説明

π電子系が結晶中で一軸回転する分子コマによる有機結晶材料と複屈折の制御方法

【課題】物質の組成が一定であるが温度などにより複屈折の大きさが変化する有機結晶材料、および試料の厚みを変化させることなく所望の光学特性材料の設計が可能で、有機結晶内部で分子の部分構造の分子運動モードを連続的に変化させることで任意の複屈折値を得ることができる新規な有機結晶材料とそれを用いた複屈折の制御方法の提供。
【解決手段】下記式(I)で表わされる分子コマの結晶からなり、熱により連続的に複屈折変化を示す有機結晶材料。


(式中、E1はケイ素原子等の第14族原子を示し、Aはフェニレン基等の2価の芳香族基を示す。nは6〜12の整数を示す。)

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、π電子系が結晶中で一軸回転する分子コマによる有機結晶材料と複屈折の制御方法に関するものである。
【背景技術】
【0002】
従来、光など電磁波の進路を曲げたり速度を減速したりする屈折性は、レンズや光通信関連素子など光学材料に広く利用されている。
【0003】
そして透明材料の中でも結晶や配向性材料の多くは物質内部の分子や原子の配向に異方性があり、光学性二軸材料として複屈折性を示す。複屈折性は結晶など物質の配向に異方性が存在するときに発現する普遍的な物性であり、偏光プリズムや波長板など基本的なオプティクス材料に利用されている。
【0004】
有機結晶は一般に対称性が低く、比較的大きな複屈折性を示す。複屈折を制御する技術として、例えば、これまでに数種の有機高分子において配向をガラス状態にすることで複屈折を小さくすることが実現されている。また、液晶化合物においても分子配向を制御することで複屈折制御が実現されている。また、有機結晶における2つの構造間の相転移を利用した複屈折の温度によるスイッチも報告されている(非特許文献1)。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0005】
【非特許文献1】Horie, M; Sassa, T.; Hashizume, D.; Suzaki, Y.; Osakada, K.; Wada, T. Angew. Chem. Int. Ed. 2007, 46, 4983 -4986.
【非特許文献2】第20回基礎有機化学討論会(第39回構造有機化学討論会 第59回有機反応化学討論会)要旨集、平成21年9月18日発行、第407ページ
【特許文献】
【0006】
【特許文献1】特願2010−058374
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
しかしながら、屈折率は物質固有のパラメータであるため、従来では光学材料の設計は材料の厚さ、つまり光路長を制御することに基づいていたが、材料の厚みを変化させることなく望みの光学特性材料の設計が可能となる技術が望まれていた。
【0008】
また、複屈折の制御を実現した技術も幾つか存在するものの、有機結晶においては一般的な制御法はない。また、分子構造の一部が相転移を伴う配向変化する特殊な超分子化合物において複屈折転移が報告されているが、連続的に一様に変化させられる系の実現例はなかった。
【0009】
なお、本発明者らは分子ジャイロスコープとしてのフェニレン架橋かご型ジシラアルケンの合成を報告しているが(非特許文献2、特許文献1参照)、その有機結晶としての物性、特に複屈折の性質については未だ開示されておらず、示唆もされていない。
【0010】
本発明は、以上の通りの事情に鑑みてなされたものであり、物質の組成が一定であるが温度などにより複屈折の大きさが変化する有機結晶材料、そして試料の厚みを変化させることなく所望の光学特性材料の設計が可能であり、有機結晶内部で分子の部分構造の分子運動モードを連続的に変化させることで任意の複屈折値を得ることができる新規な有機結晶材料とそれを用いた複屈折の制御方法を提供することを課題としている。
【課題を解決するための手段】
【0011】
本発明は、上記の課題を解決するために、以下のことを特徴としている。
【0012】
第1:下記式(I)で表わされる分子コマの結晶からなり、熱により連続的に複屈折変化を示す有機結晶材料。
【0013】
【化1】

【0014】
(式中、E1は炭素原子、ケイ素原子、ゲルマニウム原子、スズ原子、および鉛原子から選ばれるいずれかの原子を示す。Aは下記式(i)〜(iii):
【0015】
【化2】

【0016】
(式中、E2〜E5はそれぞれ独立に炭素原子または窒素原子を示し、窒素原子は合計で2つ以下である。R1〜R4はそれぞれ独立にE2〜E5の炭素原子に結合する水素原子、重水素原子、フッ素原子、塩素原子、臭素原子、アミノ基、ニトロ基、シアノ基、メチル基、および水酸基から選ばれるいずれかの基を示す。)
【0017】
【化3】

