説明

摺動部材、及びその表面処理方法、並びにそれを用いた軸受装置、圧縮機

【課題】圧縮機などに使用可能で、かつ長期に亘って耐摩耗性、耐焼付き性を確保可能な摺動部材を提供することを目的とする。
【解決手段】少なくとも一方の摺動部材111が鋳鉄112にて構成された摺動部において、鋳鉄からなる摺動部材表面に、黒鉛部114を除く合金部上に被覆された窒化鉄を主成分とする窒化処理層115と、黒鉛部114表面と窒化処理層115表面とで構成される凹状の油溜り部116を形成した摺動部材とする。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、摺動部材及びその表面処理方法に関し、特に冷凍サイクル用圧縮機などに採用する軸受装置に対し、素材が鋳鉄からなる摺動部材の摺動面に好適なものに関する。
【背景技術】
【0002】
近年、例えば冷凍サイクル装置においては、省エネルギーの観点から、消費電力量の低減が強く要望されている。そして、冷凍サイクル装置の主要な構成物である圧縮機では、より高速域あるいは低速域での、あるいは高負荷条件下での運転に耐え得ることが必要である。このため、圧縮機の基幹部品であるクランクシャフトには、上述のような運転条件に耐え得るのに十分な耐摩耗性と耐焼付き性が要求される。
【0003】
クランクシャフトや主軸受152の素材には安価な鋳鉄が用いられている。鋳鉄のような、鉄マトリックス中に黒鉛部(グラファイト)が分散した材料は、黒鉛部が持つ固体潤滑作用と、油着による潤滑作用が得られることから、主に摺動部材としてよく用いられている。
【0004】
従来では、クランクシャフトなどの摺動部材には、摩擦低減や摺動部材の寿命延長の観点から、リン酸塩皮膜処理、例えばリン酸マンガン皮膜処理が施されている(例えば、特許文献1、2参照)。
【0005】
図9に示すように、摺動部材1の基材2の表面にリン酸塩結晶からなるリン酸塩皮膜5が形成されている。膜厚は数μm〜10μmレベルである。摩擦摩耗特性を向上させるために、摺動部材1の基材2の表面を活性化し、リン酸塩結晶析出のための適正な核を作り、緻密性の高い膜を生成する目的で、リン酸塩皮膜化成処理工程の前に様々な表面調整工程が採用されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0006】
【特許文献1】特開2003−119571号公報
【特許文献2】特開平3−94075号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
リン酸塩皮膜5は、摺動部材同士の直接接触を防止しながら自己犠牲的に摩耗して、よりフラットな摺動表面を創生するというような、初期なじみ効果を特徴とし、知られている。
【0008】
しかしながら、例えば、インバータ駆動される圧縮機等のクランクシャフトにおいて、低速運転時のように、給油量が不足し易い状態で長時間運転が行われた場合、軸負荷変動や油膜厚さの減少等を要因として、リン酸塩皮膜5が早期に摩滅して素地が露出し、十分な耐久性を確保できなくなる可能性がある。
【0009】
反対に高速運転時には、いわゆるPV値(負荷荷重と回転速度の積)が上昇して油膜厚さが減少し、リン酸塩皮膜5が早期に摩滅することで焼付きが生じる可能性がある。
【0010】
また、消費電力量を低減させるために、摺動部材1の摺動面積の狭小化、あるいは潤滑油の低粘度化が図られることで、油膜厚さの減少や摺動部材同士の直接的な接触摺動等を
要因として、リン酸塩皮膜5が早期に摩滅して素地が露出し、鋳鉄同士の摺動となり、十分な耐久性を確保できなくなる可能性がある。
【0011】
このような高速域あるいは低速域での、または高負荷条件下での運転時におけるリン酸塩皮膜5の早期摩滅の対応策として、リン酸塩皮膜5の厚膜化が挙げられる。しかしながら、この様な場合、摺動部材1の寸法精度の悪化に加え、面粗度も大きくなり、例えば、圧縮機の摺動部品1、特に数ミクロン以下の部品精度を要求されるクランクシャフト等への使用は困難である。また、厚膜化することで、膜自体の緻密性が悪化し、耐摩耗性が低下する可能性がある。
【0012】
