説明

エンタングル状態を用いた通信方法

【課題】 エンタングル状態を用いて、光速を超える信号伝達速度を実現する通信方法を提供すること。
【解決手段】 光子の左へ向かう成分と右へ向かう成分がエンタングルした状態のうち、左へ向かう成分を送信者に送付し、右へ向かう成分を受信者へ送付する。送信者は「1」を送信する場合は、左へ向かう成分の測定を行って波動関数の収縮を起こし、「0」を送信する場合は、左へ向かう成分の測定を行わない。次に受信者は右へ向かう成分と参照光を、干渉計の中に配置した非線形光学材料において相互作用させる。右へ向かう成分との相互作用により参照光に生じる位相変調量を測定することで、受信者は「1」と「0」を判別することができる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、量子状態であるエンタングル状態を利用した通信方法に関し、特に非線形光学効果(交差位相変調)を利用する通信方法に関する。
【背景技術】
【0002】
現在の通信技術は電気通信、電波通信または光ファイバー通信が広く実用化されている。この電気、電波または光を用いる通信では、信号伝達速度は光速以下となる。一方、基礎研究の分野では量子力学の原理を元にした、量子通信技術の研究が盛んに行われている。この量子通信技術の分野ではエンタングル状態(もつれた状態)を用いて、盗聴攻撃に強い量子暗号を開発する研究が行われている(例えば非特許文献1「工学系のための量子光学」、森北出版、第10章、または特許文献1「特願平11−700号」参照)。また、エンタングル状態とベル測定と呼ばれる操作を用いて、コピー元の量子状態を別の系に再現させる量子テレポーテーションも研究されている(例えば非特許文献1「工学系のための量子光学」、森北出版、第10章参照)。
【0003】
前記エンタングル状態は例えば、単一光子状態をハーフビームスプリッターにおいて2分割することにより、2方向へ向かう光の2つの成分の重ね合わせ状態として実現することができる。(例えば非特許文献6「量子光学と量子情報科学」、数理光学社、第1章1.11節参照)
【先行技術文献】
【特許文献】
【0004】
【特許文献1】特願平11−700号
【非特許文献】
【0005】
【非特許文献1】井上 恭著「工学系のための量子光学」、森北出版
【非特許文献2】尾崎義治、朝倉利光訳「基本光工学1」、森北出版
【非特許文献3】尾崎義治、朝倉利光訳「基本光工学2」、森北出版
【非特許文献4】G.P.アグラワール著「非線形ファイバー光学」、吉岡書店
【非特許文献5】N.Matsuda,R.Shimizu,Y.Mitsumori,H.Kosaka,and K.Edamatsu,Nature.Photonics 3,95(2009)
【非特許文献6】古澤 明著「量子光学と量子情報科学」、数理工学社
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
しかしながら、これらの量子暗号または量子テレポーテーションにおいても、実際に情報を伝達するには光速以下の速度での通信過程が必要とされており、信号伝達速度は光速以下となる。エンタングル状態に対する測定を行うと、波束の収縮(エンタングル状態の干渉性の消失)が瞬時に起こり、エンタングル状態の各部分系の測定結果に強い相関(100%の相関)が生じる。しかし、エンタングル状態に対する個々の測定結果は全くランダムであり、測定結果を任意に選ぶことができないため、送信者が情報を送信することには利用できないと言われている(例えば非特許文献1「工学系のための量子光学」、森北出版、第9章参照)。
【0007】
そこで本発明の目的は、エンタングル状態に対する測定結果のランダム性に起因した通信技術への応用の困難を克服して、光速を超える信号伝達速度を実現する通信方法を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0008】
前記の目的を達成するために、本発明の第1の側面によれば、送信者と受信者は単一光子状態である第1の光子を準備する。そして、第1の光子をハーフビームスプリッターで2分割して、左へ向かう成分を送信者に送付し、右へ向かう成分を受信者へ送付する。
【0009】
予め送信者と受信者間で決めておいた時刻1に、送信者は「1」を送信する場合は、第1測定器の直前に配置した光スイッチを光透過の状態にして、第1測定器において第1の光子の左へ向かう成分の測定(光子の検出)を行う。また送信者は「0」を送信する場合は、光スイッチにより第1測定器へ光が進まないようにして、第1の光子の左へ向かう成分の測定を行わないようにする。
【0010】
受信者は時刻1の後の時刻2に、第1の光子の右へ向かう成分をサニャック干渉計へ入射する。同時に受信者はサニャック干渉計に参照光を入射させる。サニャック干渉計にはその一部に非線形光学材料を配置しておく。受信者は、サニャック干渉計を反対方向に伝播する参照光の2つの成分のうち一方と、前記の第1の光子の右へ向かう成分を前記非線形光学材料において相互作用させる。これによりサニャック干渉計から出力される信号光には、第1の光子の右へ向かう成分の光電場の強度に比例した位相変調が生じる。
