説明

金属試料の深さ方向成分濃度定量方法

【課題】スパーク放電発光分析法を用いて、金属試料の深さ方向の成分濃度分布を迅速さを損なわずかつ正確に定量する方法を提供する。
【解決手段】傾斜研磨加工した金属試料の傾斜研磨面を、スパーク放電発光分析法を用いて、隣接する分析点同士が重畳しないように移動させつつ測定し、各分析点から得られる発光スペクトルを分光分析して金属試料表面からの深さ方向の成分濃度を定量する方法であって、前記各分析点の発光スペクトルから特定成分に対応する波長の発光強度を分離して、各分析点の中心位置を金属試料表面からの深さをxとした特定成分の発光強度関数とし、所定の(I)式で表される重み関数G(x)で該発光強度関数をデコンボリューションすることにより、金属試料表面からの深さに対応する特定成分の濃度を定量する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、金属試料の深さ方向の成分濃度変化を定量する方法に関し、より詳しくは、スパーク放電発光分析を用いて迅速かつ正確に金属試料の厚み方向の成分濃度変化を定量する方法に関するものである。
【背景技術】
【0002】
鉄鋼等の金属材料は、製鋼工程で成分を調整した後、熱延処理、冷延処理、焼鈍処理、表面処理等を経て、最終製品としての性能、形状に仕上げて出荷される。この中で、焼鈍処理過程に代表される熱処理工程においては、金属材料に含まれる成分元素は、様々な形態に変化し、最終製品の特性に影響する。例えば、酸に可溶で母材金属元素中に均一に固溶分散している鋼中のTi等の成分元素を用いてCをTiC析出物の形で固定し、加工特性や強度を向上させるIF鋼や、MnSやAlN等をインヒビターとして結晶粒の成長制御に使用する電磁鋼のように、鋼中の成分元素の析出形態や濃度分布は、最終的な製品特性を決める上で重要である。
【0003】
特に、薄板製品では、目的とする析出物を析出させ、結晶粒の大きさを制御するための圧延処理及び熱処理、又は、表面にめっき層を付与したりする各種表面処理等を行う工程において、薄板の板厚断面中に各種成分元素の濃度勾配が発生し、これにより最終製品の品質に影響が生じる。そのため、薄板の板厚断面における成分元素の濃度勾配を評価することは、プロセスコントロール条件の最適化等の製造及び品質管理上、重要となってくる。このため、最終的な製品特性に影響を及ぼす成分元素を分別、定量し、これらの成分元素の析出状態と濃度分布とを製造条件を制御することにより制御し、最終的な製品特性を最適化させる必要がある。
【0004】
従来、金属薄板の板厚断面の成分元素濃度の分布を測定する方法は、主として段削り化学分析法が用いられている。この方法は、金属薄板の表面から所定厚さまでを薬品により溶解させ(これを化学的段削りと言うこともある。)、この溶解処理を逐次実施して、溶解後の板厚の異なる複数の試料を作成する。これらの板厚の異なる試料を化学的に溶解せしめた溶液を、それぞれICP発光分光分析法やケルダール蒸留法を用いて各種金属元素やN等の非金属元素等を分析し、これらの板厚の異なる複数試料間の溶解溶液中の成分濃度の差から金属薄板の板厚方向の濃度分布を求めることができる。このような化学分析法は、成分濃度の測定絶対値として高い定量精度を持つ方法であるが、溶解処理により板厚の異なる複数の試料を作成するため、貴重な試料を大量に消費し、1回の分析で1点の分析値しかデータが取れないため、測定データが出るまでの時間が1成分元素当たり1週間と非常に長く、コスト的にも非常に高価となると言う不都合があった。
【0005】
一方、試料表面及び板厚断面の成分濃度分析法としては、グロー放電スペクトロメトリー(GDS)、X線光電子スペクトロメトリー(XPS)、二次イオン質量スペクトロメトリー(SIMS)、電子線プローブX線微小領域分析装置(EPMA)、オージェ電子スペクトロメトリー(AES)等が知られている(例えば、非特許文献1、特許文献1参照)。しかしながら、対象とする実際の金属試料の薄さが数mmから0.2mmという金属薄板の板厚断面の成分濃度変化を測定する場合には、上記従来方法では、例えば以下のような実用上の問題点があった。
【0006】
1) 対象範囲に対して測定領域(数nm〜数十μm)が狭過ぎる
2) SIMSを除き、微量(<0.1%)の成分分析は不可能
3) 多元素同時に測定できる元素数が少ない
4) 試料調製、測定、評価に時間がかかる
5) 測定装置本体、測定料金が非常に高価である
【0007】
これらの従来の分析方法に対して、本発明者らは、スパーク放電発光分析法を用いて、金属試料に多数回のスパーク放電を行い、得られた発光スペクトルのうち、特に、発光初期の数百パルスを解析することにより、所定の式に従って介在物等の存在個数、粒径、含有量、又は平均粒径を求めることができる方法を提案した(例えば、特許文献2参照)。
【0008】
