無血清培養できるカイコ培養細胞株の作出およびその利用
【課題】本発明は、無血清培地における培養により安定に増殖する連続継代性のカイコ培養細胞系であって、低温処理によりウイルス感染が誘発される特徴を有するカイコ培養細胞系を提供することを目的とする。
【解決手段】本発明者らは、上記の課題を解決するために鋭意検討し、カイコの胚子組織由来のNIAS-Bm-Ke1細胞株から連続継代性の培養細胞株(NIAS-Bm-Ke17)をクローニングにより作出した。当該細胞株は、カイコ熱処理体液添加及び低温処理を行うことにより、ウイルス感染を強く誘導することが可能であることが明らかとなった。
【解決手段】本発明者らは、上記の課題を解決するために鋭意検討し、カイコの胚子組織由来のNIAS-Bm-Ke1細胞株から連続継代性の培養細胞株(NIAS-Bm-Ke17)をクローニングにより作出した。当該細胞株は、カイコ熱処理体液添加及び低温処理を行うことにより、ウイルス感染を強く誘導することが可能であることが明らかとなった。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、無血清培地における培養により安定に増殖する連続継代性のカイコ培養細胞系であって、低温処理によりウイルス感染が誘発される特徴を有するカイコ培養細胞系に関する。
【背景技術】
【0002】
バキュロウイルス発現系は生物学的活性のある遺伝子産物の生産系として盛んに利用されている。宿主の昆虫培養細胞系は、大腸菌では困難である真核生物由来タンパク質の複雑な立体構造の形成や、糖鎖修飾などの翻訳後修飾を行い、組換えタンパク質の高収量生産を可能とする。また膜タンパク質の発現にも適している。
【0003】
昆虫培養細胞系の主な宿主培養細胞株としては、AcNPV発現系ではSf9(非特許文献1)とHigh Five(非特許文献2)、BmNPV発現系BmNやBmN4(非特許文献3)が使用されている。これらカイコ由来細胞株(BmNやBmN4)は上記のSf9やHigh Fiveとは異なり、細胞の増殖とバキュロウイルスの感染のために、牛胎児血清(FBS)の培地への添加が不可欠である。そのため、これらのカイコ由来培養細胞系は、FBSに混入したタンパク性感染因子によって発現産物が汚染されることや、FBSのロット間による効果の差による培養の不安定性が生ずることが危惧されてきた。
【0004】
これらの問題点を解消し遺伝子産物の安定生産を行うため、新たな無血清・無タンパク質培地の開発と、それらを使用して培養できるカイコ培養細胞株のクローニング、さらにFBSなどの感染増強因子に依存が少ない新たな遺伝子発現手法の開発がこれまでに進められてきた。本発明者らは、これまでカイコ由来の無血清培養細胞株をすでに作出することに成功しているが(特許文献1、非特許文献4)、無血清培養が可能で、かつ、目的遺伝子のより良い発現効率を保持するカイコ培養細胞株の開発が求められていた。
【0005】
なお、本出願の発明に関連する先行技術文献情報を以下に示す。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0006】
【特許文献1】特開2007-75102
【非特許文献】
【0007】
【非特許文献1】Smith G. E., et al (1983) Mol. Cell. Biol.3 (12), 2156-65
【非特許文献2】Granados, R. R. and Hashimoto, Y. (1989) Infectivity of baculoviruses to cultured cells. In: Invertebrate Cell System Applications. (J. Mitsuhashi, ed., Vol.II, chapter I: 3-13, CRC Press, Boca Raton, FL)
【非特許文献3】Maeda S., et al (1985) Nature 315, 592-594
【非特許文献4】今西重雄ら(2006) 蚕糸・昆虫バイオテック, 75, 45-51
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
本発明は、このような状況に鑑みてなされたものであり、その目的は、無血清培地における培養により安定に増殖する連続継代性のカイコ培養細胞系であって、低温処理によりウイルス感染が誘発される特徴を有するカイコ培養細胞系を提供することにある。また、当該カイコ培養細胞系を用いた、目的遺伝子の大量発現方法を提供することも本発明の目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明者らは、上記の課題を解決するために鋭意検討した。
本発明者らは、カイコの胚子組織由来のNIAS-Bm-Ke1細胞株から連続継代性の培養細胞株(NIAS-Bm-Ke17)をクローニングにより作出した。本細胞株は無血清・無タンパク質培地(SH-Ke-117培地)による培養においても優れた増殖性を示し、またカイコ熱処理体液をFBSの代替物として添加することにより、BmNPVの感染を増強できるのでFBS使用の弊害を回避できることが明らかとなった。さらにKe17細胞株は2.5℃、48時間の低温処理により、BmNPVの感染が高度に誘発される特長を有していることも明らかとなった。さらに、これらのカイコ熱処理体液添加効果と低温処理効果を組み合わせたところ、BmNPVの感染を著しく増強できるが明らかとなった。
【0010】
即ち、本発明者らは、無血清培地における培養により安定に増殖する連続継代性のカイコ培養細胞系であって、より良い発現効率を保持するカイコ培養細胞系の開発に成功した。
【0011】
本発明は、より具体的には以下の〔1〕〜〔12〕を提供するものである。
〔1〕無血清培地における培養により安定に増殖する連続継代性のカイコ培養細胞系であって、低温処理によりウイルス感染が誘発される特徴を有するカイコ培養細胞系。
〔2〕カイコの胚組織由来である、〔1〕に記載のカイコ培養細胞系。
〔3〕クローン化された細胞系である、〔1〕または〔2〕に記載のカイコ培養細胞系。
〔4〕前記ウイルスが、カイコバキュロウイルスであることを特徴とする、〔1〕に記載のカイコ培養細胞系。
〔5〕前記カイコバキュロウイルスが、発現させたい目的遺伝子を含む組換えカイコバキュロウイルスであることを特徴とする、〔4〕に記載のカイコ培養細胞系。
〔6〕前記低温処理が2〜5℃で行われることを特徴とする、〔1〕に記載のカイコ培養細胞系。
〔7〕細胞系に培養細胞株(NIAS-Bm-Ke17(FERM P-21829))を含有することを特徴とする、〔1〕に記載のカイコ培養細胞系。
〔8〕以下の(1)〜(3)の工程を含む、目的遺伝子の発現方法。
(1)無血清培地において、〔1〕〜〔7〕のいずれかに記載のカイコ培養細胞系を培養する工程、
(2)低温条件化において、発現させたい目的遺伝子を含む組換えカイコバキュロウイルスを(1)の培養物に感染させる工程、
(3)感染後の培養物をさらに培養し、目的遺伝子の発現物を回収する工程
〔9〕〔8〕(2)の工程における低温条件が、2〜5℃であることを特徴とする、〔8〕に記載の発現方法。
〔10〕〔8〕(2)の工程において、カイコ熱処理体液を培地に添加することを特徴とする、〔8〕に記載の発現方法。
〔11〕前記目的遺伝子が、膜タンパク質であることを特徴とする、〔8〕〜〔10〕のいずれかに記載の発現方法。
〔12〕培養細胞株(NIAS-Bm-Ke17(FERM P-21829))。
【発明の効果】
【0012】
市販流通の培養細胞株であるカイコ系(BmN4)やヨトウ系(Sf9)細胞は通常共に牛胎児血清(FBS)をウイルス感染と細胞増殖に効果のある要因として培地に添加している。しかしながら、FBSはロット間による効果の差が大きく、また危険なタンパク質の混入も視野に入れて培養をせざるを得ない。一方、NIAS-Bm-Ke1細胞株や本発明のNIAS-Bm-Ke17細胞株は無血清・無タンパク質培地で培養が可能であり、上記の危惧は回避でき、さらに組換えタンパク質の精製には低コストで対応できる。特に本発明のNIAS-Bm-Ke17細胞株は低温処理により、NIAS-Bm-Ke1細胞株よりも約9倍の組換えタンパク質の発現能があり、実用化にとって大きなメリットがあるものと考えられる。このような高発現能を有するNIAS-Bm-Ke17細胞株は、膜タンパク質発現用の宿主として適しているものと考えられる。
【図面の簡単な説明】
【0013】
【図1】NIAS-Bm-Ke17培養細胞株の形状を示す写真である。
【図2】異なる培地がウイルス感染に及ぼす効果を示す図である。横軸は培地の種類(+hem: カイコ熱処理体液を添加したことを示す)、縦軸はルシフェラーゼ活性(RLU)を示す。
【図3】培地に添加するカイコ体液の濃度条件がウイルス感染に及ぼす効果を示す図である。横軸はカイコ体液の濃度、縦軸はルシフェラーゼ活性(RLU)を示す。
【図4】SH-Ke-117培地においてカイコ体液の添加がウイルス感染に及ぼす効果を示す図である。縦軸はルシフェラーゼ活性(RLU)を示す。+hem: カイコ熱処理体液を添加したことを示す。
【図5】ウイルス感染前の細胞の保存温度条件が、ウイルス感染効率(発現効率)に及ぼす効果を示す図である。各温度の冷蔵時間は24時間である。横軸はウイルス感染前の細胞の保存温度、縦軸はルシフェラーゼ活性(RLU)を示す。
【図6】細胞の冷蔵時間がウイルス感染に及ぼす効果を示す図である。横軸は細胞の冷蔵時間、縦軸はルシフェラーゼ活性(RLU)を示す。+hem: カイコ熱処理体液を添加したことを示す。
【図7】冷蔵後、室温に取り出した後の経過時間がウイルス感染に及ぼす効果を示す図である。横軸は冷蔵後の経過時間、縦軸はルシフェラーゼ活性(RLU)を示す。+hem: カイコ熱処理体液を添加したことを示す。
【図8】接種後の冷蔵がウイルス感染に及ぼす効果を示す図である。処理工程が、「低温処理→接種」又は「接種→低温処理」の場合の結果を示す。縦軸はルシフェラーゼ活性(RLU)を示す。48時間冷蔵における結果を示す。+hem: カイコ熱処理体液を添加したことを示す。
【図9】低温処理効果をいくつかの昆虫培養細胞株間で比較検討した結果を示す図である。縦軸はルシフェラーゼ活性(RLU)を示す。
【図10】細胞系におけるウイルス感染に及ぼす冷蔵効果を示す。縦軸は、25℃を指数1とした場合の、2.5℃に冷蔵した場合の各細胞系における指数を示す。
【図11】Ke17細胞発現系により4回膜貫通型タンパク質claudin19を発現させた結果を示す写真である。左写真はウイルスタイターにおける各細胞系(Ke17及びBmN4)でのSDSページの結果を示す。右写真は、抗His抗体により発現量を検出した結果を示す。
【図12】Ke17細胞発現系により4回膜貫通型タンパク質Claudin- RFP融合分子を発現させた結果を示す写真である。Ke17細胞の断層をレーザー顕微鏡で観察し、RFP蛍光を捉えた結果を示すものである。
【図13】Ke17細胞発現系により4回膜貫通型タンパク質claudin19を発現させた結果を示す写真である。上図は、各温度条件における発現量をSDSページにより確認した結果を示す。下図は、発現量をより詳細に比較するために、上図のタンパク質の発現写真のうち、発現したclaudin19のタンパク画分を特に拡大したものを示す。それぞれのレーンは、以下の温度条件における発現量を示す。1:低温誘導10℃、2:低温誘導15℃、3:低温誘導20℃、4:通常培養温度25℃。また、それぞれ、左レーンが細胞質画分を、右レーンが細胞膜画分を示す。
【発明を実施するための形態】
【0014】
本発明は、無血清培地における培養により安定に増殖する連続継代性のカイコ培養細胞系であって、低温処理によりウイルス感染が誘発される特徴を有するカイコ培養細胞系に関する。
