説明

冷間工具鋼

【課題】 硬度、靱性及び耐摩耗性が高く、高い焼戻し温度における変寸を抑制できる冷間工具鋼を提供する。
【解決手段】 冷間工具鋼は、C、Mn、Cr、V、N及び(Mo+1/2W)量が最適化された上で、Mn及びNの含有量が、Cの含有量に対するCrの含有量の比(Cr/C)を基準として最適化され、更に、Mn及びNの含有量が、比(Cr/C)を基準として下記数式を満足する。これにより、高い焼戻し温度における冷間工具鋼の変寸を抑制できる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は冷間プレス、冷間鍛造及びロール成形等に使用される型又は転造ダイス等の材料として使用される冷間工具鋼に関し、特に、硬度、靱性及び耐摩耗性が高く、高い焼戻し温度における変寸を抑制した冷間工具鋼に関する。
【背景技術】
【0002】
従来、冷間プレス、冷間鍛造及びロール成形等に使用される型及び転造ダイス等の材料としては、JIS G4404に規定されたSKD11(冷間ダイス鋼)が使用されている。冷間工具鋼から工具を製造する場合には、工具鋼を所定の工具形状に加工した後、焼入れを施して硬度を高め、焼戻しを施すことにより、焼入れ時に低下した靱性を回復させることが行われているが、SKD11は、高い硬度を有するものの、靱性が十分でなく、焼き付きによる工具寿命の低下が発生しやすいという問題点がある。また、工具鋼を型等の工具に加工する際には、ワイヤカット又は放電加工が採用されているが、従来のSKD11の組成では、これをワイヤカット又は放電加工する際に、鋼に割れが発生しやすいという問題点がある。
【0003】
冷間工具鋼の硬度及び靱性等を改善する技術として、例えば、特許文献1には、C:0.75乃至1.75質量%、P:0.020質量%以下、S:0.0030質量%以下、N:0.020質量%以下、Si:3.0質量%以下、Mn:0.1乃至2.0質量%、Cr:5.0乃至11.0質量%、Mo:1.3乃至5.0質量%及びV:0.1乃至5.0質量%を含有し、残部がFe及び不可避的不純物からなり、450℃以上で焼戻し効果を有する冷間工具鋼が開示されている。この特許文献1においては、P、S、O及びNの含有量を規制することにより、焼入れ時における晶出炭化物の固溶が促進されて高温焼戻し硬さが増大すると共に、未固溶炭化物の成長が抑制されて靱性が向上することが開示されている。また、特許文献1においては、耐摩耗性及び高温焼戻し後の強度を高めるために、MoをSKD11よりも多く添加している。この特許文献1の冷間工具鋼は、8%CrSKDとよばれている。
【0004】
また、特許文献2においては、共晶炭化物量に大きく影響するC及びCrの含有量を夫々C:0.7乃至1.5質量%、Cr:6.0乃至13.0質量%とし、これにより、冷間工具鋼の耐摩耗性及び靱性の低下を改善した上で、0.025乃至0.15質量%のNを添加することにより、低温の焼入れ温度でも固溶しやすい共晶炭窒化物が形成され、これにより、焼戻し後の硬度を高める技術が開示されている。
【0005】
このように、冷間工具鋼から工具を製造する場合には、焼入れ及び焼戻しによる熱処理が施されるため、工具鋼は、加熱による膨張により、変寸が発生するという問題点がある。特に、焼戻しによる二次硬化領域で発生する膨張量が大きく、焼戻し処理後に変寸を除去するための処理が必要になるという問題点がある。
【0006】
この焼戻し時の膨張による変寸を抑制するために、例えば特許文献3には、冷間工具鋼にNi:0.3乃至1.5質量%及びAl:0.1乃至0.7質量%を添加することにより、Ni−Al系の金属間化合物を形成させ、この金属間化合物を、焼戻しによる二次硬化領域で析出させることにより、変寸を収縮方向に移行させる技術が開示されている。そして、金属間化合物を二次硬化領域で析出させるために、特許文献3においては、0.7乃至1.6質量%のCを添加している。
【0007】
