説明

表面被覆切削工具

【課題】切削工具の靭性と耐摩耗性とを高度に両立させるとともに特に膜チッピングを抑制した表面被覆切削工具を提供する。
【解決手段】基材と、基材上に形成された被膜とを備えるものであって、被膜は、基材上の最外層となるものであり、かつ圧縮応力を有しており、圧縮応力は、上記被膜の厚み方向に強度分布を有するように変化しており、強度分布は、被膜の表面の圧縮応力が被膜の表面から、被膜の表面と被膜の底面との間に位置する第1の中間点まで連続的に増加し、第1の中間点において極大点を有するとともに、第1の中間点から、第1の中間点と被膜の底面との間に位置する第2の中間点まで連続的に減少し、第2の中間点において極小点を有する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、ドリル、エンドミル、ドリル用刃先交換型チップ、エンドミル用刃先交換型チップ、フライス加工用刃先交換型チップ、旋削加工用刃先交換型チップ、メタルソー、歯切工具、リーマ、タップなどの切削工具に関し、特にその表面(最外層)に耐摩耗性等の特性を向上させる被膜を形成した表面被覆切削工具に関する。
【背景技術】
【0002】
従来、切削用の工具としては、超硬合金(WC−Co合金もしくはこれにTi(チタン)やTa(タンタル)、Nb(ニオブ)等の炭窒化物を添加した合金)が用いられてきた。しかし、近年の切削の高速化に伴い、超硬合金、サーメット、あるいはアルミナ系や窒化珪素系のセラミックスを基材として、その表面にCVD(Chemical Vapor Deposition)法やPVD(Physical Vapor Deposition)法で元素周期律表のIVa、Va、VIa族金属やAl(アルミニウム)などの炭化物、窒化物、炭窒化物、ホウ窒化物、酸化物からなる被膜を3〜20μmの厚さに被覆した硬質合金工具の使用割合が増大している。
【0003】
特に、PVD法による被覆は、基材強度の劣化を招かずに耐摩耗性を高め得るということから、ドリル、エンドミル、フライスまたは旋削加工用刃先交換型(スローアウェイ)チップなどの強度の要求される切削工具に多用されている。
【0004】
近年、切削加工能率を一層向上させるため、切削速度がより高速になってきており、そのことに伴い工具には一層の耐摩耗性が要求されるようになってきている。しかし、高い耐摩耗性を要求すると靭性が低下するということから、高い耐摩耗性および高い靭性の双方を両立させることが要求されている。
【0005】
この要求に応える試みとして、このような切削工具の基材表面に形成された被膜において、圧縮応力等の内部応力を連続的または段階的に変化させる手法が提案されている(特許文献1)。このような提案により、耐摩耗性および靭性の両立という要求に対してはある程度の効果を挙げつつある。
【0006】
しかしながら、上記のような提案にかかる切削工具は、その被膜の圧縮応力が被膜表面側から基材表面側にかけて一律に増加乃至減少する態様のものであるため、靭性を顕著に向上させるには圧縮応力を基材表面側から被膜表面側にかけて増加させる必要があり、耐摩耗性を顕著に向上させるには圧縮応力を被膜表面側から基材表面側にかけて増加させる必要があった。
【0007】
すなわち、被膜表面において最大の圧縮応力を有する態様においては上記靭性に優れるものの、基材表面側に向けて連続的または段階的に圧縮応力が一律に減少するため耐摩耗性には劣っていた。逆に、基材表面側において最大の圧縮応力を有する態様においては耐摩耗性に優れるものの、被膜表面側に向けて連続的または段階的に圧縮応力が一律に減少するため靭性には劣っていた。
【0008】
特に被膜表面において最大の圧縮応力を有する態様の切削工具は、その大きな圧縮応力故に被膜形成後(コーティング終了後)または衝撃応力が負荷されたときに被膜が自己破壊し、微小な膜剥離(以下、膜チッピングと記す)が生じやすく、切削工具としての外観品質や高精度加工時の切削性能に悪影響を与えていた。
【0009】
この種の切削工具において靭性と耐摩耗性の両立は、最も基本的な特性の一つであるためこれら両者をさらに高度に両立させた切削工具の提供が望まれていた。
【特許文献1】特開2001−315006号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0010】
本発明は、上記のような現状に鑑みなされたものであって、その目的とするところは、切削工具の靭性と耐摩耗性とを高度に両立させるとともに特に膜チッピングを抑制した表面被覆切削工具を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0011】
本発明者は、上記課題を解決するために鋭意研究を重ねたところ、基材上に最外層として形成される被膜の表面部における圧縮応力を低めるとともに、その被膜の内部において圧縮応力の強度分布に極大点および極小点を形成すれば、表面の高度な耐摩耗性と膜チッピングに対する耐性を維持したままその極大点近傍において靭性が向上するとともに、さらに極小点近傍においてより高度な耐摩耗性が得られるのではないかという知見を得た。本発明は、これらの知見に基づきさらに研究を重ねることにより完成されたものである。
【0012】
すなわち、本発明の表面被覆切削工具は、基材と、該基材上に形成された被膜とを備える表面被覆切削工具であって、該被膜は、該基材上の最外層となるものであり、かつ圧縮応力を有しており、該圧縮応力は、上記被膜の厚み方向に強度分布を有するように変化しており、該強度分布は、上記被膜の表面の圧縮応力が上記被膜の表面から、上記被膜の表面と上記被膜の底面との間に位置する第1の中間点まで連続的に増加し、該第1の中間点において極大点を有するとともに、該第1の中間点から、該第1の中間点と上記被膜の底面との間に位置する第2の中間点まで連続的に減少し、該第2の中間点において極小点を有することを特徴としている。
【0013】
