説明

残留ガス判別方法

【課題】真空容器内の残留ガスの種類を、高価あるいは大型な装置を必要とせずに、簡易な手法で判別できる残留ガス判別方法を提供する。
【解決手段】真空容器1内に配置された陰極3の温度を複数種類の温度のそれぞに順次保持した状態で、陰極3から冷陰極電界放出方式により電子を放出させ、この時に陰極3から放出される電子の電流量である電子放出電流を少なくとも所定時間の期間分、逐次計測する。各種類の温度に対応して計測された所定時間の期間分の電子放出電流の値の時系列データから電子放出電流の値の度数分布を求め、前記複数種類の温度の値とその各種類の温度に対応して求められた電子放出電流の度数分布とに基づいて真空容器1内の残留ガスの種類を判別する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、真空引きされた真空容器内の残留ガスの種類を判別する方法に関する。
【背景技術】
【0002】
従来、高真空の真空容器内の残留ガスの種類を判別する手法として、磁場偏向型あるいは飛行時間型あるいは四重極質量分析型の残留ガス分析計を使用する手法が一般に知られている(例えば特許文献1を参照)。これらは、イオン化した残留ガスの磁場あるいは電場中での運動が、残留ガスの種類の違いに起因して(残留ガスの質量の違いに起因して)変化することを利用して、残留ガスの種類を判別するものである。
【特許文献1】特開平7−294487号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0003】
しかしながら、従来のものでは、残留ガスの運動を操作するための磁場や電場を発生させる装置が必要となる。また、それらの磁場あるいは電場中で残留ガスの運動を行なわせる空間も必要となる。このため、残留ガスの種類を判別するための装置が大型で高価なものとなるという不都合があった。
【0004】
本発明は、かかる背景に鑑みてなされたものであり、真空容器内の残留ガスの種類を、高価あるいは大型な装置を必要とせずに、簡易な手法で判別できる残留ガス判別方法を提供することを目的とする。加えて、本発明は、真空容器内の真空度も容易に推定できる残留ガス判別方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0005】
本願の発明者は、真空容器内に冷陰極電界放出方式で電子を放出させるための陰極を設け、この陰極の温度を一定に保持した状態で、冷陰極電界放出方式によって電子を放出させた。そして、このとき、その放出させた電子の電流量(陰極から単位時間当たりに放出される電子数に応じて該陰極などに流れる電流)である電子放出電流を経時的に逐次計測した。さらに、この電子放出電流の計測を、陰極の温度を種々様々の温度に変更して行なった。その結果、本願の発明者は、次のことを知見した。
【0006】
すなわち、詳細な説明は後述するが、真空容器内の残留ガスの分子または原子が陰極の電子放出部に対する物理的吸着と、これに続く離脱(物理的吸着の解除)とを起こすことに起因して、前記電子放出電流は、瞬時的なスパイク状の変動を生じる。そして、この電子放出電流の値の、ある時間分の期間(その期間内で上記スパイク状の変動が複数回生じるような期間)における度数分布の形態と、陰極の温度との間には、残留ガスの種類に依存した特有の関係が存在する。
【0007】
また、陰極の温度を一定温度に保持した状態における電子放出電流の値は、真空容器内の残留ガスの分子または原子の個数(あるいは真空容器内の残留ガスの密度)に依存した頻度でスパイク状の変動を生じる。そして、特に、仕事関数の値が比較的高い材質(例えば4.5eV以上の仕事関数を有する材質)で陰極が構成されている場合には、電子放出電流の値の変動の形態は、残留ガスの種類に対する依存性が低く、真空度に対する依存性が顕著に現れる。従って、この電子放出電流の値の変動の形態は、真空容器内の真空度と密接な相関性を有する。
【0008】
そこで、本発明の残留ガス判別方法は、真空引きされた真空容器内の残留ガスの種類を判別する残留ガス判別方法であって、前記真空容器内に配置された陰極の温度を複数種類の温度に順次制御するステップと、各種類の温度に前記陰極の温度を保持した状態で、該陰極から冷陰極電界放出方式により電子を放出させ、この時に該陰極から放出される電子の電流量である電子放出電流を少なくとも所定時間の期間分、逐次計測するステップと、前記各種類の温度に対応して計測された前記所定時間の期間分の電子放出電流の値の時系列データから該電子放出電流の値の度数分布を求めるステップと、前記複数種類の温度の値とその各種類の温度に対応して求められた前記度数分布とに基づいて前記残留ガスの種類を判別するステップとを備えたことを特徴とする(第1発明)。
【0009】
かかる第1発明によれば、前記各種類の温度に前記陰極の温度を保持した状態で電子放出電流を少なくとも所定時間の期間分、逐次計測するので、その所定時間の期間分の電子放出電流の値の時系列データから、該陰極の前記複数種類の温度にそれぞれ対応して、電子放出電流の値の度数分布(陰極の温度の種類数と同数の度数分布)を求めることができる。この場合、前記したように、電子放出電流の値の度数分布の形態と、陰極の温度との間には、真空容器内の残留ガスの種類に依存した特有の関係が存在する。従って、その関係を利用して、前記陰極の複数種類の温度の値と、その各種類の温度に対応する電子放出電流の値の度数分布とに基づいて前記残留ガスの種類を判別することが可能となる。なお、陰極の複数種類の温度の値は、制御目標値あるいは計測値のいずれでもよい。