【0015】
本発明のカイコ培養細胞系の由来又はカイコの品種は、特に限定されるものではないが、カイコの胚組織由来のカイコ培養細胞系を好ましい例として挙げることができる。本発明のカイコ培養細胞系は、クローン化された細胞系であってもよい。
【0016】
本発明のカイコ培養細胞系は以下の方法により作出することができる。本発明のカイコ培養細胞系は今西ら(今西重雄ら(2006) 蚕糸・昆虫バイオテック, 75, 45-51)の方法により、先ずカイコ胚子を初代培養してNIAS-Bm-Ke1培養細胞株(FERM P-20572)を作出し、次にこの細胞株からクローニングを行って作出することができる。初代培養においては、MGM448培地(Mitsuhashi, J: (1984) Zool.Sci., 1, 415-419)にFBSを10%容量加えた培地を用いることができ、培養経過に応じてFBS添加量を順次減少させ、同時にlactoalbumin hydrolysateとTC-Yeastolateを添加物とするMMSF培地(Mitsuhashi,J. (1982) Appl.Entomological.Zool., 17,575-581)に順次移行する。
【0017】
FBS添加量が1%量のMM培地で細胞が安定して増殖した後、FBSを添加しないMMSF培地または、カイコ細胞培養用無血清培地(例えばKBM700培地:特開2007-75102)による無血清培養を行う。
【0018】
本発明のカイコ培養細胞系のクローニングはTomitaらの論文(Tomita,S., et al. (1999) In Vitro Cell.Dev.Biol., 35, 311-313)を改変した以下の方法により行うことができる。Sea Plaque Agarose (Cambrex Bio Science Rockland, Inc.)の濃度が0.25%W/VになるようにMMSF細胞培養液を調製する。この調製液を細胞培養用マルチプレートに加えてSea Plaque Agaroseの培養床を作製し、MMSF培地とともにNIAS-Bm-Ke1細胞を複数個蒔いて25℃で培養する。単個の細胞から形成されたコロニーを培養液に分散して1個の細胞を取り出し、同様な方法で再度クローニングを行うことにより本発明のカイコ培養細胞系を作出することができる。
【0019】
本発明者らが単離したカイコ培養細胞系のうち、NIAS-Bm-Ke17細胞は、本発明者らによって、独立行政法人産業技術総合研究所特許生物寄託センターに寄託された。以下に、寄託を特定する内容を記載する。生存確認試験後、受託番号が付与されたNIAS-Bm-Ke17細胞も本発明のカイコ培養細胞系に包含される。
NIAS-Bm-Ke17細胞
(1)寄託機関名:独立行政法人産業技術総合研究所特許生物寄託センター
(2)連絡先: 〒305-8566 茨城県つくば市東1-1-1 つくばセンター 中央第6
(3)受託番号:FERM P-21829
(4)識別のための表示:NIAS-Bm-Ke17
(5)受領日:2009年7月22日
【0020】
本発明において、カイコ培養細胞系に感染させる「ウイルス」とは特に限定されるものではないが、好ましい例として、カイコバキュロウイルス、より好ましい例としてカイコ核多角体病ウイルス(例えば、Bombyx mori nucleopolyhedrovirus: BmNPV等)を挙げることができる。
【0021】
本発明のカイコバキュロウイルスは、発現させたい目的遺伝子が遺伝子組換えにより含まれていてもよい。このような、組換えカイコバキュロウイルスも、本発明のカイコバキュロウイルスに含まれる。
【0022】
組換えカイコバキュロウイルスは、目的遺伝子に係るDNAをカイコのクローニングベクターに連結して作製した組換え体プラスミドと、カイコバキュロウイルスDNAとを、カイコ樹立細胞にコトランスフェクションして作製することができる。該組換え体カイコバキュロウイルスは、in vivo的な方法で作製することができる。すなわち、目的遺伝子に係るDNAを、適切なプロモーター(例えば、p10遺伝子)を有する発現用遺伝子ベクターに、一般的な遺伝子操作に従って連結することにより、組換え体プラスミドを作製することができる。この組換え体プラスミドとカイコバキュロウイルスDNAとを、カイコ樹立細胞(例えばBmN株等)にコトランスフェクションした後、培養を続け、培養液中に出現した非組換え体(野性型)と組換え体のウイルスの中から限界希釈法、もしくはプラーク法などの一般的な方法によって組換え体ウイルスをクローニングすることができる。組換え体カイコバキュロウイルスは多角体の形成能がないことから、野性型ウイルスと容易に区別することができる。
【0023】
目的遺伝子を組換えカイコバキュロウイルスに組み込むことにより組換えカイコバキュロウイルスが作製されるが、カイコバキュロウイルス(BmNPV)のみならずこれらの変異体、例えば、病症発現を抑制するために特定の遺伝子を欠損させたもの、細胞にエントリーしやすくするために特定の遺伝子を過剰発現させたもの等を、本発明において用いることができる。
【0024】
ウイルスゲノムに組み込む目的遺伝子は、酵素、キナーゼ、プロテアーゼ、サイトカイン、ホルモン、レセプター、チャネル、転写因子、ウイルス構成タンパク質など、多種のものから選択することができ、また、哺乳類、ウイルス、昆虫、植物、酵母、ヒト、クラゲ、サンゴ等の多様な生物由来のものを選択することができる。本発明において、目的遺伝子は特に制限されるものではないが、膜タンパク質を好ましい例として挙げることができる。
【0025】
本発明のカイコ培養細胞系及び、前記組換えカイコバキュロウイルスを用いることにより、目的遺伝子の大量発現(大量製造)を行うことができる。
【0026】
すなわち、本発明は、以下の(1)〜(3)の工程を含む、目的遺伝子の発現方法に関する。
(1)無血清培地において、請求項1〜7のいずれかに記載のカイコ培養細胞系を培養する工程、
(2)低温条件化において、発現させたい目的遺伝子を含む組換えカイコバキュロウイルスを(1)の培養物に感染させる工程、
(3)感染後の培養物をさらに培養し、目的遺伝子の発現物を回収する工程
【0027】
上記(2)の工程における低温条件は特に制限されるものではないが、好ましくは1〜10℃、より好ましくは2〜5℃の温度条件を挙げることができる。
【0028】
上記(2)の工程においては、カイコ熱処理体液をさらに培地に添加しても良い。カイコ熱処理体液は以下の工程により作製することができる。まず、発育時期で5齢4日目程度のカイコの腹脚を鋏で切断し、氷中のプラスティック製チューブに体液を採取する。チューブを60℃の温湯で30分間熱処理後、遠心分離(例えば、3,000rpmで30分間の条件)する。凝固タンパク(沈殿分画)を除いた上清分画をプラスティック製チューブに回収し、使用まで-85℃に冷凍保存する。凍結体液は解凍後、孔径0.22mmのフィルターシリンジで除菌し、培地に添加するカイコ熱処理体液として用いることができる。
【0029】
本発明において、カイコ熱処理体液を添加する際の、カイコ熱処理体液の質量パーセント濃度は特に制限されるものではないが、好ましくは2.0〜5.0%、より好ましくは2.0〜3.0%の濃度条件を挙げることが出来る。
【0030】
本発明において、培養方法については特に制限はなく、付着培養または浮遊培養等、当業者に公知の方法により行うことができる。本発明において、培養温度は、特に制限されるものではないが、好ましくは20〜35℃、より好ましくは25〜30℃、特に好ましくは27℃の培養温度を例示することができる。
【0031】
本発明において、培養に用いられる無血清培地は、少なくともタンパク質抽出物を含み、さらに無機塩、アミノ酸、ビタミン、糖類、その他の添加物を含んでいてもよい。本発明の培地は、純水に上述のタンパク質抽出物、無機塩、アミノ酸、ビタミン、糖類、その他の添加物を溶解させて作製することができる。
【0032】
本発明において、無血清培地に含まれるタンパク質抽出物としては、酵母抽出物、ラクトアルブミン水解物、シルクパウダーを挙げることができる。
【0033】
本発明において、無血清培地に含まれる無機塩としては、モリブデン酸アンモニウム、塩化コバルト、塩化銅、塩化カルシウム、硫酸銅、硫化鉄、硫酸マグネシウム、塩化マグネシウム、塩化マンガン、塩化カリウム、塩化マンガン、塩化ナトリウム、リン酸二水素ナトリウム、重炭酸ナトリウム、塩化亜鉛を挙げることができる。本発明において、これらの無機塩類は、無水、水和物、塩基付加物、酸( 塩酸、硫酸、硝酸など) の溶媒和物のいずれかでも良い。
【0034】
本発明において、無血清培地に含まれるアミノ酸としては、D L -セリン、グリシン、ハイドロキシ- L -プロリン、L -アルギニン、L -アスパラギン、L -アスパラギン酸、L -シスチン、L -グルタミン酸、L -グルタミン、L -ヒスチジン、L -イソロイシン、L -ロイシン、L -リジン、L -メチオニン、L -フェニルアラニン、L -プロリン、L -スレオニン、L -トリプトファン、L -チロシン、L -バリン、β アラニンを挙げることができる。本発明において、これらのアミノ酸は、無水、水和物、塩基付加物、酸などの溶媒和物のいずれかでも良い。
【0035】
本発明において、無血清培地に含まれるビタミンとしては、ビオチン、塩化コリン、シアノコバラミン、D -パントテン酸、葉酸、ミオイノシトール、ナイアシン、パラアミノ安息香酸、ピリドキサール、リボフラビン、チアミンを挙げることができる。
【0036】
本発明において、無血清培地に含まれる糖類としては、グルコース、D (+ ) -スクロース、マルトースが挙げられる。有機酸として、フマル酸、L -リンゴ酸、コハク酸、α -ケトグルタル酸を挙げることができる。
【0037】
その他、培地に、塩化カルシウム、重炭酸ナトリウム、脂質混合物( コレステロール、脂肪酸メチルエステル、D -α -トコフェロール、T w e e n 8 0)、I T S( I n s u l i n、T r a n s f e r r i n、S e l e n i u m)、非イオン性高分子界面活性剤等を添加してもよい。本発明において、塩化カルシウムは、無水、水和物のいずれかでも良い。本発明において、D -α -トコフェロールは、塩基付加物あるいは、酢酸などの酸付加物のいずれかでも良い。
【0038】
本発明の培地は上述のタンパク質抽出物、無機塩、アミノ酸、ビタミン、糖類を総て含んでいるのが望ましいが、一部の物質を欠いても良いし、また他の物質が添加されていても良い。これらは総て市販のものを用いることができる。さらに市販のペニシリン、ストレプトマイシン等の抗生物質、還元型グルタチオン等を添加しても良い。
【0039】
本発明の培地としては、この好ましくはSH-Ke-117(株式会社シマ研究所)を例示することができる。
【0040】
上記(3)において回収した目的タンパク質を含む発現物は、必要に応じ、分離、精製、凍結乾燥、結晶化等の工程に供してもよい。
【0041】
本発明により、カイコバキュロウイルス−カイコ培養細胞系による、組換えタンパク質生産が多様に実施可能となる。種々の生物由来のタンパク質の大量生産が、より簡便に実施可能となり、また非常に多くの種類のタンパク質の同時並列的な生産が、より簡便に実施可能となる。そのため、本発明は、組換えタンパク質の大量生産及びタンパク質の機能解析等に有用である。
なお、本明細書において引用された全ての先行技術文献は、参照として本明細書に組み入れられる。
【実施例】
【0042】
以下、本発明を実施例によりさらに具体的に説明するが本発明はこれら実施例に制限されるものではない。
〔実施例1〕NIAS-Bm-Ke17培養細胞株の培養