【0011】
受信者は前記の位相変調量を測定して、「位相変調量が0またはδの場合」には信号「1」と判別する。また受信者は、「位相変調量が0またはδ/2の場合」には信号「0」と判別する。
【0012】
前記の方法では、送信者が第1の光子の左へ向かう成分を測定するか測定しないかの2選択を通信に用いる。つまり、測定結果自体を送信に用いるわけではないため、測定結果自体はランダムであっても構わない。測定による波束の収縮(干渉性の消失)は極短い時間に瞬間的に起こるとされている。そのため前記時刻1と前記時刻2は、送信者と受信者がどのような距離離れていても極短い時間に設定できる。したがって原理的に光速以上の信号伝達速度を達成しうる。
【発明の効果】
【0013】
本発明によれば、エンタングル状態の測定結果のランダム性に起因した通信技術への応用の困難を克服して、光速を超える信号伝達速度を実現する通信方法を提供することができる。
【図面の簡単な説明】
【0014】
【図1】実施例1において、第1測定器において測定が行われる場合の構成図。
【図2】実施例1において、第1測定器において測定が行われない場合の構成図。
【発明を実施するための形態】
【0015】
以下、図面にしたがって本発明の実施の形態について説明する。下記でKは2の平方根を表すとする。
【実施例】
【0016】
図1から図2を用いて実施例1を説明する。図1において単一光子状態である第1の光子21はハーフビームスプリッター22へ入射する。ここで第1の光子21は垂直偏光状態であるとする。ハーフビームスプリッター22において、第1の光子21は左へ向かう成分2と右へ向かう成分3に分割される。これによって第1の光子21は左へ向かう成分2と右へ向かう成分3の重ね合わせであるエンタングル状態となる。図1において、第1の光子21の左へ向かう成分2は第1測定器5において測定される。第1測定器5の直前に光スイッチ6が配置されており、図1の場合では光スイッチは光透過の状態となっている。一方で第1の光子21の右へ向かう成分3は、第1の光子21の左へ向かう成分2が第1測定器5において測定された後、サニャック干渉計18へ入射する。図1中で、第1の光子21の左へ向かう成分2が第1測定器5において測定された後の右へ向かう成分を点線矢印と3Aの記号で示した。
【0017】
サニャック干渉計18は、ミラー7、ミラー8、ミラー9、偏光ビームスプリッター10、偏光ビームスプリッター14、偏光ビームスプリッター15、第1の非線形光学材料11、ファラデーユニット12、ファラデーユニット13から構成される。第1の光子21の右へ向かう成分3は垂直偏光状態なので、偏光ビームスプリッター14からサニャック干渉計18の中へ入射して、第1の非線形光学材料11を通過し、偏光ビームスプリッター15からサニャック干渉計18の外へ出る。
【0018】
また参照光16が、偏光ビームスプリッター10からサニャック干渉計18へ入射する。サニャック干渉計18へ入射する前、参照光16は同じ割合の垂直偏光と水平偏光からなる|H>+|V>で表される状態とする。ここで|H>は光の水平偏光状態を表し、|V>は光の垂直偏光状態を表すものとする。図1中、参照光16は偏光ビームスプリッター10により、サニャック干渉計18を時計まわりに伝播する参照光16Hと、反時計まわりに伝播する参照光16Vの2つの成分に分割される。ただし、ファラデーユニット12またはファラデーユニット13による偏光方向の変換により、ファラデーユニット12から時計まわりにファラデーユニット13へ至る区間では、参照光16Hと参照光16Vはともに水平偏光の状態で伝播するように設定できる。その他のファラデーユニット12から偏光ビームスプリッター10と、偏光ビームスプリッター10からファラデーユニット13の間の区間では、参照光16Hと参照光16Vはそれぞれ水平偏光と垂直偏光になっている。したがって参照光16Hと参照光16Vは、偏光ビームスプリッター14と偏光ビームスプリッター15を透過して、サニャック干渉計18をそれぞれ反対方向に1周する。サニャック干渉計18を1周した2つの参照光を、参照光16HAと参照光16VAとして図示した。参照光16HAと参照光16VAは偏光ビームスプリッター10において合成されて信号光17として出力される。前記のサニャック干渉計18は非特許文献5に詳しく説明されている。(非特許文献5、Nature.Photonics 3,95(2009)参照)
【0019】
ここで前記第1の非線形光学材料11の中では、第1の光子21の右へ向かう成分3Aの光強度に比例して、参照光16Vが感じる屈折率が変化する。これは第1の非線形光学材料11の非線形屈折率効果によるもので、交差位相変調(XPM)とよばれる。(非特許文献4、非線形ファイバー光学、第7章参照)一方、第1の光子21の右へ向かう成分3Aと逆方向にサニャック干渉計18を伝播する参照光16Hは、ほとんど第1の光子21の右へ向かう成分3Aと交差する時間がないため影響を受けない。
【0020】
ここで図1において第1測定器5での測定が行われる前、第1の光子21の左へ向かう成分2と右へ向かう成分3、参照光16の全体の状態を表す波動関数は下記の(式1)となる。
【0021】
【数1】


