説明

イオン付着質量分析装置

【課題】H2Oなどの特定の分子に付着した金属イオンを脱離させ、被測定ガスのみに金属イオンを付着させた状態を形成することができ、被測定ガスの測定の信頼性を向上させるイオン付着質量分析装置を提供する。
【解決手段】付着室102内で正電荷の金属イオンを被測定ガスの分子に付着させて付着イオンを生成させ、質量分析室103にて付着イオンの質量分析を行なうイオン付着質量分析装置10において、付着室102内に、被測定ガス中に混在する特定の分子の吸収帯に合致する周波数の電磁波を照射し、特定の分子に付着した金属イオンを離脱させ又は特定の分子への金属イオンの付着を阻止する電磁波発生装置を設ける。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、イオン付着質量分析装置に関し、特に、被測定ガスの成分を測定するイオン付着質量分析装置に関する。
【背景技術】
【0002】
イオン付着質量分析装置(IAMS;Ion Attachment Mass Spectrometer)は、被測定ガスを、その成分原子、イオン、原子団などの断片(フラグメント)に分解させずにイオン化して質量分析を行う方法であって、特に解離しやすい有機物の分析に大変有効となっている。ホッジ(非特許文献1)やボンビック(非特許文献2)、藤井(非特許文献3,4)によりイオン付着質量分析装置の報告がなされている。また、いくつかの特許出願(特許文献1〜6など)も公開されている。
【0003】
【特許文献1】特開平6−11485号公報
【特許文献2】特開2001−174437号公報
【特許文献3】特開2001−351567号公報
【特許文献4】特開2001−351568号公報
【特許文献5】特開2002−124208号公報
【特許文献6】特開2002−170518号公報
【非特許文献1】ホッジ(Hodge)、「アナリティカル・ケミストリ(Analytcal Chemistry)」、1976年、第48卷、第6号、p.825
【非特許文献2】ボンビック(Bombick)、「アナリティカル・ケミストリ(Analytcal Chemistry)」、1984年、第56卷、第3号、p.396
【非特許文献3】藤井、「アナリティカル・ケミストリ(Analytcal Chemistry)」、1989年、第61卷、第9号、p.1026
【非特許文献4】藤井、「ケミカル・フィジックス・レターズ(Chemical Physics Letters)」、1992年、第191卷、第12号、p.162
【0004】
従来のイオン付着質量分析装置は、金属イオン放出体(エミッタ)、付着領域、質量分析計の順で配置されている。金属イオン放出体、付着領域、質量分析計は、すべて大気圧以下の減圧雰囲気に存在している。金属酸化物であるエミッタは加熱され、Li+などの正電荷の金属イオンを発生する。付着領域には被測定ガスが導入されており、被測定ガス分子の極性、すなわち電荷の片寄りのある場所に金属イオンが緩やかに付着する。金属イオンが付着した分子は、全体として正電荷を持つイオン(以下、付着イオンという)となる。付着の際に余分となるエネルギである余剰エネルギは非常に小さいため分子は解離しない上、N2などの雰囲気ガスとの衝突により速やかに取り除かれるので、安定した付着イオンが生成される。付着イオンは電場による力を受けて、付着領域から質量分析計まで輸送される。質量分析計により付着イオンは質量ごと分別・計測される。
【0005】
大気環境や自動車排ガスなどから採取した試料には、実際に測定すべき被測定ガス以外に湿気による多量のH2O(水)が気体(蒸気)の形で含まれている。大気環境のような室温の場合で分圧(絶対湿度)として数%、自動車排ガスのように高温の場合で10%ものH2Oが含まれていることが多い。このような試料をイオン付着質量分析装置で測定する場合、付着領域には被測定ガスよりも高濃度のH2Oが存在することになる。
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
2Oは極性が高く、すなわち電荷の片寄りが強く、金属イオンと非常に付着しやすい。そのため、多量に存在するH2Oに付着領域に存在する金属イオンが効率よく付着してしまい、金属イオンの大方を消費してしまう。その結果、本来測定すべき、肝心の被測定ガスの分子に付着する金属イオンが少なくなり、被測定ガスの測定感度が大幅に低下してしまう。
【0007】