ここで、上記圧縮応力は、−15GPa以上0GPa以下の範囲の応力とすることができる。また上記第1の中間点は、上記被膜の表面から、上記被膜の厚みの0.1%以上50%以下の距離を有して位置するものとすることができる。また上記第2の中間点は、上記被膜の表面から、上記被膜の厚みの0.2%以上95%以下の距離を有して位置するものとすることができる。
【0014】
また上記圧縮応力は、上記被膜の表面において最小となることができ、また上記圧縮応力は、上記被膜の表面において上記被膜の第1の中間点の圧縮応力の25〜95%の値を有するものとすることができる。
【0015】
また上記圧縮応力は、上記被膜の表面において上記被膜の第1の中間点の圧縮応力の35〜85%の値を有するものとすることができる。
【0016】
また上記圧縮応力は、上記被膜の表面の圧縮応力が上記被膜の表面から上記第1の中間点の方向に向かって一定の距離の間維持された後、上記第1の中間点まで連続的に増加するものとすることができる。
【発明の効果】
【0017】
本発明の表面被覆切削工具は、上記のような構成を有することにより、靭性と耐摩耗性とを高度に両立させるとともに特に膜チッピングに対する耐性を向上させた特性を有するものである。
【0018】
特に、上記被膜の表面において被膜内部よりも小さな圧縮応力を有することにより耐摩耗性を向上させたとともに膜チッピングに対する耐性も向上し、かつ被膜内部の表面に近い部分に圧縮応力の強度分布の極大点を形成させたことにより高度な靭性をも兼ね備えたものとしている。
【0019】
また、上記極大点とともに極小点をさらに設けたことにより、その極小点近傍において被膜の自己破壊や衝撃等の応力を緩和する作用を奏することによって膜チッピングに対する耐性が飛躍的に向上し、さらに高度な耐摩耗性を得ることができるようになった。
【0020】
このように本発明は、これらの効果が相乗的に作用することにより靭性と耐摩耗性とを高度に両立させるとともに特に膜チッピングに対する耐性を向上させることに成功したものである。
【発明を実施するための最良の形態】
【0021】
以下、本発明についてさらに詳細に説明する。なお、以下の実施の形態の説明では、図面を用いて説明しているが、本願の図面において同一の参照符号を付したものは、同一部分または相当部分を示している。
【0022】
<表面被覆切削工具>
図1に示したように、本発明の表面被覆切削工具1は、基材2と、該基材上に形成された被膜3とを備えた構成を有している。なお、図1では、被膜3が基材2表面に直接接するように形成されているが、被膜3が最外層となる限り被膜3と基材2との間には後述するように任意の中間層が形成されていても差し支えない。本願において基材上に形成された被膜という場合は、このように任意の中間層が形成された場合も含むものとする。
【0023】
このような本発明の表面被覆切削工具は、ドリル、エンドミル、ドリル用刃先交換型チップ、エンドミル用刃先交換型チップ、フライス加工用刃先交換型チップ、旋削加工用刃先交換型チップ、メタルソー、歯切工具、リーマ、タップなどの切削工具として好適に用いることができ、とりわけ仕上げ切削用または精密切削用の用途に好適であるとともに、旋削加工用の用途に特に適したものとなっており、これらの用途で靭性および耐摩耗性に優れたものとなる。特に、膜チッピングに対する耐性に優れることから被削材の仕上げ面粗さが向上し、被削材の仕上げ面光沢にも優れることから粗仕上同時加工が可能である。
【0024】
<基材>
本発明の表面被覆切削工具に用いられる基材は、この種の用途の基材として従来公知のものであればいずれのものも使用することができる。たとえば、超硬合金(たとえばWC基超硬合金、WCの他、Coを含み、あるいはさらにTi、Ta、Nb等の炭窒化物を添加したものも含む)、サーメット(TiC、TiN、TiCN等を主成分とするもの)、高速度鋼、セラミックス(炭化チタン、炭化硅素、窒化硅素、窒化アルミニウム、酸化アルミニウムなど)、立方晶型窒化硼素焼結体、またはダイヤモンド焼結体のいずれかであることが好ましい。
【0025】
これらの各種基材の中でも、特にWC基超硬合金、サーメット、立方晶型窒化硼素焼結体を選択することが好ましい。これは、これらの基材が特に高温硬度と強度とのバランスに優れ、上記用途の表面被覆切削工具の基材として優れた特性を有するためである。
【0026】
<被膜>
本発明の被膜は、上記の基材上に形成されるものであって最外層となるものである。このように形成されている限り、必ずしも上記基材を全面に亘って被覆している必要はなく、上記基材の表面に該被膜が形成されていない部分が含まれていても差し支えない。なお、被膜を一旦形成した後に、任意の後加工によりその被膜の表面の一部が除去される場合には、それが除去された後に新たに最表面に露出した層についても本発明の対象の被膜となる。また、後述のように基材と被膜との間に中間層が形成されている場合において、その被膜が任意の後加工により除去されて中間層が最外層として露出する場合には、その露出部分については該中間層が本発明の被膜となる(この場合、該中間層が複数の層で形成されている場合には、その複数の層のうち最外層(最表面となる層)が本発明の被膜となる)。
【0027】
このような被膜は、工具の耐摩耗性、耐酸化性、靭性、使用済み刃先部の識別のための色付性等の諸特性を向上させる作用を付与するために形成されるものであり、その組成は特に限定されるものではなく従来公知のものを採用することができる。たとえば、元素周期律表のIVa族元素、Va族元素、VIa族元素、Al(アルミニウム)、B(ホウ素)、Si(シリコン)およびGe(ゲルマニウム)からなる群から選ばれる少なくとも1種の元素の炭化物、窒化物、酸化物、炭窒化物、炭酸化物、窒酸化物、炭窒酸化物またはこれらの固溶体により構成されるものをその組成として例示することができる。
【0028】
特に、Ti、Al、(Ti1-xAlx)、(Al1-xx)、(Ti1-xSix)、(Al1-xCrx)、(Ti1-x-yAlxSiy)または(Al1-x-yCrxy)の窒化物、炭窒化物、窒酸化物または炭窒酸化物(式中x、yは1以下の任意の数)等(これらにさらにB、Cr等を含むものも含む)をその好適な組成として例示することができる。
