説明

印刷用ロールおよびその製造方法

【課題】環境汚染物質の排出がなく安全で、きれいな画線部用凹部を有する印刷用ロールのドライプロセス製造技術と印刷物の品質向上をはかるための新しい技術を提案する。
【解決手段】ロール基材の表面に形成された炭化物サーメット溶射皮膜の上に、画線部用凹部であるレーザビーム彫刻溝を設けてなるDLC膜層を有する印刷用ロール、およびブラスト処理によって粗面化されたロール基材の加工面に溶射法によって炭化物サーメット溶射皮膜を被覆形成し、その炭化物サーメット溶射皮膜の表面を研削または研削−研磨し、研削または研削−研磨した後、その上にDLC膜を被覆形成し、次いで、そのDLC膜の表面に画線部用凹部であるレーザビーム彫刻溝を形成する方法。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、最表層のダイヤモンド状炭素膜(以下、単に「DLC膜」と略記する)に対し、これの表面に直接、画線部用凹部であるレーザビーム彫刻溝を形成してなる、グラビア製版ロールなどの印刷用ロールおよびそれの製造方法に関するものである。
【背景技術】
【0002】
一般的な印刷方式は、版の形式によって分類すると、凸版、平版、凹版、孔子版、無版の5方式に分けることができる。本発明で対象とする印刷用ロール、例えば、グラビア製版ロールは、凹版に属し、非画線部のインキを掻きとり、画線部となる凹部に付着したインキを紙に転写する印刷方式である。印刷面には、概ね、1インチ当たり、175本のスクリーン線(画線)を有し、かつプ凹部(セル)の深さを2.5〜30μm程度にしたものが多く使用されている。
【0003】
一方、印刷用のインキの大部分は、無機顔料や有機顔料を含む油性または水性である。このインキの基本組成は、着色顔料、顔料の微粒子に対し、被印刷物に均等に転写するたに、高分子粘着剤、インキに流動性、転移性、乾燥性を付与するための溶剤などを加える他、インキの泡立ちを抑制して静電気の発生を予防するための助剤も添加されることもある。
【0004】
油性インキの溶剤としては、トルエン、キシレン、酢酸エチル、酢酸プロピルメチル・エチル・ケトンなどが使用され、水性インキでは、水、エタノール、プロパノールなどが主な溶剤である。ここで、トルエン、キシレン、メチル・エチル・ケトンなどの油性インキ用の溶剤は、刺激臭が強いうえ、引火点が低く、さらに揮発性も高いため、引火・爆発する危険性が高い。また、人体に吸引される健康被害を誘発するなど安全・衛生の両面において大きな課題がある。しかし、油性インキで印刷された紙は、光沢性に優れ、美麗でもあるので、広く実用化されており、印刷業界から完全になくすることはできない状況にある。
【0005】
一方、水性インキは、基本的に水とアルコールを使用しているため、油性インキに比較すると安全・衛生の両面において、はるかに優れた利点を有しているが、その印刷物の品質は、一般に油性インキに比較すると劣るのが一般的である。
【0006】
さて、印刷用ロールのうち、最も一般的なグラビア製版ロールの場合、アルミニウム合金や鋼鉄製の中空ロールの表面に対して、版面形成用の銅めっき層を設けた後、さらにその表面に硬質クロムめっきを施すことにより、エッチングされた銅めっき層の印刷力を向上させている。但し、硬質クロムは通常、6価クロムを含むめっき浴を使用することから、作業の安全性とともに、環境汚染源となることが指摘されており、好ましいものではない。
【0007】
この対策として従来、特許文献1〜4では、基本上の画像形成面(印刷パターン溝)であるエッチングされた銅めっき層の表面に対して、クロムめっきを施工するのに代えて、ダイモンドカーボン膜(以下、「DLC膜」という)を被覆する方法が提案されている。また、特許文献5〜7では、中空ロールの表面にゴムや樹脂層を形成した後、これを印版としてその面に彫刻を施し、その上にDLC膜を形成したり、また、特許文献8では、エッチングされた銅めっき層へのDLC膜の密着性を向上させるため、銅めっき層の表面にW、Si、Ti、Crなどの金属とその炭化物などをスッパタリング法によって、1μm未満の層を形成した後、DLC膜を被覆する技術などの提案がある。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0008】
【特許文献1】特開平4−282296号公報
【特許文献2】特開2002−172752号公報
【特許文献3】特開2000−10300号公報
【特許文献4】特開2002−178653号公報
【特許文献5】特開平11−309950号公報
【特許文献6】特開平11−327124号公報
【特許文献7】特開2000−15770号公報
【特許文献8】特開2007−130996号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0009】
上述したようにDLC膜を有する従来のグラビア印刷用ロールは、DLC膜を使っているとはいえ、それは、単に、エッチング加工される銅めっき層や、その銅めっき面に対して施されたクロムめっきまたはダングステン、チタン、クロムおよびこれら炭化物のスパッタリング層を保護するために採用されているにすぎないものである。とくに、特許文献1〜4は、DLC膜を単にエッチング加工された銅めっき層の保護皮膜的にしか使っていないため、DLC膜本来の特性を発揮できていないという課題があった。
【0010】
そこで、本発明の目的は、DLC膜を保護膜としてではなく、これを印刷用版体自体としてグラビア印刷に適用することを考え、長期間に亘ってシャープな画線部用凹部を維持することができると共に、印刷特性にも優れる凹部を彫刻することができ、しかも加工特性、メンテナンス、版面寿命などのいずれの点にも優れた印刷用ロールを提案することにある。
【0011】
また、本発明は、環境汚染源となる銅めっき工程やクロムめっき工程などのウエットプロセスではなく、すべてをドライプロセスによって製造することで環境のみならず、作業者の安全上、衛生上にも優れた印刷用ロールの製造方法を提案することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0012】
従来技術が抱えている前記課題を解決するために鋭意研究した結果、発明者らは、以下に述べる手段によって解決することができることを知見した。
本発明は、ロール基材と、そのロール基材の表面に形成された炭化物サーメット溶射皮膜と、その炭化物サーメット溶射皮膜の表面に形成された、画線部用凹部であるレーザビーム彫刻溝を有するDLC膜層とからなることを特徴とする印刷用ロールである。