また、H2Oでは、複数分子に1つの金属イオンが付着した多量体も形成されやすい。例えば、通常であればH2OLi+の単量体となるところが、二量体の(H2O)2Li+、三量体の(H2O)3Li+、四量体の(H2O)4Li+などが生成される。さらには、雰囲気ガスとして多量に存在するN2との多量体、すなわちH2ON2Li+なども形成される。これらは、被測定ガスのピークと重なりあって、干渉してしまい、本来の被測定ガスの測定の信頼性が大幅に低下してしまう。いずれも測定性能を劣化させる大きな原因となる。
【0008】
なお、吸湿材や冷却部など使って試料中のH2Oを除去、脱水させる方法もあるが、これは同時に被測定ガスも除去してしまうことが多く実用的とは言えない。
【0009】
本発明の目的は、上記問題を解決するため、H2Oなどの特定分子に付着した金属イオンを脱離させ、被測定ガスのみに金属イオンを付着させた状態を形成することができ、被測定ガスの測定の信頼性を向上させるイオン付着質量分析装置を提供することにある。
【0010】
本発明の他の目的は、測定の信頼性を損なうような不必要な成分ガスに金属イオンを付着させないようにするだけでなく、複数の成分から構成されるガス成分のうちの特定成分だけを選択的に測定することができ、被測定ガスのさらなる信頼性向上と、測定の効率化および分析装置の長寿命化可能なイオン付着質量分析装置を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0011】
本発明に係るイオン付着質量分析装置は、上記の目的を達成するために、次のように構成される。
【0012】
即ち、本発明のイオン付着質量分析装置は、金属イオン放出体から正電荷の金属イオンが放出されるイオン発生室と、被測定ガスが導入され、前記イオン発生室から導入される前記金属イオンを前記被測定ガスの分子に付着させる付着室と、該付着室で前記金属イオンが付着した前記被測定ガスの分子が導入されて質量分析計により質量分析される質量分析室とを有するイオン付着質量分析装置において、前記付着室内に、前記被測定ガス中に混在する特定の分子の吸収帯に合致する周波数の電磁波を照射し、前記特定の分子に付着した前記金属イオンを離脱させ又は前記特定の分子への前記金属イオンの付着を阻止する電磁波発生装置が設けられていることを特徴とする。
【0013】
また、本発明は、前記電磁波が赤外線であること、前記特定の分子が水であることを好ましい態様として含むものである。
【発明の効果】
【0014】
本発明によれば、次の効果を奏する。
【0015】
本発明のイオン付着質量分析装置によれば、電磁波発生装置が、特定分子の吸収帯に合致した周波数を持つ電磁波を照射する手段であるため、その電磁波を照射することによって、特定分子のみ、その分子振動、回転運動を励起するエネルギを与え、有効に特定分子だけを加熱することができ、そのエネルギが特定分子に付着した金属イオンを脱離するエネルギにも関与し、特定分子に付着した金属イオンだけを脱離することができる。金属イオンと分子の付着しやすさは、分子の極性だけでなく温度に非常に強く依存する。温度が高くなると、接触しても熱エネルギをもらってすぐに離れてしまうので、付着しにくくなる。正確には、付着のしやすさは温度の逆数をべき数とする指数関数となる。したがって、分子の温度を上昇させることにより、付着効率を桁違いに減少させることができる。また、上記エネルギは、金属イオンを特定分子に付着しにくくする。金属イオンと分子の付着しやすさは、分子の極性だけでなく温度に非常に強く依存する。温度が高くなると、接触しても熱エネルギをもらってすぐに離れてしまうので、付着しにくくなる。正確には、付着のしやすさは温度の逆数をべき数とする指数関数となる。したがって、分子の温度を上昇させることにより、付着効率を桁違いに減少させることができる。
【0016】
電磁波の波長によって加熱のメカニズムは異なる。0.8μmから1mm程度の波長を持つ電磁波(赤外線)は分子内部の原子核の振動を励起して加熱する。また、1mmから100cm程度の波長を持つ電磁波(マイクロ波)は分子の回転振動を励起して加熱する。振動数の高い原子核の振動は波長の短い、すなわち周波数(振動数)の高い赤外線によって励起され、一方、振動数の低い回転振動は波長の長い、すなわち周波数(振動数)の低いマイクロ波によって励起されるのである。
【0017】
ここで重要なことは、照射された電磁波(赤外線・マイクロ波)のうち分子の固有振動数に合致した周波数の電磁波(赤外線・マイクロ波)のみが分子に吸収され、励起・加熱に寄与することである。固有振動数と合致しない周波数の電磁波は、決して分子に吸収されず加熱に寄与しない。一方、分子の固有振動数は一般に複数存在し、これらの固有振動数により吸収される電磁波の周波数の範囲は吸収帯として知られている。すなわち、照射された電磁波の周波数が、分子の持つ複数の吸収帯のどれかに合致すれば、その分子は加熱される。一方、どの吸収帯にも合致しないと加熱されない。異なる分子が混在している場合、特定分子の吸収帯にのみ合致する周波数の電磁波を照射すると、その特定分子のみが加熱され他の分子は加熱されない。つまり、この特質を利用すれば、特定の分子のみを選択的に加熱することができる。
