説明

L−アミノ酸の製造法

【課題】L−アミノ酸の発酵生産の効率を向上させる。
【解決手段】L−アミノ酸生産能を有し、かつydcI遺伝子によりコードされるタンパク質の活性が増大するように改変された腸内細菌科に属する細菌を培地で培養して、L−アミノ酸を該培地中又は菌体内に生成蓄積させ、該培地又は菌体よりL−アミノ酸を採取する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、細菌を用いたL−リジン、L−スレオニン、及びL−トリプトファンから選ばれるL−アミノ酸の製造法に関する。L−リジン、L−スレオニン、L−トリプトファンは、動物飼料用の添加物、健康食品の成分、又はアミノ酸輸液等として、産業上有用なL−アミノ酸である。
【背景技術】
【0002】
微生物を用いた発酵法によってL−アミノ酸等の目的物質を製造するには、野生型微生物(野生株)を用いる方法、野生株から誘導された栄養要求株を用いる方法、野生株から種々の薬剤耐性変異株として誘導された代謝調節変異株を用いる方法、栄養要求株と代謝調節変異株の両方の性質を持った株を用いる方法等がある。
【0003】
近年は、目的物質の発酵生産に組換えDNA技術を用いることが行われている。例えば、L−アミノ酸生合成系酵素をコードする遺伝子の発現を増強すること(特許文献1、特許文献2)、又はL−アミノ酸生合成系への炭素源の流入を増強すること(特許文献3)によって、微生物のL−アミノ酸生産性を向上させることが行われている。
【0004】
これまでにエシェリヒア・コリなどの腸内細菌群に見出されている機能未知蛋白質YdcIは、配列解析などからLysR型転写因子であると予測されている(非特許文献1、非特許文献2)。エシェリヒア・コリにおいてYdcIはydcI遺伝子によりコードされている(非特許文献3)。これまでにYdcIをコードする遺伝子ydcIを増強した細菌を用いたL−アミノ酸の生産の報告はない。
【特許文献1】米国特許第5168056号明細書
【特許文献2】米国特許第5776736号明細書
【特許文献3】米国特許第5906925号明細書
【非特許文献1】Keseler, I. M. et al., "EcoCyc: A comprehensive database resource for Escherichia coli." Nucleic Acids Res. 2005, Vol.33, D334-337
【非特許文献2】Encyclopedia of Escherichia coli K-12 Genes and Metabolism、[online]、[平成19年4月12日検索]、インターネット<URL:http://ecocyc.org/>
【非特許文献3】Riley, M. et al., "Escherichia coli K-12: a cooperatively developed annotation snapshot-2005", Nucleic Acids Res. 2006, Vol.34, 1-9
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
本発明は、L−リジン、L−スレオニン、及びL−トリプトファンから選ばれるL−アミノ酸を効率よく生産することのできる腸内細菌科に属する細菌を提供すること、及び該細菌を用いて前記L−アミノ酸を効率よく生産する方法を提供することを課題とする。
【課題を解決するための手段】
【0006】
本発明者らは、上記課題を解決するために鋭意検討を重ねた結果、LysR型転写因子であると予測されている機能未知蛋白質をコードする、ydcI遺伝子の発現量が増大するように細菌を改変することにより、L−リジンの生産性が向上することを見出し、本発明を完成するに至った。
【0007】
すなわち、本発明は以下のとおりである。
(1)L−アミノ酸生産能を有する腸内細菌科に属する細菌を培地で培養して、L−アミノ酸を該培地中に生成蓄積させ、該培地より前記L−アミノ酸を採取する、L−アミノ酸
の製造法において、
前記細菌は、ydcI遺伝子によりコードされるタンパク質の活性が増大するように改変され、勝、前記L−アミノ酸はL−リジン、L−スレオニン、及びL−トリプトファンからなる群より選択されることを特徴とする方法。
(2)前記細菌が、ydcI遺伝子の発現量が増大するように改変された、請求項1に記載の方法。
(3)前記ydcI遺伝子が、下記(a)又は(b)に記載のDNAである、前記方法:
(a)配列番号1に示す塩基配列を有するDNA、
(b)配列番号1に示す塩基配列の相補配列又は同塩基配列から調製され得るプローブとストリンジェントな条件下でハイブリダイズし、かつ、DNA結合活性を有するタンパク質をコードするDNA。
(4)前記ydcI遺伝子が、下記(A)又は(B)に記載のタンパク質をコードする、前記方法:
(A)配列番号2に示すアミノ酸配列を有するタンパク質、
(B)配列番号2に示すアミノ酸配列において、1若しくは数個のアミノ酸残基の置換、欠失、挿入、付加、又は逆位を含むアミノ酸配列を有し、かつ、DNA結合活性を有するタンパク質。
(5)前記遺伝子の発現量が、該遺伝子のコピー数を高めること、又は該遺伝子の発現調節配列を改変されたことによって増大された、前記方法。
(6)前記細菌が、エシェリヒア属、エンテロバクター属、パントエア属、クレブシエラ属、又はセラチア属からなる群より選択される属に属する、前記方法。
【発明の効果】
【0008】
本発明の方法を用いることにより、効率よく、L−リジン、L−スレオニン又はL−トリプトファンを発酵生産することが出来る。
【発明を実施するための最良の形態】
【0009】
以下、本発明を詳細に説明する。
<1>本発明の細菌
本発明の細菌は、L−アミノ酸生産能を有し、かつ、ydcI遺伝子によりコードされる蛋白質の活性が増大するように改変された腸内細菌科に属する細菌である。前記L−アミノ酸は、L−リジン、L−スレオニン、及びL−トリプトファンからなる群より選択される。
ここで、L−アミノ酸生産能とは、本発明の細菌を培地中で培養したときに、培地中または菌体内にL−アミノ酸を生成し、培地中または菌体から回収できる程度に蓄積する能力をいう。本発明の細菌はL−リジン、L−スレオニン、L−トリプトファンのうちの1種を生産する能力を有するものであってもよく、2種又は3種を生産できる能力を有するものであってもよい。L−アミノ酸の生産能を有する細菌としては、本来的にL−アミノ酸の生産能を有するものであってもよいが、下記のような細菌を、変異法や組換えDNA技術を利用して、L−アミノ酸の生産能を有するように改変したものであってもよい。
また、「遺伝子の発現量の増大」とは、遺伝子の転写及び/又は翻訳の量が増大することをいう。
【0010】
<1−1>L−アミノ酸生産能の付与
以下に、細菌にL−リジン、L−スレオニン、L−トリプトファンから選ばれるL−アミノ酸の生産能を付与する方法及び本発明で使用することのできる前記L−アミノ酸の生産能が付与された細菌を例示する。ただし、前記L−アミノ酸の生産能を有する限り、これらに制限されない。
【0011】
本発明に用いる細菌としては、エシェリヒア属、エンテロバクター属、パントエア属、
クレブシエラ属、セラチア属、エルビニア属、サルモネラ属、モルガネラ属など、腸内細菌科に属する細菌であって、前記L−アミノ酸を生産する能力を有するものであれば、特に限定されない。具体的にはNCBI(National Center for Biotechnology Information)データベースに記載されている分類により腸内細菌科に属するものが利用できる。
(http://www.ncbi.nlm.nih.gov/htbin-post/Taxonomy/wgetorg?mode=Tree&id=1236&lvl=3&keep=1&srchmode=1&unlock)。改変に用いる腸内細菌科の親株としては、中でもエシェリヒア属細菌、エンテロバクター属細菌、パントエア属細菌を用いることが望ましい。
【0012】
本発明のエシェリヒア属細菌を得るために用いるエシェリヒア属細菌の親株としては、特に限定されないが、具体的にはNeidhardtらの著書(Backmann, B. J. 1996. Derivations and Genotypes of some mutant derivatives of Escherichia coli K-12, p. 2460-2488. Table 1. In F. D. Neidhardt (ed.), Escherichia coli and Salmonella Cellular and Molecular Biology/Second Edition, American Society for Microbiology Press, Washington, D.C.)に挙げられるものが利用できる。その中では、例えばエシェリヒア・コリが挙げられる。エシェリヒア・コリとしては具体的には、プロトタイプの野生株K12株由来のエシェリヒア・コリ W3110 (ATCC 27325)、エシェリヒア・コリ MG1655 (ATCC 47076)等が挙げられる。
【0013】
これらを入手するには、例えばアメリカン・タイプ・カルチャー・コレクション(住所
P.O. Box 1549, Manassas, VA 20108, United States of America)より分譲を受けることが出来る。すなわち各菌株に対応する登録番号が付与されており、この登録番号を利用して分譲を受けることが出来る(http://www.atcc.org/参照)。各菌株に対応する登録番号は、アメリカン・タイプ・カルチャー・コレクションのカタログに記載されている。