また、本発明者らは、上記スパーク放電発光分析において、介在物は選択放電を受けた後に、イオン化、原子化して発光に寄与するものと、母材に微細分散化していくことも確認した(例えば、特許文献3参照)。即ち、金属試料のスパーク放電発光分析におけるスパーク放電初期は、介在物が選択放電を受けて高いスペクトル線強度を与えるが、数百パルス以降になると、金属薄板の表層に存在していた介在物等の殆どは選択放電を受けて溶融、凝固を繰り返すことにより、母材に微細分散化していく。この結果、スパーク放電回数が数百パルス以降では、このようなスパーク放電時の成分元素の放電ミキシング現象により、金属試料の板厚方向の空間分解能が悪化し、金属試料の板厚断面の成分濃度を評価するためには測定精度上の課題があった。
【0009】
そこで、発明者らは、測定対象物である金属試料の表面を予め傾斜研磨加工した後、スパーク放電発光分析法を用いて該金属試料の厚みが薄くなる表面傾斜方向に沿って隣接する分析点同士が重畳しないように分析点を移動させつつ、各分析点から得られる発光スペクトルを分光分析し、特定成分に対応する波長の発光強度から金属試料の各厚みに対応する特定成分の濃度を求めることにより、上記の課題を解決した。
【0010】
しかし、この方法では、例えば以下のような問題点があり、実用化の障害となっていた。
【0011】
(1)深さ方向の分解能が不十分であるため、深さ方向に対称な濃度分布を有する試料を測定すると、非対称な濃度分布が得られる
(2)深さ方向の分解能を高めるには、角度を変えて再研磨する必要がある
(3)試料サイズが小さいと研磨面が小さくなり、測定分解能が高くできない
【先行技術文献】
【特許文献】
【0012】
【特許文献1】特開平11−160257号公報
【特許文献2】特開平4−238250号公報
【特許文献3】特開2004−163400号公報
【非特許文献】
【0013】
【非特許文献1】氏平祐輔、昭晃堂、「化学分析」、1993年、254頁。
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0014】
そこで、本発明は、従来技術の上記のような問題に鑑みてなされたものであり、スパーク放電発光分析法を用いて、金属試料の深さ方向の成分濃度分布を、迅速さを損なわずかつ正確に定量する方法を提供することを目的とするものである。
【課題を解決するための手段】
【0015】
発明者らは、表面から有限の領域が一回のスパーク放電発光分析の際に分析範囲となることが、深さ方向の測定分解能を悪化させる原因であることを突き止めた。その領域は、近似的に図1の斜線のような回転楕円体の下半分の形をしており、その結果、深さ方向に対して図1の右に示したような関数で表される重みが掛かった発光強度が観測されること、さらに、この重み関数は、近似的に図2で示す関数で表されることが分かった。ここで、図1は、1回の分析での溶融し発光する領域の断面図と発光に起因する重み関数を示した説明図である。また、図2は、デコンボリューションに用いる重み関数を説明するための説明図であり、曲線部分は原点を中心とする楕円の一部である。
【0016】
また、分析点や分析深さの間隔を増やして測定精度を上げるには、従来法では図3−(a)に示すように、最大傾斜方向に分析点を取るため、勾配を変える必要があったり、長大な研磨を必要としたりした。発明者らは、図3−(b),(c)のような分析点を測定することで、分析に必要な研磨領域を小さくし、必要な試料サイズと研磨時間を最小にすることができることを見出した。
【0017】
これらの知見を利用して、以下で示す手段で上記課題を解決した。
(1) 傾斜研磨加工した金属試料の傾斜研磨面を、スパーク放電発光分析法を用いて、隣接する分析点同士が重畳しないように移動させつつ測定し、各分析点から得られる発光スペクトルを分光分析して金属試料表面からの深さ方向の成分濃度を定量する方法であって、前記各分析点の発光スペクトルから特定成分に対応する波長の発光強度を分離して、各分析点の中心位置を金属試料表面からの深さをxとした特定成分の発光強度関数とし、下記(I)式で表される重み関数G(x)で該発光強度関数をデコンボリューションすることにより、金属試料表面からの深さに対応する特定成分の濃度を定量することを特徴とする、金属試料の深さ方向成分濃度定量方法。
ここで、下記(I)式において、L:分析点である発光痕を金属試料表面からの深さ方向に投影した発光痕中心位置と発光痕外縁との傾斜方向での距離、D:分析点である発光痕の最大深さ、a:標準サンプルを用いて各成分毎に定められる定数、である。
(2) 前記分析点の移動が、直線状又は行列状である(1)記載の金属試料の深さ方向成分濃度定量方法。
(3) 前記Lを、下記(II)式で近似する(1)又は(2)に記載の金属試料の深さ方向成分濃度定量方法。
L=Rsinθ ・・・ (II)
ここで、R:発光痕を真円と見做したときの半径、θ:金属試料表面からの傾斜研磨角度、である。
(4) 前記Dを、試料を貫通する発光痕の内、発光痕の中心位置が試料裏面から最大の距離となるものの深さとする(1)〜(3)のいずれかに記載の金属試料の深さ方向成分濃度定量方法。
(5) 前記デコンボリューション操作において、最大エントロピー法を用いる(1)〜(4)のいずれかに記載の金属試料の深さ方向成分濃度定量方法。
【0018】
【数1】

