説明

タンパク質の分析方法

タンパク質の特定のアミノ酸残基の修飾の有無または修飾基の種類を簡便に決定する。分析対象のタンパク質の特定のアミノ酸残基の側鎖をラベルする試薬を作用させる。このとき、特定のアミノ酸残基の側鎖が未修飾の状態であれば、その側鎖がラベルされる(S101)。そして、特定のアミノ酸残基の側鎖がラベルされたタンパク質を、所定の位置で特異的に切断する(S102)。次いで、得られたペプチド断片を、質量分析に供する(S103)。そして、断片の分子量に関して得られた結果に基づき、分析対象のタンパク質中の特定のアミノ酸残基の側鎖の修飾状態を解析する(S104)。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、タンパク質の分析方法に関する。
【背景技術】
【0002】
真核生物の個々の細胞は、基本的に同じ遺伝子情報を持っているが、そのゲノム情報も、ヒトをはじめ多くの生物で解き明かされつつある。また、近年、これらのゲノム情報の発現の制御に、クロマチンと呼ばれるDNAにタンパク質の加わったコア構造体が重要であることが見出されてきた。このDNAに結合してコア構造を作るのは、ヒストンH4、ヒストンH2A、ヒストンH2Bであり、その他クロマチンをつなげるヒストンH1が使われている。
【0003】
このうち、特にクロマチンにあるヒストンのN末端側は、コア構造体であるクロマチンから突き出していることから「テール」と呼ばれているが、この部分のアルギニン、リジン、セリン、トレオニンのメチル化、アセチル化、ユビキチン化、リン酸化等の修飾位置によって特定の遺伝子発現の制御を行い、発生、分化におけるエピジェネティクスの調節機構を決定している。さらに、この遺伝子発現の制御は、たとえば発癌、白血病、老化の他、様々の疾病に関連する。
【0004】
このため、ヒストン分子を構成するアミノ酸の修飾基の有無もしくは種類、または位置を簡便に決定することができれば、これらの疾病の早期発見やそれらの疾病の理解につながる。
【0005】
ここで、従来、アミノ酸残基の修飾状態を決定する方法として、タンデム質量分析法(MS/MS)の利用が検討されている(特許文献1)。
【特許文献1】特開2002−100318号公報
【0006】
発明の開示
【0007】
ところが、MS/MSを利用する場合、MS/MS測定が可能な質量分析計が必要となる。また、MS/MS測定はMSに比べて所要時間が長かった。このため、MS/MSは、測定の簡便化という観点では改善の余地があった。また、MS/MSにより得られる断片イオンは、ペプチドの性質に大きく依存するため、タンパク質によっては正確なアミノ酸配列および修飾状態の決定が困難な場合があった。たとえば、LC/MS/MS等の方法では、リン酸化サイトの検出が困難な場合が多い。特に、リン酸化サイトが長いペプチド中にある場合、またはペプチドの両末端から遠い所にある場合などは特に検出が困難であった。また、負に荷電されたリン酸化セリンの事実上のシグナルはとても弱い場合が多く、一般法としてMS/MSは充分利用されていなかった。
【0008】
本発明は上記事情に鑑みてなされたものであり、その目的は、タンパク質の特定のアミノ酸残基の修飾の有無および修飾基に関する情報を、特定のアミノ酸残基の位置情報に関連づけて簡便に取得する技術を提供することにある。
【0009】
本発明によれば、タンパク質を構成する特定の種類のアミノ酸残基のうち、未修飾の側鎖を有する前記特定の種類のアミノ酸残基に対し、マーカーを結合させるステップと、前記タンパク質を所定の位置で切断し、ペプチド断片を得るステップと、前記ペプチド断片の分子量を測定するステップと、前記ペプチド断片を構成するアミノ酸残基の分子量から算出される前記ペプチド断片の分子量と、分子量を測定する前記ステップで測定された前記ペプチド断片の分子量と、を比較することにより、前記特定のアミノ酸残基を含む前記ペプチド断片について、前記特定の種類のアミノ酸残基における、前記マーカーの結合の有無を判別するとともに、前記側鎖の修飾の有無または修飾基の種類を判別するステップと、を有することを特徴とするタンパク質の分析方法が提供される。
【0010】
本明細書において、「修飾」というときは、タンパク質の天然の修飾を指し、タンパク質のあるアミノ酸残基が、天然に導入された側鎖を有することを指す。また、本明細書において、「マーカー」は、タンパク質のアミノ酸残基の側鎖に人工的に結合させる物質を指す。
【0011】
また、本明細書において、未修飾の側鎖とは、タンパク質中のあるアミノ酸残基の側鎖が完全には修飾されていないこと、すなわち、その側鎖にマーカーをさらに結合させうる状態にある側鎖をいう。アミノ酸残基の側鎖にすでに所定の修飾基が結合していても、さらにマーカーを結合しうる状態にあれば、未修飾である。
【0012】
本発明の分析方法においては、タンパク質を構成する特定の種類のアミノ酸残基のうち、未修飾の側鎖を有するものに対し、マーカーを結合させるステップを含む。こうすれば、ペプチド断片を構成するアミノ酸残基の分子量から算出されるペプチド断片の分子量と、分子量を測定するステップで測定されたペプチド断片の分子量と、を比較することにより、その特定の種類のアミノ酸残基にマーカーが結合したかどうかを判別することができる。そして、多くの場合、マーカーが結合していれば、そのペプチド断片中の特定の種類のアミノ酸残基の側鎖が未修飾であり、マーカーが結合していなければ、その特定の種類のアミノ酸残基は修飾された状態であることがわかる。
【0013】
また、本発明の分析方法では、ペプチド断片ごとに、特定の種類のアミノ酸残基の側鎖の修飾の有無または修飾基の種類を判別するため、タンパク質中の特定のアミノ酸残基が複数含まれる場合にも、どのペプチド断片に含まれるアミノ酸残基の側鎖が修飾されているのかという修飾位置に関する情報を簡便に取得することができる。このため、本発明の方法によれば、修飾基の有無または修飾基の数、および修飾基の種類、そして修飾基の位置に関するタンパク質の分析を簡便に行うことができる。なお、本明細書において、あるアミノ酸残基の側鎖に関する修飾基の有無または修飾基の数、修飾基の種類、修飾基の位置に関する状態を、あわせて修飾状態と呼ぶ。
【0014】
このように、本発明においては、マーカーを結合させるステップを含むため、簡便な方法でタンパク質のアミノ酸残基の側鎖の修飾状態に関する知見を得ることができる。このため、タンパク質の翻訳後修飾に関する知見を簡便に取得することが可能となる。よって、本発明の分析方法をエピジェネティックの分野に適用することにより、たとえば、発癌、白血病、または老化等の種々の疾病に関する知見を得ることができる。たとえば、癌のスクリーニングなどを行うことができる。
【0015】