【0014】
エンテロバクター属細菌としては、エンテロバクター・アグロメランス(Enterobacter
agglomerans)、エンテロバクター・アエロゲネス(Enterobacter aerogenes)等、パントエア属細菌としてはパントエア・アナナティス(Pantoea ananatis)が挙げられる。尚、近年、エンテロバクター・アグロメランスは、16S rRNAの塩基配列解析などにより、パントエア・アグロメランス(Pantoea agglomerans)又はパントエア・アナナティス(Pantoea ananatis)、パントエア・スチューアルティ(Pantoea stewartii)に再分類されているものがある。本発明においては、腸内細菌科に分類されるものであれば、エンテロバクター属又はパントエア属のいずれに属するものであってもよい。パントエア・アナナティスを遺伝子工学的手法を用いて育種する場合には、パントエア・アナナティスAJ13355株(FERM BP-6614)、AJ13356株(FERM BP-6615)、AJ13601株(FERM BP-7207)及びそれらの誘導体を用いることができる。これらの株は、分離された当時はエンテロバクター・アグロメランスと同定され、エンテロバクター・アグロメランスとして寄託されたが、上記のとおり、16S rRNAの塩基配列解析などにより、パントエア・アナナティスに再分類されている。
【0015】
以下、腸内細菌科に属する細菌にL−リジン、L−スレオニン、及びL−トリプトファンから選ばれるL−アミノ酸生産能を付与する方法、又は腸内細菌科に属する細菌において前記L−アミノ酸の生産能を増強する方法について述べる。
【0016】
L−アミノ酸生産能を付与するには、栄養要求性変異株、アナログ耐性株又は代謝制御変異株の取得や、L−アミノ酸の生合成系酵素の発現が増強された組換え株の創製等、従来、コリネ型細菌又はエシェリヒア属細菌等の育種に採用されてきた方法を適用することができる(アミノ酸発酵、(株)学会出版センター、1986年5月30日初版発行、第77-100頁参照)。ここで、L−アミノ酸生産菌の育種において、付与される栄養要求性、アナログ耐性、代謝制御変異等の性質は、単独でもよく、2種又は3種以上であってもよい。また、発現が増強されるL−アミノ酸生合成系酵素も、単独であっても、2種又は3種以上
であってもよい。さらに、栄養要求性、アナログ耐性、代謝制御変異等の性質の付与と、生合成系酵素の増強が組み合わされてもよい。
【0017】
L−アミノ酸生産能を有する栄養要求性変異株、L−アミノ酸のアナログ耐性株、又は代謝制御変異株を取得するには、親株又は野生株を通常の変異処理、すなわちX線や紫外線の照射、またはN-メチル-N’-ニトロ-N-ニトロソグアニジン(NTG)もしくはエチルメタンスルフォネート(EMS)等の変異剤処理などによって処理し、得られた変異株の中から、栄養要求性、アナログ耐性、又は代謝制御変異を示し、かつL−アミノ酸生産能を有するものを選択することによって得ることができる。
【0018】
以下、L−リジン生産菌又はその構築方法を例として示す。
例えば、L−リジン生産能を有する株としては、L−リジンアナログ耐性株又は代謝制御変異株が挙げられる。L−リジンアナログの例としては、オキサリジン、リジンヒドロキサメート、S−(2−アミノエチル)−L−システイン(AEC)、γ−メチルリジン、α−クロロカプロラクタムなどが挙げられるが、これらに限定されない。これらのリジンアナログに対して耐性を有する変異株は、腸内細菌科に属する細菌を通常の人工変異処理に付すことによって得ることができる。L−リジン生産菌として具体的には、エシェリヒア・コリAJ11442株(FERM BP-1543、NRRL B-12185;特開昭56-18596号公報及び米国特許第4346170号明細書参照)、エシェリヒア・コリ VL611株(特開2000-189180号公報)等が挙げられる。また、エシェリヒア・コリのL−リジン生産菌として、WC196株(国際公開第96/17930号パンフレット参照)を用いることも出来る。WC196株は、エシェリヒア・コリK-12由来のW3110株にAEC耐性を付与することによって育種されたものである。同株は、エシェリヒア・コリAJ13069株と命名され、平成6年12月6日付で工業技術院生命工学工業技術研究所(現 独立行政法人 産業技術総合研究所 特許生物寄託センター、〒305-8566 日本国茨城県つくば市東1丁目1番地1 中央第6)に受託番号FERM P-14690として寄託され、平成7年9月29日にブダペスト条約に基づく国際寄託に移管され、受託番号FERM BP-5252が付与されている。
【0019】
また、L−リジン生合成系の酵素活性を上昇させることによっても、L−リジン生産菌を構築することが出来る。これらの酵素活性の上昇は、酵素をコードする遺伝子のコピー数を細胞内で上昇させること、または発現調節配列を改変することによって達成できる。L−リジン生合成系の酵素をコードする遺伝子のコピー数を細胞内で上昇させること、および発現調節配列を改変することは、後述のydcI遺伝子の場合と同様の方法によって達成することができる。
【0020】
L−リジン生合成系酵素をコードする遺伝子としては、ジヒドロジピコリン酸合成酵素遺伝子(dapA)、アスパルトキナーゼ遺伝子(lysC)、ジヒドロジピコリン酸レダクターゼ遺伝子(dapB)、ジアミノピメリン酸脱炭酸酵素遺伝子(lysA)、ジアミノピメリン酸デヒドロゲナーゼ遺伝子(ddh)(以上、国際公開第96/40934号パンフレット)、ホスホエノールピルビン酸カルボキシラーゼ遺伝子(ppc) (特開昭60-87788号公報)、アスパラギン酸アミノトランスフェラーゼ遺伝子(aspC)(特公平6-102028号公報)、ジアミノピメリン酸エピメラーゼ遺伝子(dapF)(特開2003-135066号公報)、アスパラギン酸セミアルデヒド脱水素酵素遺伝子(asd)(国際公開第00/61723号パンフレット)等のジアミノピメリン酸経路の酵素の遺伝子、あるいはホモアコニット酸ヒドラターゼ遺伝子(特開2000-157276号公報)等のアミノアジピン酸経路の酵素等の遺伝子が挙げられる。カッコ内は、その遺伝子の略記号である。
【0021】
エシェリヒア・コリ由来の野生型ジヒドロジピコリン酸合成酵素はL−リジンによるフィードバック阻害を受けることが知られており、エシェリヒア・コリ由来の野生型アスパルトキナーゼはL−リジンによる抑制及びフィードバック阻害を受けることが知られてい
る。したがって、dapA遺伝子及びlysC遺伝子を用いる場合、これらの遺伝子は、L−リジンによるフィードバック阻害を受けない変異型遺伝子であることが好ましい。
【0022】
L−リジンによるフィードバック阻害を受けない変異型ジヒドロジピコリン酸合成酵素をコードするDNAとしては、118位のヒスチジン残基がチロシン残基に置換された配列を有するタンパク質をコードするDNAが挙げられる。また、L−リジンによるフィードバック阻害を受けない変異型アスパルトキナーゼをコードするDNAとしては、352位のスレオニン残基がイソロイシン残基に置換、323位のグリシン残基がアスパラギン残基に置換、318位のメチオニンがイソロイシンに置換された配列を有するAKIIIをコードするDNAが挙げられる(これらの変異体については米国特許第5661012号及び第6040160号明細書参照)。変異型DNAはPCRなどによる部位特異的変異法により取得することができる。
【0023】
なお、変異型変異型ジヒドロジピコリン酸合成酵素をコードする変異型dapA及び変異型アスパルトキナーゼをコードする変異型lysCを含むプラスミドとして、広宿主域プラスミドRSFD80、pCAB1、pCABD2が知られている(米国特許第6040160号明細書)。同プラスミドで形質転換されたエシェリヒア・コリ JM109株(米国特許第6040160号明細書)は、AJ12396と命名され、同株は1993年10月28日に通産省工業技術院生命工学工業技術研究所(現 独立行政法人 産業技術総合研究所 特許生物寄託センター)に受託番号FERM P-13936として寄託され、1994年11月1日にブダペスト条約に基づく国際寄託に移管され、FERM BP-4859の受託番号のもとで寄託されている。RSFD80は、AJ12396株から、公知の方法によって取得することができる。
【0024】
さらに、L−アミノ酸生産菌は、L−アミノ酸の生合成経路から分岐して他の化合物を生成する反応を触媒する酵素の活性や、L−アミノ酸の合成又は蓄積に負に機能する酵素活性が低下または欠損していてもよい。L−リジン生産において、このような酵素としては、ホモセリンデヒドロゲナーゼ、リジンデカルボキシラーゼ(cadA, ldcC)、マリックエンザイム等があり、該酵素の活性が低下または欠損した株は国際公開第WO95/23864号、第WO96/17930号パンフレット、第WO2005/010175号パンフレットなどに記載されている。
【0025】
リジンデカルボキシラーゼ活性を低下または欠損させるためには、リジンデカルボキシラーゼをコードするcadA遺伝子とldcC遺伝子の両方の発現を低下させることが好ましい。両遺伝子の発現低下は、例えば、後述の実施例2に記載の方法に従って行うことができる。
cadA遺伝子としては、配列番号5の塩基配列を有するDNA(エシェリヒア・コリ由来のcadA遺伝子)、または配列番号5の塩基配列の相補配列もしくはこの相補配列から調製され得るプローブとストリンジェントな条件下でハイブリダイズし、かつリジンデカルボキシラーゼ活性を有するタンパク質をコードするDNAが挙げられる。
