説明

収穫後農産植物用糖度向上剤及び収穫後農産植物の糖度向上方法

【課題】収穫後農産植物の糖度を効果的に向上させることができ、効率的な農業生産が行える安全性の高い収穫後農産植物用糖度向上剤及び収穫後農産植物の糖度の向上方法を提供する。
【解決手段】芳香族有機酸と炭酸塩を含有することを特徴とする収穫後農産植物用糖度向上剤、及び該糖度向上剤を収穫後の農産植物と同一雰囲気中に共存させ、炭酸ガスを発生させる収穫後農産植物の糖度向上方法である。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、収穫後農産植物用糖度向上剤及び収穫後農産植物の糖度向上方法に関する。さらに詳しくは、果実などの多くの農産植物の食味の指標となる糖度を、収穫後の輸送、貯蔵及び保存中、特に低温雰囲気が用いられる冷蔵輸送、冷蔵貯蔵及び冷蔵保存中に効果的に増加させることができ、さらに農産植物の変色や柔軟化などの自動劣化を遅延させ、保存性を高めるのにも有効である、効率的な農業生産が行える安全性の高い収穫後農産植物用糖度向上剤及び収穫後農産植物の糖度向上方法に関する。
【背景技術】
【0002】
従来から、野菜や果実などの農産植物の食味を簡便に測る尺度として糖度を酸度で割った糖酸比が用いられてきた。同じ糖酸比でも糖度の高い方がおいしく感じる事例(非特許文献1)や、酸含量の少ないスイカやメロン、或いは酸含量が食味に与える影響が小さなリンゴやモモなどの果実について、食味の指標として全糖値や全糖値と相関する糖度を用いて差し支えないとする一連の報告内容(非特許文献2、3、4、5)があり、これを勘案すると、糖度は野菜や果実などの農産植物の食味的品質を評価する上で最も重要な要素になっていると考えられる。
【0003】
したがって、果実などの農産植物の食味的品質を向上させるために、農産植物中の糖含量或いは糖度を増加させる試みが様々に検討されてきた。例えば、根域制限栽培(非特許文献6)やフィルムマルチ栽培(非特許文献7)などにより乾燥状態を作り出し、作物に水ストレスをかける方法が試みられている。このように、適度な水ストレス下では、糖集積が促進され、糖度を増加させることが知られている(非特許文献8)。
【0004】
一方、別の光合成速度促進による糖度向上方法として、高二酸化炭素濃度の雰囲気における農作物栽培が検討されている。トマトを用いた実験では、実際に高二酸化炭素濃度環境が、果実中の還元糖並びに全糖の蓄積を促進させ、加えて果実重や酸性インベルターゼ活性も増加させたと報告されている(非特許文献9、10)。
【0005】
また、上記の知見と関連する具体的な糖度向上方法として、水ポテンシャルの栽培モデルの水ストレス値と実測した水ストレス値との差異に応じて潅水を施す栽培方法(特許文献1)、光合成促進用二酸化炭素放出性重合体組成物を用いる栽培方法(特許文献2)、農業用マルチフィルムを用いる方法(特許文献3)、収穫前の所定期間低温処理に付する栽培方法(特許文献4)、高電気伝導度養液を用いて高糖度トマトを生産する方法(特許文献5)などが提案されている。
【0006】
しかしながら、これらの提案もそれぞれ別の新たな問題点を内包することとなり、果実などの糖度向上対策の決定打にはなっていない。例えば、栽培時に水ストレスをかけて乾燥状態を作り出す際に、負荷する水ストレスの調節が非常に難しく、ストレスをかけすぎると光合成速度が低下し、糖集積が促進されないばかりか、果実重の低下を招いてしまうことが指摘されている(非特許文献8)。
すなわち、環境ストレス付与(水切り、低温処理など)や植物ホルモン処理(オーキシン処理、アブシジン酸処理など)などの諸施策は、環境ストレス応答機構や植物ホルモンの作用機構が複雑であるため、これらの諸施策を講じることによって再現性が確保される結果を得るには繊細な制御が必要であり、このことが実地に用いる上での障害になっている。
【0007】
また、上記の果実をはじめとする農産植物中の糖度向上への試みは、根域制限栽培、フィルムマルチ栽培、水耕栽培、潅水制限、高二酸化炭素雰囲気栽培などと各々の方法は異なるが、いずれも農産植物の生産時に適用する手段であり、農産植物の糖度向上対策のみに配慮した生産方法としてなら採用も考えられるが、一方で効率的な農業生産が求められる生産農家が実際的に使用できる方法としては問題点を残している。
【0008】
