説明

高強度鋼板およびその製造方法

重量%で、0.25%以上0.5%以下のC、4%以上14%以下のMn、6.5%以上9.5%以下のCr、0.3%以上3%以下のSiを含有し、下記数1を満たし、金属組織がオーステナイトであり、降伏強度が1000MPa以上、全伸びが20%以上である。
[数1]
12≦2.0Si+5.5Al+Cr+1.5Mo≦25 (1)
13≦30C+0.5Mn+0.3Cu+Ni+25N≦17(2)
(ただし、上式の元素記号は、その元素の含有量(重量%)を表す)

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、降伏点が1000MPa以上で20%以上の全伸びを有するような高強度と高いプレス成形性を有する高強度鋼板およびその製造方法に関する。
【背景技術】
【0002】
近年、自動車の衝突安全性への要求が高まってきており、衝突時においても乗員の生存空間を確保し乗員を保護するための車体技術の開発が進められている。実際の自動車どうしの衝突においては、その方向は前面、側面、後面など様々であるが、乗員保護の観点から見ると、とくに側面からの衝突が重要である。その理由は、車体構造部品、この場合にはセンターピラーから乗員への距離が近いためである。
【0003】
そのため、センターピラー等、側面衝突時に重要となる車体構造部品には、強度、特に降伏点を高めた鋼板が適用されてきている。側面衝突時に変形する部品において材料の降伏点が重要な理由は、衝突時にできるだけ部品の変形を抑制する必要があるためである。
【0004】
しかしながら、一般的に鋼板の強度を上げると延性が低下しプレス成形性が劣化する。そのために、部品の断面形状を簡素化する必要が生じたり、さらには成形が不可能なために比較的強度の低い鋼板を使用せざるを得ない等、不都合が生じている。
【0005】
現在、自動車車体用には、日本鉄鋼連盟規格JFSA2001「自動車用冷間圧延鋼板および鋼帯」に記載された各種鋼板が広く使用されている。特に、センターピラー等の側面衝突対応部品には、引張強度が590MPaや、780MPaクラスの鋼板が広く適用されている。したがって、さらに強度の高い鋼板を使用することができれば、衝突時の車体の変形を抑制し、乗員への危害を低減できる。あるいは、板厚を低減して軽量化を図ることが可能である。しかしながら、それを実現するのは容易ではない。上記のような引張強度が780MPaクラスの鋼板、つまりJFSA2001のJSC780Yに規定された板厚1mmの鋼板の全伸びは14〜27%とされ、中央値で約21%である。したがって、現状でJSC780Yを適用している部品においては、20%程度以上の伸びを有する鋼板でなければ、代替鋼板としての適用は難しい。
【0006】
JFSA2001の中で最も強度が高い鋼種はJSC1180Yであり、板厚1mmの当該鋼種の場合、降伏点は825〜1215MPaであるが、全伸びは6〜17%にすぎない。本発明者が実際にJSC1180Yを用いてJIS Z2201の5号試験片によって引張試験を行ったところ、全伸びは8%程度であった。この程度の全伸びでは、JSC780Yの代替鋼板としての適用は困難である。
【0007】
なお、現状の自動車用鋼板の技術で高強度と高延性の両立が困難なのは、鋼の高強度化手法として、焼入組織強化が用いられるためである。フェライト組織のままで降伏点を1000MPa以上に高めるのは困難であるため、鋼板を熱処理によって焼入れしマルテンサイト主体の組織としている。しかしながら、マルテンサイトは高強度である一方延性に乏しいため、鋼板の伸びも大きく劣化してしまう。
【0008】
高強度と成形性を両立させた鋼板へのニーズは、従来から非常に高いが、フェライト主体の組織では限界があるのは、前述のとおりである。一方、オーステナイト系ステンレス鋼に代表されるオーステナイト組織は、比較的強度が高く、伸びはフェライト組織鋼に比較して良好である。ただし、オーステナイト系ステンレス鋼には、多量のNiやCrが必要であり合金コストが増大するという問題がある。合金コストを解決するために、近年、Niを低減してMnを多量に添加することで金属組織をオーステナイトとし、高強度と高延性の両立を図る技術が検討されている。