【0018】
なお、電磁波の周波数を選別するには、赤外線の場合は特定周波数のみ透過させる光学フィルタなどを、またマイクロ波の場合は特定周波数を持った発振器などを使用する。このような特定周波数の電磁波を発生させる技術は、従来から多方面で使用されているので、本発明にはこれらの技術をそのまま利用することができる。
【0019】
本発明のイオン付着質量分析装置によれば、上記電磁波の照射により、付着領域で特定分子に付着した金属イオンを選択的に脱離させ、又は付着領域で特定分子への金属イオンの付着を阻止することができる。このため、H2Oなどの測定を阻害する分子あるいは測定する必要のない特定分子に付着した金属イオンを脱離させ、又はH2Oなどの測定を阻害する分子あるいは測定する必要のない特定分子への金属イオンの付着を阻止し、被測定ガスのみに金属イオンを付着させた状態を形成することができ、被測定ガスの測定の信頼性を向上させることができる。また、測定の信頼性を損なうような不必要な成分ガスに金属イオンを付着させないようにするだけでなく、複数の成分から構成されるガス成分のうちの特定成分だけを選択的に測定することができ、被測定ガスのさらなる信頼性向上と、測定の効率化および分析装置の長寿命化が可能である。
【発明を実施するための最良の形態】
【0020】
以下、本発明の好適な実施形態を添付図面に基づいて説明する。
【0021】
図1に、本発明によるイオン付着質量分析装置の第1の実施形態を示す。イオン付着質量分析装置10は、図中左から金属イオン放出体(エミッタ)11、付着領域12、質量分析計13の順で配置され、また、真空ポンプ14を備えている。また、装置中央付近にある付着領域12に向けて、金属イオン選択脱離装置として特定周波数の電磁波発生装置15が備えられている。図1において、101はイオン発生室、102は付着室、103は質量分析室である。
【0022】
金属イオン放出体11は、Li+などの金属イオン16を放出するためのものであり、酸化リチウムを含むマトリックス(Li2O:Al23:SiO2)からなるビーズをインジウムワイヤのフィラメントに塗布したものが設置されている。フィラメントに電流を流すことでフィラメントが加熱され、ビーズが加熱され、Li+が付着領域12に放出される。
【0023】
付着領域12は、試料ガスが導入され、金属イオン放出体11から放出されたLi+などの金属イオン16が被測定ガスを構成する各分子に付着するための領域である。
【0024】
質量分析計13は、付着領域12で金属イオン16の付着によって形成された付着イオン17の質量を分析する装置であり、例えば、四重極質量分析計から構成される。
【0025】
真空ポンプ14は、イオン付着質量分析装置10を真空排気し、減圧状態にするポンプである。
【0026】
電磁波発生装置15は、金属イオン選択脱離装置として用いられ、特定の周波数の電磁波を発生する装置であり、付着領域12に電磁波を照射し、特定分子に付着した金属イオン16を選択的に脱離するための装置である。例えば、特定分子がH2Oの場合、その特定周波数は、H2Oの吸収帯に合致している。付着領域12には試料に含まれているH2Oと被測定ガスが混在し、さらに金属イオン放出体11で発生したLi+が存在している。
【0027】
次に、本発明の第1の実施形態に係るイオン付着質量分析装置10の動作を説明する。
【0028】
金属イオン放出体11が加熱されると、Li+などの正電荷の金属イオン16が空間に放出され、付着領域12に導入された被測定ガスに付着して金属イオン16の付着したガスが生成される。それと同時に、付着領域には、導入された試料ガス内のH2Oも存在するので、H2Oにも金属イオンが付着する。そのとき、特定分子、例えばH2Oの吸収帯に合致した周波数を持つ特定周波数の電磁波を発生する電磁波発生装置15を動作させると、付着領域12に電磁波が照射されてH2Oが選択的に加熱される。その様子を図2に模式的に図示する。図2(a)のようにH2Oの吸収帯に合致した周波数を持つ特定周波数の電磁波hν1が照射されたH2Oは、酸素原子核と水素原子核間の振動あるいは回転が電磁波のエネルギにより励起される。それにより、図2(b)に示すように、Li+と酸素原子間の振動が励起され、その励起がLi+の結合エネルギ以上のとき、図2(c)に示すように、Li+はH2Oから脱離する。このようにH2Oには金属イオン16が付着しにくくなり、その結果、付着領域12において、金属イオンが付着した付着イオン17は、被測定ガスの分子だけとなり、金属イオン16が付着したH2Oは、低減する。そして、質量分析計13内には、被測定ガスの分子に金属イオンが付着した付着イオン17だけが導入され、それらの付着イオンの質量が計測される。
