説明

耐食性に優れた焼入れ強化型マルテンサイト系ステンレス鋼

【課題】 焼入れ前には軟質で加工性に富み、焼入れ後には十分な硬さを有するマルテンサイト系ステンレス鋼板を提供する。
【解決手段】 質量%で、C:0.05〜0.5%、Si:1.0%以下、Mn:2.0%以下、Ni:0.05〜1.0%、Cr:10〜16%、Cu:1.0〜3.0%を含有し、残部がFeおよび不可避的不純物からなるとともに、ε―Cuとして析出しているCuが0.2体積%以上である焼入れ処理用マルテンサイト系ステンレス鋼。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、焼鈍処理後の素材のままでは軟質で、プレス加工などを加えた後焼入れ処理を施し、耐食性が要求される焼入れ強化型マルテンサイト系ステンレス鋼に関する。
【背景技術】
【0002】
従来より刃物、工具類、織機部材、電子・電気機器部材等の素材にはC含有量が高いSUS420J2系をはじめとする高炭素マルテンサイト系ステンレス鋼が使用されている。それら部品の寿命は素材の耐摩耗性のみならず、使用環境によっても異なることから耐食性に優れていることが要求特性の一つである。本件発明者らが発明した特許文献1では、耐磨耗鋼について開示してある。耐食性を向上させるためにCr含有量を高くすると、オーステナイト単相域が狭くなるため、鋼材の焼入れ性が低下するので、硬さが求められる用途には適さない。一方、C添加量を高めることで焼入れ性は向上するが、Cr炭化物の生成により有効Cr量が減少し耐食性は低下する。一方、C添加量を下げると本来求められる性質である耐摩耗性が得られない。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0003】
【特許文献1】特開2000−192197号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
高い焼入れ硬さを得るためにC含有量を高めた鋼材は、Cr炭化物が多量に析出するため有効Cr量が減少し、耐食性を低下させる。また、C含有量が高くなるにつれて熱間加工性が低下し、特に熱延工程にて割れなどを生じやすい。
耐食性を改善するにはCr含有量を高めることが有効であるが、高い焼入れ硬さを得るためにC含有量をも高めた場合には前述の通りCr炭化物が生成するため、問題の解決には至らない。
Niの添加も耐食性改善には有効であるが、焼鈍後のフェライト相中では固溶Niにより硬質化し、焼鈍後の素材ままでの加工性に問題がある。
【課題を解決するための手段】
【0005】
本発明はこのような問題を解消すべく案出したものであり、Cu添加により焼鈍状態では軟質に、焼入れ処理後はCr炭化物の析出を抑え、耐食性に優れたマルテンサイト系ステンレス鋼を提供することを目的とする。
【0006】
Cuは焼入れ温度域であるオーステナイト相中では固溶限が3%と高いのに対し、700〜800℃では焼鈍温度域のフェライト相中では固溶限が1%以下まで低下する。そのため、素材のままではε―Cuを析出させて固溶Cuを低減し、軟質にすることが可能である。
更に、Cr含有量を高くしても焼入れ処理後にCr炭化物の生成しない領域を確保することが可能である。
【0007】
本発明に係るマルテンサイト系ステンレス鋼は、質量%で、C:0.05〜0.5%、Si:1.0%以下、Mn:2.0%以下、Ni:0.05〜1.0%、Cr:10〜16%、Cu:1.0〜3.0%、更に必要に応じて、Ti,Nb,V,W及びMoの少なくとも1種以上を合計で0.05〜1.0%を含有し、残部Feおよび不可避的不純物からなるとともに、マルテンサイト組織を呈し、焼入れ後の炭化物の析出量が2質量%以下となることを特徴とする。
