説明

拡散性水素抑制潤滑組成物、転動部品、転動装置、および拡散性水素量抑制方法

【課題】軸受鋼からなる部材を有する転動部品の潤滑に用いられ、使用時に混入した水分により発生した水素が軸受鋼部材内に侵入することを防止し、転動部品の水素脆性起因の早期損傷を抑制し得る拡散性水素抑制潤滑組成物、および、該潤滑組成物で潤滑される転動部品とこれを用いた転動装置、ならびに、該潤滑組成物を用いた拡散性水素量抑制方法を提供する。
【解決手段】転動部品における軸受鋼からなる部材の潤滑に用いられ、かつ、水分が混入する環境下で用いられる潤滑油5であって、該潤滑油は、基油と亜鉛化合物とを含み、転動部品の使用時において上記部材に侵入する拡散性水素量が、該潤滑組成物から亜鉛化合物を除いた潤滑組成物で潤滑する以外は同条件での上記転動部品の使用時において上記部材に侵入する拡散性水素量と比較して低減されるものであることを特徴とする。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
この発明は、拡散性水素抑制潤滑組成物、および、この潤滑組成物で潤滑される産業機械用の減速機や油圧機器に組込まれる転動部品などに関する。転動部品としては、特に、油圧ショベル、ダンプトラックなどの大型建設機械に用いられるもの、風力発電装置用主軸や減速機に用いられる転がり軸受、産業用ロボットの減速機や油圧機器に用いられる転がり軸受などが挙げられる。
【背景技術】
【0002】
転がり軸受や歯車などの転動部品は、特に、水が潤滑剤に混入する条件下(非特許文献1参照)、すべりを伴う条件下(非特許文献2参照)で使用されると、水や潤滑剤が分解して水素が発生する。この水素が鋼材中に侵入することで、水素脆性を起因とする早期損傷を起こすことがある。この理由は、接触要素間の接触面で金属接触が起き、金属新生面が露出すると、水や潤滑剤の分解による水素の発生、および、該水素の鋼材中への侵入が促進されるからである。特に、鋼材中に侵入した水素の中でも、拡散性水素が水素脆性の原因と考えられている。
【0003】
上記現象は、水や潤滑油を滴下しながらエメリー紙で転動部品用鋼をアブレシブ摩耗させた後に昇温脱離水素分析を行った結果、鋼材中から拡散性水素が明瞭に検出された実験事実によって証明されている(非特許文献3参照)。この非特許文献3によれば、潤滑油よりも水を滴下した方が、鋼材中から多くの拡散性水素が検出されている。したがって、すべりが生じるような条件で用いられる転動部品の潤滑由などに水分が混入すると、さらに水素が発生し、より鋼材中に侵入しやすくなると考えられる。水素は、鋼の疲労強度を著しく低下させるため(非特許文献4参照)、さほど大きくない最大接触面圧でも水素が侵入することで早期損傷を発生させる原因となりうる。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0004】
【非特許文献1】エル.グランベルグ( L. Grunberg)著, Proc. Phys. Soc. (London), B66 (1953) 153-161.
【非特許文献2】ケイ.タマダ、エッチ.タナカ( K. Tamada and H. Tanaka)著, Wear, 199 (1996) 245-252.
【非特許文献3】谷本啓, 田中宏昌, 杉村丈一, トライボロジー会議予稿集, (2010-5 東京), 203-204.
【非特許文献4】ワイ.マツバラ、エッチ.ハマダ( Y. Matsubara and H. Hamada)著, Bearing Steel Technology, ASTM STP1465, J. M. Beswick Ed., (2007), 153-166.
