説明

アルツハイマー病の発症リスク又はアルツハイマー病発症予後の予測方法

【課題】新規なアルツハイマー病の発症リスクを予測する方法を提供する。
【解決手段】本発明は、個人が将来アルツハイマー病に発症するリスク及びアルツハイマー病の発症予後を予測する方法であって、ヒトから採取された生体液中に存在する、アミロイドβペプチドのシャペロン活性を喪失したヒトリポカリン型プロスタグランジンD合成酵素(β−トレース)を定量する工程、又は、(II) ヒトから採取された生体液におけるアミロイドβペプチドのシャペロン活性を測定する工程を含む方法に関する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、アルツハイマー病発症リスク及びアルツハイマー病発症予後の予測方法に関する。より詳しくは、ヒトから採取された生体液中に存在する、アミロイドβペプチドの凝集に対するシャペロン活性を喪失したヒトリポカリン型プロスタグランジンD合成酵素(以下、変性L−PGDSと称す)の定量測定、又は、ヒトから採取された生体液におけるアミロイドβペプチドのシャペロン活性の測定を行い、得られた測定値と基準の測定値とを比較することにより、個人が将来アルツハイマー病に発症するリスクを予測する又はアルツハイマー病に発症した個人の発症予後を予測する行程を含むアルツハイマー病発症リスク又はアルツハイマー病発症予後の予測方法に関する。
【背景技術】
【0002】
近年、高齢化社会に伴い、痴呆性疾患患者は増加の一途を辿っている。特にアルツハイマー病の患者は、約150万人存在する痴呆性疾患患者のうち、約半数存在すると推定される。アルツハイマー病の主たる原因は、アミロイドβペプチドが凝集し、脳の全般に蓄積し、老人斑を形成することにあると考えられている。しかしながら、脳内におけるアミロイドβペプチドの凝集及び蓄積の機構については解明されていない。この機構を解明することにより、アルツハイマー病を治療又は予防することができれば、老人福祉介護における労力を軽減することができる上に、個人の尊厳が保たれる。
【0003】
一方、本発明者は、ヒトリポカリン型プロスタグランジンD合成酵素(以下、L−PGDSともいう)が、脳脊髄液中に多量に存在することが知られているβ−トレースと同一であることを明らかにした(非特許文献1〜3)。この事実の発見により、本発明者は、ヒトリポカリン型プロスタグランジンD合成酵素の各種痴呆性疾患への影響について解析を行い、各種痴呆性疾患の診断、治療及び予防への応用について検討を行っている。
【0004】
例えば、本発明者は、被験者より採取した体液試料中のヒトリポカリン型プロスタグランジンD合成酵素の濃度を測定することにより、正常圧水頭症と、アルツハイマー病、パーキンソン病及び脳血管性痴呆などの外科手術による改善の見込みが薄い痴呆性疾患を鑑別することができることを見出し特許出願を行っている(特許文献1)。
【0005】
また、本発明者は、ヒトリポカリン型プロスタグランジンD合成酵素がプロスタグランジンDを生合成するだけではなく、アミロイドβペプチドの凝集に対するシャペロン活性を有することを明らかにした。つまり、ヒトリポカリン型プロスタグランジンD合成酵素がアルツハイマー病に関与していることを明らかとした。そして、本発明者は鋭意検討を行った結果、当該L−PGDSをアミロイドβペプチドの凝集抑制剤とする第二医薬用途として特許出願を行っている(特許文献2)。
【0006】
近年、個人の体質及び病態などを測定することにより、複数存在する治療薬中から最も効果的な治療薬の選択、投与後の副作用の発生リスクの予測ならびに将来疾患にかかる可能性の予測など、患者に最適な医療を提供するテーラーメイド医療が注目を浴びている。
【0007】
アルツハイマー病に関しても例外ではなく、例えば、アポリポ蛋白E及びミドコンドリア型アルデヒド脱水酵素遺伝子2のアイソフォームを特定することにより、アルツハイマー病の発症年齢を予測する方法(特許文献3)、アポリポ蛋白C2遺伝子のマイクロサテライト配列の反復回数を測定により散発性高齢発症型アルツハイマー病の発症年齢を予測する方法(特許文献4)などの技術が開示されている。さらに、ヒトタウ遺伝子の第11イントロンの遺伝子多型の測定によりアルツハイマー病の発症年齢を予測する方法(特許文献5)及びアポリポ蛋白A2遺伝子多型の測定により散発性高齢発症型アルツハイマー病の発症年齢を予測する方法(特許文献6)などの技術が開示されている。
【0008】
しかしながら、上記の文献におけるアルツハイマー病の発症リスクの予測方法は、個人の体質に由来するアルツハイマー病の発症リスクは予測できるものの、個人の生活習慣に基づく発症リスクは予測することは困難である。また、アルツハイマー病発症予後を予測できる方法は存在しない。
