説明

虚血性疾患の予防または治療剤

【課題】一過性脳虚血後に生じる神経細胞傷害の予防、および治療に有効な薬剤を探索する
【解決手段】ミッドカインファミリータンパク質を有効成分とする、虚血による細胞障害を治療または予防するための薬剤、およびミッドカインファミリータンパク質を有効 成分とする、虚血性疾患を治療または予防するための薬剤を提供する。本発明によって、ミッドカインが虚血性疾患の治療または予防に有効であり、また、虚血による細胞障害の治療または予防に有効であり、例えば、虚血性脳疾患の代表である脳梗塞発症を顕著に防止することが明らかにされた。本発明の治療・予防剤は、脳虚血性疾患、例えば脳梗塞、一過性脳虚血疾患、頭部外傷、のほか、例えばクモ膜下出後の脳血管攣縮症、アルツハイマー病、アルツハイマー型痴呆症、脳血管性痴呆症等および他の脳血管疾患、パーキンソン病、ハンチントン舞踏病、筋萎縮退行性疾患等の治療・予防剤としても有効である。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、ミッドカイン(midkine:以下、MKと略す)を有効成分とする虚血性疾患の治療または予防剤に関する。
【背景技術】
【0002】
虚血(ischemia)とは、体の一部において、血流が完全に遮断されるか、著しく減少した状態であり、酸素不足、基質供給の減少、代謝産物の蓄積が同 時に進行する病態と考えられる。虚血の程度は、血管閉塞の緩急、持続時間、あるいは組織の感受性、副血行路の発達の程度にも関係するが、虚血に陥った臓器ないし組織には機能障害が現れ、長く持続すれば、組織は萎縮、変性、壊死に至る。
【0003】
たとえば、虚血性脳血管障害の発症機序は、血栓性、塞栓性、血行動態性の3型に分類されるが、いずれにしても脳の虚血がその基本病態であり、脳の組織障害の程度は、虚血の重症度と持続時間により規定される。この際、重度の虚血が生じた場所は、急速に神経細胞や血管内皮細胞が不可逆的障害を被り、典型的な壊 死による梗塞巣が形成される。一方、虚血辺縁部(ischemic penumbra)では、血流は中程度に低下し、神経細胞の機能は停止しているが、生存能力はいまだ失われておらず、脳血管の反応性が一部保たれていることにより、側副血行を介した血流の再開により機能の回復が期待できる。
【0004】
また、冠状動脈を侵し、心筋に虚血をきたす疾患群である虚血性心疾患では、冠状動脈閉塞時間の延長に伴い、虚血心筋細胞障害の程度は、可逆性細胞障害から不可逆性細胞障害へと進行する。
【0005】
したがって、このような虚血による細胞傷害を予防したり、再生を促進したりする薬剤は、虚血性脳疾患や心疾患の根本的治療につながると考えられる。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0006】
【非特許文献1】Sand,A.et al.:Biochem.Biophys.Res.Commun.204:994−1000,1994)
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
この考えに基づいて、一過性脳虚血後に生じる神経細胞傷害の予防、および治療に有効な薬剤を探索する目的で、スナネズミの不完全前脳虚血モデルを用いて、虚血脳保護因子の候補物質を、虚血処置前後に脳室内注入、あるいは末梢投与して、その効果を形態学的、および機能的に検討した報告がある。たとえば、プロサポシン(prosaposin)をスナネズミ脳室に注入すると、虚血後の学習行動障害が有意に軽減され、海馬CA1領域の病理学的検索においても、対照と比較してCA1錐体細胞数の明らかな増加が認められる(Sand,A.et al.:Biochem.Biophys.Res.Commun.204:994−1000,1994)。毛様体神経栄養因子(CNTF)やインターロイキン6(IL−6)もプロサポシンと同様、脳室内注入により、用量に依存して有意に海馬のCA1錐体細胞数、およびCA1領域シナプス数を改善することが明らかとなっている(Wen,T−C et al.:Neurosci.Lett.191:55−58,1995)(Matsuda,S.et al:Neurosci.Lett.204:109−112,1996)。塩基性線維芽細胞増殖因子(bFGF)を、プロサポシン、CNTF、および IL−6の場合と同様に脳室内注入した場合は、わずかではあるが、有意な虚血海馬保護効果が認められる(Wen,T−C.et al:Neuroscience65:513−521,1995)。しかし、これらの虚血脳保護因子の作用メカニズムの詳細はいまだ明らかとはなってはいない。
【課題を解決するための手段】
【0008】
本発明は、ミッドカイン(MK)ファミリータンパク質を有効成分とする、虚血あるいはストレス性細胞死に起因する各種疾患を治療または予防するための新たな薬剤を提供する。より詳しくは、本発明は、(1)ミッドカイン(MK)ファミリータンパク質を有効成分とする、虚血あるいはストレスによる細胞障害を治療または予防するための薬剤、(2)虚血あるいはストレスによる細胞障害が脳実質の障害である(1)に記載の薬剤、(3)脳実質の障害が海馬CA1錐体細胞障害である(2)に記載の薬剤、(4)ミッドカイン(MK)ファミリーに属するタンパク質を有効成分とする、虚血あるいはストレス性細胞障害に起因する疾患を治療または予防するための薬剤、(5)虚血性疾患が脳梗塞である(4)に記載の薬剤、(6)虚血性疾患が心筋梗塞である(4)に記載の薬剤、を提供する。
【0009】
ミッドカイン(midkine:MK)は、胚性腫瘍細胞のレチノイン酸による分化誘導過程で、一過性に発現される遺伝子の産物として発見された、塩基性アミノ酸とシステインに富むヘパリン結合性の分泌タンパク質である(Kadomatsu,K.et al.:Biochem.Biophys.Res.Commun.151:1312−1318,1988;Tomomura,M.et al.:J.Biol.Chem.265:10765−10770,1990;Tomomura,M.et al.:Biochem.Biophys.Res.Commun.171:603,1990)。その後に発見されたプレイオトロフィン(pleioterophin:PTN)とは45%の相同性を示し(Merenimies,J.&Rauvala,H.:J.Biol.Chem.265:16721−16724,1990)、MKファミリーを形成する(Muramatsu,T.:Dev.Growth Differ.,36:1−8,1994)。