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
上記のように、すべりが生じる条件で用いられる転動部品の潤滑剤に水分が混入すると、さらに水素が発生し、鋼材中に該水素が侵入し易くなるといえる。転動部品は、今後ますます水素が発生し易い条件で使用される傾向にある。したがって、たとえ潤滑剤中に水分が混入しようとも、転動部品中に水素を侵入させないようにすることで、水素脆性起因の早期損傷を抑制する必要がある。
【0006】
さらに、転がり軸受が組み込まれる産業機械の使用環境は今後ますます苛酷化に向かうものと考える。具体的には、従来よりも寒冷または灼熱下での建設作業に用いられる建設機械も今後増加し、風力発電装置においては、今後のニーズの更なる増加に伴う設置場所の自由度の減少や、エネルギーの転換トレンド、および風況解析の進展の観点により、従来では積極的に設置検討がなされていなかった洋上や山岳地帯などへ設置するケースが増加するものと考えられる。それにより従来では考えにくかった使用環境を考慮する必要が生じ、また、装置へのアクセスも困難となることが予想されるため、従来よりもメンテナンス頻度を減少させなければならないニーズも高まるものと考える。
【0007】
本発明はこのような問題やニーズに対応するためになされたものであり、軸受鋼からなる部材を有する転動部品の潤滑に用いられ、使用時に混入した水分により発生した水素が軸受鋼部材内に侵入することを防止し、転動部品の水素脆性起因の早期損傷を抑制し得る拡散性水素抑制潤滑組成物、および、該潤滑組成物で潤滑される転動部品とこれを用いた転動装置、ならびに、該潤滑組成物を用いた拡散性水素量抑制方法の提供を目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0008】
本発明の拡散性水素抑制潤滑組成物は、転動部品における軸受鋼からなる部材の潤滑に用いられ、かつ、水分が混入する環境下で用いられる潤滑組成物であって、該潤滑組成物は、基油と亜鉛化合物とを含み、上記転動部品の使用時において上記軸受鋼からなる部材に侵入する拡散性水素量が、該潤滑組成物から前記亜鉛化合物を除いた潤滑組成物で潤滑する以外は同条件での上記転動部品の使用時において上記軸受鋼からなる部材に侵入する拡散性水素量と比較して低減されるものであることを特徴とする。
【0009】
上記亜鉛化合物が、ジチオリン酸亜鉛であることを特徴とする。
【0010】
上記基油の40℃における動粘度が、280〜350mm/sであることを特徴とする。
【0011】
上記潤滑組成物が、モリブデン化合物を含むことを特徴とする。特に、上記モリブデン化合物が、ジチオリン酸モリブデンであることを特徴とする。
【0012】
上記亜鉛化合物の含有量が、上記潤滑組成物全体に対して亜鉛元素換算にて0.05〜0.20重量%であることを特徴とする。
【0013】
上記モリブデン化合物の含有量が、上記潤滑組成物全体に対してモリブデン元素換算にて0.1〜0.5重量%であることを特徴とする。
【0014】
本発明の転動部品は、軸受鋼からなる部材と、該部材を潤滑する潤滑組成物とを有する転動部品であって、上記潤滑組成物が、本発明の拡散性水素抑制潤滑組成物であることを特徴とする。特に、上記転動部品が、転がり軸受であることを特徴とする。なお、本発明において「転動部品」とは、転がり軸受やギヤなど転がり・すべりを行なう機械要素を含む部品をいう。
【0015】
本発明の転動装置は、転動部品を備える転動装置であって、上記転動部品が本発明の転動部品であることを特徴とする。また、上記転動装置が、外部の温湿度環境と同等環境下に設置される装置であることを特徴とする。また、上記転動装置が、循環給油または油浴潤滑で使用されることを特徴とする。特に、上記転動装置が、風力発電装置に組み込まれる減速機であることを特徴とする。
【0016】
