説明

ステンレス鋼フラックス入りワイヤ

【課題】良好な溶接作業性を維持しつつ、ヒューム中の六価クロムの量を低減することができるステンレス鋼フラックス入りワイヤを提供する。
【解決手段】ワイヤ全質量に対して、Cr:11乃至30質量%と、金属Si、Si酸化物及びSi化合物:Si換算値[Si]の総量で0.5乃至4.0質量%と、弗素化合物:F換算値[F]で0.01乃至1.0質量%と、TiO:1.5質量%以上と、ZrO+Al:3.2質量%以下と、を含有し、
Na化合物、K化合物及びLi化合物が夫々Na換算値[Na]、K換算値[K]及びLi換算値[Li]の総量で0.50質量%以下であり、
Cr含有量を[Cr]として、{([Na]+[K]+[Li])×[Cr]}/([Si]+4.7×[F])≦10を満たす。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、ステンレス鋼製の外皮にフラックスを充填したアーク溶接用ステンレス鋼フラックス入りワイヤに関し、特に、ステンレス鋼の溶接時に発生するヒューム中に含まれる六価クロムの量を抑制したステンレス鋼フラックス入りワイヤに関する。
【背景技術】
【0002】
一般に、ステンレス鋼の溶接の際に発生するスラグ及びヒューム中には、Crが10質量%以上含まれており、このスラグ及びヒュームをそのまま土壌等に廃棄し、長時間放置すると、六価クロム(Cr6+)として土壌等の中に溶出する虞があるという問題点がある。
【0003】
近時、産業廃棄物に対する関心が環境問題の1つとして年々高まっており、「金属等を含む産業廃棄物に係る判定基準を定める総理府令(昭和48、2,17総令五、以降改正あり)」における六価クロム量の許容値は、埋め立て処分で1.5ppm以下、排水処理で0.5ppm以下と定められている。また、六価クロムは吸入暴露による呼吸器系の損傷及び発癌性が報告されている物質であり、人体に対して極めて有害である。そこで、この六価クロムの溶出を防止すべく、ステンレス鋼溶接用フラックス入りワイヤとして、特許文献1乃至3に開示されたものが提案されている。
【0004】
特許文献1においては、Si:1.0乃至4.0質量%及びCr:16乃至30質量%を含有し、Si/(Ti+Zr)が0.8以上、(Na+K)×Crが50以下のフラックス入りワイヤが開示されている。
【0005】
特許文献2においては、ステンレス鋼溶接用フラックス入りワイヤを使用してステンレス鋼を溶接したときに発生するヒュームを、ヒュームの質量の100倍の質量の蒸留水に混合して作製した溶出検液中のMn濃度が70乃至220質量ppm、且つ前記溶出検液のpHが5.8乃至7.8である場合に、Crの溶出を抑制できることが開示されている。
【0006】
特許文献3においては、スラグからの六価クロム溶出を抑制することを目的として、Cr:12乃至32質量%、N:0.005乃至0.06質量%、Ca:0.01質量%以下、Na:0.01乃至0.5質量%、K:0.01乃至0.5質量%、Na+K:0.01乃至0.5質量%を含有するステンレス鋼溶接用ワイヤが開示されている。また、特許文献3には、ワイヤの製造工程で、ワイヤを水素ガスで焼鈍することが開示されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0007】
【特許文献1】特開2003−320480号公報
【特許文献2】特開2007−50452号公報
【特許文献3】特開2009−154183号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
しかしながら、ステンレス鋼の溶接時に発生するヒューム中には、Crが多量に含まれており、ヒューム中のCrの一部は六価クロム(Cr6+)として存在している。近年、六価クロムの有害性が再評価され、その規制値が厳格化されている。例えば、米国労働安全衛生局(OSHA)は六価クロムの許容濃度(PEL)を2006年に50μg/mから5μg/mへと従来の1/20に厳格化され、2010年6月から施行されている。これを受けて、六価クロムをより高感度に分析可能な方法として、六価クロム抽出イオンクロマトグラフィーにポストカラム発色法を組み合わせた方法が開発され、ISO16740:2005として国際規格になっている。この六価クロムの分析方法では、前処理の六価クロム抽出にアルカリ溶液が採用され、より安定に六価クロムが抽出可能な方法となっている。特許文献1及び特許文献2に記載のステンレス鋼溶接用フラックス入りワイヤにおいては、ヒューム中の六価クロムの分析には蒸留水での抽出処理後、ジフェニルカルバジド吸光光度法にて分析を行っているが、上記のISO16740:2005の分析方法を用いた場合、組成が上述の範囲内であっても、十分な六価クロム低減効果が得られない場合がある。また、溶接作業性も実用レベルに達していないため、実用化に至っていない。