【0010】
MKの機能については、これまでに多くのデータが集積しており、これからも新らたな重要な機能が発見される可能性が極めて高い。MKの主要な機能としては、次の5つが挙げられる。すなわち、1)神経栄養因子活性:神経細胞の生存および突起伸長を促進する(Muramatsu,H.et al.:Dev.Biol.,159:392,1993;Michikawa,M.et al.:J.Neurosci.Res.,35:530,1993;kikuchi,S.:et al.:160,1993)、2)創傷治癒:MKは、白色光連続照射による網膜変性を軽減予防し(Unoki,K.et al.:Opthalmol.vis.Sci.,35:4063,1994)、また、ラットの実験的脳梗塞および心筋梗塞後の早期に、梗塞巣周辺部に発現誘導される(Yoshida,Y.et al.:Dev.Brain Res.,85:25−30,1995;Obama,H.et al.:Anticancer:Reseach,18:145−152,1998)、3)個体発生:MKは、胎生中期をピークとする一過性発現を示し、後期には、ほぼ腎臓に収束する、4)線溶系亢進:MKは、10ng/mlの濃度でウシ大動脈由来の血管内皮細胞のプラスミノーゲンアクチベーター活性を3〜5倍に増大させる(Kojima,S.et al.:J.Biol.Chem.,270:9590,1995)、5)癌:ウイルムス腫瘍、乳癌、肺癌、神経芽腫、食道癌、胃癌、大腸癌、肝癌でmkの高頻度発現が認められる(Tsutsui,J.et al.:Cancer Res.,53:1291,1993;Garver R.I.,et al.:Cancer,74:1584,1994;Garver R.I.,et al.:Am.J.Respir.Cell Mol Biol.,9:463,1993;Nakagawa,A.et al.:Cancer Res.,55:1792,1995;Aridome,K.et al.:Jpn.Cancer Res.,86:655,1995)、である。
【0011】
上記したように、MKはラットの実験的脳梗塞後の早期に、梗塞巣周辺部に発現誘導されるが、その発現部位は、アストロサイトに限局して発現していることが明らかにされている(Yoshida,Y.et al.:Dev.Brain Res.,85:25−30,1995)。一方、MKとファミリーを形成するPTNにおいても、ラット一過性前脳虚血後4日目に海馬、CA1領域を中心としてPTNが強く発現しており、その大部分はアストロサイトに発現している(Takeda,A.et al.:Neuroscience,68:57−64,1995)。従来、虚血に伴うアストロサイトの活性化は、細胞保護的に作用するもの理解されている。このようなことから、MKおよびPTNは、虚血侵襲後の中枢神経系の修復過程において一定の役割を担っているものと考えられる。
【0012】
本発明者らは、ヒトの脳梗塞患者においても、発症後に一過性のMKが発現しているのではないかと想定し、健常人150人と脳梗塞患者36人の血清中のMK濃度を測定した。その結果、健常人の血清中のMK濃度の平均値は、0.3ng/mlであったのに対し、患者のそれの平均値は、0.9ng/mlであった。そして、発症直後の検体ほど、また、梗塞部位が大きいほど、MK濃度は高い傾向にあった。この現象は、虚血領域周辺で一過性に発現されたMKが血液中を循環しているからではないかと考えられる。
【0013】
近年、外傷・虚血などの神経損傷に際する種々の神経栄養因子の発現・増加が報告されている(Frautschy,S A.et al.:Brain Res.,553:291,1991;Haynes,L W.:Mol.Neurobiol.,2:263,1988)。これらの神経栄養因子は、神経損傷後の修復機転に関連し、直接的に、あるいはグリア細胞などを介して間接的に神経細胞に作用し、その生存・修復に重要な役割を果たしているものと推測される。
【0014】
このようなことから、本発明者らは、MKが、他の神経栄養因子のように、神経損傷の修復機転に関わっているかを、脳虚血モデルを用いてその評価を試みた。その一つとして、虚血処置前、あるいは虚血処置後のスナネズミ(Mongolian gerbils)の脳室内にMKを注入して、MKによる海馬CA1神経細胞の脱落抑制効果を形態学的に調べた。スナネズミでは、内頸動脈系と椎骨動脈系の吻合が8週令以降退縮するため、両側総頸動脈をクリップで3〜5分間閉塞することにより、高度の不完全前脳虚血を容易に作製することができ、虚血後の再灌流によって、48時間から72時間にかけて、特定の部位(海馬CA1領域)に、一定の神経細胞変性(遅発性神経細胞死)が惹起される。したがって、スナネズミ一過性前脳虚血モデルは、in vivoにおける虚血脳保護因子の評価系として有用である(Kirino,T et al.:Brain,Res.237:57−69,1982;Mitani,A.et al.:Neurosci.Lett.131:171−174,1991)。
【0015】
虚血処置前のスナネズミの脳室内に、MKを投与して、MKの虚血脳保護効果を調べた。スナネズミの脳ブレグマの位置より外側2mm、深さ2mmの穴をあけ、生理食塩水に溶解したMKを、マイクロシリンジで0.063、0.125、0.25、0.5、1.0、2.0μg、PTNを0.5、1.0、2.0μg、そして、比較のために虚血脳保護効果を有するとされるbFGFを1.0、2.0μg、それぞれスナネズミの脳室内に注入した。4分経過後に両側の総頸動脈を結紮し、5分間血流を遮断して、一過性の前脳虚血を作製した。その後血流を再開し、96時間後、あるいは7日後に、脳を取り出し、4%パラホルムアルデヒドで灌流固定した。このパラフィンブロックから、5μmの切片を作製し、ヘマトキシリン−エオジン染色し、左の海馬CA1神経細胞の海馬領域1mm当たりの生存神経細胞数を数えた。その結果、表1、あるいは表2に示すように、MKを注入した群は、対照群(生理食塩水注入群)に対して、0.5μg以上で、また、PTNを注入した群は、2.0μg以上で、それぞれ海馬CA1神経細胞の脱落を有意に抑制していることが認められた。
【0016】
bFGFの場合は、対照群に対して、2.0μg以上で、海馬CA1神経細胞の脱落を有意に抑制していることが認められた。すなわち、MKあるいはPTNを予め脳室内に投与しておくと、その後の虚血および随伴する再灌流に起因する脳細胞傷害を抑制(予防)することが可能であると考えられる。
【0017】