ldcC遺伝子遺伝子としては、配列番号7の塩基配列を有するDNA(エシェリヒア・コリ由来のldcC遺伝子)、または配列番号7の塩基配列の相補配列もしくはこの相補配列から調製され得るプローブとストリンジェントな条件下でハイブリダイズし、かつリジンデカルボキシラーゼ活性を有するタンパク質をコードするDNAが挙げられる。
なお、「ストリンジェントな条件」については後述するとおりである。
【0026】
これらの酵素活性を低下あるいは欠損させる方法としては、通常の変異処理法又は遺伝子組換え技術によって、ゲノム上の上記酵素の遺伝子に、細胞中の当該酵素の活性が低下または欠損するような変異を導入すればよい。このような変異の導入は、例えば、遺伝子組換えによって、ゲノム上の酵素をコードする遺伝子を欠損させたり、プロモーターやシャインダルガルノ(SD)配列等の発現調節配列を改変したりすることなどによって達成される。また、ゲノム上の酵素をコードする領域にアミノ酸置換(ミスセンス変異)を導入
すること、また終始コドンを導入すること(ナンセンス変異)、一〜二塩基付加・欠失するフレームシフト変異を導入すること、遺伝子の一部分、あるいは全領域を欠失させることによっても達成出来る(J. Biol. Chem. 272:8611-8617(1997))。また、コード領域の全体又は一部が欠失したような変異酵素をコードする遺伝子を構築し、相同組換えなどによって、該遺伝子でゲノム上の正常遺伝子を置換すること、又はトランスポゾン、IS因子を該遺伝子に導入することによっても酵素活性を低下または欠損させることができる。
【0027】
例えば、上記の酵素の活性を低下または欠損させるような変異を遺伝子組換えにより導入する為には、以下のような方法が用いられる。目的遺伝子の部分配列を改変し、正常に機能する酵素を産生しないようにした変異型遺伝子を作製し、該遺伝子を含むDNAで腸内細菌科に属する細菌に形質転換し、変異型遺伝子とゲノム上の遺伝子で組換えを起こさせることにより、ゲノム上の目的遺伝子を変異型に置換することが出来る。このような相同組換えを利用した遺伝子置換は、「Redドリブンインテグレーション(Red-driven integration)」と呼ばれる方法(Datsenko, K. A, and Wanner, B. L. Proc. Natl. Acad. Sci. U S A. 97:6640-6645 (2000))、Redドリブンインテグレーション法とλファージ由来の切り出しシステム(Cho, E. H., Gumport, R. I., Gardner, J. F. J. Bacteriol. 184: 5200-5203 (2002))とを組合わせた方法(WO2005/010175号参照)等の直鎖状DNAを用いる方法や、温度感受性複製起点を含むプラスミドを用いる方法などがある(米国特許第6303383号; 特開平05-007491号公報)。また、上述のような相同組換えを利用した遺伝子置換による部位特異的変異導入は、宿主上で複製能力を持たないプラスミドを用いても行うことが出来る。
【0028】
以下、L−トリプトファン生産菌およびL−スレオニン生産菌の育種方法について述べる。
【0029】
本発明に用いられるL−トリプトファン生産菌として好ましいものは、アントラニル酸合成酵素活性、ホスホグリセリン酸デヒドロゲナーゼ活性もしくはトリプトファンシンターゼ活性のうち、1又は2以上の活性が増強された細菌である。アントラニル酸合成酵素及びホスホグリセリン酸デヒドロゲナーゼは、それぞれL−トリプトファン及びL−セリンによるフィードバック阻害を受けるため、脱感作型の変異酵素を保持させることにより、酵素活性を強化することができる。具体的には、例えば、アントラニル酸合成酵素遺伝子(trpE)、及び/又はホスホグリセレートデヒドロゲナーゼ遺伝子(serA)を、フィードバック阻害を受けないように変異させ、得られた変異型遺伝子を腸内細菌科に属する細菌に導入することによって、脱感作型酵素を保持する細菌を取得することができる。このような細菌としてより具体的には、脱感作型アントラニル酸合成酵素を保持するエシェリヒア・コリSV164に、脱感作型ホスホグリセレートデヒドロゲナーゼをコードする変異型serAを持つプラスミドpGH5(国際公開第94/08031号パンフレット参照)を導入することによって得られる形質転換株が挙げられる。SV164は、trpE欠損株エシェリヒア・コリKB862(DSM7196)に、脱感作型アントラニル酸合成酵素をコードする変異遺伝子を導入することによって得られた株である(国際公開第94/08031号パンフレット参照)。
【0030】
また、トリプトファンオペロンを含む組換えDNAが導入された細菌も、好適なL−トリプトファン生産菌である。具体的には、脱感作型アントラニル酸合成酵素をコードする遺伝子を含むトリプトファンオペロンが導入されたエシェリヒア・コリが挙げられる(特開昭57-71397号公報、特開昭62-244382号公報、米国特許第4,371,614明細書)。また、トリプトファンオペロンのうち、トリプトファンシンターゼをコードする遺伝子(trpBA)の発現を強化することによっても、L−トリプトファン生産能を向上又は付与することができる。トリプトファンシンターゼは、α及びβサブユニットからなり、それぞれtrpA、trpBによってコードされている。
【0031】
また、トリプトファンオペロンのリプレッサーであるtrpRを欠損した株、trpRに変異が導入された株も好適なL−トリプトファン生産菌である(米国特許第4,371,614号公報、国際公開第WO2005/056776号パンフレット)。
【0032】
また、マレートシンターゼ・イソシトレートリアーゼ・イソシトレートデヒドロゲナーゼキナーゼ/フォスファターゼオペロン(aceオペロン)が構成的に発現するか、又は同オペロンの発現が強化された細菌も好適なL−トリプトファン生産菌である。具体的には、aceオペロンのプロモーターがリプレッサーであるiclRによって抑制を受けないこと、又はiclRによる抑制が解除されていることが望ましく、このような細菌はiclR遺伝子を破壊すること、又はaceオペロンの発現調節配列を改変することによって、取得することができる。aceオペロンの発現が強化された細菌は、aceオペロンを含むDNAを強力なプロモーターに連結し、これをプラスミドや相同組換えによって、細菌内に導入することや、トランスポゾンによって上記DNAを多コピー存在させることによって取得できる。aceオペロンに含まれるDNAとしては、aceB、aceA、aceKが挙げられる。
【0033】
さらに、L−トリプトファン生産菌としては、L−フェニルアラニン及びL−チロシン要求性の形質を有する菌株エシェリヒア・コリAGX17(pGX44)〔NRRL B-12263〕株、及びトリプトファンオペロンを含むプラスミドpGX50を保持するAGX6(pGX50)aroP〔NRRL B-12264〕株(いずれも米国特許第 4,371,614号明細書参照)が挙げられる。これらの菌株は、アグリカルチュラル・リサーチ・サービス・カルチャー・コレクション、ナショナル・センター・フォー・アグリカルチュラル・ユティライゼーション・リサーチ(Agricultural Research Service Culture Collection, National Center for Agricultural Utilization
Research)(住所:Peoria, Illinois 61604, USA ))から入手することができる。
【0034】
L−トリプトファン生合成系酵素をコードする遺伝子としては、芳香族アミノ酸共通の生合成系酵素をコードする遺伝子でもよく、例えば、デオキシアラビノ−ヘプツロン酸リン酸シンターゼ(aroG,aroF)、3−デヒドロキネートシンターゼ(aroB)、シキミ酸デヒドラターゼ、シキミ酸キナーゼ(aroL)、5−エノール酸ピルビルシキミ酸3−リン酸シンターゼ(aroA)、コリスミ酸シンターゼ(aroC)が挙げられる(欧州出願公開763127号明細書)。従って、これらの酵素をコードする遺伝子をプラスミド、あるいはゲノム上で多コピー化することにより、L−トリプトファンの生産能を向上させることができる。また、これらの遺伝子はチロシンリプレッサー(tyrR)によって制御されることが知られており、tyrR遺伝子を欠損させることによって、L−トリプトファンの生合成系酵素活性を上昇してもよい(欧州特許763127号明細書参照)。
【0035】
また、デオキシアラビノ−ヘプツロン酸リン酸シンターゼ(aroF、aroG)は、芳香族アミノ酸によるフィードバック阻害を受けるので、フィードバック阻害を受けないように改変してもよい。例えば、aroFの場合、N末端より147番目のL−アスパラギン酸または181番目のL−セリンが他のアミノ酸残基に、aroGの場合、N末端より146番目のL−アスパラギン酸、147番目のL−メチオニン、150番目のL−プロリンもしくは202番目のL−アラニンの1アミノ酸残基、または157番目のL−メチオニン及び219番目のL−アラニンの2アミノ酸残基を他のアミノ酸に置換した変異型aroF、aroG遺伝子を宿主に導入することによって、好適な芳香族生産アミノ酸生産菌を得ることができる。(EP0488424)
【0036】