本発明は、従来技術のこのような問題点に鑑みてなされたものであり、耐摩耗性、及び耐焼付き性に優れた摺動部材、及びその表面処理方法、並びにそれを用いた軸受装置、圧縮機を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0013】
上記目的を達成するために、本発明は、少なくとも一方の摺動部材が鋳鉄にて構成された摺動部において、鋳鉄からなる摺動部材の表面に、黒鉛部を除く合金部上に被覆された窒化鉄を主成分とする窒化処理層と、黒鉛部表面と窒化処理層表面とで構成される凹状の油溜り部を有する摺動部材としたものである。
【0014】
その窒化処理層により、摺動部材表面の強度を上げ、かつ金属同士の摺動を防止し凝着摩耗を抑制すると共に、油膜形成状態が不安定な場合であっても、油溜りにより潤滑状態を改善して相手摺動部材への攻撃性を低下させることで、長期に亘って耐摩耗性、耐焼付き性を確保した摺動部材とすることができる。
【発明の効果】
【0015】
本発明は、窒化処理層により、摺動部材表面の強度を上げ、かつ金属同士の摺動を防止し凝着摩耗を抑制すると共に、油膜形成状態が不安定な場合であっても、油溜りにより潤滑状態を改善して相手摺動部材への攻撃性を低下させることで、長期に亘って、耐摩耗性と耐焼付き性を確保することができる。
【図面の簡単な説明】
【0016】
【図1】(a)本発明の実施の形態1における摺動関係にない摺動部材の断面模式図、(b)同摺動関係にある摺動部材の断面模式図
【図2】同実施の形態1における摺動部材の顕微鏡組織写真
【図3】同実施の形態1における摺動部材の深さ方向の硬さ分布特性図
【図4】同実施の形態1における摺動部材の窒化処理層のブリッジ状の連結部の模式図
【図5】同実施の形態1における摺動部材の摩擦実験を行う摩擦実験装置の斜視図
【図6】同実施の形態1における最表面硬さをパラメータとした摩耗特性図
【図7】同実施の形態1における摺動部材を採用したレシプロ圧縮機の横断面図
【図8】同実施の形態1における摺動部材を採用したロータリー圧縮機の横断面図
【図9】従来の形態における摺動部材の摺動面の断面模式図
【発明を実施するための形態】
【0017】
第1の発明は、少なくとも一方の摺動部材が鋳鉄にて構成された摺動部において、鋳鉄からなる摺動部材の表面に、黒鉛部を除く合金部上に被覆された窒化鉄を主成分とする窒化処理層と、前記黒鉛部の表面と前記窒化処理層の表面とで構成される凹状の油溜り部を形成した摺動部材とするものである。
【0018】
かかる摺動部材は、前記窒化処理層により、該摺動部材表面の強度を上げ、かつ金属同
士の摺動を防止し、凝着摩耗を抑制する。また、油膜の形成状態が不安定な場合であっても、前記油溜りにより、潤滑状態を改善して相手摺動部材への攻撃性を低下させるので、長期に亘って耐摩耗性、耐焼付き性に優れた摺動部材とすることができる。
【0019】
第2の発明は、第1の発明において、前記摺動部材の表面における前記黒鉛部の占める面積の割合を、摺動面の10〜30%としたものである。
【0020】
かかることで、前記油溜り部を効果的に配置させることができる。その結果、油膜の形成状態が不安定な場合でも、前記油溜り部にトラップされた潤滑油が効果的に摺動部材間に滲み出ることができる。したがって、潤滑状態を改善して相手材攻撃性を低下させることができ、長期に亘って耐摩耗性、耐焼付き性を確保した摺動部材を提供することができる。さらに、上述した割合は、一般的な普通鋳鉄や高級鋳鉄に含まれる炭素元素の含有量に相当するので、素材作製において特殊な工程は不要であり、低コストで量産性に優れた摺動部材とすることができる。
【0021】
第3の発明は、第1の発明または第2の発明において、前記窒化処理層の表面から前記黒鉛部の表面までの高さを、0.5〜3.0μmとしたものである。
【0022】
かかることにより、油膜形成状態が不安定な場合であっても、油溜りにトラップされた潤滑油が効果的に摺動部材間に滲み出ることができる。したがって、潤滑状態を改善して相手材攻撃性を低下させ、長期に亘って耐摩耗性、耐焼付き性を確保した摺動部材を提供することができる。
【0023】
第4の発明は、第1の発明から第3の発明のいずれかにおいて、少なくとも窒化処理層表面から深さ方向に20μmまでの範囲において、窒素の拡散が確認できる構成としたものである。
