説明

MALDI質量分析用試料の調製方法及びそのための試薬組成物

【課題】 マトリックス支援レーザー脱離イオン化質量分析(MALDI−MS)法による測定において、試料中に存在する無機塩、界面活性剤などの夾雑物によるイオンサプレッションを抑止し、簡便かつ効率的なサンプル調製方法を提供する。
【解決手段】 分析対象物と、マトリックス分子とを、多孔性微粒子の存在下で共結晶化する。前記共結晶化は、ターゲットプレート上にて、分析対象物と、マトリックス分子と、多孔性微粒子とを接触させ、次いで該混合物を乾燥して行うことが好ましい。前記多孔性微粒子は、大きくとも50μmの平均粒子径を有するイオン交換体であり、好ましくは、強塩基性陰イオン交換体である。
なし

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、質量分析法、特に、マトリックス支援レーザー脱離イオン化質量分析(MALDI−MS)法におけるサンプルの調製方法、及びこのサンプル調製を行うための試薬組成物に関する。
【背景技術】
【0002】
ポストゲノム時代においてタンパク質の網羅的解析の意義はますます大きくなり、迅速かつ正確なタンパク質の同定技術の向上が求められている。多くの研究者により使用されている1つの方法として、多種類のタンパク質の中から二次元電気泳動により目的のタンパク質を単離し、これを質量分析法により解析する技術がある。質量分析法については、エレクトロスプレー・イオン化(ESI)法、マトリックス支援レーザー脱離イオン化(MALDI)法の開発によって生体高分子のソフトイオン化技術が確立され、プロテオミクス研究が革新的に進展した。
【0003】
MALDI質量分析法は、タンパク質等の高分子試料をマトリックス(例えば、シナピン酸)と一緒に混ぜて、共結晶化させる。マトリックスはレーザー光を吸収し、そのエネルギーを共結晶化した高分子試料に移行させる役割をもつ。高分子試料はイオン化し、典型的には(M+H)タイプのイオン化学種を生ずる。このソフトレーザー脱着過程を通して、高分子試料は気相に移行する。検出器が飛行時間(TOF)型の場合、高分子試料がイオン化すると、そのイオンは電場の中で加速されて検出器に到達し、イオン化から検出までの時間が高精度に測定、計算される。イオンの飛行時間は運動量、質量対電荷比(m/z)の平方根に依存するので、質量を正確に算出することができる。
【0004】
ESI法は、高速液体クロマトグラフィー(HPLC)のカラムあるいはシリンジポンプから微小量/時間で溶出する高分子試料を含んだ液体を霧状にして、エレクトロスプレー・イオン源に注入してイオン化させる。ESI法はサンプル調製の自動化がMALDI法よりも先行しているため、プロテオミクス解析の主流を占めつつある。
【0005】
一方、MALDI法に用いるサンプル調製方法としては、逆相系粒子を用いた簡単なクロマトグラフィーでサンプルを精製した後に、ターゲットプレート上でマトリックス共結晶をつくらせる方法が主に用いられているが、技術的な熟練も必要であり、自動化するためには問題点が多い。あるいは、ターゲットプレート表面を自己組織化膜で修飾し、ターゲットプレート上で夾雑物の除去を行うという報告もある(例えば、非特許文献1及び2参照)。これらいずれの方法もマトリックス共結晶を作成する前に夾雑物を取り除くという概念に基づいている。この他、ターゲットプレート上で主に塩類の除去を目的としてクロマトグラフィー媒体を添加する方法(例えば、非特許文献3参照)や、SDSとイオンペアを作る試薬を用いて作成した下層マトリックスの上に、SDSを含むサンプルを用いて上層マトリックスを作成する2層法(Ion-pair assisted recovery、例えば、非特許文献4参照)なども報告されているが、いずれも操作が煩雑で自動化に適さなかったり、必ずしも十分な効果が得られない場合もあり、さらなる簡便かつ効果的なサンプル調製方法が求められている。
【0006】
【非特許文献1】Adam H. Brockman, Brian S. Dodd and Ron Orlando, Anal. Chem., 69, 4716-4720 (1997)
【非特許文献2】Maria E. Warren, Adam H. Brockman and Ron Orlando, Anal. Chem., 70, 3757-3761 (1998)