【0013】
なお、本発明の印刷用ロールにおいては、
(1)前記DLC膜は、厚さが3〜50μmで、炭素:70〜88原子%、水素:12〜30原子%の化学成分からなり、かつ硬さHvが700〜3000であること、
(2)前記DLC膜は、Si、Y、AlおよびMgから選ばれたいずれも1種以上の金属の酸化物微粒子を、0.1〜22原子%含有させて親水性を付与したものであること、
(3)レーザビーム彫刻溝を有するDLC膜は、残留応力が1.0GPa未満であること、
(4)前記DLC膜は、仕上げ研磨面の粗度が、Ra≦0.013μm、Rz≦0.16μmであること、
が好ましい解決手段となる。
【0014】
また、本発明の印刷用ロールにおいては、
(5)ブラスト処理によって粗面化したロール基材の表面粗さを、Ra:5〜12μmに調整し、その後、この粗面化加工面に、WC、TiC、CrおよびMoCから選ばれるいずれか一種以上の金属炭化物を95〜70mass%、Ni、Cr、Mo、CoおよびAlから選ばれるいずれか一種以上の金属を5〜30mass%含有する炭化物サーメット溶射皮膜を形成すること、
(6)前記炭化物サーメット溶射皮膜の表面を、研削または研削−研磨することによって、Ra:0.05〜8.00μm、Rz:0.5〜20μmの粗さにすること、
がより好ましい解決手段となる。
【0015】
次に、本発明はまた、ロール基材の表面をブラスト処理によって粗面化し、粗面化された加工面に溶射法によって炭化物サーメット溶射皮膜を被覆形成し、その炭化物サーメット溶射皮膜の表面を研削または研削−研磨し、研削または研削−研磨した炭化物サーメット溶射皮膜の表面にDLC膜を被覆形成し、次いで、そのDLC膜表面にレーザビームによって彫刻し、画線部用凹部であるレーザビーム彫刻溝を形成することを特徴とする印刷用ロールの製造方法を提案する。
【0016】
なお、この印刷用ロールの製造方法においては、
(1)ブラスト処理によって粗面化したロール基材の表面粗さを、Ra:5〜12μmに調整し、その後、この粗面化加工面に、WC、TiC、CrおよびMoCから選ばれるいずれか一種以上の金属炭化物を95〜70mass%、Ni、Cr、Mo、CoおよびAlから選ばれるいずれか一種以上の金属を5〜30mass%含有する炭化物サーメット溶射皮膜を形成すること、
(2)前記炭化物サーメット溶射皮膜の表面を、研削または研削−研磨することによって、Ra:0.05〜8.00μm、Rz:0.5〜20μmの粗さにすること、
(3)前記DLC膜は、厚さが3〜50μmで、炭素:70〜88原子%、水素:12〜30原子%の化学成分からなり、かつ硬さHvが700〜3000であること、
(4)前記DLC膜は、Si、Y、AlおよびMgのうちから選ばれるいずれか1種以上の金属の酸化物微粒子を、0.1〜22原子%含有させて親水性を付与したものであること、
(5)前記DLC膜は、その表面を、Ra≦0.013μm、Rz≦0.16μm程度の粗さに仕上げ研磨すること、
(6)前記DLC膜は、COレーザ、YAGレーザ、Arレーザ、エキシマレーザのうちから選ばれるいずれか1種のレーザビーム熱源を用いて画線部用凹部が彫刻されたものであること、
(7)前記DLC膜は、残留応力が1.0GPa未満であること、
が好ましい解決手段となる。
【発明の効果】
【0017】
本発明によれば、印刷用ロールの画像形成層、即ち、画線部用凹部が彫刻された層として、上記のようなDLC膜を使用することから下記のような効果が期待できる。
(1)DLC膜は一般に硬く、耐摩耗性に優れているため、画線部用凹部(彫刻面)となるレーザビーム彫刻溝を形崩れさせることなく長期間にわたって使用することができる。
(2)上記画線部用凹部となるレーザビーム彫刻溝を有するDLC膜は、表面が平滑で、摩耗特性に優れることから、印刷紙との接触抵抗が小さく、印刷速度を大きくすることができる。
(3)画線部用凹部を形成するために、DLC膜の表面をレーザビームによって彫刻する場合、レーザビーム照射された部分は、CO、HOなどの気体となって大気中へ揮散するため、微小な溶融塊が発生せず、正確で美しい彫刻溝が形成でき、印刷物の品質が向上する。
(4)DLC膜表面に、レーザビーム彫刻を施す速度が、非常に速いため、生産性の効率が向上するのみならず、使用後のDLC膜の除去も容易である。しかも、そのDLC膜以外の部材については繰り返し使用することができるから、経済的かつ環境負荷の小さい技術を提供できる。
(5)ロール基材の表面にDLC膜を直接形成するのではなく、炭化物サーメット溶射皮膜からなる中間層を介在させて被覆形成するので、印刷時に、薄いDLC膜に大きな負荷がかかっても、彫刻したレーザビーム彫刻溝(画線部用凹部)の形が、変形したり、座屈するようなことがない。
(6)中間層として、ロール基材および炭素と水素を主成分とするDLC膜の両方との密着性に優れる炭化物サーメット溶射皮膜を用いているので、印刷時に該DLC膜に大きな負荷がかかっても、これが剥離するようなことがない。
(7)炭化物サーメット溶射皮膜からなる中間層を介在させることによって、ロール基材がDLC膜の形成に適しない、銅および銅合金、アルミニウムおよびアルミニウム合金、ニッケルおよびニッケル合金であっても、良好なDLC膜を被覆形成することが可能となり、ロール基材質の選択の自由度が大きくなる。
(8)炭化水素系のガスを使って生成するDLC膜は、本来親油性であるため、油性の印刷インキの使用には適しているが、本発明ではDLC膜中に微細な金属の酸化物微粒子を共析させることによって、その皮膜表面に親水性を付与することが可能であるので、油性、水性の両印刷インキの使用にも用いることができる。
(9)また、本発明にかかる方法によれば、銅めっき層やクロムめっき層など、環境負荷の大きい薬剤を使用して成膜することなく、また、薬剤によるエッチング彫刻加工法を用いていないため、環境負荷を小さくするにとどまらず、作業者の安全対策、衛生対策としても優れた生産プロセスを提供することができる。
【図面の簡単な説明】
【0018】
【図1】本発明に係るグラビア製版ロール表面層の部分拡大断面図である。
【図2】本発明に係るグラビア製版ロールを製造するための作業工程図である。
【図3】(a)は、溶射皮膜表面の粗さのRz値が大きい場合におけるDLC膜の断面図、(b)は、Ra値、Rz値とも小さい溶射皮膜の表面に被覆したDLC膜の断面図である。
【図4】DLC膜を被覆形成するためのプラズマCVD装置の概略図である。
【図5】DLC膜の残留応力を測定方法を示す略線図である。
【図6】SiOの微粒子を共析させたDLC膜の断面拡大SEM像である。