【0009】
たとえば、特許文献1には、25重量%程度のMnと、SiとAlを合計で12重量%以下の範囲で含有するオーステナイト鋼であって、TWIP(双晶誘起塑性)およびTRIP(変態誘起塑性)の特性を備えた鋼板が開示されている。この鋼板では、降伏点が400MPa以上、引張強さが1100MPaに達すること、均一伸びが70%に達し、最大伸びが90%に達するとされている。また、特許文献2には、0.5〜2重量%のC、18〜35重量%のMnと、合計で12%を超えるAlとSiを含有するデュプレックス(2相)、又はトリプレックス(3相)鋼が開示されている。さらに、特許文献3には、7〜30%のMnと、合計で3.5〜12%の範囲のAlとSiを含有する鋼を用い、常温で2〜25%の成形を行うことにより降伏強度を上昇させる鋼の製造方法が開示されている。
【0010】
【特許文献1】特表2002−507251号公報(WO99/001585)
【特許文献2】特表2005−504175号公報(WO03/029504)
【特許文献3】特表2006−509912号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0011】
前述の従来技術で開示されている鋼板素材は、いずれも、多量のMnを鋼に添加することで金属組織にオーステナイトを導入し、延性を向上させたものである。しかしながら、いずれの技術も、下記のような問題点がある。
【0012】
特許文献1で開示されている鋼板は、伸びは非常に高いものの、降伏点は400MPa以上とされている。前述のセンターピラー等の側面衝突対応部品においては、高い降伏点が求められており、特許文献1のような降伏点では不充分である。さらに、特許文献1では引張強さが1100MPaに達するとされているが、これも充分とはいえず、自動車車体の乗員空間をより強固にするには、さらに高い引張強度も必要となる。
【0013】
特許文献2では、金属組織がオーステナイト単相ではなく、フェライトとオーステナイトの混合組織、もしくは、それら2相に加えてマルテンサイト相を含有させている。しかしながら、得られる鋼板の特性は、400MPaを超える流動応力、冷間帯鋼(コールドストリップ)の強度は900MPa、最大伸びは70%とされており、特許文献1の場合と同様に、強度の要求に対して不充分である。
【0014】
特許文献3に開示された技術は、高Mnを含有するオーステナイト鋼板を用いて常温で成形をすることで、降伏強度および引張強度を高める製造方法である。特許文献3の表1には、実施例として、25.9%Mnを含有する鋼を種々の圧延率で冷間圧延したときの材料特性が開示されている。圧延率が50%の場合には、0.2%流動応力が1051MPaまで上昇しているが、伸びは5%程度まで大幅に劣化しており、これではプレス成形には不適である。特許文献3において20%以上の伸びを確保しようとすれば圧延率を下げる必要があり、その場合の0.2%流動応力は1000MPaまでは達していない。
【0015】
以上のように、オーステナイト鋼板であっても、降伏点を1000MPa以上とし全伸びを20%以上とすることは不可能である。本発明は、上記のような事情に鑑みてなされたものであり、成分および製造条件の適正化により、プレス成形が容易な充分な伸びと、衝突性能を確保するための高い降伏点および引張強度とを共に備える高強度鋼板およびその製造方法を提供することを目的としている。
【課題を解決するための手段】
【0016】