【発明の効果】
【0019】
本発明によれば、金属試料表面を傾斜研磨等により試料裏面に対して傾斜させ、この試料の表面傾斜方向に分析点を移動させながら、スパーク放電発光スペクトルを測定する板厚方向の多元素同時成分濃度分析に際して、有限の分析領域に対応した重み関数で、測定発光強度をデコンボリューションすることで、深さ方向の精度を飛躍的に向上させることができる。
【0020】
また、分析点を最急勾配方向ではない方向に直線状に取ったり、行列状に取ったりすることにより、研磨の手間や試料サイズの制限を最小限にしつつ、深さ方向の分析深さの刻みを小さくすることができ、測定精度を向上させることができる。
【0021】
本発明の定量方法を、例えば、鉄鋼等の薄板製造工程における焼鈍過程での各種成分元素の侵入、濃化、純化等の金属薄板の板厚断面方向の成分濃度変化の評価に適用することで、製品の品質を迅速かつ正確に評価し、その結果を基に製品の製造工程条件の適正な制御を行うことが可能となり、産業上において極めて価値の高い発明である。
【図面の簡単な説明】
【0022】
【図1】1回の分析での溶融し発光する領域の断面図と発光に起因する重み関数を示した説明図である。
【図2】デコンボリューションに用いる重み関数を説明するための説明図である。
【図3】分析点の分布を説明するための説明図である。
【図4】試料の断面と分析領域との関係を説明するための説明図である。
【図5】従来法による分析結果を説明するためのグラフ図である。
【図6】従来法の分析点(図3−a)に対して本発明法による分析を行った結果を示すグラフ図である。
【図7】従来法の分析点(図3−b)に対して本発明法による分析を行った結果を示すグラフ図である。
【図8】従来法の分析点(図3−c)に対して本発明法による分析を行った結果を示すグラフ図である。
【発明を実施するための形態】
【0023】
以下に添付図面を参照しながら、本発明の好適な実施の形態について詳細に説明する。
【0024】
本発明における金属試料の厚み方向の特定成分濃度の定量方法は、測定対象物である金属試料の表面を予め傾斜研磨した後、スパーク放電発光分析法を用いて、該金属試料の厚みが異なる分析点同士が重畳しないように分析点を移動させつつ、各分析点から得られる発光スペクトルを分光分析し、金属試料の各厚みにおける特定成分に対応する波長の発光強度を元に、一回の分析領域に対応する重み関数でデコンボリューションすることにより、各厚みでの特定成分の濃度を求める方法である。
【0025】
ここで、スパーク放電発光分析について、図1を用いて簡単に説明する。この分析法では、試料と電極の間に適当な周波数でパルス電圧を付加してスパーク放電を発生させ、放電により試料表面から気化した原子が、放電によりプラズマ化して、元素固有の発光を生じる。この固有の波長の発光強度を測定することにより、試料中の元素の濃度を算出することができる。一回のパルス電圧によるスパーク放電では、試料表面が一様に蒸発する訳ではなく、蒸発領域の一部が蒸発する。複数回パルス電圧を加えることで、試料表面はほぼ均等な割合で蒸発し、次第に深い領域が現れる。スパーク放電の性質上、正確な元素濃度を得るには、複数回のパルスによる発光強度の平均値を得る必要があるが、多過ぎると深さ方向のミキシングが生じて、深さ方向の分解能が低下するため、1分析点当たり、最低で10パルスから最高でも2000パルス相当が望ましい。一方、通常、最表面は酸化膜や汚れ等の外乱があるため、分析にカウントしない予備放電を施すが、無駄に予備放電回数を増加させても板厚を貫通させるだけで分析情報を得られなくなる可能性があるため、最高でも500パルスとし、できる限り少なく抑えることが望ましい。したがって、予備放電回数は、1分析点当たり、最低でゼロパルス、最高でも500パルスほどが望ましい。より好ましくは、50パルス以下に止めるのが良い。
【0026】
前述のように一点の測定における測定値は、図1の斜線の分析領域の濃度の平均値、即ち、半径Rと深さDの発光痕の平均値に比例する。この発光痕は、以下に示す(II)式で与えられるLを用いて、図2で表されるような深さ方向の断面積分布を持ち、この分布が以下に示す(I)式で与えられる重み関数G(x)に近似的に比例することを発明者らは見出した。
【0027】
【数2】