【図7】レーザビームによって彫刻加工されたDLC膜表面の外観拡大SEM像である。
【図8】スクラッチ試験後のDLC膜の表面拡大図である。
【図9】試験片表面に被覆形成したDLC膜の水濡れ性を評価したものの外観スケッチ図である。(a)は親油性のDLC膜上に滴下した水滴の分布状況を示す。(b)は(a)の状態の水滴を蒸発した後のDLC膜上に残存するコリダルシリカ粉の分布状況を示す。(c)は親水性のDLC膜の表面に滴下した水滴の分布状況を示す。(d)は(c)の状態の水分を蒸発させた後のDLC膜上に残存するコロイダルシリカ粉の分布状況を示す。
【発明を実施するための形態】
【0019】
図1は、本発明に係る印刷用ロールとして代表的なグラビア製版ロールの表面層の部分を拡大断面図として示したものである。図示の1は、ロール基材、2は、ロール基材の表面に溶射法によって被覆形成された炭化物サーメット溶射皮膜の層であり、3は、該溶射皮膜の表面に、グラビア製版ロールの最表層として、レーザビーム加工により彫刻された画線部用凹部(セル)となるレーザビーム彫刻溝4を有するDLC膜であり、所謂、そのDLC膜3を印刷面(製版層)として使うのである。
【0020】
図2は、本発明に係る印刷用ロール(以下は、「グラビア製版ロール」の例で説明する)の製造工程を示したものであり、以下、この図に従って本発明の製造方法を説明する。
(1)ロール表面の研削、研削−研磨工程;
グラビア製版ロールの基材としては、一般に、軽量化のためにロール内部を中空にしたパイプが汎用されている。まず、この製版ロールは、その表面を旋盤や研磨機を用いて研削または研削−研磨し、表面粗さRaが5〜12μm程度になるように仕上げられる。ロール基材の材質としては、AlおよびAl合金、TiおよびTi合金などが好適であるが、鋳鉄、炭素鋼(ステンレス鋼などの合金鋼を含む)なども使用することができる。その他、プラスチックやガラス繊維や炭素繊維で強化した複合材料の使用も可能である。鋳造されたロールについては、ロール表面に鋳巣が発生することがあるので、これらは予めスポット溶接や金属ピンを埋め込むなどの方法によって、補修しておく。
【0021】
(2)ロール表面のブラスト加工工程;
研削や研削−研磨した前記ロール基材の表面に対して、Alグリッドを用いてブラスト加工して、所定の粗面化状態に仕上げる。ただし、次工程の溶射皮膜の施工に際して、高速フレーム溶射法を適用する場合には、飛行する硬質溶射粒子の速度が大きくなる場合(例えば、300m/s以上)には、ブラスト加工による粗面化処理を省略しても差し支えない、その理由は、硬質の炭化物サーメット溶射粒子は、大きな飛行速度でロール表面に衝突すると、基材の表面に突きささって、強い密着力を有する皮膜となるからである。
【0022】
(3)溶射皮膜の施工工程;
本発明では、画線部形成面となるDLC膜の形成に先立って、該ロール基材の表面に対し、炭化物サーメットの溶射皮膜を施工する。使用する炭化物としては、WC、TiC、Cr、MoCなどの単独または2種以上の複合炭化物が好適であり、特に硬質のWC、WC−Crが好ましい。また、金属成分としては、Ni、Cr、Mo、CoおよびAlから選ばれるいずれか1種以上の金属を5〜30mass%含有させる。炭化物単独では、溶射法によって密着性のよい皮膜を形成するのが困難であるうえ、たとえ皮膜が形成できたとしても、その皮膜は多孔質であり、DLC被覆用の下地として適していないからである。炭化物に金属成分を添加したサーメット溶射粉末材料は、溶射熱源中において、金属成分が完全に溶融し、これがロール基材との接合力を向上させるとともに、皮膜を構成する粒子同士の相互結合力を増強させる一方、気孔の発生を最少限に止めるからである。なお、炭化物サーメット溶射粒子の大きさとしては、粒径5〜70μmの範囲がよく、5μmより小さい粒径では、溶射ガンへの連続的な均等供給が困難であり、一方、70μm以上の大きな粒子では、溶射熱源中で完全に溶融することがなく、その結果、形成される皮膜が多孔質になりやすいからである。
【0023】
炭化物サーメット溶射皮膜を形成するには、大気プラズマ溶射法、減圧プラズマ溶射法、高速フレーム溶射法、爆発溶射法などがよく、特に高速フレーム溶射法が好適である。高速フレーム溶射法は、熱源温度は比較的低いが(1800〜2200℃)、速度が1000/s以上にもなるため、炭化物の熱分解による変質を抑制できる上、溶射粒子に大きな運動エネルギーを与え、強い衝撃力を伴なって粒子が付着堆積して、緻密な皮膜を形成するからである。
【0024】
炭化物サーメット溶射皮膜の膜厚は、30〜200μmの範囲がよく、30μmより薄い皮膜では、部分的に気孔の多い皮膜が形成されやすいうえ、均等な皮膜が得られ難いからである。一方、200μm以上の膜厚に形成しても、DLC被覆の下地皮膜として格段の効果が得られず、却って生産コストの増大原因となる。
【0025】
(4)炭化物サーメット皮膜の表面仕上げ工程;
炭化物サーメット溶射皮膜の表面をダイヤモンド系のグラインダー砥石や研磨剤を用いて、研削しまたは研削後、鏡面状態に研磨して仕上げる工程である。この工程における炭化物サーメット溶射皮膜表面の仕上げ程度によって、次工程のDLC被覆の効果が大きな影響を受ける。この工程において行う溶射皮膜の表面粗さは、Ra:0.05〜8.00μm、Rz:0.5〜20μmの範囲内にするが、とくにRzの制御が重要である。例えば、図3は、研削あるいは研削−研磨した溶射皮膜表面に、直接、DLCを形成した場合の断面を模式的に示したものである。図3(a)は、Ra値は低くても、Rz値が高いため、DLC膜の表面に突き出る突起35があったり、また、表面近傍近くに達する突起33が存在する状態を示したものである。このような粗い表面に被覆したDLC膜をレーザビームによって彫刻を行うと、前記突起33、35の影響を受けやすく、良好な彫刻面は得られない。一方、図3(b)は、Ra値、Rz値ともに低く、このような表面に被覆したDLC膜は下地の影響を受けない膜になることを示したものである、この図3(b)では、Rz値を示す突起33の高さが、DLC膜厚の50%未満程度である。従って、好ましくは、このような状態のDLC膜に対して、レーザビームを照射して画線部用凹部形成のためのレーザビーム彫刻の加工を行う。ここで、図示の31は、炭化物サーメット溶射皮膜、32はRaで示される表面粗さ、33はRzで示される表面粗さ、34はDLC膜、35はDLC膜で被覆できなかったRzで表示される粗さの突起である。
【0026】