また、特許文献4には、焼入れ性の確保及び焼戻し後の硬度の確保のために添加されるMo及びW、並びに工具の耐摩耗性の改善及び衝撃特性の維持のために添加されるV及びNbは、焼戻し処理による凝固の際に、偏析して変寸又は歪みの原因となることが開示されており、Mo、W、V及びNbの添加量を、Mo+1/2W:0.9乃至1.6質量%、V+1/2Nb:0.03乃至0.3質量%とすることにより、変寸を抑制することが開示されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0008】
【特許文献1】特開平01−11945号公報
【特許文献2】特開平09−78199号公報
【特許文献3】特許第4411594号
【特許文献4】特開2009−235562号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0009】
しかしながら、前述の従来の技術には以下に示す問題点がある。特許文献1の冷間工具鋼は、Moを多く含有した場合に、焼戻し後に鋼組織内に残留するオーステナイト組織が多く、残留オーステナイトが、時間の経過と共にマルテンサイト変態して、工具鋼が膨張する経年変寸の変寸量が増える。また、焼戻しによる2次硬化領域で発生する変寸が大きく、焼戻し処理後に変寸を除去する加工を施す必要があり、工具の製造工数が増加するという問題点がある。また、Moは高価であるため、多量に含有させると製造コストが増大するという問題点もある。
【0010】
特許文献2の冷間工具鋼は、C及びCrの含有量の上限値を規定することにより、靱性の低下を抑制できることが記載されているものの、C及びCrを多く含有させた場合には、粗大な炭化物が形成されて靱性が低下する。また、特許文献2は、焼戻し後の鋼に高硬度を得ることを目的としており、熱処理によって変寸が発生することについては、一切開示されておらず、特許文献2に記載された組成では、変寸が大きくなって、焼戻し処理後に変寸を除去する工数が増大する場合がある。
【0011】
特許文献3においては、Alの添加量が0.1乃至0.7質量%と多く、鋼組織内にAlN等の介在物が多量に発生し、靱性が低下するという問題点がある。
【0012】
特許文献4の冷間工具鋼は、焼戻し後に高い硬度が得られない場合がある。以上の特許文献1乃至4の冷間工具鋼は、硬度、靱性、耐摩耗性等、夫々の特性に影響を及ぼす成分の個別の添加量は検討されているものの、変寸を抑制できる成分相互間の検討が十分ではない。
【0013】
本発明はかかる問題点に鑑みてなされたものであって、硬度、靱性及び耐摩耗性が高く、高い焼戻し温度における変寸を抑制できる冷間工具鋼を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0014】
本発明に係る冷間工具鋼は、C:0.65乃至1.20質量%、Mn:0.48乃至0.92質量%、Cr:7.0乃至12.0質量%、V:0.05乃至0.80質量%、N:458乃至817ppm及び(Mo+1/2W):0.6乃至1.5質量%を含有し、残部がFe及び不可避的不純物からなる組成を有し、Cの含有量に対するCrの含有量の比(Cr/C)が8.5乃至11.0であり、Mnの含有量(質量%)を[Mn]とし、Nの含有量(ppm)を[N]としたときに、Mn及びNの含有量は、前記比(Cr/C)に対して、下記数式を満足することを特徴とする。
【0015】
【数1】

【0016】
【数2】

【0017】
本発明に係る冷間工具鋼は、例えば更に、Si:0.1乃至1.8質量%、S:0.01乃至0.10質量%、Cu:0.01乃至0.40質量%及びNi:0.5質量%以下からなる群から選択された1種以上を含有する。
【0018】
また、冷間工具鋼は、例えば更に、Al及びOの含有量を、夫々Al:0.020質量%以下及びO:0.0050質量%以下に規制した組成を有することが好ましい。
【発明の効果】
【0019】
