説明

細胞の分離法および分離装置

【課題】細胞試料中の特定の細胞のみを識別して分離する技術の開発にあり、上記FACSが対象として扱うことが出来ない細胞内部のマーカー物質を標的として、上記細胞を分離する手法を新たに提供する。
【解決手段】細胞内のマーカー物質と選択的に結合する物質を固定化した針状物を基板上の各細胞に挿入して、上記マーカー物質と選択的に結合する物質を介して細胞内のマーカー物質を針状物に結合させた後、該針状物を引き上げる。このとき、マーカー物質が結合したときの上記針状物と細胞との接着力を、細胞の基板に対する接着力よりも大きくすることにより、上記マーカー物質を含有する細胞のみを選択して分離することができる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、様々な細胞の中から、目的の特定細胞のみを識別して分離するための方法及び装置に関する。
【背景技術】
【0002】
細胞の分離技術としては、細胞の形態、大きさ比重等の主として物理学的性質を指標として分離するもの、あるいは細胞の生化学的性質を指標として分離するもの等種々のものが知られているが、その中で最近利用されている手段として、FACS(fluoresence activated cell sorting)やMACS(magnetic activated cell sorting)等がある。この手段は、蛍光標識抗体あるいは磁気標識抗体を用いて、細胞試料中の標的細胞のみを標識する。FACSでは、該細胞試料の液流として流しつつレーザー光を照射して、細胞試料中の個々の細胞が発生する蛍光を測定して、上記標的細胞を識別し、該標的細胞のみをソーテイングするものである。しかし、この手段は、細胞表面の抗原を標的とするものであり、細胞内部に産生するタンパク質等の細胞内物質を指標に細胞を識別分離するものではない。FACSでは、遺伝子組み換えにより蛍光タンパク質との融合タンパク質を発現させる方法により細胞内部のタンパク質を指標にすることも可能であるが、移植治療に用いる等の目的で天然の細胞の分離を目的とする場合には遺伝子組み換え細胞は適用できない。また、FACSでは、個々の細胞の蛍光測定結果とソーテイングとを連動させるための極めて精密な制御機構を必要とし、極めて高価なものとならざるを得ないほか、蛍光標識抗体を用いなければならない問題点も有していた。
【0003】
一方、本発明者は、遺伝子又は遺伝子発現に関与する物質を固定化した直径がナノレベルの針状物(以下、ナノ針という場合がある。)を、細胞に挿入し、該針状物の細胞内における位置を、細胞が針状物に及ぼす力応答により検知しながら、リアルタイムで上記固定化物質の細胞に対する影響を観察しうる細胞操作装置を開発している(特許文献1参照)。また、この技術を発展させたものとして、細胞内の標的タンパク質を検出するため、該標的タンパク質に対する抗体により修飾した直径200 nmのナノ針を細胞に挿入し、ナノ針の細胞からの引き抜きに伴う、ナノ針にかかる力応答を測定することにより、細胞内の標的タンパク質を検出可能であることを見いだしている(特許文献2参照)。
しかし、この結果を得た時点では、この手段を標的細胞の分離に応用することは全く着想できなかった。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0004】
【特許文献1】特許第4051440号明細書
【特許文献2】特開2006−246731号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
本発明の課題は、細胞試料中の特定の細胞のみを識別して分離する技術の開発にあり、上記FACSが対象として扱うことが出来ない細胞内部のマーカー物質を標的として、上記細胞を分離する手法を新たに提供しようとするものである。
【課題を解決するための手段】
【0006】
上記抗体固定化ナノ針による細胞内標的物質の検出について、図1の実験を例に以下説明する。
この図1は、神経幹細胞のマーカーであるネスチンの検出実験において、ネスチンを発現しているP19細胞と発現していないNIH3T3細胞に対し、抗ネスチン抗体を固定化したナノ針を挿入してから抜き去りまでの針状物にかかる力応答を測定した結果を示している。この結果によれば、ネスチン発現細胞と非発現細胞NIH3T3細胞とでは、ナノ針抜き去り時の力応答が明らかに異なり、これにより細胞内標的物質の検出が可能となる。
【0007】
この図1中の太字の両矢印の示す力は、ナノ針抜き去り時に、固定化された抗ネスチン抗体に結合したネスチン繊維タンパク質がナノ針表面から解離するまでの結合破断に必要な力を表している。
結合破断力の値は、引き離す動作に依存して変化する力の値である。カンチレバーを具備したAFM探針を用いた場合には、引き離す動作の速度に使用するカンチレバーのバネ定数を乗じた値、負荷速度として表現される。本文で記載された力は全て、バネ定数が0.07 N/mのカンチレバーを用いて、6 μm/secで移動させた場合、すなわち負荷速度が0.4 μN/secの時の値を示している。一方で、接着力、結合力と表現する場合はある結合に固有のエネルギー量であることを示す言葉として定義する。
【0008】
本発明の契機は、このような結合破断力を考察し、この結合破断力は、裏を返せば、ナノ針と細胞の間の結合力(エネルギー)の大きさと表すものであり、この結合力が、基板に対する細胞の接着力よりも小さかったために、破断したのであって、仮に標的細胞と抗体固定化ナノ針間の結合力が、細胞の基板に対する接着力よりも大きく、抗体固定化ナノ針と目的タンパク質を発現していない細胞との非特異的な吸着力が、細胞の基板に対する接着力より小さい場合には、標的タンパク質を含む特定の細胞のみを識別すると同時に、ナノ針により該細胞を釣り上げることにより他の細胞から分離可能になるかもしれないと気づいた点にあるが、当初、細胞の基板に対する接着破断力は20〜40 nNと巨大であり、さらに液中における細胞自身の質量と、細胞釣り上げ動作を行う際の液中における粘性抵抗を考慮すると非常に困難であると思われた。また、マーカー物質とその抗体、細胞の種類により、抗体固定化針状物を挿入した際の特異的な結合力と非特異的吸着力が異なる上に、接着力を調整する範囲は非常に狭い。しかし、本発明者らは、あえてこの細胞の分離実験に挑戦し、細胞と基板の接着力を適度な範囲に減少させるとともに、抗体固定化ナノ針の細胞滞留時間を調節する等の工夫により、ついに細胞試料の中から標的のマーカー物質を含有する特定細胞のみを識別して分離することに成功した。
すなわち、本発明は以下のとおりである。
【0009】
(1)細胞内のマーカー物質と選択的に結合する物質を固定化した針状物を基板上の各細胞に挿入して、上記マーカー物質と選択的に結合する物質を介して細胞内のマーカー物質を針状物に結合させた後、該針状物を引き上げて、上記マーカー物質を含有する細胞のみを選択して釣り上げ分離する方法であって、
マーカー物質が結合したときの上記針状物と細胞の結合力を、基板と細胞の接着力よりも増大させることを特徴とする、細胞の選択的分離方法。