新規培養細胞株NIAS-Bm-Ke17(以下Ke17細胞と記載する)を以下の方法により作出した。Ke17細胞は今西ら(今西重雄ら(2006) 蚕糸・昆虫バイオテック, 75, 45-51)の方法により、先ずカイコ胚子を初代培養してNIAS-Bm-Ke1培養細胞株(FERM P-20572)を作出し、次にこの細胞株からクローニングを行って本培養細胞株を作出した。初代培養は1985年6月に開始し、1986年12月には継代培養に移行し、以後7日ごとに植え継ぎを行った。初代培養にはMGM448培地(Mitsuhashi, J: (1984) Zool.Sci., 1, 415-419)にFBSを10%容量加えた培地を用い、培養経過に応じてFBS添加量を順次減少し、同時にlactoalbumin hydrolysateとTC-Yeastolateを添加物とするMMSF培地(Mitsuhashi,J. (1982) Appl.Entomological.Zool., 17,575-581)に順次移行した。FBS添加量が1%量のMM培地で細胞が安定して増殖した後、MMSF培地または、コージンバイオ社製のカイコ細胞培養用無血清培地のKBM700培地(今西重雄ら(2005) 特開2007-75102)による無血清培養に移行した。
【0043】
Ke17細胞のクローニングはTomitaらの論文(Tomita,S., et al. (1999) In Vitro Cell.Dev.Biol., 35, 311-313)を改変した以下の方法により行った。Sea Plaque Agarose (Cambrex Bio Science Rockland, Inc.)の濃度が0.25%W/VになるようにMMSF細胞培養液を調製した。この調製液を細胞培養用マルチプレート6F(MS-80060、住友ベークライト)に加えてSea Plaque Agaroseの培養床を作製し、MMSF培地とともにKe1細胞を複数個蒔いて25℃で培養した。単個の細胞から形成されたコロニーを培養液に分散して1個の細胞を取り出し、同様な方法で再度クローニングを行ってクローン培養細胞株NIAS-Bm-Ke17 (Ke17細胞)を作出した。
【0044】
本発明において、細胞培養は以下の方法により行った。静置培養にはプラスティック製培養フラスコ(BECTON DICKINSO社FALCON353014、住友ベークライト社SUMILON,MS-21050)を用いた。撹拌培養にはスピナーフラスコ(Corning)(250ml用)を用いた。静置培養の場合、細胞の植え継ぎは7日ごとに行い、細胞液の4分の1(約1ml)を新しい培養フラスコに移し、新鮮培地を3ml加えて培養を継続した。攪拌培養の方法は今西ら(今西重雄ら(2006) 蚕糸・昆虫バイオテック, 75, 45-51)に準拠して行った。
【0045】
上記の方法によりカイコ胚子組織由来の培養細胞NIAS-Bm-Ke1株をクローニングし、5系統を作出した中から増殖性と細胞の形態をもとに、Ke17細胞を選出した(図1)。細胞の形は球形が主で、大きさは25μm〜50μmである。培養は炭酸ガス供給装置のない通常の培養装置を用いて25℃で行った。細胞増殖は倍加に3日間を要し、植え継ぎ後6日目に最大細胞数に到達し、以後生細胞数は減少した。この細胞増殖様相は培養フラスコを用いた静置培養においても、スピナーフラスコを用いた撹拌培養においても同様であった。
【0046】
NIAS-Bm-Ke17培養細胞株の培地として、無血清培地MMSFの組成にアミノ酸類、ビタミン混合物並びにグルコースの添加量をMGM448培地の組成を参考に改変して、KBM700、SH-Ke-117、SR-α8-AGS、SR-α9-04HG、SR-α9-04LGおよびSR-α8-A2の各培地を株式会社シマ研究所細胞生物科学研究所において作製した。これらの培地の中、特にSH-Ke-117培地がKe17細胞の形状を球形に保持し、さらに増殖が良好であった(図2)。
【0047】
〔実施例2〕北米産ホタル由来のルシフェラーゼ遺伝子組換えウイルスの感染と遺伝子産物の測定
次に目的遺伝子を組み込んだカイコ核多角体病ウイルス(BmNPV)を、カイコ培養細胞株Ke17細胞へ感染させ、その遺伝子産物の測定を行った。
【0048】
本感染実験においては、北米産ホタルのルシフェラーゼ遺伝子をカイコ核多角体病ウイルス(BmNPV)のp10遺伝子のプロモーター下流に組み込んだBmPTLNPV(Tomita,S., et al. (1995) Cytotechnology, 17, 65-70)を用いた。ルシフェラーゼ活性は今西ら(今西重雄ら(2006) 蚕糸・昆虫バイオテック, 75, 45-51)の方法を用いてルミノメーターLumat LB9501 (Berthold)で測定した。測定値(RLU:Relative Luminessence Unit)を指標にして細胞に対するウイルス感染力を比較した。Sf9細胞(American Type Culture Collection, Rockville, MD)とKe17細胞の比較の場合、両方の細胞に感染可能なAutographa californica MNPV(以後、AcMNPVと略)とBmNPVの融合ウイルスHylucNPV(Mori, H. et al. (1992) J.Gen.Virol., 73,1877-1880)を用いた。
【0049】
実施例1の通り通常の培養はSH-Ke-117培地を用いたが、BmPTLNPVの感染ではウイルス感染増強物質としてカイコ熱処理体液を添加した。本発明で用いたカイコ熱処理体液は以下の方法により調製した。カイコ品種は農業生物資源研究所(日本)でカイコ核多角体病ウイルス(BmNPV)に特に感染良好な育成過程の交雑品種(CSR×NSR)を用いた。発育時期で5齢4日目のカイコの腹脚を鋏で切断し、氷中のプラスティック製チューブに体液を採取した。チューブは60℃の温湯で30分間熱処理後、3,000rpmで30分間遠心した。凝固タンパク(沈殿分画)を除いた上清分画をプラスティック製チューブに回収し、使用まで-85℃に冷凍保存した。凍結体液は解凍後、孔径0.22mmのフィルターシリンジで除菌し、培地に添加した。
【0050】
BmPTLNPVの感染は以下の工程により行った。96ウエルマイクロプレートの各ウエルに3×104個の細胞を150μlのSH-Ke-117培地に加え、ここに培地1ml当たり、カイコ熱処理体液を0.5%〜20%まで添加し、MOI=1のウイルス濃度でBmPTLNPV液を加えて、熱処理体液がBmPTLNPV感染に及ぼす効果を検討した。その結果、ルシフェラーゼ産物量は熱処理体液2.5%添加まで順次増大し、最大5.7倍に到達した。しかし5.0%添加量以上ではルシフェラーゼ産物量は減少し、20%添加量では全く活性は認められなかった(図3)。一方、熱処理体液の無添加ではBmPTLNPVの接種にも係わらず、ルシフェラーゼ活性をほとんど示されず、2.5%量の添加の場合と比較して16分の1の活性を示した(図4)。以後の接種実験においては培地当たり、2.5%量のカイコ熱処理体液を添加することにより、遺伝子産物の発現を誘発した。
【0051】
〔実施例3〕Ke17細胞の低温処理がBmPTLNPV感染に及ぼす影響の検討
植え継ぎ後4日目の対数的増殖期のKe17細胞を2.5℃、5℃、10℃の低温室と20℃、25℃の恒温室にそれぞれ24時間保存した。温度処理直後の細胞を96ウエルマルチプレートにとり、2.5%量の熱処理体液とともにBmPTLNPVを接種した。27℃で4日間経過後、細胞内で産生されたルシフェラーゼ産物量を測定した。その結果、2.5℃保存の細胞では25℃保存の細胞内産生物量よりも32倍量ものルシフェラーゼ産生量を測定した(図5)。さらに保護時間を検討した結果、48時間において最大量のルシフェラーゼが産生されていた。一方、熱処理体液を加えない場合、ルシフェラーゼはほとんど産生されなかった(図6)。低温処理後室温に培養フラスコを取り出してBmPTLNPVを接種する際、時間の経過に従って培地の温度が上昇し、室温に達する。同時に細胞内の温度も室温に上昇する。室温に取り出して直ちに接種した場合は3時間経過後に接種した場合と比較して2.5倍高いルシフェラーゼ産生量であった(図7)。
【0052】
次にKe17細胞にBmPTLNPV接種後、2.5℃、48時間の低温処理を行い、その後27℃に4日間保護した場合と、Ke17細胞を2.5℃、48時間の低温処理後にBmPTLNPVを接種する場合を比較した結果、前者ではウイルス感染時間が低温処理時間の48時間さらに経過したことにより、後者の2倍のルシフェラーゼ産生量が認められた。また、熱処理体液を加えない場合は、図6の実験と同様にルシフェラーゼはほとんど産生されなかった(図8)。これはウイルス感染に2.5℃の低温は影響されず、低温処理時間分だけウイルス感染は増強されたことを示している。
【0053】
次に低温処理効果をいくつかの昆虫培養細胞株間で比較検討した。クローン株Ke17細胞の親株のKe1細胞、他のカイコ由来の培養細胞株BmN4細胞株およびSpodoptera frugiperda 由来のSf9細胞株をも含めた。ルシフェラーゼ産生量は2.5℃低温処理および無処理(25℃)ともにSf9細胞において最も産物量は多く、25℃処理では、Ke1細胞の163倍、Ke17細胞の214倍、BmN4細胞の22.9倍が示された。また、2.5℃処理では、Ke1細胞の297倍、Ke17細胞の55倍。BmN4細胞の110倍の産生量が示され、Sf9細胞におけるルシフェラーゼ発現の優位性は明らかであった(図9)。一方、25℃における産生量を指標1にして2.5℃における産生量を計算するとKe1細胞では0.8倍、Ke17細胞では8.7倍、BmN4では0.29倍、そしてSf9細胞では1.4倍であり、Ke17細胞は他の細胞株と比較して大きな低温処理誘発が認められた(図10)。
【0054】
これまで行われた調査で、細胞骨格系タンパク質、細胞膜タンパク質、その他のタンパク質の発現において、カイコ細胞系はSf9細胞系よりも膜タンパク質に優れた発現が確認されている(武内恒成(2006) BIONICS. 24. 14-15)。図9で示されたSf9細胞系を用いたレポーター遺伝子であるルシフェラーゼの発現は、その他のタンパク質の発現のほんの一例であり、すべての種類のタンパク質発現に適合するものではない。
【0055】
通常、Sf9細胞には牛胎児血清(FBS)を10%添加して培養している。図9に記載された数値はFBSを10%添加して培養した細胞における数値である。一方、Sf9細胞も無血清培地で培養できると市販のカタログ(ニチレイバイオサイエンス事業社のホームページ)に記載されているが、増殖はFBS添加培地よりも劣化する。Ke17細胞は逆にFBS添加よりも無添加のSH-Ke-117培地で増殖が良好な特長を有している。
【0056】
また、Sf9細胞にはKe17細胞のように熱処理カイコ体液の有する感染増強を促す物質は発見されていない。本発明のKe17細胞は、このカイコ熱処理体液の他、低温処理による高いウイルス感染能を有する特長があり、優れたウイルス感染能を有する細胞系であるといえる。
【0057】
〔実施例4〕NIAS-Bm-Ke17培養細胞株による、膜タンパク質の発現検討
次に、本発明のKe17細胞を用いて、4回膜貫通タンパク質claudin(claudin19:Miyamoto, T., et al (2005) J.Cell Biol., 169, 527-537)の発現検討を行った。
【0058】
まず、Ke17細胞にN末端にHis-tag及びC末端にRFPを付加した4回膜タンパク質Claudin遺伝子を導入し、上記の方法により発現検討を行った。発現量を比較するために、従来型のカイコ由来細胞株BmN4細胞においても同様の発現検討を行った。
【0059】