本発明の冷間工具鋼は、C、Mn、Cr、V、N及び(Mo+1/2W)量が最適化された上で、Cの含有量に対するCrの含有量の比(Cr/C)が最適化され、更に、Mn及びNの含有量が、比(Cr/C)を基準として適正な範囲で規定されている。これにより、本発明の冷間工具鋼は、硬度、靱性及び耐摩耗性が高く、高い焼戻し温度における変寸を抑制できる。よって、本発明の冷間工具鋼から製造された型及び工具等は、寿命が長く、表面改質処理等の加熱を施された場合にも、変寸が小さい。
【図面の簡単な説明】
【0020】
【図1】(a)は本発明に係る冷間工具鋼において、C及びCr量の比(Cr/C)に対するMn量の適正範囲を示す図、(b)は同じくN量の適正範囲を示す図である。
【図2】本発明の冷間工具鋼における焼戻し温度と硬さとの関係を、従来の冷間工具鋼と比較して示す図である。
【図3】本発明の冷間工具鋼における焼戻し温度と変寸率との関係を、従来の冷間工具鋼と比較して示す図である。
【発明を実施するための形態】
【0021】
以下、本発明の実施形態に係る冷間工具鋼について説明する。本発明の冷間工具鋼は、C:0.65乃至1.20質量%、Mn:0.48乃至0.92質量%、Cr:7.0乃至12.0質量%、V:0.05乃至0.80質量%、N:458乃至817ppm及び(Mo+1/2W):0.6乃至1.5質量%を含有し、残部がFe及び不可避的不純物からなる組成を有する。
【0022】
このような組成を有することにより、本発明の冷間工具鋼は、硬度、靱性及び耐摩耗性が高い。本発明者は、上記組成を有する冷間工具鋼において、高硬度及び高靱性を維持しながら、焼戻し時の高温による変寸を抑制するために、種々実験検討を行った。そして、Cの含有量に対してCrを適正範囲で添加することにより、高硬度及び高靱性を有する冷間工具鋼において、変寸を抑制できることを知見し、本発明を見出した。即ち、本発明においては、C量に対するCr量の比(Cr/C)は8.5乃至11.0である。C量に対するCr量の比(Cr/C)が8.5未満であると、鋼組織内の残留オーステナイトが増加し、硬度が低下し、残留オーステナイトが、時間の経過と共にマルテンサイト変態して、工具鋼が膨張する経年変寸の変寸量が増え、比(Cr/C)が11.0を超えると、鋼組織内の残留オーステナイトが少なくなりすぎて、熱処理による変寸が増加する。
【0023】
そして、本発明者は、冷間工具鋼の硬度を高く維持し、高い焼戻し温度における変寸を抑制するためには、変寸が顕著となり始める温度を高温側に遷移させると共に、その温度で焼戻しを実施することにより、工具鋼の硬度を高めればよいことを知見した。そして、変寸が顕著となり始める温度を遷移させるためには、Mnを添加すればよく、Mnを上記比Cr/Cに対して適量添加すれば、工具鋼の被削性を損なわない範囲で変寸温度を高温域に遷移させられることを見出した。即ち、本発明においては、Mnの含有量(質量%)を[Mn]としたときに、Mnの含有量は、比(Cr/C)に対して下記数式3を満足する。また、本発明においては、Nを比Cr/Cに対して適量添加すれば、工具鋼を工具に加工する際の割れを防止しつつ、高い焼戻し温度において、工具鋼の硬さを高めることができる。また、Nの添加により、粗大なM7C3型の炭化物の生成が抑制されると共に、MC型炭化物の生成量が増大することにより、工具鋼の靱性及び耐摩耗性を高めることができる。本発明者は、このNの添加による効果を十分に得るためには、Nを比(Cr/C)に対して下記数式4を満足するように添加すればよいことを見出した。
【0024】
【数3】

【0025】
【数4】

【0026】