【0024】
かかることにより、表面直下の強度を上げることで自己耐久性を向上させると共に、摺動部材間に硬さの違いを効果的に持たせて凝着摩耗を防止することができる。その結果、長期に亘って耐摩耗性、耐焼付き性が確保可能な摺動部材を提供することができる。
【0025】
第5の発明は、第1の発明から第4の発明のいずれかにおいて、最表面の硬さを、HV400〜800の範囲としたものである。
【0026】
かかることにより、窒化処理された側の自己耐摩耗性を維持するとともに、相手側の摺動部材に対する攻撃性を低く抑制することができ、長期に亘って耐摩耗性、耐焼付き性を確保することができる。
【0027】
第6の発明は、第1の発明から第5の発明のいずれかの摺動部材において、浸炭成分を含まない窒化ガス雰囲気下において、350〜430℃の温度条件での窒化処理とした摺動部材の表面処理方法とするものである。
【0028】
かかる方法によれば、素材が鋳鉄であることから炭素が豊富に有るので、ガス軟窒化処理のように素材硬化のための浸炭ガスが不要となる。加えて、窒化ガス(一般にはアンモニアガスを使用)の分解下限温度である350℃から、例えば、圧縮機のクランクシャフトのような数μm以下の部品精度を要求され、かつ形状が複雑な摺動部材であっても、寸法公差の狂いが殆ど生じない温度である430℃とすることで、処理後の加工が不要となるため、安価で量産性に優れた、高い耐摩耗性と耐焼付き性を有する摺動部材の表面処理方法を提供することができる。
【0029】
第7の発明は、第6の発明の表面処理方法において、窒化処理前に、酸化処理、フッ化処理、硫化処理を行う工程を設けたものである。
【0030】
かかることにより、量産時のように、窒化処理炉内に多数の摺動部品を格納したような状況であっても、全ての摺動部材表面への窒化処理層の生成を安定的に行うことができ、安価で量産性に優れた、かつ高い耐摩耗性と耐焼付き性を有する摺動部材を得ることができる。
【0031】
第8の発明は、第6の発明または第7の発明の表面処理方法において、窒化処理層面をラップする工程を設けたものである。
【0032】
かかることにより、摺動部材表面の個々の黒鉛部の寸法が非常に小さい鋳鉄を使用した結果、黒鉛部の上方に窒化処理層がブリッジ状に連結形成される場合があっても、摺動運転前にラップにより除去することができる。その結果、早期に機器性能の安定化を図ることができると共に、安価で量産性に優れた、高い耐摩耗性と耐焼付き性を有する摺動部材の表面処理方法とすることができる。
【0033】
第9の発明は、回転する軸とそれを回転自在に軸支する構成を具備した装置において、前記軸とそれを支持する軸受部を有する部品の少なくとも一方を、第1の発明から第5の発明のいずれかにおける摺動部材とする軸受装置である。
【0034】
かかることにより、摩擦損失や摩耗を低減し、長期にわたり信頼性の高い摺動部品を擁する軸受装置を提供することができる。
【0035】
第10の発明は、モータなどの駆動要素によって駆動される圧縮要素を配置し、前記圧縮要素において、摺動構成を形成する部材の少なくとも一つを、第1の発明から第5の発明のいずれかにおける摺動部材としたものである。
【0036】
かかることにより、摩擦損失や摩耗を低減し、長期にわたり信頼性の高い摺動部品を擁する圧縮機を提供することができる。
【0037】
以下、本発明の実施の形態について、図面を参照しながら説明する。なお、本実施の形態によって本発明が限定されるものではない。
【0038】
(実施の形態1)
図1は、本発明の実施の形態1における摺動部材の断面模式図で、(a)は、摺動関係にない摺動部材の断面模式図、(b)は、摺動関係にある摺動部材の断面模式図である。図2は、同実施の形態1の摺動部材の顕微鏡組織写真、図3は、同実施の形態1における摺動部材の深さ方向の硬さ分布特性図、図4は、同実施の形態1における摺動部材に形成された窒化処理層のブリッジ状の連結部の模式図である。
【0039】
なお、本実施の形態1において、摺動部材は、いずれも素材が鋳鉄で、図1(b)に示すように、一方が他方に対して摺動するように配置された二つの摺動部材の少なくとも一方に関するものである。