そこで、農産植物の生産時ではなく、収穫後の貯蔵、輸送、保存などのポストハーベスト時に糖度向上技術を適用すれば、より効率的に糖度を向上させられると考えられるが、有効かつ実用的な糖度向上技術や手段は未だ報告されていない。したがって、ポストハーベスト時の糖度向上、すなわち収穫後農産植物の糖度向上対策を具現化した新技術の提案が期待されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0009】
【特許文献1】特開2008−43282号公報
【特許文献2】特開2003−246880号公報
【特許文献3】特開2006−42656号公報
【特許文献4】特開2006−320316号公報
【特許文献5】特開平10−271924号公報
【非特許文献】
【0010】
【非特許文献1】Robert B. Jordan, Richard J. Seelye, and V. Andrew Mcglone:“A Sensory-Based Alternative to Brix/Acid Ratio,” Food Technology, Vol.55, No6, p36〜p44, 2001
【非特許文献2】飯野久栄、大和田隆夫、小沢百合子、山下市ニ:「果実類の糖および酸含量と嗜好に関する研究(第1報)リンゴについて」、食品総合研究所研究報告、第38号、62頁〜66頁、1981年
【非特許文献3】大和田隆夫、小沢百合子、山下市ニ、飯野久栄:「果実類の糖および酸含量と嗜好に関する研究(第2報)モモ・スモモについて」、食品総合研究所研究報告、第38号、67頁〜72頁、1981年
【非特許文献4】大和田隆夫、飯野久栄、石間紀男: 「果実類の糖および酸含量と嗜好に関する研究(第3報)西瓜・メロンについて」、食品総合研究所研究報告、第40号、64頁〜70頁、1982年
【非特許文献5】飯野久栄、大和田隆夫、小沢百合子、山下市ニ:「果実類の糖および酸含量と嗜好に関する研究(第5報)日本ナシについて」、食品総合研究所研究報告、第42号、40頁〜44頁、1983年
【非特許文献6】阿部晴夫:「根域制限栽培によるトマトの高糖度化技術」、農林水産技術研究ジャーナル、第21巻、第7号、23頁〜29頁、1998年
【非特許文献7】矢羽田第二郎、大庭義材、桑原実、松本和紀:「ウンシュウミカンの完熟栽培果実の品質と糖組成に及ぼす品種、地域及びフィルムマルチの影響」、福岡県農業総合試験場報告B(園芸)、通号第13号、53頁〜58頁、1994年
【非特許文献8】小橋謙史:「水ストレス、アブシジン酸(ABA)とモモ果実の糖集積」、農業および園芸、第75巻、第4号、487頁〜495頁、2000年
【非特許文献9】MD.Shahidul Islam, Toshiyuki Matsui, Yuichi Yoshida:“Effects of carbon dioxide enrichment on acid invertase and sugar concentration in developing tomato fruit,” Environment Control in Biology, Vol.32, No4, 245-251, 1994
【非特許文献10】MD.Shahidul Islam, Toshiyuki Matsui, Yuichi Yoshida: “Effects of increased amount of carbon dioxide on soluble sugar concentration and activity of related enzymes during tomato fruit development,” Environment Control in Biology, Vol.33, No3, 185-190, 1995
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0011】
本発明は、上記従来技術の問題点を克服するためになされたものであり、野菜や果実などの収穫後農産植物の全糖含量や糖度を効果的に向上させることができ、効率的な農業生産が行える安全性の高い収穫後農産植物用糖度向上剤及び収穫後農産植物の糖度を向上させる方法を提供することを目的とするものである。
【課題を解決するための手段】
【0012】
