説明

ポリメラーゼ反応安定剤

【課題】本発明では、ポリメラーゼ反応安定剤を提供することで、ポリメラーゼ反応組成物の安定性を向上させ、シークエンスやポリメラーゼ連鎖反応の結果の信頼度が向上させることを課題とした。
【解決手段】ATPaseドメインを除去したHSP70ファミリータンパク質を有効成分として含有することを特徴とするポリメラーゼ反応安定剤と、そのポリメラーゼ反応安定剤を含む反応溶液中でポリメラーゼによる複製反応を行う方法を提供する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、ポリメラーゼ反応の安定剤と、その安定剤を用いたポリメラーゼ反応、ポリメラーゼ反応組成物の保存方法に関する。
【背景技術】
【0002】
近年、ポリメラーゼによる複製反応を利用した遺伝子配列の解読(シーケンシング)や核酸増幅(ポリメラーゼ連鎖反応、以下PCRと称することがある)は生化学、分子生物学および臨床病理分野における研究、検査において必須の技術の一つとなっている。
【0003】
それらの反応に用いられる組成物の安定性を、保存期間中も維持することは重要である。組成物の中でも特にポリメラーゼは保存に細心の注意を払う必要がある。ポリメラーゼは、複数のアミノ酸がペプチド結合により連なったポリペプチドである。ポリメラーゼがその特性を発現させるためには、ポリメラーゼ固有の三次構造(立体構造)が重要である。しかし、ポリメラーゼの多くは、生体から抽出した状態では不安定で失活し易く、乾燥、高温、凍結、圧力、pH変化、濃度変化、有機溶剤の添加等の環境的ストレスを加えると、その立体構造が変化し、その特性・活性を不可逆的に消失してしまうことが多い。このような環境変化に対して、ポリメラーゼをいかに安定な状態に保つかが、ポリメラーセを扱う上で、常に課題となる。このような問題点の解決策としては、緩衝溶液中で常に所定の温度にして保存したり、特許文献1に示すようにジオール類やグリセリン等の2価又は3価アルコールを活性安定化剤に用いて保存したりする方法が知られている。しかし、繰り返し凍結融解を繰り返すと失活する問題点がある。
【0004】
また、一般的に酵素は凍結乾燥した形態で供給されることが多く、凍結乾燥時の酵素の失活、変性を防止する方法について様々な研究がなされている。例えば、グルタミン酸ソーダ、アルブミン、スキムミルク等のアミノ酸又はタンパク質、シュクロース、マルトース等の糖類、グルタチオン、メルカプトエタノール等の還元剤、グリセロール、ソルビトールなどの多価アルコールを添加する方法が一般に知られている。しかしながら、これらの方法は欠点を有する。凍結乾燥では水が除かれるため、再溶解時に、その品質が使用者による試薬の希釈および再構成にゆだねられることとなる。凍結乾燥した酵素試薬の他の欠点としては、凍結乾燥する間の可変性で、不可逆的な不活性化が生じやすい。加えて、凍結乾燥した酵素調製物は、一担再溶解したら安定性は比較的短い。
【0005】
一部の市販酵素は、高濃度のグリセリン等を共存させて酵素溶液の凝固温度を下げ、例えば−30℃のような低温下でも凍結しない形態で供給されている。これは凍結による酵素の失活を回避しながら酵素を安定性に有利な低温に保つ方法としては有効であるが、保存形態すなわち高濃度のグリセリン等の存在下では酵素反応が阻害されるため、反応に使用する際に大幅な希釈が必要であり、希釈が酵素の失活を引き起こすため問題である。
【0006】
ポリメラーセの基質として、リボヌクレオシド三リン酸、デオキシリボヌクレオシド三リン酸およびジデオキシリボヌクレオシド三リン酸等のヌクレオシド三リン酸(NTP)などがある。用途の多くは、逆転写酵素ポリメラーゼ連鎖反応 (RT-PCR)、サイクルシークエンス法およびニックトランスレーション等のDNAおよびRNAを合成または複製する反応 に関与する。デオキシリボヌクレオシド三リン酸(dNTP)の最も重要な用途の一つは、ポリメラーゼ 連鎖反応 (PCR)における使用である。この用途では、とりわけ保存の際にNTP溶液が安定であることが絶対的に必要である。dNTP(特にdATP、dCTP、dGTP、dTTP、dUTP)は、通常Na塩またはLi塩として典型的には0.1mol/lの濃度で保存され、この状態で市販されている。通常pH値は生理学的なpH値、即ち約7.0〜7.5である。
【0007】