【0018】
(式中、E6〜E11はそれぞれ独立に炭素原子または窒素原子を示し、窒素原子は1つの六員環あたり合計で2つ以下である。R5〜R12はそれぞれ独立にE6〜E11の炭素原子に結合する水素原子、重水素原子、フッ素原子、塩素原子、臭素原子、アミノ基、ニトロ基、シアノ基、メチル基、および水酸基から選ばれるいずれかの基を示す。)
【0019】
【化4】

【0020】
(式中、E12〜E19はそれぞれ独立に炭素原子または窒素原子を示し、窒素原子は1つの六員環あたり合計で2つ以下である。R11〜R18はそれぞれ独立にE12〜E19の炭素原子に結合する水素原子、重水素原子、フッ素原子、塩素原子、臭素原子、アミノ基、ニトロ基、シアノ基、メチル基、および水酸基から選ばれるいずれかの基を示す。)で表されるいずれかの2価の芳香族基を示す。nは6〜12の整数を示す。)
第2:下記式(II)で表わされる分子コマの結晶からなり、熱により連続的に複屈折変化を示す有機結晶材料。
【0021】
【化5】

【0022】
(式中、E1は炭素原子、ケイ素原子、ゲルマニウム原子、スズ原子、および鉛原子から選ばれるいずれかの原子を示す。Aは下記式(i)〜(iii):
【0023】
【化6】

【0024】
(式中、E2〜E5はそれぞれ独立に炭素原子または窒素原子を示し、窒素原子は合計で2つ以下である。R1〜R4はそれぞれ独立にE2〜E5の炭素原子に結合する水素原子、重水素原子、フッ素原子、塩素原子、臭素原子、アミノ基、ニトロ基、シアノ基、メチル基、および水酸基から選ばれるいずれかの基を示す。)
【0025】
【化7】

【0026】
(式中、E6〜E11はそれぞれ独立に炭素原子または窒素原子を示し、窒素原子は1つの六員環あたり合計で2つ以下である。R5〜R12はそれぞれ独立にE6〜E11の炭素原子に結合する水素原子、重水素原子、フッ素原子、塩素原子、臭素原子、アミノ基、ニトロ基、シアノ基、メチル基、および水酸基から選ばれるいずれかの基を示す。)
【0027】
【化8】