本発明者は、鋭意検討を進めた結果、芳香族有機酸と炭酸塩が炭酸ガスを少量ずつ持続的に発生させ、農産植物周辺の二酸化炭素濃度を持続的に高濃度に保ち、農産植物細胞中における炭水化物生成系関連酵素活性化などの生理学的変化を惹起させて全糖含量や糖度を効果的に向上させることにより、上記の如き従来技術の問題が解決されることを見出し、本発明を完成するに至った。
【0013】
すなわち、本発明は、芳香族有機酸と炭酸塩を含有することを特徴とする収穫後農産植物用糖度向上剤、及び該糖度向上剤を収穫後の農産植物と同一雰囲気中に共存させ、炭酸ガスを発生させる収穫後農産植物の糖度向上方法を提供する。
【発明の効果】
【0014】
本発明の糖度向上剤は、農産収穫物の貯蔵や保存に必須な冷蔵条件下においても、優れた炭酸ガス濃度上昇能を発現しつつ、農産植物、特にリンゴやモモなどの果実における生理学的機能を変化させ、該農産植物中の糖度を増加させることができ、同時に糖度向上剤自体の安全性をも具備するものである。また、本発明の糖度向上方法は、収穫後の農産植物の貯蔵、輸送、保存時に施されるため効率的な農業生産を提供することができる。
【発明を実施するための形態】
【0015】
[植物の糖の合成メカニズム]
本発明の収穫後農産植物用糖度向上剤の収穫後農産植物とは、取入れの済んだ農産植物で、貯蔵、輸送、保存、陳列、家庭内保存、冷蔵庫内保存などの状況に置かれている農産植物をいう。本発明で用いられる糖度向上剤及び糖度向上方法によって糖度が向上される農産植物の範疇には、基本的には緑色植物であればどんな農産植物も入るが、とりわけ糖酸比の大きな果実、特にリンゴ、日本ナシ、桃、ブドウ、メロン、洋ナシ、スイカ、柿などがあり、これらは本発明において比較的好適に糖度向上が達成される農産植物である。
【0016】
例えば、農産植物の糖度上昇のための有効手段として、農産植物の周辺における高二酸化炭素濃度の維持が挙げられる。高二酸化炭素濃度環境は、農産植物の生理学的機能の変化を促し、植物体における炭水化物生成系関連酵素を活性化させる。その結果、農産植物の細胞内において糖の蓄積が促進される。
詳しい説明は後述するが、植物の細胞質に存在するショ糖リン酸合成酵素が活性化されると、同化された光合成産物の代謝物からのショ糖合成が促進される。また、液胞内に局在している酸性インベルターゼが活性化されると、該酵素(酸性インベルターゼ)の機能によりショ糖が加水分解され、甘さの強い果糖とグルコースが細胞内に生成、蓄積される。これらの結果が相まって、果実などの農産植物の糖度が向上するものと考えられる。
【0017】
以下に、本発明の糖度向上剤の収穫後農産植物に対する糖度上昇作用をさらに詳しく説明する。
そもそも糖度は果実類の食味を評価する上で最も重要な要素である。糖度を酸度で割った糖酸比は食味を示す指標としてよく用いられ、同じ糖酸比では糖度の高い方が優れた食味を呈する場合が多く、リンゴ、モモ、スイカ、メロン、日本ナシなど多くの種類の果実類において、糖度が食味を左右する第一の要素である場合が多い。
果実などの農産植物の食味を向上させるには、上記のように食味に第一に影響を与える要素である糖度を向上させる手段、すなわち糖を農産植物体内に蓄積する施策が考えられる。植物における糖の蓄積は、光合成により行われているので、光合成の制御に関連する諸因子を検討することにより、糖度向上のための手段を探索することが適当と考えられる。そのような手段の一つとして、本発明者は、上述したように光合成の原料物質である二酸化炭素に着目し、環境に優しい材料による農産植物存在雰囲気の高二酸化炭素濃度化を検討した。
【0018】
ここで、植物において、二酸化炭素によって糖が合成される過程について説明する。
植物は光合成により水と二酸化炭素より糖の前駆物質となる有機物を合成している。この光合成における炭酸同化反応(カルビンベンソン回路)の初発反応では、葉の可溶性タンパク質の40%を占めるといわれているRubisco(リブロース二リン酸カルボキシラーゼ・オキシゲナーゼ)と呼ばれる酵素の働きによって、二酸化炭素は二酸化炭素受容体であるリブロース1,5−二リン酸(RuBP)に固定され、最初の安定な中間産物である3−ホスホグリセリン酸(PGA)が2分子生じる。このPGAはグリセルアルデヒド−3−リン酸にまで還元される。グリセルアルデヒド−3−リン酸はいくつかの反応を経てフルクトース−6−リン酸を生じ、このフルクトース−6−リン酸を原料としてショ糖などの糖が合成される。
【0019】