上記化学組成を持つ鋼材を、700〜800℃で保持することによって得られる焼鈍板はビッカース硬さで200HV以下の硬さで加工性に富み、それを1000〜1150℃で保持した後焼入れ処理することによってビッカース硬さで450HV以上の硬さを有するものが得られる。
【発明の効果】
【0008】
本発明によりCu添加によって焼入れ時のCr炭化物の析出を抑制することで耐食性低下により部品の寿命が問題となる刃物、工具類、織機部材、電子・電気機器部材用途に、耐食性に優れる素材を低コストで提供することができる。
【発明を実施するための形態】
【0009】
本発明者等は、工具類、織機部材、電子・電気機器部材等の素材に求められる耐食性に対して、熱処理条件等の影響を調査した。その結果、焼入れ処理条件を制御することにより硬さ、炭化物析出量を調整し、耐食性に優れる焼入れ強化型マルテンサイト系ステンレス鋼を提供できることを見出した。
【0010】
焼入れ処理とは、鋼を加熱して高温でオーステナイト組織にした後、冷却して室温でマルテンサイト組織を得るために行うものである。本発明で規定する範囲の成分組成を有する鋼は、1000〜1150℃の範囲でマルテンサイト組織となる。そこで、焼入れ温度の範囲は1000〜1150℃とした。
【0011】
以下に、本発明耐食性に優れる焼入れ強化型マルテンサイト系ステンレス鋼の成分組成、組織、その製造条件等について詳しく説明する。
【0012】
C:0.05〜0.5質量%
Cは焼入れ硬さを支配する元素であり、焼入れ処理によりマルテンサイト組織を得るためには、0.05質量%以上含有させる必要がある。しかし、過剰なC含有量は共晶炭化物の多量析出に起因して熱間加工性が低下するので、C含有量の上限を0.5質量%とした。好ましくは、0.05〜0.4質量%の範囲でC含有量を選定する。
【0013】
Si:1.0質量%以下
Siは溶解精錬時における鋼の脱酸に必要な成分であり、焼入れ処理時の酸化スケール生成を抑制するのに有効である。しかし、過剰な添加はその効果を飽和させるばかりでなく、製造コストの上昇を招くことにもなる。したがって、その上限は1.0質量%とした。
【0014】
Mn:2.0質量%以下
MnはSiと同様、鋼の脱酸剤としてまた、オーステナイト安定化元素として高温でのオーステナイト相を確保して焼入れ性を確保するために必要な成分である。しかし、過剰な添加はその効果を飽和させるばかりでなく、製造コストの上昇さらには、粗大なMnSを形成して成形性や耐食性を低下させることにもなる。したがって、その上限は2.0質量%とした。
【0015】
Ni:0.05〜1.0質量%
NiはMnと同様、オーステナイト安定化元素であり高温でオーステナイト相を確保して焼入れ性を確保するために有効な成分であり、その効果を得るためには0.05質量%以上の添加が必要である。一方、焼鈍後のフェライト相中では固溶Niにより硬質化し、さらにNiは高価でありコスト上昇を招くため、その上限は1.0質量%とした。
【0016】
Cr:10〜16質量%
Crは耐食性を付与するために必要な成分である。本発明鋼が用いられる環境を考慮すると、10質量%以上含まれることが必要である。しかし、過剰な添加は製造コストの上昇を招くので、上限を16質量%とした。好ましくは、12〜15質量%の範囲でCr含有量を選定する。
【0017】
Cu:1.0〜3.0質量%
Cuは高温でのオーステナイト相を確保して焼入れ性を確保するために必要な成分であり、高温域でのCr炭化物の生成を抑制する。また、フェライト相が安定となる800℃以下での固溶限が低く、固溶Cuを抑えることでこの温度域での熱処理により軟質化を図ることが可能である。耐食性を向上させるための有効Cr量を確保するためには、1.0質量%以上含有させる必要がある。しかし、過剰な添加は熱間加工性が低下するので、その上限を3.0質量%とした。
【0018】
Ti,Nb,V,W,Moの一種または二種以上の合計:0.05〜1.0質量%