(2)マーカー物質が結合したときの上記針状物と細胞の結合力を基板と細胞の接着力よりも増大させる方法が、マーカー物質が結合したときの上記針状物と細胞との結合力を増大及び/または基板と細胞との接着力を減少させるものであることを特徴とする、上記(1)に記載の細胞の選択的分離方法。

(3)針状物と細胞との結合力の増大が、針状物の形状を細胞内でのマーカー物質と針状物の接触面積を増大させる形状に調整する操作及び/または細胞内のマーカー物質と選択的に結合する物質を固定化した針状物の細胞内滞留時間を調整する操作によるものであることを特徴とする上記(2)に記載の細胞の選択的分離方法。

(4)基板と細胞の接着力の減少が、タンパク質分解酵素による細胞の処理、及び/または接着タンパク質発現阻害剤による細胞の処理によるものであることを特徴とする、上記(2)に記載の細胞の選択的分離方法。

(5)さらに、基板上に固定化する細胞接着材料の密度調整、細胞を吸引固定化する場合の吸引圧力調整、及び細胞を保持するセルの接触面積の調整操作のいずれか1以上の操作を伴うことを特徴とする、上記(1)〜(4)のいずれかに記載の細胞の選択的分離方法。

(6)さらに、針状物の引き上げ速度の調整及び/または細胞への針状物の挿入位置と挿入回数の調整操作を伴うことを特徴とする、上記(1)〜(5)のいずれかに記載の細胞の選択的分離方法。

(7)上記細胞内のマーカー物質と選択的に結合する物質を固定化した針状物の形状がアスペクト比50以上、直径300 nm以下の円筒形状であることを特徴とする、上記(3)に記載の細胞の選択的分離方法。

(8)上記細胞内のマーカー物質と選択的に結合する物質を固定化した針状物の細胞内滞留時間が1〜10秒であることを特徴とする、上記(3)に記載の細胞の選択的分離方法。

(9)上記細胞内のマーカー物質と選択的に結合する物質を固定化した針状物の引き上げ速度が、1〜500 μm/secであることを特徴とする上記(6)に記載の細胞の選択的分離方法。

(10)上記細胞内のマーカー物質と選択的に結合する物質を固定化した針状物の同一細胞への挿入位置を挿入操作毎に変更し、同一細胞への挿入回数が3〜10回であることを特徴とする上記(6)に記載の方細胞の選択的分離法。

(11)細胞の基板に対する接着力が、負荷速度0.4 μN/secの時に接着破断力が500 pN〜2 nNになる接着力に、調整されていることを特徴とする、上記(1)〜(10)のいずれかに記載の細胞の選択的分離方法。

(12)上記(1)〜(11)に記載の方法により釣り上げた細胞を、基板に接触させて回収する方法であって、細胞の基板に対する接着力を、上記針状物と細胞との接着力よりも増大させることを特徴とする、細胞の回収方法。

(13)基板への接触時間の調整、基板上に固定化する細胞接着材料の密度調整、細胞を吸引固定化する場合の吸引圧力調整、及び細胞を保持するセルの接触面積の調整のいずれか1以上の手段を伴う上記(12)に記載の方法。

(14)上記(1)〜(10)に記載の方法により釣り上げた細胞を、細胞に対する液体の抵抗を増大させることにより、針状物から脱離させ溶液中に細胞を回収する方法であって、溶液中で、釣り上げた細胞を保持した針状物を高速移動させる、及び/または釣り上げた細胞を保持した針状物を流動液体と接触させることを特徴とする細胞の回収方法。

(15)細胞内のマーカー物質と選択的に結合する物質を固定化した針状物を複数配置し、該針状物のそれぞれを各細胞に対し個別に、かつ同時に挿入することを特徴とする、上記(1)〜(14)のいずれかに記載の方法。

(16)細胞内のマーカー物質と選択的に結合する物質を固定化した針状物、並びにその表面に細胞を配置した基板、及び該針状物を基板上に配置した細胞に位置合わせする手段、該針状物を細胞に挿入、保持及び引き上げ操作を行う手段を少なくとも有する細胞の選択的分離装置であって、細胞の基板に対する接着力が、マーカー物質が結合したときの上記針状物と細胞との結合力に比し小さく設定されていることを特徴とする、上記装置。

(17)針状物の形状が、細胞内でのマーカー物質と針状物の接触面積が増大する形状に設定されていることを特徴とする、上記(16)に記載の装置。

(18)マーカー物質と選択的に結合する物質を固定化した針状物の細胞内滞留時間の調整手段、針状物の引き上げ速度の調整手段、細胞への針状物の挿入位置と挿入回数の調整手段のいずれか1以上の手段が設けられていることを特徴とする上記(16)に記載の装置。