植物の細胞質にはショ糖リン酸合成酵素(SPS)と呼ばれる酵素が存在し、上記のフルクトース−6−リン酸とUDPグルコースからショ糖リン酸を合成している。このショ糖リン酸はその後脱リン酸され、最終的にショ糖が合成される。このショ糖合成系は上記のSPSが律速しているとされている。
【0020】
上記の炭酸同化反応におけるキー酵素であるRubiscoやショ糖合成系におけるキー酵素であるSPSは、二酸化炭素により活性化されるので、植物は高二酸化炭素濃度環境下に置かれると、ショ糖などの糖の合成が促進されることとなる。また、二酸化炭素は植物体内のインベルターゼ活性を強めるので、果実などの農産植物を高二酸化炭素濃度環境下で保存すると、保存中に農産植物内のインベルターゼ活性が上昇し、その結果、農産植物内の還元糖量が増加する。
【0021】
インベルターゼはショ糖をフルクトース(果糖)とグルコースに加水分解する酵素であるため、インベルターゼ活性が上昇すると、還元糖であるフルクトースとグルコース量が増加する。糖の甘さの度合いは、一般的には甘い順にフルクトース>ショ糖>グルコースとされている〔Shizuko Yamaguchi, Tomoko Yoshikawa, Shingo Ikeda, and Tsunehiko Ninomiya: “Studies on the Taste of Some Sweet Substances Part.1 Measurement of the Relative Sweetness”, Agricultural and Biological Chemistry, vol.34, (2), 181-186,1970〕ので、インベルターゼの作用により甘いフルクトースが増加することとなり、果実などの農産植物体全体としての甘味度が増加することとなる。また、ショ糖から加水分解により得られたフルクトースとグルコースの系は転化糖と呼ばれ、甘味料として利用されており、インベルターゼの作用によりこの転化糖が増加して果実などの農産植物の甘みが増すとも言える。
【0022】
以上のようなメカニズムにより、果実などの農産植物を高二酸化炭素環境下におくと、農産植物内のショ糖や還元糖などの糖含量が増加して、糖度が向上し、甘味度が上昇する。
【0023】
[収穫後農産植物用糖度向上剤]
本発明の糖度向上剤は、芳香族有機酸及び炭酸塩を含むものである。農産植物が発散する蒸散水などの水分の存在によって芳香族有機酸と炭酸塩が反応することにより、徐々に炭酸ガスを発生し、収穫後の農産植物を貯蔵、輸送又は保存などする密閉系において高二酸化炭素濃度環境が構築される。
本発明の糖度向上剤を果実などの農産植物と共存させ、該農産植物を高二酸化炭素濃度環境下に置くと、上述のように農産植物中に存在するSPSや酸性インベルターゼが活性化され、農産植物中のショ糖が増加し、さらにショ糖が果糖とブドウ糖に加水分解される。そうなると、ショ糖が増加することに加えて、元来のショ糖由来の甘さが、加水分解反応に供したショ糖と同モルのフルクトース由来の甘さと、同モルのグルコース由来の甘さの合計の甘さに変換されることになり、結果として上記農産植物の糖度が増加することになる。
【0024】
(芳香族有機酸及び炭酸塩)
本発明の糖度向上剤に含まれる芳香族有機酸とは、分子中にベンゼン環とカルボキシル基をそれぞれ1つ以上有する有機化合物のことをいい、具体的には桂皮酸とその誘導体(コーヒー酸、フェルラ酸、p−クマル酸など)、安息香酸とその誘導体(バニリン酸、シリンガ酸、サリチル酸など)などをいう。
桂皮酸とその誘導体とは、プロペン酸(又はアクリル酸)の3位の炭素の水素が、置換基を有していてもよいフェニル基によって置換された構造を持つ下記の式(1)で表される化合物の総称である。式(1)中のX及びYは、水酸基、アルコキシ基(例えばメトキシ基、エトキシ基など)などの置換基であり、XとYは同一でも異なるものでもよく、m及びnは0≦m+n≦5を満たす整数である。
【0025】
【化1】

【0026】
本発明で使用される桂皮酸又はその誘導体は、それ自身抗菌・防黴効果及び鮮度保持効果を有するものが好ましく、具体例としては、桂皮酸、フェルラ酸、コーヒー酸、シナピル酸、p−クマル酸などが挙げられる。これらは単独又は2種以上組み合わせて使用することができる。特に食品添加物である桂皮酸は抗菌効果が強く好ましい。