【0029】
より好ましくは、TiCN、TiN、TiSiN、TiSiCN、TiAlN、TiAlCrN、TiAlSiN、TiAlSiCrN、AlCrN、AlCrCN、AlCrVN、TiBN、TiAlBN、TiSiBN、TiBCN、TiAlBCN、TiSiBCN、AlN、AlCN、AlVN、AlVCN等を挙げることができる。なお、これらの組成中、各原子比は上記一般式の例に倣うものとする。
【0030】
また、このような被膜は、単層として形成されるものとする。ここで単層とは、その積層数は1層であっても複数層であってもよいが、各層を構成する構成元素の種類が同一である構造をいうものとする。このため、構成元素の種類が同一のものである限り、原子比の異なるものが複数積層されていてもここでいう単層に含まれるものとする。
【0031】
本発明の被膜としては、特に被膜全体を通して構成元素の種類が同一であり、その原子比も同一のもので構成されていることが好ましい。
【0032】
<被膜の厚み>
本発明の被膜の厚みは、特に限定されるものではないが、0.1μm以上10μm以下であることが好ましい。その厚みが0.1μm未満では、被膜の形成による諸特性の向上効果が十分に得られなくなることがあり、10μmを超えると被膜自体が容易に剥離することがあるからである。
【0033】
<被膜の形成方法>
本発明の被膜の形成方法は、特に限定されるものではないが、物理的蒸着法(PVD法)により形成することが好ましい。このように物理的蒸着法を採用することより、強度分布が形成されるように被膜の圧縮応力を容易に変化させることができるからである。
【0034】
すなわち、被膜の圧縮応力は、本発明者の研究によると、物理的蒸着法により被膜を形成する時の温度、反応ガス圧、基板バイアス電圧等の影響を受けることが判明しており、その中でも特に被膜を形成する時の基板バイアス電圧の影響が最も大きいことが判明している。
【0035】
これは、たとえば基材に対して大きな基板バイアス電圧をかけると、被膜を構成する元素がイオン状態で基材に対して高エネルギーで供給され、このためこれら両者が衝突するときの衝撃が大きくなり、その結果として形成される被膜の圧縮応力が大きくなるものと考えられる。また、逆に基板バイアス電圧が小さい場合は、そのような基材とイオン状態の元素との衝突による衝撃も小さく、以って圧縮応力も小さくなるものと推測される。
【0036】
したがって、被膜の圧縮応力が、被膜の厚み方向に対して強度分布を有するようにするためには、基材上に被膜を形成する際に、物理的蒸着法を採用し、その基板バイアス電圧を調節することにより、実行することができる。
【0037】
このように本発明の被膜の形成方法としては、物理的蒸着法を採用することが好ましいが、他の形成方法として知られる化学的蒸着法を除外するものではない。
【0038】
このような物理的蒸着法としては、基板バイアス電圧の調節が可能なスパッタリング法、イオンプレーティング法等、従来公知の方法を挙げることができる。特に、それらの各種方法の中でもイオンプレーティング法またはマグネトロンスパッタリング法を採用することが好ましい。
【0039】
ここで、イオンプレーティング法とは、金属を陰極とし、真空チャンバーを陽極として、金属を蒸発、イオン化させると同時に基材に負の電圧(基板バイアス電圧)をかけることによりイオンを引き出し、基材表面に金属イオンを堆積する方法をいう。なお、この方法において、真空中に窒素を入れ、金属と反応させれば該金属の窒化化合物が形成されることになる。たとえば金属としてチタンを用い、窒素と反応させれば窒化チタン(TiN)が形成される。
【0040】
このようなイオンプレーティング法にも種々のものがあるが、特に、原料元素のイオン率が高いカソードアークイオンプレーティング法を採用することが特に好ましい。
【0041】
このカソードアークイオンプレーティング法を用いると、被膜を形成する前に基材表面に対して金属のイオンボンバードメント処理が可能となるため、被膜の密着性が飛躍的に向上するという効果を得ることもできる。このため、密着性という意味からもカソードアークイオンプレーティング法は好ましいプロセスである。
【0042】
一方、マグネトロンスパッタリング法とは、真空チャンバー内を高真空にした後、Arガスを導入してターゲットに高電圧を印加しグロー放電を生じさせ、このグロー放電によりイオン化したArをターゲットに向けて加速照射させターゲットをスパッタすることにより、飛び出してイオン化されたターゲット原子は、ターゲット−基板間の基板バイアス電圧によって加速され基材上に堆積されることによって成膜される方法をいう。このようなマグネトロンスパッタリング法には、バランスドマグネトロンスパッタリング法、アンバランスドマグネトロンスパッタリング法等がある。
【0043】
なお、上記では、被膜の圧縮応力の強度分布の形成方法として、物理的蒸着法による基板バイアス電圧を制御する方法を挙げているが、本発明においてはこのような方法のみに限定されるものではない。たとえば、被膜形成後に、ブラスト等機械的衝撃により圧縮応力を加える方法、ヒーター、レーザー等の熱源を用いて圧縮応力を緩和する方法、これらの方法を組み合せる方法等を挙げることができる。
【0044】
<被膜の圧縮応力>
本発明の被膜は、圧縮応力を有している。そして、該圧縮応力は−15GPa以上0GPa以下の範囲の応力であることが好ましい。より好ましくは、その下限を−10GPa、さらに好ましくは−8GPaである。また、その上限は、より好ましくは−0.5GPaであり、さらに好ましくは−1GPaである。
【0045】
被膜の圧縮応力が−15GPa未満となると、切削工具の形状(刃先が極めて小さい鋭角であるものや複雑な形状をしたもの等)により、特に刃先稜線部で被膜が剥離する場合がある。また、被膜の圧縮応力が0GPaを越えると、被膜の応力は引張状態となるので、被膜に亀裂を生じ、これが原因となって工具自体が欠損する場合がある。