【0028】
(式中、E12〜E19はそれぞれ独立に炭素原子または窒素原子を示し、窒素原子は1つの六員環あたり合計で2つ以下である。R11〜R18はそれぞれ独立にE12〜E19の炭素原子に結合する水素原子、重水素原子、フッ素原子、塩素原子、臭素原子、アミノ基、ニトロ基、シアノ基、メチル基、および水酸基から選ばれるいずれかの基を示す。)で表されるいずれかの2価の芳香族基を示す。nは6〜12の整数を示す。)
なお、式(II)中の波線は、cis、transのいずれかを示す。
【0029】
第3:上記第1または第2の有機結晶材料に熱を作用させ、有機結晶材料の複屈折を温度に応じた値に調整することを特徴とする複屈折の制御方法。
【0030】
第4:上記第1または第2の有機結晶材料の複屈折から,分子運動モードを考察する方法。
【発明の効果】
【0031】
本発明によれば、物質の組成が一定であるが温度などにより複屈折の大きさが変化する有機結晶材料が提供される。この有機結晶材料を利用することで、試料の厚みを変化させることなく所望の光学特性材料の設計が可能になる。そして本発明の複屈折の制御方法によれば、有機結晶内部で分子の部分構造の分子運動モードを連続的に変化させることで温度に応じた任意の複屈折値を得ることができる。逆に、複屈折値の観察から、結晶内分子運動の観察が可能になる。
【図面の簡単な説明】
【0032】
【図1】かご型化合物1の結晶中の構造;(a) 分子全体;(b) 軸方向から見た図;(c) パッキング図。Crystal Structure (200 K): monoclinic, P21/c, a = 18.640(1) Å, b = 11.772(1) Å, c = 22.540(1) Å,β = 104.847(2) °, V = 4780.8(5) Å3, R1 = 0.0872 (I > 2sI), wR2 = 0.2714 (all data) (spring-8 BL38B1で測定。研究課題2009B1035の成果。).
【図2】かご型化合物2の結晶中の構造;(a) 分子全体;(b) 軸方向から見た図;(c) パッキング図。Crystal Structure (100 K): monoclinic, C2/c, a = 29.831(1) Å, b = 10.971(1) Å, c = 16.524(1) Å,β= 123.193(1) °, V = 4525.4 Å3, R1 = 0.0674 (I > 2sI), wR2 = 0.1909 (all data) (spring-8 BL38B1で測定。研究課題2009B1035の成果。).
【図3】かご型化合物2の結晶方位と結晶構造;(左)単結晶写真とミラー指数(右)結晶方位に合わせたパッキング図。
【図4】かご型化合物2の偏光顕微鏡写真と2-d4の固体2H NMRスペクトル(280K〜310K):(a)偏光顕微鏡写真;(b) 固体2H NMRスペクトル(実測);(c) 固体2H NMRスペクトル(シミュレーション)。
【図5】かご型化合物2の偏光顕微鏡写真と2-d4の固体2H NMRスペクトル(310K〜360K):(a)偏光顕微鏡写真;(b) 固体2H NMRスペクトル(実測);(c) 固体2H NMRスペクトル(シミュレーション)。
【図6】かご型化合物2の複屈折値の温度依存性(280K〜360K)。310K〜360Kの回帰曲線は指数関数でフィッティング。
【図7】かご型化合物2の粉末X線回折パターン(280K〜345K;研究課題2010A1771の成果)。
【図8】分子コマにおける回転子の回転ポテンシャル模式図。
【発明を実施するための形態】
【0033】
以下、本発明を詳細に説明する。
【0034】
本発明の有機結晶材料を構成する分子コマは、式(I)、(II)に示されるように、第14族元素を含むアルカンまたはアルケンで構成される大規模かご骨格の内部に回転子としてπ電子系を架橋したものである。
【0035】
式(I)、(II)において、E1は炭素原子、ケイ素原子、ゲルマニウム原子、スズ原子、および鉛原子から選ばれるいずれかの第14族の原子を示す。かご骨格をアルケニル鎖またはアルキル鎖とし、回転子をπ電子系とするため、これらを連結する原子に第14元素が用いられる。すなわち、第14に炭素置換基を導入する際、第14元素のハロゲン化物と有機リチウムまたはグリニャール試薬との反応によって簡便に合成できる。また、第14族元素の種類に応じて、その結合距離によりかご骨格と回転子との接触具合を調節することが可能である。
【0036】
Aは式(i)〜(iii)で示されるいずれかの2価の芳香族基を示す。このように、回転子である内部π電子系にはベンゼンのほか双極子モーメントを有するピリダジンなどヘテロπ電子系やジフルオロベンゼンなど置換ベンゼン系であってもよく、適宜の選択により複屈折の最大値を設計可能である。
【0037】
式(i)の芳香族環としては、例えば、ピリジン環、ピラジン環、ピリダジン環等が挙げられる。式(ii)の芳香族環としては、例えば、キノリン環、イソキノリン環、ナフチリジン環、フタラジン環、キノキサリン環、キナゾリン環、シンノリン環等が挙げられる。
【0038】
この分子コマは、例えば、次の手順により合成できる。まずトリクロロシランまたはその第14族元素類縁体と、ω−アルケニルグリニャール試薬とを有機溶媒中で反応させ、トリ(ω−アルケニル)シランまたはその第14族元素類縁体を合成する。あるいは、ω−アルケニルリチウム試薬を用いてケイ素などの第14族元素にかご骨格を導入してもよい。
【0039】
次に、リチウム試薬と、上記のトリ(ω−アルケニル)シランまたはその第14族元素類縁体のハロゲン置換体とを、有機溶媒中で反応させ、次いで加水分解し、ビス(トリ(ω−アルケニル)シリル)アリール化合物またはその第14族元素類縁体を合成する。これにより、回転子のπ電子系の回転軸部分にω−アルケニルのかご骨格を結合させる。
【0040】
次に、このビス(トリ(ω−アルケニル)シリル)アリール化合物またはその第14族元素類縁体を、有機溶媒中において、ルテニウムカルベン錯体のようなカルベン錯体などの触媒の存在下に閉環メタセシス反応させ、式(II)で表わされる分子コマを合成することができる。
【0041】
また、式(II)で表わされる分子コマを水素の存在下に接触還元することで、かご骨格をアルキル基とする式(I)で表わされる分子コマを合成することができる。
【0042】
なお、上記の各合成反応において、反応温度、反応時間、反応溶媒、触媒等の条件は、本明細書の記載および既に知られている技術に基づいて当業者であれば適宜に変更し得るであろう。例えば、ケイ素にフェニレンとシラアルカン鎖が導入された化合物の合成(Setaka, W.; Sato, K.; Ohkubo, A.; Kabuto, C.; Kira, M. Chem. Lett. 2006, 35 596.; Setaka, W.; Ohmizu, S.; Kabuto, C.; Kira, M. Chem. Lett. 2007, 36, 1076.)、かご骨格を形成するオレフィンメタセシス反応(Shima, T.; Hampel, F.; Gladysz, J. A. Angew. Chem. Int. Ed. 2004, 43, 5537.; Nunez, J. E.; Natarajan, A.; Khan, S. I.; Garcia-Garibay. M. A. Org. Lett. 2007, 9, 3559.)、かご骨格のアルケニル鎖に水素添加する反応(Shima, T. Hampel, F. Gladysz, J. A. Angew. Chem. Int. Ed. 2004, 43, 5537.; Nunez, J. E.; Natarajan, A.; Khan, S. I.; Garcia-Garibay, M. A. Org. Lett. 2007, 9, 3559.)等が参照される。
【0043】
このようにして得られる分子コマは、大規模かご型ジシラアルカン骨格の内部にπ電子系化合物である芳香族環が架橋した構造を有し、かご骨格により回転子としてのπ電子系と隣接分子との立体接触が避けられているため、π電子系が結晶中で一軸回転する。
【0044】
本発明の有機結晶材料において、この分子コマの回転軸は一方向に配向した結晶構造を示す。例えば式(I)の分子コマでは、3本のアルカン側鎖で囲まれたかご型骨格により、内部π電子系の回転ポテンシャルにはほぼ3回対称性がある。しかし、π電子系の回転速度が遅いときにはかご骨格がつぶれるように変形して、回転ポテンシャルは2回対称になり、π電子系は180°フリップ機構で回転運動をする。回転運動が高速になるとかご骨格が膨らみベンゼン環は3回対称性の回転ポテンシャルを連続的に回転運動することが可能になる。
【0045】
すなわち、分子コマ結晶において回転子であるπ電子系が180°フリップ機構で運動しているとき、ベンゼンは2方向に配向可能な異方性が存在する。一方、3回対称ポテンシャル内連続回転運動では、π電子系が回転軸に対し3方向に配向可能な等方性を有する。この結晶内の回転運動モードを連続的に変化させることで複屈折を連続的に変化させることが可能になる。
【0046】
複屈折は物質の配向に依存する物性値である。本発明では有機分子が規則正しく配向している有機結晶の内部で、光学的性質の寄与の大きなπ電子系を回転運動させることで、分子は配向しているが光学特性寄与の大きな部分構造の等方性と異方性をスイッチすることができる材料を実現した。
【0047】
本発明の有機結晶材料は、π電子系由来の物性の異方性と等方性をスイッチできる素子として、光学材料・磁性材料・発光材料・蛍光材料等への利用が期待される。また、結晶中で回転するπ電子系由来の物性を研究する際に、本発明の分子コマは単純な構造をしているため研究材料としての利用が期待される。
【0048】
また、複屈折率を連続的に変化させることができる本発明の透明な有機結晶材料は、様々な波長に適用可能な波長板やプリズムなど高機能光学材料への利用が期待される。分子コマの回転運動を利用した複屈折率を連続的に変化させる透明結晶の原理は、任意の温度範囲で任意の複屈折を設計する上で重要な原理である。この原理の応用として、電場や磁場や圧力など特定方向に作用する物理摂動を検出するセンサーとしての利用も考えられる。
【実施例】
【0049】
以下、実施例により本発明をさらに詳しく説明するが、本発明はこれらの実施例に何ら限定されるものではない。
<合成例1> トリス(7-オクテニル)シラン3の合成
【0050】
【化9】