現在の(即ち、市販の)NTP溶液の欠点は、特に、保存または温度ストレス時のNTPの不安定性にある。NTPには、時間の経過とともに分解して対応の二リン酸エステルと一リン酸エステルを形成する傾向がある。そのため、dNTP を保存は困難である。
プライマーなどのオリゴヌクレオチドも凍結保存が推奨されるが、凍結融解の繰り返しは品質を劣化させる。必要に応じて容量分を小分けにして凍結保存し、そのストックを実験を行うことが推奨されている。
【特許文献1】特開昭55−84397号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
従来、ポリメラーゼを利用した複製反応や連鎖反応に利用される組成物の保存安定性を高めたり、それらの組成物を混合して保存したりすることは困難であった。本発明では、ポリメラーゼ反応安定剤を提供することで、ポリメラーゼ反応組成物の安定性を向上させ、シークエンスやポリメラーゼ連鎖反応の結果の信頼度が向上させることを課題とした。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明者は鋭意検討を重ねた結果、以下に示すような手段により、上記課題を解決できることを見出し、本発明に到達した。
【0010】
すなわち本発明は、以下の構成からなる。
1.ATPaseドメインを除去したHSP70ファミリータンパク質を有効成分として含有することを特徴とするポリメラーゼ反応安定剤。
2. ATPaseドメインを除去したHSP70ファミリータンパク質がDnaK,Ssa1p,Ssc1p,Kar2p,HSP70,Bip,mHsp70およびHSC70から選択されることを特徴とする1のポリメラーゼ反応安定剤。
3.HSP70ファミリータンパク質の基質結合ドメインを用いることを特徴とする1又は2のポリメラーゼ反応安定剤。
4.DnaKタンパク質由来のタンパク質を用いることを特徴とする1〜3のいずれかのポリメラーゼ反応安定剤。
5.DnaKタンパク質の一部のアミノ酸配列を除去したタンパク質を用いることを特徴とする1〜4のいずれかのポリメラーゼ反応安定剤。
6.DnaKタンパク質の一部のアミノ酸配列を除去したタンパク質であって、少なくともN末端から387番目まで、多くとも472番目までのアミノ酸配列を除去したタンパク質を用いることを特徴とする1〜5のいずれかのポリメラーゼ反応安定剤。
7.DnaKタンパク質の一部のアミノ酸配列を除去したタンパク質であって、少なくともN末端から387番目まで、多くとも418番目までのアミノ酸配列を除去したタンパク質を用いることを特徴とする1〜6のいずれかのポリメラーゼ反応安定剤。
8.DnaKタンパク質の419〜607番目までのアミノ酸配列からなるタンパク質を用いることを特徴とする1〜7のいずれかのポリメラーゼ反応安定剤。
9.ATPaseドメインもしくはその一部を除去したDnaKタンパク質の一部の親水性アミノ酸を疎水性アミノ酸に置換したタンパク質を用いることを特徴とする1〜8のいずれかのポリメラーゼ反応安定剤。
10.ATPaseドメインもしくはその一部を除去したDnaKタンパク質の一部のアミノ酸配列を除去したタンパク質であって、アミノ酸番号479と481のアスパラギン酸をバリンに置換したタンパク質を用いることを特徴とする1〜9のいずれかのポリメラーゼ反応安定剤。
11.DnaKタンパク質の384〜607番目のアミノ酸配列からなり、アミノ酸番号479と481のアスパラギン酸をバリンに置換したタンパク質を用いることを特徴とする1〜10のいずれかのポリメラーゼ反応安定剤。
12.試料中の標的DNA分子の複製を行う方法であって、1〜11のいずれかのポリメラーゼ反応安定剤を含む反応溶液中で、ポリメラーゼによる複製反応を行うことを特徴とする方法。
13.試料中の標的DNA分子の核酸増幅反応を行う方法であって、1〜11のいずれかのポリメラーゼ反応安定剤を含む反応溶液中で、ポリメラーゼ連鎖反応を行うことを特徴とする方法。
14.耐熱性DNAポリメラーゼと、1〜11のいずれかのポリメラーゼ反応安定剤を混合することを特徴とする耐熱性DNAポリメラーゼ保存方法。
15.耐熱性DNAポリメラーゼと、請求項1〜11のいずれかに記載のポリメラーゼ反応安定剤を混合し、さらに凍結させることを特徴とする14の耐熱性DNAポリメラーゼ保存方法。
16.保存中の溶液における耐熱性DNAポリメラーゼの濃度が、ポリメラーゼ連鎖反応を行う際の1〜5倍であることを特徴とする14または15の耐熱性DNAポリメラーゼ保存方法。
【発明の効果】
【0011】
