説明

ポリマー被覆微粒子を用いる質量分析法

【課題】既存マトリクスを用いずに分析対象物質を効率よくイオン化することができる質量分析法、また既存マトリクスの結晶粒径よりも高い空間分解能で以て生細胞や組織などの試料に含まれる分析対象物質の解析を行うことができる質量分析方法を提供する。
【解決手段】レーザー光を試料に照射してイオン化を行うイオン源となる金属酸化物がポリマーで被覆された微粒子を用いる質量分析法。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、レーザー光を試料に照射してイオン化を行う際にイオン源となるポリマー被覆微粒子を用いる質量分析法に関する。
【背景技術】
【0002】
生化学、医療、ゲノム創薬などの分野においては、生体組織や細胞内のタンパク質などの構造解析を行いたいという要求が高い。こうした要求に応えるものとして、質量分析が挙げられる。質量分析装置は、試料に微小径のレーザーを照射し、その試料に分布する生体分子をイオン化し、発生したイオンの質量を分析するものである(非特許文献1)。
【0003】
こうした質量分析装置では分析を行うために試料を何らかの方法でイオン化する必要があるが、試料が生体試料であることを考えると、イオン化時の試料に与えるダメージを極力小さくすることが望ましい。また、分析対象のイオンが開裂しないような、いわゆるソフトなイオン化を行う必要がある。そうした点から、イオン化法としては、マトリクス支援レーザー脱離イオン化法(MALDI)や2次イオン質量分析法(SIMS)の利用が考えられるが、一般にSIMSでは高いS/Nが得られるもののイオン化可能な質量数がたかだか1000程度である。また、生体分子の構造を決定するタンデム質量分析(MSn)も困難である。以上より、プロテオミクスなど分子量が大きな生体試料を対象とする分析では利用しにくい。
【0004】
一方、MALDIは、レーザー光を吸収しにくい試料やタンパク質などレーザー光で損傷を受けやすい試料を分析するために、レーザー光を吸収し易くイオン化し易い物質をマトリクス(イオン化支援剤)として試料に予め混合しておき、これにレーザー光を照射することで試料をイオン化するものである。マトリクスの種類には、金属酸化物(コバルト系)とグリセリンを混合したものや、化学合成物質(以下、ケミカル)マトリクスなどがある。ケミカルマトリクスには、1,8-dihydroxy-9(10H)-anthracenone (Dithranol)、2-(4-hydroxy phenylazo) benzoic acid (HABA)、2,5-dihydroxybenzoic acid (DHBA)、α-cyano-4-hydroxycinnamic acid (CHCA)、sinapinic acid (SA)が挙げられ、解析したい物質(タンパク、ペプチド、合成高分子)により選択して使用する。MSnも容易であり、構造解析に適している手法である。しかしながら、MALDIを用いて質量分析を行う場合には次のような問題がある。
【0005】
一般に、マトリクスは液体状態で滴下或いは噴射されることで試料上に塗布され、試料上の分析対象物質を取り込む。そして、乾燥されると分析対象物質を含んだ結晶粒が形成される。このときのマトリクスの結晶粒のサイズは一般に50μm程度以上である。分析対象物質はこのマトリクスの結晶粒の間に分散しているため、イオン化のためのレーザー光の照射径を小さくしても、このマトリクスの結晶粒径よりも高い空間分解能を得ることはできない。例えば人間の細胞内のタンパク質の分布を調べたいような場合、細胞の大きさは小さいものでは10〜30μm程度であるため、数μm程度の空間分解能が得られないと十分な結果を得ることができない。これに対し、MALDIにおいてマトリクスの結晶粒を小さくしてゆくことも技術的には可能であるが、そうするとイオン化効率が極端に低下し、有効な質量分析を行うことができなくなる。
また、マトリクスはナトリウム、カリウムなどの塩成分が混在しているとイオン化効率が低下するという問題を有していた。
【0006】
細胞内などの生体内物質をin vivo状態に近いまま解析が行えれば、情報が多く得られ、手技の簡便化に繋がる。このためには細胞内にマトリクスを存在させ、かつ細胞に毒性