グラビア印刷においては、一般に大面積、太字、大きい数字などを印刷する場合には、溶射皮膜の表面粗さは、Ra=0.05〜8.00μm、Rz=0.5〜20μm程度だとしても、この上に形成するDLC膜厚が40μm以上あれば良好なレーザビーム彫刻溝が得られる。逆に、精密で小さい文字や数字、線を印刷する場合には、溶射皮膜の表面粗さをRa=0.05〜0.8μm、Rz:0.5〜1.5μmの範囲に仕上げ、この表面にDLC膜を3〜5μmの範囲に形成するようにする。
以上説明したように、本発明で採用するDLC膜を被覆するための炭化物サーメット溶射皮膜の表面仕上げは、その表面粗さのRz値の2倍以上の厚さにすることが必要であることとなる。
【0027】
(5)DLC膜の被覆形成工程;
次いで、炭化物サーメット溶射皮膜の表面を研削、または研削−研磨した面に対するDLC膜を被覆形成する方法およびその装置について具体的に説明する。本発明で溶射皮膜表面に形成するDLC膜は、イオン化蒸着法、アークイオンプレーティング法、プラズマブースター法および高周波・高電圧パルス重畳型プラズマCVD法(以下、「プラズマCVD法」という)などの方法によっても形成はできるが、以下の説明は、特に厚膜の形成に適したプラズマCVD法について具体的に説明する。
【0028】
図4は、前述のような工程を経て製造された炭化物サーメット溶射皮膜を形成したロール基材の表面に、DLC膜を被覆形成するために用いられるプラズマCVD装置の一例を示す略線図である。プラズマCVD装置は、主として、接地された反応容器41と、この反応容器41内に高電圧パルスを印加するための高電圧パルス発生電源44、被処理体(以下、「製版ロール」という)42の周囲に、単価水素系ガスプラズマを発生させるためのプラズマ発生電源45が配設されているほか、導体43および製版ロール42に高電圧パルスおよび高周波電圧の両方を同時に印加するための重畳装置46が、高電圧パルス発生電源44とプラズマ発生電源45との間に介装配置されている。なお、導体43および製版ロール42は、高電圧導入部49を介して重畳装置46に接続されている。
【0029】
このプラズマCVD装置は、反応容器41内に成膜用の有機系ガスを導入するためのガス導入装置(図示せず)および、反応容器41を真空引きする真空装置(図示せず)が、それぞれバルブ47aおよび47bを介して反応容器41に接続される。
【0030】
このプラズマCVD装置を用いて、被処理体の表面にDLC薄膜を成膜させるには、まず、製版ロール42を反応容器41内の所定位置に設置し、真空装置を稼動させて該反応容器41内の空気を排出して脱気した硬、ガス導入装置によって有機系ガスを該反応容器41内に導入する。
【0031】
次いで、プラズマ発生用電源45からの高周波電力を製版ロール42に印加する。なお、反応容器41は、アース線48によって電気的に中性状態にあるため、製版ロール42は、相対的に負のプラズマ中のプラスイオンは、負に帯電したキャリア本体42のまわりに発生することになる。
【0032】
そして、高電圧パルス発生装置44からの高電圧パルス(負の高電圧パルス)を製版ロール42に印加すると、有機系導入ガスプラズマ中のプラスイオンは、該印刷用ロール42の表面に誘引吸着される。このような処理によって、該製版ロール42の表面に、DLC膜が生成して膜が形成される。即ち、反応容器41内では、最終的には炭素と水素を主成分とするアモルファス状炭素水素固形物からなるDLC膜が、製版ロール42のまわりに気相折出し、これを被覆するようにしてDLC膜が形成されるものと考えられる。
【0033】
なお、発明者等は、上記プラズマCVD装置により形成されるアモルファス状炭素水素固形物からなるDLC膜は、以下の(a)〜(d)のプロセスを経て形成されるものと推測している。
【0034】
(a)導入された炭化水素ガスのイオン化(ラジカルと呼ばれる中性な粒子も存在する)がおこり、
(b)炭化水素ガスから変化したイオンおよびラジカルは、負の電圧が印加されたキャリア本体42の表面に衝撃的に衝突し、
(c)衝突時のエネルギーによって、結合エネルギーの小さいC−H間が切断され、その後、活性化されたCとHが重合反応を繰り返して高分子化し、炭素と水素を主成分とするアモルファス状の炭素水素固形物を気相析出し、
(d)そして、上記(c)の反応が起こると、製版ロール42の表面には、アモルファス状炭素水素固形物の堆積層からなるDLC薄膜が形成されることになる。
【0035】
なお、この装置では、高電圧パルス発生電源44の出力電力を、下記(a)〜(d)のように変化させることによって、キャリア本体42に対して金属等のイオン注入を実施することもできる。
(a)イオン注入を重点的に行う場合:10〜40kV
(b)イオン注入と皮膜形成の両方を行う場合:5〜20kV
(c)皮膜形成のみを行う場合:数百V〜数kV
(d)スパッタリングなどを重点的に行う場合:数百V〜数kV
【0036】
また、前記高電圧パルス発生源44では、
パルス幅:1μmsec〜10msec
パルス数:1〜複数回のパルスを繰り返すことも可能である。
【0037】
また、プラズマ発生用電源45の高周波電力の出力周波数は、数十kHZから数GHzの範囲で変化させることができる。
【0038】
このプラズマCVD処理装置の反応容器41内に導入させる成膜用有機系ガスとしては、以下の(イ)〜(ハ)に示すような炭素と水素からなる炭化水素系ガス、およびこれにSi、Al、YおよびMgなどのいずれか1種のものが添加された金属有機化合物を用いる。
【0039】
(イ)常温(18℃)で気相状態のもの
CH、CHCH、C、CHCHCH、CHCHCHCH
(ロ)常温で液相状態のもの
CH、CCHCH、C(CH、CH(CHCH、C12
Cl
(ハ)有機Si化合物(液相)
(CSi、(CHO)Si]、[(CHSi]
【0040】
上記の反応容器41内への導入ガスは、常温で気相状態のものは、そのままの状態で反応容器41内に導入できるが、液相状態の化合物はこれを加熱してガス化させ、そのガス(蒸気)を反応容器41内へ供給することによってDLC膜を形成することができる。
【0041】
なお、研削または研削−研磨した炭化物サーメット溶射皮膜の表面に形成するDLC膜は、次に示すような特性を有する。
(a)前記DLC膜を構成する炭素と水素含有量の比率
DLC膜は、硬く耐摩耗性に優れているものの成膜時に大きな残留応力が発生するため、柔軟性に欠ける特性がある。このため、DLC膜に局部的な微小欠陥が発生したり、また、レーザによる彫刻時に、僅かな彫刻形状差が局部的に発生したりすると、DLC膜は、留応力によって剥離しやすくなるので、残留応力を軽減させることが大切である。