【0009】
【特許文献1】国際公開公報2002/008750号パンフレット
【特許文献2】特願2004−218952号
【特許文献3】特開2001−299397号公報
【特許文献4】特開2005−013148号公報
【特許文献5】特開2005−065594号公報
【特許文献6】特開2005−118026号公報
【非特許文献1】Hoffmann A et al., J Neurochem., 61, 451-456, 1993
【非特許文献2】Zhan M. et al., Neurosci. Let., 154, 93-95, 1993
【非特許文献3】Watanabe K. et al., Biochem. Biophys. Res. commun., 203, 1110-1116, 1994
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0010】
新規なアルツハイマー病の発症リスク又はアルツハイマー病発症予後を予測する方法について提供する。
【課題を解決するための手段】
【0011】
本発明者らは鋭意検討を行った結果、アルツハイマー病の発症リスク及びアルツハイマー病発症予後を予測する新規なマーカーを発見した。
したがって、本発明は、
[1] 個人が将来アルツハイマー病に発症するリスクを予測する方法又はアルツハイマー病に発症した個人の発症予後を予測する方法であって、
(I) ヒトから採取された生体液中に存在する、アミロイドβペプチドのシャペロン活性を喪失したヒトリポカリン型プロスタグランジンD合成酵素(以下、変性L−PGDSと称す)の定量測定;又は
(II) ヒトから採取された生体液におけるアミロイドβペプチドのシャペロン活性の測定;
を行い、
得られた測定値から個人が将来アルツハイマー病に発症するリスクを予測する又はアルツハイマー病に発症した個人の発症予後を予測する
ことを特徴とする予測方法、
[2] 生体液が、脳脊髄液である前項1に記載の予測方法、
[3] 変性L−PGDSが、配列番号1に示されるアミノ酸配列からなる蛋白に、プロスタグランジンD、レチノイド、ビリルビン又はビリベルジンが不可逆的に結合した複合体である前項1に記載の予測方法、
[4] 変性L−PGDSが、配列番号1に示されるアミノ酸配列中の65番目のシステインのチオール基が酸化ストレスにより酸化されたアミノ酸配列からなる蛋白である前項1に記載の予測方法、
[5] (I) ヒトから採取された生体液中に存在する、変性L−PGDSの定量測定が、表面プラズモン共鳴(SPR)法である前項1に記載の予測方法、
[6] (I) ヒトから採取された生体液中に存在する、変性L−PGDSの定量測定が、酵素免疫測定法(EIA)法である前項1に記載の予測方法、
[7] (I) ヒトから採取された生体液中に存在する、変性L−PGDSの定量測定が、生体液から変性L−PGDSを含む全ヒトリポカリン型プロスタグランジンD合成酵素を分離後、分離された全ヒトリポカリン型プロスタグランジンD合成酵素中に存在する変性L−PGDSを定量することを含む前項1に記載の予測方法、
[8] 配列番号1に示されるアミノ酸配列からなる蛋白にプロスタグランジンD、レチノイド、ビリルビン又はビリベルジンが不可逆的に結合した複合体、並びに、
[9] 配列番号1に示されるアミノ酸配列中の65番目のシステインのチオール基が酸化ストレスにより酸化されたアミノ酸配列からなる蛋白である。
【発明の効果】
【0012】
本発明は、アルツハイマー病の発症リスクを予測することができる。特に睡眠不足や酸化ストレスなどの個人の生活習慣に基づくアルツハイマー病の発症リスクを予測することができる。さらに、本発明はアルツハイマー病発症予後を予測することができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0013】
本発明における「アルツハイマー病」とは、アミロイドβペプチドが脳の全般に蓄積(老人斑を形成)し、神経細胞間の情報伝達が阻害され、広汎な脳萎縮がみられる初老期痴呆の代表的疾患をいう。また、アルツハイマー病は、発症した患者が、
(i) 初期症状として記銘力障害及び空間的・時間的見当識障害などがみられ、
(ii) 病状が進行すると錐体外路症状として筋緊張の亢進がみられ、
(iii) 末期には痴呆が高度になり全身衰弱で死亡する、
疾患をいう。上記初期症状は、初老期でみられる場合がほとんどであるが、若年でみられる場合もあれば、65歳以上でみられる場合もある。
【0014】