を与えないことが重要である。しかし、このような取り組み、手法の確立はなされていない。
さらに、MALDIは、上記マトリクスの結晶粒のサイズの問題とは別に、マトリクスがバックグランドノイズとなるため、検出信号のS/N比を高くするのが難しいという問題を有しており、これを解消するためにマトリクスを利用しないレーザー脱離イオン化法が提案されている。例えば、特許文献2には多孔質シリコン(ポーラスシリコン)を基板としたDIOS(Desorption/ionization on silicon)と呼ばれるイオン化法が開発されている。この方法は、基板表面のナノレベルの微細な凹凸構造がイオン化に寄与していると考えられている。さらに、同様の凹凸構造を利用したレーザー脱離イオン化法として、多孔質シリコンの代わりに、カーボンアモルファス、Si/Geドットプレートなどを利用する方法も提案されている(例えば非特許文献2〜4など参照)。しかし、上記のようなマトリクスを使用せずにナノレベルの凹凸構造を利用したレーザー脱離イオン化法は、もともとマトリクス分子由来の妨害がマススペクトルに現れることを回避するために考え出されたものであり、細胞をかかる基板上に貼り付けても細胞内物質まで検出することは困難であった。
【0007】
発明者らは、既に直径1.3〜3nmの超ナノサイズの磁気超ナノ微粒子を機能化し、生きた細胞、組織内に導入する技術を有している(特許文献1、非特許文献5)が、この微粒子をレーザー照射用イオン化支援剤として使用することは知られていなかった。また、金属酸化物系のマトリクスは、粒径を最適化することで細胞内に導入することは可能と考えられるが、グリセリン存在下でなければマトリクス効果は望めない。グリセリンのような液体状物質を細胞内に導入するのは困難である。故に細胞内物質同定のためには細胞を破壊しなくてはならず、生きた状態での細胞内物質特定は困難であり、金属酸化物系マトリクスでは、細胞表面にグリセリンと混合したものを塗布して、細胞表面の膜タンパクなどの解析しか望めない。また、グリセリンを付加して解析しようとした場合、細胞内物質が希釈されるため、微量物質の検出は実質困難になる。また、二種類の物質を用いるために実験操作が煩雑になる。次に、ケミカルマトリクスは細胞内に導入することも困難であるため上記金属酸化物系マトリクスと同じ効果しか望めない。これらのことから、in vivoの情報を詳しく得ることは困難であった。
【0008】
【特許文献1】特願 2006-64689
【特許文献2】米国特許第6288390号公報
【非特許文献1】内藤康秀、「生体試料を対象にした質量顕微鏡」、 J. Mass Spectrom. Soc. Jpn., Vol. 53, No. 3, 2005, pp.125-132.
【非特許文献2】荒川、ほか2名、「ソフトレーザー脱離イオン化質量分析法(LDI−MS)の最近の進歩」、J. Mass. Spectrom. Soc. Jpn.、Vol.52、No.1、2004, pp.33-38
【非特許文献3】森谷、ほか2名、「レーザー脱離イオン化におけるアモルファスカーボン基板の有用性」日本分析化学会第54年会(2005年)、研究発表番号:F2002
【非特許文献4】清野、ほか4名「ナノドット構造体をイオン化基板に利用した新規ソフトレーザー脱離イオン化−質量分析法の開発」第54回質量分析総合討論会(2006年)、ポスター番号:2P-P2-36
【非特許文献5】森竹、平ほか6名「Functionalized Nano Magnetic Particles for an in vivo Delivery System」Journal of Nanoscience and Nanotechnology誌(2007年) Vol.7
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0009】
本発明の目的とするところは、既存マトリクスを用いずに分析対象物質を高効率でイオ
ン化でき、また既存マトリクスの結晶粒径よりも高い空間分解能で以て生細胞や組織などの試料に含まれる分析対象物質の解析を行うことができる質量分析方法及びそれに使用できる材料を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0010】
