説明

漆を常温硬化でガラスおよび陶磁器の表面に塗装する方法

【課題】漆は常温で硬化させるとガラスや陶磁器に対しての密着性がなく、従来は基材に漆を密着させるために焼付塗装を行ってきた。しかし、漆は焼付硬化させると塗膜の光沢や反射率が上昇し、漆が持つ優美な塗膜外観が損なわれてしまう。そこで、本発明が解決しようとする課題は、ガラスおよび陶磁器の表面に耐久性の高い密着力を有し、なおかつ常温で硬化させることで漆膜の外観的な風合いや質感を損なわない漆塗装を施す方法を実現することにある。
【解決手段】塗装する漆にイソシアネート系シランカップリング剤を混合することにより、ガラスや陶磁器の表面に特別な処理を施したり、漆を焼付塗装しなくても、通常の漆の硬化雰囲気での常温硬化で基材に対する強固な密着力を付与することができる。そのため、漆膜特有の外観的な風合いやしっとりとした質感を損なうことのない漆塗装を施すことができる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明はガラスおよび陶磁器の表面に耐久性の高い密着力をもった漆塗装および漆による加飾を施す方法に関するものである。
【背景技術】
【0002】
漆はウルシ科ウルシ属植物の樹皮に傷をつけたとき、油中水滴型のエマルションで分泌する樹液で、常温で乾燥硬化するものをいい、古来より天然の塗料として広く利用されてきた。
【0003】
天然の塗料である漆は、合成樹脂塗料に匹敵する高い塗膜物性を有し、また合成樹脂塗料では得がたい、独特の官能的で優美な塗膜外観としっとりとした質感を有する。
【0004】
このような漆は、主に漆器製造や家具、仏具製造などの木材塗装に利用されるほか、鎧兜、馬具、装身具などの金属への焼付塗装にも用いられてきた。
【0005】
鎧兜などの武具には主に防錆効果を目的として焼付塗装され、また金属製の装身具には焼付けた漆の塗膜をプライマーとして、その上に蒔絵加飾や金箔、銀箔などによる加飾を施すことを目的に焼付塗装されていた。
【0006】
漆の成分はウルシオール(60〜70%)、水(20〜35%)、水溶性多糖類(5〜10%)、糖蛋白(1〜5%)、硬化に寄与する酵素ラッカーゼ(約0.2%)からなることが知られており、漆はラッカーゼの酵素酸化反応により硬化成膜する。
【0007】
ラッカーゼによる漆の硬化雰囲気の最適条件は15〜25℃/65〜85%RHであり、4℃以下および40℃以上の温度ではほとんど硬化しなくなるが、80℃以上の高温をかけることにより焼付塗装が可能になる。
【0008】
高温での焼付塗装では、基材への密着力や硬度、耐水性などの塗膜物性が向上する一方、ラッカーゼの酵素反応にはじまる常温硬化とは硬化成膜にいたる反応形態が異なり漆塗膜の特徴である外観的な風合いや優美さ、しっとりとした質感が損なわれ、光沢や反射率が上昇する。
【0009】
従来のガラスや陶磁器への漆塗装も常温硬化では基材への密着が得られないために前述の焼付塗装が施されていたが、それでも塗膜の密着力は十分とは言えず、外観的にも漆膜の風合いを失っているために、ガラスや陶磁器に漆を塗装することそのものがあまり一般的ではなかった。
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0010】
ガラスや陶磁器に漆を塗装し、常温で硬化させた塗膜の密着性を碁盤目テープ法で評価すると、テープを貼り付けた部分以上に塗膜が剥離してしまうほどその密着性は脆弱である。
【0011】
【特許文献1】特許公開平6-107435
【特許文献2】特許公開平10-194782
【特許文献3】特許公開平11-226490
【0012】
この密着性の問題を解決する方法として、すでに種々の開示が見受けられる。たとえば特公平6-107435「ガラス製インテリア製品及びその製造方法」によれば、シリコーン系アクリル樹脂を介して間接的にガラスに漆を塗装する方法が示されている。
【0013】
また、特公平10-194782「漆加飾を施したガラス製品」では、ガラス表面にサンドブラスト処理を施し、シランカップリング剤を混合した漆を塗装することによって密着性を確保する方策が開示されている。
【0014】
