説明

水分子の酸化的活性化を利用した有機化合物の脱水素化反応用触媒前駆体金属錯体

【課題】 水分子の酸化的活性化により有機基質の酸化的脱水素化反応の進行を促進する新規触媒前駆体錯体の提供
【解決手段】 脱プロトンと酸化を受けて有機化合物から水素引き抜きを触媒する機能を持つ錯体を生成する一般式Aで表される水を配位子として含む炭素−水素結合からの脱水素化反応用触媒前駆体錯体。
【化1】


但し、一般式A中、L1は3座配位子であり、R1およびR2はアルキル基、アリール基、アラルキル基または両者が結合して形成する、置換基を有しても良い単環または縮合環である。Mは周期表6〜9族の金属から選択される金属である。Y-はアニオン。

【発明の詳細な説明】
【0001】
【発明の属する技術分野】本発明は、電極酸化あるいはAgClO4などの穏和な酸化剤との組み合わせにより有機化合物の炭素−水素結合からのラジカル的な水素原子引き抜き反応を触媒する機能を有する前記一般式Aで表される構造を特徴とする有機化合物の脱水素化反応用触媒前駆体錯体および一般式Aで表される錯体に関する技術である。
【0002】
【従来の技術】従来、炭化水素化合物を酸化的に脱水素化してより不飽和度の進んだ炭化水素を製造する技術、及びアルコール類を酸化してアルデヒド類またはケトン類を製造する技術は公知である。該反応は、酸化剤として重クロム酸、過マンガン酸等の劇物の金属酸化物を用いるか、あるいは爆発性の過酸化物に触媒を加えて行われるのが普通である。該反応は酸化剤の毒性と爆発性が問題となることが多かった。また、近年の化学反応の研究は、環境に優しい手法による目的化合物の製造技術を確立することである。そして環境に優しい手法とは、究極的には無溶媒または水を主体とする溶媒を用いた無毒な触媒を用いた反応系を確立することである。
【0003】高原子価の遷移金属-オキソ錯体は、種々の有機基質の生物学的および化学的酸化において活性種として機能し、幾つかのルテニウム-オキソ錯体は生体内酵素反応のモデル化合物として報告されている。ルテニウム-オキソ錯体は酸素分子、過酸化水素やtBuOOHのような過酸化物、及びピリジンNオキシドのような酸素化剤の存在下で生成し、炭化水素をヒドロキシ化及びエポキシ化することが証明されている。一方、ルテニウム-オキソ錯体は、ルテニウム-アクアまたはヒドロキソ錯体のプロトン解離によっても生成させることが可能であると考えられる。この場合前述の酸素化剤を用いることなく、化学的或いは電気化学的な酸化を行うことにより水分子と触媒分子から酸化反応活性種を生成することができ、環境に優しい水中において穏和な反応条件(空気中、室温、0V近傍の電位)で酸化反応を可能とする。ところが通常そのような方法で形成されるルテニウム-オキソ錯体は塩基性が大きく、錯体同士がオキソ架橋して二量化、さらにはポリマー化して触媒活性を失うことが知られている。
【0004】この様な状況で、本発明者らは〔Ru(OH2)(3,5−tBu2Q)(terpy)〕2+(3,5−tBu2Q=3,5−ジ(tert−ブチル)−1,2−ベンゾキノン、terpy=2,2’:6’,2”−ターピリジン)が二量化することなく容易に二つのプロトンを解離し、ルテニウム−オキソ錯体を形成することを明らかにした。さらに、このときオキソ配位子からキノン配位子への分子内電子移動によりキノン配位子はセミキノンへ還元され、オキソ配位子上には不対電子が誘起されることを証明した。更に、不対電子を誘起したオキソ配位子(オキシルラジカル配位子)を有する錯体を穏和な酸化剤であるAg+で酸化することにより生じた錯体が有機化合物のC−H結合から水素原子をラジカル的に切断する能力があることを示した。また、Ru(OH)(3,6−tBuQ)部位(3,6−tBuQ=3,6−(tert−ブチル)−1,2−ベンゾキノン)がbtpyan(ビス(2,2’:6’,2”−ターピリジル)アントラセン)配位子により架橋された二核ルテニウム−ヒドロキソ錯体からプロトン解離と酸化により生成する二核ルテニウム−オキソ錯体は水の四電子酸化による酸素発生に対して優れた触媒機能を発揮することを報告している。二核ルテニウム−オキソ錯体から誘導される二核オキソ錯体は、水の酸化だけでなく、穏やかな共酸化剤であるAg+存在下、芳香族水素化物類のラジカル的な脱水素化反応を触媒し、不飽和度の進んだ対応する芳香族化合物類が得られることを報告している(文献1;Tohru Wada,Kiyoshi Tsuge and Koji Tanaka,Chemistry Letters 2000,p910-911)。該酸化的脱水素化反応はルテニウム上に配位した水分子をプロトン解離と酸化という二重の活性化により進行しており、反応が空気中、0V近傍の電位(Ag+の還元電位は本反応条件下でおおよそ+0.4V vs SCE)と温和な条件で進行していることは注目すべきである。