本発明者らは、上記課題を解決するために鋭意検討した結果、金属酸化物からなるコアにポリマーが被覆された微粒子は微粒子コアが金属酸化物であることからレーザーエネルギーを吸収することで、周辺にある解析対象物質のイオン化を支援するマトリクスライクな性質を有していることを見出した。また、金属酸化物コアの周りをシリカ(SiO2)ネットワークで覆っている微粒子を用いた場合、表面に露出している水酸基を利用して生体内物質(ペプチド、タンパク、核酸)との親和性が向上することに着目し、細胞内へ導入したときグリセロールを必要とせずマトリクスとしての効果が持てることを見出した。
【0011】
また、極小の微粒子を用いた場合、既存マトリクス結晶粒のように空間分解能の制約が実質的になくなることを見出した。
さらにまた、微粒子自体はレーザー照射によりイオン化されることなく、分析対象物質のみをイオン化することを支援するため、バックグラウンドを上げることなく検出信号のS/N比を高くできることを見出し、本発明を完成させるに至った。
【0012】
すなわち、本発明によれば、以下の発明が提供される。
(1)(a)金属酸化物からなるコアにポリマーが被覆された微粒子と分析対象物質を近接させる工程、および
(b)レーザー照射を行うことにより前記微粒子の近傍の分析対象物質のイオン化を微粒子に支援させる工程、
を含むことを特徴とする質量分析法。
(2)(a)金属酸化物からなるコアにポリマーが被覆された微粒子が修飾されている試料プレートに分析対象物質を付着させる工程、
(b)レーザー照射を行うことにより前記微粒子の近傍の分析対象物質のイオン化を微粒子に支援させる工程、および
を含むことを特徴とする質量分析法。
(3)分析対象物質を含む試料を用いて工程(a)を行う、(1)または(2)に記載の質量分析法。
(4)(a)金属酸化物からなるコアにポリマーが被覆された微粒子を非ヒト検体に投与する工程、および
(b)レーザー照射を行うことにより前記微粒子の近傍の分析対象物質のイオン化を微粒子に支援させる工程、
を含むことを特徴とする質量分析法。
(5)(a)金属酸化物からなるコアにポリマーが被覆された微粒子を細胞または組織に投与する工程、および
(b)レーザー照射を行うことにより前記微粒子の近傍の分析対象物質のイオン化を微粒子に支援させる工程、
を含むことを特徴とする質量分析法。
(6)50μm以下の径のレーザー光を集光してレーザー照射を行う、(1)〜(5)のいずれかに記載の質量分析法。
(7)金属酸化物からなるコアにポリマーが被覆された微粒子を有効成分とする、質量分析用のレーザー照射用イオン化支援剤。
(8)金属酸化物からなるコアにポリマーが被覆された微粒子が修飾されている質量分析用試料プレート。
(9)レーザー照射による分析対象物質のイオン化を支援するための質量分析用キットであって、(8)に記載のプレートを含み、該プレート上面で分析対象物質を含む試料を転
写により付着させ、プレート上面に付着した試料にレーザーを照射して分析対象物質を検出するためのキット。
【発明の効果】
【0013】
以上のように本発明に係る微粒子は、微粒子コアに金属酸化物が使用されており、その周りをシリカなどのポリマーで被覆した形態を有する。シリカからなるポリマーの表面は構造上、水酸基を示すので親水的であり、分析対象物質との相互作用が良い。このことは、マトリクスと分析対象物質が接触しやすくなるため、分析対象物質のイオン化に必要なエネルギーを効率よくマトリクスから分析対象物質に転送でき、MALDI質量分析法において必須の材料となるマトリクスとしての使用に非常に適している。また、当該微粒子は、生きた細胞内にも取り込めることから、マトリクスを生きた細胞内に導入することになり、マトリクス含有細胞を解析することで細胞内物質を同定できる。さらに、既存の化学マトリクスを使用しないことで、検出信号のS/N比や感度が向上し、目的物質の検出の精度を高めることもできる。
【0014】