(式1)は第1の光子21の状態(|L>+|R>)/Kと参照光16の状態(|H>+|V>)の積により表された系全体の初期状態Φ0を表す(ここでKは2の平方根)。ここで|L>は第1の光子21の左へ向かう成分2を表し、|R>は第1の光子21の右へ向かう成分3を表す。したがって前記の(式1)は、第1の光子21の2つの成分|L>と|R>がエンタングルして(もつれて)いることを示している。また(|H>+|V>)は水平偏光状態|H>と垂直偏光状態|V>からなる参照光16の初期状態を表す。
【0022】
図1において第1測定器5での測定が行われた後、第1の光子21の左へ向かう成分2が第1測定器5において検出されなかった場合、左へ向かう成分2は存在しないことが確定するため状態は下記となる。
【0023】
【数2】

(式2)は測定により第1の光子21が|R>状態であることが確定した場合の状態Φ1を表す。|R>であることが確定したために|R>の係数は1となっている。次に第1の光子21の右へ向かう成分3Aがサニャック干渉計18に入射する。サニャック干渉計18において参照光16Vが、第1の光子21の右へ向かう成分3Aの光電場による非線形屈折率効果(交差位相変調)により位相変調を受ける。この位相変調量をδとすると、サニャック干渉計18から出力される信号光17は次の(式3)で表される状態Φ2となる。
【0024】
【数3】

【0025】
また第1測定器5で光子が検出された場合、第1の光子21が左へ向かう成分2の|L>状態であることが確定して、状態は次の(式4)で表されるΦ3となる。
【0026】
【数4】

この場合、サニャック干渉計には第1の光子の右へ向かう成分3Aは入射されないため、参照光16は第1光子の右へ向かう成分3Aの影響を受けることなく(式4)の状態Φ3のまま信号光17としてサニャック干渉計18から出力される。
【0027】
前記のような第1測定器5での測定による、(式1)で表される状態Φ0から(式2)の状態Φ1または(式4)の状態Φ3への変化は、波束の収縮と言われ極短い時間に瞬間的に変化が起こると言われている。
【0028】
次に図2の場合を説明する。図2では図1の場合と異なり、第1測定器5の直前の光スイッチ6は光を上方へそらすように設定される。そのため第1の光子21の左へ向かう成分2に対する測定が行われない。したがって前記(式1)で表される状態Φ0において、第1の光子21の右へ向かう成分3は|R>/Kであり、これがそのままサニャック干渉計18へ入射する。ここでKは2の平方根である。サニャック干渉計18において、第1の光子21の右へ向かう成分3Aの光電場の影響で参照光16Vが位相変調を受けるが、図2の場合には光電場の強度が(式2)の場合の1/2であるので、位相変調量もδ/2となる。これは(式2)の場合は第1の光子21の右へ向かう成分3Aが|R>であったのに対して、図2の場合には|R>/Kとなり係数1/Kの違いがあるためである。したがって、信号光17は下記の(式5)で表される状態Φ4となる。
【0029】
【数5】