【0051】
還流冷却管および磁気攪拌子を備えた200mLの2口フラスコに、削り状マグネシウム(5.83g, 240mmol)を入れ、減圧下30分間攪拌しながら加熱し乾燥させた。フラスコ内を窒素で置換後、乾燥テトラヒドロフラン20mLを入れ,1-ブロモ-7-オクテン(38g, 200 mmol)をシリンジで少量滴下し、熱を確認することでGrignard反応を開始させた。
【0052】
反応温度が40℃以下になるよう適宜ウォーターバスで冷却しながら、60分かけて1-ブロモ-7-オクテンの全量とTHF200mLを加えた。反応を完結させるため、このまま室温で12時間攪拌を続けた。
【0053】
ここにトリクロロシラン(8.0g, 60mmol)をシリンジでNEATで加えた。発熱するが反応温度が40℃を越えないように滴下を調節した。すぐにマグネシウム塩が析出した。このまま12時間攪拌を続けた。
【0054】
フラスコ内の反応混合物を、希塩酸と氷とヘキサンが入った三角フラスコに入れ、加水分解と抽出をした。水相は、2回ヘキサンで逆抽出し、まとめた有機層を1回水洗いし、飽和食塩水および無水硫酸ナトリウムで乾燥した。乾燥剤をろ過で除去後、有機層を減圧下で溶媒を除去し、粗生成物3 (21.66g, 59.7mmol)を無色オイルとして得た。シリカゲルショートカラム(silicagel-hexane Rf = 0.55)で処理して精製した。化合物3 (19.0g, 52.4mmol, 87%)を無色オイルとして得た。
【0055】
【表1】

