説明

アルツハイマー型記憶障害の予防・改善剤

【課題】
神経回路網の破綻により、記憶・認知に障害を呈するアルツハイマー病において、既に神経回路網の障害が進行している状態からでも、神経機能を正常に近づけることのできる漢方処方を提供する。
【解決手段】
帰脾湯に代表されるオウギ(黄耆)、ニンジン(人参)、ビャクジュツ(白朮)、ブクリョウ(茯苓)、オンジ(遠志)、タイソウ(大棗)、トウキ(当帰)、カンゾウ(甘草)、ショウキョウ(生姜)、モッコウ(木香)、サンソウニン(酸棗仁)、リュウガンニク(龍眼肉)の混合物は、培養神経細胞において、神経細胞の神経突起を正常状態に戻し、記憶障害改善作用を示すことから、アルツハイマー型記憶障害の予防・改善剤として有用である。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、脳内の神経回路網の破綻に起因する認識機能不全、特にアルツハイマー型記憶障害の予防・改善に有効な漢方処方に関するものである。
【背景技術】
【0002】
日本は、急速に高齢化社会を迎えている。老化にともなう物忘は健忘症と称されるが、健忘症は、加齢に伴う生理的な変化であり病気ではない。一方、認知症と称される痴呆症は、一度獲得した知的能力が脳の後天的な変化により著しく低下した状態を呈する脳の病気である。痴呆症の代表的なものとしてアルツハイマー病、脳血管性痴呆が知られているが、アルツハイマー病は、進行性であり、未だ有効な治療法がないため、深刻な問題となっている。
病因が不明であり、種々の薬物による治療が試みられている。
【0003】
臨床で抗痴呆薬として用いられているドネペジルのようなコリンエステラーゼ阻害薬は、疾患の進行を遅らせるものの疾患を治療するには至らず、且つ中程度を超えた痴呆患者には有効性が現れにくい。また神経栄養因子様作用物質に分類される薬物も抗痴呆薬候補として研究されているが、いずれも神経保護作用が主であり、神経変成環境下における神経突起伸展作用とシナプス形成作用は明確に示されていない。
【0004】
一方、漢方を基礎とする抗痴呆薬として、例えば、丹参、川きゅう、芍薬、紅花、木香、香附子を原料とした「冠元顆粒」(特許文献1)、芍薬、蒼朮、沢瀉、茯苓、川きゅう、当帰を原料とした「当帰芍薬散」(特許文献2)が知られており、また、人参(分量1)、遠志(分量2)、菖蒲(分量1)、白茯苓(分量3)からなる「定志円」が物忘れを治すことが、漢方処方の古典「丹渓心法」「備急千金要方」に記載されている。また、人参(分量1)、遠志(分量2)、菖蒲(分量25)、白茯苓(分量50)からなるDX-9386が動物実験において記憶障害を改善することが報告されている(非特許文献1)。また、人参、朮、茯苓、黄耆、当帰、遠志、柴胡、山梔子、甘草、木香、大棗、生姜、酸棗仁、龍眼肉からなる加味帰脾湯は、虚血性脳疾患を改善することが報告されている(特許文献3)。加味帰脾湯には他にも、ドネペジルとの併用療法によりアルツハイマー病患者の自発性障害と感情障害を改善する作用があることが示されている(非特許文献2)。また、加味帰脾湯から柴胡と山梔子を抜いた処方である帰脾湯は、老年期痴呆症患者に対して認知機能改善効果を示すことが報告されている(非特許文献3)。
一方、本発明者は、人参、黄耆、遠志が神経障害後から軸索および樹状突起の再形成、シナプスの再形成作用を有することを見出してきた。(非特許文献4)
【0005】
【特許文献1】特公平7-37392
【特許文献2】特許2629251
【特許文献3】特公平5-139982
【非特許文献1】Biol. Pharm. Bull., 17(11), 1472-1476 (1994)
【非特許文献2】日本東洋医学雑誌 52(6), 170 (2002)
【非特許文献3】日本老年医学会雑誌 41, 129 (2004)
【非特許文献4】Jpn. J. Pharmacol. 90, 254-262 (2002)
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