【0010】
このように第1発明によれば、真空容器内に配置した陰極の温度を複数種類の温度に順次制御し、その各種類の温度毎に、冷陰極電界放出方式による陰極からの電子の放出を行いながら、電子放出電流を計測し、さらにその電子放出電流の値の度数分布を求めるという極めて簡単な処理を行なうだけで、前記複数種類の温度と、その各種類の温度に対応する電子放出電流の値の度数分布とに基づいて、真空容器内の残留ガスの種類を判別することができる。また、陰極から放出された電子に回転運動などの特別な運動を行なわせるための空間や外力発生器も不要である。このため、従来のような高価な装置や大型な装置、もしくは複雑な装置を必要とすることなく、安価で簡単な装置を使用しつつ、真空容器内の残留ガスの種類を簡易な手法で判別できる。
【0011】
かかる第1発明では、前記残留ガスの種類を判別するステップは、前記各種類の温度に対応して求められた前記度数分布のピーク値の半分の度数値における該度数分布の幅である半値幅を求めるステップを含み、前記複数種類の温度の値と、その各種類の温度に対応して求められた前記度数分布の半値幅とに基づいて前記残留ガスの種類を判別することが好ましい(第2発明)。
【0012】
すなわち、特に、陰極の温度と上記半値幅との間には、残留ガスの種類に対する依存性が顕著に現れる特有の関係が成立する(詳細は後述する)。従って、前記複数種類の陰極の温度の値と、その各種類の温度に対応する電子放出電流の度数分布の半値幅とに基づいて前記残留ガスの種類を適切に判別することが可能となる。
【0013】
この第2発明では、より具体的には、前記残留ガスの種類を判別するステップは、前記複数種類の温度のそれぞれの逆数値と、前記各種類の温度に対応して求められた前記度数分布の半値幅の逆数値の対数値との間の関係を近似する直線の傾きを求めるステップをさらに含むことによって、その求めた傾きに基づいて前記残留ガスの種類を判別することができる(第3発明)。
【0014】
すなわち、上記直線の傾きは、陰極に対する残留ガスの分子または原子の物理吸着エネルギーに比例するものとなる。そして、この物理吸着エネルギーは、陰極の材質と残留ガスの種類とに依存して、ある固有の値に定まる。また、種々様々な種類のガスおよび陰極の材質の組に対して、該物理吸着エネルギーの値が既知となっている。さらに、前記陰極の材質は、あらかじめ定められる既知の材質である。従って、上記直線の傾きは、残留ガスの種類に依存するものとなる。このため、該直線の傾きに基づいて残留ガスの種類を適切に判別することができる。
【0015】
前記第1〜第3発明においては、前記複数種類の温度のうちの少なくとも1つの所定の温度に対応して計測された前記所定時間の期間分の電子放出電流の値の時系列データに基づいて前記真空容器内の真空度を推定するステップをさらに備えるようにしてもよい(第4発明)。
【0016】
すなわち、前記したように、陰極の温度を一定の温度に保持した状態での電子放出電流の値の変動の形態は、真空容器内の真空度と密接な相関性を有する。そして、前記陰極の複数種類の温度のうちの少なくとも1つの温度に対応して計測された前記所定時間の期間分の電子放出電流の値の時系列データによって、陰極の温度を一定の温度に保持した状態での電子放出電流の値の変動の形態を把握できる。従って、当該電子放出電流の値の時系列データに基づいて真空容器内の真空度を推定することができる。なお、真空度が超高真空のように極めて高い真空度であっても、前記所定時間を十分に長い適切な時間に適切に設定しておけば、その時間の期間内で当該高い真空度に対応した電子放出電流の値の変動を捉えることが可能であるので、当該高い真空度を推定することもできる。
【0017】
この第4発明では、前記真空度を推定するステップは、より具体的には、例えば、前記複数種類の温度のうちの所定の温度に対応して計測された前記所定時間の期間分の電子放出電流の値の時系列データに基づいて、単位時間当たりに前記陰極への物理的吸着を起こした残留ガスの分子または原子の個数を推定するステップを備えることによって、その推定した個数に基づいて前記真空容器内の真空度を推定することができる(第5発明)。
【0018】
すなわち、前記したように陰極への残留ガスの分子または原子の物理的吸着とこれに続く離脱とに起因して、前記電子放出電流のスパイク状の変動が発生し、そのスパイク状の部分が前記所定時間の期間分の電子放出電流の値の時系列データに含まれる。そして、詳細な説明は後述するが、このスパイク状の部分における電子放出電流の変動量は、陰極に対して物理的吸着を起こした残留ガスの分子または原子の個数に応じたものとなる。このため、前記所定時間の期間分の電子放出電流の値の時系列データに基づいて、単位時間当たりに前記陰極への物理的吸着を起こした残留ガスの分子または原子の個数を推定することが可能である。さらに、真空容器内の真空度が高いほど、該真空容器内に存在する残留ガスの分子または原子の総個数が少ないので、真空容器内の残留ガスの分子または原子が陰極に対する物理的吸着を起こす頻度(確率)が低くなる。
【0019】
従って、単位時間当たりに前記陰極への物理的吸着を起こした残留ガスの分子または原子の個数は、真空容器内の真空度が高いほど、少なくなる。このため、単位時間当たりに前記陰極への物理的吸着を起こした残留ガスの分子または原子の個数を推定することによって、その推定した個数に基づいて真空容器内の真空度を適切に推定することができる。