その結果、同じウイルスタイターで比較した場合、Ke17細胞で発現させた方がBmN4細胞で発現させた場合に比べ、膜タンパク質Claudin19の発現量が多いことが明らかとなった。抗His抗体によって、更に詳細に発現量を比較したところ、BmN4よりも発現量が多い。さらに、発現膜タンパク質分子が細胞膜画分に正しくソーティングされていることが明らかとなった(図11)。
【0060】
次に、RFP-claudin19融合タンパク質発現Ke17細胞における発現領域を共焦点レーザー顕微鏡で観察した。本来発現する細胞膜部分のみにRFP蛍光を捉えることができ、発現タンパク質(C末端にRFPが付加した4回膜貫通タンパク質Claudin19)は、細胞膜に正しくソーティングされ、発現いることが形態学的にも明らかとなった。
【0061】
以上より、本発明の発現系を用いることによって、膜タンパク質としてClaudin19が正しく発現させることができることが明らかとなった。 これまで、claudin数回膜貫通タンパク質を含む膜タンパク質は発現が困難であるといわれている。Ke17細胞においては、BmN4細胞など従来の昆虫発現細胞と比較して膜タンパク質の発現に有効かつ優れていることが示された。
【0062】
さらに、本発現系を用いて様々な温度条件化(10℃、15℃、20℃、及び25℃)で、発現量の検討を行った。ウイルス接種2日後のClaudinの発現量を比較したところ、Ke17細胞では通常培養と比べて低温誘導条件化のほうが膜タンパクの発現も上昇していることが明らかとなった。このことから、膜タンパク質等を発現させる場合にも、Ke17細胞は低温条件化でウイルス感染させる方が、発現能が上昇することが明らかとなった。
【0063】
バキュロウイルス発現系にはハスモンヨトウ近縁種のSpodoptera frugiperdaの蛹卵巣由来のSf9細胞および、Trichoplusia niの胚子由来のHighFive細胞(正式名称BTI-TN-5B1-4)を宿主にするAcMNPVベクター発現系とカイコ(Bombyx mori)の幼虫とその培養細胞を宿主にするBmNPVベクター発現系がある。Sf9細胞とHigh Five細胞は無血清培地による培養が可能であるものの、増殖は血清培地よりも劣化する。一方、カイコの培養細胞(BmNおよびそのクローンのBmN4)では10%量のFBS添加が必ず必要である。FBSにはロットによる品質の違いやタンパク性感染因子の混入の危険性などの問題がある。
【0064】
本発明者らはこれの問題点の解決のため、無血清培地に適合した新たなカイコ培養細胞株を作出し、異種タンパク質の高生産系の開発を行ってきた。本発明におけるKe17細胞は、1985年にカイコの胚子組織の初代培養を始めたのち、継代培養に至って順次FBS添加量を削減し、約25年間に渡って無血清培地で培養ができるように順化した後、クローン化した培養細胞株である。無血清培地で培養できるKe17細胞は、FBS血清添加培地で培養できるカイコの他の培養細胞株(NIAS-BoMo-15AIIc(井上 元・谷合幹代子・小林 淳(1990) 蚕糸昆虫研報、1、13-25)、BmN、BmN4)の増殖と比較し、同等もしくはそれ以上の強い増殖作用があるが、BmNPVに対しては低い感染しか認められない。一方、カイコの熱処理体液にはFBSと同様に、ウイルスの感染・増強作用がある(今西重雄・井上 元・小林 淳・門野敬子・河本秀夫・Serge Belloncik・桑原伸夫・阪元秀彦・冨田秀一郎(1993) 蚕糸・昆虫農業技術研究所報告、7、9-29.)。そこで、FBSの代替としてカイコの熱処理体液をKe17細胞に添加することを考えた。その結果、カイコの熱処理体液にはBmNPVの感染を極めて強く増強する作用があることが認め、SH-Ke-117培地にわずか2.5%量(対容量)の添加 (図3)により、遺伝子産物の高い生産を達成することができた。Ke17細胞に最適なカイコの熱処理体液の投与量は極めて少ないため、過剰な添加量は細胞の生理的な不調を起こさせたり (今西重雄・井上 元・小林 淳・門野敬子・河本秀夫・Serge Belloncik・桑原伸夫・阪元秀彦・冨田秀一郎(1993). 蚕糸・昆虫農業技術研究所報告、7、9-29)、また遺伝子産物の精製における体液タンパク質の除去の困難さからみても、Ke17細胞は遺伝子発現系に適した細胞系と考えられる。Sf9細胞におけるGalleria mellonellaNPVの感染はコレステロールが多角体形成を助長すると報告されている(Belloncik,S., Akoury, W.E., and Cheroutre, M. (1997) Invertebrate Cell Culture. (Novel Directions and Biotechnology Applications). Ed.Karl Maramorosch and Jun Mitsuhashi, p.141-148. Science Publishers.USA)。従って、発明者らがウイルス感染増強に用いたカイコの熱処理体液にはコレステロールが含まれており、その作用により、BmPTLNPVの高い感染効果が得られかもしれない。
【0065】
これまでにカイコ細胞の低温処理がBmNPVの感染を誘発する報告はない。しかしFBS10%添加培地で培養したハスモンヨトウ近縁種由来のIPLB-SF-21細胞では、adsorptive endocytosis によるAcMNPVの侵入が、4℃では感染後2時間まで直線的に増加し、以後6時間まで侵入量は一定状態を保ち、その侵入割合は27℃と比べ、約60%の低い値を示している(Volkman, L.E. and Goldsmith, P.A. (1985) Virology, 143, 185-195) 。本実験では血清の代替としてカイコの熱処理体液の添加培地で培養したカイコ細胞を48時間低温処理し、その後27℃に取り出し、細胞内の温度が27℃に上昇しない3時間以内にBmPTLNPVを感染させた場合、遺伝子産物の生産量は無低温処理と比較して高い生産量を示した( 図5〜7)。この結果は、Ke17細胞はIPLB-SF-21細胞よりも低温におけるBmNPVの感染能は高いことを示すものと考えられる。さらに低温処理効果をKe17細胞とIPLB-SF-21細胞のクローン株Sf9細胞との両者間で比較した結果、Ke17細胞は遺伝子産物の生産量がSf9細胞よりも高い値を示した(図10)。以上から、Ke17細胞は低温におけるadsorption endocytosisによるBmPTLNPVの細胞内への侵入がIPLB-SF-21細胞と比較してより高いと考えられる。
【0066】
一方、カイコ幼虫に関しては、低温がウイルス感染を誘発する報告がある。5齢脱皮直後のカイコ幼虫を低温に1日間遭遇させた後、出芽型BmNPVを経口接種または経皮接種すると幼虫の死亡率が高くなる(岡崎博之・金谷俊道・西村小百合・小川克明・渡部 仁 (1995) 日蚕雑, 64, 504-508.)。幼虫に対するBmNPV感染の低温誘発効果は消化液中のBmNPV不活化酵素の活性低下(鮎沢千尋・古田要二 (1965) 核型多角体病ウイルスに対する蚕の感受性と消化液のウイルス不活化作用について.日蚕雑, 35, 66-70.;Hayashiya,K., Uchida,Y. and Himeno,M. (1978) Jpn. J. Appl. Entomol. Zool. 22, 238-242.)が考察されている。低温遭遇させたKe17細胞では消化酵素以外のウイルス不活化酵素が細胞内活性では極めて低いためにBmPTLNPVの感染誘発が起きたのかも知れない。また一方、バキュロウイルスエンハンサー配列(hr)と相互作用して転写活性を誘動する宿主細胞因子が想定され(Iwanaga, M., Shimada, T., Kobayashi, M., and Kang, W.-K. (2007) Appl. Entomol. ZooI. 42(1),151-159)、この因子の遺伝子発現が低温処理で誘発された可能性もある。本実験では、この感染誘発の効果はBmN細胞やBmN4細胞およびSf9細胞でも若干認められるが、Ke1細胞のクローン株Ke17細胞は極めて高いため、特異的な機能と考えられ、カイコの熱処理体液のBmNPV感染助長効果に加えてウイルス感染に重要な新知見になると判断された。 また、Ke17細胞は、4回膜貫通タンパク質Claudin-RFP融合分子を細胞膜表面に発現しており (図11〜13)、高発現系のみならず膜タンパク質発現系としても無血清培養において優れた遺伝子発現系になり得ることを明らかにするものである。
【0067】
以上の結果を総合すると、NIAS-Bm-Ke17細胞系は次のような極めて特徴的な形質を有する。1.NIAS-Bm-Ke17細胞系は無血清培地により優れた増殖性と細胞の形状を均一な球形に維持できる。2.無血清培地に添加することにより、ウイルス感染を増強できる熱処理カイコ体液の添加量はわずか2.5%量であり、これで十分なウイルス感染効果が得られる。3.NIAS-Bm−Ke17細胞系は、他の培養細胞系と比較し、低温処理による高いウイルス感染効果が得られる。これは培養細胞系では、はじめての知見である。4.バキュロウイルス発現系おいて、カイコ培養細胞系は他のヨトウ培養細胞系と比較し、調査した組換え膜タンパク質の種類すべてにおいて、高発現する特徴がある。これらの成果からNIAS-Bm-Ke17細胞系は培養細胞系を発現先とするバキュロウイルス発現系において、極めて特長ある細胞であり、優れた膜タンパク質の有用物質発現系として実用面で活用できると特長がある。
【技術分野】
【0001】
本発明は、無血清培地における培養により安定に増殖する連続継代性のカイコ培養細胞系であって、低温処理によりウイルス感染が誘発される特徴を有するカイコ培養細胞系に関する。
【背景技術】
【0002】
バキュロウイルス発現系は生物学的活性のある遺伝子産物の生産系として盛んに利用されている。宿主の昆虫培養細胞系は、大腸菌では困難である真核生物由来タンパク質の複雑な立体構造の形成や、糖鎖修飾などの翻訳後修飾を行い、組換えタンパク質の高収量生産を可能とする。また膜タンパク質の発現にも適している。
【0003】
昆虫培養細胞系の主な宿主培養細胞株としては、AcNPV発現系ではSf9(非特許文献1)とHigh Five(非特許文献2)、BmNPV発現系BmNやBmN4(非特許文献3)が使用されている。これらカイコ由来細胞株(BmNやBmN4)は上記のSf9やHigh Fiveとは異なり、細胞の増殖とバキュロウイルスの感染のために、牛胎児血清(FBS)の培地への添加が不可欠である。そのため、これらのカイコ由来培養細胞系は、FBSに混入したタンパク性感染因子によって発現産物が汚染されることや、FBSのロット間による効果の差による培養の不安定性が生ずることが危惧されてきた。
【0004】
これらの問題点を解消し遺伝子産物の安定生産を行うため、新たな無血清・無タンパク質培地の開発と、それらを使用して培養できるカイコ培養細胞株のクローニング、さらにFBSなどの感染増強因子に依存が少ない新たな遺伝子発現手法の開発がこれまでに進められてきた。本発明者らは、これまでカイコ由来の無血清培養細胞株をすでに作出することに成功しているが(特許文献1、非特許文献4)、無血清培養が可能で、かつ、目的遺伝子のより良い発現効率を保持するカイコ培養細胞株の開発が求められていた。
【0005】
なお、本出願の発明に関連する先行技術文献情報を以下に示す。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0006】
【特許文献1】特開2007-75102
【非特許文献】
【0007】
【非特許文献1】Smith G. E., et al (1983) Mol. Cell. Biol.3 (12), 2156-65
