説明

手術訓練用脳モデル

【課題】手術など高度な技能が要求される医師の手術訓練用脳モデルとして、実際の人体の脳と力学的特性(硬さや弾性)が類似した手術訓練用脳モデルを提供する。
【解決手段】合成高分子材料から成る脳モデルであって、脳組織表面形状を再現した型材にモノマー溶液を流し込み、加熱反応後に水で膨潤させた構成とし、脳組織の物理的構造(立体形状や表面形状)と物理的特性(硬さや粘弾性)を高精度に再現し、脳外科手術における全ての術部を再現可能とする。特に、モノマー溶液は、アクリル酸に、架橋剤としてN,N’−メチレンビスアクリルアミド(MBA)を加え、開始剤として過硫酸アンモニウム(APS)を加え、更に加熱により重合反応させたものを用いることで、実際の脳の質感に近似している脳モデルを作製することができる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、手術など高度な技能が要求される医師の技能訓練などに用いる手術訓練用脳モデルに関するものである。
【背景技術】
【0002】
従来から、手術訓練用脳モデルとして種々の模型が知られている。しかし、従来の手術訓練用脳モデルは、脳の形状のみを再現した立体的な形状模型であり、実物の脳と形状模型との力学的特性(硬さや弾性)には大きく差異が生じていた。このため、座学には問題ないが、実際に手術用器具を用いての訓練には適していなかった。
また、従来の外科手術の教育や訓練では、生体材料にとして中小動物が用いられているものの、動物実験に関する様々な問題があり、数多くの経験数が必要な教育・訓練用材料とはなり難い。特に、人体においては献体などによる実習も可能であるが、その術感の相違や献体数に限りがあるため、実際のところは、食用とする動物肉などにより外科医や学生などが手術練習を行っている。このため、実際の術部の構造までを再現できていないのが実状である。
このため、医学生や経験が浅い外科医などは、技術修得のためには熟練者の医師の傍らで実際の手術を観察することで技能スキルを向上させている。
【0003】
このような状況下、内視鏡を用いて診断、手術など高度な技能が要求される分野における医者の技能修得用トレーニング等に適した医療トレーニング用人体頭部模型として、人体の頭部の内部構造を、頭蓋骨から形状を採取し、CT画像データからの光造形モデルも参考にして再現した医療トレーニング用人体頭部模型であって、生体と類似した触感感覚を感じられるようにするために複数の材料を用いて複合させた構造であり、該人体頭部模型の一部又は複数部分を、前記部分と形状が同一又は異なる部品と交換可能であり、該交換可能部分とその周辺部分との間隙に圧力検知部を備え、該人体頭部模型に外部からかかる圧力を検出することを特徴とする医療トレーニング用人体頭部模型が知られている(特許文献1参照)。
この医療トレーニング用人体頭部模型は、実際の臓器との機械力学的特性が類似した人体頭部模型であるため、手術器具を用いたトレーニングに向いており、また、部分交換することで、破壊を伴うトレーニングでも破壊された部分を取り替えるだけで再利用できるほか、症例によって異なる内部構造に対応することが可能となるものである。
【0004】
【特許文献1】特許第3845746号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
従来の手術訓練用脳モデルである形状模型は実際の人体の脳とは力学的特性(硬さや弾性)には大きく異なり、それを用いた医療訓練では訓練成果をあげることは難しかった。
そこで、本発明は、手術など高度な技能が要求される医師の手術訓練用脳モデルとして、実際の人体の脳と力学的特性(硬さや弾性)が類似した手術訓練用脳モデルを提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0006】
上記目的を達成するため、本発明の手術訓練用脳モデルは、合成高分子材料から成る脳モデルであって、脳組織表面形状を再現した型材にモノマー溶液を流し込み、加熱反応後に水で膨潤させた構成とされる。
かかる構成とすることで、脳組織の物理的構造(立体形状や表面形状)と物理的特性(硬さや粘弾性)を高精度に再現し、脳外科手術における全ての術部を再現可能とする。
【0007】
ここで、脳組織表面形状を再現した型材とは、脳表面の溝の形状、深さ、表面下の空洞形状を再現すべく、それを形取った型材を意味する。型材にモノマー溶液を流し込み、加熱反応を行うことで、脳組織表面形状を再現した脳モデルを作製することができる。
また、加熱反応後に水で膨潤させるのは、脳の物理的特性(硬さや粘弾性)を高精度に再現するためである。