本発明者は、降伏点を高めながら、同時に伸びを確保できる高強度鋼板について研究を重ねた。その結果、金属組織はオーステナイトとしながらも、Ni等量とCr等量で規定される合金成分範囲の適正化によって、ひずみ誘起マルテンサイト変態の生じ易さを適切に制御した。すなわち、ひずみ誘起マルテンサイト変態の起こらない温度域で所定の範囲の圧延率で圧延することによって、降伏点を上げながらもオーステナイトのまま保持するようにした。これによって、室温でのプレス成形時には激しいひずみ誘起マルテンサイト変態が起こり、鋼を著しく加工硬化させる。プレス成形している間にひずみ誘起マルテンサイト変態が起こると、TRIP(変態誘起塑性)により大きな加工硬化が生じる。本発明の高強度鋼板は、特許文献3に開示された技術とは異なり、冷間圧延などの予加工によって降伏強度を高めていながら、プレス成形時の大きな加工硬化によってさらに引張強度が上昇してゆく。このため、局所的な塑性くびれが生じ難く、結果として高強度と高いプレス成形性が同時に達成される。引張試験時にも同じ現象によって高強度と高延性が同時に達成される。本発明者等による以上の検討により、高降伏点、高引張強度、および高延性を両立した高強度鋼板が得られることが判明した。
【0017】
本発明の高強度鋼板は上記知見に基づいてなされたもので、重量%で、0.25%以上0.5%以下のC、4%以上14%以下のMn、6.5%以上9.5%以下のCr、0.3%以上3%以下のSiを含有し、下記数1を満たし、その金属組織はオーステナイトであり、降伏強度が1000MPa以上、全伸びが20%以上であることを特徴としている。
[数1]
12≦2.0Si+5.5Al+Cr+1.5Mo≦25 (1)
13≦30C+0.5Mn+0.3Cu+Ni+25N≦17(2)
(ただし上式の元素記号は、その元素の含有量(重量%)を表す)
【0018】
ここで、上記高強度鋼板は、0.005%以上0.05%以下のNを含有することが望ましく、0.05%以上4%以下のAlを含有することが望ましい。また、上記高強度鋼板は、0.1%以上4%以下のNiを含有することが望ましく、0.05%以上3%以下のMoを含有することが望ましい。さらに、0.1%以上2%以下のCuを含有すると好適である。
【0019】
また、本発明者は、上記の合金成分を有する鋼にて、高い降伏点および引張強度と高い伸びを両立させるための製造条件について鋭意研究した結果、熱間圧延の後、熱延鋼板を加熱して温間域で所定の圧延率の範囲で圧延することにより、伸びを大きく損なわずに降伏点を大幅に上昇させることができるとの知見を得た。
【0020】
すなわち、本発明の好適な高強度鋼板では、金属組織に占めるマルテンサイトの合計含有率が10%以下であって、圧延方向に平行な断面において測定した結晶粒径のアスペクト比が2以上である。さらに、好適な例では、引張変形させたときに引張ひずみ1%あたりのマルテンサイトの合計含有率の増加割合が0.6%以上である。
【0021】
次に、本発明は、上記のような高強度鋼板を製造する方法であって、所定の成分を含有するスラブを熱間圧延した後に、合計圧延率R(%)と圧延温度T(℃)が下記数2を満たすように圧延を施すことを特徴としている。
[数2]
20%≦R≦70% (3)
60℃≦T≦500℃ (4)
【発明の効果】
【0022】
本発明によれば、降伏点が1000MPa以上、引張強度1200MPa以上、全伸び20%以上という、従来の高Mnオーステナイト鋼板では得られなかった良好な強度延性バランスを有する鋼板を提供することができる。
【図面の簡単な説明】
【0023】
【図1】Cr等量およびNi等量と金属組織との関係を表したシェフラー組織図である。
【図2】圧延率と引張試験における全伸びとの関係を示すグラフである。
【図3】圧延率と引張試験における降伏点との関係を示すグラフである。
【図4】降伏点と全伸びとの関係を示すグラフである。
【図5】本発明の実施例における鋼板の圧延方向と平行な断面の光学顕微鏡写真である。
【発明を実施するための最良の形態】
【0024】