(19)さらに、細胞を基板に吸引固定化する手段及び吸引圧力調整手段を有する上記(16)〜(18)のいずれかに記載の装置。

(20)上記細胞内のマーカー物質と選択的に結合する物質を固定化する針状物の形状がアスペクト比50以上、直径300 nm以下の円筒形状であることを特徴とする、上記(17)に記載の装置。

(21)上記細胞内のマーカー物質と選択的に結合する物質を固定化した針状物の細胞内滞留時間を少なくとも1〜10秒の範囲で可変に調整する手段を有することを特徴とする上記(18)に記載の装置。

(22)上記細胞内のマーカー物質と選択的に結合する物質を固定化した針状物の引き上げ速度を、少なくとも1〜500 μm/secの範囲で可変に調整する手段を有することを特徴とする上記(18)に記載の装置。

(23)上記細胞内のマーカー物質と選択的に結合する物質を固定化した針状物の細胞への挿入位置及び/または同一細胞への挿入回数を調整する手段を有する上記(18)に記載の方法。

(24)細胞の基板に対する接着力が、負荷速度0.4 μN/secの時に接着破断力が500 pN〜2 nNになる接着力に、調整されていることを特徴とする、上記(16)〜(23)のいずれかに記載の装置。

(25)分離された細胞の回収手段を有することを特徴とする、上記(16)〜(24)のいずれかに記載の装置。

(26)細胞の回収手段が、分離した細胞を基板に接触させて、細胞の基板に対する接着力を、針状物と細胞との接着力よりも増大させる手段であって、細胞の基板への接触時間の調整手段及び/または細胞を吸引固定化する手段であることを特徴とする上記(25)に記載の装置。

