MのKClといった中性〜弱アルカリ性電解液を用いることから、測定対象と電解液とが実質的に反応しない。そのため、測定対象を電解液に浸漬後、安定性などを考慮して、数分間程度経過してから計測を開始することが一般的である。これに対し、本発明で用いるような強アルカリ性の電解液に測定対象を長時間浸漬させてから計測を開始すると、計測前に測定対象と電解液とが反応して新たな酸化物が生じ、本来の腐食膜の量を正確に計測し難くなる。そこで、本発明では、腐食膜の厚さに応じて電気的条件を変化させることに加えて、浸漬してから計測を開始するまでの時間を規定する。以下、本発明の構成をより詳しく説明する。
【0010】
本発明に用いる電解液は、液中にアルカリ金属イオン、特に、Li+,Na+,及びK+から選択される少なくとも1種のイオンが存在する水溶液とする。特に、上記アルカリ金属の水酸化物、即ちLiOH,KOH,及びNaOHから選択される少なくとも1種の水溶液が好ましい。上記水酸化物のうち、1種のみを用いる、即ち単独で用いる場合、LiOHは、モル濃度(M)が低くてもCuOとCu2Oとが分離した曲線が得られ易い。2種を組み合わせて用いる場合、少なくともLiOHを含む、即ちKOH+LiOH又はNaOH+LiOHを用いると、分離した曲線が得られ易い。
【0011】
上記電解液の濃度は、1M(M:モル濃度(モル/リットル))以上とする。濃度が高いほど、CuOとCu2Oとが分離した曲線が得られ易い。LiOHを単独で利用する場合、1M以上、特に3M以上が好ましく、上限は、5Mである。KOH又はNaOHを単独で利用する場合、6M以上が好ましく、上限は、10Mである。KOH+LiOH又はNaOH+LiOHを用いる場合、LiOHの濃度は0.5M以上、KOH又はNaOHの濃度は3M以上が好ましく、上限はそれぞれ1M以下、6M以下である。濃度の上限は概ね溶解度で決まる。なお、高濃度のLiOHは、沈殿し易いため、電解液を作製したら直ちに測定対象を浸漬することが好ましい。LiOHにKOHなどを混合することで、沈殿し難くなる。また、測定対象の腐食膜中にCu(OH)2も共存すると考えられる場合、電解液の濃度は高い方が好ましく、LiOHを単独で利用する場合、4M以上、KOH+LiOH又はNaOH+LiOHを用いる場合、LiOHの濃度を1M、KOH又はNaOHの濃度を3M以上とすることが好ましい。
【0012】
LSV法を用いる第一の発明では、測定対象の表面に存在する腐食膜の厚さに応じて、1mV/s以上100mV/s以下の範囲から掃引速度を選択し、掃引速度を設定する(所定の掃引速度の決定)。特に、上記範囲において腐食膜が厚いほど掃引速度を小さく、薄いほど掃引速度を大きくすることが好ましい。具体的には、厚さが1μm以上の場合、1mV/s及びその近傍が好ましく、1μmよりも薄くなるに従って掃引速度が大きい方が好ましく、0.1μm以上1μm未満の場合、10mV/s程度、0.1μm未満、特に50nm以下の場合、100mV/s及びその近傍が好ましい。腐食膜が厚い場合、特に1μm以上の場合、掃引速度が速いと、特に1mV/sを超えると、腐食膜全体を還元できないことがあり、適切な定量が難しい。腐食膜が薄い場合、特に1μm未満、取分け50nm以下の場合、掃引速度が遅いと、特に100mV/s未満であると、感度が低下して十分に解析できない恐れがある。なお、「腐食膜の厚さ」とは、CuOの単独厚さ、或いはCu2Oの単独厚さではなく、合計厚さ(全体膜厚)とする。なお、LSV法は、CP法と比較するとピーク状のデータが得られるため、存在する化合物種及びその存在量の多寡が分かり易い。
【0013】
