説明

テラヘルツ時間領域分光法による標準偏差付き光学定数測定装置

【課題】1回の試料の測定からでも、位相差並びに屈折率(実部)等の標準偏差スペクトルを見積もることができる方法を提供する。
【解決手段】試料を挿入せずに測定するリファレンスの波形と、試料を挿入して測定するサンプルの波形の測定データを時間的に近い順序で測定し、リファレンスの波形について、最大パルス近似位置と最大パルス平均位置の差(最大パルス位置時間差と呼ぶ)を求め、リファレンスの位相スペクトルにおいて、この最大パルス位置時間差に起因して生じる位相のずれを、次式により補正する。


ここで、φ(ω)は補正した位相スペクトル、φm(ω)は測定された位相スペクトル、δtは最大パルス位置時間差、ωは2π×テラヘルツ周波数である。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、テラヘルツ波パルス波形を測定することにより試料の分光測定を行う装置(テラヘルツ時間領域分光装置と呼ぶ)に関する。
【背景技術】
【0002】
テラヘルツ時間領域分光装置は、超短パルスレーザ光源の超短パルス光をビームスプリッタにより2つに分割し、一方の超短パルス光(ポンプパルス光と呼ぶ)をテラヘルツ放射源に入射してテラヘルツ波パルスを発生し、物体を透過または物体により反射したテラヘルツ波パルスを、他方の超短パルス光(プローブパルス光と呼ぶ)と合わせてテラヘルツ検出器に入射することによりテラヘルツ波を検出する。2つに分割した超短パルス光のどちらか一方の超短パルス光を光学遅延路等の方法により伝搬距離を変化させることにより、テラヘルツ波パルスとプローブパルス光がテラヘルツ検出器に到達する時間を変化させて、テラヘルツ波パルスを検出することにより、テラヘルツ波パルス電界の時間波形を測定する。得られたテラヘルツ波パルス電界の時間波形をフーリエ変換して、強度及び位相スペクトルを得る。試料を挿入せずに測定したリファレンスの波形と試料を挿入して測定したサンプルの波形から求めた強度及び位相スペクトルより、透過率及び位相差のスペクトルを求め、それらから解析により試料の屈折率、誘電率等の光学定数のスペクトルを導出する。
【0003】
テラヘルツ時間領域分光装置の測定データの標準偏差の導出については、これまでテラヘルツ波パルス波形をフーリエ変換して得られる強度スペクトルを複数以上用いて、統計的な計算によりその標準偏差が求められているだけである。
【0004】
テラヘルツ時間領域分光装置で測定される光学定数等の標準偏差の実用的な導出については、複数以上のリファレンスの強度スペクトルから統計的に計算される標準偏差に基づいて、強度スペクトル並びに屈折率(虚部)及び吸収係数等のスペクトルの標準偏差を求める方法が提案されている(特願2009−219666)。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0005】
【非特許文献1】D. Grischkowsky, S. Keiding, M. van Exter, and Ch.Fattinger: “Far-infrared time domain spectroscopywith terahertz beams of dielectrics and semiconductors,” J. Opt. Soc. Am. B, Vol. 7, No. 10, pp. 2006-2015(1990).
【0006】
【非特許文献2】M. Naftaly and R. Dudley: “Methodologies for determining the dynamic range andsignal-to-noise ratios of terahertz time-domain spectrometers,” Opt. Lett. Vol. 34, No. 8, pp. 1213-1215 (2009).
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
テラヘルツ時間領域分光装置による測定は、一定の時間を要するため、多数回の測定を実施して測定値の標準偏差を求めることが容易でないため、測定されたデータの標準偏差(ランダム誤差)の導出がされず、測定結果のみが提示されるだけで、光学定数等のスペクトルの標準偏差を導出し、表示、保存を行う機能を持つ、実用的なテラヘルツ時間領域分光装置がなかった。
【0008】
テラヘルツ時間領域分光装置で測定された光学定数等の標準偏差の実用的な導出方法については、複数以上のリファレンスの強度スペクトルから統計的に計算される標準偏差に基づいて、強度及び透過率のスペクトル並びに屈折率(虚部)及び吸収係数等のスペクトルの標準偏差を求める方法が提案されているが、リファレンスの位相スペクトルの標準偏差に基づいて、位相スペクトル並びに屈折率(実部)等のスペクトルの標準偏差を導出する方法はこれまで存在しない。
【0009】
本発明は、このような問題を解決しようとするものであり、テラヘルツ時間領域分光装置で測定されるテラヘルツ波パルス電界の位相スペクトルの標準偏差を、1回の試料の測定からでも見積もることを可能にする方法を提供し、これを用いて試料の屈折率(実部)等の光学定数のスペクトルの標準偏差を導出する方法を提案する。
【0010】
更に、強度スペクトルの標準偏差に基づいて、屈折率(虚部)及び吸収係数等の光学定数のスペクトルの標準偏差を導出する実用的な方法(特願2009−219666)に、位相スペクトルの標準偏差に基づいて、屈折率(実部)等のスペクトルの標準偏差を導出する本発明の方法を加えて、様々な光学定数等の標準偏差のスペクトルを計算し、表示、保存する機能を持つ、テラヘルツ時間領域分光装置を提案する。
【課題を解決するための手段】
【0011】
テラヘルツ時間領域分光装置を用いる試料の測定において、テラヘルツ電界のパルス波形が測定時間とともに変動するため、テラヘルツ試料を挿入せずに測定したリファレンス(Rと表記)の波形と試料を挿入して測定したサンプル(Sと表記)の波形を、
R,S,R,S,R,S,・・・またはR,S,S,R,R,S,S,R,R,・・・
のように、リファレンスとサンプルの波形の測定データの取得を時間的に近い順序で行い、時間的に近いリファレンスとサンプルの波形をフーリエ変換して得られた強度及び位相のスペクトルを一対にして、透過率スペクトルと位相差スペクトルを求める。この際、リファレンス及びサンプルの波形は同じ条件で測定を行うが、試料は次々に取り換えて様々なものを測定して良いとする。
測定された複数以上のリファレンスのパルス波形について、それぞれ最大の振幅値または最大の振幅値の周りの波形から導出したパルス中心の時間軸上の位置(最大パルス位置と呼ぶ)を求め、最大パルス位置の平均値(最大パルス平均位置と呼ぶ;図1のa)を求めるとともに、各々のリファレンスの波形の最大パルス位置を、それぞれ測定した時刻の関数として低次の多項式関数で近似し、この近似関数(図1のb)を用いて、それぞれの測定時刻での最大パルス位置を計算し(これを最大パルス近似位置と呼ぶ)、各々のリファレンスの波形について、最大パルス近似位置と最大パルス平均位置の差(最大パルス位置時間差と呼ぶ)を求め、各々のリファレンスの位相スペクトルにおける、この最大パルス位置時間差に起因して生じる位相のずれを、次式により補正を行う。
【数1】