本発明の拡散性水素量抑制方法は、軸受鋼からなる部材と該部材を潤滑する潤滑組成物とを有する転動部品において、該潤滑組成物として本発明の拡散性水素抑制潤滑組成物を用いることで、該潤滑組成物中に水分が混入する環境下での使用時に上記軸受鋼からなる部材に侵入する拡散性水素量を低減する方法であることを特徴とする。
【発明の効果】
【0017】
本発明の拡散性水素抑制潤滑組成物は、水分が混入する環境下で、転動部品における軸受鋼からなる部材の潤滑に用いられるものであり、ジチオリン酸亜鉛などの亜鉛化合物を基油に配合することで、該転動部品の使用時において、混入水分に起因した軸受鋼部材に侵入し得る拡散性水素量を大幅に低減することができる。このため、転動部品の水素脆性起因の早期損傷を抑制することができ、転動部品(転がり軸受等)が組み込まれた転動装置(減速機等)の寿命延長を図ることができる。
【0018】
また、転動部品の寿命延長により、これらを用いる装置のメンテナンス頻度を延長できる。例えば、風力発電装置の主軸や減速機の転がり軸受に適用することで、該装置へのアクセスが困難となる場合でもメンテナンス頻度を減少させることができる。
【0019】
さらに、本発明の拡散性水素抑制潤滑組成物において、モリブデン化合物を併用添加することで、軸受鋼部材に侵入する拡散性水素量を低減しつつ、摩耗量低減も図れ、該潤滑組成物で潤滑される転動部品が組み込まれた転動装置のより一層の寿命延長が図れる。
【図面の簡単な説明】
【0020】
【図1】本発明の転動部品および転動装置の一実施例を示す図(断面図)である。
【図2】エメリー摩耗試験機の概略図である。
【図3】昇温脱離水素分析試験の結果を示す図である。
【図4】油浴給油の転動装置の模式図である。
【図5】循環給油の転動装置の模式図である。
【発明を実施するための形態】
【0021】
本発明の拡散性水素抑制潤滑組成物は、転動部品における軸受鋼からなる部材の潤滑に用いられ、かつ、水分が混入する環境下で用いられる潤滑組成物であって、その構成としては、基油と亜鉛化合物とを含む組成物である。従来、転動部品用の潤滑組成物において、その添加剤として、ジチオリン酸亜鉛などの亜鉛化合物を添加することは知られている。しかしながら、転動部品に用いる潤滑組成物の添加剤種類と、鋼材中に侵入する拡散性水素との関係については、知見が得られていなかった。本発明者らは鋭意検討の結果、基油にジチオリン酸亜鉛などの亜鉛化合物を添加することで、軸受鋼中に侵入する水素の中でも特に「拡散性水素量」を低減し得ることを発見した。具体的には、後述の表2に示すように、本発明の拡散性水素抑制潤滑組成物(実施例1)は、転動部品の使用時において軸受鋼からなる部材に侵入する拡散性水素量が、該潤滑組成物から亜鉛化合物を除いた潤滑組成物(比較例1)で潤滑する以外は同条件での転動部品の使用時において軸受鋼からなる部材に侵入する拡散性水素量と比較して低減できるものである。本発明はこのような知見に基づくものであり、本発明に係る潤滑組成物は、単なる潤滑組成物ではなく、拡散性水素を抑制できる潤滑組成物である点に特徴を有する。
【0022】
「拡散性水素」とは、結晶粒界などにトラップされていない比較的自由に動き得る水素のことをいう。この拡散性水素は、室温で時間と共に鋼材中から外に放出されるものである。本発明における「拡散性水素量」は、200℃までの加熱で放出される水素の総量として求めている。一方、「非拡散性水素」は、200℃をこえる加熱温度ではじめて鋼材中から放出される水素である。「拡散性水素」と「非拡散性水素」との合計量が、鋼材中に侵入した水素の総量である。なお、本発明で採用した水素量の具体的な測定方法は、後述の実施例に示すとおりである。
【0023】