ここで、マーカーは、分子量の増分からマーカーの結合を特定できる基であることが好ましい。また、たとえば特定のアミノ酸残基がリジン残基である場合のメチル基、アセチル基、ユビキチン基のように、特定のアミノ酸残基をあらかじめ修飾する官能基と、結合させるマーカーの分子量とが異なることが好ましい。こうすることにより、ペプチド断片を構成するアミノ酸残基の分子量から算出されるペプチド断片の分子量と、分子量を測定するステップで測定されたペプチド断片の分子量と、を比較した際に、その特定のアミノ酸残基があらかじめある修飾基を有しているかどうか、および未修飾かどうかすなわちマーカーを結合しうる部位を残しているかどうか、を容易に判別することができる。
【0016】
また、本発明の分析方法は、タンパク質を所定の位置で切断し、ペプチド断片を得るステップを含む。ここで、タンパク質を所定の位置で切断するとは、一定のアミノ酸残基の前または後でそのタンパク質を切断することをいう。所定の位置で切断することにより、タンパク質が予測可能な一定の規則に基づいて切断されたペプチド断片を得ることができる。このため、ペプチド断片を構成するアミノ酸残基の分子量から、得られるペプチド断片の分子量を算出することができる。また、修飾基の位置に関する情報を安定的に得ることができる。
【0017】
ここで、ペプチド断片を構成するアミノ酸残基の分子量から算出される分子量は、そのペプチド断片が側鎖に修飾基をまったく有しない状態での分子量である。一方、分子量を測定するステップで測定されたペプチド断片の分子量は、算出された分子量に、あらかじめ修飾されていた側鎖の分子量およびマーカーを結合させるステップで結合したマーカーの分子量を加えた分子量である。本発明においては、これらの分子量を比較することにより、側鎖の修飾の有無および修飾基の種類を判別することが可能となる。
【0018】
本発明のタンパク質の分析方法において、マーカーの結合の有無を判別するとともに、側鎖の修飾の有無または修飾基の種類を判別する前記ステップは、分子量を測定する前記ステップで測定された前記ペプチド断片の分子量から前記ペプチド断片を構成するアミノ酸残基の分子量から算出される前記ペプチド断片の分子量を減じた差を、前記マーカーが結合した場合の分子量の増分と比較するとともに、前記差を、前記特定の種類のアミノ酸残基を修飾しうる側鎖の分子量と比較するステップを含んでもよい。
【0019】
本発明において、マーカーが結合した場合の分子量の増分と比較するとは、特定のアミノ酸残基に結合するマーカーの分子量と比較することをいう。また、特定の種類のアミノ酸残基を修飾しうる側鎖の分子量と比較するとは、たとえば特定のアミノ酸残基がリジン残基である場合のメチル基、アセチル基、ユビキチン基のように、ある種類のアミノ酸を修飾している可能性が予想される官能基の分子量と比較することをいう。これらのステップを含むことにより、側鎖の修飾の有無または修飾基の種類をさらに確実に判別することが可能となる。
【0020】
本発明のタンパク質の分析方法において、ペプチド断片を得る前記ステップは、前記マーカーを結合させた前記タンパク質をプロテアーゼ処理するステップを含み、前記マーカーは、前記特定の種類のアミノ酸残基の前記プロテアーゼ処理に対する感受性を失わせてもよい。
【0021】
タンパク質をプロテアーゼ処理するステップを含むことにより、一定の位置でタンパク質を確実に切断し、ペプチド断片を得ることができる。また、特定の種類のアミノ酸残基が、修飾基を有するか否かにより異なるプロテアーゼに対する感受性を有する場合においても、結合させたマーカーが、特定の種類のアミノ酸残基のプロテアーゼ処理に対する感受性を失わせることにより、感受性のばらつきを抑制することができる。このため、タンパク質をさらに確実に所定の位置で切断することが可能となる。このため、所定の位置で切断されたペプチド断片をより一層確実に取得することができる。
【0022】
本発明のタンパク質の分析方法において、ペプチド断片を得る前記ステップは、前記特定の種類のアミノ酸残基が1個含まれるペプチド断片を少なくとも1個得るステップを含んでもよい。特定の種類のアミノ酸残基が1個含まれるペプチド断片を得ることにより、そのペプチド断片における特定の種類のアミノ酸残基の修飾状態を確実に判別することが可能となる。本発明においては、特定の種類のアミノ酸残基が1個含まれるペプチド断片を少なくとも1個得るステップを含むため、そのアミノ酸残基について、N末端側からの残基数に関する知見を得ることができる。このため、特定のアミノ酸残基の位置およびその側鎖の修飾状態を判別することが可能となる。
【0023】
本発明のタンパク質の分析方法において、ペプチド断片の分子量を測定する前記ステップは、質量分析により前記ペプチド断片の質量を測定するステップを含んでもよい。こうすることにより、ペプチド断片の分子量を簡便に測定することができる。また、本発明では、MS/MS測定等を必要としないため、一連の分析操作を簡便化することができる。
【0024】
本発明のタンパク質の分析方法において、側鎖の修飾の有無または修飾基の種類を判別する前記ステップは、前記ペプチド断片中のリジン残基のメチル化、アセチル化、もしくはユビキチン化の数、または前記ペプチド断片中のセリン残基もしくはトレオニン残基のリン酸化の有無を判別するステップを含んでもよい。こうすることにより、タンパク質中のリジン残基またはセリン残基の翻訳後修飾についての知見を簡便な方法で取得することができる。
【0025】
本発明のタンパク質の分析方法において、マーカーを結合させる前記ステップは、前記タンパク質のリジン残基をN−アシル化するステップを含んでもよい。こうすることにより、未修飾のリジン残基に対し、確実にマーカー分子を結合させることができる。
【0026】
本発明のタンパク質の分析方法において、マーカーを結合させる前記ステップは、前記特定の種類のアミノ酸残基をスクシニル化するステップを含んでもよい。こうすることにより、特定の種類のアミノ酸残基の未修飾側鎖に確実にマーカーであるスクシニル基を結合させるとともに、マーカーが結合した後のタンパク質の水溶性を好適に確保することができる。このため、以降のステップをさらに確実に進行させることが可能となる。また、部分的にマーカーが結合する場合には、部分的に修飾がとれたことの情報を与える。
【0027】
本発明のタンパク質の分析方法において、ペプチド断片を得る前記ステップは、前記マーカーを結合させた前記タンパク質をトリプシン消化するステップを含んでもよい。こうすることにより、タンパク質を、塩基性アミノ酸残基のC末端側で切断することができる。このため、そのタンパク質のアミノ酸配列から、切断位置を予測することができる。よって、側鎖の修飾の有無または修飾基の種類をさらに確実に判別することが可能となる。
【0028】