【0005】
【発明が解決しようとする課題】本発明の課題は、前記酸化的脱水素化反応の手法を進め、さらに活性と耐久性の高い触媒を開発することである。
【0006】
【課題を解決するための手段】前記課題を解決するために、本発明者らは、新規金属錯体の開発を進め、前記一般式Aの化合物を開発し、有機化合物の酸化的脱水素化反応に関与する脱水素化反応触媒前駆体として有用であることを確認し、前記課題を解決することに成功した。本発明の第1は、前記一般式Aで表されるジチオレンを配位子として含む周期表6〜9族の金属から選択される金属の錯体である。好ましくは、前記一般式Aで表される化合物において、MがRu、CrまたはCoから選択され、R1およびR2は両者が結合して形成する飽和または不飽和の環状の置換基である前記一般式Bの構造を特徴とする前記金属の錯体であり、より好ましくは、3座配位子が2,2’:6’,2”−ターピリジン誘導体、または1,4,7−トリアザシクロノナン誘導体であることを特徴とする前記各金属の錯体である。
【0007】本発明の第2は、プロトン解離と酸化的活性化を受けて有機化合物の炭素−水素結合からラジカル的な水素原子引き抜き反応を触媒する機能を持つ金属錯体を生成する前記一般式Aで表される水を配位子として含む有機化合物の脱水素化反応用触媒前駆体錯体である。好ましくは、前記一般式Aで表される化合物において、MがRu、CrままたはCoから選択され、R1およびR2は両者が結合して形成する飽和または不飽和の環状の置換基である一般式Bで表される構造を特徴とする前記有機化合物の脱水素化反応用触媒前駆体錯体であり、より好ましくは、3座配位子が2,2’:6’,2”−ターピリジン誘導体、または1,4,7−トリアザシクロノナン誘導体であることを特徴とする前記各有機化合物の脱水素化反応用触媒前駆体錯体である。
【0008】
【本発明の実施の態様】本発明をより詳細に説明する。
A.本発明のジチオレン配位子を含む金属錯体は前記一般式Aで表される化合物であるが、好ましものとして、L1が2,2’:6’,2”−ターピリジンであり、MがRuIIであり、R1およびR2はアルキル基、フェニル基、または両者が結合して3,4−tert−ブチルベンゼン環、3−メチルベンゼン環、または、ハロゲン置換ベンゼン環を形成する化合物を挙げることができ、より好ましくは、〔Ru(trpy)(pdt)(OH2)〕(CF3SO32、〔Ru(trpy)(tbt)(OH2)〕(CF3SO32、〔Ru(trpy)(C682)(OH2)〕(CF3SO32、 (略号;trpy=2,2’:6,2’’−ターピリジン、pdt=1,2−ジフェニルジチオレン、tbt=4−メチル−1,2−ジベンゾキノン、C682=シクロヘキシル−1,2−ジチン)を挙げることができる。
【0009】B.前記錯体化合物、酸化剤AgClO4および塩基tBuOKを用い、炭化水素化合物を酸化的に脱水素化してより不飽和度の進行した対応する炭化水素を製造する反応サイクルを図1に示す。反応はM(ルテニウム)上に配位した水分子からプロトン解離によりヒドロキソ錯体さらにオキソ錯体が形成される。このとき、電子密度が増大したオキソ配位子からジチオレン配位子へ分子内電子移動が起こり、その結果ジチオレン配位子はジチオレンアニオンラジカル配位子へ、オキソ配位子はオキシルラジカル配位子へ変換される。これら金属錯体の変化は吸収スペクトル及びサイクリックボルタンメトリーで確認した。ルテニウム-オキソ-ジチオレン錯体及びルテニウム-オキシルラジカル-ジチオレン錯体の吸収スペクトルの変化を図2に、サイクリックボルタンメトリーを図3に示す。反応はルテニウム-オキソ錯体のジチオレンアニオンラジカル配位子が酸化剤Ag+によって酸化され形成されるルテニウム−オキシルラジカル−ジチオレン錯体が触媒活性種となり、有機化合物から水素原子をラジカル的に引き抜くことにより進行する。即ち、反応はジチオレン配位子の酸化還元反応を駆動力として進行していることが特徴である。
【0010】C.酸化的脱水素化反応に組み合わせて用いられる酸化剤としては、AgClO4、(NH4)Ce(IV)(NO36などを挙げることができる。また、脱水素化反応を進行させるには塩基を用いてpHを9以上とすれば良く、tBuOK、NaOHを好ましいものとして挙げることができる。
【0011】
【実施例】以下、実施例を示して本発明を具体的に説明するが、本発明は下記実施例に限定されるものではない。
実施例1〔Ru(trpy)(pdt)(OH2)〕(CF3SO32の合成。