上記本発明におけるMn量及びN量の適正範囲について、図1を参照して説明する。図1(a)は本発明に係る冷間工具鋼において、C及びCr量の比(Cr/C)に対するMn量の適正範囲を示す図、図1(b)は同じくN量の適正範囲を示す図である。なお、図1における実線で囲まれた領域が本発明の範囲を示す。本発明においては、上述の如く、冷間工具鋼の高硬度及び高靱性を維持しながら、焼戻し時の高温による変寸を抑制するために、C量に対するCr量の比(Cr/C)を8.5乃至11.0と規定している。そして、図1(a)及び図1(b)に示すように、この比(Cr/C)を基準として、Mn量(質量%)及びN量(ppm)を規定している。Mnの含有量が本発明の上限値を超えると(図1(a)に示す実線領域よりも上に存在すると)、鋼組織内の残留オーステナイトが増加し、これにより、硬度が低下し、また、残留オーステナイトが、時間の経過と共にマルテンサイト変態して、工具鋼が膨張する経年変寸の変寸量が増えてしまう不具合がある。一方、Mnの含有量が本発明の下限値未満であると(図1(a)に示す実線領域よりも下に存在すると)、Mn不足により、変寸が顕著となり始める温度を高温域に遷移させることができず、上記本発明の効果を得られなくなる。
【0027】
また、本発明においては、Nの含有量が本発明の上限値(図1(b)に示す実線領域よりも上に存在すると)、焼戻し温度を高温域に遷移させた場合においても、鋼組織内の残留オーステナイトが増加し、硬度が低下し、また、残留オーステナイトが、時間の経過と共にマルテンサイト変態して、工具鋼が膨張する経年変寸の変寸量が増えてしまう不具合がある。一方、Nの含有量が本発明の下限値未満であると(図1(b)に示す実線領域よりも下に存在すると)、Nの添加によって硬度、靱性及び耐摩耗性を向上させる効果を得られなくなる。
【0028】
以上のように、本発明においては、高い焼戻し温度によっても変寸を抑制でき、また、焼戻し温度による高温により、鋼組織内への熱応力の残留を防止することができ、工具鋼の硬度を高めることができる。よって、工具鋼を工具に加工する際のワイヤカット又は放電加工における工具鋼の割れを防止できる。また、Nの添加による硬度、靱性及び耐摩耗性の向上効果を十分に得ることができる。
【0029】
本発明によれば、焼戻し後の熱処理によって、工具鋼に変寸が生じることも防止できる。即ち、冷間工具鋼は、所定の工具形状に成形された後、表面にPVD(Physical Vapor Deposition)等による表面改質処理が施される場合があるが、この表面改質処理は、従来の冷間工具鋼においては、例えば焼戻し温度に近いか、又は焼戻し温度に一致する例えば490乃至500℃で実施される。従って、焼戻しによる変寸を除去した後においても、表面改質処理時の高温により、所定形状に成形された工具鋼に、再度変寸が発生してしまう。本発明においては、変寸が発生する温度を例えば510℃以上に高くできるため、表面改質処理を上記のような500℃程度の温度で実施しても、工具鋼に変寸が発生することを防止できる。
【0030】
以上の本発明の効果について、図2及び図3を参照して説明する。図2は、本発明の冷間工具鋼における焼戻し温度と硬さとの関係を、従来の冷間工具鋼と比較して示す図、図3は、本発明の冷間工具鋼における焼戻し温度と変寸率との関係を、従来の冷間工具鋼と比較して示す図である。なお、図2及び図3においては、本発明の冷間工具鋼を太線、SKD11鋼を破線、特許文献1等の8%Cr鋼を細線にて示してある。
【0031】
図2に示すように、従来のSKD11鋼の変寸率は、焼戻し温度が480℃以下の低温域においては小さく、焼戻し温度が480℃乃至490℃の領域で徐々に増大し、焼戻し温度が490℃程度にて変寸率が0となり、その後、490℃以上の温度域では、変寸率が大きくなる。このような焼戻し温度の増加に伴う変寸率の変化の仕方は、8%Cr鋼及び本発明においても同様である。しかし、8%Cr鋼においては、変寸率が0となる焼戻し温度は、500℃程度であり、本発明においては、変寸率が0となる焼戻し温度は、510℃程度と高温領域に遷移している。図2に示すように、焼戻し温度が510℃の高温領域において、SKD11鋼の変寸率は0.08%程度、8%Cr鋼の変寸率は、0.045%と大きい。このように、本発明の冷間工具鋼は、従来の冷間工具鋼に比して高い焼戻し温度において、変寸率が極めて小さく、工具に加工した後に変寸を除去する等の処理が不要となり、製造コストも低減できる。
【0032】
