説明

分子配向温度計

【課題】安価な装置により高真空中に存在する幅広い分子種の微量物質の温度を実時間で測定する装置および方法を提供する。
【解決手段】Nd:YAGレーザー1のようなナノ秒レーザーおよび飛行時間型質量分析計2を備えた分子配向温度計。また、レーザーの多光子吸収による分子イオン化とその分解反応を用いて、1台のレーザーにより分子配向とイオン化を同時に行い、分子の温度を測定する分子の温度計測方法。さらに、飛行時間型質量分析計で得られたマススペクトルを用いて算出する分子の温度計測方法。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、分子配向温度計および分子の温度計測方法に関する。
【背景技術】
【0002】
温度測定には種々の手法があるが、気相で、対象物質量がアットモル以下になると蛍光測定など分光学的手法などのごく限られた手法が知られているのみである。しかし、この分光学的方法では、波長可変レーザーなど大型の高価な波長分解能の高いレーザーが必要なこと、回転線を測定する必要があるため分子種が限られ、時間もかかり、さらに解析のエキスパートが必要であることなどから実用的なものではなかった(例えば、特許文献1参照)。
一方、非共鳴レーザー光の高強度電場により分子を配向させることが可能なこと、また、この配向の程度は分子の回転温度に依存することから、配向の程度を測定することにより温度の測定が可能である。しかし、この分子配向を応用した手法では、従来、電場で配向した分子を検出するため第2のレーザーを用いて測定する必要があるとされていた。この第2のレーザーは、配向レーザーの邪魔をしない必要があるため、超高速レーザー(通常、高価な超高速のフェムト秒レーザー)が考えられるが、コストがかかりすぎるためこの方法は実用化はされていなかった。
【特許文献1】特開平7−198611号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0003】
本発明は、安価な装置により高真空中に存在する幅広い分子種の微量物質の温度を実時間で測定する装置および方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0004】
本発明者は、鋭意検討した結果、安価なナノ秒レーザー1台のみで配向とイオン化検出を同時に行うことで、高真空中に存在する微量物質の温度を実時間で測定し得ることを見出した。
すなわち、本発明は、
(1)ナノ秒レーザーおよび飛行時間型質量分析計を備えたことを特徴とする分子配向温度計、
(2)レーザーの多光子吸収による分子イオン化とその分解反応を用いて、1台のレーザーにより分子配向とイオン化を同時に行い、分子の温度を測定することを特徴とする分子の温度計測方法、
(3)飛行時間型質量分析計で得られたマススペクトルを用いて算出することを特徴とする(2)項記載の分子の温度計測方法
を提供するものである。
【発明の効果】
【0005】
本発明では、Nd:YAGレーザーのような安価な1台のレーザーでほぼ実時間での分子の回転温度モニターを実現できる。
本発明の温度計および温度計測方法は、クラスタービームなどを用いた表面分析装置のビームモニター、分子線エピタキシーの分子線モニター、クラスタービームエピタキシーのビームモニターなどのビーム管理ツールとして好適である。
【発明を実施するための最良の形態】
【0006】
本発明ではナノ秒レーザーによる多光子イオン化解離反応とその反応特性を利用し、強電場による分子配向、分子のフラグメントイオン化による配向の実時間超高感度検出を、小型のナノ秒レーザー1台と小型の飛行時間型質量分析計を組み合わせることで可能とするものである。
【0007】
本発明の装置(温度計)は、ナノ秒レーザー、および飛行時間型質量分析計を備えている。ナノ秒レーザーとしては、ナノ秒領域(〜1億分の1秒)の短い時間幅の光パルスを発生させるレーザであって、非共鳴レーザー光を用いるものであれば、特に限定されるものではないが、ナノ秒Nd:YAGレーザーが安価かつ小型であるため好ましい。また、飛行時間型質量分析計も既存のものを用いることができるがMCP(マルチチャンネルプレート)検出器を備えたものであることが好ましい。
【0008】