【非特許文献2】Granados, R. R. and Hashimoto, Y. (1989) Infectivity of baculoviruses to cultured cells. In: Invertebrate Cell System Applications. (J. Mitsuhashi, ed., Vol.II, chapter I: 3-13, CRC Press, Boca Raton, FL)
【非特許文献3】Maeda S., et al (1985) Nature 315, 592-594
【非特許文献4】今西重雄ら(2006) 蚕糸・昆虫バイオテック, 75, 45-51
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
本発明は、このような状況に鑑みてなされたものであり、その目的は、無血清培地における培養により安定に増殖する連続継代性のカイコ培養細胞系であって、低温処理によりウイルス感染が誘発される特徴を有するカイコ培養細胞系を提供することにある。また、当該カイコ培養細胞系を用いた、目的遺伝子の大量発現方法を提供することも本発明の目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明者らは、上記の課題を解決するために鋭意検討した。
本発明者らは、カイコの胚子組織由来のNIAS-Bm-Ke1細胞株から連続継代性の培養細胞株(NIAS-Bm-Ke17)をクローニングにより作出した。本細胞株は無血清・無タンパク質培地(SH-Ke-117培地)による培養においても優れた増殖性を示し、またカイコ熱処理体液をFBSの代替物として添加することにより、BmNPVの感染を増強できるのでFBS使用の弊害を回避できることが明らかとなった。さらにKe17細胞株は2.5℃、48時間の低温処理により、BmNPVの感染が高度に誘発される特長を有していることも明らかとなった。さらに、これらのカイコ熱処理体液添加効果と低温処理効果を組み合わせたところ、BmNPVの感染を著しく増強できるが明らかとなった。
【0010】
即ち、本発明者らは、無血清培地における培養により安定に増殖する連続継代性のカイコ培養細胞系であって、より良い発現効率を保持するカイコ培養細胞系の開発に成功した。
【0011】
本発明は、より具体的には以下の〔1〕〜〔12〕を提供するものである。
〔1〕無血清培地における培養により安定に増殖する連続継代性のカイコ培養細胞系であって、低温処理によりウイルス感染が誘発される特徴を有するカイコ培養細胞系。
〔2〕カイコの胚組織由来である、〔1〕に記載のカイコ培養細胞系。
〔3〕クローン化された細胞系である、〔1〕または〔2〕に記載のカイコ培養細胞系。
〔4〕前記ウイルスが、カイコバキュロウイルスであることを特徴とする、〔1〕に記載のカイコ培養細胞系。
〔5〕前記カイコバキュロウイルスが、発現させたい目的遺伝子を含む組換えカイコバキュロウイルスであることを特徴とする、〔4〕に記載のカイコ培養細胞系。
〔6〕前記低温処理が2〜5℃で行われることを特徴とする、〔1〕に記載のカイコ培養細胞系。
〔7〕細胞系に培養細胞株(NIAS-Bm-Ke17(FERM P-21829))を含有することを特徴とする、〔1〕に記載のカイコ培養細胞系。
〔8〕以下の(1)〜(3)の工程を含む、目的遺伝子の発現方法。
(1)無血清培地において、〔1〕〜〔7〕のいずれかに記載のカイコ培養細胞系を培養する工程、
(2)低温条件化において、発現させたい目的遺伝子を含む組換えカイコバキュロウイルスを(1)の培養物に感染させる工程、
(3)感染後の培養物をさらに培養し、目的遺伝子の発現物を回収する工程
〔9〕〔8〕(2)の工程における低温条件が、2〜5℃であることを特徴とする、〔8〕に記載の発現方法。
〔10〕〔8〕(2)の工程において、カイコ熱処理体液を培地に添加することを特徴とする、〔8〕に記載の発現方法。
〔11〕前記目的遺伝子が、膜タンパク質であることを特徴とする、〔8〕〜〔10〕のいずれかに記載の発現方法。
〔12〕培養細胞株(NIAS-Bm-Ke17(FERM P-21829))。
【発明の効果】
【0012】
市販流通の培養細胞株であるカイコ系(BmN4)やヨトウ系(Sf9)細胞は通常共に牛胎児血清(FBS)をウイルス感染と細胞増殖に効果のある要因として培地に添加している。しかしながら、FBSはロット間による効果の差が大きく、また危険なタンパク質の混入も視野に入れて培養をせざるを得ない。一方、NIAS-Bm-Ke1細胞株や本発明のNIAS-Bm-Ke17細胞株は無血清・無タンパク質培地で培養が可能であり、上記の危惧は回避でき、さらに組換えタンパク質の精製には低コストで対応できる。特に本発明のNIAS-Bm-Ke17細胞株は低温処理により、NIAS-Bm-Ke1細胞株よりも約9倍の組換えタンパク質の発現能があり、実用化にとって大きなメリットがあるものと考えられる。このような高発現能を有するNIAS-Bm-Ke17細胞株は、膜タンパク質発現用の宿主として適しているものと考えられる。
【図面の簡単な説明】
【0013】
【図1】NIAS-Bm-Ke17培養細胞株の形状を示す写真である。
【図2】異なる培地がウイルス感染に及ぼす効果を示す図である。横軸は培地の種類(+hem: カイコ熱処理体液を添加したことを示す)、縦軸はルシフェラーゼ活性(RLU)を示す。
【図3】培地に添加するカイコ体液の濃度条件がウイルス感染に及ぼす効果を示す図である。横軸はカイコ体液の濃度、縦軸はルシフェラーゼ活性(RLU)を示す。
【図4】SH-Ke-117培地においてカイコ体液の添加がウイルス感染に及ぼす効果を示す図である。縦軸はルシフェラーゼ活性(RLU)を示す。+hem: カイコ熱処理体液を添加したことを示す。
【図5】ウイルス感染前の細胞の保存温度条件が、ウイルス感染効率(発現効率)に及ぼす効果を示す図である。各温度の冷蔵時間は24時間である。横軸はウイルス感染前の細胞の保存温度、縦軸はルシフェラーゼ活性(RLU)を示す。
【図6】細胞の冷蔵時間がウイルス感染に及ぼす効果を示す図である。横軸は細胞の冷蔵時間、縦軸はルシフェラーゼ活性(RLU)を示す。+hem: カイコ熱処理体液を添加したことを示す。
【図7】冷蔵後、室温に取り出した後の経過時間がウイルス感染に及ぼす効果を示す図である。横軸は冷蔵後の経過時間、縦軸はルシフェラーゼ活性(RLU)を示す。+hem: カイコ熱処理体液を添加したことを示す。
【図8】接種後の冷蔵がウイルス感染に及ぼす効果を示す図である。処理工程が、「低温処理→接種」又は「接種→低温処理」の場合の結果を示す。縦軸はルシフェラーゼ活性(RLU)を示す。48時間冷蔵における結果を示す。+hem: カイコ熱処理体液を添加したことを示す。
【図9】低温処理効果をいくつかの昆虫培養細胞株間で比較検討した結果を示す図である。縦軸はルシフェラーゼ活性(RLU)を示す。
【図10】細胞系におけるウイルス感染に及ぼす冷蔵効果を示す。縦軸は、25℃を指数1とした場合の、2.5℃に冷蔵した場合の各細胞系における指数を示す。
【図11】Ke17細胞発現系により4回膜貫通型タンパク質claudin19を発現させた結果を示す写真である。左写真はウイルスタイターにおける各細胞系(Ke17及びBmN4)でのSDSページの結果を示す。右写真は、抗His抗体により発現量を検出した結果を示す。
【図12】Ke17細胞発現系により4回膜貫通型タンパク質Claudin- RFP融合分子を発現させた結果を示す写真である。Ke17細胞の断層をレーザー顕微鏡で観察し、RFP蛍光を捉えた結果を示すものである。
【図13】Ke17細胞発現系により4回膜貫通型タンパク質claudin19を発現させた結果を示す写真である。上図は、各温度条件における発現量をSDSページにより確認した結果を示す。下図は、発現量をより詳細に比較するために、上図のタンパク質の発現写真のうち、発現したclaudin19のタンパク画分を特に拡大したものを示す。それぞれのレーンは、以下の温度条件における発現量を示す。1:低温誘導10℃、2:低温誘導15℃、3:低温誘導20℃、4:通常培養温度25℃。また、それぞれ、左レーンが細胞質画分を、右レーンが細胞膜画分を示す。
【発明を実施するための形態】
【0014】
本発明は、無血清培地における培養により安定に増殖する連続継代性のカイコ培養細胞系であって、低温処理によりウイルス感染が誘発される特徴を有するカイコ培養細胞系に関する。
【0015】
本発明のカイコ培養細胞系の由来又はカイコの品種は、特に限定されるものではないが、カイコの胚組織由来のカイコ培養細胞系を好ましい例として挙げることができる。本発明のカイコ培養細胞系は、クローン化された細胞系であってもよい。
【0016】
本発明のカイコ培養細胞系は以下の方法により作出することができる。本発明のカイコ培養細胞系は今西ら(今西重雄ら(2006) 蚕糸・昆虫バイオテック, 75, 45-51)の方法により、先ずカイコ胚子を初代培養してNIAS-Bm-Ke1培養細胞株(FERM P-20572)を作出し、次にこの細胞株からクローニングを行って作出することができる。初代培養においては、MGM448培地(Mitsuhashi, J: (1984) Zool.Sci., 1, 415-419)にFBSを10%容量加えた培地を用いることができ、培養経過に応じてFBS添加量を順次減少させ、同時にlactoalbumin hydrolysateとTC-Yeastolateを添加物とするMMSF培地(Mitsuhashi,J. (1982) Appl.Entomological.Zool., 17,575-581)に順次移行する。
【0017】
FBS添加量が1%量のMM培地で細胞が安定して増殖した後、FBSを添加しないMMSF培地または、カイコ細胞培養用無血清培地(例えばKBM700培地:特開2007-75102)による無血清培養を行う。
【0018】
本発明のカイコ培養細胞系のクローニングはTomitaらの論文(Tomita,S., et al. (1999) In Vitro Cell.Dev.Biol., 35, 311-313)を改変した以下の方法により行うことができる。Sea Plaque Agarose (Cambrex Bio Science Rockland, Inc.)の濃度が0.25%W/VになるようにMMSF細胞培養液を調製する。この調製液を細胞培養用マルチプレートに加えてSea Plaque Agaroseの培養床を作製し、MMSF培地とともにNIAS-Bm-Ke1細胞を複数個蒔いて25℃で培養する。単個の細胞から形成されたコロニーを培養液に分散して1個の細胞を取り出し、同様な方法で再度クローニングを行うことにより本発明のカイコ培養細胞系を作出することができる。
【0019】
本発明者らが単離したカイコ培養細胞系のうち、NIAS-Bm-Ke17細胞は、本発明者らによって、独立行政法人産業技術総合研究所特許生物寄託センターに寄託された。以下に、寄託を特定する内容を記載する。生存確認試験後、受託番号が付与されたNIAS-Bm-Ke17細胞も本発明のカイコ培養細胞系に包含される。
NIAS-Bm-Ke17細胞
(1)寄託機関名:独立行政法人産業技術総合研究所特許生物寄託センター
(2)連絡先: 〒305-8566 茨城県つくば市東1-1-1 つくばセンター 中央第6
(3)受託番号:FERM P-21829
(4)識別のための表示:NIAS-Bm-Ke17
(5)受領日:2009年7月22日
【0020】
本発明において、カイコ培養細胞系に感染させる「ウイルス」とは特に限定されるものではないが、好ましい例として、カイコバキュロウイルス、より好ましい例としてカイコ核多角体病ウイルス(例えば、Bombyx mori nucleopolyhedrovirus: BmNPV等)を挙げることができる。
【0021】
