説明

細胞延命効果を有するペプチド

【課題】細胞に対する優れた延命効果を発揮し、生産性にも優れ、かつ免疫学的な毒性の低い物質の提供。
【解決手段】(a)特定のアミノ酸配列からなるペプチド、または(b)その特定のアミノ酸配列において、1もしくは数個のアミノ酸が欠失、置換、挿入もしくは付加されたアミノ酸配列からなり、かつ、細胞延命効果を有するペプチド、を含む生体材料保存剤、ならびに該ペプチドを用いる生体材料保存方法。生体材料が細胞、組織、臓器、または細菌である保存剤。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、細胞に対して延命効果を有するペプチドを有効成分として含む生体材料保存剤、該ペプチドを用いる生体材料の保存方法に関する。
【背景技術】
【0002】
ヒトや動物の体内から摘出した細胞や、培養技術を用いて増殖させた細胞は、医療現場をはじめ畜産や再生医学の技術分野等において様々に活用されている。通常こうした細胞は複数個〜1万個以上の細胞の集合状態(細胞群あるいは細胞株)として取り扱われ、その生存率、すなわち全細胞数に占める生細胞数の割合は、無機塩、グリセロール、糖、アミノ酸などを成分とする細胞保存液に該細胞群を浸すことによって向上することが知られている。乳酸リンゲル液、ユーロコリンズ液、UW(University of Wisconsin)液はそうした細胞保存液の代表的な例である。しかし、これらの液を用いても細胞群のうちの9割以上は数時間から半日程度の間に死滅してしまう。また、液体窒素やディープフリーザーを用いて細胞群を凍結保存した場合でも、該細胞群のうちの大多数は凍結と解凍の過程で必然的な物理的損傷を受け死滅してしまう。培養が可能な種類の細胞については、たとえ細胞数が減ってもこれを再び培養し増殖させることによって数を元通りにすることができるが、医療や畜産の現場で実際に扱われる細胞の多くは、培養が不可能であるかあるいは培養条件の最適化に非常な手間と日数を要するものである。このため、摘出後あるいは培養後の細胞群を、24時間から数日のあいだ、細胞数の著しい減少を伴わずに生存させる細胞延命剤の開発が強く望まれていた。そのような薬剤が開発されれば、摘出後あるいは培養後24時間から数日の間に消費需要のある細胞群に関しては、これらを敢えて凍結保存する必要がなくなる。すなわち該細胞群は、凍結と解凍による損傷を受けずに保存される。また、そのような薬剤は、家庭用冷蔵庫あるいは砕いた氷によって該細胞群を簡単に保存することをも可能にする。また国内であれば何処でも宅配便等で該細胞群を輸送することが可能になる。すなわち、隔てられた場所に立地する病院あるいは畜産農家等の間で、摘出細胞、培養細胞、受精卵、精子などを冷蔵輸送することが可能になるために、病院や畜産農家においては液体窒素や冷凍設備が不要となり、従来の冷凍梱包や冷凍輸送にかかる経費と労力が大きく軽減されると考えられる。これらは総じて現代の冷熱技術分野でのエネルギー消費量の削減に貢献し、また万能細胞やヒト摘出細胞を用いる多くの医療における技術向上をもたらすと考えられる。
【0003】
ウシ、豚、鶏などの家畜に対しては、過剰排卵処理(ホルモン注射)、受精卵(胚)の摘出、受精卵の保存、移植(人工授精)を組み合わせた繁殖技術が広く採用されている。特に、黒毛和牛(松阪牛、神戸牛など)、黒豚(バークシャー豚、イベリコ豚など)、地鶏(比内地鶏、薩摩地鶏など)といった高級品種の繁殖需要は近年急激に増加しており、ウシ受精卵だけでも現在年間6万個以上が国内に流通している。これまで、家畜の受精卵は摘出後ただちに凍結され、他の畜産農家に輸送されてきた。このために、緩慢凍結法、クライオトップ法、Direct法、Open Pulled Straw法などの新しい凍結保存法が日々開発されており、液体窒素やプログラムフリーザーなども殆どの畜産農家で用いられるまでに至っている。しかし、例えば、ウシの凍結卵を用いた場合、卵1個当たりの国内の平均受胎率は過去10年間ずっと約45%のままであり全く改善されていない。これらのことは、家畜受精卵の産業にとって、受精卵の保存方法が技術的限界に達していることを意味する。すなわち、従来の受精卵保存法においては、凍結や時間経過によって受精卵の生命力が損なわれるという問題が解決されていない。もしも、摘出後の受精卵を24時間から数日のあいだ非凍結状態で生かし続けることのできる細胞延命剤があれば、畜産農家は、宅配便等により、元気な受精卵を繁殖に用いることができる。すなわち、家畜受精卵は摘出後24時間から数日の間に消費需要がある細胞と言える。上記のような細胞延命剤が開発されれば、畜産農家や受精卵回収業者では液体窒素やディープフリーザーなどの高価な冷凍設備が不要になると考えられる。すなわちエネルギー消費量の小さい氷や家庭用冷蔵庫を用いて受精卵を回収し保存することが可能になる。これらは年々増加している家畜需要に応える家畜数の増大をエネルギー消費量の増加を伴わずに実現するものと考えられる。
【0004】
近年では京都大学による「人工多能性幹細胞(iPS細胞)作成技術」の開発によって再生医療技術の可能性が広く認知されるまでに至っている。この技術は、患者自身から取り出した体細胞に幾つかの遺伝子を人工的に導入して分化万能性を持つ細胞(iPS細胞、または万能細胞)を作製し、これを表皮細胞、骨髄細胞、脂肪細胞などに分化させ増殖させるものである。これらの増殖した細胞を患者に移植することによって、患者の体内には健康な細胞、組織、臓器が再生すると期待される。しかし、この技術を実現するには、培養限界にまで増やした細胞をその数を減らさずに生かし続ける工夫と、それを担当できる人力(医師)が必要になる。特に、再生医療においては1ヶ月以上の培養期間を経て十分に増殖させた細胞群が必要であり、せっかく培養限界にまで増殖させた貴重な細胞群も、これを凍結保存することにより大多数が損傷すれば再生医療の成功率を下げる結果になる。また、現時点においては培養細胞ではなく患者あるいは他人からの摘出細胞が再生医療に使われているケースが殆どである。もしも、培養後あるいは摘出後の細胞群を24時間から数日のあいだ生かし続けることのできる薬剤を開発すれば、十分な数の細胞群を移植手術に用いることができる。すなわち、医療分野においても、摘出後あるいは増殖後24時間から数日のあいだ非凍結状態で生かし続けた細胞群に消費需要がある。臨床の現場では手術が数日早まることや遅れることが日常的にある。従って、凍結・解凍の手間がなく、エネルギー消費量の小さい氷や家庭用冷蔵庫を用いて細胞群を保存できれば、再生医療の現場に時間的な余裕がうまれ、当該技術の進歩に貢献すると考えられる。このように、摘出後あるいは培養後の細胞群を24時間から数日のあいだ細胞数の著しい減少を伴わずに生存させる機能のある成分と該成分を含む細胞延命剤の開発が強く望まれていた。