しかしながら、これらどちらの発明においても、たとえば透明なガラスに塗装した場合、塗装面の反対側から見ればシリコーンアクリル樹脂のプライマー層やサンドブラスト処理のあとが露見してしまい、製品製作における意匠性が大きく制約されてしまうという問題があり、多様な商品展開が難しい。
【0015】
また、特公平11-226490「ガラスまたは陶磁器の表面に漆を塗装する方法」によれば、当該発明では洗浄した基材を前処理として60℃の10%NaOH水溶液に浸漬して親水化させ、γ‐アミノプロピルトリエトキシシランまたはγ‐グリシドキシプロピルトリメトキシシラン等のシランカップリング剤を焼付塗装し、基材温度が冷めてからさらに漆を焼付塗装するという塗装方法が開示されている。
【0016】
さらに同発明では、先に示されたシランカップリング剤を漆に混合し、これも同じように焼付塗装する方法も提案されている。
【0017】
しかしながら、当該発明ではいずれの場合でも、漆の塗装はつねに焼付塗装が前提とされている。
【0018】
このため当該発明による塗装工程で得られた漆膜は、たとえガラスや陶磁器基材への密着性を有したとしても、やはり木製漆器のようなラッカーゼの酵素反応硬化によって得られる漆膜特有の外観的な風合いや優美さ、しっとりとした質感を得ることができない。
【0019】
さらに当該発明はその塗装工程が複雑かつ、前処理に用いる強アルカリ水溶液の取扱いに危険が伴うほか、焼付塗装を行うために恒温槽および乾燥機などの設備導入の必要があり、その塗装工程の導入には制約が大きいと云わざるを得ない。
【0020】
そこで、本発明は前述した従来技術の問題点を解消するために成されたものであり、その目的とするところは、ガラスおよび陶磁器の表面に耐久性の高い密着力を有し、なおかつ漆膜としての外観的な風合いや質感を損なうことのない漆塗装を施す方法を実現することにある。
【課題を解決するための手段】
【0021】
上記目的を達成するために、本発明の「漆を常温硬化でガラスおよび陶磁器の表面に塗装する方法」では、塗装する漆に対してイソシアネート系シランカップリング剤を混合することによってガラスおよび陶磁器に対して強固な密着力をもつ漆膜の塗装を実現した。
【発明の効果】
【0022】
これにより、従来不可能であった常温硬化でガラスおよび陶磁器に対して強固な密着力を有し、なおかつ漆膜特有の外観的な優美さやしっとりとした質感を有した漆塗装を実現した。
【0023】
これは、通常の漆の硬化雰囲気と同じ温度や湿度でのいわゆる常温硬化を実現したことにより、従来の漆の焼付塗装のように漆膜特有の外観的な風合いやしっとりとした質感を損なってしまうということがないためである。
【0024】
従って、本発明における漆の塗装工程を用いることによって、ガラスおよび陶磁器の表面に木製漆器のそれと同様に、官能的で優美な漆膜を塗装することができる。
【0025】
さらに本発明における塗装工程では、シリコーンアクリル系樹脂をプライマーとして用いたり、ガラス自体にサンドブラスト処理などを施す必要がないため、その工程は安全かつ簡易であり、製品製作においてはより多くの意匠を実現させることができる。
【0026】
また、漆を焼付塗装する必要がないため、恒温槽や乾燥機などの設備導入も不要である。
【0027】
そして、本発明に係わる塗装工程で漆に混合するイソシアネート系シランカップリング剤の添加量を増やすことで、同じ粘度の漆と比較してタレ止め性を向上させることもできる。
【0028】
またさらに、イソシアネート系シランカップリング剤を混合した漆は塗り重ねることができ、この漆同士、あるいはこの漆とイソシアネート系シランカップリング剤を混合していない漆との相間密着性はいずれも良好である。
【0029】
このようにすると、より塗膜の耐久性が向上するほか、ガラスや陶磁器自体を漆塗膜で補強するという効果も向上する。
【0030】
また、塗り重ねることによって、漆による変わり塗りや蒔絵による加飾などが可能となり、より意匠性の高い製品製作が実現できる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0031】
ここで、本発明による漆の塗装工程を実施するための最良の形態を説明する。
【0032】