本発明のカイコバキュロウイルスは、発現させたい目的遺伝子が遺伝子組換えにより含まれていてもよい。このような、組換えカイコバキュロウイルスも、本発明のカイコバキュロウイルスに含まれる。
【0022】
組換えカイコバキュロウイルスは、目的遺伝子に係るDNAをカイコのクローニングベクターに連結して作製した組換え体プラスミドと、カイコバキュロウイルスDNAとを、カイコ樹立細胞にコトランスフェクションして作製することができる。該組換え体カイコバキュロウイルスは、in vivo的な方法で作製することができる。すなわち、目的遺伝子に係るDNAを、適切なプロモーター(例えば、p10遺伝子)を有する発現用遺伝子ベクターに、一般的な遺伝子操作に従って連結することにより、組換え体プラスミドを作製することができる。この組換え体プラスミドとカイコバキュロウイルスDNAとを、カイコ樹立細胞(例えばBmN株等)にコトランスフェクションした後、培養を続け、培養液中に出現した非組換え体(野性型)と組換え体のウイルスの中から限界希釈法、もしくはプラーク法などの一般的な方法によって組換え体ウイルスをクローニングすることができる。組換え体カイコバキュロウイルスは多角体の形成能がないことから、野性型ウイルスと容易に区別することができる。
【0023】
目的遺伝子を組換えカイコバキュロウイルスに組み込むことにより組換えカイコバキュロウイルスが作製されるが、カイコバキュロウイルス(BmNPV)のみならずこれらの変異体、例えば、病症発現を抑制するために特定の遺伝子を欠損させたもの、細胞にエントリーしやすくするために特定の遺伝子を過剰発現させたもの等を、本発明において用いることができる。
【0024】
ウイルスゲノムに組み込む目的遺伝子は、酵素、キナーゼ、プロテアーゼ、サイトカイン、ホルモン、レセプター、チャネル、転写因子、ウイルス構成タンパク質など、多種のものから選択することができ、また、哺乳類、ウイルス、昆虫、植物、酵母、ヒト、クラゲ、サンゴ等の多様な生物由来のものを選択することができる。本発明において、目的遺伝子は特に制限されるものではないが、膜タンパク質を好ましい例として挙げることができる。
【0025】
本発明のカイコ培養細胞系及び、前記組換えカイコバキュロウイルスを用いることにより、目的遺伝子の大量発現(大量製造)を行うことができる。
【0026】
すなわち、本発明は、以下の(1)〜(3)の工程を含む、目的遺伝子の発現方法に関する。
(1)無血清培地において、請求項1〜7のいずれかに記載のカイコ培養細胞系を培養する工程、
(2)低温条件化において、発現させたい目的遺伝子を含む組換えカイコバキュロウイルスを(1)の培養物に感染させる工程、
(3)感染後の培養物をさらに培養し、目的遺伝子の発現物を回収する工程
【0027】
上記(2)の工程における低温条件は特に制限されるものではないが、好ましくは1〜10℃、より好ましくは2〜5℃の温度条件を挙げることができる。
【0028】
上記(2)の工程においては、カイコ熱処理体液をさらに培地に添加しても良い。カイコ熱処理体液は以下の工程により作製することができる。まず、発育時期で5齢4日目程度のカイコの腹脚を鋏で切断し、氷中のプラスティック製チューブに体液を採取する。チューブを60℃の温湯で30分間熱処理後、遠心分離(例えば、3,000rpmで30分間の条件)する。凝固タンパク(沈殿分画)を除いた上清分画をプラスティック製チューブに回収し、使用まで-85℃に冷凍保存する。凍結体液は解凍後、孔径0.22mmのフィルターシリンジで除菌し、培地に添加するカイコ熱処理体液として用いることができる。
【0029】
本発明において、カイコ熱処理体液を添加する際の、カイコ熱処理体液の質量パーセント濃度は特に制限されるものではないが、好ましくは2.0〜5.0%、より好ましくは2.0〜3.0%の濃度条件を挙げることが出来る。
【0030】
本発明において、培養方法については特に制限はなく、付着培養または浮遊培養等、当業者に公知の方法により行うことができる。本発明において、培養温度は、特に制限されるものではないが、好ましくは20〜35℃、より好ましくは25〜30℃、特に好ましくは27℃の培養温度を例示することができる。
【0031】
本発明において、培養に用いられる無血清培地は、少なくともタンパク質抽出物を含み、さらに無機塩、アミノ酸、ビタミン、糖類、その他の添加物を含んでいてもよい。本発明の培地は、純水に上述のタンパク質抽出物、無機塩、アミノ酸、ビタミン、糖類、その他の添加物を溶解させて作製することができる。
【0032】
本発明において、無血清培地に含まれるタンパク質抽出物としては、酵母抽出物、ラクトアルブミン水解物、シルクパウダーを挙げることができる。
【0033】
本発明において、無血清培地に含まれる無機塩としては、モリブデン酸アンモニウム、塩化コバルト、塩化銅、塩化カルシウム、硫酸銅、硫化鉄、硫酸マグネシウム、塩化マグネシウム、塩化マンガン、塩化カリウム、塩化マンガン、塩化ナトリウム、リン酸二水素ナトリウム、重炭酸ナトリウム、塩化亜鉛を挙げることができる。本発明において、これらの無機塩類は、無水、水和物、塩基付加物、酸( 塩酸、硫酸、硝酸など) の溶媒和物のいずれかでも良い。
【0034】
本発明において、無血清培地に含まれるアミノ酸としては、D L -セリン、グリシン、ハイドロキシ- L -プロリン、L -アルギニン、L -アスパラギン、L -アスパラギン酸、L -シスチン、L -グルタミン酸、L -グルタミン、L -ヒスチジン、L -イソロイシン、L -ロイシン、L -リジン、L -メチオニン、L -フェニルアラニン、L -プロリン、L -スレオニン、L -トリプトファン、L -チロシン、L -バリン、β アラニンを挙げることができる。本発明において、これらのアミノ酸は、無水、水和物、塩基付加物、酸などの溶媒和物のいずれかでも良い。
【0035】
本発明において、無血清培地に含まれるビタミンとしては、ビオチン、塩化コリン、シアノコバラミン、D -パントテン酸、葉酸、ミオイノシトール、ナイアシン、パラアミノ安息香酸、ピリドキサール、リボフラビン、チアミンを挙げることができる。
【0036】
本発明において、無血清培地に含まれる糖類としては、グルコース、D (+ ) -スクロース、マルトースが挙げられる。有機酸として、フマル酸、L -リンゴ酸、コハク酸、α -ケトグルタル酸を挙げることができる。
【0037】
その他、培地に、塩化カルシウム、重炭酸ナトリウム、脂質混合物( コレステロール、脂肪酸メチルエステル、D -α -トコフェロール、T w e e n 8 0)、I T S( I n s u l i n、T r a n s f e r r i n、S e l e n i u m)、非イオン性高分子界面活性剤等を添加してもよい。本発明において、塩化カルシウムは、無水、水和物のいずれかでも良い。本発明において、D -α -トコフェロールは、塩基付加物あるいは、酢酸などの酸付加物のいずれかでも良い。
【0038】
本発明の培地は上述のタンパク質抽出物、無機塩、アミノ酸、ビタミン、糖類を総て含んでいるのが望ましいが、一部の物質を欠いても良いし、また他の物質が添加されていても良い。これらは総て市販のものを用いることができる。さらに市販のペニシリン、ストレプトマイシン等の抗生物質、還元型グルタチオン等を添加しても良い。
【0039】
本発明の培地としては、この好ましくはSH-Ke-117(株式会社シマ研究所)を例示することができる。
【0040】
上記(3)において回収した目的タンパク質を含む発現物は、必要に応じ、分離、精製、凍結乾燥、結晶化等の工程に供してもよい。
【0041】
本発明により、カイコバキュロウイルス−カイコ培養細胞系による、組換えタンパク質生産が多様に実施可能となる。種々の生物由来のタンパク質の大量生産が、より簡便に実施可能となり、また非常に多くの種類のタンパク質の同時並列的な生産が、より簡便に実施可能となる。そのため、本発明は、組換えタンパク質の大量生産及びタンパク質の機能解析等に有用である。
なお、本明細書において引用された全ての先行技術文献は、参照として本明細書に組み入れられる。
【実施例】
【0042】
以下、本発明を実施例によりさらに具体的に説明するが本発明はこれら実施例に制限されるものではない。
〔実施例1〕NIAS-Bm-Ke17培養細胞株の培養
新規培養細胞株NIAS-Bm-Ke17(以下Ke17細胞と記載する)を以下の方法により作出した。Ke17細胞は今西ら(今西重雄ら(2006) 蚕糸・昆虫バイオテック, 75, 45-51)の方法により、先ずカイコ胚子を初代培養してNIAS-Bm-Ke1培養細胞株(FERM P-20572)を作出し、次にこの細胞株からクローニングを行って本培養細胞株を作出した。初代培養は1985年6月に開始し、1986年12月には継代培養に移行し、以後7日ごとに植え継ぎを行った。初代培養にはMGM448培地(Mitsuhashi, J: (1984) Zool.Sci., 1, 415-419)にFBSを10%容量加えた培地を用い、培養経過に応じてFBS添加量を順次減少し、同時にlactoalbumin hydrolysateとTC-Yeastolateを添加物とするMMSF培地(Mitsuhashi,J. (1982) Appl.Entomological.Zool., 17,575-581)に順次移行した。FBS添加量が1%量のMM培地で細胞が安定して増殖した後、MMSF培地または、コージンバイオ社製のカイコ細胞培養用無血清培地のKBM700培地(今西重雄ら(2005) 特開2007-75102)による無血清培養に移行した。
【0043】
Ke17細胞のクローニングはTomitaらの論文(Tomita,S., et al. (1999) In Vitro Cell.Dev.Biol., 35, 311-313)を改変した以下の方法により行った。Sea Plaque Agarose (Cambrex Bio Science Rockland, Inc.)の濃度が0.25%W/VになるようにMMSF細胞培養液を調製した。この調製液を細胞培養用マルチプレート6F(MS-80060、住友ベークライト)に加えてSea Plaque Agaroseの培養床を作製し、MMSF培地とともにKe1細胞を複数個蒔いて25℃で培養した。単個の細胞から形成されたコロニーを培養液に分散して1個の細胞を取り出し、同様な方法で再度クローニングを行ってクローン培養細胞株NIAS-Bm-Ke17 (Ke17細胞)を作出した。
【0044】
本発明において、細胞培養は以下の方法により行った。静置培養にはプラスティック製培養フラスコ(BECTON DICKINSO社FALCON353014、住友ベークライト社SUMILON,MS-21050)を用いた。撹拌培養にはスピナーフラスコ(Corning)(250ml用)を用いた。静置培養の場合、細胞の植え継ぎは7日ごとに行い、細胞液の4分の1(約1ml)を新しい培養フラスコに移し、新鮮培地を3ml加えて培養を継続した。攪拌培養の方法は今西ら(今西重雄ら(2006) 蚕糸・昆虫バイオテック, 75, 45-51)に準拠して行った。
【0045】
上記の方法によりカイコ胚子組織由来の培養細胞NIAS-Bm-Ke1株をクローニングし、5系統を作出した中から増殖性と細胞の形態をもとに、Ke17細胞を選出した(図1)。細胞の形は球形が主で、大きさは25μm〜50μmである。培養は炭酸ガス供給装置のない通常の培養装置を用いて25℃で行った。細胞増殖は倍加に3日間を要し、植え継ぎ後6日目に最大細胞数に到達し、以後生細胞数は減少した。この細胞増殖様相は培養フラスコを用いた静置培養においても、スピナーフラスコを用いた撹拌培養においても同様であった。
【0046】