【0029】
このように、本発明の第1の実施形態に係るイオン付着質量分析装置では、H2Oの影響が低減して、被測定ガスを正常に測定することができる。なお、特定成分をH2Oなどの測定を阻害する成分としたが、それに加えて特に測定する必要のない成分であっても良い。このようにすれば、特に測定したい成分ガスのみに金属イオンが付着した付着イオンだけを測定することができる。
【0030】
次に、付着領域12内に照射する電磁波の周波数について言及する。図3に、2種類の被測定ガス:A,BとH2Oが混在する場合、照射する電磁波の周波数によって加熱されるガスが異なる状況を模式的に示した。図3において、横軸LAは被測定ガスAの吸収帯を表すための波長範囲を示しており、横軸LBは被測定ガスBの吸収帯を表すための波長範囲を示しており、横軸LCはH2Oの吸収帯を表すための波長範囲を示している。この図は非常に簡素化して書かれているが、実際には吸収帯の数は非常に多く、それぞれの吸収帯も電磁波の吸収効率が大幅に異なる。すなわち、強い吸収帯と弱い吸収帯が存在し、これらが広い範囲に多数分布している。図3では、被測定ガスAの吸収帯を吸収帯A1,A2,A3で示し、被測定ガスBの吸収帯を吸収帯B1,B2,B3で示し、H2Oの吸収帯を吸収帯C1,C2,C3で示している。
【0031】
図3(a)に示すように、照射する電磁波の特定周波数(波長)が波長範囲λ1にあるときは、被測定ガスAの吸収帯A3と被測定ガスBの吸収帯B3とH2Oの吸収帯C3に合致するため、被測定ガスA、被測定ガスB、H2Oとも加熱される。また、図3(b)に示すように、照射する電磁波の特定周波数(波長)が波長範囲λ2にあるときは、被測定ガスAの吸収帯A2とH2Oの吸収帯C2に合致するため、被測定ガスAとH2Oが加熱される。さらに、図3(c)に示すように、照射する電磁波の特定周波数(波長)が波長範囲λ3にあるときは、H2Oの吸収帯C1のみに合致し、そのとき、H2Oのみ加熱される。
【0032】
したがって、H2Oの強い吸収帯、例えば吸収帯C1に合致する周波数の電磁波を照射すれば、相対的にH2Oを選択的に加熱することができて、H2Oに金属イオンが付着しにくくなる。その結果、H2Oの影響が排除され、被測定ガスが正常に計測される。
【0033】
次に、具体的な周波数について説明する。イオン付着質量分析装置は有機物の分析に有用であるので、H2Oの強い吸収帯には合致するが、各種有機物の吸収帯には合致しない周波数が重要となる。赤外線に対してH2Oは3μmに強い吸収帯を持っている(赤外線では慣習的にしたがい吸収帯を波長で表す。1μm=1×10-6m)。これに対し、各種有機物は3μm付近に弱い吸収帯を持っているものもあるが、4μm〜20μmに強い吸収帯を持っている。そこで、波長3μmの赤外線を照射すると主にH2Oが加熱されて、被測定ガスである有機物はほとんど加熱されない。
【0034】
一方、H2Oは2μm以下にも吸収帯が存在する。具体的には1.9μm、1.5μm、1.2μmなどの吸収帯がある。そこで、これらの波長に合致する赤外線を照射するとH2Oのみが加熱されて、被測定ガスである有機物は全く加熱されない。
【0035】
同様に、マイクロ波に対してH2Oは22GHz、10GHz、2.45GHz、0.9GHzに強い吸収帯を持っている。(1GHz=1×109Hz)そこで、これらの周波数に合致するマイクロ波を照射すると、主にH2Oが加熱されて被測定ガスはほとんど加熱されない。ちなみに、2.45GHzは電子レンジにて使用されている。
【0036】
また、選択的に分子を加熱する方法として、上記マイクロ波、赤外線の吸収を用いる以外に、ラマン効果を用いる方法が考えられる。ラマン効果とは、分子に紫外光・可視光を照射すると、その分子に誘電分極が起こり、振動のエネルギ準位を上昇させて、その分子の固有振動数に等しいエネルギを散乱する現象を言い、光源としてはレーザが用いられる。これを利用して、水分子のみがラマン活性をもつ周波数帯の電磁波を照射することによって水分子のみ選択的に加熱を行う。
【0037】
ラマン活性を持つのは、基本的に対称性のある分子の中心に対して対称性のある振動である。
【0038】
表1は、量子力学原理に基づくコンピュータシュミレーション(Gaussian98)により求めたH2Oの3つの固有振動による吸収光の波数と、その吸収強度(赤外強度)とラマン散乱光の散乱強度(ラマン活性)の相対的な強度を数値で表したものである。