(27)細胞の回収手段が、液中での針状物の高速移動手段あるいは液流発生手段であることを特徴とする、上記(25)に記載の装置。
【発明の効果】
【0010】
本発明は、細胞内の標的マーカー物質を、該マーカー物質と選択的に結合する物質を固定化した針状物に結合させ、該針状物を引き上げる際の細胞と針状物の結合力を細胞と基板との接着力よりも大きくすることにより、細胞内に標的マーカー物質が存在する細胞を識別すると同時に該細胞のみを選択的に釣り上げるもので、このような力学的手法による細胞の選択的分離法は、従来にない全く新しい着想に基づくものである。
【0011】
本発明は、例えば、以下の点で極めて有用である。
(1)細胞表面に存在する抗原を標的にする細胞の選択的分離法ではなく、細胞内部に存在する物質を標的に、細胞を分離できる。
(2)細胞にダメージを与えず生きたまま分離できる。
(3)細胞の分離に際して、AFM等における力学測定を本質的には必要とせず、極めて簡便、安価に細胞分離を行うことができる。
(4)針状物を複数設けて、細胞釣り上げ操作を行うことにより、多数の細胞の中から目的とする細胞を短時間、効率的に分離できる。
(5)抗体等の結合分子は針状物表面に固定化されており、分離された細胞内部には外来分子を残さないため、安全な操作である。
【0012】
以上の点から、本発明は、特にiPS細胞の分化誘導過程の細胞分離手段として極めて有望である。昨今iPS細胞の発見以来、胚性細胞を元にした細胞の移植医療への期待が高まる中、目的細胞の分離は重要な課題となっている。iPS細胞を用いたヒトへの移植治療においては100万個レベルの細胞が必要になると考えられており、また、細胞の安全性も保証しなければならない。特にiPS細胞では、ES細胞と比べて、分化誘導が完全に起こらず、移植後腫瘍形成の可能性を持つ未分化細胞が0.4%程度残留するという問題が指摘されている (Nature Biotechnology 27, 743 - 745 (2009))。本発明は、例えば神経前駆細胞へ分化誘導した場合にはその証拠となるマーカータンパク質ネスチンを標的にし、未分化細胞と目的の分化細胞を分別するための有力な手段となりうる。
【図面の簡単な説明】
【0013】
【図1】抗体修飾ナノ針による細胞内ネスチンの力学的検出結果を示す図
【図2】抗体修飾針状物を用いた機械的細胞分離の概念図
【図3】細胞分離装置の概略と細胞回収基板への細胞分離の工程の概略を示す図
【図4】溶液中に細胞を回収する工程の概略を示す図
【発明を実施するための形態】
【0014】
本発明においては、針状物に、細胞内に存在する標的マーカー物質と選択的に結合する物質(以下、マーカー結合物質という。)を固定化し、この固定化針状物を基板上の細胞に挿入した後、引き上げ操作を行うが、この際、上記マーカー物質が上記固定化物質を介して針状物に結合した場合には、針状物引き上げ時、該マーカー物質が針状物から細胞が脱落を防止する抵抗体となることで細胞との結合力を生じ、マーカー物質が存在する細胞のみを釣り上げることが可能となり、細胞を分離するものである。
本発明において使用する針状物は、細胞への挿入、釣り上げ等の操作において細胞にダメージを与えないものであれば、特に制限されないが、細胞挿入部分の直径が、100〜300 nm程度であり、好ましくは200 nm程度の針状物が好ましい。
一方、針状物の長さは細胞挿入において十分な長さを確保できればよく、5〜100 μm程度であり、好ましくは20 μm程度である。
【0015】
その材質としては、例えば、シリコン結晶、カーボンナノチューブ、ダイヤモンド、チタン、ジルコニウム等の金属結晶、ZnO等の金属酸化物等が挙げられる。
一方、本発明においては、針状物を基板上の細胞に位置合わせするとともに、該位置において針状物の挿入及び引き上げを行う手段を必要とする。このような手段としては特に限定されるものではない。
針状物の形状としては、先端が円筒状のもの、鉤状のもの、矢尻状のもの、T字状のもの等が挙げられるが、どの形状のものを使用するかは、細胞と基板の接着力、細胞に与えるダメージ等を考慮して適宜選択することができる。
【0016】
本発明において、針状物は一本でも複数本でもよく、例えば、一本のものであっても、基板上に配置した複数の試料細胞に対し、順次、マーカー結合物質が固定化された針状物を挿入し、引き上げ操作を行う。ターゲットとなるマーカー物質を有する細胞は、針状物の引き上げによって基板から釣り上げられ分離される。この針状物の細胞に対する位置合わせ、細胞内挿入、引き上げ操作においては、例えば、原子間力顕微鏡のカンチレバーの移動手段、位置制御手段及びカンチレバーに対する力応答を検知する手段が利用できる。
【0017】
しかし、多数の試料細胞を対象とする場合、細胞に挿入する針状物は、図2に示すように、支持体に複数本が配置されたものが効率的であり、より好ましい。
針状物を複数配置する支持体は、位置合わせを行うために透明材料からなることが望ましく、支持体の大きさは、例えば、針状物を100 μm間隔で100×100本配置した場合1 cm角程度の大きさになる。針状物が配置された支持体を細胞培養基板と接近させる手段は、マイクロコンタクトプリントで用いられる装置などが使用できるが、針状物の支持体への固定化部位は細胞培養液に浸漬可能であり、針状物を破損しないために接触圧を検知可能な装置である必要がある。上記の大きさの針状物は接触力1 μN程度で破損に至るので、1万本配置された基板では、1 mN程度の接触圧を測定できることが望ましい。
【0018】
本発明においては、このような針状物に、分離目的の細胞に特有の細胞内マーカー結合物質を固定する。標的とするマーカー物質としては、タンパク質、糖タンパク質、糖鎖等が挙げられるが、比較的低分子で、細胞内で単一分散しているような分子は好ましくはなく、好ましいものとしては、オルガネラ等に結合している状態のタンパク質、繊維状の骨格タンパク質等が挙げられる。
また、針状物に固定化される、マーカー結合物質としては、各種細胞内タンパク質に対する抗体、糖鎖あるいは糖タンパク質と特異的に結合するレクチン、人工的に設計された核酸からなるアプタマーやペプチド抗体等が挙げられる。
【0019】
マーカー結合物質の針状物に対する固定化法は、特に限定されず、従来公知、周知の方法を用いればよく、例えばリンカー分子等を用いた化学修飾等の手法が挙げられる。