【0042】
この対策として、本発明ではDLC膜を形成する炭素と水素の割合に注目し、特に、水素含有量を全体の12〜30原子%に制御することによって、DLC膜に対磨耗性とともに柔軟性を付与することにした。具体的には、このDLC膜中に含まれる水素含有量を12〜30原子%とし、残部を炭素含有量とした。このような組成のDLC膜を形成するには、成膜用の炭化水素系ガス中に占める水素含有量が異なる化合物を混合することによって果すことができる。
なお、このような前記水素含有量であるDLC膜は、その表面硬さが、マイクロビッカース硬さで、Hv:700〜3000の範囲となるので、工具鋼などに形成されるDLC膜に比較すると、はるかに軟質であり、ある程度の変形にも耐える柔軟性もある。
【0043】
(b)レーザビーム熱源を用いた彫刻加工に適したDLC膜の残留応力
気相状態の炭化水素ガスから析出する固相状態のDLC膜には、必然的に残留応力が発生する。大きな残留応力を内蔵するDLC膜は、膜厚が大きくなるほど残留応力も大きくなるため、最終的には残留応力が膜の密着強さより大きくなって、DLC膜が剥離することとなる。現在DLC膜の形成方法として多くの種類の装置が開発されているが、その適用条件の一つが形成されるDLC膜の残留応力によって決定される限界膜厚である。
【0044】
また、比較的厚膜のDLC膜は、この膜が形成できたとしても、レーザビームによって彫刻加工して得られたその凹部に膜の残留応力が集中して、DLC膜が局部的に破壊したり、剥離することとなるので、DLC膜の残留応力の最適値を決定することは非常に重要である。
【0045】
以上のような理由から、発明者らは、つぎのような方法によって、DLC膜の残留応力を測定した。DLC膜の残留応力の評価は、図5に示すように、試験片の一端を固定した短冊形の薄い石英基板(寸法:幅5mm×長さ50mm×厚さ0.5mm)上に、DLC膜を形成させ、成膜前後の石英基板の変位量(δ)を測定して、膜の残留応力を求めたものであり、具体的には、次のStoneyの式から残留応力(σ)を計算した。
【0046】

E:基板のヤング率=76.2GPa
v:基板のポアソン比=0.14
b:基板の厚さ=0.5mm
l:DLC膜が形成された基板の長さ
δ:変位量
d:DLCの膜厚
【0047】
表1は、上記の方法によって求めた各種のDLC膜の残留応力値を要約したものである。この結果から明らかなように、アークイオンプレーティング法、イオン化蒸着法などの方法で形成されたDLC膜の残留応力は10〜18GPaであるのに対して、プラズマCVD法で得られるDLC膜の残留応力は0.30〜0.98GPaの範囲にあり、非常に低い残留応力値であった。
【0048】
なお、この試験においてDLC膜の最大形成厚さを試みたところ、プラズマCVD法では、成膜時間は長くなるものの厚さ50μmの膜は形成できた。しかし、他の成膜では3μm厚さ以上の膜の形成は困難であった。
【0049】
【表1】

【0050】
(c)本発明の方法によって被覆形成されるDLC膜は、これを直ちにレーザビームによる彫刻加工に供することは可能であるが、本発明では、さらに印刷インキの性質に応じて適切に対応するため、DLC膜の表面に対して、親水性を付与し、水溶性の印刷インキに対しても充分な濡れ性能を発揮するように工夫した。即ち、前記の方法で得られるDLC膜中に金属微粒子を共析させ、さらにこれを酸化させて金属酸化物の微粒子とすることによって、その表面を、親水性を有する表面に変化させて、水溶性の印刷インキの濡れ性を向上させたのである。
【0051】
一般に、金属酸化物を含まないアモルファス状DLC膜自体は、前記プラズマCVD法はもとより、イオン化蒸着法、アークイオンプレーティング法、プラズマブースター法のいずれの方法によって形成しても、そのDLC膜の表面は親油性を示すため、油性インキの濡れは良好であるものの、最近、環境に優しい印刷インキとして採用されている水性インキの濡れ性が悪い傾向があり、印刷物の品質低下原因の一つとなる可能性が大きい。
【0052】
そこで、本発明では、前記欠点を解決するために、DLC膜形成用原料、即ち、成膜用有機系ガスとして、有機金属化合物を含むものを用いることとした。この有機金属化合物ガスを用いた方法によって形成されたDLC膜には、金属の微粒子が共析し、さらにこれを金属酸化物の微粒子に変化させることによって、疎水性から親水性に変えることができる。
【0053】
以下に、金属の微粒子を共析させるDLC膜の形成方法について、具体的に説明する。
図4に示した反応容器41内に導入するガスの種類は、炭素と水素とからなる炭化水素およびこれに所定の元素(SiやAl、Y、Mgなどから選ばれる一種類以上の金属もしくはこれらの合金)を結合させた有機金属化合物ガスである。
【0054】
前記有機金属化合物ガスの例としては、例えば、Siの微粒子を析出させたい場合には、(CO)Si、(CHO)Si、[(CHSi]などが好適である。一方、Al、Y、Mgなどを析出させるには、上記有機金属化合物ガス中のSiの代わりに、Al、Y、Mgを付加した組成のガスを使用すればよい。また、(C1119)基または(C1221)基に、Si、Al、Y、Mgなどの元素を付加した有機金属化合物を使用しても、炭素と水素とを主成分とし、Si、Al、Y、Mgなどの元素を分散含有したアモルファス状膜を形成できる。なお、常温で気相状態の有機化合物ガスは、そのままの状態で反応容器41に導入できるが、液相状態の化合物はこれを加熱してガス化させ、この蒸気を反応容器41中に供給する。有機Si化合物ガスを用いてアモルファス状膜を形成すると、この膜中にはSiの微粒子が共析して混入し、とくにその一部のSiについては炭素と強く結合し、SiCを生成する可能性があるが、これは本発明の作用効果の妨げとはならない。
【0055】
上記のような有機金属化合物ガスを用いて、共析するDLC膜中の金属粒子の粒子径は、Si≒2.34Å(2.34×10−10m)、Al≒2.86Å(2.86×10−10m)、Y≒3.64Å(3.64×10−10m)、Mg=≒3.20Å(3.20×−10m)程度であるため、図6に示すように、光学顕微鏡はもとより、電子顕微鏡でさえも判別困難なほど微細であり、印刷に影響を与えることはない。
【0056】
DLC膜中に共析した金属微粒子の酸化方法としでは、
(a)酸素ガス中または酸素ガスを含むガス雰囲気中で加熱する、
(b)酸素ガスプラズマによって酸化させる、
のいずれの方法によっても行うことができる。以下これらの方法について説明する。
【0057】
(a)酸素ガスを含む雰囲気中で加熱する方法
