説明

不飽和脂肪酸エステルの2,2−重水素化法

【課題】不飽和脂肪酸エステルを高い重水素化率及び高い収量で2,2-重水素化する方法を提供する。
【解決手段】a)密封系において,a1)不飽和脂肪酸エステルを,アルカリ金属又はアルカリ金属アルコラートを含む重水素化アルコール(ROD;式中,R:C1〜C4アルキル,O:酸素,D:重水素)と反応させ,a2)次いで,酸触媒の存在下で重水素化アルコール(ROD)と更に反応させ,
b)工程a)で得られた反応溶液から油相を抽出し,c)工程b)で抽出した油相から2,2-重水素化不飽和脂肪酸エステルを回収することを含んでなる,不飽和脂肪酸エステルの2,2-重水素化法。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は,不飽和脂肪酸エステルの2,2-重水素化法に関する。
【背景技術】
【0002】
安定同位体トレーサー法は,放射線障害の危険が全くないという大きな利点がある。
これまでに,脂肪酸に関する様々な研究について,安定同位体標識脂肪酸トレーサーの利用が非常に有用であることが分かっている。特に,生体内での脂肪酸の代謝や生理作用を研究する上では,多量のトレーサーを必要とするが,これまでは,安定同位体標識脂肪酸(又はそのエステル)を大量(グラム単位)で安価に得ることはできなかった。
【0003】
有用な安定同位体標識脂肪酸の1つである2,2-重水素化(以後,単に「重水素化」ともいう)脂肪酸エステルの製造方法としては,従来,Aasenら(非特許文献1)の方法が知られていた。Aasenらの論文に記載された方法によれば,飽和脂肪酸エステルに,金属ナトリウムを含む重水素化メタノールを加えて加熱還流することによって2,2-重水素化飽和脂肪酸エステルが得られる。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0004】
【非特許文献1】Aasen, A.J.ら (1970) Mass Spectrometry of Triglycerides: II. Specifically Deuterated Triglycerides and Elucidation of FragmentationMechanisms. Lipids, 5:869-877.
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
Aasenらの論文によると,3.52gのテトラデカン酸メチルから2,2-重水素化テトラデカン酸はグラム単位(3.24g)で得られ,重水素化率は97%となっているが,その後同法を用いた Shiow-Jen Jin らの論文((1992) J. Biol. Chem., 267:119-125)では,重水素化率は53.9%と記載されている。さらに本発明者らの追試験でも,Aasen らの結果と同等の重水素化率は得られていない。
【0006】
また,不飽和脂肪酸(及び/又はそのエステル)やそれらを含む油脂(油脂は脂肪酸のグリセロールエステルである)については,その重水素化には不飽和結合を維持しつつ(或いは,脂肪酸組成を維持しつつ)重水素化することが必要であるが,そのような方法はこれまでにはない。
【0007】
本発明は,係る事情に鑑みてなされたものであり,不飽和脂肪酸エステル(又はそれを含む混合物,例えば油脂そのもの)を高い重水素化率及び高い収量で2,2-重水素化する方法を提供するものである。
【課題を解決するための手段】
【0008】
本発明は,
a)密封系において,
1)不飽和脂肪酸又はそのエステルを,アルカリ金属又はアルカリ金属アルコラートを含む重水素化アルコール(ROD;式中,R:C1〜C4アルキル,D:重水素)と反応させ,
2)次いで,酸触媒の存在下で重水素化アルコール(ROD)と更に反応させ,
b)工程a)で得られた反応溶液から油相を抽出し,
c)工程b)で抽出した油相から2,2-重水素化不飽和脂肪酸エステルを回収する
ことを含んでなる,不飽和脂肪酸エステルの2,2-重水素化法(本発明の第1の重水素化法)を提供する。
【0009】
また,本発明は,
a)密封系において,
