説明

細胞接着性を有する人工硬膜およびその製造方法

【課題】一側は細胞接着性を持たず、他側は細胞接着性を持つ新たな人工硬膜の提供。
【解決手段】一定条件下でイオンビーム照射されたePTFEを使用し、骨、筋肉と密着させることにより、時間経過過程でどのような形態学的、組織化学的変化を伴って細胞と接着するかを明らかにすること、またこの細胞接着性が臨床応用に耐え得るものであるか否かを検討することにより、提供可能となる炭素を構成元素として含む高分子材料より構成され、表面の少なくとも一部がイオン衝撃により改質されてなる、骨及び/又は筋膜に接着性を有する材料。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、人工硬膜などの医療用材料として使用可能な骨及び/又は筋膜に接着性を有する材料およびその製造方法に関する。
【背景技術】
【0002】
頭蓋骨内にあって脳実質を保護する三層の膜(軟膜、クモ膜、硬膜)のうち、硬膜は最も硬く、三層の中で最外層に存在し、頭蓋骨の内側骨膜でもある。脳神経外科手術に際し、硬膜を切除せざるを得ないことがしばしばあり、硬膜欠損が生じる。また、硬膜自体の自然収縮のために一次的な縫合が困難になることもある。硬膜を開放したまま閉創する事は、髄液の漏出を招いて頭蓋内感染症を生じたり、脳実質と骨ないし皮下組織との癒着を生じて、局所神経症状を呈したり、てんかん発作の焦点となるなど、重篤な合併症を来たす原因となる。従って閉創時には硬膜に隙間が生じないよう厳密な縫合が要求される。このため、硬膜に欠損が生じたり一次縫合が困難となった場合には何らかの補填材料を用いて隙間が生じない様に完全に縫合する必要が生じる。
【0003】
いかなる補填材料を用いて硬膜欠損の補填を行うかは長期に渡り脳神経外科医を悩ませ続けた問題である。当初人工物が使用された時期もあるが、生体適合性、使いやすさ等に問題があり、何れも長続きしなかった。当初より今日に到るまで最も広く用いられているのは自家筋膜であるが、摘出部位に筋膜の欠損を生じること、脳に対して癒着しやすいことなど問題点も少なくない。ヒト乾燥硬膜は屍体から採取された硬膜を放射線処理等を行った硬膜補填材料であり、これまでの中では最も優れたものであった。しかし、クロイツフェルト・ヤコブ病の原因とされるプリオンが硬膜内に存在する可能性があり、ヒト乾燥硬膜を介してクロイツフェルト・ヤコブ病の感染が生じと事例が報告されるに到り、1998年にその使用は全面的に禁止された。
【0004】
現在自己筋膜以外に硬膜補填材料として使用可能な素材は、厚生省が認可しているePTFE(expanded polytetra-fluoroethylene)のみである。ePTFEは高分子材料であるため生体に対して全く接着性を有していない。この性質は脳と癒着を生じないという面では優れている。一方収縮性に乏しいため針穴から髄液が漏出してしまうため特殊な縫合糸を使用して縫合を行う必要がある。また生体接着性がないため縫合面の隙間からも髄液漏が生じる可能性が高い。これと共に、周辺組織とも接着性を有さないため、単なる骨格素材となってしまう可能性も高い。これ迄にePTFEをいかにうまく使用するかについての多くの試みがなされてきたが、何れもePTFEを骨格素材して使用し、周囲に線維性組織の被膜が形成されるのを待つものであった。
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
本発明者らはこれまでに、イオン注入法を用いて高分子材料表層を改質し、細胞接着性を変化させる種々の実験を行いその利用価値について検討を行ってきており、イオン注入法により高分子素材の表面改質を行い、一側は細胞接着性を持たず、他側は細胞接着性を持つ新たな人工硬膜の開発を目差してきた。
【0006】