上記掃引速度の設定にあたり、測定対象の腐食膜の厚さを事前に測定する。この厚さの測定もLSV法やCP法を利用することができる。具体的には、予備測定用試料を用意し、この試料に対して所定の掃引速度で電位を変化させたときの電流変化を測定して得られた電流-電位曲線に基づいて予備測定用試料における腐食膜の厚さを算出する予備測定を行う。そして、予備測定により得られた膜厚を測定対象の腐食膜の厚さとして扱い、この厚さに応じて本測定の掃引速度を決定して、本測定を行う。予備測定時の掃引速度は、適宜選択することができるが、ある程度速くすると(例えば、100mV/s)、大まかな膜厚を容易に算出できる。このように膜厚の測定にも電気化学的分析を利用することで、予備測定と本測定とを同じ装置で連続的に行える。なお、予備測定用試料と本測定に利用する測定対象(本測定用試料)とは別個に用意してもよいし(例えば、同一の対象物から二つ試料をつくる)、同一の対象物の一部をマスキングするなどして双方の測定に利用してもよい。後述する電流密度を設定する場合も同様に予備測定用試料の膜厚を測定対象の膜厚に利用することができる。
【0014】
CP法を用いる第二の発明では、測定対象の表面に存在する腐食膜の厚さに応じて、0.1mA/cm2以上10mA/cm2以下の範囲から電流密度を選択し、電流密度を設定する(所定の電流密度の決定)。特に、上記範囲において腐食膜が厚いほど電流密度を大きく、薄いほど電流密度を小さくすることが好ましい。具体的には、厚さが1μm以上の場合、1mA/cm2以上10mA/cm2以下が好ましく、1μmよりも薄くなるに従って電流密度が小さい方が好ましく、0.1μm以上1μm未満の場合、1〜0.1mA/cm2、0.1μm未満、特に50nm以下の場合、0.1mA/cm2及びその近傍が好ましい。腐食膜が厚い場合、特に1μm以上の場合、電流密度が小さいと、特に1mA/cm2未満であると、計測時間が長くなり(概ね1時間以上)、迅速な測定を行い難い。腐食膜が薄い場合、特に1μm未満、取り分け50nm以下の場合、電流密度が大きいと(特に0.1mA/cm2超)、計測時間が短くなって、化合物ごとに電位が十分に異なる曲線が得られ難い。なお、電流密度が小さい場合、測定対象中の溶存酸素による還元という副反応の影響を受け易くなり、計測値(電位)が実際の値よりも高くなる傾向にある。従って、計測に先立って、アルゴンガスや高濃度窒素ガスといった不活性ガスを用いて溶存酸素の除去を行うことが好ましい。電流密度が高い場合、特に1mA/cm2以上の場合、溶存酸素による影響が小さいため、溶存酸素の除去を行わなくてもよい。
【0015】
測定対象は、銅表面にCuO及びCu2Oを含む腐食膜を具えるものとする。「銅」とは、純銅の他、銅合金も含む。本発明は、実質的にCuO及びCu2Oという二相系の腐食膜に対してCuO及びCu2Oのそれぞれを分離定量できる他、CuO,Cu2O,Cu(OH)2という三相系の腐食膜に対してもCuO,Cu2O,Cu(OH)2のそれぞれを分離定量できる。
【0016】
測定対象の形状は特に問わない。棒状でも板状でもよいし、微細な欠片を含む粉末状でもよい。粉末状である場合、例えば、粉末とカーボンペーストとを混合した混合物をカーボン電極本体に取り付けた電極を用いることができる。或いは、カーボン電極本体の上にカーボンペーストを塗布し、このペーストに粉末の測定対象を付着させた電極を用いると、カーボンペーストの介在による測定対象の還元効率の低下を抑制でき、例えば、1粒でも高精度に定量可能である。
【発明の効果】
【0017】
本発明酸化銅の分離定量方法は、CuO及びCu2Oのそれぞれを高精度に定量することができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0018】
まず、CuO及びCu2Oを電気化学的分析法により分離定量する際の基本的な手順を説明する。
【0019】
測定は、図1に示すような三電極方式の電解セル1を構成して行う。電解セル1は、電解液BLが注入されるセル容器10と、電解液BLに浸漬される基準電極(RE)11及び対極(CE)12並びに測定対象(WE)13とを具え、両極11,12及び測定対象13の一端はそれぞれ、ポテンショスタット/ガルバノスタット装置20に接続される。ここでは、基準電極11にAg/AgCl、対極12にPtを用い、装置20は市販のものを用いる。LSV法を利用する場合に電位を掃引するときには、装置20をポテンショスタットモードとし、CP法を利用する場合に一定の電流を与えて電位の変化を観察するときには、装置20をガルバノスタットモードにする。装置20には、入力手段、記憶手段、演算手段、比較手段、判断手段、表示手段などを具える制御装置(図示せず)を接続させており、電位の掃引や一定電流の付与、測定結果(電流-電位曲線、時間-電位曲線)の取得などを自動的に行う。
