説明

蛋白質−気体分子複合体の作成方法

【課題】不安定で短寿命な蛋白質−気体分子複合体を作成し捕捉するための方法を提供する。
【解決手段】蛋白質を凍結させ、凍結蛋白質を気体に曝露することを特徴とする、蛋白質−気体分子複合体の作成方法。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、凍結蛋白質を気体に曝露することを特徴とする、蛋白質−気体分子複合体の作成方法、および該方法により作成される蛋白質−気体分子複合体に関する。
【背景技術】
【0002】
生体において重要な生理機能を発揮する分子、特に蛋白質の中には気体分子と結合し、不安定で短寿命な複合体をつくり、その機能を発揮するものが少なくない。一例として一酸化窒素還元酵素を挙げることができる。この蛋白質は脱窒菌の生体膜中に存在し、一酸化窒素を亜酸化窒素へ還元する反応を担っており、生態系の窒素循環の重要なプロセスである。
【0003】
気体分子を利用して機能する蛋白質のしくみを理解するためには、気体分子と蛋白質の複合体を様々な手法で観測することは極めて重要である。目的とする蛋白質と気体との複合体を作成し、その立体構造を結晶構造解析などにより調べることは、気体分子と結合して活性を発揮する蛋白質の機能や反応機構などを理解するうえで欠かすことができない。
【0004】
蛋白質結晶構造解析においてキセノン、クリプトンなどの希ガスを結晶中の蛋白質原子に結合させ、重原子同形置換法などを用いて構造決定する手法がこれまでに知られている(非特許文献1参照)。このために常温下、高圧希ガスで処理することで希ガスを蛋白質結晶中に浸透させる技術が用いられている。具体的には、結晶状態の蛋白質に気体分子を浸透させる装置として例えばRIGAKU MSCのXenon Chamberなどが用いられている。これらの装置は蛋白質結晶を高圧気体に曝露して気体分子を強制的に浸透させた後、低温で結晶を凍結させるものである。しかし、この手法では、常温で気体分子を蛋白質に浸透させた後、低温で凍結させるものであり、高圧気体の曝露から凍結までに数十秒以上の時間を要する。そのため、調製すべき蛋白質−気体分子複合体が不安定なものである場合には、これらの手法を適用することが困難であった。
【非特許文献1】Machium, M., Henry, L., Palnitkar, M., and Deisenhofer, J., Proc. Natil. Acad.Sci. USA, Nol.96, No.21, p.11717-11722 (1999)
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
不安定で短寿命な蛋白質−気体分子複合体を作成し捕捉するための方法を見出すことが、本発明の課題であった。
【課題を解決するための手段】
【0006】
本発明者は上記課題を解決せんと鋭意研究を重ね、凍結蛋白質を気体に曝露することにより、不安定で短寿命な蛋白質−気体分子複合体を作成し捕捉することに成功し、本発明を完成させるに至った。
【0007】
すなわち、本発明は、
(1)凍結蛋白質を気体に曝露することを特徴とする、蛋白質−気体分子複合体の作成方法;
(2)蛋白質の凍結と気体への曝露が同時に行われる、(1)記載の方法;
(3)蛋白質の凍結と気体への曝露が複数回ずつ交互に行われる、(1)記載の方法;
(4)凍結蛋白質が非結晶性のものである、(1)記載の方法;
(5)凍結蛋白質が結晶性のものである、(1)記載の方法;
(6)(1)〜(5)のいずれかに記載の方法により作成される、蛋白質−気体分子複合体;ならびに
(7)(1)〜(5)のいずれかに記載の方法により蛋白質−気体分子複合体を作成する装置であって、蛋白質試料保持手段、蛋白質試料凍結手段、および凍結蛋白質を気体に曝露する手段を含む装置
を提供する。
【0008】