1)複数種の不飽和脂肪酸及び/又はそのエステルを含む油脂を,アルカリ金属又はアルカリ金属アルコラートを含む重水素化アルコール(ROD;式中,R:C1〜C4アルキル,D:重水素)と反応させ,
2)次いで,酸触媒の存在下で重水素化アルコール(ROD)と更に反応させ,
b)工程a2)で得られた反応溶液から油相を抽出し,
c)工程b)で抽出した油相から2,2-重水素化脂肪酸エステルを回収する
ことを含んでなる,油脂中の脂肪酸及び/又はそのエステルの2,2-重水素化法(本発明の第2の重水素化法)を提供する。
【発明の効果】
【0010】
本発明の第1の重水素化法によれば,高い重水素化率及び高い収量での不飽和脂肪酸エステルの2,2-重水素化が可能となる。
本発明の第2の重水素化法によれば,複数種の不飽和脂肪酸及び/又はそのエステルを含む油脂の脂肪酸組成をそのまま反映させた組成で2,2-重水素化脂肪酸及び/又は脂肪酸エステル混合物(不飽和脂肪酸又はそのエステルを含む)を得ることができる。
【図面の簡単な説明】
【0011】
【図1】重水素化をしていない魚油(脂肪酸メチル)のガスクロマトグラムを示す。
【図2】本発明の方法により重水素化した魚油(脂肪酸メチル)のガスクロマトグラムを示す。
【発明を実施するための形態】
【0012】
本発明において,2,2-重水素化とは,脂肪酸又は脂肪酸エステルの2位炭素(α炭素;カルボニル基(-CO-)の炭素原子に結合している炭素)上の2つの水素原子を重水素(2H)に交換(プロトン交換)することをいう(R1CH2CH2COOR2→R1CH2CD2COOR2';D:重水素,R2とR2'は同じであっても異なってもよい)。
【0013】
本発明において,密封系とは,周囲雰囲気から隔離された系をいう。よって,工程a)は,例えば,任意の密封反応容器又は密封反応槽中で行い得る。
【0014】
本発明の第1の重水素化法に使用し得る不飽和脂肪酸又はそのエステルは,不飽和度1〜6(通常,天然界に見出されるもの)で炭素数は4〜30(好ましくは12〜24(通常,天然界に見出されるもの,本明細書中で「高級脂肪酸」と呼ぶ)の脂肪酸又はその任意のエステル,好ましくは直鎖又は分枝鎖の低級(C1〜C4)アルキルエステル,より好ましくはエチルエステル又はメチルエステル,より好ましくはメチルエステルである。
【0015】
本発明の第2の重水素化法に使用し得る油脂に含まれる不飽和脂肪酸エステルは,不飽和度1〜6で炭素数4〜30(好ましくは12〜24)の脂肪酸のエステルである。エステルは油脂の場合,グリセロールエステルであるが,任意のエステルでもあり得,例えば直鎖又は分枝鎖のアルキルエステル(例えば1,3-プロパンジオールなど)も対象とする。
【0016】
油脂は,任意の油脂であり得るが,好ましくは不飽和高級脂肪酸を比較的多く含む動物性油脂(例えば魚油),植物性油脂(例えばダイズ油,ナタネ油,オリーブ油,ゴマ油,トウモロコシ油のような植物油)もしくは微生物油(微生物(例えば糸状菌)が産生した脂肪酸及び/又はそれらを含む油脂)又はそれらの混合物である。油脂は,天然油脂であってもよいが,マーガリンのような加工油脂であってもよい。得られる重水素化脂肪酸及び/又はそのエステルを下記に説明するような代謝マーカーとして使用する場合,油脂は食用油脂であることが好ましい。
油脂は,医薬製剤や健康食品(例えばEPA・DHAカプセル)中に含まれている油脂であってもよい。
【0017】
不飽和脂肪酸の不飽和炭化水素鎖又は不飽和脂肪酸エステルの脂肪酸由来の不飽和炭化水素鎖は,直鎖状であっても分枝鎖状あるいは環状であってもよいが,2位炭素(α炭素)では分岐していてはならない。また,不飽和炭化水素鎖は2位炭素が不飽和結合(二重結合C=C及び三重結合C≡C)に関与していてはならない。
【0018】
工程a1)で使用し得る重水素化アルコール(ROD)は,重水素化低級(C1〜C4)アルキルアルコール,すなわち重水素化メタノール,重水素化エタノール,重水素化プロパノール,重水素化イソプロパノール,重水素化ブタノール,重水素化イソブタノール又は重水素化tert-ブタノールであり,好ましくは重水素化メタノール又は重水素化エタノール,より好ましくは重水素化メタノールである。
【0019】
重水素化アルコールに含まれるアルカリ金属は,ナトリウム又はカリウム,より好ましくはナトリウムである。