〔Ru(dmso)(pdt)(trpy)〕(文献2;Hideki Sugimoto, Kiyoshi Tsuge and Koji Tanaka, J. C. S. Dalton Trans., 2001, p 57 63)50mgをメタノール10mLに懸濁させ、HCF3SO314μLを加え4時間撹拌する。不要物を濾過し、濾液を減圧濃縮後、THFを加えることにより、52mgの収量で得る。
NMR (ppm):9.02(2H,d),8.76 (3H,m),8.21 (2H,t),7.78(2H,d),7.58(1H,t),7.2-7.55 (11H,m). ESI−MS:297.5 ([M]2+).
【0012】実施例2〔Ru(trpy)(tdt)(OH2)〕(CF3SO32の合成。
〔Ru(dmso)(tdt)(trpy)〕(文献2:Hideki Sugimoto, Kiyoshi Tsuge and Koji Tanaka, J. C. S. Dalton Trans., 2001, p 57 63)57mgをメタノール10mLに懸濁させ、HCF3SO3100μLを加え4時間撹拌する。不要物を濾過し、濾液を減圧濃縮後し、真空乾燥することにより、15mgの収量で得る。
NMR (ppm):9.08 (3H, t), 8.83 (2H, d), 8.73 (2H, d), 8.56 (1H, t), 8.08 (4H, dt), 7.72 (2H, d), 7.33 (1H, t), 6.83 (2H, m), 2.39, 2.35 (3H, s). ESI−MS; 253 ([M]2+).
【0013】実施例3〔Ru(trpy)(C682)(OH2)〕(CF3SO32の合成。
4,5−シクロヘキサノ−1,3−ジチオール−2−オン(4,5-cyclohexano-1,3-dithiol-2-one) (文献3: Ajit K. Bhattacharya and Alfred G. Hortmann,J. Org. Chem., 39, p 95 −97, 1974) 83mgをメタノール150mLに加え、その溶液にCsOH(162mg)を加えた。10分間撹拌し、〔Ru(dmso)Cl2(trpy)〕200mgを加え4時間加熱還流した。放冷後、濾過し乾燥した。210mgの収量で得た。得られた化合物83mgをメタノール10mLに溶かし、HCF3SO335mLを滴下し、4時間撹拌した。不要物を濾過後減圧濃縮し乾固した。28mgの収量で得た。NMR(ppm):9.05 (2H,d), 8.78 (3H, t), 8.25 (2H, t), 7.50 (4H, q), 3.62 (4H, m), 3.32 (4H, m).ESI−MS;628({M−H2O+CF3SO3+).
【0014】実施例4実施例1で合成した化合物を触媒に用いて、ベンジルアルコール酸化的脱水素化によりアルデヒドを合成する方法を説明する。
〔Ru(trpy)(pdt)(OH2)〕(CF3SO32(4.1mg、4.8μmol、用いたベンジルアルコールに対し1.0mol%)のアセトン/水混合溶液(5/95、1.0 ml)にベンジルアルコール(25μL、0.24mmol)、Ce(NH42(NO36(274mg、0.50mmol)の順で加え、室温、空気中で1時間撹拌する。反応溶液から減圧下でアセトンを除去後、エーテルで抽出した。ベンズアルデヒドを収率28%で生成する。触媒のターンオーバーは28回。
【0015】実施例5実施例1で合成した化合物を触媒に用いて、9,10−ジヒドロアントラセンの酸化的脱水素化反応によりアントラセンを合成する方法を説明する。
〔Ru(trpy)(pdt)(OH2)〕(CF3SO32 (5.0mg、6.0μmol)のアセトン溶液(0.5mL)に9,10−ジヒドロアントラセン(0.54mg、3.0μmol)、AgCF3SO3(1.54mg、6.0μmol)を加える。この溶液にtBuOK(0.67mg、6.0mmol)を加える。反応はほぼ瞬時に完了し、アントラセンを収率40%で生成する。
【0016】
【発明の効果】以上述べたように、本発明のジチオレン錯体を用いることにより比較的穏和な条件下、過酸化物の様な酸素化剤を用いることなく水分子の酸化的活性化を行い、環境に優しい水を主とする溶媒系で有機基質の酸化的脱水素反応を進行させることができるという優れた効果がもたらされる。
【図面の簡単な説明】
【図1】 本発明の金属錯体を触媒前駆体とした有機化合物の脱水素化反応の触媒サイクルを示す。
【図2】 本発明の金属錯体のアクア-ジチオレン錯体、およびオキソ-ジチオレンアニオンラジカル錯体の吸収スペクトル
【図3】 本発明の金属錯体のアクア-ジチオレン錯体(a)、およびオキソ-ジチオレンアニオンラジカル錯体(b)のサイクリクボルタンメトリー測定値