【非特許文献3】Jason C. Rouse and James E. Vath, Analytical Biochemistry 238, 82-92 (1996)
【非特許文献4】Rajendram V. Rajnarayanan and Kuan Wang, J. Mass Spectrom. 39, 79-85 (2004)
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
質量分析法における最大の課題は、試料中に存在する無機塩、界面活性剤などの夾雑物によるイオンサプレッションである。質量分析用サンプルを調製する前に夾雑物を除去して分析対象物を高度に精製する方法は、手間と時間がかかるだけでなく、例えば、シリカゲルに吸着させた後に洗浄工程を必要とすることから、この洗浄過程で夾雑物と共に分析対象物までが取り除かれ、試料の目減りが生じ、感度が低下し、結果として分析精度の低下を招くという問題がある。
【課題を解決するための手段】
【0008】
本発明は、かかる問題点を解決するためになされたものであって、SDSなどの界面活性剤を含む質量分析用サンプルの調製方法において、洗浄操作を行うことなく、ターゲットプレート上での簡便な操作によって、良質な質量スペクトルが得られる方法を提供することにある。
【0009】
すなわち、本発明のマトリックス支援レーザー脱離イオン化質量分析(MALDI−MS)用のサンプル調製方法は、分析対象物と、マトリックス分子とを、多孔性微粒子の存在下で共結晶化することを特徴とする。前記共結晶化は、ターゲットプレート上にて、分析対象物と、マトリックス分子と、多孔性微粒子とを接触させ、次いで該混合物を乾燥して行うことが好ましい。
【0010】
本発明の1つの実施形態において、前記多孔性微粒子は、大きくとも50μmの平均粒子径を有するイオン交換体であり、好ましくは、強塩基性陰イオン交換体である。前記強塩基性陰イオン交換体の好ましい実施形態として、4級アンモニウム基で修飾された破砕状のシリカゲル又は4級アンモニウム基で修飾されたビニルポリマーが挙げられる。
【0011】
本発明の1つの実施形態において、前記サンプルは、分析対象物、マトリックス材料、1以上の塩又は界面活性剤を含む。
【0012】
本発明の異なる観点において、マトリックス分子と、多孔性微粒子とを含むことを特徴とするマトリックス支援レーザー脱離イオン化質量分析(MALDI−MS)法による測定のためのサンプル調製用試薬組成物が提供される。かかる試薬組成物の1つの実施形態としては、前記多孔性微粒子が、マトリックス溶液に懸濁した状態にあるものが挙げられる。あるいは、前記マトリックス分子と、前記多孔性微粒子とが、それぞれ別の容器に分注されて提供され、使用直前に混ぜ合わせて用いてもよい。
【0013】
本発明のさらに異なる観点において、SDS等の界面活性剤を含む生体高分子物質を、上記サンプル調製方法、又は上記試薬組成物を用いて調製し、マトリックス支援レーザー脱離イオン化質量分析(MALDI−MS)法により分析する方法が提供される。
【発明の効果】
【0014】
本発明の方法によれば、分析対象物を予め高度に精製する必要がないため試料の損失がなく、かつ簡便な操作でMALDI−MS測定することができる。MALDI−MS法はレーザー照射でサンプルをイオン化できるので多検体、高速測定に適した測定方法であるが、従来は分析対象物とマトリックスとの共結晶化の段階に種々の問題点があり自動化測定を困難にしていた。特に、電気泳動ゲルから切り出した試料タンパク質のイオン化については、プロテオーム解析の分野では必要不可欠な工程であり、本発明の方法により効率的な操作が可能となる。
【0015】
また、本発明の試薬組成物は多孔性の微粒子が含まれているため分析対象物と混合した際にサンプルが均一に分散し、ターゲットプレート上で均一な共結晶を調製することができる。分析対象物とマトリックス分子とが均一に分散された共結晶はレーザー照射によってイオン化されやすく、簡便な操作により良質の質量スペクトルを得ることができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0016】
(定義)