【0020】
上記制御装置に予め標準試料のデータを入力しておき、制御装置は、このデータと測定対象の取得データとを比較することで、取得した曲線からCuOやCu2Oを判断できるようにしておく。標準試料は、銅板や銅粉末などの基材にCuOからなる皮膜を有するもの(以下、CuO試料と呼ぶ)及び基材にCu2Oからなる皮膜を有するもの(以下、Cu2O試料と呼ぶ)や、基材にCuO及びCu2Oが共存する皮膜を有するもの(以下、共存試料と呼ぶ)が利用できる。CuO試料は無酸素銅(JIS H 3100)からなる銅板に所定の化学処理を施すことで得られる。この処理は、公知の処理が利用できる(例えば、非特許文献2参照)。Cu2O試料はジュメット線(JIS H 4541)をそのまま利用できる。共存試料は、ジュメット線(JIS H 4541)を0.5MのNaOH水溶液に浸漬させることで得られる。このとき、浸漬時間が長いほど、皮膜を厚くできる(例えば、上記NaOH水溶液を用いて32時間浸漬させた場合の膜厚:約1.4μm)。その他、定性的には、CuO粉末,Cu2O粉末,及びCu(OH)2粉末を標準試料としてピーク同定を行ってもよい。これらの粉末における電流-電位曲線を図2に示す(電解液:6MのKOH+1MのLiOH水溶液,掃引速度:10mV/s)。皮膜中のCuO,Cu2O,Cu(OH)2の存在は、例えば、X線回折(XRD)やX線光電子分光分析法(XPS)、赤外反射吸収分光法(IRAS)などを利用して確認できる。
【0021】
LSV法における電流-電位曲線は、理想的には、膜中のある化合物が還元され始めてから還元が終了するまでの間、0Aから最大電流値を経て0Aへと電流が変化し、この変化がピークとして現れ、複数の異なる化合物が存在する場合、複数のピークが離間して存在した形状を描く。そこで、LSV法では、上記標準試料を用いて電流-電位曲線を取得し、その結果を制御装置に入力しておき、参照できるようにする。場合によって、XRDなどを併用して同曲線のピーク部分において還元されている化合物を調べる(後述するCP法も同様)。ここでは、制御装置は、取得した曲線にピークが現れた場合、各ピークに基づく化合物をOVに遠い側から順にCu2O,CuO,Cu(OH)2と判断する。そして、制御装置は、取得した曲線のベースラインに沿った補助線とピーク部分の曲線とで囲まれる面積に相当する電気量Q(単位C)を求め、更に、単位面積あたりの重量増加量W(kg/m2)=MQ/nFS、M:分子量(kg/mole),n:反応電子数,F:ファラデー定数,S:測定面積(m2)を求めることで、各化合物の量を演算する。また、重量増加量Wと化合物の密度(或いは理論密度)とにより、膜厚を求められる。演算手法は、公知の手法が利用できる(例えば、非特許文献2参照)。
【0022】
一方、CP法における時間-電位曲線は、理想的には、膜中のある化合物が還元され始めてから還元が終了するまでの間、一定の電位をとる、即ち平坦状となり、この化合物の還元が終了したら電位が変化して別の化合物の還元が始まり、平坦状となる、という階段状の形状を描く。そこで、CP法も上述したLSV法と同様に、上記標準試料を用いて時間-電位曲線を取得し、その結果を制御装置に入力しておき、参照できるようにする。ここでは、制御装置は、取得した曲線に平坦部分が現れた場合、各平坦部分に基づく化合物をOVから近い側から順にCu(OH)2,CuO,
Cu2Oと判断する。そして、制御装置は、平坦部分に相当する時間と、印加した電流値との積、即ち電気量Qを求める。
【0023】
<試験例1>
図1に示す電解セルを用いて、試料(測定対象)を電解液に浸漬してから計測開始までの時間の依存性を調べた。
【0024】
試料は、無酸素銅(JIS H 3100)からなる厚さ:0.2mm、5cm×10cmの板材を塩酸でエッチングして、板材の表面に既に存在する酸化皮膜を溶解除去したものとした。電解液は、強アルカリ性の6MのKOH+1MのLiOH水溶液を用いた。ここでは、LSV法により計測を行う。ポテンショスタット/ガルバノスタット装置をポテンショスタットモードとし、電解液に試料を浸漬したら、計測開始までの時間を適宜変化させ、その時間が経過後、電位の掃引を開始し、掃引しながら電流の変化を計測する。掃引速度は、100mV/sとした。その結果を図3に示す。