本発明における「アルツハイマー病の発症リスク」とは、健常なヒトが将来アルツハイマー病を発症する可能性をいう。ここで、「発症する可能性」とは、アルツハイマー病になりやすい又はなりにくいなどの傾向による表現、ならびに、例えば10%、2分の1及び7割などの確率による表現を含む。また、「将来」とは、基本的には初老期(約60〜65歳)未満の年齢のヒトにおける、初老期以上の年齢をいうが、本発明はこれらに限定されるものではない。
【0015】
また、本発明における「アルツハイマー病発症予後」とは、アルツハイマー病が発症したと診断された患者における発症後の病状の進行の早さをいう。例えば、上記(i)の症状から(ii)の症状を経て、(iii)の症状に至る進行の早さをいう。
【0016】
本発明における「アミロイドβペプチド」とは、40〜42、3のアミノ酸からなるペプチドをいい、β−セクレターゼ及びγ−セクレターゼより前駆体蛋白(APP:Amyloid β Precursor Protein)から切り出されうるペプチドをいう。本発明においてアミロイドβペプチドは、Aβと略すこともある。
【0017】
本発明の第1の方法は、ヒトから採取された生体液中に存在する、アミロイドβペプチドの凝集に対するシャペロン活性を喪失したヒトリポカリン型プロスタグランジンD合成酵素の定量測定を含む。
【0018】
本発明における「生体液」とは、ヒトから侵襲的又は非侵襲的に採取しうる液体をいい、例えば、脳脊髄液(以下CSFと略すこともある)、細胞液、血液、汗、涙及び尿などが挙げられる。特にL−PGDSの含有量が多い観点から脳脊髄液が好ましいが、これに限定されるものではない。
【0019】
上記「ヒトリポカリン型プロスタグランジンD合成酵素(L−PGDS)」とは、配列番号1のアミノ酸配列で示される蛋白をいい、特に脳脊髄液の多く存在し、プロスタグランジンD合成能、脂溶性生理活性物質の輸送能及びアミロイドβペプチド(Aβ)のシャペロン活性を併せ持つ多機能蛋白をいう。また、本発明においてL−PGDSは、β−トレースと置き換えていうこともある。
【0020】
本発明者は、上記L−PGDSが、
(1) レチノイド(活性型ビタミンA)、甲状性ホルモンなどの脂溶性生理活性物質、アミロイドβペプチド、ならびに、ビリルビン及びビリベルジンなどのヘム分解物と高い親和性を有する第1のサイト、
(2) アミロイドβペプチド(Aβ)及びプロスタグランジンDを補足し、アミロイドβペプチドのシャペロン活性を有する第2のサイト
の2サイトを備えることを明らかとした。
【0021】
したがって、上記「アミロイドβペプチド(Aβ)の凝集に対するシャペロン活性を喪失したヒトリポカリン型プロスタグランジンD合成酵素(L−PGDS)」とは、L−PGDSの第2のサイト及びその周辺部における他の物質との非可逆的な結合及び官能基の置換などにより、AβとL−PGDSの第2のサイトとの弱い結合が阻害された状態のものをいう。また、この際、L−PGDSの第1のサイトには、上記の高い親和性を有する物質が結合されていても、結合されていなくてもよい。
【0022】
上記「アミロイドβペプチド(Aβ)の凝集に対するシャペロン活性を喪失したヒトリポカリン型プロスタグランジンD合成酵素(L−PGDS)」とは、主に、
(A) 配列番号1に示されるアミノ酸配列からなる蛋白にプロスタグランジンD、レチノイド、ビリルビン又はビリベルジンが結合した複合体、
及び、
(B) 配列番号1に示されるアミノ酸配列中の65番目のシステインのチオール基が酸化ストレスにより酸化されたアミノ酸配列からなる蛋白
が挙げられる。本発明では、これらアミロイドβペプチドの凝集に対するシャペロン活性を喪失したヒトリポカリン型プロスタグランジンD合成酵素(L−PGDS)を、単に「変性ヒトリポカリン型プロスタグランジンD合成酵素(変性L−PGDS)」ということもある。
【0023】
上記「(A) ヒトリポカリン型プロスタグランジンD合成酵素(L−PGDS)とプロスタグランジンD、レチノイド、ビリルビン又はビリベルジンとの複合体」とは、
(a) プロスタグランジンDが、配列番号1に示されるアミノ酸配列の65番目のシステインのチオール基と共有結合した複合体、
(b) プロスタグランジンDが、配列番号1に示されるアミノ酸配列の65番目のシステイン周辺のアミノ酸と不可逆的に結合した複合体、
及び、
(c) レチノイド、ビリルビン又はビリベルジンが、ヒトリポカリン型プロスタグランジンD合成酵素(L−PGDS)の第1のサイトに不可逆的に結合した複合体
を含む。
【0024】
