説明

表面処理方法

【課題】基材上に形成された多層の被覆膜のうち、特定の被覆膜の応力を調整する表面処理方法を提供する。
【解決手段】本発明の表面処理方法は、基材10の表面に、引張応力を有する応力膜21とこの応力膜21の上層に被覆された上層膜22とを含む多層の被覆膜20を備える部材に対して行う表面処理方法であって、被覆膜20にパルスレーザを照射することで、上層膜22を除去して応力膜21を表面に露出させ、かつこの応力膜21に対して引張応力を低減又は圧縮応力を付与する。パルスレーザを用いることで、被覆膜20のうち、除去したい上層膜22のみ除去でき、除去後に表面に露出した引張応力を有する応力膜21に対して、その引張応力を低減、更には圧縮応力を付与することができる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、基材上に形成された多層の被覆膜のうち、特定の被覆膜の応力を調整する表面処理方法に関する。
【背景技術】
【0002】
高度な耐腐食性(耐酸化性)、耐熱性、耐摩耗性が要求される金型部品、機械部品(摺動部品)や工具等に用いられる部材には、しばしば耐腐食性(耐酸化性)、耐熱性、耐摩耗性に優れるセラミックス被覆をコーティングすることにより、長寿命化が図られる。例えば、ダイス鋼、高速度鋼、ステンレスなどの金属材料や窒化珪素(酸窒化珪素)等のセラミックス、WC基超硬合金、サーメット等の硬質の基材の表面に、耐摩耗性向上のために、チタンの窒化物、炭化物、炭窒化物等からなる被覆膜を1層以上形成した部材が知られている。
【0003】
上記被覆膜の上層に、耐熱性を持たせるためにAl2O3を代表とする酸化物膜を被覆することがある。例えば、切削工具においては、金属材料の切削、特に鋼の切削ではすくい面の最高温度は1000℃以上の高温になることもあるため、耐熱性に優れる酸化物膜の被覆が施されている。しかし、この酸化物膜は、高硬度であるが脆いため、耐欠損性が低くなるという欠点を持つ。特許文献1には、上層の酸化物膜と下層の酸化物以外の膜とを備える被覆硬質合金工具であって、被加工材との摩擦領域、例えば切れ刃稜線部において、酸化物膜を除去して、酸化物以外の膜を露出することで耐欠損性を改善できる被覆硬質合金工具が開示されている。この酸化物膜の除去方法の実験例として、公知のCVD法で基材の表面に被覆処理を行った後、バレル研磨、ダイヤブラシ、ショットブラスト、弾性砥石等で除去する方法が挙げられている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0004】
【特許文献1】特開平08‐011005号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
しかし、特許文献1で行われている酸化物膜の除去は機械的に行われているため、除去処理の処理量の制御を行い難く、その処理量にばらつきが生じる。よって、酸化物膜の除去が不十分であったり、逆に表面に露出されるべき酸化物以外の膜(チタンの窒化物、炭化物、炭窒化物等からなる被覆膜)まで除去してしまい、その膜厚が小さくなる虞がある。また、機械的な除去処理では、酸化物膜を除去すべき領域よりも実際に除去される領域が広くなり易く、局所的な除去処理を行い難い。
【0006】
被加工材との摩擦領域において、表面に露出された酸化物以外の膜の応力が圧縮の場合、耐欠損性に優れると考えられている。しかし、機械的な除去方法で酸化物膜を除去すると、除去処理によって表面に露出された膜の応力の制御を行い難い。よって、基材の表面に被覆膜を成膜する段階において、その被覆膜が引張応力であれば、機械的な方法で酸化物膜の除去を行っても、表面に露出された酸化物以外の膜は何ら変化せず当初の引張応力のままであり、その引張応力を緩和することは難しい。通常、CVD法により成膜された膜は、成膜時においては引張応力を有する。そのため、被加工材との摩擦領域が成膜段階の引張応力になっていることで、耐欠損性の向上は難しい。
【0007】
本発明は上記事情に鑑みてなされたものであり、その目的の一つは、基材上に形成された多層の被覆膜のうち、下層(基材側)の被覆膜が有する引張応力を低減し、又は引張応力を圧縮応力に調整できる表面処理方法を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0008】
本発明は、多層の被覆膜に対して行う表面処理方法に工夫を施すことで、被覆膜のうち、除去したい膜の特定領域のみを除去し易くすることができ、除去後に表面に露出した膜の応力の制御を可能とし、上記目的を達成する。
【0009】