【0025】
試料は、電解液に浸漬されると、銅本体と電解液中のOH-(水酸化物イオン)とが反応して、試料表面に酸化皮膜が形成される。この皮膜は、電位(ここでは、負の電位)の増大に伴って電解液により還元される。従って、酸化皮膜が実質的に形成されなければ、実際の計測過程で銅の酸化物や銅の水酸化物の還元ピークが生じない。しかし、酸化皮膜が形成されると、還元作用により電流が流れ、皮膜の形成量が多くなると、掃引途中でピークが現れる。
【0026】
図3に示すように、電解液に試料を浸漬すると同時に計測を始めた場合(計測開始までの時間T=0min)、ピークがなく、酸化皮膜がほとんど形成されていないと考えられる。時間T=0.5minでは、高電位側(グラフにおいて右側、0Vに近い側)に若干のピークが見られるだけである。しかし、時間Tが0.5minを超えると、低電位側(同左側、0Vから遠い側)に大きなピークが見られるようになり、酸化皮膜の形成が著しいと考えられる。以上の結果から、強アルカリ性の電解液を用いる場合、電解液に測定対象を浸漬してから、30秒以内に計測を開始することが好ましいことが分かる。なお、グラフにおいて-1.5V付近のピークは、Cu2Oの存在に基づくものである(標準試料(例えば、図2参照)の還元ピークの電位とほぼ一致)。
【0027】
<試験例2-1>
腐食膜の厚さが異なる試料(測定対象)を用意し、膜厚と掃引速度との関係を調べた。
【0028】
薄膜試料(試料No.20)は、試験例1で用いた板材と同じ無酸素銅の板材を80℃、相対湿度90%の環境下に2日間保持して作製し、厚膜試料(試料No.21)は、ジュメット線(JIS H 4541)を0.5MのNaOH水溶液(30℃)に2日浸漬させることで作製した。なお、試料No.21の断面のSIM像を観察すると、板材表面に二層構造の皮膜が形成されていることが確認された。また、この皮膜をX線回折により分析したところ、板材表面側の層がCu2O、その上の試料表面側の層がCuOで構成されていた。更に、上記SIM像を用いて皮膜の全体厚さ及び各層の厚さを測定したところ、全体厚さ:1.4μm、Cu2O層:0.8μm、CuO層:0.6μmであった(厚さはいずれも平均)。
【0029】
ここでは、図1に示す電解セルを用いて、LSV法により計測を行う。ポテンショスタット/ガルバノスタット装置をポテンショスタットモードとし、電解液(6MのKOH+1MのLiOH水溶液)に試料を浸漬したら直ちに(計測開始までの時間T=0min)電位の掃引を開始し、適宜掃引速度を変化させて、掃引しながら電流の変化を計測する。その結果を図4,5に示す。図4は、薄膜の試料No.20のグラフ、図5は、厚膜の試料No.21のグラフである。
【0030】
電流-電位曲線では、ピーク間の電位差が大きいほど、良好に分離できていると判断できる。従って、図4,5に示すように、皮膜が厚い場合は、薄い場合よりも掃引速度を遅くすることが好ましいことが分かる。特に、図4に示すように、皮膜が薄い場合、掃引速度が大きい方が、即ち速い方がCuOとCu2Oとを明確に分離できることが分かる。また、図4の下段のグラフを利用して、試料No.20の全体厚さを求めたところ、0.1μmであった。このことから厚さが0.1μmの場合、100mV/sが適切であると考えられる。なお、図4の下段のグラフに見られる二つのピークのうち、低電位側(グラフにおいて左側)のピークがCu2Oに基づくピークを示し、高電位側(同右側)のピークがCuOに基づくピークを示す。後述する図5のグラフ,図7の上段のグラフについても同様である。
【0031】
一方、図5に示すように、皮膜が厚い場合、掃引速度が小さい方が、即ち遅い方がCuOとCu2Oとを明確に分離できることが分かる。特に、図5の上段のグラフから、厚さが1μm以上の場合、1mV/sが適切であると考えられる。
【0032】