本発明の拡散性水素抑制潤滑組成物は、該潤滑組成物に水分が混入する環境下で用いられる。潤滑油などの潤滑組成物に水分が混入する環境について説明する。大気に完全に解放された用途で使用する場合は、大気中からの水分の混入の可能性がある。また、油潤滑方式の転動装置内の転動部品(転がり軸受等)の潤滑油が接触している雰囲気環境は、特に屋外で用いられる転動装置においては、日々の寒暖、乾湿の変動により、マクロ的には転動装置が閉鎖されていたとしても、ミクロ的には開放系であるため、装置内外の環境間で常時呼吸していると考えられる。この潤滑油中に水分が混入する場合としては、例えば、図4(油浴給油) や図5(循環給油) のような機構が考えられる。両図において、上側の図のように、作動中は転動装置内の温度が外気温よりも高くなるため,転動装置内は正圧になり、内気の一部が外部に放出される。一方、両図の下側のように、停止して転動装置内の温度が外気温よりも低下すると、転動装置内は負圧になるため、転動装置内に外気が入り込む。入り込んだ外気が高湿の場合、転動装置内に結露が生じ、潤滑油中に水分が混入する。このように、通常の使用でも潤滑油中への水分混入が考えられる。転動装置が、豪雨や強い風雨にさらされる場合には、さらに多くの水分が混入すると考えられる。
【0024】
本発明の拡散性水素抑制潤滑組成物は、転動部品における軸受鋼からなる部材の潤滑に用いられるものである。ここで、本発明の対象とする軸受鋼は、軸受に使用される一般的な鋼であり、例えば、高炭素クロム軸受鋼(SUJ1、SUJ2、SUJ3、SUJ4、SUJ5等;JIS G 4805)、浸炭鋼(SCr420、SCM420等;JIS G 4053)、ステンレス鋼(SUS440C等;JIS G 4303)、高速度鋼(M50等)などが挙げられる。また、これらの鋼材に、高周波熱処理、窒化処理などを施したものも対象となる。
【0025】
本発明の拡散性水素抑制潤滑組成物の基油としては、特に限定されず、通常グリースの分野で使用される一般的なものを使用できる。例えば、高度精製油、エステル系合成油、合成炭化水素油、リン酸エステル油、シリコーン油、フッ素油などの合成油、スピンドル油、冷凍機油、タービン油、マシン油、ダイナモ油などの鉱油などが使用できる。また、これらの混合油も使用できる。本発明では、低温性、高温性に優れる合成油などが好ましい。本発明で好適な合成油としては、例えば、エクソンモービル社製モービルギヤ(登録商標)などが挙げられる。
【0026】
基油の動粘度(混合油の場合は、混合油の動粘度)としては、ISO VG 320相当が好ましい。具体的には、40℃において280〜350mm/sの範囲のものが好ましい。より好ましくは、300〜330mm/sである。動粘度がこの範囲内に入る好ましい基油としては、例えば、エクソンモービル社製モービルギヤ600XP320、SHC−XMP320などが挙げられる。
【0027】
本発明の拡散性水素抑制潤滑組成物は、上記基油に増ちょう剤を含めたグリース組成物とすることもできる。増ちょう剤としては、特に限定されず、通常グリースの分野で使用される一般的なものを使用できる。例えば、金属石けん、複合金属石けんなどの石けん系増ちょう剤、ベントン、シリカゲル、ウレア化合物、ウレア・ウレタン化合物などの非石けん系増ちょう剤を使用できる。金属石けんとしては、ナトリウム石けん、カルシウム石けん、アルミニウム石けん、リチウム石けんなどが、ウレア化合物およびウレア・ウレタン化合物としては、ジウレア化合物、トリウレア化合物、テトラウレア化合物、他のポリウレア化合物、ジウレタン化合物などが挙げられる。これらの中でも、コストや耐熱耐久性に優れるナトリウム石けん、ジウレア化合物などの使用が好ましい。
【0028】
グリース組成物とする場合、基油と増ちょう剤とからなるベースグリース100重量部中に占める増ちょう剤の配合割合は、1〜40重量部、好ましくは3〜25重量部とする。増ちょう剤の含有量が1重量部未満では、増ちょう効果が少なくなり、グリース化が困難となり、40重量部をこえると得られたベースグリースが硬くなりすぎ、所期の効果が得られ難くなる。
【0029】