ここで、φ(ω)は補正された位相スペクトル、φm(ω)は測定された位相スペクトル、δtは最大パルス位置時間差、ωは2π×テラヘルツ周波数である。
【0012】
位相の補正を行った複数以上のリファレンスの位相スペクトルを用い、位相の平均値及び標準偏差のスペクトルを統計的方法で求める(図2(a)及び(b))。図2から、テラヘルツ時間領域分光装置で測定された位相スペクトルとその標準偏差スペクトルには正の良い相関があることが分かるので、位相とその標準偏差との関係を式(2)のモデルで表わす。
【数2】

ここで、φ(ω)は位相スペクトル、σφ(ω)はその標準偏差スペクトル、ωは2π×テラヘルツ周波数、Cφは定数である。
【0013】
リファレンスの位相の平均値及び標準偏差より、式(2)を用いてCφを求める。試料を用いて測定した複数以上のサンプルの位相についても、リファレンスと同様に位相の補正を行った後、その平均値及び標準偏差のスペクトルを統計的方法で求め、式(2)を用いてCφを求めると、測定限界内の周波数領域ではリファレンスとサンプルでCφの値が良く一致することが分かった(図3)。従って、リファレンスの位相の平均値および標準偏差のスペクトルからCφの値を求め、測定限界内の周波数領域でCφの値を平均することにより、リファレンスとサンプルの両方に共通な定数Cφを導出することが可能である。
【0014】
このようにして導出したCφの定数値と、位相スペクトルを用いることにより、(2)式より、位相の標準偏差スペクトルを求めることができる。しかも、リファレンスまたはサンプルのどちらかの複数以上の位相スペクトルからCφが得られていれば、(2)式よりリファレンスまたはサンプルの1個の位相スペクトルに対しても、それぞれ標準偏差を求めることが可能である。
【0015】
統計的方法で誤差伝搬を計算することにより、サンプルとリファレンスの間の位相差の標準偏差を求めることができる。このために(3)式を用いる。
【数3】