【0008】
ここで、モノマー溶液は、アクリル酸に、架橋剤としてN,N’−メチレンビスアクリルアミド(MBA)を加え、開始剤として過硫酸アンモニウム(APS)を加え、更に加熱により重合反応させたものであるのが好ましい。
かかるモノマー溶液を用いて、型材に流し込み、加熱による重合反応後に水で膨潤させることで、実際の脳の質感に近似している脳モデルを作製することができる。実際の脳の質感に近似しているか否かの判定は、後述するように、実際に手術経験のある医師数名に本脳モデルの触感アンケートをとって判定したものである。
【0009】
特に、架橋剤としてのMBAの濃度は、具体的には上述したモノマー溶液濃度が10重量%の場合に、0.3〜0.5モル%であるのが好適である。さらに好ましくは、モノマー溶液濃度が10重量%の場合に、0.3モル%である。
モノマー溶液濃度が10重量%の場合に、架橋剤としてのMBAの濃度を0.1〜0.9モル%の範囲のサンプルを作製し、その圧縮弾性率を測定するとともに、実際の脳の質感に近似しているか否かについて、実際に手術経験のある医師数名に本脳モデルの触感アンケートを実施して、最適値の知見を得たものである。
医師に対して本脳モデルの触感アンケートを実施した結果から、圧縮弾性率が5000〜15000Paである脳モデルが、実際の脳の質感に近似しているといった統計的データを得た。
【0010】
また、モノマー溶液は、アクリル酸をベースとする以外に、ポリジメチルシロキサン(PDMS)に硬化剤を所定の比率(PDMS:硬化剤=10〜60:1)で添加したものを加熱反応させたものでも好適に用いることが可能である。かかるモノマー溶液を用いて作製した脳モデルも、圧縮弾性率が5000〜15000Paであり、実際の脳の質感に近似しているのである。
ここで、硬化剤を所定の比率(PDMS:硬化剤=10〜60:1)で添加することとしたのは、PDMS:硬化剤=60:1より硬化剤の割合が少ないと、粘着成分が増加し実際の脳との触感が異なるものとなり、脳モデルとして適さないからである。反対に、PDMS:硬化剤=10:1より硬化剤の割合が多いと、硬くなりすぎ、実際の脳との触感が異なるものとなる。
【0011】
また、上記のモノマー溶液に更に着色剤を添加するのがより好ましい。上記のモノマー溶液の色は透明であるため、着色剤を添加することで訓練用として感覚的のみならず視覚的にも理解されやすくするものである。
【0012】
また、脳組織表面形状を再現した型材にモノマー溶液を流し込み、加熱による重合反応後に水で膨潤させたものの表面に形成された溝の底部に、脳血管模型のチューブを埋入させることが好ましい。
脳組織のみならず脳血管の術感をも再現し、これらの配置を任意に制御可能とすることで、あらゆる術部を再現できる脳モデルを得るものである。
【0013】
また、上記の手術訓練用脳モデルに、より好ましくは、くも膜モデルとして、ポリビニルアルコール繊維で形成された不繊布に熱処理を行い更に防水加工を施したものを、更に設ける。くも膜を再現することで、より実際の脳に近い触感が得られることになる。
ここで、脳血管模型のチューブは、シリコンチューブ或いは、ウレタン薄膜を管状に成形したものであることが好ましい。
【発明の効果】
【0014】
本発明の手術訓練用脳モデルによれば、コンピュータ・グラフィック等の仮想的な物を遥かに凌駕して実物に近い触感を再現し得るため、医学生および経験が浅い外科医等の手術教育や手術訓練用の脳モデルに活用できるといった効果がある。
また、医者が患者に対して症状や手術方法等を説明するインフォームド・コンセント用模型や、医師間での術前における手術戦略用の模型としても活用できるといった効果がある。
【発明を実施するための最良の形態】
【0015】
以下、本発明の手術訓練用脳モデルの実施例について、図面を参照しながら詳細に説明していく。ただし、本発明の範囲は、以下の実施例や図示例に限定されるものではなく、幾多の変更及び変形が可能である。
【実施例1】
【0016】
(手術訓練用脳モデルの作製方法)
実施例1の手術訓練用脳モデルは、次の(1)〜(3)の手順で作製する。図1に、本手術訓練用脳モデルの作製フローを示す。
(1)脳組織表面形状を再現した型材の作製
頭蓋骨から形状を採取し、CT画像データからの光造形モデルを用いて、脳組織表面形状を再現した型材を作製する。このとき、脳組織表面形状に表れる多数の溝(脳表面における溝の幅よりも、脳内部の溝の底部の幅が大きく、表面からなだらかに幅が大きくなるような構造をしている)を忠実に再現する。
【0017】