また、虚血処置後のスナネズミの脳室内にMKを投与して、MKの虚血脳保護効果を調べた。上記と同様の方法で、一過性前脳虚血を作製後、血流を再開し、48時間後に上記と同様に、MKを脳室内注入した。注入後7日目に上記と同様に5μmの切片を作製し、ヘマトキシリン−エオジン染色し、左の海馬CA1神経細胞の海馬領域1mm当たりの生存神経細胞数を数えた。その結果、海馬1mm当たり約160個の生存神経細胞が観察された(実施例1.2)。この生存神経細胞数は、虚血処置直前に、MKを0.5μg投与した場合とほぼ同数である。
【0018】
ところで、記憶・学習という高次精神機能は、ヒトにおける精神活動の基礎となっていることは確かである。そこで、記憶・学習の障害を改善させ得る薬物の開発は、神経科学の最も興味ある課題の一つとなっている。学習・記憶障害モデルは、従来より多数知られており、その試験法もきわめて多様である。その中で、受動回避試験は、マウスでよく用いられている。
【0019】
本発明において、一過性前脳虚血処置の前、あるいはその後の一定時間内に、MKあるいはPTNを脳室内投与した場合、海馬CA1神経細胞の脱落が、対照群に対して有意に抑制されることが明らかにされた。一方、海馬神経細胞数と、ステップダウン型受動回避学習試験における反応潜時の改善とは、よく相関しているとの報告(Araki,H.et al.:Physiol.Behav.38:89−94,1986;Sano,A.et al.:Biochem.Biophys.Res.Commun.204:994−1000,1994;Wen,T.−C.et al.:Neuroscience,65:513−521;Wen,T.−C.et al.:Neurosci.Lett.191:55−58)がある。したがって、虚血負荷の前後に、MKあるいはPTNを脳室内へ注入することにより、反応潜時の改善が期待できる。
【0020】
脳虚血およびそれに随伴する再灌流に起因する神経細胞傷害に対して、最も脆弱性を示すのが海馬CA1神経細胞であることを考慮すると、虚血前あるいは虚血後にMKあるいはPTNを注入した群において、海馬CA1神経細胞の脱落が、対照群に対して有意に抑制されたこと、そして、ステップダウン型受動回避学習試験における反応潜時を有意に改善することが期待されることから、MK、あるいはPTNが、脳虚血およびそれに随伴する血液再灌流に起因する神経細胞傷害に対して、その予防や治療に有用であり、かつ薬物の最終目的である精神症状の改善も期待できることを示すものである。
【0021】
また、虚血によるストレスだけではなく、外傷等によるストレスにより、神経細胞が損傷を受けた場合も、MKは、早期にその損傷に応答して、その損傷を受けた部分の周辺に発現することが、実施例3により明らかにされた。
【0022】
したがって、MKあるいはPTNは、種々の脳神経疾患の根本的な病因である虚血、外傷、老化、あるいは原因不明の病因による全般的な、あるいは特定の領域の神経細胞の機能低下、変性、細胞死に対し、直接的にそれを予防したり、再生を促進させることにより、疾患の予防あるいは治療に用いることができると期待される。また、MKとは作用機作の異なる神経栄養因子、例えばbFGFと併用することにより、虚血あるいはストレスに起因する神経細胞死に対して、相乗的あるいは相加的な保護効果が期待できる。具体的な疾患としては、脳梗塞、一過性脳虚血、クモ膜下出血後遺症の脳血管攣縮による脳障害、痴呆症、心停止後蘇生時の脳障害、等をあげることができる。
【0023】
また、本発明者らは、ラットの左前下行冠動脈を結紮することにより、実験的心筋梗塞モデルを作製し、心筋細胞におけるMKの発現を免疫組織化学染色で調べた(Obama,H.,et al.:Anticancer Reseach,18:145−152,1998)。その結果、正常な心臓の場合、大部分の心筋細胞には、MKの発現は認められなかったが、心室に面する数カ所の心筋細胞にMKの発現が認められた(図4および5)。一方、心筋梗塞モデルの心臓の場合、右心室壁(RV)、中隔、および左心室に面する左心室壁(LV)の心内膜領域に、MKの強い発現が認められた(図6)。細胞死領域に相当する左心室壁のその他の部分は染色されなかった。MK染色の特異性は、抗MK抗体による吸収操作を行うと、MKが染色されないことから確認される(図7)。すなわち、本発明者らにより、心筋梗塞において、著明なMKの発現が、免疫組織化学により明らかとされた。驚くべきことに、MKの染色活性の著明な増強は、左心室の梗塞部に隣接する領域のみでなく、RV全体、および中隔の大部分に認められる(図6)。
【0024】
染色域と非染色域とは、はっきりとした線で区分されており、それは、冠状動脈領域間の境界に相当する。興味深いことに、心筋梗塞モデルにおけるMKの発現パターンは、同モデルにおけるbFGFのそれとは異なっている(図には示さず)。
【0025】
梗塞モデルにおけるMKの発現をさらに詳細に調べてみると、RV(図8)および中隔(図9)それぞれにMK染色の出現が認められる(矢印および矢頭)。中隔を強拡大してみると、毛細管,あるいは毛細管の内皮細胞に面する心筋細胞の辺縁領域が強く染色されているのが認められる(図10)。また、心筋細胞の内部も強く染色される(アスタリスク)。染色領域が非染色領域からはっきりと分離されていることが、中隔とLVとの間の境界によって明白である(図10)。上記したように、MK染色活性は、心内膜筋細胞を除いては、LVにおいて不均一な染色が少し認められるのみである(図12)。
【0026】
梗塞モデルラットと正常ラットのRVおよび中隔におけるmRNAの発現をノーザンブロット分析で比較すると、前者(梗塞モデルラット)においてmRNAの増加が認められる。1.0kb MK mRNAの他に、MK cDNAと反応する1.8kbのバンドが認められるが、このバンドは、MK mRNAのイソホームであるかも知れない。この結果は、梗塞後間もない心臓におけるMK免疫反応活性の増加は、転写活性、あるいはmRNAの安定的増加に起因することを示している。
【0027】
ラットの左前冠動脈(LAD)の結紮によって生じる心筋梗塞では、MK発現が顕著に増強されていることが明らかである。この増強はMKmRNAの増加に起因し、そして6時間以内の早期に発生する。梗塞心臓では、MKが広い範囲で発現しているにもかかわらず、細胞死を運命づけられている領域では、MKの発現が認められないことは、MKが、損傷した心臓組織の修復に関与していることを示唆している。
【0028】