【0028】
(I)式における比例定数aは、装置と測定条件で定まるパラメータであり、予め濃度の分かっている標準サンプルを同一の測定条件で測定し、測定値と濃度が一致するように定める。また、Lは、分析点である発光痕を金属試料表面からの深さ方向に投影した発光痕中心位置と発光痕外縁との傾斜方向での距離であり、Dは、分析点である発光痕の最大深さである。また、(II)式におけるRは、発光痕を真円と見做したときの半径であり、θは、金属試料表面からの傾斜研磨角度である。
【0029】
したがって、金属試料表面の深さ方向xに濃度分布f(x)がある場合は、次式のように、深さxの部分の分析値への寄与分を表す重み関数G(x)をf(x)に畳み込み(コンボリューション)させて得られる値I(x)が、分析値となる。
【0030】
【数3】

【0031】
ここで、積分は、重み関数G(x)が有限の値を持つ範囲で行う。
【0032】
一般に、上記の畳み込みの逆、即ち、分析値I(x)から真の濃度f(x)を求める操作を逆畳み込み(デコンボリューション)といい、重み関数G(x)を定めれば、原理的には可能である。しかし、分析値はノイズを伴い、平均化の逆操作である単純なデコンボリューションでは、ノイズも拡大されてしまうため、ノイズを抑えるための操作がデコンボリューションで行われている。例えば、実測データ又はデコンボリューション後のデータのスムージング処理、あるいは実測データをフーリエ変換によるデコンボリューション操作において高周波成分を除く、あるいは、理論形状が判明している場合は理論形状のパラメータフィッティング等である。いずれの方法においても、試料やデータによって、異なるものの、正しい重み関数が必要であることは同じである。
【0033】
特に本発光分析においては、スパーク現象と言うバラツキの大きいシグナルを測定するため、従来用いられてきた、スムージングやフーリエ変換、あるいは最小二乗法では、一般にノイズが拡大するため使用することが難しく、測定数を増やしてノイズを減らすことが必要となり、簡易測定には向かない。本発明者らは、X線回折や画像の解析等に用いられている最大エントロピー法を適用することにより、ノイズの影響を最小限に抑えたデコンボリューションが可能であることを見出した。最大エントロピー法については後に詳しく述べる。
【0034】
傾斜研磨の角度は、大き過ぎると、一測定のシグナルに幅広い深さの情報が含まれて深さ分解能が悪くなるので、例えば、sinθ<0.1が望ましい。傾斜研磨角度が小さ過ぎると研磨精度が悪くなるため、例えば、sinθ>0.0001が望ましい。また、試料が薄い場合や柔らかい場合には、試料の湾曲によって正確な研磨面が出ないため、試料を載せる台を含め、研磨機は剛性が高いことが望ましい。
【0035】
続いて、図3を参照しながら、試料の分析点について説明する。図3は、分析点の分布を説明するための説明図であり、試料表面を上方から見た場合の図となっている。図3において、(a)は従来法、(b)および(c)は、本発明法における分析点の分布状況の一例である。
【0036】
傾斜研磨後の試料の分析点は、所望の厚みに対応する点を採れば良いが、測定の簡便性からは、図3−(b)のように直線状に分析点を採る方が有利である。一方、試料サイズが小さい又は試料の面内分布の均一性が良くない場合、測定領域を小さくするために、図3−(c)のように行列状に分析点を採る方が望ましい。
【0037】
分析点の間隔は、簡便性からは、等間隔であることが有利であるが、濃度変化の大きな厚み領域付近のみ間隔を小さくしても良い。但し、分析点の重畳は避けなければならない。分析点が重畳してしまうと、発光痕の対称性が得られなくなると共に、放電ミキシング現象も起こるため、正確な発光スペクトルが得られなくなる。
【0038】
図3−(b)、(c)のような分析点を選択することで、図4の断面図に示すように、研磨の傾斜角度が大きい場合でも、多くの分析点を測定できる。ここで、図4は、試料の断面と分析領域との関係を説明するための説明図であり、実線+斜線で示される領域が、従来法による分析領域である。さらに、厚みの薄い方に分析を続け、最終的に試料を貫通するまで分析すると、より深い箇所のデータが採れ、かつ、重み関数の決定に必要なパラメータDを同時に測定できる。試料が厚くて、貫通する穴が空かない場合は、再研磨でさらに薄くしてから、分析を再び実行すればよい。
【0039】
図1から、G(x)のxの最大値は、発光痕の深さDを用いてD/cosθと表され、また、図4のDで示した試料を貫通する発光痕のうち、発光痕の中心位置が試料裏面から最大の距離は、発光痕深さがほぼ均一であるので、θが小さいとき、D≒D/cosθとなる。したがって、G(x)のxの最大値は、発光痕の深さDで近似できる。
【0040】
次に、デコンボリューションの方法の代表的2例について説明する。
【0041】
試料の研磨前の表面からの深さxでの特定元素濃度をf(x)、試料の研磨前の表面からの深さxでの当該元素による発光強度をIとし、分析領域形状による深さxに対する重み関数G(x)とすると、以下の式(VI)のようになる。但し、積分範囲は、G(t)が有限の値を持つ範囲である。
【0042】
【数4】

【0043】
深さ方向に等間隔τでN点、x(k=1〜N)の深さでN回分析し、I(k=1〜N)の分析値を得た場合、上記積分(VI)を離散化することにより、深さxにおける真の濃度f(x)と重み関数G(x−x)との積の和が測定値Iとなる。ここで、jはk=1〜Nのうちの任意の1点である。
【0044】
【数5】

【0045】
ここで、Gk,jの逆行列Gk,j−1を用いて、特定元素の濃度分布を、以下の式(VIII)で求めることができる。
【0046】
【数6】

【0047】
しかし、一般には、式(VII)の右辺にはノイズが加わるため、単純に式(VIII)を適用すると、ノイズ成分が拡大して、得られる深さプロファイルが振動してしまう。そこで、ノイズ低減のために、繰り返し測定によりS/N比を改善することはできるが、分析の簡便性が失われる。スムージングやフーリエ変換法あるいは最小二乗法等も、通常の測定では、有効であるが、本測定法のようにノイズが大きい場合には、有効でない場合も多い。一方、X線回折や画像処理等で用いられている最大エントロピー法(MEM;Maximum Entropy Method)は、濃度は常に負ではない等の前提条件も有効に活用しつつ、ノイズによる振動を低減するのに有用な方法である。
【0048】
最大エントロピー法を以下に簡単に説明する。
各深さxにおける対象元素の濃度の推定値fが与えられたときの深さxでの測定時の期待値Iと実際の測定値Iとの差の測定の偏差値σで規格化した二乗和χは、以下の式(IX)で表される。
【0049】
【数7】