(2)モノマー溶液の調製
先ず、アクリル酸(ナカライテスク株式会社製)を蒸留水に、モノマー溶液濃度が10重量%となるように溶解する。次に、架橋剤としてN,N’−メチレンビスアクリルアミド(MBA,ナカライテスク株式会社製)をモノマーに対して0.75モル%加え、また、開始剤として過硫酸アンモニウム(APS,和光純薬工業株式会社製)を0.5モル%加える。
【0018】
(3)脳モデルの作製
上記(1)で作製した型材に、上記(2)で調製したモノマー溶液を流し込み、70℃に保った恒温水槽中で4時間重合反応を行う。そして、重合反応により生成されたゲル状のものを取り出し、未反応モノマーおよび開始剤残渣を除去するため蒸留水で洗浄する。その後、生成されたゲル状のものを蒸留水中に浸漬し、平衡に達するまで膨潤させる。
【0019】
(手術訓練用脳モデルの圧縮弾性率の測定)
生成されたゲル状のものを蒸留水中に浸漬し、平衡に達するまで膨潤させることにより作製した脳モデルを、図2に示す圧縮試験装置を用いて圧縮弾性率を測定した。
測定は、断面積7.07平方ミリメートルで鉛直方向に可動する円筒状ロッドを用い、圧縮速度0.996mm/秒で行った。ゲル状のものを圧縮する際の応力(τ)と圧縮に伴うゲル状のものの歪(α)から、下記数式を用いて圧縮弾性率(K)を算出している。
但し、歪(α)は、圧縮前のゲル状のものの厚さと、圧縮後のゲル状のものの厚さを積算したものである。
【0020】
(数1)
応力(τ)=K(α−α−2
【0021】
本脳モデルの圧縮弾性率の測定結果を、図3のグラフに示す。グラフの横軸は、架橋剤として添加したN,N’−メチレンビスアクリルアミド(MBA)の濃度(モル%)であり、縦軸は脳モデルの圧縮弾性率(Pa)を示している。
MBAの濃度が0.1,0.3,0.5,0.7および0.9モル%のときの脳モデルの触感について医師数名に対してアンケートを実施したところ、MBAの濃度が0.3モル%のときの圧縮弾性率が7000前後の脳モデルが、実際の脳の質感に近似しているといった知見が得られた。
【0022】
(脳モデルの一部の模式図)
次に、本脳モデルの一部の模式図について説明する。図4は、脳モデルの一部分について原案となった型の模式図を示している。この模式図は、一辺が100mmの立方体に溝がある状態を想定している。具体的には、脳表面から内部に40mmの深さのところに、直径5mmの空洞が広がっていると想定している。また、この空洞部分の内部に2本の血管が通っていると想定している。さらに、脳表面における溝の幅は、1mm以下であり、脳内部の直径5mmの空洞にかけて、なだらかに幅が大きくなる構造をしていると想定している。
【0023】
図5に、上記原案(図4)をベースに作製した型の模式図を示している。一辺が100mmの立方体において、脳内部の空洞は直径5mmのガラス管により再現し、また、脳表面からの溝はガラス板を用いて所定の長さになるように制御している。
また、ガラス管の内部には、血管模型としてシリコンチューブを導入している。
【0024】
図6、図7は、本脳モデルに血管模型のシリコンチューブを取り付け方の説明模式図である。図7は、図6の模式図において、シリコンチューブの長手方向に沿った断面図である。
血管模型のシリコンチューブは、本脳モデルのゲル状のものの外部から針金を通して貫通穴を作製し、この貫通穴にシリコンチューブをゲル状外部から導入し、さらに留め具でゲル状内部に固定させている。
【実施例2】
【0025】
実施例2の手術訓練用脳モデルは、次の(1)〜(3)の手順で作製する。
脳モデルは、モノマー溶液は、ポリジメチルシロキサン(PDMS)に硬化剤を所定の比率(PDMS:硬化剤=10〜60:1)で添加したものを加熱反応させたもの
(1)脳組織表面形状を再現した型材の作製
実施例1と同様に、頭蓋骨から形状を採取し、CT画像データからの光造形モデルを用いて、脳組織表面形状を再現した型材を作製する。このとき、脳組織表面形状に表れる多数の溝(脳表面における溝の幅よりも、脳内部の溝の底部の幅が大きく、表面からなだらかに幅が大きくなるような構造をしている)を忠実に再現する。
【0026】
(2)モノマー溶液の調製
モノマー溶液は、ポリジメチルシロキサン(PDMS)に硬化剤を所定の比率(PDMS:硬化剤=60:1)で添加させる。
ここで、ポリジメチルシロキサン(PDMS)には、東レ・ダウコーニング(株)製のSILPOT184を用いた。
【0027】
(3)脳モデルの作製
上記(1)で作製した型材に、上記(2)で調製したモノマー溶液を流し込み、150℃に保った恒温水槽中で1時間加熱反応を行う。その後、生成されたゲル状のものを蒸留水中に浸漬し、平衡に達するまで膨潤させる。