本発明の表面処理方法は、基材の表面に、引張応力を有する応力膜とこの応力膜の上層に被覆された上層膜とを含む多層の被覆膜を備える部材に対して行う表面処理方法であって、上記被覆膜にパルスレーザを照射することで、上記上層膜を除去して上記応力膜を表面に露出させ、かつ該応力膜の引張応力を低減又は該応力膜に対して圧縮応力を付与する。
【0010】
上記構成によれば、パルスレーザを照射することで、被覆膜の表面処理において、その処理量の制御を行うことができる。ここで言う処理量の制御とは、パルスレーザの照射領域の広さとその深さ方向のことである。パルスレーザを照射した領域の上層膜を確実に除去できるので、表面処理の広さに対して処理量にばらつきが生じにくい。また、パルスレーザを照射した深さ方向も制御できるので、除去したい膜(ここでは上層膜)のみを除去することができ、除去によって露出した表層の膜(ここでは応力膜)に対して膜厚減少を防止できる。さらに、パルスレーザ照射は局所的な熱衝撃による除去のため、応力膜に欠損が生じにくい。
【0011】
特に、パルスレーザを用いることで、上層膜の除去によって表面に露出した応力膜の応力の制御を行うことができる。本発明では、成膜段階から引張応力を有する応力膜に対して、その引張応力を低減、更には圧縮応力を付与することができる。
【0012】
例えば、処理対象が金型部品や摺動部品等の機械部品の場合、表面処理後の応力膜の応力がゼロ応力または若干の引張応力であっても、処理前の応力膜(通常、成膜終了時における応力)に対して処理後の応力膜の応力が低減していれば、耐摩耗性を維持しながら、耐欠損性等の特性を向上させることができる。一方、処理対象が切削工具のような大きな衝撃を受ける部品の場合、切削に作用する領域においては、高度な耐欠損性を要求されるため、被削材と接触する表層の膜が圧縮応力であることが望まれる。従って、この場合、処理後の露出された応力膜の応力が圧縮応力であることが好ましい特性といえる。本発明の表面処理方法は、上記のような機械部品や切削工具はもちろん、他の部材であっても、2層以上の被覆を施した部材に広く適用出来るものである。
【0013】
本発明の一形態として、上記パルスレーザの膜上における集光点のオーバーラップ率が、20%以上80%以下であることが挙げられる。
【0014】
パルスレーザを用いるので、膜上における集光点で、その集光レーザビームの重複領域を設けることが好ましい。オーバーラップ率は、[{(ビームスポット径)−(レーザビームの1パルス分の送り量)}/(ビームスポット径)]×100により求められる。レーザビームの1パルス分の送り量は、(スキャン速度)/(パルスレーザ光の繰り返し周波数)により求められる。このオーバーラップ率が20%以上であることで、パルスレーザが照射された領域において、応力膜に対して、効果的に引張応力を低減又は圧縮応力を付与することができる。特に、表面に露出した応力膜が圧縮応力を有することで、更に効果的に耐欠損性を向上することができる。この応力膜の応力は、応力膜の厚み方向に分布を有している。一方、オーバーラップ率が増加するに伴い、応力膜の膜厚が減少し、耐摩耗性が低下する。よって、耐摩耗性及び耐欠損性を共に備える部材を得るためには、オーバーラップ率は20%以上80%以下が好ましく、より好ましくは40%以上60%以下である。
【0015】
オーバーラップ率を調整する方法として、パルスレーザ光の繰り返し周波数、またはスキャン速度を変更することが挙げられる。例えば、オーバーラップ率を50%とする場合、ビームスポット径が50μmのとき、繰り返し周波数を5kHz、スキャン速度を125mm/sに設定するとよい。
【0016】
本発明の一形態として、上記パルスレーザの膜上における集光点のピークパワー密度が、0.02GW/cm2以上5GW/cm2以下であることが挙げられる。
【0017】
パルスレーザの場合、レーザ光の強度はパルスレーザの膜上における集光点のピークパワー密度(W/cm2)で決まる。ピークパワー密度は、集光点における(2×レーザ光のパルスエネルギー)/(レーザ光のビームスポット断面積×パルス幅)により求められる。このピークパワー密度の大きさは、除去する膜の厚みが増す程、または薄くなる程大きくする必要がある。除去する膜の厚みが厚い場合、その除去に必要なエネルギーは大きくなり、ピークパワー密度が大きくなる。一方、除去する膜の厚みが薄い場合、表面に露出した応力膜への熱的ダメージを抑制するためにパルス幅を短くするので、ピークパワー密度が大きくなる。ピークパワー密度が0.02GW/cm2以上であることで、パルスレーザが照射された領域において、金型部品や機械部品(摺動部品)、工具などの実用に耐えうる所望の膜の除去ができ、表面に露出した応力膜に対して、引張応力を低減又は圧縮応力を付与することができる。特に、表面に露出した応力膜が圧縮応力を有することで、効果的にその耐欠損性を向上することができる。一方、ピークパワー密度が大きくなると、表面に露出した応力膜へ熱的ダメージを付与してしまい、その応力膜が溶融・凝固という過程を経るため、圧縮応力を付与し難くなる。よって、耐摩耗性及び耐欠損性を共に備える部材を得るためには、ピークパワー密度は0.02GW/cm2以上5GW/cm2以下が好ましく、より好ましくは0.04GW/cm2以上4GW/cm2以下である。