上記したように、脳梗塞後まもなく、壊死の周辺の浮腫領域にMKが発現していることと考えあわせると、MKの発現は、様々な病的状態における修復あるいは治癒の過程に関与している可能性を示すものである。事実、連続光照射に曝露されることにより生じる網膜変性を、MKを予め投与しておくと、その変性を防止することが明らかにされている(Unoki,K.,et al.:Invest.Opthalmol.Vis Sci.,35:4063−4068,1994)。
【0029】
bFGFは、心筋梗塞に関連して発現し、心臓保護作用(cardioprotective)があることが知られている(Speir,E.,et al.:Circ Res,71:215−259,1992)。しかしながら、本発明者らは、MKが、本発明者らの実験条件のもとでは、MKがbFGFよりもさらに多く発現することを、明確に示すことができた。MKとbFGFは、大動脈の内皮細胞におけるプラズミノーゲンアクチベーター活性を共同して増強するが故に(Kojima,S.,et al.:J.Biol.Chem.,270:9590−9596,1995)、また、歯の間充織細胞(tooth mesenchymal cell)の増殖を増強するが故に(Mitssiadis TA.,et al.:J.Cell Biol.,129:267−281,1995)、MKとbFGFは、損傷を受けた心臓組織の修復にも共同して働く可能性があると考えられる。
【0030】
また、本発明者らは、正常な心臓においても、MKが心筋細胞で弱く、そして心内膜で強く発現していることを見出している。この局所的なMKの発現は、bFGFのそれと類似しているが(Speir,E.,et al.:Circ Res.,71:215−259,1992)、梗塞後の発現の増強モードは互いに異なっている。正常な心筋細胞においては、bFGFは、DNA合成を刺激し、生存を促進し、老化を遅らせ、移動を調節し、細胞外マトリックスの産生に関与していると考えられている(Speir,E.,et al.:Circ Res.,71:215−259,1992)。MKも心臓において同様な役割を果たしているのかも知れない。心筋梗塞後のMK発現の増強は、梗塞領域に隣接した領域のみならず、心臓から遠い部位においても観察される。このMKの発現の増強は、心室だけでなく心房壁でも観察される。
【0031】
このようなことから、MKが心臓の形成と修復の両方に重要な働きをしていることは明らかであり、MK発現、あるいはそのシグナル伝達システムの異常性は、心臓疾患も含めて、様々な疾患に関与している可能性がある。したがって、冠状動脈の閉塞、または急激な血流の減少により心筋の壊死をきたす心筋梗塞などの虚血性心疾患の予防・治療薬にも、MKは有用であると考えられる。さらに虚血やストレスによる細胞障害に起因するその他の疾患群、例えば消化管領域における血行障害に起因する虚血性大腸炎、あるいは腸間膜動脈閉塞症、などの疾患の予防・治療薬にも、MKあるいはPTNは有用であると考えられる。
【0032】
本発明の虚血による細胞障害を基盤とする疾患の治療・予防に用いるMKあるいはPTNは、ヒト組換えMKあるいはPTN、さらには、その生物活性を有する部分ペプチドが好ましい。nativeMKの場合、糖鎖が付加されていないが、このような糖鎖のないMKは、本発明にむしろ好ましいと考えられる。MK の場合、121アミノ酸残基よりなるヒトMK(Muramatsu,T.:Develop.Growth & Differ.36:1−8,1994)が対応するが、当該アミノ酸配列を有するMKに限定されない。
【0033】
マウスMKの場合、139個のアミノ酸からなる前駆体からシグナルペプチドが切り離され、成熟型MK(アミノ酸118個分子量13kDa)ができる。118個のうち30個を塩基性アミノ酸、10個をシステインが占める。このシステインがつくる5つのジスルフィド結合によってN末側とC末側の二つのドメインが形成される。この二つのドメインは、互いに生化学的特性と生物学的特性を異にしており、in vivoにおける機能発現に際しても、役割を分担している可能性がある。ヘパリン結合能は、N末側よりC末側のほうが強い(Muramaatsu,H.,et al.:Biochem.Biophys.Res.Commun.,203:1131,1994)。また、神経突起伸長能、線溶系亢進能もC末側がその大部分を担っている(Muramatsu,H.,et al.:Biochem.Biophys.Res.Commun.,203:1131,1994;Kojima,S.,et al.:Biochem.Biophys.Res.Commun.,206:468,1995)。したがって、このようなMK本来の生物活性を有する部分ポリペプチドも本発明の実施に包含される。
【0034】
本発明の薬剤の活性を高めたり、安全性を向上させる目的で、ヒトMKのアミノ酸配列において特定のアミノ酸の欠失、あるいは他のアミノ酸の挿入、または配列中のアミノ酸の置換等を行うことは、組換えDNA技術により容易に行うことができる。例えば、特定の部位のアミノ酸残基を化学的に同等のアミノ酸で置換することができる。例えば、疎水性のアミノ酸(Alaなど)を他の疎水性のアミノ酸(Glyなど)で置換することができるが、あるいはより疎水性のアミノ酸(Val,LeuまたはIleなど)で置換することもできる。同様に、1つの陰性に帯電したアミノ酸残基を他のアミノ酸と置換する(AspをGluで置換するなど)、あるいは1つの陽性に帯電したアミノ酸残基を他のアミノ酸と置換する(LysをArgに置換するなど)ことができる。また、MKのC末端側の半分、例えば60位−121位(C−half60−121)、あるいはC末端側から62位−104位(C−Half62−104)(Muramatsu,H.:et al.:Biochem.Biophys.Res.Commun.203:1131−1139,1994)には、MKの神経突起伸長能を担い、ヘパリン結合部位もこの部分に存在するので本発明の薬剤に用いることができると予想される。また、MKの生物活性に望ましくない影響が認められない場合は、疎水性アミノ酸の帯電したアミノ酸への変化は望ましいと考えられる。当業者であれば、望ましいMKの生物活性をもつように、これらの修飾を行うことが可能である。また一般に、タンパク性医薬品は、タンパク分解酵素の攻撃や、不必要なレセプターの関与により、その薬効を発揮できない場合が多く、MKやPTNの場合もその例外ではない可能性がある。したがって、MKやPTNに、ポリエチレングリコール(PEG)、ポリビニルピロヂドン、あるいはデキストラン等を結合させて、体内での安定性を向上させることが考えられる。例えばIL−6の血中滞留性の向上を目的として、PEGハイブリッド化IL−6が作製され成功している。本発明には、このような化学修飾された、MKやPTNも包含する。