【0039】
【表1】

【0040】
また、X、Y、Zは、図4のXYZ座標上にO原子と2つのH原子を配置したときのそれぞれの原子の振動の変位を示す。固有振動1では、図4(a)に示すような振動をし、固有振動2では、図4(b)に示すような振動をし、固有振動3では、図4(c)に示すような振動をする。表1を見て分かるように、水は波数3804cm-1(2.63μm)と3927cm-1(2.55μm)に強いラマン活性がある。この吸収帯には被測定ガスである有機分子の吸収は少なく、選択性は高いと思われる。しかし、高濃度で存在する水分子を加熱した場合には、水分子との衝突により被測定ガスの分子も加熱され、被測定ガスの分子の付着感度を低下させてしまうことがある。
【0041】
しかしながら、上記のようなH2Oの強い吸収帯に合致する周波数の赤外線やマイクロ波などの電磁波を照射すれば、相対的にH2Oを選択的に加熱することができて、H2Oに金属イオンが付着しにくくなる。その結果、H2Oの影響が排除され、被測定ガスが正常に計測される。
【0042】
図5に、本発明によるイオン付着質量分析装置の第2の実施形態を示す。201はイオン発生室、202は付着室、203は質量分析室である。イオン付着質量分析装置20は、図中左から付着領域21、金属イオン放出体(エミッタ)22、質量分析計23の順で配置され、また、真空ポンプ24を備えている。また、装置先端付近にある付着領域21に向けて、金属イオン選択脱離装置として特定周波数の電磁波発生装置25が備えられている。金属イオン放出体22から放出される金属イオン27は静電偏向器26によって、付着領域21に金属イオン27が導入されるように偏向され、付着領域21で減速、反射して効率のよい付着が行われる。その他の構造については第1の実施形態と同様であるので説明を省略する。
【0043】
次に、本発明の第2の実施形態に係るイオン付着質量分析装置20の動作を説明する。
【0044】
金属イオン放出体22が加熱されると、Li+などの正電荷の金属イオン27が空間に放出され、静電偏向器26によって付着領域21に導入され、付着領域21に導入された被測定ガスに付着して金属イオン27の付着したガスが生成される。それと同時に、付着領域21には、導入された試料ガス内のH2Oも存在する。そのとき、特定分子、例えばH2Oの吸収帯に合致した周波数を持つ特定周波数の電磁波を発生する電磁波発生装置25を動作させると、付着領域21に電磁波が照射されてH2Oが選択的に加熱される。そのとき、第1の実施形態において説明したことと同様に、一旦付着したLi+はH2Oから脱離する。このようにH2Oには金属イオン27が付着しにくくなり、その結果、付着領域21において、金属イオン27が付着した付着イオン28は、被測定ガスの分子だけとなり、金属イオン27が付着したH2Oは、低減する。そして、質量分析計23内には、被測定ガスの分子に金属イオン27が付着した付着イオン28だけが導入され、それらの付着イオン28の質量が計測される。
【0045】
このように、本発明の第2の実施形態に係るイオン付着質量分析装置では、H2Oの影響が低減して、被測定ガスを正常に測定することができる。
【0046】
次に、本発明の第3の実施形態に係るイオン付着質量分析装置を説明する。第3の実施形態では、イオン付着質量分析装置10あるいは20において、電磁波発生装置15あるいは25から発生する特定周波数を特定分子と付着した金属イオンが形成する付着イオンの振動を励起する周波数とする以外は、第1あるいは第2の実施形態と同様であるので、装置構造については説明を省略する。
【0047】
金属イオン放出体11あるいは22が加熱されると、Li+などの正電荷の金属イオンが空間に放出され、付着領域12あるいは21に導入され、付着領域12あるいは21に導入された被測定ガスに付着して金属イオンの付着したガスが生成される。それと同時に、付着領域12あるいは21には、導入された試料ガス内のH2Oも存在する。そのとき、特定分子、例えばH2Oと付着した金属イオンが形成する付着イオンの振動を励起する周波数を持つ特定周波数の電磁波を発生する電磁波発生装置15あるいは25を動作させると、付着領域12あるいは21に電磁波が照射されて付着イオンの振動を励起する。その様子を図6に模式的に図示する。図6(a)のようにH2Oと付着した金属イオンが形成する付着イオンの振動を励起する周波数を持つ特定周波数の電磁波hν2が照射された付着イオン(H2OLi+)は、酸素原子核と水素原子核とLi+間の振動あるいは回転が電磁波のエネルギにより励起される。それにより、図6(a)に示すように、Li+と酸素原子間の振動が励起され、その励起がLi+の結合エネルギ以上のとき、図6(b)に示すように、Li+はH2Oから脱離する。このようにH2Oには金属イオンが付着しにくくなり、その結果、付着領域12あるいは21において、金属イオンが付着した付着イオンは、被測定ガスの分子だけとなり、金属イオンが付着したH2Oは、低減する。そして、質量分析計13あるいは23内には、被測定ガスの分子に金属イオンが付着した付着イオンだけが導入され、それらの付着イオンの質量が計測される。
