説明

ホーナー・ワズワース・エモンズ試薬の精製方法

【課題】HWE試薬中に極微量に含まれるピロリン酸エステル類を、HWE試薬の分解や変性を起こすことなく選択的かつ効果的に除去する。
【解決手段】 下記一般式(I)


(一般式(I)において、R1は直鎖または分岐した炭素数1〜6のアルキル基またはフェニル基またはベンジル基、Xは酸素原子または一つ以上の置換基を有する炭素原子、Yは水素原子、置換基を有してもよい炭素原子または置換基を有する酸素原子を示す。)で示されるHWE試薬中に含まれる下記一般式(II)


(一般式(II)において、R2は直鎖または分岐した炭素数1〜6のアルキル基またはフェニル基またはベンジル基を示す。)で示されるピロリン酸エステルを、酸により加水分解する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、ホーナー・ワズワース・エモンズ試薬(以下、HWE試薬ともいう)中に含まれているピロリン酸エステル類を選択的に除去するHWE試薬の精製方法に関するものである。
【背景技術】
【0002】
ホーナー・ワズワース・エモンズ反応(以下、HWE反応ともいう)は炭素−炭素二重結合を生成する反応として、医薬品や医薬中間体をはじめとした有機化合物の合成に広く用いられている。このHWE反応の基質として用いる一般式(I)で示されるHWE試薬は一般的にアルブゾフ反応を経て合成されている。
【化1】

(一般式(I)において、R1は直鎖または分岐した炭素数1〜6のアルキル基またはフェニル基またはベンジル基、Xは酸素原子または一つ以上の置換基を有する炭素原子、Yは水素原子、置換基を有してもよい炭素原子または置換基を有する酸素原子を示す。)
【0003】
アルブゾフ反応においては亜リン酸トリエステル類とハロゲン化物を高温下で反応させる条件が一般的であり、その際に極微量の下記式(II)で示すピロリン酸エステル類が生成する可能性がある。
【化2】

(一般式(II)において、R2は直鎖または分岐した炭素数1〜6のアルキル基またはフェニル基またはベンジル基を示す。)
【0004】
ピロリン酸エステル類はR部位の置換基によってもその強さは異なるがいずれも毒性を有しており、例えばRがエチル基のピロリン酸テトラエチル(TEPP)の場合はヒト男性経口LDLoが1700マイクログラム/キログラムと極めて高毒性であることから特定毒物に指定されており、目的化合物、特に医薬品類への混入は許されない。
【0005】
一般的に考えられる工業的に簡便でかつ経済的であり、不純物の除去効果も高い精製方法は蒸留であるが、ピロリン酸エステル類とHWE試薬の沸点は近接しており蒸留でのピロリン酸エステル類の除去は困難である。例えば、ピロリン酸エステルの沸点は前述のTEPPが125−130℃/5mmHgであるのに対して、上記一般式(I)においてXがCHCOOEt、YがCH3、R1がC25であるHWE試薬は157℃/5mmHg、同様にXがO、YがOEtであるHWE試薬は130℃/5mmHgである。一般的に沸点が近接している物質を蒸留によって分離する為には高段数の蒸留塔と大きな還流比が必要であり、設備費用と時間が掛かる。また、あまりにも沸点が近接している場合には分離自体が不可能である。
【0006】
別の方法としてピロリン酸エステル類の化学的性質を利用して除去する方法が考えられるが、このピロリン酸エステル類は加水分解することが報告されているものの(非特許文献1)、ピロリン酸エステル類が有機化合物中に極微量含まれている状態、特にHWE試薬のような同種の官能基を有した有機化合物中に極微量含まれている状態でピロリン酸エステル類のみを選択的かつ効果的に除去する方法は知られていない。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0007】
【非特許文献1】Toy,A.D.F. Journal of the American Chemical Society 1948, 70, 3882-3886
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
本発明者らは上記の課題を解決するために鋭意検討した結果、上記一般式(I)で示されるHWE試薬に含まれる上記一般式(II)で示されるピロリン酸エステル類を選択的かつ効果的に除去できることを見出し本発明に至った。すなわち、本発明はHWE試薬中に極微量含まれるピロリン酸エステル類を、HWE試薬の分解や変性を起こすことなく選択的かつ効果的に除去することが可能なHWE試薬の精製方法を提供することを目的とするものである。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明のHWE試薬の精製方法は、下記一般式(I)
【化3】