【0005】
米国カリフォルニア大学のRubinskyらは、0℃付近の低温下において、熱ヒステリシスタンパク質という生体物質が細胞の膜を保護する機能を示すことを約20年前に見出した。このような機能は従来の保存液には存在しないメカニズムによって発揮されると考えられ、熱ヒステリシスタンパク質と細胞膜の間の特異的な相互作用が細胞の生存力を向上させ、低温環境下での魚体の生存率向上をもたらすと考察された。Rubinskyらは、特に極洋魚類から単離および精製された熱ヒステリシスタンパク質について、その溶液を接触させることを特徴とする哺乳動物の生細胞の生存率を改善する方法を1991年に報告している(特許文献1)。
【0006】
熱ヒステリシスタンパク質は、極寒水域に生息する魚類の体液成分の一つとして1969年に発見された生体物質である。マイナスの温度下で凍結寸前状態にある水の中には、氷核と呼ばれる氷の単結晶が無数に生成する。これらの氷核は周囲の水分子をたちまち結合して結晶成長し、互いに結びつくことで、我々が日常目にする氷を形成する。熱ヒステリシスタンパク質は氷核の表面に集積してその結晶成長を止める物質である。温度(T)を約0℃に保った水の中に1粒の氷を置いたとき、一般的な氷はTを少しでも上げると融解し逆にTを少しでも下げるとたちまち成長する。ここで、氷が融解する温度をT融解とし、氷が成長を開始する温度(=凝固点)をT凝固とすれば、上記の一般的な事実は、常にT融解=T凝固が通常の氷に対して成り立つことを意味する。一方、熱ヒステリシスタンパク質の水溶液の中に1粒の氷を置いた状態を作ると、Tを上げて氷が融解する点は同じだが、Tを下げたときに氷が全く成長しないという奇妙な結果が得られる。これは熱ヒステリシスタンパク質が氷表面に集積してその成長を強力に食い止める働きをする為である。さらにTを下げ続けるとやがて氷は成長を開始するが、その温度、すなわち凝固点(T凝固)は、T融解よりも低い値になる。すなわち熱ヒステリシスタンパク質の水溶液においてはT凝固とT融解の間に差が生じる。この差が熱ヒステリシスと定義され、熱ヒステリシスを生じさせるタンパク質が熱ヒステリシスタンパク質と定義される。魚類熱ヒステリシスタンパク質の場合、熱ヒステリシス値は通常1.0℃以上である(非特許文献1)。Rubinskyらは、熱ヒステリシスタンパク質が凍結寸前状態の血液中において氷の結晶成長の開始を抑制し、低温環境下での魚体の生存率を向上させると考えた。
【0007】
熱ヒステリシスタンパク質を細胞延命剤に用いるためにはグラム量以上の同タンパク質試料を安価に生産する技術が必要不可欠である。タンパク質の生産技術には、1)天然物から抽出する方法、2)遺伝子工学による方法、3)化学合成による方法の3種類がある。しかしながら、2)においては通常1Lの培地から0.1mg〜1mg量のタンパク質しか生産することができず、3)においては製品コストが非常に高いという問題がある。このため、現時点では1)の方法(特許文献2)が熱ヒステリシスタンパク質の生産方法として食品企業に採用され、実際の生産が開始されている。しかしながら、天然から抽出した熱ヒステリシスタンパク質試料には動物由来の脂質、遺伝子断片、タンパク質断片、パイロジェン物質など共雑物が含まれている。それらはヒトに対して強い免疫学的な毒性を示す場合や予測不可能な二次的障害や疾病を発生させる場合がある。すなわち、1)の方法を用いて大量生産した試料を直ちに臨床医学の場で用いることは不可能である。このように、魚類由来の熱ヒステリシスタンパク質を含む保存液に浸した細胞、組織および臓器等をヒトの体内に入れる技術には、未だ多くの検討すべき課題があるために、実用化に至っていないのが現状である。
【0008】
このような状況下、移植または再生医療などの医学的分野においては、生存能力のある細胞、組織、臓器および細菌などをより有効に保護または保存し、それらの延命をもたらす成分の開発が待たれてきた。そして、熱ヒステリシスタンパク質よりも優れた細胞延命機能を備えているだけではなく、実用化に必要な量を生産でき、かつ免疫学的な毒性が低く安全性が高いという条件も兼ね備えた成分の開発が強く望まれていた。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0009】
【特許文献1】特公平8−9521号
【特許文献2】特許第4228068号
【非特許文献】
【0010】
【非特許文献1】Kristiansen,E.and Zachariassen(2005)Cryobiology 51,262−280
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0011】
本発明の課題は、細胞に対する優れた延命効果を発揮し、生産性にも優れ、かつ免疫学的な毒性の低い物質を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0012】
本発明者らは、鋭意研究を重ねた結果、遺伝子工学によって大量生産することのできる安全性に優れた66残基の小分子量ペプチドが、強い細胞延命効果を発揮することを見出し、本発明を完成した。
【0013】
すなわち、本発明は以下の発明を包含する。
(1)次の(a)または(b)のペプチドを含む生体材料保存剤:
(a)配列番号6のアミノ酸配列からなるペプチド
(b)配列番号6のアミノ酸配列において、1もしくは数個のアミノ酸が欠失、置換、挿入もしくは付加されたアミノ酸配列からなり、かつ、細胞延命効果を有するペプチド。
(2)生体材料が細胞であるかまたは細胞を含むものである、(1)記載の保存剤。
(3)細胞を延命するための、(2)記載の保存剤。
(4)生体材料が細胞、組織または臓器である、(1)〜(3)のいずれかに記載の保存剤。
(5)生体材料が細菌である、(1)〜(3)のいずれかに記載の保存剤。
(6)該ペプチドを含む液体の形態である、(1)〜(5)のいずれかに記載の保存剤。
(7)次の(a)または(b)のペプチドを含む液体に生体材料を浸漬することを含む生体材料の保存方法:
(a)配列番号6のアミノ酸配列からなるペプチド
(b)配列番号6のアミノ酸配列において、1もしくは数個のアミノ酸が欠失、置換、挿入もしくは付加されたアミノ酸配列からなり、かつ、細胞延命効果を有するペプチド。
(8)生体材料が細胞であるかまたは細胞を含むものである、(7)記載の方法。
【発明の効果】
【0014】
本発明により、摘出後あるいは培養後の細胞群を24時間から数日のあいだ生存細胞数の著しい減少を伴わずに保存する能力をもつ免疫学的な毒性の低いペプチドが提供される。本発明のペプチドは、遺伝子工学的技術によって工業生産が可能である。