本発明の、ポリメラーゼ反応安定剤により、ポリメラーゼ反応に供される組成物が安定に保存できるため、ポリメラーゼ反応が安定し、シーケンシングやポリメラーゼ連鎖反応の結果の信頼度が向上する。
【発明を実施するための最良の形態】
【0012】
本発明の「ポリメラーゼ反応安定剤」とは、ポリメラーゼ反応に用いられるポリメラーゼ反応組成物を安定に保存できる安定剤のことである。本発明の「ポリメラーゼ反応安定剤」は、これらのポリメラーゼ反応組成物を安定な状態に保存出来るので、ポリメラーゼ反応組成物の劣化を低減でき、ポリメラーゼ反応を安定化出来る効果がある。本願発明のポリメラーゼ反応安定剤は、ポリメラーゼ反応組成物保存安定剤でもあり、ポリメラーゼ保存安定剤、耐熱性ポリメラーゼ保存安定剤を含有する。
【0013】
本発明で安定化できる「ポリメラーゼ反応組成物」とは、標的核酸、酵素、緩衝剤、金属イオン、ポリメラーゼ基質、プライマーなどのことをいう。これらのポリメラーゼ反応組成物は混合された状態であっても良いし、必要により分割された状態であっても良い。例えば、それぞれの構成要素ごとに分割し、本発明のポリメラーゼ反応安定剤と混合し安定化させても良いし、いくつかの構成要素ごとに混合し安定化させても良い。例えば、酵素、緩衝剤、金属イオン、ポリメラーゼ基質及びプライマーとポリメラーゼ反応安定剤を混合し保存しておき、その他の構成要素、例えば標的核酸をポリメラーゼ反応時に混合してもよい。ポリメラーゼ反応組成物としては、上記に標的核酸、酵素、緩衝剤、金属イオン、プライマーなどを例示したが、本発明はこれらに限定されない。本発明の効果を損なわない範囲であれば、他の組成物が存在していても構わない。他の組成物として、界面活性剤などがあげられる。また、必要に応じて耐熱性DNAポリメラーゼのポリメラーゼ活性及び/又は3’−5’エキソヌクレアーゼ活性を抑制する活性を有する抗体が含まれていてもよい。抗体としては、モノクローナル抗体、ポリクローナル抗体などが挙げられる。
【0014】
本発明の「ポリメラーゼ反応」とは、ポリメラーゼを利用した複製反応や連鎖反応を示す。複製反応の代表的なものはシーケンシング、連鎖反応の代表的なものはポリメラーゼ連鎖反応(PCR)である。本発明のポリメラーゼ反応安定剤は、特にPCRに用いられるポリメラーゼ反応組成物に有効である。臨床検査用途では安定した結果が求められるので、本発明の「ポリメラーゼ反応安定剤」は優れた効果を発揮できる。
【0015】
「標的核酸」は、検体からの核酸抽出物であっても良いが、ポジティブコントロールやネガティブコントロールなどに用いられる核酸であっても良い。また、DNA、RNA、PNAなどであっても良い。
標的核酸は、例えば、バクテリア、動物または植物組織、個体細胞由来の溶解物などのあらゆる材料から調製することができる。該試料溶液の調製法は特に限定されないが、例えば、患者の血液、組織から、既知の方法により調製してもよい。代表的なものとして、フェノール/クロロホルム抽出法(Biochimica et Biophysica acta 第72巻、第619〜629頁、1963年)、アルカリSDS法(Nucleic Acid Research 第7巻、第1513〜1523頁、1979年)等の液相で行う方法がある。また、核酸の単離に核酸結合用担体を用いる系としては、ガラス粒子とヨウ化ナトリウム溶液を使用する方法(Proc. Natl. Acad. USA 第76−2巻、第615〜619頁、1979年)、ハイドロキシアパタイトを用いる方法(特開昭63−263093号公報)等がある。その他の方法としてはシリカ粒子とカオトロピックイオンを用いた方法(J. Clinical Microbiology 第28−3巻、第495〜503頁、1990年、特開平2−289596号公報)が挙げられる。
また、市販のDNA合成機などを使って、通常使用される方法によりポジティブコントロールやネガティブコントロール用の標的核酸を作製しても良い。
【0016】