Ti,Nb,V,W及びMoは、その炭化物を鋼の基地中に分散させることにより、硬さを増加させる作用を有しているので必要に応じて添加される。ただし、炭化物の分散量が少ないとその効果は低いため、その一種または二種以上を合計で0.05質量%以上添加することが好ましい。しかし、過剰な添加は金属間化合物の生成量を増加させて靭性の低下を招くので、その上限は1.0質量%とした。
【0019】
本発明で規定される成分範囲の鋼を焼入れ処理することにより、マルテンサイト組織を得ることができる。マルテンサイト組織は、高密度の転位を内蔵するとともに過飽和の炭素を固溶しているため、高い硬さを有している。フェライト組織やオーステナイト組織では、焼入れ処理によりビッカース硬度で450HV以上の硬さを得ることは困難であることから、組織はマルテンサイト組織に限定した。
【0020】
ε―Cuとして析出しているCu:0.2体積%以上
焼鈍板の状態では、ε―Cuとして析出しているCuが0.2体積%以上である必要がある。本発明に係る鋼板は、焼入れ前の状態では加工性が良好であることが求められる、Cuの大半が固溶していると鋼材が硬化し、加工性を損ねる。そのため、700〜800℃の温度域での焼鈍によって、含有しているCuを0.2体積%以上析出させる必要がある。この析出処理は、前記温度域において焼鈍時間1〜24時間を確保することによって達成される。
【0021】
焼鈍状態での鋼材のビッカース硬さ:200HV以下
焼入れ処理前の鋼材には、良好な加工性を有することが求められる。そのため、焼鈍状態ではビッカース硬さで200HV以下であることが必要である。焼鈍により固溶Cuを極力少なくなることで、達成される。
【0022】
焼入れ処理後の炭化物の総析出量:2質量%以下
Crが炭化物として対象に析出すると有効Crが減少し耐食性を損ねるため、これを2質量%以下に制限する。
【0023】
焼入れ処理後のビッカース硬さ:450HV以上
マルテンサイト系ステンレス鋼は、焼入れによって十分な硬さが得られることが必須である。そのため、焼入れ後のビッカース硬さは450HV以上あることが求められる。本発明ではCuを含有している成分系のため、C含有量を0.05%まで低減しても十分な焼入れ硬さを得ることが出来る。
【0024】
焼鈍温度:700〜800℃
Cu含有量の全体の0.2体積%以上をε―Cuとして析出させるためには、Cuの固溶限が小さいフェライト相を保つ700〜800℃に保持する必要がある。Cuをε―Cuとして十分な量析出させるためには、前述の通り1〜24時間の保持時間が必要である。
【0025】
焼入れ温度:1000℃〜1150℃
焼入れ温度(焼入れ前に鋼材を加熱保持する温度)は、1000〜1150℃とする必要がある。この温度域では組織はオーステナイトとなるが、この温度域から冷却することで十分な量の焼入れマルテンサイトを生成させることが出来る。この温度域でCr炭化物を固溶させることで耐食性に有効なCr量を確保する。また、加熱前にはε―Cuとして析出していたCuは、この温度域では再固溶し、その後の冷却によって焼入れ硬さを向上させる作用を発揮する。Cuを完全固溶させるためには、加熱時間は10分以上とすることが好ましい。
【実施例】
【0026】
表1に示す成分組成を有する鋼30kgを真空溶解炉にて溶解し、各鋼とも熱間圧延を経て板厚3.0mmの熱延板を製造した。各熱延板を700〜800℃で7時間加熱した後、炉冷、酸洗し冷間圧延にて板厚1.0mmの冷延板とした。その後700〜800℃に1分保持した後、空冷する焼鈍処理後、酸洗し供試鋼板を得た。その後、1000〜1150℃10分均熱した後水冷する焼入れ処理を施し、酸洗し試験片とした。
【0027】
【表1】

【0028】
[耐食性試験]