本明細書における用語「ターゲットプレート」は、MALDI−MS分析用にサンプルを配置する部位(スポット)を備えた器具であり、単に「プレート」や「サンプルプレート」と称する場合もある。ターゲットプレートは、MALDI−MS法による質量分析測定に用いることができるものであれば特に限定されず、市販されている金属製やプラスチック製のものを使用することができる。1つの実施形態として、本発明のターゲットプレートは高度に洗浄可能な金属製、例えばステンレス鋼からなることが好ましく、また白金や金メッキによって表面が保護されたプレートを用いてもよい。
【0017】
本明細書における用語「多孔性微粒子」は、十分に大きな表面積を持った粒子であって、選択された分子、例えば、塩、溶媒、及び界面活性剤等を粒子の内部に浸透または吸着する一方、他の選択された分子、例えば分析対象物及びマトリックス分子は粒子の表面に保持することができるような材料をいう。具体的にはシリカゲルやゼオライト等を含む。これにより、粒子の表面に分析対象物が濃縮されると共に塩や界面活性剤などの低分子量の不純物は粒子の孔内に取り込まれる。
【0018】
また、用語「イオン交換体」とは、上記「多孔性微粒子」の1つの態様であって、イオン交換現象を示す物質の総称である。代表的なものには、イオン交換樹脂、イオン交換膜、イオン交換セルロース等がある。その他、陽イオン交換を行うものに沸石類、酸性白土、泥炭、亜炭などの天然物や、合成ゼオライト、パームチット、タングステン酸ジルコニウムなどがあり、陰イオン交換を行うものに塩基性のドロマイト、水和酸化鉄や水和酸化ジルコニウムなどのゲルがある。用語「イオン交換樹脂」は、交換能のあるイオンを持つ、不溶性で多孔質の合成樹脂の総称である。
【0019】
(質量分析用サンプルの調製方法)
第一の観点において、本発明は、MALDI−MS用のサンプル調製方法に関する。このサンプル調製方法は、分析対象物と、マトリックス分子とを混合して共結晶化させる際に分析対象物を高度に精製して夾雑物を除くのではなく、多孔性微粒子を添加して、サンプル中に共存させることによって夾雑物による悪影響を防止し、積極的に分析対象物のイオン化を促進するものである。分析対象物としては、タンパク質、ペプチド、核酸等の生体高分子物質が含まれるが、好ましくはタンパク質、又は分子量が1000以上のペプチドである。
【0020】
一方、正イオンモードにおけるマトリックス分子としては、シナピン酸(Sinapinic acid)、α−シアノ−4−ヒドロキシ桂皮酸(α-cyano-4-hydroxy-cinnamic acid)、フェルラ酸(ferulic acid)、ゲンチシン酸(gentisic acid)、3−ヒドロキシピコリン酸(3-hydroxypicolinic acid)、2,5−ジヒドロキシ安息香酸(2,5-dihydroxybenzoic acid)などが含まれるがこれらに限定されない。なお、マトリックスに用いられるこれらの化合物は全て酸性物質である。もしマトリックス共結晶の表面積を広くとることによってより多くの照射エネルギーを効率良くイオン化に結びつけることができればよりS/N比の良いスペクトルを得ることができるかもしれない。本発明者らはマトリックスが酸性であることに着目し、陰イオン交換体のような多孔性微粒子と共結晶をつくればその塩基性表面に共結晶の被膜を形成させることができるのではないかと考えた。通常のマトリックス共結晶はターゲットプレート上に二次元的に展開した状態であるが陰イオン交換体表面に結晶被膜を形成させればそれを三次元的に展開でき、共結晶被膜の表面積は飛躍的に増大させることが期待できる。すなわちより多くの分子がイオン化エネルギーを受け取ることができるはずである。また、負イオンモードにおいては、ハルミンなどの塩基性マトリックスと陽イオン交換体との組み合わせに相当する。マトリックス溶液中に分散した多孔性微粒子は、ターゲットプレート上で分析対象物と混合したときに均一に分散するため、これらの混合物から溶媒が蒸発して結晶化したサンプルは分析対象物とマトリックス分子との均一な共結晶として調製することができる。
【0021】