【0040】
摺動部材111の素材は、球状黒鉛鋳鉄である。したがって、鋳込み直前の溶湯にマグネシウムやカルシウムなどを含んだ黒鉛球状化剤を添加することにより、黒鉛形状のものが図2のように球状の黒鉛形状に析出される。強度のない黒鉛が球状で独立しているため、この鋳物は鋼と同程度に、粘り強く強靱な鋳物と言われており、摺動部材として一般に使用されている。
【0041】
相手側の摺動部材111の素材は、ねずみ鋳鉄である。図示していないが、黒鉛が細長い状態で析出されるのが特徴で、この黒鉛は鋳物が鋳型に注入されて凝固を開始してから完了するまでに生成する。
【0042】
図1(a)に示すように、摺動部材111の表面には、黒鉛部114を除く合金部113上に被覆された窒化鉄(FeN、Fe2−3N、FeN)を主成分とする窒化処理層115と、黒鉛部114の表面と窒化処理層115の表面で構成される凹状の油溜り部116が形成されている。
【0043】
窒化処理前に、摺動部材111の表面を所定の面粗度となるようにラップで仕上げている。窒化処理層115と鋳鉄112の界面において、強度が弱い黒鉛部114が存在する部分は、合金部113に比べて僅かに沈み込んでいる。
【0044】
黒鉛部114の上には、窒化鉄を主成分とする窒化処理層115がないため、窒化処理層115の厚さは0.5〜1.5μmに対し、窒化処理層115表面から黒鉛部114の表面までの高さは約1〜2μmである。
【0045】
摺動部材111の表面における凹状の油溜り部116の占める面積割合は、素材である球状黒鉛鋳鉄の黒鉛部114の占める面積割合とほぼ同等で、レーザー顕微鏡による計測の結果は、約20%である。
【0046】
図3は、摺動部材111を断面カットして、深さ方向の硬さを10g試験力によるマイクロヴィッカース硬さで計測した結果である。なお、深さが0mmの硬さは、表面の測定値である。また、窒化処理前の素材の硬さは、HV(0.01)で400未満であった。
【0047】
この図から、深さ方向に20μm程度までの範囲において、HV(0.01)で400以上、600以下である。このことから、窒化処理により上述の範囲は、素材硬さよりも硬くなっていることが分かる。このことから、少なくとも20μmまでは、焼入れによる硬化と窒素の拡散がなされているものと判断する。
【0048】
本実施の形態1の摺動部材111は、以下に示す表面処理方法で形成している。
【0049】
まず、摺動部材111を十分に洗浄した後、酸化用炉内に設置して、200〜300℃の温度条件とする酸化処理を数時間行った。これは、摺動部材111の表面全域に酸化皮膜を生成することで、後で行う窒化処理の際に、表面に化合された酸素が窒素と効果的に置換するためである。その結果、黒鉛部114を除く合金部113表面にムラ無く窒化処理層115を形成させると共に、窒素を摺動部材111内に均一に拡散させていくことが可能となる。
【0050】
本実施の形態1で使用した酸化処理以外にも、フッ化水素などを使用したフッ化処理、あるいは硫化水素などを使用した硫化処理も、摺動部材111の表面にて窒素との効果的な置換がなされるので、同様の効果が得られる。
【0051】
次に、摺動部材111を酸化用炉から取り出して窒化用炉に設置する。炉内を1〜2時間かけて昇温し、400℃の温度条件で数時間保持される間は、炉内に窒化ガスであるアンモニアガスを適正量流入し続ける。
【0052】
このときに、アンモニアガスが分解されて活性な窒素が生成され、摺動部材111の表面の酸素と置換し、摺動部材111の最表面の黒鉛部114を除く合金部113上に窒化
処理層115が形成されると共に、摺動部材111の表面直下には、窒素が拡散される。この後、アンモニアガスの流入バルブを閉じて、不活性な窒素ガスを適量流入させて窒化処理層115の安定化を図りながら、窒化用炉内を冷却させて、摺動部材111を取り出す。
【0053】
その後、摺動部材111表面をラップして完成となる。このラップ工程の目的は、次の通りである。
【0054】