本発明のタンパク質の分析方法において、前記タンパク質がヒストンであってもよい。こうすることにより、ヒストンのリジン残基またはセリン残基の修飾状態を簡便に分析することが可能となる。このため、ヒストン分子を構成するアミノ酸の修飾基の有無もしくは種類、位置、または修飾の度合いを簡便に決定することができる。よって、癌のスクリーニング等、様々な疾病に関する検査に好ましく適用される。
【0029】
以上説明したように本発明によれば、タンパク質の特定のアミノ酸残基の修飾の有無および修飾基に関する情報を、特定のアミノ酸残基の位置情報に関連づけて簡便に取得する技術を提供することができる。
【図面の簡単な説明】
【0030】
上述した目的、およびその他の目的、特徴および利点は、以下に述べる好適な実施の形態、およびそれに付随する以下の図面によってさらに明らかになる。
【0031】
【図1】実施の形態に係るタンパク質の分析手順を説明する図である。
【図2】実施の形態に係るタンパク質の分析手順を説明する図である。
【図3】実施例に係るヒストンH3の分析結果を示す図である。
【図4】実施例に係るヒストンH3の分析結果を示す図である。
【図5】実施例に係るヒストンH3の分析結果を示す図である。
【図6】実施例に係るヒストンH3の分析結果を示す図である。
【図7】実施例に係るヒストンH3の分析結果を示す図である。
【図8】従来提案されたヒストンH3中の修飾を受けているアミノ酸残基の位置を示す図である。
【発明を実施するための最良の形態】
【0032】
以下、本発明の好ましい実施の形態について説明する。
【0033】
(第一の実施形態)
本実施形態は、精製されたタンパク質中のアミノ酸残基側鎖の修飾状態を決定する方法に関する。具体的には、たとえば、測定対象のタンパク質に含まれるリジン残基のアセチル化、メチル化、もしくはユビキチン化、またはアルギニン残基のメチル化の有無および数を決定することができる。また、たとえば、セリン残基のリン酸化の有無を決定することができる。
【0034】
図1は、本実施形態に係るタンパク質の分析手順を示す図である。図1において、まず、分析対象のタンパク質の特定のアミノ酸残基の側鎖をラベルする試薬を作用させる。なお、本明細書において、側鎖を「ラベル」するとは、タンパク質のアミノ酸残基の側鎖に人工的にラベル物質を導入することを指す。このとき、特定のアミノ酸残基の側鎖が未修飾の状態であれば、その側鎖がラベルされる(S101)。そして、特定のアミノ酸残基の側鎖がラベルされたタンパク質を、所定の位置で特異的に切断する(S102)。次いで、得られたペプチド断片を、質量分析に供する(S103)。そして、断片の分子量に関して得られた結果に基づき、分析対象のタンパク質中の特定のアミノ酸残基の側鎖の修飾状態を解析する(S104)。
【0035】
ステップ101においては、側鎖の修飾状態を解析したいアミノ酸残基を選択的にラベルする処理を行う。このとき、ラベル物質として、一定の分子量を有する物質、たとえば所定の分子を用いる。また、タンパク質に結合したラベル分子の分子量が、分析対象の修飾基の分子量と異なるよう試薬を選択する。こうすることにより、後述のステップ104において、ステップ103で得られたペプチド断片の分子量の情報に基づいて、タンパク質の修飾状態を確実に分析することができる。
【0036】
また、ラベルによるタンパク質の水溶性の低下ができるだけ少ない試薬を選択することが好ましい。こうすることにより、タンパク質の不溶化やそれに伴う凝集を抑制することができる。このため、ステップ102以降の手順を確実に進行させることができる。
【0037】
なお、ステップ101において、特定のアミノ酸残基の側鎖をラベルすれば、後述するステップ102で用いられる切断試薬に対する特定のアミノ酸残基の感受性が側鎖の修飾の有無により異なる場合であっても、修飾感受性の相異を低減することができる。このため、切断の有無の発生を抑制し、タンパク質を所定の位置で確実に切断することが可能となる。
【0038】
特定のアミノ酸残基の側鎖をラベルする方法として、たとえば、アルカン酸無水物を用いて塩基性アミノ酸残基の側鎖をN−アシル化する方法が挙げられる。アルカン酸無水物として、たとえば、炭素数2以上4以下のアルカン酸の対称型酸無水物が好ましく用いられる。こうすることにより、かさ高なラベルの導入による立体障害の発生を好適に抑制することができる。このため、ステップ101におけるラベルを確実に行うことができる。また、ステップ102以降の過程を確実に進行させることができる。
【0039】
アルカン酸無水物を用いた塩基性アミノ酸残基の側鎖のアシル化として、ラベル後のタンパク質の水溶性が好適に確保される化合物を用いることが好ましい。こうすることにより、重水素化された無水酢酸を用いるアセチル−d3化などのように、ラベル後のタンパク質が非水溶性となる物質によりラベルする場合に比べて、ステップ102以降の過程を確実に進行させることができる。具体的には、たとえば、無水コハク酸を用いるスクシニル化や、無水マレイン酸を用いるマレイル化などを行うことができる。
【0040】
このうち、たとえば、スクシニル化が好適に用いられる。スクシニル化を行うことにより、未修飾のアミノ酸残基の側鎖がスクシニル化されるため、これを未修飾基であることのマーカーとして用いることができる。また、スクシニル化を用いることにより、ラベルした後のタンパク質の水溶性を好適に確保することができる。また、アセチル基やメチル基等の、通常側鎖を修飾する官能基との分子量差が比較的大きいため、後述するステップ104において、修飾状態の解析を精度および確度よく行うことができる。
【0041】
スクシニル化は、たとえば以下の手順で行うことができる。まず、タンパク質を所定の溶媒中に溶解または分散させる。そして、所定の濃度の無水コハク酸を加え、塩基性条件下において所定の温度、時間反応させる。このとき、反応の進行に伴う無水コハク酸濃度の低下を抑制するため、反応に供するタンパク質に対して大過剰の濃度となるように無水コハク酸を添加しておくことが好ましい。そして、反応後、過剰の無水コハク酸を中和する。
【0042】
ステップ102において、タンパク質を特異的な位置で切断する処理には、切断位置の特異性を有するプロテアーゼを用いた酵素消化(酵素分解)を用いることができる。また、メチオニン残基のC末端側アミド結合における開裂に特異性を有するCNBr等の化学的な試薬を用いた切断手法を用いることもできる。本実施形態では、酵素分解の場合を例に、以下説明をする。
【0043】
酵素分解は、特定の種類のアミノ酸残基の前または後で分析対象のタンパク質を限定的に分解するために行う。酵素分解することにより、質量分析に適した分子量のペプチド断片を得ることができる。また、アミノ酸配列が既知のタンパク質を、特定のアミノ酸残基の前または後で切断するため、切断位置を予め把握することができる。このため、得られるペプチド断片の分子量を予め把握することができる。また、1つの断片中に含まれる特定のアミノ酸残基数、たとえばリジン残基数、を小さくすることができる。また、1つの断片中に特定のアミノ酸残基、たとえばリジン残基が1個含まれるようにすることが好ましい。こうすれば、その特定のアミノ酸残基の側鎖の修飾状態を確実に分析することができる。