【図面の簡単な説明】
【0015】
【図1】Nfe6(a)、Nfe8(b)、Nfe11(c)の高純度試料の電気泳動図である。
【図2】Nfe6(a)、Nfe8(b)、Nfe11(c)の高純度試料のHPLCのパターンである。
【図3】HepG2細胞群の保存実験前の実体顕微鏡写真(a)および同細胞を生細胞染色蛍光色素Calcein−AMで染色したときの蛍光顕微鏡写真(b)である。
【図4】a)EC液、b)Nfe8液、c)Nfe6液、およびd)Nfe11液を各々用いることでHepG2細胞群を4℃にて48時間保存した後に、同細胞群の生細胞と死細胞を各々黄緑色(上)および赤色(下)で染色した顕微鏡写真である。
【図5】HepG2細胞群をEC液、Nfe8液、Nfe11液を用いて4℃にて48時間保存した際の細胞群の生存率を、a)WST−8量、b)LDH放出量、c)ATP量に基づいて求めた図である(繰り返し回数=11)。
【図6】HepG2細胞群をEC液、Nfe8液、Nfe6液、Nfe11液を用いて4℃にて24時間保存した際の細胞群の生存率をLDH放出量に基づいて求めた図である。
【図7】Nfe11、Nfe8、およびNfe6のアミノ酸配列を示す。
【図8】Nfe11を含むリン酸緩衝液を用いて4℃にて72時間保存した後のウシ黒毛和種受精卵の顕微鏡写真である。
【発明を実施するための形態】
【0016】
従来、熱ヒステリシスタンパク質が、細胞、組織および臓器等の生体材料保護機能を有することが知られていた。熱ヒステリシスタンパク質は、不凍タンパク質、Antifreeze Protein、あるいはAFPとも呼ばれる。しかしながら、本発明者らは、驚くべきことに、熱ヒステリシス活性と生体材料保護機能の間には比例的関係が無く、熱ヒステリシス活性を有しない本発明のペプチドが、優れた細胞延命機能を有することを見出した。
【0017】
本発明者らははじめ熱ヒステリシスタンパク質を探索する目的でナガガジ(Zoarces elongatus Kner)という魚種を捕獲した。その後、この魚種の筋肉内のタンパク質や肝臓内の遺伝子を丹念に調べることによって、この魚種が配列番号4のアミノ酸配列からなる熱ヒステリシスタンパク質(Nfe8)を有することを見出した。奇妙なことに、この魚種はNfe8以外にも、Nfe8とアミノ酸配列上の相同性をもつ12個ものペプチド(Nfe1〜7およびNfe9〜13)を発現していた。そして、これらNfe8以外のペプチドは(以下、Nfeペプチドと呼ぶ)、熱ヒステリシス活性を有しないという意外な事実が明らかになった(Nishimiya et al.,FEBS Journal(2005)272,482−492)。その後、本発明者らは、これら熱ヒステリシス活性を有しないNfeペプチドの機能を明らかにするべく鋭意実験研究を進めた。
【0018】
熱ヒステリシス活性の測定は約0.1mg量のペプチドがあれば十分に実施できるが、細胞保存実験には100mg以上の量のペプチドが必要である。本発明者らはNfe8を含む13種類のNfeペプチドについて、細胞延命効果を調べた。ここで、非常に発現量の少ないNfeペプチドは、これを細胞保存実験に供することができなかったが、発現量が少ないということは、そのNfeペプチドについては産業利用上の量産化が難しいことを意味する。実験の結果、最終的にNfe11(配列番号6)、Nfe8(配列番号4)、Nfe6(配列番号2)の3種類について実験可能な量の試料を取得し、細胞延命効果を調べた。その結果、熱ヒステリシス活性を有しないNfe11が、熱ヒステリシス活性を有するNfe8に比べて、特段に優れた細胞延命機能を発揮することが示された。さらに意外なことに、もう一つの熱ヒステリシス活性を示さないNfe6は、Nfe11に比べて弱い細胞保護機能しか有しないことも明らかとなった。
【0019】
すなわち、配列番号6のアミノ酸配列からなるペプチド(Nfe11)が、熱ヒステリシス活性を有しないにも関わらず、熱ヒステリシス活性を有するペプチドよりも強い細胞延命機能、換言すれば生体材料保存機能を発揮することを見出したのである。また、一般的なペプチドは1Lの培地から0.1〜1mgの量しか生産できないのに対し、Nfe11はその百〜千倍もの量を生産できることも見出した。本発明は、当該知見に基づくものである。
【0020】
従って、本発明は、配列番号6のアミノ酸配列からなるペプチドを含む生体材料保存剤に関する。本発明はまた、配列番号6のアミノ酸配列からなるペプチドと機能的に同等のペプチドを含む生体材料保存剤に関する。「機能的に同等」とは、対象となるペプチドが、配列番号6のアミノ酸配列からなるペプチドと同等の生物学的機能、生化学的機能を有することを指す。配列番号6のアミノ酸配列からなるペプチドと機能的に同等のペプチドとしては、配列番号6のアミノ酸配列において、1もしくは数個(通常2〜5個、好ましくは2〜3個)のアミノ酸が欠失、置換、挿入もしくは付加されたアミノ酸配列からなり、かつ、細胞延命効果を有するペプチドが挙げられる。また、配列番号6のアミノ酸配列と80%以上、好ましくは90%以上、より好ましくは95%以上、さらに好ましくは98%以上の同一性を有するアミノ酸配列からなり、かつ、細胞延命効果を有するペプチドが挙げられる。以下、配列番号6のアミノ酸配列からなるペプチドおよび該ペプチドと機能的に同等のペプチドを、本発明のペプチドと称する。
【0021】
本発明においてペプチドとは、アミノ酸が2個以上ペプチド結合で連結した物質をさし(研究社刊 理化学英和辞典)、タンパク質、ポリペプチドおよびオリゴペプチドもペプチドに包含される。また、本発明においてペプチドには、ペプチドの塩も包含される。ペプチドの塩は、薬学的に許容できる塩であれば限定されないが、例えば、酸付加塩および塩基付加塩が挙げられる。酸付加塩としては、塩酸、硫酸、硝酸またはリン酸等の無機酸との塩、酢酸、リンゴ酸、コハク酸、酒石酸またはクエン酸等の有機酸との塩が挙げられる。また塩基付加塩としては、ナトリウムまたはカリウム等のアルカリ金属との塩、カルシウムまたはマグネシウム等のアルカリ土類金属との塩、アンモニウムまたはトリエチルアミン等のアミン類との塩が挙げられる。
【0022】
本発明のペプチドは、遺伝子組換え手段を用いることにより、容易に製造できる。遺伝子組換え手段を用いる場合には、本発明のペプチドをコードするDNA(例えば、配列番号5の塩基配列からなるDNAおよびそれと同等のDNA)を、DNA合成機等を用いて常法により合成し、この合成されたDNAを適当なベクターに導入し、得られた組換えベクターを用いて、大腸菌等の宿主を形質転換する。次いで形質転換体を培養することにより、上記合成DNAに対応する本発明のペプチドを得ることができる。