【0056】
<合成例2> トリス(7-オクテニル)クロロシラン4の合成
【0057】
【化10】

【0058】
還流冷却管および磁気攪拌子を備えた200mLの2口フラスコを減圧下加熱乾燥させ、フラスコ内を窒素で置換した。ここに塩化銅(II) (8.9g, 66mmol)、およびヨウ化銅(I) (60mg, 0.3mmol)、乾燥テトラヒドロフラン150mLを入れ攪拌した(赤銅色懸濁液)。
【0059】
ここに、室温下でトリス(7-オクテニル)シラン3 (10.9g, 30mmol)をシリンジで加えた。急な発熱は見られなかった。このまま室温で12時間攪拌した。塩化銅塩酸塩の白沈と茶褐色の上澄みとに変化した。
【0060】
真空ポンプ減圧下、揮発性の成分を留去した。ここにペンタンを少量加え、ハイフロを詰めたブフナーろうとで銅塩をろ過して除いた。溶液をエバポレートし、トリス(7-オクテニル)クロロシラン4を茶褐色(銅塩による着色)のオイルとして9.79g得た。この化合物は高沸点で加水分解性があるため、これ以上の精製はせずに次の反応に用いた。
【0061】
【表2】

【0062】
<合成例3> 1,4-ビス(トリス(7-オクテニル)シリル)ベンゼン5の合成
【0063】
【化11】

【0064】
磁気攪拌子を備えた50mLの2口フラスコを減圧下加熱乾燥させ、フラスコ内を窒素で置換した。ここにp-ジブロモベンゼン (1.0g, 4.2mmol)、および乾燥テトラヒドロフラン20mLを加えて攪拌し、完全に溶解させた。
【0065】
フラスコを窒素雰囲気下-78℃に冷却し、15分かけて1.6N t-BuLiのペンタン溶液を10.5mL(17mmol)加えた。フラスコ内は黄緑色の懸濁液となる。
【0066】
滴下終了後フラスコ内部の温度をゆっくり上昇させ、1.5時間後0℃になったところでトリス(7-オクテニル)クロロシラン4 (4.2 g, 10.6 mmol)を加えた。このまま室温で12時間攪拌した。
【0067】
フラスコ内の反応混合物を、塩化アンモニウム水溶液と氷とヘキサンが入った三角フラスコに入れ、加水分解と抽出をした。水相は、2回ヘキサンで逆抽出し、まとめた有機層を1回水洗いし、飽和食塩水および無水硫酸ナトリウムで乾燥した。乾燥剤をろ過で除去後、有機層を減圧下で溶媒を除去し、粗生成物5を無色オイルとして得た。シリカゲルショートカラム(silicagel-hexane Rf = 0.5)で処理して精製した。化合物5 (2.6g, 3.3mmol, 78%)を無色オイルとして得た。
【0068】
【表3】

【0069】
<合成例4> フェニレン架橋かご型ジシラアルケン分子コマ2の合成
【0070】
【化12】

【0071】
還流冷却管および磁気攪拌子を備えた500mLの3口フラスコを加熱乾燥させてフラスコ内を窒素で置換後、乾燥ジクロロメタン500mLを入れて加熱還流させた。ここに約50mg(0.06mmol)の第一世代Grubbs触媒を入れ、1,4-ビス(トリス(7-オクテニル)シリル)ベンゼン5 (1.42g, 1.78mmol)の200mLジクロロメタン溶液を12時間かけてゆっくり滴下した。滴下終了後、さらに12時間加熱還流を続けた。
【0072】
反応溶液を室温まで放冷し、溶媒など揮発性成分を減圧下留去した。残留物である1.8gの茶褐色オイルをシリカゲルショートカラム(silicagel-benzene Rf = 0.9)で処理して錯体分解物を除き溶媒を留去することにより目的物を含む無色オイル1.5gを得た。これをシリカゲルカラム(silicagel-benzene Rf = 0.55)で処理して精製した。化合物2 (0.31g, 0.43mmol, 24%)を無色結晶として得た。さらに、ヘキサンで再結晶することにより無色柱状結晶として化合物2 (0.31g, 0.43mmol, 24%)を得た。
【0073】
【表4】

【0074】
<合成例5> フェニレン架橋かご型ジシラアルカン分子コマ1の合成
【0075】
【化13】

【0076】
50mLのステンレス製オートクレーブ内にフェニレン架橋かご型ジシラアルケン分子コマ2 (180mg, 0.25mmol)、Pd/C(10%) 30mgおよび乾燥トルエン5mLを入れて、封管とした。
【0077】
ここに、圧力計が2.5atmを示すまで水素ガスを導入した。この封管をオイルバスで60℃に加熱し、72時間反応させた。この間、圧力計は2.8atmを示していた。室温に冷却後、内圧を開放し、反応混合物をシリンジフィルタでろ過した。揮発性成分を減圧下乾燥し、フェニレン架橋かご型ジシラアルカン分子コマ1を白色固体(180mg, 0.25mmol, 100%)として得た。さらにこの粗生成物をエタノール-THFで再結晶して、化合物1を無色柱状結晶として得た。
【0078】
【表5】