(一般式(I)において、R1は直鎖または分岐した炭素数1〜6のアルキル基またはフェニル基またはベンジル基、Xは酸素原子または一つ以上の置換基を有する炭素原子、Yは水素原子、置換基を有してもよい炭素原子または置換基を有する酸素原子を示す。以下、この記載は省略する。)
で示されるHWE試薬中に含まれる下記一般式(II)
【化4】

(一般式(II)において、R2は直鎖または分岐した炭素数1〜6のアルキル基またはフェニル基またはベンジル基を示す。以下、この記載は省略する。)で示されるピロリン酸エステルを、酸により加水分解することを特徴とするものである。
【0010】
前記酸は鉱酸または固体酸であることが好ましい。
前記固体酸はケイ酸塩鉱物であることが好ましく、前記ケイ酸塩鉱物はスメクタイトであることが好ましい。
前記鉱酸は塩化水素、硫酸、リン酸、フッ化水素酸の水溶液であることが好ましい。
前記加水分解は加熱して行うことが好ましい。
【0011】
前記一般式(I)としては、例えばR1がC25、XがCHCOOC25、YがCH3であって、前記一般式(II)としては、R2がC25のものが例示される。
また、前記一般式(I)においてR1がCH3、XがCHCOOC25、YがCH3であって、前記一般式(II)においてR2がCH3ものも例示できる。
【発明の効果】
【0012】
本発明のHWE試薬の精製方法は、上記一般式(I)で示されるHWE試薬中に含まれる上記一般式(II)で示されるピロリン酸エステルを酸により加水分解するので、HWE試薬の分解や変性を起こすことなく、HWE試薬の中に極微量に含まれているHWE試薬と同種の官能基を有しているピロリン酸エステル類のみを選択的かつ効果的に除去することができる。
【発明を実施するための形態】
【0013】
本発明のHWE試薬の精製方法は、下記一般式(I)
【化5】