所定の微粒子(SiやAl、Y、Mgなどから選ばれる一種類以上の金属またはこれらの合金)を含むDLC膜を、空気中または酸素ガスを含む雰囲気での環境で加熱すると、このDLC膜に含まれている超微粒子は、膜の表面から酸化して酸化物に変化する。具体的には、Si→SiO、Al→A1、Y→Yなど化学的に安定な酸化物に変化して、親水性を発揮することとなる。この場合の加熱温度は、上限が500℃である。この温度を500℃以上に加熱すると、炭素と水素を主成分とするDLC膜が劣化するからである。加熱時間はDLC膜に含まれている微粒子の酸化物の変化速度に応じて決定されるが、たとえば0.1hr〜10hr程度である。なお、DLC膜に含まれている超微粒子がすべて酸化物に変化している場合は、それ以上加熱時間を長くするとDLC膜が熱的に劣化するおそれがある。
【0058】
(b)酸素ガスプラズマによって酸化させる方法
例えば、図4のプラズマCVD装置を用い、雰囲気ガスとして、酸素ガスまたはAr、Heなどに酸素ガスを含ませたガスを導入し、所定の超微粒子(SiやAl、Y、Mgなどから選ばれる一種類以上の金属もしくはこれらの合金)を含むDLC膜を有する基材を負に帯電させてプラズマを発生させると、DLC膜に含まれる超微粒子は、励起された酸素イオンの衝撃を受け、表面から酸化物へと次第に変化する。この方法は、DLC膜の形成後、直ちに製品に実施できるうえDLC膜が加熱されるおそれがないため、加熱酸化法に比較すると品質が安定しており、また生産性の向上につながるので有利である。
【0059】
以上説明したような方法によって形成された金属酸化物を含むアモルファス状DLC膜の親水性を、表面に滴下した水滴の接触角を測定すると、次に示すように金属酸化物を含まないDLC膜に比較して34〜42%も小さくなっており、水に滞れ易くなっていることが認められた。
金属酸化物を含むDLC膜の水滴の接触角:15〜20°(親水性)
金属酸化物を含まないDLC膜の水滴の接触角:70〜72°(親油性)
【0060】
なお、DLC膜に共析させる金属酸化物微粒子の含有量は、0.1〜22原子%の範囲がよい。0.1原子%以下の制御は困難であるほか、極少量の酸化物粒子が共析していても十分な効果が得られるからである。また、22原子%以上共析させても水濡れの効果に格段の差が生じないからである。
【0061】
DLC膜中に共析させた金属酸化物の微粒子は、親水性にすぐれるほか、硬質であるため対摩耗性もよい。図6は、SiO微粒子を共析させた代表的なDLC膜の断面SEM像を示したものである。
【0062】
以上のような方法でロール基材上に被覆形成されたDLC膜の厚さは、金属酸化物微粒子の共析の有無に拘わらず、3〜50μmの範囲が適当である。それは、DLC膜厚が3μm以下では、次工程のレーザビームによる彫刻加工精度の僅かな低下が、DLC膜の寿命を短くするからであり、一方、50μm以上の膜厚に形成するには、長時間を要して、生産コストの上昇を招くからである。
【0063】
(6)仕上げ研磨工程;
前記工程を経て製作されたロール基材上のDLC膜は、次いで、レーザビームによる彫刻加工に先立ち、図2に示すように、必要に応じてバフなどによる仕上げ研磨を行い、Ra値で0.013μm以下の平滑面にする。とくに、厚膜のDLC膜を形成した場合はこの工程の処理を施すことが好ましい。もちろん、薄膜の場合でも、それが薄すぎない限り、成膜時に突発的に発生するDLC成分の微小な突起物の影響が考えられる場合には、そのDLC膜の表面を研磨して、Ra:0.013μm以下、Rz:0.16μm以下の粗さ表面に仕上げることが好ましい。これは、この程度の平滑な表面にすると、後工程でのレーザビームによる彫刻加工精度が向上するのみならず、画線部用凹部の溝形状精度の向上に有効だからである。
【0064】
(7)レーザビームによるDLC膜への彫刻加工工程;
前述した工程を経て、形成されたロール基材上のDLC膜表面に、レーザビームを照射することによって、画線部形成用凹部となるレーザビーム彫刻溝を形成する。
この工程で、レーザ光源として用いるのは、COレーザ、YAGレーザあるいはArレーザなどであり、これらをロールを回転させつつ、また、レーザ熱源側を移動しながら、DLC膜の表面にレーザビーム照射処理を行う。この操作は、コンピューターによる自動操作によって行うが、彫刻溝の大小(幅、深さ)によってレーザビームをレンズによって調整する。その結果、DLC膜自体は、レーザビームによって局部的に加熱され、過熱部のDLC膜のみが、CO、HOなどの気体となって、大気中の揮発、揮散するため、DLC膜面には溶融物などが残存するようなことが全くなく、精密で正確な彫刻溝を形成することができる。
【0065】
図7は、本発明の方法によって、レーザ彫刻を行ったDLC膜の外観SEM像を示したものである。本発明のレーザ熱源としては、下記の仕様のものが用いられるが、金属やセラミックスの彫刻に適用されているものに比較すると、比較的低出力のものでよい。
レーザ出力:50W〜1KW
パルス周波数:10000Mz〜50000Hz
進行速度:0.1〜300mm/min
【実施例】
【0066】
<実施例1>
この実施例では、アルミニウム製基材に各種の方法で皮膜を形成させた後、その皮膜の表面にDLC膜を被覆形成したものについて、JIS R3255ガラス基板とした薄膜の付着性試験方法に規定されているスクラッチ試験によって、DLC膜の密着強さを調査した。
(1)基材
試験片基材として、JIS H4000規定の1050級のアルミニウムを用い、寸法;幅50mm×長さ70mm×厚さ5mmの試験片を切り出した。
【0067】
(2)成膜方法と皮膜の種類
前記Al試験片の片面に対し、下記の成膜方法によって、それぞれDLC膜の下地となる皮膜を形成した。
(イ)溶射法:WC−12mass%Co、WC−20mass%Ni−7mass%Cr、TiC−20mass%Ni、Cr−20mass%Ni−7mass%Cr、Cu、Ni、Cr
Crのみ大気プラズマ溶射法、他は高速フレーム溶射法を用い、それぞれの膜厚は50μmとした。
(ロ)PVD法:Cr、Ar
電子ビーム熱源を用いる物理蒸着法によって、膜厚3μmの皮膜を形成した。
(ハ)電気めっき法;Cu、Ni、Cr
電気めっき法によって、それぞれ5μmの皮膜形成した。
【0068】
(3)DLC膜の被覆形成法
プラズマCVD法によって、各種の皮膜表面に5μm厚のDLC膜を被覆したが、この実施例ではAl試験片に対してDLC膜を直接被覆したものも比較例として準備した。
【0069】
(4)スクラッチ試験