【0018】
ピークパワー密度を調整する方法として、集光点におけるレーザ光のパルスエネルギー、またはビームスポット断面積、またはパルス幅を変更することが挙げられる。
【0019】
パルス幅は5ns以上500ns以下であることが好ましく、より好ましくは10ns以上300ns以下である。パルスエネルギーは0.1mJ以上1mJ以下であることが好ましく、より好ましくは0.3mJ以上0.9mJ以下である。
【0020】
ピークパワー密度の調整方法の中でも最も簡便な調整方法は、集光レンズに入射する手前で、凹レンズと凸レンズの組レンズや、ビーム拡大鏡(ビームエキスパンダー)を用いて、レーザ光の発散角とレーザビーム直径を調整して集光レンズに入射して、ビームスポット断面積を調整すること、つまりレーザビーム直径を調整することである。ここで言うビーム直径は、レーザ光としての空間的な幅のことである。即ち、レーザ光の強度がピーク強度値の1/e2(e:自然対数の底)まで減衰したときの空間的な幅である。このビーム直径は20μm以上150μm以下であることが好ましく、より好ましくは40μm以上100μm以下である。
【発明の効果】
【0021】
本発明の表面処理方法は、パルスレーザを照射することで、被覆膜の表面処理において、その処理量の制御を行うことができる。よって、除去したい膜の特定領域のみを除去することができる。また、膜の除去後に表面に露出した応力膜の応力の制御を行うことができる。特に、この露出した応力膜に対して、引張応力を低減、更には圧縮応力を付与することで、耐欠損性を向上することができる。
【図面の簡単な説明】
【0022】
【図1】実施形態に係る多層コーティング部材の断面の一部を拡大して示す一つの例示図である。
【発明を実施するための形態】
【0023】
以下、本発明についての実施形態を図面に基づいて説明する。
【0024】
<実施形態>
[概要]
一つの例示として、多層コーティング部材における実施形態を示す。図1は、多層コーティング部材の断面の一部を拡大して示す図である。この多層コーティング部材1は、基材10の表面に、引張応力を有する応力膜21とこの応力膜の上層に被覆された上層膜22とを含む多層被覆膜20を備える。被覆膜20のうち、上層膜22を除去したい領域(ここでは、パルスレーザ照射部2)にパルスレーザを照射することで、上層膜22が部分的に除去され、応力膜21が表面に露出されている。パルスレーザの非照射部3は、パルスレーザが照射されていないので、基材10の表面に、応力膜21と上層膜22とを備える。
【0025】
≪多層コーティング部材の製造方法≫
(成膜工程)
成膜工程は、基材10の表面に多層の被覆膜20を成膜する。本形態では、基材10の表面に、応力膜21を成膜し、その上に上層膜22を成膜する。
【0026】
被覆膜20の成膜方法は、従来公知の種々の成膜方法を採用することができる。応力膜21に関しては、CVD法で成膜することが好ましく、特にMT-CVD(Moderate Temperature CVD)法により成膜することが好ましい。従来のCVD法は約1020〜1030℃で成膜を行うのに対して、MT-CVD法は約850〜900℃と比較的低温で成膜を行うことができるため、成膜の際、加熱による基材10へのダメージを低減することができる。よって、基材10に被覆する被覆膜20は、MT-CVD法によって成膜することがより好ましい。CVD法により成膜された応力膜21は、通常、成膜時においては引張応力を有する。
【0027】
〈基材〉
基材10は、成膜可能な各種材料が利用できる。具体的には、各種金属材料、セラミックス、又は超硬合金やサーメットといった各種焼結材などが挙げられる。ここでは、WC基超硬合金を基材10としている。WCとCoを含む超硬合金は、耐摩耗性及び耐欠損性に非常に優れるため切削加工に最適である。
【0028】
〈上層膜〉