高分子材料にイオンビームを照射すると、進入したイオンは母材原子との衝突によって随時エネルギーを損失し、最終的に停止する。その過程で、結合の切断や新たな結合が生じる。一般に核阻止能が支配的な場合にはラジカルのような欠陥の発生、コンフォメーション、密度、モルフォロジーの変化が観察され、電子阻止能が支配的な場合には、電子的励起を伴い、分枝鎖の切断、架橋が生じていると考えられる。高分子材料の原子間結合は数eV程度の結合エネルギーであり、イオンビーム照射により母材に与えられる単位長当たりのエネルギー量は数十eV/Åである。結合エネルギーに比して十倍以上のエネルギー束の照射である。このエネルギー束を照射することによって高分子材料に物性変化が生じることが観測されている。これらの現象はイオンビームの種類、加速エネルギー、照射量、及び母材の種類によって異なる。高分子材料にイオンビームを照射する際には、高分子材料が熱に弱いため、ビーム電流を上げすぎない必要がある。また高分子材料は電気的絶縁体であるため、電流測定では正確な注入量が測定できない可能性があることに注意を払う必要がある。
【0007】
本発明者らは、これまでに各種高分子材料へヘリウム(He)、ネオン(Ne)などのイオン種を照射して表面改質を行い、培養細胞系を用いて細胞接着性に関する基礎的な実験結果を繰り返してきた。この結果、ヒトへの使用が認可されているePTFEに対し、Neイオンビームを加速エネルギー150KeV、イオンビーム電流0.5μA/cm2以下で照射することにより、細胞接着性を付与することが可能であることが明らかとなった。また、細胞接着性がイオン照射量によって変化し、多すぎても少なすぎても充分な接着性が得られないことも明らかとなった。これまでの実験では1×1014ions/cm2の照射量からNeイオン照射ePTFE表面に細胞接着性が認められるようになり、1×1015ions/cm2付近の照射量で最も接着性が高くなり、1×1017ions/cm2の照射量では逆に細胞接着性が低下することが明らかとなっている。これまではイオンビーム照射によるアモルファスカーボン化が接着性を増強すると考えられてきた。しかし1×1014ions/cm2の照射量でも細胞接着は観察された。この照射量では添加量は理論計算上微々たる物であり、照射損傷もフーリエ変換赤外分光法、ラマン分光法などの分析では感知できない範囲である。この微細な変化を細胞は感知して接着しているのである。どの様にして細胞が微細な変化を感知し、どのような機序で接着するかは未だ不明であり、各種分析機器を用いて検討が行われている。
【0008】
イオンビームを照射した高分子材料は細胞の接着性のみならず、接着強度も向上している。細胞は人工素材表面に接着斑と呼ばれる蛸足のようなものを侵入させ自身を固定する。おそらくイオンビーム照射した面においてはこの接着斑が増加することにより接着強度が改善されると予想される。イオンビーム照射した高分子材料は原子間力顕微鏡で観察した範囲では表面が滑らかであることが確認されており、当初予想されたイオンビーム照射による表面の粗化によって細胞との接着面積が増加するためではないことが明らかとなっている。表面改質の条件を選択することにより接着斑が増加することに関しては培養細胞を用いた基礎実験でも確認されている。
【0009】
これまでの基礎実験のデータを基に生体応用可能なePTFEに対するイオンビーム至適照射量を決定することにより臨床応用が可能になると考えられる。
当初、この至適照射量で表面処理したePTFEは頭部脳神経外科手術に際しての硬膜欠損部分を補填する人工硬膜としての役割だけが考えられていた。しかし、ヒト乾燥硬膜が頭蓋底外科における頭蓋底形成の際に使用される補填材量として、脊髄疾患の手術の際の補填材量として、他の胸部腹部臓器ないし筋骨系手術の際の補填材量としても使用されてきたことを考えると、より広い応用範囲が存在すると考えるに到った。あらゆる部位において、一側では組織癒着が望まれず、他側では組織癒着が望まれる状況であれば、このNeイオンビーム照射ePTFEは広く使用できる。
【0010】
しかし、上記したePTFEの細胞接着性に関するデータはあくまでも培養細胞系という生体外でのものであり、実際の生体内でNeイオンビーム照射ePTFEがどのような細胞接着性を示すかについては明らかにされてこなかった。従って培養細胞系で得られた至適イオンビーム照射量1×1015 ions/cm2が生体内でも至適照射量であるか否かについても明らかではない。生体内でも生じるであろう細胞接着性がどのような形態学的、組織化学的状態を呈するか、特に接着斑の動態についてはこれまで全く報告がない。生体内では組織修復機転という自己管理システムが働いているため、培養細胞系のように単純な反応だけでは説明できない事態が生じることは想像に難くない。また実際に生体内で生じるであろう細胞接着性の増強が臨床的にどのような意義を持つものであるか、生体適合性に問題はないか、手術操作を前提とした操作性はどうか、異物反応は生じないか、など全く未知の問題点が山積している。
