説明

電源装置

【課題】ホールスラスタのチャネル内の磁束密度の分布が偏った場合でも、放電振動現象の発生を抑え、安定にイオン加速装置であるホールスラスタを動作させる電源装置を得る。
【解決手段】電源装置1は、アノード電極12へアノード電圧Vaを印加するアノード電源2、磁場生成用コイルへコイル電流Icを流すコイル電源3,4、ガス流量調節器15を介してガス流量Qを調整するガス流量制御装置5および制御装置9を備え、制御装置9は、アノード電圧Vaとガス流量Qとコイル電流Icとに関係付けられた関数にしたがってアノード電圧Vaとガス流量Qとコイル電流Icとを制御し、イオン加速装置であるホールスラスタ11のイオン加速量を調整する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
この発明は、イオン加速を行うための放電機器であるイオン加速装置に用いる電源装置であって、特に人工衛星などに搭載される電気推進装置であるホールスラスタの電源装置に関する。
【背景技術】
【0002】
ホールスラスタは、環状の放電空間の一方からガスを導入し、放電空間内でガスをイオン化して加速し、放電空間の他方に出力する。このイオンの出力の反作用によってホールスラスタの推力が得られる。環状の放電空間には半径方向に磁束が形成されており、この磁束によるホール効果のために、電子は環状の放電空間の周方向にドリフトし、軸方向の動きが抑制される。これによって、イオンのみを効率的に加速することができる(例えば特許文献1参照)。
【0003】
ホールスラスタを安定に動作させる上での問題の一つとして、放電振動現象の発生がある。放電振動現象に関しては、いくつかの種類の振動現象がある。この中で最も周波数の低いイオナイゼーション・オシレーション(Ionization Oscillation)と呼ばれる放電振動現象が発生する。この放電振動現象は10kHz前後の周波数で、アノード電流の電流波形が振動を生じてしまい、ホールスラスタを搭載したシステムの安定性、信頼性および耐久性に重大な影響を及ぼす。このため、この放電振動現象を抑制する制御方法が必要とされている(例えば非特許文献1参照)。また、比較的簡単なモデルを用いて、ホールスラスタの放電振動現象の発生条件を定式化されている(例えば非特許文献2参照)。
【0004】
従来の電源装置は、アノード電流が変動し、負荷が不安定な挙動を示し始めた場合には、アノード電流信号を電源制御部へフィードバックして、アノード電流の変動を抑制することによって、放電振動現象を抑制している(例えば特許文献2参照)。
【0005】
このホールスラスタ特有の放電振動現象について、ホールスラスタの制御パラメータをある範囲内に収まるように制御することによって安定に制御できるという方法がある。ホールスラスタを外部から制御する制御パラメータは主として、アノード電圧Va、ガス流量Q、コイル電流Icであり、コイル電流Icは、ホールスラスタのイオン加速領域を形成するチャネル内部に概ね半径方向に形成される磁束密度Bの強さを制御するものである。そして、Va×Q/Bの関係を利用して求められる値が所定の範囲内に収まるように、これらの制御パラメータを調整することで、放電振動現象の少ない安定な状態を維持できる。さらに、チャネル形状の異なるホールスラスタにおいても、チャネルの形状を考慮して、この安定制御領域が予測できる(例えば特許文献3参照)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0006】
【特許文献1】特表2002−517661号公報(第17頁、第1図)
【特許文献2】特開2005−282403号公報(第3−4頁、第1図)
【特許文献3】特開2007−177639号公報(第6−10頁、第4図)
【非特許文献】
【0007】
【非特許文献1】栗木恭一、荒川義博著「電気推進ロケット入門」東京大学出版会出版、p.152−154、2003年
【非特許文献2】N.Yamamoto、K.Komurasaki and Y.Arakawa、”Discharge Current Oscillation in Hall Thrusters”、Journal of Propulsion and Power、Vol.21、NO.5、p.870−876、2005年