本発明に用いられるL−スレオニン生産菌として好ましいものとしては、L−スレオニン生合成系酵素を強化した腸内細菌科に属する細菌が挙げられる。L−スレオニン生合成系酵素をコードする遺伝子としては、アスパルトキナーゼIII遺伝子(lysC)、アスパラギン酸セミアルデヒドデヒドロゲナーゼ遺伝子(asd)、thrオペロンにコードされるアスパルトキナーゼI遺伝子(thrA)、ホモセリンキナーゼ遺伝子(thrB)、スレオニンシン
ターゼ遺伝子(thrC)が挙げられる。これらの遺伝子は2種類以上導入してもよい。L−スレオニン生合成系遺伝子は、スレオニン分解が抑制された腸内細菌科に属する細菌に導入してもよい。スレオニン分解が抑制されたエシェリヒア属細菌としては、例えば、スレオニンデヒドロゲナーゼ活性が欠損したTDH6株(特開2001-346578号)等が挙げられる。
【0037】
L−スレオニン生合成系酵素は、最終産物のL−スレオニンによって酵素活性が抑制される。従って、L−スレオニン生産菌を構築するためには、L−スレオニンによるフィードバック阻害を受けないようにL−スレオニン生合成系遺伝子を改変することが望ましい。また、上記thrA、thrB、thrC遺伝子は、スレオニンオペロンを構成しているが、スレオニンオペロンは、アテニュエーター構造を形成しており、スレオニンオペロンの発現は、培養液中のイソロイシン、スレオニンにより阻害を受け、また、アテニュエーションにより発現が抑制される。この改変は、アテニュエーション領域のリーダー配列あるいは、アテニュエーターを除去することにより達成出来る(Lynn, S. P., Burton, W. S., Donohue, T. J., Gould, R. M., Gumport, R. I., and Gardner, J. F. J. Mol. Biol. 194:59-69 (1987); 国際公開第02/26993号パンフレット; 国際公開第2005/049808号パンフレット参照)。
【0038】
スレオニンオペロンの上流には、固有のプロモーターが存在するが、non-nativeのプロモーターに置換してもよいし(WO98/04715号パンフレット参照)、スレオニン生合成関与遺伝子の発現がラムダファージのリプレッサーおよびプロモーターにより支配されるようなスレオニンオペロンを構築してもよい(欧州特許第0593792号明細書参照)。また、L−スレオニンによるフィ−ドバック阻害を受けないようにエシェリヒア属細菌を改変するために、α−アミノ−β−ヒドロキシ吉草酸(AHV)に耐性な菌株を選抜することによっても得られる。
【0039】
このようにL−スレオニンによるフィ−ドバック阻害を受けないように改変されたスレオニンオペロンは、宿主内でコピー数が上昇しているか、あるいは強力なプロモーターに連結し、発現量が向上していることが好ましい。コピー数の上昇は、プラスミドによる増幅の他、トランスポゾン、Mu−ファージ等でゲノム上にスレオニンオペロンを転移させることによっても達成出来る。
【0040】
また、アスパルトキナ−ゼIII遺伝子(lysC)は、L−リジンによるフィ−ドバック阻害を受けないように改変した遺伝子を用いることが望ましい。このようなフィ−ドバック阻害を受けないように改変したlysC遺伝子は、米国特許5,932,453号明細書に記載の方法により取得できる。
【0041】
L−スレオニン生合成系酵素以外にも、解糖系、TCA回路、呼吸鎖に関する遺伝子や遺伝子の発現を制御する遺伝子、糖の取り込み遺伝子を強化することも好適である。これらのL−スレオニン生産に効果がある遺伝子としては、トランスヒドロナーゼ遺伝子(pntAB)(欧州特許733712号明細書)、ホスホエノールピルビン酸カルボキシラーゼ遺伝子(pepC)(国際公開95/06114号パンフレット)、ホスホエノールピルビン酸シンターゼ遺伝子(pps)(欧州特許877090号明細書)、コリネ型細菌あるいはバチルス属細菌のピルビン酸カルボキシラーゼ遺伝子(国際公開99/18228号パンフレット、欧州出願公開1092776号明細書)が挙げられる。
【0042】
また、L−スレオニンに耐性を付与する遺伝子、及び/又はL−ホモセリンに耐性を付与する遺伝子の発現を強化することや、宿主にL−スレオニン耐性、及び/又はL−ホモセリン耐性を付与することも好適である。耐性を付与する遺伝子としては、rhtA遺伝子(Res. Microbiol. 154:123−135 (2003))、rhtB遺伝子(欧州特許出願公開第0994190号明細書)、rhtC遺伝子(欧州特許出願公開第1013765号明細書)、yfiK、yeaS遺伝子(欧州特
許出願公開第1016710号明細書)が挙げられる。また宿主にL−スレオニン耐性を付与する方法は、欧州特許出願公開第0994190号明細書や、国際公開第90/04636号パンフレット記載の方法を参照出来る。
【0043】
L−スレオニン生産菌として、エシェリヒア・コリVKPM B-3996株(米国特許第5,175,107号明細書参照)を例示することが出来る。このVKPM B-3996株は、1987年11月19日にロシアン・ナショナル・コレクション・オブ・インダストリアル・マイクロオーガニズム(Russian National Collection of Industrial Microorganisms (VKPM), GNII Genetika)(住所:Russia, 117545 Moscow, 1 Dorozhny proezd. 1)に登録番号VKPM B-3996のもとに寄託されている。また、このVKPM B-3996株は、ストレプトマイシン耐性マーカーを有する広域ベクタープラスミドpAYC32(Chistorerdov, A. Y., and Tsygankov, Y.
D. Plasmid, 16, 161-167 (1986)を参照のこと)にスレオニン生合成系遺伝子(スレオニンオペロン:thrABC)を挿入して得られたプラスミドpVIC40(国際公開第90/04636号パンフレット)を保持している。このpVIC40においては、スレオニンオペロン中のthrAがコードするアスパルトキナーゼI−ホモセリンデヒドロゲナーゼIの、L−スレオニンによるフィードバック阻害が解除されている。
【0044】
また、エシェリヒア・コリVKPM B-5318株(欧州特許第0593792号明細書参照)も好適なL−スレオニン生産菌として例示することができる。VKPM B-5318株は、1990年5月3日にロシアン・ナショナル・コレクション・オブ・インダストリアル・マイクロオーガニズム(Russian National Collection of Industrial Microorganisms (VKPM), GNII Genetika )に登録番号VKPM B-5318のもとに寄託されている。またこのVKPM B-5318株は、イソロイシン非要求性菌株であり、ラムダファージの温度感受性C1リプレッサー、PRプロモーターおよびCroタンパク質のN末端部分の下流に、本来持つ転写調節領域であるアテニュエーター領域を欠失したスレオニンオペロンすなわちスレオニン生合成関与遺伝子が位置し、スレオニン生合成関与遺伝子の発現がラムダファージのリプレッサーおよびプロモーターにより支配されるように構築された組換えプラスミドDNAを保持している。
【0045】
また、本発明に用いるL−アミノ酸生産菌は、固有の生合成系酵素をコードする遺伝子以外に、糖の取り込み、糖代謝(解糖系)、エネルギー代謝に関与する遺伝子が増幅されていてもよい。
【0046】
糖代謝に関与する遺伝子としては、解糖系酵素をコードする遺伝子や糖の取り込み遺伝子が挙げられ、グルコース6−リン酸イソメラーゼ遺伝子(pgi;国際公開第01/02542号パンフレット)、ホスホエノールピルビン酸シンターゼ遺伝子(pps; 欧州出願公開877090号明細書)、ホスホグルコムターゼ遺伝子(pgm;国際公開03/04598号パンフレット)、フルクトース二リン酸アルドラーゼ遺伝子(fba;国際公開03/04664号パンフレット)、ピルビン酸キナーゼ遺伝子(pykF;国際公開03/008609号パンフレット)、トランスアルドラーゼ遺伝子(talB;国際公開03/008611号パンフレット)、フマラーゼ遺伝子(fum;国際公開01/02545号パンフレット)、ホスホエノールピルビン酸シンターゼ遺伝子(pps;欧州出願公開877090号パンフレット)、non-PTSシュクロース取り込み遺伝子遺伝子(csc;欧州出願公開149911号パンフレット)、シュクロース資化性遺伝子(scrABオペロン;国際公開第90/04636号パンフレット)が挙げられる。
【0047】
エネルギー代謝に関与する遺伝子としては、トランスヒドロゲナーゼ遺伝子(pntAB;米国特許 5,830,716号明細書)、cytochromoe bo type oxidase遺伝子(cyoB 欧州特許出願公開1070376号明細書)が挙げられる。
【0048】
本発明の細菌は、上述したようなL−リジン、L−スレオニン、及びL−トリプトファンから選ばれるL−アミノ酸の生産能を有する細菌をydcI遺伝子がコードする蛋白質
の活性が増大するように改変することによって取得できる。また、本発明の細菌は、ydcI遺伝子がコードする蛋白質の活性が増大するように改変された細菌に、L−アミノ酸生産能を付与することによっても、取得できる。
【0049】