で示されるHWE試薬中に含まれる下記一般式(II)
【化6】

で示されるピロリン酸エステルを、酸により加水分解することを特徴とするものである。
【0014】
一般式(I)において、Xが炭素原子の場合の置換基としてはアルキル基、アリール基、シアノ基、イソシアノ基、アルコキシル基、アルコキシアルカン基、カルボキシル基、アルキルカルボニル基、アルコキシカルボニル基、等が挙げられる。
Yが炭素原子の場合の置換基も上記と同様である。
Yが酸素原子の場合の置換基としてはアルキル基、アリール基、カルボキシル基、アルコキシカルボニル基、等が挙げられる。
【0015】
酸としては鉱酸や固体酸を用いることができる。鉱酸としては、例えば塩酸、硫酸、硝酸、リン酸等を好ましく挙げることができ、中でも、ピロリン酸エステル類をより選択的かつ効率的に除去できる点からすれば、塩酸または硫酸が好ましい。固体酸としてはケイ酸塩鉱物類や酸性イオン交換樹脂等を用いることができ、中でもゼオライトやスメクタイトが好ましく、さらには酸性白土や活性白土がより好ましい
【0016】
ピロリン酸エステル類を除去する具体的な手順としては、ピロリン酸エステル類を0.005〜5質量%含有するHWE試薬1質量部に対して、酸として鉱酸を用いる場合にはその鉱酸の0.1〜10質量%、好ましくは1〜5質量%の水溶液を、0.5〜2質量部、好ましくは0.7〜1.2質量部加えて、1〜20時間攪拌する。その際の温度は30〜100℃に調整することが好ましく、HWE試薬の分解を抑えかつ効果的にピロリン酸エステル類を除去するためには、50〜80℃に加熱することが好ましい。
【0017】
このピロリン酸エステル類を除去できたかどうかは、ガスクロマトグラフィーにより確認することができる。加熱により充分ピロリン酸エステル類を除去した後、有機溶媒と塩化ナトリウムを添加し酸水溶液層を分液し、有機層のpHが3〜9、好ましくは4〜8になるまで塩化ナトリウムを添加したアルカリ水溶液で洗浄する。
【0018】
この際に用いる有機溶媒としてはHWE試薬を溶かすことができ、かつ水への溶解度がある程度小さく分液可能な有機溶媒であればいずれも使用可能であるが、例えば酢酸エチル、ジエチルエーテル、イソプロピルエーテル、ヘプタン、ペンタン、イソブタノール、キシレン等が好ましく挙げられる。
アルカリ水溶液で洗浄後、有機溶媒を濃縮することでピロリン酸エステル類が除去されたHWE試薬を得ることができる。
【0019】
また、酸として固体酸を用いる場合には上記の鉱酸に換えて、HWE試薬1質量部に対して0.001〜0.1質量部、好ましくは0.01〜0.05質量部の固体酸を加えて1〜20時間攪拌する。その際の温度は30〜100℃に調整することが好ましく、HWE試薬の分解を抑えかつ効果的にピロリン酸エステル類を除去するためには、50〜80℃に加熱することが好ましい。加熱により十分ピロリン酸エステル類を除去した後、ろ過により固体酸を取り除くことでピロリン酸エステル類を除去したHWE試薬を得ることができる。
【0020】
特にこの固体酸を用いた場合には鉱酸使用時と比較して、第一に後処理がろ過のみであり簡便である、第二に固体酸の回収再利用が可能である、第三に分液操作に伴う廃液の排出がないという利点を有しており、工業的に極めて有利な手段である。
以下、本発明のHWE試薬の精製方法について実施例を用いてさらに詳細に説明する。
【実施例】
【0021】
<HWE試薬の合成>
公知の手法であるアルブゾフ反応を用いてHWE試薬(A)(一般式(1)において、R1がC25、XがCHCOOEt、YがCH3である)を合成した。
ガスクロマトグラフィーを用いた分析により、このHWE試薬中には0.0527GC面積%のピロリン酸テトラエチル(以下、TEPP)が含有されており、また同時にHWE試薬の純度は88.61GC面積%であることがわかった。さらにその外観は薄黄色であった。
【0022】
(比較例1)
HWE試薬(A)(100g)に水(100g)を添加し、80℃で10時間加熱攪拌した。加熱終了後、分液し減圧濃縮により水分を取り除き、HWE試薬(98g)を得た。
【0023】
(比較例2)
HWE試薬(A)(100g)に0.1質量%水酸化ナトリウム水溶液(100g)を添加し、25℃で1時間攪拌した。攪拌終了後、イソプロピルエーテル(100g)と塩化ナトリウム(20g)を添加し、分液、水洗を行い、減圧濃縮により溶媒を留去することで、HWE試薬(90g)を得た。
【0024】
(実施例1)
HWE試薬(A)(100g)に2質量%塩酸(100g)を添加し、55℃で10時間加熱攪拌した。加熱終了後、イソプロピルエーテル(100g)と塩化ナトリウム(20g)を添加して分液した後、1%炭酸ナトリウム水溶液(100g)に塩化ナトリウム(20g)を加えた水溶液で洗浄した。減圧濃縮により溶媒を留去することで、HWE試薬(95g)を得た。
【0025】
(実施例2)
HWE試薬(A)(100g)に酸性白土(関東化学株式会社製)(5g)を添加し、80℃で10時間加熱攪拌した。加熱終了後、No.5Bのろ紙を用いてろ過することでHWE試薬(95g)を得た。
【0026】
(実施例3)
HWE試薬(A)(100g)に活性白土(関東化学株式会社製)(5g)を添加し、80℃で10時間加熱攪拌した。加熱終了後、No.5Bのろ紙を用いてろ過することでHWE試薬(95g)を得た。
【0027】
上記のようにして処理した比較例1、2および実施例1〜3のHWE試薬をガスクロマトグラフィーにより分析し、TEPPとHWE試薬のGC面積%及び外観が処理前後でどのように変化したかを表1にまとめた。なお、表1中のTEPP除去率およびHWE試薬保持率は、それぞれ以下の式により求めたものである。
TEPP除去率=処理後TEPPのGC面積%/処理前TEPPのGC面積%
HWE試薬保持率=処理後HWE試薬のGC面積%/処理前HWE試薬のGC面積%
【0028】
【表1】