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
従来の電源装置では、アノード電流が変動した場合には、アノード電流信号を電源制御部へフィードバックして、アノード電流の変動を抑制していた。しかしながら、このようなアノード電流が変動を始めたことを検出するという方法では、放電振動現象の原理的な抑制を行っているわけではないので、本質的にホールスラスタの安定性を高めることは困難である。また、放電振動現象は例えば10kHzなどの周波数で発生するものであり、電源制御部へのフィードバックによって振動を抑制しようとした場合には、かなり高速な制御系が必要となる。制御系が高速な応答に対応できない場合には、安定な制御を行うことができないだけでなく、制御系との間に発振現象が生じてホールスラスタの不安定性を助長する可能性があるという問題点があった。また、特定の動作条件で、電流の安定性とは別の効果に主眼をおいて、ホールスラスタの駆動条件の最適化を行った場合には、ホールスラスタを安定に制御できないという問題点があった。
【0009】
特許文献3は、このような問題点を解決するものであるが、「磁束偏り率β」という値を用いてホールスラスタを安定に制御できる制御パラメータを調節している。磁束偏り率βは、磁束密度(半径方向成分)の軸方向(イオン加速方向)の平均値に対する、ホールスラスタのイオン出力端での磁束密度(半径方向成分)の比率と定義される。通常、磁束密度はイオン出力端付近で最も強くなるように設計されるが、磁束密度がどれだけ偏ってホールスラスタのイオン出力端付近に集中しているかを表すのが磁束偏り率βの値である。このように磁束偏り率βを定義した上で、チャネルの形状依存性を考慮して制御パラメータが調節されている。しかしながら、特許文献3では、比較的磁束偏り率βが小さい領域、例えば磁束偏り率βが1に近い領域を想定して、安定制御領域が予測されている。このため、例えば磁束偏り率βが1よりも十分に大きく、例えば2に近くなるような場合には、チャネル内での放電生成領域がホールスラスタのイオン出力端付近により集中するため、特許文献3にて開示された制御パラメータの調整では安定制御領域の範囲を正確に示すことができないという問題があった。
【0010】
この発明は、上述のような課題を解決するためになされたもので、ホールスラスタのチャネル内の磁束密度の分布が偏った場合でも、放電振動現象の発生を抑え、安定にイオン加速装置であるホールスラスタを動作させる電源装置を得るものである。
【課題を解決するための手段】
【0011】
この発明に係る電源装置は、アノード電極とガス流量調節器と磁場生成用コイルとを設けたイオン加速装置を制御する電源装置であって、アノード電極へ印加されるアノード電圧とガス流量調節器を介して流されるガス流量とを制御し、磁場生成用コイルへ流されるコイル電流によってイオン加速装置のイオン出力端での磁束密度を制御してイオン加速装置のイオン加速量を調整する制御装置を備え、制御装置は、イオン加速装置のイオン出力端の出口断面積とイオン加速装置のイオン加速方向の磁束密度の平均値に対するイオン出力端での磁束密度の比率である磁束偏り率とに基づく式を満たすようにアノード電圧とガス流量とコイル電流に依存するイオン出力端での磁束密度とを制御するものである。
【発明の効果】
【0012】
この発明に係る電源装置は、アノード電圧とガス流量とコイル電流とに関係付けられた関数に従ってアノード電圧とガス流量とコイル電流とを制御するので、ホールスラスタのチャネル内の磁束密度の分布が偏った場合でも、放電振動現象の発生を抑え、安定にイオン加速装置であるホールスラスタを動作させる電源装置を得ることができる。
【図面の簡単な説明】
【0013】
【図1】この発明の実施の形態1における電源装置の構成図である。
【図2】この発明の実施の形態1におけるホールスラスタの断面図である。
【図3】この発明の実施の形態1におけるVa、QおよびIcの3つのパラメータに対するアノード電流の振動の強さの依存性を示すグラフである。
【図4】この発明の実施の形態1におけるアノード電極からの距離と磁束密度B(半径方向成分)との関係図を示す。
【図5】この発明の実施の形態1における平均電流値で規格化したアノード電流の振動の強さを示すグラフである。
【発明を実施するための形態】
【0014】
実施の形態1.