窒化用炉から取り出された摺動部材111の最表面をレーザー顕微鏡で観察すると、黒鉛部114の形状が比較的小さい部位において、図4のような窒化処理層115のブリッジ状の連結部118が形成されているのが散見される。これは、黒鉛部114周囲の合金部113表面に形成された窒化処理層115の一部が、黒鉛部114の上方に回り込んで連結したものと推察される。このようなブリッジ状の連結部118は、窒化処理層115の膜厚に比べて非常に薄く脆い。このため、摺動運転すれば容易に剥離は可能であり、油溜り部116の形成に支障をきたすものではないが、摺動運転前にラップにて除去することで、早期に機器性能の安定化を図ることが可能となる。
【0055】
以上のような製造工程によって窒化処理層115と油溜り部116が形成された摺動部材111の摩擦特性をリングオンディスク方式の実験装置にて評価した。
【0056】
図5は、摩擦実験装置の斜視図である。この摩擦実験装置には、2つの摺動部材として、リング状摺動部材12とディスク状摺動部材10が装着され、リング状摺動部材12が駆動部材14とピン16を介して伝達される回転力により所定方向に回転するとともに、上方から静止軸18を介して荷重負荷を受ける構成となっている。
【0057】
したがって、リング状摺動部材12がディスク状摺動部材10に所定圧力で接触しつつ、ディスク状摺動部材10が回転するので、リング状摺動部材12とディスク状摺動部材10の間に摩擦が生じる。なお、この2つの摺動部材間には図示省略の潤滑油が介在している。また、ガイド部20は静止軸の軸受を担っており、さらに、ボール軸受22は、リング状摺動部材12とディスク状摺動部材10が片当りせずに面で接触させるための調心機構を担っている。
【0058】
上記摩擦実験装置による実験条件は(表1)の通りである。
【0059】
【表1】

【0060】
本実施の形態1においては、リング状摺動部材12として、外径が25.6mm、内径が20mm、材質を球状黒鉛鋳鉄(FCD500)のものを用い、表面粗さがRa0.1〜0.2のラップ仕上げを行っている。
【0061】
また、ディスク状摺動部材10として、外径48mm、材質をねずみ鋳鉄(FC250)のものを用い、表面粗さがRa0.1〜0.2のラップ仕上げを行っている。
【0062】
そして、運転条件は、潤滑油に圧縮機の冷凍機油を用い、垂直荷重を100N、摺動距離を1800mとした。
【0063】
なお、ディスク状摺動部材10の摩耗深さについては、形状測定機で測定した。また、一方のリング状摺動部材12については、摺動面全域が接触摺動することから、事前に摺動面にマイクロヴィッカース圧子で四角錐状の圧痕を打ち込み、試験前後の圧痕の寸法変化から摩耗深さを算出した。
【0064】
本実施の形態1の摩擦摩耗特性を評価に用いた仕様一覧を表2に示す。
【0065】
【表2】

【0066】
本実施の形態1においては、リング状摺動部材12の表面に所定の処理を施している。
【0067】
すなわち、酸化処理を事前に行った後に、処理温度を350℃、400℃、430℃、450℃とした窒化処理を行った。さらに、処理面にはラップを施し、窒化処理層115のブリッジ状の連結部118を実験前に除去している。また、いずれの仕様も、窒化処理層115表面から黒鉛部114の表面までの高さが0.5〜3.0μm、摺動部材表面における油溜り部116(黒鉛部114)の占める面積割合を10〜30%の範囲内とし、少なくとも窒化処理層115表面から深さ方向に20μmまでの範囲において、窒素の拡散が確認できる構成としている。また、いずれも処理後の面粗度は、0.1〜0.2μmRaである。
【0068】
ここで、表面硬さとして、素材の硬さ、特に鋳鉄112内部に分散している黒鉛部114の影響を極力避けるべく、10g試験力によるマイクロヴィッカース硬さ試験機を使用した。併せて、株式会社 山本科学工具研究社製のハードネスター(HV200からHV900の硬さに調整されたヤスリ)も使用している。両者の硬さデータの相関性は高い。この表から、HV(0.01)で400から700を評価範囲とした。
【0069】
また、比較として、膜厚2μmからなるリン酸塩皮膜処理、具体的にはリン酸マンガン
皮膜処理を施した仕様も併せて評価した。なお、リン酸マンガン皮膜の厚さは、実際の圧縮機の摺動部品に処理されているものとほぼ同様な2μmとした。
【0070】