本発明の方法は、夾雑物として、1以上の塩又は界面活性剤を含むサンプルについて好適に用いることができる。これらの塩や界面活性剤は、通常の条件下において、MALDI−MSによるイオン化を著しく抑制することが知られている。その典型的な例としてドデシル硫酸ナトリウム(SDS)が挙げられる。SDSは、タンパク質や脂質、及び他の生体分子の強力な可溶化剤であり、生命科学の領域での幅広い技術に使用されている。例えば、電気泳動やクロマトグラフィーによるタンパク質混合物を分離する際に用いられる。その他の塩又は界面活性剤としては、デオキシコール酸ナトリウム、CHAPS(3[(3-Cholamidopropyl)dimethylammonio]-1-propanesulfonate)、オクチル−β―D−グルコピラノシド(OG)、及び分子量1000以下のポリオキシエチレン界面活性剤(例えば、トリトンX−100、Brij30等)が挙げられるがこれらに限定されない。
【0022】
(試薬組成物)
他の観点において、本発明は、MALDI−MS法による測定のためのサンプル調製用試薬組成物に関する。この試薬組成物は、マトリックス分子と、多孔性微粒子とを含むものであるが、夾雑物の吸着除去に用いる多孔性微粒子としては、通常タンパク質の精製を目的として使用されるクロマトグラフィー担体であればいずれも使用可能であり、例えば、シリカゲル、陰イオン交換体、陽イオン交換体などが挙げられる。夾雑物として含まれる塩や界面活性剤の種類に応じて適宜選択して用いることができ、また1種類の多孔性微粒子を単独で、あるいは2種以上を組み合わせて用いてもよい。
【0023】
最も一般的なクロマトグラフィー担体であるシリカゲルは、細孔を表面に多数有する多孔性シリカゲルである。粒子の形状には球状と破砕状(不定形)があり、球状の方がカラムへの充填効率が高く、吸着クロマトグラフィー用には主流となっている。シリカゲル表面のシラノール基に種々の官能基を化学結合させたものでもよく、最も一般的なものは、シリカ表面に炭素数18(C18)のアルキル鎖を付けたODS(Octadecyl Silica)ゲルである。結合させるアルキル基の炭素数をオクチル基、ブチル基、メチル基などのように減らしたものもある。また、官能基としてフェニル基、ジオール基、ニトリル基、アミノ基などが付加されていてもよい。
【0024】
一方、シリカゲルにイオン交換基を結合させた場合には、例えば、強酸性(−SOH)、強塩基性(−N(CH)、弱酸性(−COOH)、弱塩基性(−N(CHCH)などのイオン交換体となる。また、シリカゲルの代わりに有機系ポリマーゲルを用いたイオン交換樹脂でもよい。ポリマーゲルとしては、ポリメタクリレート、ポリヒドロキシメタクリレート、ポリビニルアルコールゲル及びデキストランなどが好ましい。
【0025】
これらの多孔性微粒子は、大きな表面積を得るために大きくとも50μmの平均粒子径の微粒子であることが好ましく、より好ましくは20μm以下、さらに好ましくは10μm以下の平均粒子径である。粒子の形状や均一性は特に限定されるものではなく、球状、柱状、破砕状等、種々の形態が含まれるが、好ましくは破砕状(不定形)であり、より好ましくは、4級アンモニウム基で修飾された破砕状のシリカゲルである。この理由は明らかではないが、おそらく、粒子の表面の不定形の窪みや粒子間の適度なサイズの窪みに界面活性剤が吸着される分子ふるい効果が影響するものと考えられる。
【0026】
また、本発明の試薬組成物に含まれるマトリックス分子は、高度に精製した化合物を用いることが好ましい。例えば、アセトニトリル等の溶媒を用いて少なくとも2回再結晶したシナピン酸は50%アセトニトリル、0.1%トリフルオロ酢酸(TFA)溶液中で長期間、少なくとも6ヶ月間は使用可能である。したがって、1つの実施形態における本発明の試薬組成物は、前記多孔性微粒子が、高度に精製されたマトリックス溶液中における懸濁液として提供される。あるいは、前記多孔性微粒子とマトリックス溶液とが別々の容器に分注されて提供されていてもよい。さらに、種々のマトリックス溶液及び多孔性微粒子がキットとして含まれていてもよく、例えば、分析対象物の性質に合わせて選択されるマトリックス溶液を種々の陰イオン交換体や陽イオン交換体から適宜選択される多孔性微粒子に使用前に加えて懸濁液とした後、所定の分析対象物と混合してサンプルを調製することができる。これらの試薬組成物あるいはキットには、最適な質量分析結果を得るためのサンプル調製方法を記載した使用説明書を含めることができる。
【0027】
(質量分析方法)