本発明における「プロスタグランジンD」とは、睡眠誘発、体温低下及び黄体ホルモン遊離ホルモン分泌抑制などの中枢作用を持つ物質をいい、IUPAC名で(5Z,13E)−(15S)−9α,15−ジヒドロキシ−11−オキソプロスタ−5,13−ジエン−1−酸と称する物質をいう。本発明において、プロスタグランジンDはPGDと略すこともある。PGDの化学構造式を以下に示す。
【0025】
【化1】

【0026】
また、上記「(a) プロスタグランジンDが、配列番号1に示されるアミノ酸配列の65番目のシステインのチオール基と共有結合した複合体」及び「(b) プロスタグランジンDが、配列番号1に示されるアミノ酸配列の65番目のシステイン周辺のアミノ酸と不可逆的に結合した複合体」は、L−PGDSの89、167及び186番目のシステイン(つまり、配列番号1のアミノ酸配列のうち、65番目のシステイン以外の全てのシステイン)をアラニンに置換した遺伝子組み換え産物が、PGDと不可逆的に結合することが確認されたことによりその存在が実証された。
【0027】
上記「L−PGDSの65番目のシステイン周辺のアミノ酸」とは、上記L−PGDSの第2のサイトを形成するアミノ酸であれば、特に限定されるものではないが、例えば、43番目のトリプトファンおよび111番目のヒスチジンまでのアミノ酸などが挙げられる。また、「不可逆的に結合した」とは、主に共有結合をいうが、L−PGDSからPGDを分離が困難な程度に強固に結合しているものであれば、特に限定されるものではない。
【0028】
以上のことから、睡眠不足などにより生体液、特に脳脊髄液中のPGDの濃度が高い状態が続くと、PGDがL−PGDSの第2のサイトに非可逆的に結合する可能性が高くなる。そして、このL−PGDSとPGDが不可逆的に結合した複合体は、もはやAβの凝集に対するシャペロン活性を喪失しているため、Aβの凝集(老人班)形成の原因となると考えられる。
【0029】
上記「レチノイド」とは、生体内で形態形成制御作用及び細胞の分化増殖制御などの作用を持つ物質をいい、例えば、オールトランスレチノイン酸、13シスレチノイン酸、9シスレチノイン酸、オールトランスレチノール及びオールトランスレチナールなどが挙げられる。また、「ビリルビン」とは、老化赤血球や溶血赤血球に含まれるヘモグロビンの代謝産物をいい、総ビリルビン、直接ビリルビン、間接ビリルビン、抱合型ビリルビン及び非抱合型ビリルビンを含む。さらに「ビリベルジン」とは、青緑色を呈する胆汁色素をいい、還元により上記ビリルビンに変化する物質をいう。
【0030】
上記のレチノイド、ビリルビン及びビリベルジンの3物質は、L−PGDSの第1のサイトに結合する物質であり、一見Aβの凝集に対するシャペロン活性を持つ第2のサイトに影響がないように思われる。しかしながら、これらの物質が第1のサイトに不可逆的に結合すると、第2のサイトのコンホメーションが変化し、シャペロン活性が低下する。
【0031】
一方、上記「(B) 65番目のシステインのチオール基が酸化ストレスにより酸化されたヒトリポカリン型プロスタグランジンD合成酵素(L−PGDS)」とは、上記チオール基が酸化ストレスにより、例えば、スルフィド、ジスルフィド、スルフィン酸、スルフェン酸及びスルホン酸などの官能基に酸化したものが挙げられるが、本発明はこれらに限定されるものではない。
【0032】
上記「酸化ストレス」とは、生体内において生成される活性酸素群の酸化損傷力と生体がもつ抗酸化システムのポテンシャルの差として定義されているものをいい、活性酸素種が原因となる生体内の蛋白の酸化をいう。活性酸素種としては、例えば、一酸化窒素、グルタチオン及び過酸化水素水などが挙げられるが、本発明はこれに限定されるものではない。本発明者らは、一酸化窒素、グルタチオン及び過酸化水素水による、L−PGDSの65番目のシステインのチオール基の酸化を確認した。
【0033】
したがって、食生活の欧米化、精神的ストレス及び排気ガスなどが多い生活環境などにより、L−PGDSの第2のサイトにおける65番目のシステインのチオール基は酸化される可能性が高くなる。そして、この酸化したL−PGDSは、もはやAβの凝集に対するシャペロン活性を喪失しているため、Aβの凝集(老人班)形成の原因となると考えられる。
【0034】
上述した変性L−PGDSの定量は、定量が可能であれば特に限定されるものではないが、例えば、表面プラズモン共鳴法(SPR法)、水晶発振マイクロバランス法(QCM法)、免疫比濁法、放射性免疫測定法(RIA法)及び酵素免疫測定法(EIA法)などが挙げられる。特に測定の感度及び測定が容易である観点から、表面プラズモン共鳴法(SPR法)及び酵素免疫測定法(EIA法)が好ましい。
【0035】