【0035】
本明細書に記載の「ミッドカイン」または「MK」とは、本来の生物活性を有する限り、全てのこのような修飾および変化を有するMKを含み、本発明の「MKファミリー」とは、本来の生物活性を有する限り、全てのこのような修飾および変化を有する「MKファミリー」に属するタンパク質(MK、PTN)を含む。
【0036】
本発明のMKファミリーに属するタンパク質を有効成分として医薬組成物を調製し、脳梗塞、心筋梗塞、虚血性大腸炎あるいは上腸間膜動脈閉塞症などの予防又は治療剤として用いる場合、MKそのものを直接投与することもできるが、有効成分としてMKを含有していれば、公知の製剤学的製造法によって、製剤化して投与することもできる。例えば、薬剤として一般的に用いられる適当な担体、または媒体、例えば滅菌水や生理食塩水、植物油(例、ゴマ油、オリーブ油等)、着色剤、乳化剤(例、コレステロール)、懸濁剤(例、アラビアゴム)、界面活性剤(例、ポリオキシエチレン硬化ヒマシ油系界面活性剤)、溶解補助剤(例、リン酸ナトリウム)、安定剤(例、糖、糖アルコール、アルブミン)、または保存剤(パラベン)、等と適宜組み合わせて、生体に効果的に投与するのに適した注射剤、経鼻吸収剤、経皮吸収剤、経口剤等の医薬用製剤、好ましくは注射剤に調製することができる。例えば、注射剤の製剤としては、凍結乾燥品や、注射用水剤や、浸透圧ポンプに封入した形等で提供できる。本発明の製剤は、脳の実質や心筋細胞に直接作用し、効果を発揮するMK,あるいはPTNを含有するので、いままで用いられてきた脳代謝賦活薬や脳循環改善薬等の対症療法剤と異なり、種々の脳神経疾患の根本的な病因である虚血、外傷、老化、あるいは原因不明の病因による全般的な、あるいは特定の領域の神経細胞の機能低下、変性、壊死に対し、直接的に,それを予防したり、再生を促進させることにより,疾患の治療に用いることができる。
【0037】
また、MKあるいはPTN遺伝子のプロモーター領域を用いて、虚血性疾患部位におけるMKあるいはPTNタンパクの発現増強を図る、いわゆる遺伝子治療の可能性が考えられる。
【0038】
本発明の医薬組成物は、例えばMK、あるいはPTNタンパクとして、一日約0.001−100μg/kgを、1回から6回に分けて、動脈内注射、静脈内注射、筋肉内注射、皮下注射、脳室内注射、脊髄内注射、等の方法によって投与することができる。また、脳室内や髄内にカテーテルを埋め込み、これから直接薬物を投与することもできる。あるいは、浸透圧ポンプ等に封入し、生体に留置することにより、連続的に投与することもできる。
【0039】
また、頚動脈よりマンニトールや尿素等の高張液を注入すると一過性に脳血液関門の透過性が上昇すること(Proc.Natl.Acad.Sci.USA 76:481−485,1979)、また、アルキルグリセロール等の物質に、他の薬物の脳移行性を促進する作用があること、などが報告されており、このような手法を用いて投与することもできる。また、カチオン化したカチオンアルブミンは、何らかの機構で脳内に取り込まれる可能性が示唆されており(J.Clin Invest.70:289−295,1982)、このような手法を用いて、MK、あるいはPTNタンパク質を化学修飾した後、投与することもできる。
【図面の簡単な説明】
【0040】
【図1】図1は、 ドライアイス処置2日後の脳細胞の顕微鏡写真(×10)である。Aは、ドライアイスによって生じた梗塞部とその周辺の細胞をヘマトキシリン−エオジン染色(H・E染色)したものである。Bは損傷の程度の強い梗塞部を示したH・E染色の像である。CはBと類似の部分を抗MK抗体で染色した像である。
【図2】図2は、ドライアイス処置2日後の脳細胞の顕微鏡写真である。Dは梗塞部周囲の抗MK抗体陽性の細胞を拡大(×50)して見たものである。EはDと同様の部分を、TUNEL法(TaKaRa In situ Apoptosis Detection Kitを使用)でアポトーシス染色した写真である。核の断片化が起こりTUNEL反応陽性のアポトーシスを起こした細胞が確認できる。
【図3】図3は、頭部外傷モデルラットの脳細胞の写真である。A、C、Eは、H・E染色。B、D、Fは、A、C、Eに対応する抗MK抗体によって染色した像である。顕微鏡倍率は、A、Bは25倍、C、D、E、Fは100倍でる。
【図4】図4は、正常心臓におけるMKの分布を示す顕微鏡写真である。
【図5】図5は、正常心臓におけるMKの分布を示す顕微鏡写真である。
【図6】図6は、左前方下行冠状動脈閉塞後のラット心臓におけるMKの分布を示す顕微鏡写真である。
【図7】図7は、中和抗MK抗体で処理した、左前方下行冠状動脈閉塞後のラット心臓におけるMKの分布を示す顕微鏡写真のコントロールの顕微鏡写真である。
【図8】図8は、心筋梗塞形成6時間後のラット心臓の右心室壁におけるMKの分布を示す顕微鏡写真である。
【図9】図9は、心筋梗塞形成6時間後のラット心臓の中隔におけるMKの分布を示す顕微鏡写真である。
【図10】図10は、心筋梗塞形成6時間後のラット心臓の中隔と梗塞部位をもつ心室壁、左心室壁との間の境界領域におけるMKの分布を示す顕微鏡写真である。
【図11】図11は、心筋梗塞形成6時間後のラット心臓の中隔におけるMKの分布を示す顕微鏡写真である。
【図12】図12は、心筋梗塞形成6時間後のラット心臓の左心室壁におけるMKの分布を示す顕微鏡写真である。
【図13】図13は、心筋梗塞形成6時間後のラット心臓の左心室内の心内膜におけるMKの分布を示す顕微鏡写真である。
【図14】図14は、心筋梗塞患者の血清中MK量を経時的に測定した結果をまとめたグラフである。
【図15】図15は、脳梗塞患者の血清中MK量を測定した結果をグラフにまとめたものである。
【発明を実施するための形態】
【0041】
[実施例1] 一過性前脳虚血モデルにおける虚血脳保護物質の評価
1.1 虚血処置前の虚血脳保護物質投与
1.1.1MKの虚血脳保護効果