前記のとおり、ydcI遺伝子がコードする蛋白質はLysR型転写因子であると予想されており、同蛋白質の活性は、DNA結合活性であると推定される。ここで、DNA結合活性とは、YdcI蛋白質が特定のDNA配列に結合する活性を意味し、「ydcI遺伝子によりコードされた蛋白質の活性が増強するように改変された」とは、野生株、または親株のような非改変株に対して細胞あたりのydcI遺伝子によりコードされる蛋白質分子の数が増大した場合や、YdcIの分子当たりの活性が向上した場合が該当する。YdcIの活性は非改変株と比較して、菌体当たり150%以上、好ましくは200%以上、さらに望ましくは菌体当たり300%以上に向上するように改変されていることが好ましい。ここで、対照となる非改変株、例えば野生株の腸内細菌科に属する微生物としては、エシェリヒア・コリMG1655株(ATCCNo.47076)、及びW3110株(ATCCNo.27325)、パントエア・アナナティスAJ13335株(FERM BP-6615)などが挙げられる。DNA結合活性は、例えば、Linda Jen-Jacobson, Structural-perturbation approaches to thermodynamics of site-specific protein-DNA interactions, Methods in Enzymology, Volume 259, 1995, Pages 305-344に記載された方法によって測定することができる。
【0050】
ydcI遺伝子によりコードされる蛋白質の活性は、ydcI遺伝子の発現量を増大させるように改変することによって増大させることができる。エシェリヒア・コリにはYdcIタンパク質(配列番号2)をコードする遺伝子ydcIが知られている。
【0051】
ydcI遺伝子の発現が非改変株、例えば親株、又は野生株と比べて向上していることの確認は、mRNAの量を野生型、あるいは非改変株と比較することによって確認出来る。発現量の確認方法としては、ノーザンハイブリダイゼーション、RT-PCRが挙げられる(Molecular cloning(Cold spring Harbor Laboratory Press,Cold spring Harbor(USA),2001))。発現量については、非改変株と比較して、上昇していればいずれでもよいが、例えば非改変株と比べて1.5倍以上、より好ましくは2倍以上、さらに好ましくは3倍以上上昇していることが望ましい。また、ydcI遺伝子によりコードされた蛋白質の増強は、目的とするタンパク質量が非改変株と比較して上昇していることによっても確認することができ、例えば抗体を用いてウェスタンブロットによって検出することが出来る。(Molecular cloning(Cold spring Harbor Laboratory Press,Cold spring Harbor(USA),2001))。
【0052】
本発明のydcI遺伝子とは、エシェリヒア属細菌のydcI遺伝子、及びそのホモログをいう。エシェリヒア・コリのydcI遺伝子としては、配列番号2のアミノ酸配列を有するタンパク質をコードする遺伝子(配列番号1)を例示することができる(Genbank Accession No. A64894 [GI: 7466846])。
尚、配列番号1及び配列番号2において、最初のコドンgtgに相当するアミノ酸をValと表記しているが、実際はMetである。
【0053】
ydcI遺伝子ホモログとは、他の微生物由来で、エシェリヒア属細菌のydcI遺伝子と構造が高い類似性を示し、宿主に導入した際にL−リジン、L−スレオニン、L−トリプトファンから選ばれるL−アミノ酸の生産能を向上させ、DNA結合活性を示すタンパク質をコードする遺伝子をいう。例えばydcIのホモログとしては、シゲラ属、エンテロバクター属等のGenbankに登録されている遺伝子が挙げられる。さらに、ydcI遺伝子は、上記で例示された遺伝子との相同性に基づいて、ストレプトマイセス・セリカラー等のストレプトマイセス属細菌、ラクトコッカス属やラクトバチルス属等の乳酸菌からクローニングされるものであってもよい。エシェリヒア属細菌のydcIと相同性が高けれ
ば、異なる遺伝子名が付与されているものでもよい。例えば、ydcI遺伝子ホモログは、配列番号3と配列番号4の合成オリゴヌクレオチドを用いてクローニング出来る遺伝子も含まれる。
【0054】
また、ydcI遺伝子ホモログは上記の配列情報に基づき、相同性が高い遺伝子を公知のデータベースから取得できる。アミノ酸配列および塩基配列の相同性は、例えばKarlin
and AltschulによるアルゴリズムBLAST(Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 90, 5873 (1993))やFASTA(Methods Enzymol., 183, 63 (1990))を用いて決定することができる。このアルゴリズムBLASTに基づいて、BLASTNやBLASTXとよばれるプログラムが開発されている (http://www.ncbi.nlm.nih.gov参照)。
【0055】
また、本発明に用いるydcI遺伝子は、野生型遺伝子には限られず、コードされるタンパク質の機能、すなわちDNA結合活性が損なわれない限り、配列番号2のアミノ酸配列において、1若しくは複数の位置での1若しくは数個のアミノ酸の置換、欠失、挿入又は付加等を含む配列を有するタンパク質をコードする、変異体又は人為的な改変体であってもよい。
ここで、「1若しくは数個」とは、アミノ酸残基のタンパク質の立体構造における位置や種類によっても異なるが、具体的には1〜20個、好ましくは1〜10個、より好ましくは1〜5個を意味する。上記の1若しくは数個のアミノ酸の置換、欠失、挿入、または付加は、DNA結合活性が維持される保存的変異である。保存的変異とは、置換部位が芳香族アミノ酸である場合には、Phe、Trp、Tyr間で、置換部位が疎水性アミノ酸である場合には、Leu、Ile、Val間で、極性アミノ酸である場合には、Gln、Asn間で、塩基性アミノ酸である場合には、Lys、Arg、His間で、酸性アミノ酸である場合には、Asp、Glu間で、ヒドロキシル基を持つアミノ酸である場合には、Ser、Thr間でお互いに置換する変異である。保存的変異の代表的なものは、保存的置換であり、保存的置換とみなされる置換としては、具体的には、AlaからSer又はThrへの置換、ArgからGln、His又はLysへの置換、AsnからGlu、Gln、Lys、His又はAspへの置換、AspからAsn、Glu又はGlnへの置換、CysからSer又はAlaへの置換、GlnからAsn、Glu、Lys、His、Asp又はArgへの置換、GluからGly、Asn、Gln、Lys又はAspへの置換、GlyからProへの置換、HisからAsn、Lys、Gln、Arg又はTyrへの置換、IleからLeu、Met、Val又はPheへの置換、LeuからIle、Met、Val又はPheへの置換、LysからAsn、Glu、Gln、His又はArgへの置換、MetからIle、Leu、Val又はPheへの置換、PheからTrp、Tyr、Met、Ile又はLeuへの置換、SerからThr又はAlaへの置換、ThrからSer又はAlaへの置換、TrpからPhe又はTyrへの置換、TyrからHis、Phe又はTrpへの置換、及び、ValからMet、Ile又はLeuへの置換が挙げられる。また、上記のようなアミノ酸の置換、欠失、挿入、付加、または逆位等には、ydcI遺伝子を保持する微生物の個体差、種の違いに基づく場合などの天然に生じる変異(mutant又はvariant)によって生じるものも含まれる。このような遺伝子は、例えば、部位特異的変異法によって、コードされるタンパク質の特定の部位のアミノ酸残基が置換、欠失、挿入または付加を含むように配列番号1に示す塩基配列を改変することによって取得することができる。
【0056】
さらに、ydcI遺伝子は、配列番号2のアミノ酸配列全体に対して、80%以上、好ましくは90%以上、より好ましくは95%以上、特に好ましくは97%以上の相同性を有し、かつ、DNA結合活性を有するタンパク質をコードする配列を用いることが出来る。
また、それぞれydcI遺伝子が導入される宿主で使用しやすいコドンに置換したものでもよい。同様にydcI遺伝子にコードされるタンパク質は、DNA結合活性を有する限り、N末端側、C末端側が延長したものあるいは削られているものでもよい。例えば延長・削除する長さは、アミノ酸残基で50以下、好ましくは20以下、より好ましくは10以下、特に好ましくは5以下である。より具体的には、配列番号2のアミノ酸配列のN末端側より50アミノ酸から5アミノ酸、C末端側より50アミノ酸から5アミノ酸延長・削除したも
のでもよい。
【0057】
また、ydcI遺伝子の改変体は、以下のような従来知られている変異処理によっても取得され得る。変異処理としてはydcI遺伝子をヒドロキシルアミン等でインビトロ処理する方法、および該遺伝子を保持する微生物、例えばエシェリヒア属細菌を、紫外線またはN-メチル-N’-ニトロ-N-ニトロソグアニジン(NTG)もしくはエチルメタンスルフォネート(EMS)等の通常変異処理に用いられている変異剤によって処理する方法が挙げられる。これらの遺伝子がDNA結合活性を有するタンパク質をコードしているか否かは、例えば、これらの遺伝子を適当な細胞で発現させ、DNA結合活性を有しているかを調べることにより、確かめることができる。
【0058】