【0020】
なお、本発明においては、前記陰極の材質は、いわゆる仕事関数の値が比較的高い材質(例えば4.5eV以上の仕事関数を有する材質)を用いることが好ましく、その材質としては、例えばカーボン系の材質や金(Au)、タングステン(W)、レニウム(Re)、ニッケル(Ni)、オスミウム(Os)、イリジウム(Ir)、白金(Pt)などが挙げられる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0021】
本発明の一実施形態を図1〜図6を参照して説明する。
【0022】
図1は本実施形態の残留ガス判別方法に使用する装置の概略構成を示す図、図2および図3は図1の装置を使用して計測される電子放出電流を例示するグラフ、図4(a),(b)は真空容器内の真空度を推定する手法を説明するための図、図5は計測された電子放出電流の値の度数分布を例示するグラフ、図6は真空容器内の残留ガスを判別する手法を説明するための図である。
【0023】
図1を参照して、1は真空引きされた真空容器である。この真空容器1の内部には、加熱用フィラメント2、陰極3、引出し電極(陽極)4およびファラデーカップ5が収容されている。真空容器1の材質は例えば石英ガラス、無酸素銅、又はステンレスである。
【0024】
加熱用フィラメント2は、その両端部が、それぞれ真空容器1の一端部(図では下端部)に装着された金属製(導電性)の保持部材6a,6bに導通して保持されている。本実施形態では、加熱用フィラメント2は、タングステン(W)から成る。そして、保持部材6a,6bには、真空容器1の外部に設けられた加熱用直流電源7の正極および負極がそれぞれ接続されている。これにより、加熱用フィラメント2には加熱用直流電源7から通電可能とされ、その通電によって該フィラメント2が発熱するようになっている。
【0025】
この場合、加熱用直流電源7は、加熱用フィラメント2に通電する電流値を可変的に設定可能な電源であり、例えば0〜2Aの範囲で、該電流値を変更可能とされている。これにより、該フィラメント2の発熱温度を調整可能としている。なお、加熱用直流電源7の出力電圧の範囲は、例えば0〜5Vである。
【0026】
陰極3は、加熱用フィラメント2に固着され、該フィラメント2に導通されている。本実施形態では、陰極3は、カーボン系の材質から成り、その先端部(電子放出部)がカーボン・ナノ・チューブ(CNT)等により構成されている。そして、陰極3は、加熱用フィラメント2にカーボンペースト等を介して接着されている。この場合、陰極3は、加熱用フィラメント2の熱が伝達されるので、加熱用直流電源7から該フィラメント2に通電する電流値を調整することによって、陰極3の温度を変更可能とされている。
【0027】
また、陰極3には、前記保持部材6a,6bのうちの一方、例えば保持部材6bを介して直流高圧電源8の負極に接続されている。該直流高圧電源8は、真空容器1の外部に設けられており、その正極が接地されている。従って、陰極3には、直流高圧電源8から、接地部に対して負の高電圧が印加されるようになっている。該直流高圧電源8の出力電圧(接地部に対する陰極3の印加電圧)の大きさは例えば5kV程度の一定値とされている。
【0028】
ファラデーカップ5は、陰極3から放出される電子を捕捉するものであり、真空容器1の他端部(図では上端部)に陰極3と対向して固設されている。このファラデーカップ5は、真空容器1の外部に設けられた電流計9を介して接地部に接続されている。これより、ファラデーカップ9で捕捉された電子数に応じた電流が電流計9に流れるようになっている。この場合、電流計9として、ピコオーダの電流を検出可能なもの(ピコアンメータ)が用いられている。そして、該電流計9の検出出力が真空容器1の外部に設けられたデータ処理器10に入力されるようになっている。このデータ処理器10は、電流計9の検出出力が示す電流の計測値の時系列データを記録し、その時系列データの解析や表示などを行なうものである。
【0029】
引出し電極4は、導電性の板状部材から成り、陰極3とファラデーカップ5との間に配置されている。なお、引出し電極4は、図示しないホルダーを介して真空容器1に保持されている。この引出し電極4には、陰極3の軸線上で貫通穴4aが開設されている。該貫通穴4aは、陰極3から放出される電子をファラデーカップ5に向かって通過させるものである。
【0030】
また、引出し電極4には、真空容器1の外部に設けられた直流高圧電源11の負極が接続されている。該直流高圧電源11は、その正極が接地部に接地されている。これにより、引出し電極4には、直流高圧電源11から、接地部に対して負の高電圧が印加されるようになっている。この場合、直流高圧電源11の出力電圧(接地部に対する引出し電極4の印加電圧)の大きさは、前記陰極3側の直流高圧電源8の出力電圧の大きさよりも小さく、例えば2kV程度の一定値とされている。従って、本実施形態では、引出し電極4と陰極3との間には、直流高圧電源8,11の協働によって、3kV程度の一定の高電圧が印加されるようになっている。なお、引出し電極4と陰極3との間に単一の直流高圧電源から一定の高電圧を印加するようにしてもよい。
【0031】