上記のように、本発明においては、上記マーカー結合物質を固定化した針状物を細胞に挿入し、引き上げるが、このとき、細胞の基板に対する接着力が、上記固定化物質を介して結合したマーカー物質が針状物から解離し脱落するまでの破断力、すなわちマーカー物質を保持した針状物と細胞との結合力よりも小さくする。このためには、マーカー物質を保持した針状物と細胞との結合力にもよるが、細胞と基板との接着破断力を500 pN〜2 nNにすることが好ましい。なお、通常のプラスチック基板の場合、細胞と基板との接着破断力は、おおよそ20〜40 nNである。
【0020】
このような細胞と基板との接着力を低減させる方法としては、例えば、低濃度のトリプシン等のタンパク質分解酵素、あるいはROCK(Rho-associated coiled-coil forming kinase)阻害剤などの接着タンパク質発現阻害剤による細胞の処理が挙げられるが、タンパク分解酵素としては、トリプシンの他にも、キモトリプシン、パパイン等が挙げられ、接着タンパク質発現阻害剤としては、ROCK阻害剤以外にもブチリルオキサゾリジノン化合物、コラゲナーゼ阻害剤、エラスターゼ阻害剤、フィブロネクチン結合阻害剤等が使用できる。
例えば、タンパク質分解酵素トリプシン処理の場合、細胞の基板との接着に働くタンパク質が分解されることによって付着培養細胞を基板から回収するために一般的に用いられるが、トリプシン処理によって細胞の基板への接着を制御することが可能である。0.01%トリプシン溶液で10分間処理することによって、20 nN以上の基板との接着破断力をおおよそ2 nNまで減少させることができ、接着力の変動係数は20%以下に制御できることから、安定で弱い接着状態を作り出すことが出来る。
【0021】
したがって、この場合、細胞内マーカー物質と針状物が結合したときの細胞と針状物との結合破断力が、2 nN以上あれば、マーカー物質を有する細胞の釣り上げが可能となる。
一方、細胞の種類あるいはマーカー結合物質の種類等によっては、針状物で機械的に引き上げ分離操作を行う際に発生する針状物と細胞の非特異的吸着力も考慮しなければならないが、この非特異的吸着の破断力は、通常200 pN程度の微弱なものであり、細胞と基板の接着破断力を500 pN以上、好ましくは600 pN以上、さらに好ましくは700 pN以上に調整すれば、マーカー物質を有しない、目的外の細胞の釣り上げを防止できる。
【0022】
このような基板と細胞との接着力の調整手段としては、例えば、BAM等の細胞接着材料を基板に固定化し、その密度を調整する手段が挙げられるがBAM使用の場合には、BAM(Biocompatible Anchor for Membrane)分子が有する脂肪鎖が細胞の脂質膜に挿入され、細胞を強く保持する性質を持つことから、固定化するBAMの基板上の密度を調整することによって、接着破断力を数nNから30 nN以上まで任意の強度に調整することができる。
【0023】
同様に、小孔を配置した吸引型小孔アレイ基板によって細胞を物理的に吸着させ、基板への接着力を調整する方法や、細胞が接触する面積を増大させるセルを配置した基板を用いる方法でも、500 pN以上で2 nN以下の接着破断力に調整することが可能である。
これらの細胞−基板接着力調整手段は、細胞の種類あるいはマーカー結合物質の種類等に応じて予想される上記非特異的吸着に応じて、上記細胞−基板接着力低減化手段と1以上組み合わせてもよい。
一方、上記マーカー結合物質を介して結合したマーカー物質が引き上げ動作により、針状物から解離し、脱落するまでの破断力、すなわちマーカー物質を保持した針状物と細胞との結合力を増大させることも重要であり、上記細胞と基板の接着力の減少手法と組み合わせることで、さらに細胞分離が効率的になる。
【0024】
この方法としては、例えば、マーカー結合物質の針状物に対する固定量を増大させる方法、針状物の引き上げ速度を調節することによって結合力を最適化する手法、マーカー結合物質を固定化した針状物の細胞内で保持される時間(滞留時間)を長くして、針状物に結合されるマーカー物質の量を増やす手法が挙げられる。
また、細胞の釣り上げに成功するか否かは、マーカー結合物質固定化針状物の細胞に対する挿入位置が影響している場合があるので、細胞に対する挿入位置を変えながら複数回挿入、引き上げ操作を行うことも効果的である。
【0025】
滞留時間としては、マーカー結合物質のマーカー物質に対する結合速度定数に依存するが、抗ネスチン抗体によるネスチンの検出では、1秒以上で2 nNを越える結合破断力が測定されている。細胞分離のスループットに関わる滞留時間の延長は細胞処理時間の延長につながるので、なるべく短い時間が好ましく、1秒から最大でも10秒程度で十分である。針状物の引き上げ速度も同様に、なるべく短い時間に操作できることが好ましく、流体抵抗を受けずに細胞釣り上げに成功する速度は、1〜500 μm/secである。
【0026】
細胞を釣り上げるには、基板との接着力を上回る必要がある。複数回の挿入を行う場合は、複数回の挿入の間に1回でも釣り上げに成功すれば良く、例えば図1に示すP19での抗ネスチン抗体固定化ナノ針を用いた例では、点線で区切られたカラムが細胞1個での力検出のデータであり、カラム内に10回のナノ針挿入の繰り返し操作で得られたデータが全てプロットされている。ここで、細胞の基板に対する接着破断力が2 nN以下に調整されていたとすると、左から2番目から5番目までの細胞は2 nN以上のナノ針−ネスチン間の結合破断力が少なくとも1回観察されているので、回収に成功するということを示している。
【0027】
マーカー結合物質の固定化量は多い方が好ましいが、針状物表面の固定化物質のかさ高さや、針状物自身の直径の増大は挿入の成功率を低減させる可能性があるので、直径が300 nmを越えないことを目安に、調整する必要がある。固定化量は針状物の表面にマーカー結合物質が2次元的に細密充填された時の固定化密度で十分である。
このような手段によりマーカー物質を保持する針状物と細胞に対する結合破断力は、2 nN以上に増大させることができ、マーカー物質を内部に有する細胞を効果的に釣り上げることができる。
【0028】
釣り上げられた細胞は、例えば、上記した30 nN以上の細胞接着破断力を示す分子密度に調整されたBAM固定化基板に接触させることにより、あるいは吸引圧力を増大させた小孔アレイ基板に接触させるなどの方法によって、細胞とマーカー結合物質固定化針状物との結合力よりも、細胞と接触させる基板の接着力を大きくすることによって、該針状物から脱離させるにより分離、回収することが可能となる。接着力を増強する手段としては、フィブロネクチン、コラーゲン、ラミニン、ビトロネクチン、プロテオグリカン、ニドジェン、テネイシン、トロンボスポンジン、フォンビルブランド、オステオポンチン、エラスチン、フィブリリン、テネイシン、エンタクチン等、細胞接着材料を固定化した基板を固定化することも出来る。