【0023】
ここで、配列番号5の塩基配列からなるDNAと同等のDNAとは、対象となるDNAによってコードされるペプチドが、配列番号5の塩基配列からなるDNAによってコードされるペプチドと同等の生物学的機能、生化学的機能を有することを指す。配列番号5の塩基配列からなるDNAと機能的に同等のDNAとしては、配列番号5の塩基配列と相補的な塩基配列からなるDNAとストリンジェントな条件下でハイブリダイズし、細胞延命効果を有するペプチドをコードするDNAが挙げられる。ストリンジェントな条件とは、特異的なハイブリッドが形成され、非特異的なハイブリッドが形成されない条件をいい、低ストリンジェントな条件および高ストリンジェントな条件が挙げられるが、高ストリンジェントな条件が好ましい。低ストリンジェントな条件とは、ハイブリダイゼーション後の洗浄において、例えば、42℃、5×SSC、0.1%SDSで洗浄する条件であり、好ましくは50℃、5×SSC、0.1%SDSで洗浄する条件である。高ストリンジェントな条件とは、ハイブリダイゼーション後の洗浄において、例えば、65℃、0.1×SSCおよび0.1%SDSで洗浄する条件である。上記のようなストリンジェントな条件下では、配列番号5の塩基配列と高い相同性(相同性が80%以上、好ましくは90%以上、より好ましくは95%以上、さらに好ましくは99%以上)を有する塩基配列からなるDNAが、該DNAと相補的な塩基配列からなるDNAとハイブリダイズすることができる。
【0024】
無細胞ペプチド合成系(無細胞タンパク質合成系)により本発明のペプチドを得ることもできる。無細胞ペプチド合成系は、細胞抽出液を用いて試験管内でペプチドを合成する系である。「無細胞ペプチド合成系」は、mRNAの情報を読み取ってリボソーム上でペプチドを合成する無細胞翻訳系とDNAを鋳型としてRNAを合成する無細胞転写系との両者を含む。無細胞ペプチド合成系は、系を容易に改変することができるため、目的のペプチドに適した発現系を構築しやすいという利点がある。なお、無細胞ペプチド合成系の詳細については、特開2000−175695号などに記載されている。
【0025】
配列番号6のアミノ酸配列における、1または数個のアミノ酸の欠失、置換、挿入または付加は、常用される技術、例えば、部位特異的変異誘発法(Zollerら、Nucleic Acids Res.10,6478−6500,1982)により、配列番号6のアミノ酸配列からなるペプチドをコードするDNA(例えば、配列番号5の塩基配列からなるDNA)の配列を改変することにより実施することができる。
【0026】
本発明のペプチドは、細胞を延命させる機能を有する。細胞延命機能は、換言すれば、細胞の生存を維持する機能をさす。本発明のペプチドはまた、細胞膜保護機能を有する。細胞膜は厚さ約5nmの脂質二重層の構造を有し原子や分子を選択的に透過させる性質、すなわち流動性を有する。この流動性によって細胞内の物質の濃度や状態が適正に制御される結果、細胞の生命活動が維持される。もしも、温度等の外的条件等の変化によって脂質二重層が欠損するかあるいは脂質二重層の構造や流動性が変化すると、細胞の生命活動は維持されない。細胞膜保護機能とは、脂質二重層の欠損を防ぐあるいは本来の構造や流動性の消失を防ぐことによって、細胞の生命活動を維持する機能のことである。ペプチドは、保存液に添加すると多少の細胞延命機能を有する場合が多いが、その機能が発揮される期間は短く、通常24時間程度である。それに対し本発明のペプチドは、48時間以上、さらには72時間以上、あるいは96時間以上にわたり細胞延命機能を発揮する点で特に優れている。
【0027】
本発明のペプチドは、細胞を延命させる機能を有することから、生体材料保存剤に使用できる。本発明において生体材料は、生体に由来する材料であれば特に制限されない。本発明のペプチドは、脂質二重層からなる膜構造をもつものならば細胞の種類によらず全ての細胞の生存率を改善する。生体材料としては、細胞およびこれを含む材料、例えば、組織および臓器等が挙げられる。生体材料は、動物に由来するものでも植物に由来するものでもよいが、動物由来のものが好ましい。動物としては、哺乳動物(例えば、ブタ、ウシおよびウマなどの家畜、ヒトおよびサルなどの霊長類、イヌおよびネコなどの愛玩動物、ならびにウサギ、マウスおよびラットなどの齧歯類)、および鳥類(例えば、シチメンチョウおよびニワトリなどの家禽)が挙げられる。
【0028】
保存および保護の対象となる細胞としては、臓器由来の細胞、表皮細胞、膵実質細胞、膵管細胞、腎臓細胞、肝細胞、血液細胞、心筋細胞、骨格筋細胞、骨芽細胞、骨格筋芽細胞、神経細胞、血管内皮細胞、色素細胞、平滑筋細胞、脂肪細胞、骨細胞、軟骨細胞、赤血球、白血球、卵子、精子、ならびに種々のタイプの細菌および植物細胞などが挙げられる。保存および保護の対象となる組織としては、上皮組織、結合組織、筋肉組織、神経組織、皮膚組織、骨髄組織、角膜組織などが挙げられる。保存および保護の対象となる臓器としては、皮膚、血管、角膜、腎臓、心臓、肝臓、さい帯、腸、神経、肺、胎盤、膵臓、脳、四肢末梢、網膜などが挙げられる。また、生体材料には、生物自体、例えば、胚(受精卵)、全動物、植物の種子および全植物も包含される。すなわち、本発明の生体材料保存剤は、例えば、細胞保存剤、臓器保存剤、組織保存剤、細菌保存剤として使用できる。
【0029】
魚類由来の熱ヒステリシスタンパク質など動物から抽出し精製した天然タンパク質試料はヒトに対して強い免疫学的な毒性を示す場合や予測不可能な二次的障害および疾病を発生させる場合があるが、本発明のペプチドは、容易に化学合成あるいは遺伝子発現をすることができるため、天然試料に含まれるような脂質、遺伝子断片、ペプチド断片、パイロジェン物質などが含まれない。このため、上記のような障害や疾病あるいは狂牛病の原因となるプリオンで広く知られるような動物由来の医薬品がもたらす感染症の危険が極めて低い。本発明のペプチドは、より安全性に優れ、量産が可能であり、実用的な低価格生産が可能である。また、本発明のペプチドは畜産分野等において需要の大きい卵子や精子などの低温長期保存への応用も期待できる。
【0030】
本発明の生体材料保存剤は、好ましくは本発明のペプチドを含む液体、より好ましくは本発明のペプチドの溶液の形態である。さらに好ましくは本発明のペプチドを含む水性液体の形態である。その場合、当該液体における本発明のペプチドの濃度は、通常1〜30mg/ml、好ましくは5〜15mg/mlである。本発明のペプチド(Nfe11)をユーロコリンズ液に溶解してHepG2細胞株(実施例を参照)に対する細胞保存実験を行った結果、10mg/mL濃度の時に充分な細胞保護効果が得られた。このことは、細胞膜を充分に覆うに足る一定量のペプチドを存在させることが好ましいことを示していると考えられる。