アルツハイマー病は、神経回路網の破綻により、記憶・認知に障害を呈する症候を指す。これら有効な治療法の無い疾患に対し、既に神経回路網の障害が進行している状態からでも、神経機能を正常に近づけることのできる治療が、真に求められている。しかも患者の立場を考えると、手術を要する神経細胞移植や遺伝子治療よりは、負担の少ない投薬による治療法がより望ましい。そこで、神経細胞が障害を受けている時、あるいは受けた後からでも神経回路網を再生する薬物の開発が必要である。
本発明は、神経回路網を再生する薬物を、すでに広く使用され安全性が十分に確認されている漢方薬から見出すことを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0007】
本発明者らは、神経回路網の破綻の細胞モデルとして、ラット大脳皮質神経の初代培養細胞に、アルツハイマー病の原因物質であるアミロイドベータの活性部分配列(Aβ(25-35))を処置し、軸索と樹状突起の萎縮、シナプス数の減少を呈する状態を作製した。この状態の神経細胞に処置することで、神経細胞の神経突起とシナプスを正常状態に戻すことのできる薬物を探索することができる。
探索方法は、例えば、試験薬物として、生薬を様々な配合比で合わせ、水で煎じ液エキスを作成し、それを上記の細胞モデルで試験する。この方法で、試験方剤エキスが神経突起伸展作用を有するかどうかを検討することができる。
さらに、本発明者らは、神経回路網の破綻の動物モデルとして、マウスの側脳室内にAβ(25-35)を単回投与し、1週間後から現れ始める空間記憶障害と、脳内の軸索と樹状突起の萎縮、シナプス数の減少を呈する状態を作製した。
【0008】
上記、アッセイ系で、種々の漢方処方を検討した結果、健忘症に対して使用されている帰脾湯と称される漢方処方は、細胞モデルで、神経突起伸展作用が認められ、さらに動物モデルにおいても優れた効果が認められたことから、本発明を完成するに至った。以下、本発明を詳細に説明する。
【0009】
本発明は、生薬としてオウギ(黄耆)、ニンジン(人参)、ビャクジュツ(白朮)、ブクリョウ(茯苓)、オンジ(遠志)、タイソウ(大棗)、トウキ(当帰)、カンゾウ(甘草)、ショウキョウ(生姜)、モッコウ(木香)、サンソウニン(酸棗仁)およびリュウガンニク(龍+眼肉)の混合物、その抽出物(エキス)および各生薬のエキスの混合物からなるアルツハイマー型記憶障害の予防・改善剤である。
より具体的には、黄耆1〜3重量部、人参1〜3重量部、白朮1〜3重量部、茯苓1〜3重量部、遠志1〜3重量部、大棗1〜3重量部、当帰1〜3重量部、甘草1〜3重量部、生姜1〜3重量部、木香1〜3重量部、酸棗仁1〜3重量部、龍眼肉1〜3重量部の生薬の混合物、そのエキスおよび各生薬エキスの混合物からなるアルツハイマー型記憶障害の予防・改善剤である。さらに具体的には、帰脾湯と称される漢方処方である。
【0010】
本発明において使用される生薬は以下のものである。
黄耆(オウギ)は、マメ科の多年草(Astragalus membranaceus BungeまたはAstragalus mongholicus Bunge)の根である。
人参(ニンジン)は、ウコギ科の多年草オタネニンジン(Panax ginseng C.A. Meyer)の根である。畑で収穫され、取れたばかりの人参は水参と呼ばれており、4〜6年根の水参を原料として、ほとんどは皮を剥ぎ、自然乾燥または60℃以下で熱風乾燥させて水分を15%以下としたものが白参、水参に蒸気を当てて蒸したものを乾燥したものが紅参と呼ばれている。
白朮(ビャクジュツ)は、キク科のオオバナオケラ(Atractylodes ovata DC.)の根茎である。
茯苓(ブクリョウ)は、サルノコシカケ科茯苓菌(Poria cocos(Schw.) Wolf.)(マツホド)の菌核である。菌核の内部が淡赤色ものが赤茯苓である。
遠志は(オンジ)、ヒメハギ科のイトヒメハギ(Polygala tenuifolia Willd.)の根である。
大棗(タイソウ)は、クロウメモドキ科のナツメ(Zizyphus jujube Mill. var. inermis (Bunge) Rehd.)またはその品種の果実である。