桂皮酸は、特開平5−117125号公報や特開平9−154482号公報などに開示されている如く、黴や細菌に対する抑制効果を有しているのに加えて、特開平9−154482号公報や特開平10−117680号公報に示されているとおり、鮮度劣化の原因となるエチレン濃度低減効果を有している。さらに、特開平10−117680号公報や特開平10−273401号公報などに示されている如く、農園芸産物のクロロフィルの劣化を抑制し、瑞々しい緑色を長く保持する効果をも有している。したがって、桂皮酸を本発明における芳香族有機酸として用いれば糖度向上効果に加え、鮮度保持効果を同時に発揮することができる。
【0027】
本発明において別の好ましい芳香族有機酸としては、安息香酸又はその誘導体が挙げられる。安息香酸の誘導体としては、それ自身抗菌・防黴効果が強いものが好ましく、具体的にはバニリン酸、シリンガ酸、サリチル酸などが挙げられる。また、本発明で用いられる安息香酸は、抗菌効果が強い上に食品添加物であるので、効果と安全性の両面で好ましい。
【0028】
本発明で用いられる炭酸塩としては炭酸水素ナトリウム、炭酸ナトリウム、炭酸水素カリウム、炭酸カリウム、炭酸水素アンモニウム、炭酸カルシウムなどが挙げられる。これらの炭酸塩は、それぞれ単独又は2種以上組み合わせて使用することができる。また、食品添加物である炭酸水素ナトリウム、炭酸ナトリウム、炭酸カリウム、炭酸水素アンモニウム、炭酸カルシウムなどは安全性の面からも好ましい。
【0029】
本発明において好ましい芳香族有機酸と炭酸塩の組み合わせの一つは、桂皮酸と炭酸水素ナトリウムである。この両者は食品添加物として指定されているので、安全性が高い。桂皮酸は上述のように、エチレン合成酵素の活性を阻害し、鮮度劣化の原因となるエチレンの発生を抑制するため、農産植物に対して鮮度保持効果を発揮する。また、特開2002−80301号公報に示されているように、密閉系において農産植物が発散する蒸散水などの水の存在下、桂皮酸と炭酸水素ナトリウムの混合物が発生する炭酸ガスも農産植物に対して鮮度保持効果を発揮する。したがって、桂皮酸と炭酸水素ナトリウムの混合物を用いた糖度向上剤が存在する雰囲気では、桂皮酸の効果と徐々に発生する炭酸ガスの効果により、農産植物の鮮度が保持されつつ、さらに農産植物中の全糖濃度が効果的に増加すると考えられる。また、桂皮酸は抗菌効果を有するので、黴や細菌の汚染による農産植物の品質劣化を阻止できる。この高二酸化炭素濃度・低エチレン濃度の効果と抗菌効果が相俟って、鮮度劣化などの農産植物の品質劣化を防止しながら、顕著な糖度向上効果が発揮されると考えられる。
【0030】
本発明の糖度向上剤において、芳香族有機酸と炭酸塩との混合比は任意に決定できるが、芳香族有機酸:炭酸塩の質量比が1:0.1〜1:10の範囲の時に好ましい糖度上昇効果が発現され、特に1:0.2〜1:2の範囲の時には顕著な糖度上昇効果が発現される。
また、本発明の糖度向上剤には芳香族有機酸及び炭酸塩の他に、本発明の効果を損しない範囲で添加剤、抗菌剤、防黴剤などを加えることができる。
【0031】
(タブレット化)
本発明の糖度向上剤はタブレット化して使用することができる。タブレット化された糖度向上剤は、粉末状態の糖度向上剤に比べて取扱が容易であり輸送しやすく、またよりコンパクトであるので、スペース効率が高く、冷蔵庫などに置いても場所をとらないなどの利点がある。これらの利点から、糖度向上剤タブレットは実用性の高い形状として冷蔵庫用、容器用、袋用など広範囲の用途に用いられる。
【0032】
タブレット化された本発明の糖度向上剤は、2種以上の糖度向上剤成分粉末を混合し、圧縮成形することにより調製される。タブレット化に用いる機械は特に限定されず、粉末成分の一定量を圧縮成形することにより成形できる機能があればどのような機械も用いることができる。タブレット化時の圧縮成形圧は、タブレットの強度と関係があり、輸送中や取り扱い中にタブレットが崩れたりしないように、適切な圧縮成形圧でタブレット化する必要がある。本発明の糖度向上剤をタブレット化する際に好適な圧縮成形圧は2〜1000kgf/cm2程度であり、さらに好ましくは10〜600kgf/cm2の圧縮成形圧が用いられる。
【0033】
タブレットは、1個あたり1〜150g程度のものが用いられるが、好ましくは2〜50gのものが、用途や使用状況に応じて用いられる。タブレットの使用量は任意であるが、使用空間の大小に応じて適宜用いられる。例えば、冷蔵庫の野菜室で用いる場合は、0.05〜20g/L量のタブレットが好適に用いられ、特に好ましくは0.1〜5g/L量のタブレットが用いられる。タブレットの形状は特に限定されない。
