説明

光学活性tert−ロイシンの製造方法

【課題】医農薬原料として重要な光学活性L−またはD−tert−ロイシンを製造するための操作性に優れた工業的に実施可能な方法を提供する。
【解決手段】tert−ロイシンアミドを立体選択的に加水分解する生体触媒を、tert−ロイシンアミドに作用させた後、該生体触媒反応液の溶媒を水系から光学活性tert−ロイシンの貧溶媒系に置換することにより、生成した光学活性tert−ロイシンを晶析析出させ分取する方法において、溶媒置換に供する液が酢酸根を含むと共に、貧溶媒系に置換する際、貧溶媒としてアルコール類を用いる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、医農薬中間体として重要な光学活性tert−ロイシンの、操作性に優れた工業的に実施可能な製造方法に関する。詳しくは、原料のDL−tert−ロイシンアミドを立体選択性を有する生体触媒を用いて加水分解した後、貧溶媒に置換して光学活性tert−ロイシンを析出させる方法に関する。
【背景技術】
【0002】
本発明の方法によって得られる光学活性tert−ロイシンは、HIVやHCVのプロテアーゼ阻害剤等の医薬品原料として重要な中間体である(例えば、特許文献1、2参照)。従来、立体選択性を有する生体触媒、即ち、酵素または該酵素を有する微生物もしくはその処理物をtert−ロイシンアミドに作用させてL体またはD体選択的加水分解を行うことにより、光学活性L−またはD−tert−ロイシンを生成させた後、反応液の溶媒を水から有機溶媒へ置換することにより未反応のD−またはL−tert−ロイシンアミドを有機溶媒に溶解させ、光学活性L−またはD−tert−ロイシンを有機溶媒から析出させる方法が知られている(例えば、特許文献3,4,5参照)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0003】
【特許文献1】国際公開第99/036404号パンフレット
【特許文献2】国際公開第03/035060号パンフレット
【特許文献3】特開2001−11034号公報
【特許文献4】特開2001−328970号公報
【特許文献5】特開2002−253293号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
一般に、生体触媒反応の際、生体触媒の至適pHにおいて行われることが望ましい。tert−ロイシンアミドの立体選択的加水分解に適したpHは、使用する生体触媒により異なり一概に規定することはできないが、例えばL体選択的加水分解活性を有する遺伝子組換菌株であるpMCA1/JM109(FERM AP−20056)由来の酵素を用いた場合はpH6〜10、より好ましくはpH6〜8において好適に反応が進行する。遊離のtert−ロイシンアミドの水溶液のpHは10.5程度となるため、立体選択的加水分解を至適pH条件で実施するためには酸を添加してpHを調整しなければならない。至適pHに合わせるために塩酸などの無機酸を加えるのが一般的であるが、加えられた酸は未反応のtert−ロイシンアミドに作用して有機溶媒に対して溶解性の低い酸塩を形成してしまうため、有機溶媒中に析出した光学活性tert−ロイシンを分離取得する際に、光学活性L−またはD−tert−ロイシンにその対掌体であるD−またはL−tert−ロイシンアミドの酸塩が混入してしまう。光学活性L−またはD−tert−ロイシンがその対掌体のtert−ロイシンアミドまたはその塩を含有する場合、tert−ロイシンの光学純度が高いにもかかわらずtert−ロイシンアミドがtert−ロイシンと類似の反応性を示すことによりtert−ロイシン誘導体の光学純度を低下させる場合がある。従って、D−またはL−tert−ロイシンの対掌体であるtert−ロイシンアミドの酸塩の混入を防ぐ必要があり、生体触媒反応後にtert−ロイシンアミドより強い塩基を加えてアミドを遊離化する操作が必要になる。
【0005】
ところが、酵素反応後に塩基を加えてアミドを遊離化した後、反応液の溶媒を水から有機溶媒へ置換することにより光学活性tert−ロイシンを有機溶媒から析出させる操作を行うと、有機溶媒のゲル化が生じ、流動性が失われてしまう問題が発生した。
【0006】
