説明

神経細胞分化誘導剤

【課題】 簡便、安価でかつ有効な神経細胞分化誘導手段を提供する。
【解決手段】2価のコバルト塩を、神経細胞分化誘導剤として使用する。2価のコバルト塩は、特定濃度で、分化能を有する未分化の神経細胞を分化誘導する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、2価のコバルト塩を有効成分とする神経細胞分化誘導剤及び該分化誘導剤を使用した神経細胞の分化誘導方法に関し、さらに、VIC遺伝子又はET-2遺伝子発現増強剤、IL-6遺伝子発現増強剤及びET-1遺伝子発現抑制剤、並びに神経細胞障害の予防あるいは治療剤及び神経系腫瘍に対する分化誘導療法剤に関する。
【背景技術】
【0002】
近年、バイオテクノロジーの分野において、細胞の分化メカニズムが注目されている。このメカニズムの研究には、実際に細胞を分化させることや分化した細胞が必要であり、そのための効率の良い方法が求められている。
分化した細胞を調製するための方法としては、従来、nerve growth factor(NGF)等の成長因子を培養液に添加する方法(非特許文献1参照)、interleukin-6 (IL-6)のようなサイトカインを培養液に添加する方法(非特許文献2参照)、細胞培養用の恒温装置内で酸素濃度をコントロールし、生体での酸素濃度を模倣した低酸素濃度培養により分化させる方法(特許文献1参照)、放射線を照射することで分化させる方法(非特許文献3参照)、培養液に電圧を印加することで分化させる方法(特許文献2参照)等が知られている。
【0003】
一方、従来、抗腫瘍剤の多くは、正常細胞、癌細胞問わずに細胞死を誘導するため、生体の中でも特に、骨髄細胞、毛母細胞、腸管粘膜細胞など増殖の盛んな正常細胞に対する副作用が問題となっている。癌細胞を分化誘導すると、増殖性を喪失し、アポトーシス(細胞死)が誘発されるとともに、移植性や造腫瘍性が喪失することなどが明らかになりつつある。そこで腫瘍細胞に対して、特異的に分化を誘導させる物質は、従来にない新しい制癌剤になることが考えられる。現在まで、白血球系の腫瘍に対する分化誘導療法の検討は数多くなされているが(非特許文献4参照)、神経系の腫瘍に対する分化誘導療法についての報告は少ない。
【0004】
また、近年の老人人口の増加に伴って老人性痴呆病などの脳疾患等の増加が懸念される他外傷、代謝性の要因、脳虚血、パーキンソン病またはダウン症等によっても脳神経細胞障害が生じる。すなわち、加齢、内的要因、外的要因により神経が障害を受けると病的症状が発現する。たとえば中枢神経ではアルツハイマー病や脳血管障害による痴呆、脳挫傷等による意識障害、パーキンソン病による振戦や筋硬直等が、また末梢神経では筋萎縮性側索硬化症、脊髄性筋萎縮症や事故等に伴う神経損傷による運動機能障害、糖尿病、尿毒症、ビタミンB1欠乏、ビタミンB12欠乏、慢性肝障害、サルコイドーシス、アミロイドーシス、甲状腺低下症、癌、血管炎、シェーグレン症候群、感染症に伴う免疫異常、遺伝性疾患、物理的圧迫、薬剤(制癌剤、抗結核剤、抗てんかん剤等)、または中毒(砒素、タリウム、二硫化炭素等)等によるニューロパチーが良く知られている。
これらの障害において神経が不可逆的損傷を受けた場合、再生・修復は困難であると考えられてきた。これらの神経疾患における有効な治療法の確立が急務であり、有効な治療薬の開発が強く望まれている。
【0005】
このような状況下、近年、神経分化を誘導することが脳疾患の治療に有効であると提唱されている。
神経栄養因子はニューロンの分化誘導、生存維持に関与する一群の蛋白質性化合物であり、その代表的な物質としてNGFが知られている。このような神経栄養因子は中枢神経、末梢神経のいずれにおいても神経の分化、生存維持、修復に深く関与していることが明らかになってきている。神経細胞の増殖・分化因子は、神経発生に深く関与している他、筋萎縮性側索硬化症、抗癌剤等による薬剤障害性末梢神経障害、糖尿病性の末梢神経障害などの疾患にも関与していると考えられる。従って、神経細胞の増殖や分化を制御する因子は、これらの疾患の治療や予防に用いることが可能である。さらに該因子は、上記疾患に加え、アルツハイマー病、パーキンソン病等の中枢神経系の疾患に対する治療薬や予防薬となり得る。そこで、神経栄養因子の神経に対する作用を応用すれば神経障害の治療が可能ではないかという仮説から、神経栄養因子の医薬品としての開発が検討され、実際、神経障害の治療薬として使用し得ることも示唆されている(非特許文献5参照))。しかし、NGFは分子量約5万の蛋白質であり、生体で容易に分解を受けやすい。また、神経障害の治療には長期間を有することから投与法や製剤化の開発は容易ではないため、その適用には限界がある。
【0006】
【特許文献1】特表2002-530067号公報
【特許文献2】特願平2-263823号公報
【非特許文献1】Proc. Natl. Acad. Sci. USA、73巻、2424-2428項 (1976)
【非特許文献2】Mol. Cell Biol.、8巻、3546-3549 項 (1988)
【非特許文献3】FEBS Lett.、364巻、298-300項 (1995)
【非特許文献4】Proc. Natl. Acad. Sci. USA、77巻、2936-2940項 (1980)
【非特許文献5】Science、264巻、772-774項 (1994)
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
上記従来技術において使用されているNGFなどの神経細胞分化誘導因子は、哺乳動物などの生体の特定部位にのみ極微量に存在するものである。したがって、これらの神経細胞分化誘導因子を大量に集めることは困難であり、非常に高価なものとなる。また、NGFなどを培養液に添加して分化誘導を行う以外に、放射線の照射による分化、低酸素で培養することによる分化、電圧を印加することによる分化がある。これらの方法による分化は、特殊あるいは高価な機器が必要であり、非常にコストや手間がかかる。したがって、本発明の課題は、神経細胞への分化誘導手段として、簡便、安価、かつ有効な分化誘導手段を提供することにある。