「酵素」とは、ポリメラーゼであれば、特に限定されない。たとえば、PolI型DNAポリメラーゼであってもよいし、α型と呼ばれるDNAポリメラーゼであってもよい。PCRに用いられる耐熱性ポリメラーゼであってもよく、例示するならば、Taqポリメラーゼ、Tthポリメラーゼ、TliまたはVENTポリメラーゼ、PfuまたはDEEPVENTポリメラーゼ、Pwoポリメラーゼ、Bstポリメラーゼ、Sacポリメラーゼ、Tacポリメラーゼ、Tfl/Tubポリメラーゼ、Truポリメラーゼ、DYNAZYMEポリメラーゼ、Tneポリメラーゼ、Tmaポリメラーゼ、Tspポリメラーゼ、Mthポリメラーゼ、KOD DNAポリメラーゼなどがあげられる。また、これらの酵素のうち、複数のアミノ酸が欠失、置換若しくは付加されたアミノ酸配列からなり、かつDNAポリメラーゼ活性を有するものであってもよい。さらに、複数種類のDNAポリメラーゼを混合して用いることもできる。本発明のポリメラーゼ反応安定剤と混合されるDNAポリメラーゼ濃度は、好ましくは0.1〜100ユニット/mlの濃度で、さらに好ましくは、1〜50ユニット/ml、特に好ましくは5〜30ユニット/mlがよいが特に限定はされない。本発明のポリメラーゼ反応安定剤は、これらの酵素の保存安定性を高める効果がある。特に、耐熱性ポリメラーゼでなくともよい。
【0017】
「緩衝剤」としては、それぞれのポリメラーゼの特性に合わせて最適な緩衝剤を選択すればよい。たとえば、緩衝液としては、トリスやヘペスなどのグッドバッファーおよび、リン酸緩衝液などが用いられるが、具体的には、10〜200mMの各種バッファー(pH7.5〜9(at 25℃))が例示できる。好ましくはトリスがよい。より好ましいpHは、8〜9がよい。
【0018】
「金属イオン」としては、2価金属イオンおよび/または1価金属イオンであればよい。マグネシウムイオンやマンガンイオンのような2価のイオンの濃度は、反応段階で0.5〜2mM、及び例えばナトリウムイオン及び/又はカリウムイオンのような1価のイオンの濃度は、反応の段階で10〜100mM程度となるようにすればよい。
【0019】
「ポリメラーゼ基質」とは、デオキシリボヌクレオシド三リン酸であり、dATP、dTTP、dGTP、dCTP、dUTPなどでよく、これらの混合物であるdNTPであってもよい。これらの濃度は特に限定されないが、反応段階で個々の基質が0.01〜2mM、好ましくは0.05〜1mM、さらに好ましくは0.1〜0.5mMがよい。また、シーケンシングなどに用いるために、ジデオキシリボヌクレオシド三リン酸であるddATP、ddTTP、ddGTP、ddCTP、ddUTPなどが適宜含まれていてもよい。
【0020】
「プライマー」は、ポリメラーセによる複製のトリガーとなる性質を有していれば特に限定はされないし、通常のオリゴヌクレオチドであっても良い。オリゴヌクレオチドは、例えば、市販のDNAシンセサイザーを用いて、ホスホアミダイト法にて、合成することが出来る。合成はマニュアルに従い合成し、オリゴヌクレオチドの脱保護はアンモニア水で55℃で一夜実施すればよい。オリゴヌクレオチドの精製はOPCカラムなどを用いて行えばよい。もしくはDNA合成受託会社に依頼してもよい。
プライマーの濃度は、0.01〜500nmol/ml、好ましくは0.05〜50nmol/ml、より好ましくは0.1〜10nmol/ml程度である。
【0021】
本発明の「ポリメラーゼ反応安定剤」は、ATPaseドメインを除去したHSP70ファミリータンパク質を有効成分として含有することを特徴としている。ポリメラーゼ反応安定剤は、ATPaseドメインを除去したHSP70ファミリータンパク質以外に、ポリメラーゼ反応に影響を及ぼさない範囲で、他の安定化剤を含んでいても良い。例えば、アミノ酸又はタンパク質、糖類、還元剤多価アルコールなどを含んでいても良い。例えば、アミノ酸又はタンパク質としては、グルタミン酸ソーダ、アルブミン、スキムミルク等、糖としてはシュクロース、マルトース等、還元剤としてはグルタチオン、メルカプトエタノール等、多価アルコールとしてはグリセロール、ソルビトールなどが含まれていても良い。また、界面活性剤などが含まれていても良い。界面活性剤としては、非イオン性界面活性剤がよく、好ましくTritonX−100、Tween20、Nonidet P40などが例示される。界面活性剤は、反応段階、すなわち、ポリメラーゼ反応時に、0.0001〜1%になるように含まれていてもよく、好ましくは0.001〜0.1%がよい。
【0022】
本発明の「ポリメラーゼ反応安定剤」は、分子シャペロンとして知られているDnaK,Ssa1p,Ssc1p,Kar2p,HSP70,Bip,mHsp70およびHSC70などから構成される、いわゆる「HSP70ファミリータンパク質」を用いるポリメラーゼ反応安定剤に関する。
【0023】