その際、光学活性tert−ロイシンは、溶媒の流動性が失われたことにより回収することが困難であった。また、流動性が失われたことによりtert−ロイシンアミドを分離することができなくなり、光学活性tert−ロイシンの純度を著しく低下させる問題が生じた。反応液のゲル化には塩の存在が関係しており、ゲル化を回避するために有効と考えられる脱塩操作を行った場合には、工程数の増加に伴い収率の低下を免れない。さらに、流動性を回復するために大量の有機溶媒を添加した場合には、tert−ロイシンアミドは除去することができるが、光学活性tert−ロイシンの回収率の低下を招く結果となった。工業的な面からも大量の有機溶媒の使用は好ましくない。文献にはゲル化については記載されていないが、文献記載の方法ではこのように、光学活性tert−ロイシンの製造方法として工業的に実施することが困難であることが判明した。
【0007】
生体触媒反応液の溶媒を水から有機溶媒へ置換することによりtert−ロイシンを有機溶媒から析出させる操作を行うと、有機溶媒のゲル化が生じる理由の詳細は明らかではないが、例えば、tert−ロイシンの構造異性体であるイソロイシンなどの誘導体では、水素結合の分子間相互作用により低分子でありながらゲルを生成する性質が知られている(英謙二, 高分子論文集, 52773,1995年、英謙二, 高分子論文集, 55,585,1998年)。tert−ロイシンにおいても同様の現象が起こっていると考えられ、ゆえに、有機溶媒のゲル化が生じていると考えられるが、本課題の解決法を示した報告は認められない。
【0008】
本発明の目的は、従来技術における上記した課題を解決し、医農薬原料として重要な光学活性L−またはD−tert−ロイシンを製造するための操作性に優れた工業的に実施可能な方法を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明者らは、光学活性tert−ロイシンの工業的に実施可能な製造方法に関して鋭意検討した。
【0010】
一般的な酸、たとえば塩酸、硫酸等の存在下で、アミドを遊離化しないまま反応液の溶媒を水から有機溶媒へ置換することにより光学活性L−またはD−tert−ロイシンを有機溶媒に晶析させると、未反応のtert−ロイシンアミドの酸塩が光学活性tert−ロイシンと共に析出し、光学活性tert−ロイシンの純度を低下させた。そのため、反応液の溶媒を水から有機溶媒へ置換する操作の前に塩基を添加してアミドの遊離化を行う必要がある。この場合、アミドの遊離化で生成する塩により、反応液の溶媒を水から有機溶媒へ置換する操作中に反応混合物がゲル化してしまい、工業的操作が困難となるうえ、光学活性tert−ロイシンに未反応のtert−ロイシンアミドが混入して純度を低下させるという問題点がある。反応液のゲル化という現象は、塩酸、硫酸をはじめとする鉱酸および蟻酸、プロピオン酸をはじめとする有機酸など多くの酸でpH調整して生体触媒反応を行い、アミドを遊離化して反応液の溶媒を水から有機溶媒へ置換した場合に観察された。
【0011】
酸の添加量、添加温度などの条件を変えながら広く検討したところ、意外にも、添加する酸として酢酸を選択すると、特異的に、アミドを遊離化するための塩基性物質の添加を行わなくても光学活性tert−ロイシンアミドの酸塩を光学活性tert−ロイシンと分離することが可能であり、ゲル化を回避しながらtert−ロイシンアミド酢酸塩を含まない高純度の光学活性tert−ロイシンを取得できることを見出した。さらに貧溶媒として相応しい溶媒の種類について検討したところ、酢酸添加下でゲル化を起こさないこと、水と共沸し沸点も比較的低いこと、析出する光学活性tert−ロイシンに対する溶解性が低く、しかもtert−ロイシンアミド酢酸塩の溶解性が高いこと、その他溶媒としての安全性や経済性の面から、アルコール類、特に2−メチル−1−プロパノールが好適に使用できることを見出した。
【0012】
このように、溶媒置換前の反応液に酢酸根を存在させ、塩基性物質によるtert−ロイシンアミドの遊離化を行うことなく反応液の溶媒を水からアルコール類へ置換すれば、反応混合物をゲル化させることなく、かつ光学活性tert−ロイシンを析出させ高純度で分離取得することが可能であることを見出し、本発明を完成するに至った。
【0013】
すなわち、本発明は、光学活性tert−ロイシンを得るための(1)から(7)に示す製造方法に関する。