【0044】
酵素分解に用いる酵素として、たとえば、セリンプロテアーゼの一種であるトリプシンを用いることができる。トリプシンを用いる場合、通常は塩基性アミノ酸のC末端側で切断されるため、アルギニン残基またはリジン残基のC末端側での切断が考えられる。本実施形態では、未修飾のリジン残基の側鎖をステップ101において予めラベルし、保護することにより、リジン残基に対するトリプシン消化を停止することができる。このため、測定対象のタンパク質を、そのアルギニン残基のC末端側で選択的に分解することができる。
【0045】
なお、タンパク質によっては、アルギニン残基が通常のメチル化等の修飾を受けていることもあるが、修飾されていてもトリプシン消化を受けるため、アルギニン残基の修飾の有無によらず、所定の位置で切断されたペプチド断片を得ることができる。
【0046】
ステップ103の質量分析に用いる質量分析装置として、たとえば、イオントラップ質量分析計、四重極型質量分析計、磁場型質量分析計、飛行時間(TOF)型質量分析計、フーリエ変換型質量分析計などを用いることができる。また、イオン化法として、エレクトロスプレーイオン化法(ESI法)、マトリックス支援レーザー脱離イオン化(MALDI)法、高速原子衝突イオン化(FAB)法などが挙げられる。
【0047】
このうち、たとえばMALDI−TOF−MSが好適に用いられる。MALDI−TOF−MSを用いることにより、イオン化過程において、タンパク質を構成するアミノ酸残基から一部の原子団が欠落することを抑制することができる。また、比較的高分子量のペプチド断片の測定を好適に行うことができる。また、測定対象のタンパク質を試料中からゲル電気泳動を用いて分離し、ゲル中で上述の処理を施した後、回収して測定に供する場合にも、対応する陰イオンと陽イオンの両方を測定可能である。これらのことから、MALDI−TOF−MSを用いることにより、さらに再現性の高い分析を行うことができる。
【0048】
また、ステップ103の質量分析に供するペプチド断片の長さは、20〜30アミノ酸残基以下とすることが好ましい。こうすることにより、質量分析の際に、ペプチド断片のイオン化を確実に行うことができる。
【0049】
ステップ104では、質量分析により測定された各ペプチド断片の分子量を、一次構造情報から計算される分子量と比較する。タンパク質の一次構造が既知であれば、ステップ102で切断される部位が予測できるため、側鎖に修飾基を有しない場合の各ペプチド断片の分子量が算出される。
【0050】
分析対象のアミノ酸残基の側鎖が未修飾である場合には、一次構造情報から計算される分子量に対し、ラベルの分子量から水素原子の分子量を減じた分が増加する。また、側鎖があらかじめ所定の修飾を受けている場合には、修飾基の分子量に修飾基の数を乗じた分の分子量から水素原子の分子量を減じた分が増加する。そこで、質量分析により測定された各ペプチド断片の分子量と一次構造情報から計算される分子量との差を算出し、これを用いて各ペプチド断片中に存在する分析対象のアミノ酸残基側鎖について、修飾の有無または修飾基の数を決定することができる。
【0051】
たとえば、リジン残基の側鎖が未修飾であって、ラベルとしてスクシニル基を用いた場合、スクシニル基の分子量である100.07の分が増加する。
【0052】
また、分析対象のアミノ酸残基の側鎖がメチル化されている場合には、−Hが−CH3に置換されるため、CH2の14.03が、アセチル化されている場合には、−COCH3と−Hとの差42.04、リン酸化されている場合には、−PO3と−Hとの差の79.01がアミノ酸配列から算出されるペプチド断片の分子量に加算されたものとして観察される。
【0053】
そこで、質量分析により測定された各ペプチド断片の分子量と一次構造情報から計算される分子量との差を、マーカーが結合した場合の分子量の増分および修飾が予想される官能基が結合した場合の分子量の増分と比較することにより、そのペプチド断片中のアミノ酸残基の側鎖の修飾状態について簡便に決定することができる。このように、ステップ103で得られたマススペクトルに基づき、アミノ酸残基の側鎖の修飾基の有無または修飾基の種類の分析が可能となる。
【0054】
また、本実施形態においては、分析対象のアミノ酸残基の修飾状態がペプチド断片ごとに可能となる。このため、タンパク質中に分析対象のアミノ酸残基が複数存在する場合であっても、どのペプチド断片中のアミノ酸残基にどのような修飾基が結合しているか、またはどのペプチド断片中のアミノ酸残基がラベルされたのかを判別することができる。このため、修飾位置に関する情報を簡便、迅速に取得することができる。たとえば、ペプチド断片中に分析対象のアミノ酸残基が1個存在する場合には、そのアミノ酸残基のN末端からの残基数を決定することができる。また、ペプチド断片中に分析対象のアミノ酸残基が複数個存在する場合であっても、他の情報から類推することにより、ペプチド断片中のどのアミノ酸残基が修飾されているかを決定することが可能となる。
【0055】
以上の手順によれば、タンパク質を構成する特定のアミノ酸残基の側鎖の修飾状態を簡便に分析することができる。このため、たとえば、タンパク質の翻訳後修飾の有無または修飾基の種類を、修飾の位置に関する情報とともに簡便に取得することができる。本実施形態に係る分析方法に供するタンパク質は、酵素による分解を受けるアミノ酸残基を有していることが好ましい。また、リジン残基、セリン残基、トレオニン残基、アルギニン残基等の、あらかじめ修飾を受けるアミノ酸残基を有していることが好ましい。このようなタンパク質として、たとえば塩基性タンパク質を用いることができる。塩基性タンパク質として、具体的には、たとえばヒストンを用いることができる。
【0056】
なお、本実施形態において、セリン残基またはトレオニン残基のリン酸化の有無を決定する際には、分析対象のタンパク質を、あらかじめ検出用の他の検出ラベルで置換しておいてもよい。たとえば、Ba(OH)2で脱リン酸化し、アミノエチルシステイン(NH224−SH)で置換すれば、アミノエチルシステイン化タンパク質が得られる。上述の方法を用いてこれをスクシニル化すると、リン酸化されている場合にはスクシニルアミノエチルシステイン化に対応する115.8がアミノ酸配列から算出されるペプチド断片の分子量に加算されたものとして観察される。なお、この際、トリプシン消化が行われない。修飾基を置換することにより、質量分析におけるリン酸化セリンのシグナルを増強することができる。このため、リン酸化の有無をさらに高い精度で検出することができる。
【0057】