以上のように構成された装置では、直流高圧電源8,11からそれぞれ陰極3、引出し電極4に電圧を付与し、該陰極3と引出し電極4との間に高電圧を印加すると、冷陰極電界放出方式によって、陰極3の先端部から電子が放出される。そして、この放出された電子の一部は、引出し電極4の貫通穴4aを通過して、ファラデーカップ5で補足される。このとき、ファラデーカップ5と接地部との間で電流計9を介して電流が流れ、その電流が電流計9で検出される。さらに、この電流計9の検出出力がデータ処理器10に入力されることとなる。なお、電流計9で検出される電流は、陰極3から単位時間当たりに放出される電子数にほぼ比例する。従って、電流計9で検出される電流は、本発明における電子放出電流に相当する。そこで、電流計9で検出される電流を以下、電子放出電流という。
【0032】
また、加熱用直流電源7からフィラメント2に通電する電流値を調整することによって、陰極3の温度を種々様々の値に変更することができる。
【0033】
なお、上記のようにファラデーカップ5を使用して電子放出電流を検出する代わりに、例えば、前記直流高圧電源8から陰極3に流れる電流を電子放出電流として検出するようにしてもよい。
【0034】
次に、以上説明した装置を使用して、真空容器1内の残留ガスの種類の判別と該真空容器1内の真空度の推定とを行なう手法を説明する。
【0035】
まず、真空度の推定手法の原理を説明する。陰極3の温度をある一定温度に保持した状態で、上記の如く冷陰極電界放出方式によって陰極3から電子を放出させ、このときに前記電子放出電流(単位時間当たりに陰極3から放出される電子数に応じた電流)を経時的に逐次計測すると、例えば図2あるいは図3のグラフで示すような計測データが得られる。なお、図2および図3の例では、陰極3の温度はそれぞれ300K、1203Kである。また、真空容器1内の真空度は5×10−6Torr(=6.7×10−4Pa)である。また、電子放出電流の計測のサンプリングタイムを10ms以下に設定している。また、図2および図3の電子放出電流の計測データは、400秒の期間における計測データである。
【0036】
図2および図3に示すように、電子放出電流は、スパイク状の変動(揺らぎ)を生じる。これは、陰極3の電子放出部(本実施形態ではカーボン・ナノ・チューブ)に対して、真空容器1内の残留ガスの原子または分子の物理的吸着とこれに続く離脱とが瞬時的に発生することに起因して、陰極3の電子放出部の仕事関数がスパイク状に変化するためであると考えられる。なお、図2および図3の例では、陰極3への残留ガスの原子または分子の物理的吸着に起因する電子放出電流のスパイク状の変動以外のノイズ成分も含まれている。
【0037】
上記のように陰極3への残留ガスの物理的吸着に起因して電子放出電流が変動する現象についてさらに説明する。本実施形態では、陰極3の材質がカーボン系の材質であるので、その電子放出部に残留ガスの物理的吸着が生じていない状態(以下、ガス未吸着状態という)での該電子放出部の仕事関数が比較的高い。その仕事関数の値は、4.5eV程度である。そして、このようにガス未吸着状態での仕事関数が比較的高い材質で陰極3の電子放出部が構成されている場合には、残留ガスの種類によらずに、該残留ガスの陰極3への物理的吸着に起因して、該陰極3の電子放出部の仕事関数がガス未吸着状態よりも減少し、ひいては、陰極3から電子が放出し易くなって、電子放出電流が増加する傾向がある。
【0038】
また、陰極3への残留ガスの分子または原子の物理的吸着を起こしている該分子または原子の個数(以下、単に残留ガスの吸着個数という)が多いほど、陰極3の電子放出部の仕事関数の減少量(ガス未吸着状態での仕事関数の値からの減少量)が大きくなる。このため、陰極3への残留ガスの吸着個数が多いほど、電子放出電流の増加量(ガス未吸着状態での電子放出電流の値からの増加量)が大きくなる。このように電子放出電流が残留ガスの陰極3への物理的吸着に起因して変化する現象は、定量的には次式(1)により表現される。
【0039】



I(n)=i0+η・n ……(1)

なお、I(n)は陰極3の電子放出部への残留ガスの吸着個数がn個である場合の電子放出電流の値、i0はガス未吸着状態での電子放出電流の値、ηは電子放出部への残留ガスの吸着個数の1個あたりの電子放出電流の増加量である。
【0040】
従って、電子放出電流の変動は、原理的には、例えば図4(a),(b)に示すように生じると考えられる。これらの図4(a),(b)は電子放出電流にノイズ成分が混入しない、ガス未吸着状態での電子放出電流の値i0が正確に一定値に保持される、陰極3の温度が正確に一定値に保持されるなどの理想的な条件下での電子放出電流の変動(陰極3への残留ガスの物理的吸着に起因する変動)を概念的に示すものである。この場合、図4(a)は、真空容器1の真空度が比較的高い場合における電子放出電流の変動を示し、図4(b)は、真空容器1の真空度が比較的低い場合における電子放出電流の変動を示している。また、図4(a),(b)におけるスパイク状の部分の高さ(スパイク状の部分の電子放出電流の変化量)が残留ガスの吸着個数に対応している。すなわち、電子放出電流のピーク値がI1,I2,I3,I4であるスパイク状の部分は、それぞれ、陰極3への残留ガスの瞬時的な吸着個数が1個、2個、3個、4個である場合に対応している。
【0041】
これらの図4(a),(b)に示すように、真空容器1の真空度が高いほど(真空容器1内の残留ガスの分子または原子の総個数もしくは密度が少ないほど、あるいは、真空容器1内の全圧が小さいほど)、陰極3への残留ガスの物理的吸着に起因して電子放出電流が瞬時的にスパイク状に変化する頻度が低くなり、あるいは、陰極3への瞬時的な残留ガスの吸着個数が少なくなる確率が高まる。これは、真空度が高いほど、真空容器1内の残留ガスの分子または原子の個数が少ないので、陰極3と残留ガスの分子または原子が接触する確率が低いからである。