スクラッチ試験は、JIS R3255に規定されているガラスを基板として薄膜の付着試験方法に準じて実施し、ダイヤモンド針に30Nの負荷を与えつつ、針を移動することによって発生する傷の状態を拡大鏡によって観察記録した。
【0070】
(5)スクラッチ試験結果
スクラッチ試験結果を表2に要約した。この結果から明らかなように、Cu、Ni、Alなどの皮膜の表面に形成したDLC膜は、溶射法、PVD法、電気めっき法など、成膜方法がいずれであっても、密着性に乏しく容易に剥離した。しかし、Cr皮膜上に形成したDLC膜は何れの成膜法で形成しても、その表面に被覆されたDLC膜は非常に良好な密着性を示した。ただ、溶射法によるCr皮膜は多孔質であるため、被覆されたDLC膜は、その影響を受け平滑性に欠ける傾向が認められた。
PVD法、電気めっき法で得られたCr皮膜は平滑であるため、これら皮膜上に形成されるDLC膜もまた非常に平滑であり、本発明の目的に十分適用可能であるが、何れも生産性に劣り、また、大きな部材に対する施工に難点があり、さらに電気めっきによるCr膜は、その製造工程においてCr6+を使用するため、安全、衛生的に問題がある。
【0071】
これに対して、本発明に係る炭化物サーメット溶射皮膜上に被覆されたDLC膜(No.1〜4)は、良好な密着性を示し、DLC膜が剥離する現象は殆ど認められず、また、剥離が認められたとしても、極めて局部的かつ小さな面積であった。
なお、図8はスクラッチ試験後のDLC膜に残存するスクラッチ傷の代表的な外観を示したものである。
【0072】
【表2】

【0073】
<実施例2>
この実施例では、各種の金属酸化物を共析させたDLC膜の水濡れ状態を調査するとともに、DLC膜を被覆形成した試験片を90°に曲げた上体で塩水噴霧試験を行いDLC膜の健全性を評価した。
(1)供試基材として溶射皮膜
供試基材として、SK鋼を用い、寸法;幅30mm×長さ70mm×厚さ3mmの試験片を切り出し、その片面のみをプラズマ粗面化加工後、WC−20Niー7Cr(数字はmass%)を高速フレーム溶射法によって、80μmの厚さに皮膜を形成した。さらに、その表面をRa:0.5〜0.8μmに研磨仕上げを施した。
(2)DLC膜の性状
試験片の溶射皮膜施工面を含む全面に対して、下記金属をDLC膜中に共析させた後、酸素プラズマ処理によって酸化物に変化させた膜を3μm厚に形成させた。
(イ)共析させた酸化物の種類と共析状況
単独酸化物:SiO、Y、Al、MgO
複合酸化物:SiO/Y、SiO/Al、Al/Y
なお、単独酸化物および複合酸化物のDLC膜中の含有量は、0.5原子%、複合酸化物における2種類の金属酸化物の含有比はそれぞれ1対1である。
また、DLC膜中の水素含有量が20原子%、残部は炭素である。
【0074】
(3)試験方法
(イ)水濡れ試験:水濡れ試験は水道水を試験片の表面に滴下し、DLC膜表面における水濡れ状況を目視観察した。
(ロ)耐食性試験:試験片を中央部を起点として90°に曲げた後、JIS ZZ2371規定の塩水噴霧試験に96hr暴露し赤さびの発生の有無を調査した。
【0075】
(4)試験結果
試験結果を表3に要約した。この試験結果から明らかなように、金属酸化物の微粒子を共析させたDLC膜に滴下した水は、全面に濡れるのに対し、酸化物を共析させていないDLC膜は、接触角を90°に曲げた後、そのままの状態で塩水噴霧試験に供しても、DDLC膜には赤さびの発生は認められなかった。この結果から、炭化物サーメット溶射皮膜の表面に形成させた酸化物微粒子を共析したDLC膜は、多少の変形を受けても、膜自体にクラックや剥離現象を発生せず、酸化膜を含まないDLC膜と同等の耐食性を有することが確認された。
【0076】
【表3】

【0077】
<実施例3>
この実施例では、本発明に係るDLC膜に対して、親油性(疎水性)と親水性(疎油性)を付加し、その表面に対する油と水の濡れ状況を調査した。
(1)供試基材と溶射皮膜
供試基材として、SUS304鋼を用い、寸法;幅50mm×長さ100mm×厚さ3.2mmの試験片を切り出し、その片面のみをプラズマ粗面化処理を行い、粗面化面に高速フレーム溶射法によって、100μm厚のWC−12mass%Coサーメット皮膜を形成させた。さらにこの溶射皮膜の表面をRa:1.1〜1.4μm、Rz:5〜9μmに仕上げた。
【0078】
(2)DLC膜の性状
溶射皮膜の表面に対して、DLC膜を5μm厚に形成したが、DLC膜には下記に示すような処理を施して、親水性に変化させた。
(イ)疎水性DLC膜:水素含有量18原子%残部炭素からなる膜
(ロ)親水性DLC膜:上記DLC膜表面に金属酸化物の例としてSiOを1.2原子%に共析させた膜
【0079】
(3)試験方法
供試DLC膜試験片の表面にコロイダルシリカを含む水スラリ研磨剤を滴下した後、これを90°の温風炉内に静置して、水分のみを蒸発させた。その後、DLC膜の表面に残留するコロイダルシリカ粒子の分布状況を20倍の拡大鏡により観察して、水濡れの良否を比較した。この方法を採用した理由は、水スラリ研磨剤が存在した場所では、水が蒸発した後には、必ずコロイダルシリカ粒子が残存し、しかもその残存分布量の均等化などによって、水濡れの程度を知ることができることを予備実験によって確認したからである。
【0080】
(4)試験結果
表4に試験結果を要約した。この試験結果から明らかなように、疎水性を示すSiO粒子を含まないDLC膜は水スラリ研磨剤を全面に滴下しても、直に大小の水溜り状となって分散した。その後、温風炉によって水分を蒸発させた疎水性のDLC膜では、固形状の微細なコロイダルシリカ粒子が局所的に残留し、水濡れ面積が小さく、また不規則的分布状況にあることが認められた。これに対して、本発明に適合する親水性を付与したDLC膜では、コロイダルシリカが全面にわたって均等に分布しており、図9は、以上の水スラリ研磨剤の現象を模式的に示したものである。ここで、図9の(a)は、疎水性のDLC膜62の表面に、水スラリ研磨剤94を滴下した状態を示したもので、滴下された水スラリ研磨剤94は、基材91上に大小の水溜状となって局部的に分散している。この状態の試験片を90℃の温度に加熱して、水分を蒸発させたのが図9の(b)である。白色の微細なコロイダルシリカ粉末95が、スラリ研磨剤が存在していた個所のみに集中して残留していることがわかる。
【0081】
一方、図9の(c)は、DLC膜にSiO粒子を共析させて親水性を付与したDLC