具体的には、リン酸化セリンまたはリン酸化トレオニンを含むタンパク質またはペプチドに、0.125MのBa(OH)2を加え、40℃にて1時間反応をさせて無水アミノ酸残基とする。このとき、たとえば、リン酸化セリンは、デヒドロアラニンとなる。これを冷却して低温にしてドライアイス小片を添加し、Ba(OH)2を炭酸バリウムとして白濁させ、これを除去する。そして、5−(2−アミノメチル)システインを、モル比でタンパク質またはペプチドの500倍量添加する。そして、1w/v%のNH4HCO3を加え、20℃にて1時間反応させて、アミノエチルシステイン誘導体とする。この誘導体は、リジンのごとくアミノ基を有するので、その後上述の方法を用いてステップ101以降の手順を順次実施すればよい。たとえば、40℃、1時間のスクシニル化を施した後、トリプシン分解を40℃、1時間行い、質量分析を行うことができる。
【0058】
本実施形態において、図1のステップ101に先立ち、分析対象のタンパク質を分離、精製する前処理操作を行うこともできる。こうすれば、所望の試料から特定のタンパク質を分離し、その側鎖の修飾状態について分析を行うことができる。たとえば、ヒストンH3の解析を行いたい場合、ウシ肝臓等からこれを抽出することができる。
【0059】
なお、本実施形態において、測定対象のタンパク質が還元型のシステイン残基を有する場合には、その側鎖の−SH基にカルボキシメチル化やピリジルエチル化などを施し、予めその保護を行うことが好ましい。また、測定対象のタンパク質が分子内または分子間ジスルフィド結合を形成しているシステイン残基を含む場合、予め常用の還元処理を施し、還元型のシステインとしておくことが好ましい。また、還元したシステイン残基が再び酸化されないように、ステップ101において、反応系の酸素および水分を除去した条件とすることが好ましい。たとえば、窒素等の不活性ガス雰囲気下でステップ101の処理を行うことができる。
【0060】
(第二の実施形態)
第一の実施形態に記載の分析方法において、ステップ101の側鎖のラベルに先立ち、複数の成分を含む試料中から分析対象のタンパク質を精製するステップを含んでもよい。
【0061】
図2は、本実施形態に係るタンパク質の分析手順を示す図である。図2の手順は、図1の手順におけるステップ101の前に、タンパク質を精製するステップ(S106)を含む。タンパク質を精製するステップは、たとえばゲル電気泳動等とすることができる。ゲル電気泳動を用いることにより、試料中のタンパク質を分子量に応じて安定的に分画することができる。また、電気泳動により分画された分析対象のタンパク質を、ゲルに保持させた状態でステップ101の処理に供してもよい。こうすれば、試料中から分析対象のタンパク質を分離し、側鎖の修飾状態の解析を行う一連の操作をさらに簡便に行うことができる。
【0062】
以下、分析対象のタンパク質がヒストンである場合を例に、その修飾基の決定方法について説明する。ヒストンには、H1(分子量21000)、H2A(分子量14500)、H2B(分子量13700)、H3(分子量15300)、およびH4(分子量11300)がある。クロマチンを構成するヌクレオソームには、2×H2A、2×H2B、2×H3、および2×H4の8量体からなるヒストンコアが存在し、この中のヒストンH3およびH4はDNAを結合する。なお、本明細書において、ヒストンH1、H2A、H2B、H3、H4をまとめて「ヒストン」と呼ぶ。
【0063】
これらのヒストンのアミノ酸残基がリン酸化、アセチル化、メチル化等の翻訳後修飾を受けることによって、クロマチンの構造が変化し、転写の活性化および不活性化を制御していると考えられている。このため、ヒストン中のリジン残基、アルギニン残基、またはセリン残基の修飾状態を簡便な方法で決定することができれば、たとえば転写異常を伴う疾患等の検知に利用可能となる。
【0064】
本実施形態では、ウシヒストンH3タンパク質をスクシニル化し、トリプシン分解したペプチドのマススペクトルを得る場合を例に説明する。まず、組織からのヒストンの各分子の分離は以下のようにして行う。
【0065】
組織からのヒストンの分離精製は、たとえば以下の手順で行うことができる。まず、細胞または組織の切片から、塩基性タンパク質の抽出を行う。全細胞または組織切片からの抽出の場合、これらをすりつぶして細かく断片化したり、または薄くスライスしたりして用いる。
【0066】
また、細胞核から調製する場合には、ホモジナイザー中に細胞懸濁液を入れ、核の分離を顕微鏡下で見て判断する。ホモジナイザーとして、たとえばポッターのグラスホモジナイザB型を用いることができる。また、ペッスルとガラス壁の摺合わせがゆるいものを用いることが好ましい。懸濁液として、たとえばトリスバッファーにNP−40(Igepal CA630)とdeoxycholic acidを加えたものを用いることができる。遠心分離により核を回収し、上記のバッファーを用いて洗浄することができる。遠心分離の条件は、たとえば3000×g、3分、25℃とすることができる。
【0067】
遠心分離により得られたペレットに、6Mの尿素および0.3MのHClを加え、vortexミキサーなどを用いて混合する。これを遠心分離し、上清として塩基性タンパク質の抽出物を得る。遠心分離の条件は、たとえば、18000rpm、15min、4℃とすることができる。
【0068】
抽出物を、尿素乳酸アルミニウム澱粉スターチゲル電気泳動により分画する。電気泳動には、たとえば水平泳動装置を用いる。電気泳動用加水分解澱粉を、濃度が10w/w%になるように、6M尿素を含むpH3.5の0.05M乳酸アルミニウム緩衝液溶液に懸濁し、攪拌しながら70℃にて30分処理する。こうして、半透明で粘調な澱粉ゲルが得られる。得られたゲルを泳動装置のトレーに流し込み、室温で硬化させる。トレーの大きさは、たとえば8cm×15cm×0.5cmとする。
【0069】
ゲル上の試料スロット80μLに試料を酸性のまま直接乗せて、電気泳動を行う。ゲルの両端から濾紙を垂らし、6M尿素乳酸アルミニウム緩衝液を充たしたリザーバに接続する。電気泳動は100Vの一定電圧で4℃、12時間行う。メチルグリーンを指標としてゲルの陰極の端に近づいたら停止する。
【0070】
次に、ゲルの染色は以下のようにして行う。まず、アミドブラックの酢酸メタノール溶液で染色し、脱染色は色素を含まない同液で数回洗浄する。また、上記の方法を用いてアミドブラック染色を行った後、0.5M硫酸で分別すると、アルギニンを含む蛋白は黒く染まる一方、リジンおよびヒスチジンの含有量の多いタンパク質は青に染まる。また、塩基性アミノ酸の少ないタンパク質はネガティブ染色により、白く抜けて見える。この分別染色後、酢酸メタノール溶液で脱染色すると、すべてのタンパク質のバンドを青く可視化することができる。ヒストンはメチルグリーン指標と泳動原点の中間位に移動し、ヒストンH2AおよびH2Bを含む画分、H3の画分、ならびにH4の画分が互いに分離した状態で得られる。
