説明

ε−ポリ−L−リジン−アルコールエステル及びその製造法

【課題】疎水性環境下でも使用することのできるε-ポリ-L-リジンの誘導体を提供する。
【解決手段】グリセロールなどのアルコールを含む培地中でε-ポリ-L-リジン生産菌を培養することにより、ε-ポリ-L-リジンの末端のカルボキシル基がエステル化されたε-ポリ-L-リジン-アルコールエステルを製造する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、ε-ポリ-L-リジン(以下εPLと記す)の末端のカルボキシル基とアルコールの水酸基とがエステル結合したε-ポリ-L-リジン-アルコールエステル及びその製造方法に関する。さらに詳しくは、εPLの有する特性とアルコールの有する特性の両方を併せ持つ、すなわち親水性と親油性の両方を併せもったカチオン系の物質であるε-ポリ-L-リジン-アルコールエステル及びその製造法に関する。
【背景技術】
【0002】
εPLは、必須アミノ酸であるL-リジンのポリマーであるため安全性が高く、またカチオン含量が高いので、抗菌的作用等の特異な物性を有する。したがって、トイレタリー用品、化粧品、飼料添加物、医薬、農薬、食品添加物、電子材料等の用途が期待できる。特に食品添加物の分野では、天然物系の添加物として幅広く利用されている。
このようにεPLは、特異な物性を有し様々な分野で利用されているが、水溶性であり油にはほとんど溶解しないという特徴をもつ。そのためεPLの使用は親水性環境下にほぼ限られており、疎水性環境下での応用は殆どなされていない。従来、εPLを疎水性環境下で使用するためには、界面活性剤等を混合して分散させる必要があったが、これには高度な乳化技術が必要であり、また利用範囲も非常に限られてくるという問題点があった。
【0003】
εPLの製造法としては、自然界から分離されたストレプトマイセス・アルブラス・サブスピーシズ・リジノポリメラス(Streptomyces albulus subsp.lysinopolymerus)No.346-D株(IFO14147)を用いた製造法が知られている(特許文献1)。また、ストレプトマイセス・アルブラス以外の種としては、ストレプトマイセス・ノールセイ(Streptomyces noursei)(特許文献2)やストレプトマイセスsp.SP-72株(Streptomyces .sp.SP-72)(特許文献3)を用いた製造法が知られている。また、ストレプトマイセスsp.SP-66株(Streptomyces .sp.SP-66)(特許文献4)を用いた低分子εPLの製造法が知られている。
しかし、これらの製造法はεPLそのものの製造法であり、ε-ポリ-L-リジン-アルコールエステルのようなεPL誘導体の製造法を記載したものはない。
【0004】
εPLの物性を持ち、なおかつ有機溶媒に溶解可能な物質であれば、生体での親和性が高まり、生体内でのさまざまなポリカチオンとしての機能が期待できる。
例えば、医薬分野では病原性ウイルスの吸着・不活化、各種病原性化合物や毒性物質の吸着・不活化、ガン誘因物質の吸着・不活化、アレルギー原因物質の吸着・不活化、炎症性サイトカインやインターロイキンおよびホルモン等の生体間伝達物質の吸着・不活化等が期待できる。
化粧品分野では、εPLが本来有する抗菌・防腐効果の他に、皮膚や毛髪に対する潤滑性、柔軟性、保護作用の付与が期待できるばかりか、新規のカチオン系界面活性剤として乳化、可溶化、洗浄、マイクロカプセル形成等の応用の広がりが期待できる。
【0005】
工業用原料の分野では、親油性の向上により、従来のεPLでは添加が難しかった合成樹脂や油性塗料等の油性基材への安定添加が容易となることから、人体に対する安全性の高くかつ高性能な抗菌素材の提供が期待できる。また、ポリヒドロキシアルカン酸やポリ乳酸等へのバイオプラスチックへの均一添加も容易となるため、これら素材の微生物劣化を制御する天然由来の安定剤としても期待ができる。さらにまた、親油性が向上すれば疎水性環境下におけるεPL誘導体合成に極めて有用であり、これまで供給が不可能であったεPLを基本骨格に有する新たな医薬品、化粧品、農薬、工業薬品、工業材料、電子材料およびこれらの原料となる新規化合物の工業化が期待できる。
これらのことから従来のεPLの物性を持ち、なおかつ有機溶媒に溶解可能な疎水性環境下で使用できる物質の製造が強く望まれていた。