図1にナノ秒レーザーとして、Nd:YAGレーザーを用いた一例の装置の概略図を示すものである。図1中、1はNd:YAGレーザー、2は飛行時間型質量分析計、3は波長板、4はレンズ、5はパルスバルブ、6は引き出し電極、7,8はターボ分子ポンプ、9はMCP検出器を示す。波長板3は偏光の種類、方向を変換するための光学素子である。パルスバルブ5からは超音速分子線(進行方向に速度がそろった極低温ビーム)が導入される。飛行時間型質量分析計2は、イオンの飛行時間を検出するための装置である。MCP検出器9は、イオンを検出し、マススペクトルを測定する装置である。
【0009】
この装置においては、パルスバルブ5より試料ガスを超高真空中に導入し超音速分子線とした後スキマーで切り出しイオン化領域に入れる。ここに外部よりNd:YAGレーザー1(基本波1064nm)を照射し分子を配向、イオン化、分解し、さらに生成物イオンを引き出し電極6で加速し、飛行管を通した後MCP検出器9で検出する。
【0010】
この配置は超音速分子線の発生とその温度計測を目指したものであり、パルスバルブ、スキマーは本発明において任意のものである。引き出し電極6の電位は生成したイオンの速度分布を決定しやすい値に設定する。波長板3はレーザーの偏光方向を変えるために使用する。
【0011】
本発明において、真空度は、引き出し電極部で10−2Pa以上であることが好ましく、飛行管内では10−3Pa以上であることが好ましい。また、本発明では、測定対象の分子は、引き出し電極部でセプトモル(1000個程度)以上あることが、感度の点で好ましい。また、引き出し電極の電圧は1〜3kVであることが好ましく、高圧部と中圧部の電位差は50〜100Vであることが好ましい。また、引き出し電極の電極間隔は5〜20mmであることが好ましい。さらに飛行管の長さは20cm以上であることが好ましい。
【0012】
本装置において分子を多光子光解離すると、分子イオンがレーザー電場により配向しているためマスシグナルが分裂する。この分裂を理論的に解析することにより温度を決定することができる。
【0013】
次に本発明の分子の温度計測方法について説明する。
本発明では、レーザーの多光子吸収による分子イオン化とその分解反応を用いて、1つのレーザーにより分子配向とイオン化を同時に行い、分子の温度を測定するものである。また、好ましくは飛行時間型質量分析計で得られたマススペクトルを用いて算出するものである。この方法により分子の温度を計測できるのは次の理由によると考えられる。
【0014】
1)光電場による分子配向
分子に光電場を作用させると電場と双極子の相互作用H=Eμのため影響を受ける。実際には光は振動電場E=Esin(wt)のため永久双極子モーメントμの寄与はなく、電場によって誘起された誘起双極子モーメントμ=Esin(ωt)αと電場との相互作用が効いてくる。ここにαは測定対象分子の分極率である。実際には分極率は3次元テンソルであり、その異方性をΔαとしたとき配向のエネルギー、すなわち相互作用のエネルギーは
【0015】
【数1】

【0016】
であらわされる。ここでθは電場と分子軸のなす角度であり、このエネルギーにしたがってボルツマン分布し、その確率はP=exp(H/kT)で表される。ここで、kはボルツマン定数、Tは分子の温度である。いまの場合、分子は孤立系なのでこの温度は回転温度に対応する。
【0017】
2)多光子光吸収イオン化
以下にヨウ化メチルに適用した例を示す。マス(質量)スペクトル上に分子イオンが存在すること、ヨウ素イオンとメチルイオンがほぼ同量発生していることから、分子イオン化が起こり、さらに分子が回転するよりは長い時間経過した後に分解する。この場合でも、ナノ秒レーザーという比較的遅いレーザーであるため分解が完了した時点でもイオンを配向させるために充分強い光電場が存在している。多光子吸収の第一段階は少なくとも3、ないし、4光子の真の多光子吸収である必要があり、分子イオン化が起こるのはレーザーが最も強い限られた時間範囲である。
【0018】
3)マススペクトルによる算出
本発明は、分子イオンの分解がナノ秒以下の時間スケールで起こるが、分子回転(〜1ps)と比較しては十分遅いという特徴を持っていることを利用している。装置的には第2のレーザーが不要となるが、それに加え、マススペクトルを用いた算出(以下、シミュレーションという)に必要なパラメーターが少なくなり、以下に示す工夫により、温度を決定することが可能となる。図2に測定例、シミュレーション例、決定された温度を示す。温度決定には当初は3つの条件でスペクトルを測定する必要があるが、いったん条件が決まれば平行偏光を用いた測定のみで温度決定が可能である。