【0031】
本発明のペプチドを溶解する液は、本発明の生体材料保存剤の用途に応じて適宜選択できるが、通常、水性液体である。例えば、イーグルスMEM等の各種培養液、PBS(−)等のリン酸緩衝液、トリス緩衝液、生理食塩水等が挙げられる。また、ユーロコリンズ液(Euro−Collins液,Squifflet,J.P.et al.,Transplant Proc.,13693,1981)、UW液(University of Wisconsin,Wahlberg,J.A.et al.,Transplantation,43,5−8,1987)等の従来の臓器保存液でもよい。
【0032】
本発明の生体材料保存剤には、用途に応じて抗酸化剤、安定化剤等の添加剤を適宜添加してもよい。そのような成分としては、リン酸塩、クエン酸塩、または他の有機酸;抗酸化剤(例えば、SOD、ビタミンEまたはグルタチオン);低分子量ポリペプチド;親水性ポリマー(例えば、ポリビニルピロリドン);アミノ酸(例えば、グリシン、グルタミン、アスパラギン、アルギニンまたはリジン);単糖類、二糖類、および多糖類の化合物(グルコース、マンノースまたはデキストリンを含む);キレート剤(例えば、EDTA);糖アルコール(例えば、マンニトールまたはソルビトール);塩形成対イオン(例えば、ナトリウム);非イオン性表面活性化剤(例えば、ポリオキシエチレン・ソルビタンエステル(Tween(商標))、ポリオキシエチレン・ポリオキシプロピレンブロック共重合体(プルロニック(pluronic、商標))またはポリエチレングリコール);血栓溶解剤;血管拡張剤;組織賦活化剤;カテコラミン;PDEII阻害剤;カルシウム拮抗剤;βブロッカー;ステロイド剤;脂肪酸エステル;抗炎症剤;抗アレルギー剤;抗ヒスタミン剤などが挙げられる。
【0033】
本発明はまた、本発明のペプチドを含む液体に生体材料を浸漬することを含む生体材料の保存方法に関する。本発明の保存方法において、保存液中で生体材料を保存する温度は、臨床的に臓器の保存に用いられている温度であり、通常、−5〜10℃、好ましくは−1〜4℃である。上記のような低温で保存することにより、細胞内酵素が細胞生存に必要とされる主要な細胞成分を分解する速度を低下させることができる。また、低温での保存により、代謝を停止させるのではなく、反応速度および細胞の死亡を遅延させることができる。保存可能な期間は、通常、0〜144時間、好ましくは0〜72時間である。
【0034】
生体から取り出した生体材料、すなわち細胞、組織および臓器などは、通常、細胞保存液に浸漬され氷中(4℃前後)で保存される。これは、生体から取り出された細胞は、一定温度以上で虚血性障害による大きなダメージを受けること、また、凍結保存においても、解凍の際の氷の再結晶などが主な原因となり、様々な凍結溶液が開発されているものの、凍結解凍後の生存率が低くなるためである。また、氷中で保存される場合も細胞は徐々にダメージを受け、一定時間以上の保存は極めて難しい。これに対し、本発明のペプチドを含む保存剤は、細胞、組織および臓器などの生体材料と共存させることにより、これらを効果的に保護する機能を有する。
【0035】
細胞延命機能は、細胞または細胞を含む生体材料を被検物質の存在下でインキュベートし、その後の経過を観察することにより評価することができる。ここで用いる生体材料は、実際に生体から取り出したものでもよいし、特定の細胞株でもよい。生体から細胞や組織などの生体材料を取り出して評価する為には、特殊な施設、技術および多量の保存液が必要となるが、既に確立されている細胞株を利用する場合は、比較的簡易な施設で培養可能であるとともに、世界的に品質が管理されていることから再現性を確認することも容易である。従って、細胞株を用いる評価方法では、様々な種類の生体材料、例えば、様々な臓器由来の細胞について容易に試験できる。
【0036】
細胞延命機能の評価に細胞群または細胞株を用いる場合、全細胞数に対する生細胞数の割合、すなわち生存率は、当技術分野で公知の方法で確認することができる。例えば、生細胞染色蛍光色素(例えば、Calcein−AM)と死細胞染色用蛍光色素(例えば、Propidium Iodide)を組み合わせて使用することにより評価することができる(DeClerck et al.,Jounal of Immunological Methods,172(1994)115,Nicoletti et al.,Jounal of Immunological Methods,139(1991)271)。例えば、Calcein−AMとPropidium Iodideを用いるセルステイン細胞二重染色キット((株)同仁科学研究所)では、生細胞が黄緑色に染色され、死細胞が赤色に染色されることから、細胞の生存率を測定することができる。
【0037】
生細胞染色色素であるCalcein−AMは、蛍光分子であるCalcein(最大吸収波長490nm、最大蛍光波長515nm)の4つのカルボキシル基をアセトキシメチルエステル(AM)化したものである。AM化されたCalceinはほとんど蛍光を示さないが、AM化により脂溶性が高まり、細胞膜を透過して細胞内のエステラーゼにより加水分解される。加水分解により生じるCalceinは強い蛍光を示し、細胞膜を透過しないため生細胞が染色される。死細胞染色色素であるPropidium iodide(PI、最大吸収波長530nm、最大蛍光波長620nm)は、核酸に結合することで蛍光を示す分子である。細胞膜を透過しないため、細胞膜に大きなダメージを受けている細胞に取り込まれ、細胞核が染色される。
【0038】
細胞障害、すなわち細胞膜の障害を定量することにより、細胞の生存率を測定することもできる(文献T.Decker and M.L.L.Matthes,Jounal of Immunological Methods,115(1988)61)。例えば、乳酸デヒドロゲナーゼ(LDH)の量を指標とする方法が良く知られている。LDHは、全ての細胞に安定して存在する細胞質酵素であり、細胞膜が障害を受けるとすぐに培養上清中に放出される。キット中に含まれる基質、触媒(ジアフォラーゼ)と細胞上清に放出されたLDHの反応により、テトラゾリウム塩INT(2−[4−インドフェニル]−3−[4−ニトロフェニル]−5−フェニルテトラゾリウムクロリド)から吸収波長約500nmにピークを持つ赤色ホルマザンが生成する。死細胞または細胞膜に障害をうけた細胞の数の増加は、培養上清中のLDH酵素活性の増加として現れる。培養上清中のLDH酵素活性の増加は、一定の時間内に生成した赤色ホルマザン量と直線的に相関する。このように、安定な酵素であるLDHを定量することにより、細胞膜が破れて死滅した細胞の数を見積もることができる。また、テトラゾリウム塩WST−8(2−(2−メトキシ−4−ニトロフェニル)−3−(4−ニトロフェニル)−5−(2,4−ジスルホフェニル)−2H−テトラゾリウム モノナトリウム塩)は生きた細胞内にある脱水素酵素により還元され450nmに吸収をもつ高感度の水溶性ホルマザンを生成する。このホルマザンの量を計測することによっても精度良く生細胞を定量することができる。