【0046】
ここで、本発明でいう圧縮応力とは、被膜に存する内部応力(固有ひずみ)の一種であって、「−」(マイナス)の数値(単位:GPa)で表されるものである。このため、圧縮応力(内部応力)が大きいという表現は、上記数値の絶対値が大きくなることを示し、また、圧縮応力(内部応力)が小さいという表現は、上記数値の絶対値が小さくなることを示す。
【0047】
また、このような本発明の圧縮応力は、sin2ψ法という方法で測定されるものである。X線を用いたsin2ψ法は、多結晶材料の残留応力の測定方法として広く用いられている。この測定方法は、「X線応力測定法」(日本材料学会、1981年株式会社養賢堂発行)の54〜66頁に詳細に説明されているが、本発明ではまず並傾法と側傾法とを組み合せてX線の侵入深さを固定し、測定する応力方向と測定位置に立てた試料表面法線を含む面内で種々のψ方向に対する回折角度2θを測定して2θ−sin2ψ線図を作成し、その勾配からその深さ(被膜の表面からの距離)までの平均圧縮応力を求めることができる。そして、同様にして異なる深さまでの平均圧縮応力を順次測定することにより、被膜の厚み方向の圧縮応力の強度分布を求めることができる。
【0048】
より具体的には、X線源からのX線を試料に所定角度で入射させ、試料で回折したX線をX線検出器で検出し、該検出値に基づいて内部応力を測定するX線応力測定方法において、試料の任意箇所の試料表面に対して任意の設定角度でX線源よりX線を入射させ、試料上のX線照射点を通り試料表面で入射X線と直角なω軸と、試料台と平行でω軸を回転させた時に入射X線と一致するχ軸を中心に試料を回転させるときに、試料表面と入射X線とのなす角が一定となるように試料を回転させながら、回折面の法線と試料面の法線とのなす角度ψを変化させて回折線を測定することによって、試料内部の圧縮応力を求めることができる。
【0049】
なお、このような被膜の厚み方向の強度分布を求めるX線源としては、X線源の質(高輝度、高平行性、波長可変性等)の点で、シンクロトロン放射光(SR)を用いることが好ましい。
【0050】
なおまた、上記のように圧縮応力を2θ−sin2ψ線図から求めるためには、被膜のヤング率とポアソン比が必要となる。しかし、該ヤング率はダイナミック硬度計等を用いて測定することができ、ポアソン比は材料によって大きく変化しないため0.2前後の値を用いればよい。本発明では、特に正確な圧縮応力値が特に重要となるわけではなく、圧縮応力の強度分布が重要である。このため、2θ−sin2ψ線図から圧縮応力を求めるに際して、ヤング率を用いることなく格子定数および格子面間隔を求めることにより圧縮応力の強度分布の代用とすることもできる。
【0051】
<強度分布>
本発明の被膜の上記圧縮応力は、上記被膜の厚み方向に強度分布を有するように変化している。ここで被膜の厚み方向とは、被膜の表面から被膜の底面(該被膜は基材上の最外層となるためその最外層の最も基材側の面)に向かう方向であって、被膜の表面に対して垂直となる方向である。図1の被膜3の部分の拡大断面図である図2を用いてより具体的に説明すれば、被膜の厚み方向とは、被膜の表面4から被膜の底面6に向かう矢印7で示される方向である。なお、矢印7は、便宜上、被膜の表面4から被膜の底面6に向かう方向で示されているが、被膜の表面に対して垂直となる方向である限りこの上下方向を限定する必要はなく、被膜の底面6から被膜の表面4に向かうものであってもよい。
【0052】
また、上記強度分布とは、圧縮応力の大きさが上記被膜の厚み方向に向かって分布を形成して変化することを示すものである。したがって、該圧縮応力が被膜の厚み方向に強度分布を有するとは、換言すれば圧縮応力の大きさが被膜の表面と平行の方向ではなく、被膜の表面と垂直の方向に変化することを意味するものである。
【0053】
そして上記強度分布は、上記被膜の表面の圧縮応力が上記被膜の表面から、上記被膜の表面と上記被膜の底面との間に位置する第1の中間点まで連続的に増加し、その第1の中間点において極大点を有するとともに、その第1の中間点から、その第1の中間点と上記被膜の底面との間に位置する第2の中間点まで連続的に減少し、その第2の中間点において極小点を有することを特徴としている。
【0054】
この特徴を、図2および本発明の強度分布の一例を示す図3を用いてより詳しく説明する。図3は、被膜の厚み方向として、被膜の表面からの距離を横軸とし、圧縮応力を縦軸として強度分布をグラフ化したものである。
【0055】
まず、図2に示したように、上記の第1の中間点5とは、上記被膜の表面4と上記被膜の底面6との間に位置するものであるが、上記被膜の表面4からの垂直方向の距離で示せば、必ずしも被膜の厚み(被膜の表面4から被膜の底面6までの垂直方向の距離)の1/2になる必要はない。通常、このような第1の中間点5は、被膜の底面6よりは被膜の表面4に近いところに位置するものである。
【0056】
好ましくはこのような第1の中間点5は、上記被膜の表面4から、上記被膜の厚み(上記被膜の表面4から上記被膜の底面6までの垂直方向の距離)の0.1%以上50%以下の距離を有して位置することが好ましく、より好ましくはその下限を0.3%、さらに好ましくは0.5%、その上限を40%、さらに好ましくは35%とすることが好適である。0.1%未満の場合には、仕上げ切削や精密切削に用いた場合、圧縮応力の低減が不完全となり膜チッピングの抑制効果が低下し仕上げ面粗さの向上効果が見られなくなる場合がある。また、50%を超えると、被膜内部において圧縮応力を増加した効果が低下し、靭性の向上作用が示されなくなる場合がある。
【0057】
このような強度分布において、上記圧縮応力は上記被膜の表面4において最小となる(換言すればその絶対値が最小となる)ものとすることができる。これにより、特に優れた耐摩耗性を得ることができる。
【0058】
なお、このような上記圧縮応力は、上記被膜の表面において上記被膜の第1の中間点における圧縮応力の25〜95%の値を有していることが好ましい。より好ましくは、その上限が90%、さらに好ましくは85%、その下限が30%、さらに好ましくは35%である。