【0042】
補足すると、陰極3の温度が高いほど、該陰極3への残留ガスの物理的吸着が生じ難くなる。このため、陰極3への残留ガスの物理的吸着が生じる頻度、ひいては、電子放出電流のスパイク状の変動が生じる頻度は、真空容器1の真空度が同じであっても、陰極3の温度が高いほど、低くなる。換言すれば、陰極3の温度が高いほど、電子放出電流のスパイク状の変動が発生し難くなって、該電子放出電流が安定化する。この傾向は、前記図2および図3にも示されている。
【0043】
以上のことから、陰極3の温度を一定に保持した状態で、陰極3への単位時間当たりの残留ガスの吸着個数を推定すれば、その個数は、真空容器1の全圧にほぼ比例し、真空度が高いほど、少なくなる。従って、その単位時間当たりの残留ガスの吸着個数を、真空度を推定するための指標として用いることができる。この場合、ある所定時間の期間(例えば60秒の期間)における電子放出電流の計測データ(時系列データ)から、陰極3への残留ガスの物理的吸着に起因するスパイク状の部分を抽出し、その各スパイク状部分における電子放出電流の変化量を基に、そのスパイク状部分に対応する残留ガスの吸着個数を推定することが可能である。さらに、当該所定時間の期間における各スパイク状部分に対応する残留ガスの吸着個数の総和を求めれば、単位時間当たりの残留ガスの吸着個数を推定することが可能である。これが、本実施形態において、真空容器1内の真空度を推定する手法の基本的な原理である。
【0044】
次に、残留ガスの種類の判別手法の原理を説明する。
【0045】
陰極3への残留ガスの物理的吸着および離脱は、陰極3への物理的吸着を起こしている残留ガスの確率的な出生・死滅過程として表現できると考えられる。この場合、その出生・死滅過程を表現する確率微分方程式は、次式(2)〜(5)により表現することができる。
【0046】
【数1】

【0047】
これらの式(2)〜(5)において、N0は陰極3の近傍領域に存在する残留ガスが吸着するサイトの個数もしくは密度、Pi,j(t)は時刻tにおいて単位時間の間に陰極3への残留ガスの吸着個数がj個からi個に変化する確率、λjは残留ガスの吸着個数がj個であるときの単位時間あたりの吸着個数の増加率、μjは残留ガスの吸着個数がj個であるときの単位時間あたりの吸着個数の減少率である。また、λjは、式(4)で示すようにN0−j(=陰極3に新たに吸着可能な残留ガスの分子または原子の吸着サイトの個数)に比例し、その比例定数がα(以下、吸着率αという)である。また、μjは、式(5)で示すように陰極3に吸着している分子または原子の個数jに比例し、その比例定数がβ(以下、脱離率βという)である。なお、一般にα<<βである。
【0048】
ここで、定常状態における任意の時刻において、陰極3への単位時間あたりの残留ガスの吸着個数をnとし、該吸着個数がn個である確率をPnとおく。この場合、定常状態では、陰極3からの電子の放出を開始した時刻での該陰極3への残留ガスの吸着個数(初期個数)に依存せずに、陰極3への残留ガスの吸着および離脱が生じると考えてよい。そして、前記式(2)〜(5)を、定常状態の基で解くことにより、次式(6)が得られる。
【0049】
【数2】

【0050】
式(6)において、exp( )は、自然対数の底eの指数関数を意味する。この式(6)は、確率Pnがポアソン分布型の分布になることを示している。この場合、陰極3への残留ガスの吸着個数がn個である時の前記電子放出電流I(n)は、前記式(1)により表されるので、該電子放出電流をある時間の期間分、逐次計測して得られる計測データ(時系列データ)における該電子放出電流の値の度数分布も、Pnと同じ形態のポアソン分布型の分布になると考えられる。
【0051】
ここで、前記した図1の装置において、陰極3の温度を、例えば300K、733K、1203Kの温度にそれぞれ保持した状態での、前記電流計9による電子放出電流の計測値(ある所定時間の期間(例えば400秒の期間)における計測値の時系列)の度数分布を図5に示す。同図5において、仮想線a,b,cはそれぞれ、300K、733K、1203Kの陰極3の温度に対応して得られた電子放出電流の度数分布を近似する曲線である。なお、300K、1203Kの温度に対応する度数分布は、それぞれ前記図2、図3に例示した計測データから得られたものである。
【0052】
図示の如く、陰極3のいずれの温度でも、電子放出電流の度数分布は、ほぼポアソン分布型の度数分布になっている。実際、陰極3の各種類の温度(300K、733K、1203K)に対応する電子放出電流の度数分布のそれぞれにおいて、その度数値がピーク値となる電子放出電流の値と、該度数分布における半値幅(度数値がピーク値の半分となる値における当該度数分布の幅であり、図5のΔ300,Δ733,Δ1203で示す幅)とは、ほぼ等しい。そして、このことは、電子放出電流がポアソン型の度数分布となることを表している。このことから、式(6)は、吸着個数がn個である確率をPn、あるいは、電子放出電流の度数分布を表現するものとして妥当なものであることが判る。
【0053】
補足すると、図5に示す如く、陰極3の温度が高いほど、上記半値幅が小さくなっている。このことは、前記したように、陰極3の温度が高いほど、電子放出電流のスパイク状の変動が発生し難くなって、該電子放出電流が安定化する(電子放出電流の値のばらつきが小さくなる)ことを示している。