【0034】
なお、本発明の糖度向上剤の使用形態は上記のタブレットの他、特に限定されないが、上記の芳香族有機酸(例えば桂皮酸)と炭酸塩(例えば炭酸水素ナトリウム)、さらに必要に応じて種々の添加剤とを粉体又は顆粒状とし、そのまま又は成形して、或いは適当な担体に担持して使用することができる。また、本発明の糖度向上剤を炭酸ガスの発生を妨げない範囲で包装材料に包装して使用することができる。
【0035】
[収穫後農産植物の糖度向上方法]
本発明の糖度向上方法は、収穫後の農産植物の輸送、貯蔵又は保存中において、農産植物と上述した糖度向上剤とを同一雰囲気中に共存させる方法である。
本発明の糖度向上方法は、糖度向上剤を15〜35℃程度の通常温度で用いる他、収穫後の農産植物を冷蔵設備などで冷蔵輸送、冷蔵貯蔵又は冷蔵保存する際にも好適に用いられる。この際の冷蔵とは、外気温より低い貯蔵温度で、貯蔵庫、貯蔵容器、貯蔵施設内などに農産植物を貯蔵又は保存することをいい、貯蔵温度は通常−1.7℃〜15℃をいう。また、冷蔵設備とは、冷蔵庫もしくは冷蔵容器などの各種冷蔵施設である。
【0036】
一般的に、果実などの農産植物は腐敗防止や鮮度保持の目的で、冷蔵保存される場合が多いが、ショ糖をグルコースとフルクトースに変換するインベルターゼ活性は冷蔵条件下においても維持される。低温糖化の例〔遠藤千絵、小原(高田)明子、小村晃、森元幸、野田高弘:「ばれいしょ塊茎の低温貯蔵における糖変動様式」、新しい研究成果、北海道農業研究センター、第124頁〜第127頁、2001年:或いは:遠藤千絵:「雪室貯蔵でジャガイモの糖度が16倍に!」、現代農業、第85巻、第12号、第178頁〜第181頁、2006年〕のように、活性化される場合が考えられるので、高二酸化炭素環境下による糖度向上効果は冷蔵条件下においてむしろ顕著に発揮される。
したがって、本発明の糖度向上方法は、冷蔵庫などで低温保存する場合、具体的には冷蔵庫の野菜室の標準温度である3℃〜13℃の場合に好適に施される。
【0037】
本発明の糖度向上方法は、農産植物の糖度を上昇させるために、密閉系において農産植物と本発明の糖度向上剤とを同一雰囲気中に共存させることが必要である。農産植物と糖度向上剤の共存の態様は特に制限されず、例えば、ポリ袋に両者を入れる、ダンボール箱に直接入れられた果実類と糖度向上剤とをコンテナ中で共存させる、或いは冷蔵庫の野菜室で果実類と糖度向上剤を共存させるなどの態様が挙げられる。
【0038】
上記のようないずれの共存の態様においても、本発明の糖度向上剤の使用量は特に限定されず、目安としては、農産植物の種類によって差異はあるが、農産植物100質量部に対して本発明の糖度向上剤を0.1〜150質量部、好ましくは0.2〜50質量部の割合で使用することができ、発生させる炭酸ガスの量に合わせて使用される。
【0039】
このようにして、本発明の糖度向上剤を野菜や果実などの収穫後農産植物に作用させると、雰囲気の炭酸ガス濃度が持続的に高まり、通常温度での貯蔵のみならず冷蔵条件下においても該農産植物の全糖含量や糖度の上昇が実現される。また、芳香族有機酸の持つ抗菌、防黴性も有効に作用し、汚染菌や悪臭の発生も抑制される。さらに、芳香族有機酸として桂皮酸を用いれば、農産植物のクロロフィル劣化も抑制され、農産植物の瑞々しい緑色が保持される。そして、本発明の糖度向上方法は、収穫後の農産植物の貯蔵、輸送、保存時に施させるため効率的な農業生産を行うことができる。
【実施例】
【0040】
実施例により本発明を詳しく説明するが、本発明はこれらの例示に限定されるものではない。なお、文中の糖度向上剤に含まれる原料の混合比率は質量基準である。
【0041】
[実施例1]
常温保存時のリンゴに対する糖度向上効果
新鮮なリンゴ(ふじ及び王林、表1参照)片40gを入れた150ml容ねじ口瓶を3サンプルずつ用意し、それぞれにキムワイプ(登録商標)(十條キンバリー社製実験用ペーパー)に包んだ桂皮酸2gと炭酸水素ナトリウム(重曹)1gとの混合物(本発明の糖度向上剤、表1参照)を入れた後、瓶の口をパラフィルム(商品名:American National Can製)で密閉した。これらの瓶を25℃にて放置し、4日後に各ねじ口瓶中の炭酸ガス濃度を炭酸ガス濃度計(「CheckMate」 PBI Dansensor社製)にて測定した。