本発明の拡散性水素抑制潤滑組成物に配合する亜鉛化合物としては、ジチオリン酸亜鉛、ジチオカルバミン酸亜鉛、亜鉛フェネートなどの有機亜鉛化合物が挙げられる。これらの中でも、ジチオリン酸亜鉛が好ましい。
【0030】
ジチオリン酸亜鉛(ジンクジチオフォスフェート;以下、「ZnDTP」という)としては、下記式で示されるジアルキルジチオジチオリン酸亜鉛、ジアリールジチオリン酸亜鉛などが挙げられる。ZnDTPの市販品としては、例えば、アデカ社製:アデカキクルーブZ112などが挙げられる。
【0031】
【化1】

【0032】
式中のR1は、炭素原子数1〜24の一級または二級のアルキル基、または、炭素原子数6〜30のアリール基を示す。R1としては、例えば、メチル基、エチル基、プロピル基、イソプロピル基、ブチル基、第二級ブチル基、イソブチル基、ペンチル基、4−メチルペンチル基、ヘキシル基、2−エチルヘキシル基、ヘプチル基、オクチル基、ノニル基、デシル基、イソデシル基、ドデシル基、テトラデシル基、ヘキサデシル基、オクタデシル基、エイコシル基、ドコシル基、テトラコシル基、シクロペンチル基、シクロヘキシル基、メチルシクロヘキシル基、エチルシクロヘキシル基、ジメチルシクロヘキシル基、シクロヘプチル基、フェニル基、トリル基、キシリル基、エチルフェニル基、プロピルフェニル基、ブチルフェニル基、ペンチルフェニル基、ヘキシルフェニル基、ヘプチルフェニル基、オクチルフェニル基、ノニルフェニル基、デシルフェニル基、ドデシルフェニル基、テトラデシルフェニル基、ヘキサデシルフェニル基、オクタデシルフェニル基、ベンジル基などが挙げられる。なお、これらの各R1は同一であっても、異なっていてもよい。
【0033】
1がアルキル基である場合において、炭素原子数が多いほど、耐熱性に優れ、また、基油に溶けやすい。一方、炭素原子数が少ないほど、耐摩耗性に優れ、基油には溶けにくいものとなる。また、上記範囲の炭素原子数であれば、拡散性水素量を低減する効果は十分に得られる。本発明では、拡散性水素量を低減する効果に加えて、該潤滑組成物を用いる用途での要求特性に応じて、適宜、ジチオリン酸亜鉛の種類を選択できる。
【0034】
亜鉛化合物の含有量は、拡散性水素抑制潤滑組成物全体に対して亜鉛元素換算にて0.05〜0.20重量%であることが好ましい。より好ましくは、0.05〜0.10重量%である。亜鉛元素換算にて0.05重量%以上とすることで、拡散性水素量を大幅に低減し得る。
【0035】
本発明の拡散性水素抑制潤滑組成物は、上記亜鉛化合物に加えて、転動部品の摩耗量を安定的に低減させる目的で、モリブデン化合物を配合することが好ましい。モリブデン化合物としては、ジチオリン酸モリブデン(以下、「MoDTP」という)、ジチオカルバミン酸モリブデン(以下、「MoDTC」という)などの有機モリブデン化合物が挙げられる。MoDTPの市販品としては、アデカ社製:サクラルーブ300が、MoDTCの市販品としては、アデカ社製:サクラルーブ100、200、600などが挙げられる。
【0036】
モリブデン化合物の含有量は、拡散性水素抑制潤滑組成物全体に対してモリブデン元素換算にて0.1〜0.5重量%であることが好ましい。より好ましくは、0.1〜0.3重量%である。モリブデン元素換算にて0.1重量%以上とすることで、摩耗量の低減効果が安定的に得られる。
【0037】
本発明の拡散性水素抑制潤滑組成物は、必要に応じて上記以外の公知の添加剤を含有させてもよい。このような添加剤として、例えば、ジノニルナフタレンスルフォネート、ソルビタンエステルなどの防錆剤、アミン系、フェノール系化合物などの酸化防止剤、亜硝酸ナトリウム、セバシン酸ナトリウムなどの腐食防止剤、グラファイト、二硫化モリブデンなどの固体潤滑剤、脂肪酸アミド、脂肪酸、アミン、油脂類などの油性剤、ポリメタクリレート、ポリスチレンなどの粘度指数向上などが挙げられる。なお、これらは、単独または2種類以上組合せて添加できる。
【0038】