なかでも、大腸菌のヒートショックタンパク質の一種であるHSP70(DnaK)の基質結合ドメインが好適に用いられる。このタンパク質は638アミノ酸から構成され、1〜385番目のアミノ酸より構成される「ATPase(ATP結合)ドメイン」と386〜638番目のアミノ酸より構成される「基質結合ドメイン」からなっている(図1)。配列番号1にDnaKのタンパク質の配列を示す。このタンパク質(DnaK384−607)は、既にNMR解析で構造が明らかとなっており、2つの構造的な領域(ドメイン)、すなわちN末端側のβシート領域(ドメイン)とC末端側のαへリックス領域(ドメイン)からなっていることが分かっている。また、配列のN末端側の親水/疎水率が0.5であり、C末端側では0.89で、その差は0.39と高い値を示すことが計算によって明らかにされた。このタンパク質(DnaK384−607)がポリメラーゼ反応組成物の安定能向上に際して有用なものである。
【0024】
本発明では、HSP70ファミリータンパク質由来のタンパク質が好ましく用いられ、更に好ましくは大腸菌のDnaKタンパク質由来のタンパク質が用いられる。また、好ましくは、ATPaseドメインを除去したHSP70ファミリータンパク質の基質結合ドメインが好ましく用いられ、更に好ましくは大腸菌のATPaseドメインを除去したDnaKタンパク質の基質結合ドメインが用いられる。
【0025】
本発明に用いるHSP70ファミリーに属するタンパク質としては、特に指定はないが、大腸菌のDnaK、酵母細胞質に存在する Ssa1p、酵母ミトコンドリアに存在する Ssc1p、酵母小胞体に存在するKar2p、哺乳類細胞質に存在するHSP70,哺乳類小胞体に存在する Bip、哺乳類ミトコンドリアに存在する mHsp70 および熱ショックの有無に関わらず恒常的に発現しているHSP70のホモログであるHSC70などから選択される。HSP70ファミリーには数多くのホモログが知られており、上に挙げたものはそのうちの一部であり、上に列挙した以外のホモログにも同様の効果が期待できることは容易に予想可能である。
【0026】
また、DnaKのβシート構造部分に変異を加えて、βシート部分の疎水性を向上させることにより、ポリメラーゼ反応組成物の安定能のより優れたタンパク質を得ることができる。すなわち、(1)βシートのN末端の一部を除去することで、βシートのより疎水的な部分を露出させる(βシート構造を破壊して疎水性を向上させる)、(2)βシート上の親水性アミノ酸を疎水性アミノ酸に置換する、というものである。その結果、βシート構造のN末端部分を除去したDnaK419−607と、βシート上の親水性アミノ酸を疎水性アミノ酸に置換したDnaK384−607(D479V,D481V)にポリメラーゼ反応組成物の安定能の顕著な向上を認めることができる。特に、DnaK 419−607に顕著なポリメラーゼ反応組成物の安定能の向上を認めることが出来る。すなわち、疎水性ドメインの構造が変化することで、疎水性ドメインの疎水性が変化し、疎水性ドメインの疎水性を向上させることが、ポリメラーゼ反応組成物の安定能の向上につながるものと考えられる。
【0027】
本発明においては、少なくともN末端から387番目まで、多くとも472番目までのアミノ酸配列を除去したことを特徴とするポリメラーゼ反応組成物の安定能の向上したDnaKタンパク質がより好ましい。また、本発明は少なくともN末端から387番目まで、多くとも418番目までのアミノ酸配列を除去したことを特徴とするポリメラーゼ反応組成物の安定能の向上したDnaKタンパク質であることが好ましい。特に好ましくは、DnaKタンパク質の419〜607番目までのアミノ酸配列からなるタンパク質である。
【0028】
また、本発明においては、ATPaseドメインもしくはその一部を除去したDnaKタンパク質の一部の親水性アミノ酸を疎水性アミノ酸に置換したタンパク質を用いてもよい。更に詳しくは、ATPaseドメインもしくはその一部を除去したDnaKタンパク質の一部のアミノ酸配列を除去したタンパク質であって、アミノ酸番号479と481のアスパラギン酸をバリンに置換したポリメラーゼの安定能の向上したタンパク質である。また更に好ましくは、DnaKタンパク質の384〜607番目のアミノ酸配列からなり、アミノ酸番号479と481のアスパラギン酸をバリンに置換したタンパク質が使用される。
【0029】
本発明に用いるタンパク質もしくはタンパク質フラグメントは、本発明の効果を損なわない範囲内であればヒスチジンタグなどのタグを有していても良い。さらに、本発明の効果を損なわない範囲内であれば一般的に知られていないタグや、任意のアミノ酸配列を付加しても良い。