上層膜22として、後述する応力膜21よりもパルスレーザの照射により消失し易い材料又は厚さの膜が利用でき、例えば、耐熱性に優れる酸化物の膜が挙げられる。酸化物の膜としては、周期律表4,5,13族元素から選択される1種以上の元素の酸化物の膜であることが挙げられる。この酸化物の膜として、Al2O3,ZrO2,TiO2,VO2等が挙げられ、耐熱性を高めることができる。
【0029】
〈応力膜〉
応力膜21として、例えば、酸化物以外の膜が挙げられる。酸化物以外の膜としては、周期律表4,5,6族元素、Al及びSiからなる群より選択される少なくとも1種の元素、または上記元素と、硼素、炭素及び窒素からなる群より選択される少なくとも1種とからなる化合物が挙げられる。例えば、Cr,Ti,Al,Si,V,Zr,Hf,TiC,TiN,TiB2,TiCBN,TiCN,TiBN,HfN,HfC,TiAlN,AlCrN,CrN,VN,ZrN,ZrCN,ZrBN,ZrCBN,TiSiN,TiAlC,TiSiCN,AlN,AlCN,AlTiSiN,AlTiCrN,TiAlCN,NbC,NbCN,Mo2C等が挙げられる。
【0030】
特に、上記酸化物以外の膜として、パルスレーザ照射部2における表面に露出された応力膜21は、窒化物又は炭窒化物の膜であることが挙げられる。窒化物又は炭窒化物は、金属との耐焼付性に優れているので、パルスレーザ照射部2における表面に存在することで、耐欠損性をより高めることができる。この窒化物又は炭窒化物の膜として、周期律表4,5,6族元素、Al及びSiからなる群より選択される少なくとも1種の元素の窒化物又は炭窒化物が挙げられる。例えば、TiN,TiCN,HfN,TiAlN,AlCrN,CrN,VN,TiSiN,TiSiCN等が挙げられる。特に、TiCN膜は耐摩耗性、耐欠損性がより向上するので好ましい。中でも、C:Nのモル比が5:5〜7:3の範囲のTiCN膜は、非常に優れた耐欠損性を示し、例えば切削工具において寿命をさらに向上することが期待できる。
【0031】
(表面処理工程)
表面処理工程は、上述した被覆膜20のうち、上層膜22を除去したい領域(ここでは、パルスレーザ照射部2)にパルスレーザを照射することで、上層膜22を除去して応力膜21を表面に露出させ、かつ、露出させた応力膜21に対して引張応力を低減又は圧縮応力を付与する。パルスレーザの照射条件は、上述した通りである。
【0032】
さらに、パルスレーザとして、Qスイッチ型を用いると瞬間的に非常に強いパワーを発振することができて好ましい。パルス波の波長は266〜1064nmであることが好ましい。
【0033】
パルスレーザ照射部2は、上層膜22の除去によって応力膜21を露出させ、該応力膜21のおいて応力を変えたい領域に設定すればよく、応力膜21の一部であってもよいし、全部であってもよい。
【0034】
[試験例]
硬質合金からなる基材表面に被覆膜(応力膜及び上層膜を含む)を備えた試験片を作製し、パルスレーザの照射によって露出された応力膜中の応力状態、及びその膜厚を調べた。以下の試験例では、パルスレーザの膜上における集光点のオーバーラップ率を変化させた。
【0035】
〈試験例1(オーバーラップ率:60%)〉
≪試験片の製造≫
(種別:実施例1-1〜1-8、比較例1-1,1-2,1-6〜1-8)
超硬合金からなる基材の表面に、以下に示す5層の被覆膜を第1層から順に第5層まで成膜した。超硬合金基材には、主成分であるWC,Coに若干のTa化合物とTi化合物を含有するものを用いた。
【0036】
第1層は、約0.2μmのTiNで、H2-1.0Vol%TiCl4-40.0Vol%N2の組成ガスを用いて、圧力を6kPa、基板温度を840℃としMT-CVD法にて成膜した。
【0037】
第2層は、約12μmのTiCNで、H2-2.0Vol%TiCl4-20.0Vol%N2-0.5Vol%CH3CNの組成ガスを用いて、圧力を10kPa、基板温度を860℃としMT-CVD法にて成膜した。
【0038】
第3層は、約0.2μmのTiBNで、H2-2.0Vol%TiCl4-4.0Vol%BCl3-5.0Vol%N2の組成ガスを用いて、圧力を60kPa、基板温度を970℃としCVD法にて成膜した。
【0039】
第4層は、約4.0μmのAl2O3で、H2-3.0Vol%AlCl3-3.5Vol%CO2-0.4Vol%H2S-3.0Vol%HClの組成ガスを用いて、圧力を6kPa、基板温度を1000℃としCVD法にて成膜した。
【0040】
第5層は、約0.5μmのTiNで、H2-2.0Vol%TiCl4-30.0Vol%N2の組成ガスを用いて、圧力を20kPa、基板温度を1000℃としCVD法にて成膜した。
【0041】