【0059】
この値が25%未満となる場合、十分な靭性が得られなくなることがあり、また95%を超えると被膜表面において圧縮応力を低減した効果が低下し、膜チッピングの抑制効果が見られなくなる場合がある。
【0060】
一方、上記の極大点とは、位置的には上記の第1の中間点(図3においては被膜の表面からの距離が約0.1μmとなる地点)において観察されるものであり、被膜の表面の圧縮応力(図3においては約−1.8GPaの値を有する圧縮応力)が、被膜の底面6に向かって連続的に増加していき、この極大点においてその増加の度合いが変化することを示すものである。ここで、増加の度合いが変化するとは、図3に示したようにこの極大点を境として圧縮応力が第2の中間点の方向に向かって連続的に減少することを示している。
【0061】
なお、図3においては、上記の極大点は、上記の第1の中間点の一点のみにおいて存在する態様となっているが、本発明の態様としてはこのような態様のみに限らず、被膜の厚み方向に極大点がある厚みをもって存在する場合も含むものとする。ここで、極大点がある厚みをもって存在するとは、極大点の圧縮応力が上記第1の中間点からその厚み(好ましくは被膜の厚みの1/2以下)の間、実質的に一定の値を有することをいう。このように、上記の極大点が上記第1の中間点からある厚みをもって存在することにより、靭性をさらに向上させることができる。
【0062】
したがって、本願でいう極大点とは、数学の関数用語である極大点と同意またはそれより広義の意味を有するものである。
【0063】
一方、図2に示したように、上記の第2の中間点9とは、上記第1の中間点5と上記被膜の底面6との間に位置するものであるが、必ずしも上記第1の中間点5から被膜の底面6までの垂直方向の距離の1/2になる必要はない。通常、このような第2の中間点9は、被膜の底面6よりは上記第1の中間点5に近いところに位置するものである。
【0064】
好ましくはこのような第2の中間点9は、上記被膜の表面から、上記被膜の厚み(上記被膜の表面4から上記被膜の底面6までの垂直方向の距離)の0.2%以上95%以下の距離を有して位置することが好ましく、より好ましくはその下限を0.5%、さらに好ましくは1.0%、その上限を90%、さらに好ましくは80%とすることが好適である。0.2%未満の場合には、圧縮応力の付与が不十分となり靭性の向上作用が見られなくなる場合がある。また、95%を超えると、圧縮応力の低減が不十分となり膜チッピングの抑制効果および耐摩耗性の向上効果が見られなくなる場合がある。
【0065】
なお、上記のような第2の中間点において、上記圧縮応力は上記第1の中間点における圧縮応力(極大点)の20〜90%の値を有していることが好ましい。より好ましくは、その上限が85%、さらに好ましくは80%、その下限が30%、さらに好ましくは40%である。
【0066】
この値が20%未満となる場合、圧縮応力の低減が大きくなりすぎて十分な靭性が得られなくなることがあり、また90%を超えると衝撃吸収(応力の緩和)が不完全となり膜チッピングの抑制効果が低下する他、耐摩耗性の向上作用が示されなくなる場合がある。
【0067】
さらに上記の極小点とは、位置的には上記の第2の中間点(図3においては被膜の表面からの距離が約0.4μmとなる地点)において観察されるものであり、第1の中間点5の圧縮応力(図3においては約−5GPaの値を有する圧縮応力)が被膜の底面6に向かって連続的に減少していき、この極小点においてその減少の度合いが変化することを示すものである。ここで、減少の度合いが変化するとは、図3に示したようにこの極小点を境として圧縮応力が被膜の底面6の方向に向かって連続的に増加することを示している。
【0068】
なお、図3においては、上記の極小点は、上記の第2の中間点の一点のみにおいて存在する態様となっているが、本発明の態様としてはこのような態様のみに限らず、被膜の厚み方向に極小点がある厚みをもって存在する場合も含むものとする。ここで、極小点がある厚みをもって存在するとは、極小点の圧縮応力が上記第2の中間点からその厚み(好ましくは被膜の厚みの1/2以下)の間、実質的に一定の値を有することをいう。このように、上記の極小点が上記第2の中間点からある厚みをもって存在することにより、耐摩耗性をさらに向上させることができる。
【0069】
したがって、本願でいう極小点とは、数学の関数用語である極小点と同意またはそれより広義の意味を有するものである。
【0070】
なお、図3においては、上記の第2の中間点から被膜の底面の方向に向かって圧縮応力が連続的に増加する態様が示されているが、本発明の態様としてはこのような態様のみに限らず、上記第2の中間点から被膜の底面まで圧縮応力が一定の値(実質的に一定の値)となる場合も含まれる。上記第2の中間点から被膜の底面まで圧縮応力が連続的に増加する場合には靭性が優れたものとなるのに対して、このように第2の中間点から被膜の底面まで圧縮応力が一定の値となる場合には耐摩耗性がさらに向上するという効果が示される。
【0071】
また、図3においては、被膜の表面(すなわち被膜の表面からの距離が0μmの地点)から圧縮応力が連続的に増加する態様となっているが、本発明の態様としてはこのような態様のみに限らず、たとえば図4に示したように被膜の表面の圧縮応力が被膜の底面方向に向かって一定の距離(好ましくは0.5μm以下)の範囲内で維持される場合も含むものとする。すなわち、上記圧縮応力は、上記被膜の表面において内部よりも小さな圧縮応力(換言すれば絶対値がその内部の絶対値よりも小さくなる圧縮応力)を有するとともに、その圧縮応力が上記被膜の表面から上記第1の中間点の方向に向かって一定の距離(好ましくは0.5μm以下)の間維持された後、該圧縮応力が上記第1の中間点まで連続的に増加する態様が含まれる。
【0072】
このように被膜表面の圧縮応力が、その被膜の表面から被膜の底面方向に向かって一定の距離の範囲内で維持されると、特に優れた膜チッピングの抑制効果および耐摩耗性を有することとなるため好ましい。