このように測定対象の表面に存在する腐食膜の厚さに応じて、掃引速度を変化させることで、CuOとCu2Oとが十分に分離された電流-電位曲線が得られることから、この曲線を用いることでCuO及びCu2Oのそれぞれの量を精度よく測定することができる。実際、CuO及びCu2Oの密度が理論密度に等しいと仮定して、理論密度と重量増加量Wとを用いて、試料No.21のCu2O層の厚さ及びCuO層の厚さを演算したところ、SIM像により求めた測定値とほぼ等しかった。また、Li+(リチウムイオン)を含む電解液を用いるとピークがシャープに現れ易く、より正確な定量ができると期待される。
【0033】
<試験例2-2>
試料(測定対象)として、実環境に曝された銅板を用い、上記試験例2-1と同様にして、膜厚と掃引速度との関係を調べた。
【0034】
この試験では、腐食膜の厚さが異なる試料No.22,23(厚さ:約0.2mm、約1cm×約5cmの板材;測定面積は1cm×1cm)を用意し、これらの試料について、試験例2-1と同様にして電流の変化を計測する。その結果を図6,7に示す。図6は、薄膜の試料No.22のグラフ、図7は、厚膜の試料No.23のグラフである。また、計測結果から各試料の腐食膜の厚さ(全体厚さ)を算出したところ、試料No.22(薄膜試料)は、0.5μm、試料No.23(厚膜試料)は、1μmであった。
【0035】
図6,7に示すように試料No.22,23も、試験例2-1と同様の結果が得られた。即ち、腐食膜が厚い場合は、薄い場合よりも掃引速度を遅くすることが好ましいことが分かる。また、図6の上段のグラフから、厚さが0.5μmの場合、10mV/sが適切であると考えられる。
【0036】
図6の上段のグラフでは、三つのピークが見られる。各ピークは、低電位側(グラフにおいて左側)から順に、Cu2O,CuO,Cu(OH)2に基づくものである(図2に示す標準試料の還元ピークの電位とほぼ一致)。このように実際の環境では、腐食膜中にCu(OH)2も存在する場合があることが分かる。そして、本発明分離定量方法を用いると、Cu2O,CuOに加えてCu(OH)2が存在する場合でも、各化合物が十分に分離された曲線が得られる。従って、本発明は、実用に適していると期待される。
【0037】
<試験例3>
酸化銅の粉末について定量を行った。
【0038】
市販のCuO粉末及びCu2O粉末を用意し、これらの粉末を用いて以下の二形態の試料を作製し、図1に示す電解セルを用いて、LSV法により定量を行った。
【0039】
(形態I) 各粉末(約0.5mg)と所定量のカーボンペーストとを混合した混合物を直径3mmφ,厚さ:約0.2mmのグラッシーカーボン電極のカーボン体に塗布したものを試料(以下、混合試料と呼ぶ)とする。上記ペースト量は適宜変化させて、カーボン比率=(粉末質量)/(カーボンペースト+粉末の質量)が異なる試料を用意する。カーボンペースト、及びカーボン体を含むグラッシーカーボン電極はいずれも市販品である。
【0040】
(形態II) 上記形態Iと同じカーボン体の一面にカーボンペースト(厚さ約0.2mm)を塗布し、その上に粉末(約0.5mg)を付着させたものを試料(以下、付着試料と呼ぶ)とする。この試料は、粉末表面の少なくとも一部が露出している。
【0041】
ポテンショスタット/ガルバノスタット装置をポテンショスタットモードとし、電解液(6MのKOH+1MのLiOH水溶液)に、上記形態I,IIの各試料を浸漬したら直ちに(計測開始までの時間T=0min)電位の掃引を開始し、掃引速度:10mV/sで掃引しながら電流の変化を計測し、電流-電位曲線を得る。そして、得られた曲線を用いてCuO,Cu2Oの定量を行い、(測定量/秤量値)×100=回収率(%)とし、回収率を求めた。その結果を図8に示す。
【0042】
図8において○及び●は、CuOを示し、◆はCu2Oを示し、○及び◆は、形態Iの試料(混合試料)、●は、形態IIの試料(付着試料)を示す。図8に示すように、混合試料の場合、カーボンペーストの割合が高くなるにつれて、回収率が低下する、即ち、定量の精度が低下する傾向にある。一方、粉末を露出させた状態で測定した場合、回収率が80〜90%と高く、高精度に定量できる。この試験から、測定対象が欠片や粉末状である場合、形態IIの付着試料と同様に試料を作製し、この試料を測定に利用することで、精度よく定量できると期待される。なお、この試験結果は、標準試料として利用することができる(図2参照)。