【0079】
<実施例1>
[化合物2の結晶構造]
上記の合成例で得られた化合物2の結晶中の構造は、X線結晶構造解析により決定した。その結果を図2に示す(化合物1についての結果を併せて図1に示す)。化合物1は、かご構造内部のベンゼン環がかご骨格で囲まれた構造をしている。この分子は結晶内で密にパッキングしているが、ベンゼン環の周囲はベンゼンが回転するのに十分な空間が存在する。すなわち化合物1は、結晶中でπ電子系が回転する分子コマである。
【0080】
さらに、化合物2の結晶構造は、図2(c)に示すように結晶中で回転軸を揃えて分子が配向している。
【0081】
化合物2は、直方体状の単結晶を与え、その結晶方位についてもX線回折実験で決定した。図3に示すように結晶の最も広い面は100面である。この面を観察することは、分子を回転軸方向から眺めた観察することに相当する。
[化合物2の複屈折の温度依存性]
化合物2の複屈折の温度依存性を、偏光顕微鏡によるレタデーション変化として観察した。レタデーションとは、複屈折値に試料の厚さを掛けた物性パラメータである。このレタデーションは、クロスニコルとした偏光顕微鏡に対し、試料を消光位より45°回転させた位置で観察される干渉色として観察することができる。
【0082】
図4には280K〜320Kの間での偏光顕微鏡で観察した干渉色の変化を、および図5には、325K〜360Kの間での干渉色の変化を示す。また詳細は後述するが、同図に対応する温度での1-d4の固体重水素NMRスペクトルの実験値と理論シミュレーションも併せて示した。また、偏光顕微鏡と厚肉レベックコンペンセータを利用してレタデーション値を定量的に測定し、その結果を表6にまとめ、また複屈折の温度依存性を図6にグラフ化した。
【0083】
レタデーションと複屈折の関係であるが、レタデーションは複屈折値に光路長、つまり試料の厚さをかけたパラメータである。そこで、試料の厚さの温度依存性についても精密測定を実施した。透明体の厚さの測定方法は種々の方法が知られている。代表的な方法である表面と裏面の反射干渉を利用した測定は、今回の対象物は屈折率が変化するため使用できない。そこで、表面と試料を載せた基盤との段差の測定から試料厚を測定した。測定結果を表6にまとめた。今回測定対象とした温度範囲で試料厚さはほとんど変化しないことが示された。レタデーションと試料厚さの実測値から計算した複屈折値も表6内に示した。
【0084】
図6および表6から明らかなように、レタデーション、つまり干渉色の温度依存性は2つの温度範囲グループに分けられる。すなわち、280K以下〜310Kの間の変化しない領域、310K〜360Kの間の劇的に変化する領域である。注目すべきは、後者のレタデーションが連続的に大きく変化する温度領域であり、従来観察されたことがない結晶物性である。またこれらの温度依存性は280K〜360Kの間で可逆に変化した。
【0085】
【表6】