まず、本発明の合金成分について説明する。本発明の高強度鋼の金属組織は、実質的にオーステナイト単相であるが、素材の変形によってオーステナイトがマルテンサイトに変態し易く、したがって、高い加工硬化を有するために引張強度が高いことが特徴である。その一方で、オーステナイトが不安定であると、製造工程において容易にマルテンサイト組織、もしくはマルテンサイトとオーステナイトの混合組織となってしまい、目的のオーステナイト組織は得られない。逆にオーステナイトが安定過ぎると、プレス成形時のTRIP(変態誘起塑性)による大きな加工硬化は望めず、高強度を得ることができない。したがって、オーステナイトの安定度を適切な範囲に調整し、目的のオーステナイト組織を得るために、合金成分を適正な範囲に調整する必要がある。
【0025】
本発明においては、下記により表されるCr等量およびNi等量を適切な範囲に調整することで、適度な安定度を有するオーステナイト組織を得ることができる。
Cr等量:2.0Si+5.5Al+Cr+1.5Mo
Ni等量:30C+0.5Mn+0.3Cu+Ni+25N
【0026】
具体的には、下記数3を満たすように合金成分を調整することで、安定度が適切な範囲に調整されたオーステナイト組織を有する鋼板が得られる。
[数3]
12≦2.0Si+5.5Al+Cr+1.5Mo≦25 (1)
13≦30C+0.5Mn+0.3Cu+Ni+25N≦17(2)
(ただし上式の元素記号は、その元素の含有量(重量%)を表す)
【0027】
図1は、Cr等量およびNi等量と金属組織との関係を表した相図であり、シェフラー組織図である。矩形の範囲が本発明である。図1から、本発明の金属組織は、オーステナイト単相域からオーステナイト+マルテンサイトの領域にかけての範囲であることが判る。そして、図1から判るように、式(1)の値が12を下回ると、変形能に乏しいマルテンサイトの割合が増加するために伸びが低下し、25を上回ると、目的のオーステナイト組織ではあるが、オーステナイトが安定過ぎるために高い加工硬化を望めず、高強度を得ることができない。同様に、式(2)の値が13を下回ると、マルテンサイトの割合が増加して伸びを低下させ、17を上回ると、オーステナイトが安定過ぎるために高い加工硬化を望めず、高強度を得ることができない。
【0028】
なお、矩形の範囲に合金成分を調整するもう一つの理由は、積層欠陥エネルギーの調整である。本発明の高強度鋼板においては、室温での変形時に、オーステナイトのひずみ誘起マルテンサイト変態を起こしやすくすることで、大きな加工硬化を発生させる。これにより、本発明では、高い降伏点と高い伸びを両立させている。たとえば、特許文献1に記載された鋼板は、TWIP(双晶誘起塑性)およびTRIP(変態誘起塑性)の特性を備えているとされているが、TWIP(双晶誘起塑性)が生じると、延性は高いものの、大きな加工硬化は得られない。その理由は、双晶は面心立方格子(fcc)の積層欠陥の一種であり、一般のすべり変形のように導入された転位の相互作用といった現象が起こらないために、加工硬化にはあまり寄与しないためである。
【0029】
本発明の高強度鋼板では、Cr等量とNi等量との関係を規定することにより、オーステナイト組織でありながら、TWIP(双晶誘起塑性)の効果はできるだけ抑制し、TRIP(変態誘起塑性)の効果を高めているため、加工硬化が非常に大きくなって材料強度を高めることができ、伸びも充分に確保できる。
【0030】
そのような変形態様に影響する因子として重要なのが積層欠陥エネルギーである。金属便覧(日本金属学会編)の535頁に記載されているように、オーステナイトの積層欠陥エネルギーが低いほど、εマルテンサイトが生成しやすい。εマルテンサイトは最密六方格子(hcp)であり、双晶と同様、面心立方格子の積層欠陥の一種であるため、加工硬化はそれほど期待できない。すなわち、積層欠陥エネルギーが低いということは、積層欠陥を形成してもエネルギー的にそれほど不利ではないために、εマルテンサイトや双晶が生成し易い。なお特許文献1で開示されたTWIP(双晶誘起塑性)およびTRIP(変態誘起塑性)の特性を備えた鋼板の積層欠陥エネルギーは24mJ/m弱程度である。