上記「表面プラズモン共鳴法(SPR法)」とは、金属薄膜の裏面の照射光は全反射すると同時に金属膜側に発生する微弱なエネルギー波(エバネッセント波)と、誘電体に接触した金属表面では粗密波(表面プラズモン)が共鳴し、反射光が減衰する現象(表面プラズモン現象)が生じる照射光の角度(共鳴角)の変化から、金膜表面上約1μmの範囲内で起こる反応による、結合した物質の誘電率変化によりモニタリングする測定法をいう。
【0036】
上記SPR法における測定方法としては、例えば、第2のサイトに捕捉されうるPGD又はAβを固定化したSPR用基板を用いることにより、ヒト生体液中の変性していない(第2のサイトの結合能を有する)L−PGDSを定量する。この際、変性の有無を問わずL−PGDSと結合するモノクローナル抗体、つまり、公知のL−PGDSのモノクローナル抗体を二次的に結合させることにより、感度を増幅することができて好ましい。本発明においてこの公知のモノクローナル抗体を、「非識別型モノクローナル抗体」と呼ぶ。この非識別型モノクローナル抗体を産生する細胞株は、独立行政法人産業技術研究所特許生物寄託センター(日本国茨城県つくば市東1丁目1番1号)にブダペスト条約に基づく国際寄託として寄託されている(FERM BP−5709〜5713)。
一方で、非識別型モノクローナル抗体を固相化したSPR用基板を用いて、ヒト生体液中の全体のL−PGDSを定量する。
そして、全体のL−PGDSの量から、変性していないL−PGDSの量を差し引くことにより、変性したL−PGDSの量を間接的に定量する。
【0037】
また、変性していないL−PGDSとは結合せず、変性L−PGDSと結合するモノクローナル抗体を使用すれば、変性L−PGDSを直接的に測定できると共に、測定時間を短縮できて好ましい。本発明においてこのモノクローナル抗体は、「識別型モノクローナル抗体」と呼ぶ。この変性L−PGDS用モノクローナル抗体の製造方法は、常法にしたがって製造することができる。
【0038】
上記プロスタグランジンD(PGD)、アミロイドβペプチド(Aβ)、ならびに、識別型及び非識別型モノクローナル抗体のSPR用基板への固定化方法は、例えば、インキュベートによる物理的吸着及び金属−チオール結合による化学的吸着(自己組織化ともいう)を利用する方法などが挙げられる。特に製造のコストの観点から物理的吸着が好ましいが、本発明はこれに限定されるものではない。
【0039】
一方、上記「酵素免疫測定法(EIA法)」とは、酵素で標識した抗原や抗体を用いて抗原−抗体反応を利用して目的の物質と結合させ、基質代謝による発色又は発光強度から目的の物質を定量する測定法をいう。上記EIA法は、ELISA法、IEMA法、EMIT法及びCLEIA法などを含む。
【0040】
上記EIA法の測定方法として、例えば、固相化する物質として上記のPGD又はAβを用い、そして、検出は上記識別型モノクローナル抗体に酵素を修飾したものを使用し、該酵素の基質を用いて検出する方法などが挙げられる。抗体の製造方法及び固相への固定化は、上述した方法と同様の方法であればよい。酵素としては、アルカリホスファターゼ及びペルオキシダーゼなどが挙げられる。一方、基質としては、上記酵素がアルカリホスファターゼの場合、1,2−ジオキセタン類、p−ニトロフェニルリン酸ナトリウム、ならびに、p−ニトロブルーテトラゾリウム(NBT)及び5−ブロモ−4−クロロ−3−インドリルリン酸p−トルイジン塩(BCIP)の併用などが挙げられる。また、上記識別型モノクローナル抗体にはビオチンを修飾したものを用い、別途ストレプトアビジン修飾アルカリホスファターゼを用いれば、修飾モノクローナル抗体の製造コストが安価に抑えられて好ましい。これら酵素及びその基質の選択は、当業者が適宜選択しうるものであることから、特に限定されるものではない。
【0041】
また、上述した生体液から直接変性L−PGDSを定量するよりも工程が多くなるものの、本発明の第1の方法は、免疫クロマトグラフ法などにより生体液からL−PGDSを分離後、分離されたL−PGDS中に存在する変性L−PGDSを定量する方法を実施してもよい。ここで、免疫クロマトグラフ法に用いる抗体は、上記非識別型モノクローナル抗体であればよい。また、定量する方法としては、上述したSPR法、QCM法、RIA法及びEIA法の他にも、例えば、元素分析、質量分析及び赤外吸収スペクトル測定などを利用することができる。
【0042】
本発明の予測方法における第2の方法とは、ヒトから採取された生体液におけるアミロイドβペプチド(Aβ)の凝集に対するシャペロン活性測定を含む。生体液におけるアミロイドβペプチド(Aβ)のシャペロン活性は、変性L−PGDSの濃度が増加することにより低下する。