【特許文献1】特公昭59-20359号公報
【特許文献2】特開平1-187090号公報
【特許文献3】特開2000-69988号公報
【特許文献4】特開2001-017159号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
本発明の課題は従来のεPLの物性を持ち、なおかつ疎水性環境下で使用可能な物質であるε-ポリ-L-リジン-アルコールエステルを提供するとともにε-ポリ-L-リジン-アルコールエステルを製造する方法を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0007】
本発明者らは、εPLの従来の物性を持ちさらに疎水性環境下で使用可能な物質を得るべく鋭意研究を重ねた。その結果、εPLの末端にあるカルボキシル基とアルコールの水酸基とがエステル結合したε-ポリ-L-リジン-アルコールエステルが、εPL生産菌を培地に培養することにより得られることを見出し、これらの知見に基づいて本発明を完成した。
【0008】
すなわち、本発明は以下のとおりである。
(1)ε-ポリ-L-リジンの末端のカルボキシル基とアルコールの水酸基とがエステル結合したε-ポリ-L-リジン-アルコールエステル。
(2)前記アルコールがグリセロールである、(1)のε-ポリ-L-リジン-アルコールエステル。
(3)ε-ポリ-L-リジンの生産能を有する微生物を、アルコールを含む培地に培養し、培養液中に生成蓄積したε-ポリ-L-リジン-アルコールエステルを採取することを特徴とするε-ポリ-L-リジン-アルコールエステルの製造法。
(4)前記アルコールがグリセロールであり、前記ε-ポリ-L-リジン-アルコールエステルがε-ポリ-L-リジン-グリセロールエステルであることを特徴とする(3)のε-ポリ-L-リジン-アルコールエステルの製造法。
(5)前記微生物がキタサトスポラ属に属するε-ポリ-L-リジン生産菌であることを特徴とする、(3)または(4)のε-ポリ-L-リジンアルコールエステルの製造法。
(6)前記微生物がキタサトスポラ・キフネンセであることを特徴とする、(5)のε-ポリ-L-リジン-アルコールエステルの製造法。
(7)前記微生物がキタサトスポラ・キフネンセMN-1株(FERM P-19712)であることを特徴とする、(5)のε-ポリ-L-リジン-アルコールエステルの製造法。
(8)前記微生物がストレプトマイセス属に属するε-ポリ-L-リジン生産菌であることを特徴とする、(3)または(4)のε-ポリ-L-リジン-アルコールエステルの製造法。
(9)前記微生物がストレプトマイセス・アルブラスであることを特徴とする、(8)のε-ポリ-L-リジン-アルコールエステルの製造法。
(10)前記微生物がストレプトマイセス・アルブラス・サブスピーシズ・リジノポリメラスNo.346-D株(IFO14147)であることを特徴とする、(8)のε-ポリ-L-リジン-アルコールエステルの製造法。
【発明の効果】
【0009】
本発明のε-ポリ-L-リジン-グリセロールエステルは、εPLの特徴と有機溶媒に溶解するという特徴を併せもっており、従来では非常に困難であった疎水性環境下でのεPLの応用が可能となった。このことからεPLとしては今まで利用できなかった全く新しい分野に
おける利用が期待される。例えば、本発明のε-ポリ-L-リジン-アルコールエステルは抗菌剤、安定剤などとして使用することができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0010】
本発明のε-ポリ-L-リジン-アルコールエステルは、εPLの末端のカルボキシル基とアルコールの水酸基とがエステル結合した化合物である。エステル結合するアルコールの種類は特に制限されないが、グリセロール、プロピレングリコール、1,3-ブタンジオール、ペンタメチレングリコールなどの2価又は3価のアルコールが好ましく、グリセロールがより好ましい。また、εPL部分の重合度は特に制限されないが、2〜200が好ましく、微生物を用いて製造する場合は8〜36がより好ましい。εPLとグリセロールがエステル結合したε-ポリ-L-リジン-グリセロールエステルの構造式を下記一般式(I)に示す。
【0011】
【化1】

【0012】