図6に、表面硬さをパラメータとした摩耗特性図を示す。図中、中空白丸(○)のプロットは、ディスク状摺動部材10の摩耗深さを、中実黒丸(●)プロットは、リング状摺動部材12の摩耗深さを表している。また、中空白三角(△)のプロットは、比較例2のディスク状摺動部材10の摩耗深さを、中実黒三角(▲)のプロットは、比較例2のリング状摺動部材12(リン酸マンガン処理仕様)の摩耗深さを示している。
【0071】
図6から、比較例2のリング状摺動部材にリン酸マンガン処理を施した仕様は、実験終了時点で処理膜は摩滅し、素材が完全に露出した状態であった。一方のディスク状摺動部材は、摩耗深さ自体は小さいが、その摺動面には多数のキズが存在していた。このことから、処理膜の消失による金属同士、即ち鋳鉄同士の摺動となり、凝着摩耗が進行したと推察する。
【0072】
一方、窒化処理を施した仕様については、リング状摺動部材12の摩耗深さはいずれも軽微であり、面荒れも非常に小さい。
【0073】
これは、窒化処理層115による摺動部材111表面の強度を上げると共に、油溜り116により、潤滑状態ことによって自己耐摩耗性が向上したものと考える。
【0074】
換言すると、これは、窒化処理層115により、摺動部材111表面の強度を上げ、かつ金属同士、即ち鋳鉄同士の摺動を防止し、凝着摩耗を抑制すると共に、油溜りによる潤滑状態の改善にあり、即ち、油溜り部116にトラップされた潤滑油が、摺動部材間に滲みだして摺動部材111の直接摺動を抑制したと考えられる。
【0075】
なお、本実施の形態1では、摺動部材111表面における凹状の油溜り部116の占める面積割合を約20%としている。油溜り部116の占める面積割合は、5〜40%程度が適当である。5%未満の場合、平滑な面との機能的な差異が殆どなくなり、一方、40%を越えると油溜り部116を基点として油膜切れを生じさせる可能性がある。油溜り部116の面積割合は、鋳鉄112の黒鉛部114の含有量に相当する。
【0076】
また、一般的な普通鋳鉄や高級鋳鉄に含まれる炭素元素の含有量は、2.1〜4wt%であり、体積換算で10〜30%に相当する面積割合が、潤滑改善の機能を発揮し、かつ鋳鉄112素材の作製において特殊な工程が不要のため、低コストで量産性にも優れる。
【0077】
さらに、本実施の形態1では、球状黒鉛鋳鉄(FCD500)を素材とする摺動部材111の表面に窒化処理を行っているが、他の鋳鉄、具体的にはねずみ鋳鉄、可鍛鋳鉄、合金(特殊)鋳鉄、白鋳鉄などを素材としても同様の効果が得られる。
【0078】
ここで、本実施の形態1では、窒化処理層115表面から黒鉛部114の表面までの高さを1〜2μmとしているが、0.5〜3.0μmとしても同様の効果が得られる。
【0079】
さらに、図6からは、表面硬さがHV(0.01)で400から800の範囲は、処理を施したリング状摺動部材12、相手材であるディスク状摺動部材10共に、摩耗深さは非常に軽微であることが分かる。加えて、かつ摺動面を観察した結果から、顕著なキズも殆ど確認できない。しかしながら、表面硬さがHV(0.01)で800を越えた場合、処理を施したリング状摺動部材12の摩耗深さは測定限界レベルまで更に小さくなるものの、相手材であるディスク状摺動部材10の摩耗が急激に大きくなることが分かる。
【0080】
これは、油溜り部116の設置に加え、窒化処理された側の摺動部材111表面の硬さを適正な範囲、より具体的にはHV(0.01)で上限を800とすることで、効果的に相手側の摺動部材117への攻撃性を低下させて摩耗量を抑制できることを意味する。一方の下限に関しては、素材硬さよりも硬いHV(0.01)で400以上とすることが望ましい。
【0081】
本発明は、様々な装置の種々の摺動部材111に適用可能であり、摺動部材111の材質や表面性状(初期の面粗度)、運転条件、あるいは潤滑油の供給状態や油性(粘度や油種など)に応じて、適正な窒化処理層115、および油溜り部116の諸元を決定することが肝要である。
【0082】
具体例としては、冷凍サイクル用圧縮機の一つであるレシプロ圧縮機が挙げられる。図7に、レシプロ圧縮機の横断面図を示す。
【0083】