【0039】
以下、本発明の実施例を示すが、本発明は実施例により限定されるものではない。
【実施例】
【0040】
(1)Nfe6、Nfe8およびNfe11を発現する発現ベクターの構築
北海道東部沿岸において鮮魚Zoarces elongatus Knerを捕獲し、その肝臓からmRNAを抽出・精製した後に、ZAP−cDNA Synthesis Kit(TOYOBO)を用いてcDNAライブラリーを作製した。このcDNAライブラリーを鋳型に、配列番号7および8に示す塩基配列を有するオリゴヌクレオチドをプライマーとしてPCRを行い、500〜700塩基対のDNA断片をpGEM−T Easy(Promega)にクローニングした。DNAの配列の解読により配列番号1、3、5に示すNfe6、8および11の配列を含むDNA断片がクローニングされたことを確認した。Nfe6、8、11をコードするDNAの上流には分泌シグナル配列のDNAが確認されたため、Nfe6の配列を含むDNA断片に対しては、配列番号9と8の塩基配列、Nfe8の配列を含むDNA断片に対しては配列番号10と8の塩基配列、Nfe11の配列を含むDNA断片に対しては配列番号11と8の塩基配列で表されるオリゴヌクレオチドをプライマー対としてPCRを行い、分泌シグナル配列を除去した。配列番号9〜11の塩基配列からなるプライマーにはNdeIサイトが、配列番号8の塩基配列からなるプライマーにはXhoIサイトがそれぞれ導入されており、PCRによって得られたDNA断片とpET20b(Novagen)をNdeIとXhoIで消化後、ライゲーション反応を行いプラスミドpET20NFE6、pET20NFE8、pET20NFE11を得た。
【0041】
(2)Nfe6、Nfe8およびNfe11の遺伝子組換え体の発現
pET20NFE6、pET20NFE8、pET20NFE11で形質転換したBL21(DE3)(Novagen)をそれぞれ100μg/mlのアンピシリンを含む2xYT培地で28℃にて、24時間振とう培養した。新たに調製した100μg/mlのアンピシリンを含む2xYT培地に体積比で1/100量の培養液を植継ぎ、28℃で振とう培養を行った。O.D.600=0.5で終濃度0.5mMになるようにIPTG(イソプロピル−β−D(−)−チオガラクトピラノシド)を添加して発現を誘導し、さらに18時間培養した。
【0042】
(3)Nfe6、Nfe8およびNfe11の遺伝子組換え体の精製
Nfe6、Nfe8およびNfe11の遺伝子組換え体は、いずれも次に示す方法で精製した。培養液を5000rpm、15分、4℃で遠心分離し、菌体を回収した。ここに培養液の1/20量のTEバッファー(10mM Tris−HCl/1mM EDTA pH8.0)とPMSF(フェニルメチルスルホニルフルオリド)を0.1mMになるように加え、菌体を懸濁した。懸濁液を一度凍結し、融解後、菌体を超音波装置で破砕した。破砕液を11,000rpm、20分、4℃で遠心分離し、上清を回収した。この上清にクエン酸一水和物(13.2g/L)と塩化ナトリウム(29.2g/L)を溶解し、4℃で一時間放置した。生じた沈殿物を6,000rpmで4℃にて、30分遠心分離し、目的のタンパク質を含んだ上清を回収した。移動相に5mM クエン酸ナトリウム溶液を用いた内径5.0cm高さ26cm(容量500ml)のSephadex G−25ゲル濾過カラム(GE Healthcare)に上清を通すことにより、5mM クエン酸ナトリウム溶液に置換されたタンパク質溶液を得た。続いて、クエン酸溶液でこのタンパク質溶液のpHを2.9に調整し4℃で一晩静置することで夾雑タンパク質を酸変性・沈殿させた。この沈殿物を、6,000rpm、4℃、30分の遠心分離で取り除き、目的のタンパク質を含有する上清を得た。内径5.0cm、高さ4.6cm(容量90ml)の陽イオン交換High−Sカラム(Bio-Rad)を50mM クエン酸ナトリウム緩衝液(pH2.9)で平衡化しておき、ここに回収した上清を通した。樹脂に吸着した目的のタンパク質を、50mM クエン酸ナトリウム/330mM NaCl(pH2.9)で溶離し回収した。図1(a〜c)に陽イオン交換カラムによって分画したタンパク質溶液をSDS−PAGEに供した結果を示す。Nfe6、Nfe8、Nfe11ともに一本のバンドが4.5kDa付近に検出された。Nfe8が属するIII型の熱ヒステリシスタンパク質(不凍タンパク質)はSDS−PAGE上では実際の分子量より小さい4.5kDa付近に泳動バンドが検出されることが知られている(Hew et al.,1984,J.Comp.Physiol.B155,81−88)。したがって、この電気泳動の結果はNfe6、Nfe8、Nfe11が高純度に精製されていることを示している。これらの精製物の水溶液を10倍量の20mM 酢酸アンモニウム溶液で5回透析した後、凍結乾燥して試料粉体を得た。この粉体の一部を超純水に溶解しODS−80TS(TOSOH)を用いてHPLCで分析した結果を図2(a〜c)に示す。Nfe6、Nfe8、Nfe11の各々のピーク面積は全体の90%以上であり、各ペプチドの純度は90%以上であることが示された。それぞれの平均収量は培地1Lあたり約0.1g(Nfe6)、18mg(Nfe8)、0.1g(Nfe11)であった。
【0043】
(4)保存液の調製
下記のA〜Dの液を調製して細胞保存実験に用いた。
【0044】
A1) 分離腎保存液である市販のユーロコリンズ液「アイロム」(アイロム(株))に対して50%グルコース溶液(第一三共(株))を35g/Lとなるように添加した液(ユーロコリンズ液またはEC液)。
【0045】
A2) 市販のユーロコリンズ液の原液に対して10mL/LとなるようにTritonXを添加した液。
【0046】
B) A1)にNfe8粉末を10mg/mLとなるように溶解した液(Nfe8液)。
【0047】
C) A1)にNfe6粉末を10mg/mLとなるように溶解した液(Nfe6液)。
【0048】
D) A1)にNfe11粉末を10mg/mLとなるように溶解した液(Nfe11液)。