まず、塗装を行うガラスおよび陶磁器基材の表面に付着している指紋などの油分、埃などを溶剤で拭き取る(脱脂)。この脱脂には、例えばイソプロピルアルコールやエタノールなどのような低沸点の溶剤を用い、これは脱脂後すばやく揮発する溶剤であればよい。
【0033】
また、基材の汚れがひどい場合には脱脂前に酸化セリウム系研磨剤などを用いて研磨、洗浄してもよい。
【0034】
次に塗装する漆に対して0.5〜20重量%のイソシアネート系シランカップリング剤を混合し、これを刷毛、スプレー、その他の塗装機器を用いて塗布する。
【0035】
ここで用いる漆としては、いずれも旧・日本精漆工業協同組合の定義によるところの、濾上げ生漆、透無油精製漆、黒無油精製漆、透有油精製漆、黒有油精製漆、梨子地漆があげられる。
【0036】
そしてこれらの漆には、本発明の効果を阻害しない程度に、乾性油、ロジン、ガンボージ、顔料、金属粉などの伝統的に漆に混合される添加物や溶剤、そして分散剤、消泡剤、表面調整剤、レベリング剤、粘度調整剤、造膜助剤、タレ止め剤、沈降防止剤、艶消剤、カップリング剤、光開始剤、硬化促進剤、重合禁止剤、紫外線吸収剤、シリカ、タルク、アルミナなどの塗料用添加剤やフィラーを混合することもできる。
【0037】
また、前述したイソシアネート系シランカップリング剤としては、式OCNCH2CH2CH2Si(OCH2CH3)3 で表される、γ-イソシアネートプロピルトリエトキシシラン、または式OCNCH2CH2CH2Si(OCH3)3 で表される、γ−イソシアネートプロピルトリメトキシシランなどのイソシアネート基を有するものを用いることで、ガラスや陶磁器に対しての密着力を得ることができる。
【0038】
そして、上記のようにして塗装した漆を常温にて硬化させる。先にも記したように、漆膜の硬化最適条件は温度が15〜25℃で湿度が65〜85%RHであり、塗布量との兼合いもあるが、一般的には指触乾燥に4〜6時間程度、完全に硬化するまでに3日から1週間程度が必要と知られている。
【0039】
この硬化に関する工程においては、伝統的な漆塗装と同様に「漆室(うるしむろ)」や「回転室(かいてんむろ)」などの乾燥庫を使用することもできる。
【実施例1】
【0040】
フロートガラスをイソプロピルアルコールを用いて脱脂し、この基材に透無油精製漆に対して2重量%のγ-イソシアネートプロピルトリエトキシシランを混合した漆と、混合しなかった漆を、それぞれ50μmアプリケーターで塗装した。
【0041】
これらを20〜25℃/60±5%RHの環境で12時間常温硬化させた後、20〜25℃/70〜80%RHの環境で5日間養生した。これにより得られた漆塗膜の密着力を碁盤目テープ法により評価した結果、γ-イソシアネートプロピルトリエトキシシランを混合しなかった漆塗膜は簡単に剥離してしまったが、2重量%添加した本発明に係わる漆塗膜は剥離がなくその密着性は良好なものであった。
【実施例2】
【0042】
透有油精製漆に対して、重量比8:2の割合で朱色の有機顔料を混合し、そのようにして練りあわせた漆に、さらに1.6重量%のγ-イソシアネートプロピルトリエトキシシランを混合した朱漆を配合した。
【0043】
この朱漆をイソプロピルアルコールで脱脂したガラスコップの表面に漆刷毛を用いて塗装し、これを20〜25℃/60±5%RHの環境で12時間常温硬化させた後、20〜25℃/70〜80%RHの環境で5日間養生した。
【0044】
これにより得られた本発明に係わる漆塗装の施されたガラスコップに対して、温水試験と沸騰水試験をそれぞれ行い、碁盤目テープ法により温水、沸騰水試験の実施前と実施後の塗膜の剥離状況を比較した。
【0045】
まず、ここでいう温水試験とは、80℃の温水に塗装したガラスコップを4時間浸漬した後、これを80℃で4時間乾燥させる工程を1サイクルとして、これを3サイクル繰り返し行うものであるが、温水試験の実施前および実施後において、ともに塗膜の剥離がなく、良好な密着性が確認された。
【0046】
また沸騰水試験は、塗装したガラスコップを沸騰水中に1時間浸漬した後、これを80℃で1時間乾燥させるというものであるが、この試験の場合も実施前および実施後において、ともに塗膜の剥離がなく、本発明に係わる塗装工程での基材に対する密着性が確認された。
【実施例3】
【0047】