【課題を解決するための手段】
【0008】
本発明者等は、上記課題を解決すべく、未分化の神経系細胞を分化誘導し得る物質について鋭意探索した結果、低酸素を擬似的に引き起こすと考えられている物質のうち、全く意外にも簡単な無機化合物である、塩化コバルトが特定の濃度で神経細胞分化を顕著に誘導できることを見いだした。さらに、酢酸コバルト、硝酸コバルト、硫酸コバルト、コバルトチオシアネートのような他の2価コバルト塩についても、塩化コバルトと同様の神経細胞分化が誘導されることを見出した。また、この塩化コバルトによる分化誘導の原因を解明する過程において、塩化コバルトがVIC遺伝子又はET-2遺伝子(以下、VIC/ET-2という)、IL-6遺伝子の発現を増強し、ET-1遺伝子発現を抑制することを見いだし、さらに、上記したNGF等の神経細胞分化誘導因子が神経細胞障害の治療薬となり得るとの上記知見及び該塩化コバルトはビールの泡の安定剤、ビタミンB12の製造原料、ヒトには必須超微量元素の一つ、そして慢性腎不全での鉄欠乏症治療の際に鉄剤と共に大量補充(20から30mg/日)が推奨されている物質であり、低毒性であることから、この塩化コバルトをはじめとする2価コバルト塩も神経細胞障害の治療薬となり得るとの結論に達し、本発明を完成するに至った。
【0009】
すなわち、本発明は、以下に示すとおりである。
(1) 2価のコバルト塩を有効成分として含有することを特徴とする、神経細胞分化誘導剤。
(2) 2価のコバルト塩を有効成分として含有することを特徴とする、VIC遺伝子又はET-2遺伝子発現増強剤。
(3) 2価のコバルト塩を有効成分として含有することを特徴とする、IL-6遺伝子発現増強剤。
(4) 2価のコバルト塩を有効成分として含有することを特徴とする、ET-1遺伝子発現抑制剤。
(5) 2価のコバルト塩を有効成分として含有することを特徴とする、神経細胞障害の予防あるいは治療剤。
(6) 未分化の神経系細胞に2価のコバルト塩溶液を接触させ、神経細胞への分化誘導を行うことを特徴とする、神経細胞分化誘導方法。
(7) 2価のコバルト塩溶液のコバルト塩濃度が110〜290μM/Lであることを特徴とする、上記(6)に記載の分化誘導方法。