本発明の転動部品は、軸受鋼からなる部材と、該部材を潤滑する潤滑組成物とを有する転動部品であり、この潤滑組成物が、本発明の拡散性水素抑制潤滑組成物であることを特徴とする。本発明の転動部品は、上記拡散性水素抑制潤滑組成物を潤滑に利用することで、従来の潤滑組成物を使用する場合では達成し得なかった水準まで水素侵入量を低減させることができ、結果的に転動部品の水素脆性起因の早期損傷を抑制することができる。また、本発明の転動装置は、本発明の転動部品を備えることを特徴としている。
【0039】
本発明が想定する転動部品および転動装置としては、例えば、ガスタービン(ジェット給油)、油圧ポンプ(油圧作動油浸漬)、印刷機(循環給油)、撚線機(ジェット給油または循環給油)、製紙機械(循環給油)、産業機械用減速機(循環給油)、ロボット減速機(油浴潤滑)、航空機エンジン(ジェット給油)、建設機械各部(油浴潤滑)、鉄鋼圧延機ロールネック(オイルミスト潤滑)、圧延機用減速機(循環給油)、工作機(エアオイル潤滑)、鉄道車輌車軸(はねかけ給油)、鉄道車輌駆動装置(油浴潤滑)、鉱山機械竪型ミルタイヤローラ(循環給油または油浴潤滑)、ミル用減速機(循環給油または油浴潤滑)、風力発電装置増速機(循環給油または油浴潤滑)、自動車変速機(はねかけ給油)などが挙げられる。括弧内は、油潤滑方式であり、細分化すれば油浴潤滑、ジェット給油、循環給油、オイルミスト潤滑、エアオイル潤滑、はねかけ給油、油圧作動油浸漬などがあるが、大別すると油浴潤滑か循環給油である。
【0040】
本発明の転動部品および転動装置の一実施例を図1を参照して説明する。図1の転動装置は、風力発電装置における増速機である。この転動装置の増速機本体1は、入力軸2と出力軸3との間に、一次増速機となる遊星歯車機構6と、2次増速機7とを設けたものである。遊星歯車機構6は、入力軸2と一体のキャリア8に遊星歯車9を設置し、遊星歯車9を、内歯のリングギヤ10と太陽歯車11に噛み合わせ、太陽歯車11と一体の軸を中間出力軸12とするものである。2次増速機7は、中間出力軸12の回転を出力軸3に複数の歯車13〜16を介して伝達する歯車列からなる。遊星歯車9や、この遊星歯車9を支持する軸受鋼からなる転がり軸受17、リングギヤ10、2次増速機7の歯車13となる各転動部品が、ハウジング4内の潤滑油貯留槽4aの潤滑油5内に浸漬される。この潤滑油5が、本発明の拡散性水素抑制潤滑組成物である。潤滑油貯留槽4aは、ポンプおよび配管からなる循環給油手段(図示せず)によって循環させられる。なお、循環給油手段は必ずしも設けなくてもよく、油浴潤滑形式としてもよい。
【0041】
この風力発電装置における増速機では、図4および図5等に示す機構と、屋外に設置され、豪雨や強い風雨にさらされることから、多くの水分が潤滑油中に混入する可能性があるが、本発明によれば、混入水分に起因した軸受鋼部材に侵入し得る拡散性水素量を大幅に低減することができる。このため、上記転動部品の寿命延長により、風力発電装置のメンテナンス頻度を延長できる。
【0042】
本発明の拡散性水素量抑制方法は、軸受鋼からなる部材と該部材を潤滑する潤滑組成物とを有する転動部品において、該潤滑組成物として本発明の拡散性水素抑制潤滑組成物を用いることで、該潤滑組成物中に水分が混入する環境下での使用時に上記軸受鋼からなる部材に侵入する拡散性水素量を低減する方法である。
【実施例】
【0043】
本発明を実施例および比較例により具体的に説明するが、これらの例によって何ら限定されるものではない。
【0044】
実施例1〜実施例4、比較例1、比較例2
表1に示す添加剤を用いて、表2に示す潤滑油(潤滑組成物)を調整した。この潤滑油を用いて、鋼材中に侵入する拡散性および非拡散性水素量を安定的に評価するための方法として、以下に示すエメリー摩耗試験と、該摩耗試験後の昇温脱離水素分析試験とを組み合わせて行なった。
【0045】
【表1】

【0046】
【表2】