【特許請求の範囲】
【請求項1】 プロトン解離と酸化的活性化を受けることにより有機化合物の炭素−水素結合からラジカル的な水素原子引き抜き反応を触媒する機能を持つ、一般式Aで表される水を配位子として含む有機化合物の脱水素化反応用触媒前駆体錯体。
【化1】


但し、一般式A中、L1は3座配位子であり、R1およびR2はアルキル基、アリール基、または両者が結合して形成する置換基を有してもよい単環または縮合環である。Mは周期表6〜9族の金属から選択される金属である。Y-はアニオン。
【請求項2】 前記一般式Aで表される化合物において、MがRu、CrまたはCoから選択され、R1およびR2は両者が結合して形成する飽和または不飽和の環状の置換基であることを特徴とする一般式Bで示される構造を有する請求項1に記載の有機化合物の脱水素化反応用触媒前駆体錯体。
【化2】


(但し、MはRu、CrまたはCoから選択され、L1、Y-は一般式Aと同じ。R3、R4、R5およびR6はアルキル基、ハロゲン、アリール基から独立に選択される。点線は結合がある場合とない場合を示す。)
【請求項3】 3座配位子が2,2’:6’,2”−ターピリジン誘導体、または1,4,7−トリアザシクロノナン誘導体であることを特徴とする請求項1または2に記載の有機化合物の脱水素化反応用触媒前駆体錯体。
【請求項4】 前記一般式Aで表されるジチオレンを配位子として含む周期表6〜9族の金属から選択される金属の錯体。
【請求項5】 前記一般式Aで表される化合物において、MがRu、CrまたはCoから選択され、R1およびR2は両者が結合して形成する飽和または不飽和の環状の置換基である前記一般式Bで表される構造を有する化合物であることを特徴とする請求項4に記載の金属の錯体。
【請求項6】 3座配位子が2,2’:6’,2”−ターピリジン誘導体、または1,4,7−トリアザシクロノナン誘導体であることを特徴とする請求項4または5記載の金属の錯体。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【公開番号】特開2003−146966(P2003−146966A)
【公開日】平成15年5月21日(2003.5.21)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2001−344047(P2001−344047)
【出願日】平成13年11月9日(2001.11.9)
【新規性喪失の例外の表示】特許法第30条第1項適用申請有り 2001年9月1日 錯体化学研究会発行の「第51回錯体化学討論会講演要旨集」に発表
【出願人】(396020800)科学技術振興事業団 (35)
【Fターム(参考)】