被覆膜において各膜は、第1層のTiN膜は超硬合金基材と第2層との密着性を高め、第2層のTiCN膜は耐摩耗性を高め、第3層のTiBN膜は第4層との密着力を高め、かつレーザ光を吸収し、第4層のAl2O3膜は耐熱性を高め、第5層のTiN膜は美的効果を高めている。しかし、あくまでも本例は例示であるため、被覆膜の構成膜、膜順序は限定されるものではない。但し、酸化物の膜(第4層)は、パルスレーザ照射部の表層を形成する酸化物以外の膜(第2層)に対して上層側に形成されている。この酸化物の膜とパルスレーザ照射部の表層を形成する膜は、隣接していても良いし、両膜の間に別の膜が介在されていても良い。
【0042】
上記被覆膜は5層ともCVD法により成膜されており、引張応力を有している。応力膜である第2層のTiCN膜は、130MPa程度の引張応力を有している。この被覆膜のうち、パルスレーザ照射部において、上層膜(第5層TiN、第4層Al2O3、第3層TiBN)を除去し、応力膜(第2層TiCN)を露出させ、かつこの応力膜の応力を制御する表面処理を行う。この表面処理として、パルスレーザを用いて行った例を実施例1-1〜1-8、比較例1-2とする。表面処理として、ブラッシングを用いた例を比較例1-1、連続波レーザを用いた例を比較例1-7、変調レーザ(連続波レーザを断続的に出力するレーザ)を用いた例を比較例1-8とする。また、除去を行わなかった未処理品を比較例1-6とする。ただし、連続波レーザ及び変調レーザは、パルスレーザではないため、ピークパワー密度(W/cm2)で定義ができない(即ち、値が0となる)。また、両レーザ(連続波レーザ及び変調レーザ)とも出力が高くなると連続的に基材への入熱量が大きくなり、基材への熱ダメージが大きくなる。そこで、微細加工用に用いられるレーザの出力レベルとして、両レーザとも平均出力が30Wとなるように調整したレーザを用いた。
【0043】
(種別:実施例1-9〜1-16、比較例1-3)
被覆膜を構成する上層膜を変えて試験片を製造した。ここでは、第4層のAl2O3に代えて4.0μmのZrO2を成膜した。成膜条件は、Ar-33.9Vol%H2-33.9Vol%CO2-1.7Vol%ZrCl4の組成ガスを用いて、圧力を4kPa、基板温度を850℃とし、CVD法にて成膜した。上層膜(第5層TiN、第4層ZrO2、第3層TiBN)を除去し、応力膜(第2層TiCN)を露出させ、かつこの応力膜の応力を制御する表面処理は、パルスレーザを用いて行った。
【0044】
(種別:実施例1-17〜1-24、比較例1-4)
被覆膜を構成する上層膜を変えて試験片を製造した。ここでは、第4層のAl2O3に代えて4.0μmのTiO2を成膜した。成膜条件は、H2-2.0Vol%TiCl4-0.4Vol%COの組成ガスを用いて、圧力を8kPa、基板温度を980℃としたCVD法である。上層膜(第5層TiN、第4層TiO2、第3層TiBN)を除去し、応力膜(第2層TiCN)を露出させ、かつこの応力膜の応力を制御する表面処理は、パルスレーザを用いて行った。
【0045】
(種別:実施例1-25〜1-32、比較例1-5)
被覆膜を構成する上層膜を変えて試験片を製造した。ここでは、第4層のAl2O3に代えて4.0μmのVO2を成膜した。成膜条件は、75Vol%H2O-25Vol%VCl4の組成ガスを用いて、圧力を101kPa、基板温度を600℃とし、CVD法にて成膜した。上層膜(第5層TiN、第4層VO2、第3層TiBN)を除去し、応力膜(第2層TiCN)を露出させ、かつこの応力膜の応力を制御する表面処理は、パルスレーザを用いて行った。
【0046】
上記パルスレーザによる表面処理方法は、超硬合金基材に垂直な方向からパルスレーザをスキャンしながら照射した。試験例1では、ビームスポット径75μmとなるようにし、繰り返し周波数を25kHz、スキャン速度を750mm/sに設定することで、オーバーラップ率を60%とし、パルスレーザを照射した。ピークパワー密度は、パルス幅を1ns,5ns,10ns,20ns,50ns,100ns,200ns,300ns,500nsと変えることによって調整した。なお、連続波レーザ(比較例1-7)及び変調レーザ(比較例1-8)においても、ビームスポット径を同一の75μmとし、変調レーザについては、変調周波数(断続的に出力する周波数)を25kHzとした。この試験例では、パルスレーザ、連続波レーザ、変調レーザともレーザ光の波長は1064nmである。
【0047】
上記条件のパルスレーザを照射することで、パルスレーザを照射した領域において、被覆膜のうち上層膜を除去することができ、応力膜を露出することができた。得られた試験片は、パルスレーザを照射した領域(パルスレーザ照射部)においては、基材の表面にTiN膜、TiCN膜が順に備えられており、TiBN膜、Al2O3膜、TiN膜は存在しない。