【0009】
また、特許文献3に記載のステンレス鋼溶接用フラックス入りワイヤは、スラグの低六価クロム化を図るものであり、ヒューム中の六価クロムの低減については、有効ではないという問題点がある。
【0010】
本発明はかかる問題点に鑑みてなされたものであって、良好な溶接作業性を維持しつつ、ISO16740:2005に準じた分析方法を用いた場合でも、ヒューム中の六価クロムの量を従来よりも低減することができるステンレス鋼フラックス入りワイヤを提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0011】
本発明に係るステンレス鋼フラックス入りワイヤは、ステンレス鋼製の外皮中に、フラックスを充填したアーク溶接用フラックス入りワイヤにおいて、ワイヤ全質量に対して、
Cr:11乃至30質量%と、
金属Si、Si酸化物及びSi化合物:Si換算値[Si]の総量で0.5乃至4.0質量%と、
弗素化合物:F換算値[F]で0.01乃至1.0質量%と、
TiO:1.5質量%以上と、
ZrO+Al:3.2質量%以下と、
を含有し、
Na化合物、K化合物及びLi化合物が夫々Na換算値[Na]、K換算値[K]及びLi換算値[Li]の総量で0.50質量%以下であり、
Cr含有量を[Cr]として、
{([Na]+[K]+[Li])×[Cr]}/([Si]+4.7×[F])≦10
を満たすことを特徴とする。
【発明の効果】
【0012】
本発明によれば、溶接作業性を良好に保持しつつ、ヒューム中の六価クロム量を低減することができる。更に、本発明のフラックス入りワイヤは、ワイヤ全質量に対して、TiO:1.5質量%以上と、ZrO+Al:3.2質量%以下を含有するので、良好なアーク安定性及びスラグ剥離性を保持する。
【図面の簡単な説明】
【0013】
【図1】{([Na]+[K]+[Li])×[Cr]}/([Si]+4.7×[F])と、ヒューム中の六価クロム量との関係を示すグラフ図である。
【発明を実施するための形態】
【0014】
以下、本発明について詳細に説明する。フラックス入りワイヤは、優れた溶接作業性を有し、高能率であることから、幅広い分野に普及している。特に、ステンレス鋼の溶接材料の場合、フラックス入りワイヤの使用比率が高い。しかしながら、従来のステンレス鋼溶接用フラックス入りワイヤを使用して溶接を行った場合に発生するヒューム中には、Crが10質量%以上含まれており、このCrの一部は六価クロムの形態で存在する。
【0015】
作業環境中の六価クロムについては、その人体への有毒性が問題視されており、作業環境中の六価クロム濃度の規制を強化する動きが強くなってきている。例えば、米国労働安全衛生局(OSHA)は六価クロムの許容濃度(PEL)を2006年に50μg/mから5μg/mへと従来の1/20に厳格化した。よって、溶接ヒューム中の六価クロムの低減化が求められているが、従来技術では溶接作業性が悪く、実用化されていない。
【0016】
本発明は、良好な溶接作業性を維持しつつ、さらにヒューム中の六価クロムを低減化したステンレス鋼フラックス入りワイヤを開発した。
【0017】
次に、本発明におけるフラックス入りワイヤの成分添加理由及び組成限定理由について説明する。
【0018】
「Cr:11乃至30質量%」
ステンレス鋼としての必須成分であるCrの含有量が11質量%未満では不動態皮膜が形成されず、ステンレス鋼溶接用溶接ワイヤとして溶接金属に必要な耐食性が発揮されない。また、Cr量が30質量%を超えると、ヒューム中のCr濃度が極めて高くなり、それに伴い六価クロム濃度が増大し、六価クロムの低減が不十分になる。このため、Cr含有量は、11乃至30質量%とする。
【0019】
「Si:0.5乃至4.0質量%」