【0029】
本発明において、細胞は空気中に露出させることなく、上記細胞の釣り上げ、細胞の回収操作は全て培養液等の液中で行う。したがって、細胞を表面に有する基板及び細胞回収基板は、隣接させ、同一液体で満たされていることが好ましい。
【0030】
本願発明の細胞分離装置及び該装置を用いて細胞の識別分離を行う場合の操作を以下に説明する。
本発明の細胞分離装置は、例えば、細胞をその表面に有する基板を載置する2次元ステージ(3)を設けた細胞観察装置(2)とマイクロコンタクト装置(1)からなり、2次元ステージ上には、マイクロコンタクト装置(1)に搭載された針状物アレイ支持体(4)が位置するよう配置され、これら針状物には、分離する対象細胞に特有の細胞内マーカー結合物質が、充分な量固定化されている。これらの固定化針状物は、マイクロコンタクト装置(1)の針状物アレイ支持体(4)の移動手段及び位置制御手段(いずれも図示せず)により、上下に移動可能に構成され(図3)、上記位置制御手段は、上下移動速度調節可能であり、下降位置での位置保持時間調整手段を含む。なお、針状物アレイ支持体にかかる力はマイクロコンタクト装置(1)で検知し、針状物の破損を防ぐ。
【0031】
また、細胞アレイ基板(6)上の細胞は、上記した細胞−基板接着力低減手段により基板との接着力は減少している。
本装置を用いた細胞の識別分離操作は図3中、イ〜ヘに示される。なお図中の灰色部分は液体を表す。本発明においては、例えば、まず、液体で満たされた基板収容容器(5)内に、細胞をその表面に有する細胞アレイ基板(6)を細胞回収基板(7)と隣接させて配置し、上記装置の2次元ステージ上(3)に該基板収容容器を載置する。次いで細胞観察装置(2)でモニターしながら、針状物アレイ支持体(4)の針状物が、基板上の細胞の真上にくるように2次元ステージを操作しで位置あわせを行い、針状物アレイ支持体(4)の接触圧をモニターしながら、針状物アレイ支持体(4)と細胞アレイ基板(6)を徐々に接近させて、該針状物アレイ支持体(4)を細胞アレイ基板(6)に接触させ、針状物を細胞に挿入した後、上記保持時間調整手段により、この状態で所定時間保持され、針状物に固定化されたマーカー物質と結合する物質と標的マーカー物質の結合反応を行う。
【0032】
次いで、針状物アレイ支持体(4)を上方に移動させ、細胞を釣り上げ、細胞アレイ基板から分離する。分離された細胞は、標的マーカー物質を細胞内に有する細胞であり、該細胞は、針状物アレイ支持体(4)を上記した細胞回収基板(7)に接触させ、引き上げ動作を行うことにより、細胞を針状物から脱離させ、回収する。
この細胞回収基板(7)としては、例えば、上記した30 nN以上の細胞接着破断力を示す分子密度に調整されたBAM固定化基板あるいは吸引圧力調整手段を有する小孔アレイ基板が挙げられ、図3中、イ〜ホは、上記密度調整したBAM固定化基板を用いた場合の操作の概略を表したものであり、吸引圧力調整手段を有する小孔アレイ基板は、図3中、ヘに示される。
【0033】
図3中、ヘの回収装置は、ポンプ等の液体吸引手段を備え、その吸引圧力は調整可能になっている。この場合、上記アレイ基板の小孔からの液体吸引力によって、細胞は針状物体から脱離し、小孔アレイ基板上に回収される。
これらのBAM固定化基板あるいは吸引圧力調整手段を有する小孔アレイ基板は細胞回収基板としてのみ用いられるのではなく、はじめに針状物による分離するための細胞を配置する基板としても用いることができる。このような基板は、トリプシン処理等により細胞の基板に対する接着力が低下しすぎ、細胞液中を浮遊状態になり、針状物の位置あわせが困難になる恐れがある場合等に有効である。
【0034】
また、本装置においては、細胞回収手段として別の手段を設けることができる。この手段としては、例えば、液中での針状物の高速移動手段からなるもの(図4、イ〜ニ)あるいは液流発生手段により発生させた液流と針状物とを接触させるものが挙げられる。
前者は、釣り上げた細胞を保持する針状物を、上記基板収容容器中の細胞回収位置に移動させ、液体中で高速に移動させることにより、細胞を針状物から脱離させるものであり、針状物の移動方向に特に限定はないが、針状物アレイ支持体(4)は、上記したように、細胞釣り上げ時の上下移動速度が調節可能であり、この手段を利用して、高速で針状物を上昇させることができる。この場合、該移動速度を上記細胞釣り上げ速度1〜500 μm/secを超える範囲で調節可能にしても良い。
また、後者は、釣り上げた細胞を流動化された液体と接触させて細胞を脱離させるものであり、図4、ホ〜チに示されるように、例えば、細胞回収位置で上方から下方に向かう液流を発生させ、液流に細胞を釣り上げた針状物を接触させることにより、細胞を針状物から脱離させる。この液流の速度も適宜調節可能にしても良い。
【0035】
これらの細胞回収手段による場合、回収された細胞は液中で浮遊状態になっており、細胞は液と一緒に回収することができる。この場合、回収された細胞と、分離する以前の細胞アレイ基板上の各細胞との対応関係は把握できないが、分離された細胞はいずれも同一のマーカー物質が存在する細胞である点で共通しており、例えば種々の細胞群から、ある特定のマーカー物質が存在する細胞が分離できればよいという場合においては好ましい態様である。なお、上記の例においては、基板が培養容器であっても、細胞の回収状況は細胞観察装置(2)によりリアルタイムで観察できる。
【0036】
一方、本発明においては、上述の細胞回収手段と基板上に細胞を多数整列配置したアレイを用い、同時に複数の細胞を識別分離対象としこれらの中から目的とする細胞を選択的に分離するために、マーカー結合物質を固定化した針状物を複数設けるが、アレイの形状は1次元的に配列されたものや、2次元的に配列されたものなど必要に応じた設計を整える。
【0037】
以下に、本発明の実施例を示すが、本発明はこれら実施例により限定されるものではない。
【実施例】
【0038】
(実施例1)
本実施例では、直径200 nmにエッチングしたAFM探針(ATEC-CONT、NanoWord)に抗ネスチン抗体を固定化し、この抗体固定化ナノ針を用いて、ネスチン陽性細胞であるマウス胚性腫瘍細胞P19を機械的に分離した例を示す。図1に示すようなAFM探針、AFM装置を使用しているために、針状物は1本での実施例である。