【0011】
即ち、本発明が解決しようとする課題は、一定条件下でイオンビーム照射されたePTFEを使用し、骨、筋肉と密着させることにより、時間経過過程でどのような形態学的、組織化学的変化を伴って細胞と接着するかを明らかにすること、またこの細胞接着性が臨床応用に耐え得るものであるか否かを検討することである。
【課題を解決するための手段】
【0012】
本発明者らは上記課題を解決するために鋭意検討した結果、Neイオンビーム照射ePTFEは生体内でも細胞接着性を有することを見出し、本発明を完成するに至った。
即ち、本発明によれば、炭素を構成元素として含む高分子材料より構成され、表面の少なくとも一部がイオン衝撃により改質されてなる、骨及び/又は筋膜に接着性を有する材料が提供される。
【0013】
本発明の好ましい態様によれば、炭素を構成元素として含む高分子材料が、延伸ポリテトラフルオロエチエン(ePTFE)、ポリ乳酸、又はポリグラクチンである上記材料;並びにドース量φが1×1013≦φ<1×1016個/cm2 となる範囲でイオン注入を行うことによって、イオン衝撃による改質を行う、上記材料が提供される。
【0014】
本発明の別の側面によれば、上記した骨及び/又は筋膜に接着性を有する材料から成る人工硬膜用材料が提供される。
【0015】
本発明のさらに別の側面によれば、炭素を構成元素として含む高分子材料の表面の少なくとも一部にドース量φが1×1013≦φ<1×1016個/cm2 となる範囲でイオン注入を行うことを特徴とする、骨及び/又は筋膜に接着性を有する材料の製造方法が提供される。
本発明の好ましい態様によれば、炭素を構成元素として含む高分子材料が、延伸ポリテトラフルオロエチエン(ePTFE)、ポリ乳酸、又はポリグラクチンである、上記の製造方法が提供される。
【発明の効果】
【0016】
本発明により、新規な細胞接着性を有する人工硬膜およびその製造方法が提供されることになった。即ち、本発明により、頭蓋骨側に接する面に細胞接着性を付与することでより生体に近い機能を有する人工硬膜の形成が可能となる。さらに本発明は、人工硬膜への応用のほか、脊髄疾患の手術の際の補填材料、胸部腹部臓器ないし筋骨系手術の際の補填材料としての応用も可能である。
【図面の簡単な説明】
【0017】
【図1】図1は、筋膜上におけるePTFEの形態学的変化を示す図である。図1−1:1×1014 ions/cm2の照射量で筋肉上2週間;図1−2:1×1014 ions/cm2の照射量で筋肉上4週間;図1−3:非照射面で筋肉上で2週間;図1−4:非照射面で筋肉上で4週間
【図2】図2は、筋膜および骨上におけるePTFEの形態学的変化を示す図である。図2−1:5×1014 ions/cm2の照射量で筋肉上2週間;図2−2:5×1014 ions/cm2の照射量で筋肉上4週間;図2−3:1×1014 ions/cm2の照射量で骨上2週間;図2−4:5×1014 ions/cm2の照射量で骨上2週間
【図3】図3は、筋膜および骨上におけるePTFEの形態学的変化を示す図である。図3−1:1×1015 ions/cm2の照射量で筋肉上4週間;図3−2:1×1015 ions/cm2の照射量で筋肉上4週間;図3−3:1×1015 ions/cm2の照射量で骨上2週間;図3−4:1×1014 ions/cm2の照射量で骨上4週間
【図4】図4は、骨上におけるePTFEの形態学的変化を示す図である。図4−1:5×1014 ions/cm2の照射量で骨上4週間;図4−2:1×1015 ions/cm2の照射量で骨上4週間;図4−3:1×1015 ions/cm2の照射量で骨上2週間;図4−4:1×1015 ions/cm2の照射量で骨上4週間
【発明を実施するための形態】
【0018】
以下、本発明の実施の形態について詳細に説明する。