組換えヒトMKは、特開平9−95454号公報の実施例1に記載の方法に従って作製したものを本実施例、実施例1.1.2および実施例1.2に使用した。1群6〜16匹の雄性スナネズミ(6〜8週令、体重60〜80g)を、フローセン専用麻酔薬送り込み装置「HONEY MATIC M−3」(木村医科器械(株))に入れ、吸入麻酔剤「フローセン」(日本薬局方ハロタン)を容器内に適度に充満させ、麻酔を施した。スナネズミは、注入器固定装置付手術台(NARISHIGE SCIENTIFIC INSTRUMENT LAB.;TYPE SR−5N,No.97024)に固定した。頭部を正中切開した後、ブレグマ(bregma)の位置より2mm左眼球側にずれたところに、歯科用ドリルを用いてシリンジが入るような適当な穴を開けた。この穴から、MK0.5mg/mL、1mg/mL、あるいは2mg/mL溶液(生理食塩水溶液)を、マイクロシリンジ(HAMILTON MICROLITER #701)を用いて、1μLずつ(0.5μg、1.0μg、2.0μg)脳室内に注入した。対照群として、生理食塩水(日本薬局方生理食塩水:大塚生食注、大塚製薬株式会社)のみを注入した群、および偽手術群(Sham−op群)を設けた。脳室内に注入後4分間放置し、その後手術部を縫合した。続いて胸部を正中に切開し、左右の総頸動脈を露出し、「No.23動脈クレンメ直」で両側の総頸動脈を結紮し血流を5分間遮断した後、血流を再開した。虚血負荷中は、脳温、体温を一定(37±0.2℃)に保った。個体識別を施し、麻酔がとけた後、飼育ケージに戻し、自由給水、自由摂食の下で飼育を続け、96時間後に0.2%の割合でヘパリン(ノボ・ヘパリン注100;日本ヘキスト・マリオン・ルセル株式会社)を含む生理食塩水と4%パラホルムアルデヒド溶液で灌流固定した。断頭した頭部から脳を取り出した。脳は4%パラホルムアルデヒド固定液中に1日放置した後、背側海馬を含む組織片を脱水・透徹後、パラフィン包埋した。
【0042】
このパラフィンブロックから、海馬の最先端より0.5〜1.0mm、または矢状縫合の後方1.4〜1.9mmに相当する厚さ5μmの切片を作製し、ヘマトキシリン−エオジンで染色(H・E染色)した。この組織標本について、キルビメーター片面型を使用して海馬CA1の長さを5回測定し、その平均値を算出した。左の海馬錘体細胞(神経細胞)の海馬領域の細胞数を200倍の倍率下に数え、上記平均値で除して海馬CA11mm当りの生存神経細胞数を算出した。その結果を表1に示す。
【0043】
【表1】

【0044】
表1から明らかなように、MKはワンショット0.5μg以上の投与量で、海馬CA1領域の遅発性神経細胞死を著明に防止している。
【0045】
1.1.2 MKと他の虚血脳保護因子との虚血脳保護効果比較
各虚血脳保護因子は、2μLずつを脳室内に投与した。さらに、両側の総頸動脈の結紮には杉田脳動脈瘤クリップ(スタンダードタイプ;MIZUHO)を使用し、片方に2本ずつかけた。脳の灌流固定は、1週間後に行った。この3点をの除けば、1.1.1の実施例と同様の方法で行った。組換えヒトプレイオトロフィン(Pleiotrophin:PTN)および組換えヒト塩基性線維芽細胞増殖因子(bFGF)は、R&D Systems(フナコシ)から購入した。それぞれの投与量は、PTN2μg、1μg、0.5μg、bFGF2μg、1μgであった。その結果を表2に示す。
【0046】
【表2】

【0047】
本実施例においても、MKが統計的に有意に虚血脳保護効果を発揮する量は、上記1.1.1の実施例にほぼ一致して、0.5μg以上と推定される。0.125μgでも生理食塩水投与群より多くの神経細胞の生存を認めるが、統計的には有意でない。PTNの場合、有意に虚血脳保護効果を発揮する量は、ほぼ2μgと、MKに比較して約4倍量を必要とする。また、虚血脳保護効果があるとされるbFGF(Nakata,N.et al.:Brain Res.,605:354−356,1993)の場合、有意に虚血脳保護効果を発揮する量は2μgであるが、その生存神経細胞数は、同量のMKを投与した場合のほぼ半分以下である。以上より、虚血に起因する脳神経細胞死を抑制する因子として、MKは、既存のプロサポシン、毛様体神経栄養因子(CNTF)、あるいはIL−6等の虚血脳保護因子によるスナネズミ一過性前脳虚血モデルの虚血脳保護効果と比較して、遜色がないことが明らかとなった。
【0048】
1.2 虚血処置血液再灌流一定時間後の虚血脳保護物質投与
虚血処置血液再灌流48時間後に、MKを投与すること以外は、1.1.2の実施例と全く同様の方法で実施した。MKを2μg投与した場合、48時間後の生存海馬CA1神経細胞は、海馬1mmあたり160個であった。これは、1.1.2の実施例でのMK0.5μg投与場合の生存数とほぼ同等であった。すなわち、一過性脳虚血後血液が再灌流して一定時間以内に、MKを投与しても、虚血脳保護作用効果が期待できることがこの実験で明らかとなった。
【0049】
以上のことから、MKファミリータンパクは、既存のタンパク性虚血脳保護因子とは異なる作用機序で効果を発揮する可能性が期待できる。近年、外傷・虚血など神経損傷に際する様々な神経栄養因子の発現・増加が報告されている。これらの神経栄養因子は、神経損傷後の修復機転に関連し、直接的にあるいはグリア細胞などを介して間接的に神経細胞に作用し、その生存・修復に重要な役割を果たしていると思われる。このようなことから、MKと他の神経栄養因子とを組み合わせて用いることにより、相乗的効果あるいは相加的効果が期待できると考えられる。
【0050】
[実施例2] ドライアイス脳損傷(Cold Injury)モデルにおけるMKの発現
雄性Sprague−DaWley ラット(SDラット)(体重:160g)10匹を使用した。4%抱水クロラール(10mL/kg)をラットの腹腔に注射し麻酔した。ハサミで頭皮を切開し、頭蓋の上から、7mm×10mm(厚さは2mm程度)にカットしたドライアイスを10秒間押しつけた。その後、頭皮を縫合し、再度自由吸水、自由給餌にて飼育を続けた。ドライアイス処置後、1、2、4、7、および14日目に、各2匹のラットに対して、4%抱水クロラールを腹腔投与(10mL/kg)して麻酔した後、0.2%ヘパリン(ノボ・ヘパリン注100;日本ヘキスト・マリオン・ルセル株式会社)を含む生理食塩水(日本薬局方生理食塩水:大塚生食注、大塚製薬株式会社)と4%パラホルムアルデヒド固定液にて灌流固定した。十分に固定したところで、断頭し、ハサミを使用して脳を取り出し、4%パラホルムアルデヒド固定液に入れた。24時間固定し、脳が十分に堅くなったところで、両刃かみそり(FEATHER)を用いて、脳を前方より4分割した。このうち、梗塞部が観察できる組織片を脱水・透徹後、全自動包埋機にてパラフィン包埋した。このパラフィンブロックより、5μmの厚さの切片を作製した。これらのパラフィン切片に対して、1)ヘマトキシリン−エオジン染色(H・E染色)、2)抗MK抗体(ウサギ抗マウスMKポリクローナル抗体)染色、3)アポトーシス検出を行った。