図1は、この発明を実施するための実施の形態1における電源装置の構成図である。図1において、電源装置1は、イオン加速装置であるホールスラスタ11およびホールスラスタ11へ電子を供給するホローカソード21を制御するものである。図1では、環状の装置であるホールスラスタ11の中心軸を通り、中心軸に平行な面でのホールスラスタ11の断面図を示している。ホールスラスタ11は、アノード電極12、磁場生成用コイルである内部コイル13と外部コイル14、ガス流量調節器15および円環状のチャネル18を形成する内側リング16と外側リング17によって構成されている。図2は、図1に示した直線A−Aでの断面図(ホールスラスタ11の軸方向に垂直な面での断面図)である。アノード電極12、外部コイル14、内側リング16および外側リング17は円環状の形状である。
【0015】
チャネル18の底面側(図1では下側)からイオン化するガスが導入される。導入されるガスは、チャネル18においてガス放電を生じさせるためのものである。また、底面側にアノード電極12が設けられている。アノード電極12に印加されるアノード電圧によって、ガス粒子はホールスラスタ11の軸方向に加速され、開放となっているチャネル18の底面の反対側(図1では上側)であるイオン出力端側に加速されて出力される。チャネル18の内部および外部には、ホールスラスタ11の半径方向に磁場を形成するための内部コイル13および外部コイル14が設けられている。内部コイル13および外部コイル14は、アノード電極12側では磁性体材料によってつながっており、磁気回路を形成している。イオン出力端側には、磁束密度を調整するためのポールピース19が設けられている。通常、各コイル13,14で発生する磁束は、イオン出力端の位置で最も強くなり、アノード電極12側で弱くなるように、ポールピース19が設計されている。
【0016】
ガス放電を生じさせるためには電子の供給が必要である。また、加速して放出されたイオンによってホールスラスタ11を搭載した人工衛星本体が電気的に帯電することを防ぐために、電子源が必要である。本実施の形態では、ホールスラスタ11のイオン出力端の近傍にホローカソード21が設けられており、ホローカソード21からホールスラスタ11へ電子が供給される。このようなホールスラスタのシステムでは、ホールスラスタ11およびホローカソード21を駆動し、制御するための電源および制御システムが必要である。
【0017】
電源装置1は、ホールスラスタ11を制御するためのアノード電源2、コイル電源である内部コイル電源3と外部コイル電源4およびガス流量制御装置5ならびにホローカソード21を制御するためのヒータ電源6、キーパ電源7およびカソード用ガス流量制御装置8ならびにこれらを制御する制御装置9によって構成されている。電源装置1は、アノード電極12と磁場生成用コイルである内部コイル13および外部コイル14とガス流量調節器15とを設けたイオン加速装置であるホールスラスタ11を制御する。アノード電源2はアノード電極12へアノード電圧Vaを印加し、コイル電源である内部コイル電源3および外部コイル電源4は磁場生成用コイルである内部コイル13および外部コイル14へコイル電流Icを流し、ガス流量制御装置5はガス流量調節器15を介してガス流量Qを調整する。制御装置9は、アノード電極12へ印加されるアノード電圧と磁場生成用コイルである内部コイル13および外部コイル14へ流されるコイル電流とガス流量調節器15を介して流されるガス流量とを制御してイオン加速装置であるホールスラスタ11のイオン加速量を調整し、少なくともアノード電圧とコイル電流とに関係付けられた関数に従ってアノード電圧とコイル電流とガス流量とを制御する。
【0018】
ガス流量制御装置5は、制御装置9からの指令に従ってホールスラスタ11のガス導入部におけるガス流量Qを制御する。また、制御装置9からの指令に従って内部コイル電源3および外部コイル電源4は、内部コイル13および外部コイル14に流れるコイル電流Icを制御する。内部コイル13および外部コイル14には、通常は一定の直流電流であるコイル電流Icを流し、このコイル電流Icによってチャネル18内に一定の磁界が形成される。内部コイル電源3および外部コイル電源4によって、内部コイル13に流れる電流および外部コイル14に流れる電流は、それぞれ独立して設定することができ、これによってチャネル18内の磁束密度の微調整および磁界分布の微調整を行うことができる。本実施の形態では、内部コイル13および外部コイル14に同じ電流値のコイル電流Icを流す。
【0019】
アノード電源2は、アノード電極12に印加するアノード電圧を制御する。定常運転時には、一定値のアノード電圧Vaがアノード電極12へ印加される。アノード電圧Vaによってイオンが加速され、ホールスラスタ11の推力が得られる。通常、アノード電圧Vaは100〜400Vの範囲の中で設定される。加速されたイオンによるイオン電流および放電空間内の電子の移動による電子電流は、回路上ではアノード電源2によって流されることになる。このため、アノード電源2は、ホールスラスタ11の推力を得るためのエネルギを供給する部分であり、ホールスラスタ11のシステムでは最も容量の大きな電源である。