(1)tert−ロイシンアミドを立体選択的に加水分解する生体触媒を、tert−ロイシンアミドに作用させる生体触媒反応を行い、光学活性tert−ロイシンおよびtert−ロイシンアミドを含む反応液を得た後、該反応液の溶媒を水から光学活性tert−ロイシンの貧溶媒系に置換することにより、生成した光学活性tert−ロイシンを析出させ分取する方法において、溶媒置換に供する液が酢酸根を含むと共に、貧溶媒系に置換する際、貧溶媒としてアルコール類を用いることを特徴とする、tert−ロイシンアミドからの光学活性tert−ロイシンの製造方法。
(2)生体触媒反応を行う際に反応液が酢酸根を含むように反応液を調製することを特徴とする、請求項1に記載の光学活性tert−ロイシンの製造方法。
(3)tert−ロイシンアミドを立体選択的に加水分解する生体触媒がキサントバクター属、プロタミノバクター属、ミコバクテリウム属もしくはミコプラナ属に属する微生物、またはこれら微生物から人工的変異手段によって誘導される変異株、細胞融合もしくは遺伝子組換法により誘導される組換株より調製された、酵素または該酵素を有する微生物もしくはその処理物である、(1)に記載の光学活性tert−ロイシンの製造方法。
(4)tert−ロイシンアミドの生体触媒反応時に該反応液に酢酸を添加することを特徴とする、(1)に記載の光学活性tert−ロイシンの製造法。
(5)アルコール類が2−プロパノール、2−メチル−1−プロパノール、1−ブタノールおよび2−ブタノールから選ばれる一種以上である、(1)に記載の光学活性tert−ロイシンの製造方法。
(6)アルコール類が2−メチル−1−プロパノールである、(5)に記載の光学活性tert−ロイシンの製造方法。
(7)光学活性tert−ロイシンがL−tert−ロイシンである、(1)〜(6)の何れか一項に記載の光学活性tert−ロイシンの製造方法。
【発明の効果】
【0014】
本発明の方法によれば、tert−ロイシンアミドに立体選択的加水分解活性を有する生体触媒を作用させ、続いて反応液の溶媒を水から有機溶媒へ置換することにより光学活性L−またはD−tert−ロイシンを有機溶媒に析出せしめる際に反応混合物をゲル化させることなくL−またはD−tert−ロイシンを高純度かつ高収率に取得することが可能となる。
【図面の簡単な説明】
【0015】
【図1】反応の進行状況。
【発明を実施するための形態】
【0016】
本発明の実施形態はtert−ロイシンアミドを立体選択的に加水分解する生体触媒を、tert−ロイシンアミドに作用させる生体触媒反応を行い、光学活性tert−ロイシンとtert−ロイシンアミドを含む反応液を得、その後、反応液中に酢酸根が存在する状態で、溶媒を水系からtert−ロイシンの貧溶媒に置換することにより、光学活性tert−ロイシンを析出させるものである。
【0017】
[生体触媒反応]
まず、生体触媒反応により、tert−ロイシンアミドの立体選択的加水分解を行う。すなわち、tert−ロイシンアミドを立体選択的に加水分解する生体触媒をtert−ロイシンアミドに作用させて、光学活性tert−ロイシンとtert−ロイシンアミドを含む反応液を得る。
【0018】
本発明のtert−ロイシンアミドの立体選択的加水分解に使用される生体触媒は、L−またはD−tert−ロイシンに対応するL−またはD−tert−ロイシンアミドを立体選択的に加水分解する生体触媒であればよく、このような生体触媒を有する微生物として例えば、キサントバクター属、プロタミノバクター属、ミコバクテリウム属またはミコプラナ属等に属する微生物、具体的にはキサントバクター フラバス(Xanthobacter flavus)NCIB 10071T、プロタミノバクター アルボフラバス(Protaminobacter alboflavus)ATCC8458、ミコバクテリウム メタノリカ(Mycobacterium methanolica)BT−84(FERM P8823)、ミコバクテリウム メタノリカ(Mycobacterium methanolica)P−23(FERM P8825)、ミコプラナ ラモサ(Mycoplana ramosa)NCIB9440T、ミコプラナ ディモルファ(Mycoplana dimorpha)ATCC4279T、バリオボラックス パラドクサス(Variovorax paradoxus)DSM14468が挙げられるが、これらに限定されるものではない。また、これら微生物から人工的変異手段によって誘導される変異株、あるいは細胞融合もしくは遺伝子組換法等の遺伝学的手法により誘導される組換株、例えばpMCA1/JM109(FERM AP−20056)等の何れの菌株であっても上記能力を有するものであれば本発明に使用できる。また、これら微生物は、菌体または菌体処理物、例えば菌体濃縮液、乾燥菌体、菌体破砕物、菌体抽出物もしくは精製酵素、またはこれらの担体固定物等の形態で使用することができる。