【0043】
<試験例4>
腐食膜の厚さが異なる試料(測定対象)を用意し、図1に示す電解セルを用いてCP法により、膜厚と電流密度との関係を調べた。試料及び電解液は、試験例2-1で用いたものと同じものを用い、ポテンショスタット/ガルバノスタット装置をガルバノスタットモードとし、電解液に試料を浸漬したら直ちに(計測開始までの時間T=0min)、適宜な電流密度で電流を流し、電位の経時変化を計測する。電流密度は0.1mA/cm2,1mA/cm2,10mA/cm2から選択した。
【0044】
時間-電位曲線では、平坦部分間の電位差が大きく、直角的に電位が下がっているほど、良好に分離できていると判断できる。この試験の結果、皮膜が厚い場合は、薄い場合よりも電流密度を大きくすることが好ましいことが確認された。特に、皮膜が薄い場合、電流密度が小さい方が、皮膜が厚い場合、電流密度が大きい方がCuOとCu2Oとを明確に分離できることが分かった。また、厚さが0.1μmの場合、1mA/cm2が好ましく、厚さが1μm以上の場合、1mA/cm2以上が適切であると考えられる。
【0045】
<試験例5>
試料(測定対象)として、実環境に曝された銅板を用意し、図1に示す電解セルを用いてCP法により腐食膜の測定を行った。ここでは、銅板の一部を残してマスキングしたものを予備測定用試料とし、予備測定により腐食膜の概ねの厚さを測定して電流密度を設定した(1mA/cm2)。ここでは、制御装置として、膜厚と各膜厚に対応した適切な電流密度との関係値データを記憶する記憶手段と、予備測定により得られた膜厚に対応した適切な電流密度を上記データから選択する選択手段とを具えるものを利用し、自動的に電流密度が設定されるようにした。上記データは予め記憶手段に入力しておく。そして、上記マスキングを除去した後、銅板の別の部分を残してマスキングしたものを本測定用試料とし、上記試験例4と同じ電解液にこの試料を浸漬したら直ちに(計測開始までの時間T=0min)電流を流し、本測定を行った。その結果を図9に示す。
【0046】
図9に示すように、電解液に試料を浸漬したら直ちに測定を開始すると共に、腐食膜の厚さに応じて適切な電流密度を設定することで、平坦部分間の電位差が大きな時間-電位曲線が得られることが分かる。特に、Cu2O,CuOに加えてCu(OH)2が存在する場合でも、各化合物が十分に分離された曲線が得られることが分かる。従って、本発明は、実用に適していると期待される。
【0047】
上記試験例1〜5では、電解液に6MのKOH+1MのLiOH水溶液を用いたが、KOHをNaOHに置換しても同様の結果が得られる。また、上記KOHの濃度は、3〜6Mの間で変化させてもよいが、高濃度の方がピークがシャープに現れ易い、又は平坦部分の段差が大きく現れ易い。更に、上記LiOHの濃度は、0.5〜1Mの間で変化させてもよいが、高濃度の方がCuO,Cu2O,Cu(OH)2を明確に分離し易い。或いは、上記の混合水溶液に代えて、LiOH水溶液といった単独の水溶液を用いても、同様の結果が得られる。このとき、LiOH水溶液の濃度は、高濃度の方が好ましく、特に3M以上が好ましい。
【0048】
なお、本発明は、上述の実施形態に限定されるものではなく、本発明の要旨を逸脱しない範囲で適宜変更することが可能である。
【産業上の利用可能性】
【0049】
本発明酸化銅の分離定量方法は、銅や銅合金からなる工業製品や芸術品において、銅表面に存在する腐食膜中の酸化物の定量に好適に利用することができる。
【図面の簡単な説明】
【0050】
【図1】銅酸化物の分離定量に用いる電解セルの概略構成図である。
【図2】三つの標準試料(CuO,Cu2O,Cu(OH)2)の電流-電位曲線である。
【図3】計測開始までの時間の依存性を示す電流-電位曲線である。
【図4】掃引速度と膜厚の関係を示す電流-電位曲線であり、膜厚が薄い試料(0.1μm)を示す。