【0048】
≪評価≫
(応力膜(第2層TiCN)の応力状態)
得られた試験片において、パルスレーザ照射部の応力膜(TiCN膜)中の厚み方向の応力分布を高輝度放射光を用いたX線回折により、sin2ψ法で厚み方向の応力状態を精密に測定した。その結果を表1に示す。表1のTiCN膜の応力状態は、応力分布において、圧縮応力が存在する場合は、その圧縮応力の最大値を示し、圧縮応力が存在せず引張り応力のみが存在する場合は、その引張応力の最大値を示している。
【0049】
(応力膜(第2層TiCN)の膜厚)
また、得られた試験片において、膜厚測定箇所を実際に切断して、その断面を直接SEM(走査型電子顕微鏡)で観察して、膜厚を測定した。その結果を表1に併せて示す。
【0050】
【表1】

【0051】
≪結果≫
表1に示すように、表面処理として、0.02GW/cm2以上のピークパワー密度のパルスレーザを用いた場合(実施例1-1〜1-32)及びブラッシングを用いた機械的な処理の場合(比較例1-1)は、上層膜(第5層TiN、第4層Al2O3又はZrO2又はTiO2又はVO2、第3層TiBN)を除去し、応力膜(第2層TiCN)を露出させることができた。
【0052】
(応力膜(第2層TiCN)の応力状態)
表面処理として、0.02GW/cm2以上のピークパワー密度のパルスレーザを用いた場合(実施例1-1〜1-32)、応力膜における残留応力は厚み方向に分布を持ち、該分布は圧縮応力となる部分を有し、該圧縮応力の最大値が表1に示す値となっている。しかし、ブラッシングを用いた機械的な除去の場合(比較例1-1)、応力膜は引張応力のままであり、かつ応力膜の成膜終了時の引張応力(約130MPa)に対してほぼ変わりない。これは、機械的な除去では、応力膜の成膜時に形成された引張応力は緩和できないということである。また、未処理品(比較例1-6)の場合TiCN膜の応力は引張となっていることから、本発明の試験片(実施例1-1〜1-32)は、パルスレーザ照射部のTiCN膜は部分的に圧縮応力を有しており、非照射部のTiCN膜は引張応力のままであると考えられる。つまり、本発明の表面処理方法は、パルスレーザ照射部と非照射部とを有する部材に好適であると考えられる。
【0053】
(応力膜(第2層TiCN)の膜厚)
パルスレーザの膜上における集光点のオーバーラップ率が60%の場合、パルスレーザの照射による有意な膜厚の減少は見受けられなかった。
【0054】
〈試験例2(オーバーラップ率:40%)〉
試験例2は、パルスレーザの膜上における集光点のオーバーラップ率が試験例1と異なる。試験例2では、ビームスポット径40μmとなるようにし、繰り返し周波数を25kHz、スキャン速度を600mm/sに設定することで、オーバーラップ率を40%とし、パルスレーザを照射した。その他の照射条件は、試験例1と同様である。試験例1と同様の評価方法を行った結果を表2に示す。
【0055】
【表2】

【0056】
≪結果≫
表2に示すように、表面処理として、0.02GW/cm2以上のピークパワー密度のパルスレーザを用いた場合(実施例2-1〜2-32)は、上層膜を除去し、応力膜を露出させることができた。そして、応力膜における残留応力が厚み方向に分布を持ち、該分布は圧縮応力となる部分を有し、該圧縮応力の最大値を表2に示す値とできた。また、応力膜の有意な膜厚の減少は見受けられなかった。
【0057】
〈試験例3(オーバーラップ率:60%)〉
試験例3は、パルスレーザの膜上における集光点のオーバーラップ率が試験例1と異なる。試験例3では、ビームスポット径100μmとなるようにし、繰り返し周波数を25kHz、スキャン速度を1000mm/sに設定することで、オーバーラップ率を60%とし、パルスレーザを照射した。この例では、試験例1とオーバーラップ率の数値が同じであるが、ビームスポット径などの数値が試験例1と異なる。その他の照射条件は、試験例1と同様である。試験例1と同様の評価方法を行った結果を表3に示す。
【0058】
【表3】

【0059】
≪結果≫
表3に示すように、表面処理として、0.02GW/cm2以上のピークパワー密度のパルスレーザを用いた場合(実施例3-1〜3-32)は、上層膜を除去し、応力膜を露出させることができた。そして、応力膜における残留応力が厚み方向に分布を持ち、該分布は圧縮応力となる部分を有し、該圧縮応力の最大値を表3に示す値とできた。また、応力膜の有意な膜厚の減少は見受けられなかった。
【0060】
〈試験例4(オーバーラップ率:35%)〉