【0029】
表1に示すように、水のみを使用してTEPPの除去を行った比較例1では、処理によるTEPP除去率が42.4%であり、十分に除去されたとは言えなかった。水酸化ナトリウムを用いた比較例2では、TEPP除去率は95%以上と十分であったが、HWE試薬保持率が98.4%となり、HWE試薬の分解が認められた。また、外観も処理前は薄黄色であったものが濃黄色となっており変性が認められた。
【0030】
一方で、本発明のHWE試薬の精製方法による実施例1〜3ではTEPPの除去率が95%以上と十分な値を示しており、またHWE試薬保持率の低下や外観の変性も認められなかった。
【0031】
以上の実施例から明らかなように、本発明のHWE試薬の精製方法は、HWE試薬中に含まれるピロリン酸エステルを、酸により加水分解することで、HWE試薬を分解させたり変性させたりすることなく、HWE試薬の中に極微量に含まれているピロリン酸エステル類のみを選択的かつ効果的に除去することができる。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
下記一般式(I)
【化1】

(一般式(I)において、R1は直鎖または分岐した炭素数1〜6のアルキル基またはフェニル基またはベンジル基、Xは酸素原子または一つ以上の置換基を有する炭素原子、Yは水素原子、置換基を有してもよい炭素原子または置換基を有する酸素原子を示す。)
で示されるホーナー・ワズワース・エモンズ試薬中に含まれる下記一般式(II)
【化2】

(一般式(II)において、R2は直鎖または分岐した炭素数1〜6のアルキル基またはフェニル基またはベンジル基を示す。)
で示されるピロリン酸エステルを、酸により加水分解することを特徴とするホーナー・ワズワース・エモンズ試薬の精製方法。
【請求項2】
前記酸が鉱酸または固体酸であることを特徴とする請求項1記載のホーナー・ワズワース・エモンズ試薬の精製方法。
【請求項3】
前記固体酸がケイ酸塩鉱物であることを特徴とする請求項2記載のホーナー・ワズワース・エモンズ試薬の精製方法。
【請求項4】
前記ケイ酸塩鉱物がスメクタイトであることを特徴とする請求項3記載のホーナー・ワズワース・エモンズ試薬の精製方法。
【請求項5】
前記鉱酸が塩化水素、硫酸、リン酸、フッ化水素酸の水溶液であることを特徴とする請求項2記載のホーナー・ワズワース・エモンズ試薬の精製方法。
【請求項6】
前記加水分解を加熱して行うことを特徴とする請求項1〜5いずれか1項記載のホーナー・ワズワース・エモンズ試薬の精製方法。
【請求項7】
前記一般式(I)においてR1がC25、XがCHCOOC25、YがCH3であって、前記一般式(II)においてR2がC25であることを特徴とする請求項1〜6いずれか1項記載のホーナー・ワズワース・エモンズ試薬の精製方法。
【請求項8】
前記一般式(I)においてR1がCH3、XがCHCOOC25、YがCH3であって、前記一般式(II)においてR2がCH3であることを特徴とする請求項1〜6いずれか1項記載のホーナー・ワズワース・エモンズ試薬の精製方法。