【0030】
本タンパク質の発現方法は特に限定されないが、原核生物を用いて発現させる方法が好ましく、さらには、大腸菌を用いて発現させる方法がさらに好ましい。また、発現ベクターに関しても特に限定はされず、一般的に発現に使用されているものであればよい。
【0031】
本発明に用いるHSP70ファミリーに属するタンパク質としては、特に限定はされないが、大腸菌のDnaK,酵母細胞質に存在するSsa1p,酵母ミトコンドリアに存在するSsc1p,酵母小胞体に存在するKar2p,哺乳類細胞質に存在するHSP70,哺乳類小胞体に存在するBip,哺乳類ミトコンドリアに存在するmHsp70および熱ショックの有無に関わらず恒常的に発現しているHSP70のホモログであるHSC70などが例示される。HSP70ファミリーには数多くのホモログが知られており、上に挙げたものはそのうちの一部であり、上に列挙した以外のホモログであってもよい。
【0032】
本発明に用いるHSP70フラグメントはATPaseドメインを除去されているのがよいが、場合により十分なポリメラーゼ反応組成物の安定能を示すならば、ATPaseドメインの全領域が除去されていなくてもよい。例えば、ATPaseドメインは、DnaKではC末端側の1−383の領域を指し、そのATPase活性を失う程度にATPaseドメインの一部を除去していれば、本発明におけるHSP70フラグメントに含まれる。例えば、DnaKにおいては384−638のフラグメントも使用することができる。
【0033】
なお、本発明に使用する安定化剤は、国際公開第2005/003155号パンフレットに記載の方法によって得られたものを使用することも出来る。
【0034】
本発明において、ポリメラーゼ反応安定剤の添加したとき濃度は、0.001〜20mg/ml程度が好ましく、好ましくは0.01〜2mg/ml、より好ましくは0.05〜0.5mg/mlである。本発明のポリメラーゼ反応安定剤は、ポリメラーゼ反応を阻害しないこともひとつの特性であるので、前述の範囲外においても、本発明の効果を損なわないのであれば、適宜、濃度を調整できる。
【0035】
本発明のポリメラーゼ反応安定剤の添加により保存したときの安定性が向上する。その効果は、本発明のポリメラーゼ反応安定剤による保存容器表面への各ポリメラーゼ反応組成物の付着の防止効果、反応組成物同士のアグリゲーションの防止効果及び分解防止効果によるものと推定される。保存安定性は、室温以下(25℃以下)の液状でもある程度効果はあるが、好ましくは0℃以下の凍結状態がよい。溶液の組成によっては0℃で凍結しない可能性があるため、保存温度はより好ましくは−8℃以下がよく、さらに好ましくは−16℃以下がよい。凍結温度の下限は、特に制限はない。なぜならば、全てのポリメラーゼ反応組成物は温度が低ければ保存安定性は高くなるからである。また、本発明のポリメラーゼ反応安定剤とともに保存することで、凍結融解による安定性が各段に向上する。このことは、予想さえされないことであった。
【0036】
本発明のポリメラーゼ反応安定剤の添加により凍結融解による安定性が各段に向上することを利用して、ポリメラーゼ反応を行う際の組成に近い形態で溶液を保存することが可能である。一例として、本発明のポリメラーゼ反応安定剤を含み、かつ標的核酸を除いたポリメラーゼ反応組成物を凍結保存しておけば、使用する前に該組成物を融解し、標的核酸を添加するだけで簡便にポリメラーゼ反応を行うことができる。このような簡便性は、生化学、分子生物学および臨床病理分野における研究、検査において特に重要である。保存中の溶液におけるポリメラーゼの濃度は任意に設定することができるが、簡便性の観点からポリメラーゼ連鎖反応を行う際の1〜10倍であることが好ましく、1〜5倍であることがより好ましい。ポリメラーゼ連鎖反応に使用されるポリメラーゼの濃度は、KOD DNAポリメラーゼであれば、通常、全容量25μlあたり0.4Uなので、具体的には、25μlあたり0.4〜4.0Uの濃度、より好ましくは25μlあたり0.4〜2.0Uの濃度で保存するのがよいが、本発明の効果を損なわない限り、特に限定はされない。
【0037】
以下に本発明のポリメラーゼ反応安定剤の好ましい使用方法を説明するが、特にこれに限定されるものではない。また、ポリメラーゼ連鎖反応を中心に説明するが、最近のシーケンシング手法にはポリメラーゼ連鎖反応を用いる方法もあり、シーケンシングにも十分応用可能である。