NIAS-Bm-Ke17培養細胞株の培地として、無血清培地MMSFの組成にアミノ酸類、ビタミン混合物並びにグルコースの添加量をMGM448培地の組成を参考に改変して、KBM700、SH-Ke-117、SR-α8-AGS、SR-α9-04HG、SR-α9-04LGおよびSR-α8-A2の各培地を株式会社シマ研究所細胞生物科学研究所において作製した。これらの培地の中、特にSH-Ke-117培地がKe17細胞の形状を球形に保持し、さらに増殖が良好であった(図2)。
【0047】
〔実施例2〕北米産ホタル由来のルシフェラーゼ遺伝子組換えウイルスの感染と遺伝子産物の測定
次に目的遺伝子を組み込んだカイコ核多角体病ウイルス(BmNPV)を、カイコ培養細胞株Ke17細胞へ感染させ、その遺伝子産物の測定を行った。
【0048】
本感染実験においては、北米産ホタルのルシフェラーゼ遺伝子をカイコ核多角体病ウイルス(BmNPV)のp10遺伝子のプロモーター下流に組み込んだBmPTLNPV(Tomita,S., et al. (1995) Cytotechnology, 17, 65-70)を用いた。ルシフェラーゼ活性は今西ら(今西重雄ら(2006) 蚕糸・昆虫バイオテック, 75, 45-51)の方法を用いてルミノメーターLumat LB9501 (Berthold)で測定した。測定値(RLU:Relative Luminessence Unit)を指標にして細胞に対するウイルス感染力を比較した。Sf9細胞(American Type Culture Collection, Rockville, MD)とKe17細胞の比較の場合、両方の細胞に感染可能なAutographa californica MNPV(以後、AcMNPVと略)とBmNPVの融合ウイルスHylucNPV(Mori, H. et al. (1992) J.Gen.Virol., 73,1877-1880)を用いた。
【0049】
実施例1の通り通常の培養はSH-Ke-117培地を用いたが、BmPTLNPVの感染ではウイルス感染増強物質としてカイコ熱処理体液を添加した。本発明で用いたカイコ熱処理体液は以下の方法により調製した。カイコ品種は農業生物資源研究所(日本)でカイコ核多角体病ウイルス(BmNPV)に特に感染良好な育成過程の交雑品種(CSR×NSR)を用いた。発育時期で5齢4日目のカイコの腹脚を鋏で切断し、氷中のプラスティック製チューブに体液を採取した。チューブは60℃の温湯で30分間熱処理後、3,000rpmで30分間遠心した。凝固タンパク(沈殿分画)を除いた上清分画をプラスティック製チューブに回収し、使用まで-85℃に冷凍保存した。凍結体液は解凍後、孔径0.22mmのフィルターシリンジで除菌し、培地に添加した。
【0050】
BmPTLNPVの感染は以下の工程により行った。96ウエルマイクロプレートの各ウエルに3×104個の細胞を150μlのSH-Ke-117培地に加え、ここに培地1ml当たり、カイコ熱処理体液を0.5%〜20%まで添加し、MOI=1のウイルス濃度でBmPTLNPV液を加えて、熱処理体液がBmPTLNPV感染に及ぼす効果を検討した。その結果、ルシフェラーゼ産物量は熱処理体液2.5%添加まで順次増大し、最大5.7倍に到達した。しかし5.0%添加量以上ではルシフェラーゼ産物量は減少し、20%添加量では全く活性は認められなかった(図3)。一方、熱処理体液の無添加ではBmPTLNPVの接種にも係わらず、ルシフェラーゼ活性をほとんど示されず、2.5%量の添加の場合と比較して16分の1の活性を示した(図4)。以後の接種実験においては培地当たり、2.5%量のカイコ熱処理体液を添加することにより、遺伝子産物の発現を誘発した。
【0051】
〔実施例3〕Ke17細胞の低温処理がBmPTLNPV感染に及ぼす影響の検討
植え継ぎ後4日目の対数的増殖期のKe17細胞を2.5℃、5℃、10℃の低温室と20℃、25℃の恒温室にそれぞれ24時間保存した。温度処理直後の細胞を96ウエルマルチプレートにとり、2.5%量の熱処理体液とともにBmPTLNPVを接種した。27℃で4日間経過後、細胞内で産生されたルシフェラーゼ産物量を測定した。その結果、2.5℃保存の細胞では25℃保存の細胞内産生物量よりも32倍量ものルシフェラーゼ産生量を測定した(図5)。さらに保護時間を検討した結果、48時間において最大量のルシフェラーゼが産生されていた。一方、熱処理体液を加えない場合、ルシフェラーゼはほとんど産生されなかった(図6)。低温処理後室温に培養フラスコを取り出してBmPTLNPVを接種する際、時間の経過に従って培地の温度が上昇し、室温に達する。同時に細胞内の温度も室温に上昇する。室温に取り出して直ちに接種した場合は3時間経過後に接種した場合と比較して2.5倍高いルシフェラーゼ産生量であった(図7)。
【0052】
次にKe17細胞にBmPTLNPV接種後、2.5℃、48時間の低温処理を行い、その後27℃に4日間保護した場合と、Ke17細胞を2.5℃、48時間の低温処理後にBmPTLNPVを接種する場合を比較した結果、前者ではウイルス感染時間が低温処理時間の48時間さらに経過したことにより、後者の2倍のルシフェラーゼ産生量が認められた。また、熱処理体液を加えない場合は、図6の実験と同様にルシフェラーゼはほとんど産生されなかった(図8)。これはウイルス感染に2.5℃の低温は影響されず、低温処理時間分だけウイルス感染は増強されたことを示している。
【0053】
次に低温処理効果をいくつかの昆虫培養細胞株間で比較検討した。クローン株Ke17細胞の親株のKe1細胞、他のカイコ由来の培養細胞株BmN4細胞株およびSpodoptera frugiperda 由来のSf9細胞株をも含めた。ルシフェラーゼ産生量は2.5℃低温処理および無処理(25℃)ともにSf9細胞において最も産物量は多く、25℃処理では、Ke1細胞の163倍、Ke17細胞の214倍、BmN4細胞の22.9倍が示された。また、2.5℃処理では、Ke1細胞の297倍、Ke17細胞の55倍。BmN4細胞の110倍の産生量が示され、Sf9細胞におけるルシフェラーゼ発現の優位性は明らかであった(図9)。一方、25℃における産生量を指標1にして2.5℃における産生量を計算するとKe1細胞では0.8倍、Ke17細胞では8.7倍、BmN4では0.29倍、そしてSf9細胞では1.4倍であり、Ke17細胞は他の細胞株と比較して大きな低温処理誘発が認められた(図10)。
【0054】
これまで行われた調査で、細胞骨格系タンパク質、細胞膜タンパク質、その他のタンパク質の発現において、カイコ細胞系はSf9細胞系よりも膜タンパク質に優れた発現が確認されている(武内恒成(2006) BIONICS. 24. 14-15)。図9で示されたSf9細胞系を用いたレポーター遺伝子であるルシフェラーゼの発現は、その他のタンパク質の発現のほんの一例であり、すべての種類のタンパク質発現に適合するものではない。
【0055】
通常、Sf9細胞には牛胎児血清(FBS)を10%添加して培養している。図9に記載された数値はFBSを10%添加して培養した細胞における数値である。一方、Sf9細胞も無血清培地で培養できると市販のカタログ(ニチレイバイオサイエンス事業社のホームページ)に記載されているが、増殖はFBS添加培地よりも劣化する。Ke17細胞は逆にFBS添加よりも無添加のSH-Ke-117培地で増殖が良好な特長を有している。
【0056】
また、Sf9細胞にはKe17細胞のように熱処理カイコ体液の有する感染増強を促す物質は発見されていない。本発明のKe17細胞は、このカイコ熱処理体液の他、低温処理による高いウイルス感染能を有する特長があり、優れたウイルス感染能を有する細胞系であるといえる。
【0057】
〔実施例4〕NIAS-Bm-Ke17培養細胞株による、膜タンパク質の発現検討
次に、本発明のKe17細胞を用いて、4回膜貫通タンパク質claudin(claudin19:Miyamoto, T., et al (2005) J.Cell Biol., 169, 527-537)の発現検討を行った。
【0058】
まず、Ke17細胞にN末端にHis-tag及びC末端にRFPを付加した4回膜タンパク質Claudin遺伝子を導入し、上記の方法により発現検討を行った。発現量を比較するために、従来型のカイコ由来細胞株BmN4細胞においても同様の発現検討を行った。
【0059】
その結果、同じウイルスタイターで比較した場合、Ke17細胞で発現させた方がBmN4細胞で発現させた場合に比べ、膜タンパク質Claudin19の発現量が多いことが明らかとなった。抗His抗体によって、更に詳細に発現量を比較したところ、BmN4よりも発現量が多い。さらに、発現膜タンパク質分子が細胞膜画分に正しくソーティングされていることが明らかとなった(図11)。
【0060】
次に、RFP-claudin19融合タンパク質発現Ke17細胞における発現領域を共焦点レーザー顕微鏡で観察した。本来発現する細胞膜部分のみにRFP蛍光を捉えることができ、発現タンパク質(C末端にRFPが付加した4回膜貫通タンパク質Claudin19)は、細胞膜に正しくソーティングされ、発現いることが形態学的にも明らかとなった。
【0061】
以上より、本発明の発現系を用いることによって、膜タンパク質としてClaudin19が正しく発現させることができることが明らかとなった。 これまで、claudin数回膜貫通タンパク質を含む膜タンパク質は発現が困難であるといわれている。Ke17細胞においては、BmN4細胞など従来の昆虫発現細胞と比較して膜タンパク質の発現に有効かつ優れていることが示された。
【0062】
さらに、本発現系を用いて様々な温度条件化(10℃、15℃、20℃、及び25℃)で、発現量の検討を行った。ウイルス接種2日後のClaudinの発現量を比較したところ、Ke17細胞では通常培養と比べて低温誘導条件化のほうが膜タンパクの発現も上昇していることが明らかとなった。このことから、膜タンパク質等を発現させる場合にも、Ke17細胞は低温条件化でウイルス感染させる方が、発現能が上昇することが明らかとなった。
【0063】
バキュロウイルス発現系にはハスモンヨトウ近縁種のSpodoptera frugiperdaの蛹卵巣由来のSf9細胞および、Trichoplusia niの胚子由来のHighFive細胞(正式名称BTI-TN-5B1-4)を宿主にするAcMNPVベクター発現系とカイコ(Bombyx mori)の幼虫とその培養細胞を宿主にするBmNPVベクター発現系がある。Sf9細胞とHigh Five細胞は無血清培地による培養が可能であるものの、増殖は血清培地よりも劣化する。一方、カイコの培養細胞(BmNおよびそのクローンのBmN4)では10%量のFBS添加が必ず必要である。FBSにはロットによる品質の違いやタンパク性感染因子の混入の危険性などの問題がある。
【0064】