試験例4は、パルスレーザの膜上における集光点のオーバーラップ率が試験例1と異なる。試験例4では、ビームスポット径20μmとなるようにし、繰り返し周波数を50kHz、スキャン速度を650mm/sに設定することで、オーバーラップ率を35%とし、パルスレーザを照射した。その他の照射条件は、試験例1と同様である。試験例1と同様の評価方法を行った結果を表4に示す。
【0061】
【表4】

【0062】
≪結果≫
表4に示すように、表面処理として、0.02GW/cm2以上のピークパワー密度のパルスレーザを用いた場合(実施例4-1〜4-32)は、上層膜を除去し、応力膜を露出させることができた。そして、応力膜における残留応力が厚み方向に分布を持ち、該分布は圧縮応力となる部分を有し、該圧縮応力の最大値を表4に示す値とできた。また、応力膜の有意な膜厚の減少は見受けられなかった。
【0063】
〈試験例5(オーバーラップ率:65%)〉
試験例5は、パルスレーザの膜上における集光点のオーバーラップ率が試験例1と異なる。試験例5では、ビームスポット径35μmとなるようにし、繰り返し周波数を40kHz、スキャン速度を490mm/sに設定することで、オーバーラップ率を65%とし、パルスレーザを照射した。その他の照射条件は、試験例1と同様である。試験例1と同様の評価方法を行った結果を表5に示す。
【0064】
【表5】

【0065】
≪結果≫
表5に示すように、表面処理として、0.02GW/cm2以上のピークパワー密度のパルスレーザを用いた場合(実施例5-1〜5-32)は、上層膜を除去し、応力膜を露出させることができた。そして、応力膜における残留応力が厚み方向に分布を持ち、該分布は圧縮応力となる部分を有し、該圧縮応力の最大値を表5に示す値とできた。応力膜の膜厚は、約8%の減少が見受けられた。
【0066】
〈試験例6(オーバーラップ率:20%)〉
試験例6は、パルスレーザの膜上における集光点のオーバーラップ率が試験例1と異なる。試験例6では、ビームスポット径50μmとなるようにし、繰り返し周波数を20kHz、スキャン速度を800mm/sに設定することで、オーバーラップ率を20%とし、パルスレーザを照射した。その他の照射条件は、試験例1と同様である。試験例1と同様の評価方法を行った結果を表6に示す。
【0067】
【表6】

【0068】
≪結果≫
表6に示すように、表面処理として、0.02GW/cm2以上のピークパワー密度のパルスレーザを用いた場合(実施例6-1〜6-32)は、上層膜を除去し、応力膜を露出させることができた。そして、応力膜における残留応力が厚み方向に分布を持ち、該分布は圧縮応力となる部分を有し、該圧縮応力の最大値を表6に示す値とできた。また、応力膜の有意な膜厚の減少は見受けられなかった。
【0069】
〈試験例7(オーバーラップ率:80%)〉
試験例7は、パルスレーザの膜上における集光点のオーバーラップ率が試験例1と異なる。試験例7では、ビームスポット径150μmとなるようにし、繰り返し周波数を25kHz、スキャン速度を750mm/sに設定することで、オーバーラップ率を80%とし、パルスレーザを照射した。その他の照射条件は、試験例1と同様である。試験例1と同様の評価方法を行った結果を表7に示す。
【0070】
【表7】

【0071】
≪結果≫
表7に示すように、表面処理として、0.02GW/cm2以上のピークパワー密度のパルスレーザを用いた場合(実施例7-1〜7-32)は、上層膜を除去し、応力膜を露出させることができた。そして、応力膜における残留応力が厚み方向に分布を持ち、該分布は圧縮応力となる部分を有し、該圧縮応力の最大値を表7に示す値とできた。応力膜の膜厚は、約16%の減少が見受けられた。
【0072】
〈試験例8(オーバーラップ率:15%)〉
試験例8は、パルスレーザの膜上における集光点のオーバーラップ率が試験例1と異なる。試験例8では、ビームスポット径50μmとなるようにし、繰り返し周波数を20kHz、スキャン速度を850mm/sに設定することで、オーバーラップ率を15%とし、パルスレーザを照射した。その他の照射条件は、試験例1と同様である。試験例1と同様の評価方法を行った結果を表8に示す。
【0073】
【表8】

【0074】
≪結果≫
表8に示すように、表面処理として、0.02GW/cm2以上のピークパワー密度のパルスレーザを用いた場合(実施例8-1〜8-32)は、上層膜を除去し、応力膜を露出させることができた。そして、応力膜における残留応力が厚み方向に分布を持ち、該分布は圧縮応力となる部分を有し、該圧縮応力の最大値を表8に示す値とできた。また、応力膜の有意な膜厚の減少は見受けられなかった。
【0075】
〈試験例9(オーバーラップ率:85%)〉