【0019】
tert−ロイシンアミドの立体選択的加水分解に適したtert−ロイシンアミド初期濃度は0.01wt%〜飽和濃度、好ましくは1〜20wt%、より好ましくは5〜20wt%である。低濃度域では反応液体積当りの生産性が非常に低くなり、高濃度域では酵素の失活を招きやすい。の使用量はその比活性または活性量によって決定され、例えばpMCA1/JM109(FERM AP−20056)の場合にはtert−ロイシンアミドに対して乾燥重量として重量比0.0005〜3とするのが好ましく、0.0005〜0.05がより好ましい。
【0020】
tert−ロイシンアミドの立体選択的加水分解に適した反応温度は生体触媒により異なり一概に規定することはできないが、一般的には10〜70℃の範囲が好ましい。
【0021】
tert−ロイシンアミドの立体選択的加水分解に適したpHは使用する生体触媒により異なり一概に規定することはできないが、例えばpMCA1/JM109(FERM AP−20056)の場合にはpH6〜10において好適に進行する。遊離tert−ロイシンアミドを原料とする場合、原料水溶液のpHは10.5程度となるため、立体選択的加水分解を至適pH条件で実施するためには酸を添加してpHを調整する必要がある。添加する酸の量は、使用する酵素により異なり一概に規定することはできないが、例えばpMCA1/JM109(FERM AP−20056)の場合には、pH調整に効果を有する範囲としてtert−ロイシンアミドに対して0.005〜1mol倍量、好ましくは0.005〜0.5mol倍量である。
【0022】
生体触媒を用いた反応系にさらに、Fe2+、Mn2+、Zn2+、Ni2+、Co2+などの各種金属イオンを反応溶液中に1〜50ppm添加することにより、立体選択的加水分解速度を向上させることができる。この際、添加する金属イオンは反応液内において非常に低濃度で添加するため、ゲル化の要因としては無視し得る。tert−ロイシンアミド水溶液への添加順序は特に限定されないが、より高い反応速度を得るために酸、金属イオン、生体触媒の順であることが好ましい。
【0023】
tert−ロイシンアミドの立体選択的加水分解の反応様式は、回分でも連続でも良い。反応装置は、撹拌機を備えた槽でも、固定化触媒を充填した塔でも、それらの組み合わせでも良い。
【0024】
L体またはD体選択的加水分解反応は、L−またはD−tert−ロイシンアミドの95%以上がL−またはD−tert−ロイシンに変換されるまで、好ましくはL−またはD−tert−ロイシンアミドが検出されなくなるまで行うと、収率上のみならず品質上も好適である。
【0025】
[生体触媒の除去]
生体触媒反応終了後、反応液中に存在する生体触媒は、例えば遠心分離、濾過膜あるいは吸着分離などの通常の分離手段により除くことが望ましい。さらに限外濾過し、または活性炭等の吸着剤を用いて微生物由来の有機物の大部分を除去するとより好適である。また、生体触媒反応に使用した生体触媒は、反応に使用した後も、遠心分離もしくはろ過操作などにより回収し、生体触媒反応の容器に戻すことにより再利用することができる。
【0026】
[アミドの遊離化]
生体触媒反応終了後または生体触媒除去後の反応液はtert−ロイシンとtert−ロイシンアミドおよびその塩を含有している。塩酸や硫酸等の無機酸とtert−ロイシンアミドの塩はアルコールへの溶解挙動がtert−ロイシンと類似しているため、後工程で光学活性tert−ロイシンとその対掌体であるtert−ロイシンアミドを分離する目的から、tert−ロイシンアミドと塩を形成しているアニオン成分と当量の塩基を添加してアミドの遊離化を行いtert−ロイシンとtert−ロイシンアミドの溶解性を大幅に異なる状態とすることが一般的である。この場合には得られるtert−ロイシンは遊離処理によって生じた無機塩を含有することになる。本発明でも同様の遊離処理を行うことは可能であるが、本発明においてはtert−ロイシンアミドは主にアルコールへの溶解度が高い酢酸塩として存在していることから、塩基添加による遊離化を行わなくともtert−ロイシンとtert−ロイシンアミドを分離できる。そのため、酢酸のみをアニオン成分として含有する場合には遊離化を行わないほうが、塩を含まない高純度のtert−ロイシンが得られるために好適である。