【0020】
電子源であるホローカソード21は、ホローカソード21にガスを供給するためのカソード用ガス流量制御装置8、ホローカソード21の陰極を過熱するためのヒータ電源6、およびホローカソード21からの電子の流れを安定に維持するためのキーパ電源7によって制御されている。
【0021】
ホールスラスタ11を駆動するための制御装置9は、ホールスラスタ11を搭載する人工衛星のシステム(図示せず)または地上からの指令(図示せず)によって制御されている。本実施の形態では、制御装置9によって、少なくとも、アノード電源2、コイル電源3,4およびガス流量制御装置5が制御されている。
【0022】
ホールスラスタ11を駆動する際には、放電振動現象が発生する場合がある。放電振動現象の発生要因は、ホールスラスタ11の装置構造、磁界分布、アノード電圧など様々であり、特定の条件下では発生しない。ホールスラスタ11の稼動中に外部から制御できる制御パラメータは、アノード電圧Vaとガス流量Qとコイル電流Icとの3つである。チャネル内部に概ね半径方向に形成される磁束密度Bは、コイル電流Icを増減することによって変化させることができる。本発明は、この3つの制御パラメータを制御することによって、ホールスラスタ11に特有の放電振動という現象が生じないような安定な制御を行うものである。なお、ホローカソード21の駆動条件は、放電振動現象にあまり依存しない。
【0023】
図3は、アノード電圧Vaとガス流量Qとコイル電流Icとの3つの制御パラメータに対するアノード電流の振動の強さの依存性について実験を行った結果の一例を模式的に示したものである。アノード電流の振動の強さによって放電振動の強さがわかる。図3において、横軸はコイル電流Ic、縦軸はアノード電流の振動の強さである。図3(a)はガス流量Qが小さい場合のコイル電流Icとアノード電流の振動の強さとの関係、図3(b)はガス流量Qが大きい場合のコイル電流Icとアノード電流の振動の強さとの関係である。図3からわかるように、アノード電流の振動の強さは、アノード電圧Vaとガス流量Qとコイル電流Icとのいずれにも依存していることがわかる。このため、アノード電流の振動の強さは、これら3つの制御パラメータの関数として関連づけることができる。つまり、放電振動の強さは、アノード電圧Vaとガス流量Qとコイル電流Icとの関数として関連づけることができる。
【0024】
このように、アノード電圧Vaとガス流量Qとコイル電流Icとがどのような値のときにアノード電流の振動が小さいかというデータベースを得ることができる。従って、イオン加速装置の出力であるイオン加速量に対応するアノード電流の振動を抑制するようなアノード電圧Vaとコイル電流Icとに関係付けられた関数を得ることができ、制御装置9によって、この関数に従ってアノード電圧Vaとガス流量Qとコイル電流Icとを制御することで、アノード電流の振動を抑制することができる。いいかえれば、アノード電圧Vaとガス流量Qとコイル電流Icとを調節することで、アノード電流の振動を避けることができる。
【0025】
アノード電圧Vaおよびガス流量Qは、ホールスラスタ11の推力を決定する上で、非常に重要な制御パラメータであり、特定の推力でホールスラスタ11を運転する場合には、アノード電圧Vaおよびガス流量Qはあらかじめ設定されていることが多い。これに対してコイル電流Icは、ある範囲内であれば自由に値を選ぶことができる。また、ガス流量Qは設定した値に追従するために時間を要するものの、コイル電流Icは設定した値に比較的容易に追従する。このため、アノード電圧Vaおよびガス流量Qが外部からの制御指令として入力され、アノード電圧Vaとガス流量Qとコイル電流Icとのそれぞれの値を調整する際には、これらの値の組合せとデータベースとを照らし合わせてコイル電流Icを設定することが適切である。
【0026】
放電振動現象が生じにくいアノード電圧Vaとガス流量Qとコイル電流Icとのパラメータの組合せについて説明する。放電振動現象が生じにくいアノード電圧Vaとガス流量Qとコイル電流Icとの3つの制御パラメータの組合せのデータベースを得ることは、3つの制御パラメータの可変範囲全てにわたってアノード電流の振動の強さを測定する実験を行うことで可能となる。このデータベースによって、放電振動現象が生じにくい3つの制御パラメータの組合せの条件を選んで、電源装置1によってホールスラスタ11を駆動させる。また、アノード電圧Vaおよびガス流量Qが過渡的に変化する場合において、同時に変化させるコイル電流Icの設定値がわかる。このデータベースを用いたホールスラスタ11の制御も原理的に可能である。
【0027】
しかしながら、このデータベースを得るためには、3つの制御パラメータの可変範囲全てにわたってアノード電流の振動の強さを測定する実験を行う必要がある。また、3つの制御パラメータの可変範囲全てにわたってアノード電流の振動の強さのデータベースを取得しても、全てのアノード電圧Vaおよびガス流量Qの可変範囲内で、アノード電流の振動を抑制できるコイル電流Icの値が存在するのかどうか不明である。そこで、物理的な原理に基づいたアノード電流の振動発生の条件の定式化と、この式に基づいた制御方法の確立とが必要である。