ここで、σφ,R, σφ,Sはリファレンスとサンプルの位相の標準偏差及びσΔφは位相差の標準偏差である。
リファレンス及びサンプルの位相スペクトルの平均値より、(2)式と定数Cφを用いて、リファレンスとサンプルそれぞれの標準偏差を求め、(3)式により位相差の標準偏差を計算して、リファレンス−サンプルの波形の対のデータより位相差スペクトルを求めて統計的方法で計算した標準偏差と比較すると、両者が良く一致し、本発明の(2)式のモデルによる位相の標準偏差の導出方法が有効であることが分かった。
【0016】
透過率及び位相差のスペクトルより、屈折率nC = n + ik(nは実部、kは虚部)のスペクトルが計算により求められるが、屈折率(実部)は位相差に比例する依存性を持っているため、屈折率(実部)の標準偏差は主に位相差の標準偏差から(4)式を用いて統計的方法で誤差伝搬を計算することにより求められる。
【数4】

ここでσnは屈折率の実部の標準偏差、σΔφは位相差の標準偏差、cは光速、dは試料の厚みである。
(2)式のモデルに基づき、統計的な誤差伝搬を用いて計算した屈折率(実部)の標準偏差と、リファレンス−サンプルの対データより多数の屈折率(実部)のスペクトルを求めて統計的方法で計算した標準偏差を比較すると良く一致しており(図4)、(2)式のモデルによる位相スペクトルの標準偏差の導出が有効であることが分かる。
【0017】
強度スペクトルの標準偏差に基づいて、屈折率(虚部)及び吸収係数等の光学定数のスペクトルの標準偏差を導出する実用的な方法(特願2009−219666)に加えて、位相スペクトルの標準偏差に基づいて、屈折率(実部)等の光学定数のスペクトルの標準偏差を導出する本発明の方法を用いて、様々な光学定数等のスペクトルの標準偏差を計算し、表示、蓄積する機能部を持つ、テラヘルツ時間領域分光装置を実現する。
【発明の効果】
【0018】
テラヘルツ時間領域分光装置を用いる測定において発生するリファレンス及びサンプルの波形の最大パルス位置の変動に起因する位相のずれの成分を補正して、測定されたリファレンス及びサンプルの位相スペクトルを校正することが可能となる。
【0019】
テラヘルツ時間領域分光装置を用いた試料の測定において、リファレンスの波形を同じ条件で複数回以上繰り返し測定すれば、様々な異なる試料について、1回のサンプルの波形の測定だけからも、その位相スペクトルの標準偏差を導出でき、近い時間に測定された1個のリファレンスの波形と対にして、位相差及び屈折率(実部)等の光学定数のスペクトルの標準偏差を評価できる。
【0020】
これにより、テラヘルツ時間領域分光装置が標準偏差付きの光学定数等のスペクトルを出力、表示、蓄積できるようになる。
【図面の簡単な説明】
【0021】
【図1】テラヘルツ時間領域分光装置で測定したテラヘルツ電界の時間波形の最大パルス位置と測定時刻との関係。白丸は最大パルス位置、aは最大パルス平均位置及びbは近似関数。
【0022】
【図2】(a)リファレンスの位相の平均値のスペクトルと(b)標準偏差のスペクトル。
【0023】
【図3】リファレンス及びサンプルのそれぞれの位相とそれらの標準偏差のスペクトルから、(2)式を用いて各周波数において求めたCφの値。挿入図は、リファレンス及びサンプルの強度スペクトルで、縦の点線は高周波数の測定限界を示す。
【0024】
【図4】(a)屈折率(実部)のスペクトル、及び(b)(2)式のモデルを用いて導出したリファレンスとサンプルの位相スペクトルから(3)式及び(4)式の誤差伝搬の式を用いて計算した屈折率(実部)の標準偏差スペクトルと、多数のリファレンス及びサンプルのデータ対から計算した屈折率(実部)より統計的方法で求めた標準偏差スペクトル。
【発明を実施するための形態】
【0025】
テラヘルツ時間領域分光装置において、標準偏差付き光学定数等のスペクトルデータを導出、処理するデータ解析部、データ表示部、データ蓄積部等を装備する。