本発明は、また異なる観点において、SDS等の界面活性剤を含むタンパク質等を分析対象物とする質量分析方法において、上記本発明の方法によりサンプルを調製し、該サンプルを用いてマトリックス支援レーザー脱離イオン化質量分析(MALDI−MS)を行うことを特徴とする質量分析方法に関する。これにより、分析対象物を精製するための洗浄操作なしでも、良質な質量スペクトルが得られる。すなわち、本発明は、SDS等の界面活性剤を含む分析対象物を、本発明の試薬組成物を用いて共結晶化した後、そのままMALDIに付すものであり、分析対象物を水等で洗浄する必要も、また、多孔性微粒子を除去する必要もなく、MALDI−MS測定ができる方法を提供するものである。
【実施例】
【0028】
以下に、実施例を挙げて、本発明をより詳細に説明するが、本発明の範囲は、かかる実施例により何ら限定されるものではない。
【0029】
[実施例1]
(1)試薬
シナピン酸は東京化成(TCI、東京)製を用い、アセトニトリルで二回再結晶し、10mg/mLの濃度で50%アセトニトリル0.1%TFA溶液とした。ミオグロビン(Myoglobin)とチトクロームC(Cytochrome C)はシグマ社から購入し、精製せずに実験に用いた。固相担体はワコーゲル(Wakogel、登録商標)LC-SAX-10H(10μm破砕状4級アンモニウム基修飾シリカゲル、和光純薬、大阪)、ヌクレオシル(Nucleosil、登録商標)100-SB10(10μm球状4級アンモニウム基修飾シリカゲル、GL-Science、東京)、Partisil(登録商標)10 SCX(10μm破砕状スルホン基修飾シリカゲル、GL-Science、東京)、Partisil(登録商標)10(10μm破砕状シリカゲル、GL-Science、東京)、ヌクレオシル(Nucleosil、登録商標)100-SB5(5μm球状4級アンモニウム基修飾シリカゲル、GL-Science、東京)、トヨパール(TOYOPEARL) SuperQ-650S(20〜50μm球状4級アンモニウム基修飾ビニルポリマー、東ソー、東京)、トヨパール(TOYOPEARL) DEAE-650S(20〜50μm球状ジエチルアミノ基修飾ビニルポリマー、東ソー、東京)、を用い、タンパク試料と固相担体は購入した状態でそのまま使用した。測定試料はミオグロビン400μMとチトクロームC40μM(100mMのNaCl,50mMのTris−HCl)に20、50、100、200mg/mLの濃度のSDSを1対1混ぜたものを用いた。最終的な濃度はミオグロビン200μM、チトクロームC20μM(50mMのNaCl、25mMのTris−HCl、1、2.5、5、10%SDS)である。
【0030】
(2)測定
MALDI/TOF型質量分析計にはアプライド・バイオシステムズ社(Applied Biosystems)のVoyager DE-STRを用い、ターゲットプレートを挿入し、レーザーを照射した(laser power 1900、100shots)。同一実験を4回以上行なって再現性についての確認をした。
【0031】
(3)実験手順
ターゲットプレートは純水中で最低10分以上の超音波洗浄を行い、乾燥後タンパク質試料(サンプル)を0.1μL加えた。10mg/mLシナピン酸溶液に固相担体を混合したもの(50mg/mL)を0.5μL添加し、室温にて自然乾燥(25±2℃、40〜60%)させた。
【0032】
(4)結果と考察
上記実験方法に従って、2.5%SDS存在下で調製した種々のサンプルについて測定した結果を図1に示した。図1Aは、ミオグロビン及びチトクロームCを直接シナピン酸溶液で共結晶化したものであり、これらの分析対象物のイオンは観測されなかった。図1Bは、サンプルにシリカゲルを添加して共結晶化したところ、チトクロームCがわずかに観測された。図1Cはサンプルに陽イオン交換体Partisil(登録商標)10 SCXを添加して共結晶化したものであるが、チトクロームCのイオン強度が増加していることが分かる。さらに、図1Dでは、陰イオン交換体ワコーゲル(Wakogel、登録商標)LC-SAX-10Hを加えて共結晶化したところ、チトクロームCのイオンがさらに強度を上げ、かつ今まで全く観測できなかったミオグロビンもS/N比良く観測できた。
【0033】
次に、SDS濃度について調べるために、5%SDS存在下、陰イオン交換体ワコーゲル(Wakogel、登録商標)LC-SAX-10Hを加えて共結晶化したサンプルを測定したところ、図2Aに示したように目的タンパク質のイオンを観測できなかった。そこで、サンプルを水で二倍希釈した後に実験を行ったところ図2Bに示したようにきれいなイオンが観測できた。