【0028】
振動の発生条件の定式化については、例えば非特許文献2の式22に、放電振動現象を抑制するための条件式として式(1)のように表される。
【0029】
【数1】

【0030】
ここで、kiはイオン化周波数、Nnは中性原子密度、Lはイオン化が生じている領域の軸方向の代表的な長さ(イオン加速領域の長さ)である。図1で示したように、通常、ホールスラスタ11ではイオン出力端で磁束密度が最も大きくなるように設計されている。この結果、イオン化が生じる領域は、イオン出力端付近となる。Veaはイオン化が生じている領域のアノード電極12側の面での電子速度、Vexはイオン化が生じている領域のイオン出力端側の面での電子速度である。ここでは左辺の電子の速度に着目する。まず、電子の速度Veは、非特許文献2の式10に示されているように、電子の移動度μを用いて式(2)のように表される。
【0031】
【数2】

【0032】
ここで、μは電子の移動度、Eは電界強度、Dは拡散係数、Neは電子密度、kBはボルツマン定数、Teは電子温度、qeは電子の電荷量である。拡散の効果を無視すると、右辺第一項の電界によるドリフトの項だけとなる。ところで、移動度は、古典拡散を仮定した場合、式(3)のように表される。
【0033】
【数3】

【0034】
ここで、Bは磁束密度、ν(=kmNn)は電子の衝突の周波数、Nnはガス密度である。次に、磁束密度Bがコイル電流Icに比例し、ガス密度Nnがガス流量Qに比例すると共に、イオン加速装置であるホールスラスタ11の出口であるイオン出力端の出口断面積Sに反比例すると仮定する。出口断面積Sは、図2の内側リング16の外径と外側リング17の内径とに囲まれたリング状の領域の面積である。ホールスラスタ11においては、電界強度Eは、磁束密度の強い部分で電界強度が強くなるため、電界強度は磁束密度の軸方向の分布に依存する。ここで、磁束密度の軸方向はイオン加速装置のイオン加速方向、磁束密度の半径方向は磁束密度の軸方向に垂直な方向である。
【0035】
軸方向zに沿った磁束密度の半径方向成分の分布をB(z)、イオン出力端での磁束密度の半径方向成分をBとすると、図1で述べたように、B(z)の分布の中で、一般に、イオン出力端における磁束密度Bが最も大きくなり、従ってプラズマの発生も概ねこの付近で最も強くなるので、このBを代表的な磁束密度の値として考えてよい。イオン加速方向である軸方向の磁束密度の平均値に対するイオン出力端での磁束密度の比率である磁束偏り率βを式(4)のように定義することができる。
【0036】
【数4】

【0037】
ここで、dはイオン加速装置であるホールスラスタ11のチャネル18の軸方向の長さを表すチャネル長である。チャネル長dは、アノード電極12からイオン出力端までの距離であり、積分はアノード電極12(Anode)からイオン出力端(Exit)までの軸方向距離に対する積分を表している。磁束偏り率β、チャネル長dおよびイオン出力端の出口断面積Sはホールスラスタ11の形状および設計に依存する制御パラメータである。
【0038】
この磁束偏り率βを用いて電界強度を定義することができる。電界は、アノード電極12とホローカソード21との間に印加されるが、その間に均一に電界が印加されているわけではない。放電が発生している際には、放電が維持されている部分の電圧勾配が支配的になる。つまり、チャネル18内でイオン化が生じているイオン加速領域において電界強度が特に強くなる。さらにその電界強度の分布は磁束密度の軸方向の分布に大きく影響され、チャネル18のイオン出力端付近で特に強くなる。従って、イオン出力端での電界強度Exは、イオン加速領域の長さLと磁束偏り率βとを用いることで、式(5)のように近似的に表わすことができる。
【0039】
【数5】

【0040】
古典拡散の場合には、式(2)および式(5)から、電子の速度Ve_cは、式(6)のように表わすことができる。
【0041】
【数6】

【0042】
電子の速度がこの依存性を示すならば、式(1)の左辺も同様の依存性があるはずである。つまり、振動の生じやすさが、式(6)の右辺のような形で整理でき、後述のとおり、3つの制御パラメータとアノード電流の振動の強さとの関係をまとめることができる。ここで、イオン加速領域の長さLは、先に述べたように放電を維持形成している領域の長さであるが、ホールスラスタ11の形状などにあまり依存せず、同じような放電が生じるのであれば、ほぼ一定であると考えて良い。つまり、チャネル長dが大きいホールスラスタであっても、あるいはホローカソード21の位置がかなり離れていても、放電が維持形成される部分以外では電位の勾配はほとんどなく、イオン加速領域の長さLの領域にほとんどの電界が印加されていると考えられるからである。従って、式(6)のLはホールスラスタ11の形状に無関係なパラメータであると考えて良い。
【0043】