ここで、Nfe8は熱ヒステリシス活性を有するが、Nfe6とNfe11は熱ヒステリシス活性を有しない。
【0049】
(5)細胞の調製
Nfe6、Nfe8およびNfe11を用いた細胞保護効果および細胞保存効果の確認には、理研細胞バンクから購入したヒト肝臓由来の細胞株HepG2(図3)を用いた。実験には10%ウシ血清(FBS、Gibco)、50μg/mLペニシリン/ストレプトマイシン(インビトロジェン(株))を含むダルベッコ改変イーグル(DMEM)培地(シグマアルドリッチジャパン(株))(培養液)で約一週間培養後のHepG2細胞を用いた。FBSは、56℃で30分加熱することで非働化した後に使用した。培養は炭酸ガスインキュベータ(SANYO,COIncuvator)内で5%CO、37℃の雰囲気下でフラスコを用いて行った。サブコンフルエント(容器が細胞で満杯になる一歩手前の状態)に達したHepG2細胞をトリプシン溶液(和光純薬(株))で処理し、細胞懸濁液を調製した。細胞培養用マイクロプレートに細胞懸濁液を播種し、炭酸ガスインキュベータ内(5%CO、37℃)で一晩培養後、保存実験に用いた。以下、全ての実験において細胞保存温度は4℃に設定した。
【0050】
(6)細胞生存率の評価
48時間保存した後の細胞を、(株)同仁科学研究所より市販されているセルステイン細胞二重染色キットを用いて染色し、蛍光顕微鏡(オリンパスIX70)観察をすることによって生存率を評価した。セルステイン細胞二重染色キットは、生細胞染色蛍光色素Calcein−AMと死細胞染色用蛍光色素PI(Propidium Iodide)を組み合わせたものであり、生細胞および死細胞を各々黄緑色と赤色に染色することができる。保存実験には、4穴細胞培養プレート(ナルジェ ヌンク インターナショナル(株))を使用し、(5)に記載の方法で調製したHepG2細胞を利用した。調製した細胞は、洗浄後、(4)に記載の保存液で培地を置換し、4℃下で24および48時間保存した。保存後、37℃のインキュベータに細胞を移して1時間放置し、二重染色液を終濃度2μM Calcein−AM、4μM PIとなるように添加した後、37℃で15分間インキュベートした。この操作後に細胞培養プレートを蛍光顕微鏡にセットし、GFP用の蛍光キューブ(励起フィルター:BP460−480、ダイクロイックミラー:DM450、吸収フィルター:BA460−510)を使用して「黄緑色に染色された生細胞」を観察した。また、YFP用の蛍光キューブ(励起フィルター:BP490−500、ダイクロイックミラー:DM505、吸収フィルター:BA515−560)を使用して「赤色に染色された死細胞」を観察した。
【0051】
(株)同仁科学研究所のWST−8を利用したCell Counting Kit−8を用いることによって24時間保存後の細胞の生存率を見積もった。保存実験には、4穴細胞培養プレート(ナルジェ ヌンク インターナショナル(株))を使用し、(5)に記載の方法で調製したHepG2細胞を利用した。調製した細胞は、洗浄後、(4)に記載の保存液で培地を置換し、4℃下で24および48時間保存した。保存液をDMEM培地に置換し、炭酸ガスインキュベータ内(5%CO、37℃)で2時間培養した後、WST−8を添加し、さらに2時間培養した。培地中の水溶性ホルマザン量は、450nmの吸光度をマイクロプレートリーダー(和光純薬工業(株)、サンライズリモート)を用いて計測することで評価し、保存実験を行う前のHepG2細胞にWST−8を添加して計測した細胞数をコントロール(100%)として用いて細胞保存実験後の生細胞の割合を算出した。
【0052】
さらに、タカラバイオ(株)のLDH Cytotoxicity計測キットを用いて24時間保存後の細胞の生存率を見積もった。LDH量の測定は、4穴細胞培養プレート(ナルジェ ヌンク インターナショナル(株))に(5)に記載の方法で調製した細胞懸濁液を播種した後、4℃下での24および48時間の保存実験の後に行った。保存後のプレート上清を新しい96穴プレートに移し、試薬を添加後、25℃で30分インキュベートした。生成した赤色ホルマザン量は、マイクロプレートリーダー(和光純薬工業(株)、サンライズリモート)で490nmの吸光度を測定することで評価した。この実験においては1%のTritonXを含む細胞保存液(A2液)を用いてHepG2を24時間保存した際のLDH量を100%とすることで、各実験におけるLDHの割合を算出した。
【0053】
低温下では、代謝が低下しているため細胞内でほとんどATPは合成されない。細胞が障害を受けると恒常性を保つため細胞内ATPが消費されるため、低温保存後の細胞内のATP濃度を測定することで、細胞への低温ストレスを評価することが可能となる。ATP濃度測定には、発光測定用の96穴細胞培養プレート(ナルジェ ヌンク インターナショナル(株))を使用し、(5)に記載の方法で調製したHepG2細胞を利用した。調製した細胞は、洗浄後、(4)に記載の保存液で培地を置換し、4℃下で24および48時間保存した。保存後のATP濃度を各ウェルに発光測定試薬(CellTiter−Glo Promega)を添加し、マイクロプレートリーダー(パーキンエルマーライフサイエンスジャパン(株)、Wallac 1420 ARVOsx)で発光強度を測定することで評価した。この実験においては、保存前の細胞の培地をユーロコリンズ液(A1液)に置換し、この時のATP濃度を100%とすることで、各実験におけるATP濃度の割合を算出した。
【0054】
(7)蛍光染色による48時間保存後のHepG2細胞の観察結果
48時間のHepG2細胞保存実験をユーロコリンズ液、Nfe8液、Nfe6液、Nfe11液を用いて行った後の蛍光顕微鏡画像をそれぞれ図4a〜dに示した。図4上段に示す緑色に染色された細胞は保存実験後の生細胞を表し、図4下段に示す赤色に染色された細胞は保存実験後の死細胞を表している。ユーロコリンズ液(EC液)を用いた場合、細胞群は全て死滅することが示された(図4a)。HepG2細胞群は、保存実験後24時間を経過した時点ですでに85%以上が死滅することを別の実験から確認した。Nfe8液を用いた場合、細胞の生存率は約25%と低い値であった(図4b)。また、Nfe6液を用いた場合でも細胞の生存率は約40%と低い値であった(図4c)。一方、Nfe11液を用いた場合には、約75%と非常に高い細胞の生存率が得られた(図4b)。これらの実験結果から、熱ヒステリシス活性の無いNfe11が熱ヒステリシス活性のあるNfe8よりも遙かに優れた細胞保護機能および細胞延命機能を有することが示された。また、同じ熱ヒステリシス活性の無いNfe11とNfe6の間でも大きく細胞保護機能が異なることが示された。これらより、Nfe11は細胞保護機能および細胞延命機能に関して高い特異性を有すると結論づけられた。