また、ydcI遺伝子はそれぞれ、配列番号1の塩基配列の相補配列又はこれらの相補配列から調製され得るプローブとストリンジェントな条件下でハイブリダイズし、かつDNA結合活性を有するタンパク質をコードするDNAであってもよい。 ここで、「ストリンジェントな条件」とは、いわゆる特異的なハイブリッドが形成され、非特異的なハイブリッドが形成されない条件をいう。この条件を明確に数値化することは困難であるが、一例を示せば、相同性が高いDNA同士、例えば80%以上、好ましくは90%以上、より好ましくは95%以上、特に好ましくは97%以上の相同性を有するDNA同士がハイブリダイズし、それより相同性が低いDNA同士がハイブリダイズしない条件、あるいは通常のサザンハイブリダイゼーションの洗いの条件である60℃、1×SSC,0.1%SDS、好ましくは、0.1×SSC、0.1%SDS、さらに好ましくは、68℃、0.1×SSC、0.1%SDSに相当する塩濃度、温度で、1回、より好ましくは2〜3回洗浄する条件が挙げられる。
【0059】
プローブとしては、配列番号1の相補配列の一部を用いることもできる。そのようなプローブは、配列番号1の相補配列に基づいて作製したオリゴヌクレオチドをプライマーとし、これらの塩基配列を含むDNA断片を鋳型とするPCRによって作製することができる。例えば、プローブとして、300 bp程度の長さのDNA断片を用いる場合には、ハイブリダイゼーションの洗いの条件は、50℃、2×SSC、0.1%SDSが挙げられる。
【0060】
ydcI遺伝子の発現を増強するための改変は、例えば、遺伝子組換え技術を利用して、細胞中の遺伝子のコピー数を高めることによって行うことができる。例えば、ydcI遺伝子を含むDNA断片を、宿主細菌で機能するベクター、好ましくはマルチコピー型のベクターと連結して組換えDNAを作製し、これを細菌に導入して形質転換すればよい。
【0061】
ydcI遺伝子としてエシェリヒア・コリのydcI遺伝子を用いる場合、配列番号1の塩基配列に基づいて作製したプライマー、例えば、ydcI遺伝子の場合、配列番号3及び4に示すプライマーを用いて、エシェリヒア・コリのゲノムDNAを鋳型とするPCR法(PCR:polymerase chain reaction; White,T.J. et al., Trends Genet. 5, 185 (1989)参照)によって取得することができる。他の腸内細菌科に属する細菌のydcI遺伝子も、その細菌において公知のydcI遺伝子もしくは他種の細菌のydcI遺伝子もしくはydcI遺伝子によりコードされる蛋白質のアミノ酸配列情報に基づいて作製したオリゴヌクレオチドをプライマーとするPCR法、又は、前記配列情報に基づいて作製したオリゴヌクレオチドをプローブとするハイブリダイゼーション法によって、微生物のゲノムDNA又はゲノムDNAライブラリーから、取得することができる。なお、ゲノムDNAは、DNA供与体である微生物から、例えば、斎藤、三浦の方法(H. Saito and K.Miura, Biochem. Biophys. Acta, 72, 619 (1963)、生物工学実験書、日本生物工学会編、97-98頁、培風館、1992年参照)等により調製することができる。
【0062】
次に、PCR法により増幅されたydcI遺伝子を、宿主細菌の細胞内において機能する
ことのできるベクターDNAに接続して組換えDNAを調製する。宿主細菌の細胞内において機能することのできるベクターとしては、宿主細菌の細胞内において自律複製可能なベクターを挙げることができる。エシェリヒア・コリ細胞内において自律複製可能なベクターとしては、pUC19、pUC18、pHSG299、pHSG399、pHSG398、pACYC184(pHSG、pACYCは宝バイオ社より入手可)、RSF1010、pBR322、pMW219(pMW219はニッポンジーン社より入手可)、pSTV29(宝バイオ社より入手可)等が挙げられる。
【0063】
上記のように調製した組換えDNAを細菌に導入するには、これまでに報告されている形質転換法に従って行えばよい。例えば、エシェリヒア・コリK-12について報告されているような、受容菌細胞を塩化カルシウムで処理してDNAの透過性を増す方法(Mandel,M.and Higa, A., J. Mol. Biol., 53, 159 (1970))があり、バチルス・ズブチリスについて報告されているような、増殖段階の細胞からコンピテントセルを調製してDNAを導入する方法(Duncan, C. H.,Wilson, G. A. and Young, F. E., Gene, 1, 153 (1977))がある。あるいは、バチルス・ズブチリス、放線菌類及び酵母について知られているような、DNA受容菌の細胞を、組換えDNAを容易に取り込むプロトプラストまたはスフェロプラストの状態にして組換えDNAをDNA受容菌に導入する方法(Chang, S. and Choen, S. N., Molec.
Gen. Genet., 168, 111 (1979); Bibb, M. J., Ward, J. M. and Hopwood, O. A., Nature, 274, 398 (1978); Hinnen, A., Hicks, J. B. and Fink, G. R., Proc. Natl. Acad.
Sci. USA, 75, 1929 (1978))も応用できる。
【0064】
一方、ydcI遺伝子のコピー数を高めることは、上述のようなydcI遺伝子を細菌のゲノムDNA上に多コピー存在させることによっても達成できる。細菌のゲノムDNA上にydcI遺伝子を多コピーで導入するには、ゲノムDNA上に多コピー存在する配列を標的に利用して相同組換えにより行う。ゲノムDNA上に多コピー存在する配列としては、レペティティブDNA、転移因子の端部に存在するインバーテッド・リピートが利用できる。また、ゲノム上に存在するydcI遺伝子の横にタンデムに連結させてもよいし、ゲノム上の不要な遺伝子上に重複して組み込んでもよい。これらの遺伝子導入は、温度感受性ベクターを用いて、あるいはintegrationベクターを用いて達成することが出来る。
【0065】
あるいは、特開平2-109985号公報に開示されているように、ydcI遺伝子をトランスポゾンに搭載してこれを転移させてゲノムDNA上に多コピー導入することも可能である。ゲノム上に遺伝子が転移したことの確認は、ydcI遺伝子の一部をプローブとして、サザンハイブリダイゼーションを行うことによって確認出来る。
【0066】
さらに、ydcI遺伝子の発現の増強は、上記した遺伝子コピー数の増幅以外に、国際公開00/18935号パンフレットに記載した方法で、ゲノムDNA上またはプラスミド上のydcI遺伝子の各々のプロモーター等の発現調節配列を強力なものに置換することや、各遺伝子の−35、−10領域をコンセンサス配列に近づけること、ydcI遺伝子の発現を上昇させるようなレギュレーターを増幅すること、又は、ydcI遺伝子の発現を低下させるようなレギュレーターを欠失または弱化させることによっても達成される。例えば、lacプロモーター、trpプロモーター、trcプロモーター、tacプロモーター、araBAプロモーター、ラムダファージのPRプロモーター、PLプロモーター、tetプロモーター、T7プロモーター、φ10プロモーター等が強力なプロモーターとして知られている。また、配列番号7のE.coliのスレオニンオペロンのプロモーターを使用することもできる。また、ydcI遺伝子のプロモーター領域、SD領域に塩基置換等を導入し、より強力なものに改変することも可能である。プロモーターの強度の評価法および強力なプロモーターの例は、Goldsteinらの論文(Prokaryotic promoters in biotechnology. Biotechnol. Annu. Rev., 1, 105-128 (1995))等に記載されている。さらに、リボソーム結合部位(RBS)と開始コドンとの間のスペーサー、特に開始コドンのすぐ上流の配列における数個のヌクレオチドの置換がmRNAの翻訳効率に非常に影響を及ぼすことが知られており、これらを改変すること
も可能である。ydcI遺伝子のプロモーター等の発現調節領域は、プロモーター検索ベクターやGENETYX等の遺伝子解析ソフトを用いて決定することも出来る。これらのプロモーター置換または改変によりydcI遺伝子の発現が強化される。発現調節配列の置換は、例えば温度感受性プラスミドを用いた方法や、Redドリブンインテグレーション法(WO2005/010175)を使用することが出来る。
【0067】
<2>L−アミノ酸の製造法
本発明のL−アミノ酸の製造法は、本発明の細菌を培地で培養して、L−リジン、L−スレオニン、及びL−トリプトファンから選ばれるL−アミノ酸を該培地中に生成蓄積させ、該培地又は菌体より該L−アミノ酸を回収することを特徴とする。
【0068】
使用する培地は、細菌を用いたL−アミノ酸の発酵生産において従来より用いられてきた培地を用いることができる。すなわち、炭素源、窒素源、無機イオン及び必要に応じその他の有機成分を含有する通常の培地を用いることができる。ここで、炭素源としては、グルコース、シュクロース、ラクトース、ガラクトース、フラクトースやでんぷんの加水分解物などの糖類、グリセロールやソルビトールなどのアルコール類、フマール酸、クエン酸、コハク酸等の有機酸類を用いることができる。なかでも、グルコース、フルクトース、シュクロースを炭素源として用いることが好ましい。窒素源としては、硫酸アンモニウム、塩化アンモニウム、リン酸アンモニウム等の無機アンモニウム塩、大豆加水分解物などの有機窒素、アンモニアガス、アンモニア水等を用いることができる。有機微量栄養源としては、ビタミンB1、L−ホモセリンなどの要求物質または酵母エキス等を適量含有させることが望ましい。これらの他に、必要に応じて、リン酸カリウム、硫酸マグネシウム、鉄イオン、マンガンイオン等が少量添加される。なお、本発明で用いる培地は、炭素源、窒素源、無機イオン及び必要に応じてその他の有機微量成分を含む培地であれば、天然培地、合成培地のいずれでもよい。