【0048】
次に、コンピュータシュミレーションの結果を示す。上記のように、リチウムが付着したH2OLi+を加熱すれば、H2OLi+は中性のままの水分子に比べて桁外れに少ないため、被測定ガスの分子までが加熱される影響は低くなる。また、本実施形態で使用するH2OLi+の吸収帯は本発明を研究する過程において新たに見出したものである。量子力学原理に基づくコンピュータシュミレーションによると、H2OLi+付着イオンの固有振動は表2で示す6種類である。
【0049】
【表2】

【0050】
表2は、量子力学原理に基づくコンピュータシュミレーションにより求めたH2OLi+の6つの固有振動による吸収光の波数と、その吸収強度(赤外強度)とラマン散乱光の散乱強度(ラマン活性)の相対的な強度を数値で表したものである。また、X、Y、Zは、図7のXYZ座標上にO原子と2つのH原子とLi+を配置したときのそれぞれの原子あるいはイオンの振動の変位を示す。固有振動1では、図7(a)に示すような振動をし、固有振動2では、図7(b)に示すような振動をし、固有振動3では、図7(c)に示すような振動をし、固有振動4では、図7(d)に示すような振動をし、固有振動5では、図7(e)に示すような振動をし、固有振動6では、図7(f)に示すような振動をする。第3の実施形態で利用する赤外吸収415cm-1はHの伸縮振動によるものであり、ラマン吸収3776cm-1と3858cm-1はO原子に対するH原子の対称振動である。後述の第4の実施形態で利用するO−Li+結合に起因するものは固有振動3による吸収帯である。
【0051】
表2を見て分かるように、H2OLi+も水分子同様に固有の振動数を持ち、415cm-1(24.1μm)に強い赤外吸収がある。この振動数は、水や有機化合物の吸収帯とは全く重ならないため、H2OLi+の選択的加熱に有効と考えられる。また、ラマン吸収は3776cm-1と3858cm-1(2.65μm、2.59μm)に強いラマン活性がある。この波長帯は水分子と30〜40cm-1ずれているので、H2OLi+を選択的に加熱することができる。
【0052】
また、H2O−Li+の結合部位(O−Li+結合)の固有振動の赤外線を照射して結合を直接切断すれば、存在するH2Oに比べてH2O−Li+は非常に少ないため、H2O−Li+との衝突により被測定ガスの分子が加熱されて付着感度が低下する弊害がない。H2O−Li+結合部位、すなわちO−Li+間の吸収帯は551cm-1(18.15μm)である。この赤外線を照射して、選択的にO−Li+結合を切断することができる。
【0053】
このように、本発明の第3の実施形態に係るイオン付着質量分析装置では、H2Oの影響が低減して、被測定ガスを正常に測定することができる。
【0054】
次に、本発明の第4の実施形態に係るイオン付着質量分析装置を説明する。第4の実施形態では、イオン付着質量分析装置10あるいは20において、電磁波発生装置15あるいは25から発生する特定周波数を特定分子と付着した金属イオンが形成する付着イオンにおける金属イオンの結合エネルギに対応する周波数とする以外は、第1あるいは第2の実施形態と同様であるので、装置の構造については説明を省略する。
【0055】
金属イオン放出体11あるいは22が加熱されると、Li+などの正電荷の金属イオンが空間に放出され、付着領域12あるいは21に導入され、付着領域12あるいは21に導入された被測定ガスに付着して金属イオンの付着したガスが生成される。それと同時に、付着領域12あるいは21には、導入された試料ガス内のH2Oも存在する。そのとき、特定分子、例えばH2Oと付着した金属イオンが形成する付着イオンにおける金属イオンの結合エネルギに対応する特定周波数の電磁波を発生する電磁波発生装置15あるいは25を動作させると、付着領域12あるいは21に電磁波が照射されて付着イオンにおける金属イオンが脱離する。その様子を図8に模式的に図示する。図8(a)のようにH2Oと付着した金属イオンの結合エネルギに対応する特定周波数の電磁波hν3が照射された付着イオン(H2OLi+)は、酸素原子核とLi+間の結合状態が励起される。それにより、図8(b)に示すように、Li+はH2Oから脱離する。このようにH2Oには金属イオンが付着しにくくなり、その結果、付着領域12あるいは21において、金属イオンが付着した付着イオンは、被測定ガスの分子だけとなり、金属イオンが付着したH2Oは、低減する。そして、質量分析計13あるいは23内には、被測定ガスの分子に金属イオンが付着した付着イオンだけが導入され、それらの付着イオンの質量が計測される。