【0031】
それに対して本発明の高強度鋼板では、積層欠陥エネルギーを大きく低下させる元素であるMnの含有量を特許文献1に開示された鋼板よりも少なくしているために、積層欠陥エネルギーが35mJ/m程度よりも高い値となる。そのため双晶変形やεマルテンサイトヘの変態は抑制され、α’マルテンサイトへの変態が顕著となる。α’マルテンサイトは、フェライト鋼の焼入組織と同じものであるが、オーステナイトとは結晶構造がまったく異なる体心正方格子(bct)であり、体積膨張を伴うことと非常に硬いという特徴を持つ。したがって、本発明の高強度鋼板は、非常に大きな加工硬化特性を有している。
【0032】
ここで、上記(1)式および(2)式に加えて、各合金元素ごとに好適な上限値および下限値が存在する。その限定理由について、以下に詳述する。なお、以下の説明において「%」は「重量%」を意味するものとする。
【0033】
C:0.2〜0.5%
Cは、オーステナイト形成元素であり、安価なため積極的に添加する。添加量が0.25%未満ではオーステナイトの安定度が不充分であり、また0.5%を超えると、逆にオーステナイトが安定化し、加工誘起マルテンサイト変態が不充分なため、充分な加工硬化を得ることができない。よって、Cの添加量は0.25%以上0.5%以下であることが望ましい。
【0034】
Cr:6.5〜9.5%
Crは、上記Cr等量を調整して金属組織を最適化するために必要である。添加量が6.5%未満では、準安定オーステナイトにならない。また、Crの添加量が9.5%を超えると、逆にフェライトを安定化してしまう。よって、Crの添加量は、6.5%以上9.5%以下が望ましい。
【0035】
N:0.005〜0.05%
Nは、Cと同様、準安定オーステナイトを形成させる元素であるため、必要に応じて添加する。Nの添加量が0.005%未満では上記作用が不充分となる。一方、Nの添加量が0.05%を超えると、合金組成によっては窒化物が析出して上記作用が飽和するとともに延性を低下させる。よって、Nの添加量は0.005%以上0.05%以下が望ましい。
【0036】
Mn:4〜14%
Mnは、オーステナイトの安定化元素であるため、必要な準安定オーステナイトを得るために添加する。添加量が4%未満では、通常の鋼に添加されるレベルとの差が小さく効果が不充分となる。一方、Mnの添加量が14%を超えると、オーステナイトが安定化して、ひずみ誘起変態(TRIP)効果が得られなくなる。よって、Mnの添加量は4%以上14%以下が望ましい。
【0037】
Ni:0.1〜4%
Niは、Mnと同じく準安定オーステナイトを生成させる元素であるが、高価なため、通常は添加しない。しかし、Mnよりも鋼の延性を向上させる効果が高いため、特に延性を必要とする場合は、Mnに代替して添加する。添加量が0.1%未満では上記効果が不充分となる。一方、Niの添加量が4%を超えると、オーステナイト系ステンレス鋼に添加される量に近くなり、鋼のコストを大幅に上昇させる。よって、Niの添加量は0.1%以上4%以下が望ましい。
【0038】
Si:0.3〜3%
Siは、その添加量を調整することで上記Cr等量を調整することができるとともに、固溶強化の作用を有する。さらに、Moと共存する場合は析出物(MoSiまたはMoSi)として鋼の強度を向上させるため、必要な強度に応じて添加する。Siの添加量は、通常の鋼に含有されるレベルの0.3%未満では上記効果が不充分となる。一方、Siの添加量が3%を超えると、溶接性を低下させる。よって、Siの添加量は、0.3%以上3%以下が望ましい。
【0039】
Al:0.05〜4%