JIS Z2371に準拠したキャス試験を行った。各試験片を脱脂洗浄した後、試験温度50℃の酢酸でpH3に調整した5質量%塩化ナトリウム+0.026質量%塩化第二銅の混合水溶液噴霧環境に48時間暴露させた。試験後の試験片表面を目視観察し、発銹が全く認められなかったものを○(良好)、発銹が認められたものを×(不良)と評価し、○評価のものを合格と判定した。
【0029】
【表2】

【0030】
[ε―Cuの析出量]
前述した焼鈍処理後の各試験片を透過電子顕微鏡で観察し、ε−Cuの析出量を定量した。
〔炭化物の析出量]
各試験片を1g採取し、14質量%の沃素アルコール75mlに入れ、水温55℃で16時間超音波溶解した後、0.05μmのフィルターで吸引ろ過し、抽出残渡量を測定した。前述のキャス試験において48時間後に発銹が認められたものは、炭化物の析出量が2質量%を超えるため、炭化物の析出量が2質量%以下のものを合格と判定した。
【0031】
表2からわかるように、本発明例のマルテンサイト系ステンレス鋼材は焼鈍処理後のビッカース硬度で200HV以下と軟質で、耐食性も良好であった。 これに対し、比較例6〜9は焼鈍処理後のビッカース硬度が高く、そのうち比較例6,7,9は耐食性が不良であった。また、比較例10は焼鈍処理後のビッカース硬度は軟質なものの焼入れ処理後の硬さが低く、耐食性が不良であった。さらに、熱処理条件の異なる比較例11、12はいずれも本発明を満足する特性が得られなかった。
このように、本発明鋼は適正な焼鈍、焼入れ処理をすることにより、焼入れ処理後の炭化物の析出量が2質量%以下となることを特徴とし、焼鈍処理後の素材のままでは軟質で、焼入れ処理を施し、耐食性が良好な焼入れ強化型マルテンサイト系ステンレス鋼材を提供することができる。
【産業上の利用可能性】
【0032】
本発明に係る鋼材は焼入れ前には軟質で加工性に富み、焼入れ後には十分な硬さを有するため、工具、織機部材、電子・電気機器部材としての使用に適している。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
質量%で、C:0.05〜0.5%、Si:1.0%以下、Mn:2.0%以下、Ni:0.05〜1.0%、Cr:10〜16%、Cu:1.0〜3.0%を含有し、残部がFeおよび不可避的不純物からなるとともに、ε―Cuとして析出しているCuが0.2体積%以上である焼入れ処理用マルテンサイト系ステンレス鋼。
【請求項2】
更に質量%で、Ti,Nb,V,W及びMoの少なくとも1種以上を合計で0.05〜1.0%を含有する請求項1に記載の焼入れ処理用マルテンサイト系ステンレス鋼。
【請求項3】
ビッカース硬さが200HV以下である、請求項1,2に記載の焼入れ処理用マルテンサイト系ステンレス鋼。
【請求項4】
焼入れ処理後に炭化物の総析出量が2質量%以下となる請求項1乃至3に記載のマルテンサイト系ステンレス鋼。
【請求項5】
焼入れ処理後のビッカース硬さが450HV以上となる請求項1乃至4に記載のマルテンサイト系ステンレス鋼。
【請求項6】
700〜800℃で1時間以上焼鈍することにより、Cuを0.2体積%以上ε―Cuとして析出させることを特徴とする、請求項1乃至5に記載の焼入れ処理用マルテンサイト系ステンレス鋼の製造方法。
【請求項7】
請求項1乃至5に記載のマルテンサイト系ステンレス鋼を、1000℃〜1150℃に加熱した後に焼入れすることを特徴とする、マルテンサイト系ステンレス鋼の焼入れ方法。

【公開番号】特開2010−229474(P2010−229474A)
【公開日】平成22年10月14日(2010.10.14)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2009−77432(P2009−77432)
【出願日】平成21年3月26日(2009.3.26)
【出願人】(000004581)日新製鋼株式会社 (1,178)
【Fターム(参考)】