球状黒鉛鋳鉄(FCD500)を素材としたクランクシャフト主軸151と、ねずみ鋳鉄(FC200)を素材とした主軸受152は、十数μmから30μmのクリアランスを持たせた片持ち軸受構造であるために、ピストン161による冷媒の吸入圧縮行程において、主軸受152の上下端部で片当りが起こり、摩耗が生じる可能性が高い。
【0084】
また、スラスト軸受部153も同様で、ピストン161による冷媒の吸入圧縮行程において、クランクシャフト主軸151が主軸受152内で傾くことで、主軸側のスラスト摺動面154と主軸受側のスラスト摺動面155の外周側で片当りが起こる可能性が高く、また平面同士でもることから、油膜圧力が発生し難い構成でもある。
【0085】
以上の摺動部材の組合せにおいて、本発明は極めて有効である。加えて、更なる消費電力量削減の要望に対し、より高速域あるいは低速域での、または高負荷条件下での厳しい摺動に耐え得ると考える。
【0086】
そこで、クランクシャフト主軸151、および主軸側のスラスト摺動面154に、本実施の形態1の窒化処理層115、並びに油溜り部116を設けたレシプロ圧縮機150を用いて、過負荷信頼性試験を実施した。
【0087】
その結果、クランクシャフト主軸151、主軸側のスラスト摺動面154、および相手側の摺動部材117である主軸受152、主軸受側のスラスト摺動面155の摩耗は非常に軽微であり、従来のリン酸マンガン皮膜に対し、耐久性の観点から顕著な優位差があることを確認している。
【0088】
加えて、クランクシャフト主軸151のように、処理表面に引張や圧縮応力が負荷されるような環境下においても窒化処理層115の剥離は確認されない。
【0089】
これについては、次のように考察する。
【0090】
本実施の形態1では、素材に比べて硬質な窒化処理層115が摺動表面に連続的に形成されているのではなく、摺動表面には油溜り部116が点在しており、窒化処理層115が連続的に形成されていない構成である。これにより、処理表面に引張や圧縮応力が定期的、あるいは不定期に作用したとしても、その応力が分散されることで局所的な剥離も生じなかったと考える。
【0091】
このように、少なくとも一方の摺動部材111の表面に運転回転数、面圧、実使用粘度などに対応した適正な窒化処理層115、及び油溜り部116を設けることで、潤滑状態
を改善し、レシプロ圧縮機150の高信頼性を実現させることができる。
【0092】
その他の具体例としては、冷凍サイクル用圧縮機の1つであるロータリー圧縮機の摺動部材が挙げられる。図8に、ロータリー圧縮機の横断面図を示す。
【0093】
クランクシャフト主軸171と主軸受172、シャフト副軸173と副軸受174はいずれも素材が鋳鉄であり、ピストンローラ177の軸心とクランクシャフト軸心は一定の偏心量を持たせた構成であるために、主軸受172、副軸受174の端部にて片当りが起こる可能性がある。
【0094】
以上の摺動部材の組合せにおいても、本発明は、極めて有効である。加えて、更なる消費電力量削減の要望に対し、より高速域あるいは低速域での、または高負荷条件下での厳しい摺動に耐え、ロータリー圧縮機170の高信頼性を実現させることができる。
【0095】
本実施の形態1では、アンモニアからなる窒化ガス雰囲気下にて、窒化炉内で400℃に調整して窒化処理を行っているが、350〜430℃であれば同様の効果が得られる。
【0096】
また、処理に使用する窒化炉の形状や炉内に搭載する摺動部材111の量に応じて、摺動部材111の表面硬さがHV(0.01)で400〜800となるように、350〜430℃の温度条件下で、窒化ガスの封入量や窒化温度保持時間などを適宜制御することが望ましい。
【0097】
さらに、本実施の形態1のように、窒化温度を430℃以下とすることで、圧縮機のクランクシャフトのような数μm以下の部品精度を要求され、かつ形状が複雑な摺動部材であっても、寸法公差の狂いが殆ど生じないので、処理後の加工が不要となり、安価で量産性に優れる。窒化処理層の安定的な生成の観点から、実際の量産時には、窒化ガス(一般にはアンモニアガスを使用)の分解下限温度である350℃より高い窒化処理温度を設定するほうが良い。したがって、量産の場合、370〜400℃に設定することが最も望ましい。
【0098】