本発明者らはこれの問題点の解決のため、無血清培地に適合した新たなカイコ培養細胞株を作出し、異種タンパク質の高生産系の開発を行ってきた。本発明におけるKe17細胞は、1985年にカイコの胚子組織の初代培養を始めたのち、継代培養に至って順次FBS添加量を削減し、約25年間に渡って無血清培地で培養ができるように順化した後、クローン化した培養細胞株である。無血清培地で培養できるKe17細胞は、FBS血清添加培地で培養できるカイコの他の培養細胞株(NIAS-BoMo-15AIIc(井上 元・谷合幹代子・小林 淳(1990) 蚕糸昆虫研報、1、13-25)、BmN、BmN4)の増殖と比較し、同等もしくはそれ以上の強い増殖作用があるが、BmNPVに対しては低い感染しか認められない。一方、カイコの熱処理体液にはFBSと同様に、ウイルスの感染・増強作用がある(今西重雄・井上 元・小林 淳・門野敬子・河本秀夫・Serge Belloncik・桑原伸夫・阪元秀彦・冨田秀一郎(1993) 蚕糸・昆虫農業技術研究所報告、7、9-29.)。そこで、FBSの代替としてカイコの熱処理体液をKe17細胞に添加することを考えた。その結果、カイコの熱処理体液にはBmNPVの感染を極めて強く増強する作用があることが認め、SH-Ke-117培地にわずか2.5%量(対容量)の添加 (図3)により、遺伝子産物の高い生産を達成することができた。Ke17細胞に最適なカイコの熱処理体液の投与量は極めて少ないため、過剰な添加量は細胞の生理的な不調を起こさせたり (今西重雄・井上 元・小林 淳・門野敬子・河本秀夫・Serge Belloncik・桑原伸夫・阪元秀彦・冨田秀一郎(1993). 蚕糸・昆虫農業技術研究所報告、7、9-29)、また遺伝子産物の精製における体液タンパク質の除去の困難さからみても、Ke17細胞は遺伝子発現系に適した細胞系と考えられる。Sf9細胞におけるGalleria mellonellaNPVの感染はコレステロールが多角体形成を助長すると報告されている(Belloncik,S., Akoury, W.E., and Cheroutre, M. (1997) Invertebrate Cell Culture. (Novel Directions and Biotechnology Applications). Ed.Karl Maramorosch and Jun Mitsuhashi, p.141-148. Science Publishers.USA)。従って、発明者らがウイルス感染増強に用いたカイコの熱処理体液にはコレステロールが含まれており、その作用により、BmPTLNPVの高い感染効果が得られかもしれない。
【0065】
これまでにカイコ細胞の低温処理がBmNPVの感染を誘発する報告はない。しかしFBS10%添加培地で培養したハスモンヨトウ近縁種由来のIPLB-SF-21細胞では、adsorptive endocytosis によるAcMNPVの侵入が、4℃では感染後2時間まで直線的に増加し、以後6時間まで侵入量は一定状態を保ち、その侵入割合は27℃と比べ、約60%の低い値を示している(Volkman, L.E. and Goldsmith, P.A. (1985) Virology, 143, 185-195) 。本実験では血清の代替としてカイコの熱処理体液の添加培地で培養したカイコ細胞を48時間低温処理し、その後27℃に取り出し、細胞内の温度が27℃に上昇しない3時間以内にBmPTLNPVを感染させた場合、遺伝子産物の生産量は無低温処理と比較して高い生産量を示した( 図5〜7)。この結果は、Ke17細胞はIPLB-SF-21細胞よりも低温におけるBmNPVの感染能は高いことを示すものと考えられる。さらに低温処理効果をKe17細胞とIPLB-SF-21細胞のクローン株Sf9細胞との両者間で比較した結果、Ke17細胞は遺伝子産物の生産量がSf9細胞よりも高い値を示した(図10)。以上から、Ke17細胞は低温におけるadsorption endocytosisによるBmPTLNPVの細胞内への侵入がIPLB-SF-21細胞と比較してより高いと考えられる。
【0066】
一方、カイコ幼虫に関しては、低温がウイルス感染を誘発する報告がある。5齢脱皮直後のカイコ幼虫を低温に1日間遭遇させた後、出芽型BmNPVを経口接種または経皮接種すると幼虫の死亡率が高くなる(岡崎博之・金谷俊道・西村小百合・小川克明・渡部 仁 (1995) 日蚕雑, 64, 504-508.)。幼虫に対するBmNPV感染の低温誘発効果は消化液中のBmNPV不活化酵素の活性低下(鮎沢千尋・古田要二 (1965) 核型多角体病ウイルスに対する蚕の感受性と消化液のウイルス不活化作用について.日蚕雑, 35, 66-70.;Hayashiya,K., Uchida,Y. and Himeno,M. (1978) Jpn. J. Appl. Entomol. Zool. 22, 238-242.)が考察されている。低温遭遇させたKe17細胞では消化酵素以外のウイルス不活化酵素が細胞内活性では極めて低いためにBmPTLNPVの感染誘発が起きたのかも知れない。また一方、バキュロウイルスエンハンサー配列(hr)と相互作用して転写活性を誘動する宿主細胞因子が想定され(Iwanaga, M., Shimada, T., Kobayashi, M., and Kang, W.-K. (2007) Appl. Entomol. ZooI. 42(1),151-159)、この因子の遺伝子発現が低温処理で誘発された可能性もある。本実験では、この感染誘発の効果はBmN細胞やBmN4細胞およびSf9細胞でも若干認められるが、Ke1細胞のクローン株Ke17細胞は極めて高いため、特異的な機能と考えられ、カイコの熱処理体液のBmNPV感染助長効果に加えてウイルス感染に重要な新知見になると判断された。 また、Ke17細胞は、4回膜貫通タンパク質Claudin-RFP融合分子を細胞膜表面に発現しており (図11〜13)、高発現系のみならず膜タンパク質発現系としても無血清培養において優れた遺伝子発現系になり得ることを明らかにするものである。
【0067】
以上の結果を総合すると、NIAS-Bm-Ke17細胞系は次のような極めて特徴的な形質を有する。1.NIAS-Bm-Ke17細胞系は無血清培地により優れた増殖性と細胞の形状を均一な球形に維持できる。2.無血清培地に添加することにより、ウイルス感染を増強できる熱処理カイコ体液の添加量はわずか2.5%量であり、これで十分なウイルス感染効果が得られる。3.NIAS-Bm−Ke17細胞系は、他の培養細胞系と比較し、低温処理による高いウイルス感染効果が得られる。これは培養細胞系では、はじめての知見である。4.バキュロウイルス発現系おいて、カイコ培養細胞系は他のヨトウ培養細胞系と比較し、調査した組換え膜タンパク質の種類すべてにおいて、高発現する特徴がある。これらの成果からNIAS-Bm-Ke17細胞系は培養細胞系を発現先とするバキュロウイルス発現系において、極めて特長ある細胞であり、優れた膜タンパク質の有用物質発現系として実用面で活用できると特長がある。
【特許請求の範囲】
【請求項1】
無血清培地における培養により安定に増殖する連続継代性のカイコ培養細胞系であって、低温処理によりウイルス感染が誘発される特徴を有するカイコ培養細胞系。
【請求項2】
カイコの胚組織由来である、請求項1に記載のカイコ培養細胞系。
【請求項3】
クローン化された細胞系である、請求項1または2に記載のカイコ培養細胞系。
【請求項4】
前記ウイルスが、カイコバキュロウイルスであることを特徴とする、請求項1に記載のカイコ培養細胞系。
【請求項5】
前記カイコバキュロウイルスが、発現させたい目的遺伝子を含む組換えカイコバキュロウイルスであることを特徴とする、請求項4に記載のカイコ培養細胞系。
【請求項6】
前記低温処理が2〜5℃で行われることを特徴とする、請求項1に記載のカイコ培養細胞系。
【請求項7】
細胞系に培養細胞株(NIAS-Bm-Ke17(FERM P-21829))を含有することを特徴とする、請求項1に記載のカイコ培養細胞系。
【請求項8】
以下の(1)〜(3)の工程を含む、目的遺伝子の発現方法。
(1)無血清培地において、請求項1〜7のいずれかに記載のカイコ培養細胞系を培養する工程、
(2)低温条件化において、発現させたい目的遺伝子を含む組換えカイコバキュロウイルスを(1)の培養物に感染させる工程、
(3)感染後の培養物をさらに培養し、目的遺伝子の発現物を回収する工程
【請求項9】
請求項8(2)の工程における低温条件が、2〜5℃であることを特徴とする、請求項8に記載の発現方法。
【請求項10】
請求項8(2)の工程において、カイコ熱処理体液を培地に添加することを特徴とする、請求項8に記載の発現方法。
【請求項11】
前記目的遺伝子が、膜タンパク質であることを特徴とする、請求項8〜10のいずれかに記載の発現方法。
【請求項12】
培養細胞株(NIAS-Bm-Ke17(FERM P-21829))。
【請求項1】
無血清培地における培養により安定に増殖する連続継代性のカイコ培養細胞系であって、低温処理によりウイルス感染が誘発される特徴を有するカイコ培養細胞系。
【請求項2】
カイコの胚組織由来である、請求項1に記載のカイコ培養細胞系。
【請求項3】
クローン化された細胞系である、請求項1または2に記載のカイコ培養細胞系。
【請求項4】
前記ウイルスが、カイコバキュロウイルスであることを特徴とする、請求項1に記載のカイコ培養細胞系。
【請求項5】
前記カイコバキュロウイルスが、発現させたい目的遺伝子を含む組換えカイコバキュロウイルスであることを特徴とする、請求項4に記載のカイコ培養細胞系。
【請求項6】
前記低温処理が2〜5℃で行われることを特徴とする、請求項1に記載のカイコ培養細胞系。
【請求項7】
細胞系に培養細胞株(NIAS-Bm-Ke17(FERM P-21829))を含有することを特徴とする、請求項1に記載のカイコ培養細胞系。
【請求項8】
以下の(1)〜(3)の工程を含む、目的遺伝子の発現方法。
(1)無血清培地において、請求項1〜7のいずれかに記載のカイコ培養細胞系を培養する工程、
(2)低温条件化において、発現させたい目的遺伝子を含む組換えカイコバキュロウイルスを(1)の培養物に感染させる工程、
(3)感染後の培養物をさらに培養し、目的遺伝子の発現物を回収する工程
【請求項9】
請求項8(2)の工程における低温条件が、2〜5℃であることを特徴とする、請求項8に記載の発現方法。
【請求項10】
請求項8(2)の工程において、カイコ熱処理体液を培地に添加することを特徴とする、請求項8に記載の発現方法。
【請求項11】
前記目的遺伝子が、膜タンパク質であることを特徴とする、請求項8〜10のいずれかに記載の発現方法。
【請求項12】
培養細胞株(NIAS-Bm-Ke17(FERM P-21829))。
【図2】
【図3】
【図4】
【図5】
【図6】
【図7】
【図8】
【図9】
【図10】
【図1】
【図11】
【図12】
【図13】
【図3】
【図4】
【図5】
【図6】
【図7】
【図8】
【図9】
【図10】
【図1】
【図11】
【図12】
【図13】
【公開番号】特開2011−67203(P2011−67203A)
【公開日】平成23年4月7日(2011.4.7)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−193674(P2010−193674)
【出願日】平成22年8月31日(2010.8.31)
【国等の委託研究の成果に係る記載事項】(出願人による申告)平成19年度農業・食品産業技術総合研究機構生物系特定産業技術研究支援センター「生物系産業創出のための異分野融合研究支援事業」(カイコバキュロウイルスによる犬フィラリア診断薬の開発及び感染防御抗体の解析)、産業技術力強化法第19条の適用を受ける特許出願
【出願人】(501167644)独立行政法人農業生物資源研究所 (200)
【出願人】(391025811)株式会社シマ研究所 (1)
【出願人】(304027279)国立大学法人 新潟大学 (310)
【Fターム(参考)】
【公開日】平成23年4月7日(2011.4.7)
【国際特許分類】
【出願日】平成22年8月31日(2010.8.31)
【国等の委託研究の成果に係る記載事項】(出願人による申告)平成19年度農業・食品産業技術総合研究機構生物系特定産業技術研究支援センター「生物系産業創出のための異分野融合研究支援事業」(カイコバキュロウイルスによる犬フィラリア診断薬の開発及び感染防御抗体の解析)、産業技術力強化法第19条の適用を受ける特許出願
【出願人】(501167644)独立行政法人農業生物資源研究所 (200)
【出願人】(391025811)株式会社シマ研究所 (1)
【出願人】(304027279)国立大学法人 新潟大学 (310)
【Fターム(参考)】
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