【0047】
<エメリー摩耗試験>
図2に示す試験機を用いて行なった。試験機21は、主軸22に設けられた試験片23(3個)に、定盤24上のエメリー紙25との間で滑りと摩耗を与える構造である。試験片23には、自転および公転による滑りが加わる。詳細な試験条件は以下のとおりである。なお、該試験は、空気に含まれる水分が混入する環境下である。
試験片:φ12mm×1mm STJ2(HRC60でずぶ焼入れ)
試験片の摩耗面積:325.8mm(等配3試片合計)
平均面圧:0.082MPa(荷重2.72kgf)
すべり速度:自転86rpm、公転86rpm
エメリー紙:#220
評価潤滑油の供給量:初期5ml塗布、運転時0.88ml/min滴下
試験時間:40min
【0048】
<エメリー摩耗試験後の昇温脱離水素分析条件>
エメリー摩耗試験から分析開始まで:40min(試験片準備、真空引きなど含む)
昇温速度:180℃/min
温度範囲:常温〜540℃(常温〜200℃で脱離した水素量を拡散性水素量と定義)
検出器:四重極質量分析器(QMS)
【0049】
これらの試験により、試験片の摩耗量(g)および水素量(wt−ppm)を測定した結果を表3〜表5に示す。また、昇温脱離水素分析試験の結果を図3に示す。図中の横軸は温度(℃)、縦軸は侵入水素量(wt−ppm)である。なお、これらの試験は2回行ない、その平均値を示した。
【0050】
【表3】

【0051】
【表4】

【0052】
【表5】

【0053】
表3に示すように、モリブデン化合物を添加した潤滑油は、摩耗量とトータル水素量は減少したが、特に白色異常剥離を発生させる原因となりうる拡散性水素量を低減させる効果は見られなかった。
【0054】
表4に示すように、亜鉛化合物を添加した潤滑油は、摩耗量とトータル水素量は大きくは減少しないが、特に白色異常剥離を発生させる原因となりうる拡散性水素量を大幅に低減させる効果が見られた。
【0055】
表5に示すように、モリブデン化合物と亜鉛化合物とを添加した潤滑油は、白色異常剥離を発生させる原因となりうる拡散性水素量、トータル水素量、摩耗量の全てをバランスよく低減させる効果が見られた。
【0056】
以上の結果により、少なくとも潤滑油中に亜鉛化合物を所定量配合することで、転動部品中に侵入する拡散性水素量を低減させることが明らかになった。これにより、この組成を採用することで転動部品に起こりうる水素脆性起因の早期損傷も抑制できる可能性が見出された。特に、転動部品中に侵入する拡散性水素量を低減させるのみが目的であれば、亜鉛化合物の配合で効果は見られるが、すべりを大きく伴う用途、具体的には、低速高荷重域で使用されるギヤ、軸受、より特定的には鍔部を有する円錐ころ軸受、円筒ころ軸受の用途においては、摩耗量低減の効果も重要であるため、モリブデン化合物を併用添加することが望ましい。
【産業上の利用可能性】
【0057】
本発明の拡散性水素抑制潤滑組成物は、混入水分に起因した軸受鋼部材に侵入し得る拡散性水素量を大幅に低減することができるので、油圧ショベル、ダンプトラックなどの大型建設機械に用いられる転動部品、風力発電装置用主軸や減速機に用いられる転がり軸受、産業用ロボットの減速機や油圧機器に用いられる転がり軸受などの潤滑に好適に利用できる。特に、風力発電装置の主軸や減速機の転がり軸受に適用することで、該装置へのアクセスが困難となる場合でもメンテナンス頻度を減少させることができる。
【符号の説明】
【0058】
1 増速機本体
2 入力軸
3 出力軸
4 ハウジング
5 潤滑油
6 遊星歯車機構
7 2次増速機
8 キャリア
9 遊星歯車
10 リングギヤ
11 太陽歯車
12 中間出力軸
13〜16 歯車
17 転がり軸受
21 試験機
22 主軸
23 試験片
24 定盤
25 エメリー紙

【特許請求の範囲】
【請求項1】
転動部品における軸受鋼からなる部材の潤滑に用いられ、かつ、水分が混入する環境下で用いられる潤滑組成物であって、