鈎型に加工したAFM探針を用いて垂直方向に細胞を基板から引き剥がす際に必要な接着破断力を測定した。通常のプラスチックシャーレ上に培養したP19細胞の接着破断力は、25±5 nNであった。ネスチン陰性細胞として用いたマウス繊維芽細胞NIH3T3の基板との接着破断力も同様であった。マウスP19細胞を神経細胞に分化誘導する為に10% FBS、GA、グルタマックス、1 μM レチノイン酸を含有したα-MEM 10 mlに1×105個のP19細胞を懸濁させ、4日間浮遊培養した。自然沈降によって回収した細胞をトリプシン/EDTAによって解離し、0.02% polyethylenimineを室温1時間反応させたガラスベースディッシュに播種し5-10日間培養した細胞を実験に用いた。
【0039】
ナノ針は単結晶シリコン製の探針ATEC-Cont(ばね定数0.07 N/m)を集束イオンビームで直径200 nm、長さ10 μmにエッチングすることで作製した。抗ネスチン抗体は0.5% MPCポリマー(2-methacyloyloxyethyl phosphoryl choline (MPC)、γ-methacryloxypropyl trimethoxy silane (MPTS)、p-nitrophenyloxycarbonyl poly(oxyethylene) methacrylate (MEONP)=7:1:2) に室温で1分間漬浸し70℃、6時間乾燥させ、180 nM抗ネスチン抗体または抗neurofilament抗体に漬浸することでナノ針に固定化した。
抗ネスチン抗体または抗neurofilament抗体固定化ナノ針の挿入の動作あるいは細胞釣り上げの動作はNanowizardI(JPK instruments)を用いて行った。ナノ針の挿入速度は6 μm/sec(負荷速度0.4 μN/sec)、滞留時間は1秒、1細胞あたり10回の挿入操作を行った。
【0040】
無処理の培養細胞において、抗体固定化ナノ針を抜去する際の結合破断力を測定した。細胞に対してナノ針を挿入した時に得られるフォースカーブを図1の中程に示した(上:P19、下:NIH3T3)。挿入過程においてナノ針が細胞膜を貫通する時フォースカーブでは急激な斥力の緩和(斥力ドロップ)が観察される。斥力ドロップが観察されたときは必ずナノ針が細胞内部に挿入されていることが分かっている。抗体固定化したナノ針を細胞に挿入すると細胞内で抗原抗体複合体が形成され、引き抜き動作によって結合は破断させられる。この時の相互作用の大きさはベースライン以下の引力として観察することができ、その最大値を結合破断力として解析した。抗ネスチン抗体固定化ナノ針をP19とNIH3T3に対して挿入操作を行ったときの結合破断力の数値は図1右のプロットに示した。点線で区切られたカラムが細胞1個での力検出のデータであり、カラム内に10回のナノ針挿入の繰り返し操作で得られたデータ全てをプロットした。プロットのようにP19とNIH3T3の結合破断力の値には明確な差が見られた。また神経細胞に分化誘導を行い、樹状突起の伸長などの神経細胞に特異的な形態的特徴を有した細胞に分化したP19においては、NIH3T3と同様に顕著な結合破断力は認められなかった。この分化誘導細胞は免疫染色の結果、ネスチン陰性であることが確認されている。
【0041】
さらにこの結果より、NIH3T3における測定で得られた結合破断力の平均値に4倍の標準偏差を加えた値を閾値としたときに全てのNIH3T3がネスチン陰性細胞として判定されることを見出した。この値は、抗体固定化量、細胞の種類によって異なるが、おおよそ500pN以下の値である。逆にP19の測定結果では全ての細胞で1 nN以上の結合破断力が少なくとも1回検出されており、2 nN以上の結合破断力が5個中4個で観察されている。独立した実験を5回行い、同様の傾向が観察された。そこで、ネスチンを標的として細胞を機械的に釣り上げ、分離操作を行う際の細胞と基板の接着破断力を500 pN以上2 nN以下に調整することとした。
【0042】
培養したP19は終濃度0.01%のトリプシンを含むPBSで10分間処理することによって、接着破断力は2 nN程度に低減することが可能であった。このトリプシン処理されたP19に対して、上記の抗ネスチン抗体固定化ナノ針を挿入し、引き上げ動作を行ったところ、10回の挿入操作中にほぼ全ての細胞を釣り上げることが可能であった。これに対して、NIH3T3あるいは神経細胞に分化誘導を行い、ネスチン陰性になったP19で同様の操作を行ったところ、釣り上げられる細胞は皆無であった。
【0043】
続いて、釣り上げた細胞を回収する基板の調製を行った。BSAを固定化した基板上に各種濃度に調製したBAM(SUNBRIGHT OE-040CS、日油)を60分反応させ、BAM固定化基板を調製した。この基板に対して、トリプシンで剥離したP19を鉤型AFM探針で強制的に接触させ、すぐに引き上げる操作を行い、細胞を保持する力を測定した。試験の結果、1 μMのBAMで処理した基板では、35nNの接着破断力が観察され、細胞回収用基板として十分であることが確認された。回収用BAM基板をP19培養シャーレ内に配置し、抗ネスチン抗体修飾ナノ針によって釣り上げ操作を行った細胞を基板に接触させ、針を引き上げることによって、BAM基板上に細胞を回収した。本操作によって、連続して30個の細胞を回収することが可能であった。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
細胞内のマーカー物質と選択的に結合する物質を固定化した針状物を基板上の各細胞に挿入して、上記マーカー物質と選択的に結合する物質を介して細胞内のマーカー物質を針状物に結合させた後、該針状物を引き上げて、上記マーカー物質を含有する細胞のみを選択して釣り上げ分離する方法であって、マーカー物質が結合したときの上記針状物と細胞の結合力を、基板と細胞の接着力よりも増大させることを特徴とする、細胞の選択的分離方法。
【請求項2】
マーカー物質が結合したときの上記針状物と細胞の結合力を基板と細胞の接着力よりも増大させる方法が、マーカー物質が結合したときの上記針状物と細胞との結合力を増大及び/または基板と細胞との接着力を減少させるものであることを特徴とする、請求項1に記載の細胞の選択的分離方法。
【請求項3】