ヒュームからの六価クロムの溶出を低減するためには、ヒュームの非晶質化が有効である。そして、Siの添加はヒュームの非晶質化に有効である。このため、六価クロムの溶出を低減するために、Siを、金属Si、Si酸化物及び/又はSi化合物の形態で、添加する。これらの金属Si、Si酸化物及びSi化合物の量が、夫々のSi換算値の総和で、0.5質量%以上であれば、非晶質化の効果が得られる。しかし、このSi換算値の総和が4.0質量%を超えると、スラグの剥離性が劣化する。このため、金属Si、Si酸化物及びSi化合物の添加量は、Si換算値の総和で0.5乃至4.0質量%とする。より好ましい金属Si、Si酸化物及びSi化合物の添加量は、Si換算値の総和で、1.0乃至4.0質量%である。Siの添加原料としては外皮中に含まれる金属Si、フラックス添加原料の金属Si、ケイ砂、長石及びケイフッ化カリ等がある。これらの原料はいずれもヒューム中のSiOの増加に有効であり、いずれの添加原料でも六価クロムの低減効果が得られる。
【0020】
「Na化合物、K化合物及びLi化合物:夫々Na換算値、K換算値及びLi換算値の総和で0.50質量%以下」
Na、K及びLiからなるアルカリ金属はヒューム中のCrと反応し、例えばクロム酸ナトリウムなどの水に可溶な六価Cr化合物を生成する。そのため、ヒューム中のアルカリ金属の増加は、ヒューム中の六価クロム濃度を増大させる。そこで、Na化合物、K化合物及びLi化合物の量を、夫々Na換算値、K換算値及びLi換算値の総和で0.50質量%以下とする。より好ましいNa化合物、K化合物及びLi化合物の量の範囲は、その各元素の換算値の総量で0.30質量%以下である。なお、Na、K、Li源としては、酸化物又は弗化物等がある。
【0021】
「弗素化合物:F換算値で0.01乃至1.0質量%」
本願発明者等は、種々実験研究した結果、弗素化合物の添加がヒューム中の六価クロムの低減に有効であることを見いだした。ヒューム中で弗素はアルカリ金属と反応し、アルカリ金属弗化物を生成する。そのため、弗素の添加により、アルカリ金属がクロムと反応して六価クロム化合物を生成することを抑制する効果が得られる。弗素化合物の含有量のF換算値が0.01質量%以上でないと、六価Crの低減効果が得られず、また、耐ピット性が劣化し、溶接作業性が劣化する。一方、弗素化合物を、1.0質量%を超えて添加すると、溶接作業性が劣化する。このため、弗素化合物は、F換算値で0.01乃至1.0質量%、より好ましくは、0.01乃至0.80質量%とする。
【0022】
「{([Na]+[K]+[Li])×[Cr]}/([Si]+4.7×[F])≦10」
Crの含有量を[Cr]、Si換算値を[Si]、F換算値を[F]、Na換算値を[Na]、K換算値を[K]及びLi換算値を[Li]としたとき、{([Na]+[K]+[Li])×[Cr]}/([Si]+4.7×[F])で表されるパラメータを10以下とする。本願発明者等は、種々実験研究した結果、上記パラメータとヒューム中の六価クロム量との間に強い相関関係があることを見出した。そして、上記パラメータを10以下とすることにより、シールドガスが100%CO及び混合ガス(80%Ar−20%CO)のいずれの場合でも、ヒューム中の六価クロムを大幅に低減化することが可能となる。
【0023】
「TiO:1.5質量%以上、ZrO+Al:3.2質量%以下」
六価クロムの生成を抑制するために、アルカリ金属の添加量を上述のように規制した場合、アーク安定性の劣化が問題となる。TiOにはスラグの被包性を改善する効果だけでなく、アークを安定させる効果があり、アルカリ金属を低減化した場合のアーク安定性の改善に有効である。これらの効果を十分得るためには、TiOを1.5質量%以上添加する必要がある。好ましくは、TiOを2.0%以上添加することが必要である。ZrOとAlはスラグ生成剤として添加される原料であるが、過剰に添加すると、スラグ剥離性を劣化させるため、添加量は合計で3.2質量%以下とする。好ましくは、ZrOとAlの合計は、2.7質量%以下である。TiO源としては、ルチール、イルミナイト、酸化チタン、及びチタン酸カリウム等があり、これらの原料を単体又は2種類以上を組み合わせて添加する。ZrO源としてはジルコンサンド、及び酸化ジルコニウム等がある。
【0024】
「その他の成分」
その他の成分としては、Ni,Mo,Mn及びFeが総量で50乃至80質量%含まれる。Ni,Mo,Mn,Feは外皮中に含まれるほか、金属粉としてフラックスに添加される。その他の酸化物としては、Al及びMgOがある。
【実施例】
【0025】
次に、本発明の実施例について、本発明の範囲から外れる比較例と比較して、その効果を説明する。下記表1及び表2は、実施例及び比較例のフラックス入りワイヤの組成を示す。
【0026】
【表1】