Alは、準安定オーステナイトを形成させる元素であり、Crに替えて添加することができる。Alの添加量が通常のキルド鋼に含有されるレベルの0.05%未満では、上記効果が不充分となる。一方、Alの添加量が4%を超えると、オーステナイトを不安定にし、フェライトを形成する。よって、Alの添加量は、0.05%以上4%以下が望ましい。
【0040】
Mo:0.05〜3%
Moは、鋼中のSiと結合してMoSi、MoSiなどの析出物を形成し、鋼の強度を上昇させるため、必要に応じて添加する。Moの添加量が通常の鋼に含有されるレベルの0.05%未満では上記効果が不充分となる。一方、Moの添加量が3%を超えると、鋼の製造コストを大幅に上昇させる。よって、Moの添加量は、0.05%以上3%以下が望ましい。
【0041】
Cu:0.1〜2%
Cuは、オーステナイト安定化元素であり、Ni等量の調整のために、必要に応じて添加する。Cuの添加量が通常の鋼に含有されるレベルの0.1%未満では上記効果が不充分となる。一方、Cuの添加量が2%を超えると、オーステナイトを安定化しすぎるとともに鋼の製造コストを大幅に上昇させる。よって、Cuの添加量は0.1%以上2%以下が望ましい。
【0042】
次に、本発明の高強度鋼板の金属組織について説明する。前述のように合金成分を調整することによって、実質的にオーステナイト組織でありかつ、変形時にはひずみ誘起マルテンサイト変態を生じるために伸びが高いという特性を高強度鋼板に付与することができる。
【0043】
これに加えて、高降伏点という要求に対しては、素材を圧延して加工ひずみを付与することで目的を達成することができる。一般的に、鋼の降伏点を効率よく高めるためには、素材に対して圧延などの方法で加工を施せばよい。しかしながら、本発明の高強度鋼板のように、オーステナイトの歪み誘起マルテンサイト変態が生じやすい鋼板に室温で加工を加えると、延性が大きく劣化する。たとえば、特許文献3に記載されているように、高Mnオーステナイト鋼の降伏点を高めるために冷間加工を施した場合、加工率が30%を超えると急激に延性が劣化する。このため、加工率には上限があり、したがって、得られる降伏点もそれほど高くない。
【0044】
これは、冷間圧延によってひずみを付与すると、その段階でオーステナイトは容易にマルテンサイトに変態するため、冷間圧延後の鋼板には充分な量のオーステナイトが残らず、本発明の特徴であるTRIP(変態誘起塑性)による高い加工硬化が得られなくなるためである。
【0045】
そのため、本発明においては、素材にひずみを付与する際、マルテンサイト変態が生じず、かつ圧延中の再結晶も生じない温度域で圧延を行う。これにより、ひずみを付与して降伏点を高めながら、かつ、ほとんどのオーステナイトが変態せずに残った組織となる。
【0046】
上記のような圧延は、結晶粒径のアスペクト比および、マルテンサイトの含有量で規定することが可能である。すなわち、本発明の高強度鋼板においては、金属組織における結晶粒径のアスペクト比が2以上であり、かつマルテンサイトの含有量が10%以下となるようにする。
【0047】
ここで、アスペクト比の測定方法について詳述する。圧延方向と平行な断面を観察できるように鋼板を切断して樹脂埋め等を行い、ナイタール、ピクリン酸、もしくはマーブル腐食液などのエッチング液を用いて金属組織を出現させる。これを光学顕微鏡またはSEMにて観察し、倍率200倍〜2000倍程度の組織写真を得る。写真において、圧延方向と直角な方向に任意に引いた直線によって結晶粒が切断された際の切片長さの平均値をdTとし、圧延方向と平行な方向に任意に引いた直線によって結晶粒が切断された際の切片長さの平均値をdLとしたときの、dL/dTをアスペクト比と定義する。アスペクト比が大きいことは、圧延中の再結晶による組織変化を生じずに結晶粒が伸びている、すなわち圧延により加工ひずみが付与されていることを表している。
【0048】