本発明に係る微粒子材料では、ナトリウム、カリウムなどの塩成分がサンプル中に混在していてもマトリクスとして機能する。通常、塩などの混入によりケミカルマトリクスなどは機能しなくなる。これにより、生体細胞の中の特定物質の分析なども可能となり、特に生命科学の分野において有用な情報を収集することができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0015】
以下に本発明を詳細に説明するが、これらの記載は本発明の実施態様の一例(代表例)であり、本発明の範囲を限定するものではない。
【0016】
(1)ポリマー被覆微粒子
まず、本発明の質量分析方法で使用する微粒子について説明する。
本発明の質量分析方法では、金属酸化物からなるコアにポリマーが被覆された微粒子を使用する。
ここで、金属酸化物としては、遷移金属または稀土類金属の酸化物が好ましく、より好ましくはNi、Fe、またはCoの酸化物であり、さらに好ましくはFeまたはCoの酸化物であり、特に好ましくはFeの酸化物である。
ポリマーとしては、ポリアリルアミン、ポリスチレン、ポリチオフェン、ポリアクリル酸、エチレングリコールグリシジルエステルとリジンの共重合体、シリカなどが挙げられるが、シリカが特に好ましい。
ポリマーで金属酸化物を被覆する方法としては、金属酸化物とポリマーの種類に応じて適宜選択すればよいが、湿式沈殿法(例えば、特開2003−252618号公報)が好ましい。
微粒子のサイズは質量分析に使用しうるサイズであればよいが、粒径が3nm以下、より好ましくは1.3〜3nmの超ナノ微粒子が望ましい。
また、微粒子の形状は、球状、針状、円盤状、楕円球状、棒状など、いかなる形状でもかまわないが、球状が好ましい。
【0017】
この超ナノ微粒子は、湿式沈殿法を用いて調製するのが好ましい(特開2003−252618号公報)。例えば、以下の式(I)で与えられる超ナノ微粒子 [xM(OH)2・ySiO2]が挙げられる。ここで、xM(OH)2はコアを、ySiO2はシェルを表す。
【数1】

上記式中、Mは遷移金属または稀土類金属を示し、Ni、FeまたはCoが使用され、好まし
くはFeまたはCoであり、より好ましくはFeである。XはF, Cl, Br, Iから選ばれるハロゲン元素を示す。pは2または3、nは0から9までの整数、mは9または0である。xおよびyはともに1未満の正数である。磁性を発揮するコアおよびその表面修飾層としてのシェルの役割分担の観点から、x>y、かつ、x/yとしては、通常1〜100、好ましくは2〜20程度の範囲から選定される。
より具体的には、超ナノ微粒子 [xM(OH)2・ySiO2]の構造は、図1のように模式的に表すことができる。
【0018】
本発明の質量分析方法に使用される微粒子は金属酸化物を被覆するポリマーが表面処理されたものでもよい。表面処理を施すことで分析対象物質との親和性や細胞などへの導入効率を向上させることができる。
ポリマー表面に導入される官能基の種類は特に制限されないが、具体的には、水酸基、アミノ基、イソシアネート基またはメルカプト基などが挙げられる。
これらの官能基は、例えばシランカップリング剤を介して共有結合的に導入できる。
また、ポリマー表面に水酸基を導入するための処理としては、エタノールなどの有機溶媒による洗浄、UV洗浄(特開平1-146330号公報)、プラズマ処理、オートクレーブ処理等が挙げられる。
【0019】
(2)ポリマー被覆微粒子を用いた質量分析
本発明の質量分析方法においては、まず、上記微粒子に分析対象物質を近接させる工程を行う。
ここで、微粒子と分析対象物質はレーザー照射により分析対象物質がイオン化される程度に近接させればよく、例えば、微粒子の溶液を分析対象物質またはこれを含む試料の溶液と混合すること、あるいは、微粒子を担体に固定化し、そこに分析対象物質またはこれを含む試料を添加することにより近接させることができる。質量分析に供する場合の微粒子と分析対象物質の比は特に限定されないが、好ましくは1:10〜10:1、より好ましくは1:3〜3:1の重量比になるように調整することが望ましい。
【0020】
分析対象物質の種類は特に制限されず、蛋白質、ペプチド、核酸、糖、脂質などの生体物質や、合成低分子化合物、合成ポリマーなどが挙げられる。