【0050】
最小二乗法では、この二乗和χを最小とするようなf(j=1〜N)の組{f}を分析値とするが、一般に測定ノイズを拡大するため、多くの場合は分析値が振動してしまい、信頼性に欠ける場合がある。
【0051】
最大エントロピー法では、各深さxにおける対象元素の濃度のモデル値m(j=1〜N)の組{m}を別に仮定し、以下の式(X)で表されるエントロピー項を考え、χとSとのパラメータαを係数とする式(XI)で表される和Fについて、前提とする条件の範囲内で最小にする{f}を求める。
【0052】
【数8】

【0053】
ここで、前提とする条件は、本分析の場合、少なくとも{f}が負でないことが挙げられる。その他、濃度分布が板厚に対して対称であることや、表面濃度が分かっていること等を前提条件として付加することも可能である。
【0054】
また、モデル値{m}の与え方に任意性はあるが、一般にその与え方の影響は小さく、例えば、一定値としてもよい。
【0055】
さらに、最適なパラメータαは以下の手順で決定する。
【0056】
1)適当なαを仮定し、適当な前提条件の基で式(XI)を最小とする{f}を求める。
【0057】
{f}から作られるi、j成分により以下の式(XII)で与えられる行列Pijの(i,j=1〜N)固有値{λ}を求める。
【0058】
【数9】

【0059】
2)求めた固有値{λ}が次式(XIII)を満足しなければ、αを変えて、1)の手順に戻り、次式を満足するαが求まるまで、繰り返す。
【0060】
【数10】

【0061】
以上の最大エントロピー法の手順により、最適なαと、振動の少ない推定分析値{f}とを求める。
【0062】
以上の方法により、従来に比べ精度の高い金属試料表面の深さ方向の成分測定が可能となる。
【実施例】
【0063】
次に、本発明の実施例について説明するが、実施例の条件は、本発明の実施可能性及び効果を確認するために採用した一条件例であり、本発明は、この一条件例に限定されるものではない。本発明は、本発明の要旨を逸脱せず、本発明の目的を達成する限りにおいて、種々の条件を採用し得るものである。
【0064】
Si:3%、Al:0.2%、Mn:0.08%、S:0.03%を含む鋼の表面にアルミナコーティングを焼付防止のため施し、1100℃で48時間焼鈍を実施した試料厚み0.2mmの試料を、勾配0.002即ち傾斜角θ=0.11°で傾斜研磨した。
【0065】
このときの板厚、研磨厚み、分解能のときの研磨条件を、以下に示す。
【0066】
板厚d=0.2mm、分析直径φ=4mm、最大研磨深さt=0.15mm(75%)、深さ方向の分解能=10μm以下、分析点数n=15点、研磨長さを70mm以上となるように金属試料を傾斜研磨加工した。この際、研磨面のダレがないように、より堅い台に同じ試料を乗せ、堅い研磨板で再研磨した。
【0067】
得られた傾斜研磨試料を、スパーク放電発光分析法を用いて、分析点数n=15点、放電直径4.0mmφで、傾斜研磨面を並列させて、窒素の149.2nmの二次線を分光器で分離して、各点での窒素発光強度を得た。スパーク放電発光分析は、ハイパワースパーク放電形態、放電周波数100Hz、スパーク放電回数500回、予備放電40回の条件で実施した。
【0068】
得られた結果を図5に示す。横軸に板厚、縦軸に窒素濃度をプロットした。図5において、実線は実測値であり、破線は濃度分布が厚み方向に対して対称であると仮定した場合の分布である。ここで、また、同一試料をSIMSにより分析した値を同時にプロットした。SIMS分析は、試料を幅5mmに切り出した後、表面から深さ10μmピッチに対応する点が中心となるように短冊形に切り出したサンプルの中心をスポット測定した。分析値は表面酸化の影響を避けるため、深さ10nm〜20nmの値の平均値とした。