また、図3に示すように、本発明においては、その組成が十分に最適化されているため、変寸率が0となる510℃付近の焼戻し温度において、最大の63HRC以上の硬さが得られている。これに対して、従来の工具鋼は、いずれも、変寸率が0となる焼戻し温度におけるHRC硬さが本発明よりも小さい。以上のように、本発明によれば、高い焼戻し温度において、変寸率が小さく、且つ高い硬度を有する冷間工具鋼を得ることができる。
【0033】
本発明においては、冷間工具鋼には、必要に応じて、更に、Si:0.1乃至1.8質量%、S:0.01乃至0.10質量%、Cu:0.01乃至0.40質量%及びNi:0.5質量%以下からなる群から選択された1種以上が添加される。また、冷間工具鋼がAl及びOを含有する場合においては、これらの元素の添加量は、夫々Al:0.020質量%以下及びO:0.0050質量%以下に規制されていることが好ましい。
【0034】
以下、本発明の冷間工具鋼における数値限定理由について説明する。
【0035】
「C:0.65乃至1.20質量%」
Cは、基地に固溶して硬度を高めると共に、他の添加元素と結合して炭化物を生成し、これにより、耐摩耗性を高めることができる。Cの含有量が0.65質量%未満であると、硬度及び耐摩耗性を向上させる効果を十分に得られない。一方、Cの含有量が1.20質量%を超えると、冷間工具鋼の靭性が低下する。よって、本発明においては、Cの含有量を0.65乃至1.20質量%と規定する。
【0036】
「Mn:0.48乃至0.92質量%」
Mnは、本発明における重要な添加元素の1つであり、冷間工具鋼の変寸が顕著になり始める温度を高温域に遷移させる効果を有する。Mnの含有量が0.48質量%未満であると、変寸温度を高温域に遷移させる効果を十分に得られず、結果として、冷間工具鋼を工具に加工する際に、割れが発生しやすくなる等の問題がある。一方、Mnの含有量が0.92質量%を超えると、鋼組織内の残留オーステナイトが増加し、硬度が低下し、また、残留オーステナイトが、時間の経過と共にマルテンサイト変態して、工具鋼が膨張する経年変寸の変寸量が増えてしまう不具合がある。よって、本発明においては、Mnの含有量を0.48乃至0.92質量%と規定する。
【0037】
「Cr:7.0乃至12.0質量%」
CrはCと結合して炭化物を生成し、工具鋼の耐摩耗性を向上させる。また、Crは、基地に固溶することにより、焼入れ性を向上させるために有効な元素である。Crの含有量が7.0質量%未満であると、生成される炭化物量が少なくなり、耐摩耗性が低下する。一方、Crの含有量が12.0質量%を超えると、炭化物が必要以上に増加して、靭性が低下し、被削性が劣化しやすくなる。また、Crを多量に添加すると、製造コストの増加にも繋がる。よって、本発明においては、Crの含有量を7.0乃至12.0質量%と規定する。
【0038】
「V:0.05乃至0.80質量%」
Vは、Cと結合して炭化物を形成し、焼入れ時の結晶粒の粗大化を防止したり、耐摩耗性を高めるために有効な元素である。Vの含有量が0.05質量%未満であると、これらの効果を十分に得ることができず、Vの含有量が0.80質量%を超えると、粗大な炭化物が形成されて靭性が低下し、被削性が劣化しやすくなる。また、Vを多量に添加すると、製造コストの増大にも繋がる。よって、本発明においては、Vの含有量を0.05乃至0.80質量%と規定する。
【0039】
「N:458乃至817ppm」
Nは、通常、不純物として微量含まれるが、458ppm以上添加することにより、高い焼戻し温度における工具鋼の硬さを高めることができる。また、Nを添加することにより、粗大なM7C3型の炭化物の生成を抑制することができると共に、MC型炭化物の生成量が増大することにより、工具鋼の靱性及び耐摩耗性を高めることができる。Nを458ppm以上と多く添加するためには、溶鋼への脱ガス処理を完了した後、例えば窒化Fe−Crを溶鋼に添加したり、Nガスを溶鋼に吹き込むことにより可能である。一方、Nの含有量が817ppmを超えると、残留オーステナイトの増加により、工具鋼の硬さが低下すると共に、残留オーステナイトが、時間の経過と共にマルテンサイト変態して、工具鋼が膨張する経年変寸の変寸量が増えてしまう不具合がある。よって、本発明においては、Nの含有量を458乃至817ppmと規定する。