【0027】
[溶媒置換]
続いて、溶媒置換を行う。すなわち、反応液の溶媒を水からtert−ロイシンの貧溶媒系へと置換し、未反応のtert−ロイシンアミドは溶解させ、光学活性tert−ロイシンを析出させる。溶媒置換の方法は、減圧または常圧で濃縮した後にtert−ロイシンの貧溶媒(以下単に貧溶媒とする)を加える方法、貧溶媒を加えて水と共沸させる方法など、通常の溶媒置換方法を用いることができる。
【0028】
反応液の溶媒を水から貧溶媒へ置換することにより光学活性L−またはD−tert−ロイシンを貧溶媒に析出せしめる際に、予め塩基の添加によるアミドの遊離化を行わなくても未反応のD−またはL−tert−ロイシンアミドの酸塩の析出を防ぐことができ、かつゲル化を引き起こさないという観点から、溶媒置換を行う反応液、すなわち溶媒置換に供する液に酢酸根を含ませなければならない。好ましくは、生体触媒反応を行う際に反応液が酢酸根を含むように反応液を調製することである。これにより、生体触媒反応終了後に酢酸等を加えずとも、溶媒置換に供する液に酢酸根を含ませることができる。
【0029】
溶媒置換に供する液に含まれるアニオン成分の95%以上を酢酸根とすることが好ましく、酢酸根のみとすることが最も好ましい。なお、溶媒置換に供する液において生体触媒および生体触媒反応の添加剤として使用する金属塩に由来するアニオン成分は微量であるため無視することができる。よって、溶媒置換に供する液のアニオン成分とは、上記以外のもの、すなわちpH調整および酢酸根を含ませる目的等で加える酸および塩に由来するものならびに原料にDL−tert−ロイシンアミドの塩を使用する場合にこれに由来するものとする。
【0030】
溶媒置換に供する液に酢酸根を含ませるには、酢酸、酢酸塩等を溶媒置換の前までに反応液に添加すればよい。すなわち、生体触媒反応の前もしくは進行中または反応終了後の生体触媒除去の前もしくは後に添加すればよい。操作の簡便さと最終的に得られる光学活性tert−ロイシンの品質の観点から、好適には生体触媒反応時のpH調整のために、生体触媒反応時の前および/または進行中に酢酸を添加すればよい。さらに好適には遊離のアミドを生体触媒反応の出発物質として用い、pH調整を酢酸のみを用いて行い生体触媒反応を行った後、特に酸や塩基の添加をすることなく溶媒置換を行うことである。なお、酢酸を用いることに代えて、生体触媒反応の原料としてtert−ロイシンアミドの酢酸塩を用いることも可能である。その場合には、tert−ロイシンアミド酢酸塩と遊離のtert−ロイシンアミドを適当な割合で併用することにより、pHを望む範囲に調整することが可能である。
【0031】
貧溶媒は、tert−ロイシンアミドおよびその塩の溶解度が高く、光学活性tert−ロイシンの溶解度が低い溶媒としてアルコール類が好適である。より好適には、2−プロパノール、2−メチル−1−プロパノール、1−ブタノールおよび2−ブタノール等の炭素数3〜7のアルコール類が使用される。さらには水と共沸し、水への溶解性が低い性質を有する有機溶媒は、溶媒の置換操作が容易になることから、特に好適である。貧溶媒として他の有機溶媒、例えばトルエンを用いた場合には、tert−ロイシンとともにtert−ロイシンアミド酢酸塩が析出し、tert−ロイシン純度が著しく低下するため好ましくない。水から貧溶媒へ置換する方法は、生体触媒を除去した反応液または該反応液を濃縮した液に貧溶媒を添加し、常圧または減圧下にて共沸させながら水を留去させ、溶媒を貧溶媒へ置換していく方法を用いることができる。特に好ましい貧溶媒は、2−メチル−1−プロパノールである。貧溶媒中の水分量は少ないほど光学活性tert−ロイシンの収率が高い。貧溶媒中の水分量は、好ましくは10%未満、より好ましくは1%未満である。さらに、貧溶媒への置換を行い、光学活性tert−ロイシンを析出させたのちに回収する操作の温度は、特に限定されず、常用の温度域である。
【0032】
[光学活性tert−ロイシンの取得]
析出した光学活性tert−ロイシンは、遠心分離や濾過などの通常の固液分離手段により容易に回収することできる。回収された光学活性tert−ロイシンは残留するtert−ロイシンアミドを抽出する溶媒で洗浄した後、通風乾燥や真空乾燥などにより乾燥させ、tert−ロイシンアミドまたはその酸塩を含まない光学純度の高い光学活性tert−ロイシンが得られる。