なお、凍結蛋白質中を実用上充分な速さで気体が拡散することは当業者といえども予想外の事実であり、さらに所望する蛋白質-気体複合体を形成できるということは当業者といえども全く予想することも出来ない事実であった。凍結蛋白質中での先行実験は知られていないが、参考になる例として、T. Ikdea et al., in T. Hondoh ed., Physics in Ice Cores Records Hokkaido Univ. Press, Sapporo, 2000, p393には、氷(ヘキサゴナル相:常圧での一般的な氷の相)の中での気体分子の振る舞いについて研究がなされている。そのなかで窒素分子の拡散に対するポテンシャルバリアーが求められており、それに基づいて拡散係数(D)を出すと227K(−46度)では5x10−15/secとなる。分子の変位の二乗平均は2Dt=2x5x10−15xt/secとなるので、227Kで窒素分子は一秒間にわずか100nmしか移動しない、すなわち実質的にほとんど拡散をすることがないことが知られていた。
【発明の効果】
【0009】
本発明により、結晶、非結晶を問わず凍結状態の蛋白質試料を気体に曝露することにより、通常は不安定で短寿命な蛋白質−気体分子複合体を作成し捕捉することができるので、気体分子を利用して機能する蛋白質の構造や反応機構などを詳細に解析することができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0010】
本発明は、1の態様において、凍結蛋白質を気体に曝露することを特徴とする、蛋白質−気体分子複合体の作成方法に関するものである。本発明の方法により気体分子と複合体化される蛋白質の種類は特に制限はなく、所望のものを用いることができる。蛋白質を凍結する方法も公知の方法を用いることができ、特に制限はない。
【0011】
凍結蛋白質は結晶性、非結晶性いずれであってもよい。例えば、蛋白質を溶媒に溶解し、得られた溶液を凍結させてもよい。蛋白質を溶解させる溶媒についても特に制限はないが、凍結状態でも蛋白質の構造に影響を及ぼすことが少なく、反応性が低い溶媒が好ましい。好ましい溶媒としては、水、グリセリン、エチレングリコール、あるいはこれらの混合物などが例示される。また、溶媒はpHを保つために適当な緩衝液(例えば、トリス緩衝液、リン酸緩衝液、酢酸緩衝液など)となっていてもよい。蛋白質の種類、凍結温度、使用する気体の種類や圧力などの条件に応じて、当業者が容易に溶媒を選択することができる。
【0012】
あるいは、蛋白質試料を凍結させても良い。試料を凍結する手段・方法も特に制限はなく、公知の手段・方法を用いることができる。例えば液体窒素などの極低温冷媒に浸漬することで凍結させることができる。凍結温度は、蛋白質試料を凍結させることのできる温度であれば特に制限はないが通常は−10〜−196℃、好ましくは−100〜−196℃である。
【0013】
気体に曝露する際に、凍結蛋白質試料を低温に保持する手段・方法も特に制限はなく、熱伝導率の高い物質(例えば銅など)でできた熱伝導棒などを用いて液体窒素などの極低温冷媒から冷却することができる。試料温度は気体−蛋白質複合体が安定に存在する温度であれば特に制限はないが、通常には−10〜−180℃、好ましくは−20〜−80℃である。蛋白質試料のサイズや物性、蛋白質の種類、試料中の蛋白質の質量などの条件に応じて、当業者が容易に気体処理温度を決定することができる。蛋白質の凍結は、高圧の気体に曝露する場合を考慮すると、高圧に耐えることができ、しかも温度制御が可能な密閉可能なチャンバーやホルダー内で行うのが好ましい。かかるチャンバーやホルダーは当業者に公知であり、容易に作成することもできる。
【0014】
凍結した蛋白質試料を、低温下で試料蛋白質に結合する気体に曝露することによって、凍結試料中に気体分子を拡散、浸透させることにより、蛋白質−気体分子複合体を得ることができる。気体への曝露は、蛋白質の凍結状態を維持しつつ行う必要がある。気体の温度は、気体に曝露している間に、気体-蛋白質複合体が安定に存在し、蛋白質への気体の浸透があまり遅くならない温度であれば良く、凍結時に適用した温度と同じであってもよく、異なっていてもよい。気体の温度はまた、それに曝露される凍結蛋白質試料の物性やサイズ、蛋白質の種類や量などの因子に応じて選択されうる。蛋白質の凍結および気体への曝露を同じチャンバーやホルダー内で行う場合の操作の利便性を考慮すると、気体の温度は、凍結時の温度と同じかあるいはその付近の温度であってもよい。気体を予め所望の温度に冷却してから、蛋白質に曝露してもよい。気体の冷却手段・方法は当業者に公知である。例えば、熱伝導率の高い物質(例えば銅など)でできたハイプを気体の配管に巻き付けてもよい。気体の温度制御の手段・方法も当業者に公知である。