【0027】
【表2】

【0028】
この溶接ワイヤを使用して溶接を実施し、ヒュームを採取した。このヒュームの採取は、JIS Z 3930:2001(アーク溶接のヒューム発生量測定方法)に基づいて、溶接を5分間連続で実施し、その間に発生したヒュームをフィルタで採取する方法によった。溶接条件は、溶接電流が200A,アーク電圧が30Vである。そして、採取した溶接ヒュームから、その中に含まれる六価クロムを分析した。ヒュームの六価クロム分析方法はISO 16740:2005に準じた。この六価クロムの分析結果及び溶接時の溶接作業性を下記表3に示す。
【0029】
【表3】

【0030】
ヒューム中の六価クロムの量が500ppm以下の場合に、ヒューム中の六価クロム量の低減効果があると判断した。また、ヒューム発生量も測定した。その結果、本発明の実施例1乃至10はいずれも六価クロムの量が500ppm以下であり、六価クロム量を低減できることがわかる。これに対し、比較例の場合は、比較例2、8、10及び11を除いて、六価クロムの量が500ppmを超えた。また、この比較例2、8、10及び11は、溶接作業性が実用レベルに達しないほど悪いものであった。比較例1はSiが少ないため、パラメータの値を満足することができず、ヒューム中の六価クロムが高くなった。比較例2はSiが高すぎるため、六価クロムは低くなったが、スラグ剥離性が大幅に劣化した。比較例3乃至6はアルカリ金属の添加量が多すぎたため、パラメータを満足できず、六価クロム量が高くなった。比較例7はFが低すぎるため、耐ピット性が劣化した。比較例8はFが高すぎるため、スパッタ量が増大し、溶接作業性が劣化した。比較例9は各成分の範囲を満足しているが、パラメータを満足しないため、六価クロムが高くなった。比較例10はZrOの添加量が多すぎるため、スラグ剥離性が劣化した。比較例11はTiOの添加量が少ないため、スラグ剥離性及びアーク安定性が劣化した。比較例12から比較例23はパラメータを満足することができなかったため、いずれも六価クロムの量が500ppmを超えた。また比較例13〜比較例17はいずれもTiOの添加量が1.5質量%以下であったため、スラグ剥離性が劣化した。
【0031】
次に、パラメータの値を変更して、そのパラメータの影響を調査した結果について説明する。下記表4は使用した溶接ワイヤの組成を示す。そして、パラメータ{([Na]+[K]+[Li])×[Cr]}/([Si]+4.7×[F])の値と、ヒューム中の六価クロムの量との関係を下記表5及び図1に示す。
【0032】
【表4】

【0033】
【表5】

【0034】
実施例のパラメータと六価クロムの関係を図1に示すように、{([Na]+[K]+[Li])×[Cr]}/([Si]+4.7×[F])≦10の条件を満足する場合に、ヒューム中の六価クロム量が500ppm以下になる。
【0035】
従って、本発明により、ヒューム中の六価クロム量が低く、溶接作業性が良好なステンレス鋼の溶接が可能となることがわかる。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
ステンレス鋼製の外皮中に、フラックスを充填したアーク溶接用フラックス入りワイヤにおいて、ワイヤ全質量に対して、
Cr:11乃至30質量%と、
金属Si、Si酸化物及びSi化合物:Si換算値[Si]の総量で0.5乃至4.0質量%と、
弗素化合物:F換算値[F]で0.01乃至1.0質量%と、
TiO:1.5質量%以上と、
ZrO+Al:3.2質量%以下と、
を含有し、
Na化合物、K化合物及びLi化合物が夫々Na換算値[Na]、K換算値[K]及びLi換算値[Li]の総量で0.50質量%以下であり、
Cr含有量を[Cr]として、
{([Na]+[K]+[Li])×[Cr]}/([Si]+4.7×[F])≦10
を満たすことを特徴とするステンレス鋼フラックス入りワイヤ。

【図1】
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【公開番号】特開2012−179626(P2012−179626A)
【公開日】平成24年9月20日(2012.9.20)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2011−43648(P2011−43648)
【出願日】平成23年3月1日(2011.3.1)
【出願人】(000001199)株式会社神戸製鋼所 (5,860)
【Fターム(参考)】