【0071】
ゲル中で分画されたヒストンは、以下の方法で精製することができる。まず、ヒストンの各バンドを切取り、ホモジナイズして、0.1MHClを用いアクリルアミドゲルカラムでゲル濾過により分離する。また、リン酸セルロースカラムを行う。6M尿素存在下、食塩濃度勾配により溶出することにより、精製することもできる。また、電気泳動後の澱粉ゲルをさらに電気泳動に供しヒストンを溶出し、分子篩膜を用いてトラップしてもよい。
【0072】
こうして得られたヒストンの各フラグメントについて、第一の実施形態に記載の方法を用いて、ステップ101〜ステップ104の操作を行う。分析対象の画分をスクシニル化反応に供する。これにより、ヒストン分子中の未修飾リジンがスクシニル化される。
【0073】
コウシヒストンH3のアミノ酸配列は、配列表における配列番号1で示される。また、表1は、コウシヒストンH3のトリプシン消化により得られるペプチド断片をN末端からのアミノ酸残基番号とともに示す表である。表1において、フラクション1〜16のうち、4個以上のアミノ酸残基を含むフラクションについては配列表における配列番号をあわせて示した。表1より、トリプシン消化でフラグメント1からフラグメント16までのペプチド断片が生成する。ただし、第52番目のアミノ酸と第53番目のアミノ酸において、2個のアルギニンが連続するため、フラグメント8に加えて一部フラグメント8'が生成しうる。
【0074】
表1より、ヒストンH3のように、N末端側に多数のリジン残基を有するタンパク質であっても、スクシニル化の後、トリプシン消化を行うことにより、1〜3個のリジン残基を含むペプチド断片に分解することができる。このため、各断片中のリジン残基またはアルギニン残基のアセチル化、メチル化、もしくはユビキチン化、またはセリン残基またはトレオニン残基のリン酸化について、第一の実施の形態に記載の方法を用いて容易に解析を行うことが可能となる。
【0075】
(表1)

【0076】
なお、本実施形態において、ヒストンの抽出および精製は、以下の方法で行ってもよい。すなわち、ヒストンを含む組織をすりつぶす際に、最終濃度が0.165MのHClと、最終濃度が0.165MのLiClを加え、上清を一次元ポリアクリルアミド電気泳動(1DE)で展開する。電気泳動により得られたヒストンの各バンドを切り取り、アセトニトリル(MeCN)を用いて脱水を繰り返し行う。従来、組織からのヒストンの抽出は、たとえば終濃度0.33MのHClを用いており、比較的強い酸処理を行っていた。これに対し、本実施形態の方法によれば、充分な塩化物イオンを有し、さらに低濃度の酸中で抽出を行うことができるため、ヒストンを穏和な条件で安定的に抽出することができる。
【0077】
次に、脱水したゲル片に、500倍モルの無水コハク酸(SucAnh)のフォルムアミド(FA)溶液を加え、40℃にて1時間、水溶性の強いスクシニル(Suc)化を行う。これにより、スクシニル基1個につき、100.1の分子量増加が生じる。このスクシニル化の操作は、後述するアセチル基の混在するアセチル脱離酵素による脱アセチル化の影響を防ぐため、できるだけ速やかに行うことが好ましい。
【0078】
ヒストンは、非常にリジン残基およびアルギニン残基に富むタンパク質であり、アセチル化などにより修飾されていたり、スクシニル化などにより人工的にマーカーが導入されてラベルされることにより、リジン残基の側鎖がすべてカバーされて、未修飾状態ではなくなる。ここで、トリプシンのようなプロテアーゼを用いると、リジン残基のC末端側での切断は行われず、アルギニン残基のC末端側でのみ切断される。これは、上述したように、アルギニン残基にメチル基が修飾されてメチルアルギニンとなっている場合にも同様であり、アルギニン残基は切断を受ける。
【0079】
そこで、スクシニル化後のヒストンにトリプシンを作用させる。条件は、たとえば50mMのNH4HCO3中、室温で20分とすることができる。トリプシン処理により、C末端のペプチドをのぞき、すべてアルギニンをC末端に有するペプチド断片が得られる。この分解物を第一の実施形態に記載の方法を用いて質量分析で解析し、断片ペプチドおよび修飾基の分子量を検出することができる。
【0080】
なお、ヒストン中のアセチル基は不安定で、生体内に含まれるヒストンアセチルトランスフェラーゼ(HAT)等により脱アセチル化が生じやすい。このため、たとえば10mg/ml程度の酪酸ナトリウムなどの脱アセチル化酵素に対する阻害剤の存在下でヒストンを5〜20℃程度の温度で抽出することで、脱アセチル化を抑制することができる。
【0081】
以上、本発明を実施形態に基づき説明した。これらの実施形態は例示であり様々な変形例が可能なこと、またそうした変形例も本発明の範囲にあることは当業者に理解されるところである。
【0082】
たとえば、以上に説明した方法は、測定対象物質がタンパク質の場合に限定されず、ペプチド中の特定のアミノ酸残基の修飾の有無または修飾基の種類を、そのアミノ酸残基の位置情報とともに簡便に決定する方法として広く用いることが可能である。
【0083】
以下、本発明を実施例によりさらに説明するが、本発明はこれらに限定されるものではない。
【0084】
(実施例1)
本実施例では、市販のヒストンH3について、修飾基の解析を行った。ヒストンH3として、Roche社製こうし胸腺ヒストンH3(精製品)を用いた。
【0085】
0.5nmolのヒストンH3の1v/v%ギ酸水溶液1μLに、2mgの無水コハク酸のエタノール溶液を100μLと、1MのNH4HCO3を2μL加え、アルカリ性下で40℃、2時間反応させた。反応物を真空乾燥後、1mLのアセトニトリルを添加し、過剰の無水コハク酸を除去する操作を3回行った。
【0086】
次いで、0.5MのNH4HCO310μLを加えて40℃1時間反応させた。そして、2μLのトリプシン水溶液を加えて40℃、1時間反応させた。こうして得られたヒストンH3分解ペプチドを、Zip−tipで処理した。得られた試料1および試料2を質量分析に供した。試料1および試料2は、以上の方法を用いて別々に得られた試料である。質量分析には、アプライドバイオシステム社製MALDI TOF MAS Voyager DE RPを用いた。図3および図4は、試料1および試料2のそれぞれについて得られたマススペクトルを示す図である。
【0087】
また、さらに、Roche社製こうし胸腺ヒストンH3(精製品)のSDS−PAGEを行ったあと、ポリアクリルアミドゲル中で以下の処理を施した試料を作製した。
【0088】