【0056】
このように、本発明の第4の実施形態に係るイオン付着質量分析装置では、H2Oの影響が低減して、被測定ガスを正常に測定することができる。
【0057】
次に、本発明の第5の実施形態に係るイオン付着質量分析装置を説明する。第5の実施形態では、イオン付着質量分析装置10あるいは20において、金属イオン付着阻止手段として電磁波発生装置15あるいは25を用い、電磁波発生装置15あるいは25から発生する特定周波数を特定分子への金属イオンの付着を阻止するような特定分子の励起状態を形成する周波数とする以外は、第1あるいは第2の実施形態と同様であるので、装置の構造については説明を省略する。
【0058】
金属イオン放出体11あるいは22が加熱されると、Li+などの正電荷の金属イオンが空間に放出され、付着領域12あるいは21に導入され、付着領域12あるいは21に導入された被測定ガスに付着して金属イオンの付着したガスが生成される。それと同時に、付着領域12あるいは21には、導入された試料ガス内のH2Oも存在する。そのとき、特定分子、例えばH2Oなどの特定分子への金属イオンの付着を阻止するような特定分子の励起状態を形成する特定周波数の電磁波を発生する電磁波発生装置15あるいは25を動作させると、付着領域12あるいは21に電磁波が照射されて特定分子への金属イオンの付着を阻止するような特定分子の励起状態を形成する。ここで、金属イオンの付着を阻止するような特定分子の励起状態とは、例えば分子の回転運動が励起された状態である。その様子を図9に模式的に図示する。図9(a)のようにH2O分子の回転運動を励起するエネルギに対応する特定周波数の電磁波hν4が照射されたH2O分子は、分子の回転運動が励起される。それにより、図9(b)に示すように、ある瞬間、Li+がH2O分子のO原子側に存在するときはO原子に引きつけられる。しかし、H2O分子の回転運動が励起されているために、他の瞬間には、図7(c)に示すように、H原子がLi+に接近した状態となる。このとき、H原子は、正の荷電を持っているために、Li+は反発される。その結果、H2O分子の回転運動が励起されているときにはH2Oには金属イオンが付着しにくくなり、付着領域12あるいは21において、金属イオンが付着した付着イオンは、被測定ガスの分子だけとなり、金属イオンが付着したH2Oは、低減する。そして、質量分析計13あるいは23内には、被測定ガスの分子に金属イオンが付着した付着イオンだけが導入され、それらの付着イオンの質量が計測される。
【0059】
このように、本発明の第5の実施形態に係るイオン付着質量分析装置では、H2Oの影響が低減して、被測定ガスを正常に測定することができる。
【0060】
また、付着阻止手段として特定分子の吸収帯に合致した周波数を持つ電磁波を照射する装置を用いたとき、その電磁波を照射することによって、特定分子のみ、その分子振動、回転運動を励起するエネルギを与え、有効に特定分子だけを加熱することができ、そのエネルギによって特定分子への金属イオンの付着をしにくくすることができる。分子を直接加熱する方法としては、電磁波の照射が有効である。ただし、その波長によって加熱のメカニズムは異なる。0.8μmから1mm程度の波長を持つ電磁波(赤外線)は分子内部の原子核の振動を励起して加熱する。また、1mmから100cm程度の波長を持つ電磁波(マイクロ波)は分子の回転振動を励起して加熱する。振動数の高い原子核の振動は波長の短い、すなわち周波数(振動数)の高い赤外線によって励起され、一方、振動数の低い回転振動は波長の長い、すなわち周波数(振動数)の低いマイクロ波によって励起されるのである。
【0061】
さらに、電磁波の周波数が、特定分子の吸収帯には合致するが被測定ガスの吸収帯には合致していないようにすることにより、異なる分子が混在している場合、特定分子の吸収帯にのみ合致する周波数の電磁波を照射すると、その特定分子のみが加熱され他の分子は加熱されない。つまり、この特質を利用すれば、特定の分子のみを選択的に加熱することができる。
【0062】