本発明で使用される炭素を構成元素として有する高分子材料は、生体適合性があり、操作が容易である材料であれば特に限定されず任意の材料を使用できる。本発明で好ましい高分子材料としては、延伸ポリテトラフルオロエチエン(ePTFE)、または生分解性高分子(例えば、ポリ乳酸、又はポリグラクチンなど)が挙げられ、特に延伸ポリテトラフルオロエチエン(ePTFE)が好ましい。
【0019】
本発明の骨及び/又は筋膜に接着性を有する材料における高分子材料の表面の少なくとも一部は、イオン衝撃により改質されている。注入するイオン種としてはHe+ ,C+ ,N+ ,Ne+ ,Na+ ,N2+ ,O2+ ,Ar+,Kr+ 等が例示されるが、溶出して細胞の成育を阻害するものでなければこれらに特に限定されるものではない。
【0020】
ドース量φは、1×1013≦φ<1×1016個/cm2 の範囲であることが好ましい。1013個/cm2より低いと、細胞接着性の顕著な改善効果が小さくなり、1016個/cm2 より高いと高分子材料が破壊され易くなり、何れも好ましくない。より好ましくは、ドース量φは、1×1013≦φ<1×1015個/cm2 の範囲である。
イオン加速エネルギーに関しては、その高低によりエネルギー伝達機構に差異が生ずるものと考えられるが、実用的には数十〜数百keV程度の範囲で設定することができ、好ましくは50〜150keV程度である。
【0021】
ビーム電流密度はおおよそ0.5μA/cm2 を越えない範囲に設定することが好ましい。これは、ビーム電流密度が過大になるとターゲットである高分子材料の温度が上がり過ぎ、高分子材料自身が劣化する上、細胞の接着性が低下する恐れがあるからである。
【0022】
本発明においてイオン衝撃を与える手段としてはイオン注入が挙げられる。イオン注入は、その反応自体がイオン・ビームと被注入材料(ターゲット材料)との間の相互作用に限られる。しかも、イオン入射エネルギーを選択することにより表面から任意に深さイオンを埋め込むことができ、極めて制御性に優れている。これは、プラズマ処理にはない特徴である。注入されたイオンは、比較的質量の軽いイオンに対しては拡散初期に電子阻止能が働き、比較的質量の重いイオンに対しては始めから核阻止能が働くという機構上の差異はあるものの、高分子材料に格子振動による加熱をもたらし(熱的非平衡状態)、溶融,アモルファス化等を引き起こす。
以下の実施例により本発明をより具体的に説明するが、本発明は実施例によって限定されることはない。
【実施例】
【0023】
(A)実験の概要
(1)Neイオンビーム照射により表面改質を行ったePTFEの生体接着性とイオン照射量の関係
これまでの培養細胞系を用いた実験結果から、1×1014 ions/cm2の照射量で細胞接着能が獲得されるようになり、1×1015 ions/cm2の照射量で最大の細胞接着能を示し、1×1016 ions/cm2の照射量では細胞接着能が大幅に失われることが観察されている。そこで生体内埋込み実験では、1×1014 ions/cm2照射量ePTFE、5×1014ions/cm2照射量ePTFE、1×1015 ions/cm2照射量ePTFEを使用し照射量による細胞接着性の変化を観察検討することとした。
【0024】
(2)Neビーム照射により表面改質を行ったePTFEと生体接着の経時的変化
生体内では常に細胞が動的に振る舞っており、創傷治癒機転という生体管理システムが働いている。従って生体内に埋め込まれたイオンビーム照射表面改質ePTFEの表面でも経時的に細胞接着は進行すると考えられる。超短期から、超長期迄の観察が行えれば理想的であるが、困難であるため、創の一次癒合がほぼ終了する2週間目と組織内修復機転が強まると考えられる4週間目に標本観察を絞り検討することとした。この際も照射量による変化が加味されるため、1×1014 ions/cm2照射量ePTFE、5×1014ions/cm2照射量ePTFE、1×1015 ions/cm2照射量ePTFEそれぞれについて経時観察を行うこととした。
【0025】
(3)Neビーム照射により表面改質を行ったePTFEと異なる生体組織の接着性の関係