【0069】
また生育や生産性を向上させるようなL−アミノ酸を添加する場合がある。例えばL−リジン発酵の場合、L−スレオニン、L−ホモセリン、L−イソロイシンを、L−スレオニン発酵の場合、L−イソロイシン、L−リジン、L−グルタミン酸、L−ホモセリンを、L−トリプトファン発酵では、L−フェニルアラニン、L−チロシン等を添加することが好ましい。添加濃度は0.01-10g/L程度である。
【0070】
培養は好気的条件下で1〜7日間実施するのがよく、培養温度は24℃〜37℃、培養中のpHは5〜9がよい。尚、pH調整には無機あるいは有機の酸性あるいはアルカリ性物質、更にアンモニアガス等を使用することができる。発酵液からのL−アミノ酸の回収は通常イオン交換樹脂法、沈殿法その他の公知の方法を組み合わせることにより実施できる。なお、菌体内にL−アミノ酸が蓄積する場合には、例えば菌体を超音波などにより破砕し、遠心分離によって菌体を除去して得られる上清からイオン交換樹脂法などによって、L−アミノ酸を回収することができる。
【0071】
また、L-リジンを製造する際には、培養中のpHが6.5〜9.0、培養終了時の培地のpHが7.2〜9.0となるように制御し、発酵中の発酵槽内圧力が正となるように制御する、あるいは又は、炭酸ガスもしくは炭酸ガスを含む混合ガスを培地に供給して、培地中の重炭酸イオン及び/または炭酸イオンが少なくとも2g/L以上存在する培養期があるようにし、前期重炭酸イオン及び/または炭酸イオンを塩基性アミノ酸を主とするカチオンのカウンタイオンとする方法で発酵し、目的の塩基性アミノ酸を回収する方法で製造を行ってもよい(特開2002-065287号参照)。
【実施例】
【0072】
以下、本発明を実施例によりさらに具体的に説明する。
【0073】
〔実施例1〕ydcI増強用プラスミドの構築
エシェリヒア・コリ(エシェリヒア・コリK-12株)のゲノムの全塩基配列(Genbank Accession No. U00096)は既に明らかにされている(Science, 277, 1453-1474 (1997))。遺伝子増幅を行うためにプラスミドベクターpMW218(ニッポンジーン社製)を用いた。本プラスミドは、任意の遺伝子をクローニングするためのマルチクローニングサイトを有しており、これらのサイトを利用して遺伝子をクローニングし、遺伝子の増幅が可能なプラスミドである。
【0074】
エシェリヒア・コリのゲノム配列のydcI遺伝子及びその周辺領域の塩基配列(Genbank Accession No. U00096の1493636..1492145の相補配列)に基づいて、5'側プライマーとしてBamHIサイトを有する配列番号3に示す合成オリゴヌクレオチド、3'側プライマーとしてHindIIIサイトを有する配列番号4に示す合成オリゴヌクレオチドを用いて、エシェリヒア・コリ W3110株のゲノムDNAを鋳型としてPCRを行い、制限酵素BamHI及びHindIIIにて処理し、ydcI遺伝子を含む遺伝子断片を得た。精製したPCR産物を、BamHI及びHindIIIで消化したベクターpMW218に連結してydcI増幅用プラスミドpMWydcIを構築した。
【0075】
〔実施例2〕L−リジン生産菌の構築
<2−1>リジンデカルボキシラーゼをコードするcadA、ldcC遺伝子破壊株の構築
L−リジンの分解活性を低減するためリジンデカルボキシラーゼ非産生株の構築を行った。エシェリヒア・コリのリジンデカルボキシラーゼはcadA遺伝子(Genbank Accession No. NP_418555. 配列番号9)及びldcC遺伝子(Genbank Accession No. NP_414728. 配列番号11)によってコードされている(国際公開WO96/17930号パンフレット参照)。ここで親株は、エシェリヒア・コリのL−リジン生産株として、AEC(S-(2-アミノエチル)−システイン)耐性株であるWC196株(WO96/17930号国際公開パンフレット参照)を用いた。
【0076】
リジンデカルボキシラーゼをコードするcadA、ldcC遺伝子の欠失は、DatsenkoとWannerによって最初に開発された「Red-driven integration」と呼ばれる方法(Proc. Natl. Acad. Sci. USA. 97. 6640-6645 (2000))とλファージ由来の切り出しシステム(J. Bacteriol. 184. 5200-5203 (2002))によって行った。「Red-driven integration」方法によれば、目的とする遺伝子の一部を合成オリゴヌクレオチドの5’側に、抗生物質耐性遺伝子の一部を3’側にデザインした合成オリゴヌクレオチドをプライマーとして用いて得られたPCR産物を用いて、一段階で遺伝子破壊株を構築することができる。さらにλファージ由来の切り出しシステムを組み合わせることにより、遺伝子破壊株に組み込んだ抗生物質耐性遺伝子を除去することが出来る(特開2005-058227)。
【0077】
<2−2>cadA遺伝子の破壊
PCRの鋳型として、プラスミドpMW118-attL-Cm-attR(特開2005-058827)を使用した。pMW118-attL-Cm-attRは、pMW118(宝バイオ社製)にλファージのアタッチメントサイトであるattL及びattR遺伝子と抗生物質耐性遺伝子であるcat遺伝子を挿入したプラスミドであり、attL-cat-attRの順で挿入されている
【0078】
このattLとattRの両端に対応する配列をプライマーの3’末端に、目的遺伝子であるcadA遺伝子の一部に対応するプライマーの5’末端に有する配列番号9及び10に示す合成オリゴヌクレオチドをプライマーに用いてPCRを行った。
【0079】
増幅したPCR産物をアガロースゲルで精製し、温度感受性の複製能を有するプラスミドpKD46を含むエシェリヒア・コリWC196株にエレクトロポレーションにより導入した。プラスミドpKD46(Proc. Natl. Acad. Sci. USA. 97. 6640-6645 (2000))は、アラビノース誘導性ParaBプロモーターに制御されるλRed相同組換えシステムのRed レコンビナーゼ
をコードする遺伝子(γ、β、exo遺伝子)を含むλファージの合計2154塩基のDNAフラグメント(GenBank/EMBL アクセッション番号 J02459、 第31088番目〜33241番目)を含む。プラスミドpKD46はPCR産物をWC196株の染色体に組み込むために必要である。
【0080】
エレクトロポレーション用のコンピテントセルは次のようにして調製した。すなわち、100 mg/Lのアンピシリンを含んだLB培地中で30℃、一晩培養したエシェリヒア・コリWC196株を、アンピシリン(20 mg/L)とL−アラビノース(1 mM)を含んだ5 mLのSOB培地(Sambrook, J., and Russell, D.W. Molecular Cloning A Laboratory Manual/Third Edition. New York: Cold Spring Harbor Laboratory Press (2001))で100倍希釈した。得られた希釈物を30℃で通気しながらOD600が約0.6になるまで生育させた後、100倍に濃縮し、10%グリセロールで3回洗浄することによってエレクトロポレーションに使用できるようにした。エレクトロポレーションは70μLのコンピテントセルと約100 ngのPCR産物を用いて行った。エレクトロポレーション後のセルは1 mLのSOC培地(Sambrook, J., and Russell, D.W. Molecular Cloning A Laboratory Manual/Third Edition. New York: Cold Spring Harbor Laboratory Press (2001))を加えて37℃で2.5時間培養した後、37℃でCm(クロラムフェニコール)(25 mg/L)を含むL寒天培地上で平板培養し、Cm耐性組換え体を選択した。次に、pKD46プラスミドを除去するために、Cmを含むL-寒天培地上、42℃で2回継代し、得られたコロニーのアンピシリン耐性を試験し、pKD46が脱落しているアンピシリン感受性株を取得した。
【0081】
クロラムフェニコール耐性遺伝子によって識別できた変異体のcadA遺伝子の欠失を、PCRによって確認した。得られたcadA欠損株をWC196ΔcadA::att-cat株と名づけた。
【0082】
次に、cadA遺伝子内に導入されたatt-cat遺伝子を除去するために、ヘルパープラスミド上述のpMW-intxis-ts(特開2005-058827)を使用した。pMW-intxis-tsは、λファージのインテグラーゼ(Int)をコードする遺伝子、エクシジョナーゼ(Xis)をコードする遺伝子を搭載し、温度感受性の複製能を有するプラスミドである
【0083】
上記で得られたWC196ΔcadA::att-cat株のコンピテントセルを常法に従って作製し、ヘルパープラスミドpMW-intxis-tsにて形質転換し、30℃で50 mg/Lのアンピシリンを含むL−寒天培地上にて平板培養し、アンピシリン耐性株を選択した。
次に、pMW-intxis-tsプラスミドを除去するために、L-寒天培地上、42℃で2回継代し、得られたコロニーのアンピシリン耐性、及びクロラムフェニコール耐性を試験し、att-cat、及びpMW-intxis-tsが脱落しているcadA破壊株であるクロラムフェニコール、アンピシリン感受性株を取得した。この株をWC196ΔcadAと名づけた。