重水素化アルコールに含まれるアルカリ金属アルコラートは,ナトリウムアルコラート又はカリウムアルコラート,好ましくはナトリウムアルコラートである。アルコラートは,メチラート又はエチラート,好ましくはメチラートである。アルカリ金属アルコラートは,最も好ましくは、ナトリウムメチラートである。
重水素化アルコール中のアルカリ金属の濃度は,例えば0.5〜7%(重量/容量),好ましくは1〜1.5(w/v)%である。
【0020】
不飽和脂肪酸又はそのエステルに対する重水素化アルコールの添加量は,例えば基質1gに対して5〜20mL,好ましくは基質1gに対して8〜12mLである。
工程a1)の反応は,好ましくは90〜98℃の加熱下で,例えば10〜30分間行う。90〜98℃の加熱は,例えば湯浴による。
工程a1)の終了後,一旦室温付近まで冷却する。
【0021】
工程a2)で使用し得る重水素化アルコールは,重水素化低級(C1〜C4)アルキルアルコール,より好ましくは重水素化メタノール又は重水素化エタノール,より好ましくは重水素化メタノールである。工程a2)で使用する重水素化アルコールは,工程a1)で使用したものと同じであっても異なってもよいが,同じであることが好ましい。
【0022】
工程a2)で使用し得る酸触媒は,任意の酸触媒であり得るが,好ましくはルイス酸触媒であり,より好ましくは三フッ化ホウ素(BF3),三塩化ホウ素,塩酸及び硫酸からなる群より選択される。
酸触媒は,重水素化アルコール中に,例えば1〜20%(容量/容量)加えるが,酸触媒種によって濃度は異なり,例えば三フッ化ホウ素であれば14%(v/v)が好ましい。
【0023】
工程a2)の反応は,好ましくは90〜98℃の加熱下で,例えば10〜30分間行う。90〜98℃の加熱は,例えば湯浴による。
工程a2)の反応の終了後,室温付近まで冷却する。
【0024】
工程b)における油相の抽出は,当該分野で公知の任意の方法を用いて行うことができる。例えば,分液ロート中で,工程a)で得られた反応溶液に,有機溶媒又は有機溶媒と水性溶媒を加えて十分に振盪した後,液相が十分に分離するまで静置する。有機溶媒に油相が抽出されるので,水相を廃棄する。
【0025】
工程b)に使用し得る有機溶媒は,水性溶液から油相の抽出に使用することができる任意のものであり得るが,例えば,ペンタン,ヘキサン,ヘプタン,オクタン,シクロヘキサン,ベンゼン,トルエン,キシレン,ジメチルエーテル,ジエチルエーテル,ジブチルエーテル,ジクロロメタン,クロロホルム,ジクロロエタン,ジクロロエチレン,トリクロロエチレン,テトラクロロエチレン,ジクロロベンゼン,クロロトルエンなどであり,なかでもヘキサンが好ましい。
【0026】
油相の抽出には,水相の分離を促進させるために,有機溶媒と併せて水性溶媒を用いてもよい。水性溶媒としては,水,水と水溶性有機溶媒との混合溶媒が挙げられるが,水が好ましい。
油相に依然として残留する水溶性物質を除去するために,得られた油相を水性溶媒で1回又は複数回洗浄してもよい。得られた油相に水性溶媒を加えて十分に振盪後,静置し,分離した水相を除去する。水相が中性になるまで繰り返すのが好ましい。水相が中性になったことは,例えば,水溶性で油相に不溶性の指示薬(例えばメチルオレンジ)を用いて確認することができる。
【0027】
工程b)において得られた油相に対して更に工程a)〜b)を1回又は複数回繰り返してもよい。複数回繰り返す場合には,各回で使用する試薬や条件は同じであっても,異なってもよい。
2,2-重水素化不飽和脂肪酸エステルをエチルエステルとして得ようとする場合,先ず重水素化メタノールを用いて工程a)〜b)を1回又は複数回繰り返し,その後重水素化エタノールを用いて工程a)〜b)を1回又は複数回繰り返すことができる。
或いは,先ず重水素化メタノールを用いて工程a)〜b)を1回又は複数回繰り返し,その後重水素化エタノールを用いて工程a2)〜b)を1回又は複数回繰り返してもよい。
【0028】
工程c)における油相からの2,2-重水素化脂肪酸エステルの回収は,例えば以下のように行うことができる:工程b)で得られた油相を,例えば無水硫酸ナトリウムで脱水し,任意にロ過し,次いで例えば減圧により溶媒を蒸発させることによって濃縮し,2,2-重水素化脂肪酸エステルを回収する。