本発明のε-ポリ-L-リジン-アルコールエステルの製造方法は、該アルコールエステルを得ることができる方法であれば特に制限されず、εPLとアルコールを化学反応によりエステル化する方法でもよいが、効率よくε-ポリ-L-リジン-アルコールエステルを得るためには、アルコールを含む培地中でεPL生産菌を培養し、培養液中に生成蓄積したε-ポリ-L-リジン-アルコールエステルを採取する方法が好ましい。この場合、用いるアルコールとしては、εPL生産菌に対して生育を阻害しないものが好ましく、例えばポリオール、具体的にはグリセロール、プロピレングリコール、1,3-ブタンジオール、ペンタメチレングリコールなどが挙げられる。
【0013】
ε-ポリ-L-リジン-グリセロールエステルの製造方法の一例を以下に示す。
ε-ポリ-L-リジン-グリセロールエステルは、εPL生産能を有する微生物を、グリセロールを含む培地に培養し、培養液中に生成蓄積したε-ポリ-L-リジン-グリセロールエステルを採取することによって得られる。ここで、「εPL生産能」とは微生物を液体培地で培養したときに該液体培地中にεPLを蓄積することのできる能力をいう。
【0014】
本発明で用いる微生物としては、εPL生産能を持つ微生物であればいずれでもかまわないが、好ましくはキタサトスポラ(Kitasatospora)属細菌あるいはストレプトマイセス(Streptomyces)属細菌である。
キタサトスポラ属細菌としては、例えば、Interenational Journal of Systematic Bacteriology、47巻、1048−1054頁、1997年に記載されているものが挙げられるが、その中でもキタサトスポラ・キフネンセ(Kitasatospora kifunense)が好ましく、キタサトスポラ・キフネンセMN-1株(FERM P-19712)がより好ましい。
ストレプトマイセス属としては、例えば、ストレプトマイセス・アルブラス・サブスピーシズ・リジノポリメラス(Streptomyces albulus subsp. lysinopolymerus)No.346-D株(IFO14147、特公昭59-20359号公報)、ストレプトマイセス・アルブラス・サブスピーシズ・リジノポリメラス11011A株(特公平3-42070公報)、ストレプトマイセス・
アルブラス・サブスピーシズ・リジノポリメラスB21021株(特開平09-173057号公報)、ストレプトマイセス・アルブラス・サブスピーシズ・リジノポリメラスB15208株(特開平10-290688号公報)、ストレプトマイセス・アルブラス・サブスピーシーズSP−25株(特開2002-095467号公報)、ストレプトマイセスsp.SP-72株(特開2000-069988号公報)、ストレプトマイセスsp.SP−66株(特開2001-017159号公報)、ストレプトマイセス・ヘルバリカラーSP-13株(特開2002-095466号公報)、ストレプトマイセス・ラベンデュラエUSE-53株(特開2003-052358号公報)、ストレプトマイセス・ノールセイ(特開平1-187090号公報)などを挙げることができる。この中でも、ストレプトマイセス・アルブラスに分類される微生物が好ましく、ストレプトマイセス・アルブラス・サブスピーシズ・リジノポリメラスNo.346-D株がより好ましい。
【0015】
これらεPL生産株を培養する培地中にはグリセロールを添加する。添加するグリセロール濃度は0.1〜10%(%は容量百分率)が好ましい。またグリセロール以外の培地成分として炭素源、窒素源、無機物及びその他栄養物等を適当に含有する培地ならばいずれも使用可能である。炭素源としてはグルコース、フラクトース、スターチ等のεPL生産株が資化可能であるものならば制限されない。またグリセロールを炭素源としても使用できる。炭素源の含有量は1〜10%が好ましい。窒素源としては、ペプトン、カゼイン加水分解物、アミノ酸、無機アンモニウム塩等いずれでもかまわないが、好ましくは硫酸アンモニウムである。窒素源の含有量は0.2〜2%が好ましい。培養途中で、炭素源あるいは窒素源を逐次添加しても良い。無機物としてはリン酸イオン、カリウムイオン、ナトリウムイオン、マグネシウムイオン、亜鉛イオン、鉄イオン、マンガンイオン、ニッケルイオン、硫酸イオン等が挙げられる。また酵母エキスを0.01〜0.5%含有させると菌の生育を良好にする。また培地のpHは中性付近(pH6〜8)が好ましい。
【0016】