【実施例3】
【0028】
実施例3では、くも膜モデルの作製方法について説明する。
くも膜モデルとして、ポリビニルアルコール繊維で形成された不繊布に熱処理を行い更に防水加工を施したものを用いる。具体的には、くも膜モデルの材料として、ポリビニルアルコール(-(CH-CHOH)-)の水溶液を10重量%用いる。これを、エレクトロスピニング装置(メック(株)製;NANON−01)とドラム式コレクター(横幅210mm、直径200mm、回転速度100rpm)を用いて、印可電圧12.5KV,溶液押し出し速度0.5ミリリットル/時の条件下で、ポリビニルアルコール繊維を得る。このポリビニルアルコール繊維を、シリンジ移動速度50ミリメートル/秒にて5時間集積して形成された不繊布に熱処理(150℃、15分間)を行い、更に市販の撥水スプレーを不繊布両面に吹きかけ防水加工を施す。以上のようにして、くも膜モデルを作製する。
作製されたくも膜モデルは、実際のくも膜の触感を再現するのみならず、水に対して不溶で、水透過性を抑制するといった効能がある。
また、脳血管模型として、市販医療用ドレッシング(薄いウレタン製フィルム)を管状に成形する。
【産業上の利用可能性】
【0029】
本発明の手術訓練用脳モデルは、医学生および経験が浅い外科医等の手術訓練用模型として、また、医者が患者に対して症状や手術方法等を説明するための模型や、医師間での術前における手術戦略用の模型として有用である。
【図面の簡単な説明】
【0030】
【図1】実施例1の脳モデルの手術訓練用脳モデルの作製フロー図
【図2】圧縮試験装置の構成図
【図3】実施例1の脳モデルの圧縮弾性率の測定結果を示すグラフ図
【図4】脳モデルの一部分について原案となった型の模式図
【図5】原案(図4)をベースに作製した型の模式図
【図6】本脳モデルに血管模型のシリコンチューブを取り付け方の説明模式図
【図7】本脳モデルに血管模型のシリコンチューブを取り付け方の説明断面図
【符号の説明】
【0031】
1 ゲル
2 シリコンチューブ
3 留め具


【特許請求の範囲】
【請求項1】
合成高分子材料から成る脳モデルであって、脳組織表面形状を再現した型材にモノマー溶液を流し込み、加熱反応後に水で膨潤させたものであることを特徴とする手術訓練用脳モデル。
【請求項2】
前記膨潤させたものの表面に形成された溝の底部に、脳血管模型のチューブを埋入させたことを特徴とする請求項1に記載の手術訓練用脳モデル。
【請求項3】
前記モノマー溶液は、アクリル酸に、架橋剤としてN,N’−メチレンビスアクリルアミド(MBA)を加え、開始剤として過硫酸アンモニウム(APS)を加え、更に加熱により重合反応させたものであることを特徴とする請求項1に記載の手術訓練用脳モデル。
【請求項4】
前記モノマー溶液は、ポリジメチルシロキサン(PDMS)に硬化剤を所定の比率(PDMS:硬化剤=10〜60:1)で添加したものを加熱反応させたものであることを特徴とする請求項1に記載の手術訓練用脳モデル。
【請求項5】
前記架橋剤としてのMBAの濃度は、前記モノマー溶液濃度が10重量%の場合に、0.3〜0.5モル%であることを特徴とする請求項3に記載の手術訓練用脳モデル。
【請求項6】
圧縮弾性率が5000〜15000Paであることを特徴とする請求項1乃至5のいずれかに記載の手術訓練用脳モデル。
【請求項7】
前記モノマー溶液に、更に着色剤を添加したことを特徴とする請求項1乃至6のいずれかに記載の手術訓練用脳モデル。
【請求項8】
前記手術訓練用脳モデルに、くも膜モデルとして、ポリビニルアルコール繊維で形成された不繊布に熱処理を行い更に防水加工を施したものを、更に設けたことを特徴とする請求項1乃至7のいずれかに記載の手術訓練用脳モデル。
【請求項9】
前記脳血管模型のチューブは、シリコンチューブ或いは、ウレタン薄膜を管状に成形したものであることを特徴とする請求項2に記載の手術訓練用脳モデル。


【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【公開番号】特開2008−261990(P2008−261990A)
【公開日】平成20年10月30日(2008.10.30)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2007−103961(P2007−103961)
【出願日】平成19年4月11日(2007.4.11)
【出願人】(504150450)国立大学法人神戸大学 (421)
【Fターム(参考)】