【0040】
「(Mo+1/2W):0.6乃至1.5質量%」
Mo及びWは、Crと同様に、焼入れ性を向上させるために有効な元素である。但し、Wは、Moと同等の効果を得るためには、2倍の添加が必要となるため、本発明においては、Wの含有量の1/2とMoとの総量を規定する。(Mo+1/2W)が0.6質量%未満であると、焼入れ性を向上させる効果を十分に得ることができず、(Mo+1/2W)が1.5質量%を超えると、鋼組織内の残留オーステナイトが増加して硬度が低下し、また、残留オーステナイトが、時間の経過と共にマルテンサイト変態して、工具鋼が膨張する経年変寸の変寸量が増えてしまう不具合がある。よって、本発明においては、(Mo+1/2W)を0.6乃至1.5質量%と規定する。
【0041】
「Si:0.1乃至1.8質量%」
Siは脱酸剤として有効な元素であり、必要に応じて添加される。また、Siは、焼戻し温度が300乃至520℃の中〜高温域の場合に、工具鋼の硬さを高める効果を有する。Siの添加量が0.1質量%未満であると、この効果が得られず、1.8質量%を超えると、マトリクス中の成分偏析が顕著となり、また、工具鋼の靭性も低下しやすくなる。よって、冷間工具鋼がSiを含有する場合には、その含有量は0.1乃至1.8質量%であることが好ましい。
【0042】
「S:0.01乃至0.10質量%」
Sは工具鋼の被削性を向上させるために、必要に応じて添加される。Sの添加による被削性の向上を十分に得るためには、その添加量は、0.01質量%以上である。一方、Sの添加量が0.10質量%を超えると、工具鋼の靭性が低下しやすくなるため、Sを添加する場合には、その含有量は、0.01乃至0.10質量%であることが好ましい。
【0043】
「Cu:0.01乃至0.40質量%」
Cuは、冷間工具鋼の焼入れ性及び耐食性の向上を目的として、必要に応じて添加される。これらの効果を十分に得るためには、その添加量は、0.01質量%以上である。一方、Cuの添加量が0.40質量%を超えると、工具鋼の靭性が低下しやすくなるため、Cuを添加する場合には、その含有量は、0.01乃至0.40質量%であることが好ましい。
【0044】
「Ni:0.5質量%以下」
Niは、Crと同様に、焼入れ性を向上させるために、必要に応じて添加される。しかし、Niの含有量が0.5質量%を超えると、被削性が劣化し、また、製造コスト面でも不利となるため、その含有量は0.5質量%以下であることが好ましい。
【0045】
「Al:0.040質量%以下に規制」
Alは、冷間工具鋼の金属組織内にAlN等の介在物を形成する元素であり、0.040質量%を超えて多量に含有させると、介在物の生成量が多くなり、工具鋼の靭性を低下させる。特に、本発明においては、従来に比してNを多量に添加しているため、AlがNと結合して介在物を形成しやすい。よって、本発明においては、Alの含有量は、0.040質量%以下に規制することが好ましい。更に好ましくは、Alの含有量は0.020質量%以下である。
【0046】
「O:0.0050質量%以下に規制」
Oは、工具鋼の金属組織内に酸化物系の介在物を形成する元素であり、0.0050質量%を超えて多量に含有させると、介在物の生成量が多くなり、工具鋼の靭性を低下させる。よって、Oの含有量は、0.0050質量%以下に規制することが好ましい。
【実施例】
【0047】