【図5】掃引速度と膜厚の関係を示す電流-電位曲線であり、膜厚が厚い試料(1.4μm)を示す。
【図6】実環境に曝された試料における掃引速度と膜厚の関係を示すグラフであり、膜厚が薄い試料(0.5μm)を示す。
【図7】実環境に曝された試料における掃引速度と膜厚の関係を示すグラフであり、膜厚が厚い試料(1μm)を示す。
【図8】粉末試料における回収率を示すグラフである。
【図9】実環境に曝された試料における時間-電位曲線である。
【符号の説明】
【0051】
1 電解セル 10 セル容器 11 基準電極 12 対極 13 測定対象
20 ポテンショスタット/ガルバノスタット装置 BL 電解液

【特許請求の範囲】
【請求項1】
リニアスイープボルタンメトリー法(LSV法)により得られる電流-電位曲線に基づいて、銅表面に存在する腐食膜中のCuO及びCu2Oをそれぞれ定量する酸化銅の分離定量方法であって、
1M以上の強アルカリ性電解液に測定対象を浸漬して、所定の掃引速度で電位を変化させたときの電流変化を計測することで前記曲線を取得する工程を具え、
前記計測は、測定対象を前記電解液に浸漬してから30秒以内に行い、
前記掃引速度は、測定対象の表面に存在する腐食膜の厚さに応じて1mV/s以上100mV/s以下の範囲で変化させ、腐食膜が厚いときの掃引速度を腐食膜が薄い場合よりも小さくすることを特徴とする酸化銅の分離定量方法。
【請求項2】
クロノポテンショメトリー法(CP法)により得られる時間-電位曲線に基づいて、銅表面に存在する腐食膜中のCuO及びCu2Oをそれぞれ定量する酸化銅の分離定量方法であって、
1M以上の強アルカリ性電解液に測定対象を浸漬して、所定の電流密度で電流を流したときの電位の経時変化を計測することで前記曲線を取得する工程を具え、
前記計測は、測定対象を前記電解液に浸漬してから30秒以内に行い、
前記電流密度は、測定対象の表面に存在する腐食膜の厚さに応じて0.1mA/cm2以上10mA/cm2以下の範囲で変化させ、腐食膜が厚い場合の電流密度を腐食膜が薄い場合よりも大きくすることを特徴とする酸化銅の分離定量方法。
【請求項3】
前記測定対象の腐食膜の厚さは、予備測定用試料の腐食膜の厚さを利用し、
前記予備測定用試料の腐食膜の厚さは、LSV法により得られる電流-電位曲線に基づいて算出することを特徴とする請求項1に記載の酸化銅の分離定量方法。
【請求項4】
前記測定対象の腐食膜の厚さは、予備測定用試料の腐食膜の厚さを利用し、
前記予備測定用試料の腐食膜の厚さは、CP法により得られる時間-電位曲線に基づいて算出することを特徴とする請求項2に記載の酸化銅の分離定量方法。
【請求項5】
前記曲線を用いて、更に、測定対象の表面に存在する腐食膜中のCu(OH)2も定量することを特徴とする請求項1〜4のいずれか1項に記載の酸化銅の分離定量方法。
【請求項6】
前記電解液は、1M以上のLiOH水溶液、3M以上のKOHに0.5M以上1M以下のLiOHを添加した混合水溶液、及び3M以上のNaOHに0.5M以上1M以下のLiOHを添加した混合水溶液から選択されるいずれかの水溶液であることを特徴とする請求項1〜5のいずれか1項に記載の酸化銅の分離定量方法。
【請求項7】
前記測定対象が粉末状である場合、前記計測は、カーボン電極本体の上に塗布したカーボンペーストに粉末の測定対象を付着させて行うことを特徴とする請求項1〜6のいずれか1項に記載の酸化銅の分離定量方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【図9】
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【公開番号】特開2009−121820(P2009−121820A)
【公開日】平成21年6月4日(2009.6.4)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2007−292629(P2007−292629)
【出願日】平成19年11月9日(2007.11.9)
【出願人】(000002130)住友電気工業株式会社 (12,747)
【Fターム(参考)】