また、分析対象物質は必ずしも精製された物質である必要はなく、分析対象物質を含む試料をそのまま微粒子に添加することによって分析対象物質と微粒子を近接させてもよい。分析対象物質を含む試料としては、分析対象物質を含む、動物、植物または微生物などに由来する細胞や組織や体液、またはこれらからの抽出物などの生体試料が挙げられる。また、土壌や排水などから単離された試料であってもよい。
例えば、微粒子に細胞や組織の抽出物を添加し、細胞や組織中に含まれる分析対象物質の質量分析を行ってもよい。また、培養細胞や単離された組織を含む培地などの溶液中に微粒子を添加してインキュベートした後に、微粒子と分析対象物質を含む抽出物を回収して質量分析を行ってもよい。さらに、非ヒト検体に微粒子を投与した後に、微粒子と分析対象物質を含む抽出物を回収して質量分析を行ってもよい。ここで、非ヒト検体としては、例えば、マウスやラットなどの実験動物が挙げられる。
【0021】
本発明の質量分析方法においては、微粒子が修飾(固定化)された試料プレートを使用し、これに分析対象物質またはそれを含む試料を付着させることにより分析対象物質を微粒子に近接させる工程を行ってもよい。例えば、膜などのシート上に用意した試料を試料プレートの上面に付着させ、試料を転写によりシートからプレートに移動させてプレート上に薄く付着させることが好ましい。このようにすれば、試料中に含まれる多くの分析対象物質を網羅的に質量分析することが可能である。なお、微粒子が修飾された試料プレート上に分析対象物質を塗布してもよい。
試料プレートへの微粒子の修飾は化学的結合による修飾であってもよいし、物理的結合
による修飾であってもよい。例えば、ITO(インジゥムシンオキサイド)シートなどにはDisuccinimidyl Glutarateなどの架橋剤を用いて修飾することができる。
【0022】
本発明の質量分析方法においては、次に、微粒子に近接させた分析対象物質、または微粒子と分析対象物質が付着したプレートにレーザー照射して分析対象物質のイオン化を微粒子に支援させる工程を行う。
照射するレーザー光は試料上での照射径が50μm以下になるように集光光学系により調整されることが好ましい。実際には、分析対象の試料が細胞であるような場合には、レーザー光の照射径を10μm以下に、例えば数μm程度まで絞ることが望ましい。レーザー照射装置は、通常のMALDI(マトリックス支援レーザー脱離イオン化)質量分析に使用される装置を使用することができ、例えば、TOF2(島津製作所)、UltraFlex(Bruker Daltonics社)、ABI4800(ABI社)などが使用できる。
【0023】
金属酸化物からなるコアにポリマーが被覆された微粒子材料では、微粒子に接触した試料に微小径のレーザー光が当たると、微粒子がレーザー光を吸収し、その金属酸化物から構成されている微粒子のコアと試料との相互作用により試料分子をイオン化させる。したがって、この微粒子材料によれば、既存のマトリクス群から選択、使用を省略して質量分析を実行することができ、その分析対象物質のみのイオン化を支援することができる。
なお、検出は通常の質量分析に使用される検出装置を使用することができ、例えば、TOF2(島津製作所)、UltraFlex(Bruker Daltonics社)、ABI4800(ABI社)などが使用できる。
【0024】
本発明の質量分析方法によれば、分析者はまず生きた試料から分析対象物質をとらえることができ、既存のマトリクスを用いずに質量分析を行ことができる。それによって、分析者が本当に解析したい物質のみの存在情報を得ることができ、既存の様々なマトリクス群から分析対象物質に合った物を探索する必要もなくなるため、測定に要する時間も節約することができる。
【0025】
本発明のレーザー照射用のイオン化支援剤は、上記の金属酸化物からなるコアにポリマーが被覆された微粒子を有効成分とし、質量分析に使用される。
本発明の試料プレートは、上記の金属酸化物からなるコアにポリマーが被覆された微粒子が修飾されている質量分析用試料プレートである。試料プレートの材質はレーザー照射に耐えうるものであれば特に制限されないが、例えば、チタン、金コートされたスチール、ITOシートなどが挙げられる。