上記の圧延の後において、ほとんどのオーステナイトが変態せずに残った状態でなければ本発明の特徴である高い加工硬化が得られない。具体的には、圧延後の状態でマルテンサイトの含有率が12%以下であれば、鋼板を変形させたときに充分に高い加工硬化を得ることができる。
【0049】
さらに、本発明の高強度鋼板において重要な指標である高強度鋼板の変形時の加工硬化量を規定するために、高強度鋼板のマルテンサイト含有率の増加割合を規定することができる。具体的には、高強度鋼板を引っ張り変形させたときのひずみ1%あたりのマルテンサイト含有率の増加割合を、0.6%以上とする。
【0050】
ここで、マルテンサイト含有率の測定には、たとえば鋼板の透磁率を測定して推定する方法を利用することができる。本方法は一般的に知られており、本発明の実施例においても、ドイツ HELMUT FISCHER GMBH+CO 社製フェライトスコープ(TM)を用いてマルテンサイト量を測定した。正確には、本方法では、マルテンサイトとフェライトの合計含有量が得られるが、本発明の鋼板はオーステナイトか、オーステナイトが変態したマルテンサイトしか含有していないため、測定結果はマルテンサイトの含有量と見ることができる。
【0051】
次に、本発明の鋼板を製造するための条件について詳述する。本発明では、上記のように合金成分の調整によってCr等量、Ni等量、積層欠陥エネルギーを適正な範囲に調整することで、ひずみ誘起α’マルテンサイト変態を生じ易くさせ、加工硬化を大幅に高めている。しかしながら、通常の鋼板の製造プロセスのように、熱間圧延のままで製品とした場合や、熱間圧延の後に冷間圧延を施し更に焼鈍した状態で製品とした場合は、降伏点が低く要求を満足しない。このため、本発明では、圧延によりひずみを付与することで、高い降伏点を得る。この場合、前述のように、本発明の高強度鋼板においては、ひずみ誘起マルテンサイト変態の生じない温度域で圧延を施して製品とする。
【0052】
本発明者等は、本発明の合金成分の鋼において、ひずみ誘起マルテンサイト変態を生じさせずに降伏点を効果的に上昇させる温間圧延の条件について詳細に検討し、温間圧延の圧延率を20〜70%、圧延温度を60〜500℃の範囲とすればよいことを見出した。圧延率が低いと降伏点の上昇が不充分であり、圧延率が高すぎると、マルテンサイト変態は生じていないもののオーステナイト自身の変形の限界に近づくため、伸びの劣化が顕著になるためである。また圧延温度が低すぎると、ひずみ誘起マルテンサイト変態が生じ易くなり、降伏点の上昇は得られるが製品としての延性が劣化する。圧延温度が高すぎると、温間圧延時にひずみの回復が顕著となり、降伏点の上昇が得られにくくなる。
【実施例】
【0053】
次に、本発明の具体的な実施例を示す。表1に示す合金成分の鋼を真空溶解で溶製し、熱間圧延を行った後に、表2に示す条件で圧延を行って実施例1〜11および比較例1〜10の鋼板を作製した。作製した鋼板から、JIS Z2201の5号引張試験片を圧延方向と引張方向が平行になるように採取し、インストロン型引張試験機を用いて引張試験を行った。なお、表1に示す合金成分において、発明スラブ1〜4はいずれも、式(1)、(2)を満足し、比較スラブ1〜6は、式(1)、(2)のいずれかまたは両方が満たされていない。また、表2において、実施例1〜11は式(1)〜(4)を全て満足し、比較例1〜10は、式(1)〜(4)のいくつかが満たされていない。
【0054】
【表1】

【0055】
【表2】

【0056】
表2に、製造した熱間圧延ままの素材の機械的性質を併記する。本発明の実施例では、いずれも1000MPa以上の降伏点と20%以上の全伸びを有している。これに対して、比較例では、1000MPa以上の降伏点と20%以上の全伸びの両方を満足する性質を有するものは存在しない。
【0057】