【0043】
上記「シャペロン活性測定」としては、例えば、光散乱法、濁度測定法及び蛍光プローブ法などが挙げられる。中でも感度の観点から、蛍光プローブ法が好ましい。蛍光プローブとしては、例えば、チオフラビンT、ピレン、シアニン色素、ローダミン6G試薬、N−アセトキシ−N−アセチルアミノフルオレン(AAF)及びAAIF(AAFのヨウ素誘導体)などが挙げられる。特にAβの凝集測定に一般的に用いられている観点から、チオフラビンTが好ましい。
【0044】
上記シャペロン活性測定においては、生体液中に存在するアミロイドβペプチドの凝集を測定してもよいが、新たにAβ(ランダムコイル)を添加することにより、より迅速な測定が可能となるため好ましい。Aβ(ランダムコイル)の添加量は、例えば、添加後の濃度が約10〜300μM、好ましくは約25〜75μMである。さらに、Aβのβシート核(SEED)を添加することによっても迅速な測定が可能となり好ましい。Aβのβシート核(SEED)の添加量は、例えば、添加後の濃度が約1〜20μg/ml、好ましくは約5〜15μg/mlである。
【0045】
以上に示したシャペロン活性の測定における条件などは、当業者が適宜設定できるものであり、特に限定されるものではない。
【0046】
上記第1の方法又は第2の方法により得られた測定値から個人が将来アルツハイマー病に発症するリスクを予測する又はアルツハイマー病に発症した個人の発症予後を予測する。例えば、第1の方法で得られた変性L−PGDSの濃度が高ければ高いほどアルツハイマー病を発症する可能性は高い、又は、アルツハイマー発症後の病状の進行が早いと予測することができる。また、第2の方法におけるシャペロン活性が低ければ低いほどアルツハイマー病を発症する可能性は低いと予測することができる。
【実施例】
【0047】
<L−PGDSによるAβシャペロン活性の確認>
以下の参考例及び参考実験例は、L−PGDSによるAβの凝集に対するシャペロン活性について確認する。これらの参考例及び参考実験例で用いられる試料及び測定条件などは、L−PGDSによるAβシャペロン活性を確認するために設定されたものである。したがって、本発明のアルツハイマー病の発症リスク予測方法においては、これらの条件に限定されるものではない。
【0048】
[参考例1] Aβの溶液
リン酸緩衝液に、Aβ(1−40)を溶解した溶液を調製した。Aβ(1−40)の濃度は50μMとした。
【0049】
[参考例2] L−PGDS及びAβの溶液
リン酸緩衝液に、L−PGDS及びAβ(1−40)を溶解した溶液を調製した。L−PGDSの濃度は5μM、Aβ(1−40)の濃度は50μMとした。
【0050】
[実験例1] 参考例1及び2のAβ凝集測定
上記参考例1及び2のAβ凝集測定を蛍光プローブ法で測定した。蛍光プローブとしては、チオフラビンTを用いた。測定は、励起波長445nm、測定波長490nmにて行った。また、測定を迅速に行うために、各溶液にはアミロイドβペプチドのβシート核(SEED)を濃度約10μg/mlとなるように添加した。
【0051】
その結果、参考例1はAβが凝集していることは明らかであった。一方、参考例2は、Aβの凝集が見られないことから、L−PGDSがAβの凝集に対するシャペロン活性を有することを確認した。
【0052】
<変性L−PGDSの存在及びAβシャペロン活性の喪失>
以下の実施例、比較例及び実験例は、変性L−PGDSがAβの凝集に対するシャペロン活性を喪失していることについて証明した。これらの実施例、比較例及び実験例で用いられる試料及び測定条件などは、変性L−PGDSがAβの凝集に対するシャペロン活性を喪失していることを証明するために設定されたものである。したがって、本発明の予測方法においては、これらの条件に限定されるものではない。
【0053】
[実施例1] 変性L−PGDS含有溶液の調製1
リン酸緩衝液に、L−PGDS、PGD及びAβ(1−40)を溶解し、約1時間攪拌した後の溶液を用いた。L−PGDSの濃度は5μM、PGDの濃度は50μM、Aβ(1−40)の濃度は50μMとした。
【0054】
[実施例2] 変性L−PGDS含有溶液の調製2
リン酸緩衝液に、L−PGDS、PGD及びAβ(1−40)を溶解し、約3時間攪拌した後の溶液を用いた。L−PGDSの濃度は5μM、PGDの濃度は50μM、Aβ(1−40)の濃度は50μMとした。
【0055】
[比較例1] L−PGDS、PGD及びAβの溶液
リン酸緩衝液に、L−PGDS、PGD及びAβ(1−40)を溶解した「直後」の溶液を用いた。L−PGDSの濃度は5μM、PGDの濃度は50μM、Aβ(1−40)の濃度は50μMとした。