【実施例】
【0033】
次に、本発明を実施例および比較例をもってより具体的に説明する。ただし、本発明はこれらの例にのみ制限されるものではない。なお、tert−ロイシンアミドおよびtert−ロイシンの定量には以下に示す高速液体クロマトグラフィー(HPLC)分析条件を用いた。
〔HPLC分析条件1〕
カラム:Lichrosorb RP−18(4.6φ×250mm)
溶離液:過塩素酸50mM水溶液
流速:0.5ml/min
検出:RI
〔HPLC分析条件2〕
カラム:スミキラルOA−5000(4.6φ×50mm)
溶離液:硫酸銅1mM水溶液
流速:0.6ml/min
検出:UV 254nm
【0034】
実施例1
[生体触媒の培養]
生体触媒としては、L−tert−ロイシンアミド立体選択的加水分解酵素を有する形質転換株pMCA1/JM109(FERM AP−20056)の菌体を用いた。該株を下記の培地にて回分培養を行い、さらに遠心分離濃縮によって培養濃縮液を得た。
培地組成(pH7.0)
グリセリン 60g
ポリペプトン 48g
チアミン塩酸塩 4.8mg
KH2PO4 4.8g
MgSO4・7H2O 1.8g
MnCl2・4H2O 12mg
FeSO4・7H2O 72mg
H2O 1200mL
【0035】
[光学活性tert−ロイシンの製造]
100mLのフラスコに6.03g(0.0463mol)のDL−tert−ロイシンアミドと水53.8gを加えて溶解した後、酢酸0.31g(0.0052mol)を添加して溶液pHを10.5から8.6に調整した。さらに、塩化マンガン四水和物2.2mgを添加し、上記の培養濃縮液0.75g(乾燥菌体の重量として0.06gを含有)を接種し、40℃において20時間撹拌により生体触媒反応を行った。
【0036】
反応の進行は高速液体クロマトグラフィー(HPLC)条件1で確認した。結果を図1に示す。図1でいう反応進行率とは、原料DL−tert−ロイシンアミド中のL−tert−ロイシンアミドのうち何%がL−tert−ロイシンに変換されたかを示す。
【0037】
反応後、反応液に活性炭および濾過助剤を加えて濾過することにより菌体を除去した濾液を取得した。濾液に2−メチル−1−プロパノール75mLを加え、20kPaにて含水濃度が1%に達するまで共沸脱水を行い、溶媒置換操作を行った。共沸脱水は沸点60℃で進行し、共沸脱水終了時には沸点は76℃であった。溶媒置換により析出した光学活性L−tert−ロイシンを吸引濾過により濾取し、70℃に加温した2−メチル−1−プロパノール20mLで洗浄し、さらに20℃のアセトン50mLで洗浄した後、40℃で真空乾燥を行った。白色粉末として光学活性L−tert−ロイシンを2.92g(0.0222mol)取得した。このL−tert−ロイシンの化学純度をHPLC条件1で、光学純度をHPLC条件2で分析したところ、化学純度、光学純度はともに99%以上であった。また、原料DL−tert−ロイシンアミド中のL−tert−ロイシンアミドに対する収率は96.1mol%であった。
【0038】
比較例1
生体触媒反応時に酢酸を添加しない以外は実施例1と同様に反応を行った。tert−ロイシンアミド水溶液の段階でpHは10.6であった。反応の進行結果を図1に示す。
【0039】
比較例2
生体触媒反応時に酢酸に換えて35%塩酸0.54g(0.0052mol)を添加する以外は実施例1と同様に反応を行った。塩酸添加後の反応液のpHは8.5であった。反応の進行結果を図1に示す。
【0040】
得られた反応液を実施例1と同様に菌体除去、溶媒置換した。濾過により、白色結晶3.46gを取得した。この結晶中のL−tert−ロイシン濃度は76.8wt%で、他にD−tert−ロイシンアミド塩酸塩が含まれていた。原料DL−tert−ロイシンアミド中のL−tert−ロイシンアミドに対する収率は87.6mol%であった。
【0041】
比較例3〜9
生体触媒反応時に酢酸に換えて表1の酸(0.0052mol)を添加する以外は実施例1と同様に反応を行った。
【0042】
得られた反応液を実施例1と同様に菌体除去し、水酸化ナトリウム0.21g(0.0052mol)を加えてアミドを遊離化した後、実施例1と同様に共沸脱水した。しかし、比較例3〜9については溶媒置換中に反応液のゲル化が起こり流動性が失われたため、L−tert−ロイシンを回収することができなかった。