【0029】
得られた脂肪酸エステルの重水素化率は,次のようにして求める:回収した脂肪酸エステル又はその混合物を,例えば硝酸銀含浸シリカゲルカラムクロマトグラフィーにより不飽和度別に分画する。次いで,分画した不飽和脂肪酸エステル画分を,触媒(例えば白金黒)を用いて水素添加して,飽和脂肪酸エステルとする。各画分を,野田・稲津の方法((1985)油化学, 34:42-47)に従い,McLafferty転位イオンの2,2-非重水素化体と2,2-重水素化体についてガスクロマトグラフィー/マススペクトロメトリー(GC/MS)で検出・定量する。こうして,不飽和度別に2,2-重水素化率が得られる。なお,収量は重量法によって求めている。
【0030】
得られた2,2-重水素化脂肪酸メチルは,例えば生体内での代謝実験や薬理実験に使用するために,2,2-重水素化脂肪酸エチル,又は2,2-重水素化脂肪酸をアシル基としてもつ各種エステルに変換することができる。
【0031】
2,2-重水素化脂肪酸メチルから2,2-重水素化脂肪酸エチルへの変換は,例えば,
−密封系において,2,2-重水素化脂肪酸メチルを,上記のような酸触媒の存在下で重水素化エタノール(C2H5OD)と反応させ,
−得られた反応溶液から油相を抽出し,
−抽出した油相から2,2-重水素化脂肪酸エチルを回収する
ことを含んでなる方法により行うことができる。
【0032】
この方法で使用する2,2-重水素化脂肪酸メチルは,1種類の脂肪酸メチルであっても,複数種類の脂肪酸メチル(混合物)であってもよく,不飽和脂肪酸メチルに加えて飽和脂肪酸メチルを含んでいてもよい。
重水素化エタノールとの反応工程,抽出工程及び回収工程について使用し得る試薬や反応(抽出,回収)条件などは,それぞれ本発明の2,2-重水素化法の工程a2),工程b),工程c)について前記したものと同様である。
【0033】
2,2-重水素化脂肪酸メチルから各種エステルへの変換には,先ず,2,2-重水素化脂肪酸メチルを2,2-重水素化脂肪酸に変換する。
2,2-重水素化脂肪酸エステル(特にメチルエステル)から2,2-重水素化脂肪酸への変換は,例えば,
−密封系において,2,2-重水素化脂肪酸エステルを,アルカリ金属の水酸化物を含む重水素化アルコール(ROD;式中,R:C1〜C4アルキル,O:酸素,D:重水素)と反応させ,
−得られた反応溶液を酸性にし,
−得られた酸性反応溶液から油相を抽出し,
−抽出した油相から2,2-重水素化脂肪酸を回収する
ことを含んでなる方法により行うことができる。
【0034】
上記の方法で使用する2,2-重水素化脂肪酸エステルは,1種類の脂肪酸エステルであっても,複数種類の脂肪酸エステル(混合物)であってもよく,不飽和脂肪酸エステルに加えて飽和脂肪酸エステルを含んでいてもよい。
【0035】
アルカリ金属の水酸化物を含む重水素化アルコールとの反応工程において使用し得る重水素化アルコールは,本発明の2,2-重水素化法の工程a1)について前記したものと同様であるが,エタノールがより好ましい。
この反応工程において使用し得るアルカリ金属の水酸化物は,脂肪酸エステルの加水分解に使用し得る限り任意のものであり,例えば水酸化カリウム,水酸化ナトリウムであり得る。
【0036】
反応溶液を酸性にするためには,塩酸のような酸を使用し得る。
反応溶液が酸性となったことは,例えば,水溶性で油相に不溶性の指示薬(例えばメチルオレンジ)を用いて確認することができる。
抽出工程及び回収工程について使用し得る試薬や反応(抽出,回収)条件などは,それぞれ本発明の2,2-重水素化法の工程b)及び工程c)について前記したものと同様である。
【0037】
本発明の2,2-重水素化不飽和脂肪酸もしくはそのエステル又はそれらの混合物又はそれらと2,2-重水素化飽和脂肪酸もしくはそのエステルとの混合物は,脂肪酸が関与する種々の反応の解析(インビボでの代謝実験及び薬理実験を含む)において,安価で安全なトレーサーとして利用できる。
【実施例】
【0038】
実施例1:魚油の2,2-重水素化
予めマグネチックスターラー用回転子を入れた分解ビン(100mL容)に,精製魚油10gを取り,1.2%(w/v)CH3ONa/CH3ODを50mL加えてしっかりと蓋を締め,100±5℃に温度制御したグリセリン浴にてマグネチックスターラーを用いて撹拌させながら30分間加熱した。