培養は、振とう培養あるいは攪拌培養等、酸素を供給する好気条件下で行うことが好ましい。また培養温度は25〜35℃が好ましい。培養開始後、菌の増殖とともに培養液のpHは低下する。そこで培養液にアルカリ溶液を添加して培養液のpHを4付近で維持する。添加するアルカリ溶液は特に制限されないが、通常は水酸化ナトリウムあるいはアンモニア水である。通常1日〜14日間で、ε-ポリ-L-リジン-グリセロールエステルは培養液中に蓄積される。
【0017】
上記培養液から遠心分離もしくはフィルターろ過で菌体を除いたのち、菌体除去液を弱酸性陽イオン交換樹脂に吸着させる。弱酸性陽イオン交換樹脂は特に限定されるものではないが、例えばアンバーライトIRC-50(ローム・アンド・ハース社製)が挙げられる。吸着後、塩酸で溶出することにより純度の高いε-ポリ-L-リジン-グリセロールエステルを得ることができる。
【0018】
ε-ポリ-L-リジン-グリセロールエステルは、マトリックス支援レーザー脱離イオン化型-飛行時間計測型質量分析計(MALDI/TOF-MSと略す、パーセプティブ社製 Voyager DE)に供し、分子量を測定することにより確認できる。また、NMRによって構造を確認することもできる。
以上、微生物を利用したε-ポリ-L-リジン-グリセロールエステルの製造方法について述べたが、同様の方法により他のアルコールとεPLとのエステルも製造することができる。
【0019】
本発明を実施例に具体的に説明する。ただし、本発明は以下のものに限定されない。
【実施例1】
【0020】
ε-ポリ-L-リジン誘導体の生産
ε-ポリ-L-リジン類(ε-ポリ-L-リジンとその誘導体からなる混合物、以下、εPL類
とする)の生産は、M. Nishikawa & K. Ogawaの方法(Applied and Environmental Microbiology誌, 2002年、68巻、3575-3581頁)により、林地土壌より分離したεPL生産菌である放線菌キタサトスポラ・キフネンセ(Kitasatospora kifunense) MN-1株(FERM P-19712)を培養して行った。培地は、滅菌したSG培地(グリセロール、 10 g; 硫酸アンモニウム、 0.66 g; りん酸二水素カリウム、 0.68 g; 硫酸マグネシウム七水和物、 0.25 g; 酵母エキス、 0.1 g; 微量ミネラル要素、 微量、の各成分を1 Lの脱イオン水に溶解し、水酸化ナトリウム水溶液にてpHを7.0に調整したもの)を使用した。好気的に、1から2週間、28℃にて培養した後、菌体外に分泌されたεPL類を回収した。さらに、これを陽イオン交換樹脂(アンバーライトIRC-50 、ローム・アンド・ハース社製)に吸着させ、0.2 M酢酸で洗浄後、0.1 M塩酸で溶出することで、純度の高いεPL類を得た。
【実施例2】
【0021】
質量分析法によるε-ポリ-L-リジン誘導体の構造決定(その1)
実施例1により調製したεPL類をマトリックス支援レーザー脱離イオン化型-飛行時間計測型質量分析計(MALDI/TOF-MSと略す、パーセプティブ社製Voyager DE)に供し、分子量を測定した。
MALDI/TOF-MSのチャート(図1)から、MN-1株の生産物に由来するシグナル群には、リジン残基に相当する約128の間隔をもつものの、互いに一致しない、二つの系列があることが分かった。分子量の計算から、一つの系列(図1Aに*印で表示)はリジンの重合数がおおむね10から20であるεPL分子に由来するものであり、他の一つの系列(図1Aに+印で表示)はεPLに何らかの付加物が結合したεPL誘導体に由来するものであった。シグナルの強さから、εPL誘導体の存在量は、εPLの存在量よりも多いと推定された。
【0022】
次に、εPL類をメチルエステル化することにより、遊離のカルボキシル基が存在するかを試験した。実施例1により調製したεPL類を乾燥させた後、5%塩酸のメタノール溶液に溶解し、100℃にて、1時間加熱し、反応物をMALDI/TOF-MSに供した(図1B)。εPLでは、末端に存在するカルボキシル基において、メチルエステルが起きた(図1B中のm印)。例えば、m/z値が1,940.9の分子(図1A及び1B中の矢印)の一部は、メチルエステル化によりm/z値が1,955.0となった(図1B中の矢頭)。一方、εPL誘導体では同様なメチルエステル化が起きなかった。例えば、m/z値が2,015.0の分子は、メチルエステル化処理の前後で不変であった(図1A及び1B中の白抜き矢印)。従って、εPL誘導体には、εPLに見られるエステル化され得る遊離型カルボキシル基を有していない事が分かり、誘導体化は、カルボキシル基の部位に何らかの付加物が結合するかたちで起きている事が明らかとなった。