これらの関係をまとめる前に、ここで、磁束偏り率βについて更に説明する。磁束密度Bの方向およびホールスラスタ11の軸方向の分布は、ホールスラスタ11のチャネル18およびホールスラスタ11外部の電磁石の設計によって決まる。つまり、装置設計によってその分布をある程度調節することができる。この磁束密度Bは、チャネル18のイオン出力端付近が強くなっている方が、ホールスラスタ11の性能が高くなると一般的にいわれている。チャネル18全体の磁束密度に比較して、イオン出力端付近にどれだけ強い磁束が印加されるのかを示すパラメータが磁束の偏り率βである。
【0044】
図4に、アノード電極12からの軸方向の距離と磁束密度B(半径方向成分)との関係図を示す。軸方向に磁束密度B(半径方向成分)は変化するが、イオン出力端付近が最も大きくなる。磁束偏り率βが小さいということは軸方向の分布が平坦であることを意味し、磁束偏り率βが大きいということは軸方向の分布が偏っていることを意味する。磁束偏り率βをある程度大きくし、チャネル18内部の放電が生成する領域がイオン出力端付近に偏ることによって、ホールスラスタ11の性能を向上させることができる。
【0045】
このような磁束偏り率βとホールスラスタ11の性能を考慮し、またイオン加速領域の長さLがホールスラスタ11の形状に依存しないことを考慮して、式(6)で得られた関係式を参考にして、(β×Va×Q)/(S×B)とアノード電流の振動の強さとの関係を調べた。
【0046】
図5は、この発明を実施するための実施の形態1における平均電流値で規格化したアノード電流の振動の強さを示すグラフである。図5において、縦軸は測定によって得られたアノード電流の振動の強さ(電流の変動の大きさ)をアノード電流の平均電流値で割った値である。横軸は(β×Va×Q)/(S×B)である。また、図中にプロットした点は、さまざまなアノード電圧Va〔V〕とガス流量Q〔sccm〕とコイル電流Icに比例する磁束密度B〔T〕とを組合せた条件において、アノード電流の振動の強さを測定したものである。ガス流量Qの単位sccmは、Standard Cubic Centimeter per Minutesの略語である。アノード電流の振動の強さは、アノード電流の電流波形の変動の振幅によって求めることができる。この実験において、ホールスラスタ11に流したガスはXeである。場所によって磁束密度の値は異なる。本実施の形態では、ホールスラスタ11のイオン出力端付近の磁束密度を磁束密度B〔T〕とした。また、ホールスラスタ11のイオン出力端の出口断面積をS〔m〕、磁束偏り率をβとした。
【0047】
図5より、(β×Va×Q)/(S×B)を横軸にして実験結果をプロットした場合には、全てのアノード電流の振動の強さのデータが、ほぼひとつの曲線上に集まり、アノード電流の振動の強さがある傾向を示し、3つの領域に分けられることがわかる。図5において、領域1((β×Va×Q)/(S×B)≦10×10)は、非常に激しいアノード電流の振動が生じている領域であり、避けて運用すべき領域である。また、領域3(30×10<(β×Va×Q)/(S×B))でも、アノード電流の振動が少し大きい。これに対して、領域2(10×10<(β×Va×Q)/(S×B)≦30×10)はアノード電流の振動が抑制され、安定に動作している領域である。図5の実験結果より、式(7)に従って、アノード電圧Va、ガス流量Q、コイル電流Ic(つまり磁束密度B)の制御パラメータを制御して、(β×Va×Q)/(S×B)の値が領域2の範囲に入るように制御すれば、放電振動現象の発生を抑え、安定にイオン加速装置であるホールスラスタ11を動作させることができる。
【0048】
【数7】

【0049】
ここで、イオン加速量を大きくしていく場合には、領域2と領域3との境界値を超えてもアノード電流の振動が急に大きくなるわけではないので、領域2と領域3との境界を考慮する必要はない。しかしながら、イオン加速量を小さくしていく場合には、(β×Va×Q)/(S×B)が領域2と領域1との境界値を超えないように注意しながらパラメータを調節しなければならない。この境界に達する場合には、(β×Va×Q)/(S×B)が領域2に入るように磁束密度Bを調節しなければならない。従って、ホールスラスタ11の推力条件が変更になった場合には、パラメータの制御、特にコイル電流Icの制御がより厳しくなるのは、ホールスラスタ11の推力を大きくしていく場合ではなく、小さくしていく場合である。
【0050】
ところで、ホールスラスタ11の推力となるイオンの加速量の指令値が大きい場合には、アノード電圧Vaおよびガス流量Qを大きくする必要があるため、領域2においてホールスラスタ11を運転すると、コイル電流Icを大きくして磁束密度Bも大きくする必要がある。ホールスラスタ11の装置構成および電源はできるだけ小さく設計する必要があるので、ホールスラスタ11の出せる最大推力で運用されることが多いと推定される。このため、領域2においてホールスラスタ11を運転する場合には、ホールスラスタ11の最大推力を得るために、磁束密度Bの値をかなり大きな値に設定する必要がある。
【0051】