次に、各リンゴ片の糖度を以下のようにして測定した。すなわち、供試したリンゴ片を細かく切断した後、これを市販ジューサー(定格消費電力200W、サイズ:185×160×275mm)に投入し、100%のリンゴジュースを調製し、このジュースの糖度を糖度計(東京硝子器械株式会社、デジタル糖度計シリーズ、フルーツテスターFT−1))にて測定した。
コントロールとして、キムワイプのみを封入したねじ口瓶中にリンゴ片を保存した3サンプルについて、炭酸ガス濃度及び保存したリンゴ片の糖度を測定した。
以上の結果を表1に示す。なお、表中の糖度は、測定した3サンプルの糖度平均値(3連の平均値)である。
【0042】
【表1】

【0043】
表1の結果より、本発明の糖度向上剤は、新鮮なリンゴが存在している雰囲気の炭酸ガス濃度を増加させ、同糖度向上剤存在雰囲気中のリンゴの糖度を増加させる効果を有することが明らかになった。
【0044】
[実施例2]
冷蔵時のリンゴに対する糖度向上効果
新鮮なリンゴ(ふじ及び王林、表2参照)片40gを入れた150ml容ねじ口瓶を3サンプルずつ用意し、それぞれにキムワイプ(登録商標)(十條キンバリー社製実験用ペーパー)に包んだ芳香族性有機酸と炭酸水素塩との混合物(本発明品の糖度向上剤、表2参照)を入れた後、瓶の口をパラフィルム(商品名:American National Can製)で密閉した。これらの瓶を8℃にて放置し、王林は2日後、ふじは4日後に各ねじ口瓶中のリンゴ片の糖度を実施例1と同様に測定した。
コントロールとして、キムワイプのみを封入したねじ口瓶中に保存したリンゴ片の3サンプルについて糖度を測定した。
以上の結果を表2に示す。なお、表中の糖度は、測定した3サンプルの糖度平均値(3連の平均値)である。
【0045】
【表2】

【0046】
表2の結果より、本発明の糖度向上剤は、冷蔵条件においても、同糖度向上剤存在雰囲気中のリンゴの糖度を増加させる効果を有することが明らかになった。
【0047】
[実施例3]
冷蔵時の日本ナシに対する糖度向上効果
新鮮な日本ナシ(幸水)片33gを入れた150ml容ねじ口瓶を3サンプル用意し、それぞれにティーバック用袋材(サイズ:9.5cm×7.0cm、製造元:株式会社トキワ工業、主要原料:ポリエステル)に入った桂皮酸2gと重曹1gとの混合物(本発明品の糖度向上剤、表3参照)を投入した後、瓶の口をパラフィルム(商品名:American National Can製)で密閉した。これらの瓶を8℃にて放置し、3日後に各ねじ口瓶中のナシ片の糖度を実施例1と同様に測定した。
コントロールとして、ティーバック用袋材のみを封入したねじ口瓶中に保存した日本ナシ片の3サンプルについて糖度を測定した。
以上の結果を表3に示す。なお、表中の糖度は、測定した3サンプルの糖度平均値(3連の平均値)である。
【0048】
【表3】

【0049】
表3の結果より、本発明の糖度向上剤は、同糖度向上剤存在雰囲気中の日本ナシの糖度を増加させる効果を有することが明らかになった。
【0050】
[実施例4]
冷蔵時の桃に対する糖度向上効果
新鮮な桃(山梨県産)片40gを入れた330ml容又は415ml容ねじ口瓶を3サンプルずつ用意し、それぞれにティーバック用袋材(サイズ:9.5cm×7.0cm、製造元:株式会社トキワ工業、主要原料:ポリエステル)に入った桂皮酸2gと重曹1gとの混合物(本発明品の糖度向上剤、表4参照)を投入した後、瓶の口をパラフィルム(商品名:American National Can製)で密閉した。これらの瓶を8℃にて放置し、2日後に各ねじ口瓶中の桃片の糖度を実施例1と同様に測定した。
コントロールとして、ティーバック用袋材のみを封入したねじ口瓶中に保存した桃片の3サンプルについて糖度を測定した。
以上の結果を表4に示す。なお、表中の糖度は、測定した3サンプルの糖度平均値(3連の平均値)である。
【0051】
【表4】

【0052】
表4の結果より、本発明の糖度向上剤は、同糖度向上剤存在雰囲気中の桃の糖度を増加させる効果を有することが明らかになった。
【0053】
[実施例5]
冷蔵時のブドウに対する糖度向上効果