なお、以上、問題となる成分としてH2Oについてのみ説明してきたが、別の成分についても影響を排除すべき場合がある。試料が固体や液体である場合にはアセトンなどの溶媒に溶解した形で提供されることが多いが、アセトンなどの溶媒はH2Oと同じく極性が高く金属イオンと非常に付着しやすい。そのためH2Oと同じ問題が発生する。そこで、この場合にはアセトンなどの溶媒の吸収帯やアセトンに金属イオンが付着した付着イオンの振動、回転を励起する電磁波、あるいは、アセトンに付着した金属イオンの結合エネルギに対応する周波数の電磁波を照射することによって問題を解決することができる。
【0063】
また、金属イオンとしてはLi+を使用したが、これに限定されずK+、Na+、Rb+、Cs+、Al+、Ga+、In+などの一価イオンあるいは二価イオンに適用できる。また、質量分析計としてはQポール型質量分析計や外部イオン化方式によるイオントラップ型質量分析計、磁場セクター型質量分析計、TOF(飛行時間)型質量分析計、ICR(イオンサイクロトロンレゾナンス)型質量分析計も使用することができる。また、本装置を他の成分分離装置、例えばガスクロマトグラフや液体クロマトグラフに接続して、ガスクロマトグラフ/質量分析装置(GC/MS)、液体クロマト/質量分析装置(LC/MS)とすることもできる。
【図面の簡単な説明】
【0064】
【図1】本発明によるイオン付着質量分析装置の第1の実施形態を示す図である。
【図2】付着領域に電磁波が照射されてH2Oが選択的に加熱される様子を示す模式図である。
【図3】2種類の被測定ガス:A,BとH2Oが混在する場合の照射する電磁波の周波数によって加熱されるガスが異なる状況を模式的に示した図である。
【図4】XYZ座標上にO原子と2つのH原子を配置したときのそれぞれの原子の振動の変位を示す模式図である。
【図5】本発明によるイオン付着質量分析装置の第2の実施形態を示す図である。
【図6】付着領域に電磁波が照射されて付着イオンの振動を励起する様子を示す模式図である。
【図7】XYZ座標上にO原子と2つのH原子とLi+イオンを配置したときのそれぞれの原子あるいはイオンの振動の変位を示す模式図である。
【図8】付着領域に電磁波が照射されて金属イオンが脱離する様子を示す模式図である。
【図9】付着領域に電磁波が照射されて金属イオンが水分子に付着しにくくなる様子を示す模式図である。
【符号の説明】
【0065】
10 イオン付着質量分析装置
11 金属イオン放出体(エミッタ)
12 付着領域
13 質量分析計
14 真空ポンプ
15 電磁波発生装置
16 金属イオン
17 付着イオン
20 イオン付着質量分析装置
21 付着領域
22 金属イオン放出体(エミッタ)
23 質量分析計
24 真空ポンプ
25 電磁波発生装置
26 静電偏向器
27 金属イオン
28 付着イオン
101 イオン発生室
102 付着室
103 質量分析室
201 イオン発生室
202 付着室
203 質量分析室

【特許請求の範囲】
【請求項1】
金属イオン放出体から正電荷の金属イオンが放出されるイオン発生室と、被測定ガスが導入され、前記イオン発生室から導入される前記金属イオンを前記被測定ガスの分子に付着させる付着室と、該付着室で前記金属イオンが付着した前記被測定ガスの分子が導入されて質量分析計により質量分析される質量分析室とを有するイオン付着質量分析装置において、
前記付着室内に、前記被測定ガス中に混在する特定の分子の吸収帯に合致する周波数の電磁波を照射し、前記特定の分子に付着した前記金属イオンを離脱させ又は前記特定の分子への前記金属イオンの付着を阻止する電磁波発生装置が設けられていることを特徴とするイオン付着質量分析装置。
【請求項2】
前記電磁波が赤外線であることを特徴とする請求項1に記載のイオン付着質量分析装置。
【請求項3】
前記特定の分子が水であることを特徴とする請求項1又は2に記載のイオン付着質量分析装置。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【図9】
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【公開番号】特開2008−258179(P2008−258179A)
【公開日】平成20年10月23日(2008.10.23)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2008−194413(P2008−194413)
【出願日】平成20年7月29日(2008.7.29)
【分割の表示】特願2003−95502(P2003−95502)の分割
【原出願日】平成15年3月31日(2003.3.31)
【出願人】(000227294)キヤノンアネルバ株式会社 (564)
【Fターム(参考)】