【発明の効果】
【0010】
本発明によれば、極めて安価かつ簡単な無機化合物である2価のコバルト塩を用いて、有効に神経細胞分化を誘導できる。例えば、この2価のコバルト塩を有効成分として含有する神経分化誘導剤は神経細胞の細胞培養、組織培養の培地添加物として極めて有用であり、成長因子等の高価な試薬や特殊あるいは高価な装置を用いることなく、神経細胞分化を誘導でき、簡便かつ安価な細胞の分化方法が提供される。また、2価のコバルト塩は、それ自体が神経細胞の分化誘導剤として有用であるばかりではなく、ヒトをはじめとする哺乳動物における脳神経系の研究や、該研究の成果に基づく新しい治療又は診断薬開発に極めて重要な意義を有する。
【0011】
さらに、2価のコバルト塩は、NGF 及びIL-6と同様に、神経細胞への分化を誘導することから、神経細胞死を伴う各種疾患(例えば、アルツハイマー病やパーキンソン病など)の治療薬或いは予防薬として使用しうる。
また、VIC/ET-2、ET-1、IL-6の遺伝子発現は神経細胞死の制御に関与しているので、この観点からも、VIC/ET-2、ET-1、IL-6の活性を制御する2価のコバルト塩は、アルツハイマー型痴呆症および一般の老人性痴呆症、運動ニューロン障害(筋萎縮性側索硬化症など)、糖尿病性の末梢神経障害など神経が関与する疾患の新しい予防薬や治療薬になりうる。その他、2価のコバルト塩は、神経系腫瘍に対して神経分化誘導することによる治療薬になりうる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0012】
本発明は、2価のコバルト塩を有効成分として含有する神経細胞分化誘導剤に関するものであり、本発明において、塩化コバルトの神経細胞分化誘導作用は、PC−12細胞及びNeuro 2a細胞を使用した分化誘導実験系において見いだされた。PC−12細胞は、ラット副腎髄質褐色細胞腫よりクローン化された細胞株であり、神経分化実験のモデル細胞として使用されており、PC−12細胞はNGFを添加することにより細胞の増殖を停止し、神経突起を有する神経細胞へ分化することが知られている。また、Neuro 2a細胞はマウス神経芽種細胞からクローン化された細胞株であり、神経分化能を有している。2価のコバルト塩もPC−12細胞及びNeuro 2a細胞の増殖を抑制し、該細胞を神経突起を有する神経細胞に分化させる。すなわち、2価のコバルト塩は未分化の神経系細胞を神経細胞へ分化誘導する。
また、本発明においては、塩化コバルトは、上記PC−12細胞を使用した神経細胞分化誘導実験系において、vasoactive intestinal contractor (VIC)/endothelin-2(ET-2)遺伝子、インターロイキン−6(IL-6)遺伝子の発現を増強し、endothelin-1(ET-1)の発現を抑制することを確認している。
【0013】
IL-6は、各種細胞の分化に関与し、上記NGFと同様にPC−12細胞を分化させることが知られており、塩化コバルトの分化誘導メカニズムは、最終的にはIL-6の発現増強によるものといえる。
また、vasoactive intestinal contractor (VIC)は、endothelin (ET) ファミリーペプチドの1つで、ヒトET-2のマウス・ラットオルソローグと考えられている(Genomics、10巻、236-242項 (1991))。VIC/ET-2遺伝子は腸管で多く発現している(J. Biol. Chem.、264巻、14613-14616項 (1989))他、子宮、精巣、小脳などでも、かなり高発現している(J. Biotechnol.、84巻、187-192項 (2001))。さらに、胎児の発達と共に発現が強まり、誕生に関与する重要な因子の可能性がある(Genomics、64巻、51-61項 (2000)。また、最近、ヒト乳癌細胞において、低酸素の部位ではET-2の発現が高く、ET-2が生存因子として作用することが示唆された(Mol. Cancer Ther.、1巻、1273-1281項 (2002))。一般に、低酸素状態の癌細胞部位は転移しやすく(Int. J. Cancer、 80巻、617-623項 (1999)、Cancer Res.、64巻、2461-2468項 (2004))、テロメラーゼ活性も高い(Biochem. Biophys. Res. Commun.、260巻、365-370項 (1999))ことが知られており、低酸素部位へは化学療法、放射線療法共に、その効果が低減する。