新鮮なブドウ(デラウェア、巨峰、ネオマスカット)粒を入れたねじ口瓶を3サンプルずつ用意し、それぞれにティーバック用袋材(サイズ:9.5cm×7.0cm、製造元:株式会社トキワ工業、主要原料:ポリエステル)に入った桂皮酸と重曹との混合物(本発明品の糖度向上剤、表5参照)を投入した後、瓶の口をパラフィルム(商品名:American National Can製)で密閉した。これらの瓶を8℃にて放置し、5日後に各ねじ口瓶中の桃片の糖度を実施例1と同様に測定した。
コントロールとして、ティーバック用袋材のみを封入したねじ口瓶中に保存したブドウ粒の3サンプルについて糖度を測定した。
以上の結果を表5に示す。なお、表中の糖度は、測定した3サンプルの糖度平均値(3連の平均値)である。
【0054】
【表5】

【0055】
表5の結果より、本発明の糖度向上剤は、同糖度向上剤存在雰囲気中のブドウの糖度を増加させる効果を有することが明らかになった。
【0056】
[実施例6]
冷蔵時のメロンに対する糖度向上効果
新鮮なマスクメロン(北海道産)片80gを入れた330ml容ねじ口瓶を3サンプル用意し、それぞれにティーバック用袋材(サイズ:9.5cm×7.0cm、製造元:株式会社トキワ工業、主要原料:ポリエステル)に入った桂皮酸1gと重曹1gとの混合物(本発明品の糖度向上剤、表6参照)を投入した後、瓶の口をパラフィルム(商品名:American National Can製)で密閉した。この瓶を8℃にて放置し、6日後にねじ口瓶中のメロン片の糖度を実施例1と同様に測定した。
コントロールとして、ティーバック用袋材のみを封入したねじ口瓶中に保存したメロン片の3サンプルについて糖度を測定した。
以上の結果を表6に示す。なお、表中の糖度は、測定した3サンプルの糖度平均値(3連の平均値)である。
【0057】
【表6】

【0058】
表6の結果より、本発明の糖度向上剤は、同糖度向上剤存在雰囲気中のメロンの糖度を増加させる効果を有することが明らかになった。
【産業上の利用可能性】
【0059】
本発明の収穫後の農産植物用糖度向上剤は、低温雰囲気においても、優れた炭酸ガス上昇能を発現し、特にリンゴ、日本ナシ、桃、ブドウ、メロンなどの果実類について、糖の合成に関係する諸酵素を活性化させることにより糖度を増加させることができ、また農産植物の変色や柔軟化などの自動劣化を効果的かつ持続的に遅延させ、保存性を高めるにも有効であり、さらに安全性をも具備するものであるため冷蔵条件下を必須とする農産収穫物の輸送、貯蔵、保存時において好適に使用することができる。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
芳香族有機酸と炭酸塩を含有することを特徴とする収穫後農産植物用の糖度向上剤。
【請求項2】
芳香族有機酸が、桂皮酸、コーヒー酸、p−クマル酸、安息香酸、バニリン酸、シリンガ酸、フェルラ酸及びサリチル酸から選ばれる少なくとも1種である請求項1に記載の糖度向上剤。
【請求項3】
炭酸塩が、炭酸水素ナトリウム、炭酸水素カリウム、炭酸ナトリウム及び炭酸カルシウムから選ばれる少なくとも1種である請求項1又は2に記載の糖度向上剤。
【請求項4】
芳香族有機酸と炭酸塩との質量比が1:0.1〜1:10の範囲で含有されている請求項1〜3のいずれかに記載の糖度向上剤。
【請求項5】
農産植物が果実である請求項1〜4のいずれかに記載の糖度向上剤。
【請求項6】
タブレットに成形された請求項1〜5のいずれかに記載の糖度向上剤。
【請求項7】
農産植物の冷蔵時用である請求項1〜6のいずれかに記載の糖度向上剤。
【請求項8】
請求項1〜7のいずれかに記載の糖度向上剤を、収穫後の農産植物と同一雰囲気中に共存させ、炭酸ガスを発生させることを特徴とする収穫後農産植物の糖度向上方法。
【請求項9】
糖度向上剤と農産植物とを3〜13℃で共存させる請求項8に記載の糖度向上方法。
【請求項10】
農産植物100質量部に対して0.1〜150質量部の糖度向上剤を共存させる請求項8又は9に記載の糖度向上方法。

【公開番号】特開2012−17293(P2012−17293A)
【公開日】平成24年1月26日(2012.1.26)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−155797(P2010−155797)
【出願日】平成22年7月8日(2010.7.8)
【出願人】(000002820)大日精化工業株式会社 (387)
【Fターム(参考)】