針状物と細胞との結合力の増大が、針状物の形状を細胞内でのマーカー物質と針状物の接触面積を増大させる形状に調整する操作及び/または細胞内のマーカー物質と選択的に結合する物質を固定化した針状物の細胞内滞留時間を調整する操作によるものであることを特徴とする請求項2に記載の細胞の選択的分離方法。
【請求項4】
基板と細胞の接着力の減少が、タンパク質分解酵素による細胞の処理、及び/または接着タンパク質発現阻害剤による細胞の処理によるものであることを特徴とする、請求項2に記載の細胞の選択的分離方法。
【請求項5】
さらに、基板上に固定化する細胞接着材料の密度調整、細胞を吸引固定化する場合の吸引圧力調整、及び細胞を保持するセルの接触面積の調整操作のいずれか1以上の操作を伴うことを特徴とする、請求項1〜4のいずれかに記載の細胞の選択的分離方法。
【請求項6】
さらに、針状物の引き上げ速度の調整及び/または細胞への針状物の挿入位置と挿入回数の調整操作を伴うことを特徴とする、請求項1〜5のいずれかに記載の細胞の選択的分離方法。
【請求項7】
上記細胞内のマーカー物質と選択的に結合する物質を固定化した針状物の形状がアスペクト比50以上、直径300 nm以下の円筒形状であることを特徴とする、請求項3に記載の細胞の選択的分離方法。
【請求項8】
上記細胞内のマーカー物質と選択的に結合する物質を固定化した針状物の細胞内滞留時間が1〜10秒であることを特徴とする、請求項3に記載の細胞の選択的分離方法。
【請求項9】
上記細胞内のマーカー物質と選択的に結合する物質を固定化した針状物の引き上げ速度が、1〜500 μm/secであることを特徴とする請求項6に記載の細胞の選択的分離方法。
【請求項10】
上記細胞内のマーカー物質と選択的に結合する物質を固定化した針状物の同一細胞への挿入位置を挿入操作毎に変更し、同一細胞への挿入回数が3〜10回であることを特徴とする請求項6に記載の方細胞の選択的分離法。
【請求項11】
細胞の基板に対する接着力が、負荷速度0.4 μN/secの時に接着破断力が500 pN〜2 nNになる接着力に、調整されていることを特徴とする、請求項1〜10のいずれかに記載の細胞の選択的分離方法。
【請求項12】
請求項1〜11に記載の方法により釣り上げた細胞を、基板に接触させて回収する方法であって、細胞の基板に対する接着力を、上記針状物と細胞との接着力よりも増大させることを特徴とする、細胞の回収方法。
【請求項13】
基板への接触時間の調整、基板上に固定化する細胞接着材料の密度調整、細胞を吸引固定化する場合の吸引圧力調整、及び細胞を保持するセルの接触面積の調整のいずれか1以上の手段を伴う請求項12に記載の方法。
【請求項14】
請求項1〜10に記載の方法により釣り上げた細胞を、細胞に対する液体の抵抗を増大させることにより、針状物から脱離させ溶液中に細胞を回収する方法であって、溶液中で、釣り上げた細胞を保持した針状物を高速移動させるか、及び/または釣り上げた細胞を保持した針状物を流動液体と接触させることを特徴とする細胞の回収方法。
【請求項15】
細胞内のマーカー物質と選択的に結合する物質を固定化した針状物を複数配置し、該針状物のそれぞれを各細胞に対し個別に、かつ同時に挿入することを特徴とする、請求項1〜14のいずれかに記載の方法。
【請求項16】
細胞内のマーカー物質と選択的に結合する物質を固定化した針状物、並びにその表面に細胞を配置した基板、及び該針状物を基板上に配置した細胞に位置合わせする手段、該針状物を細胞に挿入、保持及び引き上げ操作を行う手段を少なくとも有する細胞の選択的分離装置であって、細胞の基板に対する接着力が、マーカー物質が結合したときの上記針状物と細胞との結合力に比し小さく設定されていることを特徴とする、上記装置。
【請求項17】
針状物の形状が、細胞内でのマーカー物質と針状物の接触面積が増大する形状に設定されていることを特徴とする、請求項16に記載の装置。
【請求項18】
マーカー物質と選択的に結合する物質を固定化した針状物の細胞内滞留時間の調整手段、針状物の引き上げ速度の調整手段、細胞への針状物の挿入位置と挿入回数の調整手段のいずれか1以上の手段が設けられていることを特徴とする請求項16に記載の装置。
【請求項19】
さらに、細胞を基板に吸引固定化する手段及び吸引圧力調整手段を有する請求項16〜18のいずれかに記載の装置。
【請求項20】
上記細胞内のマーカー物質と選択的に結合する物質を固定化する針状物の形状がアスペクト比50以上、直径300 nm以下の円筒形状であることを特徴とする、請求項17に記載の装置。
【請求項21】
上記細胞内のマーカー物質と選択的に結合する物質を固定化した針状物の細胞内滞留時間を少なくとも1〜10秒の範囲で可変に調整する手段を有することを特徴とする請求項18に記載の装置。
【請求項22】
上記細胞内のマーカー物質と選択的に結合する物質を固定化した針状物の引き上げ速度を、少なくとも1〜500 μm/secの範囲で可変に調整する手段を有することを請求項18に記載の装置。
【請求項23】
上記細胞内のマーカー物質と選択的に結合する物質を固定化した針状物の細胞への挿入位置及び/または同一細胞への挿入回数を調整する手段を有する請求項18に記載の方法。
【請求項24】
細胞の基板に対する接着力が、負荷速度0.4 μN/secの時に接着破断力が500 pN〜2 nNになる接着力に、調整されていることを特徴とする、請求項16〜23のいずれかに記載の装置。
【請求項25】
分離された細胞の回収手段を有することを特徴とする、請求項16〜24のいずれかに記載の装置。
【請求項26】
細胞の回収手段が、分離した細胞を基板に接触させて、細胞の基板に対する接着力を、針状物と細胞との接着力よりも増大させる手段であって、細胞の基板への接触時間の調整手段及び/または細胞を吸引固定化する手段であることを特徴とする請求項25に記載の装置。
【請求項27】
細胞の回収手段が、液中での針状物の高速移動手段あるいは液流発生手段であることを特徴とする請求項25に記載の装置。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【公開番号】特開2011−182761(P2011−182761A)
【公開日】平成23年9月22日(2011.9.22)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−54556(P2010−54556)
【出願日】平成22年3月11日(2010.3.11)
【出願人】(301021533)独立行政法人産業技術総合研究所 (6,529)
【Fターム(参考)】