【0073】
なお、本願において圧縮応力が連続的に減少するとは、図3に示したように上に凸の状態で減少する場合だけではなく、下に凸の状態で減少したり直線的に減少する場合も含まれる。さらに、一部分において増加したり、減少の度合い(傾き)が途中で変化しているような場合あるいは段階的(階段状に減少)となっている場合であっても、全体として減少していれば、本願でいう連続的に減少する場合に含まれるものとする。
【0074】
また、本願において圧縮応力が連続的に増加するとは、図3に示したように上に凸の状態で増加したり下に凸の状態で増加する場合だけではなく、直線的に増加する場合も含まれる。さらに、一部分において減少したり、増加の度合い(傾き)が途中で変化しているような場合あるいは段階的(階段状に増加)となっている場合であっても、全体として増加していれば、本願でいう連続的に増加する場合に含まれるものとする。
【0075】
このように本発明においては、その強度分布が上記被膜の表面の圧縮応力が上記被膜の表面から、上記被膜の表面と上記被膜の底面との間に位置する第1の中間点まで連続的に増加し、その第1の中間点において極大点を有したものとなっている。このように被膜の表面において内部よりも小さな圧縮応力を有することにより、耐摩耗性が向上するとともに膜チッピングに対する耐性も優れたものとなり、かつその極大点近傍において優れた靭性が提供されるという卓越した効果が示される。
【0076】
さらに本発明においては、上記第1の中間点から上記第2の中間点まで圧縮応力が連続的に減少し、その第2の中間点において極小点を有することにより、さらに高度な耐摩耗性が提供される。このようにして、本発明の表面被覆切削工具は、靭性と耐摩耗性および膜チッピングに対する耐性とを両立させることに成功したという極めて優れた効果を示すものである。
【0077】
このような優れた効果は、上記のような極大点および極小点を有さず、被膜の表面から被膜の底面に向かって圧縮応力が連続的または段階的に一律に減少乃至増加することを特徴とする従来の表面被覆切削工具(特許文献1)においては示すことができない格別の効果である。
【0078】
<その他>
本発明の表面被覆切削工具においては、図5に示すように上記基材2と上記被膜3との間に任意の中間層8を形成することができる。このような中間層8は、通常耐摩耗性を向上させたり、基材と被膜との密着性を向上させたりする特性を有するものであり、1層または複数層として形成することができる。なお、この場合、上記被膜の底面6は、被膜3と中間層8とが接する面となる。
【0079】
このような中間層は、たとえばTiN、TiCN、TiSiN、TiAlN、AlCrN、AlVN、TiAlCrN、TiAlSiN、TiAlSiCrN、AlCrVN等により構成することができる。なお、これらの組成中、各原子比は上記被膜の組成として例示した一般式の例に倣うものとする。
【実施例】
【0080】
以下、実施例を挙げて本発明をより詳細に説明するが、本発明はこれらに限定されるものではない。なお、実施例中の被膜の化合物組成はXPS(X線光電子分光分析装置)によって確認した。また圧縮応力および厚み(または被膜表面からの距離)は、上述のsin2ψ法により測定した。
【0081】
sin2ψ法による測定において、使用したX線のエネルギーは10keVであり、回折ピークはTi0.5Al0.5N(実施例1〜6)およびTi0.8Si0.2N(実施例7〜10)の(200)面とした。そして、測定した回折ピーク位置をガウス関数のフィッティングにより決定し、2θ−sin2ψ線図の傾きを求め、ヤング率としてはダイナミック硬度計(MTS社製ナノインデンター)を用いて求めた値を採用し、ポアソン比にはTiN(0.19)の値を用いて応力値とした。
【0082】
なお、以下では被膜をカソードアークイオンプレーティング法により形成しているが、例えばバランスドまたはアンバランスドスパッタリング法によっても成膜することは可能である。また、以下では特定の被膜組成のものを形成しているが、これ以外の組成のものでも同様の効果を得ることができる。
【0083】
<実施例1〜6>
<表面被覆切削工具の作製>
まず、表面被覆切削工具の基材として、以下の表1に示す材質と工具形状(後述の各特性の評価方法により異なる)を有する切削用刃先交換型チップを用意し、これをカソードアークイオンプレーティング装置に装着した。
【0084】
【表1】

【0085】
続いて、真空ポンプにより該装置のチャンバー内を減圧するとともに、該装置内に設置されたヒーターにより上記基材の温度を450℃に加熱し、チャンバー内の圧力が1.0×10-4Paとなるまで真空引きを行なった。
【0086】
次に、アルゴンガスを導入してチャンバー内の圧力を3.0Paに保持し、上記基材の基板バイアス電源の電圧を徐々に上げながら−1500Vとし、基材の表面のクリーニングを15分間行なった。その後、アルゴンガスを排気した。
【0087】
次いで、上記基材上に直接接するように形成される被膜としてTi0.5Al0.5Nが3μmの厚みで形成されるように、金属蒸発源である合金製ターゲットをセットするとともに、反応ガスとして窒素ガスを導入させながら、基材(基板)温度450℃、反応ガス圧4.0Paとし、基板バイアス電圧を以下の表2のように変化させることにより、カソード電極に100Aのアーク電流を供給し、アーク式蒸発源から金属イオンを発生させることにより、以下の表3に示す圧縮応力の強度分布を有する実施例1〜6の本発明の表面被覆切削工具を作製した。
【0088】
【表2】

【0089】