【0055】
(8)HepG2細胞の生存率の測定結果1
図5に、(4)記載のEC液、Nfe8液、およびNfe11液を用いてHepG2細胞を4℃下で48時間保存した後の同細胞の生存率を定量した結果を示す。なお、総計11回この実験を繰り返した結果をまとめている。図5に示すように、WST-8量、すなわち生細胞のもつ脱水素酵素の能力を計る方法からは、EC液、Nfe8液、およびNfe11液を用いた際のHepG2細胞の生存率は各々約4%、16%および48%と見積もられた(図5a)。また、LDH放出量の測定からは、EC液、Nfe8液、およびNfe11液を用いた際の各々の細胞生存率は約4%、19%、62%と見積もられた(図5b)。ここで、LDH放出量は膜が破損した細胞の量を表すため、百から図5bのグラフの値を差し引いた値を細胞の生存率とした。さらに、ATP量、すなわち細胞のエネルギー量を計る方法からは、EC液、Nfe8液、およびNfe11液を用いた際の生存率は、それぞれ6%、20%、60%と見積もられた。これらの実験結果から、熱ヒステリシス活性を有しないNfe11が、熱ヒステリシスタンパク質であるNfe8よりも優れた細胞保護機能および細胞延命機能を有することが実証された。
【0056】
(9)HepG2細胞の生存率の測定結果2
図6に、(4)記載のEC液、Nfe8液、Nfe6液、およびNfe11液を用いてHepG2細胞を4℃下で24時間保存した後の同細胞の生存率を測定した結果を示す。なお、総計11回この実験を繰り返した結果をまとめている。図6に示すようにLDH量の測定からは、EC液、Nfe8液、Nfe6液、およびNfe11液を用いた際の生存率は、それぞれ約89%、67%、56%および34%と見積もられた(図5)。この実験結果から、熱ヒステリシス活性を有しないNfe11が熱ヒステリシスタンパク質であるNfe8よりも遙かに優れた細胞保護機能および細胞延命機能を有することが示された。また、同じ熱ヒステリシス活性の無いNfe11とNfe6の間でも細胞延命機能は大きく異なることが示された。これらより、Nfe11は細胞保護機能および細胞延命機能に関して高い特異性を有すると結論づけられた。
【0057】
(10)ウシ黒毛和種受精卵の生存率の測定
Nfe11を用いてウシ黒毛和種の受精卵に対する4℃下での72〜96時間(3〜4日間)の保存実験を行い、保存後の同受精卵の生存率を測定した。はじめに卵胞刺激ホルモン(FSH)を用いて過剰排卵処理を施した雌ウシに人工受精を行った。その後7日間を経過した時点で、初期胚盤胞の段階にある3〜6個の受精卵を雌ウシのらっぱ管より採取し、直径400マイクロメートルのストロー内に入れた。このときリン酸緩衝液(PBS)に5mg/mlあるいは10mg/ml濃度となるようにNfe11の粉末試料を溶解した液を用いることによって、採取した受精卵がこれらの液に浸るようにした。ストローの両端に封をし、これを4℃の冷蔵庫内に静置することによって、72〜96時間の保存実験を行った。保存実験後の受精卵の生死は顕微鏡観察によって判定した。その結果、次のようなデータが得られた。
【0058】
1)10mg/mlのAFPを用いて4℃下で96時間のウシ受精卵の保存実験を行ったところ、50%の生存率が得られた。
2)5mg/mlのAFPを用いて4℃下で96時間のウシ受精卵の保存実験を行ったところ、50%の生存率が得られた。
3)5mg/mlのAFPを用いて4℃下で72時間のウシ受精卵の保存実験を行ったところ、67%の生存率が得られた。
【0059】
図8に72時間の保存実験を行った後のウシ受精卵の顕微鏡写真の例を示す。この写真は、3つのウシ受精卵のうちの左の2つが、72時間の低温保存後も極めて良質な状態を保っていることを示す。これらの結果より、Nfe11がウシ受精卵に対して優れた延命効果を発揮することが示された。
【産業上の利用可能性】
【0060】
本発明のペプチドは、一般的に使用されている遺伝子工学的手法により大量生産できるため、魚体などの天然資源量や天候などに左右されず容易に得られるものであり、細胞の低温保存の利用促進およびその基盤となる全てのバイオ分野の基礎と応用研究の推進に対して大いに寄与するものである。本発明のペプチドは1Lの培地から約0.1グラムを生産することができる。このように、本発明は実用上極めて有用なものである。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
次の(a)または(b)のペプチドを含む生体材料保存剤:
(a)配列番号6のアミノ酸配列からなるペプチド
(b)配列番号6のアミノ酸配列において、1もしくは数個のアミノ酸が欠失、置換、挿入もしくは付加されたアミノ酸配列からなり、かつ、細胞延命効果を有するペプチド。
【請求項2】
生体材料が細胞であるかまたは細胞を含むものである、請求項1記載の保存剤。
【請求項3】
細胞を延命するための、請求項2記載の保存剤。
【請求項4】
生体材料が細胞、組織または臓器である、請求項1〜3のいずれか1項記載の保存剤。
【請求項5】
生体材料が細菌である、請求項1〜3のいずれか1項記載の保存剤。
【請求項6】
該ペプチドを含む液体の形態である、請求項1〜5のいずれか1項記載の保存剤。
【請求項7】
次の(a)または(b)のペプチドを含む液体に生体材料を浸漬することを含む生体材料の保存方法:
(a)配列番号6のアミノ酸配列からなるペプチド
(b)配列番号6のアミノ酸配列において、1もしくは数個のアミノ酸が欠失、置換、挿入もしくは付加されたアミノ酸配列からなり、かつ、細胞延命効果を有するペプチド。
【請求項8】
生体材料が細胞であるかまたは細胞を含むものである、請求項7記載の方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【公開番号】特開2010−248160(P2010−248160A)
【公開日】平成22年11月4日(2010.11.4)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2009−102194(P2009−102194)
【出願日】平成21年4月20日(2009.4.20)
【新規性喪失の例外の表示】特許法第30条第1項適用申請有り 刊行物名:低温生物工学会誌 Vol.54 No,2 2008 発行者 :低温生物工学会 会長 宮脇 長人 発行所 :低温生物工学会 発行日 :平成20年12月30日
【出願人】(301021533)独立行政法人産業技術総合研究所 (6,529)
【Fターム(参考)】