次いで,一旦室温まで冷却し,14%(v/v)BF3/CH3ODを10mL加えた後,再びしっかりと蓋を締め,数回手で攪拌した後,再び100±5℃に温度制御したグリセリン浴にてマグネチックスターラーを用いて撹拌させながら10分間加熱した。
室温まで冷却後,分解ビンの内容物をヘキサン20mLで分液ロート(300mL容)に移し,精製水100mLを加えて振盪後,内容物の油相をヘキサン層(上層)に抽出し,水相(下層)を廃棄した。この振盪抽出を合計3回繰り返した。
分液ロート中に残る油相に,メチルオレンジを含む精製水100mLを加えて2〜3分間振盪し,水相を廃棄した。水相が中性(橙黄色)になるまで精製水による洗浄を5回繰り返した。
【0039】
得られたヘキサン溶液を無水硫酸ナトリウムで脱水後,ロ過し,ロータリーエバポレータを用いてヘキサンを減圧除去して脂肪酸メチルを濃縮した。
得られた脂肪酸メチルを,50mLの1.2%(w/v)CH3ONa/CH3ODに溶解して分解ビン(100mL容)に移し,上記の重水素化を更に2回繰り返し,最終的に9.9gの2,2-重水素化脂肪酸メチルを得た。
【0040】
分析結果
精製油及び得られた2,2-重水素化脂肪酸メチルのそれぞれを硝酸銀含浸シリカゲルカラムクロマトグラフィーで不飽和度別に分画し,各画分について,含まれる不飽和脂肪酸メチルを,白金黒を用いる水素添加により飽和脂肪酸メチルとし,ガスクロマトグラフィー(GC),並びに電子衝撃イオン化法(EI)及び化学イオン化法(CI)によるガスクロマトグラフィー/マススペクトロメトリー(GC/MS)で分析して,元の画分に含まれていた脂肪酸を同定した。GC分析条件は以下のとおりである。機種:島津GC-2010(GC Solution), カラム:BPX90(100m×0.25mm i.d., 0.25μm film), カラム温度:120℃ (2 min hold)-2℃/min-240℃ (14 min hold), 注入部温度:270℃, 検出部温度:280℃, スプリット比:1/10, キャリヤーガス:水素 (20.0 cm/sec), 注入量:2μL)。
またGC/MS分析条件は以下のとおりである。機種:島津QP-2010A (GC MS Solution), カラム:SPB-5 (30m×0.25mm i.d., 0.25μm film), カラム温度:180℃ (2 min hold)-5℃/min-250℃ (4 min hold), 注入部温度:270℃,インターフェース温度:280℃, イオン源温度:200℃,スプリット比:1/20, キャリヤーガス:ヘリウム (35.0 cm/sec), 走査条件:スキャンレンジ m/z40-390,イオン化電圧:70eV。化学イオン化の場合は,試薬ガス:イソブタン。
【0041】
結果を図1及び図2並びに表1に示す。
【表1】

【0042】
重水素化の前後でガスクロマトグラムに変化は見られず(図1及び図2),構成脂肪酸の組成が重水素化により変化することはないことが理解できる。また,表1より,各脂肪酸の含有率についても,重水素化の前後で実質的に変化しないことが理解できる。なお表1は,魚油構成脂肪酸の中から不飽和度1〜6の代表的な脂肪酸を抜粋して作成したものであり,通常の脂肪酸組成を示すものではない。
このように,本発明の方法により,複数種の不飽和脂肪酸を,その脂肪酸組成を変化させることなく重水素化させることが可能であることが明らかとなった。
【0043】
次に,各画分をGC/MS(EI)で分析し(分析条件は上記),得られたマスクロマトグラムにおいてm/z74(非重水素化体)及びm/z76(重水素化体)について面積測定を行い,下記の式に従って重水化率A'を求めた:
【数1】

【0044】
一方,購入した重水素化脂肪酸標準品(ステアリン酸;重水素化率98%)(Larodan Fine Chemicals 社,Lot.9333/9)0.05gを,10%トリメチルシリルジアゾメタン/ヘキサン溶液 2mLを用いてメチルエステル化し,上記と同様にして重水素化率Bを求めると89%であった。