【0034】
これらの結果は、SDSのような不純物が混じっていても、クロマトグラフ媒体(多孔性微粒子)の存在下で、良好なタンパク質のイオン化が得られることを示しており、これまでMALDI−MS測定においてはできるだけ不純物(無機塩、界面活性剤、その他のゴミ)を除き、きれいなマトリックス共結晶をつくらなければならないという考え方とは異なったアプローチが可能であることを示している。特に、10μmの破砕状シリカゲルを用いても表面が4級アンモニウム基で修飾(官能基化)されたものだけが高濃度のSDS存在下でも目的タンパク質のイオンをS/N比良く観測できたことに着目し、塩基性官能基の種類について、4級アンモニウム基と弱陰イオン交換基であるジエチルアミノエチル(DEAE)基をそれぞれトヨパール(TOYOPEARL) SuperQ-650Sと、トヨパール(TOYOPEARL) DEAE-650Sとを用いて比較した。
【0035】
その結果を図3に示した。図3Aは、1%SDS存在下に、イオン交換基として4級アンモニウム(Q)基を用いた場合であり、チトクロームCとミオグロビンの一価のイオンがはっきりと検出できる。これに対し、同じく1%SDS存在下、ジエチルアミノエチル(DEAE)基を用いた場合には図3Bのような結果であった。この結果、4級アンモニウム基の方が、より高濃度のSDS存在下でも目的タンパク質のイオン化が達成できることが分かった。このことは、用いたイオン交換体の表面に、より多くのマトリックス分子や不純物であるSDSを吸着した方が目的タンパク質のイオン化を促進することを意味している。また実際にRouseらの研究グループの方法にそってイオン交換体をスパーテルで除去するとイオンが全く観測されなかった。すなわちイオン交換体表面にはマトリックス共結晶被膜が形成されていることを強く支持するものである。
【0036】
次に陰イオン交換体表面にマトリックス共結晶の被膜が形成されているとするならばより小さい粒子を用いれば表面積が大きくなり、その効果が上がるのではないかと考え5μm(Nucleosil(登録商標)100-SB5)及び10μmの球状粒子(Nucleosil(登録商標)100-SB10)を用いた実験を行なった(5μmの破砕状粒子は市販されていない)。
【0037】
その結果を図4に示した。双方ともに10μm破砕状粒子であるワコーゲル(Wakogel、登録商標)LC-SAX-10Hより劣る結果となった。これより粒子径が小さくなって表面積が増えてもそれほど効果がなく、むしろ破砕状のような凹凸の激しい形状が有効という結論になる。すなわち塩基性表面のみならず、粒子の形状も大きくイオン化に寄与することがわかった。凹凸の多い表面においては分子ふるい効果により、低分子量の無機塩や界面活性剤は結晶化の過程で粒子内部の方に取り込まれる。これによって表面の結晶被膜内のSDS濃度が相対的に下がり、この結果照射エネルギーがより目的物質のイオン化を促進する方向に利用されたと考察した。このことはSDSのみをイオン化した際に破砕状陰イオン交換体を入れたほうに明らかなSDSのクラスターイオンの減少が認められたことにより支持された。
【0038】
以上まとめると強陰イオン交換基がもたらす塩基性環境と破砕状粒子の表面積の増大および分子ふるい効果が二大要因となってSDSによるイオンサプレッションが大きく抑止されたと考えられる。言い換えれば塩基性表面積が大きくなることは酸性物質であるシナピン酸マトリックスとの親和性が高いということであり、目的物質との共結晶が広くシリカゲル粒子に分布することを意味し、照射レーザーのエネルギー吸収が高効率で進むことである。そして破砕状粒子に由来する分子ふるい効果で界面活性剤などの低分子夾雑物は粒子内部に収容されることで目的物質のイオン化を促進できると考えられる。
【図面の簡単な説明】
【0039】
【図1】2.5%SDS存在下におけるMALDI−MSスペクトルへの10μm破砕状シリカゲルの添加効果を示す。Aはシリカゲル無添加、Bはシリカゲル添加、Cは陽イオン交換基の結合したシリカゲル添加、及びDは陰イオン交換基の結合したシリカゲルを添加した結果である。なお、記号☆はチトクロームCを、記号●はミオグロビンを示す。