本発明の目的の一つは、硬膜欠損を補填する際に脳に接する面では細胞接着性を持たず、頭蓋骨に接する面では細胞接着性を有する人工硬膜の開発にあった。しかし、かつてヒト乾燥硬膜が使用されていた時代には、ヒト乾燥硬膜は硬膜補填のみならず整形外科、泌尿器科、外科等でも使用されていた経緯がある。そこで、同一実験系で施行が可能な他臓器での接着性を確認することを目的として、家兎筋肉との接着実験を併せて行うこととした。
【0026】
(B)実験方法
(1)試料
理化学研究所200KeVイオン注入装置を用いて厚さ0.3mm、20mm角のePTFEに対してNeイオンを加速エネルギー150KeV、照射量 1×1014、5×1014、1×1015 ions/cm2、イオンビーム電流0.5μA/cm2以下で照射した3種類の素材を作製し使用した。この3種の照射線量を選択したのは、これまでの細胞培養系を用いた基礎実験によりePTFEへの細胞接着性がイオン照射量1×1014 ions/cm2から発現し、1×1015 ions/cm2で接着効果が最大となり、1×1016 ions/cm2になると大方の接着効果が失われてしまうことを踏まえたものである。実際の実験際しては、照射素材を包埋部分の大きさに併せて、周囲からの力が掛かり難い大きさに切断して使用した。
【0027】
(2)動物実験
体重2.5〜3.0Kgのオス日本白色家兎10羽を実験に使用した。イソフルラン全身麻酔下に2%キシロカインを局所注射し、頭皮を冠状縫合に沿って切開して頭骨を露出した。頭骨の表面骨膜を完全に除去した状態で試料を骨側に照射面を当てて置いた。骨上には筋組織がないため試料が移動する可能性が極めて低いと考えられるため、特に固定は行わなかった。骨膜を除去したのは、硬膜が頭骨内側骨膜の一部を担っているため、通常の手術に際して補填された人工硬膜は骨膜を有さない骨と直接接触することとなるためである。
次いで、背部傍正中に2%キシロカインを局所麻酔下に縦に皮切を置き、皮下組織を鈍的に剥離して背部筋群を露出した。背部筋群の筋膜を筋肉に傷を付けない様丁寧に剥離し、筋層上に照射面を当てるように試料を置き、四隅を軽く筋膜に縫合固定した。筋肉が存在する部分では筋の動きに伴って試料が移動してしまう可能性が強いためである。
【0028】
(3)観察
試料を包埋移植後2週間目及び4週目にネンブタールを用いて家兎を犠牲とし、それぞれ周辺組織ごと一塊として取り出し、10%バッファーホルマリンで固定した。周辺組織ごと摘出したのはイオンビーム非処理面では組織とePTFEが全く接着していないためにePTFEと組織が分離してしまうことを避けるためである。筋上に置いた試料はそのままパラフィン包埋し、頭骨上に置いた試料は頭骨を脱灰後パラフィン包埋し、ヘマトキシリン・エオジン染色、マッソントリクローム染色を行って顕微鏡下に観察を行った。
【0029】
(C)結果
(1)筋膜上に置いたePTFEの形態学的変化
未処置のePTFE面はこれまでも報告のある通り細胞接着は、2週目、4週目において全く観察されなかった(図1中の図1−1及び1−2)。しかし周囲組織に全く何の反応も認められないわけではない。一見するとePTFEと狭い間隙を介して表面平滑な線維性組織がePTFEを覆う形を取っているように見えるが、2週目では線維性組織のePTFEに接する面では、組織球の集簇が認められた(図1中の図1−3)。しかし、これがePTFEに対する反応性として出現してきたものか、単純に障害された組織断端の反応であるかは今回の実験からは明らかにし得なかった。4週目になると組織球集簇部位に線維性成分が増し、周囲の線維芽細胞も厚味を増してしっかりとした被膜形成の形を取ってくることが明かとなった(図1中の図1−4)。
【0030】
これに対してNeイオンビーム処理を施したePTFE面では移植後2週間目で既に膜表面に線維芽細胞と考えられる細胞の接着が認められ、組織球、リンパ球等の細胞浸潤が周辺に形成された線維性膜の内部に認められた(図2中の図2−1)。
また、処理面側ではePTFE内部に液体成分の染み込こみが確認された。非処理面ではこの様な液体成分の染み込みは認められなかった。染み込んでいる液体成分は、染色性から蛋白質を含有していると考えられるが、実際のどのような成分が染み込んでいるかは今後検討する必要がある。また、ePTFEと接着表面の強固さに直接関係する接着斑も認められ、2週目よりは4週目の方が増加する傾向を示した(図2中の図2−2)。