本発明のレーザー照射による分析対象物質のイオン化を支援するためのキットは、上記試料プレートを含み、該プレート上面で分析対象物質を含む試料を転写により付着させ、該試料にレーザーを照射して分析対象物質を検出するためのキットである。ここで、「転写により付着させ」とは、例えば、試料を膜などのシート上に用意し、それをプレートの上面に付着させてシートからプレートに移動させることなどの態様が挙げられる。本発明のキットは質量分析に好適に使用され、質量分析用のその他の試薬を含むものであってもよい。
【実施例】
【0026】
次に本発明の具体的な実施例を示すが、本発明はこれらの実施例によって何ら限定されるものではない。
【0027】
実施例1:超ナノ微粒子の調製(γ-Fe系)
微粒子は単分散に微粒子が得られる湿式沈殿法を用いた。調製に際して、FeCl2・4H2OとNa2SiO3・9H2Oを材料として採用しγ-Fe2O3超ナノ微粒子を調製した。
19.9gのFeCl2・4H2O(10 mM)と28.4gのNa2SiO3・9H2O(10 mM)を秤量し
それぞれ500mlの蒸留水に溶解させて、二つの水溶液を得た。室温で約5時間、充分攪拌しながら両者を混合させ反応を完結させた後、20分間遠心分離器に掛け上澄み液を捨て、蒸留水を注いで再分散させてから遠心分離器に掛け上澄み液を捨てる操作を数回繰り返し、沈殿物を洗浄した。ついで、約350Kに保持した恒温槽で乾燥後、乳鉢で微粉砕してからアルミナ製ボートに載置し、空気雰囲気中の電気炉にて、373〜1273Kの温度範囲で4〜10時間焼成して超ナノ微粒子を得た。下記の実施例3以降に用いた鉄系超ナノ微粒子は873Kでアニールしたものである。
【0028】
実施例2:超ナノ微粒子の調製(Co系)
微粒子は単分散に微粒子が得られる湿式沈殿法を用いた。調製に際して、CoCl2・6H2OとNa2SiO3・9H2Oを材料として採用し超ナノ微粒子を調製した。
1.19gのCoCl2・6H2O(10 mM)と1.42gのNa2SiO3・9H2O(10 mM)を秤量しそれぞれ500mlの蒸留水に溶解させて、二つの水溶液を得た。室温で約10分、充分攪拌しながら両者を混合させ反応を完結させた後、20分間遠心分離器に掛け上澄み液を捨て、蒸留水を注いで再分散させてから遠心分離器に掛け上澄み液を捨てる操作を数回繰り返し、沈殿物を洗浄した。ついで、約350Kに保持した乾燥炉で乾燥後、乳鉢で微粉砕してからアルミナ製ボートに載置し、空気雰囲気中の電気炉にて、623〜973Kの温度範囲で10時間焼成してCo3O4超ナノ微粒子を得た。下記の実施例3以降に用いたコバルト系超ナノ微粒子は623Kでアニールしたものである。
【0029】
実施例3: 微粒子表面への水酸基の導入
この微粒子の表面洗浄法としては、微粒子表面がシリカコートされているため、エタノール洗浄、もしくは、プラズマ処理、オートクレーブ処理のどれを用いてもよいが、エタノール洗浄、さらに好ましくはオートクレーブ処理が好ましい。
具体的には、エタノールを500μL用い、室温で1分穏やかに攪拌し、5,000rpmで3分間遠心分離を行い、上澄みを除去し、500μLの超純水で同様に3回洗浄を行った。その後、100℃で30分乾燥させ、完全に水分を除去した。
具体的には、微粒子粉末を耐熱瓶に入れて滅菌用のオートクレーブ装置で処理する。
【0030】
実施例4:微粒子像の撮影
得られた超ナノ微粒子像を電子顕微鏡(JEM-1230:日本電子)により撮影した。加速電圧100kVでおこなった。
γ-Fe2O3超ナノ微粒子の場合 (図2)、粒子径は、3 nm (変動係数(C.V.)8%)であった。
Co3O4の場合(図3)、粒子径は、3.6 nm (C.V. 21%)であった。
【0031】
実施例5:超ナノ微粒子のマトリクス化(コア組成:γ-Fe2O3