試験例9は、パルスレーザの膜上における集光点のオーバーラップ率が試験例1と異なる。試験例9では、ビームスポット径120μmとなるようにし、繰り返し周波数を30kHz、スキャン速度を540mm/sに設定することで、オーバーラップ率を85%とし、パルスレーザを照射した。その他の照射条件は、試験例1と同様である。試験例1と同様の評価方法を行った結果を表9に示す。
【0076】
【表9】

【0077】
≪結果≫
表9に示すように、表面処理として、0.02GW/cm2以上のピークパワー密度のパルスレーザを用いた場合(実施例9-1〜9-32)は、上層膜を除去し、応力膜を露出させることができた。そして、応力膜における残留応力が厚み方向に分布を持ち、該分布は圧縮応力となる部分を有し、該圧縮応力の最大値を表9に示す値とできた。応力膜の膜厚は、約25%の減少が見受けられた。
【0078】
〈まとめ〉
上記試験例1〜9から、本発明の表面処理は、0.02GW/cm2以上のピークパワー密度のパルスレーザを照射することで、上層膜を除去して応力膜を露出させることができた。そして、その露出した応力膜における残留応力が厚み方向に分布を持ち、該分布は圧縮応力となる部分を有することがわかった。つまり、応力膜に対して圧縮応力を付与することができることがわかった。成膜終了時に引張応力を有していた応力膜が圧縮応力になることで、この応力膜を備える部材は、耐欠損性に優れると考えられる。
【0079】
特に、パルスレーザの照射条件として、パルスレーザの膜上における集光点のオーバーラップ率を20%以上とすることで、応力膜に対して、効果的に圧縮応力を付与することができる。一方、オーバーラップ率が増加するに伴い、応力膜の膜厚が減少した。このオーバーラップ率が85%の場合、応力膜の膜厚減少は約25%と大きく、耐摩耗性の低下に繋がると考えられる。特に、オーバーラップ率を40%以上60%以下とすると、応力膜に対して、高い圧縮応力を付与することができ、かつ応力膜の膜厚減少を抑制できて好ましい。
【0080】
なお、上述した実施の形態は、本発明の要旨を逸脱することなく、適宜変更することが可能であり、本発明の範囲は上述した構成に限定されるものではない。例えば、基材や被覆膜の材質、パルスレーザの照射条件や照射領域等を適宜変化させることができる。
【産業上の利用可能性】
【0081】
本発明の表面処理方法は、基材上に被覆された被覆膜のうち、耐欠損性に優れる被覆膜を有することが望まれる部材等に対して効果的に利用することができる。
【符号の説明】
【0082】
1 多層コーティング部材
2 パルスレーザ照射部 3 非照射部
10 基材
20 (多層)被覆膜
21 応力膜 22 上層膜

【特許請求の範囲】
【請求項1】
基材の表面に、引張応力を有する応力膜とこの応力膜の上層に被覆された上層膜とを含む多層の被覆膜を備える部材に対して行う表面処理方法であって、
前記被覆膜にパルスレーザを照射することで、前記上層膜を除去して前記応力膜を表面に露出させ、かつ該応力膜の引張応力を低減又は該応力膜に対して圧縮応力を付与することを特徴とする表面処理方法。
【請求項2】
前記パルスレーザの膜上における集光点のオーバーラップ率が、20%以上80%以下であることを特徴とする請求項1に記載の表面処理方法。
【請求項3】
前記パルスレーザの膜上における集光点のピークパワー密度が、0.02GW/cm2以上5GW/cm2以下であることを特徴とする請求項1又は2に記載の表面処理方法。
【請求項4】
前記パルスレーザは、パルス幅が5ns以上500ns以下であることを特徴とする請求項3に記載の表面処理方法。
【請求項5】
前記パルスレーザは、パルスエネルギーが0.1mJ以上1mJ以下であることを特徴とする請求項3又は4に記載の表面処理方法。
【請求項6】
前記パルスレーザは、強度がピーク強度値の1/e2(e:自然対数の底)となるときのビーム直径が20μm以上150μm以下であることを特徴とする請求項3〜5のいずれか1項に記載の表面処理方法。

【図1】
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【公開番号】特開2012−223808(P2012−223808A)
【公開日】平成24年11月15日(2012.11.15)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2011−95491(P2011−95491)
【出願日】平成23年4月21日(2011.4.21)
【出願人】(000002130)住友電気工業株式会社 (12,747)
【Fターム(参考)】