当帰は、セリ科のトウキ(Angelica acutiloba Kitagawa)、およびカラトウキ(Angelica sinensis (Oliv.) Diels)の根である。
甘草は、マメ科のナンキンカンゾウ(Glycyrrhiza glabra L. var. glandulifera Reg. et Herd.)およびウラルカンゾウ(Glycyrrhiza uralensis Fisch. ex DC.)の根およびストロンである。
生姜は、ショウガ科のショウガ(Zingiber officinale Roscoe)の根茎である。
木香(モッコウ)は、キク科の広木香(Saussurea lappa Clarke)の根である。
酸棗仁(サンソウニン)は、クロウメモドキ科のサネブトナツメ(Zizyphus jujube Mill. var. inermis (Bunge) Rehd.)の種子である。
龍眼肉(リュウガンニク)は、ムクロジ科のリュウガン(Euphoria longana Lam.)の仮種皮である。
【0011】
本発明は、上記12種類の生薬の混合物、その抽出物(エキス)または12種類の生薬個々のエキスの混合物である。
混合物の配合は、黄耆1〜3重量部、人参1〜3重量部、白朮1〜3重量部、茯苓1〜3重量部、遠志1〜3重量部、大棗1〜3重量部、当帰1〜3重量部、甘草1〜3重量部、生姜1〜3重量部、木香1〜3重量部、酸棗仁1〜3重量部、龍眼肉1〜3重量部である。
好ましくは、黄耆2〜3重量部、人参2〜3重量部、白朮2〜3重量部、茯苓2〜3重量部、遠志1〜2重量部、大棗1〜2重量部、当帰2重量部、甘草1重量部、生姜1〜1.5重量部、酸棗仁2〜3重量部、木香1重量部、龍眼肉2〜3重量部である。
12種類の生薬を混合した抽出物(エキス)は、通常、混合物の10〜30倍量の水で熱時抽出(煎じ)し、乾燥して得られるものである。
乾燥方法は、凍結乾燥、温風乾燥など、通常の乾燥法を使用すればよい。
本発明の好ましい例として、黄耆3重量部、人參3重量部、白朮3重量部、茯苓3重量部、遠志2重量部、大棗2重量部、当帰2重量部、甘草1重量部、生姜1.5重量部、木香1重量部、酸棗仁3重量部、竜眼肉3重量部を混合し、20〜25倍量の水で混合物を1〜1.5時間煎じた後、煎じ液から不溶物をろ別し、ろ液を凍結乾燥して得られる粉末(以下、帰脾湯エキスと称する)が挙げられる。
【0012】
本発明の生薬混合物のエキスを医薬品とする場合、賦形剤、補助剤、添加剤などと組み合わせ、各種の医薬製剤、例えば、液剤、懸濁剤、シロップ剤、エリキシル剤、エキス剤、散剤、顆粒剤、細粒剤、錠剤、カプセル剤などにすればよい。
また、医薬品として投与する場合、投与方法、投与量および投与回数は、患者の年齢、体重および症状によって適宜選択できるが、経口投与の場合、エキスとして1〜1000mg/kg、好ましくは20〜100mg/kgであればよい。
【発明の効果】
【0013】
帰脾湯エキスは、アミロイドベータの活性部分配列(Aβ(25-35))に誘発される軸索および樹状突起の萎縮に対し、顕著な改善作用を有する。
また、帰脾湯エキスは、Aβ(25-35)のマウス脳室内投与より誘発される空間記憶障害を、正常レベルにまで回復させた。
これらのことから、帰脾湯エキスに代表される本発明の生薬の混合物は、既存の薬物には無い新規の作用様式を有し、アルツハイマー型記憶障害を予防および/または改善する薬物としてアルツハイマー型痴呆の治療に有用である。
次に実施例、試験例で本発明を説明するが、本発明はこれらに限定されない。
【実施例】
【0014】
実施例1
黄耆3g、人参3g、白朮3g、茯苓3g、遠志2g、大棗2g、当帰2g、甘草1g、生姜1.5g、木香1g、酸棗仁3g、龍眼肉3gを混合し、水600mLを加え、1時間煎じた。煎じ液を凍結乾燥し、粉末状の帰脾湯エキスを得た。
【0015】
試験例1
[神経突起再伸展作用]
(方法)胎生18日齢のSDラットの大脳皮質神経細胞を分散培養した。10μMAβ(25-35)を神経細胞に処置し障害を与えた。障害誘発後の神経細胞に対して帰脾湯エキスを処置した後、リン酸化型NF-H(軸索マーカー)、MAP2(樹状突起マーカー)に対する抗体を用いた免疫染色を行い、細胞当たりの軸索、樹状突起の長さを測定した。