【0054】
一方、前記式(6)において、脱離率βは、陰極3の温度Tの関数となり、その関数は、一般に、アレニウス型関数で表される。このため、次式(7)の比例関係が成立する。
【0055】
【数3】

【0056】
式(7)において、Eadは陰極3に対する分子または原子の物理吸着エネルギーであり、これは、陰極3の材質(本実施形態ではカーボン系)と、分子または原子の種類とに応じて定まる定数である。また、kBはボルツマン定数、Tは陰極3の温度(絶対温度の単位での温度)である。
【0057】
ここで、前記したように吸着率αは脱離率βよりも十分に小さいので(α<<βであるので)、式(7)の比例関係における比例定数をAとおく(β=A・exp(−Ead/(kB・T))とする)と、前記式(6)の但し書きの式で定義されたξと、陰極3の温度Tとの間には、次の関係式(8)が成立することとなる。
【0058】
【数4】

【0059】
なお、log( )は対数関数である。
【0060】
式(8)から明らかなように、ξの逆数値(1/ξ)の対数値と陰極3の温度Tの逆数値(1/T)との関係は、直線状の関係となる。そして、その直線の傾き(−Ead/kB)が、物理吸着エネルギーEadに比例することとなる。
【0061】
また、前記式(6)のPnの分布と電子放出電流の度数分布とは、前記したように同じ形態のポアソン分布となると考えられる。そして、前記式(6)により表されるポアソン分布では、ξは、そのポアソン分布における半値幅を意味する。従って、ξは、電子放出電流の度数分布における半値幅に比例すると考えられる。このため、陰極3の複数種類の温度のそれぞれに対応して、ある所定時間の期間分の電子放出電流を逐次計測すると共に、その各種類の温度に対応する電子放出電流の値の度数分布の半値幅を求めれば、その各種類の温度における半値幅は、該温度におけるξに比例した値となる。よって、電子放出電流の値の度数分布の半値幅の逆数値の対数値と、陰極3の温度Tの逆数値(1/T)との関係は、式(8)と同様の直線状の関係になる。そして、その直線の傾きは、式(8)で表される直線の傾き(=−Ead/kB)に等しくなると考えられる。
【0062】
以上のことから、陰極3の温度を複数種類の温度にそれぞれ保持した状態で、電子放出電流をある所定時間の期間分、逐次計測すると共に、その計測データ(電子放出電流の計測値の時系列データ)から得られる電子放出電流の度数分布の半値幅と、陰極3の温度との値とから、該半値幅と温度との関係を近似する直線の傾きを求めることによって、その求めた傾きの値から、陰極3に物理的吸着を起こす残留ガスの種類に依存する物理吸着エネルギーEadを把握することができることとなる。そして、その物理吸着エネルギーEadから、残留ガスの種類を特定することができることとなる。換言すれば、上記の如く求めた直線の傾きを残留ガスの種類を判別するための指標として用いることができる。これが、本実施形態における残留ガスの判別手法の基本的な原理である。
【0063】
以上説明した原理を踏まえて、本実施形態における真空容器1内の残留ガスの判別処理と、真空度の推定処理とを以下に説明する。これらの処理は、以下に示す手順で実行される。
(手順1)まず、加熱用直流電源7から加熱用フィラメント2に一定の電流を通電することにより、陰極3の温度Tをある一定温度に制御する。ここで、本実施形態では、フィラメント2に通電する電流の値と、陰極3の温度T(定常状態での温度)との関係を表すデータ(以下、電流・温度データという)があらかじめ比色温度計や放射温度計を使用して実測されている。そして、陰極3の温度をあらかじめ定めた複数種類の温度から順次選択し、その選択した温度に対応する電流値を上記電流・温度データに基づいて決定する。さらにその決定した電流値の電流を加熱用フィラメント2に加熱用直流電源7から連続的に通電する。これにより、陰極3の温度Tを選択した温度に保持する。
(手順2)次いで、上記のように陰極3の温度Tを上記複数種類の温度のそれぞれに保持した状態で、前記直流高圧電源8,11を動作させることにより、陰極3と引出し電極4との間に一定の高電圧(本実施形態では3kV程度)を印加し、陰極3から電子を放出させる。そして、この電子の放出を連続的に行いながら、前記電流計9の検出出力、すなわち、電子放出電流の計測値をあらかじめ定めた所定時間(例えば60秒)の期間分、データ処理部10に逐次取り込んで記録する。なお、この場合、所定時間は、基本的には、その時間の期間内で、陰極3への残留ガスの物理的吸着が複数回、発生し得るような長さの時間に設定しておけばよい。また、当該所定時間の期間には、陰極3からの電子の放出を開始した直後の期間を含めないようにしてもよい。
(手順3)次いで、データ処理部10に取り込んだ電子放出電流の計測値データ(計測値の時系列データ)を基に、該データ処理部10の演算処理によって、該電子放出電流の計測値の度数分布を作成する。これにより、例えば前記図5に示したような電子放出電流の計測値の度数分布が得られる。なお、図5では、陰極3の各種類の温度T(300K、733K、1203K)に対応する度数分布では、電子放出電流の計測値(図5中の黒丸点などの点で示される電子放出電流の値)が比較的まばらな刻み幅になっているが、実際には、より細かい刻み幅で電子放出電流の計測値の度数分布が得られる。
【0064】