まず、ヒストンH3のゲルバンド0.5nmolを切り出し、1×1mm角に細切断し、エッペンドルフチューブに入れた。これに水1mLを加えて10分間混合し、水を除去した後、アセトニトリル1mLを加えて10分間静置し、アセトニトリルを除去した。この操作を3回繰り返してゲルを脱水した。脱水したゲル片に、10mg/mLの無水コハク酸フォルムアミド溶液10μLを加えた。次いでこれに、フォルムアミド100μLおよびピリジン1μLを加え、40℃にて1.5時間反応させた。反応後、反応液を除去し、50mMのNH4HCO3を1mL加え、40℃にて10分間反応させることにより、過剰の無水コハク酸を除去する操作を2回行った。
【0089】
その後、上記の方法でトリプシン処理を行い、Zip−tipC18で処理した後、得られた試料3および試料4を質量分析に供した。試料3および試料4は、以上の方法を用いて別々に得られた試料である。図5および図6は、試料3および試料4のそれぞれについて得られたマススペクトルを示す図である。
【0090】
図3〜図6のマススペクトルを、それぞれ表1に示したヒストンH3のペプチド断片の分子量と比較して、リジン残基およびセリン残基の修飾状態の解析を行った。結果を表2に示す。
【0091】
表2において、「フラグメント番号」は、表1における「フラグメント番号」に対応している。また、「分子量(未修飾、計算値)」は、各フラグメントについて、アミノ酸残基の分子量から算出したペプチド断片の分子量の計算値である。この計算値は、リジン残基およびセリン残基がまったく修飾されていないとして算出した値である。また、「分子量(測定値)」は、各試料について、マススペクトルのピーク質量(m/z)を示している。
【0092】
表2において、「分子量(測定値)」と「分子量(修飾基およびラベルなし、計算値)」の差は、修飾基の存在またはスクシニル化による分子量の増分の測定結果を示す。この増分を、スクシニル化による分子量増加100.07、メチル化による分子量増加14.03、アセチル化による分子量増加42.04、およびリン酸化による79.01の値と比較する。たとえば、
(分子量(測定値))−(分子量(修飾基およびラベルなし、計算値))=100.07x+14.03y+42.04z+79.01w
として、もっとも近似するx、y、z、およびwの値が算出される。なお、x、y、z、およびwは0以上の整数である。
【0093】
こうして、「分子量(測定値)」と「分子量(修飾基およびラベルなし、計算値)」の差を用いて、各ペプチド断片中のリジン残基、アルギニン残基、またはセリン残基の修飾基の種類と数が、表2中の「修飾またはラベル状態」として決定される。なお、「分子量(修飾基またはラベルあり、計算値)」は、決定された修飾状態における各ペプチド断片の分子量の計算値である。また、「分子量(修飾基またはラベルあり、計算値)」と「分子量(修飾基およびラベルなし、計算値)」の差は、修飾基の存在またはスクシニル化による分子量の増分の計算値である。
【0094】
また、表2の「修飾状態」の欄で、「M」は、リジン残基またはアルギニン残基のメチル化を示し、下付の添え字は1個のリジン残基に結合するメチル基の数を示す。具体的には、たとえば、フラグメント2「S」は、リジン残基のスクシニル化を示す。また、「P」は、セリン残基のリン酸化を示す。また、アルファベットの後ろに()で示した数字は、修飾基を有するアミノ酸のN末端からのアミノ酸番号を示す。この番号は、表1におけるアミノ酸番号に対応する。()内に複数の数字が「,」で区切って記されている場合、それぞれの修飾基を有するアミノ酸番号を示している。具体的には、たとえば、フラグメント5について、「MPMS(27,28,36,37)」とあるのは、27番目のリジンがメチル基を1個有し、28番目のセリンがリン酸基を1個有し、36番目のリジンがメチル基を1個有し、さらに37番目のリジンにスクシニル基が1個結合したことを示す。また、()内に複数の数字が「/」で区切って記されている場合、「/」の前後に記されたアミノ酸番号のアミノ酸残基のいずれかが、その修飾基を有することを示している。具体的には、たとえば、「S(9/14)」とあるのは、9番目のリジンまたは14番目のリジンのいずれかにスクシニル基が1個結合したことを示す。
【0095】
表2に示したように、試料1〜試料4では、フラグメント2、3、4、5、6、8、9、11、および13に対応するペプチド断片について、修飾基の種類および数が決定された。また、トリプシン由来のペプチド断片も検出された。なお、表2において、一つのフラグメントについて、複数の修飾状態が決定されているのは、試料中のすべてのヒストンH3分子の修飾状態が同一ではないことを示している。
【0096】
また、フラグメント5のように、複数のリジン残基を有する場合には、図8を参照して修飾状態を示した。ここで、図8は、従来提案されたヒストンH3中の修飾を受けているアミノ酸残基の位置を示す図である。図8は、
Thomas Jenuwein and C. David Allis、 「Translating the Histone Code」、Science、 2001年、 Vol.293 (図2、図3)、
Eric J. Richards and Sarah C. R. Elgin、 「Epigenetic Codes for Heterochromatin Formation and Silencing: Rounding up the Usual Suspects」、 Cell、 2002年、 Vol.108、 p.491 (図2)
等に記載された情報をまとめたものである。
【0097】
図8において、各アミノ酸残基は1文字表記により示している。また、各残基の上に「M」と記載されている場合、その位置がメチル化されることが提案されている。同様に、「A」と記載されている場合、その側鎖がアセチル化され、「P」と記載されている場合、その側鎖がリン酸化されることが提案されている。
【0098】
図8を参照することにより、表2中のフラグメント5において、「分子量(修飾基またはラベルあり、計算値)」の値が1640.0に対応する行については、修飾状態が主として「MPMS(27,28,36,37)」であるとすることができる。また、フラグメント3では、N末端から14番目にリジンが存在し、17番目にアルギニンが存在するが、図8を参照すると、「分子量(修飾基またはラベルあり、計算値)」の値が1114.7に対応する行については、修飾状態が主として「MSM(9,14,17)」であるとすることができる。また、「分子量(修飾基またはラベルあり、計算値)」の値が1014.6に対応する行については、修飾状態が主として「MS(9,14)」であるとすることができる。
【0099】
以上のように、本実施例では、図3〜図6より、水溶液中およびゲル中でスクシニル化を行ったいずれの試料についても、リジン残基およびセリン残基の修飾状態を反映するマススペクトルが得られた。また、表2より、一部のリジン残基およびセリン残基について、再現性よく修飾基の有無および種類を分析することができた。本実施例では、ヒストンH3の側鎖の修飾基を簡便な方法により決定することができた。
【0100】
(表2)

【0101】