【0069】
焼鈍前に均一に窒化物として析出していた窒素は、焼鈍時の外方拡散に伴い表面から順次析出物が溶解し、SIMS分析値のように板中央部に窒素が析出物として残存している。測定値をそのままその深さの分析値とする従来法では、分布が全く異なっていることが分かる。
【0070】
そこで、本発明法に従い、発光痕半径R=2.0mm、傾斜研磨角θ=0.11°より、重み関数のパラメータL=Rsinθは3.8μmとなり、厚み70μmで初めて貫通したことから、D=70μmと決定した。本測定条件での窒素用の重み関数の比例パラメータは、窒素濃度の分かっている標準試料を同一条件で測定して、a=412とした。これらのパラメータを以下の分析に用いた。なお、最大エントロピー法を用いた分析でのモデル値について、表裏の最表面2点では3ppmとし、それ以外については180ppmとした。
【0071】
図6に、上記重み関数を用いて、最小二乗法及び最大エントロピー法で推定した分析値を示す。図6は、従来法の分析点(図3−a)に対して本発明法による分析を行った結果を示すグラフ図である。図6において、◆は実測値(従来法の分析値)であり、△はSIMSの分析値である。また、■は本発明法の最小二乗法を用いた分析値であり、●は本発明法の最大エントロピー法を用いた分析値である。本発明法では共に従来法と異なり、試料中央部に窒素が分布しており、SIMS分析値とほぼ同じである。但し、中央部での平均値はSIMS分析値と良い一致を示すものの、ばらつきがある。最大エントロピー法は最小二乗法よりもバラツキが抑えられている。
【0072】
さらに、同一研磨済み試料について、図3−(b)のように斜面方向に60°の角度に間隔4mmで30点測定したデータに基づく分析結果を図7に、図3−(c)のように三列に15点ずつ計45点測定したデータに基づく分析結果を図8に示す。図7および図8において、◆は実測値(従来法の分析値)であり、△はSIMSの分析値である。また、■は本発明法の最小二乗法を用いた分析値であり、●は本発明法の最大エントロピー法を用いた分析値である。図7および図8から明らかなように、本発明法による深さ方向の測定数の増大と共に、バラツキが大幅に改善されている。
【0073】
本発明での傾斜研磨後の測定時間5分とデータ処理時間5分の計10分に比して、SIMS分析では、傾斜研磨後の切断処理15分と分析時間30分を合わせて、45分の時間を要しており、迅速性に欠ける上、真空装置に試料入れるために、試料全体の洗浄等を十分行わければならない等、簡便性にも欠けることから、本発明の定量方法の迅速性・正確性に優れることは明らかである。
【0074】
以上、添付図面を参照しながら本発明の好適な実施形態について説明したが、本発明はかかる例に限定されないことは言うまでもない。当業者であれば、特許請求の範囲に記載された範疇内において、各種の変更例または修正例に想到し得ることは明らかであり、それらについても当然に本発明の技術的範囲に属するものと了解される。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
傾斜研磨加工した金属試料の傾斜研磨面を、スパーク放電発光分析法を用いて、隣接する分析点同士が重畳しないように移動させつつ測定し、各分析点から得られる発光スペクトルを分光分析して金属試料表面からの深さ方向の成分濃度を定量する方法であって、
前記各分析点の発光スペクトルから特定成分に対応する波長の発光強度を分離して、各分析点の中心位置を金属試料表面からの深さをxとした特定成分の発光強度関数とし、
下記(I)式で表される重み関数G(x)で該発光強度関数をデコンボリューションすることにより、金属試料表面からの深さに対応する特定成分の濃度を定量する
ことを特徴とする、金属試料の深さ方向成分濃度定量方法。
【数1】