以下、本発明の構成による効果について、本発明の範囲を満足する実施例をその比較例と対比して説明する。先ず、種々の成分組成を有する鋼を高周波炉で溶解し、10kgのインゴットを得、各インゴットを1140乃至1170℃の温度で4時間以上加熱した後、鍛造し、その後、780乃至860℃の温度に3時間以上保持した後、300乃至600℃の温度まで15乃至45℃/時の冷却速度で冷却する焼きなまし処理を施した。そして、各鋼から幅55mm、長さ100mm、厚さ35mmの実施例及び比較例の試験片を切り出し、各試験片をミクロ組織観察試験、熱処理硬さ試験、残留オーステナイト測定試験及び変寸率測定試験に供した。なお、熱処理硬さ試験、残留オーステナイト測定試験及び変寸率測定試験に供する試験片については、上記焼きなまし処理後、1030℃で焼入れ処理を施し、その後、焼戻し処理を施した。そして、実施例及び比較例の各試験片を13本用意し、焼戻し温度を480乃至540℃まで5℃きざみで変化させることにより、各実施例及び比較例の試験片について、焼戻し温度が異なる13本の試験片を用意した。各実施例及び比較例の試験片の組成を表1−1及び表1−2に示す。なお、表1に示す従来例No.21は、JIS G4404に規定されたSKD11、従来例No.22は、8%Cr鋼、従来例No.23は、特許文献3に記載された組成を有する工具鋼である。
【0048】
【表1−1】

【0049】
【表1−2】

【0050】
(熱処理硬さ試験)
熱処理硬さ試験は、JIS Z2245に準拠して行った。各試験片を硬さ試験機(AKASHI社製、型式:ARD−A)に設置し、夫々HRC硬さを測定した。各実施例及び比較例について、HRC硬さが最大となった試験片の焼戻し温度とHRC硬さの最大値を調査した。そして、HRC硬さの最大値が63HRC以上であった場合に、硬度が良好と判定した。
【0051】
(残留オーステナイト測定試験)
残留オーステナイト量は、X線回折により測定した。即ち、各実施例及び比較例の試験片の表層部を電解研磨により0.05mm研磨した後、研磨後の表層部に対して、X線回折装置(理学電機株式会社製、型式:MSF−2M)によりX線回折試験を実施し、得られたX線回折パターンより残留オーステナイト量(面積率)を測定した。
【0052】
(変寸率測定試験)
変寸率測定試験は、各実施例及び比較例の13本の試験片に対して、焼戻し温度ごとにその変寸率を測定した。なお、この変寸測定試験においては、各試験片の長さ方向における変寸率(焼入れ前の長さに対する長さの変化率)を測定した。そして、変寸率が0となった試験片の焼戻し処理時の温度を調査した。そして、変寸率が0となった試験片の焼戻し処理時の温度が510℃以上であった場合に、高い焼戻し温度における変寸耐性が良好であると判定した。
【0053】
各実施例及び比較例について、HRC硬さの最大値及びそれが得られた焼戻し温度、ゼロ変寸温度並びに残留オーステナイト量の測定結果を下記表2に示す。
【0054】
【表2】

【0055】
表2に示すように、実施例No.1乃至14は、本発明の範囲を満足するので、本発明の範囲を満足しない比較例No.15乃至20及び従来例No.21乃至23に比して、高いHRC硬さが得られ、変寸率が0となる焼戻し温度も高く、優れた変寸耐性が得られた。また、表2に示すように、本発明の範囲を満足する実施例No.1乃至14は、いずれも、HRC硬さが最大となる焼戻し温度が、変寸率が0となる焼戻し温度に一致しており、変寸率が0となるように焼戻し温度を設定すれば、高い硬度が得られることが分かる。
【0056】
一方、比較例No.15乃至20及び従来例No.21乃至23は、本発明の範囲を満足しないため、HRC硬さが小さく、変寸耐性も小さくなった。特に、比較例No.19は、その組成が本発明の範囲を満足するものの、比(Cr/C)に対するMn及びNの添加量の関係が、本発明を満足しないことにより、HRC硬さ及び変寸耐性が低下した。
【0057】
比較例No.15は、Mnの含有量が少なかったので、変寸率が0となる温度が低く、また、HRC硬さも小さかった。比較例No.16は、Nの含有量が少なかったので、工具鋼のHRC硬さを高めることができなかった。比較例No.17は、Mnを多く含有することにより、鋼組織中の残留オーステナイト量が増加し、HRC硬さが低くなった。また、Mnの添加により変寸率が0となる温度は高くなったものの、Mo+1/2W量が多いことにより、変寸率が0となる温度において高いHRC硬さを得ることが出来なかった。
【0058】