【0043】
【表1】

【0044】
比較例10
溶媒置換に使用する貧溶媒として2−メチル−1−プロパノールに代えてトルエンを使用する以外は実施例1と同様に操作を行った。溶媒置換の際、ゲル化は発生しなかった。白色粉末6.09gを取得した。この粉末中のL−tert−ロイシン濃度は47.8%であり、L−tert−ロイシンのほかにD−tert−ロイシンアミド酢酸塩が含まれていた。
【0045】
比較例11
生体触媒反応時に酢酸に代えて35%塩酸0.52g(0.0050mol)を使用するとともに、菌体除去後に水酸化ナトリウム0.20g(0.0050mol)を加えてtert−ロイシンアミドを遊離化し、溶媒置換に使用する貧溶媒として2−メチル−1−プロパノールに代えてトルエンを使用する以外は実施例1と同様に操作を行った。L−tert−ロイシンが塩化ナトリウムとともに溶媒置換に使用した容器壁面にこびりついたため回収が困難であり、原料DL−tert−ロイシンアミド中のL−tert−ロイシンアミドに対するL−tert−ロイシンの収率は23.6%であった。
【0046】
比較例12
実施例1と同様に生体触媒反応および菌体除去操作を行った後、L−tert−ロイシン濃度20%となるまで反応液を減圧濃縮し、アセトン100gを添加した。析出したL−tert−ロイシンを濾取し、アセトン100gで洗浄、40℃で減圧乾燥した。その結果、白色粉末1.82gを取得した。この粉末中のL−tert−ロイシン化学純度、光学純度はともに99%以上であった。また、原料DL−tert−ロイシンアミド中のL−tert−ロイシンアミドに対する収率は59.8mol%であった。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
tert−ロイシンアミドを立体選択的に加水分解する生体触媒を、tert−ロイシンアミドに作用させる生体触媒反応を行い、光学活性tert−ロイシンおよびtert−ロイシンアミドを含む反応液を得た後、該反応液の溶媒を水から光学活性tert−ロイシンの貧溶媒系に置換することにより、生成した光学活性tert−ロイシンを析出させ分取する方法において、溶媒置換に供する液が酢酸根を含むと共に、貧溶媒系に置換する際、貧溶媒としてアルコール類を用いることを特徴とする、tert−ロイシンアミドからの光学活性tert−ロイシンの製造方法。
【請求項2】
生体触媒反応を行う際に反応液が酢酸根を含むように反応液を調製することを特徴とする、請求項1に記載の光学活性tert−ロイシンの製造方法。
【請求項3】
tert−ロイシンアミドを立体選択的に加水分解する生体触媒がキサントバクター属、プロタミノバクター属、ミコバクテリウム属もしくはミコプラナ属に属する微生物、またはこれら微生物から人工的変異手段によって誘導される変異株、細胞融合もしくは遺伝子組換法により誘導される組換株より調製された、酵素または該酵素を有する微生物もしくはその処理物である、請求項1に記載の光学活性tert−ロイシンの製造方法。
【請求項4】
生体触媒反応の前および/または進行中に該反応液に酢酸を添加することを特徴とする、請求項1に記載の光学活性tert−ロイシンの製造法。
【請求項5】
アルコール類が2−プロパノール、2−メチル−1−プロパノール、1−ブタノールおよび2−ブタノールから選ばれる一種以上である、請求項1に記載の光学活性tert−ロイシンの製造方法。
【請求項6】
アルコール類が2−メチル−1−プロパノールである、請求項5に記載の光学活性tert−ロイシンの製造方法。
【請求項7】
光学活性tert−ロイシンがL−tert−ロイシンである、請求項1〜6の何れか一項に記載の光学活性tert−ロイシンの製造方法。

【図1】
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【公開番号】特開2010−284109(P2010−284109A)
【公開日】平成22年12月24日(2010.12.24)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2009−140195(P2009−140195)
【出願日】平成21年6月11日(2009.6.11)
【出願人】(000004466)三菱瓦斯化学株式会社 (1,281)
【Fターム(参考)】