図2は、圧延率と引張試験における全伸びとの関係を示すグラフである。図2に示すように、圧延率を20%以上とすることにより、全伸びを20%以上にすることができる。また、図3は圧延率と引張試験における降伏点との関係を示すグラフである。図3に示すように、圧延率を20%以上とすることにより、降伏点を1000MPa以上にすることができる。そして、図2および図3をまとめて全伸びと降伏点との関係を示したものが図4である。図4に示すように、本発明によれば、降伏点が1000MPa以上で、かつ全伸びが20%以上という、強度と延性のバランスに非常に優れた高強度鋼板を製造することができる。
【0058】
表3に実施例および比較例における鋼板の共存相を示す。1000MPa以上の降伏点と20%以上の全伸びを有する本発明の実施例では、いずれも圧延方向に平行な断面において測定した結晶粒径のアスペクト比が2以上であり、引張ひずみ1%あたりのマルテンサイトの合計含有率の増加割合が0.6%以上である。これに対して、比較例では、アスペクト比とマルテンサイトの合計含有率の増加割合のいずれかまたは両方を満足していない。図5は、実施例9の鋼板の圧延方向と平行な断面の光学顕微鏡写真であり、アスペクト比が2.7の結晶粒を参考のために示した。
【0059】
【表3】

【産業上の利用可能性】
【0060】
本発明の高強度鋼板は、降伏点が1000MPa以上で20%以上の全伸びを有するような高強度と高いプレス成形性を有するので、特に、衝突安全性に大きく影響する車体構造部品等の分野に適用することができる。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
重量%で、0.25%以上0.5%以下のC、4%以上14%以下のMn、6.5%以上9.5%以下のCr、0.3%以上3%以下のSiを含有し、下記数1を満たし、金属組織がオーステナイトであり、降伏強度が1000MPa以上、全伸びが20%以上であることを特徴とする高強度鋼板。
[数1]
12≦2.0Si+5.5Al+Cr+1.5Mo≦25 (1)
13≦30C+0.5Mn+0.3Cu+Ni+25N≦17(2)
(ただし、上式の元素記号は、その元素の含有量(重量%)を表し、上式はCr等量またはNi等量を表す)
【請求項2】
重量%で、0.005%以上0.05%以下のN、0.05%以上4%以下のAl、0.1%以上4%以下のNi、0.05%以上3%以下のMo、0.1%以上2%以下のCuのうち1種または2種以上を含有することを特徴とする請求項1に記載の高強度鋼板。
【請求項3】
金属組織に占めるマルテンサイトの合計含有率が10%以下であって、圧延方向に平行な断面において測定した結晶粒径のアスペクト比が2以上であることを特長とする請求項1または2に記載の高強度鋼板。
【請求項4】
引張変形させたときに引張ひずみ1%あたりのマルテンサイトの合計含有率の増加割合が0.6%以上であることを特徴とする請求項1〜3のいずれかに記載の高強度鋼板。
【請求項5】
所定の成分を含有するスラブを熱間圧延した後に、合計圧延率R(%)と圧延温度T(℃)が下記数2を満たすように圧延を施すことを特徴とする請求項1〜4のいずれかに記載の高強度鋼板の製造方法。
[数2]
20%≦R≦70% (3)
60℃≦T≦500℃ (4)

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【公表番号】特表2012−507620(P2012−507620A)
【公表日】平成24年3月29日(2012.3.29)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2011−508146(P2011−508146)
【出願日】平成20年11月5日(2008.11.5)
【国際出願番号】PCT/JP2008/003188
【国際公開番号】WO2010/052751
【国際公開日】平成22年5月14日(2010.5.14)
【出願人】(000005326)本田技研工業株式会社 (23,863)
【出願人】(311009882)
【出願人】(311009893)
【Fターム(参考)】