【特許請求の範囲】
【請求項1】
テラヘルツ時間領域分光装置を用いる試料の測定において、試料を挿入せずに測定するテラヘルツ電界のパルス波形(リファレンスの波形と呼ぶ)と試料を挿入して測定するテラヘルツ電界のパルス波形(サンプルの波形と呼ぶ)の測定データの取得を時間的に近い順序で測定し、測定された複数以上のリファレンスのパルス波形について、それぞれ最大の振幅値または最大の振幅値の周りの波形から導出したパルス中心の時間軸上の位置(最大パルス位置と呼ぶ)を求め、最大パルス位置の平均値(最大パルス平均位置と呼ぶ)を求めるとともに、各々のリファレンスの波形の最大パルス位置を、それぞれ測定した時刻の関数として低次の多項式関数で近似し、この近似関数を用いて、それぞれの測定時刻での最大パルス位置を計算し(これを最大パルス近似位置と呼ぶ)、各々のリファレンスの波形について、最大パルス近似位置と最大パルス平均位置の差(最大パルス位置時間差と呼ぶ)を求め、各々のリファレンスの位相スペクトルにおいて、この最大パルス位置時間差に起因して生じる位相のずれを、次式により補正する方法。
【数1】

ここで、φ(ω)は補正した位相スペクトル、φm(ω)は測定された位相スペクトル、δtは最大パルス位置時間差、ωは2π×テラヘルツ周波数である。
【請求項2】
リファレンスの波形をフーリエ変換することにより得られる複数以上の位相スペクトルを用い、位相の平均値及び標準偏差のスペクトルを統計的方法で求め、位相とその標準偏差との関係を表す以下の式により、定数Cφを求める方法。
【数2】

ここで、φ(ω)は補正した位相スペクトル、σφ(ω)はその標準偏差スペクトル、Cφは定数である。
【請求項3】
上式において、複数以上のリファレンスの波形をフーリエ変換した位相の標準偏差のスペクトルから求めた定数Cφを用いて、単数または複数のリファレンス及びサンプルの波形をフーリエ変換して得られた位相スペクトルに対して、その標準偏差スペクトルを求める方法。
【請求項4】
上で求めたリファレンスまたはサンプルの位相の標準偏差のスペクトルを用いて、統計的な誤差伝搬の方法により、位相差の標準偏差スペクトルを求める方法並びにリファレンス及びサンプルの波形をフーリエ変換して得られた透過率及び位相差のスペクトルから求められた屈折率及び誘電率の実部等の光学定数のスペクトルの標準偏差を求める方法。
【請求項5】
強度スペクトルの標準偏差に基づいて導出する屈折率の虚部及び吸収係数等の光学定数のスペクトルの標準偏差を計算する実用的な方法(特願2009−219666)に加えて、位相スペクトルの標準偏差に基づいて導出する屈折率(実部)等の光学定数のスペクトルの標準偏差を計算する本発明の方法を用い、リファレンス及びサンプルの強度及び位相、透過率及び位相差、並びにそれらから導出される様々な光学定数のスペクトルについて、それらの標準偏差スペクトルを計算、表示、保存する機能部を付属したテラヘルツ時間領域分光装置。

【図1】
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【図2】
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【図4】
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【図3】
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【公開番号】特開2011−99700(P2011−99700A)
【公開日】平成23年5月19日(2011.5.19)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2009−252978(P2009−252978)
【出願日】平成21年11月4日(2009.11.4)
【出願人】(304023318)国立大学法人静岡大学 (416)
【Fターム(参考)】