【0031】
線維芽細胞とイオンビーム処理ePTFE面との接触性は1×1014 ions/cm2では極めて軽度であり、液体成分の染み込みも少なく、接着斑の出現も少なかった。5×1014、1×1015ions/cm2と照射量が増加するに従って、液体成分の染み込みが増加し、接着斑も増加する傾向を示した(図3中の図3−1)。しかし、一部では液体成分の染み込みを認めないにも拘わらず、接着斑が認められる部分もあり、液体成分の染み込みと接着斑の出現は必ずしも並行関係にあるとは考えられなかった(図3中の図3−2)。
【0032】
4週目に摘出された標本でも、所見は類似していた。1×1014ions/cm2照射ePTFEでは2週目と同程度の接着性しか示しておらず、周辺の反応性繊維性成分の厚みが増したのみであった。5×1014、1×1015ions/cm2照射ePTFE面では2週目に比して細胞接着が進み、接着斑も増加する傾向を示した。接着斑の長さは150KeVでのePTFEへのNeイオンビームの侵入距離である4000Åを越えている部分が存在した。
【0033】
(2)頭骨上に置いたePTFEの形態学的変化
非処理ePTFE面で反応は筋膜上に置いた場合と全く異なる所はなかった。2週目に摘出した標本において、骨と接触したイオンビーム処理ePTFE面では1×1014 ions/cm2においても細胞接着性が認められ、組織球反応、液体成分の染み込みも認められ、接着斑も少数ながら認められた(図2中の図2−3)。筋膜上に置いた場合より細胞接着が強い印象を受けたが、客観的に証明することは出来なかった。5×1014、1×1015ions/cm2と照射量が増加するに従って線維芽細胞の接触が増加し、組織球反応、液体成分の染み込み、接着斑も増加する傾向を示した(図2中の図2−4;図3中の図3−3)。
【0034】
4週目に摘出した標本において1×1014 ions/cm2照射群では接触する線維芽細胞の厚みが増す傾向を示したのみで、液体成分の染み込みは余り増加していなかった(図3中の図3−4)。5×1014、1×1015ions/cm2照射群ではePTFE面での線維芽細胞の接触が増加し、筋面と同様にePTFE接着斑が増加し、一部では接触班の集簇も認められた(図4中の図4−1及び図4−2)。また、液体成分の染み込みも増加していると考えられた。一部で2週目、4週目共に組織球や線維芽細胞の発現に乏しく、骨芽細胞を思わせる組織がePTFEに直接接触している像が確認された(図4中の図4−3及び図4−4)。しかしこの細胞がePTFE内に接着斑を出している所見は得られず、単純な接触だけであるか否かは確認できなかった。
【0035】
イオンビーム照射面に対して接触した線維芽細胞が接着斑を作ってePTFE内部に侵入し、その距離がイオンビームの侵入距離を越える可能性が示唆されたが、これは細胞接着性を持たないePTFEであっても、一旦足掛かりが出来れば線維芽細胞等がePTFE内に侵入していく可能性があることを示唆しており、ePTFEと周辺に進展してくる細胞との間に強固な接着性が得られる可能性をも示唆する。
【0036】
(D)結論及び考察
今回の一連の実験から以下のことが明かとなった。
(1)Neイオンビーム照射ePTFEは生体内でも細胞接着性を有する。
これまでの培養細胞系を用いた実験からNeイオンビーム照射ePTFEが細胞接着性を有すようになることは明らかであった。しかし、実際の生体内ではより複雑な創傷治癒機転が存在するため、Neイオンビーム照射ePTFEに対して生体がどのように反応するかは明らかでなかった。今回の実験から、イオンビーム照射量に拘わらず多くの例で2週目には処理面に対して組織球が接着し、一部線維芽細胞も接着するすることが明かとなった。また、少数例ながら骨、筋肉に対して組織球や線維芽細胞を介さず直接骨、筋肉が接着している所見が認められた。従って、組織とNeイオンビーム照射ePTFEとの接着には組織球を主とした細胞接着因子が主体をなす場合と周辺組織が直接接着する場合が考えられる。
【0037】
(2)Neイオンビーム照射ePTFEの生体内における細胞接着性は照射イオンビーム量に依存する。