該潤滑組成物は、基油と亜鉛化合物とを含み、前記転動部品の使用時において前記部材に侵入する拡散性水素量が、該潤滑組成物から前記亜鉛化合物を除いた潤滑組成物で潤滑する以外は同条件での前記転動部品の使用時において前記部材に侵入する拡散性水素量と比較して低減されるものであることを特徴とする拡散性水素抑制潤滑組成物。
【請求項2】
前記亜鉛化合物が、ジチオリン酸亜鉛であることを特徴とする請求項1記載の拡散性水素抑制潤滑組成物。
【請求項3】
前記基油の40℃における動粘度が、280〜350mm/sであることを特徴とする請求項1または請求項2記載の拡散性水素抑制潤滑組成物。
【請求項4】
前記潤滑組成物が、モリブデン化合物を含むことを特徴とする請求項1、請求項2または請求項3記載の拡散性水素抑制潤滑組成物。
【請求項5】
前記モリブデン化合物が、ジチオリン酸モリブデンであることを特徴とする請求項4記載の拡散性水素抑制潤滑組成物。
【請求項6】
前記亜鉛化合物の含有量が、前記潤滑組成物全体に対して亜鉛元素換算にて0.05〜0.20重量%であることを特徴とする請求項1ないし請求項5のいずれか1項記載の拡散性水素抑制潤滑組成物。
【請求項7】
前記モリブデン化合物の含有量が、前記潤滑組成物全体に対してモリブデン元素換算にて0.1〜0.5重量%であることを特徴とする請求項4、請求項5または請求項6記載の拡散性水素抑制潤滑組成物。
【請求項8】
軸受鋼からなる部材と、該部材を潤滑する潤滑組成物とを有する転動部品であって、前記潤滑組成物が、請求項1ないし請求項7のいずれか1項記載の拡散性水素抑制潤滑組成物であることを特徴とする転動部品。
【請求項9】
前記転動部品が、転がり軸受であることを特徴とする請求項8記載の転動部品。
【請求項10】
転動部品を備える転動装置であって、前記転動部品が請求項8または請求項9記載の転動部品であることを特徴とする転動装置。
【請求項11】
前記転動装置が、外部の温湿度環境と同等環境下に設置される装置であることを特徴とする請求項10記載の転動装置。
【請求項12】
前記転動装置が、循環給油または油浴潤滑で使用されることを特徴とする請求項10または請求項11記載の転動装置。
【請求項13】
前記転動装置が、風力発電装置に組み込まれる減速機であることを特徴とする請求項10、請求項11または請求項12記載の転動装置。
【請求項14】
軸受鋼からなる部材と該部材を潤滑する潤滑組成物とを有する転動部品において、前記潤滑組成物中に水分が混入する環境下での使用時に前記軸受鋼からなる部材に侵入する拡散性水素量を低減する方法であって、
前記潤滑組成物として、請求項1ないし請求項7のいずれか1項記載の拡散性水素抑制潤滑組成物を用いることを特徴とする拡散性水素量抑制方法。

【図1】
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【図2】
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【図4】
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【図5】
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【図3】
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【公開番号】特開2013−35973(P2013−35973A)
【公開日】平成25年2月21日(2013.2.21)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2011−174488(P2011−174488)
【出願日】平成23年8月10日(2011.8.10)
【出願人】(000102692)NTN株式会社 (9,006)
【Fターム(参考)】