γ-Fe2O3超ナノ微粒子飽和溶液、ペプチドサンプル(Substance P acetate salt hydrate;分子量 1346.7)を重量比で、2:1の割合で混合した物を(1)、水、ペプチドサンプル(Substance P acetate salt hydrate;分子量 1346.7)を重量比で、2:1の割合で混合した物を(2)(コントロール)とした。各サンプルを質量分析専用プレート(MTP 384 target plate ground steel T F; Bruker Daltonics社)に2μL滴下し真空乾燥させた。乾燥後、質量分析装置(Ultraflex; Bruker Daltonics)によりReflector Positiveモードでサンプル解析を行った。結果より、Substance P:1347.7(プロトン付加体[H+])、1369.7 (ナトリウム付加体[Na+])の質量電荷比(m/z)が得られた。微粒子非存在下ではサンプルをイオン化することはできなかった。S/N比は、Substance P+[H+]で 1220:1、Substance P+[Na+]で 195:1 (微粒子存在下:微粒子非存在下)である。Na+付加体のピークも同時に得られていることから、塩存在下でもサンプルのみイオン化を支援することが認められた。(図4)
【0032】
実施例6:超ナノ微粒子のマトリクス化(コア組成:γ-Fe2O3
γ-Fe2O3超ナノ微粒子飽和溶液、ペプチドサンプル(Bradykinin[1-7]; 分子量 756.4)を重量比で、2:1の割合で混合した物を(1)、水、ペプチドサンプル(Bradykinin[1-7]; 分子量 756.4)を重量比で、2:1の割合で混合した物を(2)(コントロール)とした。各サンプルを質量分析専用プレート(MTP 384 target plate ground steel T F; Bruker Daltonics社)に2μL滴下し真空乾燥させた。乾燥後、質量分析装置(Ultraflex; Bruker Daltonics)によりReflector Positiveモードでサンプル解析を行った。結果より、Bradykinin [1-7] +[H+]の質量電荷比(m/z)757.4が得られた。微粒子非存在下ではサンプルをイオン化することはできなかった。S/N比は、Bradykinin [1-7]で 130:1(微粒子存在下:微粒子非存在下)であることから、サンプルのイオン化を支援することが認められた。(図5)
【0033】
実施例7:超ナノ微粒子のマトリクス化(コア組成:Co3O4
Co3O4超ナノ微粒子飽和溶液、ペプチドサンプル(Substance P acetate salt hydrate;分子量 1346.7)を重量比で、2:1の割合で混合した物を(1)、水、ペプチドサンプル(Substance P acetate salt hydrate;分子量 1346.7)を重量比で、2:1の割合で混合した物を(2)(コントロール)とした。各サンプルを質量分析専用プレート(MTP 384 target plate ground steel T F; Bruker Daltonics社)に2μL滴下し真空乾燥させた。乾燥後、質量分析装置(Ultraflex; Bruker Daltonics)によりReflector Positiveモードでサンプル解析を行った。結果より、Substance P:1347.7(プロトン付加体[H+])、1369.7(ナトリウム付加体[Na+])の質量電荷比(m/z)が得られた。微粒子非存在下ではサンプルをイオン化することはできなかった。S/N比は、Substance P+[H+]で 99:1、Substance P+[Na+]で 44:1 (微粒子存在下:微粒子非存在下)である。Na+付加体のピークも同時に得られていることから、塩存在下でもサンプルのみイオン化を支援することが認められた。(図6)
【0034】
実施例8:超ナノ微粒子のマトリクス化(コア組成:Co3O4
Co3O4超ナノ微粒子飽和溶液、ペプチドサンプル(Bradykinin[1-7]; 分子量 756.4)を重量比で、2:1の割合で混合した物を(1)、水、ペプチドサンプル(Bradykinin[1-7];分子量 756.4)を重量比で、2:1の割合で混合した物を(2)(コントロール)とした。各サンプルを質量分析専用プレート(MTP 384 target plate ground steel T F; Bruker Daltonics社)に2μL滴下し真空乾燥させた。乾燥後、質量分析装置(Ultraflex; Bruker Daltonics)によりReflector Positiveモードでサンプル解析を行った。結果より、Bradykinin [1-7]:757.4の質量電荷比(m/z)が各々得られた。微粒子非存在下ではサンプルをイオン化することはできなかった。S/N比は、Bradykinin [1-7]で 376:1(微粒子存在下:微粒子非存在下)であることから、サンプルのイオン化を支援することが認められた。(図7)