【0014】
しかしながら、一方で、神経細胞死を伴う神経疾患では、上記とは逆に、VIC/ET-2が生存因子として作用することで、神経細胞死を防ぐ可能性がある。そのためVIC/ET-2の発現を神経細胞で高めるような物質も、神経疾患治療・予防薬となり得る。また、ET-1は、最初、血管内皮細胞培養液から単離された血管収縮ペプチドである(Nature、352巻、411-415項 (1988))。ET-2とVICのアミノ酸組成は、21個のアミノ酸の内で、それぞれ2個と3個がET-1 のそれと異なる。ET-1はエンドセリンファミリーの中では、生体内に最も広く、また量的にも比較的多く分布しており、様々な生体調節機能を有していることがわかってきている。塩化コバルトが、VIC/ET-2遺伝子、インターロイキン−6(IL-6)遺伝子の発現を増強し、endothelin-1(ET-1)の発現を抑制することは、これら遺伝子の発現タンパク質が密接に関連して神経細胞の分化に関与していることを示唆する。このような知見は、神経細胞分化メカニズムの解明、該解明をとおして、新規な医薬品開発の研究開発において重要であり、本発明の、神経細胞分化誘導剤、VIC/ET-2遺伝子、IL-6遺伝子の発現増強剤、ET-1遺伝子の発現抑制剤は、このような研究において有用な試薬となりうる。
【0015】
本発明において使用する塩化コバルトは、低酸素を擬似的に引き起こすと考えられている物質であるが、同様な作用を有する物質である、例えばデフェロキサミン、ピコリン酸は有意な分化誘導能を示さない。塩化コバルトのみが神経細胞分化誘導能を示す。また、酢酸コバルト、硝酸コバルト、硫酸コバルト、コバルトチオシアネートなどの2価のコバルト塩についても、塩化コバルト同様に、神経細胞分化誘導能を示すことを確認した。ここに挙げた5種類以外の2価のコバルト塩も神経細胞分化誘導能を示すことは容易に想像できる。
本発明における、神経細胞の分化誘導は、神経(様)細胞への分化能を有している培養細胞に2価のコバルト塩溶液を接触させて行う。
2価のコバルト塩の濃度は、培養細胞含有培地において110〜290μM/L、好ましくは140〜250μM/L、さらに好ましくは150〜210μM/Lの濃度になるように添加する。
この濃度範囲で添加する場合、VIC/ET-2遺伝子およびIL-6遺伝子の発現を増強させ、神経細胞への分化を増強する。110μM/Lより低濃度の添加では、分化誘導作用を示さず、また、290μM/Lより高濃度の添加では、細胞のディッシュへの接着阻害や細胞死を引き起こす。
【0016】
また、本発明の細胞障害予防あるいは治療剤は、神経細胞への分化を促進して、神経細胞を産生乃至は再生させ、退行、減少又は細胞死した神経細胞を補う。本発明の薬剤の対象神経性疾患を具体的に例示すると、たとえば中枢神経系の障害として、アルツハイマー病や脳血管障害による痴呆、脳挫傷等による意識障害、パーキンソン病による振戦や筋硬直等が挙げられ、また、末梢神経系の障害として、筋萎縮性側索硬化症、脊髄性筋萎縮症や事故等に伴う神経損傷による運動機能障害、糖尿病、尿毒症、ビタミンB1欠乏、ビタミンB12欠乏、慢性肝障害、サルコイドーシス、アミロイドーシス、甲状腺低下症、癌、血管炎、シェーグレン症候群、感染症に伴う免疫異常、遺伝性疾患、物理的圧迫、薬剤(制癌剤、抗結核剤、抗てんかん剤等)、または中毒(砒素、タリウム、二硫化炭素等)等によるニューロパチーが挙げられる。
【0017】
本発明の神経細胞障害予防剤あるいは治療薬としての2価のコバルト塩のヒトへの投与方法は、経口的、非経口的いずれのルートによっても良い。2価のコバルト塩は、単独でまたは通常用いられる医薬担体と配合して使用される。担体と配合される場合、2価のコバルト塩の含有量は、調剤により適宜選択されれば良い。2価のコバルト塩の含量は、製剤により種々異なるが、通常0.1〜100重量%であることが好ましい。投与量は患者の年齢、性別、体重、症状、治療目的等により決定されるが、一般に、成人の患者に対して、通常経口投与の場合、1〜1000mg、非経口投与の場合、0.01〜100mgを1日1回〜数回に分けて投与することができる。この投与量は疾病の種類、患者の年齢、体重、症状などにより適宜増減することができる。
また、神経細胞の細胞培養あるいは組織培養において培養添加物として使用することができる。さらに、2価のコバルト塩を有効成分として含有する健康食品(サプリメントや飲料剤)として使用することができる。