(実施例2)
本実施例では、ウシの肝臓からヒストンH3を抽出し、その修飾基の解析を行った。−85℃で凍結保存しておいたウシ肝臓10〜50mgをWheaton社製ミクロポターガラスホモゲナイザーに入れ、終濃度0.3mMのPMSF(phenylmethansulfonylfluoride)ならびに終濃度0.165MのHClおよび終濃度0.165MのLiClを加えてホモゲナイズした。次いで、13500rpmで30分遠心分離し、沈殿物を捨てて得られる上澄みを真空乾燥した。得られた乾燥物をSDS−PAGEにより分画した。
【0102】
ヒストンH3のゲルバンド0.5nmolを切り出し、1×1mm角に細切断し、エッペンドルフチューブに入れた。これに水1mLを加えて10分間混合し、水を除去した後、アセトニトリル1mLを加えて10分間静置し、アセトニトリルを除去した。この操作を3回繰り返してゲルを脱水した。脱水したゲル片に、10mg/mLの無水コハク酸フォルムアミド溶液10μLを加えた。次いでこれに、フォルムアミド100μLおよびピリジン1μLを加え、40℃にて1.5時間反応させた。反応後、反応液を除去し、50mMのNH4HCO3を1mL加え、40℃にて10分間反応させることにより、過剰の無水コハク酸を除去する操作を2回行った。
【0103】
その後、実施例1に記載の方法を用いてトリプシン処理を行い、Zip−tipC18で処理した後、得られた試料5を質量分析に供した。図7は、得られたマススペクトルを示す図である。
【0104】
また、図7のマススペクトルを、それぞれ表1に示したヒストンH3のペプチド断片の分子量と比較して、実施例1と同様にしてリジン残基およびセリン残基の修飾状態の解析を行った。結果を表2に示す。
【0105】
本実施例では、ヒストンH3の抽出において、ホモゲナイズに終濃度0.165MのHClおよび終濃度0.165MのLiClを用いることにより、穏和な条件でヒストンH3を安定的に抽出することができた。そして、図7に示したように、ウシ肝臓から抽出したヒストンH3についても、リジン残基およびセリン残基の修飾状態を反映するペプチド断片のマススペクトルを安定的に得ることができた。また、表2に示したように、一部のリジン残基およびセリン残基について、簡便な方法で修飾状態を決定することができた。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
タンパク質を構成する特定の種類のアミノ酸残基のうち、未修飾の側鎖を有する前記特定の種類のアミノ酸残基に対し、マーカーを結合させるステップと、
前記タンパク質を所定の位置で切断し、ペプチド断片を得るステップと、
前記ペプチド断片の分子量を測定するステップと、
前記ペプチド断片を構成するアミノ酸残基の分子量から算出される前記ペプチド断片の分子量と、分子量を測定する前記ステップで測定された前記ペプチド断片の分子量と、を比較することにより、前記特定のアミノ酸残基を含む前記ペプチド断片について、前記特定の種類のアミノ酸残基における、前記マーカーの結合の有無を判別するとともに、前記側鎖の修飾の有無または修飾基の種類を判別するステップと、
を有することを特徴とするタンパク質の分析方法。
【請求項2】
請求の範囲第1項に記載のタンパク質の分析方法において、マーカーの結合の有無を判別するとともに、側鎖の修飾の有無または修飾基の種類を判別する前記ステップは、
分子量を測定する前記ステップで測定された前記ペプチド断片の分子量から前記ペプチド断片を構成するアミノ酸残基の分子量から算出される前記ペプチド断片の分子量を減じた差を、前記マーカーが結合した場合の分子量の増分と比較するとともに、前記差を、前記特定の種類のアミノ酸残基を修飾しうる側鎖の分子量と比較するステップを含むことを特徴とするタンパク質の分析方法。
【請求項3】
請求の範囲第1項または第2項に記載のタンパク質の分析方法において、ペプチド断片を得る前記ステップは、前記マーカーを結合させた前記タンパク質をプロテアーゼ処理するステップを含み、
前記マーカーは、前記特定の種類のアミノ酸残基の前記プロテアーゼ処理に対する感受性を失わせることを特徴とするタンパク質の分析方法。
【請求項4】
請求の範囲第1項乃至第3項いずれかに記載のタンパク質の分析方法において、ペプチド断片を得る前記ステップは、前記特定の種類のアミノ酸残基が1個含まれる前記ペプチド断片を少なくとも1個得るステップを含むことを特徴とするタンパク質の分析方法。
【請求項5】
請求の範囲第1項乃至第4項いずれかに記載のタンパク質の分析方法において、ペプチド断片の分子量を測定する前記ステップは、質量分析により前記ペプチド断片の質量を測定するステップを含むことを特徴とするタンパク質の分析方法。
【請求項6】
請求の範囲第1項乃至第5項いずれかに記載のタンパク質の分析方法において、側鎖の修飾の有無または修飾基の種類を判別する前記ステップは、前記ペプチド断片中のリジン残基のメチル化、アセチル化、もしくはユビキチン化の数、または前記ペプチド断片中のセリン残基もしくはトレオニン残基のリン酸化の有無を判別するステップを含むことを特徴とするタンパク質の分析方法。
【請求項7】
請求の範囲第1項乃至第6項いずれかに記載のタンパク質の分析方法において、
マーカーを結合させる前記ステップは、前記タンパク質のリジン残基をN−アシル化するステップを含むことを特徴とするタンパク質の分析方法。
【請求項8】
請求の範囲第1項乃至第6項いずれかに記載のタンパク質の分析方法において、
マーカーを結合させる前記ステップは、前記特定の種類のアミノ酸残基をスクシニル化するステップを含むことを特徴とするタンパク質の分析方法。
【請求項9】
請求の範囲第1項乃至第8項いずれかに記載のタンパク質の分析方法において、
ペプチド断片を得る前記ステップは、前記マーカーを結合させた前記タンパク質をトリプシン消化するステップを含むことを特徴とするタンパク質の分析方法。
【請求項10】
請求の範囲第1項乃至第9項いずれかに記載のタンパク質の分析方法において、
前記タンパク質がヒストンであることを特徴とするタンパク質の分析方法。



【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【国際公開番号】WO2005/049636
【国際公開日】平成17年6月2日(2005.6.2)
【発行日】平成19年6月7日(2007.6.7)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2005−515665(P2005−515665)
【国際出願番号】PCT/JP2004/017275
【国際出願日】平成16年11月19日(2004.11.19)
【出願人】(000004237)日本電気株式会社 (19,353)
【出願人】(591245543)東京理化器械株式会社 (36)
【Fターム(参考)】