なお、本実施の形態1では、窒化処理層115を設けた摺動部材111の相手側摺動部材117に関しては、その材質を鋳鉄としているが、アルミ合金(ADC12やADC14など)や焼結を使用しても同様の効果が得られる。
【0099】
また、本実施の形態1の窒化処理層115上に、さらに水蒸気処理(ホモ処理)や、リン酸塩処理(リン酸マンガン処理)などを施して複合膜とすることで、凝着摩耗の抑制や相手摺動部材への低攻撃性に加えて、起動時の初期なじみ性を付与することができる。
【0100】
以上のことから、本実施の形態1のように、少なくとも一方の摺動部材が鋳鉄にて構成された摺動部において、鋳鉄からなる摺動部材表面に、黒鉛部114を除く合金部113上に被覆された窒化鉄を主成分とする窒化処理層115と、黒鉛部114表面と窒化処理層115表面とで構成される凹状の油溜り部116を形成することで、窒化処理層115による摺動部材表面の強度を上げ、かつ金属同士の摺動を防止し、凝着摩耗を抑制すると共に、油膜形成状態が不安定な場合であっても、油溜りにより潤滑状態を改善して相手摺動部材への攻撃性を低下させることができる。加えて、処理された側の摺動部材111表面の硬さを適正な範囲、より具体的にはHVで400から800とすることで、さらに効果的に相手摺動部材への攻撃性を低下させることができる。
【産業上の利用可能性】
【0101】
上述したように、本発明は、耐摩耗性、及び耐焼付き性に優れた摺動部材を得ることが
できるため、給湯器用圧縮機、カーエアコン用圧縮機、冷凍冷蔵庫用圧縮機、除湿機用圧縮機等の用途にも適用できる。
【符号の説明】
【0102】
111 摺動部材
112 鋳鉄
113 黒鉛部を除く合金部
114 黒鉛部
115 窒化処理層
116 油溜り部
150 レシプロ圧縮機
170 ロータリー圧縮機

【特許請求の範囲】
【請求項1】
少なくとも一方の摺動部材が鋳鉄にて構成された摺動部において、鋳鉄からなる摺動部材の表面に、黒鉛部を除く合金部上に被覆された窒化鉄を主成分とする窒化処理層と、前記黒鉛部の表面と前記窒化処理層の表面とで構成される凹状の油溜り部を形成した摺動部材。
【請求項2】
前記摺動部材の表面における前記黒鉛部の占める面積の割合を、摺動面の10〜30%とした請求項1に記載の摺動部材。
【請求項3】
前記窒化処理層の表面から前記黒鉛部の表面までの高さを、0.5〜3.0μmとした請求項1または2に記載の摺動部材。
【請求項4】
少なくとも窒化処理層表面から深さ方向に20μmまでの範囲において、窒素の拡散が確認できる構成とした請求項1から3のいずれか一項に記載の摺動部材。
【請求項5】
最表面の硬さを、HV400〜800の範囲とした請求項1から4のいずれか一項に記載の摺動部材。
【請求項6】
浸炭成分を含まない窒化ガス雰囲気下において、350〜430℃の温度条件での窒化処理とした請求項1から5のいずれか一項に記載の摺動部材の表面処理方法。
【請求項7】
窒化処理の前に、酸化処理、フッ化処理、硫化処理を行う工程を設けた請求項6に記載の摺動部材の表面処理方法。
【請求項8】
窒化処理層面をラップする工程を設けた請求項6または7に記載の摺動部材の表面処理方法。
【請求項9】
回転する軸とそれを回転自在に軸支する構成を具備した装置において、前記軸とそれを支持する軸受部を有する部品の少なくとも一方を、請求項1から5のいずれかに一項に記載の摺動部材とした軸受装置。
【請求項10】
モータなどの駆動要素によって駆動される圧縮要素を配置し、前記圧縮要素において、摺動構成を形成する部材の少なくとも一つを、請求項1から5のいずれか一項に記載の摺動部材とした圧縮機。

【図1】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図9】
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【図2】
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【図7】
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【図8】
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