【0016】
(結果)ラット大脳皮質神経細胞の培養開始3日後に、10μMAβ(25-35)を処置した。4日後、軸索と樹状突起の著しい萎縮が認められた。ここに、帰脾湯エキスを100μg/mlで処置した、その5日後には軸索、樹状突起のいずれもが溶媒処置群に比べて有意に伸展した。
【0017】
試験例2
[空間記憶障害改善作用]
(方法)7週齢のddYマウス(雄)の右側脳室に、25 nmol Aβ(25-35)を投与した。10日後から1日1回薬物を経口投与し14日間続けた。薬物投与を始めた7日後から、モーリス水迷路にて空間記憶の獲得試験を5日間行った。獲得試験の最終日で薬物投与を中止し、その3日後に水迷路にて空間記憶の保持試験を行った。
【0018】
(結果)25 nmolAβ(25-35)の脳室内投与により、マウスの記憶獲得能力と記憶保持能力が有意に低下した。薬物を投与し始める、Aβ(25-35)投与の7日後には既に、記憶障害が始まり、軸索、樹状突起、シナプス密度の減少が大脳皮質と海馬で顕著に認められ、この状態は少なくとも30日後まで継続することを確認している。
帰脾湯エキスを水に溶解し、100mg/kgあるいは1000mg/kgで連続経口投与した。いずれの投与量においても、帰脾湯エキス投与により記憶獲得能力が有意に回復した。記憶保持試験においてもいずれの投与量においても帰脾湯エキスによる有意な記憶保持能力の回復が認められた。いずれの試験においても、100mg/kg投与量の方がより作用が強く、対照群を凌ぐ記憶障害改善効果を示した。
【産業上の利用可能性】
【0019】
帰脾湯に代表されれる本発明の生薬混合物は、神経回路網形成作用および空間記憶障害改善作用を示し、脳内の神経回路網の破綻に起因する認識機能不全の症状を示すアルツハイマー型痴呆を治療するための漢方処方として有用である。
【図面の簡単な説明】
【0020】
【図1】帰脾湯エキスの樹状突起伸展作用および軸索伸展作用を神経成長因子(NGF)と比較した図である。
【図2】帰脾湯エキスの記憶障害改善作用(記憶獲得試験)を示した図である。
【図3】帰脾湯エキスの記憶障害改善作用(記憶保持試験)を示した図である。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
オウギ(黄耆)、ニンジン(人参)、ビャクジュツ(白朮)、ブクリョウ(茯苓)、オンジ(遠志)、タイソウ(大棗)、トウキ(当帰)、カンゾウ(甘草)、ショウキョウ(生姜)、モッコウ(木香)、サンソウニン(酸棗仁)、リュウガンニク(龍眼肉)の混合物からなるアルツハイマー型記憶障害の予防・改善剤。
【請求項2】
混合物が黄耆1〜3重量部、人参1〜3重量部、白朮1〜3重量部、茯苓1〜3重量部、遠志1〜3重量部、大棗1〜3重量部、当帰1〜3重量部、甘草1〜3重量部、生姜1〜3重量部、木香1〜3重量部、酸棗仁1〜3重量部、龍眼肉1〜3重量部である請求項1に記載のアルツハイマー型記憶障害の予防・改善剤。
【請求項3】
混合物が帰脾湯である請求項1または2に記載のアルツハイマー型記憶障害の予防・改善剤。


【図1】
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【図2】
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【図3】
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【公開番号】特開2007−230938(P2007−230938A)
【公開日】平成19年9月13日(2007.9.13)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2006−55982(P2006−55982)
【出願日】平成18年3月2日(2006.3.2)
【新規性喪失の例外の表示】特許法第30条第1項適用申請有り 日本薬学会第126回年会Webページ掲載の発表要旨 掲載日:平成18年2月1日
【出願人】(305060567)国立大学法人富山大学 (194)
【Fターム(参考)】