【0084】
<2−3>WC196ΔcadA 株のldcC遺伝子の欠失
WC196ΔcadA 株におけるldcC遺伝子の欠失は、上記手法に則って、ldcC破壊用プライマーとして、配列番号11、12のプライマーを使用して行った。これによって、cadAとldcCが破壊された株WC196ΔcadAΔldcCを得た。
【0085】
〔実施例3〕エシェリヒア属細菌L−リジン生産株でのydcI増幅の効果
<3−1>WC196ΔcadAΔldcC株へのリジン生産用プラスミド導入
WC196ΔcadAΔldcC株をdapA、dapB及びlysC遺伝子を搭載したリジン生産用プラスミドpCABD2(EP0733710パンフレット)で常法に従い形質転換し、WC196ΔcadAΔldcC/pCABD2株(WC196LC/pCAB1)を得た。pCABD2は、L−リジンによるフィードバック阻害が解除された変異を有するエシェリヒア・コリ由来のジヒドロジピコリン酸合成酵素(DDPS)をコードするDNA と、L−リジンによるフィードバック阻害が解除された変異を有するエシェリヒア・コリ由来のアスパルトキナーゼIIIをコードするDNAと、エシェリヒア・コリ由来のジヒドロジピコリン酸レダクターゼをコードするDNAと、及びブレビバクテリウム・ラク
トファーメンタム由来ジアミノピメリン酸デヒドロゲナーゼをコードするDNAを有している。
【0086】
WC196LC/pCABD2株を、実施例1で作製したydcI増幅用プラスミドpMWydcIで形質転換し、カナマイシン耐性株を得た。所定のプラスミドが導入されていることを確認し、ydcI増幅用プラスミドpMWydcI導入株をWC196LC/pCABD2/ydcI株と名づけた。また、対照としてpMW218で形質添加された株を作製し、WC196LC/pCABD2/pMW218と名づけた。
【0087】
上記で作製した株を25 mg/Lのストレプトマイシンと20 mg/Lのカナマイシンを含むLB培地にてOD600が約0.6となるまで37℃にて培養した後、培養液と等量の40%グリセロール溶液を加えて攪拌した後、適当量ずつ分注、-80℃に保存し、グリセロールストックとした。
【0088】
<3−2>リジン生産培養
これらの株のグリセロールストックを融解し、各100 μLを、25 mg/Lのストレプトマイシンと20 mg/Lのカナマイシンを含むLプレートに均一に塗布し、37℃にて24時間培養した。得られたプレートのおよそ1/8量の菌体を、500 mL容坂口フラスコの、25 mg/Lのストレプトマイシンと20 mg/Lのカナマイシンを含む以下に記載の発酵培地の20 mLに接種し、往復振とう培養装置で37℃において24時間培養した。培養後、培地中に蓄積したL−リジンの量をバイオテックアナライザーAS210(サクラ精機)により測定した。培養に用いた培地組成を以下に示す。
【0089】
[エシェリヒア属細菌 L−リジン生産培地]
グルコース 40g/L
(NH4)2SO4 16g/L
KH2PO4 1.0g/L
MgSO4・7H2O 1.0g/L
FeSO4・7H2O 0.01g/L
MnSO4・7H2O 0.01g/L
Yeast Extract 2.0g/L
CaCO3(日本薬局方) 30g/L
KOHでpH7.0に調整し、120℃で20分オートクレーブを行なった。但し、グルコースとMgSO4・7H2Oは混合し、他の成分とは別に別殺菌した。CaCO3は乾熱滅菌後に添加した。
24時間目のOD、L−リジン蓄積を表1に示す。
【0090】
【表1】

【0091】
ydcI遺伝子増幅株WC196LC/pCAB1/ydcI対照のWC196LC/pCAB1/pMW218と比べて、大幅にL−リジンの蓄積が上昇した。
【0092】
〔実施例4〕エシェリヒア属細菌L−スレオニン生産株でのydcI増幅の効果
エシェリヒア・コリのL−スレオニン生産株として、エシェリヒア・コリB-5318株(欧州特許第0593792号明細書参照)を用いることができる。このVKPM B-5318株は、イソロイ
シン非要求性菌株であり、ラムダファ−ジの温度感受性C1リプレッサー、PRプロモ−ターおよびCroタンパク質のN末端部分の下流に、本来持つ転写調節領域であるアテニュエーター領域を欠失したスレオニンオペロンすなわちスレオニン生合成関与遺伝子が位置し、スレオニン生合成関与遺伝子の発現がラムダファ−ジのリプレッサーおよびプロモ−ターにより支配されるように構築された組換えプラスミドDNAを保持している。
【0093】
B-5318株を、実施例1で作製したydcI増幅用プラスミドpMWydcIでそれぞれ形質転換し、アンピシリン耐性株を得る。所定のプラスミドが導入されていることを確認し、ydcI増幅用プラスミドpMWydcI導入株をB-5318/ydcI株と名づける。対照としてはベクターpMW218を導入した株B-5318/pMW218株を用いる。
【0094】
上記で作製した株を25 mg/Lのカナマイシンを含むLB培地にてOD600が約0.6となるまで37℃にて培養した後、培養液と等量の40%グリセロール溶液を加えて攪拌した後、適当量ずつ分注、-80℃に保存し、グリセロールストックとする。
【0095】
これらの株のグリセロールストックを融解し、各100μgLを、25 mg/Lのカナマイシンを含むLプレートに均一に塗布し、37℃にて24時間培養する。得られたプレートのおよそ1/8量の菌体を、500 mL容坂口フラスコの、25 mg/Lのカナマイシンを含む以下に記載の発酵培地の20 mLに接種し、往復振とう培養装置で40℃において18時間培養する。培養後、培地中に蓄積したL−スレオニンの量をアミノ酸アナライザーL-8500(Hitachi社製)を用いて測定する。培養に用いる培地組成を以下に示す。
【0096】
[エシェリヒア属細菌 L−スレオニン生産培地]
グルコース 40g/L
(NH4)2SO4 16g/L
KH2PO4 1.0g/L
MgSO4・7H2O 1.0g/L
FeSO4・7H2O 0.01g/L
MnSO4・7H2O 0.01g/L
Yeast Extract 2.0g/L
CaCO3(日本薬局方) 30g/L
KOHでpH7.0に調整し、120℃で20分オートクレーブを行う。但し、グルコースとMgSO4・7H2Oは混合し、別殺菌する。CaCO3は乾熱滅菌後に添加する。
【0097】
ydcI増幅株B-5318/ydcIは、対照のB-5318/pMW218と比べて、生育とL−スレオニンの蓄積が上昇する。
【0098】
〔配列表の説明〕
配列番号1:ydcI遺伝子の塩基配列
配列番号2:ydcI遺伝子によってコードされるアミノ酸配列
配列番号3:ydcI遺伝子増幅用プライマーの塩基配列
配列番号4:ydcI遺伝子増幅用プライマーの塩基配列
配列番号5:cadA遺伝子の塩基配列
配列番号6:cadA遺伝子によってコードされるアミノ酸配列
配列番号7:ldcC遺伝子の塩基配列
配列番号8:ldcC遺伝子によってコードされるアミノ酸配列
配列番号9:cadA遺伝子破壊用PCRプライマーの塩基配列
配列番号10:cadA遺伝子破壊用PCRプライマーの塩基配列
配列番号11:ldcC遺伝子破壊用PCRプライマーの塩基配列
配列番号12:ldcC遺伝子破壊用PCRプライマーの塩基配列

【特許請求の範囲】
【請求項1】
L−アミノ酸生産能を有する腸内細菌科に属する細菌を培地で培養して、L−アミノ酸を該培地中に生成蓄積させ、該培地より前記L−アミノ酸を採取する、L−アミノ酸の製造法において、
前記細菌は、ydcI遺伝子によりコードされるタンパク質の活性が増大するように改変され、かつ、前記L−アミノ酸はL−リジン、L−スレオニン、及びL−トリプトファンからなる群より選択されることを特徴とする方法。
【請求項2】
前記細菌が、ydcI遺伝子の発現量が増大するように改変された、請求項1に記載の方法。
【請求項3】
前記ydcI遺伝子が、下記(a)又は(b)に記載のDNAである、請求項1または2に記載の方法:
(a)配列番号1に示す塩基配列を有するDNA、
(b)配列番号1に示す塩基配列の相補配列又は同塩基配列から調製され得るプローブとストリンジェントな条件下でハイブリダイズし、かつ、DNA結合活性を有するタンパク質をコードするDNA。
【請求項4】
前記ydcI遺伝子が、下記(A)又は(B)に記載のタンパク質をコードする、請求項1〜3のいずれか一項に記載の方法:
(A)配列番号2に示すアミノ酸配列を有するタンパク質、
(B)配列番号2に示すアミノ酸配列において、1若しくは数個のアミノ酸残基の置換、欠失、挿入、付加、又は逆位を含むアミノ酸配列を有し、かつ、DNA結合活性を有するタンパク質。
【請求項5】
前記遺伝子の発現量が、該遺伝子のコピー数を高めること、又は該遺伝子の発現調節配列を改変されたことによって増大された、請求項1〜4のいずれか一項に記載の方法。
【請求項6】
前記細菌が、エシェリヒア属、エンテロバクター属、パントエア属、クレブシエラ属、又はセラチア属からなる群より選択される属に属する、請求項1〜5のいずれか一項に記載の方法。

【公開番号】特開2010−183841(P2010−183841A)
【公開日】平成22年8月26日(2010.8.26)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2007−141802(P2007−141802)
【出願日】平成19年5月29日(2007.5.29)
【出願人】(000000066)味の素株式会社 (887)
【Fターム(参考)】