以下に、本発明の実施例を具体的に示すが、本発明はこれら実施例に限定されるものではない。
【実施例】
【0018】
(1) ラット副腎髄質由来細胞株PC−12の増殖抑制−1
滅菌したダルベッコ変法イーグル培地に5%牛胎児血清と5%馬血清を添加した。PC−12細胞を5千個/100μLになるように96穴プレートに加え、37℃、5%CO2下に24時間培養した。24時間後、細胞が容器に付着してから該培地に、塩化コバルト、デフェロキサミン、ピコリン酸の滅菌水溶液をそれぞれ、該培地おいて0μM(コントロール)、50μM、100μM、150μM、200μM、300μM及び500μMの濃度になるように添加した試験培地に交換して、さらに3日間培地交換しないで培養し、MTT法(J. Immunol. Methods、65巻、55-63項 (1983))により、細胞増殖抑制能を評価した。結果を図1に示す。
【0019】
図1の結果によれば、塩化コバルトとデフェロキサミン添加では、濃度依存的に増殖能が失われたのに対し、ピコリン酸添加では、PC−12細胞の増殖抑制作用をほとんど示さなかった。
PC-12細胞は、ラット副腎髄質褐色細胞で、神経成長因子(NGF)、インターロイキン6(IL-6)やその他の神経分化誘導剤の刺激により神経細胞様に分化して、神経突起を伸ばす特徴があり、一般に、分化した細胞は増殖能を失う。すなわち、本実験条件下ではピコリン酸は分化誘導能などの生物活性は有していないと判断できる。
【0020】
(2)ラット副腎髄質由来細胞株PC−12における神経突起の伸張能−1
上記(1)と同様な培地において、PC−12細胞を2万個/400μLになるようにコラーゲンコートした48穴プレート加え、37℃、5%CO2下に24時間培養した。24時間後、細胞が容器に付着してから塩化コバルトとデフェロサミンをそれぞれ0μM(コントロール)、50μM、100μM、150μM、200μMの濃度で添加した試験培地に交換して、さらに3日間培地交換しないで培養し、位相差顕微鏡により形態観察をした。顕微鏡観察によって神経突起の伸張を評価した結果を図2及び図3に示す。塩化コバルトを150μMあるいは200μM添加することにより、試料細胞の神経突起の著しい伸張が観察された(図2)。即ち、塩化コバルトの神経成長作用が認められた。しかし、デフェロキサミン添加では、塩化コバルト添加時のような著しい神経突起延長は認められなかった(図3)。この結果は、低酸素を擬似的に引き起こすと考えられている物質ではなく、コバルト塩に神経分化誘導作用があることを示している。そこで次に、塩化コバルト以外の4種類の2価のコバルト塩について、神経分化誘導能を調べた。
【0021】
(3)ラット副腎髄質由来細胞株PC−12の増殖抑制−2
上記(1)と同様な方法において、酢酸コバルト、硝酸コバルト、硫酸コバルト、コバルトチオシアネートの滅菌水溶液をそれぞれ、該培地おいて0μM(コントロール)、100μM、200μM、300μM及び500μMの濃度になるように添加した試験培地に交換して、さらに3日間培地交換しないで培養し、MTT法により、細胞増殖抑制能を評価した。結果を図4に示す。図4の結果によれば、塩化コバルト添加の場合と同様、培地への4種類のコバルト塩添加では、濃度依存的に増殖能が失われた。
【0022】
(4) マウス神経芽種細胞株Neuro 2aの増殖抑制
滅菌したMEM (minimum essential medium) 培地に10%牛胎児血清を添加した。Neuro 2a細胞を5千個/100μLになるように96穴プレートに加え、37℃、5%CO2下に24時間培養した。24時間後、細胞が容器に付着してから該培地に、塩化コバルト、酢酸コバルト、硝酸コバルト、硫酸コバルト、コバルトチオシアネートの滅菌水溶液をそれぞれ、該培地おいて0μM(コントロール)、100μM、200μM、300μM及び500μMの濃度になるように添加した試験培地に交換して、さらに3日間培地交換しないで培養し、MTT法により、細胞増殖抑制能を評価した。結果を図5に示す。 図5の結果によれば、培地への5種類のコバルト塩添加では、濃度依存的に増殖能が失われた。
Neuro 2a細胞は、マウス神経芽種細胞で、PC-12細胞同様、神経分化誘導剤の刺激により神経細胞様に分化して、神経突起を伸ばす特徴があり、一般に、分化した細胞は増殖能を失う。
【0023】
(5)ラット副腎髄質由来細胞株PC−12における神経突起の伸張能−2
上記(3)と同様な方法において、酢酸コバルト、硝酸コバルト、硫酸コバルト、コバルトチオシアネートをそれぞれ0μM(コントロール)、50μM、100μM、150μM、200、300μMの濃度で添加した試験培地に交換して、さらに3日間培地交換しないで培養し、位相差顕微鏡により形態観察をした。顕微鏡観察によって神経突起の伸張を評価した結果を図6に示す。コバルト塩を150μMあるいは200μM添加することにより、試料細胞の神経突起の著しい伸張が観察された(図6)。即ち、塩化コバルト以外の2価のコバルト塩にも神経成長作用が認められた。
【0024】
(6)マウス神経芽種細胞株Neuro 2aにおける神経突起の伸張能
上記(4)と同様な培地において、Neuro 2a細胞を2万個/400μLになるように48穴プレート加え、37℃、5%CO2下に24時間培養した。24時間後、細胞が容器に付着してから塩化コバルト、酢酸コバルト、硝酸コバルト、硫酸コバルト、コバルトチオシアネートをそれぞれ0μM(コントロール)、50μM、100μM、150μM、200、300μMの濃度で添加した試験培地に交換して、さらに3日間培地交換しないで培養し、位相差顕微鏡により形態観察をした。顕微鏡観察によって神経突起の伸張を評価した結果を図4に示す。コバルト塩を150μMあるいは200μM添加することにより、試料細胞の神経突起の著しい伸張が観察された(図7)。即ち、PC−12細胞だけではなく、Neuro 2a細胞においても、2価のコバルト塩の神経成長作用が認められた。
これらの結果から、濃度を調節した2価のコバルト塩を培養液に添加することで、NGFのような高価な試薬あるいは、分化に必要な特殊または高価な機器を使用することなく、極めて簡単に分化した神経細胞が得られることが明らかである。
【0025】
(7)ラット副腎髄質由来細胞株PC−12の細胞死
上記(2)の培養条件において塩化コバルト300μM以上の添加では、ほとんどの培養細胞はシャーレの底から剥がれており、塩化コバルトによる接着阻害あるいは細胞死誘導が引き起こされていた。次いで、アポトーシスの有無を次のようにして検出した。上記(1)と同様な培地において、PC−12細胞を50万個/10mLになるように10cmディッシュに加え、37℃、5%CO2下に24時間培養した。24時間後、細胞が容器に付着してから塩化コバルトをそれぞれ0μM(コントロール)、200μM、300μM、500μMの濃度で添加した試験培地に交換して、さらに3日間培地交換しないで培養した。このようにして得られた培養物をPBSで2回洗浄し、その後0.5ml(10cmディッシュ1枚当たり)の可溶化液(50 mM Tris-HCl、100 mM EDTA、0.5% SDS at pH 8.0)に溶解した。その後、RNase A処理、プロテイナーゼK処理、フェノール処理を行い、DNAを抽出した。2%アガロースゲルで電気泳動を行い、エチジウムブロマイドに染色後、UV下で観察した。図8に示したように塩化コバルト500μMの添加では明らかに細胞死が引き起こされていたが、200μMでは、全く細胞死を検出できなかった。この結果から、塩化コバルト200μM添加での細胞増殖抑制能は、明らかに、分化誘導能に起因する。
【0026】
(8)分化誘導時の各遺伝子の発現状態
上記(1)と同様な培地において、PC−12細胞を15万個/3mLになるように6cmディッシュに加え、37℃、5%CO2下に24時間培養した。24時間後、細胞が容器に付着してから塩化コバルトをそれぞれ0μM(コントロール)、100μM、200μM、300μM、500μMの濃度で添加した試験培地に交換して、さらに0、3、6、24時間培地交換しないで培養した。このようにして得られた培養物を、PBSで3回洗浄し、その後0.5 ml(6cmディッシュ1枚あたり)ISOGEN(日本ジーン社)で可溶化し、その後-80℃で保存した。製造業者(日本ジーン社)の推奨に従い、RNA抽出を行った。ひとつの条件につき1mgのRNA逆転写に、RNA PCR Kit (Takara)を用いた。プライマー配列、サイクル数及びアニーリング温度を以下の表1に示す。
【0027】
【表1】