なお、上記の表において記載されている時間は、合金製ターゲットにより金属イオンの蒸発を開始してからの経過時間を示している。また、各欄に示されている電圧の数値は、上記の経過時間に対応する基板のバイアス電圧を示しており、たとえば「−170V〜−70V」というような範囲をもって記載されている場合は、その経過時間において基板バイアス電圧を−170Vから徐々に−70Vまで一定速度で減少させたことを示しており、この場合被膜の圧縮応力は徐々に減少することとなる。一方、「−70V〜−150V」というような範囲をもって記載されている場合は、その経過時間において基板バイアス電圧を−70Vから徐々に−150Vまで一定速度で増大させたことを示しており、この場合被膜の圧縮応力は徐々に増加することとなる。そして、電圧の変化が減少から増大に転じる点、ならびに電圧の変化が増大から減少に転じる点において、それぞれ圧縮応力の極小点ならびに極大点が形成されることになる。
【0090】
このように基板バイアス電圧を経過時間との関係で変化させることにより、被膜中の圧縮応力の強度分布において極小点ならびに極大点や、連続的に減少したりあるいは増加したりする状態を形成することができる。
【0091】
【表3】

【0092】
なお、上記表において表面の圧縮応力および底面の圧縮応力の欄に記載されている数値は、それぞれ被膜の表面および被膜の底面において示される圧縮応力を示している。また、第1の中間点および第2の中間点の欄に記載されている数値は、被膜の厚み方向の距離として被膜の表面から、該第1の中間点および該第2の中間点までの距離をそれぞれ示している(「%」表示の数値は被膜の厚みに対するものであり、「μm」表示との両者で示している)。また、極大点および極小点の欄に記載されている数値は、その極大点および極小点における圧縮応力をそれぞれ示している。
【0093】
このようにして、実施例1〜6の本発明の表面被覆切削工具は、基材と、該基材上に形成された被膜とを備え、該被膜は、該基材上の最外層となるものであり、かつ圧縮応力を有しており、該圧縮応力は、上記被膜の厚み方向に強度分布を有するように変化しており、該強度分布は、上記被膜の表面の圧縮応力が上記被膜の表面から、上記被膜の表面と上記被膜の底面との間に位置する第1の中間点まで連続的に増加し、該第1の中間点において極大点を有するとともに、該第1の中間点から、該第1の中間点と上記被膜の底面との間に位置する第2の中間点まで連続的に減少し、該第2の中間点において極小点を有し、そして該第2の中間点から上記被膜の底面まで連続的に増加するものである。
【0094】
なお、比較のため、合金製ターゲットにより金属イオンの蒸発を開始してから60分間基板バイアス電圧を−150Vで維持することを除き、上記と同様にして表面被覆切削工具を作製した(比較例1)。
【0095】
この比較例1の表面被覆切削工具は、被膜の圧縮応力の強度分布が極大点および極小点を有さず、被膜の底面から被膜の表面にかけて一律に減少するものであった。
【0096】
<実施例7〜10>
<表面被覆切削工具の作製>
まず、表面被覆切削工具の基材としては、実施例1〜6において用いたものと同じものを用いた。そして、この基材をカソードアークイオンプレーティング装置に装着した。
【0097】
続いて、真空ポンプにより該装置のチャンバー内を減圧するとともに、該装置内に設置されたヒーターにより上記基材の温度を450℃に加熱し、チャンバー内の圧力が1.0×10-4Paとなるまで真空引きを行なった。
【0098】
次に、アルゴンガスを導入してチャンバー内の圧力を3.0Paに保持し、上記基材の基板バイアス電源の電圧を徐々に上げながら−1500Vとし、基材の表面のクリーニングを15分間行なった。その後、アルゴンガスを排気した。
【0099】
次いで、上記基材上に直接接するように形成される被膜としてTi0.8Si0.2Nが3μmの厚みで形成されるように、金属蒸発源である合金製ターゲットをセットするとともに、反応ガスとして窒素を導入させながら、基材(基板)温度450℃、反応ガス圧4.0Paとし、基板バイアス電圧を以下の表4のように変化させることにより、カソード電極に100Aのアーク電流を供給し、アーク式蒸発源から金属イオンを発生させることにより、以下の表5に示す圧縮応力の強度分布を有する実施例7〜10の本発明の表面被覆切削工具を作製した。
【0100】
【表4】

【0101】
なお、上記の表において記載されている時間は、表2の場合と同様、合金製ターゲットにより金属イオンの蒸発を開始してからの経過時間を示している。また、各欄に示されている電圧の数値も、表2の場合と同様、上記の経過時間に対応する基板のバイアス電圧を示している。
【0102】
【表5】

【0103】
なお、上記表において表面の圧縮応力および底面の圧縮応力の欄に記載されている数値は、表3の場合と同様にそれぞれ被膜の表面および被膜の底面において示される圧縮応力を示している。また、第1の中間点および第2の中間点の欄に記載されている数値も、表3の場合と同様に被膜の厚み方向の距離として被膜の表面から各中間点までの距離をそれぞれ示している(「%」表示の数値は被膜の厚みに対するものであり、「μm」表示との両者で示している)。極大点および極小点の欄に記載されている数値も、表3の場合と同様、その点における圧縮応力をそれぞれ示している。
【0104】
このようにして、実施例7〜10の本発明の表面被覆切削工具は、基材と、該基材上に形成された被膜とを備え、該被膜は、該基材上の最外層となるものであり、かつ圧縮応力を有しており、該圧縮応力は、上記被膜の厚み方向に強度分布を有するように変化しており、該強度分布は、上記被膜の表面の圧縮応力が上記被膜の表面から、上記被膜の表面と上記被膜の底面との間に位置する第1の中間点まで連続的に増加し、該第1の中間点において極大点を有するとともに、該第1の中間点から、該第1の中間点と上記被膜の底面との間に位置する第2の中間点まで連続的に減少し、該第2の中間点において極小点を有し、そして該第2の中間点から上記被膜の底面まで連続的に増加するものである。
【0105】
なお、比較のため、合金製ターゲットにより金属イオンの蒸発を開始してから60分間かけて基板バイアス電圧を−200V〜−20Vまで一律に減少させることを除き、上記と同様にして表面被覆切削工具を作製した(比較例2)。
【0106】