【0015】
気体の圧力の調節も当業者に公知の手段・方法にて行うことができる。気体の圧力は、凍結試料中に効率よく気体分子を拡散、浸透させることができる圧力であればよいが、一般的には、1〜100気圧であり、好ましくは10〜20気圧である。圧力は、凍結蛋白質試料の物性やサイズ、蛋白質の種類や量、気体の種類や温度などの因子に応じて当業者が容易に決定することができる。気体を加圧して用いる場合には、例えば、気体を充填したボンベに、公知のホールバルブ、流量制御弁、圧力解放手段、圧力計などを設置することにより、所望の圧力を得ることができる。凍結蛋白質を気体に曝露する際、急激に曝露するのではなく、除々に(例えば、1分間で10〜20気圧)加圧して凍結試料の破壊を防ぐのが好ましい。気体への曝露時間は、気体が凍結蛋白質試料全体に拡散、浸透するような時間であればよい。気体への曝露時間は、凍結蛋白質試料の物性やサイズ、蛋白質の種類や量、気体の種類や圧力などの因子に応じて当業者が容易に決定することができる。
【0016】
本発明の方法において、蛋白質の凍結と、蛋白質の気体への曝露を同時に行ってもよい。具体的態様の一例として、蛋白質試料を低温下に置いて凍結させつつ、低温の気体に曝露してもよい。また、本発明の方法において、蛋白質の凍結と気体への曝露を複数回ずつ交互に行ってもよい。複数回とは、蛋白質試料中に気体が十分に拡散・浸透する回数であればよく、例えば数百回であってもよく、数10回であってもよく、数回であってもよい。かかる態様は、凍結状態が長く維持し難い蛋白質試料や気体が浸透し難い蛋白質試料、および/または蛋白質試料に浸透し難い気体を用いる場合などに効果的である。
【0017】
本発明の方法により、室温などの通常の条件では極めて短寿命で不安定な蛋白質−気体分子複合体を安定に作成することができ、作成された複合体の寿命も長い。それゆえ、本発明により得られた複合体の構造解析も十分に行うことができ、気体分子と反応する蛋白質の機能や反応機構などを詳細に解析することができる。
【0018】
さらに本発明は、本発明の上記方法により蛋白質−気体分子複合体を作成する装置であって、蛋白質試料保持手段、蛋白質試料凍結手段、および凍結蛋白質を気体に曝露する手段を含む装置に関する。その具体例を実施例1に示す。
【0019】
以下に実施例を示して本発明をより具体的かつ詳細に説明するが、実施例は本発明を限定するものではない。
【実施例1】
【0020】
図1に示す装置を組み立てた。この装置により、低温(−20〜−100℃)において凍結蛋白質試料を気体(最高20気圧)に曝露することができた。
【0021】
エチレングリコール40%を含むトリス緩衝液pH7.0に還元型ウマ由来ミオグロビン1.6mMを溶かした。得られた溶液を、液体窒素を用いて冷却し、−196℃、1分間処理し、凍結させた。凍結試料を、予め液体窒素で−70℃に冷却しておいた銅製ホルダー(図2参照)に入れ、予め−70℃に冷却しておいた高圧セル本体上部に挿入した。高圧セルキャップ7を閉め、酸素ガスを徐々に導入して圧力を約1分間で20気圧まで上昇させた。20気圧、−73℃の状態で80分間処理を行った後、試料を銅製ホルダーに入れたまま取り出した。
【0022】