【0051】
図1に、ドライアイス処置2日後における脳細胞のH・E染色、および抗MK抗体による染色の顕微鏡写真を示す(×10)。Aはドライアイスによって生じた梗塞巣とその周辺の細胞を、Bは損傷の強い梗塞巣を、CはBと類似の部分の抗MK抗体染色をそれぞれ示す。図1のC(抗MK抗体による染色)から、梗塞部位の周辺にMKの強い発現が観察される。
【0052】
また図2に、ドライアイス処置2日後における脳細胞の抗MK抗体による染色、およびアポトーシス染色の顕微鏡写真を示す。Dは梗塞部周囲の抗MK抗体陽性の細胞を拡大図(×50)である。EはDと同様の梗塞部周囲の細胞がアポトーシスをおこしているかどうかを、TUNEL法(TaKaRa In situ Apoptosis Detection Kitを使用)により検出した顕微鏡写真を示す。核の断片化が起こりTUNEL反応陽性の細胞が確認できる。図2に示すように、梗塞巣はH・E染色の染色性が薄くなるほど、細胞が強くダメージを受けている。
【0053】
[実施例3] ラット脳損傷モデルにおけるMKの発現
実施例2では虚血による脳梗塞モデルにおけるMKの発現を調べたが、本実施例では、機械的なストレスによる梗塞モデルを作製しMKの発現を調べた。雄性SDラット(体重:320g)10匹を使用した。ラットの腹腔に4%抱水クロラール(10mL/kg)を注射して麻酔した。大脳皮質を剥離し、脳損傷モデルを作製した。ハサミで頭皮を切開し、冠状縫合に沿って左眼の方へ3mm、さらに矢状縫合に沿って後頭部側へ3mmの位置で、直径4mm、深さ3mmになるように大脳皮質を剥離した。剥離には、ディスポパンチ(ディスポーザブル皮膚トレパン)(スティーフェル・ラボラトリウム社)を使用した。剥離が完全に実行されたことを確認した後、頭部を縫合し、再度自由吸水、自由給餌にて飼育を続けた。脳損傷モデル作製後、1、2、4、7、14日目のそれぞれの日に、各2匹のラットから、実施例2と同様に5μmの厚さの切片を作製した。これらのパラフィン切片に対して、H・E染色および抗マウスMK抗体により染色を行った。脳損傷モデル作製後1日目の結果を図3のA、C、EにH・E染色を、B、D、Fに抗MK抗体で染色を示す。機械的な損傷に対してMKは非常に早く反応することが確認された。A、C、EのH・E染色像から、機械的な損傷に対して、脳細胞が大きな損傷を受けていることが観察される。この脳細胞の損傷に一致して、B、D、Fの抗MK抗体染色像から、主として出血の確認される周囲と脳細胞の損傷の強い部分に、抗体染色陽性の細胞が多く観察される。これらの結果は、虚血によるストレスだけではなく、機械的なストレスにより、神経細胞が損傷を蒙る場合でも、MKはその損傷に早期に応答して、その損傷を受けた部分の周囲に発現してくることが明らかとなった。
【0054】
[実施例4] 心筋梗塞モデルにおけるMKの発現
4.1 心筋梗塞モデルの作製
Fine,G.らの方法(Fine,G.,Morales,A.and Scerpella,J.R:Arch.Path.82:4−8,1966)に準じて、ウイスターラット(7週令の雄)の左前方下行冠状動脈(LAD)を結紮して、左心室壁に実験的ラット心筋梗塞を形成させた。結紮6時間後、ラットを殺し、直ちに、解析のために心臓を取り出した。心筋細胞の生存を確認(Fishbein,M.C.et al.:Am.Heart,J.101:593−600,1981)するために、トリフェニルテトラゾリウムクロライド(TTC)の染色して心筋梗塞の領域と大きさを測定した。
【0055】
4.2 MK,抗MK抗体、および抗bFGF抗体
MKおよびアフィニティー精製ウサギ抗マウスMK抗体は、Take,M.らの方法(Take,M.et al.:J.Biochem.116:1063−1068,1994)に準じて調製した。アフィニティー精製抗MK抗体の特異性は、Muramatsuらの文献の抗体(Muramatsu,H.et al.:Dev.Biol.159:392−402,1993)と殆ど同じであった。この抗体は、ウエスタンブロット解析において、MKと反応したが、PTNとは反応しなかった。マウス抗ヒトbFGFモノクローナル抗体としては、MAb52(和光純薬製)を用いた。この抗体は、ラットのbFGFを認識する(Takami,K.et al.:Exp.Brain.Res.90:1−10,1992)。
【0056】
4.3 免疫組織化学分析
ラット心臓の心室領域の水平断面切片を取り出して、中性バッファーホルマリン固定液中で室温で固定した後、パラフィン包埋した。ついで、5μmの厚さの切片を調製した。脱パラフィン後、0.3%過酸化水素水含有100%メタノール中で30分間内因性ペルオキシダーゼをブロッキングした。1%牛血清アルブミンを添加し、30分間反応させた。MKを検出するために、これらの切片を4℃で一晩、アフィニティー精製ウサギ抗MKポリクローナル抗体(8μg/mL)とインキュベートした。ビオチン化ヤギ抗ウサギIgG抗体(Vector Laboratories Corp.,California)と30分インキュベート後、ビオチン化アルカリフォスファターゼ−ストレプトアビジン複合体(Dako,Giostrup,Denmark)と30分間インキュベートさせた。また、bFGFの検出のために、切片を4℃で一晩、マウス抗bFGFモノクローナル抗体(5μg/mL)と反応させた。次に、ビオチン化ウサギ抗マウス抗体(Vector Laboratories Corp.,California)と30分間インキュベート後、ビオチン化アルカリフォスファターゼ−ストレプトアビジン複合体(Dako,Giostrup,Denmark)と30分間インキュベートさせた。免疫反応は、Fast Red TR/Naphthol(Sigma,St.Louis,MO)により可視化した。対比染色(counterstaining)は、ヘマトキシリンで行った。MKの免疫染色の特異性を決定するために、抗MK抗体を組換えMKにより吸収操作した後、ヘパリンセファロースアフィニティークマトグラフィーにかけた(Yasuhara,O.et al.:Biochem.Biophys.Res.Commun.192:246−251,1993)。
【0057】
その結果を図4〜図13に示す。
【0058】