よって,上記方法による重水素化率A'を下記式のように補正して重水素化率Aを決定した。
【数2】

【0045】
表1に示した脂肪酸の重水素化率を算出すると,20:5(EPA)は96.4%, 最も不飽和度の大きい22:6(DHA)でも95.2%であった。
【0046】
以上,本発明の方法によれば,不飽和脂肪酸を95%以上の重水素化率で重水素化できることが明らかとなった。また収量は99%以上(重量法による)であった。
【0047】
比較例1
フラスコに,魚油1gを取り,1.2%(w/v) Na/CH3ODを5mL加え,98℃の湯浴にて20分間加熱還流した。
次いで,一旦室温まで冷却し,14%(v/v)BF3/CH3OHを10mL加え,98℃の湯浴にて20分間加熱還流した。
室温まで冷却後,フラスコの内容物をヘキサン10mLで分液ロート(300mL容)に移し,精製水100mLを加えて振盪後,内容物の油相をヘキサン層(上層)に抽出し,水相(下層)を廃棄した。この振盪抽出を合計3回繰り返した。
【0048】
分液ロート中に残る油相に,メチルオレンジを含む精製水100mLを加えて2〜3分間振盪し,水相を廃棄した。水相が中性(橙黄色)になるまで精製水による洗浄を5回繰り返した。
無水硫酸ナトリウムで脱水後,ロ過し,ロータリーエバポレータを用いて濃縮して,2,2-重水素化脂肪酸メチル0.8gを得た。
【0049】
分析結果
重水素化率は90%程度,また収量は80%程度(重量法による)であった。実施例1と比較すると,重水素化率,収量ともに数値が低く,これは開放系による影響を受けているものと推定される。
【0050】
実施例2:2,2-重水素化脂肪酸メチルのエチルエステルへの変換
丸底ネジ口試験管(50mL容)に,実施例1で得られた2,2-重水素化脂肪酸メチル1gを取り,14% (v/v) BF3/重水素化エタノール(C2H5OD)10mLを加えてしっかりと蓋を締め,98℃の湯浴にて20分間加熱した。
室温まで冷却後,丸底ネジ口試験管の内容物をヘキサン10mLで分液ロート(300mL容)に移し,精製水100mLを加えて振盪後,内容物の油相をヘキサン層(上層)に抽出し,水相(下層)を廃棄した。この振盪抽出を合計3回繰り返した。
【0051】
分液ロート中に残る油相に,メチルオレンジを含む精製水100mLを加えて2〜3分間振盪し,水相を廃棄した。水相が中性(橙黄色)になるまで精製水による洗浄を5回繰り返した。
無水硫酸ナトリウムで脱水後,ロ過し,ロータリーエバポレータを用いて濃縮して,2,2-重水素化脂肪酸エチル1.1gを得た。
【0052】
分析結果
GC/MS (CI) で取得産物のマススペクトルを測定すると,初発のメチルエステルで見られる擬似分子イオン (QM+) が,取得産物ではそれが高質量側へ14マスユニット分だけシフトしているので,エチルエステルへ変換されていることが分かる。
【0053】
実施例3:2,2-重水素化脂肪酸メチルからの2,2-重水素化脂肪酸の取得
丸底ネジ口試験管(50mL容)に,実施例2で得られた2,2-重水素化脂肪酸メチル1gを取り,1mol/L 水酸化カリウム/重水素化エタノール(C2H5OD)10mLを加えてしっかりと蓋を締め,98℃の湯浴にて20分間加熱した。
室温まで冷却後,12%(w/v)塩酸5mLを加えて酸性とした(指示薬としてメチルオレンジを使用)。
丸底ネジ口試験管の内容物をヘキサン10mLで分液ロート(300mL容)に移し,精製水100mLを加えて振盪し,内容物の油相をヘキサン層(上層)に抽出し,水相(下層)を廃棄した。この振盪抽出を合計3回繰り返した。
【0054】
分液ロート中に残る油相に,メチルオレンジを含む精製水約100mLを加えて2〜3分間振盪し,水相を廃棄した。水相が中性(橙黄色)になるまで精製水による洗浄を5回繰り返した。
無水硫酸ナトリウムで脱水後,ロ過し,ロータリーエバポレータを用いて濃縮して,2,2-重水素化脂肪酸0.9gを得た。
【0055】
分析結果
取得産物を,ヘキサン/ジエチルエーテル/酢酸(80/20/1,容量比)を展開溶媒とするシリカゲル薄層クロマトグラフィーにかけると,同時に展開した脂肪酸標準品と同じRf値にスポットが検出された。また同時に展開した脂肪酸メチル標準品に一致するスポットは検出されなかった(検出:ヨウ素蒸気)。よって,取得産物は脂肪酸であることが分かる。