磁束密度Bは内部コイル13および外部コイル14にコイル電流Icを流すことによって形成する。磁束密度Bが低い領域では、磁束密度Bはコイル電流Icに比例するが、コイル電流Icを大きくすると、磁束密度Bが飽和してしまう。磁束密度Bが飽和して最大となる飽和磁束密度は、各コイル13,14の構造や各コイル13,14のコアによって決定され、大きな飽和磁束密度を得るためには、より大きなコアが必要となり、ホールスラスタ11の装置構成が大型になる。また、各コイル13,14の巻線の巻き数も大きくなり、コイル電流Icも大きくなるので、各コイル13,14によって損失する電力が大きくなる。従って、あまり大きな磁束密度Bを形成することは実用的ではない。
【0052】
そこで、領域3においてホールスラスタ11を運転することが考えられる。領域3では、アノード電流の振動が多少大きいが、アノード電流の平均値も大きいため、平均電流値で規格化するとアノード電流の振動の割合は十分小さくなる。つまり、アノード電流の電流値と比較してアノード電流の振動の強さを考える場合には、領域3でも十分振動の少ない安定な制御が可能であることを示している。領域3においてホールスラスタ11を運転する場合には、領域2において運転する場合と比べて、ホールスラスタ11の推力であるイオンの加速量を大きくするために、アノード電圧Vaおよびガス流量Qを大きくし、磁束密度Bを低くしても、ホールスラスタ11を安定して運転することができる。つまり、各コイル13,14の構造や各コイル13,14のコアを小さくし、コイル電流Icを小さくし、より小さい電力損失で安定してホールスラスタ11を運転できる。このため、ホールスラスタ11の装置の小型化、高効率化を実現できる。このように、ホールスラスタ11に対して、ある程度以上高い推力が必要な場合には、ホールスラスタ11の動作領域として領域3を選べばよいことがわかる。つまり、下記の式(8)を満たすように、各パラメータを調節すればよいことがわかる。
【0053】
【数8】

【0054】
式(8)の右辺のうち、βおよびSは、ホールスラスタ11の形状で決まる値である。Va、Q、およびBは、外部から調節できるパラメータである。このうち、VaおよびQは、ホールスラスタ11のイオン加速量を決めるパラメータであり、Bはホールスラスタ11を安定に動作させるための調節用のパラメータと考えてよい。イオン加速量が大きくなると、VaおよびQは大きくなる。つまり、イオン加速量を大きくする場合には、式(8)の右辺は大きくなる。また、イオン加速量を小さくする場合には、式(8)の右辺は小さくなる。
【0055】
イオン加速量を大きくしていく場合には、ガス流量Qまたはアノード電圧Vaを大きくしていくことになる。しかしながら、両者とも自ら出力できる値に限界があるので、大きくするといっても無制限に大きくなるわけではない。つまり、イオン加速量を変更する場合、式(8)のような制限があることを考えると、制御が問題になるのは、イオン加速量を大きくする場合ではなく、イオン加速量を小さくしていく場合である。イオン加速量を大きくしていく場合には、式(8)の制限を考慮する必要はないが、イオン加速量を小さくしていく場合には、式(8)の境界値を超えないように注意しながらVa、Q、およびBを調節しなければならない。式(8)の境界に達する場合には、磁束密度Bを調節して式(8)を満たすように調節しなければならない。
【0056】
なお、式(7)または式(8)で示した値は、推進剤としてXeを用いた場合であり、他の推進剤、たとえばKrやArを用いた場合には式(7)または式(8)の閾値は異なるものになるだろうと想像される。しかしながら、閾値は異なっても、駆動条件として、(β×Va×Q)/(S×B)を所定の範囲に収まるようにしておけば、放電振動現象は原理的に抑制できるであろうことは同様である。
【0057】
以上のように、制御装置9は、イオン加速装置であるホールスラスタ11のイオン出力端の出口断面積Sと磁束密度のイオン加速装置のイオン加速方向の平均値に対するイオン出力端での磁束密度Bの比率である磁束偏り率βとに基づき、アノード電圧Vaとコイル電流Icとに関係付けられた関数である式(7)を満たすようにアノード電圧Vaとガス流量Qとコイル電流Icに依存するイオン出力端での磁束密度Bとを制御することによって、ホールスラスタ11のチャネル18内の磁束密度の分布が偏った場合でも、放電振動現象の発生を抑えることができる。つまり、ホールスラスタ11の駆動条件として、(β×Va×Q)/(S×B)を所定の範囲に収まるよう制御すれば、放電振動現象は原理的に抑制できることが明確となった。
【0058】
なお、本発明は、磁束偏り率βが1を超えるような場合、つまり、ホールスラスタ11のチャネル18内の放電生成領域が偏っている場合に有効である。普通に磁束を印加すると磁束偏り率βは1程度の値になるが、本発明が特に有効になる場合としては、放電生成領域がイオン加速領域の長さLに比較して有意に短くなる場合と考えられ、磁束偏り率βがβ≧1.2の関係を満たしている場合に用いることが適していると考えられる。
【0059】
実施の形態2.