この比較例2の表面被覆切削工具は、被膜の圧縮応力の強度分布が極大点および極小点を有さず、被膜の底面から被膜の表面にかけて一律に減少するものであった。
【0107】
<表面被覆切削工具の耐摩耗性の評価>
上記で作製した実施例1〜10および比較例1〜2の表面被覆切削工具のそれぞれについて、上記の表1に示す条件による湿式(水溶性エマルジョン)の連続切削試験および断続切削試験を行なった。そして、刃先の逃げ面摩耗幅が0.2mmを超える時間を切削時間として測定した。
【0108】
表面被覆切削工具の耐摩耗性の評価結果として上記で測定した切削時間を下記表6および表7に示す。切削時間が長いもの程耐摩耗性が優れていることを示している。また、連続切削試験においては、被削材の仕上げ面の光沢の有無についても観察し、その観察結果を同じく表6および表7に示す。この場合、「光沢あり」とは被削材の仕上げ面が光沢を有することを示し、「白濁」とは被削材の仕上げ面が光沢を有さず白濁したことを示す。
【0109】
表6および表7から明らかなように、連続切削試験においても断続切削試験においても実施例1〜10の本発明に係る表面被覆切削工具は、比較例1〜2の表面被覆切削工具に比し、さらに耐摩耗性(連続切削試験参照)および靭性(断続切削試験参照)が向上するとともに仕上げ面に光沢を得ることができることから膜チッピングに対する耐性にも優れ、かつ表面被覆切削工具の寿命がさらに向上していることを確認した。
【0110】
<表面被覆切削工具の仕上げ面光沢の評価>
上記で作製した実施例1〜10および比較例1〜2の表面被覆切削工具のそれぞれについて、以下に示す条件で仕上げ面光沢の評価試験を行なった。
【0111】
すなわち、切削条件は、上記の表1に示したようにS45Cを被削材として用い、切削速度200m/min、送り量0.2mm/rev、切り込み0.5mmとし、10分間の湿式旋削試験を行なった。
【0112】
このようにして各表面被覆切削工具の仕上げ面光沢の評価結果を下記表6および表7に示す。表6および表7から明らかなように、実施例1〜10の本発明に係る表面被覆切削工具は、比較例1〜2の表面被覆切削工具に比し、さらに仕上げ面光沢が向上しており、膜チッピングに対する耐性に優れていることを確認した。
【0113】
【表6】

【0114】
【表7】

【0115】
今回開示された実施の形態および実施例はすべての点で例示であって制限的なものではないと考えられるべきである。本発明の範囲は上記した説明ではなくて特許請求の範囲によって示され、特許請求の範囲と均等の意味および範囲内でのすべての変更が含まれることが意図される。
【図面の簡単な説明】
【0116】
【図1】本発明の表面被覆切削工具の概略断面図である。
【図2】本発明の表面被覆切削工具の被膜の部分を拡大した概略断面図である。
【図3】被膜の圧縮応力の強度分布の一態様を示すグラフである。
【図4】被膜表面の圧縮応力が一定の距離維持される場合の、被膜の圧縮応力の強度分布の一態様を示すグラフである。
【図5】中間層を形成した本発明の表面被覆切削工具の概略断面図である。
【符号の説明】
【0117】
1 表面被覆切削工具、2 基材、3 被膜、4 被膜の表面、5 第1の中間点、6 被膜の底面、7 矢印、8 中間層、9 第2の中間点。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
基材と、該基材上に形成された被膜とを備える表面被覆切削工具であって、
前記被膜は、前記基材上の最外層となるものであり、かつ圧縮応力を有しており、
前記圧縮応力は、前記被膜の厚み方向に強度分布を有するように変化しており、
前記強度分布は、前記被膜の表面の圧縮応力が前記被膜の表面から、前記被膜の表面と前記被膜の底面との間に位置する第1の中間点まで連続的に増加し、前記第1の中間点において極大点を有するとともに、前記第1の中間点から、前記第1の中間点と前記被膜の底面との間に位置する第2の中間点まで連続的に減少し、前記第2の中間点において極小点を有することを特徴とする、表面被覆切削工具。
【請求項2】
前記圧縮応力は、−15GPa以上0GPa以下の範囲の応力であることを特徴とする、請求項1記載の表面被覆切削工具。
【請求項3】
前記第1の中間点は、前記被膜の表面から、前記被膜の厚みの0.1%以上50%以下の距離を有して位置することを特徴とする、請求項1または2のいずれかに記載の表面被覆切削工具。
【請求項4】
前記第2の中間点は、前記被膜の表面から、前記被膜の厚みの0.2%以上95%以下の距離を有して位置することを特徴とする、請求項1〜3のいずれかに記載の表面被覆切削工具。
【請求項5】
前記圧縮応力は、前記被膜の表面において最小となることを特徴とする、請求項1〜4のいずれかに記載の表面被覆切削工具。
【請求項6】
前記圧縮応力は、前記被膜の表面において前記被膜の第1の中間点の圧縮応力の25〜95%の値を有することを特徴とする、請求項1〜5のいずれかに記載の表面被覆切削工具。
【請求項7】
前記圧縮応力は、前記被膜の表面において前記被膜の第1の中間点の圧縮応力の35〜85%の値を有することを特徴とする、請求項6記載の表面被覆切削工具。
【請求項8】
前記圧縮応力は、前記被膜の表面の圧縮応力が前記被膜の表面から前記第1の中間点の方向に向かって一定の距離の間維持された後、前記第1の中間点まで連続的に増加することを特徴とする、請求項1〜7のいずれかに記載の表面被覆切削工具。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【公開番号】特開2006−43783(P2006−43783A)
【公開日】平成18年2月16日(2006.2.16)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2004−224092(P2004−224092)
【出願日】平成16年7月30日(2004.7.30)
【出願人】(503212652)住友電工ハードメタル株式会社 (390)
【出願人】(000002130)住友電気工業株式会社 (12,747)
【Fターム(参考)】