【0030】
図1の場合において、サニャック干渉計18から出力される信号光17は|H>+|V>または|H>+exp(iδ)|V>で表される状態となる。これは前記のように、第1の光子の右へ向かう成分3Aの光強度に比例した屈折率変化による、参照光16Vの位相変調量が0またはδであることによる。一方で図2の場合においては、サニャック干渉計18から出力される信号光17は(式5)で表される|H>+|V>と|H>+exp(iδ/2)|V>からなる状態となる。これは図2の場合においては、前記のように、第2の光子3Aの光強度に比例した屈折率変化による参照光16Vの位相変調量がδ/2であることによる。この位相変調量0またはδまたはδ/2は、非特許文献5に詳しく説明されているようにオプティカルブリッジテクニックと呼ばれる手法により、信号光17の微少な偏光角度の違いとして検出できる。(非特許文献5、Nature.Photonics 3,95(2009)参照)したがって信号光17の位相変調量を検出することより、図1の場合と図2の場合を判別することができる。
【0031】
ここで前記の構成を通信に用いる方法を説明する。送信者と受信者は単一光子状態である第1の光子21を準備する。そして、第1の光子21をハーフビームスプリッター22で2分割して、左へ向かう成分2を送信者に送付し、残りの右へ向かう成分3を受信者へ送付する。
【0032】
予め送信者と受信者間で決めておいた時刻1に、送信者は「1」を送信する場合は、第1測定器5の直前に配置した光スイッチ6を光透過の状態にして、第1の光子21の左へ向かう成分2の測定(光子の検出)を行う。また送信者は「0」を送信する場合は、光スイッチ6により第1測定器5へ光が進まないようにして、第1の光子21の左へ向かう成分2の測定を行わないようにする。
【0033】
受信者は時刻1より後の時刻2に、第1の光子21の右へ向かう成分3Aをサニャック干渉計18へ入射する。同時にサニャック干渉計18に参照光16を入射させる。サニャック干渉計18にはその一部に非線形光学材料11を配置しておく。サニャック干渉計18を反対方向に伝播する参照光の2つの成分のうち一方と、前記の第1の光子21の右へ向かう成分3Aを前記非線形光学材料11において(非線形屈折率効果である交差位相変調により)相互作用させる。これによりサニャック干渉計18から出力される信号光17には、第1の光子21の右へ向かう成分3Aの光電場の強度に比例した位相変調が生じる。
【0034】
受信者は前記の位相変調量を測定して、「位相変調量が0またはδの場合」には信号「1」と判別する。また受信者は、「位相変調量が0またはδ/2の場合」には信号「0」と判別する。前記で説明したことから、この方法によって第1の光子21の左へ向かう成分2に対する測定が行われたかどうか(信号が「1」か「0」か)を判別することができる。
【0035】
前記の方法では、送信者が第1の光子21の左へ向かう成分2を測定するか測定しないかの2選択を通信に用いる。つまり、測定結果自体を送信に用いるわけではないため、測定結果自体はランダムであっても構わない。
【0036】
また前記の方法では、第1の光子21の右へ向かう成分3Aを非線形光学材料11の中で参照光16Vと相互作用させ、参照光16Vに第1の光子の右へ向かう成分3Aの光強度に比例した位相変調を生じさせ、その位相変調量を測定することにより送信者の情報を判別することが本質的である。また、測定による波束の収縮(干渉性の消失)は極短い時間に瞬間的に起こるとされている。そのため前記時刻1と前記時刻2は、送信者と受信者がどのような距離離れていても極短い時間に設定できる。したがって原理的に光速以上の信号伝達速度を達成しうる。
【0037】
前記実施例1ではサニャック干渉計18は偏光ビームスプリッターとミラー、第1の非線形光学材料、第2の非線形光学材料から構成されていたが、ミラーを用いずループ状の光ファイバーでサニャック干渉計18を構成することもできる。(非特許文献5、Nature.Photonics 3,95(2009)参照)
【符号の説明】
【0038】
21 第1の光子
22 ハーフビームスプリッター
2 第1の光子の左へ向かう成分
3 第1の光子の右へ向かう成分
3A 第1測定器で測定が行われた後の、第1の光子の右へ向かう成分
5 第1測定器
6 光スイッチ
7 ミラー
8 ミラー
9 ミラー
10 偏光ビームスプリッター
11 第1の非線形光学材料
12 ファラデーユニット
13 ファラデーユニット
14 偏光ビームスプリッター
15 偏光ビームスプリッター
16 参照光
17 信号光
18 サニャック干渉計


【特許請求の範囲】
【請求項1】
光子の左へ向かう成分と右へ向かう成分がエンタングルした状態のうち、左へ向かう成分を送信者に送付し、残りの右へ向かう成分を受信者へ送付し、
時刻1に、送信者は第1信号を送信する場合は、左へ向かう成分の測定を行い、
また送信者は第2信号を送信する場合は、左へ向かう成分の測定を行わず、
次に受信者は時刻1よりも後の時刻2に、右へ向かう成分と参照光を非線形光学材料において交差位相変調により相互作用させ、
更に受信者は、右へ向かう成分との相互作用により参照光に生じる位相変調量を測定することで第1信号と第2信号を判別する、
以上の過程を含むことを特徴とした通信方法。
【請求項2】
請求項1において、
右へ向かう成分と参照光を、干渉計の中に配置した非線形光学材料の中において、交差位相変調により相互作用させることを特徴とする通信方法。



【図1】
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【図2】
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【公開番号】特開2012−105139(P2012−105139A)
【公開日】平成24年5月31日(2012.5.31)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−252832(P2010−252832)
【出願日】平成22年11月11日(2010.11.11)
【出願人】(710000859)
【Fターム(参考)】