実施の形態1の図2で示した領域2の範囲内では、Va×Q∝Bの特性を持つことから、磁束密度Bの二乗をアノード電圧Vaとガス流量Qとの積に概ね比例するように制御することが適している。また、特に領域1と領域2との境界は明確であり、最も安定な領域がこの境界のすぐ内側に存在し、このすぐ内側の領域(図5の領域2内の左寄り)で運用するのが適していることからも、磁束密度Bの二乗をアノード電圧Vaとガス流量Qとの積に概ね比例するように制御することが適している。言い換えれば、磁束密度Bがコイル電流Icに概ね比例すると仮定すると、アノード電圧Vaの平方根とガス流量Qの平方根とを乗算した値に略比例するようにコイル電流Icを制御することが適している。
【0060】
アノード電圧Vaとガス流量Qは、ホールスラスタ11の運転、つまりどれだけの推力を出したいかなどによって決まるので、磁束密度B(コイル電流Ic)を与えられたアノード電圧Vaとガス流量Qとに従って変化させて制御する、というのが実際的な制御方法となる。このことは、たとえばホールスラスタ11を立ち上げる際など、パラメータが過渡的に変化する場合において特に重要となる。このような制御を行うことによって、ホールスラスタ11のチャネル内の磁束密度の分布が偏った場合でも、放電振動現象の発生を抑え、安定にイオン加速装置であるホールスラスタ11を動作させることができる。
【符号の説明】
【0061】
1 電源装置、2 アノード電源、3 内部コイル電源、4 外部コイル電源、5 ガス流量制御装置、6 ヒータ電源、7 キーパ電源、8 カソード用ガス流量制御装置、9 制御装置、10 データベース記憶部、11 ホールスラスタ、12 アノード電極、13 内部コイル、14 外部コイル、15 ガス流量調節器、16 内側リング、17 外側リング、18 チャネル、19 ポールピース、21 ホローカソード、22 振動検出器。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
アノード電極とガス流量調節器と磁場生成用コイルとを設けたイオン加速装置を制御する電源装置であって、
前記アノード電極へ印加されるアノード電圧と前記ガス流量調節器を介して流されるガス流量とを制御し、前記磁場生成用コイルへ流されるコイル電流によって前記イオン加速装置のイオン出力端での磁束密度を制御して前記イオン加速装置のイオン加速量を調整する制御装置を備え、
前記制御装置は、前記イオン加速装置のイオン出力端の出口断面積と前記イオン加速装置のイオン加速方向の磁束密度の平均値に対する前記イオン出力端での磁束密度の比率である磁束偏り率とに基づき、式(1)を満たすように前記アノード電圧と前記ガス流量と前記コイル電流に依存する前記イオン出力端での磁束密度とを制御することを特徴とする電源装置。
【数1】

ただし、
S:イオン出力端の出口断面積[m
β:磁束偏り率
Va:アノード電圧[V]
Q:ガス流量[sccm]
B:イオン出力端での磁束密度[T]。
【請求項2】
前記磁束偏り率は、1.2以上であることを特徴とする請求項1に記載の電源装置。
【請求項3】
前記制御装置は、前記アノード電圧の平方根と前記ガス流量の平方根とを乗算した値に略比例するように前記コイル電流を制御することを特徴とする請求項1に記載の電源装置。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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