【実施例3】
【0023】
質量分析法によるε-ポリ-L-リジン誘導体の構造決定(その2)
εPLの誘導体化にともなう分子量の増分を決定するために、本来は分子量分布を示す、実施例1により調製したεPL類の混合物から、実験的に分子量が単一のεPL誘導体分子を高性能液体クロマトグラフィー(HPLC)により調製した。HPLCの条件は、カラムはHydrosphere C18(YMC社製、内径4.6 mm、長さ150 mm)、カラム温度は30℃、溶媒流速は1 mL/分、溶媒系は最初の5分までが0.1 %ペンタフルオロプロピオン酸(PFPA)水溶液であり、5分目以降は0.1 %PFPA水溶液に対し0.1 %PFPAを含む40 %アセトニトリル水溶液の混合比率を45分間で0 %から100 %に直線的に増加させるグラジエント溶出によった。溶出物のモニタリングは200 nmの光学的吸収の計測により行った。
図2にHPLCのチャートを示す。クロマトグラフィー操作により、εPL類は複数のピークに分離して溶出された。保持時間が32.3分付近で溶出されるピーク(図2中矢印)を分取し、MALDI/TOF-MSにより分析したところ、m/z値が2014.2であるεPL誘導体の単一分子であることが分かった(図3A)。
この単一分子化したεPL誘導体に対し、6 M塩酸中で90℃、1時間の加熱による限定的加水分解を施し、誘導体化されている部分を除いた。この操作により、m/z値は2014.2から1,940.4に減少した(図3B)。m/z値が1,940.4であるシグナルはリジンの重合数が15であるεPL分子に由来するものであり、誘導体化にともなう分子量の増分は約74である事が分かった。脱水縮合により除かれる水分子の分子量を加算すると、誘導体化によりεPLに結合する化合物の分子量は約92であり、これはグリセロールの分子量に一致した。
【実施例4】
【0024】
核磁気共鳴法によるε-ポリ-L-リジン誘導体の構造決定
実施例1により調製したεPL類10.2mgを重水(D2O)に溶解し、核磁気共鳴(NMR)測定装置(Varian社製、UNITY plus 500型)で分析した。測定条件は、観測核種は13C、観測周波数は125.8 MHz、基準はトリメチルシリルプロピオン酸ナトリウム-d4(δ(13C)=67.4
ppm)、観測幅は30 kHz、データ点は64 K、パルス角度は45°、パルス繰返し時間は2秒、積算回数は35,200回であった。
観測された各化学シフトの帰属を表1に示す。
【0025】
【表1】

【0026】
観測された化学シフトのうち、22.5、28.8、31.3、40.0、54.1、170.4 ppmの各シグナルは、εPLの主鎖の化学構造に由来する化学シフトの理論値にほぼ一致しており、主鎖には何ら化学的な修飾が起きていない事が分かった。また、主鎖以外の末端部位の化学構造に由来する化学シフトはグリセロールに由来する化学シフトの理論値にほぼ一致していた。すなわち、62.9、70.0のシグナルはグリセロールの2位及び3位の炭素原子に由来するものであった。67.8のシグナルは、既知のオレイン酸1-グリセロールエステルのNMRスペクトルとの比較から、グリセロールの1位水酸基とεPLのポリアミノアシル基とのエステル結合に由来するものと判定できた。
実施例2、3及び4で示した結果から、εPL誘導体の化学的構造は、εPLの末端に存在するカルボキシル基がグリセロールの水酸基との間でエステル結合したものであると結論付けられた。
【実施例5】
【0027】
ε-ポリ-L-リジン-グリセロールエステルの生産条件(その1)
εPLの生産能力は放線菌群を中心に広く分布しており、リジンの重合数は菌株ごとに固有である。実施例1〜4で使用した菌株以外のεPL生産菌について、ε-ポリ-L-リジン-グリセロールエステルの生産能力を試験した。
ストレプトマイセス・アルブラス・サブスピーシズ・リジノポリメラス(Streptomyces