Neイオンビーム照射ePTFEに対する細胞接着性とイオンビーム照射量との関係については培養細胞系で明らかな関係が存在することが提示されている。しかし生体内でこの条件がそのまま当て嵌まるか否かは明らかでなかった。今回の一連の実験により、イオンビーム照射ePTFEは生体内でも培養細胞系と同様に細胞接着性を有し、接着斑を介して強固に接着することが明かとなった。しかし、生体内では組織球、貪食細胞など培養細胞系では認められない細胞の出現が接着性と強く関係していることが示唆された。Neイオンビーム照射ePTFEの細胞接着性は培養細胞系と同様に接着斑の出現状況等から1×1014、5×1014、1×1015と照射量が増加することによって増加することが明かとなった。
【0038】
(3)Neイオンビーム照射ePTFEに対する細胞接着は、接着斑が重要な役割を担っている。
今回の実験でNeイオンビーム照射ePTFEと周辺組織との接着面を観察してみると、a) 表面に組織球が接着してる、b) 線維芽細胞が接着している、c) 周辺に存在している骨、筋肉が接着している、d) 組織球、線維芽細胞から接着斑が出現しePTFE内部に足を出したように接着している、という4種類の接着状況が存在することが明らかとなった。各々の状態において剥し力測定を行っている訳ではないが、組織球や線維芽細胞がePTFEの上に乗っているだけでは強固な接着性は期待できない。イオンビーム処理を行っていない面でも同様の所見が認められるからである。非照射面ではePTFEとの接着は認められない事から、Neイオンビーム照射ePTFE上に組織球、線維芽細胞がただ乗っているように見えても実際には小さな接着斑が存在している可能性が高い。
【0039】
(4)Neイオンビーム照射ePTFEの内部に液体成分の染み込みが生じている。
今回の実験で染色態度からタンパク質を含むと考えられる液体成分がNeイオンビーム照射ePTFE内部に染み込こんでいる所見が認められた。染込みは表面から広く染み込んでいる場所と、小さい瘻孔が存在して表面より内部に大きな広がりを見せて染込んでいる場所が認められた。
【0040】
(5)Neイオンビーム照射ePTFE接着面での反応はイオンビーム照射量、接している組織、反応時間と必ずしも並行しない。
全体的に見ると接着面での反応は至適照射量で増強し、時間経過と共に強化され、接している組織によって反応態度に差があることが明かとなった。しかし、実験結果を詳細に検討すると、接着面での組織球の出現状態、線維芽細胞の出現状態、接着斑の出現状況等が必ずしもイオンビーム照射量、接している組織、反応時間等と必ずしも並行していないことが分かった。
今回の家兎を用いた生体内埋込み実験の結果から、Neイオンビーム照射ePTFEは1×1015ions/cm2照射量で最大の効果を示す充分な細胞接着性を示した。また骨、筋肉に対してほぼ同様な接着性を示した。これらの結果は、Neイオンビーム照射ePTFEが硬膜補填材料としての人工硬膜としてだけでなく、癒着性・非癒着性の二面性を持つ生体膜補填材量として様々な臨床分野において応用可能であることを示す。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
骨及び/又は筋膜に接着性を有する人工硬膜の製造のための、延伸ポリテトラフルオロエチエン(ePTFE)より構成され、表面の少なくとも一部がイオン衝撃により改質されてなる材料の使用。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【公開番号】特開2012−66096(P2012−66096A)
【公開日】平成24年4月5日(2012.4.5)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2011−240862(P2011−240862)
【出願日】平成23年11月2日(2011.11.2)
【分割の表示】特願2001−124294(P2001−124294)の分割
【原出願日】平成13年4月23日(2001.4.23)
【出願人】(503359821)独立行政法人理化学研究所 (1,056)
【Fターム(参考)】