ここで、
L:分析点である発光痕を金属試料表面からの深さ方向に投影した発光痕中心位置と発光痕外縁との傾斜方向での距離、
D:分析点である発光痕の最大深さ、
a:標準サンプルを用いて各成分毎に定められる定数、
である。
【請求項2】
前記分析点の移動が、直線状又は行列状である、請求項1記載の金属試料の深さ方向成分濃度定量方法。
【請求項3】
前記Lを、下記(II)式で近似する、請求項1又は2に記載の金属試料の深さ方向成分濃度定量方法。
L=Rsinθ ・・・ (II)
ここで、
R:発光痕を真円と見做したときの半径、
θ:金属試料表面からの傾斜研磨角度、
である。
【請求項4】
前記Dを、試料を貫通する発光痕のうち、発光痕の中心位置が試料裏面から最大の距離となるものの深さとする、請求項1〜3のいずれかに記載の金属試料の深さ方向成分濃度定量方法。
【請求項5】
前記デコンボリューションにおいて、最大エントロピー法を用いる、請求項1〜4のいずれかに記載の金属試料の深さ方向成分濃度定量方法。


【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【公開番号】特開2010−175512(P2010−175512A)
【公開日】平成22年8月12日(2010.8.12)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2009−21669(P2009−21669)
【出願日】平成21年2月2日(2009.2.2)
【出願人】(000006655)新日本製鐵株式会社 (6,474)
【Fターム(参考)】