【0028】
次いで3%アガロースゲルを用いた電気泳動を行った。電気泳動後、ゲルをエチジウムブロマイドで染色し、UV下で写真撮影を行った。増幅産物は、サイズ別に同定し、さらに、それぞれのバンドにおけるエチジウムブロマイドの蛍光強度をNIH Imageを用いて定量した。図9及び10は、塩化コバルト0〜500μM添加した時の各遺伝子発現のRT-PCRによる評価を示す。データは18SrRNA発現量に対して標準化した。著しい神経突起の延長が認められた塩化コバルト200μM添加の、1、3、6、24時間培養後では、VIC/ET-2は著しく発現誘導され、同時に、ET-1は発現抑制された。しかし、明らかにアポトーシスを誘導する濃度500μMの添加では、1〜6時間後、VIC/ET-2は一時的に発現誘導されたが24時間後は、VIC/ET-2は全く検出できないレベルにまで発現抑制された。逆にET-1は一時的に発現抑制されたが、24時間後は、コントロールレベルにまで回復した。さらに、塩化コバルト200μM添加24時間後でIL-6は発現誘導されたが、500μM添加では発現抑制された。
【0029】
この結果は、VIC/ET-2遺伝子やET-1遺伝子が、2価のコバルト塩による未分化の神経細胞の分化の制御に大きく関わっていること、および2価のコバルト塩による未分化の神経細胞の分化誘導メカニズムに、IL-6が関与していることを示す。