そして、この電子放出電流の計測値の度数分布(陰極3の各種類の温度Tに対応する度数分布)を基に、それぞれの度数分布の半値幅Δ、すなわち、該度数分布のピーク値(最大の度数値)の半分の度数値における該度数分布の幅Δがデータ処理部10により求められる。この場合、陰極3の各種類の温度に対応する電子放出電流の度数分布毎に、その度数分布のピーク値の半分の度数値を有する電子放出電流の2つの計測値を電子放出電流の計測値の中から抽出し、それらの値の差を半値幅Δとして求められばよい。なお、度数分布のピーク値の半分の度数値となる電子放出電流の計測値が無い場合には、当該半分の度数値に近い度数値を有する電子放出電流の計測値の複数のデータから、当該半分の度数値を有する電子放出電流の値を推定し、その推定値から半値幅Δを求めるようにすればよい。
【0065】
以上のような手順3の処理により、陰極3の各種類の温度毎に、電子放出電流の度数分布の半値幅Δが求められる。図5の例では、同図に示すΔ300,Δ733,Δ1203が、それぞれ300K、733K、1203Kの陰極3の温度に対応する半値幅Δとして得られる。
【0066】
補足すると、上記手順2、3は、陰極3の各種類の温度Tに対する電子放出電流の計測を行なう都度、実行するようにしてもよいが、あらかじめ定めた複数種類の温度のそれぞれに対する電子放出電流の計測を全て完了した後に、一括して行なうようにしてもよい。
(手順4)次いで、上記の如く求めた複数の半値幅Δの逆数値の対数値log(1/Δ)と、それぞれに対応する陰極3の温度Tの逆数値(1/T)とがデータ処理部10によって算出される。これにより、例えば図6の白丸で示すように、対数値log(1/Δ)と、温度Tの逆数値(1/T)との組が複数組(温度Tの種類数と同数の組)が得られる。なお、図6の例では、陰極3の温度Tは、300K、533K、733K、863K、1133K、1203K、1263Kの7種類である。また、図6の縦軸は対数軸である。
【0067】
さらに、その対数値log(1/Δ)と、温度Tの逆数値(1/T)とから、それらの間の関係を近似する直線の傾きが、最小2乗法などにより算出される。例えば、図6に示す例では、同図中の直線Lの傾きが算出される。
(手順5)次いで、上記の如く求めた直線の傾きの絶対値にボルツマン定数kBを乗じることにより物理吸着エネルギーEadが算出される。そして、この物理吸着エネルギーEadが、あらかじめ用意された種々様々のガスの物理吸着エネルギーの既知の値と比較される。このとき、算出されたEadの値と一致するか、もしくは最も近い物理吸着エネルギーの値を有するガスの種類が、真空容器1内の残留ガスの種類として特定される。これにより、残留ガスの種類が判別される。
【0068】
なお、種々様々のガスの、既知の物理吸着エネルギーの値をボルツマン定数kBで除算することにより、対数値log(1/Δ)と温度Tの逆数値(1/T)との関係を表す直線の傾きをあらかじめ求めておき、この傾きと、上記手順4で求めた傾きとを比較することによって、残留ガスの種類を判別するようにしてもよい。
(手順6)さらに、次のようにして、真空容器1内の真空度が推定される。例えば、前記手順1で使用する陰極3の複数種類の温度のうちのあらかじめ定めた1つの種類の温度(以下、規定温度という)に対応して、前記手順2で得られた電子放出電流の計測値の時系列データの全体、あるいは、該時系列データのうちの一部の所定時間分の期間における時系列データから、陰極3への残留ガスの物理的吸着に起因して生じるスパイク状の部分を抽出する。この場合、例えば電子放出電流の計測値の時系列データにより表される電子放出電流の波形において、微分値が所定値以上となり、且つ、電子放出電流の変化量が所定値以上となる部分を、残留ガスの物理的吸着に起因して生じるスパイク状の部分として抽出すればよい。そして、その抽出した各スパイク状の部分における電流の変化量(スパイク状の部分のピーク値と、前記ガス未吸着状態での電子放出電流の値i0との差)を求め、その各スパイク状の部分の電流の変化量から、該スパイク状部分に対応する残留ガスの吸着個数を求める。なお、この場合、前記ガス未吸着状態での電子放出電流の値i0は、例えば電子放出電流の計測値の時系列データにローパス特性のフィルタリング処理を施すことで、求めることができる。また、残留ガスの吸着個数の1個当たりの電子放出電流の変化量(すなわち、前記式(1)のη)は、あらかじめ実験などを基に同定しておけばよい。
(手順7)次いで、上記の如く求めた各スパイク状部分に対応する残留ガスの吸着個数を加え合わせることにより、所定時間の期間における残留ガスの吸着個数の総和(総吸着個数)を求める。そして、その求めた総吸着個数を、当該期間の時間で除算することにより、陰極3への単位時間当たりの残留ガスの吸着個数が求められる。例えば、図4(a)の如くスパイク状部分が抽出された場合において、上記総吸着個数を求める期間を0〜60秒の期間とした場合、総吸着個数は3個となる。また、図4(b)の如くスパイク状部分が抽出された場合には、0〜60秒の期間における総吸着個数は、26個となる。従って、単位時間当たりの吸着個数は、図4(a)の例では、3/60個となり、図4(b)の例では、26/60個となる。なお、単位時間を1秒とする必要はなく、例えば60秒を単位時間としてもよい。この場合には、単位時間当たりの吸着個数は、図4(a)の例では、3個、図4(b)の例では26個となる。
【0069】
補足すると、残留ガスの吸着個数の総和(総吸着個数)を求める期間の時間が長いほど、超高真空を含めて、より高い真空度の推定を行なうことが可能である。