【0056】
上記の実施例は,本発明の理解を容易にするために例示として記載されたものであって,本発明は本明細書又は添付図面に記載された具体的な構成のみに限定されるものではないことに留意すべきである。本明細書に記載した具体的構成,手段,方法及び装置は,本発明の精神及び範囲を逸脱することなく,当該分野において公知の他の多くのものと置換可能である。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
a)密封系において,
1)不飽和脂肪酸又はそのエステルを,アルカリ金属又はアルカリ金属アルコラートを含む重水素化アルコール(ROD;式中,R:C1〜C4アルキル,O:酸素,D:重水素)と反応させ,
2)次いで,酸触媒の存在下で重水素化アルコール(ROD)と更に反応させ,
b)工程a)で得られた反応溶液から油相を抽出し,
c)工程b)で抽出した油相から2,2-重水素化不飽和脂肪酸エステルを回収する
ことを含んでなる,不飽和脂肪酸エステルの2,2-重水素化法。
【請求項2】
a)密封系において,
1)複数種の不飽和脂肪酸及び/又はそのエステルを含む油脂を,アルカリ金属又はアルカリ金属アルコラートを含む重水素化アルコール(ROD;式中,R:C1〜C4アルキル,O:酸素,D:重水素)と反応させ,
2)次いで,酸触媒の存在下で重水素化アルコール(ROD)と更に反応させ,
b)工程a2)で得られた反応溶液から油相を抽出し,
c)工程b)で抽出した油相から2,2-重水素化脂肪酸エステルを回収する
ことを含んでなる,油脂中の脂肪酸及び/又はそのエステルの2,2-重水素化法。
【請求項3】
工程b)で抽出した油相に対して更に工程a)〜b)を1回又は複数回繰り返す,請求項1又は2に記載の方法。
【請求項4】
前記アルカリ金属がナトリウム又はカリウムである,請求項1〜3のいずれか1項に記載の方法。
【請求項5】
前記アルカリ金属アルコラートがナトリウムアルコラート又はカリウムアルコラートである,請求項1〜4のいずれか1項に記載の方法。
【請求項6】
前記重水素化アルコールが,重水素化メタノール(CH3OD)又は重水素化エタノール(C2H5OD)である,請求項1〜5のいずれか1項に記載の方法。
【請求項7】
前記酸触媒が三フッ化ホウ素,三塩化ホウ素,塩酸及び硫酸からなる群より選択される,請求項1〜6のいずれか1項に記載の方法。
【請求項8】
工程a1)及びa2)を90〜98℃の加熱下で行う,請求項1〜7のいずれか1項に記載の方法。
【請求項9】
油脂が植物油,動物油もしくは微生物油,又はそれらの混合物である,請求項2〜8のいずれか1項に記載の方法。
【請求項10】
請求項1〜9のいずれか1項に記載の方法により2,2-重水素化された脂肪酸エステル又はその混合物。
【請求項11】
エチルエステルである,請求項10に記載の2,2-重水素化脂肪酸エステル又はその混合物。
【請求項12】
d)密封系において,請求項1〜9のいずれか1項に記載の方法により2,2-重水素化した脂肪酸エステル又はその混合物を,アルカリ金属の水酸化物を含む重水素化アルコール(ROD;式中,R:C1〜C4アルキル,O:酸素,D:重水素)と反応させ,
e)工程d)で得られた反応溶液を酸性にし,
f)工程e)で得られた酸性反応溶液から油相を抽出し,
g)工程f)で抽出した油相から2,2-重水素化脂肪酸を回収する
ことを含んでなる,2,2-重水素化脂肪酸の製造方法。

【図1】
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【図2】
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【公開番号】特開2011−246402(P2011−246402A)
【公開日】平成23年12月8日(2011.12.8)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−121806(P2010−121806)
【出願日】平成22年5月27日(2010.5.27)
【出願人】(505127721)公立大学法人大阪府立大学 (688)
【Fターム(参考)】