比較例No.18は、比(Cr/C)に対するMn及びNの量が少なかったので、変寸率が0となる温度を高めることができなかった。比較例No.20は、適量のMn及びNを含有するものの、C量が少ないことにより比(Cr/C)が大きくなり、変寸耐性を高めることができなかった。
【0059】
従来例No.21乃至23は、いずれもMn及びNの量が少ないことにより、変寸率が0となる温度が低く、また、HRC硬さも小さくなった。このうち、従来例No.22は、多量のMoを含有することにより、鋼組織中の残留オーステナイト量が増加して、HRC硬さも低下した。
【0060】
次に、実施例No.1、No.2、No.5、No.12、比較例No.15、No.17、No.19、従来例No.21乃至23について、変寸率が0となった試験片に対してPVD処理を施した。PVD処理は、33mm×55mm×100mm角の大きさに加工した試験片を、1030℃の温度で焼入れし、夫々、変寸率が0となる温度で焼戻し処理後、各試験片の表面に、アークイオンプレーテイング法により、500℃の処理温度で厚さ2.5μmのTiN被膜を形成した。
【0061】
そして、PVD処理後の各試験片について、その変寸率を測定した。そして、変寸率が0.02%以下であったものを変寸耐性が良好と判定した。各実施例、比較例及び従来例の試験片について、PVD処理後の変寸率を下記表3に示す。
【0062】
【表3】

【0063】
表2に示すように、実施例No.1、No.2、No.5、No.12は、変寸率が0となった焼戻し温度がいずれも510℃以上と高く、優れた変寸耐性を有している。よって、表3に示すように、PVD処理後の変寸率がいずれも0であった。
【0064】
これに対して、比較例No.15及び従来例No.21は、変寸率が0となった焼戻し温度が490℃と低く、変寸耐性が劣っている。よって、表3に示すように、PVD処理後の変寸率が0.07%と大きくなった。また、変寸率が0となった焼戻し温度が505℃であった比較例No.19及び20、500℃であった従来例No.22及び23についても、変寸耐性が低いことにより、PVD処理後に変寸が発生した。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
C:0.65乃至1.20質量%、Mn:0.48乃至0.92質量%、Cr:7.0乃至12.0質量%、V:0.05乃至0.80質量%、N:458乃至817ppm及び(Mo+1/2W):0.6乃至1.5質量%を含有し、残部がFe及び不可避的不純物からなる組成を有し、Cの含有量に対するCrの含有量の比(Cr/C)が8.5乃至11.0であり、Mnの含有量(質量%)を[Mn]とし、Nの含有量(ppm)を[N]としたときに、Mn及びNの含有量は、前記比(Cr/C)に対して、下記数式を満足することを特徴とする冷間工具鋼。

【請求項2】
更に、Si:0.1乃至1.8質量%、S:0.01乃至0.10質量%、Cu:0.01乃至0.40質量%及びNi:0.5質量%以下からなる群から選択された1種以上を含有することを特徴とする請求項1に記載の冷間工具鋼。
【請求項3】
更に、Al及びOの含有量を、夫々Al:0.040質量%以下及びO:0.0050質量%以下に規制した組成を有することを特徴とする請求項1又は2に記載の冷間工具鋼。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【公開番号】特開2012−214833(P2012−214833A)
【公開日】平成24年11月8日(2012.11.8)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2011−79776(P2011−79776)
【出願日】平成23年3月31日(2011.3.31)
【特許番号】特許第4860774号(P4860774)
【特許公報発行日】平成24年1月25日(2012.1.25)
【出願人】(000231165)日本高周波鋼業株式会社 (12)