(手順8)次いで、上記のように求めた陰極3への単位時間当たりの残留ガスの吸着個数を基に、真空度を推定する。すなわち、求められた残留ガスの吸着個数に、あらかじめ実験的に決定された比例定数を乗じることにより、真空容器1内の全圧を推定する。なお、比例定数は、陰極3の温度を前記規定温度に保持した状態に対応して、公知の真空計などを使用して実験的に決定された値である。これにより、真空容器1内の真空度が推定されることとなる。
【0070】
以上が、本実施形態における残留ガスの種類の判別処理と真空度の推定処理との詳細である。
【0071】
このような処理によって、従来のような高価な装置や大型な装置、もしくは複雑な装置を必要とすることなく、安価で簡単な装置を使用しつつ、真空容器1内の残留ガスの種類を簡易な手法で判別できると共に、真空容器1内の真空度を簡易な手法で推定できる。
【0072】
なお、本実施形態では、真空容器1の真空度を推定するとき、陰極3の温度を1つの種類の規定温度に保持した状態での電子放出電流の計測データを用いたが、陰極3の2つ以上の種類の規定温度にそれぞれ対応して得られる電子放出電流の計測データを用いてもよい。この場合には、例えばそれぞれの計測データから、各々、前記手順6〜8によって真空度を推定し、それらの真空度の平均値を真空容器1の実際の真空度として推定するようにすればよい。
【0073】
また、本実施形態では、陰極3の材質としてカーボン系の材質を使用したが、これ以外にも、金(Au)、タングステン(W)、レニウム(Re)、ニッケル(Ni)、オスミウム(Os)、イリジウム(Ir)、白金(Pt)などの材質で陰極3を構成してもよい。
【図面の簡単な説明】
【0074】
【図1】本発明の一実施形態の残留ガス判別方法に使用する装置の概略構成を示す図。
【図2】図1の装置を使用して計測される電子放出電流を例示するグラフ。
【図3】図1の装置を使用して計測される電子放出電流を例示するグラフ。
【図4】図4(a),(b)は真空容器内の真空度を推定する手法を説明するための図。
【図5】図1の装置を使用して計測された電子放出電流の値の度数分布を例示するグラフ。
【図6】図1の装置における真空容器内の残留ガスを判別する手法を説明するための図。
【符号の説明】
【0075】
1…真空容器、3…陰極。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
真空引きされた真空容器内の残留ガスの種類を判別する残留ガス判別方法であって、
前記真空容器内に配置された陰極の温度を複数種類の温度に順次制御するステップと、各種類の温度に前記陰極の温度を保持した状態で、該陰極から冷陰極電界放出方式により電子を放出させ、この時に該陰極から放出される電子の電流量である電子放出電流を少なくとも所定時間の期間分、逐次計測するステップと、前記各種類の温度に対応して計測された前記所定時間の期間分の電子放出電流の値の時系列データから該電子放出電流の値の度数分布を求めるステップと、前記複数種類の温度の値とその各種類の温度に対応して求められた前記度数分布とに基づいて前記残留ガスの種類を判別するステップとを備えたことを特徴とする残留ガス判別方法。
【請求項2】
請求項1記載の残留ガス判別方法において、前記残留ガスの種類を判別するステップは、前記各種類の温度に対応して求められた前記度数分布のピーク値の半分の度数値における該度数分布の幅である半値幅を求めるステップを含み、前記複数種類の温度の値と、その各種類の温度に対応して求められた前記度数分布の半値幅とに基づいて前記残留ガスの種類を判別することを特徴とする残留ガス判別方法。
【請求項3】
請求項2記載の残留ガス判別方法において、前記残留ガスの種類を判別するステップは、前記複数種類の温度のそれぞれの逆数値と、前記各種類の温度に対応して求められた前記度数分布の半値幅の逆数値の対数値との間の関係を近似する直線の傾きを求めるステップをさらに含み、その求めた傾きに基づいて前記残留ガスの種類を判別することを特徴とする残留ガス判別方法。
【請求項4】
請求項1〜3のいずれか1項に記載の残留ガス判別方法において、前記複数種類の温度のうちの少なくとも1つの所定の温度に対応して計測された前記所定時間の期間分の電子放出電流の値の時系列データに基づいて前記真空容器内の真空度を推定するステップをさらに備えたことを特徴とする残留ガス判別方法。
【請求項5】
請求項4記載の残留ガス判別方法において、前記真空度を推定するステップは、前記複数種類の温度のうちの所定の温度に対応して計測された前記所定時間の期間分の電子放出電流の値の時系列データに基づいて、単位時間当たりに前記陰極への物理的吸着を起こした残留ガスの分子または原子の個数を推定するステップを備え、その推定した個数に基づいて前記真空容器内の真空度を推定することを特徴とする残留ガス判別方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【公開番号】特開2008−170176(P2008−170176A)
【公開日】平成20年7月24日(2008.7.24)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2007−1352(P2007−1352)
【出願日】平成19年1月9日(2007.1.9)
【出願人】(000002303)スタンレー電気株式会社 (2,684)
【Fターム(参考)】