図4〜図7は、左前方下行冠状動脈閉塞後のラット心臓における、MK染色性の増強を示す顕微鏡写真である。図4及び図5は、正常なラットの心臓を免疫組織化学的染色したもので、心室に面している心筋細胞のあるものには、MKが発現している。また、心中隔の他の心筋細胞にも弱いがMKの免疫反応が認められる。しかし、大部分の心筋細胞はMKを殆ど発現していない。図6は、心筋梗塞形成6時間後のラット心臓の顕微鏡写真で、中隔(SE)、右心室壁(RV)、及び左心室壁(LV)の心内膜(矢印で示す領域)では、MKの強い染色が認められる。左心室壁と中隔との免疫染色の違いは非常に明白である。染色領域と非染色領域とは、これらの領域に栄養を供給するそれぞれの冠動脈の境界領域に対応して一つの明白な境界によって分けられている。なお、LVの細胞死領域の心筋細胞は染色されていない。なお、梗塞部位をもつ心臓に観察されるMKの発現パターンは、同じ心臓におけるbFGFの発現パターンと異なっていた。図7は、中和抗MK抗体によるコントロール染色を示す顕微鏡写真であり、中和抗MK抗体で処理すると染色が起こらなくなることから、この染色がMK特異的なものであることが確認された。図に示すバーは、図4、6及び7では1500μmを示し、図5では150μmを示す。
【0059】
図8〜図13は、心筋梗塞形成6時間後のラット心臓におけるMK発現について、その詳細を示す顕微鏡写真である。右心室壁(図8)、中隔(図9、図11)、中隔と梗塞部位をもつ心室壁、左心室壁との間の境界領域(図10)、左心室壁(図12)および左心室内の心内膜(図13)にMKの免疫組織化学的染色が認められた。MKの免疫反応は、心筋細胞(図11及び図13中のアステリスクで示す部分)と内皮細胞に面する心筋細胞の辺縁領域または内皮細胞自身(矢印及び矢印の頭で示される部分)で観察された。中隔を高倍率写真でみると(図11)、血管に面した心筋細胞の辺縁部、または血管内皮細胞にMKの強い染色が認められる。心筋細胞の内側(図13)も、強くあるいは中程度に染色されている(アステリスクで示す部分)。なお、中隔とLVの間の境界で、非染色領域と染色領域とは、はっきりと識別された(図10)。図に示すバーは、図8,9及び10では200μmを示し、図11、12及び13では50μmを示す。
【0060】
[実施例5] 梗塞患者血清中のMKの測定
特開平10−160735号公報に記載のEIAシステムを用いて、心筋梗塞および脳梗塞患者の血清中のMK量を測定した。各血清は、患者より採血後、3000回転、15分間(室温)の遠心操作により得られた血清を用いた。血清は、−80℃に保存した。図14は心筋梗塞患者の血清を経時的に測定した場合の一例である。心筋梗塞発症後、MKは比較的早期に発現し、その血中濃度は増加し、発症後12時間後をピークに達している。そして、24時間後には発症6時間後と同じレベルまで低下し、31時間後には、健常人の平均値である約0.16ng/mLまで低下している。心筋梗塞後の血中のMKの量的変化は、MK独特のものと考えられ、心筋梗塞とMKとの関連は、梗塞周辺部位での早期のMK発現との関連も含めて心筋の修復機転にMKの関与が示唆される。図15は脳梗塞患者の血清中のMK量を測定したものである。脳梗塞患者の場合も、患者A,D,E,Fのように比較的梗塞発症後早期に採血されたと考えられる患者においては、血中のMK濃度は非常に高い値を示した。このことは、脳梗塞発症早期にその周辺に多量のMKが観察される事実を個体レベルで考察する上で興味深いデータであると考えられる。
【産業上の利用可能性】
【0061】
本発明のミッドカインファミリータンパク質またはその部分ペプチドは、虚血による細胞障害、または該細胞障害を基盤とする虚血性疾患の治療または予防に有効である。例えば、脳血管障害である、脳梗塞、一過性脳虚血疾患、頭部外傷、のほか、例えばクモ膜下出後の脳血管攣縮症、アルツハイマー病、アルツハイマー型痴呆症、脳血管性痴呆症等および他の脳血管疾患、パーキンソン病、ハンチントン舞踏病、筋萎縮退行性疾患等の治療・予防剤としても有効である。さらに、虚血性心疾患である心筋梗塞、労作性狭心症、あるいは虚血性大腸炎、上陽間膜動脈閉塞症などの治療・予防剤として期待できる。また、虚血部位で、MKやPTNの遺伝子プロモーターを活性化しMKやPTNのタンパク質を発現させるいわゆる遺伝子治療の可能性も期待できる。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
ミッドカイン(MK)ファミリータンパク質を有効成分とする、虚血あるいはストレスによる細胞障害を治療または予防するための薬剤。
【請求項2】
虚血あるいはストレスによる細胞障害が脳実質の障害である請求項1に記載の薬剤。
【請求項3】
脳実質の障害が海馬CA1錐体細胞障害である請求項2に記載の薬剤。
【請求項4】
ミッドカイン(MK)ファミリータンパク質を有効成分とする、虚血あるいはストレス性細胞障害に起因する疾患を治療または予防するための薬剤。
【請求項5】
虚血性疾患が脳梗塞である請求項4に記載の薬剤。
【請求項6】
虚血性疾患が心筋梗塞である請求項4に記載の薬剤。

【図14】
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【図15】
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【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【図9】
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【図10】
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【図11】
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【図12】
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【図13】
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【公開番号】特開2010−270156(P2010−270156A)
【公開日】平成22年12月2日(2010.12.2)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−199354(P2010−199354)
【出願日】平成22年9月6日(2010.9.6)
【分割の表示】特願2000−513596(P2000−513596)の分割
【原出願日】平成10年9月25日(1998.9.25)
【出願人】(308033629)メディカル セラピーズ リミテッド (4)
【Fターム(参考)】