albulus subsp.lysinopolymerus) No.346-D (IFO14147株、(財)発酵研究所、大阪)を用いて、実施例1に従い、εPL類を調製し、MALDI/TOF-MSに供した。図4Aに示すとおり、IFO14147株では、分子量分布が約3,100から4,600までのε-ポリ-L-リジン-グリセロールエステルの生産が確認された。例えば、m/z値が4,064.8のシグナル(図4A中の矢印)は、リジンの重合数が31であるεPLのグリセロールエステル分子に由来するものである。IFO14147株が生産したε-ポリ-L-リジン-グリセロールエステルの分子量分布は、MN1が生産した同化合物の約1,200から2,720までの分子量分布と比べて大きい。
従って、適当な菌株を選択する事により、所望の分子量分布を示すε-ポリ-L-リジン-グリセロールエステルを製造できることを示した。
【実施例6】
【0028】
ε-ポリ-L-リジン-グリセロールエステルの生産条件(その2)
ε-ポリ-L-リジン-グリセロールエステルの生産に必要な炭素源を調査した。実施例1に示したSG培地の組成のうち、1%グリセロールを1%グリセロール及び1%グルコースが混在する場合に変更し、実施例1に従いεPL類を調製した。調製した後MALDI/TOF-MSにより確認したところ、ε-ポリ-L-リジン-グリセロールエステルが生産されていることが認められた。
【0029】
[比較例1]
ε-ポリ-L-リジン-グリセロールエステルの生産条件(その3)
実施例1に示したSG培地の組成のうち、1%グリセロールを1%グルコースに変更した以外は、実施例1に従いεPL類を調製した。調製した後MALDI/TOF-MSにより確認したところ、炭素源が1%グルコースのみの場合では、εPLのみが生産され、ε-ポリ-L-リジン-グリセロールエステルは検出されなかった。
従って、ε-ポリ-L-リジン-グリセロールエステルの生産には、培地中にグリセロールが存在している事が必要であること、その際に他の炭素源が混在していてもよい事が分かった。
【実施例7】
【0030】
グリセロール以外のアルコール類によるε-ポリ-L-リジン-アルコールエステルの生産
IFO14147株を、εPL生産培地(ここではS. Shima & H. Sakai (1981)、Agric. Biol. Chem. 誌、45巻(11)、 2503-2508 頁に記載された培地組成のうち、5%グリセロールを2.5%D-glucoseに変更したものを使用した。)に2.5%となるように各種のアルコール類を添加したものに植菌し、28℃にて約40時間好気的に培養した。εPL類を実施例1に準じて回収し、MALDI/TOF-MS法により分子量を測定した。
図5に結果を示す。比較のため、アルコール類を添加しない条件で生産されたεPLの結果も示す(図5A)。エチレングリコールを含む培地で生産されたεPL類からは、ε-ポリ-L-リジン-エチレングリコールエステルに由来するシグナル群が検出された(図5B)。例えば、分子量(m/z)が3,905.8であるシグナルは、重合数30のεPLに由来するシグナルの測定値3,862.8(図5A)より43.0だけ分子量が増加していた。このように各シグナルの分子量の増分が理論値44.05にほぼ一致する事から、ε-ポリ-L-リジン-エチレングリコールエステルの生産が確認できた。
同様に、アルコール類としてプロピレングリコール(図5C)、1,3-ブタンジオール(図5D)、ペンタメチレングリコール(図5E)を添加した培養では、それぞれのアルコール類がεPLとエステルを形成したことに由来する分子量の増加が認められた。例えば、分子量の増し分に関して、プロピレングリコールにおける59.9、1,3-ブタンジオールにおけ
る70.2、ペンタメチレングリコールにおける86.3の各値は、それぞれ理論値58.07、72.10、86.13にほぼ一致した。
以上の結果から、適当なアルコールを選択する事により、所望の化学構造を有したε-ポリ-L-リジン-アルコールエステルを製造できることを示した。
【図面の簡単な説明】
【0031】
【図1】実施例1で調製したMN-1株が生産するεPL類を、飛行時間型質量分析計(パーセプティブ社製、モデルVoyager DE)を用いる、MALDI/TOF-MS法による分子量測定の結果を示す図である。AとBは、それぞれメチルエステル化処理を施す前と後のεPL類を分析したものである。