保存溶液中のポリメラーゼ反応組成物の濃度をつぎのように設定する。
標的核酸を含む溶液1μlとポリメラーゼ反応組成物を含む保存溶液24μlを混合したときに、全容量25μl中に含まれるポリメラーゼ反応組成物の濃度が下記のようになるよう保存溶液を混合しておく。
緩衝剤:80mM Tris-HCl(pH8.0)
1価金属イオン:10mM KCl
2価金属イオン:1.2mM MgSO4
界面活性剤:0.002% TritonX-100
dNTP(dATP、dTTP、dGTP、dCTP) 各0.2mM
本発明のポリメラーゼ反応安定剤0.1mg/ml
KOD DNAポリメラーゼ0.4U
フォワードプライマー5pmol
リバースプライマー5pmol
保存溶液24μlをPCR用の反応チューブに分注し、各チューブを−30℃にて凍結保存しておく。必要時に、標的核酸を含む溶液1μlを添加し、全容量25μlとし、PCRを行う。PCRは、通常の温度サイクルを実施すればよい。
【実施例】
【0038】
以下に実施例を示して本発明を具体的に説明するが、本発明は実施例に特に限定されるものではない。
【0039】
実施例1 ポリメラーゼ反応組成物安定性試験
(1)評価用プライマーの合成
パーキンエルマー社製DNAシンセサイザー392型を用いて、ホスホアミダイト法にて、配列番号4および5に示される塩基配列を有するオリゴヌクレオチド(以下、オリゴ4、5と示す)を合成した。合成はマニュアルに従い、各種オリゴヌクレオチドの脱保護はアンモニア水で55℃、一夜実施した。オリゴヌクレオチドの精製はパーキンエルマー社OPCカラムにて実施した。もしくはDNA合成受託会社((株)日本バイオサービス、シグマアルドリッチジャパン(株)、オペロンバイオテクノロジー(株)等)に依頼した。
【0040】
(2)ポリメラーゼ反応組成物の調製
以下の試薬を含む25μl溶液AおよびBをそれぞれ4サンプル分調製した。
【0041】
溶液A:KOD plus DNAポリメラーゼ反応液(DnaK非添加)
オリゴ4 10pmol、
オリゴ5 5pmol、
×10緩衝液 2.5μl、
2mM dNTP 2.5μl、
25mM MgCl 1.2μl、
KOD plus DNAポリメラーゼ 0.4U。
【0042】
溶液B:KOD plus DNAポリメラーゼ反応液(DnaK添加)
オリゴ4 10pmol、
オリゴ5 5pmol、
×10緩衝液 2.5μl、
2mM dNTP 2.5μl、
25mM MgCl 1.2μl、
KOD plus DNAポリメラーゼ 0.4U、
1mg/ml DnaK(419−607) 2.5μl。
【0043】
(3)ポリメラーゼ反応組成物の凍結融解
溶液AおよびBを−30℃で凍結させて室温(25℃)で融解する操作を20回繰り返した。
【0044】
(4)ポリメラーゼ反応
凍結融解した溶液AおよびBの各4サンプル分に、標的核酸としてそれぞれ10の6乗コピー、10の5乗コピー、10の4乗コピー、10の3乗コピーのpUC18DNA(東洋紡製)を添加し、パーキンエルマー社のDNAサーマルサイクラー(GeneAmp(登録商標)9700)を用いて、以下のサイクル条件で反応を行った。
【0045】
サイクル条件
95℃・5分
94℃・15秒、
60℃・30秒、
68℃・30秒(35サイクル)
25℃・15分。
【0046】
(5)アガロースゲル電気泳動による検出
反応後の反応液5μlを3%アガロースゲルにて電気泳動し、エチジウムブロマイド染色した後、紫外線照射下での蛍光を検出した。アガロース電気泳動で得られた写真を図2に示す。電気泳動の条件は、定電圧100V、60分間にて行った。反応液の他に分子量マーカーも同時に泳動し、検出されたDNA断片の鎖長を比較する際の参考とした。
【0047】
(6)結果
図2から明らかなように、ポリメラーゼ反応組成物を20回凍結融解すると、本発明のポリメラーゼ反応安定剤の一例であるDnaK(419−607)を添加しない場合には、10の6乗コピーより少量の標的核酸は検出できないが、DnaK(419−607)を添加すると10の3乗コピーの標的核酸を検出することが可能であり、本発明のポリメラーゼ反応安定剤の添加によりポリメラーゼ反応組成物が安定化されることが示された。
【産業上の利用可能性】
【0048】
本発明の、ポリメラーゼ反応安定剤により、ポリメラーゼ反応に供される組成物が安定に保存できるため、従来よりもポリメラーゼ反応が安定し、シークエンスやポリメラーゼ連鎖反応の結果の信頼度が向上することからも、産業界に大きく寄与することが期待される。