【0086】
[化合物2の結晶内の分子運動]
化合物2は,結晶中でベンゼン環が回転運動をする分子コマである。結晶中におけるベンゼン環の回転運動を知るため、2においてベンゼン環の水素を重水素とした誘導体2-d4の固体重水素NMRスペクトルを測定した。
【0087】
固体重水素NMRスペクトルは結晶やアモルファスなど固体中の分子の部分構造の運動を解析する手段として広く利用されている分光法である。重水素の天然存在比は0.015%とわずかであるため試料分子中の分子運動を知りたい部分構造を重水素で標識した化合物を合成し、これを用いてNMR測定する。NMR測定は,Varian Unity 500 NMR分光計を利用し、重水素核測定に広く利用されている四重極エコーパルス系(d1-90°-tau1-90°-tau2-FID;90°パルス=4.2μs, tau1=30μs, tau2=20μs, d1=20s)を利用した。
【0088】
FIDの信号強度が最大になる位置からフーリエ変換して得られたスペクトルを図4および図5に示す。典型的な重水素核同士のカップリングによるPakeパターンが観察された。このスペクトル線形をシミュレーションすることで分子運動についての情報が得られる。
【0089】
複屈折の温度依存性と対応して,温度範囲の違いによりベンゼン環の回転運動に2種類の分子運動モードが存在することが明らかになった。まず、280K〜310Kの間の180°フリップ機構運動、310K〜360Kの間の平衡位置に振動分布のある連続回転運動。これらは、それぞれ複屈折が変化しない領域と大きく変化する領域に対応する。
【0090】
280K〜310Kの間の180°フリップ機構運動領域では,重水素の四重極結合定数QCC=130KHz, 非対称パラメータη=0, 線幅3kHzのローレンツ型線形を仮定し、図中の交換速度で2サイトフリップ運動を仮定したシミュレーションで再現された。
【0091】
重水素NMRのタイムスケールは数kHzから数十MHzの間であり、この範囲の分子運動がちょうどこの温度領域で観察されている。つまり、この温度範囲でベンゼン環は、X線結晶解析で観察されたベンゼン環の平衡位置を回転角0°および180°とするとこの間を表示の速度で位置交換していると解釈される。すなわちベンゼン環は平衡位置以外の回転角位置では、安定に存在できないことを示している。各温度での交換速度のアレニウスプロットから求めた活性化エネルギーは21.0kcal/molであった。なおこの運動では一般にベンゼンの回転は時計まわりであったものが、時には左回り反転するようなフリップ運動として解釈されている。
【0092】
310K〜360Kの間の平衡位置に振動分布のある連続回転運動部分では、重水素NMRのタイムスケールより数MHz以上の速い分子運動をしており、その速度を解析することはできない。したがって、分子運動速度をfast limitとし、平衡位置周辺での振動分布の大きさを変化させたシミュレーションを行った。つまり、2サイトフリップのfast limitを基準とし、ベンゼン環の回転角平衡位置(0°および180°)で、図中に表示された角度を2σとするGauss関数型の回転角分布を仮定したシミュレーションと一致した。すなわちベンゼン環は平衡位置以外にも存在できることを示している。なおこの運動では時計回りあるいは反時計回りの連続回転をしていると解釈される。
【0093】
以上の分子運動解析により、複屈折の温度依存性も説明可能である。つまり、310K以下の複屈折が温度に無関係に一定のときは、ベンゼン環が運動していてもしていなくてもX線結晶構造解析で観察された平衡位置以外の場所には安定に存在しない。したがって、結晶内のベンゼンの配向に異方性がありそれが変化していない。このため、複屈折も変化しない。310K以上では、ベンゼンは平衡位置近傍に幅を持った分布が可能であり、結晶内のベンゼンの配向が等方的に変化する。このため、複屈折がその分布幅の変化に応じて劇的に変化する。図7に化合物2の粉末のX線回折パターンの温度依存性を示した(spring-8 BL19B2ビームラインで測定,X線波長は1.3Å。研究課題2010A1771の成果。)。2つの温度範囲の間で急激に別の結晶相に変化するような相転移はなく、結晶の内部構造が徐々に連続的に変化した(図7)。
[複屈折の温度依存性を示すと考えられる分子設計]
以上のように、複屈折は結晶内の分子部分構造の配向と密接な関係があることが明確になった。結晶の複屈折を変化すなわち結晶内の分子の配向を変化させるには分子運動を徐々に増大させる設計が有効である。
【0094】
本発明では、結晶中でベンゼン環が回転運動をする分子コマによる複屈折制御法を提案する。分子コマは、回転子であるベンゼンなどπ電子系と回転子を保護するアルキルフレーム骨格で構成される。π電子系化合物は、アルキル鎖などσ電子系よりも光との相互作用が大きく、π電子系の配向が光物性の主たる寄与となる。
【0095】
分子コマにおける回転子であるπ電子系の回転ポテンシャルの模式図を図8に示す。平衡位置を回転角θ=0°、回転障壁ΔEとすると、ΔE (1−cos2θ)型のポテンシャル曲線であると考えられる。ベンゼン環はポテンシャル曲線の底,すなわちθ=0°とθ=180°の平衡位置に存在する。
【0096】
またこれらの位置の交換の際の回転障壁ΔEは、回転子が回転する際のフレーム骨格との接触の程度により決定される。ある温度での回転エネルギー準位(図8の横線)は、熱エネルギーkBTにより決まる。
【0097】
熱エネルギーkBTが回転障壁よりも小さい場合には、ベンゼン環はその回転ポテンシャルの谷である平衡位置間を往復する運動をしている。遷移状態における物質の存在確率は0であることから、分子運動していてもベンゼン環の位置は平衡位置にしか存在しない。
【0098】
温度が上昇して熱エネルギーkBTが大きくなると、回転エネルギー準位が上昇し、ベンゼン環の平衡位置が幅を持つようになる。その分布はエネルギー準位を底、エネルギー準位とポテンシャル曲線の交点を壁とする井戸型ポテンシャル内に存在する粒子のように、この間をガウス型分布すると近似できる。つまり、ベンゼン環の位置は平衡から幅を持って分布する。このとき、ベンゼン環の配向が等方的になるような変化をするため、複屈折を減少させることが可能になる。また、ポテンシャルの底の深さを電場や磁場や圧力など特定方向に作用する物理摂動で変化させられることが期待される。
【0099】
つまり複屈折の初期値はπ電子系の種類を変更することで設計が可能であり、変化する温度範囲は回転子に対するフレームのサイズを調整することで可能になる。また、複屈折値を観察することで回転運動モードを知ることができるため,この原理を利用した分子運動測定器の開発が期待できる。平衡位置の安定性を電場や磁場や圧力など特定方向に作用する物理摂動で変化させれば、これらを検出するセンサーとしての利用も期待できる。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
下記式(I)で表わされる分子コマの結晶からなり、熱により連続的に複屈折変化を示す有機結晶材料。
【化1】