【0056】
[比較例2] L−PGDS及びAβの溶液
比較例2の溶液は、参考例2の溶液と同じ溶液を用いた。
【0057】
[実験例2] 変性L−PGDSのAβシャペロン活性の喪失の確認1
上記実施例1、2及び比較例1の溶液におけるAβ凝集測定を蛍光プローブ法にて測定した。実験条件などは、実験例1と同様に設定した。
【0058】
その結果を図1に示す。比較例1の溶液は、L−PGDSによりAβの凝集に対するシャペロン活性が促進されているが、実施例1及び実施例2の溶液は、L−PGDSのAβの凝集に対するシャペロン活性が喪失していることが明らかであった。また、1時間以上インキュベートしないと変性L−PGDSが産生されないのは、PGDのL−PGDSへの結合が遅いためであると考えられる。この事から、PGDが、L−PGDSのシャペロン活性の喪失に影響していることが証明された。
【0059】
[実施例3] 変性L−PGDS含有溶液の調製3
リン酸緩衝液に、L−PGDS、ビリルビン及びAβ(1−40)を溶解した「直後」の溶液を用いた。L−PGDSの濃度は2.5μM、ビリルビンの濃度は50μM、Aβ(1−40)の濃度は50μMとした。
【0060】
[参考例3] ビリルビン及びAβの溶液
リン酸緩衝液に、ビリルビン及びAβ(1−40)を溶解した「直後」の溶液を用いた。ビリルビンの濃度は50μM、Aβ(1−40)の濃度は50μMとした。この参考例は、チオフラビンTの蛍光環境を実施例3と同じにするために行ったものであり、実質は参考例1のAβのみの溶液と同等に扱うものとする。
【0061】
[実験例3] 変性L−PGDSのAβの凝集に対するシャペロン活性の喪失の確認2
上記実施例3及び参考例3のAβ凝集測定を蛍光プローブ法にて測定した。実験条件などは、実験例1と同様に設定した。
【0062】
その結果を図2に示す。比較例2の溶液は、L−PGDSによりAβの凝集に対するシャペロン活性が促進されているが、実施例3の溶液はL−PGDSのAβの凝集に対するシャペロン活性が喪失していることが明らかであった。ビリルビンはL−PGDSの第1のサイトに結合する物質であり、Aβの凝集に対するシャペロンを促進する第2のサイトには結合しない。しかしながら、ビリルビンが第1のサイトに結合することにより、第2のサイトのコンホメーションが変化し、シャペロン活性を喪失するものと考えられる。また、PGDと比較して、シャペロン活性の喪失がインキュベート時間に依存しないのは、ビリルビンの第1のサイトへの結合が早いためであると考えられる。この事から、ビリルビンが、L−PGDSのシャペロン活性の喪失に影響していることが証明された。
【0063】
[実施例4] 変性L−PGDS含有溶液の調製4
リン酸緩衝液に、L−PGDS、ビリベルジン及びAβ(1−40)を溶解した「直後」の溶液を用いた。L−PGDSの濃度は2.5μM、ビリベルジンの濃度は50μM、Aβ(1−40)の濃度は50μMとした。
【0064】
[参考例4] ビリベルジン及びAβの溶液
リン酸緩衝液に、ビリベルジン及びAβ(1−40)を溶解した「直後」の溶液を用いた。ビリベルジンの濃度は50μM、Aβ(1−40)の濃度は50μMとした。この参考例は、チオフラビンTの蛍光環境を実施例4と同じにするために行ったものであり、実質は参考例1のAβのみの溶液と同等に扱うものとする。
【0065】
[実験例4] 変性L−PGDSのAβシャペロン活性の喪失の確認3
上記実施例4及び参考例4のAβ凝集測定を蛍光プローブ法にて測定した。実験条件などは、実験例1と同様に設定した。
【0066】
その結果を図3に示す。比較例2の溶液は、L−PGDSによりAβの凝集に対するシャペロン活性が促進されているが、実施例4の溶液はL−PGDSのAβの凝集に対するシャペロン活性が喪失していることが明らかであった。シャペロン活性の喪失した理由、及び、インキュベートに依存しない理由は、実験例2の考察と同じであると考えられる。この事から、ビリベルジンが、L−PGDSのシャペロン活性の喪失に影響していることが証明された。
【0067】
[実施例5] 変性L−PGDS含有溶液の調製4
リン酸緩衝液に、L−PGDS、レチノイン酸及びAβ(1−40)を溶解した「直後」の溶液を用いた。L−PGDSの濃度は2.5μM、レチノイン酸の濃度は50μM、Aβ(1−40)の濃度は50μMとした。
【0068】
[参考例5] レチノイン酸及びAβの溶液
リン酸緩衝液に、レチノイン酸及びAβ(1−40)を溶解した「直後」の溶液を用いた。ビリルビンの濃度は50μM、Aβ(1−40)の濃度は50μMとした。この参考例は、チオフラビンTの蛍光環境を実施例4と同じにするために行ったものであり、実質は参考例1のAβのみの溶液と同等に扱うものとする。