【0019】
図2の左側に示した3つのスペクトルは直線偏光(平行、垂直)および円偏光を用いて測定したものである。MCP検出器で測定されるピークの形状は、分子イオンの配向と、速度分布が反映したものである。円偏光で測定するのは分子が配向していないときのスペクトルパターンからイオンフラグメントの並進速度分布を求めるためである。並進速度分布f(V)はシグナル強度の飛行時間に関する微分を計算し、センターシグナルからのずれを乗ずることによって得られる。図2の右側に示したのがこれに基づきシミュレーションで計算したスペクトルである。
円偏光の場合分子が配向していないため直線偏光と比較して反応効率が低い。これが原因で上記の速度分布を用いても直線偏光で測定したシグナルを完全に再現することは出来ない。そこで速度分布の形はf(cV)であると仮定し、温度とcをパラメーターとして垂直偏光、平行偏光で実測したスペクトルのピーク形状を再現するようにした。その結果、図2の右側に示す計算スペクトルを得た。温度パラメーターはH/kT=3.8である。J. Chem. Phys. 122, 2164-2167(2000)の記載に基づき、レーザー強度は2.43x10V/m、ヨウ化メチルの分極率異方性はΔα=1.43x10−30なので、分子線の温度は27K(−246℃)となる。
上記手法で決定される温度の誤差はレーザー電場の見積精度できまるが、容器中の残留ガスの温度を用いて校正することが可能である。
【0020】
ヨウ化メチルの例を示したが、同様の反応特性はヨウ化アリル、ヨウ化ヘキシル、臭化メチルなどでも見られており、通常の分子なら分極率さえわかれば温度決定が可能である。また、反応特性が異なり本手法が適用できない場合にも、ヨウ化メチルを微量混ぜることによって温度測定が可能になる。
【0021】
本発明は超音速ジェット中の分子など極低温にある極微量物質の温度測定を目指したものであるが、従来法よりも強い電場を印加可能なので、室温程度以下であれば、冷えていないビーム、高真空チャンバー内の残留ガスなどの温度測定も可能である。
【実施例】
【0022】
以下、本発明を実施例に基づきさらに詳細に説明するが、本発明はこれに限定されるものではない。
【0023】
実施例1
図1に示す装置において、飛行管の長さ、すなわち飛行距離は39.9cmとした。この装置の飛行時間型質量分析計2部分の詳細説明図を図3に示す。なお、引き出し電極6は拡大して併せて記載されている。引き出し電極6の高圧部は2000V、中圧部は1920Vとし、電極間隔は5mmとした。また、分子ビームスキマー10は1mmφを用いた。また、図3中、5はパルスバルブ、9はMCP検出器である。
【0024】
この装置を用い、Nd:YAGレーザーの基本波を用いて多光子光イオン化・解離反応、および、分子配向を起こさせた。レーザーのパルス幅は5ns、レーザーのパルス強度は100〜300mJ/pulseの範囲で変化させた。レーザーは1/2波長板により偏光軸の回転、または、1/4波長板により円偏光への変換を行った。その後で、f=120のレンズ4で絞り、分子線に照射した。この条件で、レーザーの強度は2.5〜7.5x1015W/mの範囲で、また、電場強度としては、1.4〜2.4x10V/mでコントロール可能であった。
【0025】
分子線はヘリウムに希釈した試料ガスをパルスバルブを通して高真空中に導入することによって生成した。用いたヨウ化メチルの濃度はほぼ0.02%(体積分率)であった。パルスバルブのオリフィスは0.8mmφ、バルブ開時間250μs、繰り返し10Hzで測定した。また、ターボ分子ポンプをパルスバルブパルス側で800L/s、飛行管側で60L/sで運転し、真空圧力をバルブのあるチャンバーで10−5Torr程度以下、飛行管内で10−6Torr以下になるようにした。
また、MCP検出器の出力はデジタルオシロスコープで積算し、コンピュータに取り込んだ。このとき、正確な質量スペクトルのシグナルを得るため、500MHzの周波数応答のあるオシロスコープを使用した。
【0026】