【図面の簡単な説明】
【0049】
【図1】大腸菌DnaKタンパク質の概要を示す図である。
【図2】DnaK(419−607)添加または無添加によるポリメラーゼ反応組成物の保存安定性の相違

【特許請求の範囲】
【請求項1】
ATPaseドメインを除去したHSP70ファミリータンパク質を有効成分として含有することを特徴とするポリメラーゼ反応安定剤。
【請求項2】
ATPaseドメインを除去したHSP70ファミリータンパク質がDnaK,Ssa1p,Ssc1p,Kar2p,HSP70,Bip,mHsp70およびHSC70から選択されることを特徴とする請求項1に記載のポリメラーゼ反応安定剤。
【請求項3】
HSP70ファミリータンパク質の基質結合ドメインを用いることを特徴とする請求項1又は2に記載のポリメラーゼ反応安定剤。
【請求項4】
DnaKタンパク質由来のタンパク質を用いることを特徴とする請求項1〜3のいずれかに記載のポリメラーゼ反応安定剤。
【請求項5】
DnaKタンパク質の一部のアミノ酸配列を除去したタンパク質を用いることを特徴とする請求項1〜4のいずれかに記載のポリメラーゼ反応安定剤。
【請求項6】
DnaKタンパク質の一部のアミノ酸配列を除去したタンパク質であって、少なくともN末端から387番目まで、多くとも472番目までのアミノ酸配列を除去したタンパク質を用いることを特徴とする請求項1〜5のいずれかに記載のポリメラーゼ反応安定剤。
【請求項7】
DnaKタンパク質の一部のアミノ酸配列を除去したタンパク質であって、少なくともN末端から387番目まで、多くとも418番目までのアミノ酸配列を除去したタンパク質を用いることを特徴とする請求項1〜6のいずれかに記載のポリメラーゼ反応安定剤。
【請求項8】
DnaKタンパク質の419〜607番目までのアミノ酸配列からなるタンパク質を用いることを特徴とする請求項1〜7のいずれかに記載のポリメラーゼ反応安定剤。
【請求項9】
ATPaseドメインもしくはその一部を除去したDnaKタンパク質の一部の親水性アミノ酸を疎水性アミノ酸に置換したタンパク質を用いることを特徴とする請求項1〜8のいずれかに記載のポリメラーゼ反応安定剤。
【請求項10】
ATPaseドメインもしくはその一部を除去したDnaKタンパク質の一部のアミノ酸配列を除去したタンパク質であって、アミノ酸番号479と481のアスパラギン酸をバリンに置換したタンパク質を用いることを特徴とする請求項1〜9のいずれかに記載のポリメラーゼ反応安定剤。
【請求項11】
DnaKタンパク質の384〜607番目のアミノ酸配列からなり、アミノ酸番号479と481のアスパラギン酸をバリンに置換したタンパク質を用いることを特徴とする請求項1〜10のいずれかに記載のポリメラーゼ反応安定剤。
【請求項12】
試料中の標的DNA分子の複製を行う方法であって、請求項1〜11のいずれかに記載のポリメラーゼ反応安定剤を含む反応溶液中で、ポリメラーゼによる複製反応を行うことを特徴とする方法。
【請求項13】
試料中の標的DNA分子の核酸増幅反応を行う方法であって、請求項1〜11のいずれかに記載のポリメラーゼ反応安定剤を含む反応溶液中で、ポリメラーゼ連鎖反応を行うことを特徴とする方法。
【請求項14】
耐熱性DNAポリメラーゼと、請求項1〜11のいずれかに記載のポリメラーゼ反応安定剤を混合することを特徴とする耐熱性DNAポリメラーゼ保存方法。
【請求項15】
耐熱性DNAポリメラーゼと、請求項1〜11のいずれかに記載のポリメラーゼ反応安定剤を混合し、さらに凍結させることを特徴とする請求項14に記載の耐熱性DNAポリメラーゼ保存方法。
【請求項16】
保存中の溶液における耐熱性DNAポリメラーゼの濃度が、ポリメラーゼ連鎖反応を行う際の1〜10倍であることを特徴とする請求項14または15に記載の耐熱性DNAポリメラーゼ保存方法。

【図1】
image rotate

【図2】
image rotate


【公開番号】特開2008−79506(P2008−79506A)
【公開日】平成20年4月10日(2008.4.10)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2006−260089(P2006−260089)
【出願日】平成18年9月26日(2006.9.26)
【出願人】(000003160)東洋紡績株式会社 (3,622)
【Fターム(参考)】