【0069】
[実験例5] 変性L−PGDSのAβシャペロン活性の喪失の確認4
上記実施例5及び参考例5のAβ凝集測定を蛍光プローブ法にて測定した。実験条件などは、実験例1と同様に設定した。
【0070】
その結果を図4に示す。比較例2の溶液は、L−PGDSによりAβの凝集に対するシャペロン活性が促進されているが、実施例4の溶液はL−PGDSのAβの凝集に対するシャペロン活性が喪失していることが明らかであった。シャペロン活性の喪失した理由、及び、インキュベートに依存しない理由は、実験例2の考察と同じであると考えられる。この事から、レチノイン酸が、L−PGDSのシャペロン活性の喪失に影響していることが証明された。
【産業上の利用可能性】
【0071】
本発明は、アルツハイマー病の発症リスクを予測することができる。本発明の新規なマーカーは、睡眠不足、食生活の欧米化、精神的ストレス及び排気ガスなどが多い生活環境などの生活習慣が、アルツハイマー病の発症に相関があることを示唆するものである。また、アルツハイマー病の発症予後も予測することができる。したがって、この新規なマーカーを利用することによるテーラーメイド医療への応用が期待され、患者のクオリティーオブライフ(QOL)の向上に貢献することができる。
【図面の簡単な説明】
【0072】
【図1】実験例2のAβ凝集測定の結果を示す図である。
【図2】実験例3のAβ凝集測定の結果を示す図である。
【図3】実験例4のAβ凝集測定の結果を示す図である。
【図4】実験例5のAβ凝集測定の結果を示す図である。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
個人が将来アルツハイマー病に発症するリスクを予測する方法又はアルツハイマー病に発症した個人の発症予後を予測する方法であって、
(I) ヒトから採取された生体液中に存在する、アミロイドβペプチドに対するシャペロン活性を喪失したヒトリポカリン型プロスタグランジンD合成酵素(以下、変性L−PGDSと称す)の定量測定;又は
(II) ヒトから採取された生体液におけるアミロイドβペプチドのシャペロン活性の測定;
を行い、
得られた測定値から個人が将来アルツハイマー病に発症するリスクを予測する又はアルツハイマー病に発症した個人の発症予後を予測する
ことを特徴とする予測方法。
【請求項2】
生体液が、脳脊髄液である請求項1に記載の予測方法。
【請求項3】
変性L−PGDSが、配列番号1に示されるアミノ酸配列からなる蛋白に、プロスタグランジンD、レチノイド、ビリルビン又はビリベルジンが不可逆的に結合した複合体である請求項1に記載の予測方法。
【請求項4】
変性L−PGDSが、配列番号1に示されるアミノ酸配列中の65番目のシステインのチオール基が酸化ストレスにより酸化されたアミノ酸配列からなる蛋白である請求項1に記載の予測方法。
【請求項5】
(I) ヒトから採取された生体液中に存在する、変性L−PGDSの定量測定が、表面プラズモン共鳴(SPR)法である請求項1に記載の予測方法。
【請求項6】
(I) ヒトから採取された生体液中に存在する、変性L−PGDSの定量測定が、酵素免疫測定法(EIA)法である請求項1に記載の予測方法。
【請求項7】
(I) ヒトから採取された生体液中に存在する、変性L−PGDSの定量測定が、生体液から変性L−PGDSを含む全ヒトリポカリン型プロスタグランジンD合成酵素を分離後、分離された全ヒトリポカリン型プロスタグランジンD合成酵素中に存在する変性L−PGDSを定量することを含む請求項1に記載の予測方法。
【請求項8】
配列番号1に示されるアミノ酸配列からなる蛋白にプロスタグランジンD、レチノイド、ビリルビン又はビリベルジンが不可逆的に結合した複合体。
【請求項9】
配列番号1に示されるアミノ酸配列中の65番目のシステインのチオール基が酸化ストレスにより酸化されたアミノ酸配列からなる蛋白。


【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【公開番号】特開2007−132849(P2007−132849A)
【公開日】平成19年5月31日(2007.5.31)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2005−327513(P2005−327513)
【出願日】平成17年11月11日(2005.11.11)
【出願人】(390000745)財団法人大阪バイオサイエンス研究所 (32)
【出願人】(000135036)ニプロ株式会社 (583)
【Fターム(参考)】