【図2】実施例3に記載するところの、MN-1株が生産するεPL類を高性能液体クロマトグラフィーにより分離した結果を示す図である。
【図3】実施例3において保持時間が32.3分であるεPL類の分離ピークを回収し、これを飛行時間型質量分析計(パーセプティブ社製、モデルVoyager DE)を用いる、MALDI/TOF-MS法による分子量測定の結果を示す図である。AとBは、それぞれ回収したεPL類に対し、塩酸による加水分解処理を施す前と後の試料を分析したものである。
【図4】実施例5で調製したIFO14147株が生産するε-ポリ-L-リジン-グリセロールエステルを、飛行時間型質量分析計(パーセプティブ社製、モデルVoyager DE)を用いる、MALDI/TOF-MS法による分子量測定の結果を示す図である。AとBは、それぞれIFO14147株が生産するε-ポリ-L-リジン-グリセロールエステルと、比較のために提示する実施例1で調製したMN-1株が生産するε-ポリ-L-リジン-グリセロールエステルを分析したものである。
【図5】実施例7で調製したIFO14147株が生産するε-ポリ-L-リジン-アルコールエステルを、飛行時間型質量分析計(パーセプティブ社製、モデルVoyager DE)を用いる、MALDI/TOF-MS法による分子量測定の結果を示す図である。A、B、C、D、Eは、それぞれIFO14147株が生産するε-ポリ-L-リジン、ε-ポリ-L-リジン-エチレングリコールエステル、ε-ポリ-L-リジン-プロピレングリコールエステル、ε-ポリ-L-リジン-1,3-ブタンジオールエステル、ε-ポリ-L-リジン-ペンタメチレングリコールエステルを分析したものである。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
ε-ポリ-L-リジンの末端のカルボキシル基とアルコールの水酸基とがエステル結合したε-ポリ-L-リジン-アルコールエステル。
【請求項2】
前記アルコールがグリセロールである、請求項1に記載のε-ポリ-L-リジン-アルコールエステル。
【請求項3】
ε-ポリ-L-リジンの生産能を有する微生物を、アルコールを含む培地に培養し、培養液中に生成蓄積したε-ポリ-L-リジン-アルコールエステルを採取することを特徴とするε-ポリ-L-リジン-アルコールエステルの製造法。
【請求項4】
前記アルコールがグリセロールであり、前記ε-ポリ-L-リジン-アルコールエステルがε-ポリ-L-リジン-グリセロールエステルであることを特徴とする請求項3記載のε-ポリ-L-リジン-アルコールエステルの製造法。
【請求項5】
前記微生物がキタサトスポラ属に属するε-ポリ-L-リジン生産菌であることを特徴とする、請求項3または4に記載のε-ポリ-L-リジンアルコールエステルの製造法。
【請求項6】
前記微生物がキタサトスポラ・キフネンセであることを特徴とする、請求項5に記載のε-ポリ-L-リジン-アルコールエステルの製造法。
【請求項7】
前記微生物がキタサトスポラ・キフネンセMN-1株(FERM P-19712)であることを特徴とする、請求項5に記載のε-ポリ-L-リジン-アルコールエステルの製造法。
【請求項8】
前記微生物がストレプトマイセス属に属するε-ポリ-L-リジン生産菌であることを特徴とする、請求項3または4に記載のε-ポリ-L-リジン-アルコールエステルの製造法。
【請求項9】
前記微生物がストレプトマイセス・アルブラスであることを特徴とする、請求項8に記載のε-ポリ-L-リジン-アルコールエステルの製造法。
【請求項10】
前記微生物がストレプトマイセス・アルブラス・サブスピーシズ・リジノポリメラスNo.346-D株(IFO14147)であることを特徴とする、請求項8に記載のε-ポリ-L-リジン-アルコールエステルの製造法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【公開番号】特開2006−28408(P2006−28408A)
【公開日】平成18年2月2日(2006.2.2)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2004−211648(P2004−211648)
【出願日】平成16年7月20日(2004.7.20)
【出願人】(591060980)岡山県 (96)
【出願人】(000002071)チッソ株式会社 (658)
【Fターム(参考)】