(式中、E1は炭素原子、ケイ素原子、ゲルマニウム原子、スズ原子、および鉛原子から選ばれるいずれかの原子を示す。Aは下記式(i)〜(iii):
【化2】

(式中、E2〜E5はそれぞれ独立に炭素原子または窒素原子を示し、窒素原子は合計で2つ以下である。R1〜R4はそれぞれ独立にE2〜E5の炭素原子に結合する水素原子、重水素原子、フッ素原子、塩素原子、臭素原子、アミノ基、ニトロ基、シアノ基、メチル基、および水酸基から選ばれるいずれかの基を示す。)
【化3】

(式中、E6〜E11はそれぞれ独立に炭素原子または窒素原子を示し、窒素原子は1つの六員環あたり合計で2つ以下である。R5〜R12はそれぞれ独立にE6〜E11の炭素原子に結合する水素原子、重水素原子、フッ素原子、塩素原子、臭素原子、アミノ基、ニトロ基、シアノ基、メチル基、および水酸基から選ばれるいずれかの基を示す。)
【化4】

(式中、E12〜E19はそれぞれ独立に炭素原子または窒素原子を示し、窒素原子は1つの六員環あたり合計で2つ以下である。R11〜R18はそれぞれ独立にE12〜E19の炭素原子に結合する水素原子、重水素原子、フッ素原子、塩素原子、臭素原子、アミノ基、ニトロ基、シアノ基、メチル基、および水酸基から選ばれるいずれかの基を示す。)で表されるいずれかの2価の芳香族基を示す。nは6〜12の整数を示す。)
【請求項2】
下記式(II)で表わされる分子コマの結晶からなり、熱により連続的に複屈折変化を示す有機結晶材料。
【化5】

(式中、E1は炭素原子、ケイ素原子、ゲルマニウム原子、スズ原子、および鉛原子から選ばれるいずれかの原子を示す。Aは下記式(i)〜(iii):
【化6】

(式中、E2〜E5はそれぞれ独立に炭素原子または窒素原子を示し、窒素原子は合計で2つ以下である。R1〜R4はそれぞれ独立にE2〜E5の炭素原子に結合する水素原子、重水素原子、フッ素原子、塩素原子、臭素原子、アミノ基、ニトロ基、シアノ基、メチル基、および水酸基から選ばれるいずれかの基を示す。)
【化7】

(式中、E6〜E11はそれぞれ独立に炭素原子または窒素原子を示し、窒素原子は1つの六員環あたり合計で2つ以下である。R5〜R12はそれぞれ独立にE6〜E11の炭素原子に結合する水素原子、重水素原子、フッ素原子、塩素原子、臭素原子、アミノ基、ニトロ基、シアノ基、メチル基、および水酸基から選ばれるいずれかの基を示す。)
【化8】

(式中、E12〜E19はそれぞれ独立に炭素原子または窒素原子を示し、窒素原子は1つの六員環あたり合計で2つ以下である。R11〜R18はそれぞれ独立にE12〜E19の炭素原子に結合する水素原子、重水素原子、フッ素原子、塩素原子、臭素原子、アミノ基、ニトロ基、シアノ基、メチル基、および水酸基から選ばれるいずれかの基を示す。)で表されるいずれかの2価の芳香族基を示す。nは6〜12の整数を示す。)
【請求項3】
請求項1または2に記載の有機結晶材料に熱を作用させ、有機結晶材料の複屈折を温度に応じた値に調整することを特徴とする複屈折の制御方法。
【請求項4】
請求項1または2に記載の有機結晶材料の複屈折から、分子運動モードを考察する方法。

【図6】
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【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図7】
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【図8】
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【公開番号】特開2011−225473(P2011−225473A)
【公開日】平成23年11月10日(2011.11.10)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−95345(P2010−95345)
【出願日】平成22年4月16日(2010.4.16)
【出願人】(503360115)独立行政法人科学技術振興機構 (1,734)
【Fターム(参考)】