【図2】5%SDS存在下におけるMALDI−MSスペクトル(A)への水希釈効果(B)を示したものである。なお、記号☆はチトクロームCを、記号●はミオグロビンを示す。
【図3】1%SDS存在下におけるMALDI−MSスペクトルへのイオン交換基Q(A)とDEAE(B)の効果の差を示す。なお、記号☆はチトクロームCを、記号●はミオグロビンを示す。
【図4】2.5%SDS存在下における球状粒子(Aは平均粒子径5μm、Bは平均粒子径10μm)の添加効果を示す。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
分析対象物と、マトリックス分子とを、多孔性微粒子の存在下で共結晶化することを特徴とするマトリックス支援レーザー脱離イオン化質量分析(MALDI−MS)用のサンプル調製方法。
【請求項2】
前記共結晶化は、ターゲットプレート上にて、分析対象物と、マトリックス分子と、多孔性微粒子とを接触させ、次いで該混合物を乾燥することを特徴とする請求項1に記載の方法。
【請求項3】
前記多孔性微粒子が、大きくとも50μmの平均粒子径を有するイオン交換体である請求項1又は2に記載の方法。
【請求項4】
前記イオン交換体が、強塩基性陰イオン交換体である請求項3に記載の方法。
【請求項5】
前記強塩基性陰イオン交換体が、4級アンモニウム基で修飾された破砕状のシリカゲル又は4級アンモニウム基で修飾されたビニルポリマーからなる請求項4に記載の方法。
【請求項6】
前記サンプルが、分析対象物、マトリックス材料、1以上の塩又は界面活性剤を含んでなる請求項1〜5のいずれか一項に記載の方法。
【請求項7】
前記塩又は界面活性剤が、ドデシル硫酸ナトリウム(SDS)、デオキシコール酸ナトリウム、CHAPS、オクチル−β―D−グルコピラノシド(OG)、及び分子量1000以下のポリオキシエチレン界面活性剤を含む請求項6に記載の方法。
【請求項8】
前記分析対象物が生体高分子物質を含む請求項1〜7のいずれか一項に記載の方法。
【請求項9】
前記生体高分子物質が、タンパク質及び分子量1000以上のペプチドから選択されるものである請求項8に記載の方法。
【請求項10】
マトリックス分子と、多孔性微粒子とを含むことを特徴とするマトリックス支援レーザー脱離イオン化質量分析(MALDI−MS)法による測定のためのサンプル調製用試薬組成物。
【請求項11】
前記多孔性微粒子が、大きくとも50μmの平均粒子径を有するイオン交換体である請求項10に記載の試薬組成物。
【請求項12】
前記イオン交換体が、強塩基性陰イオン交換体である請求項11に記載の試薬組成物。
【請求項13】
前記強塩基性陰イオン交換体が、4級アンモニウム基で修飾された破砕状のシリカゲル又は4級アンモニウム基で修飾されたビニルポリマーからなる請求項12に記載の試薬組成物。
【請求項14】
前記多孔性微粒子が、マトリックス溶液に懸濁した状態にある請求項10〜13のいずれか一項に記載の試薬組成物。
【請求項15】
前記マトリックス分子と、前記多孔性微粒子とが、それぞれ別の容器に分注されている請求項10〜13のいずれか一項に記載の試薬組成物。
【請求項16】
界面活性剤を含む生体高分子物質を分析対象物とする質量分析方法において、請求項1〜9のいずれか一項に記載の方法によりサンプルを調製し、該サンプルを用いてマトリックス支援レーザー脱離イオン化質量分析(MALDI−MS)を行うことを特徴とする質量分析方法。
【請求項17】
前記界面活性剤がSDSを含む請求項16に記載の質量分析方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【公開番号】特開2006−189391(P2006−189391A)
【公開日】平成18年7月20日(2006.7.20)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2005−2954(P2005−2954)
【出願日】平成17年1月7日(2005.1.7)
【国等の委託研究の成果に係る記載事項】(出願人による申告)国等の委託研究の成果に係る特許出願(平成16年度、文部科学省、タンパク3000委託研究「タンパク質基本構造の網羅的解析プログラム」、産業活力再生特別措置法第30条の適用を受けるもの)
【出願人】(503359821)独立行政法人理化学研究所 (1,056)
【Fターム(参考)】