膜93に対して、水スラリ研磨剤94を滴下した状態を示したもので、DLC膜92全体をよく濡れている状態にある。これを乾燥させると図9の(d)に示すように、コロイダルシリカもまたDLC膜93の全面に均等に分散しており、親水性を付与したDLC膜は、シリコンウエハの研磨時において水スラリ研磨剤94を均等に分散させ、シリコンウエハの研磨効率の向上とともに均等研磨に対しても有効な対策であることがうかがえる。なお、ここで91は基材、92はDLC膜、93はSiO粒子を含むDLC膜、94はコロイダルシリカを含む水スラリ研磨剤、95は水分の蒸発後にDLC膜上に残存したコロイダルシリカ粒子である。
【0082】
【表4】

【0083】
なお、水を油(ミシン油)に変えて、DLC膜の濡れ性を調査した結果、疎水性のDLC膜には全面にわたって油膜が均等に存在したが、SiOを含む寸水性のDLC膜では、油膜の均等な濡れ性は観察できなかった。
以上の結果から、本発明に係るDLC膜は、印刷インキの油性、水性の両者に対して、良好な濡れ性を有する性質を付与できることを明らかにした。
【産業上の利用可能性】
【0084】
本発明に係るDLC膜へのレーザビーム照射による彫刻溝形成技術は、単にグラビア製版に限定されず、凸版、平版、孔子版、無版などにも十分適用可能である。また、基材の形状がロールに限らず、平板であってもよい。例えば、DLC膜は、ガラス、プラスチックなどの表面にも形成可能であるので、これらの表面にDLC膜を被覆形成した後、これにレーザビーム加工して印刷の版としたり、さらに彫刻部に各種の色彩のインキを滞留させるなどによって、新しいアート製品の製作も可能である。機械装置の軸受やシャフト類などの摺動部にDLC膜を被覆形成した後、この膜にレーザビームによって螺旋形の溝を加工して、潤滑油の通路として使用することもできる。
【符号の説明】
【0085】
1 彫刻用ロール基材
2 炭化物サーメット溶射皮膜
3 DLC膜
4 レーザビーム彫刻溝(画線部用凹部)
31 炭化物サーメット溶射皮膜
32 Raで示される表面粗さ
33 Rzで示される表面粗さ
34 DLC膜
35 DLC膜で被覆できなかったRzで表示される粗さの凸部
41 反応容器
42 製版ロール(被処理体)
43 導体
44 高電圧パルス発生源
45 プラズマ発生源
46 重畳装置
47a、48b バルブ
48 アース線
49 高電圧導入端子
91 基材
92 DLC膜
93 SiO粒子を含むDLC膜
94 コロイダルシリカを含む水スラリ研磨剤
95 残留したコロイダルシリカ粉末

【特許請求の範囲】
【請求項1】
ロール基材と、そのロール基材の表面に形成された炭化物サーメット溶射皮膜と、その炭化物サーメット溶射皮膜の表面に形成された、画線部用凹部であるレーザビーム彫刻溝を有するDLC膜層とからなることを特徴とする印刷用ロール。
【請求項2】
前記DLC膜は、厚さが3〜50μmで、炭素:70〜88原子%、水素:12〜30原子%の化学成分からなり、かつ硬さHvが700〜3000であることを特徴とする請求項1に記載の印刷用ロール。
【請求項3】
前記DLC膜は、Si、Y、AlおよびMgから選ばれたいずれも1種以上の金属の酸化物微粒子を、0.1〜22原子%含有させて親水性を付与したものであることを特徴とする請求項1または2に記載の印刷用ロール。
【請求項4】
レーザビーム彫刻溝を有するDLC膜は、残留応力が1.0GPa未満であることを特徴とする請求項1〜3のいずれか1に記載の印刷用ロール。
【請求項5】
前記DLC膜は、仕上げ研磨面の粗度が、Ra≦0.013μm、Rz≦0.16μmであること特徴とする請求項1〜4のいずれか1に記載の印刷用ロール。
【請求項6】
ロール基材の表面をブラスト処理によって粗面化し、粗面化された加工面に溶射法によって炭化物サーメット溶射皮膜を被覆形成し、その炭化物サーメット溶射皮膜の表面を研削または研削−研磨し、研削または研削−研磨した炭化物サーメット溶射皮膜の表面にDLC膜を被覆形成し、次いで、そのDLC膜表面にレーザビームによって彫刻し、画線部用凹部であるレーザビーム彫刻溝を形成することを特徴とする印刷用ロールの製造方法。
【請求項7】
ブラスト処理によって粗面化したロール基材の表面粗さを、Ra:5〜12μmに調整し、その後、この粗面化加工面に、WC、TiC、CrおよびMoCから選ばれるいずれか一種以上の金属炭化物を95〜70mass%、Ni、Cr、Mo、CoおよびAlから選ばれるいずれか一種以上の金属を5〜30mass%含有する炭化物サーメット溶射皮膜を形成することを特徴とする請求項6に記載の印刷用ロールの製造方法。
【請求項8】
前記炭化物サーメット溶射皮膜の表面を、研削または研削−研磨することによって、Ra:0.05〜8.00μm、Rz:0.5〜20μmの粗さにすることを特徴とする請求項6または7に記載の印刷用ロールの製造方法。
【請求項9】
前記DLC膜は、厚さが3〜50μmで、炭素:70〜88原子%、水素:12〜30原子%の化学成分からなり、かつ硬さHvが700〜3000であることを特徴とする請求項6〜8のいずれか1に記載の印刷用ロールの製造方法。
【請求項10】
前記DLC膜は、Si、Y、AlおよびMgのうちから選ばれるいずれか1種以上の金属の酸化物微粒子を、0.1〜22原子%含有させて親水性を付与したものであることを特徴とする請求項6〜9のいずれか1に記載の印刷用ロールの製造方法。
【請求項11】
前記DLC膜は、その表面を、Ra≦0.013μm、Rz≦0.16μm程度の粗さに仕上げ研磨することを特徴とする請求項6〜10のいずれか1に記載の印刷用ロールの製造方法。
【請求項12】
前記DLC膜は、COレーザ、YAGレーザ、Arレーザ、エキシマレーザのうちから選ばれるいずれか1種のレーザビーム熱源を用いて画線部用凹部が彫刻されたものであることを特徴とする請求項6〜11のいずれか1に記載の印刷用ロールの製造方法。
【請求項13】
前記DLC膜は、残留応力が1.0GPa未満であることを特徴とする請求項6〜12のいずれか1に記載の印刷用ロールの製造方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【図9】
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【公開番号】特開2010−137540(P2010−137540A)
【公開日】平成22年6月24日(2010.6.24)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2009−78054(P2009−78054)
【出願日】平成21年3月27日(2009.3.27)
【出願人】(000109875)トーカロ株式会社 (127)
【Fターム(参考)】