この試料の可視吸収スペクトルを測定したところ、582、543ナノメートルに吸収極大波長を持つスペクトルが見られた(図3)。これは既に報告されているミオグロビン−酸素複合体の吸収スペクトルの特徴(吸収極大波長:580、542ナノメートル、Antonini, E. Ed., Hemoglobin and myoglobin in their reactions with ligands. North-Holland Pub. Co, 1971)とほとんど一致した。この結果から、本発明の方法によって低温下で酸素ガスにて処理することで凍結蛋白質試料中に酸素分子が拡散、浸透していきミオグロビン−酸素複合体が得られることがわかった。本発明は、特に、室温では極めて短寿命、不安定な複合体の調製に極めて有用であることがわかった。
【実施例2】
【0023】
実施例1と同じ装置を用いて、脂肪酸水酸化酵素シトクロムP450BSβの還元型単結晶(約0.2x0.2x0.3mm)を、−196℃で1分間維持することにより凍結させた。得られた凍結蛋白質結晶試料を、−43℃、20気圧の酸素で15分間処理したところ、室温では半減期が1秒程度のシトクロムP450BSβ−O複合体が得られた。溶液状態のシトクロムP450BSβ−O複合体の可視吸収スペクトルを図4(A)に、単結晶のシトクロムP450BSβ−O複合体の可視吸収スペクトルを図4(B)に示す。単結晶でも、溶液状態と同様のスペクトルが観測され、本発明の方法により単結晶の酸素複合体が調製可能であることが示された。
【産業上の利用可能性】
【0024】
本発明は、気体と反応する蛋白質の研究分野、創薬分野などに使用することができる。
【図面の簡単な説明】
【0025】
【図1】図1は、実施例に記載した実験に使用した低温高圧処理装置の概要を示す図である。
【図2】図2は、図1の装置の高圧セルキャップを取り外して装填される、銅製試料ホルダーの概略を示す図である。ホルダー中央部の穴に試料を入れて、冷却されたホルダーごと出し入れする。
【図3】図3は、還元型ミオグロビンを−73℃、20気圧の酸素ガスで80分処理後の可視吸収スペクトルを示す。
【図4】図4(A)は酸素を除いた還元型P450BSβ溶液と空気飽和した緩衝溶液(50mM MES(2−(N−モルホリノ)エタンスルホン酸),pH7.0および50%エチレングリコール)を高速で混合し、0.2秒後に測定したスペクトルを示す。図4(A)のスペクトルはストップトフロー装置を用いて測定した(ストップトフローラピッドスキャン法による)。図4(B)は単結晶のシトクロムP450BSβ−O複合体の可視吸収スペクトルを示す。図4(B)のスペクトルは単結晶を−43℃で20気圧の酸素で15分間処理した後、顕微分光装置を用いて測定した。
【符号の説明】
【0026】
1 ガスボンベ
2 ボールバルブ
3 微量流量制御弁
4 圧力開放用ボールバルブ
5 圧力計
6 非常用圧力逃がし弁
7 高圧セルキャップ
8 熱電対
9 ヒーター
10 銅製熱伝導棒


【特許請求の範囲】
【請求項1】
凍結蛋白質を気体に曝露することを特徴とする、蛋白質−気体分子複合体の作成方法。
【請求項2】
蛋白質の凍結と気体への曝露が同時に行われる、請求項1記載の方法。
【請求項3】
蛋白質の凍結と気体への曝露が複数回ずつ交互に行われる、請求項1記載の方法。
【請求項4】
凍結蛋白質が非結晶性のものである、請求項1記載の方法。
【請求項5】
凍結蛋白質が結晶性のものである、請求項1記載の方法。
【請求項6】
請求項1〜5のいずれか1項記載の方法により作成される、蛋白質−気体分子複合体。
【請求項7】
請求項1〜5のいずれか1項記載の方法により蛋白質−気体分子複合体を作成する装置であって、蛋白質試料保持手段、蛋白質試料凍結手段、および凍結蛋白質を気体に曝露する手段を含む装置。


【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【公開番号】特開2008−31119(P2008−31119A)
【公開日】平成20年2月14日(2008.2.14)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2006−208427(P2006−208427)
【出願日】平成18年7月31日(2006.7.31)
【出願人】(503359821)独立行政法人理化学研究所 (1,056)
【Fターム(参考)】