得られた、ヨウ化メチルの多光子光イオン化・解離によって生成するイオンの質量スペクトルを図4、5に示す。図4,5の縦軸は相対的なイオン電流あり、横軸は質量数である。図5は図4の質量数0〜20における拡大図である。主生成イオンは、ヨウ化メチル、ヨウ素、メチルイオンである。メチル、ヨウ素イオンの生成量は同じオーダーである。このことから、これらのイオンは一度ヨウ化メチルの分子イオンになった後に分解して生成したものと思われる。
【0027】
レーザーの偏光は飛行管と同じ(以下では水平偏光と記す)にし、分子線の生成条件は一定として、レーザーの強度のみを変化(120,196,287,336mJ/pulse)させた場合の質量スペクトルのヨウ素イオン部分の拡大図を図6に示す。レーザー強度を上げると(287,336mJ/pulse)、ヨウ素イオンのシグナルが分裂することがわかる。これは、レーザー電場による配向の効果を表すものである。
これをもとに以下の種々の条件で温度を計測した。
【0028】
1)レーザー強度によるシグナルの変化例
レーザー強度を282mJ、210mJ、136mJにおいて、図7の上段に示すヨウ素イオンの質量スペクトルを得た。これをシグナル強度の飛行時間に関する微分を計算し、センターシグナルからのずれを乗ずることによって算出し、図7の下段に示すスペクトルを得た。それぞれ温度は、46K、43K、37Kと計測された。
【0029】
2)パルスバルブの押し圧の違いによる温度変化の測定例
パルスバルブの押し圧を1.1bar(0.11MPa)および2.0bar(0.20MPa)とし、レーザー強度170mJで、図8の上段に示すヨウ素イオンの質量スペクトルを得た。これをシグナル強度の飛行時間に関する微分を計算し、センターシグナルからのずれを乗ずることによって算出し、図8の下段に示すスペクトルを得た。それぞれ温度は、31K、21Kと計測された。
【0030】
3)パルスバルブの条件の違いによる温度変化の測定例
パルスバルブを開けてた直後のビームの立ち上がり時と、ビーム安定化後において、図9の上段に示すヨウ素イオンの質量スペクトルを得た。これをシグナル強度の飛行時間に関する微分を計算し、センターシグナルからのずれを乗ずることによって算出し、図9の下段に示すスペクトルを得た。それぞれ温度は、40K、21Kと計測された。
【図面の簡単な説明】
【0031】
【図1】本発明の温度計の一例の概略図である。
【図2】本発明における質量スペクトルの算出の一例を示すグラフである。
【図3】実施例に用いた飛行時間型質量分析計の説明図である。
【図4】実施例で得られたヨウ化メチルの多光子光イオン化・解離によって生成するイオンの質量スペクトルを示すグラフである。
【図5】実施例で得られたヨウ化メチルの多光子光イオン化・解離によって生成するイオンの質量スペクトルを示すグラフである。
【図6】ヨウ素イオンの質量スペクトルのレーザー強度依存性を示すグラフである。
【図7】実施例における温度測定の一例を示すグラフである。
【図8】実施例における温度測定の一例を示すグラフである。
【図9】実施例における温度測定の一例を示すグラフである。
【符号の説明】
【0032】
1 Nd:YAGレーザー
2 飛行時間型質量
3 波長板
4 レンズ
5 パルスバルブ
6 引き出し電極
7,8 ターボ分子ポンプ
9 MCP検出器
10 分子ビームスキマー

【特許請求の範囲】
【請求項1】
ナノ秒レーザーおよび飛行時間型質量分析計を備えたことを特徴とする分子配向温度計。
【請求項2】
レーザーの多光子吸収による分子イオン化とその分解反応を用いて、1台のレーザーにより分子配向とイオン化を同時に行い、分子の温度を測定することを特徴とする分子の温度計測方法。
【請求項3】
飛行時間型質量分析計で得られたマススペクトルを用いて算出することを特徴とする請求項2記載の分子の温度計測方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【図9】
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【公開番号】特開2006−234609(P2006−234609A)
【公開日】平成18年9月7日(2006.9.7)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2005−50307(P2005−50307)
【出願日】平成17年2月25日(2005.2.25)
【出願人】(301021533)独立行政法人産業技術総合研究所 (6,529)
【Fターム(参考)】