本発明による漆の塗装工程で得られた漆塗膜がガラスおよび陶磁器に対しての密着力を有する一方で、漆膜特有の外観的特性を損なうことがないということを確認するために、以下に(試料A)〜(試料C)を作成し、その光沢、色差、反射率を測定し、これを比較した。
【0048】
(試料A)はイソプロピルアルコールで脱脂したスライドガラスに黒有油精製漆を50μmアプリケーターで塗装したものである。
【0049】
(試料B)はイソプロピルアルコールで脱脂したスライドガラスに黒有油精製漆に対して2重量%のγ-イソシアネートプロピルトリエトキシシランを混合し、これを50μmアプリケーターで塗装したものである。
【0050】
なお、(試料A)および(試料B)において塗装した漆はいずれも、20〜25℃/60±5%RHの環境で12時間常温硬化させた後、20〜25℃/70〜80%RHの環境で5日間養生させた。
【0051】
(試料C)はイソプロピルアルコールで脱脂したスライドガラスに、黒有油精製漆を50μmアプリケーターで塗装後、150℃で2時間、焼付硬化させたものである。
【0052】
図1は(試料A)〜(試料C)の光沢(60°)と測色データおよび(試料A)を基準とした時の色差(ΔE)を表した一覧表であるが、これによれば、焼付塗装を行った(試料C)は(試料A)と比較して光沢が約20ほど上昇していることがわかり、また色差(ΔE)も1.25とやや大きい。これに対して本発明に係わる(試料B)は光沢、色差ともに漆をそのまま塗装した(試料A)との差がほとんどない。
【0053】
図2は(試料A)〜(試料C)の反射率を分光光度計を用いて測定したグラフであるが、(試料C)の反射率は(試料A)および(試料B)のそれと比較して突出して上昇してしまっていることがわかる。これに対して本発明に係わる(試料B)の反射率は(試料A)と同様の特徴をあらわし、その数値的な差もごく僅かなものである。
【0054】
また、目視による判定でも(試料A)と(試料B)の間に外観的な差異は見受けられないが、焼付塗装を行った(試料C)においては顕著に光沢が上昇し、塗膜の質感が変化していることは明らかであった。
【産業上の利用可能性】
【0055】
通常の漆の硬化雰囲気と同じ温度や湿度での塗装工程でガラスおよび陶磁器の表面に漆を密着させることを実現したことにより、木製漆器のそれと同様に官能的で優美な漆膜をガラス食器などに塗装することができる。これによって、意匠性の高い漆塗装や蒔絵の施されたガラス食器、ならびに陶磁器を簡単に生産することができる。
【図面の簡単な説明】
【0056】
【図1】(試料A)〜(試料C)の光沢(60°)と測色データおよび(試料A)を基準とした時の色差(ΔE)を表した一覧表である。
【図2】(試料A)〜(試料C)の反射率を分光光度計を用いて測定したグラフである。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
ガラスおよび陶磁器の表面にイソシアネート系シランカップリング剤を混合した漆を塗装し、これを4〜40℃の常温常圧で硬化させる工程を特徴とした漆の塗装方法。
【請求項2】
請求項1において、塗装前の漆に乾性油、ロジン、ガンボージ、顔料、金属粉またはそれらを併用して事前に混合しておく工程を特徴とした漆の塗装方法。
【請求項3】
請求項1および2の方法を用いて漆を塗布すること、あるいは塗布した漆に金属粉や乾漆粉などを蒔きつけること、または金属箔などを貼り付けることによって、漆の変わり塗、漆絵加飾および蒔絵加飾、乾漆粉による加飾、そして金属箔などによる加飾をすることを特徴とした漆の塗装方法。

【図1】
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【図2】
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【公開番号】特開2009−183903(P2009−183903A)
【公開日】平成21年8月20日(2009.8.20)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2008−28233(P2008−28233)
【出願日】平成20年2月7日(2008.2.7)
【出願人】(708000373)
【Fターム(参考)】