【産業上の利用可能性】
【0035】
本発明の微粒子は、質量分析において必須のマトリクスとしての機能を有し、分析対象物質の種類によらずそのイオン化を支援する。さらにまた、細胞、組織内へ容易に取り込まれうるため、生細胞や組織などの試料に含まれる分析対象物質の解析に用いることができる。
【図面の簡単な説明】
【0036】
【図1】超ナノ微粒子の構造予想図
【図2】コア組成:γ-Fe2O3の超ナノ微粒子の電子顕微鏡図。
【図3】コア組成:γ-Co3O4の超ナノ微粒子の電子顕微鏡図。
【図4】コア組成:γ-Fe2O3のナノマトリクスとペプチドサンプル混合物のMSスペクトル。
【図5】コア組成:γ-Fe2O3のナノマトリクスとペプチドサンプル混合物のMSスペクトル。
【図6】コア組成:Co3O4のナノマトリクスとペプチドサンプル混合物のMSスペクトル。
【図7】コア組成:Co3O4のナノマトリクスとペプチドサンプル混合物のMSスペクトル。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
(a)金属酸化物からなるコアにポリマーが被覆された微粒子と分析対象物質を近接させる工程、および
(b)レーザー照射を行うことにより前記微粒子の近傍の分析対象物質のイオン化を微粒子に支援させる工程、
を含むことを特徴とする質量分析法。
【請求項2】
(a)金属酸化物からなるコアにポリマーが被覆された微粒子が修飾されている試料プレートに分析対象物質を付着させる工程、および
(b)レーザー照射を行うことにより前記微粒子の近傍の分析対象物質のイオン化を微粒子に支援させる工程、
を含むことを特徴とする質量分析法。
【請求項3】
分析対象物質を含む試料を用いて工程(a)を行う、請求項1または2に記載の質量分析法。
【請求項4】
(a)金属酸化物からなるコアにポリマーが被覆された微粒子を非ヒト検体に投与する工程、および
(b)レーザー照射を行うことにより前記微粒子の近傍の分析対象物質のイオン化を微粒子に支援させる工程、
を含むことを特徴とする質量分析法。
【請求項5】
(a)金属酸化物からなるコアにポリマーが被覆された微粒子を細胞または組織に投与する工程、および
(b)レーザー照射を行うことにより前記微粒子の近傍の分析対象物質のイオン化を微粒子に支援させる工程、
を含むことを特徴とする質量分析法。
【請求項6】
50μm以下の径のレーザー光を集光してレーザー照射を行う、請求項1〜5のいずれか一項に記載の質量分析法。
【請求項7】
金属酸化物からなるコアにポリマーが被覆された微粒子を有効成分とする、質量分析用のレーザー照射用イオン化支援剤。
【請求項8】
金属酸化物からなるコアにポリマーが被覆された微粒子が修飾されている質量分析用試料プレート。
【請求項9】
レーザー照射による分析対象物質のイオン化を支援するための質量分析用キットであって、請求項8に記載のプレートを含み、該プレート上面で分析対象物質を含む試料を転写により付着させ、プレート上面に付着した試料にレーザーを照射して分析対象物質を検出するためのキット。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【公開番号】特開2008−170326(P2008−170326A)
【公開日】平成20年7月24日(2008.7.24)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2007−4614(P2007−4614)
【出願日】平成19年1月12日(2007.1.12)
【出願人】(000005968)三菱化学株式会社 (4,356)
【出願人】(000001993)株式会社島津製作所 (3,708)
【Fターム(参考)】