【図面の簡単な説明】
【0030】


【図4】

【図5】

【図1】

【図2】

【図3】

【図6−1】

【図6−2】

【図7−1】

【図7−2】

【図8】

【図9】

【図10】


【特許請求の範囲】
【請求項1】
2価のコバルト塩を有効成分として含有することを特徴とする、神経細胞分化誘導剤。
【請求項2】
2価のコバルト塩を有効成分として含有することを特徴とする、VIC遺伝子又はET-2遺伝子発現増強剤
【請求項3】
2価のコバルト塩を有効成分として含有することを特徴とする、IL-6遺伝子発現増強剤
【請求項4】
2価のコバルト塩を有効成分として含有することを特徴とする、ET-1遺伝子発現抑制剤
【請求項5】
2価のコバルト塩を有効成分として含有することを特徴とする、神経細胞障害の予防あるいは治療剤
【請求項6】
未分化の神経系細胞に2価のコバルト塩溶液を接触させ、神経細胞への分化誘導を行うことを特徴とする、神経細胞分化誘導方法。
【請求項7】
2価のコバルト塩溶液のコバルト塩濃度が110〜290マイクロモル/Lであることを特徴とする、請求項6に記載の分化誘導方法。


【公開番号】特開2006−206574(P2006−206574A)
【公開日】平成18年8月10日(2006.8.10)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2005−193919(P2005−193919)
【出願日】平成17年7月1日(2005.7.1)
【新規性喪失の例外の表示】特許法第30条第1項適用申請有り 
【出願人】(301021533)独立行政法人産業技術総合研究所 (6,529)
【Fターム(参考)】